「お前、頭悪そうだな」
第一声がこれである。当然少年達は大喧嘩となった。この喧嘩が縁となったのか、何の因果か二人はパブリックスクールの寄宿舎から大学の法学部のゼミに至るまで同じ釜の飯を食べ続け、顔を合わせるたびに拳で語り合った。彼らの友人達は、教室の片隅で睨みあう二人に半ば呆れながら「仲がいいな」と声をかけたが、二人は声を揃えて否定した。
「「断じて違う」」
嫌いな奴ほど印象に残るものだ。頭が悪そうと言われた方の少年は、自分にそう告げた少年に一度だけ尋ねたことがある。自分の観察する限り、彼は誰に対しても愛想がよく、言動は年不相応に慎重で、初対面の人物に喧嘩を売るような人間ではなかったからだ。
「それは、君がいかにも頭が悪いという顔をしていたから」
第2ラウンドである。少年は彼がますます嫌いになった。
頭が悪そうといわれた少年は、大学を卒業して財務省に入省。計算は得意ではなかったが、習うより慣れろと持ち前の負けん気の強さ、そして見た目とは裏腹の丁寧な仕事振りで財務官に上りつめ、変わり者の王弟に目を付けられたことが幸い(災い)して、44歳の若さで同省トップの財務卿に就任した。もう一人の少年は、専門知識が要求されるためになり手の少なかった商法関係専門の弁護士として一財産を築く。28歳のときにその人脈を元にリヴァプール選挙区から立候補して庶民院議員となり、すぐに頭角を表わしてとんとん拍子で出世。35歳で庶民院議長に上り詰めた。
「財務卿、庶民院のロビンソン議長と旧いなじみなんだって?それならそうと早く言ってくれれば・・・」
「殿下、神と始祖と国王陛下に誓って言います。断じてあれとは友人ではありません。私の天敵です」
アルビオン王国財務卿ウィリアム・ぺティ・シェルバーン伯爵は、間髪要れずにヘンリー王子の言葉を否定した。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(整理整頓の出来ない男)
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毎度おなじみ・・・というほどおなじみでもないヘンリーの執務室。貴族院議長(兼大法官)のダービー伯爵と庶民院のロビンソン議長から省庁再編問題に関しての協力を取り付けることに成功したヘンリーとシェルバーン財務卿は、その足でヘンリーの執務室に向かった。大体、二人が密談するときは人の目を気にしなくていいこの部屋を使うことがお決まりのパターンとなりつつある。
執務室の机の上は相変わらず山のように書類や本が積みあがり、本棚には付箋だらけの本が乱暴に突っ込まれていて、すざましい光景を作り上げている。王弟であるヘンリーはいくつかの名誉職を兼任しているが、宮廷や行政府の実務職に就いているわけではない。どう考えても目の前の書類の山とは結びつかないが、それはやはり部屋の主に原因がある。
省庁の報告書から新聞の尋ね人の欄に至るまで、ありとあらゆることに目を通せるだけ通すのがヘンリーの日課だ。暇を見つけては関連の書物に眼を通し、暇そうに見える(暇ではないのだが)官僚をとっ捕まえて話を聞く。勉強が得意ではなくむしろ苦手なヘンリーだったが、自分の利害に直結することに関しては手間隙を惜しまないだけの勤勉さは持ち合わせていた。もとより専門知識ではテクノクラートや職業軍人には敵わないが、それでも「何が問題となっているか」という世の中の流れを掴む事ぐらいは出来る。何でも知らないと気がすまないその性格は、トップの素質としては好ましいものではないとシェルバーンは考えていたが、周囲が辟易するほど謹厳である国王の補佐役としてなら特に問題はないとして気にしてはいなかった。
しかし皆が皆、シェルバーンのように考えてくれるわけではない。国王ジェームズ1世への正規の上奏ルート(王政庁)では門前払いを食らうよう突飛な内容でも、ヘンリーの元に持っていけばなんとかなるという風潮がロンディニウムにはある。両者の性格もあるのだろうが、ともかく笑いはしても怒りはしないヘンリーには話しやすいとあって、その部屋はさながら各省庁の陳情所のような様相を呈していた。結局のところ彼の下に陳情が集まるのは、彼が王弟だからであり、ヘンリーを通じてジェームズ1世と間接的につながりを持つことを期待しているため。実際ヘンリーもそうして集めた情報や稟議書の中から「これは」と思うものはジェームズに直接奏上している。
王政庁を初めとしてデヴォンシャー侍従長がヘンリーの言動に神経を尖らせているのは、なにも自身の面子や権限を侵されているからばかりではなく、それが「忖度政治」につながる危険性があったからだ。ヘンリーがその気になれば「兄の意向は」という錦の御旗を振りかざして国政へ干渉出来る。ヘンリーの下を訪れる輩の中にも、そうした政治的な下心を持つ者がいないではない。財務卿に就任して直のシェルバーンがその点に関して諫言すると、ヘンリーはどこか寂しそうに笑って、こう答えた。
「君も仕えてみれば解る・・・兄上はそんなに甘い人ではないよ」
ヘンリーの言葉通り、実際に財務卿として仕えてみたジェームズ1世は『謹厳実直』という言葉だけでは片付けられない人物であった。モード大公の扱いに関して、王が「好きにさせろ。だが意思決定には関わらせるな」と述べたことで「弟に甘い兄」という評価が偽りだったことをシェルバーンは知った。良き王たらんとする意識と覚悟を自分の行動基準としているジェームズ1世に限って、肉親の情に惑わされて国政を誤る心配はなかった。両者の行動を認めているのは、あくまでそれが国政運営にプラスに働くと考えた範囲のみ。ヘンリーやモード大公ウィリアムの行動が一線を越えるとあれば、迷うことなく「排除」するだろう。
そしてちゃらんぽらんな言動を繰り返しているヘンリーが、自分のおかれた危険な立場が、その一線を容易に踏み越しかねない事を理解しており、そしてその一線を踏み外さないように慎重に心がけていることを、シェルバーンはここ3年ばかりの付き合いで知った。兄弟であるがゆえに、一線を越えることは許されない。ヘンリーの葛藤と苦心を間近で見てきた自分くらいは、多少部屋が汚い事を見逃すぐらいの気遣いは・・・
「・・・うん、無理だ」
「何なんだ、藪から棒に」
そり上げた頭にでかい図体という豪快な見た目とは裏腹に、繊細で潔癖症なシェルバーンは、生理的に汚い部屋を受け入れることを拒否した。新聞のスクラップ記事らしきものを脇によけ、付箋だらけの積み上げた本を床に置いたヘンリーに向かって、いつもの小言を口にする。
「勉強熱心なのは結構ですが、少しは整理なされてはどうですか。これでは調べる前に部屋の整理をしなければなりますまい。服装の乱れは心の乱れ、部屋もまた然りですぞ」
「いや、これでも片付けたほうなんだぞ。むしろ前よりは格段に調べやすく・・・」
「では試しにお聞きしますが、それはなんですか」
シェルバーンの指指した書類の山の一角に目を向けたヘンリーは、はてと首をかしげる。
「あぁ、それ?その山は確か・・・先月分の財務省商工局関連の稟議書の写しと、バーミンガム市の区画整理計画の内務省改正案の写しだろ、ハノーヴァー王国に関する外務省の報告書の写しに、農業局の土壌改良研究の・・・」
「わかりました、わかりましたから」
指折り数え上げるヘンリーを手で制するシェルバーン。まさか本当に答えるとは思わなかった。それが本当かどうかは調べてみないとわからないが、あの一角を崩せば周囲の山も崩れ落ちそうで怖い。調べようとすると部屋の大掃除が必要となりそうだ。多少潔癖症の気がある財務卿が小言を続ける前に、ヘンリーは本題に戻した。
「そんなことよりもロビンソン議長は・・・そんな顔をするな」
ロビンソンという名前がヘンリーの口から出た途端に顔を歪ませるシェルバーン伯爵。誰しもそりが合わない人間というのは一人はいるものだが、ここまで露骨に表情に出す人間は見たことがない。「喧嘩するほど仲がいいというらしいが」と揶揄するように口にしたヘンリーに、財務卿は「断じて違います」と力強く否定した。
「昔からへらへらと他人の顔色を伺って生きてきただけの男です。人を自分にとって利用価値があるかどうかだけで判断する性格は昔から変わっておりません。殿下もお分かりでしょう。あの男は人のいいダービー伯爵を利用していただけです」
「まぁ、そう見えなくもなかったが・・・本当に嫌いなんだね」
「欲太りしたあの体を見るだけで、吐き気がします」
憮然とした表情で吐き捨てる財務卿。嫌いだと言いながら良くその性格を見ているなと思ったが、茶化せるような雰囲気ではなかったので自嘲する。
「・・・議会の根回しはアレに任せておけば大丈夫でしょう。昔から出来ないことは口にしない男ですから」
「長年の付き合いの君が言うなら、間違いないんだろうね」
ジロリと睨まれたので、しわぶきをしながら視線をそらす。やはりヘンリーはヘンリーである。誤魔化すために出来るだけ厳粛な表情を作ろうとしていると、再びシェルバーンが口を開いた。
「アレのことはともかくですな。殿下、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「あぁ、いいよ。でも僕のスリーサイズはトップシークレットだから教えて上げられないけどね」
いつもの様に王子のたわ言は無視して、シェルバーンが尋ねる。
「あのモートン伯の財務省解体案、殿下はどのように考えておられたのですか」
「そうだね・・・当事者である君はどう思った?」
また質問返しかとうんざりした表情になるシェルバーン。こうして時間稼ぎをしている間に自分の考えをまとめ、同時に相手の真意を引き出すやり方はあの前宰相譲りか。これをやられると「王族でありしかもジェームズ王の信頼篤い王弟に意見を述べる機会はそうそうあるものではない」と、大概の官僚はころりと参ってしまうという。しかしヘンリーと顔を合わせる機会の多いシェルバーンにとっては今更といった観が否めない。だからといってこれでも王族の端くれのヘンリー。そうそう邪険にも出来ないのが腹立たしいところだ。顔をこれでもかというぐらい顰めながら、シェルバーンはふてくされたように答える。
「構想自体の是非はこの際置いておきましょう」
「ほう」と意外そうに顎を撫でるヘンリー。財務官僚のトップである彼が「財務省解体」ともいえる過激なモートン伯爵の再編案を評価しているようにも聞こえたからだ。
「まさか親玉の君がそう言うとはね」
「誤解しないで頂きたい。モートン案に賛成しているわけではありません。あくまで一つの見識として、着目点に関しては悪くないという話です」
「どっちにしろ、評価はしているんだろう。同じことではないか」
「殿下・・・解っていておっしゃっているのなら、今すぐやめていただきたい」
「悪い悪い」と言いながら、まったく悪びれた様子のないヘンリーに、シェルバーンのこめかみに青筋が浮かび上がる。シェルバーン伯爵の財務省内での基盤はそう強固なものではない。財務省本流とされる会計局出身の彼は、何れは財務卿に就任すると見られていたが、一財務官から次官や局長を跳び越して財務卿に昇格したため、バンハーン次官を初めとして幹部クラスには自身の先輩が健在。個人としては商工局の独立は認めてもいいと考えていたが、省内の大勢が「再編案反対」で固まると、シェルバーンとしてはそれを受け入れざるを得なかった。とにかく今は仮初にもモートン案に賛成と撮られてはならない立場の自分に向かって、この王子様は・・・顔面殴ってやろうか。割と本気で考えながら、シェルバーンは続ける。
「・・・モートン案は頂けません。あれでは生きている人間の体を切り刻むようなものです」
「出血多量で死んでしまうかね。財務省が」
「財務省ではありません。アルビオンが死んでしまいます」
自分たちこそアルビオンである-堂々とそう言ってのけたシェルバーン伯爵に、さしものヘンリーも閉口した。シェルバーン個人の見解というわけではなく、大方の財務官僚に共通した思いであるのだからたまらない。これは嫌われるわけだと内心納得するヘンリーだが、その自信が意外と本質を突いている。小麦飢饉と四十年戦争で荒廃したアルビオンを立て直すために、『再建王』リチャード12世(4521~4580)の元でダービー伯爵が設立した財務省は産業政策と経済政策、そして財政部門を統合することにより強力に政策を遂行することが出来た。また広い視野で物事を処理することが必要な環境から多くの優秀な官僚や政治家を輩出した。強大な権限や高いプライドに似合うだけの仕事をしてきたという自負はハッタリではない。
その財務省だが、大きくわけで財政規律重視派と積極財政派にわけられる。省内では会計局を中心とする前者が、商工局を中心とする後者を圧倒的に凌駕していた。これはリチャード12世が四十戦争や内乱鎮圧の際に膨れ上がった膨大な財政赤字を受けて、財政再建を最優先としたためで、この傾向は今でも省内に根強い。商工局の積極財政派はいわば日陰者として無聊を囲い「商工族」などと呼ばれていた。
その「商工族」出身である元財務次官モートン伯爵(枢密院書記長官)がまとめた省庁再編案で、財政規律派は目の敵にされたのはある意味当然であった。商工局(産業政策)と銀行局(金融機関の監督検査)を金融庁として独立、通貨局(通貨発行)と会計局(予算編成)を王政庁に移管と、主要業務の殆どが取り上げられるような内容に、財務省内は激昂した。元同属に裏切られたという意識もあるが、実際に今財務省から無理やりこれらの機能を分捕ってしまえばどうなるかは、火を見るより明らかだった。
「問題は財務省無き後に、誰が司令塔になるのかです」
「え、そりゃ俺の兄貴・・・」
「陛下が20人いるならそれでもいいでしょう」
ズンバラリンとヘンリーの意見を切って捨てるシェルバーン。ズンバラリン、いい響きだ。切られたヘンリーも嬉しそうだ・・・もとい。
「しかし陛下はお一人なのです。よろしいですか?内務省や空軍は好き勝手に財務省の悪口をいいますがね。われわれが絞らねば当の昔にアルビオンは借金まみれになっております。予算編成時の圧力といったら、それはもう。宮廷内で軍杖を向けられたことは一度や二度では済みません」
「そ、それはまたヘビーな・・・って、あれ?宮廷に軍杖の持込って禁止されてなかったか?」
「まぁ、口には出せないことは他にも色々ありましたが、それはともかく」
「いや、待てよ。何だよ色々って。気になるじゃん」
「世の中には知らないほうがいい事は多いのです・・・ともかく嫌われようが何だろうが、問答無用で『財政規律』を旗印に予算を組んできたのが我ら財務省です。仮にモートン案を全部受け入れたとしましょう。王政庁の宮廷貴族どもにそんな予算交渉が出来ますか?」
『この世で最も信頼ならぬのは宮廷貴族ですぞ』と、他ならぬ宮廷貴族出身のスラックトン侯爵の言葉を、ヘンリーは思い出した。あんな奴らに予算編成の権限を持たせたら、自分の財産を増やすぐらいは可愛いもので、何に使うか解ったものではない。
「・・・無理だな」
そうでしょうと頷くシェルバーン。
「何の準備も無く移管したところで、いいように予算をむしりとられるのが関の山です。通貨の発行にしましても、もっと鋳造しろという議会からの圧力に耐えるのがどれくらい大変か。何よりも書類に出来ないノウハウの散逸が問題です。省庁間の根回しや、裏が・・・潤滑油の配り方などのノウハウが散逸すれば、取り返しが付きません」
「なるほ・・・うらが?え、今裏金って言った?」
「新設される首相職の権限も不明確ですし、権限が強化されるという内務省ですがこれも未知数。はっきりいいますと、今の内務省では我らの変わりは務まりますまい」
「おいこら、何無かったことにしようとしてるんだこら、裏金って言いかけただろうが」
「いやー、今日はいい天気ですなー」
「今日は曇りだぞ。明らかに棒読みで何を言っているんだお前は」
「殿下、男は小さなことにこだわってはなりません。殿下はハルケギニア全体に視野を向けたビックな男にならなければなりません」
「何をわけのわからない事をいって誤魔化そうとしているんだお前は。だから今裏金って・・・」
コンコン!
「はい、どうぞ」
「伯爵、それは俺の台詞だ!いつからここは君の部屋になったのだ!」
ノックを幸い、逃げ切ろうとしたシェルバーン伯爵だが、その判断を直に後悔することになる。
「モーニントンで・・・げぇ!シェルバーン!」
「どふぇ?!な、内務卿?」
モーニントン伯爵ジェラルド・ウェルズリー内務卿が、同じようにポカンとした間抜け面をしたシェルバーン伯爵と見詰め合っていた。
***
そわそわと落ち着きのない内務卿と、絶対零度の冷たい視線で睨む財務卿を前に、ヘンリーはニヤニヤとした表情を浮かべている。いたずらが成功したときの悪ガキのようにしか見えず、シェルバーンは胸糞が悪くなった。
「で、殿下。その、私は・・・」
「あぁ、いいんだ内務卿。君を呼んだのはこの時間で会っているから」
モーニントン伯爵ジェラルド・ウェルズリーは53歳。モーニントン伯爵はウェリントン公爵家の法定推定相続人が名乗る儀礼称号であり、彼の父アーサー・ウェルズリーは現ウェリントン公爵である。四十年戦争で功績を立てて以降、多くの軍人を輩出してきた名門公爵家の次期当主らしく、整った顔立に如何にも血筋のよさを匂わせていた。
初めてヘンリーの執務室を訪れたモーニントン伯爵は、その部屋の汚さは無論のこと、潜在的な政敵である財務卿の隣に座っているという現状に、そわそわと落ち着きの無い視線をあちらこちらに送っている。それでもシェルバーンの座る方向を見ようとしないのは、拒絶しているのではなく、まさかこの場所にいるとは思わなかった年下の伯爵にどう対応していいか解らず、途方にくれているという感じだ。実際にその通りであり、モーニントン伯爵は省庁再編の立案者であると噂の王弟に呼び出されるということは、少なくとも悪い話ではあるまいと考えていた自分の判断の甘さを、猛烈に後悔していた。
さすがのヘンリーも悪いことをしたかなと・・・
「しかし奇遇だねぇ。どうだね、積もる話もあるだろう。さぁ、どんどん話したまえ、どんどんと」
確信犯のこいつがそんな事を思うわけがなかった。ヘンリーはわざとシェルバーンを引き伸ばし、モーニントン伯爵と鉢合わせになるように仕組んだのだ。人のいい-口さがのない者に言わせれば「お坊ちゃん」のモーニントン伯爵は「はぁ、それは」とあいまいに答えているのとは対照的に、シェルバーンは目の前の男に唾を吐きかけてやりたい気持ちを必死に堪えていた。
話せといわれて話せるなら苦労はしない。解体案に近いものを突きつけられている財務省とは対照的に、財務省に鼻先を押さえつけられてきた内務省はその権限が強化され「我らが財務省に代わり国を担うのだ」と鼻息が荒い。当然面白くないのは財務省だ。瞬く間に犬猿の仲と化した二つの省の間では、公衆の面前での掴み合いの討論はまだいい方で、それはもう陰険で陰惨で陰鬱な嫌がらせややり取りが繰り返されている。トップの2人の間に個人的な遺恨はなかったが、今この状況で話せといわれても話すことなどない。下手に相手に言質を与えてしまえば、自分が失脚しかねない。
中々話し出さない二人を見かねて、ヘンリーが口火を切る。
「僕は小心者でね。閣僚たる君達を呼び出すことなど、一人ではとても決断できないよ」
「そ、それは・・・」
モーニントンは続く言葉を唾と共に飲み込む。暗にジェームズ1世の存在を伺わせる王弟の言葉が持つ重みを、始めてその身に感じていた。この王弟が兄の存在を匂わせる時は、間違いなくその同意を得ていることを知っているシェルバーンは、忌々しげな表情は崩さなかったが、ヘンリーに視線を向けて聞く姿勢をとった。
「商工局の独立で財務省は手を打つそうだ」
「ほう、それは・・・」
思わずシェルバーンのほうに視線を向けたモーニントンだが、慌てて正面に戻す。やりたい放題なヘンリーのペースに巻き込まれている内務卿を、かつては同じ経験をしたシェルバーンは笑うことは出来なかった。そんな財務卿の心中を知ってか知らずか、ヘンリーは口元を少し吊り上げながら言う。
「落としどころはそんなものだろうが、それは別として再編案に関する財務省内の反発は知っているかね?」
「え、ええ。噂ぐらいは」
本当は知っているどころではない。日頃何かと威張っている財務省が泡を食っていると面白がった部下が命じてもいないのに情報を集めてくるため、モーニントン伯爵は財務省の内情について、下手をすればシェルバーン以上に精通している。
「それでだね。財務省を納得させるために、議会の協力を得ることにしたのだ。まぁ、その、こう言っては何だが、見返りとしてポストを要求されたよ」
「なるほど。ロビンソン議長ならそれくらいは要求するでしょうな」
自分には関係ないと、気のない返事を返すモーニントン。実際にそこまでは他人事であった。そこまでは。
「それで、君のところからもポストを出して欲しい」
・・・は?
「局部長級じゃすこし役不足だ。色々と権限が増えて組織を管理する伯爵も大変だろうし、これから領地の再編が進むにつれて貴族諸侯との調整役も必要だ。そこで地方担当大臣を設けてもらいたい。今考えているのは東西南北、つまり『北部担当大臣』『西部担当大臣』『南部担当大臣』『東部担当大臣』の4つを・・・」
「ちょ、ちょちょっと、ちょっとお待ちください!ちょっと!!」
思いもがけない言葉にあっけに取られていたモーニントン伯爵は、慌ててヘンリーの言葉を遮った。
「ん?何だい?」
取り澄ました顔をしたヘンリーに、モーニントン伯爵は始めてこの王弟の性格を知ったような気がした。だからといってはいそうですかと首を縦に振るモーニントンではない。「お坊ちゃま」陰口を叩かれるようにわきの甘さはあったが、ヘンリーを抱きこんでペンヴィズ半島南部での内務省の主導権を確立しようとした男である。すぐさまヘンリーに食い掛った。
「新設される局長ポストならともかく、いきなり大臣というのは。ただでさえ権限と組織が拡大して統制が難しい中で大臣ポストだけ増やされては指揮系統が混乱します。大臣ということは内務卿・・・いや、内務大臣になるのですか?その私と同列になるということ。内務官僚上がりの議員にポストを回すのなら話は別ですが、お話を聞く限りはそうではないのでしょう?」
「そうだ。最終的にはロッキンガム宰相の判断になるが、基本は議会(ロビンソン議長)から推薦される人物をそのまま受け入れるつもりだ」
「ならば到底受け入れられません!素人というと失礼ですが、そうといわれても仕方がない人間を持ってきて、机を並べて一緒に仕事をしろといわれましても」
議員の不勉強は、平民達の間でも有名で「自分の利権と次の選挙に関係ない物には興味を持たない」と批判されていた。議員の全てがそうではないが、猟官運動に積極的な人間に限って言えばそうした人間が多いのも事実。怒鳴り声の混じった激しい口調で抗議するモーニントン伯爵の剣幕は、日頃この内務卿を「お坊ちゃん」と侮っていた一人であるシェルバーンにもその認識を改めさせるものであった。
ヘンリーはいい募ろうとする内務卿を手で制した。
「まぁ落ち着け伯爵。指揮系統に関しては閣僚の序列ではっきりさせる。彼らは君の下に付かせる」
「しかしそれだけでは・・・」
「だから聞け。この大臣には仕事をさせなくていい」
「は?」と首をかしげるモーニントン。シェルバーンも意図を掴みかねているようで、そのそり上げた頭を撫でていた。そこだけを見ればどこぞの山賊の親玉に見えなくもないなと内心思いながら、ヘンリーは答えた。
「君ら、別に議員さん出身の大臣は初めてというわけではないだろう」
「えぇ、それは。貴族院出身の大臣なら。ですがOBか、行政経験のあるものでないと使い者になりません。あとは・・・」
そこまで言ったモーニントンは、ヘンリーの言うところを察したのか「あぁ、はいはい」と頷いた。やはりただの「お坊ちゃん」ではない。
「『お客さん』ですな?」
「わかってるじゃないか」
愉快そうに笑うヘンリー。いきなり大臣として入ってきても、元官僚でもない限りは右も左もわからない素人。秘書官や部下は官僚に頼らざるを得ない。側を固めてしまえば、後はどうとにでもなる。
「その代わりといっては何だが、局長級などは基本的には内務省の意向を重視しよう。新設される部局や移管されるものは抑えておきたいだろう。ただ港湾局だけは確約出来ないが」
「そういうことであるならば結構です」
頷くモーニントン伯爵。内務省は、財務省とは対照的に権限の移管や部局の新設など権限強化が目立った。上知令で召し上げた領地で領主に変わり、公的インフラの整備や治安維持を担うのは内務省であり、それなりの権限が与えられてしかるべきという内務省の主張はもっともなことであった。ただ、急激な組織拡大でほころびが出てしまっては元も子もない。組織統合のためにはやはり人事だが、内務省カラーが出すぎるのも反感を買う。その点『お客さん』とはいえ大臣を4つも新設すれば、たとえ局長クラスで多少強引な人事をしても目立たない。お客さんはどうとでもなる・・・こちら(内務省)に損はないと判断したモーニントン伯爵は「よろしいでしょう」と答えた。
「いきなり統合してもうまくいきますまい。殿下のご提案受け入れましょう。その代わりといっては何ですが、港湾管轄権の交渉に関してはよろしくお願いいたしますよ」
懸案の港湾施設権の内務省移管に関しては空軍が思った以上に粘っている。その点に関して協力を求めたモーニントン伯爵に、ヘンリーは笑いながら手を振った。
「ははは、これはロッキンガム宰相の提案だよ。僕はメッセンジャーでしかないからね。協力を求めるなら宰相閣下に直接な・・・それより『お客さん』の扱いだが、やる気があるなら教えてやれ。大臣になることが目的なら、おだてて適当にあしらっていいよ」
「了解いたしました」
頷きながらモーニントンは(逃げられたな)と施設権に関するヘンリーの斡旋を諦めた。まったく口では調子のいいことを言っておきながら、いざという時は腰が重い。王族としての節度を守っているといえば聞こえがいいが、ただの面倒臭がりにしか見えないな・・・
「まぁ、おだてて適当にあしらわれているのは、私も同じかもしれないが」
がふ!げふごっふ・・・
モーニントンは咳き込んだ。「な、何をおっしゃっているのか」と返していたが、思い当たる節があるのか、膝が震えている。隠し事が出来ないといえば聞こえがいいが、この辺がわきが甘いといわれる所以か。助け舟を出すわけではないが、シェルバーンは「よろしいのですか?」とヘンリーに聞き返した。
「なんだ財務卿。君、ロビンソン議長に気を使っているのかね」
「そ、そんなわけではありません!」
こちらも珍しく言葉を詰まらせてうろたえるシェルバーン。男のツンデレは気色悪いなとあたらずとも遠からずのことを感じたヘンリーは、余り深く突っ込まないのが思いやりというものだと考えて話題を戻す。
「ロビンソン議長は『ポスト』をよこせとは言われたが『仕事をさせろ』とは言わなかった」
「それは・・・」
屁理屈というものではないかといおうとしたが、屁理屈を言わせれば右に出る者はないという、極めて特異な特技をもつ王弟と言い争う愚を避けるため、それ以上は口にしなかった。
「まぁ、どんな議員を押し付けてくるかであの御仁の性格は知れるというものだ。箸にも棒にも掛らんものはロッキンガムに弾き出させよう・・・何せ宰相閣下はあの場に居られなかったからな」
「・・・それは、あまり頂けませんな」
ヘンリーの屁理屈の恐ろしさとしつこさと鬱陶しさを知らないモーニントン伯爵は、よせばいいのに口を出した。待ってましたとでも言わんばかりに、ぐっと身を乗り出した王弟に、二人の閣僚は思わず身を引いた。
「所詮は口約束だ。本来なら守ってやる義理もないのだぞ?ましてやロッキンガム宰相はあの場に居られなかった。さぁ、どうやって説得するか、困ったものだなあ!あぁ、困った、困った!」
椅子から立ち上がり、両腕を大きく広げ、どこか芝居掛った声で「困った困った」と繰り返すヘンリー。モーニントン伯爵はそっとシェルバーンに体を寄せて小声で尋ねた。
「・・・なぁ財務卿、殿下は・・・楽しんでおられないか?」
「ああいう人なのです」
一言で答えた年下の財務卿に「そういうものかね」と呟き返す。世の中には自分の理解できない人間や出来事が数多く存在するという事実を経験的に知っている伯爵は、割り切るのも早かった。
二人の視線の先では、一人悦に入って三文芝居を続けていたヘンリーが、伸ばした腕があたって崩れた本の下敷きとなり呻いていた。
「・・・いいのか?」
「いいんです」
「い、いくない!助け(バサバサ)あああ~~」