アルビオン王国外務省に入省した外交官は、まずは語学研修を受ける。これはハルケギニア諸国で話される言語と、浮遊大陸で話される言語(アルビオン語)に文法表現や単語で大きな違いがある為である。浮遊大陸の人間とハルケギニア大陸の人間は、日常会話程度なら問題はないが、正確な解釈が要求される商取引や外交交渉の場では交渉どころの話ではない。余りにも言語体系が違い、共通認識が成り立たないからだ。
ハルケギニア大陸諸国で話される主な言語は、共通語とされるガリア語、ガリア語の源流となったとされるタニア語(トリステイン)、旧東フランク諸国で話される東フランク語、アウソーニャ半島のロマリア連合皇国を構成する王国や都市で話されるロマリア語などがある。元は同じ国家だったガリア語(旧西フランク)と東フランク語は殆ど同じ言語といってよく、トリステインは「始祖以来の話していた言語と同じものであるとされる由緒正しいタニア語は云々かんぬん~」と主張しているが、ガリア語と大きな差異はない。ロマリア語はガリア語が訛った程度のものだ。
より正確に言えば、これらの「○○語」はその王都や都市部で話されている言語である。例えば一昔前のガリアの地方では、まるで同じ言語とは思えないガリア語も話されていた。『太陽王』はそれを許さず、リュテイスのガリア語に強制的に統一。曲がりなりにも言語が統一されたことにより、1500万人の話す共通言語である「ガリア語」が、ハルケギニアの共通語と呼ばれることになった。数は力である。もっとも、それ以前から諸国会議の場においてガリア語は広く使用されていた。2国間同士の言語によって条約案を作成し、紛争が起こった場合、両国の条文解釈が問題となりやすい。そこで外交の基本言語としてガリア語を使用することにより、無用な解釈争いを避ける狙いがあった。ハルケギニアで(曲がりなりにも)最も多くの人間に話されている言語であり、尚且つ超大国ガリアの言語を使うことは、むしろ自然な事として受け入れられた。
そうした経緯もあり、ガリア語を学ぶことが出世の早道であると新人外交官の間ではガリア語に最も人気が集まる。アルビオン外務省では語学研修組ごとで形成される「語学閥」があるが、ガリア語を選択した「ガリア派」が、もっとも大きな派閥を形成するのは当然であった。ガリア通とも親ガリア派とも呼ばれる彼らは外務省主流派という意識が強く、結束力の強さと強固な派閥意識で、良くも悪くもアルビオン外交を支えてきた。(この点は財務省の財政規律派と通じるものがある)
外務次官のセヴァーン子爵ロバート・パーシヴァルは、若い頃からガリア派のホープとして呼び声の高かった人物である。「超大国ガリアとの協調こそ浮遊大陸アルビオンにとって重要」と考えるガリア派の中でも、カルカソンヌ総領事やガリア大使など外交キャリアの殆どをガリアで積み重ねてきた外務次官のガリア贔屓は有名であり、彼を快く思わない者の間からは「ガリアの代理人」と陰口を叩かれている。アルビオン人でありながら、母国を「田舎」と睥睨するその態度や、ガリア製の両眼鏡を掛けた澄ました顔(ここまで来ると言いがかりに近い)も批判の対象となった。
アルビオン王立空軍参謀長のジョージ・ブリッジス・ロドニー中将は、さすがにその風貌まで批判することはなかったが、妙に甲高い声で話しかけてくる外務次官の嫌悪感にかけては人後に落ちない。表情を押し殺して淡々と答えることに務めていた参謀長を見ていたチャールズ・カニンガム空軍大将は、不機嫌そうに鼻毛を抜いていた。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(空の防人)
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アルビオン王立空軍(アルビオン・ロイヤル・エアフォース)-いわずと知れたハルケギニアの空の覇者。保有艦艇数や竜騎士隊の規模は大国ガリアと並び、操舵技量や航空技術ではその足元にも及ばせない。幾多の大陸からの侵略軍を退け国家の危機を救ってきた、アルビオン人なら貴賎を問わず誰もが誇りを持って仰ぎ見る空の防人である。その青を基調とした軍服は若い貴族達の羨望の的だ。
「まったく、忌々しい男だ!」
ロンディニウムのアルビオン空軍司令部(通称:赤レンガ)の中を、軍帽を脇に抱え、肩を怒らせながら闊歩する王立空軍司令官チャールズ・カニンガム空軍大将も、防人の軍服にあこがれて赤レンガの戸を叩いた少年の一人だ。軍服の上からでもわかる筋骨隆々とした体と、俗に「甲板焼け」と呼ばれる浅黒く焼けた肌は、如何にも空軍軍人というに相応しい。カニンガムとは対照的に、その三歩ばかり後ろを歩くジョージ・ブリッジス・ロドニー王立空軍参謀長はいかにも軍人らしくない。細身の体に色白の肌。隙なく軍服を着こなしてはいるが、軍杖よりも万年筆が似合いそうな男だ。この背の高い空軍中将を好ましく思わない者は、その細面の顔を「自分の才知をひけらかしている」と罵るが、なるほどそう見えないこともない。
現場たたき上げの見本の様なカニンガム大将と、インテリ気質丸出しのロドニー中将。水と油に見える二人だが、これが意外と気が合うというのだから人間はわからない。その見た目とは裏腹に、カニンガムはダーダネルス空軍兵学校の指導カリキュラムを作成したほどの空軍屈指の理論派であり、その兵学校を首席で卒業したロドニーは「風メイジでなければ人にあらず、土メイジなどお呼びではない」という空軍にあって、その土系統。没落貴族出身で自分の腕と頭だけで成り上がったという、頭でっかちな理論倒れのインテリとはかけ離れた育ち方をしてきた。なるほど、それを聞けば二人の相性が悪くないというのも頷ける話だ。
怒りに任せて不満をぶちまける司令官を参謀長が宥めながら付き従う様は、赤レンガでは見慣れた光景である。王立空軍司令官と参謀長の姿を確認した兵士達は、慌てて道を譲り敬礼を送るが、それにも気が付かないのか、カニンガム大将は日に焼けた浅黒い顔を、怒りで赤く染めながら、セヴァーン次官への不満をぶちまける。
「あのリュテイスかぶれのホモ野郎、一体何のつもりだ。ねちねちねちねち、女の腐ったような因縁をつけおってからに・・・」
「残念ながらセヴァーン次官が同性愛者だという確たる証拠はありません。それに女は腐りません」
上司の暴言をやんわりと訂正するロドニー中将。カニンガムの乱暴な物言いは今に始まったことではないため、今更この程度の暴言では驚かない。だが、そんな思いやりが通じるような人間ではないこともロドニーは良く知っていた。先ほどまでセヴァーン子爵の詰問を受けていたカニンガム大将の機嫌は限りなく悪かった。
事の発端は数日前、アルビオン外務省に駐ガリア大使のシャヴィニー伯爵が訪れたことに始まる。軍人上がりのこの大使はすざましい剣幕でセヴァーン次官に抗議した。
「ノルマン大公の反乱に貴国の王立空軍が関与しているという話があるが、これは事実か否か。事実であればわが国はそれなりの対応を検討する用意がある」
ノルマン大公の乱-ガリア国王シャルル12世の叔父であり、ガリア北東部ノルマン地方を治めるノルマンディー大公ルイ・フィリップ7世の反乱である。ニューイの月(6月)ティワズの週(第4週)に勃発した反乱は、ノルマン地方の物流の拠点カーンを攻略したガリア軍と大公軍がにらみ合ったまま、すでに4ヶ月が経過。当初大公側が期待したトリステインやグラナダ王国の参戦は無く、国内で反乱に呼応する貴族諸侯も続かず、すでに内乱の行方は明らかとなりつつある。そんな中、突如として降ってわいた「アルビオン関与の疑い」に、セヴァーンは驚愕した。
勝ち目の無い戦につく馬鹿は無い。第一、ガリアに対してアルビオンがちょっかいを出して何の利益があるのか。全くの濡れ衣であると、こちらも必死の形相で関与を否定するセヴァーン子爵に、シャヴィニー大使はそれまでの剣幕が嘘のように落ち着いた表情となり、冷静に告げた。
「貴国は飼い犬の手綱も引けないのですか」
・・・空軍か!
稲妻に打たれたような衝撃がセヴァーン子爵を襲い、すぐに空軍に対する猛烈な怒りがこみ上げた。
ノルマン大公家とアルビオンの関係は深い。事実、幾度と無く反乱を起こした大公家の裏側には白の国の影があった。アルビオンにとってガリアは、その時の気まぐれで軍事行動を起こす厄介な国であると同時に、浮遊大陸の生命線である通商網を容易に破壊する空軍を持つ、唯一の存在である。空軍自体の能力ではアルビオンに劣るが、総力戦となればアルビオンに勝ち目は無い。
アルビオンが目を付けたのがノルマン大公家である。影ながらこの家を支援することによって情報を得、時には反乱を先導することによってガリアの軍事行動を妨げたのだ。大公家と白の国との隠然たる繋がりは、大公家の居城であるルーアン城がアルビオン様式の重厚な城壁であることからもわかる。(ガリアもアルビオン国内に似たような勢力を抱えているので、どっちもどっちではあるが)そのノルマン大公の反乱の際、援兵となったのが他ならぬ王立空軍だ。王立空軍が「陛下の軍である」という大義名分の下、行政府や外務省の関与しないところで独自の諜報活動や破壊活動に従事しているのは良く知られており、今回もまた外務省に計らずに独自に動いたのかとセヴァーン次官は勘繰ったのだ。
彼の上司であるパーマストン外務卿はこの考えに賛同しなかった。そもそもノルマン大公家とアルビオンの特殊な関係も、ルイ・フィリップ7世が大公家当主となってからは希薄なものとなりつつあるのはロンディニウムでは周知の事実。ブリミル暦3000年じゃあるまいし、演習航海の費用一つとっても財務省にやり込められることの多い空軍が、独自にノルマン大公家を支援しているとは考えられない。ぎょろ眼で背の高い外務卿は、むしろこれはガリアが、トリステインの同盟国であるアルビオンに仕掛けた外交戦であると考えていた。先のラグドリアン戦争にしても、アルビオンがトリステインよりの対応をとったのは隠然たる事実。ガリアにとっては王立空軍の反乱関与の疑惑解明は二の次三の次で、この際アルビオンに対して、トリステインへの接近に釘を刺すことが目的だったたのではないか?ポンポンヌ(ガリア王国外務卿)なら、その程度のことは平然とやってのけるだろう。
シャヴィニー大使に「事実関係の確認」を確約したこともあり、セヴァーン次官は断固たる調査を空軍に申し入れることをパーマストン外務卿に提案した。これが事実であればガリアとの重大な外交問題になりかねず、そうなれば通商ルートの安全が脅かされることを彼は恐れた。仮に空軍がそのような行為を行っていたとすれば、それは陛下の名を楯にとった暴走以外の何物でもない。元々空軍の独立性を快く思っていなかったセヴァーン子爵には、疑惑解明によって空軍の独自性をくじき、外務省主導でアルビオンの安全保障政策を統一しようという考えもあった。
空軍との関係悪化を憂いたパーマストン外務卿は「閣議の場で事実解明を迫るべきである」というセヴァーンの強攻策を退け、真相解明の申し入れを行うことでセヴァーン子爵を納得させたという経緯がある。
そんなやり取りや経緯が外務省であったことを知るよしもないカニンガム大将にとっては、生意気な外務次官が居丈高に因縁をつけてきたとしか受け取れなかった。いつものように怒りに任せて、根拠のない暴論を吐き続ける。
「知らんのかロドニー!インテリキザ野郎はみんなホモだ!」
「閣下、一体何の根拠があって・・・」
「わしの40年に及ぶ軍歴によるものだ。インテリ野郎はホモになりやすい。反論は許さん」
論理もクソも合ったものではないが、セヴァーン子爵に不快な思いを抱いていたのはロドニーも同じであるので、特に反論する気にもならない。これでカニンガムは空軍屈指の理論派というのだから、世の中わからない。知性と品性は正比例しない好例である。
「その理屈で言えば私も同性愛者ということになりますが」
「貴様は違う。すでに枯れて赤玉も出ないだろう」
思わずずっこけそうになったロドニー中将。まだまだ現役でいけますぞと反論しようとしたが、あまりにも下らない水掛け論になることが容易に想像できたので、諦めと共に口を閉じた。
「それで、なんだった。ロッキンガムのクソッたれと一緒に会う予定の、その、何とかいう伯爵は」
唐突に話題を切り替えた上司に苦笑しながら、ロドニーも次の会談に向けて話題を切り替える。軍事訓練だけしていればよかった下士官時代が懐かしい。
「サー・アルバート・フォン・ヘッセンブルグ伯爵です」
「ヘッセンブルグ伯?聞かない名だな」
聞き慣れない名前に首をかしげるカニンガム大将に、補足するように続けるロドニー中将。この間も二人は歩き続け、赤レンガの前に止まった馬車に乗り込んでいた。せっかちな空軍司令は、移動時間ですら無為に過ごすのを嫌う。
「『外人貴族』ですよ。先祖はハノーヴァーからの亡命貴族です。ヘンリー殿下の侍従として名前が挙がったとき、王政庁から旧東フランク風の家名変更を打診されたそうですが、それを蹴り飛ばしたという頑固者で、それが逆に前王陛下のお気に召したらしく」
「・・・あぁ、思い出したぞ。あの小僧の声掛で始まった官僚育成学校とかいう、出来損ないの兵学校の真似事の責任者をしていた男だな」
王弟を「小僧」と呼び捨てするあたりに、この王立空軍司令官の性格が現れている。「育成ではなく養成学校です」と事実の誤認だけを指摘してから、ロドニーは続ける。
「推薦だの面接試験だので採用した者よりは使えると、省庁では評価がいいようです」
「それは前評判が悪かったからだろう。それに比べる対象がコネ入省組みでは、そもそも比較の対象にならん。それよりもだ、何故モーニントン内務卿ではなく、その伯爵が出張ってくるのだ?」
帽子を回す手とは反対側の手で鼻の穴に人差し指と親指を突っ込むカニンガム。一瞬顔を歪めた後、感心した様に声を上げた。
「見ろロドニー!鼻毛にも白髪があるぞ」
「ほう、それは興味深いですね」
どこまで本気かわからない、空軍制服組のトップとナンバーツーの会話であった。
***
「サー・アルバート・フォン・ヘッセンブルグ伯爵です。どうぞお見知り置きを」
そう自己紹介した前ロンディニウム官僚養成学校学長は、カニンガムが拍子抜けするほど「普通」の男であった。旧東フランク貴族の血を引く者の特徴である彫りの深さは、ふくよかな体格に似合った顔の肉で平らになっている。かといって肥満というには多少物足りなく「ぽっちゃり」という表現がしっくりくる。茫洋としてつかみ所がないその表情は、何も考えていないようにも見えるし、複雑な思考をめぐらせているかのようにも見える。
唯一つ言えることは、目の前の男は年不相応に老けていることだ。どう控えめに見ても50代前半の顔をした40歳のヘッセンブルグ伯爵を年下だと知ってあっけにとられるロドニー中将(45歳)に、アルバートは「老けているだけです」と返した。
「何せ学長といっても、貴族の馬鹿ぼんどもの相手をするのが仕事でしたから。ここ6年の間、気苦労と金策に苦労しなかった日はありません」
「まぁ、やりがいのある仕事でしたが」と大笑するヘッセンブルグ伯爵。7年前に開校したロンディニウム官僚養成学校は、縁故採用主流の官僚採用試験から、将来的な官僚採用試験制度導入にむけての流れを作るために、ヘンリーの侍従をしていたヘッセンブルグ伯爵が発案したものである。アルビオンの官僚採用試験は、私学校である大学の卒業生は基本的にそれだけで採用(基礎学力が保証されているため)されたが、彼らだけでは数が足りず、推薦と面接試験という名の縁故採用に頼らざるを得なかった。かといって全面的に試験制度に切り替えるには早急に過ぎるし、そもそもそうした試験のノウハウがない。そこでヘッセンブルグが提案した①官僚の養成、②試験制度のノウハウ蓄積を一緒に片付け、最終的には採用試験での縁故主義を完全に排除しようという構想に、ヘンリーは1にも2にもなく飛びついた。そして丸投げした。
初代学長となったヘッセンブルグの「どんな馬鹿も3年で即戦力に」という方針の下、海兵隊並みのスパルタ教育を施した。当初こそ「また王子のお遊び」だのという陰口を叩かれたが、王族であるモード大公ウィリアムが2期生として入校したことで良くも悪くも国中の注目を集めることになる。偽名で入校したこの弟に、元侍従に丸投げして太平楽を決め込んできたヘンリーは、父親である国王エドワード12世、皇太子ジェームズ、母テレジア王妃から「どういうことだ!」と吊し上げをくらい、スラックトン宰相からはねちねちと嫌味を言われ、デヴォンャー侍従長からは延々と怒られ、暇な爺の巣窟である枢密院からは徹底的に油を絞られた。満身創痍の兄に向かって「妻であるエリザに相応しい男になるために」とカッコいい理由を恥ずかしげもなく平然と口にする弟に、ヘンリーは閉口したが、開校の経緯を知る者の間では「因果応報」として誰もこの王弟に同情しなかった。
閑話休題
ヘッセンブルグ伯爵が手を叩いて喜んだのは、ヘンリーが吊るし上げを食らっていたのが痛快だった事だけが理由ではない。不満たらたらのヘンリー自身、ウィリアムがいることによってもたらされる「王族」の権威付けの効果は理解していた。かつて王立空軍に王族が率先して志願したように、新設の組織である官僚養成学校にとって王族の入校は願ってもない好機。(多少成績を底上げしてでも)とも考えたヘッセンブルグだが、それは余計な心配であった事が直にわかる。ウィリアムは兄のジェームズ皇太子(現国王)によく似て自分に厳しい性格で、厳しい教育カリキュラムにも良く耐えて2期生の中心的存在となり、なんと首席で卒業。これがどれほど学生達のモチベーションを高めたかはわからない。(弟の評価が上がるのと反比例して、ヘンリーの機嫌が悪くなったが、誰もそれは気にはしなかった)
ヘッセンブルグ伯爵に関する話を、さも面白そうに語るロッキンガム公爵だが、こちらは面白くもなさそうに鼻毛を抜くカニンガム大将。そんな話を聞くために態々ハヴィランドの王政庁まで出張ってきたわけではない。「政界風見鶏」の呼び声高いロッキンガム宰相が、ただ世間話をするためだけにこの伯爵を同席させたとは思えないし、意味もない行動をとっていては風見鶏など出来るものではないだろう。
「それでヘッセンブルグ伯爵は一体何故ここに居られるので?小官の記憶が確かなら、宰相閣下は港湾施設権について我らを呼ばれたはずですが」
目の前の人物をあえて存在しない者として扱うことで、無役の伯爵と我らは違うのだという態度をとるロドニー中将。こうした態度が他の将官から嫌われる原因となっているのだが、小才子然とした顔つきの男は改める気などさらさらない。むやみに人の顔色を伺うような人間に、作戦部門と軍政部門を統括する参謀長の重責を担う資格はないと固く信じているからである。当のヘッセンブルグ伯爵はというと、自分の存在が無視されたことに怒りもせず、さも当然であるかのように受け流す。ロッキンガム公爵は苦笑しながらとりなすように口を開いた。
「いや、これは私の手落ちだった。実は伯爵も関係者になるので同席してもらったのだ」
「『なる』といいますと、まだ関係者ではないということですね」
「中将、そう頭ごなしに否定しないでくれ」
後頭部を掻きながら口を挟むロッキンガム公爵。カニンガム大将もロドニー中将も、ロッキンガムは苦手とするタイプの人間であり、出来れば直にでも帰って欲しいのだが、役目柄そうも行かない。自分が何事もなく余生を過ごすためには、穏便な形で宰相職を退く必要があり、そのためには今ここで踏ん張らなければならないのだ-消極的な理由ではあったがロッキンガムは自分を叱咤激励して、口と頭を動かす。
「実はな、次の省庁再編で王政庁に内閣専任の書記長官を置くことにしたのだ」
「書記長官、ですか?」
「左様、行政府だけを選任として取り扱うな」
重々しく頷くと、それなりに威厳がある。地位が人を作るというが、ロッキンガム公爵が白の国の宰相に就任してから約10ヶ月。ハヴィランド宮殿に巣食う宮廷貴族の間でも「風見鶏の顔が引き締まってきた」ともっぱらの評判である。
「これまでは宰相自身が行政府の調整役を兼ねてきたが、昔のように治安や軍事だけを扱っていればいいという時代ではない。行政府の役割がますます重要となる中で、それでは身動きが取れない」
「前宰相閣下は上手にやっておられたと思いますが」
「貴方は無能なのですか?」というに等しい若い空軍中将の言葉に、顔を引きつらせるロッキンガム宰相。ロドニー中将はヘッセンブルグ伯爵に眼をやったが、こちらはのほほんと何を考えているかわからない、先ほどと同じ表情をしていた。
「・・・まぁ、どう考えるかは自由だが。省庁間の折衝役ばかりしているわけにはいかんのだ。それに、ここ数ヶ月で思い知らされたよ」
「何がです?」
「私がスラックトンの爺さんほど図太くなれない事がな」
「自分のポストをぬけぬけと確保しているあたりは、前宰相閣下に勝るとも劣らぬ手腕だとお見受けいたします」
「は、ははは・・・」
怒りに顔を染めたが、直に気を落ちつかせる。いかんいかん、平穏な老後のためにはここで怒ってはいかんのだ。
「・・・本題に入ろうか」
「世間話をしておられたのは宰相閣下ではありませんでしたか?」
(こ、この、若造・・・)
慇懃無礼が人の形を取ったら、おそらくこの空軍中将の形をとるのだろう。眉間に青筋を浮かべ、頬をひく付かせるロッキンガム公爵に代わり、書記長官に内定したというヘッセンブルグが口を開いた。
「空軍が保有する港湾施設権に関してです。再考いただけませんか?」
「・・・内務省港湾局への完全移管ですか」
「いかにも」
下手に丁寧に話してはいるが、とてもではないが油断は出来ない。気を引き締めて掛からねばとロドニー中将も居住まいを正して腕を組む。「アルビオン公共交通事業公団」の行った港湾整備事業の一環として、アルビオン各地では港湾施設の整備拡張工事が行われた。この際、設備投資の見返りとして、王立空軍が保有していた港湾施設権が初めて俎上に上る。
海軍と同じく、空軍は金食い虫である。フネを三つ持てば大商会であるとされる中、艦隊は三隻どころの騒ぎではない。艦隊の整備と維持はまさに国家の一大事業といってよく、莫大なエキュー金貨に羽が生えて飛んでいった。海軍はフネだけあればいいというものではない。「3年で半人前、10年で一人前」はあくまで民間商船の話。軍艦の乗組員にはそれ以上の高度な専門技術が必要であり、その訓練には長い時間と費用が掛かった。そしてなにより、アルビオンの空軍は大陸諸国の空軍にもまして高い錬度を必要としていた。「白の国」と呼ばれるように、浮遊大陸から流れ落ちる莫大な川の水が一瞬で水蒸気となり、浮遊大陸の周りに雲をつくる。座礁は日常茶飯事。大陸諸国ならフネが沈んでも、海や川、もしくは陸に落ちても(犠牲が出るのは当然だが)まだ助かる可能性はある。だが、地上三千メイルでの座礁は、そのまま「死」を意味していた。「フライ」でどうこうなるものではない。こうした特殊な地理的要因をクリアするだけの乗組員と士官を育てるためには、大陸諸国以上に金と時間を掛ける必要があった。
そのための財源は、とてもではないが国庫から支出される軍事費だけではまかないきれるものではない。それゆえ王立空軍は王家から浮遊大陸各地の港湾施設権を付与された(税関職員を除く)。表向きは「国土防衛上の理由」とされたが、その実は港湾倉庫の賃料や入港税などを徴収することにより、自由な財源を確保することに主眼が置かれた。空軍の既得権益であると同時に、貴重な財源であるこの港湾施設権を委譲しろという意見に、空軍は猛反発した。
要するに「取り上げるんなら金をくれ!」である。
「この間、財務省から新たな空軍予算を示されましたが、あれではとても国土防衛に自信が持てません」
「国土防衛の任を放棄なさるので?」
「そういうわけではありませんが、出来ないことは出来ないのです」
ロドニーの口調からは「金を出さないなら仕事をしない」というサボタージュの気配は感じられず、むしろ王立空軍という枠組みそのものが崩壊しかねないことへの危機感がありありと感じられた。
「フネ一隻を動かせるようにするだけでも大変な金が掛かるのです。ましてやそれを艦隊ごとに動かせるようにするには。金勘定ばかりしている財務省は『訓練費用を削れ』などといいますが、それでいざと言う時に艦隊が座礁しては元も子もありません」
「いざと言う時までに国が潰れてはどうするのです?骸骨はフネを動かせませんぞ」
「いざというときが起り得ないと断言できますか?」
「可能性は低いと思います」
「低くても、その可能性のために我等がいるのです」
ヘッセンブルグ伯爵はその言葉にかすかに口元を緩める。聞くものによっては不快感すら感じる「アルビオン王立空軍は自分の双肩に掛かっている」と言わんばかりの、自意識過剰とも言えるロドニー責任感を、鼻毛を抜いて聞き流していたカニンガムだけは信じ、参謀長という制服組ナンバーツーの要職に抜擢した。
「要するに今の空軍の体制に無理があるということ」
さきほどからあいまいな笑みを浮かべて二人のやり取りを見ていたロッキンガム公爵が口を挟む。ヘッセンブルグ伯爵やロドニー中将は無論のこと、それまで鼻毛を抜いていたカニンガム大将もじろりと宰相を睨みつけた。その視線を、最近冨に厚くなった面の皮ではね返しながら宰相は言う。
「座してやせ衰えていくのを待つほど馬鹿ではあるまい。何か考えあるのだろう?」
その言葉に、一瞬虚を突かれた様な表情になったロドニーは、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「その言葉を宰相閣下からいただけるとは思いもしませんでしたね」
「・・・まぁ、そうなるのが自然だからな」
どこまでも偉そうな年下の参謀長に顔を顰めるロッキンガム公爵。現在、王立空軍は三つの艦隊を抱えている。アルビオン本国艦隊・北東海艦隊・大洋艦隊だ。本国艦隊はその名の通り本土防衛を目的とした艦隊であるが、後者の二つは多少事情が異なる。そもそもこの3つの艦隊制度からして、空軍内の妥協の産物である。
アルビオン王立空軍は元々、国土防衛を目的として設立された。大陸諸国とは人的にも物的資源でも圧倒的な差をつけられていたアルビオンにとって、国外出兵は夢物語。貴重なフネや人的資源を維持するために考えられた戦略が「艦隊保存主義」である。これは大陸に侵攻してくる大陸諸国の艦隊との決戦を避け、補給艦隊や後方基地への襲撃を行うことによって浮遊大陸からの撤退を促すもので、当初こそ「敗北主義」と批判されたが、トリステインやガリアの侵攻を実際に退けると、王立空軍の基本戦略となった。
「端的に言えば『勝てる見込みのない戦はするな』ということです。艦隊はそこにあるだけで敵兵力をひきつけます。軍港にこもった艦隊を潰すことは容易ではありません」
ロッキンガムが頷いているのを確認してから、ロドニー中将は続ける。
「ですが、ご存知の通り6000年代初頭にロンディニウム大火が発生しました。以降、王都では木造の建築物が禁止されたことにより、余った木材を軍船に使えるようになります。この頃になりますと人口の自然増にともない、兵の確保にも見通しが付いたこともあり、歴代政府は失業対策の面もあって、空軍の拡張に積極的になりました」
「失業対策とは・・・」
空軍の作戦部門と軍政部門を統括する参謀長自身の露骨な物言いに、驚いた表情を見せるロッキンガム公爵。
「無論それだけではありません。当然ですがガリアに対する備えが必要だったということもあります。ですがそうした側面があったのも事実であり、小官はそれを否定しないだけです・・・話を本題に戻しますと、この頃の艦隊拡張はお世辞にも褒められたものではありませんでした。一時は6つの艦隊に大小あわせて400隻以上のフネと、計画性も無くただ増やしただけです。ですが、この紙で作ったドラゴンを過大評価した者が現れました」
それが「艦隊決戦主義」。要するに一撃必殺、見つけたら潰せ。そのためには艦隊は多ければ多いほうがいいという、ロドニーからすれば戦略とも呼べないものであった。しかし、勇ましい考えほど好まれるのは王立空軍でも例外ではなく、艦隊決戦主義と大艦隊主義は確実に空軍内に浸透した。
「皮肉なことに、この頃アルビオン空軍の名声が確立します。それがまた大艦隊主義者を勘違いさせる一因となりました。歴代の王立空軍が苦労して今の規模にまで縮小させたのです。今の3艦隊制度はいわば妥協案。多すぎず少なすぎず、大艦隊主義者のアホどもも満足できる」
「しかし、君の上司は満足していない」
ロッキンガムの切り替えしに微笑を浮かべて頷くロドニー中将。一体貴様は何様だと腹が立ったが、ぐっと押さえ込む。ヘッセンブルグ伯爵はすでに自分の仕事は終わったとでも言わんばかりににこやかな笑みを浮かべており、それがますますこの公爵の神経を逆なでした。
「浮いているのが不思議な老朽艦が山ほどあるからな」
ぶっきらぼうに口を開いた空軍大将に視線が集まる。
「新造艦の金と、演習航海の資金。それに人材育成に関する費用の確保を確約していただけるのであれば、軍港を除く港湾の平時施設権移管に関しては同意しましょう」
それまでとは打って変り、静かな口調で施設権移管に同意するカニンガム大将。とても先ほどまで鼻毛を抜き、悪態を付いていた人物と同一人物とは思えない。
「人もフネも老朽艦の大整理だ。ロドニー、忙しくなるな」
「腕が鳴りますね」
鏡に映したかのようにそっくりな笑みを浮かべる二人の空軍将校に、ロッキンガム公爵はこの性格が正反対に見える二人が馬が合う理由を、何となくだが理解した。
これより2ヵ月後。ブリミル暦6213年ウィンの月(12月)に設置が決まった空軍省設立に伴い、アルビオン王立空軍は創設以来の人事の大幅刷新を断行する。参謀長ジョージ・ブリッジス・ロドニー中将が大鉈を振るった結果、将官12名を含む将校101人が退役。伝統的な艦隊保全主義の考えを持つ将校がその後任として採用され、再び王立空軍の主流となった。同時に旧式化した老朽艦34隻を退役。新造艦の建造を減らす代わりに、バラバラだったフネの規模を統一した。また本国艦隊・大洋艦隊・北東海艦隊の三艦隊制は維持されたものの、その規模は縮減される。
後に「ジョージの大鉈」と呼ばれる一連の改革により、王立空軍は再び空の防人に相応しいものへと生まれ変わったと評価されることになるのだが-この時のロッキンガム公爵はそれを知るよしもない。
「そうそう、宰相閣下。艦隊整理計画は『閣下』に頼まれて『仕方がなく』実行するのです。その点をお忘れなきよう」
「あぁ、そうか・・・・・・って、まて。それはつまりわしが恨まれ役となるということか?私はそんな役回りを引き受けるとは一言も・・・こら、ちょっと聞け!黙って聞いていれば、大体君には敬老精神というものが・・・だから聞かんか!」