アウソーニャ半島は水に乏しい。ガリアのシレ河、旧東フランクのエルベ川のような大河がないうえ、半島中心部にはロマリア平原とあだ名される平野が延々と広がる。水さえあれば豊かな穀倉地帯となってもおかしくない環境が、逆に治水工事をより困難なものとした。それゆえ内陸部の大都市というのはこの半島では自発的には成立しえなかった(ロマリア市は始祖の眠る聖フォルサテ大聖堂という宗教的要因による)。始祖よりこの地を与えられた聖フォルサテも治水問題には悩まされた。逆に言えばそれをうまく裁くことができたがゆえに、始祖の弟子でしかない彼はこの半島を治めることができた。水に関する紛争は都市や村々にとっては文字通り死活問題であり、安易な妥協は許されなかった。交渉の席で斬り合いになったことも珍しくないという。それゆえこの半島の人間-俗にロマリア人は、自らの生まれ育った都市やコロニー(共同体)への帰属意識が強い反面、半島を統治するロマリア王国の一員であるという国家意識に乏しいという国民性が生まれる原因ともなった。聖フォルサテとその子孫である王家は「始祖の墓守」という宗教権威を背景に「大王」を名乗るものの、肝心の宗教的権威も聖エイジス20世(2890-3050)がブリミル教を体系化するまではたいした効力を発揮せず、ブリミル暦1000年代にはすでに現在のような都市連合国家という形態が事実上成立することになる。
都市間で生存と興亡をかけた熾烈な勢力争いが恒常化したアウソーニャ半島において「外交官」という職業が発祥したのはごく自然なことであった。1233年、ロンバルト公国がジェノヴァ市に公使館を設置して、現地における代表者を派遣したのがその始まりとされる。国家や都市を代表する者が常時駐在することにより、瑣末な事柄まで逐一本国に伺いを立てる必要がなくなり、紛争発生時における対応が迅速化、もしくは早期解決が可能になった。これ以降、アウソーニャ半島の国家や都市の間では、外交交渉に専門的に従事する外交官が相互に派遣されるようになる。またブリミル教の長として新たな宗教権威を確立したロマリア教皇も、諸国に教皇派遣使節を派遣して独自外交を展開。ブリミル暦3000年代の聖地回復運動における主導権を確保することに成功した。ハルケギニア諸国がアウソーニャ半島式の外交官を本格的に採用するようになったのが4300年代。ロマリア条約(4390)によって旧東フランク王国の解体が正式に決定されたこの時代、旧東フランク諸侯がそれぞれ独立国家として承認されたのを境に、大陸各国の間でも一部の国にとどまっていた外交官の派遣が行われるようになり、現在に至る外交官特権などの外交慣行の基礎が形成された。
「外交といえばロマリア人、ロマリア人といえば外交」という言葉の裏づけがこの歴史にある。水をめぐる生存をかけた争いに加えて、宗教国家として新たに衣替えをしたアウソーニャ半島では奇麗事の建前と欲望剥き出しの本音を使い分けるのは当たり前。ロマリア教皇自身、宗教的な長であると同時に教皇領の世俗君主であり、連合皇国の元首であるという3つの立場を常時使い分けているぐらいだ。大国であることに胡坐をかくガリアや、国が豊かであることで満足するトリステイン、そして教皇を味方につけて自身の勢力拡大につなげたい旧東フランク諸国は、ロマリアの「政治的宙返り」に何度も鼻っ面を引き回され、苦汁を舐めさせられてきた。
そしてその「つけ」を払わされているのが、現在のロマリア宗教庁である。やられっぱなしで済ませるほどお人よしでもないハルケギニア諸国は、ロマリア流の外交力を身につけると、今度は逆に教皇の鼻っ面を引き回し始めた。始祖の子孫である三王家は無論のこと、切った張ったのタマの取り合いではアウソーニャ半島に負けず劣らず激しいものがある旧東フランク諸国も、国内における教会領や施政権を剥奪しようと手ぐすねを引いていた。
そしてその矢面に立たされているのが、連合皇国外務長官のカミーロ・ボルケーゼ枢機卿というわけである。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(外務長官の頭痛の種)
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ロマリア教皇はブリミル教徒のトップであり、半島内や大陸に散らばる教会領の主という世俗的領主であり、ロマリア連合皇国の元首という3つの顔を持つ。ところが最後の連合皇国の元首という立場は教皇個人の自由が利くものではない。「ロマリア連合皇国」という国名どおり、ロマリアは「連合」国家だ。半島南部の交易都市アマルフィや水都アルクレイヤといった自治都市から、ウルビーノ公国にサヴォイア王国、ロンバルド=ヴェネト王国といった王政国家まで加盟国は多種多様。サヴォイア王国などは一時期連合皇国を離れて独自国家として歩もうとした歴史もあるなど(旧東フランク最南地域のトスカーナ公国は離脱したまま現在に至る)都市や国家の独立性は高い。しかしあまりバラバラとなっては火竜山脈の虎街道より来る大国ガリアの圧力を跳ね返すことが出来ないことはどの構成国も理解しており、ロマリア教皇-宗教庁をトップとする連合国家の枠組みから極端にはみ出すことはなかった。このあたりのバランス感覚のよさは「外交の祖」を自任するロマリア人の面目躍如たるところである。
とはいえ外交権の全てを教皇に白紙委任したわけではない。つまりブリミル教徒のトップである教皇として、半島内や大陸に散らばる教会領の主という世俗的領主として他国との外交交渉を行うのなら問題はないが、半島全体の「元首」として戦争や外交を行うためには、連合皇国を構成する加盟国による聖堂議会に諮らなければならなかった。そのためロマリア連合皇国外務省内には、連合皇国加盟国に対する交渉や根回しを行う国務局と、ハルケギニア諸国を対象とする国際局が並立して存在している。卑近な例で恐縮だが、家の中の口うるさい小姑や行かず後家に気を使いながら、面倒くさい近所づきあいをするようなものだ。
カミーロ・ボルケーゼ枢機卿はそのトップである外務長官として神経をすり減らす日々を送っていた。同時にボルケーゼ枢機卿には、気難しい老教皇の機嫌と意向を伺うという仕事もある。ボルケーゼ枢機卿の心労は増えることはあれど減ることはない。今も彼は外務長官室において、頭の奥から湧き上がるような頭痛をこらえながら、聖職者省(教区司祭の人事権と教会財産を管轄)から上げられた報告書に目を通していた。
-バウツェン修道院とフライベルク修道院は負債返済のめど立たず。新教徒増加に伴う信者数の減少とどまらず。現地領主やドレスデン王政府に対策を申し入れすれども有効なる対策なし。ここ数年の不作による税収減も深刻なる。修道院領の返上と組織解体もやむを得ざる事態にして-
ボルケーゼ枢機卿は報告書を机の上に投げ出した。景気のいい話題は一向に聞こえてこず、自分の元にやってくるのは「金がないから何とかしてくれ」と鳴きつく声ばかり。これでは教皇聖下がお怒りになられるのも最もな話である。嘆いていても懸案が自然消滅するわけではない。それはわかっているのだが、朝から晩までこれでは参るというものだ。
「景気のいい話を聞きたいものだが、君からは無理だろうな」
「残念ながら」
外務省国際局東フランク局のウンベルト・デ・モルプルゴ男爵は苦い表情のまま頷いた。ロマリア連合皇国外務省は教理省や聖職者省のように宗教庁の下部組織ではなく、連合皇国の元首たる教皇直属の組織である。それゆえ外交官も宗教庁の僧服を着た官僚ばかりではなく、加盟国からの出向者も多い。モルプルゴ男爵は半島北部のロンバルド=ヴェネト王国出身である。国務局でアルクレイア市の領有権問題を解決した手腕を見込んで、ボルケーゼ枢機卿が直々に国際局に引き抜いたのだが、その男爵をしてもザクセンの現状は如何ともしがたいようだ。
ブリミル暦4000年、ハノーヴァーの一司祭から始まった実践教義を信奉する、所謂「新教徒」を広義の意味でまとめるとするならば「祈祷書を解釈する権限は教皇にあらず」である。宗教庁の腐敗の原因は、祈祷書の解釈を宗教庁が自己に都合のいいように解釈した結果であり、それは始祖の御心に沿っていないという論理だ。新教徒は教派によりそれぞれ独自の解釈を行うため「祈祷書と信者以外要らぬ」と公言するアナーキズム的な過激派から、逆に「始祖の墓守」である教皇の宗教的権威を認め、宗教庁保守派と見まごうばかりの厳格な倫理規範を説く教派も存在する。そうした教義の多様性や、根底に流れる実践主義の精神が、諸侯が乱立する風土に会ったのか、旧東フランク諸国で新教徒は爆発的に増加。現在に至るまでその傾向は続いている。
勃興する新教徒に対して、旧東フランク諸国はかつてロマリア教皇が国家としての承認(始祖の墓守であり、ブリミル教のトップである教皇に承認されることは統治の正当性を裏付ける事に繋がる)をちらつかせながら、聖地回復運動への動員や宗教庁への献金を競わせたことへの意趣返しだといわんばかりに、宗教庁を振り回した。ロマリア条約(4390)によって旧東フランクが正式に解体されると同時に、諸侯はそれぞれ独立を認められた。ロマリアを初めとした諸国に外交権を認められたのは9つの国家と都市同盟-すなわちボンメルン大公国・北部都市同盟・ザクセン王国・ハノーヴァー王国・ベーメン王国・ヴェルデンベルグ王国・バイエルン王国・ダルリアダ大公国・トリエント公国である。これに2年前に独立したゲルマニア王国をふくめて10の国が旧東フランク地域にひしめいている。
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ボンメルン大公国
北
部
都
市
同
盟 ザクセン王国
ハノーヴァー王国
トリステイン王国 ベーメン王国
ゲルマニア王国
クルデン
ホルフ ヴュルテンベルク王国 バイエルン王国
大公国 ダルリアダ大公国
トリエント公国
ガ リ ア
サ ハ ラ
(エルフ領)
グラ ロマリア
ナダ
王国 連合
皇国
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繰り返しになるが、旧東フランク諸国の統治の正当性は、ロマリア条約以来によって「始祖の墓守」ロマリア教皇よりその支配を認められたことにある。そのため各国ともに正面から新教徒を支援する事はなかったが、取り締まりは事実上あきらめていた。ベーメン王国などでは貴族諸侯の間にも新教徒がいることは公然の事実であり、女王エリザベート8世は宗教庁と新教徒という両者のバランスの上に国政を運営している。ベーメンに限らず、無用な宗は対立を起こしたくないのが諸侯の本音である。現在のザクセン国王ベルンハルト4世はそれから一歩踏み出し、新教徒を黙認する事で国内の宗教庁勢力を削ごうとしている。ドレスデン(ザクセン王国王都)は経営の苦しい修道院に王政府に近い商会や銀行に出資させる事で、教会領土を没収しようと圧力を掛けていた。モルプルゴ男爵はザクセン王政府と交渉するために、ドレスデンに出張していたのだが、良い結果は得られなかったようだ。
「直接の交渉相手は内務次官のボイスト伯爵でしたが、現政権の中ではとにかくこの二つの修道院を潰すことで意見が一致しているようです。ベルンハルト陛下とも面談いたしましたが、あのご様子ではザクセン政府の翻意を促すのは困難かと」
「・・・修道院の経営再建は可能か?」
「難しいでしょう。旧東フランク北部の天候不順は今年も続くと見られます。修道院の担当者によると例年の7割程度の収穫がみこめれば良いほう。旧東フランク地域全体ではさほど影響はないようですが、もとより莫大な借財を抱えていたバウツェン・フライベルク両修道院にとっては致命的です。これ以上出資先に無理を強いると、教会全体の信用問題に関わります」
モルプルゴ男爵の言葉にため息をつくボルケーゼ枢機卿。もとより旧東フランク地域の教会領や修道院領は、王国崩壊以降の混乱に付け込んで貴族諸侯に寄進させたものである。在地領主も寄進したくてしたものはいない。他の諸侯に横領されるよりは、火事場泥棒であっても教会のほうがましだという判断からであった。当初発足したばかりの宗教庁は半島外における教会領の増加はその権威を高めることとして歓迎したが、今となってはお荷物以外の何者でもない。独自に経営できている教会や修道院は数えるほどしかなく、多くの教会はロマリア本国からの持ち出しに頼っているのが現状だ。当然それは「ハルケギニア一の資産家」である宗教庁の財政を確実に圧迫し、年々深刻化しつつある。本来ならすぐにでも切り捨てたいのは山々なのだが、そう簡単な話でもない。
現在宗教庁内には大きく4つの派閥がある。宗派では保守派のイオニア会とフランチェスコ会、改革派の東フランク騎士団、そしてガリア派だ。これらの派閥は教皇選出会議(コンクラーベ)にむけて日々暗闘を繰り広げている。頭に保守派だ改革派だとついているが、教義の解釈や政策等々にそれほど大きな差異があるわけではない。むしろここ最近はガリア派に右に倣えで、他の宗派派閥も地域別、出身国別の派閥という色合いが濃くなりつつある。多国籍の人間が集まる宗教庁において政治信条よりも出身国別に集まるのはある意味自然であった。ガリア派はその名の通りであり1500万人という人口=信者数と、リュテイスの力を背景にしている。フランチェスコ会は連合皇国加盟国-アウソ-ニャ半島出身者、東フランク騎士団は旧東フランク諸国、そしてイオニア会はそれ以外のトリステインやアルビオン、グラナダ王国などの出身者による連合派閥だ。現在の聖ヨハネス19世はイオニア会とガリア派の支持のもとにコンクラーベで勝利した。そして先にあげた両修道院は、現在の宗教庁内の悲主流派である東フランク騎士団系列。どのような反応が出てくるかは火を見るより明らかだ。フランチェスコ会に近いとみなされている(実際にそうである)カミーロ・ボルケーゼ枢機卿自身にとっては、迷惑極まりない話であると同時に、頭を抱えたくなる話である。
「ない袖は触れない。東フランク騎士団も年貢の納めどころということだろうが、そうもいかないだろうよ」
その点だけを考えればいい気味だと思わないでもない。「改革派」の東フランク騎士団はその他の派閥から評判が悪い。新教徒増加の原因を「宗教庁の頑迷なる保守勢力によるもの」と声高に「保守派」を批判する騎士団は教徒からの人気は高い。批判される「保守派」からすればとんでもない言いがかりだ。大体、新教徒が増加しているのは旧東フランク諸国であり、それに対する責任は一義的に騎士団系の教会にある。その上経営が苦しいから金をよこせだ?どの面下げて-というわけだ。それはさて置き、ボルケーゼ枢機卿の頭痛の原因は、バウツェン・フライベルク両修道院の切り捨てが次のコンクラーベまでにどのような影響をもたらすか想像できないという点にある。
ガリア派を資金面で全面的に後押ししていたガリア王政府だが、現在のシャルル12世は、「太陽王」が外征の裏づけのためにガリア派を通じて宗教庁への影響力を維持する政策を転換した。もとより外征などするつもりはなく、内乱を鎮圧したばかりであることから内政に専念するつもりであるとされる。リュテイスの考えはともかく、金がなければひとつにまとまっている必要もない。ノルマン大公の反乱によって、派内の実力者であり後継者とみなされていたエルコール・コンサルヴィ枢機卿が失脚したことで、派内の統制が取れなくなったのだ。少なくなった金の分配や派内の主導権を巡り内部対立が深刻化。分裂がささやかれている。2つの修道院切捨てにより、東フランク騎士団がイオニア会とガリア派による現政権に対する対決姿勢を強めるのは確実だ。その上ガリア派が分裂するとあれば、ボニファティウス10世、ヨハネス19世と2代続いたイオニア会=ガリア派の構図が維持される可能性は低い。フランチェスコ会系の自分も身の振り方を考えなければならないだろう。悩める枢機卿にモルプルゴ男爵は他人事のように(文字通り他人事なのだが)言う。
「借りたものを返すのは当然でしょう。それに相手はザクセン政府。猊下が恨まれる筋合いはありません。黙殺するだけでよろしいのではないですか」
「今の政権の枠組みが永遠に続くのであればそれでもいいだろうがね」
ボルケーゼ枢機卿は目頭を揉んだ。確かに修道院問題において正論で押し通す事は可能だが、仮に次のコンクラーベで東フランク騎士団が主流派に転じた場合、その論理がわが身に跳ね返ってくる。経営の苦しい教会や修道院は東フランク騎士団だけではない。バウツェン・フライベルク両修道院を見捨てれば、次は自分達だとして反対に回るものも出てくるだろう。ヨハネス19世の性格からして、そのような意見が出れば(青筋を立てて机を叩きながら)意見を押し切るだろうが、そうなると外務長官である自分もとばっちりを食うことになる。
「・・・それ金を愛するは」
「諸々悪しきことの根なり。祈祷書6章10節ですな。猊下、お言葉を返すようですが、金は鋳造された自由ともいいます」
「自由ときたかね」
ボルケーゼ枢機卿は、これは気がつかなかったとでもいうように手のひらでその広いでこをぴしゃりと叩いた。
「なるほど、金があれば大抵の事は自由になる。反対に金がなければどうにもならないことも山のようにあるな。金貸しどもに新教徒が多いのは自由になりたいからというわけかね?」
返事を求めてくるボルケーゼ枢機卿に、モルプルゴ男爵は笑うわけにもいかず困ったような表情を浮かべていた。
*
「・・・で、貴様はのこのこと間抜け面をぶらさげてきたわけだな?」
案の定、青筋を立てて歯を剥く教皇ヨハネス19世聖下に、ボルケーゼ枢機卿は内心でため息をついた。きつく結んだへの字の口元は震え、落ち窪んだ眼窩の奥の眼は怒りの色に彩られている。もともと厳しく険しい顔つきの老人であるため、それはもう大変な形相だ。想像していたとはいえ、ここまで思ったとおりだと返って可笑しくなってくる。ヨハネス19世は中指で机を小刻みに叩き始めた。
「妾の子孫の分際で・・・今貴様らがでかい顔をしていられるのは誰のおかげだと思っておるのだ」
このヨハネス19世の言葉には説明が要るだろう。ザクセン王国の初代国王アルブレヒトは、最後のフランク国王バシレイオス14世の叔父である。バシレイオス暗殺後、叔父である彼はドレスデンで戴冠式を強行したが、庶子であったがゆえに内外から認められることはなかった。ロマリア条約がなければ「王」ではなくせいぜい大公が限度だっただろう。ヨハネス19世はそのことを言っているのだ。ボルケーゼ枢機卿はむしろ血気盛んなザクセンが、このような迂遠な手を使ってくること自体、少なからぬ薄気味悪さと同時に、なんとしても修道院を潰すという強い意思のようなものを感じていた。それゆえこれを阻止することは難しいだろうとも考えていた。
ボルケーゼ枢機卿が口をつぐんでいる間も、最近益々気が短くなった老教皇は愚痴り続ける。
「まったく、東フランクと関わるとろくなことがない。ゲルマニアのときもそうだ。金で王位を売っただの、教皇の権威を傷つけただのと好き勝手なことばかり言いおって。経営改善の努力もせずに金だけよこせという輩ほど声が大きい。まったく恥知らずどもが・・・本国からの金を受け取らないというならともかく、もっと出せと言う。恥知らずにもほどがある。違うか?」
「おっしゃるとおりかと」
その点に関してはボルケーゼ枢機卿も同意する。トリステイン王国ヴィンドボナ総督であったゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルンから「ゲルマニア国王」という称号を買いたいという打診があったのは2年前のブリミル暦6212年-ラグドリアン戦役の一ヶ月前のこと。おそらくその時点でゲルマニアはガリアのトリステイン侵攻を予測していたのだろう。大方の予想に反して太陽王の死によって停戦が早期に成立したが、その後も宗教庁と総督家の間では断続的に調整が進められた。ゲルマニアは始祖の子孫であるトリステイン王家から独立する大義名分として「始祖の墓守」であり「ブリミル卿の最高権威者」であるロマリア教皇の裏づけを求めた。買いたいという表現こそ使わなかったものの、実際はそれ以外の何者でもない。その際、宗教庁側の責任者だったのが、ボルケーゼ枢機卿の前任の外務長官であるルドルフ枢機卿(東フランク騎士団)である。
ホーエンツォレルン総督家がヴィンドボナを中心にザルツブルグを実効支配しているのは周知の事実。すでに各国はヴィンドボナに領事館の名目で、事実上の在外公館を設けており総督家の独立は時間の問題とみなされていた。ラグドリアン戦役の戦塵覚めやらぬトリステインは当然激怒し、在トリスタニア教皇大使やトリステイン宗教庁長官を呼び出して詰問したが、実効支配権のない宗主国の意見は無視された。問題は宗教庁内部にあった。ヨハネス19世-ルドルフ枢機卿ラインで内密に進められたこの話に、反主流派は「金で王位を売りさばき、教皇の権威を傷つけるもの」と噛み付いたのだ。主流派の一角を担いヨハネス19世を支えるはずのイオニア会からもトリステイン出身の枢機卿を中心に教皇を突き上げた。結果、ルドルフ枢機卿は辞任に追い込まれ、連合皇国外務省国際局長であったボルケーゼ枢機卿が後任に就任した。この辞任劇を切っ掛けにヨハネス19世の政治的求心力は低下を始め、イオニア会とガリア派の関係悪化、そしてガリア派の分裂危機という現在に至る大聖堂の政治的緊張をもたらしている。
ボルケーゼ自身はこの間の交渉にはノータッチであったが、前任者と同じ批判を受けることになった。それゆえこの件に関して批判するものに対して、ボルケーゼ枢機卿自身も、たとえ外務長官という立場になくとも個人的にもよい感情は持っていなかった。ましてや声高に批判するものほどゲルマニアからの献金をほしがり「もっと遣さないと騒ぐぞ」とほざく輩もいた。そんな輩に対していい感情を持てるはずがない。ボルケーゼが自分の考えにふけっていると、ヨハネス19世はコンコンと机を叩いていた中指をぐっと握り締め、拳で机を一回、強く叩いた。
「・・・仕方あるまい、潰すぞ」
「よろしいのですか?」
「よろしいもなにも、ドレスデンのヤンチャ坊主(ベルンハルト4世)がやると言ってるのだ。翻意が出来ないなら、ここで逡巡していてもしかたあるまい。それに」
ヨハネス19世はその落ち窪んだ眼窩の奥の眼をぎょろりと剥いた。見るものを畏怖させ、有無を言わさず従わせる強烈な眼光は未だ健在である。とても70を超えた老人のそれではない。生と権力への執着によって晩節を汚した教皇はこれまでもいたが、この老人の場合は生気と活力に溢れていて、そのような悲壮なものは微塵も感じられない。むしろ年齢を重ねる事に生き生きとしているように見える。この様子ではお迎えがくるのは大分先の事だろう。そうなればイオニア会とガリア派にとって苦しい状況が予想される次のコンクラーベがどうなるかわからない。
「わしの死んだあとの事など知ったことか」
「聖下、そんな子供の様な事をおっしゃられては」
ボルケーゼ枢機卿は呆れたような表情を浮かべたが、顰め面をしたヨハネス19世は意外と真剣にそう考えていた。最近の若い奴らは苦労を知らない。ロマリア宗教庁と聖フォルサテ大聖堂だけしか知らないような人間が、自分達の狭い知識と経験だけで不平不満を言う。ノルマン大公の反乱を援助したゴンサーガ枢機卿などはその典型だ。聖フォルサテの子孫である選定侯家出身で金と暇がある演劇馬鹿は、自分の立場もわきまえず大国ガリアの内乱を幇助するという火遊びをしでかした。馬鹿ならまだいいが、小賢しい知恵はあるので手に負えない。口先ばかり達者なくせに、いざというときはまるで使い物にならないのが目に見えている。必要とあらば手を汚す事を厭わない人間がいない。汚れ仕事を直接しろというわけではない。必要とあらばそれを責任を持って命じることが出来る、腹の据わった者がいないのだ。奇麗事ばかりいいたがり、自分だけは「いい子」でいようとする。その風潮を老人は嫌悪していた。
フランチェスコ会の教皇候補と名高いマーカントニオ・コロンナ枢機卿をトリステイン宗教庁長官に「左遷」したのは、宗教庁の次代を担う彼を大聖堂の軽薄な空気に染めさせてはいけないという、ヨハネス19世なりの配慮である。今のままではコロンナ枢機卿は弁がたつ有力枢機卿で終わってしまう。当人は「不当人事」と不服を唱えているが、陸の孤島で自分を見つめなおすことは何れいい経験となるだろう。もっともあのインテリ面を見たくないという感情がなかったかといえば嘘になるが、それだけで左遷人事をするほど教皇は気楽な仕事ではない。実際、奴ほどの人材は貴重なのだ。
「コロンナ枢機卿もエルコール枢機卿もまだまだ苦労が足りない。まだしばらく死ぬつもりはないが、口舌の徒にこの座を明け渡すわけにはいかんのだ」
「エルコール枢機卿はともかく、コロンナ枢機卿に聖下のお気持ちが通じますか?」
「一度や二度の左遷で腐るのなら、あの生意気な男もそれまでという事よ」
ボルケーゼ枢機卿は自身の名前が出ないことに苦笑しながら、エルコール枢機卿の名前が出たことに表情には出さないものの、驚きを隠せなかった。エルコール・コンサルヴィ枢機卿といえばヨハネス19世と同じガリア派出身で右腕と称される人物。ノルマン大公の反乱幇助の疑いをかけられるまでは次期教皇の有力候補の一人であった。その彼を教皇自身が突き放すような評価をしたことが以外だったからだ。そして意地と性格と根性の悪い老人はボルケーゼ枢機卿の考えなどお見通しであったようで、フンと鼻を鳴らした。
「まあ奴には期待していたがな。その後の対応が悪すぎる。ラグドリアンからリュテイスに向かわずルーアン(ノルマン大公の本拠地)に直行するとは。どうぞ疑ってくださいといわんばかりではないか。大公個人との関係に、情に流された結果があれだ。自業自得じゃ」
本人は満足しているだろうがなと老教皇は続けた。「ガリア派のプリンス」という宗教庁内での政治的地位を失ったエルコール枢機卿だが、ガリア国内ではその株を大いに上げた。自身の立場が危うくなる危険を承知の上で友人の為に尽くしたという、いかにも庶民が好みそうな話題をやってのけたのだ。人気が出ないわけではない。そしてヨハネス19世はエルコールのルーアン行きの一件をもってしてこの男を「切り捨て」だ。奇麗事に準じた覚悟は見上げたものだが、少なくとも自分で這い上がろうとしない限りは、手を差し伸べるつもりはない。もし這い上がってくる事が出来るのであれば、自分の助けなどなくとも奴は自身の力でこの座を手に入れるだろう。それだけの能力はある男だ。その意思があるのかどうかは知らんが。
「それよりもコロンナだ。エルコールがリュテイスから動けない事をいいことに、また下らん事を考えているようだな」
「お気づきでしたか。確かに枢機卿はハノーヴァーとトリステインのマリアンヌ王女の婚姻交渉に独自に動いているようです。ハノーヴァー外相ハッランド侯爵やハノーヴァー在トリステイン大使との会談を繰り返しておられます」
ヨハネス19世は「あの馬鹿が!」と吐き捨てた。自分を見つめなおすどころか、下らん政治ゲームに手を出しおって・・・その軽薄さが気に食わんのだ。「流れ」に乗るばかりで物事の本質がまるでわかっておらん。再び不機嫌そうに顔を顰めた老教皇に、ボルケーゼ枢機卿は恐る恐る尋ねた。
「聖下はトリステインとハノーヴァーとの例の話、いかがお考えになりますか」
宗教庁が様々な問題を抱えながらも今も尚その勢力を維持できているのは、その巧みな外交力もあるが、それを支えているのはハルケギニア全土に広がる教会や信者のもたらす情報と、その分析能力にある。情報を集める事はたやすいが、その分析能力に関して言えば宗教庁という組織はハルケギニアのどの組織が逆立ちしても敵うものではない。ハノーヴァーとトリステイン両国の一部によって内密に勧められているクリスチャン王太子とマリアンヌ王女との婚姻の話についてもヨハネス19世とボルケーゼ外務長官は当然把握していた。老教皇はボルケーゼの予想に反して「難しいな」と腕を組んだ。
「同君連合か王配かも決められん話だ。潰れると見るのが自然だが、意外と上手くいくかもしれん。ハノーヴァーの現政権を支える親トリステイン派には後がない。ガリア派か北部都市同盟の走狗にとってかわられることを理解しているだろう。恥の上塗りはこれ以上出来ない-それゆえに他にも王子がいるのに王太子を引っ張り出してきたか」
さすがに元外務長官であっただけのことはあり、ヨハネス19世の見方と言葉は鋭い。老いという誰しも避けることの出来ない現象はこの人には関係ないのかと内心舌を巻きながら、ボルケーゼ枢機卿は重ねて訊ねた。
「ハノーヴァー国内はまとまるとして、トリステイン国内はまとまりますか?ラグドリアン戦役での遺恨は未だ消えておりませんが」
「王太子を引っ張り出してきたのはそれだ。どちらにしろこの話は水の国に主導権がある。次期国王をいわば人質にすることで誠意を占めそうということなのだろう。トリステイン国内でこの話を進めているのは確か」
「アルチュール・ド・リッシュモン外務卿です」
「そう、リッシュモンだ。あの男は軽率なことをする男ではない。他のものならともかく、リッシュモン伯爵が動くなら可能性はないわけではない。北部都市同盟を上手く取り込むことが出来るのであれば、意外と上手くいくかもしれん」
同君連合か現状の同盟強化と親密化で終わるのかはわからないが、もしトリステインとハノーヴァーが連合を組めばハルケギニア大陸東部に侮りがたい勢力が成立する事になる。トリステインを機軸にその属国たるハノーヴァー、同盟国として空の覇者たるアルビオンがあり、旧東フランクの経済を握る北部都市同盟。悪くはない。
「上手くいくかどうかは別問題だ。都市同盟の業突張りどもを納得させるだけのものを出せるかどうかだな。しかしこれだけの絵を描ける人間は早々いるものではない」
この人には珍しくヨハネス19世は素直に人を褒めた。
「フィリップ3世陛下はご存知なのでしょうか?」
「・・・あの男は狡くなった。エスターシュ大公を使い捨てたように、上手くいかなければ伯爵を切り捨てるだろう。自身の名声を損なうわけには行かないからな」
ルドルフ枢機卿を切り捨てた聖下が仰られると説得力がありますねという言葉が喉まで出掛かったボルケーゼ枢機卿だが、その言葉を飲み込むまえに教皇執務室の戸があわただしくノックされた。
「なんだ!今は会談中であるぞ!」
「も、もうしわけありません。ですが、ヌーシャテル伯爵が火急の知らせがあるという事で・・・」
「ヌーシャテル伯爵が?」
戸の向こうで老人の怒声に身を竦める秘書官の様子がありありと想像出来たが、ボルケーゼ枢機卿とヨハネス19世は顔を見合わせた。ヌーシャテル伯爵フェデリコ・ディ・モンベリア卿の経歴は直属の上司であるはずのボルケーゼ枢機卿も知らない。外務省国務局に属しているが、それはあくまで便宜上のもの。ヨハネス19世もおそらく知らないのだろう。ただ前教皇ボニファテイウス10世の時代より、光の国の汚れ仕事をこなしてきたであろう事は薄々ではあるがボルケーゼ枢機卿も感づいていや。その伯爵が火急の用件とはただ事ではない。老教皇は「かまわん入れろ」と怒鳴り返す。それにしても地声が大きい人だ。ボルケーゼ枢機卿は思わず顔を顰めた。
「失礼致します」
重厚な戸が開くと、ヌーシャテル伯爵の特徴のない、のっぺらぼうの様な顔が見えた。中肉中背のいかにも冴えないこの男こそが、歴代教皇の下で汚れ仕事をこなしてきたことを知る者は少ない。歩き方は見るからにのっそりとしているが、その気になれば足音を立てずに背後にまわられるかもしれない。それを考えるとボルケーゼ枢機卿の背中に冷たい嫌な汗が流れる。自分ならこんな薄気味悪い男を側に近づかせる事はしないだろう。とてもではないが神経が持たない。
「貴様にはガリア派の内偵を命じていたはずだが、その関係か?」
「その件に関しましては後日報告申し上げます」
「ならばなんだ。もったいぶらずにさっさと報告しろ」
ヌーシャテル伯爵は何時もの様にのっぺりとした表情のまま、その薄い唇だけを動かした。
「ハノーヴァーのクリスチャン王太子がお消えになられました」