ハヴィランド宮殿-ブリミル暦4504年、時の国王エドワード4世(開放王・エドワード3世の子)により23年の月日と、莫大な国家予算をかけて建築された、通称-白の宮殿。東西1リーグ、南北1・5リーグという広大な土地に、整然と石造りの白亜の建造物が立ち並ぶ。大噴水を中心に、四方に広がる庭園の美しさは、かつてここに入った泥棒が、その美しさに目を取られているうちに逮捕されたという逸話を生んだ。
現ガリア国王ロペスピエール3世が、ヴェルサルテイル宮殿(建築中)着工を命じた際、「ハヴィランドに美しさで負けることは許さん」と号令したことはよく知られている。アルビオンの王弟がここを評して曰く「日本なら耐震基準で即立ち入り禁止になるだろう」
この宮殿の初代の主であるエドワード4世は、様々な逸話を残した。
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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(外伝-宰相 スタンリー・スラックトン)
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先代国王である父エドワード3世が、農奴解放令に伴う政情不安の中、「不慮の死」を受けて即位した彼は、一切の政務に口を挟まなかった。自ら「箱庭」と称したハヴィランド宮殿の中で、エドワードは一人であった。友はなく、信頼できる家臣もなく。家族でさえ敵に見えた。貴族が政争に明け暮れようと、民が疲弊しようと、国家財政が悲鳴を上げようと、意図的に耳目をふさいだ。王は、自らの持てる全てを芸術へと注ぎこんだ。絵画・彫刻・骨董といった美術品収集に始まり、文芸作家・音楽家のパトロンとして、稀代の演劇評論家として・・・
しかしそのどれもが彼の心を満たすものではなかった。
箱庭の中で、孤独な権力者は誰にも理解されない情動を日記に綴った。
「なぜこの世に貴族が存在するのか。民を守るため?寄生しているだけではないか。自分があって家がなく、家あって国がない。彼らは自分の欲望にだけ杖の忠誠を誓う」
「なぜこの世に平民が存在するのか。彼らは魔法が使えない。だからどうした?ずるく、卑怯で、陰険で、誰一人として国のことなど考えない。自分の利益ばかりだ!」
「始祖ブリミルがわからない。この世に平民と貴族という、ろくでもないやつらを生み出したからだ」
「哲学王」-彼はそう呼ばれた。ブリミル教の神学には、始祖の予言という絶対の答えが用意されていたが、彼の答えのない問いには、死というゴールしかなかった。彼は箱庭の一角にある庭園で倒れているところを発見された。その顔は安らかなものだったという。
エドワード4世が倒れていた庭園は今はもう存在しない。そこに立てば、誰もが彼の狂気にも似た問いについて考えざるを得ないからだ。
宮殿は王家の住宅であると同時に、行政府庁としての役割も持つ。時代が下るにつれ、行政府庁としての役割を増していったハヴィランド宮殿は、次第に手狭となる。多くの庭園がつぶされ、代わりに石造りの無機質な建物が立ち並んだ。だからといって、よりにもよってそのいわく付きの場所に新しく増築、そのうえ「宰相執務室」を移したのだから、誰もが顔をしかめた。
「宰相閣下も、物好きなお方よ」
スタンリー・スラックトン侯爵。宮廷官僚(日本で言えば宮内庁職員)という王家の内向きの仕事から出発した彼は、4代の王に仕えた。王家と貴族。それ自体は何も生み出すことのない「名誉」という名の「プライド」を何よりも重んずる滑稽な特権集団の中を巧みに泳いで、彼は生き残ってきた。
彼ならエドワード4世の問いにこう答えるだろう。
「理由は存在しない。それが理由ですな。」
わかったようでわからない、答えになっているようでなっていない、深いようで、ただの意味のない言葉の羅列にも聞こえる。エドワード4世もさぞやあの世でキョトンとしているだろう。
スラックトンはこうして宮廷を生き残ってきた。彼は誰の考えも否定しない。誰の考えも肯定しない。スラックトンには主義主張が存在しないのだ。引き換えに彼は、あらゆる事象への冷静な対応を、悪く言えば冷めた見方を獲得した。宮廷内の力関係を見抜き、高く自分を売り、気づかれることなく人を蹴落とし、凋落傾向にある勢力からは自然と距離をとる・・・
そして彼は上り詰めた。
自分の生き方が恥ずかしいとは思わない。スタンリーが侯爵家を継いだとき、家には1メイルの土地も存在しなかった。いわゆる没落貴族である。しかしながら彼は曲がりなりにも侯爵家の当主。公の場では格式を維持しなければならなかった。パーティでの華やかな顔の裏で、商会に頭を下げた。這いつくばって哀れみをこうた。格式を維持するためには何でもやった。スタンリーは自分の感情が、人としてあって当然の思いが、次第に消えていくのを感じていた。だが、それをとめようとは思わなかったし、とめられるはずもなかった。
「名誉」「貴族としての誇り」これほど滑稽な言葉は、彼には他になかった。
宰相になってもスラックトンは、その冷静なまなざしを失うことはなかった。彼にはこの国の問題点がわかっていた。王軍指揮系統の不確実性、貴族領土の細分化による領地の荒廃・・・国内の各勢力がそれぞれ自分の属する団体の利益だけを主張し、国のことは2の次、3の次・・・「安定」といえば聞こえがいいが、それは緩やかな衰退と変わらない。彼は宮廷内で権能を振るった勢力が、最後は必ず崩壊する様を何度も見てきた。アルビオンという国が、同じようにならないという理由はどこにあるのか?制度疲労を放置してきた矛盾は、彼の目には明らかだった
(・・・もって50年といったところか)
だがスラックトンが動くことはなかった。「主義主張を持たない」という生き方を、人生の黄昏を前にして、いまさら変えられるわけもなかった。緩やかに滅び行くわが祖国を見ながら、淡々と書類にサインする。その繰り返し。
そのはずだった。
*
「『せんばーいしょ』ですか」
「専売所です、閣下」
スラックトンはあごひげを撫でながら、珍しく困惑していた。少なくとも今までの宮廷生活の中で、王族が自ら発案して政治行動を起こしたことは、未だかつて無かったからだ。そして(表情には出さないが)王子の説明を聞いてさらにその度合いを深めた。
「・・・なのです。この岩塩にアルビオンという国家の保証を付ければ、間違いなく各国で飛ぶように売れるでしょう」
「ほうほう」
ヘンリーの言う「専売所」は驚くべきことばかりであった。
国家主導で商品を売る-そんな事は今まで考えたことも無かった。プライドばかり高い貴族からは、脳味噌を最後の1滴まで絞っても出てこない発想だ。貴族やギルド商人といった既得権益を持つ勢力とは、決して正面からぶつからず、「利益」を持って説得する。岩塩、領土係争地の木材、そして大規模放牧・・・一見するとリスクが高いように見えて、これが国家主導ならそのリスクが極めて小さくなるという緻密な計算がされている。
中でも今の王子の発言には驚かされた。「アルビオンという国家の保証」、そこには何のためらいもなかった。言葉と事象の持つ意味を客観的に分析し、それがもたらす効果を最大限に利用しようとしている。これは王子が国家を自分の「私物」とみなしていては、絶対に出来ない発言だ。
まるで商人のような考え方だが、両者には絶対的な違いがある。
王子の根底にあるもの-それはアルビオンという国家全体の利益、すなわち「国益」ともいうべきものだ。
スラックトンは驚愕した。目の前の15の子供に対して畏怖の念すら覚えていた。宮廷の中で、何十年も人間という奇妙な生き物を見てきた自分だから、絶対の自信を持っていえる。
(バケモノだな・・・)
そう、バケモノだ。こんな考え方をする人間が、宮廷社会の中にどっぷり使った貴族の、その盟主であるはずの王家にいるとは。それもまだ15歳の、ろくすっぽ分別もあるかどうかわからない年齢の子供が。まさに異物としか言いようが無い。
(・・・面白い)
スラックトンは宰相になってから、いや、宮廷に入ってから、初めて自分の意思で行動することにした。
「なるほど・・・ヘンリー殿下、よく練られた計画だと理解いたします」
王子の顔が歪むのがわかる。やはりまだ若い。言葉のニュアンスに込められた真意を、読み取ることが出来ないのだ。さきほどから私が返していた相槌にも、目に見えてイライラしていたのが伝わってきた。
(腹芸の一つも出来ないで、政治は出来ませんぞ・・・殿下?)
人員を出すといったときの、殿下の喜びといったら。まるで想いが通じて喜ぶ女子のようで。
自身では気がつかなかったが、老宰相の頬は僅かに緩んでいた。
*
スラックトンは専売所に出来る限りの協力を行った。慢性的な人員不足は深刻であり、本来なら人員は1人でも割ける状況ではなかった。しかし彼は専売所に50人の人員を派遣。予算も財務当局に指示して、小額だが付けさせた。「王子の道楽」だと批判する官僚や貴族には、自ら面談してやんわりと説得し、影から援護した。普段の侯爵らしからぬ行動に、同僚や部下は首をかしげて理由を尋ねたが、彼はいつものように煙に巻くだけであった。
「理由は存在しない。それが理由ですな。」
愉快そうに顎鬚を撫でるスラックトンに、誰もがそれ以上の追求を諦めた。
*
スタンリー・スラックトン侯爵は、それから10年の間、アルビオン王国の宰相を務めた。残された資料や、王室編纂の公式歴史書からは、彼の表立った仕事を見つけ出すのは難しい。「何もしなかったから宰相でいられた」との歴史家の批判もある。ただ、彼の元で、ヘンリー・テューダーを中心とする「新官僚」と呼ばれる人々が、数々の改革を行ったのは確かである。
スラックトンは現職のまま無くなった。享年72。
国王ジェームズ1世は臣下としては1000年ぶりとなる異例の「国葬」をもって、この老宰相に答えた。葬列には多くの部下や市民が列をなして途切れることが無く、ロンディニウムでは誰もが自然と故人を忍んだ。
王弟ヘンリーは雨の中、彼の入った棺に寄り添うようにして墓地まで歩いたという。