やぁやぁ皆さんこんにちは。アルビオンキングダムのプリンス、カンバーランド公爵ヘンリー・テューダーだよ。キングダムって言うと何だ格好良いよね。サンスキングダムもサンス王国じゃなんか締まらないものね。単に言い換えただけなんだけど。例えば赤壁を「レッドクリフ」と言うようなものだね。「セキヘキ」じゃヒットしなかったんじゃないかな。ああいう感じだよ。
「殿下、一体何の話ですか?」
「塩爺、僕だってたまには現実逃避したくなるのさ」
「誰が塩爺ですか、誰が。殿下はいつも現実逃避したような事しか言っておられないような気がしますが」
「ん?なんか言った?」
「いえ、何でもありません」
侍従のエセックス男爵が何やら暴言を吐いたような気がするが、心が広い(気の小さい)俺は聞かなかったフリをする。大体それどころじゃないのだ。ハノーヴァーのクリスチャン王太子とザクセンの伯爵令嬢の身柄をアルビオン南部のプリマスで確保したという知らせを聞いた時は椅子からひっくり返った。何でよりにもよってアルビオンに逃げてくるんだよ。一報を聞いたセヴァーン外務次官が「ハノーヴァー大使は何をしていたのだ」と詰ったと言うが、その気持ちは痛いほどわかる。ハノーヴァーが国を挙げて隠していた王太子の失踪を察しろと言うほうが無理な話だというのはわかってるけどさ。愚痴の一つも言いたくなるのが人情ってものだ。
しかも何だって?クリスチャン王太子のお相手はザクセン王国の伯爵令嬢?ハノーヴァーとザクセンは東フランク崩壊(2998)以来の宿敵とも言える間柄-何ですか、そのリアルなロミオとジュリエット。今頃ダウンニング街(アルビオン王国外務省)は大騒ぎだろう。パーマストン子爵(外相)の面長の顔の上で、離れて位置する出目がますます離れていくのが目に浮かぶ。痛くない腹を探られるほど嫌なことはないが、状況証拠で言えばアルビオンは「真っ黒」。対応を誤ればザクセン、ハノーヴァー両国との関係悪化は必至だ。それにクリスチャン王太子にはトリステインとの「例の話」もある。噂の域を出ないが、それが事実だとすれば同盟国の顔をつぶすことになる。それだけは何としても避けたいが・・・
どちらにしろ、多分この件に関して俺の出番はないだろう。しゃしゃり出てみたところで「お呼びでない?これまた失礼しました」ってことになることは目に見えている。王太子の取り扱いは今この時点でもかなり微妙な問題。パンはパン屋、説教は坊主、そして許すは神の業ってね。色々な諺がごちゃ混ぜになってるような気がするけど、たぶん気のせいだよ。細かいことを気にすると禿げるよ。根拠は無いけどね。
じゃあ俺は今からキャサリンといちゃついて来るから後宜しく・・・
「国王陛下がお呼びです」
だよねー♪
・・・はぁ
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(ブレーメン某重大事件-3)
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ハヴィランド宮殿の内装は実に質素なものだ。宮殿内の調度品や絵画は一般貴族の屋敷にあるものとはケタが一つか二つ違うが、それを差し引いてもはっきり言って地味である。およそこの世にある贅沢という言葉を抽出して具現化したようなガリアのベルサルテイル宮殿の「装飾のための装飾」のような内装とは似ても似つかない。両国の国民性もあるのだろうが、やはり宮殿の主の性格が大きいだろう。アルビオン先王エドワード12世は華美な装飾や調度品を嫌い、実用的なものを好んだ。そしてその傾向は息子であり現王のジェームズ1世にも受け継がれている。ここ国王執務室など、さながら修行僧の住居かそれでなくば学者の研究室のようだ。ヘンリーはこの部屋に来る度に、ギシギシと音の鳴りそうな椅子に眉をひそめる。質実剛健も結構だが、王としての威厳を損なうようでは本末転倒ではないかという思いに駆られるからだ。
「恋愛-それは男女が二人で馬鹿になることだ」
「そんなことは聞いていない」
「兄さんは相変わらずお堅いですね。堅くするのはカザリン義姉さん(王妃)と何するときのナニだけで・・・申し訳ありません。全身全霊で全力で謝りますから、軍杖だけは勘弁してください」
目の前の机に這い蹲って謝る弟を、軍杖片手に人の殺せそうな視線で睨みつけていたジェームズ1世は、眉間に青筋を立てたままであるがその手を引いた。その様子に「あ、今日は冗談の通じる雰囲気ではない」と言うごく当たり前な事実をヘンリーはようやく悟った。
「そ、それでクリスチャン王太子殿下は今どちらに」
「貴様は相変わらず耳が早いな。王太子にはサウスゴータ太守の屋敷に移ってもらった。今はウィリアム(モード大公)に大公の手勢を付けて見張らせている」
「・・・大丈夫ですか?」
「また逃げだすのではないかというのか?お前の心配もわからないでもないが、例のザクセンの伯爵令嬢も一緒だ。そうそう軽率なことは出来まい。念の為にロンディニウムから近衛の腕利きを何名か派遣するつもりだが、事が事だけに表立って兵を動かすことは難しい。本来なら杖を取り上げて縛り上げておきたいところだが・・・」
謹厳実直を絵に描いたようなこの兄が、たとえ如何なる理由があろうと国を捨てて逃げてきたに等しいクリスチャン王太子の言動に好ましい印象を抱いているはずがない。パーマストン子爵がいなければ、ある意味自分以上に激情家の一面を持つジェームズ1世は実際にそう命じていたかもしれない。
「色に狂って道を外した話は多々あれども、王太子が国を捨てるなど古今東西聞いたことがない。クリスチャン(王太子)は何を考えているのか」
「それとも何も考えていないのか」と不機嫌な表情のまま呟いたジェームズ1世は小さく舌打ちをした。肩を持つわけではないが、執務室の重苦しい空気に尻がむず痒くなったヘンリーは肩をすくめながら、聞きかじりの恋愛知識を披露する。
「それは男と女のことですから。障害があればあるほど、高ければ高いほど燃え上がったということではないでしょうか」
「・・・貴様が言うとなぜか無性に腹が立つな」
冷たい兄の視線から目をそらすヘンリー。いつまでも現実逃避のじゃれあいを続けていても仕方がないのでさも真面目そうな表情を取り繕う。真剣な雰囲気の場面でついつい茶化したくなるのがヘンリーの悪い癖だ。
「王太子殿下をどうなさるおつもりです?いつまでも隠し続けるのは困難でしょうし。まさか亡命をお認めになると?」
「まさか」とジェームズ1世は手を振った。「だが現状ではそう思われても仕方がない」と語る顔には苦悩の色が見て取れる。今更知らぬ存ぜぬを押し通すことも出来ない。何れ王太子の存在は他国に伝わるだろう。その時になって「アルビオンは何も知りませんでした、無関係です」という子供の言い訳が通用するわけがない。ましてや相手は仮にもハノーヴァーの王太子だ。着の身着のままで放り出すわけにも行かない。ジェームズ1世は苦々しげに顔をしかめながら「我らは『善意の第三者』ではいられなくなったというわけだ」と吐き捨てた。望むと望まざるとに関わらず、我がアルビオンは招かれざる客によって舞台の上に引き上げられたのだ。内心腹が煮え繰りかえっているのだろう。憮然とした表情の兄に対して、ヘンリーは至極当然の懸念を口にした。
「しかし如何なさるおつもりで?今下手に動けばアルビオンが王太子を唆したという疑いをかけられませんか」
「今ウィリアム(モード大公)に王太子に政治的亡命の意向があるのかどうかを確かめさせている。だが現状のまま王太子を匿い続ければ、貴様の言う通り痛くない腹を探られるだろう。王太子の存在が他国や、当事者であるハノーヴァーやザクセンに洩れればそれまでだ。そして時間が経てば経つほど王太子の秘匿は困難になる」
ジェームズ1世の言う通り、王太子の秘匿は時間が経てば経つほど難しくなるだろう。逆に言えばアルビオンが行動を起こすとすればその時間は限られているということだ。老練なるパーマストン子爵がそれに気が付かないはずがない。
「パーマストン子爵(外相)がハノーヴァーとザクセン両国の駐在大使を呼び出して事情を説明させている」
「ザクセンも、ですか?」
意外そうに首を傾げるヘンリー。王太子と伯爵令嬢なら前者に優先順位があるのは誰にでもわかる。だが何れザクセン側にも事情を説明する必要があるとはいえ、同時に呼び出す必要はないはずだ。それにハノーヴァーからすればザクセンに身内の、しかも王太子の恥を晒すことに他ならない。わざわざアルビオンがハノーヴァーから恨みを買うリスクを背負う必要があるのか?ヘンリーの懸念に「お前の言うことも一理ある」という前置きをしてからジェームズ1世はその理由を話し始めた。
「仮にハノーヴァー大使だけに事情を説明した場合、ザクセンはそれをどう受け取るかということだ。自分達が気が付いた時、すでにハノーヴァーが事態の収拾に乗り出しているとすれば、あのザクセン人がそれをどう思うか」
「面白くないでしょうね。しかしそれとこれとは」
「同じ事だ。これはハノーヴァー国内だけの問題ではない・・・件の伯爵令嬢を何とかすれば『伯爵令嬢失踪』で片付かないこともないだろうが、それは当事者のクリスチャン王太子が認めないだろう。ザクセン人なら迷わずそうするだろうが、我らはあの野蛮人とは違うのだ」
件の伯爵令嬢がザクセン王国外務省の伝令官であった事は既に調べがついている。辞表を出したという当人の話だが、それが受理されたかどうかは不明だ(まさかザクセン外務省に照会するわけにもいかない)。そんなことをすればザクセンとアルビオンの間の新たな国際問題に発展する恐れもある。
「これはザクセンとハノーヴァー、そしてアルビオンの国際問題なのだ。事態解決のために重要なのは三者の関係と意思の統一。意思の統一に関してはそう難しい話ではない。ハノーヴァーは無論のこと、ザクセンとて名誉な話ではない。事態を表ざたにせず解決したいと思うだろう。障害となるのはザクセンとハノーヴァーの関係だ」
「東フランク崩壊以来の宿敵ですからね」
ヘンリーの言葉に頷くジェームズ1世。ウィリアムがプリマスでクリスチャン王太子を確保したという一報を受けて以降、パーマストン子爵と額をつき合わせ稔密に打ち合わせを重ねたはずだ。流石のヘンリーもここで軽口を挟むような命知らずの真似はしない。
「両国の間には信頼関係など存在しない。あるのは長年積み重なった不信と疑惑だけだ・・・そこにあの王太子だ。どうなるかは火を見るより明らかだろう」
「また戦争というわけですか」
「私は平和主義者ではないが、戦争が好きなわけでもない。大陸で戦争するのは勝手だが、それではアルビオンが戦争の原因だと批判される恐れがある。それだけは避けなければならない」
ヘンリーは突然「そうか」と短く叫んで膝を打った。
「そういうことだ。どちらにしろ両国に伝える段階でそれぞれの『お相手』に触れざるを得ない。だが両者の大使をそれぞれ別個に呼び出せば、互いに相手がアルビオンと組んでいるのではないかという疑念を生じさせるだろう」
「あえてこちらの手の内を両者に、それも同時に晒すことで事態収拾と解決の責任を押し付けるわけですね」
「そうなれば両国とも無用な腹の探りあいに時間を費やす暇などない。アルビオンと言う立会人の前でザクセンとハノーヴァーは互いの恥を共有するわけだ。恥の上塗りは避けたいと思うだろう。そして事態解決のためには手を組まざるを得ないという事実を受け入れざるを得なくなる」
アルビオンは怨まれるかもしれないが、それでもザクセン・ハノーヴァーの戦争の責任者と名指しされるよりもいいというわけか。ヘンリーは思わずうなった。自分はハノーヴァーやザクセンから恨まれるのを避けたいという事しか頭になかったが、パーマストン子爵はあえて恨まれようとも事態解決の責任を両国に背負わせ、その言質を取ろうというのか。子爵や兄の深謀遠慮に比べると、自分の考えの何と浅いことか。それを実行に移すだけ老練なる外交官の子爵がいて、目的のためには嫌われることを恐れないジェームズ1世が国王として鎮座しているからこそ出来ることだ。ヘンリーは自分を恥じ入りながら、感心したように言った。
「なるほど、三方一両損というわけですね」
「さん・ぽー・いっちりょーぞーん?何だそれは」
「え?えーと、えー・・・あ、あれです。3人で揉めた場合に上手い解決手段を見出したということです」
「・・・貴様は妙な知識があるな」
感心しながら呆れた視線を弟に送ってから、ジェームズ1世はじろりとヘンリーを見据えた。こちらに迫りくるような鋭い眼光に、根が小心者のヘンリーは慌てて居住まいを正す。風貌といい口調といい、最近この兄は亡くなった親父の先王エドワード12世にますます似てきた。外見的なものもそうだが、内面的なものもだ。親父の場合はある程度「話の分かる」ところもあったが、ジェームズ1世の場合は真面目一直線。父親譲りの自負心(プライド)が強い性格が、頑固で融通の利かないという長所であり欠点にも繋がっている。そんな腰の据わった兄がいるからこそ、自分も好き勝手出来るというものだが。ヘンリーがそんなことを考えていると、アルビオン王である兄はようやく本題を切り出した。
「貴様を呼び出したのは他でもない。実は-」
*
「と言うわけで明日からトリステインに行くことになった」
「・・・どういうわけなのよ」
ハヴィランド宮殿内のカンバーランド公爵夫妻の居住地であるチャールストン離宮。その寝室でヘンリーは自身のトリステイン行きをキャサリンに告げていた。当然これでは何がなんだかわからない。頭痛のする頭をおさえながらキャサリンは事情の説明を求めた。
「件のロミオとジュリエットだよ。ロミオにはお相手がいたそうだ」
「・・・あの噂って本当だったの?」
「そういうことらしい。外務省が調べたところでは、クリスチャン王太子とマリアンヌ王女の婚約は、まだ交渉の段階だったが事実としてあったようだ」
ベーメン女王エリザベート8世の即位25周年園遊会におけるトリステイン王女マリアンヌとハノーヴァーのクリスチャン王太子との会談は、参加各国の王族や大使の注目を集めた。ラグドリアン戦役においてハノーヴァー王国がトリステインの援軍要請を拒否し、ガリア寄りの中立をとって以来、両国の関係は冷え込んでいたからだ。公の場での二人の会談は、両国の関係改善に向けた対外的なメッセージとザクセン王国への牽制と受け止められたが、一部の気の早い、特に噂話が好きな宮廷雀の間では早速二人の関係が噂されることになった。しかし次期トリステイン女王とハノーヴァー王太子では現実問題としてハードルが高すぎるために無理であろうというのが大方の見方であり、むしろグスタフ・アドルフ殿下(ヴェステルボッテン公爵)やカール・フィリップ(セーデルマーランド公爵)といったクリスチャン王太子の弟を王配として迎えるつもりではないかというのが関係筋の一致した見方であった。
それはアルビオンも同じであった。だがクリスチャン王太子の身柄を預かるような格好になったアルビオンの外務省にはこの噂の真偽を確かめる必要が出来た。噂であれば何の問題もないが、事実であるならばトリステインの面目を同盟関係にあるアルビオンがつぶす格好になる。そして駐在トリステイン大使のチャールズ・タウンゼントが調べた結果、例の噂が事実であることを突き止めたというわけだ。そうした事情をヘンリーから聞かされたキャサリンは軽く首をかしげた。
「変な話ね。ヴェステルボッテン公爵やセーデルマーランド公爵がいるのに、わざわざハードルの高い王太子を選ぶなんて。トリステインは何を考えているのかしら」
「トリステインにはトリステインの考えがあったんだろう」
「でも何故貴方なの?タウンゼント大使から伝えさせればいい話じゃない」
「それは『外交的配慮』ってやつだよ。クリスチャン王太子の件を伝えるだけなら大使でも事足りるけど、それ以上の噂の域を出ない話をするとなると大使では荷が重い」
トリステイン国内においてアルビオンの国家主権を代表する大使が、噂でしかない内容を前提に話すのは難しい。その点王弟の自分ならアルビオンの公式な役職にはついていないためそうした問題は発生しない。また現状では王位継承権第1位である王弟を派遣することでアルビオンのこの問題に対する認識をトリステイン側に伝えることにもなる-ヘンリーが自身を選んだ兄の意向を話すのを聞きながら、キャサリンはその背後にあの出目金外相ことパーマストン子爵の意向を感じていた。何せ自分の夫であるこの男は根っからの小心者。脇が甘いくせに自己保身に関しては天下一品だ。ジェームズ1世=パーマストン子爵はヘンリーならばトリステイン側に言質を与えるようなヘマはしないだろうと考えたのだろう。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか-キャサリンは悩みながら尋ねた。
「船はどうするの?空軍に船を出してもらうつもり」
「いや、あくまでラグドリアン湖畔への避暑という私的な旅行だからそれは出来ない。今シュバルト商会の交易船がカンタベリー港に来ている。アルベルタ(シュバルト商会アルビオン総支配人)に頼んで乗船させてもらうつもり・・・な、なんだよ」
突如それまでの雰囲気をがらりと変えた妻に、ヘンリーは思わず舌を噛みかけた。
「へー・・・ラグドリアン湖畔にねー」
「あッ」
ニブチンのヘンリーもさすがに気が付いた。昨年のラグドリアン講和会議。観光に来たわけではないがそこは旅先。目の前にはアルビオンではめったにお目にかかれないタルブワイン。そして絶好のロケーションという3拍子。飲んで酔って、衆人環視のもとでやってしまった「きゃっはうふふ」。思い出すだけでも顔から火が出そうになる。熱くなった顔を一瞬左手で押させたヘンリーは、すぐさま両手を胸の前で降り始めた。
「あ、あれは謝ったじゃないか。ほ、ほら、過ぎたことを気にしてもしょうがないって!」
「そうね。過ぎたことよね」
「そ、そうだ!人間は前を向いて生きていくべきだよ!うん、そうなんだ!」
「過ぎ去った過去よね貴方にとっては。残念ながら私は克明に覚えているんだけどね」
藪蛇だ。顔から血の気が引く音を聞きながら、妻の顔を見つめる。ニコニコしながら首をちょこんと傾げる様はまるでお人形さんのようだが、ヘンリーには人形は人形でもチャ○キーにしか見えない。
「私は貴方と違って酔っている間でもその記憶は鮮明なの。どうしてかしらね?」
「しらんがな!」といいたいが、その度胸は今の彼にはない。「君だって楽しんでたじゃないか」といった瞬間、目に見えない剃刀で頭をモヒカンにされそうな気配を感じる。丸坊主ではなくモヒカンにしそうなのがキャサリンの恐ろしいところだ。内心のおびえをまるで隠しきれないヘンリーは、話題をそらそうと必死の抵抗を試みた。
「そ、そそういえば、君は前にこの婚約の噂を聞いた時に「上手くいくはずがない」と言ってなかったか?!」
声は完全に裏返っていたが、話題をそらすという目的は成功をみたようだ。絶対零度の微笑を浮かべていたキャサリンは「そうね」と表情を崩す。それを見逃すヘンリーではない。伊達に30年以上(前世を含む)夫婦生活を送っていたわけではない。「逃げの高志」の異名は伊達じゃない!と、かなり後ろ向きな考えながらも精神を再構築することに成功していた。
「確かにそう言ったわよ。まさか王太子がロミジュリするとは思わなかったけど」
「変な略語を作るなよ・・・でもまあそうだよな。冷静に考えれば上手くいくはずないよな。まだラグドリアン戦争から2年しか経っていないんだ。トリステイン国内の世論がハノーヴァーから王配を迎えることでまとまるはずがないんだよな」
「そう、貴方の言うとおりね」
妙に素直になったキャサリンの態度を訝しがりながらも、矛先をかわしてほっとしたヘンリーはそれ以上突っ込むことはなかった。小机の上に置かれたシガーケースを手にとり「煙草を吸ってくる」と断ってから立ち上がる。再びチャ○キーキャサリンに相対するだけの精神力は彼には残っていなかった。そのため自分の後姿を見つめる彼女の表情に気が付くことはなかったし、その言葉がヘンリーの耳に届くこともなかった。
「そう、上手くいくはずがないのよ」
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(アルビオン王国南部 シティオブサウスゴータ サウスゴータ太守邸宅)
浮遊大陸アルビオンは始祖ブリミルが始めてハルケギニアに降臨した土地であるとされる。場所には諸説あれども、ブリミル歴3100年に時の教皇ウルバヌス1世がアルビオン中南部のサウスゴータ地方を「始祖降臨の地」と定めて以降、サウスゴータはブリミル教徒にとってロマリア市の聖フォルサテ大聖堂に次ぐ聖地となった。サウスゴータ地方の中心都市であるサウスゴータ市(シティオブサウスゴータ)には始祖ブリミルの降臨祭や休耕期間に合わせて、アルビオン国内のみならずハルケギニア大陸から人が詰め掛ける。熱心な教徒だけではなく観光客も合わせると、その数は年間で優に100万を数えるという。住人の多くは農業や漁業といった第一次産業ではなく観光業やそれに関連する仕事で生計を立てている。政治意識が高い自営業者たちは市議会を通じてサウスゴータ地方を治める大守-サウスゴータ侯爵家に対して意見を述べ始めた。今では市行政の司法や軍事警察権を除くほとんどを市議会-有力な平民が実権を握っている。歴代の太守(侯爵家当主)も観光行政に関しては民間に任せていたほうが上手くいくことを知っていたため、それを追認した(サウスゴータ「太守」である侯爵家は市以外のサウスゴータ地方の町や農村に関しては実質的な領主として振舞っている)。
サウスゴータ市街地は五芒星形の大通りで区切られており、その中心にあるのがサウスゴータ太守の邸宅だ。王弟であるモード大公ウィリアム殿下が静養のために太守の屋敷に滞在されていることは既に発表で知っていたが、サウスゴータ市民はそれに違和感を抱いた。モード大公家の当主が毎年サウスゴータで静養される時と比べると、今回の警護体制は比べ物にならないほど強化されていたからだ。太守の屋敷に勤めるものに尋ねても、一部の者は貝のように口を閉ざし、それ以外の者は「上からの命令だから」と困惑気に答えるだけであった。
モード大公ウィリアム・テューダーは、屋敷の最上階に用意された貴賓室の窓からシティオブサウスゴータの市街地を見下ろしながら、疲れたように息を吐いた。その様子はハヴィランド宮殿の執務室で政務の杖を振るう彼の長兄と瓜二つであったのだが、それを指摘するものはここにはいない。
「お疲れのご様子で」
「これで気疲れしない猛者がいればお目にかかりたいよ」
「そして顔を杖で殴り飛ばしてやる」というウィリアムに、サウスゴータ太守のチャールズ・エドワード・オブ・サウスゴータ侯爵はその硬い表情を崩さないままであった。モード大公領の家政相談役でもあるこの侯爵はおべんちゃらやお世辞はもとより、相手に話を合わせてご機嫌を伺うような真似は天地がひっくり返ってもしない性格だ。ウィリアムはそうした実直で諫言を厭わない侯爵の性格を好んでいたが、今はそれがわずらわしく感じる。沈黙を不安と取ったのか、サウスゴータ侯爵は警備の体制について触れた。
「ご安心を。我が愚息のトマス・エドワードを責任者に、王太子殿下のお世話をさせる者には口の堅いものをそろえています。我が侯爵家内部から情報が洩れることはありません」
「あのご令嬢とフレデリックを同じ部屋にすればいいんじゃないか?」
「殿下」
サウスゴータ侯爵は困った事を仰るといわんばかりに眉をひそめた。代々モード大公家の家政相談役を務めてきた侯爵家の当主として、若い大公家当主に換言することこそが自分の役割と心得ているサウスゴータ侯爵には今の発言は看過出来るものではない。ハノーヴァーの王太子との情におぼれ、アルビオン全体の置かれた政治に危険な環境を軽視したものに聞こえたからだ。
「我らとて好き好んで好きあう男女を引き離しているわけではございません。ですがあのお二人がただの男女ではないことは、他ならぬ殿下がよくご存知のはずです。お二方の私的な『ご関係』についてはこの老人の理解が及ぶところではありませんが、フレデリック・クリスチャン・オルデンブルグ=ハノーヴァーがハノーヴァー王国の王太子であるということはわかります」
ウィリアムは渋い表情のまま侯爵の話を聞いていた。既に外務省の職員から何度も聞かされた内容だ。聞きたくないと耳をふさぐことは容易だが、それはアルビオン王家に繋がる大公家当主としてのあるべき姿ではないという思いがそれを止まらせていた。
「ゾフィー・ホテク嬢に至ってはザクセン外務省の職員だという話ではないですか。移ろいやすい男女の関係よりも、誰の目にも明らかな両国の歴史と現在の両国関係を配慮するのは当然のことです」
「それは解る。解るんだ。しかしな侯爵」
「お二人には毎日の面会時間を設けております。これ以上の配慮を求めるというのであれば、我が侯爵家は警護と警備に対する責任をもてません」
ウィリアムは侯爵に背を向けた。既に日は沈みかけ、町全体が赤く染まり始めているのが見える。太守の屋敷から真っ直ぐに伸びる大通りに行きかう人々は皆家路を急いでいた。それを見ながらウィリアムは「そんなことはわかっているさ」と呟いた。
「わかっているんだそれは。侯爵の言う通りだ」
「ならば」
「だが好きな女に刺されて死ぬというのなら、あいつも本望だと思わないか?」
思いもがけない内容に、サウスゴータ侯爵は思わず反論するのを忘れて目を丸くした。ウィリアムはそのまま独り言とも愚痴ともつかぬ言葉を続ける。
「王冠をかけた恋、か」
件の伯爵令嬢ともウィリアムは対面している。ゾフィー・ホテク嬢の容貌はよく言っても十人並、悪く言えば大して優れたところのない普通の貴族のお嬢様の顔立ちだ。あのフレデリックが国を捨て、次期国王の座を投げ打ってまで選んだ女性だ。絶世の美女とまではいわなくてももう少し垢抜けた女性をウィリアムは想像していたし、拍子抜けしなかったと聞かれれば嘘になる。ただわずかの時間話しただけだが、芯の強さを感じた。言葉の端々に感じられた知性はそこからくるものであろう。知性は知識の多寡とは関係のないものだ。フレデリックはそこに惚れたのか。
-自分には出来ないな
一人の女性の為に王族としての地位や責任、そして義務といった自分に関係する全てをなげうつことが出来るか?単純に自分に当てはめて考える事が何の意味もないことは十分承知していたが、そのことについて考えが及ぶのはある意味自然なことであろう。おそらく自分は、口では王族としての義務や大公領民に対する責任といいながら、結局はその座を失いたくがないために妻であるエリザより「モード大公ウィリアム・テューダー」であることを選ぶだろう。ウィリアムはそのことに思い至り、そしてそれを大した葛藤もなく受け入れることの出来た自分自身に驚いた。エリザを愛していないわけではない。それは断言できる。だが自分のものはあくまで理性での、頭で考えたものだ。フレデリックのように、全てを投げ打ってまで求める狂おしいまでの何かが自分の中にあるとは到底思えない。
フレデリック・クリスチャン・オルデンブルグ=ハノーヴァーと、ウィリアム・テューダーの違いだといえばそれまでだ。しかし共に王族として、民と貴族の上に君臨する存在として育てられてきたウィリアムにはどうしてもフレデリックの行動が理解できなかった。フレデリックはハノーヴァーの次期国王。責任や重圧感というものは三男という気楽な自分とは比べ物にならなかったはずだ。だがそれは同時に、望むのであれば自由以外のありとあらゆるものを与えられる環境でもある。そんな制限された温室で育てられた彼が何故、このような馬鹿な行動をとることが出来たのか。いったい何が君をそこまで突き動かしたのか。
ロンディニウムからは亡命の意向を確かめるようにという命令が来ていたが、どちらにしろあの兄がこんな理由での亡命を認めるはずがない。何れフレデリックは母国に強制送還されるだろう。これだけの事をしでかしたのだ。王族であろうとも罰は免れまい。いや王族だからこそ免れないだろう。それを考えてみると今こうして彼と同じ屋敷にいることが奇跡のようにも思える。
「-一度訊いてみるか」
「は?今何と」
ウィリアムの心の中に僅かな悪戯心にも似た感情が芽生えた。