業火が、舞っていた。
夜だと言うのに、海賊の侵攻を受けた街は昼間のように明るかった。
悲鳴が、響いていた。
家屋は破壊され、草木は燃え尽き、海賊が逃げ惑う人々から容赦無く身ぐるみを剥いでいた。
東の海に位置する、平穏だった街に突如として現れた海賊は、無慈悲にもその平穏を奪い取る。
阿鼻叫喚、地獄絵図。
そんな言葉がピッタリ当て嵌まる状況だった。
まあ、今のこのご時勢には、別段珍しくはない。
二十年前、あの海賊王が処刑されたあの日から、「そういう事」が頻発する時代になってしまったのだから。
「おかあさぁん……………どこぉ………?」
助けを求める少女の声すら虚しい。
まだ十にも満たぬ年頃であろうか、着の身着のまま逃げ出して来た彼女の顔は、泣いていた。
幼さ故に、まだ現実を受け入れ切れないといった風情だった。
「返事してよぉ…………わたしをひとりにしないでよぉ…………」
泣きじゃくる。
ただ、泣きじゃくる。
既に将来の美貌を予感させる顔立ちをくしゃくしゃに歪め、紅蓮に燃える街の中で涙を流す。
「へへへ、おい見ろよ」
「うほぅ、中々の上玉じゃねぇか」
そんな少女に近付く影が二つ。
この街を襲い、火をかけた海賊団の一味だ。
二人共が、鍛え抜かれ並外れた巨体を誇っている。
片方は傷有り三白眼。
また片方はスキンヘッドに眼帯と、世間一般の「海賊」を体現したような存在だった。
そんな彼らの手には、鈍く光る一つの手錠。
野卑な視線の先には、怯えに震えて男達を見つめる少女がいる。
「まだガキだが…………まあいい。女なら、どんなんでも買ってくれる街があるんだ」
ジャラリ、と手錠が音を立てる。
捕獲し、売り飛ばす。
彼らの船長は、別に構わないと言った。
だったら、やる事は一つだろう。
人身売買は金になる。
ましてやこのご時勢、奴隷の素性など一々売手も買手も詮索したりはしないのだ。
「悪ぃな嬢ちゃん。運がなかったと思って、諦めてくれ」
一歩ずつ、男が少女に近寄る。
少女は、動けない。
未だかつて体験した事のない現実に、思考が追い付いていないのだ。
だが、一つだけ。
ただ一つだけ、本能で理解していた事がある。
「い、イヤ………………来ないで…………!」
このままだと、何か恐ろしい事になると。
何も手を打たなければ、逃げ出さなければ、取り返しのつかないほど恐ろしい事になると。
しかし、分かってはいても。
まだ十にも満たない身体では、到底無理な話だった。
「イヤ…………っ! ……………誰かっ………!」
下半身の神経が麻痺したかのように、力が入らない。
自分のものとは思えないほど、身体が言う事を聞かない。
腰が抜ける。足が崩れる。
尻越しに感じる草の感触が、この世の物とは思えぬほどに遠い。
「パパ……………ママ…………っ!」
「へっ、無駄な抵抗はやめな。叫んだって誰も来ねぇよ」
そう、今海賊達の襲撃を受けているこの街は、地理的にも海軍支部から遠く離れた場所にある。
故に海軍が駆け付けたとしても、その頃は既に海賊達は船の上。
酒に酔い、戦利品などを皆で分け合っている―――――
「さあ、大人しく捕ま―――――」
―――――筈であった。
「ぎ、ぎゃああああぁぁぁぁっ!!」
悲鳴を上げたのは、海賊の方。
手錠を持っていた両の腕の、肘から先が無くなっていた。
否、正確には「斬り落とされていた」。
「だ、誰だ!?」
無事な方の海賊が、虚空に向けて吠える。
彼の目に映ったのは、血溜まりと化していく男の足元、そこに転がる両腕、握られた手錠―――――そして、鮮血を反射して一瞬だけ煌めいた「細い長い何か」だった。
「ハッ、テメェらなんぞに話す筋合いはねェよ、このカスが」
淡々と、この場には似つかわしくない程静かな声が聞こえた。
ひどく透き通り、それでいて澄んだ音色。
年の頃は二十を越えるか否か、と言ったところだろう。
炎の中から姿を現した声の主は、その声と同じく一見して性別が判断出来ない。
赤に照らされているというのに、本来の色と美しさを失わない長い黒髪。
周囲に燃える業火よりも尚深い、朱色に輝く瞳。
首筋から覗く肌は絹もかくやという程滑らかで、顔立ちはまるで精巧な人形のような印象を与える。
身に纏うのも恐ろしく高級そうな絹様の衣服で、紅と黒の色調がその人物の美しさを際立たせていた。
「ったく、何で休暇中にこんな事せにゃならんのか……………」
しかしその容貌・声とは裏腹に、俗っぽい言葉を漏らした。
完璧なフォルムを持つ唇から、大きなため息が吐き出される。
切れ長の眼が、いかにも面倒臭そうな雰囲気を醸し出していた。
「まあ、運が悪いのは今に始まった事じゃないか」
言って、茫然自失といった表情で座り込んでいた少女に歩み寄る。
「事のついでだ。助けてやるから、一生感謝しろよ?」
ポン、と少女の頭を軽く叩く。
ビクッ、と震えた少女であったが、どうやらこの人物が自分に害を与える存在ではないと認識したのか、それは一瞬の事だった。
「おねぇ、ちゃん………………?」
「残念。おれは男だ」
ニッ、と犬歯を見せて笑った後、「彼」は海賊の二人組へと向き直る。
一転、「彼」は笑みの種類を変えた。
微かに開いた口がサメを連想させる、取って喰われそうな笑みだった。
「何をしたかは知らねェが、おれ達の邪魔をした以上、テメェを生かしておく訳にはいかねェなぁ!!」
「口が臭いぜ。喧しいから口を開くなよ、この汚らしい低能のサル共が」
口を開けば馬罵雑言の嵐。
麗しい容姿からは想像も出来ない程口の悪い男だった。
案の定、今まで浴びた事のない罵声を浴びせられた海賊達は、
「フザケやがって…………!! おい、いつまで痛がってんだ! やっちまうぞ!!」
「畜生………! 畜生畜生畜生っ!! よくもおれの腕をっ!!」
顔を怒りに染め上げ、青年に飛び掛かる。
無事な方は、その手に剣を握っていた。
決して切れ味が良いとは言えないが、細身の、加えて丸腰の青年を傷付けるには十分な殺傷力を有していた。
今にも襲い掛からんとする二つの暴力。
対し、向けられた青年は、その表情を変える事なく笑みを浮かべている。
凶刃が肉に食い込む刹那――――――青年は、黒手袋に包まれた右腕を振り上げた。
たった、それだけの動作。
一見すると何の意味もない無駄な動きだった―――――それ故に、端から見ていた少女が、思わず息を呑む。
華奢と言っても過言ではない青年の身体では、とても海賊相手に勝つ事は出来ない。
幼いながらにそう判断したのか、少女は目を閉じた。
せめて、この美しい青年が壊される所を見ないようにと。
しかし、しかしだ―――――いつまで待とうと、予想した悲鳴は訪れなかった。
代わりに聞こえたのは、ヒウン、そしてヒュパッという空を裂くように唸る鋭い音。
「………………?」
恐る恐る、目を開ける。
少女の開けた視界に飛び込んで来た光景は、
「やれやれ、やっと静かになりやがったか」
傷一つ負わずに佇んでいる青年と、
「…………………!!」
全身から血を流して倒れている海賊達の姿だった。
まるで鋭利な刃物で斬られたかのように、身体中に無数の裂傷が刻まれている。
ヒクヒクと痙攣している事から、まだ生きてはいるのだろうが―――――幼い少女には、それは理解出来ない事だった。
そんな光景を瞬き一つせずに見つめる青年は、振り上げていた右腕で何かを引っ張るような仕種をする。
ヒウン、と音を立てて、鮮血を滴らせて煌めく細長い物体が彼の手袋に回収された。
糸。
それは、鍛えた人間であろうとも目にする事すら難しい程細い、長大な糸だった。
単純に糸を使って戦闘を行うと言っても、それは並大抵の人間に出来る動作ではない。
言葉で言う程簡単でもない。
張り巡らした糸の一本一本の位置と張力を把握・調整し、それに触れる物と触れない物を認識し、さらにそれを指先で操る。
才能があったとしても、努力しただけでは習得しえない戦闘方法。
美しい華には棘がある、とはよく言ったものだ。
この世にも美しい青年は、油断して近付く敵を、容赦無くかつ気付かれぬ程速く切り刻む程の危険さも合わせ持っていた。
「あー、あー、こちらレナード。支部、聞こえてるか?」
『こちら第九十二支部。レナード少佐ですね、どうされました?』
呆然と青年を見つめる事しか出来ない少女の視線も意に介さず、彼は懐から取り出した電伝虫で通信を始める。
「おい、休暇で来てみりゃ襲撃を受けてるってのはどういうこった!? 確かに海兵は戦ってなんぼだけどよ、たまの休みに何で仕事しなきゃならんのだ!? 情報管理がずさんなんじゃねぇのか!? 何とか言え通信兵!」
「も、申し訳ありません!」
怒りの動機は個人的な事だったが、言ってる事は正しい上に上官に反論する訳にもいかず、名も無き一般兵はとりあえず謝る。
「大体よぉ、いくらおれが本部から出向してきたからって、お前ら頼り過ぎだ! 寄生虫じゃあるまいし、少しは自分で考えて動け! そんなんだから、高々三百万ベリーの賞金首を逃がしたりするんだよ!」
『か、返す言葉もございません!!』
今回の一件で溜まっていたフラストレーションを爆発させたのか、青年はこめかみに青筋を浮かべて電伝虫に怒鳴る。
電伝虫の怯えたような表情が、通信相手の表情を連想させていた。
「……………まあ、運が悪いのは今に始まった事じゃねぇし、今回だけは見逃してやる。でもな、次は・・・・・・・・分かるな?」
『し、承知いたしました、サー!! 即刻、軍艦を手配いたします!!』
「よし、それでいい」
言って、青年は通信を切ると、心ここにあらずといった表情の少女に歩み寄る。
どんなに口が悪かろうと、他者を圧倒するほどの戦闘技能を持っていようと、その眼差しは幼い子供を優しく見守る兄の様な眼だった。
「お嬢ちゃん、もう少し辛抱しときな」
口調は乱暴でも、青年の優しさが見て取れる言葉。
そんな不思議な雰囲気に触発されたのか、
「おにいちゃん・・・・・・・・・・・おなまえは?」
少女は、気付けばこんな言葉を口にしていた。
その言葉を認識した青年は、一瞬だけ驚いたように眼を僅かに見開いた後、
「・・・・・・・・・・レナード。ヴィルヘルム・レナードだ」
その顔に荒々しい笑みを浮かべ、そう言い放った。
数時間後、この東の海のとある島を襲った海賊団は、たった一人の海兵によって壊滅させられる事になる。
九百万ベリーの懸賞金が掛けられた船長は、海軍に捕らえられた時には既に意識は無かったという。
――――――そして、それを討ち取った海兵の名を、レナードという。
海軍本部少佐、「死線<デッドライン>」の異名を取る、ヴィルヘルム・レナードである。
あとがき
どうもはじめまして、そしてお久しぶりの人もいらっしゃるかもしれませんが。
今回、自分の文章力を向上させる為、このサイトに投稿させていただきました。
試験的にではありますが、この作品は私のサイトにも掲載しておりますので、一応ご報告を。
それでは、厳しい指摘でも構いませんので、感想をお待ちしております。