東の海、海軍第九十二支部。
比較的大きな島にある港街の傍に、その巨大な建造物はあった。
初めてこの場所を訪れた者がいたならば、まずはその外見に気圧される者もいるかもしれない。
外壁を無骨な鋼鉄で固め、その隙間からは無数の砲塔が覗くその建物は、見る者を威圧するには十分だった。
要塞。
これが、この海軍基地を表した的確な表現だった。
「あ、何ですって?」
そんな基地の一室に響く声。
二十前後の男にしては少し高いソレは、補充要員という理由で本部から出向してきた海軍少佐、ヴィルヘルム・レナードの物である。
きっちりと黒いスーツに身を包み、その上には「正義」を背負った純白のコート。
言葉遣いは悪いが、立ち振る舞いだけなら本部少佐というのも頷ける格好だった。
そんな彼が聞き返した相手は、部屋に唯一ある机に座った一人の初老の男。
年齢と経験を感じさせる深い皺が刻まれたその男は、しかし青年の無礼な対応に気を悪くした風も無く、無表情に近い顔つきで言った。
「休暇を与える、と言ったのだ。レナード少佐」
外見通りの、低いしわがれ声。
その言葉の意味を理解したのか、面倒臭そうに顔を歪めていた青年は、今度はその表情を少し怪訝そうに歪め、
「いや、それ自体は凄く嬉しいんでありますが・・・・・・・・何故ワタクシに?」
「この間の埋め合わせだ。アレはこちらの落ち度でもあるのでな・・・・・・・・・・・・どうした」
「いえ、初めて見た海軍の殊勝さに驚いているのであります」
仮にも上官の前だというのに、この物言い。
お前本当に海軍かと問い詰めたくなるような言葉だが、事実彼がこのような救済じみた措置を味わったのは初めてであるから、まあ仕方が無いとも言えるだろう。
内心は相当に嬉しがっているのだが、表面上には目を丸くして驚いている青年の様子しか見えなかった。
「では、レナード少佐。君の休暇期間は三日間だ。ゆっくりと身体を休めるように」
「了解いたしました、中佐」
敬礼一つ、レナードはコートの裾を翻して中佐の部屋を後にした。
「いざ休暇っていっても・・・・・・・・・・・・どうしたもんかね」
困り物である。何せ考えもしていなかったのである、予定もクソもあったもんじゃない。
このまま自宅でゴロゴロしていてもいいが、まだ十九歳のレナードが取るべき選択肢ではないだろう。
前の休暇が海賊のせいでおじゃんになったのだ、その際の予定を繰り返す事も考えたが、あの島は今復旧作業中。気軽に立ち入れるような場所でもない。
こうしてみると、人間自由にしていいと言われると、途端に何をしていいか分からなくなる物である。
いや、これは人によるかもしれないが。
となると、
「小型艇でも借りて、ブラブラすっか」
そういう事になった。
さて、思い立ったが吉日。
一人乗りの小型艇に乗り、レナードは東の海の北西部を航海していた。
風が、彼の長めの黒髪を靡かせる。
雲は白く、波も正常。天気はこれ以上ないと言っていい位に晴れやかだった。
日差しは絶妙な暖かさで、つい真下の海に飛び込みたくなってしまう。
流石に底も見えないような海に飛び込む趣味は、レナードにはないが。
しかし休暇という事で海に出た割には、レナードには目的は無い。
こういう時、自分くらいの年頃の若者なら、買い物だったり恋人と遊んだりするのだろうが、生憎とレナードにそういった相手はいない。
そういう事に興味が無い訳ではないが、時間が取れないと言った方が正しいか。
「・・・・・・・・・・ん?」
そこまで考えた所で、視界の端に黒い影が映った。
水平線の彼方まで広がる青、そこにぽつねんと浮かぶ小さい―――――船だろう、アレは。
大きさ、帆、形状から判断して恐らくは商船。
それが、
「―――――あ」
どこからともなく飛来した砲弾に、貫かれた。
海を揺らす衝撃、立ち上る黒煙と赤い炎。
「支部、聞こえるか? こちらレナード。大至急、救助船を用意しろ」
こういう時、海兵には迅速な対応が求められる。
躊躇は、人命を危める事になるのだ。
故に、少佐階級のレナードは対応が早かった。
本当ならば自分で救助するのが一番なのだろうが、一人で出来る事などたがが知れている。
ならば、先の襲撃で一から鍛えなおした救助隊に任せるのがこの場では最善策だろう。
それよりも今彼がすべき事は、
「ド畜生が・・・・・・・・・休暇中なんだけど、おれ」
性分という物は悲しいものである。
しかし海軍本部少佐は伊達ではなく、レナードの目は、砲弾が飛んで来た方向を瞬時に逆算していた。
距離的にはそう遠くはない。
大砲の射程などたかが知れているし、目に見えない位置からの狙撃などは常識的に不可能だ。
そう考えつつ、彼は商船を襲った何者かの船を捜している。
―――――していた、のだが。
「オイオイ、おれァ夢でも見てんのか・・・・・・・・・・?」
目を擦る。
が、鍛えられ、眼鏡も必要としないほど優秀な彼の視覚は、目の前の光景が事実である事を律儀に訴えていた。
白い帆の浮かぶ、大きなカモメ。その下に書かれた、「MARINE」の文字。
軍艦だった。
それも、海軍の。
「正気か・・・・・・・・? 何で商船を―――――」
見間違いという事はない。アレは、確かに商船だった。
海賊が乗っていたという可能性はあったにせよ、法と秩序を守るべき海軍がこのような過激な行いをしていい筈がない。
そんな事をするのは、徹底的に滅ぼす必要のある「悪」を相手にした時のみだ。
「何考えてやがる、あの船・・・・・・・・・」
呟きつつ、レナードはその船――――――第十六支部と書かれた軍艦に、舵を向けた。
「ふふん、いい気味だ。私たちに非協力的な態度を取るから、こうなる」
軍艦の上で、第十六支部の司令官・ネズミ大佐は顔を歪めた。
「大体ね、商船に逃げ込めば攻撃されないとでも思ったのか? スパイ君」
チチチ、と独特の笑い方で、ネズミ大佐は嗤う。
今回の一件は、ひとえに目撃者の始末だ。
その者は海軍兵士であったのだが、何を考えたか基地から脱走したのだ。恐らく良心の呵責に押し潰されそうになったのだろう。
しかし、魚人海賊団との繋がり、これを知った外部の者は生かしていく訳にはいかない。
火の無い所に煙は立たない。火種は、消しておくに限るのだ。
正義や愛などという綺麗事では、世の中は渡ってはいけないのだ。
「さて、念の為にもう一度―――――」
「大佐! こちらに接近して来る小船があります!」
「何?」
万が一、あの商船に生き残りがいたら非常に不味い。
そう考え、指示を出そうとした所に部下の声が掛かる。
見れば、確かに一人乗りらしき小型艇がこちらに向かって来るではないか。
状態から見て、明らかにあの商船とは無関係。
となると―――――
「消せ」
「はっ? い、いえ、しかし・・・・・・・・・・・」
「聞こえなかったのか? 消せ」
目撃者は、消す。
そんな単純な思考回路。
確かに「殺す」という行為は後を引かなくていい。
死人は噛み付かないし、喋りもしないのだ。
―――――それが、組織の者でない限りは。
まあ、そんな事など露ほども知らない第十六支部の面々は、上官の命令に従うしかない。
やがて、再び大砲の轟音が轟いた。
「撃ちやがった・・・・・・・・・・!? 気でも狂ってんのか、テメェら!!」
さて、こちらは驚愕の表情をしつつ悪態をつくレナード。
だが、その両腕には既に黒の皮手袋がある。
一応予想と警戒はしていたようだ。
しっかりと向かって来る砲弾を見据え、その両手を半開き―――――
「っらぁぁぁっ!!」」
足を踏ん張り、思いっきり、左右に薙ぐ。
いくら本部の少佐であろうと、「鉄」の砲弾を切り落とすのは非常に厳しい。
出来るか、と問われれば答えはイエスだが、気軽に、と聞かれればノーだ。
ただ、今回は状況が状況。
撃墜しなければ、こちらが殺られる――――――!
「成功・・・・・・・・・・・・・って、まだあんのかよクソッタレ!!」
見れば第二、第三の砲弾が。しかも時間経過に比例して数が増えている。
殆どは逸れてくれるだろうが、何発かは直撃コース・・・・・・・・・!
「ええい、ままよ!」
叫び、今度は「斬る」ためではなく「落とす」ために糸を振るう。
まだ訓練段階の技だが、ここで使わずしていつ使うッ!
高速で、糸を編み込む。
縦に、横に、ナナメに、前に、後に。
さながら、それは、立体的な構造を持つクモの巣。
準備完了、後は、獲物が罠に掛かるのを待つのみ。
やがて、砲弾がクモの巣に飛来し―――――その全てが糸と接触、爆散した。
「おお、出来た・・・・・・・・・・・・・素敵、そんなおれを愛しちゃう」
って、そんな状況ではない。
すぐさまクモの巣を解いた彼は、懐の電伝虫のモードを「拡声」にすると、
「こちらは海軍本部少佐ヴィルヘルム・レナード! その軍艦、すぐに攻撃を停止せよ!」
と言い放った。
あとがき
少し展開に無理があったか・・・・・・・?