厨二症候群(ヒロイック・シンドローム)という病気がある。
主に思春期の少年少女が罹患する一種の精神疾患であり、その症状は自己の特別視。
時には輪廻の輪の中で因縁の戦いを繰り広げる転生戦士であり、時には日常の外側で日常を守るために怪異と戦う異能者であり、時には自らにも制御できぬ力を秘めた超越者であると信じ込む。
ぶっちゃけ、妄想である。
そうであったらと望む願望のレベルから、本気で信じ込む深刻なレベルまでその症例は幅広い。
眠るたびに同じ夢を見るんだと告げ、夢の中で異世界を救うために冒険の旅をしている続けば、この病気にかかっていると思っていい。
夢の話を聞くたびに、冒険の旅は進展する。仲間を救うために命を賭け、友と呼んだ相手に裏切られ、世界の命運を託されて異貌の神に挑む。
それが本当であれば、退屈な日常とは違う充実した冒険の日々だろう。
事実、夢の話をしてくれた彼は、夢に溺れるようにいつも眠っていた。
一度などは、命がけの戦いの最中であったと起こした同級生に殴りかかったくらいだ。
誰も、その話を信じる事は無く。次第にクラスの問題児として孤立していったのは当然の流れだったろう。
自分だって、話に耳を傾け頷き、相手にしてはいたが信じてはいなかったのだから。
正確に言えば、真偽に興味が無かったと言うべきだが。
「しかし、まさか。本当の事だったとは……」
「そんな事は、どうでもいいの。どうして、あんたが、あたしの姿なの!」
どこか渋い男らしい声が、女言葉でヒステリックに言葉を紡ぐ。
声の主は、声にふさわしい存在感たっぷりに長身で、量感たっぷりに筋肉のついた巨躯のごつい男だった。
岩を削りだして作ったような無骨な顔立ちのその男は、容姿に似合わぬ言葉遣いで小柄な少女の肩をつかんで揺さぶり糾弾する。
揺さぶられる少女は、男とは対極に小柄で華奢な体格の持ち主で、きめ細かな白い肌に極上の絹のように艶やかで滑らかな黒髪と、お姫様のように綺麗に整った顔立ちの美少女。それも、極上のと頭につけれるくらいの容姿の少女だった。
体格の差もあって、のしかかるようにして少女に迫る男の姿を知らない他人が見れば、少女を襲う野獣の図にも見えただろう。
肩をつかんで揺さぶりたてる男に、溜息をついて少女は迷惑そうにその顔を見上げる。
「現実逃避している暇も無いのか。で、そちらの中の人は誰?」
「倉本菜月よ。そういうあんたは、誰? どうして、あたしの姿をしているのよ」
「正確には、あたしが設定した容姿だろ? 鏡が無いから、顔はわからないが倉本さんの髪は肩までしかなかったはずだ」
それが、今ではこんなに長いと腰先まで伸びる髪を確認するようにひと房摘みあげて上目遣いに問う。
「それ、は……」
「この体の中の人は、安藤智也。ちなみに、そこで浜に打ち上げられたクラゲみたいになってる触手の中の人は……クラスでも美少女と評判だった朝霧翔子さん」
ついで、少女が指差した先には臓物のように生々しく、悪夢めいた触手の塊がどこまでも広がる白亜の大地にぺちゃりと力なく横たわる姿だった。
彼らが立つ大地は、磨きぬかれた白大理石のように滑らかで硬質の無機質な平面がどこまでも続き。彼方で大気に霞んで消えるまで何の変化も見せない空疎な世界。
純白の大地から空を見上げれば、雲ひとつ無く晴れ渡る蒼い空。しかしその空には、太陽すらも無くただ蒼い色彩が天を埋め尽くす。
蒼と白だけが彩る、生命の欠片も感じさせない空虚な世界に混乱も露な人影と異形が置き忘れられた人形のように、ぽつんと存在していた。
「つまり、俺と倉本さん以外にも転生させてあげると言われた人はいる。そして、転生に際して特典として希望する能力や容姿などももらえた。問題は、なぜか希望した当人と、与えられた人物が食い違ってる事だが……」
この展開はプレゼント交換のノリなんだろうなぁ……と、遠くを見るまなざしで空を見上げる。
気の抜けたその様子に、元少女の男は落ち着きを取り戻しておずおずと問いかける。
「えっと……。安藤君は、何を?」
「剣と魔法のファンタジーな世界へようこそ、と聞いてとりあえず意思疎通のためのテレパシー。身を守るためにサイコキネシスに、怪我や病気に対応するためのヒーリング能力」
いきなり異世界で言葉が通じるかどうか不安だしねと肩をすくめ。容姿も現地の住人に合わせて違和感無いようにしてもらうべきだったかと、間違いに気づいたかのように小さく呟く。
「確認するけど、いきなりこの白い世界に呼ばれて、希望込みで剣と魔法の世界にご招待って……」
「同じだね。まあ、まさかあいつの夢の世界の話が本当で、世界を救ったあげくに神にまでなってたとは……」
現実についていけないと、再び遠いまなざしになって元少年の少女は溜息をつく。
始まりは唐突だった。
気がつけば、視界を遮るものが何も無い無機質な純白の大地に佇んでいた。
意識が現実を認識し、何がどうなっているかと慌てて巡らした視線の先には沈痛な表情のアイツがいた。
夢戦士と陰口を叩かれていたアイツが。
「ごめん。できれば、皆を助けたかったんだけど……」
悔しげに顔を伏せ、悔やむように唇を噛むアイツがいた。
言っている内容が分からず、思わず首を傾げるこちらに構うことなくアイツは言葉を続ける。
「その代わり、皆には新しい人生をプレゼントできるよ。残念ながら、元と同じ世界とはいかないけど、新しい世界で、新しい人生をプレゼントしてあげられる。限界はあるけど、希望だって聞いてあげられる」
「あー……。新しい世界って?」
儚げな淡い笑みを浮かべて、申し訳無さそうに述べてくる姿に反応に困りつつ問いを放つ。
「いわゆる、剣と魔法の世界ってヤツかな。前に僕が救ったのとは別の世界だけど」
「世界を滅ぼそうとする神様を倒したんだったか?」
そういや、その後の話は聞いてなかったなと心の片隅に浮かぶ意識。
「神様を倒すために頑張ったら、気がついたら神様と同じ場所に立っていてね。これで元の世界に帰れなくなったけど、代わりにこうして皆を助けられた」
新人の神様だから、力も足りずに皆を助けられなかったけどと寂しげに表情に陰が差す。
「皆がこれから行く世界で生きていけるように、僕の力を分けてあげる。それがどんな形で発現するかは、希望のままにってところかな」
限界はあるけど、と囁くように告げる。
「本当にごめんね。地球に戻してあげたいけど、僕でも死んじゃったのを生き返らすまではできないんだ。代わりに、僕の知ってる世界に送るのが精一杯で」
言われて思い出す、耳をつんざく金属音。
「皆を送り出したら、僕は力を使い果たして眠る事になる。たぶん、とても永い眠りになると思う。だから、できる手助けはこれが最後」
体が押し潰される痛みの記憶。生きたまま体を焼かれる恐怖の記憶。
「ここは、僕が即席で作った狭間の世界。皆の希望を形に変えることのできるどこでもない場所。新しい世界では、どんな自分で生きたい? どんな能力が欲しい?」
修学旅行で乗っていたバスがタンクローリーと衝突爆発炎上したという記憶。
すとんと、自分は死んだのだという認識が胸に落ちてきて納得する。
死の間際に見る夢としては、随分と変わった夢を見ると苦笑する。死して、新しい世界の、新しい自分とはと。苦笑を浮かべながら、そっと唇を開く。
「そうか、それでは――」
「朝霧さんは、人生に絶望中で詳しくは聞けなかったが。天使に剣と魔法のファンタジー世界に転生させるから、希望を書くようにと紙とペンを渡されたとか」
「あたしの場合は、光る人型だったけど……」
「他にも何人か訊いたが、共通しているのは剣と魔法の世界へと転生させると言われることと、転生に際して希望が聞き届けられると言われること。見事に、希望と現実は違ったわけだが……」
触手とか人間以外になるよりはずっとマシだったと、絶望に打ちひしがれてピクリともせずに横たわる触手にちらりと視線を投げかける。
誰が願ったか知らないが、触手以外にも呆然としてたりうろたえている明らかに人間じゃないのが約2名。
純白の不毛の大地に浮かぶ15の影。
見た目に代わりがない者に、容姿が変わった者。性別が変わった者に、人間をやめた者。
アイツが直接姿を現したのは自分のところだけだったのだろうかと考えつつ、性別が代わっただけで済んだ自分はマシだったとほっと息をつく。
互いの希望がシャッフルされて割り当てられているようだが、容姿設定込みの希望を引いた場合はその容姿になっているようで、人間以外の姿を引き当てなかったのは幸いだ。
そして、人間の姿で容姿が変わっている連中が揃いも揃って美形ばかり。
みんな、そんなに美形が好きか。いや、気持ちはわかるけど。
小さく息をついて、智也は菜月を見上げる。
野性を通り越して獣性を感じさせる、荒削りの彫刻にも思える顔立ちと圧迫感を覚える筋骨逞しい巨躯。
そんな容姿の持ち主が女言葉で喋るのは、非常に違和感をかもし出している。傍から見れば、自分もそうなのだろうか――などと、考えつつ口を開く。
「それで、確認しておきたいことがあるんだが。菜月さんが希望したのは?」
「う……それ、は……」
「プライベートな願望をさらけ出すことに躊躇いを覚えるのはわかるけど、その願望そのものになったこちらのことも考えて欲しいな」
「……よ。吸血姫」
「吸血鬼? 血を吸って、日の光に弱くて、感染して仲間を増やすあの吸血鬼?」
「そうよ。枯れることを知らない永遠の花で、夜の世界に君臨する不死者のお姫様」
「……お姫様?」
「そう、真祖の吸血鬼のお姫様。夜闇に咲き誇る永遠の花って……。それがなんであんたなのよ。あたしなんか、こんなむさい男なのに……」
口ごもるところを、優しく諭すように促すと拗ねたようにそっぽを向いて答えが返ってくる。
人間の姿を保ってることを喜ぶべきなのか。自分も人間をやめてるらしい事実に、小さく溜息をつく。
吸血鬼。それも、特別な吸血鬼になってしまったらしい。
自分に答えてるうちに絶望にでも囚われたのか、がくりと手と膝を突いて地面にうつむきぶつぶつと呟きだした菜月から一歩距離を取りながら目の前に手を掲げてみる。
自分のものだとは信じがたい、ほっそりとたおやかな繊手。それが、目の前で自分の意志の通りに動く。
「それで、どういう能力が――っ!?」
どういう存在かはわかった。それで、どういう能力を持っているのかと訊ねようとした時に不意に覚えた浮遊感。
そして、勢いよく視界が下から上へと流れる。
落ちている。そのことを理解して見上げる視界の先には、黒い天井でぽつんと光を放つ穴のように暗黒の中で光を放つ自分が落ちてきた穴が蒼い空を明るく覗かせる。
そして、無明の闇が広がる深淵の底へと落ちていく自分。
なにが――と理解するより早く、智也の意識は暗黒に飲まれて消えた。
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「十五少年漂流記」と「厨二病」の単語が頭の中で化学反応したらこんなのが出来た。
続くのかって?
頭の中の化学反応の進行具合によるさ。