「店主、換金を頼みます」
その声とともに、カウンターへと投げ出された袋。
「また、あんたか。なんというか、とんでもない実力だな」
店主は呆れ混じりの賞賛の声をかけながら、袋を手に取り中身を確かめていく。
ここは、それなりの規模の街ならひとつはある流れ者や荒くれ者などが吹き溜まる酒場だ。店の客といえば、剣を頼みに命を張って金を稼ぐ傭兵。後ろ暗い秘密を抱えて、法の網目をかいくぐって生活しているような連中。あるいは、栄達や一攫千金を夢見て冒険者を気取る者たち。そして、そんな連中が集まる酒場だからこそ、そんな連中向けの仕事を仲介し斡旋する場所である。
どこか粗暴な雰囲気の人間が多い店内で場違いともいえる、貴族めいて上品な雰囲気の金髪の美青年がカウンターの席に着き店主の鑑定を待っていた。その傍らでは、赤毛の青年がつまらなそうに店内を眺めている。
ふたりとも腰元には剣を下げ、胸甲など部分鎧を身に着け武装している。明らかに上質の装備とふたりの物腰が単に暴力で生計を立ててる連中とは一線を隔した雰囲気を漂わせて異物めいて店内の雰囲気から浮いていた。
店内のほかの客がふたりに向ける視線も、仲間や同類に向けるものではない。
「うむ、ワイバーンの牙と鱗。確かに確認した。サイズからして幼生だろうが、たったふたりでどうやって狩ったんだ?」
「それは秘密というものです」
金髪の青年は、店主が言葉とともに出してきた金貨と銀貨を確認し、懐にしまいながらにこやかに言葉を返す。
その会話を耳にした店内のほかの客の間にざわめきが走る。「また、あいつらか」「竜の墓場でも見つけたのか?」「武器がいいんだろう」などと、ちらちらと窺う視線を投げかけながら、妬む言葉や狩ったとは信じてない言葉が客の間を行きかう。
ワイバーンといえば、下位とはいえ竜の眷属。卵から孵ったばかりでも飢えた熊を相手にするのと同じくらい危険で、多少育てはブレスを吐くようになり成竜になる前の幼生でもかなりの脅威だ。
間違っても、ひとりやふたりでどうにかできる可愛らしい相手じゃない。それを、金髪と赤毛のふたりは今回で三度も狩ってきた事になる。
「とはいえ、こうもあっさり狩ってきてくるとなると気になるものさ。何か弱点でも見つけたというのなら、皆に知らせたほうがいいとは思わないか?」
「はん、人の出した結果にケチをつけようってか? まさか、値切ろうって腹じゃねえだろうな」
不機嫌そうに吐き捨てた赤毛の青年の言葉に、店主が慌てて手を振り否定する。
「まさか。ただ、驚いているだけだよ」
いきなりやってきたかと思うと、金を短期で稼ぐにはどうしたらいいかと訊くから竜でも狩ってくればと冗談で言ったら本当に狩ってくるんだからと口には出さない。
竜の眷属は脅威だが、同時に各種の素材として需要が高く、狩れば確かに金になる。だからといって、金目当てでほいほい狩ってくる者がいるとは予想外に過ぎた。
「それで、新しい情報はありましたか?」
「めぼしい情報はないな。それよりも、誰がワイバーンを狩ったのか訊きまわってる奴がいるな。たぶん、偉いさんが背後にいる」
金髪の青年の問いかけに、他の客に聞こえないようにと声を潜めながら店主は答える。
「そうですか。できれば私達のことは誤魔化してください。妙な事には巻き込まれたくないので」
「いや、そう思うなら少しは自重した方がいいと思うんだが」
こんな短期でワイバーンを三頭も狩ってくるなら、嫌でも目立つ。ぼやきにも似た忠告を呟き、店主はずいと身を乗り出す。
「あんたらほどの騎士が忠誠を捧げたり、強力な怪物や魔術師とかの情報を求めたり。あんたらの御主人様は、何者だ?」
「下手な詮索してんじゃねえよ。殺すぞ」
「綾様は、我らの姫です。それだけですよ。マルスも、脅すような物言いはいけませんよ」
声を低く潜めて、殺気混じりに囁かれた言葉に顔を青ざめさせて硬直した店主へと、金髪の青年は穏やかな笑顔で柔らかに告げ、赤毛の青年をたしなめる。
マルスと呼ばれた赤毛の青年は、ふんと鼻を鳴らして不機嫌そうに肩をすくめる。
「……姫、ね」
「ええ、私達が忠誠を捧げる姫です。別に不穏なことを考えて、魔術師や怪物の情報を求めてるわけではないのでそちらは安心してください」
殺気に当てられ、喘ぐように漏らした店主の言葉に金髪の青年が穏やかな笑みを浮かべたままうなずく。物腰も柔らかく、表情にも剣呑なものはない。だが、それ以上の詮索をきっぱりと拒絶する壁がある。
「アレク、金も情報ももらったのならさっさと帰ろうぜ」
いらいらとした様子で、マルスが金髪の青年へと声をかけ、金髪の青年はそれに頷く。
「それでは、店主。情報は引き続き求めているので、探しておいてください」
その言葉を最後に、金髪の青年は席を立ち赤毛の青年とともに酒場を出て行く。
ふたりの姿が店内から消えて、ようやく店主は安心して大きく息をつく。先ほどの殺気は何気なく向けられていながら、ひやりとした死の予感が背筋を走った。客が客だけに、暴力沙汰や刃傷沙汰が店内で起きることもあるが、そんなときにだって感じたことのない恐怖を感じさせられた。
ふたりだけでワイバーンを狩ってくるのは、装備がいいからだと客の中には陰口を叩いていたのがいるがそんなものじゃない。装備がいいのは確かだろうが、それ以上に腕がいい。そうでなければ、あれほどの殺気は出せない。
詮索をとめられたが、落ち着いてくるとふたりの御主人様がやはり気になってくる。
以前にも、ちらちらと問いかけてはみたが受け流され、何の回答も得られていない。それでも、二人が姫と呼ぶ御主人様に過保護なまでの愛情と、絶対的な忠誠を捧げているのは隠してもいないので丸分かりだ。
ワイバーンをふたりだけで狩ってくるほどの装備と実力の騎士から、それらを向けられる姫ともなれば興味を掻きたてられる。
少し調べたら、酒場に出入りするふたり以外にも他にふたり騎士が仕えているらしい。この街の厩舎つきの高級宿に部屋を取り、ずっと逗留していることなどすぐにわかった。
まばゆいばかりの純白の毛。蒼みがかった白い毛。艶やかな黒い毛に、見事な赤毛。厩舎に預けられている馬も、それぞれ色違いの名馬。
宿に残ってるふたりは護衛だろうから、酒場に出入りするふたりと比べてもそう見劣りがするはずもない。馬も装備も実力も一流の騎士が四人も仕える姫ともなれば、三流貴族の娘とかではありえない。どこかの国の王族の姫君と言われても納得できる。
昔から、貴族や王族がこっそりと魔術師を探している時は、誰それを殺してくれとか、心を奪ってくれとか公にできない事を頼むためと相場が決まっている。
気づいてないのか、気にしていないのか。酒場に出入りしている二人は気にも留めてないようだが、装備や金を見せつけられる形になっているほかの客の中には獲物を狙う目つきになっている連中だっている。
受け取ったワイバーンの鱗と牙をしまいながら、酒場の主人は溜息をついた。
「何も問題が起きないのが一番なんだがな」
長谷川綾がこの世界で最初に目にしたものは、どこまでも澄み渡った夜空を彩りきらめく無数の星々とそれらを圧倒して輝く満月。
肌の上を流れる夜風が、ひんやりとした冷たさで覚醒を促す。
「え……と……」
自分が仰向けになって横たわり、夜空を見上げていることに気づいて戸惑った声が漏れる。最後の記憶は、足元に不意に開いた穴へと落ちて暗黒の深淵へと落ちていく記憶。
現在の状況がわからず、どこかぼんやりとした頭で上半身を起こし辺りを眺める。森の中にぽっかりと開けた草原のような場所に、自分は横になっていたらしい。
月下に無数の花が咲き乱れている様は、秘密の花園めいた幻想の雰囲気を感じさせる。
「お目覚めになりましたか、我らが姫よ」
現実感もなく、ぼんやりと辺りを眺め渡していたところにかけられた聞き覚えのない声にびくりと身が竦む。
恐る恐る声のした方へと目を向けると、そこには御伽噺から抜け出たような四名の騎士たちが貴人に対するように跪いていた。
それが彼らとの出会いだった。
綾に、無比にして無上の忠誠を捧げる騎士たちとの。
そんな運命の出会いを演出されたような、絵になるシーンを演出されてすとんと納得が胸に落ちた。自分は異世界に来てしまったのだと。
――だって、そうじゃない? わたしが、お姫様として見目麗しい騎士たちに傅かれるなんて。
ぼんやりと宿の窓から街並みを眺めて、追憶に耽りながら小さく笑みをこぼす。
その後が大変といえば大変だった。綾至上主義とでもいい振る舞いを見せる騎士たちの暴走に頭を悩ませたのも、今では楽しい思い出。
とりあえずは人里にと、白馬の騎士に馬に乗せてもらいながら森を出れば、最初に行き着いた村で騎士たちが当たり前のように村を制圧しようとしたのをなだめたり。人間ごときと、口にする彼らに略奪でなくきちんとお金を支払ったり、稼いでと言い聞かせたり。
望んだものとは違うが、異世界へとトリップした物語の主人公そのままのような日々。
この街へと辿り着き、宿に泊まってゆっくりと過ごすようになって考え始めたのは「この世界には自分だけなのだろうか?」という疑問。この世界へと来る前にいた、白い空間。あそこにいたクラスメイト達は別々の世界に飛ばされたのか、同じ世界に来たけど場所が別なのか。
知った顔がいるのなら、また会って話をしたいと思う。
騎士たちは溺愛といっていいくらいに愛情を向けてくれる。騎士の肩書きにふさわしい絶対の忠誠を自分に捧げてくれる。
でも、この世界には見知った景色はひとつもない。
今、窓枠に肘をつき頬杖をついて眺める街並みは、慣れしたんだ日本のそれとはかけ離れた異国の街並み。
眼下に眺める街路を行き交う人々の服装も顔立ちも、日本のそれとは違う。
見知らぬ世界で、見知った顔もいない。
どんなに愛情を向けられても、どんなに忠誠を捧げられても、ふとした時に襲ってくる胸をかきむしりたくなるような孤独感と郷愁。
こうやって、ひとところに腰を落ち着けてしまったから、こんな風に色々と考えてしまうのかもしれない。いっそ、クラスメイト達を探して旅に出るのもいいかもと思う。
魔物や盗賊とかに襲われるかもしれないけどきっと大丈夫。騎士の皆は強いし、わたしだって魔法が使える。
仕事で出かけていたアレクとマルスが、眼下の通りを歩いて帰ってくるのを目にとめて、小さく手を振る。ふたりも気づいて、笑顔で手を振り返す。
「誰かの情報、手に入ってるといいけど……」
宿に入ってくるのを眺めながら、期待の篭もらぬ声で呟きを漏らす。
階段を上がってくる足音が耳に届くのにあわせて、くるりと扉のほうへと向き直る。せめて、仕事を終えた彼らを笑顔で迎えよう。
そして、相談してみよう。この街から旅立ってみようと。
かつては、東方諸国を統一した大フェザーン。
統一の余勢をかって、中央諸国をも征服せんと三度にわたって送られた侵略軍が退けられた後には、内部の不協和音と征服された諸国の反乱の芽を潰して内憂に対処し続けることで精一杯となる。
中欧諸国への侵攻をもくろんだセブロン王の在位の間は、まがりなりにも大フェザーンの維持ができていたもののその子らの時代に王位争いの末に東西に分裂。互いに正統後継を名乗って何代にもわたって争い続ける東西フェザーン時代へと突入する。
ぶつかり合う石が互いを砕きあうように、東西フェザーンの衝突は大フェザーン時代に支配化に置いたはずの諸国の独立を招いて東西フェザーンは砕けて小さくなり、周囲に無数の小国が乱立する。
それでもなお強国として君臨する東西フェザーンと、それを軸としてまとまる二大陣営とその他の諸国。それが東方諸国の現状だった。
その西の盟主。西フェザーンの王宮で一人の青年が口元に笑みを刻む。
「幼生とはいえ、ワイバーンをふたりで狩れる騎士か。欲しいな」
竜の眷属なかでは下位に属するとはいえ、ワイバーンはひとりやふたりでどうにかなる甘い相手ではない。結界強度やブレスの威力が低い幼生とはいえ、だ。
一度ならまぐれということもある。二度ならまだ決定的とはいえないかもしれない。だが、三度ともなれば実力だ。
実力で倒してなくても、ワイバーンを少人数で倒せる手段を持っているのは確かだ。
実力であるのならば、それだけの実力者はぜひ駒として取り込むべきだ。敵に回るのであれば、ぜひとも抹殺すべきだ。実力でないのならば、捕らえてワイバーンを狩る手法を訊き出してしまうのもいい。
ワイバーンの駆除が簡単にできるのであれば、国内のワイバーン対策も楽になる。
「しかも、四人か。全員が同じ実力だと、ちょっと面倒だな。報告だと、姫と呼んでる小娘に仕えてるとか?」
椅子に深く腰掛けなおして、目の前に膝をつく男へと問いかける。
「はい。街中でも、どこの王国の姫君かと噂になっているようです。しかしながら、あれほどの騎士が仕えてるにしては、その身元が知れず……」
「それを言うのなら、たったのふたりでワイバーンを狩れるほどの騎士が今まで無名だったのも変だな」
青年は、口元に手をやり考え込む。調査の必要があるだろうが、姫とやらの身元が知れないのは別に構わない。表に出せずに隠されていた息子や娘がいるなど、珍しくもない話だし、手を出した女が孕んでしまったなどの話だってよく聞く。
そうやって捨て置いたり、隔していたりした子らを家の都合などで表に出してきたりするのも珍しいがありえない話ではない。
問題は、騎士たちだ。
騎士とは名乗るだけなら簡単だろう。だが、肩書きにふさわしい実力と装備を身に着けるとなると途端に話が難しくなる。
まず、馬を乗りこなせなくてはならない。剣の腕だって必要だ。それらを身に着けるには、相応の修練が必要で。それには、相応の資産が必要だ。犬猫じゃあるまいし、騎竜ほどではないにせよ軍馬の飼育には手間と金がかかる。装備だっていい物を揃えようとすれば、やはり金がかかる。
騎士とは手間と金をかけて育成されるものだ。そのため、どうしても貴族や王族。あるいは、豪商などの子息でもなければ騎士になれない。そして、そういった人間は他者との関係を持たないということはないために、どうしたって情報は漏れる。
ましてや、ワイバーンとやりあえるような装備ともなれば一級品の魔法装備だろう。そちらの方向からだって情報は漏れる。
突き抜けた実力や装備を持った騎士がいるというのならば、隠しようもなく名が聞こえてくるはずなのだ。
無論、何事にも例外がある。『街道上の怪物』のように、唐突に文字通りの一騎当千の実力を見せつけ名を売る者がいる。冒険者や主君を持たない自由騎士を気取る連中の中に、勇者や英雄だと賞賛されて一流の騎士に引けを取らないか上回る実力者がいるのも認める。
だが、そういう者たちにもそれだけの実力を身に着けるに至った背景があるし、そもそもが例外的少数だ。
そして何よりも重要なのは、そういった突き抜けた実力があるものを育てるにしても動かすにしても相応の権威や金銭が必要だという事だ。
それを四名も、どうでもいいような小娘に張りつける? ありえない。
騎士たちを張りつけるだけの価値が、その娘にはあるという逆説的な証明だ。それが、ワイバーンを殺せる騎士を四名もひそかに育成するできるだけの何者かに繋がる糸だ。
背後にいるのは、どこぞの王族か貴族か。
社交界へ年頃の娘を売り出すに合わせて騎士をというのであればまだ分かるが、冒険者じみたことをしている理由が分からない。噂話一つ流れたことがなかった姫と騎士たち。
表沙汰にできずに秘匿されていた娘が考えなしに家出でもしたのか、隠してた者が政争にでも破れて隠せなくなったのか。実に興味深い。
うまく立ち回れば、恩を売る形で取り込めるかもしれない。顎をなでるようにして考え込んでいた青年は、うむりと頷くと目の前の男に命じた。
「そうだな、俺の名を使ってもいい。ここに連れてこい。くれぐれも、丁重にな」
「はっ! ただちに」
一礼をして立ち上がり、部屋を出て行った男の足音が遠ざかるのに耳を傾けながら青年は口元に笑みを刻む。
病床に伏せる父に代わり、実質西フェザーンを支配するキュロス第一王子は口元に笑みを刻む。
かつての栄光を取り戻し、大フェザーンを復活させるという野望を夢見ながら。
-----------------------------------------------------------------
街道上の怪物を知ってる人って意外と多いんですね。