朝靄けぶる中庭で、ただ無心に刀を振るう。
刀といっても真剣ではない。角隈殿に頂いた木刀である。
数をこなすのではなく、一太刀一太刀を大切に。一振りを等閑にせず、そこに自らの渾身を乗せていく。かつて教わったその振りを、ただひたすら繰り返す。
二年間。
たえずこれを続けたことこそが、離れ離れになった人たちに、俺が誇れるただ一つ。
鋭く呼気を吐き出し振り下ろされた一刀が、小気味良い音を立てて空を斬った。
朝稽古が終わった後、ふと、視線を感じた気がして邸内に目を向ける。
だが、そこには誰の姿もなく、周囲を見回しても人の気配はない。東の方角から差す陽光の眩しさに目を細めながら、俺は小さくかぶりを振った。
生前、角隈殿は何が面白いのか、よく俺の朝稽古を見物していた。その時の記憶が、あるはずのない視線を感じさせたのかもしれない。
「さて、どうしたものかな」
俺は懐から取り出した手ぬぐいで汗を拭いながら、今後のことに思いを馳せる。
一番の目的は決まりきっているが、ここは九国。別れた人たちと再会するためには、この日の本の地を横断しなければならない。先立つものを持たない身には長く厳しい旅程になるだろう。
もっとも自分だけのことであれば、労を厭うつもりはない。農家の下働きでも何でもして、意地でも帰ってみせるつもりである。
「……そうしないと、ずんばらりんだしなあ」
知らず、額に手をあてながら、俺は口元を笑みの形に開きかけ――慌てて、一文字に引き締め直した。角隈殿が亡くなり、菩提寺が焼け落ちた今、客の俺がにやけていたら何を言われるかわかったものではない。
それに下働き云々はあくまで俺に限った話。同行者がいるとあっては話は別である。
「まあ問題は、その同行者が自分が同行するって知ってるかどうかなんだが」
同行することを知らない同行者。我ながら、何をわけのわからないことを、と思わないでもないのだが、実際、それが問題なのだから仕方ない。
そもそもの淵源は一月以上まえに遡る。
角隈殿の生前のこと、夕餉の後、俺を部屋に呼んだ角隈殿は開口一番、とんでもないことを口にしたのである。
◆◆
呆然の数瞬が過ぎた後、俺は慌てて口を開く。角隈殿の真意が、さっぱりきっぱりわからなかった。
「吉継殿を連れて行くとは、どのような意味で?」
「そのままの意味と取っていただいて結構。雲居殿、貴殿がこの地を離れる際、吉継も連れて行ってくれまいか」
体調が悪いゆえ申し訳ない。そう言って横になりながら、角隈殿はなんでもないことのように繰り返した。
俺は角隈殿に宿と食事を世話してもらっている身である。雲居という姓も考えてもらったし、吉継の水浴びを目撃してしまった件の弁解にも口を利いてもらった。大抵のことなら快く引き受けるつもりであったが、さすがにこれは、はいわかりましたと頷くわけにはいかなかった。
本人の意思がわからないということもあるが、出会って十日も経っていない人間に、家族に等しい人間の身柄を託そうという角隈殿の真意がわからなかったからである。
角隈殿と吉継は主従の関係だが、実際は祖父と孫にも等しいと俺は考えていた。角隈殿も吉継も多弁な人ではなく、邸内での言動も厳しく律されていたが、時折交わされる会話には互いへの思いやりをはっきりと感じとることが出来た。
そんな俺の疑念に気付いて――というより予想していたのだろう。角隈殿はあっさりと本音を口にした。
「これでも、人を観る目はあるつもりでしてな。それに、あれは南蛮神教との間に浅からぬ因縁があるのでござる」
「因縁、ですか?」
俺の反問に、角隈殿はなにやら楽しそうな表情を浮かべる。そんなに面白いことを言ったろうか、と俺が首を傾げていると、角隈殿は表情を変えぬまま、口を開いた。
「奇しくも雲居殿はもうご覧になったわけだが、吉継の容貌のことでござるよ」
「う……」
「ふふ、まあ吉継も、雲居殿が故意に泉に来たわけではないことは、もう納得しておる様子。安堵されよ」
「かたじけないでございます」
平身低頭する俺に、角隈殿は声に出して笑ってから、一転、表情を厳しく引き締める。
「実は吉継の容姿のことは宣教師たちも知っております。吉継の父、大谷吉房殿は異国の智恵をもって吉継の容貌を治せぬものかと考えたのでござろう。吉房殿は実直で武芸に長けた御仁で、大友家に随身してよりほどなく頭角をあらわされ、やがて吉継を南蛮の宣教師たちに診て貰う機会に恵まれたのですが……」
西の荒海を乗り越えてやってきた宣教師は智勇に優れた偉人であるというのが定評である。事実、彼らの多くは優れた人物で、医学に通じている者も少なくなかった。
そこで言葉を切った角隈殿は、苦いものを吐き出すように続きを口にした。
「彼奴ら、吉継の容貌を一目見るなり『悪魔だ』と騒ぎたて、ただちに火刑に処すべしなどと申し、必死に弁明する吉房殿まで悪魔の眷属として捕らえおったのです。幸い、わしの耳に入るのが早く、かろうじて連中から父子を取り戻すことはできたのですが、連中、今度は宗麟様のもとにまで押し寄せ、処刑の許諾を得ようとしおりましてな。わしと戸次殿らが口を揃えて諫止し、かろうじて処刑だけはくい止めることが出来たのですが、吉房殿と御内儀、そして吉継は国外追放となり……」
大谷家は豊後を追放され、他国に行かざるを得なくなってしまった。角隈殿はかなう限りの援助をしたらしいが、角隈殿個人の発言力はともかく、その家は決して豊かではなく、おのずから援助にも限界があった。くわえて、国外追放となった者との関わりを察知されれば、今度は角隈殿が排除されてしまいかねない。
それでも、自分一人のことならば、角隈殿は決然と事を行っていたであろう。
だが、この時期、角隈殿が放逐されてしまえば、南蛮側の暴走を掣肘することが出来なくなるのは火を見るよりも明らかであった。寺社潰しの暴挙はもとより、宗麟を盾に政治や軍事にも口出しするようになった彼らを放っておけば、大友家は滅亡への道を転げ落ちるだけであろう。そうなれば、苦しむのは大友家の家臣であり、領内の民である。
角隈殿はそう考え、大谷家を案じつつも、手を引かざるを得なかったのである。
だが、憂慮は間もなく現実となってしまった。この沙汰に飽き足らなかった南蛮側は、その有り余る影響力を駆使して国外に出た大谷家に様々な迫害を加え続けたのだという。
それらがよほど重荷になったのだろう。あるいは、直接的な手段をとったのか。間もなく父吉房が亡くなり、ついで支えを失った母が相次いで他界してしまった。
風の噂でそのことを聞いた角隈殿が血相を変え、矢も楯もたまらず吉継の下へ向かってみると、そこには倒れる寸前までやせ細った吉継が、誰の助けを借りることも出来ず、一人、山中で野草を採っていたのだという……
声もなく話に聞き入る俺に、角隈殿は深い悔恨を宿した声で続けた。
「わしは吉継を自分の屋敷に連れ帰り、なんとか宗麟様に寛恕を請おうとしたのでござる。元来、宗麟様は聡明で慈悲深い方、吉房殿の功績を忘れられたわけではなく、大谷家の末路に悔いと哀れみを感じられることは疑いなかった。ただ、一度追放処分を科した者を、堂々と領内に受け入れれば法のなんたるかを問われようし、南蛮人どもが黙っているはずもないと、それを心配しておったのですが……」
なんと、南蛮側は反対するどころか、むしろ角隈殿の主張の後押しをしたのだという。
これには角隈殿も面食らい、警戒せざるを得なかった。連中が何事かを企んでいるのは明らかであったからだ。
この時、角隈殿に同意し、宗麟を説得した宣教師の名を――
「フランシスコ・カブラエル。まだ若いながらに日の本の言葉と政情に通じ、大友家の発展に少なからぬ貢献を為した人物でござる。そして、宗麟様にフランシスなる洗礼名を与えたのも、こやつでござる」
以来、数年。
吉継を迎え入れてからも、角隈殿と南蛮神教の対立は解消されることはなかった。しかし、吉継への手出しはぴたりと止み、南蛮側は吉継へ関心の目を向けることをやめたのだ、と判断しても良いと思われたのだが……
角隈殿はゆっくりとかぶりを振った。
「これまでの彼奴らの所業を考えるに、そうたやすく矛を収めるとは考えにくい。何かしら理由があると思われるが、確たる証はついに掴めなんだのでござる。わしも年をとり、先の知れぬ身。この上は彼奴らの機先を制し、吉継を九国の外に出すが良策と、昨今、そう考えておった矢先、雲居殿が現われた。これこそ天の配剤と申すべきではござらんか。無論、そのための銭はこちらが用立てますゆえ、なにとぞお引き受けいただきたい」
最後の部分は、着の身着のままで現われた俺への気遣いか、他愛ないからかいか。
いずれにせよ、ここまでの話を聞かされれば、頷かないという選択肢を選ぶことは出来なかった。
何より――
俺が頷くのを見た角隈殿は、心底嬉しげな、童子のように澄んだ笑みを浮かべ、俺に礼を言った。
長話が過ぎたと苦笑し、大きく息を吐き出す角隈殿に一礼すると、俺はそっと部屋を出ようとする。その背に向け、角隈殿はもう一度だけ、口を開いた。そして囁くような小さな声でこう言った。
「どうか吉継のこと、よろしくお願いいたす――天城颯馬殿」
――翌朝、角隈殿は亡くなられた。
予想もし、覚悟もしていた俺は、角隈殿の枕頭で、深く深く頭を下げる。
思い出されるのは先夜の角隈殿の顔。その肌の白さは、かつて看取った主のそれと酷似しており、俺は角隈殿の命が旦夕に迫っていることを悟らざるを得なかったのである。そして、角隈殿自身が、そのことを承知していることも。
角隈殿の顔は、これより九国に吹き荒れる動乱の嵐を見据えるかのように引き締まり、死の淵にあってなお、その智謀にいささかの翳りもなかったことを、無言のままに示しているかのようであった。
あの日から今日に到るまで、吉継の口から今後のことが語られることはなかった。
角隈殿が俺に話したことを知っているかどうかさえわからない。確認すれば済むことなのだが、主君であり、家族でもあった人がなくなったばかりの傷心の少女に、これから先のことを問うのはなかなかに勇気がいることだった。
もっとも、あの角隈殿が、吉継に何も話していないとは思えない。死期を察していたのなら尚更である。それゆえ、俺はいずれ吉継が落ち着いたら何かしら言ってくるだろうと考えていた。
その返答が「同行する」になるか、「あなたと同行するなんてとんでもない!」になるかはわからんかったが。
角隈殿には幾重にも恩がある。だからといって、当人の意思を踏みにじるつもりは毛頭なかった。
だが、たとえ後者だとしても、俺なりに後の様子を確かめてから立ち去るつもりではあったのだ。吉継が同行するにせよ、しないにせよ、できうべくんば、穏やかな旅立ちになることを望んでいたのだが。
事態は早くも兵火の匂いを感じさせるものになりつつあった。
◆◆
俺と吉継が駆けつけた時、すでに建物を包む炎は手のほどこしようがない状態であった。
領主であった角隈殿の菩提寺とはいえ、寺自体の規模はさほど大きくはない。それでもあたりの民家に比べれば、建物の規模が大きいのは当然で、寺を包んで激しく燃え盛る炎が周囲に飛び火してしまえば、あたり一帯を巻き込んだ大火へと発展する可能性もあるだろう。
だが、この時点で俺の心配は無用のものであった。この寺を預かる住職が、すでに延焼への備えをしていたからである。
後で知ったことだが、この時、仏像こそ運び出されていたものの、経典などの品々や寺の維持費はほとんど寺内に残ったままだったそうだ。
住職は徳望のある方で、突然の火災にも関わらず、駆けつけた人たちは少なくなかった。延焼への備えを後回しにすれば、そういった品々を取り戻す機会はあったであろう。
だが。
「大切なのは御仏と、その教え。そしてそれを伝え、受け継ぐ人。三宝あれば何事も為しえます。経典や銭を惜しんで、人を危険に晒すのは仏の道にそぐわぬ行為でありましょう」
火が鎮まった後、屋敷に逗留することになった住職は、そういって俺に向けて、穏やかに微笑んだのであった。
幸いというべきだろう。住職の努力の甲斐あって、寺の人たちに死者は出なかった。軽度の火傷を負った者はいるが、皆、命に別状はない。住職をはじめとした彼らは、現在、角隈殿の屋敷で傷を癒している最中である。
もっとも住職はすでに精力的に歩き回り、突然の寺の消失に落胆を隠せない人たちを力づけてまわっていた。そういった姿を目の当たりにすれば、人の価値は難局にあってこそ現われるという言葉に、俺は頷かざるを得ない。
そんな住職さんたちを、ただ見ているだけなのは心苦しいので、俺は俺なりに動くことにしたのである。
すでに夜の帳がおり、火事の後始末で疲れ果てた人たちが皆寝入った時刻。
天頂に輝く月の光に身をさらしながら、俺は一人、角隈殿の屋敷の門柱に身体を預けていた。そよぐ薫風は濃厚な緑の香を宿し、野で山で、萌える植物の息吹を肌で感じる。
月を見上げ、風を感じながら、俺はただ立ちつづける。
――予期した人影が屋敷から姿を現したのは、それからほどなくのことであった。
◆◆
俺の姿に気付いたのだろう。白絹の布で顔を覆った吉継が、はたと足を止めた。
「……雲居殿」
その口からこぼれる声は低くかすれていたが、いつもの嫌悪はなく、ただ純粋な驚きが感じられた。
一方の俺は、この状況を予期しつつも、この場に相応しい台詞を用意していなかった。結果、小さく首を傾げただけで、無言のままに吉継の進路を遮る形をとることになる。
しばし後、驚きが去った吉継の口から、淡々とした声が発される。
「何故、貴殿がここにおられるかはお聞きしません。そこをお通しください」
「お断りします」
間髪いれず、そう答える俺に、吉継が戸惑ったように身体を揺らす。
最初の出会い以来、俺は徹底して吉継に頭があがらず、ひたすら下手に出ていたので、今のように強い言葉を返すのは初めてであった。
「奇妙なことを言われる。貴殿に、私を止める理由などないはずだが」
「理由ならあります。このような夜分、女性の一人歩きは危険でしょう。あの火災で人心も動揺している。何が起こるかわかりません」
「女といえど、私は武士。不届き者の一人や二人、物の数ではありません。ご心配いただいたことには感謝しますが、貴殿のそれは――余計な世話と申すものです」
吉継の口から放たれた言葉には侮蔑と、そしてかすかながら焦慮に似たものが感じられた。
それが俺の気のせいではないことは、すぐに明らかとなった。
「そこを退いていただこう。邪魔をするというなら、力ずくで通らせてもらいます。峰打ちとはいえ、当たり所が悪ければ命を落とすこともありえますよ。それとも白刃の方をお望みか?」
それは明らかな脅しであり、同時にただの脅しではなかった。刀を抜き放った吉継から発される鋭気は、決して偽りではない。そのことを、俺は総身で感じ取り――
「そうですね。吉継殿を止めるためにそうしなければならないのなら、そちらを所望しましょうか」
委細構わず、その眼前に立ちはだかったのである。
反応は迅速だった。
地面を蹴りつける音が聞こえた、その途端。
あたりに甲高い音が響き渡る。鉄と鉄がぶつかりあうその音は、吉継の刀と、俺が懐から取り出した鉄扇が激突して起きた音だった。
さすがに白刃を向けてこそいなかったが、吉継の打ち込みは一切の手加減がない本気の打ち込みだった。吉継自身が言明したとおり、峰打ちといえど、喰らえばただではすまないだろう。それくらい、吉継の武技は油断ならない域に達していた。
小さな舌打ちの音に続いて振るわれる二の太刀、三の太刀。
吉継は小柄な身体ゆえ、一撃一撃の重さこそさほどでもないが、刀を振るう速さは瞠目に値した。それでも、さばけないほどではない。続く四の太刀、五の太刀を凌ぎながら、俺は冷静にそう判断する。
そして、それは吉継も同様だったのだろう。六の太刀は振るわれず、吉継の身体が後方に退いた。
吉継の口から、どこか忌々しげな声がもれる。
「丸腰でたわけたことを、と思いましたが、鉄扇とは妙な得物を使うのですね」
「素手であなたを止めることが出来ると考えるほど、うぬぼれてはいませんよ」
「……どうして」
不意に吉継の声が低まった。
その声に、悪寒を覚える。
「どうして、私を止めるのですか。私が何をしようと、貴殿には関わりのないことでしょう」
俺は悪寒を振り払うかのように、かぶりを振って答える。
「これから旅を共にしようとする人を、関わりないとは言わないでしょう」
「……確かに石宗様から話はうかがっていますが、私はこの地を離れるつもりなどありません。また、貴殿を引き止めるつもりもありませぬゆえ、東国へ行きたければ、どうぞお一人で行かれませ。無論、石宗様のお言葉を反故にしたりはしません。旅費は十分にお出しいたしましょう」
「いえ、吉継殿が同行しないなら、別に旅費などいらんのですよ。俺一人であれば、何とでもなりますから」
「ならば、もはやここに用はないはず。そして、私を止める必要もないでしょう」
再び、俺はかぶりを振った。視界の端で、右手に持った鉄扇が、月の光を浴びて煌いている。
「『どうか吉継のこと、よろしくお願いいたす』」
「……え?」
「最後に角隈殿と話をした折、そう頼まれたのです。そのあなたが、一人、死出の旅に赴こうとしている今、どうしてそれを止めずにいられましょうか」
その言葉を聞いた瞬間、吉継の怒気が膨れ上がったのが、はっきりと感じ取れた。
「……ふざけたことを。会って間もないあなたなんかに、石宗様がそんなことを言うはずがないでしょうッ!」
甲高い声は、常とは比べ物にならないほど高く。
「いいです、もうあなたの妄言は聞き飽きました。そこをどきなさいッ!」
相手を射抜くような鋭利な響きを帯び。
「さもなくば、今度は本当に――斬ります」
それら全てを圧するほどの、苛烈な殺気に満ち満ちていた。
そんな吉継の姿を目の当たりにしながら、俺は思う。
吉継の怒りは当然のことだ、と。
生まれ持った自身の容貌が原因で、幼くして父と母を奪われ。
危ういところを救ってくれた、主であり養い親でもある人までもが非命に倒れた。
吉継の年齢を思えば、よくぞ今日まで耐えてきたというべきであろう。吉継をここまで支えてきたのは、今は亡きご両親の愛情か、角隈殿の薫陶か、あるいは吉継自身の心の強さか。あるいはその全てか。
いずれにせよ、吉継が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで生きてきたことは想像に難くない。
だが、今。
恩ある人の魂の安息すら汚された今。
これを堪えることなど出来はしなかったのだ。
放火の証拠はない。しかし、状況を考えれば答えはおのずと明らかであろう。吉継がどこに行き、何をしようとしているのか、推測することは簡単だった。
だからこそ、俺はここにいて。
だからこそ、俺は吉継にかける言葉を持てずにいる。
とおりいっぺんの慰めなど口に出来ようはずもなく。
復讐の無意味さを説くことなど更に出来ぬ。
だから、ただ手に持つ鉄扇を構えた。
俺が出来ることは、それしかなかったから。