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No.18194の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第二部 完結】[月桂](2014/01/18 21:39)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(二)[月桂](2010/04/20 00:49)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(三)[月桂](2010/04/21 04:46)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(四)[月桂](2010/04/22 00:12)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(五)[月桂](2010/04/25 22:48)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(六)[月桂](2010/05/05 19:02)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/05/04 21:50)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(一)[月桂](2010/05/09 16:50)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(二)[月桂](2010/05/11 22:10)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(三)[月桂](2010/05/16 18:55)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(四)[月桂](2010/08/05 23:55)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(五)[月桂](2010/08/22 11:56)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(六)[月桂](2010/08/23 22:29)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(七)[月桂](2010/09/21 21:43)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(八)[月桂](2010/09/21 21:42)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(九)[月桂](2010/09/22 00:11)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十)[月桂](2010/10/01 00:27)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十一)[月桂](2010/10/01 00:27)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/10/01 00:26)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(一)[月桂](2010/10/17 21:15)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(二)[月桂](2010/10/19 22:32)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(三)[月桂](2010/10/24 14:48)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(四)[月桂](2010/11/12 22:44)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(五)[月桂](2010/11/12 22:44)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/11/19 22:52)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(一)[月桂](2010/11/14 22:44)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(二)[月桂](2010/11/16 20:19)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(三)[月桂](2010/11/17 22:43)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(四)[月桂](2010/11/19 22:54)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(五)[月桂](2010/11/21 23:58)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(六)[月桂](2010/11/22 22:21)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(七)[月桂](2010/11/24 00:20)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(一)[月桂](2010/11/26 23:10)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(二)[月桂](2010/11/28 21:45)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(三)[月桂](2010/12/01 21:56)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(四)[月桂](2010/12/01 21:55)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(五)[月桂](2010/12/03 19:37)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/12/06 23:11)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(一)[月桂](2010/12/06 23:13)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(二)[月桂](2010/12/07 22:20)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(三)[月桂](2010/12/09 21:42)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(四)[月桂](2010/12/17 21:02)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(五)[月桂](2010/12/17 20:53)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(六)[月桂](2010/12/20 00:39)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(七)[月桂](2010/12/28 19:51)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(八)[月桂](2011/01/03 23:09)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 外伝 とある山師の夢買長者[月桂](2011/01/13 17:56)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(一)[月桂](2011/01/13 18:00)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(二)[月桂](2011/01/17 21:36)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(三)[月桂](2011/01/23 15:15)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(四)[月桂](2011/01/30 23:49)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(五)[月桂](2011/02/01 00:24)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(六)[月桂](2011/02/08 20:54)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/02/08 20:53)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(七)[月桂](2011/02/13 01:07)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(八)[月桂](2011/02/17 21:02)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(九)[月桂](2011/03/02 15:45)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十)[月桂](2011/03/02 15:46)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十一)[月桂](2011/03/04 23:46)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/03/02 15:45)
[60] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(一)[月桂](2011/03/03 18:36)
[61] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(二)[月桂](2011/03/04 23:39)
[62] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(三)[月桂](2011/03/06 18:36)
[63] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(四)[月桂](2011/03/14 20:49)
[64] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(五)[月桂](2011/03/16 23:27)
[65] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(六)[月桂](2011/03/18 23:49)
[66] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(七)[月桂](2011/03/21 22:11)
[67] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(八)[月桂](2011/03/25 21:53)
[68] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(九)[月桂](2011/03/27 10:04)
[69] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/05/16 22:03)
[70] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(一)[月桂](2011/06/15 18:56)
[71] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(二)[月桂](2011/07/06 16:51)
[72] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(三)[月桂](2011/07/16 20:42)
[73] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(四)[月桂](2011/08/03 22:53)
[74] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(五)[月桂](2011/08/19 21:53)
[75] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(六)[月桂](2011/08/24 23:48)
[76] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(七)[月桂](2011/08/24 23:51)
[77] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(八)[月桂](2011/08/28 22:23)
[78] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/09/13 22:08)
[79] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(九)[月桂](2011/09/26 00:10)
[80] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十)[月桂](2011/10/02 20:06)
[81] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十一)[月桂](2011/10/22 23:24)
[82] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十二) [月桂](2012/02/02 22:29)
[83] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十三)   [月桂](2012/02/02 22:29)
[84] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十四)   [月桂](2012/02/02 22:28)
[85] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十五)[月桂](2012/02/02 22:28)
[86] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十六)[月桂](2012/02/06 21:41)
[87] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十七)[月桂](2012/02/10 20:57)
[88] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十八)[月桂](2012/02/16 21:31)
[89] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2012/02/21 20:13)
[90] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十九)[月桂](2012/02/22 20:48)
[91] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(一)[月桂](2012/09/12 19:56)
[92] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二)[月桂](2012/09/23 20:01)
[93] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(三)[月桂](2012/09/23 19:47)
[94] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(四)[月桂](2012/10/07 16:25)
[95] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(五)[月桂](2012/10/24 22:59)
[96] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(六)[月桂](2013/08/11 21:30)
[97] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(七)[月桂](2013/08/11 21:31)
[98] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(八)[月桂](2013/08/11 21:35)
[99] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(九)[月桂](2013/09/05 20:51)
[100] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十)[月桂](2013/11/23 00:42)
[101] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十一)[月桂](2013/11/23 00:41)
[102] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十二)[月桂](2013/11/23 00:41)
[103] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十三)[月桂](2013/12/16 23:07)
[104] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十四)[月桂](2013/12/19 21:01)
[105] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十五)[月桂](2013/12/21 21:46)
[106] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十六)[月桂](2013/12/24 23:11)
[107] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十七)[月桂](2013/12/27 20:20)
[108] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十八)[月桂](2014/01/02 23:19)
[109] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十九)[月桂](2014/01/02 23:31)
[110] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二十)[月桂](2014/01/18 21:38)
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[18194] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十八)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/01/02 23:19
 大友家と毛利家の決戦となった『多々良浜の合戦』において、両軍が多々良浜を決戦の場と定めた理由のひとつにこの地が大軍の展開に適していたことが挙げられる。
 多々良浜の「浜」は「濱」、つまり干潟の意であり、字面から見れば軍勢の展開に難儀しそうに思える。だが、実際には大部分の地面は騎兵が揃って突撃できるほどしっかりしたものであった。
 足利尊氏はこの地でわずか三百の手勢をもって五万の敵を打ち破った、と太平記は記す。数字の信憑性はさておき、多々良川流域に大軍が激突できる素地があったことはここからもうかがえるであろう。


 多々良浜に陣を進めた両軍は川を挟んで対峙した。
 北岸に陣取った毛利軍の兵数はおよそ四万八千。立花山城の守備に五千の兵を割いてなお、その軍容は圧倒的であった。
 一方、南岸に進出してきた大友軍は一万五千たらず。大友軍は城交換に要した時間を利し、筑後、豊後から更なる援軍を得ていたが、それでもなお彼我の兵力差は大きい。


 この戦況で正面から、しかも大軍の展開に適した地でぶつかれば、大友軍の勝算はきわめて少ないといわざるをえない。
 大友軍としては、毛利軍を山間の狭隘な地形に引きずり込み、敵の最大の利点である数を活かせない戦いに持ち込むことこそ理想であっただろう。
 毛利軍の目的に「筑前の制圧」がある以上、遅かれ早かれ毛利軍は宝満城や古処山城といった難攻の城に進軍してこざるを得ず、それを待って戦いをはじめれば労せずして有利な戦況に持ち込むことができる。


 大友軍を率いる諸将はこのことを承知していたが、しかし、彼らは待つという選択肢をとることができなかった。
 理由はただひとつ。じっくりと腰をすえて戦えるだけの余裕が、今の大友家にはなかったからである。
 豊後本国の情勢は未だ落ち着くにはほど遠く、国境では毛利軍の別働隊が虎視眈々と府内侵攻の機をうかがっている。
 一度は肥前に退いた竜造寺軍がどう動くかも予断を許さなかった。大友軍と毛利軍の戦いが膠着すれば、竜造寺軍は漁夫の利を得るべく再び兵を発するだろう。筑後を突くか、あるいは筑前に侵入してから一気に北上し、博多津を占領するという手もある。本来はそれを阻むはずだった岩屋城はすでに破却され、宝満城にも出戦するだけの兵力はない。竜造寺軍の博多強襲が成功する確率はかなり高いのである。


 さらにもうひとつ、大友家が決着を急ぐ理由があった。それは島津家と結んだ講和は二ヶ月間の限定的なものである、ということ。
 すでに講和が結ばれてから一月近くが経過している。毛利軍との戦が膠着してしまえば、もう一月もあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。毛利と対峙している最中、島津の精鋭に豊後を強襲されてしまえばもう打つ手はない。
 そういった事態を避けるため、大友軍は危険を承知で戦線を押し上げざるをえなかったのである。



 この速戦即決を望む大友軍の動きは毛利軍に歓迎された。
 自軍の兵力を十全に活かすことができるのはもちろん、毛利軍もまた早期の決着を目論んでいたからである。
 実のところ、竜造寺、島津に対する警戒は、大友軍よりも毛利軍の方がはるかに強い。戦が長引けば、いつ何時、彼らが参戦してくるか知れたものではないという懸念があった。
 特に肥前の竜造寺は、国境をひとつ跨げばすぐに筑前という地の利があるため、一時も油断できない。竜造寺にしてみれば一番望ましいのは大友と毛利の共倒れであろうが、どちらか一方が勝利するとしたら、その勝者は毛利よりも大友の方が望ましいに違いないのだ。


 それはなぜか。
 今回の戦で大友が勝利を得たとしても、しばらく領内の混乱が続くことが予想される。しかし、毛利が勝った場合は速やかに九国北部の支配権を確立してしまうと考えられる。
 端的にいえば、毛利が勝つよりも、大友が勝った方が後々竜造寺が付け込みやすいのである。
 これまでは大友軍に勝算を見出せなかったがゆえに不利を承知で毛利と歩調をあわせていた竜造寺だが、彼らの考えに変化が生じたことは岩屋城を落とした後の行動によくあらわれている。
 いまや竜造寺は毛利にとって潜在的な敵であり、彼らが横槍を入れる隙を与えたくはない。


 島津に関しては竜造寺に対するほど切迫した危機感は持っていないが、隆元たちは大友と島津を講和させた勅使の正体をすでに知っている。その勅使が大友軍に加わっていることも知っている。
 あの人物に時間を与えてしまうと、勅使の立場を利用してどんな手を打ってくるかわかったものではない、という思いは拭いきれなかった。


 また、そういった他家との関係以外にも毛利軍が長期戦を好まない理由は存在する。
 遠征軍を組織するすべての家に共通することだが、補給の負担と国元の安全が気にかかるのである。
 今のところ、隆元の尽力によって毛利軍の補給はしっかりと保たれているが、これだけの数の大軍を維持するのは毛利家といえど決して楽ではなかった。というより、商人たちと深いつながりがある隆元の精力的な活動がなければ、この大軍を今日まで維持することは出来なかったに違いない。
 元春が立花山城攻めに注力していた間、隆元はひとりのんびりと書写で時間を潰していたわけではない。あれはあくまで激務の間の息抜きであった。


 隆元たちが九国で働いている間、安芸本国は毛利元就と重臣筆頭の志道広良が留守を守っている。この二人がいれば滅多なことは起こらないと三姉妹は確信しているが、五万近い遠征軍が九国に渡っているという事実が国元の安定に寄与するはずもなく、さっさと目的が果たせればそれに越したことはない。
 その意味でも大友家が企図した早期の決着は毛利家にとって望むところだったのである。


 以上が多々良浜の合戦に先立つ両軍の事情であった。



◆◆◆



 筑前国 多々良川南岸 大友軍


「『三つ撫子』に『一文字三ツ星』か。対岸の敵は秋月・毛利の混成部隊のようですね」
 対岸を見た戸次誾の言葉に、俺は小さくうなずいた。
「おそらく大将は秋月種実でしょう。ただ、秋月軍だけでは数が足りないので、毛利軍から援兵を割いた、というところかと」
「筑前衆の中で秋月家のみ前面に押し出し、宗像や筑紫といった他の国人衆を後陣に置いた意図はどう見ますか?」
「不安、というほどではないにせよ、秋月以外の国人衆の戦意を案じてのことではないかと考えます」


 内憂外患に苛まれて弱体化した大友軍は、竜造寺や島津といった有力大名と渡り合い、ついにはこうして毛利軍と対峙するまで立ち直った。このことは多くの国人衆の予測を外したことだろう。
 土地に根付く国人衆は基本的に勝者の側に付く。そうしなければ家の存続が危うくなるからだ。
 その意味で、万にひとつ、この戦いで大友軍が勝ってしまえば、毛利に従った者たちは勝者の立場から一転、滅亡の危機に晒されることになってしまう。
 むろん、兵数を見ればわかるように毛利軍の優位は今なおまったく揺らいでいない。普通に考えればその危惧は杞憂であるのだが――


「このところ、毛利軍は数に劣る大友軍に立て続けに敗北していますからね。もしかしてまた、と考える者もいないわけではないでしょう。あるいは、今は思っていなくても、戦が不利になればそんな考えが頭をよぎるかもしれません。そうなれば踏ん張りがきかなくなり、劣勢を覆せなくなってしまいます。くわえて、こちらには道雪さまがいらっしゃいますから、それも豊筑の国人衆を下げた理由のひとつでしょうね」
 俺の言葉に誾は深くうなずいた。
「九国の兵はほとんどが義母上を鬼と恐れている。実際に義母上に蹴散らされた者も多い。義母上の姿を見ただけで背を向けかけない国人衆たちを前線に立たせたくなかった、ということですね」
「はい。ヘタをすればその敗勢に毛利兵が巻き込まれるかもしれません。そんな危険を冒すよりは、確かな戦意を持つ秋月と毛利のみで戦った方が良い、と考えたのでしょう。そうしたところで数の優位は揺らぎませんから」


 誾の問いに答えながら、俺は相手のこれまでにない素直な態度がくすぐったくて仕方なかった。
 今さらな確認だが、大友家における雲居筑前の正式な地位は戸次家の家臣、つまり誾の配下である。高千穂での戦い以降は別行動をとっていたが、主従の関係が解消されたわけではない。
 ゆえに、この合戦において右翼軍を任された誾の部隊に俺が配属されたことは何の不思議もない。同じく戸次家の配下である十時連貞どのが豊後で療養中の今、誾が俺に合戦の意見を求めてくることも別におかしなことではないだろう。


 おかしいのは――もとい、変化があったのは誾の態度である。
 以前は言葉こそ丁寧でも随所に俺に対する隔意を見て取ることができた。俺が誾の下につく前もそうだったし、ついてからもそうである。後者に関しては、俺が高千穂戦で誾に内緒で策動したせいでもあるのだが、ともあれ目の前にいる少年が俺との間に一線を引いていたのは間違いない。


 だが、城交換によって再会を果たしてからというもの、その線引きがなくなったように思えるのだ。
 過日、毛利との交渉を終えた俺は、立花山城に立てこもっていた誾たちのもとに赴いた。
 その際、俺はこれまでの経緯をすべて伝えていた。自分が他家に仕えていた人間であることも含めて。
 なので、正直なところ、誾にはこれまで以上に距離を置かれるだろうな、と考えていたのだが、不思議なことに現実は逆になっている。


 はじめ、俺はその変化に驚きを隠せなかったのだが、鎮幸から篭城中の話を聞いてからは色々と納得できたように思う。誾は今回の篭城戦を契機として色々と吹っ切ることができたのだろう。
 ……まあ「宗麟さまのお尻をひっぱたく」発言を聞くかぎり、ちょっと吹っ切れすぎなんじゃないかなーと思わないでもないが、誾の年齢や境遇を考えれば、むしろこっちの方が自然なのかもしれない。少なくとも、へんに陰にこもるよりも健全であるのは間違いないだろう。
 そういった誾の内面の変化が俺に向けた感情をも和らげた――今の誾の態度はそういうことだと俺は解釈していた。




 と、そんなことを考えていると、難しい顔をした誾が慨嘆するように言った。
「毛利軍は中軍が毛利隆元、吉川元春の一万五千。左翼が小早川隆景の一万。私たちと対峙する右翼が秋月種実の一万三千。これだけでも我が軍の倍近いというのに、さらに後詰には豊筑の国人衆がおおよそ一万。立花山城にも五千近い守備兵を割いているという報告です。対してこちらは、私たち左翼が五千、義母上(道雪)の右翼が三千、そして宗麟さまと伯母上(紹運)が率いる中軍が七千。後詰はなし。なんとかこの形勢を挽回できる妙案はないかと考えていますが、今日にいたるまで策らしい策は考えつけていません」
 そういった後、誾は少し俯きがちになり、どこか気恥ずかしそうに付け足した。
「救いがあるとすれば、こちらは毛利軍と違い、当主さまが御自ら戦場に姿を見せている、ということですね。おかげで、これだけ不利な戦況だというのに兵の士気は互角か、それ以上です」
「それは確かにそのとおりですね」
 俺は同意を示すためにはっきりとうなずいてみせた。そう口にする誾自身、宗麟さまが豊後から戦場に駆けつけたことに戦意を沸き立たせていることがうかがえる。ただ、少年の複雑な胸中をおもいやって、声にして指摘することはやめておいた。





 毛利軍との決戦は城交換の後、間もなくのこと。
 そう考えた俺と道雪どのは豊後に早馬を送り、更なる増援を求めた。ただ、正直なところ、あまり期待はしていなかった。朽網鑑康率いる三千の援軍だけで精一杯の状況だということはあらかじめ伝えられていたからである(ちなみに鑑康自身は古処山城の守備についているのでここにはいない)。
 ただ、城交換が一日二日で終わるはずはなく、その意味で多少なりとも時が稼げたことは確かであった。その間、豊後の情勢が変わる可能性はゼロではない。
 実際、この期間のおかげで、先に筑後に行ってもらっていた問註所統景が千の筑後兵を率いて合流してくれた。これは問註所氏と五条氏という、筑後では数少ない親大友の両家が工面してくれた援兵である。
 これと同じことが豊後でも起きるかもしれない。俺はそう考えていた。


 ただ、繰り返すが、そこまで切実に期待していたわけではない。統景が連れて来た筑後兵、誾が率いている立花勢を含めれば大友軍の総数は一万に達する。今日までの戦況を考えれば、これだけでも十分に御の字といえる。
 なので、宗麟さま自らが五千の兵を率いてやってきた時、俺は喜ぶよりも先に驚き、思わず目をこすってしまった。たぶん、眼前の軍勢が煙のようにドロンと消えても俺は驚かなかった。むしろ「ああ、やっぱり夢か」と安堵したかもしんない。


 たぶんこの時の俺の気持ちは誾を含む多くの大友軍将兵と共通していたことだろう。
 否、むしろ俺は大友軍の中でも比較的平静を保っていた方だったかもしれん。
 というのも、この五千の援兵の先頭には、日の光を浴びて燦然と輝く白檀塗りの鎧兜をまとった宗麟さまがいらっしゃったからである。


 短期間とはいえ、自分の目で宗麟さまの変化を見た俺や道雪どのと違い、話の中でしか知らなかった誾や紹運どのは、そんな宗麟さまを見て、張り裂けんばかりに目を見開いていた。
 いや、二人だけではない。道雪どのさえ目じりに涙をため、深い感慨をこめて宗麟さまを見つめていた。二階崩れの変以来、一度も見ることができなかったその姿を。


『イザヤ……いいえ、誾。よく無事でいてくれました』


 宗麟さまに深い安堵をこめて囁かれ、抵抗する間もなく抱き寄せられた誾の混乱は、さて、いかほどであったことか。
 正直、ちょっと訊いてみたい気もするが、さすがに茶化すようなことではないので、俺は今にいたるまでつつましく沈黙を保っている。
 誾なりに自分の心に素直になろうとしていた矢先の宗麟さまの変化だ、衝撃はかなり大きかっただろう。ただ、その衝撃が誾に悪しき影響をもたらすものでなかったことは、今こうして戦況について話している姿を見れば明らかだった。


  

 ちなみに、宗麟さまが五千もの援軍を編成してのけた方法だが、これは非常に簡単だった。
 兵がある場所から引き抜いてきたのである。
 それは府内を守る守備兵であったり、ムジカから引き上げて間もない佐伯惟教らの手勢であったり、さらには北で毛利の別働隊と対峙している吉岡長増らの後詰部隊であったりしたが、とにかくそういったところからかき集めた兵によって援軍は成り立っていた。
 当然のように、その影響は小さくない。ムジカで敗れた兵たちの疲労は見過ごせず、府内や周辺の治安悪化も予想される。後詰部隊をかっさらわれて後がなくなった北の防衛線が破られたら一大事。件の奈多家や田原家に府内を強襲される恐れもある。今の豊後は問題が山積みであった。


 これに対して宗麟さまはどんな手を打ってきたのか。
 答え 特に打ってません。


 これを聞いたとき、大友家の諸将は驚きのあまり二の句が告げなかった。あ、道雪どのは除く。
 宗麟さまとしては、ここで毛利家に敗れればどのみち大友家は終わりである、という認識がある。であれば、考えるべきは毛利に勝つこと、ただそれのみ。
 たしかに強引に援軍をかき集めたことで府内――というか豊後は混乱するだろうが、毛利軍に勝てばそのほとんどは霧消する。仮に奈多家や田原家が府内を制したとしても、毛利という後ろ盾を失えば慌てて逃げ散るしかなくなるだろう。
 さらにいえば、今にいたっても明確に叛旗を翻せない彼らに、空になった府内を見て即座に動く臨機応変さがあるとも思えない。おそらく、策を疑ってしばらく逡巡するだろう。その間に勝利を決してしまえば何も問題ない、というのが宗麟さまの主張であった。



 正直にいって、それを聞いた俺は困惑を禁じえなかった。というか、はっきりと混乱した。
 ――誰この人? 本当にあの宗麟さま? 見方によっては自棄ともいえる捨て身の行動は、俺の中にある宗麟さまの像とあまりにも異なっていた。
 たしかに手段を選んでいられる戦況ではないし、元々俺たちも速戦を企図していたし、なによりここで五千もの援軍はものすごいありがたいのだけど、それにしてもちょっと思い切りがよすぎませんか?
 誾といい、宗麟さまといい、今の大友家には目に見えないへんな力が働いているような気がして仕方ない今日このごろである。
 そうこぼしたら吉継に溜息を吐かれた。なにゆえ。


 俺の混乱を鎮めてくれたのは道雪どのである。
 道雪どのは悪戯っぽく笑いながら俺に教えてくれた。もともと武将としての宗麟さまはこういう方だったのですよ、と。
 好んで危険を冒すわけでは決してない。ただ、他に打つ手がないと思えば、あるいはそれが必要だと判断すれば、自ら退路を断つような方策をとることは何度もあったそうな。
 宗麟さまが理詰めでしか動けない将であれば、二階崩れの変後の混乱をしずめることはできなかったでしょう、という道雪どのの言葉を聞いた俺は唸ることしかできなかった。
 人はみかけによらない、という一言で済ませてもいいのかしら?




 まあそれはともかく、誾のいうとおり、こと士気に関して大友軍は毛利軍に優るとも劣らない。
 大軍を集める目的のひとつに戦わずして敵を威圧することが挙げられるが、今の大友軍であれば数の圧力に怯むことはないだろう。
 この一事だけをとっても宗麟さまが参戦した意義は大きい。
 俺がそんなことを考えていると、対岸の秋月種実の軍勢から喊声があがり、将兵の動きが慌しくなってきた。


 どうやら毛利軍の先陣をきるのは右翼の秋月勢であるらしい。
 先鋒は武人の栄誉。秋月勢にその役が与えられたのは、戦わずして古処山城を明け渡すことになった種実の無念に配慮したためであろうか。
 俺は毛利軍の内情を推測しつつ、誾を守って本陣に引き返した。





◆◆◆





 多々良川を挟んで対峙した大友、毛利の両軍。
 先手をとったのは数に優る毛利軍であった。右翼を任された秋月種実が多々良川を渡渉し、対面に位置する戸次誾の軍勢に襲い掛かったのである。
 大友軍の布陣は右翼が立花道雪、中軍が大友宗麟と高橋紹運、左翼が戸次誾となっている。
 大友軍において最強と目される立花道雪が率いる右翼が精強であることは明らかであり、当主である宗麟とスギサキの誉れ高い紹運が率いる中軍の勢いも侮れぬ。
 だが、左翼の戸次誾はいまだ戸次家を継いで間もなく、当人もまだ少年といってよい年齢であった。当然、戦の経験も少ない。先の篭城戦を耐え抜いた指揮の冴えは軽視できないが、それでも中軍と右翼に比べれば、これを打ち破れる可能性は高いだろう。
 まず崩すべきは左翼の戸次誾。それが毛利軍の意図であることは誰の目にも明らかであった。


 秋月の先鋒となったのは大橋豊後守、率いる兵は二千である。
 この時期、筑前では雨が少なく、川の水量は少ない。目だって低くなった川面を蹴立てて突っ込んでくる秋月勢を睨みすえ、戸次誾の口から鋭い命令が迸った。
「放てェッ!!」
 命令に応じて戸次勢から雨のような矢が降り注ぐ。
 戸次勢の猛射を浴びて秋月兵はバタバタと倒れていくが、突撃の勢いそのものはほとんど緩まなかった。両手持ちの長槍を主武装とする足軽兵は盾の類を持つことができない。矢で射殺されたくないのならば、飛来する矢は防具にあたるに任せ、一秒でも早く敵陣に突っ込むしかないのである。


 降り注ぐ矢の雨をかいくぐり、三百ほどの秋月兵が対岸にたどり着く。彼らは勢いにのって大友軍の陣列に躍りかかったが、そこに待っていたのは筒先を揃えて待ち構える鉄砲隊の陣列だった。
「撃てィッ!」
 鉄砲頭の命令はただちに実行に移された。
 至近にまで敵兵をひきつけてからの一斉射撃である。避けようのない距離から放たれた二百の銃弾は五秒に満たない時間で秋月兵を半壊せしめ、それを見た誾の号令がいまだ轟音の音さめやらぬ戦場に響き渡った。


「槍隊、押し出せッ!」
 半ばが血泥に倒れ伏した秋月兵を、さらに完膚なきまでに叩きのめすべく、戸次軍の足軽勢がつきかかっていく。
 短くも激しい戦闘の後、はじめに渡河を果たした三百の秋月兵のほとんどが討ち取られた。
 対する戸次勢に被害らしい被害はない。ほぼ完璧といえる戦果であったが、大友軍に喜んでいる暇はなかった。今の一連の戦闘の間にも秋月兵は次々に対岸にたどり着いており、その数は刻々と増え続けていたからである。
 指揮官である大橋豊後守自身も川を渡り終え、混戦の中でも巧みに陣形を整え、戸次勢に肉薄しようとしていた。




 これを見て動いたのが秋月種実である。
 種実は深江美濃守に三千の兵を与えて大橋の後に続かせた。数だけ見れば、これで大友軍と互角となる。この深江隊の投入で戸次勢に動揺が見えれば、種実自身が川を渡って一気に大勢を決するつもりだった。
「もっとも、そう簡単にはいかないだろうけどね」
 そう口にする種実の胸奥には震えるほどの無念がある。
 種実はすでに自分が大友軍に「はめられた」ことに気がついている。先に北原鎮久が古処山城にやってきたとき、種実は毛利軍が到着するまで古処山城に立てこもることこそ最良の手段であると考えた。だが、その思考こそが大友軍に誘導された罠であったのだ。
 おそらく、あの時点で出戦を選んでいれば、大友軍を各個撃破することも不可能ではなかった。少なくとも宝満城を襲った部隊を封じることはできただろう。
 それを避けるために謀略を仕掛けてきた大友軍に種実はまんまと乗せられてしまった。


 大友軍は古処山城に閉じこもった種実を餌として毛利軍と交渉した。そのことを聞いたときの屈辱を種実は忘れられない。
 隆元や元春は、種実の判断は間違っていないと言ってくれたが、それでもしてやられたという気持ちは拭えない。
 この戦いは大友に借りを返す絶好の機会だった。かつて休松城で味わった屈辱もあわせ、二倍にも三倍にもして叩き返してやる――と言いたいところなのだが。


「……こうやってこちらが平静を欠くことも想定済みなんだろう。雲居筑前か、それとも天城颯馬かは知らないが、なんて性根の捻じ曲がった奴なんだ。きっと狐のような目と狸のような顔をあわせもっているに違いない」
 ゆるぎない確信を込めて言い放ちながら、種実の目はあくまで冷静に戦況を見据えていた。
 前述したように種実の胸中には無念と屈辱が溢れかえっていたが、その一方で奇妙な落ち着きを感じてもいたのである。怒りも苛立ちも、嵩じるとかえって冷静になってしまうものらしい。あるいは、あまりにしてやられてばかりなので、いっそ吹っ切るしかないと心のどこかで思っているのかもしれなかった。


 いずれにせよ、数の利をもって大友軍を押し続けるという種実の指揮は敵に付け入る隙を与えなかった。損害を出しながらも、秋月勢はじりじりと敵軍を圧迫していく。
 だが、大友軍もやられてばかりはいなかった。戸次誾みずからが前線に姿を現して激しい抵抗を繰り広げ、秋月勢に一定以上の進撃を許さない。
 若すぎる敵将の奮戦ぶりを遠望した種実は、わずかの時間、考えにしずむ。自身もここで出るべきか、あるいはここで一度兵を戻すべきか。


「……戦は始まったばかりだ。隆姉さまの言葉もある。ここで無理押しをすれば、タチの悪い罠に引っかからないとも限らないし、敵将の手並みを確認できたことでよしとしよう。伝令、恵利(えり)隊に使いせよ。川岸に鉄砲を並べ、退却する兵の援護をせよ、とな」
 



◆◆




 多々良川を挟んだ両軍の戦闘回数は、緒戦の秋月勢と戸次勢のそれを含めて実に十八回に及んだ。
 戦闘の規模は小競り合いから主力部隊の激突まで様々であったが、十八の戦闘、そのほとんどにおいて仕掛ける側は毛利軍であり、大友軍はもっぱら受身で戦うことを強いられた。
 両軍の兵力差を考えれば、毛利が攻めあぐねている、あるいは大友軍が健闘しているというべきだろう。
 しかし、見方をかえれば、大友軍は毛利軍の絶え間ない攻勢に追いまくられ、守勢に回らざるを得なかった、ともいえる。


 実際、毛利軍は毎日どころか日に何度も戦いを仕掛けるものの、決して無理押し、深追いはせず、ある程度戦いが膠着すると、結果に執着することなく兵を退いた。
 これを追撃すれば、より多勢の毛利軍に取り囲まれてしまう。そのため、大友軍は敵の退却に付け込むことができず、結果、毛利軍の被害はおさえられ、次の攻勢を容易なものにしてしまう。大友軍としては先の見えない消耗戦に延々と付き合わされているようなものであった。
 数に優る毛利軍に対して特筆に値する奮闘をしていることは確かだが、もともと大友軍が不利を承知で多々良浜に出てきたのは早期の決着を望んでのことである。ここで毛利軍相手に局地的な奮戦を演じても得るところは何もない。
 この戦況が続けば、兵力の上からも、戦術の上からも、さらにいえば戦略の上からも、先に破綻するのは間違いなく大友軍の方であった。



 むろん、毛利軍はそのことを計算に入れて戦っていた。
 日々の攻勢は偽りのものではない。大友軍に隙があれば、一挙に勝敗を決するつもりで攻めかかっている。
 ただ、大友軍の手強さを知る毛利軍は自軍の数を過信しなかった。
 隙あらば制圧する。だが、隙がないようであれば腰をすえて戦い続ける。数の利を活かし、敵に策動の余地を与えず、大友軍の余力を確実にそぎ落としていく戦い方は、相対する者にとって最悪の一語に尽きた。


 今の大友軍はたとえていえば海岸の砂城であった。
 どれだけ堅固につくろうと、押し寄せる波に絶えず晒された城は、いつか砂に溶けてしまう。
 何か戦況を一変させる策が必要であった。
 しかし、今の毛利軍を突き崩すような策がそこらに転がっているはずがない。
 大友軍の雲居筑前と小野鎮幸は、合戦に先立つ軍議に臨む前に二人で次のような会話を交わしていた。





『ふむ、つまり軍師の目から見ても、これといって打つ手がないというわけだな』
『はい。川を使おうにも、ろくに雨がなかったせいで水量が少ないですからね。これでは堤防を築いたところであまり意味はないでしょう』
 まあ、そもそも謀神に鍛えられた毛利軍に奔流の計なんぞ通用しないだろうが、と思いながら雲居が言うと、鎮幸は渋い顔でうなずいた。
『おかげで立花山城では苦労させられたわ。それはともかく、そうなると数に優る毛利軍を正面から打ち破るしかない、ということになる。むろん、そう簡単に負けるつもりはないのだが、いかんせん、此度の戦は時の縛りがあるゆえな……ちと難しかろう』
 そういって腕を組んだ鎮幸は、何かを思いついたようにぽんと手を叩いた。
『どうだろう、軍師。いつぞやのように我らで立花山城に入り込み、城門を開くという策は。あるいは少数の精鋭を率いて急襲する、でも良い。幸い城への抜け道は幾つか心当たりがあるでな。首尾よく城を落とすことができれば、毛利軍は袋のねずみよ』


 すでに鎮幸は雲居の正体を知らされていたが、態度も呼びかけも以前のそれとまったく同じであった。名がどうあれ、大友家のために尽力してきた相手に対する、それが鎮幸なりの誠意だったのだ。
 雲居はそのことを感じ取っており、だからこそ自身も相手に対してことさら構えることをせず、以前と同じように振舞っていた。 
『ああ、そんなこともありましたね。しかし、今回はやめておきましょう。小野さまはもちろん、それがしもすでに毛利に顔を知られてしまっています。それに、毛利軍もこちらが地理に通じていることは承知していますから、城の警戒は厳重をきわめているはずです。百の兵を用いれば百が、千の兵を用いれば千が、敵の顎に噛み砕かれるは必定かと』
『むう、そうか。ならばここは先手必勝、全軍をもって毛利軍に襲い掛かり――』
『ヘタに策を弄するよりは、いっそその方が良いかもしれませんが……』
 数にして三倍を越える敵と真っ向から戦ってどれだけの勝ち目があるのか、と問われれば口を噤まざるを得ない。


『それでは打つ手がないではないかッ』
『はじめからそう申し上げていましたよね?』
 憤慨する鎮幸を見て雲居はジト目でツッコミをいれる。
 が、すぐに気を取り直して考え込んだ。
 大友軍は毛利軍に比して兵力で劣り、時間の制限もあり、唯一ともいえる利点であった情報の優位もすでにない。
 この戦況を覆すのは容易なことではない。実のところ、鎮幸が口にした乾坤一擲の決戦はそれを可能にする案のひとつであった。宗麟の参戦で士気は互角かそれ以上、これに立花道雪、高橋紹運といった名将たちの統率力を考慮すれば、大友軍の勝算はある。あるのだが――
『それでも勝算がきわめて低いことにかわりはありません。やはりまずは守勢、持久の構えをとる必要があるでしょう』


 陣を堅固に保ち、数に優る相手の攻勢をひたすら耐えしのぐ。
 雲居がその意見を出すと、鎮幸からは怪訝な視線が返って来た。それも当然といえば当然のこと。大友軍は早期の決着を求めて多々良浜に陣を進めてきたのだから。
 鎮幸の眉間にしわができた。
『うむ、まさしく矛盾――いや、軍師よ、言わずともわかっておる! あえて意表をついた言葉で諸将の注目を集め、しかる後に真の意図を開陳して皆をあっといわせるつもりであろう? ふふ、まったく、もったいぶりおってからに。やはりもったいぶることにかけて、わしはおぬしに遠く及ばぬな。軍師、策士とはかくあるべし!』
 雲居は再びジト目になった。
『……いや、順をおって話そうとしているだけで、別にもったいぶっているつもりはないですし、もったいぶるのがうまいと誉められても嬉しくないですし、あと諸国の軍師、策士の皆さんに謝ってください』
 まあ、ある意味で真理のような気もするが、と雲居はちらと考えたが、それを認めるのは色々な意味で嫌だったので、こほんと咳払いしてごまかした。


『それはともかく、真の意図といっても、結局最後は道雪さまや小野さま、由布さまの武勇をあてにした力押しですから、策といえるほどの策ではありませんよ』
 雲居がそういうと、鎮幸は呵呵と大笑した。
『細かいことを気にするでない! 謙遜も不要ぞ! で、動かぬ様を見せ付けてどうするつもりなのだ。敵兵の油断を誘い、強襲の機をうかがうか?』
『まあそんなところです。毛利軍は多くの情報を得ました。それがしのことも、秀綱どのや長恵のことも。けれど、時に情報を持っていること、それ自体が枷となることもあります。そのあたりを利用できれば、勝算を多少は高めることができましょう』
 雲居はそう前置きしてから、具体的な方策に言及した。




◆◆◆




 その日、数えれば十九回目となる戦闘の火蓋を切ったのは大友軍左翼 戸次誾の部隊であった。
 早朝、まだ日も昇りきらないうちから川岸に進み出た戸次勢は、所有するすべての鉄砲を並べ立て、敵陣に向けて一斉に撃ち放した。
 癇癪を起こしたかのような銃声の乱打は、昨日までの大友軍の攻勢とは明らかに一線を画していた。
  

 多々良川を挟んだ攻撃はさしたる効果をあげなかったが、それでも飛来する銃弾の雨によって何人もの兵士が倒れ伏していく。
 そして、川面から銃声の響きが去らないうちに、戸次勢は喊声と共に突撃を開始した。喊声の大きさからして、百や二百の様子見ではない。明らかに数千の兵による吶喊であった。


 ついにしびれをきらしたか。
 秋月勢を率いる深江美濃守と大橋豊後守はそれぞれの部隊を率いながら、同時にそう考えた。
 このまま戦況が推移していけば大友軍は遅かれ早かれ力尽きる。それを避けるためには、余力のある今のうちに勝敗を決する必要があった。
 この攻撃はそのためのものと考えられるのだが、大友軍がそう素直な反応を見せるものか、という疑念もあった。


 この宿将たちの疑念は半ば当たり、半ば外れる。
 大友軍の攻勢、それ自体は両将の読みどおりのものであったが、大友軍は何の策もなしに闇雲に仕掛けてきたわけではなかった。
 戸次勢の中には秋月勢が昨日まで見かけなかった武将がひとり加わっていた。秋月勢の迂回を警戒して戸次誾の背後を守っていた雲居筑前が、はじめて前線に出てきたのである。
 雲居の麾下に配された兵はおよそ八百。その数自体は秋月勢の脅威になるものではない。
 脅威となるのは兵を率いる将の智謀であり、その下で剣を振るう聖たちの存在であった。




 上泉秀綱と丸目長恵。
 過日、宝満城の守備兵が味わった恐怖は、日と場所をかえて秋月勢の頭上にふりかかる。
 雲居の部隊とはじめにぶつかった大橋豊後守は、敵兵の先頭に立って縦横無尽に立ち回る二人の剣士にまったく歯が立たず、たちまちのうちに後退を強いられてしまう。大橋がどれほど踏みとどまるように声をからしても、兵たちが怖じてしまえば如何ともしがたい。
 自軍の不甲斐ない戦いぶりに大橋は歯噛みをしたが、しかし、その顔に狼狽はなかった。
 大橋は側近のひとりを呼びよせ、本陣の種実のもとに走らせる。
 その使者は種実のもとに案内されるや、叫ぶようにこう言った。
 出てきましたぞ、と。



 それを聞いた種実の口元がはっきりとした笑みを形作った。
「ようやく出てきたか、天城とやら」
 種実はすぐさま本陣の隆元と元春に使者を差し向け、これを受けた隆元たちは左翼の隆景に同じことを伝えた。
 この時点で毛利軍の指揮官たちは、ここが今回の合戦の勝負所だという認識を共有する。
 もともと、毛利軍を率いる三姉妹はそれぞれに程度は違えど天城颯馬を警戒していた。彼女らは連日の攻勢で敵の策動を押さえつけながらも、姿の見えない天城どその麾下の剣聖に常に注意を払っていたのである。
 あるいは、ひそかに多々良浜を迂回して立花山城に襲いかかってくるかもしれぬ。そう考えていた三姉妹にとって、天城と剣聖の姿をこの戦場で確認できたことは小さからざる意味があった。


 これで他所に注意を向けずに済む、というのがひとつ。
 もうひとつ、今日まで姿を伏せていた天城らが出てきたということは、大友軍の余力が尽きかけていることを意味する。これ以上の待機は勝機を逸すると考えたから、天城らは出てこざるを得なかった。
 ――それはつまり、この攻勢をしのげば勝てる、ということであった。



 中軍を率いる吉川元春は、正面の敵本隊に注意しつつ、右翼の種実を援護する形を整えた。
 戸次勢は前がかりになって秋月勢を押し込んでいるが、秋月勢は戸次勢に倍する兵を擁している。いかに剣聖がいようとも、そう簡単に突破できるものではない。
 見方をかえれば、今の戸次勢は正面の秋月勢に集中せざるをえない状況に陥っている。今ならば側面をついて相手に痛撃を与えるも、退路を断って撃滅するも思いのままだ。
 元春は機動力のある騎馬兵を右翼側に集結させた。むろん、この兵力移動で正面の敵中軍に付け入る隙を与えるような無様は晒さない。
 実際、宗麟と紹運の率いる中軍はこの機に動くことができず、毛利軍が戸次勢を鏖殺する準備を完了させるのを指をくわえて見ていることしかできなかった――あるいは、できなかったように見えた。



 元春の号令ひとつで毛利の騎馬隊は戸次勢に襲い掛かる。いかに剣聖とはいえ、挟撃する秋月勢と元春の部隊を同時に相手どることはできず、衆に飲み込まれるしかない。
 ただ、種実に援軍を差し向ければ、そのぶん中軍の兵は少なくなる道理である。大友軍がそのことに気づかないはずはなく、この点には注意を要するだろう。とはいえ、仮に三千の兵を割いたとしても、中軍にはまだ一万を越える兵が残っている。これは大友の中軍を大幅に上回る数であり、その点、過度の警戒は必要ない。
 兵力差が縮まる分、苦戦する確率はあがるわけだが、それならそれで隆景が中軍を援護すれば済む話である。あるいは後陣の豊筑の国人を投入してもよいだろう。ここまで戦況が進めば、たとえ鬼道雪が相手であっても彼らは怯むまい。
 元春と隆景はこの時点で勝利を確信した。隆元が確信しなかったのは、別に嫌な予感を覚えたからではなく、単に妹たちほど鋭敏に戦場の流れを感じることができなかっただけである。




 そう、この時、膠着していた合戦場には一つの流れが形作られていた。
 ここが勝敗の分水嶺であるという感覚。今ならば勝利を掴みうるという確信。一語でいえば勝機。それがうまれつつあった。
 源となったのは戸次勢の攻勢と天城颯馬の参戦である。
 秋月種実は正面の戸次勢を見据え。
 吉川元春は戸次勢を撃滅するべく右翼に視線を投じ。
 小早川隆景は元春を援護するために中軍を注視した。


 いずれも勝機を感じ取り、それを掴むための行動であった。
 その結果として、本当にわずかな、一時的なものではあったが、毛利軍は注意をそらしてしまった。


 ――戦場において、決して目を離してはいけない人物から



◆◆




「申し上げます、立花勢、川面を蹴立てて突撃を開始いたしましたッ! 中央に輿に乗った敵将を確認、鬼道雪ですッ!!」
 その報告が耳朶を打った瞬間、毛利軍左翼を率いる小早川隆景は自分でも気づかないうちに舌打ちをしていた。
 虚を突かれた、と感じたのだ。
 大友軍が決戦を企図していたのなら、立花勢が戸次勢と歩調をあわせて動くのは当然のこと。予測してこれに備えることは何も難しいことではない。
 にも関わらず、隆景はそれをしなかった。下流での戦闘と、それに付随して起こる戦場の変化に気をとられ、眼前の敵に対する注意を怠ってしまったのである。


 だが、隆景はすぐに気を取り直した。
「応戦準備。敵はこちらの半分以下だ。これまでと同じように迎え撃て」
「ははッ!」
 隆景の命令に応じて周囲の将兵が動き出す。音に聞こえた鬼道雪とぶつかるためか、彼らの顔からは緊張が色濃く漂っていたが、それでも恐れ怯えている者はいなかった。すでに隆景と道雪は今日までに幾度か矛を交えており、その経験が平静さを保つ一助となっているのだろう。


 道雪の右翼部隊は大友軍でも最もすくない三千弱であり、一方の隆景の兵は一万に達する。
 数にして実に三倍の兵力差であったが、隆景は決して道雪と正面から戦おうとはしなかった。
 隆景の作戦は単純といえば単純なもので、防備をかためて敵の初撃を受け止めている間、左右に兵を回して立花勢を取り囲むように動く。こうすれば包囲されることを嫌う立花勢は退かざるを得ない。これの繰り返しであった。


 道雪が攻め込んでくるのであれば、また同じように迎え撃つまでのこと。隆景はそう指示し、部下たちは了解した。
 だから、というべきだろうか。
 多々良川を渡った立花勢が小早川勢の眼前で唐突に転進したとき、彼らは咄嗟に反応することができなかった。
 初撃は受け止める。
 この隆景の命令が徹底されていたからこそ、立花勢が無防備な横腹を晒して通り過ぎていくのを口を開けて見送ってしまったのである。


 むろん、それは長い時間ではない。
 だが、無視できるほど短い時間でもなかった。隆景自身、道雪の思惑がわからず、困惑をおぼえた。真剣をもって敵と向かい合っていたら、いきなり相手があさっての方向に駆け出したようなものである。
 正確にはあさっての方角ではなく、下流方向、つまり元春たちの中軍が布陣している方向なのだが……


 と、そこまで考え、隆景はおそまきながら気がついた。
 立花道雪が――あるいは、天城颯馬が何を考えているのか。
「しまッ!? 全軍、ただちに立花勢を追撃せよ! 道雪はこのまま中軍に突っ込む腹と見えるぞッ!」
 中軍の元春は種実を援護するために兵を移動させたばかりである。そこに反対方向から横撃をくらえば、元春とて苦戦を余儀なくされるだろう。予測していない方向からの攻撃であれば尚更だ。
 しかも、敵の中軍がそれを漫然と眺めているはずがない。大友軍の狙いがはじめから中軍――否、毛利軍の総大将たる隆元の身命にあるのなら。



『それがしが仮に戦場で毛利の一族の誰かを討つ機会に恵まれたとしたら――』



 いつか天城が口にした言葉が隆景の脳裏をよぎる。
 知らず奥歯をかみ締めた隆景は、再度追撃の指示を出して道雪の後を追った。
 正面の道雪がいなくなった今、隆景もまた敵中軍に攻撃を仕掛ける好機を得ているのだが、仮に大友宗麟を討ち取ったとしても、代わりに道雪に隆元を討たれてしまえば何の意味もない。
 元春がいれば隆元の身に滅多なことは起こるまいと思いはしても、ここで矛先を転じる気にはなれなかった。


 隆景の視線の先では、立花勢がその錬度を示すように素早い行軍を続けている。対する小早川勢の動きは、立花勢に比べれば鈍重というしかなかった。少なくとも隆景の目にはそう映った。
 錬度でひけをとるわけではない。だが、この時ばかりは立花勢に三倍する兵数が仇になっていた。くわえて、はじめから行軍路を定めていた立花勢と異なり、小早川勢は転進の準備などできていなかった。むしろ、そんな状態にありながら、それでも陣列を整えて行軍できている兵たちを褒め称えるべきかもしれない。


 このままでは隆景が道雪に追いつくよりも先に、道雪が元春の横腹に食いついてしまう。その後に隆景が兵を率いて乱入すれば、かえって中軍の混乱を助長することになりかねない。
 隆景は真剣に考え込む。
 このまま陣形を保って進むべきか。
 陣形を崩してでも、足の速い部隊で追撃を仕掛けるべきか。


 答えはすぐに出た。
 確実なのは陣形を保って進むこと。しかし、自分の失態で姉たちを危険に晒しておきながら、自分だけ安全確実を旨として行動するなど隆景の耐えられるところではなかった。
 そう考えた隆景は意を決して命令を下し――――ほどなくして、その命令を下した自分自身を罵ることになる。
 
 


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