失策が失策を呼び、より悪しき結果へ。
二階崩れの変を端的に表現すれば、そんな言葉が相応しいのかもしれない。
塩市丸擁立を目論む者たちが、真っ先に取り込むべき人物――塩市丸の傅役である一万田鑑相の為人を見誤ったのならば、一万田鑑相は彼らの焦りを見誤り、対応は後手を踏んだ。
無論、それは致し方ない面もあった。義鎮廃嫡を口にしたのが入田親誠だけであれば、鑑相は公然とその非を指摘することも出来ただろう。だが、現当主である義鑑が相手であってみれば、それも難しい。
みずからの保身ゆえ、というわけではなく、このことが家中に知れ渡った際の影響に思いを致せばためらわざるを得なかったのである。
もし鑑相がこのことを公言すれば、下手をすると――否、間違いなく、家中は義鎮派と塩市丸・義鑑派の二つに分裂してしまうだろう。
もっと言えば、分裂が二つで済めばまだマシとさえ言える。基本的に同紋衆は宗家当主の意思に反することはないが、事が廃嫡となれば意思の統一は難しいと言わざるを得ず、義鎮を支持する同紋衆も少なくあるまい。現に鑑相も世継ぎは義鎮であるべきと考えているのだから。
同紋衆さえそうなのだ。家中の席次において、同紋衆の後塵を拝する形になっている他紋衆はさらに複雑だろう。
つまり、義鎮派と塩市丸・義鑑派に分かれた陣営が、さらに分裂する恐れがあるのだ。大友家がいくら巨大な勢力を誇るとはいえ、これでは周辺諸国の好餌になるしかない。
そんな事態を避けるには、事が義鑑の内意に留まっている今のうちに片付けるしかない、というのが鑑相の判断だった。
その判断は間違いではない。鑑相が見誤ったのはこの状況を引き起こした主体が誰であるか、という点だった。
鑑相は、入田親誠の讒言がこの事態を引き起こしたと考えていた。本来、真っ先に義鎮の側に立つべき親誠の言葉ゆえに、義鑑もその言を重んじ、廃嫡という結論に至ってしまったのだろう、と。
他の加判衆や大身の家臣たちに話が漏れれば、どんな事態を招くかわかったものではない。事は慎重の上にも慎重を期して行うべきであった。
親誠は義鑑の信頼厚い寵臣だが、廃嫡という大事を他の重臣の賛同なく押し通せるほどの権力は持っていない。鑑相を自陣営に引き込もうとしたのが何よりの証拠である。
それゆえ、まだ時は残されている――そう考えたことを、鑑相は間もなく悔いることになる。
鑑相は気付けなかった。すでに義鎮廃嫡の主体が親誠ではなく、義鑑であることを。
何故、という疑問の答えは、義鑑の死と共に失われた。
義鑑と義鎮は決して折り合いが悪かったわけではない。少なくとも義鑑が家臣の前で廃嫡を匂わせる言葉を口にしたことは一度としてなかったのである。
あれほど家督争いを忌んでいた義鑑が、どうしてそれまでの態度を一変させてしまったのか。長じるに従って明らかとなっていく義鎮の為人への危惧か。晩年に授かった男児である塩市丸への愛情か。あるいは何か一つの決定的な出来事があったのではなく、様々なものが積み重なり、それがこの時に結実してしまったのかもしれない。
いずれにせよ、かつて家督争いを経験し、二度と繰り返すまいと考えてきた義鑑は、自らの手で悪しき歴史を繰り返してしまう。
その行動は鑑相の予測を裏切って迅速であり――予想だにしないほど苛烈だった。
一日、義鎮は家臣である戸次鑑連、そして吉弘菊と共に湯治に出向く。これはさほど珍しいことではなかった。豊後には病気療養のための湯治場が各処にある。義鎮は自分のためというよりも、身体が弱く、病気がちな吉弘菊の療養をかねて、よく湯治に出かけるのである。
これに鑑相が自身の手勢と共に従ったのは、妻の安全もさることながら、万一にも義鎮に危難が降りかからないようにするためだった。『運悪く』賊に襲われた、などという事態が起こらないとは限らない。鑑相はそう考えたのである。
動きは速やかだった。
義鑑は幾人かの家臣を大友館に呼び出した。館、とはいっても府内の中心に位置し、四方を堀と外壁で囲んだ大友館は、小規模な平城とでも呼ぶべき広さと防備を有しており、豊後守護たる大友義鑑の本城ともいえる。
無論、府内の守りは大友館だけではない。その外側には府内を守るための備えが幾重にもわたって張り巡らされており、敵軍が万の軍勢をもって攻め寄せようとも、府内を陥とすことは不可能といわれていた。
その大友館に、義鑑が呼び出した家臣たちには二つの共通点があった。
一つは府内からほど近い場所に領地を持つこと。
そしてもう一つは、義鎮ときわめて近い関係にあること。
その彼らを前に、義鑑はいっそ堂々と義鎮廃嫡の意向を告げたのである。
反発があったのは、当然すぎるほどに当然のことだった。
だが、義鑑はそれら家臣の反対意見をことごとく退けた上で、義鎮の欠点を並べ立て、これは決定である旨を言い渡したのである。
いかに主君の言葉とはいえ、義鎮と近しい家臣たちにとっては、はいかしこまりました、と言える内容ではない。反発が反発を呼び、たちまち穏やかならざる空気が室内にたちこめた。
やがて、たまりかねた家臣たちは声を荒げて立ち上がる。廃嫡には断固反対する、との意思を示した上で退室しようとしたのである。
主君の許可なく部屋を去ることが礼を失した行為であるのは言うまでもない。彼らもそれは理解していたが、横暴とも言える義鑑の言動に忍耐が限界に達したのだろう――彼らの敵が、そう仕向けたように。
無礼者、と義鑑が一喝する。
襖は内からではなく外から開かれた。そこに入田親誠率いる完全武装した兵士たちが待ち構えていたのは言うまでもない。
ここに、二階崩れの変における最初の流血が生じる。
かろうじて大友館から逃げ出すことが出来たのは、わずか二人だけであった。
無謀と暴挙を重ね合わせたこの行いは、しかし冷徹な計算の下に引き起こされたものだった。逃亡者が出たことさえ、当初の予定通りだったのである。
この策を考えた親誠の狙いの第一義は義鎮派の勢力を削ぐこと。
だが、それだけではない。この騙まし討ちから逃げおおせた者は当然のように反撃に出るだろう。彼らは府内から自領に戻り、そこで兵を催して攻撃してくるはずだった。
義鎮に近しい者たちが大友館を攻撃する。その事実が出来上がりさえすれば、義鎮廃嫡の大いなる名分となるのである。
筋書きとしては、義鎮派の家臣たちが近年の父娘の不和を慮って諫言を行うが、義鑑に受け入れられずに強硬手段に出るも失敗、逃げ出した後、今度は武力で侵攻するも、これも失敗。義鎮はこれをあらかじめ知らされており、暗黙の了解を与えた上で、乱に巻き込まれないように、かつ身の潔白を示すために湯治場に避難していた、というものだった。
無論、これは事実を糊塗したもので、幾つもの不自然な点が存在するのだが、当主であり、襲われた当事者である義鑑がそう断言すれば、家臣がそれに対して否を唱えることは難しい。
一万田鑑相あたりが余計なことを口にする可能性もないではないが、義鎮派の家臣が公然と主君に刃を向けた事実がある以上、有利なのは塩市丸派である。
くわえて事態がここまで進めば、下手に異論を唱えることはそれこそ大友家の混乱を深めることになることは鑑相も理解するはず、というのが義鑑の考えであった。
哀れなのは謀略の贄となった家臣たちである。彼らは主家にたちこめる暗雲の深さと暗さを見誤り、夜露に倒れ伏すこととなってしまった。
だが。
彼らが義鑑と親誠を見誤ったように、親誠らも彼らを見誤った。
大友館から逃亡した彼らは自領に逃げ込むものと親誠は考えた。それに備えて府内の守りを固め、大友館にも千の守備兵を置いて万全の構えをとっている。
あるいは彼らが勝ち目なしとみて逃げ出しても、それはそれで構わない。その時は義鎮派の家臣が、義鑑に対して刃を向けたと声高に宣言すれば名分は得られる。逃げ出した者たちに反論する術などないのだから。
そう考えていた親誠は想像さえしていなかった。
――まさか、彼らがその日のうちに戻ってくるとは。しかも逃亡してから一刻と経たずに戻ってくるなどとは。
大友館を守備する将兵も、事態の全貌を知っていたわけではない。おそらく数日後には戦になるだろうと聞いていた程度だった彼らは、総身を赫怒の炎で包み込んだわずか数十人の強襲に対して突破を許してしまう。
義鑑にとっては慮外のことだった。
事態は想定どおりに進み、自分たちがいる館は千を越える守備兵に守られている。
――ああ、そのはずなのに。
――何故、眼球を鮮血色で染めた家臣が、自分に斬りかかって来るのだ?
惨劇の場は大友館の二階にあった義鑑の居室。二階崩れの名はこれに由来する。
短くも激甚な衝突の末、襲撃者たちは守備兵によって皆殺しにされるも、振るわれた刃は義鑑と塩市丸、そしてその生母に及んだ。ただ一人、入田親誠は偶然にも義鑑の部屋から席を外していたために、何とか大友館から逃れ出ることが出来たが、その行方は知れず。
塩市丸と生母は即死。義鑑はかろうじて息はあったが、傷は深く、その命が旦夕に迫っていることは医者の言を待つまでもなく明らかだった……
◆◆◆
道雪殿がほっと息を吐く。
それを見て、俺はこれが二階崩れの変の全貌かと考え――そして首を横に振る。まだ肝心な点が語られていなかった。
その内心の声を聞き取ったかのように、道雪殿は言葉を続ける。
「なにがしかの予感があったのか、あるいはわたくしたちが気付かないうちに義鑑様からの使者が来ていたのかもしれません。この時、鑑相殿は手勢の半ばをわたくしたちの護衛に残し、ご自身は残りの半分と共に、府内に急ぎ戻っていたのです。ですが、駆けつけた時にはすべてが終わった後でした」
おそらく鑑相は呆然としたことだろう。いつの間にか始まり、いつの間にか終わっていた何かが、眼前に横たわっている。しかもそれに関わった者たちのほとんどがすでに世を去り、悪しき結果だけが残されている。
一体どうしろというのか、と頭を抱えても不思議ではない状況だった。
その状況の中で、一万田鑑相は決断する。
彼は、今回の出来事、これすべて大友義鎮の仕業であるとして、塩市丸の弔い合戦を高らかに謳いあげたのである。
「――は? あの、それはどういう?」
俺は唖然とせざるを得ない。今、何かものすごい展開の飛躍がなかったか?
道雪殿は察しの良い方だが、この時、俺が言わんとしていることは道雪殿ならずとも十分に察せただろう。一万田鑑相のとった行動は、明らかに不自然だった。少なくとも、俺にはそう思われてならなかった。
しかし道雪殿は小さくかぶりを振る。
「鑑相殿が採った行動は、十分な思慮に裏打ちされているのです。問題は、あの当時の状況があまりにも不自然だったことに起因します。当事者のほとんどが死に、結果だけがぽつんと残された。まるで何者かが何事かを企んだとしか思えないほどに。雲居殿、そんな時、あなたであれば、どうやって事態を理解しようと試みますか?」
「……そうですね。結果として、一番利益を得た人をまず疑ってかかるでしょ……あ」
道雪殿に答えたところで、俺はその言わんとすることを察した。
俺の問う眼差しを受け、道雪殿はこくりと頷く。
「洗礼騒動を機に、義鑑様と宗麟様の仲がぎくしゃくしはじめたことは、ほとんどの家臣たちが気付いていました。義鑑様の口から、廃嫡、という言葉は出ていませんでしたが、察しの良い者はすでに宗麟様から離れる動きを見せ始めていたのです。そんな中で起きたこの異変で、義鑑様は致命傷を負い、塩市丸様は亡くなられてしまいました」
おまけにその時、宗麟は府内を離れて湯治場へ。そして何故か傅役である入田親誠は大友館へ残り、事件後、行方不明、か。
これは誰がどう見ても――
「もっとも利を得るのは宗麟様でした。そして、もっとも疑われるのも宗麟様でした。そう思われても仕方ない状況だったのです。そして、その疑いを解く術が宗麟様にも、わたくしにもありませんでした。何一つ企んでいないと主張することは出来ても、それを証し立てるものがなかったのです」
絡み合う思惑、いくつもの偶然によって織りあげられた無形の罠。なるほど、それは厄介きわまりない。
「誰かが企んだ謀事ならば、打つ手はいくらでもあったことでしょう。けれど偶然によって編まれた状況に絡めとられてしまったわたくしたちは、蜘蛛の巣に引っかかった蝶のようなものでした。どれだけ足掻いても抜け出せず、さらに絡みとられるだけ。仮にあの状況で宗麟様が後を継いだとしても、誰しも心にわだかまりを抱えずにはいられなかったはずなのです」
そこを他国に付け込まれれば、大友家は四分五裂の状態に置かれていただろう。
実際、この時、豊後の隣国である肥後の菊池義武は動きを見せていたそうだ。
ちなみにこの菊池義武、以前の名を大友重治といい、すなわち大友義鑑の実の弟である。
大友家の戦略の一つとして菊池家に入り、肥後に大友家の勢力を広めるはずだった。結局、兄と折り合いが悪く袂を分かつことになったのだが、大友宗家の血を引いていることは間違いない。兄の後を継ぐ資格があると強弁することも不可能ではなかった。
他にも、この当時、大友家と北九州をめぐって争っていた大内義隆からの介入の動きを見せていた。義隆の姉は宗麟の母であり、大内家にも相応の名分が存在したのである。
内憂外患、ここに極まれり。この時、大友家は多くの者が想像していた以上に累卵の危うきにあったのである。
一万田鑑相は優れた将であり相である。そのことは十二分に承知していたに違いない。このまま義鎮が当主の座を継いだとしても、この流れはかわらず、大友家が衰亡の一途を辿るであろうこともわかっていたのだろう。
それを避けるためにはどうするべきか。
その答えこそが鑑相の行動であったのだ。いみじくも、さきほど道雪殿は口にした――誰かが企んだ謀事ならば、打つ手はいくらでもあった、と。
俺は知らず、小さくため息を吐いていた。
「……なるほど。つまり一万田殿は日の本の王莽たらんとしたわけですね」
平家物語の中に「遠く異朝をとぶらへば」で始まる奸臣四人が登場する一節がある。王莽はその中の一人であり、つまりは異国に名を轟かせるほどに悪逆の人物だった。
漢の高祖劉邦が築いた西漢を簒奪し、新国をつくった王莽だが、その方法は一風かわったものだった。
王莽はまだ世に出ない頃から、聖人の如く清廉潔白な為人を強調し、その種の逸話は枚挙に暇がないほど。その世評を背景に地位を高めていった王莽は、最終的に漢王朝から禅譲という形で帝位を譲られる。
これだけ聞けば無血の帝位継承として評価できそうなものだが、その際、作為的な預言を捏造し、皇太后から玉璽を強引に譲り受けるなど、前半生の聖人君子ぶりを自身で台無しにする所業を繰り返している。すなわち全てはみずからが権力を握るための演技だった、というのが通説だった。
鑑相が目論んだのは、つまるところそういうことなのだろう。
これまで見せていた自身の清廉な為人は、すべて大友家の実権を握るため。二階崩れの変はそのための過程の一つ。すなわち一万田鑑相こそがすべての元凶であり黒幕である。
――そう、人々に信じ込ませる。
わかりやすい『敵』をつくりあげ、すべての憎しみと恨みをそこに集中させ、それさえ除けば問題は解決するのだと大友家の内外に知らしめるのだ。そうすれば、大友家はこれまでどおりにやっていける。全てを元通りには出来ないだろうけれども、少なくとも四分五裂した上に他国に踏みにじられるような、そんな結末は避けられるだろう。
確かに、塩市丸の傅役である鑑相であれば、その行動も不自然ではないかもしれない。塩市丸擁立のために、義鎮を排除しようとすることも十分にありえる――そう考える家臣も少なくないだろう。鑑相が、義鎮廃嫡に異を唱えたことなど、他の家臣たちは知る由もないのだから。
「結果だけを見れば、一万田殿の思惑通りになりました。二階崩れの報を聞いた宗麟様とわたくしたちは他の臣と共に府内へ引き返し、大友館に立て篭もった一万田殿と刃を交え……その最中、一万田殿は宗麟様を廃嫡へと追い込もうとしたのは己であると言明し、最後には炎の中で果てられました」
鑑相の行動の意味を知る宗麟の指揮と、その後の立ち回りは見事なものだったそうだ。たちまちのうちに府内の治安を回復させると、今際の際の父から家督を譲り受け、混乱する家中を静め、肥後と周防に付け入る隙を見せず、大友宗家を継ぐに十分な器量の持ち主であることを自ら示してみせた。
二階崩れの変はほとんどの家臣にとって寝耳に水の出来事だった。その突然の出来事に右往左往し、とるべき道筋すら明らかでない状況だったゆえに、宗麟が示した明晰な決断と行動はより光輝に満ちて衆目に映ったのだろう――大友家第二十一代当主、大友義鎮が誕生した瞬間であった。
無論というべきか、すべてが穏便に済まされたわけではなかった。
ことに乱の元凶とされた一万田家には悲惨な末路が待ち構えていた。当主である鑑相を失い、領地のすべてを召し上げられ、一万田家は事実上断絶する。宗麟は家名の断絶だけは避けようと試みたのだが、動乱の黒幕に慈悲を見せては要らぬ憶測を呼ぶことになる。ここは断固とした処置を採らざるを得なかったのである。
それでも一万田家の家臣たちの多くは戸次家や吉弘家をはじめとした他家に召抱えられ、路頭に迷うことはなかったが、悲劇はまだ続いた。
一万田鑑相の妻吉弘菊が、夫の死とそれに続く騒動の衝撃で病に倒れ、ついに再び起き上がることなく世を去ったのである。
後に残されたのは幼い嫡子と、謀反人の一族という拭い難い汚名。そしてみずからの手で親友の命運を断ち切った宗麟の絶叫だけであった……
◆◆
不意に、道雪殿が小さくかぶりを振った。まるで何事かを脳裏から追い払おうとするかのように。
だが、それを承知してなお俺は口を開かずにはいられなかった。
「本当に、一万田という方がそこまでやらねば、切り抜けられなかったのでしょうか? 入田親誠は無事だったのでしょう。なら――」
俺の問いに、道雪殿は面差しを伏せながら、そっと首を横に振った。
「入田殿が無事だとわかったのは、後になって肥後の阿蘇家から知らせが届いた時です。一万田殿にしても、入田殿の首級がないことはすぐに気付いたでしょうが、探している暇はないと考えたのでしょう。出てくるつもりがあるなら、一万田殿が府内に入った時点で名乗りでているでしょうからね」
人探しをしている間に事態はのっぴきならない方向に進んでしまう。鑑相はそう考えたのだろう。
結果として、今日の大友家の繁栄が、鑑相の判断が至当だったことを無言のうちに証明している。
我が身を犠牲にしても、主家の為に尽くす。
そんな一万田鑑相という人物に、俺は自分と似通った何かを感じた気がしたが、それは多分気のせいだろう。
我が身を顧みないあたりは昔の俺に似ていると言えないこともないが、鑑相の場合、我が身だけでなく、同紋衆たる一万田の家名、妻子眷属、そして長年、一万田家に仕えてきた家臣とその家族までも等しく贄としているのである。決断の重みは、俺などとは比べるべくもなかったに違いない。
それでも他に方法はなかったのだろうか、と考えてしまうのは、所詮は余所者である俺の勝手な言い草なのだろうか。
そんなことを考えている俺の耳に、道雪殿の声が滑り込んできた。
「――念のために申し添えておきますが」
そう前置きした上で道雪殿は眼差しに鋭さを交えて口を開く。
「わたくしが一万田殿の行動を肯定している、などとは思わないでくださいね。今日の大友家の繁栄は一万田殿の決断の賜物、それは疑うべくもありません。あの当時のわたくしに、一万田殿以上のことが出来たとも思っていません。それでも――」
――わたくしは、一万田殿に感謝することは出来ないのです。
筆舌に尽くし難い、とは今の道雪殿の声に込められた悲哀をあらわす時に使うべきであろう。
鑑相の立場に共感し、行動に理解を示しながら、結果に感謝することは出来ない、と道雪殿は言う。その目に涙は浮かんでいなかったが、何も泣くときに涙を流さなければいけないという理由はないだろう。
道雪殿はさらに言葉を紡ぐ。
「夫を友に討たれ、家を失い、将来あるはずだった幸福を奪われた。生来病弱だった菊が倒れたのは、どうしようもないことでした。それでもなお、あの子は息を引き取るその瞬間まで、一言半句も恨み言を口にしなかった。病の床でわたくしの手をとり、残される子と家臣たちの行く末を頼むと……ただ、それだけを口にして、逝ったのです」
その場に、宗麟はいなかった。道雪殿がどれだけ声を嗄らしても、服の裾を掴んで強諫しても、宗麟はついに菊の病床をおとずれることはなかったという。
この時、宗麟は家中をまとめるために寝食を削っている最中だったが、理由はそれだけではないだろう。
きっと、この時の宗麟は怖かったのだ。友から己に向けられる声が、視線が、感情が、何もかもが。大友家中は混乱し、命の危険さえあった。だが、そんな状況などよりもはるかに、友から向けられる憎しみが宗麟は怖かったのだろう。
もう何度目のことか、道雪殿の口から重いため息が漏れた。
「……父親に廃嫡され、傅役に叛かれ、友の夫を我が手で討ち、その家名を断ち……それを詫びることもできず、糾弾されることを恐れ、ついには死に目に会うことからも逃げてしまった。謝罪も、贖罪も、救済も、すべては宗麟様の手をすりぬけ、二度と再びかえることはなくなってしまいました。宗麟様が聡明であり、純真であればこそ、その痛みは余人が理解できるものではなかったのでしょう」
二階崩れの変の後、宗麟は狂ったように後始末に没頭し、大友家は突然の当主交代にも関わらず、ほとんど揺らぎを見せなかった。それは疑いなく大友宗麟の大なる功績の一つ。しかし、その一方で宗麟自身は変わってしまった――否、変わらざるを得なかったのだろう。
当主として、双肩にかかる重圧。私人として、総身を苛む苦悶。想像を絶する痛みに耐えかねた宗麟が、亡き友の信じた教えに救いを求めたのは、もはや必然ですらあったのかもしれない。
そう、つまりは――
「今の大友家の光も影も、すべては二階崩れの変に端を発します。わたくしたちは未だにあの乱の始末をつけられずにいる。その意味では、あの乱はまだ終わってさえいないのでしょう。誰もがそれを知りながら、しかし誰一人として動かない、動けない。それが大友家の現状――雲居殿に知っておいていただきたかったことなのです」
そう言って、話はこれで終わり、というように道雪殿はそっと微笑んで見せる。
――これほどまでに哀しく澄んだ微笑みを、俺は今まで見たことがなかった。