時に力任せに、時に技巧を絡めて、大谷吉継の剣は唸りをあげて雲居に迫る。
その体格と、わずか十五という齢を考えれば、吉継の剣勢の鋭さと激しさは驚嘆に値した。若年にしてそれを可能とせしめた日々の鍛練は、苛酷の一語で説明できるものではなかったであろう。
しかし。
そんな吉継の剣撃を、雲居筑前は、ただ一本の鉄扇で真っ向から防ぎ止める。
爆ぜるようにぶつかりあう刀と扇。二人の得物が絡み合う都度、鉄の軋む音が耳朶を打ち、火花が闇に弾けた。
夜空の星月が煌々とあたりを照らし出す中、二人の戦いはいつ果てるともなく続くかと思われた。
だが。
「……くッ」
小さく呻き、先に退いたのは吉継であった。その肩が大きく揺れ、荒い呼吸が周囲に響く。
元々、吉継は体力に優れているわけではない。それどころか、幼い頃は他人に比して脆弱でさえあった。それでも武芸に打ち込むことで、人並みの持久力は得たものの、これだけ激しく刀を振るい続ければ、すぐに息が切れてしまうのは自明のことであった。
だが、それでも。
気合の声と共に、吉継は再び前に出る。
突く、斬る、払う、突く、突く、払う、翻って強引に斬る。
かなう限りの力を込め、知るかぎりの技をもって、眼前の相手を斬り倒そうと鋒鋩を叩き込む。
頭を覆っていた白絹は剥がれ落ちていた。吉継自身がそうしたのだ。視界を狭め、呼吸を妨げる布などいらないから。
吉継の髪は月光を映して白銀色に輝き、それが吉継の動きに応じて揺れ動く様は、人ならざる者が舞い躍るかのようで。眼光鋭くこなたを見据える緋色の視線が、一際その観を強くする。
秀麗な容姿は、この際、鬼気を増す役割を果たすのみで、生きながら夜叉と相対しているかの如き心地を相手に据え付ける。
――そんな人間を、一体誰が近づけるというのだろう。
物心ついた頃から感じてきた忌み者を見る周囲の視線。あたかも、それが正しいことなのだとでも言うように加えられた迫害。
その理由は、望まずして得た容貌、ただそれだけ。
それでも吉継はその理不尽に、ずっと耐え続けてきた。幼い頃。生まれなければ良かったのだと嘆いた時に見たあの顔を――娘の頬をうった父の顔と、声を詰まらせた母の顔を、二度と見たくなかったから。
それでも、やはり限界はあった。
燃え落ちる寺を目の当たりにした時、思ったのだ。これ以上は無理だ、と。
自分の周囲に災いと不幸が溢れているのは、自分が疫病神に憑かれているからではない。自分自身が疫病神なのだと、そう思って長からぬ生を終わらせようと決意した。
自分が生きていればいるほどに、自分の周りにいる人たちに迷惑をかけてしまうから。
その意味で言えば、吉継の前にたちはだかる人だって巻き込みたくはなかったのだ。
たたっ斬る、というかつてない第一印象を覚えた相手ではあったが、短くとも共に同じ屋敷で暮らしてみれば、その人柄は決して不快なものではなかった。
吉継の容貌を知った上で、嫌悪や色情をあらわにすることなく、隔意なく接してくれたことを思えば、好ましくさえあったかもしれない。
師の話を聞いた時も、その突飛さに呆れはしたが、その案に厭わしさは感じなかった。
しかし。
だからといって、今、自分を止めることは許さない。所詮は出会って間もない赤の他人だ。
乱れきった息をこぼしながら、それでも打ち込むのをやめようとは思わなかった。
「…………私は」
踏み込む。振りぬく。防がれる。甲高い擦過音。間合いで言えば、刀の半分にも満たない鉄の扇による防ぎを、どうして抜くことが出来ないのか。
相手とて、決して余裕をもって戦っているわけではない。吉継の刃は時に雲居の身体を捉え、いくつもの傷を与えていた。こちらを見据える瞳は真剣そのもの、向こうも全力で戦っていることは明らかで――しかし、それでもやはり届かない。与えた傷は、いずれも有効打には程遠かった。
「……私は」
どれだけ踏み込んでも届かない。どれだけ斬りつけても倒せない。そうして、あくまでも前を塞ぎ続ける。
いつか、吉継は目の前の相手が、これまでの自分を包み込んできた世界そのものに思えてきた。あらゆる方法で自分を傷つける、安らぐ時さえ奪いつくす、どれだけあがいても抜けられない。吉継にとって世界とは、ただひたすらそういうものであった。
「私はッ!」
それはもうただの八つ当たりだとわかっていた。わかっていても止められなかった。
これまでの長からぬ人生で蓄積されていたあらゆる感情が、堰を切ったように溢れ出て、吉継の全身を押し流す。ここまでの激情に駆られたことはかつてなく、それゆえに止める術をも知らぬのだ。
もう嫌だと、こんなのは嫌だと泣き叫ぶ。
何が嫌なのか。それは――
「私は、もうこれ以上、生きていたくなんか、ないッ!!」
それはきっと、両親の死以来、吉継の心の奥底をたゆたって消えなかった厭世の思い。
それをはじめて――否、再び口にする。
その途端であった。
張り詰めた空気を揺らしたのは、吉継の頬が鳴った音。
その衝撃を、吉継は半ば呆然と受け入れる。頬を押さえた手に伝わる熱が、込められた力の強さを物語っていた。
「あ……」
視線の先には、先刻まで命を奪わんとしていた相手の姿。吉継の頬をうった右の手に、すでに鉄扇は握られていなかった。
それを確認したところまでが、吉継の限界であった。
視界が揺れたと思った瞬間、身体が傾き、崩れ落ちる。そのことに気付いたが、急速に薄れ行く意識は、指の一本でさえも動かすことを拒絶する。
そんな自分の身体を何かが包み込む感覚があり――それが誰のものなのかを考えながら、吉継の意識は闇の底に落ちていった。
◆◆◆
意識を失い、力の抜け落ちた吉継の身体を背に負いながら、俺の口から、知らず、力ないため息がこぼれ出た。
自分のやっていることが間違っているとは思わない。しかし、正しいと誇ることはなお出来なかった。生きていたくなんかない、と口にした時の吉継の表情が、瞼の裏に焼きついている。声が、耳朶に染み付いている。
月の無い夜にも似たあの暗がりを、どうやれば照らし出すことが出来るのだろう。
「どうしたものかな……」
俺が、ぽつりと呟いたその言葉に。
思いもかけず返答があった。
「その信ずる道を行くことでしょう。迷いめさるな」
「和尚……見ておられたのですか?」
屋敷から姿を見せた住職に、俺は驚きを隠せない。そんな俺を見て、住職はゆっくりと頷いてみせる。
「僧たる者、刃鳴りの音は聞こえずとも、人の慟哭を聞き漏らすことはありませぬ。娘御のことは、石宗殿も案じておられましたからな」
「……角隈殿は、やはり気付いておられたのですね」
「一度だけ、法要の際に仰っておいででした。自らの過ちで、幼き心に鬼面を植え付けてしまった、と」
「……そうですか」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
吉継の懊悩に気付いていた角隈殿が、吉継を頼むと俺に言ったということは、やはり……
しかし、どうすればその意思に応えられるかが俺にはさっぱりわからなかった。これから先も、ずっと力ずくで制するわけにもいかない。かといって、赤の他人の俺が何を言おうと吉継の心には届かないだろう。住職であればあるいは、とも思うが、もしそれが必要だと考えたならば、住職はもっと早くに出てきていたのではないか。
今になって姿を見せたということは、やはり住職も、それは角隈殿から託された俺の役割だと考えているに違いない。
そんなことを考え、答えの見えない問いに表情を暗くした俺の耳に、住職の声が届いた。
――そこに込められていたのは、確かな安堵。
「……今宵のことで、石宗殿もようやく安堵されたことであろう」
「……は、あの、それはどういう?」
言ったのが住職でなければ、皮肉だと信じて疑わなかったであろう言葉だった。だが、住職はしごく真面目な顔で言葉を続けた。
「娘御がいかなる業をおって今生の容姿を得たのかは、人の身にては計れぬこと。されど、それに屈さず、歩き続けた行いが石宗殿との縁を結び、そして今また貴殿との縁を紡いだ。これは運にあらず、娘御の日頃の善徳が導いた必然と申せましょう」
その言葉に、俺は困惑を浮かべた。角隈殿との縁はともかく、吉継がこれまで頑張ってきたその結果が、俺との出会いというのでは、いささかならず釣り合わない。俺がやったことと言えば、ただ力ずくで相手を引き止めただけでしかなく……
「先の剣撃を止めることさえ、並の者ではできますまい。まして、まことの殺意を向けられた後、なんらかわらず相手のことを思いやることの出来る者が、果たしてどれだけおりましょうや――石宗殿がついに取ることあたわなかった鬼面を、貴殿は今宵、砕いてしまわれたのですよ」
「は、そうであれば……良いのですが」
住職の言うところが理解しきれず、俺は内心で首を傾げざるを得ない。そんな俺の困惑に、住職は気付いたようだったが、穏やかに微笑むだけで、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。
「これは要らぬ口出しをしてしまいましたな。はよう娘御を休ませておげねばなりますまい」
「っと、確かにそのとおりですね。では和尚、失礼いたします」
「うむ、だれぞ女性を呼んで、汗を拭うことも忘れぬようになされませ」
「しょ、承知いたしました」
背に負った吉継の身体を抱えなおし、俺は勝手知った屋敷の中に戻っていく。
背後で住職が何事かを呟いていたようだったが、その声は、彼方を吹き行く薫風と、揺れる木立の音、そして吉継の口から漏れるかすかな息遣いによって遮られ、意味ある言葉として、俺の耳に伝わることはなかったのである。
◆◆
去り行く雲居の背に向け、住職は微笑みながら口を開く。
「袖振り合うも多生の縁……願わくば、この縁が互いにとって良きものとならんことを」
そう言って一礼すると、住職は自らもその後に続いた。
◆◆◆
目覚めは不快なものではなかった。
雀の囀る声で目覚めた吉継は、いつものようにゆっくりと寝具から身を起こそうとして。
「……え?」
――ぱたりと。力なく寝具に横たわった。
全くといっていいほど力が入らない身体に、半ば呆然とした吉継は、不意にうめくような声をもらした。
「あ……」
脳裏に甦るのは、先夜の出来事。
かりそめにも客である人に刀を向け、斬り殺そうとまでした自らの狂態。
眠りから覚めてみれば、昨夜の激情は心中から霧消していた。胸奥に溜まっていた澱を、ことごとく吐き出してしまったためだろうか。その真偽はわからないが、しかし自分が発した言葉も、取った行動も、鮮明に覚えていた。
それゆえに。
「……なんて、ことを」
吉継の顔から、音を立てて血の気が引いていく。顧みるまでもなく、先夜の自分の行いは狂気の沙汰以外の何物でもなく。師の憩う寺が焼き払われ、平静ではいられなかったとはいえ、半ば以上八つ当たりで人を手にかけようとした罪は、決して償えるものではない。
自由にならない四肢を叱咤し、身体をひきずるように立ち上がった吉継は、その格好のまま襖に手をかける。どうして自分がこの部屋にいるのかはわからないが、今は一刻も早く客人に謝罪しなければならない。
もっとも、命を奪おうとした相手がいる屋敷にとどまっているはずもなく、とうに出立しているだろう。それでも、旅銭のない身では、まだこの地からそう遠くへは行っていまい。
そこまで考えた吉継は、かすかに面差しを伏せた。先夜、銭はいくらでも差し上げると口にしたのは自分だった。あるいは師が用意していた旅銭は、もうとうに彼の人物の懐に入っているかもしれない。そうであれば、追いつくのは至難であるが――
そう考えつつ、襖を開けて敷居をまたいだ吉継は。
そこに求める人の姿を見つけて、束の間、呆然としてしまった。
胡坐をかき、腕を組みながら、雲居筑前はすやすやと寝入っていた。いっそ清清しいまでに熟睡しているように見えた。というか、そうとしか見えなかった。
むぅっと。吉継の口元がへの字に曲がる。太平楽なその寝顔を見ていると、先夜のこと、そしてつい先刻までの焦燥が一人相撲だったのではないかと、そんな気にさせられてしまう。
相手の両の頬に手を伸ばしたのは、これも多分、八つ当たりなんだとわかってはいたのだが。
「……えい」
だからどうした。
そんな思いと共に、吉継は相手の頬をつねっていた。
そうして。
何がなにやらわからぬ様子で眼を覚ました相手の目を覗き込み、吉継はにこりと笑って目覚めの挨拶をしたのである。
◆◆◆
「……昨夜のこと、まことに申し訳のしようもなく。このとおり、心より謝罪いたします」
そう言って、深々と頭を下げる吉継に、俺は慌てて頭をあげるように言った。
美少女に頬をつねって起こされるという斬新な体験を経て、朝食をとった後である。
頭巾で顔を覆っていない吉継の姿を見るのは、屋敷の中とはいえめずらしいと言えた。というより、この屋敷の中で吉継の素顔を見たのは初めてかもしれない。
無論、昨夜はのぞいてのことだが、などと考えながら、俺は頭を上げた吉継に視線を向ける。
鮮麗な銀の髪と、緋色の瞳は昨夜と同じ。だがそこには昨夜のような激情は一片もなく、沈着冷静な、いつもの吉継であるように思われた。
率直に言って、意外であった。
その思いは、思わぬ方法で起こされた時から、たえず俺の内心をたゆたっており、そんな俺の疑念を察したのだろう。吉継は静かに口を開いた。
「憑き物が落ちた、というのは少し違うかもしれませんが……」
ゆっくりと、呟くように内心を口にする吉継。千千に乱れた思いを、パズルのように一つ一つ心にあてはめていく。今の吉継は、俺の目にはそんな風に映っていた。
「……とても、胸が軽くなりました。いつのまにか胸の内に鬱積していたたくさんのものを、雲居殿に吐き出してしまったからなのでしょう」
伏し目がちに話していた吉継の視線が、再び俺に向けられる。
「無論、それは雲居殿にとって何の関わりもないこと。あのように刃を向け、斬りかかった罪を免れようとは思っておりません。どうか何でも仰ってください。貴殿が私の死を望まれるのであれば、この場にて腹かっきってお見せします」
そう口にする吉継の眼差しは真剣そのもので、それがまぎれもない本気であることを俺は悟る。
――莫迦なことを言うな、とでもしかりつければ格好がついたかもしれないが。
「……よろしいのですか、何ても言うことをきくなどと口にしても?」
あいにく、その好条件を見過ごすほど、俺は聖人君子ではなかった。
「はい」
「ならば、先夜の礼に一つ、いや二つ、私の願いを聞き届けていただきたい」
俺がそう言うと、吉継の顔にかすかな緊張がはしった。俺が何を言おうとするのか、計りかねたのだろうか。
いや、まあそんなに難しいことではないのだけれど。
「初めて逢った時のことと」
「は?」
戸惑う声を無視して、俺は強引に二つ目を口にする。
「昨夜、あなたを打擲したこと。この二つを許していただきたい」
これ以上ないくらいに真剣に、俺は深々と頭を下げる。
そんな俺を、おそらくは呆然と見つめていた吉継の口から、もう一度、おんなじような戸惑いの言葉が漏れた。
「……はい?」
「いや、まあひらたく言えば、のぞいたこととぶったこと、許してください。お願いします」
改めて謝罪する俺を、吉継はなにやら奇妙な生き物でも見るような眼差しで見つめてくる。
「……あの、もしかして私に気を遣っているのですか?」
「いえ、きわめて真面目にお願いしてます」
「はあ……その程度でしたら、お安い御用ですけれど」
なんと言えば良いやらわからない様子の吉継であったが、それでも俺の謝罪は受け入れてくれた。
俺は心底ほっとして息を吐き出す。故意にのぞいたわけではないとわかってもらってはいたが、まだ許してもらったわけではなかったのだ。先夜のことについても、傷心の少女を打擲したなどと知られたら、あの方にどう思われることか。
こういう状況にかこつけて許しを請うのは褒められたことではないだろうが――まあ吉継も、俺が昨夜のことは気にするなと言ったところで気にするに決まっているから、代わりの条件としては良い落とし所ではあるまいか。いや、そうに違いない。
俺が一人で納得してうんうんと頷いている姿を、吉継は先刻と同じ視線で見つめていた。
俺の態度をどう判断するべきなのか悩んでいる様子なので、他意がない旨を告げようと口を開こうとした途端、襖の外から慌てた様子で声がかけられた。
「吉継様」
「……どうした?」
「は、門前に南蛮人が参っております。吉継様と、和尚様にお会いしたいと」
それを聞いた瞬間、おそらくは反射的に吉継の眉間に皺がよった。
だが、報告にはまだ続きがあった。
すなわち、小者は叫ぶようにこう言ったのである。
「そ、それだけではありません。その南蛮人、宣教師のフランシスコ・カブラエルでございますッ!」