稲穂の海を見るような黄金色の髪、湖面を思わせる水色の双眸。
年の頃は二十台の後半から三十にかけてといったところか。端整な容姿に柔和な表情を浮かべ、清貧の精神を示すかのように質素な衣服に身を包む。
手には常に聖書が握られ、口を開けば明晰な言辞で人をうつ。
日本布教長フランシスコ・カブラエルの、それがいつもの姿であった。
屋敷の一室でカブラエルと対面した際、最初に驚いたのはその若さであった。角隈殿から若いと聞いてはいたが、まさか俺と十も離れていないとは正直思っていなかったのだ。
湛える笑みも穏やかで、邪まなものを感じさせることはなく。大友家の当主がこの人物に深い信任を与えるのもむべなるかな、と思わせた。
「雲居、筑前殿といいましたか。大谷吉継殿はどうされたのでしょう? 今日、ここに来た理由の一つは、あの方と話したいことがあったからなのですが」
カブラエルの口から丁寧な日本語が紡ぎだされる。しっかりとした言葉遣いと流暢な発音で、違和感を感じることはほとんどなかった。
そんなカブラエルに対し、俺は軽く頭を下げて釈明する。
「昨日の失火で衝撃を受け、今は臥せっておられます。布教長殿に見苦しい姿をお眼にかけたくないと申しておりまして、それがしが名代として参った次第。申し訳ございませんが、ご了承いただきたい」
「……そうですか。主の寺が焼け落ちたとあっては衝撃を受けて当然。安静になさるよう伝えてください」
承知いたした、と頭を下げる俺。
俺の隣では住職が黙然と座している。どうやらカブラエルとの対話は俺に一任するつもりであるらしい。
それを察したわけでもあるまいが、相手は早速本題を口にした。
「すでに知っているでしょうが、私は先日、大友フランシス様より、この地における南蛮神教布教の全権を委ねられました。フランシス様は、この地に府内のそれに優るとも劣らぬ荘厳な教会を建てられるおつもりです」
そう言って、俺たちに視線を走らせるカブラエルであったが、俺と住職が黙って聞き入っているのを見て、さらに言葉を続けた。
「当然、私もその意向に沿うつもりです。そして、そのためにもっとも適した地を選定しておりましたところ、昨日のこと、その地が奇禍にあったと聞き、こうして参ったのですよ」
それはつまり、寺の焼け跡に南蛮寺院を建てるということ。
主君の許可と自身の権限を示しつつ、穏やかにそれを告げる姿を見て、俺はなるほどと心中で頷いた。角隈殿が目の前の宣教師に警戒を禁じえなかった理由が良くわかる。
そんなことを考えていると、カブラエルの背後に控えていた南蛮神教の従者が、俺たちの前に進み出る。彼らは数人がかりで、黒い布のかかった台座のようなものを持ち出してきた。
数は二つ。
それを見て、俺は軽い既視感を覚えた。なにやら、どっかで見た記憶がある光景だ。もっとも、あの時はこちらが差し出す側であったのだが。
カブラエルが仰々しい仕草で布を取り払う前に、俺はその中身を察した。そして、取り払われて現われたものは、俺の予想と寸分たがわぬものであった。
正確に言えば、ただ一つだけ違いがあった。それが発する輝きが、金色ではなく、銀色だったことである。
それは、山と積まれた銀であった。
銀の価値は改めて語るまでもないだろう。庶民や浪人にとっては目の飛び出るような大金であり、そこらの領主であっても、これだけの銀を実際に眼にする機会はないに違いない。
それだけの大金を前に、再び、カブラエルが口を開く。
「これは今回の災難に対する見舞いと、彼の地を譲り受ける補償と考えてください。どうぞご遠慮なく」
そう言いながら、カブラエルの視線が俺と和尚の顔を等分に見比べる。
受け入れるか、拒絶するか。こちらが南蛮神教に敵意を抱いていることは、無論カブラエルとて承知していよう。
しかし、これだけの大金を前にすれば、たとえ拒絶するにしても、動揺をおぼえて当然であった。そのあたりの反応を確かめたかったのだろう。
まあ、もっとも――
「それはありがたい。これだけあれば、寺を再建する資金になってくれるでしょうし、焼失してしまった経典を求めることも出来るでしょう。布教長殿の無私の精神は異国の教えにも及ぶと、皆、尊敬を新たにすることでございましょう」
佐渡の黄金を見慣れた俺にとっては、別に驚くほどの額ではない。札束で頬をはたくようなやり方を非難する資格は俺にはないし、非難するつもりもないが――残念、俺を驚かせたかったら、この三倍は持ってこい。
きわめて淡々と口にする俺。
一方の住職はといえば、先刻からかわらず口を閉ざし続けている。その目は銀の山に向けられても、わずかの動揺も示さなかった。
いっそこの銀をつかって仏舎利(ぶっしゃり)でも求めて来ていれば、わずかなりと住職も興味を示したかもしれない。そんな風に思いつつ、俺はありがたく銀をいただくことにした。
これを受けとるということは、住職の寺があった土地を南蛮側に譲り渡すということだが、相手は主君の威光を背負っており、ここで拒絶したところで、いずれ相手に譲らねばならなくなるのは明白だった。
あくまで拒絶を続けたとしても、南蛮側は力ずくでこちらを排除することが許される立場にある。事態がそこまで及んでしまえば、寺社側、南蛮神教側を問わず、血が流れることもありえよう。相手が代償を払うというのであれば幸い、そっくりありがたく頂いておくべし。
そんな俺と住職の反応は、明らかに南蛮側の予想を裏切っていたようだった。さすがにカブラエルは平静を保ったまま、怪訝そうな顔は見せることはなかったが、背後の従者たちは意外の観を隠せないようであった。
俺たちが声高に相手を非難し、拒絶すると考えたか。あるいは我欲をあらわに銀を受け取ると思っていたのか。いずれにせよ、俺と住職は相手の期待どおりの反応を示すことが出来なかったらしい。
ただ、それは相手の期待に添わなかったというだけで、この屋敷を訪れた南蛮神教の思惑を覆すことにはつながらない。何故といって、向こうの主張を受け入れたことには違いないからである。
その証拠に、カブラエルは穏やかな笑みを崩さないまま、口を開いた。
「フランシス様の命を一日でも早く果たすため、今日からでも人の手を入れようと思っていたのですが、少々混乱がありましてね。実は今日ここを訪れたのは、その相談もあったのです」
おそらく南蛮側と周囲の住人たちの間にもめ事が起きたのだろう。それも当然のことで、角隈殿の菩提寺が焼け落ち、そこに即日、南蛮寺院を建てようとすれば、恩顧の人々が反発を覚えるのは自明であった。
カブラエルはさらに言葉を続ける。
「私とこの屋敷の主殿は、ついにわかりあうことは出来ませんでした。互いに立場があり、信仰があるため、それは仕方の無いこと。主殿を慕う方々が、私の邪魔をしようとする気持ち、理解できないわけではありません。しかし、私も宣教師として、そしてフランシス様の信任をたまわった身として、為すべきことを為さねばならない立場にあります。このまま、あの者たちが妨害を続けるようであれば、しかるべき処置をとらねばならなくなるでしょう」
けれど、それは角隈殿が望むことではないのではないか。カブラエルは憂いを帯びた顔で、そんな言葉を口にしたのである。
突きつけられた要求を、俺はこれまたあっさりと受け入れた。
「確かに仰るとおりですね。和尚や吉継殿と相談して、早急に皆を説得するといたしましょう」
「速やかな応諾、礼を言いますよ。それでは、私たちはこのあたりで失礼させていただきましょう」
「さようですか。大したお構いもできず、申し訳ありませんでした」
立ち上がるカブラエルらに、俺は恐縮したように頭を下げる。
俺を見下ろすカブラエルの視線は相変わらず柔和であったが、そのひだに隠れた優越感と侮りを、俺は確かに感じ取っていた。
◆◆◆
「案外、容易いものデシタナ」
屋敷の外に出た途端、おもねるように従者の一人がカブラエルに向かってそう言った。
カブラエルほど上手く日本語を操れぬために、その語尾はやや聞き取りにくい。従者としては母国の言葉を使いたいのだが、それは日本の信徒との間に距離をつくるといって、カブラエルに禁止されていた。
「そうですね。やはり石宗ほどの人間は、そうはいないということでしょう。まああの男のような厄介な輩が、そこらにいてもらっては困りますがね」
「所詮は真の教えを理解でキナイおろかな人間、布教長がおきに掛けるほどの者でしたでショウカ?」
「――その愚かな人間のために、この国での布教が五年は滞ったのです。あれとトールがおらねば、すでにこの国のいたるところに教会が建てられていたことでしょう」
何気ない様子を装った一言であったが、従者はカブラエルの発する怒気を感じ取って身を縮ませた。
だが、すぐにカブラエルは言葉を和らげ、従者をなだめるように口を開く。
「石宗の跡目を継ぐ者はおらず、トールは孤立しました。これから、我らが神の行く道を遮る者は存在しません。これまでの遅れを取り返すだけの働きを、あなたたちには期待していますよ」
「は、おまかせクダサイ」
従者たちは一斉にカブラエルに頭を下げる。
そんな従者の様子を満足そうに眺めていたカブラエルに、一人が問いを向けた。
「布教長、例のシルバードールの件は、良かったのデスか? ゴアの総督閣下が執心していると聞きましたが」
「そうですね。石宗への楔の役割は終わりましたから、そろそろアルブケルケ様の要望に応じねばなりません。もっとも石宗の庇護を失った以上、あの人形を守れる者などいないでしょうから、そう急くこともないでしょう」
そのカブラエルの言葉に頷きながら、従者は追従するように笑った。
「しかし、ゴア総督として、インド副王として、あらゆる者を手に入れられたお方が、何故にあのような小娘に執着なさるのでしょう?」
その言葉に、カブラエルはわずかに目を細めて、ゴアの宮殿の奥深くに座す男の声を思い起こした。
傍らに幾人もの美姫を侍らせながら、本国で軍神と謳われる男は、日の本における布教の成果を報告に来たカブラエルの話を聞くうち、異形の少女の話を聞き、愉快そうに哄笑した。
『金の髪と青の目は、神に選ばれたる使徒の証。ならば、銀の髪と赤の目は、悪魔に魅入られた証であろう。それとも、あるいは悪魔自身のものかもしれぬな。ならばその悪魔、飼いならすも一興であろうな、カブラエル』
ゴア総督アルブケルケの意を悟ったカブラエルは恭しく頭を垂れ、再びこの地に戻ってきたのである……
「……あらゆる物を手に入れたればこそ、常人には思い及ばぬことに手を伸ばしたくなるのかもしれませんね」
その時のことを思い出しながら、カブラエルはそう口にするにとどめた。
いずれにせよ、まだこの地でやらなければならないことは山積している。総督のご機嫌とりに意を用いるのは、もう少し先で良いだろう。
そう考えるカブラエルの下に、息せき切ってあらわれたのは、残してきた宣教師の一人であった。無論、カブラエルの子飼である。
「ふ、布教長様、大変でございます」
「どうしました、そのように慌てて」
息を切らせる配下をなだめるように、その肩に手を置いたカブラエルは、次の一言を聞いた瞬間、その動きを止めた。
「ト、トールが――」
「――なに?」
「トールが、姿を現しましたッ!」
「どこにです? まさか……」
「は、はい、例の土地にです」
それを聞き、カブラエルの口から小さな舌打ちがもれた。
「今回のことを聞きつけ――いえ、それにしては姿を見せるのが早すぎますね。いずれにせよ、放っておくわけにもいきません」
そう言って、歩を速めるカブラエルの脳裏に、この時、すでに雲居筑前の名と姿は一片も残っていなかったのである。
◆◆◆
すでにいつもの白頭巾をかぶった姿の吉継が、じとっとした眼差しで睨んでくる。
しかし、睨まれても困るので、しれっとそ知らぬ風を装っていたのだが、業を煮やしたのか、吉継は低く、くぐもった声で詰問してきた。
「……それで、相手の言うがままに頷いたというわけですか」
「はい。それが最善と考え、そうした次第」
「……確かに、宣教師の相手を雲居殿に頼んだのは私ですし、和尚様が同意されたのですから、文句を言うのは筋違いかもしれませんが……」
それでも、もう少し何とかならなかったのか、と吉継は声ではなく視線で問いただしてくる。その眼差しに、先夜のような激情は感じられなかったが、それでも不満をおさえることは出来ないようであった。
ここに住職がいれば助けを求めたいところだったが、あいにくと住職はここにはいない。先刻の説得の件で動いてもらっているからだ。
なので、ここは俺が自分の口で説明するしかなかった。
俺は仕方なく、あの態度をとった理由を順を追って話し始めた。とはいえ、それは結局のところ、権力におもねっただけですとしか言いようがなかったりするのだが。
「……相手がどれだけの無理難題を口にしようと、大友宗麟殿の威光を背景としている以上、こちらはそれに従わざるを得ないのです。あえて背けば、ついには弓矢のやりとりになってしまう。それは望むところではありませんでした」
まあ、この程度のことは吉継とて承知しているだろう。だからこそ、今の吉継は不満げではあっても、怒ってはいないのである。
俺はさらに言葉を続けた。
「それを踏まえれば、こちらに出来ることは限られています。率直に言って、相手が情けをかけてくることは予想していました。他者の手を用いて敵を追い詰め、しかる後、慈悲の笑顔であらわれ、手を差し伸べる。あの手の輩の常套手段ですからね」
自分も似たようなことをしたことがある、とは言わないでおく。
「はたせるかな、相手はそのとおりに動きました。あそこで反論ないし拒絶をすれば、あっさりと手を翻し、こちらを威迫してきたことでしょう。今、連中とまともにやりあっても勝ち目はありません。弓矢はもちろん、たとえ府内に訴えでたところで、放火の証拠がない以上……いえ、たとえ証拠を見つけても、連中にもみ消されて終わりでしょうね」
ならば、ここは無用に抗うことなく、あの連中の慈悲にすがってみせるが得策。取るに足らない相手だと思えば、こちらへの警戒もいくらかは失われるだろう。
つまるところ。
南蛮神教が大友家の保護を受けている以上、それに敵対することは、大友家を敵にするに等しい。豊後、豊前を統べ、筑前、筑後にまで勢力を拡げる九国探題を敵にすることの無謀さは、いまさら口にするまでもないだろう。
それだけの覚悟を俺は持っていなかったし、亡き角隈殿とてそんなことを望んではいまい。俺の中では、今の状況が選びうるすべての選択肢の中で最善であった。
付け加えれば。
ここで下手にカブラエルらをやりこめ、恥をかかせたりすれば、奴らがどんな報復に出るかわかったものではない。吉継には申し訳ないが、俺はあんな奴らを相手に九国で時を費やすつもりは毫もなかったのである。
無論、吉継をそのような事態に追い込む気もなかった。
そんな俺の言葉を聞き、吉継の顔を覆う白布がかすかに揺れた。
感情では反論したいが、理性では頷かざるを得ない、というところだろうか。あるいは、俺と語る言葉を、吉継はもう持ち合わせていないのかもしれない。
それも仕方ないと、そう思う。
かつて、俺は幾度も戦をし、敵国に使いに立ち、その多くを成功させてきた。しかし、そのすべては主君の威光と同輩の助力、そして配下の献身あってのこと。俺一人ですべてを為しえたわけではないのである。
その証拠に、それらがなければこの体たらくだ。情けない話だと、俺が小さく嘆息した時だった。
住職の使いと名乗る若者が、息をきらせながら、思いもよらぬ知らせを伝えてきたのである。
その知らせは、俺を一つの出会いへと導くこととなる。
出会い――大友家加判衆筆頭、戸次道雪。戦陣における名を鬼道雪。九国最強と名高き名将との邂逅が、すぐそこまで迫っていた。
それは同時に、雲居筑前という人物が、九国における戦乱と深く関わることとなる前兆であったのだが。
この時の俺に、そんなことがわかるはずはなかった。