娘に「寝顔が可愛かった」といったら川に叩き込まれたでござる。
くしゅ、とくしゃみをしながら、世の不条理について思いを及ぼしていると、隣で焚き火に枯れ枝をくべていた吉継が、不服そうに声をあげた。
「事態を四捨五入しすぎです、お義父様」
「大筋では間違っていないと思うんだが」
「それは、そうかもしれませんが。そもそも娘の寝顔がどうのと、兵たちの前で言うことですか。一応いっておきますが、私は病で顔を隠してることになってるんですからね」
吉継はそう言うが、ぶっちゃけもうその設定は色々な意味で破綻していると思われます。
吉継もそれを自覚しているのか、声に苦笑が混じった。
「……まあ休松城では素顔を晒して散々戦いましたから、戸次様の部隊には知れ渡ってしまっているとは思いますが。それにしたところで、兵たちが騒いだのはお義父様が無用に私に対する褒詞を積み重ねたからでしょう」
「ことごとく本心だったんだけどなあ」
「挙句、騒ぐ兵たちを前に『娘は誰にもやらんぞッ』と断言したのも本心だったのですか?」
「あれは一度言ってみたかった台詞だった」
「……やはりあの時、早急に頭を冷やしてもらわねば、と私が判断したのは間違いではありませんでした」
とはいえ、と吉継は小さく身を縮めつつ、俺に頭を下げた。
「いかに今日は暖かかったとはいえ、川に叩き込んだのはやりすぎでした……ごめんなさい、お義父様」
「気にするな。かわりに豊後に帰ったら父娘仲良く風呂に入れると思えばやすいもの」
「……まったくもって初耳なのですが、いつのまにそのような話になっていたのですか?」
「いや、この際だからもう少し互いの距離を縮めようかと。そのためには裸の付き合いが一番だと思うのだよ」
「明らかに言葉の解釈を間違っています……というか、この前もなんかそんなこと言ってましたが、まさかとは思いますけど、あちこちで似たようなことを言ってたりしませんよね?」
「こんなことを言うのは吉継だけだ」
「……真顔で断言されるのも、それはそれで困ります」
「まさか道雪様に髪を洗わせてくださいとも言えないだろ?」
「……今度は氷風呂に叩き込んでさしあげましょうか?」
川に叩き込まれたため、当然ながら今の俺は全身濡れねずみである。輜重隊でもいればともかく、騎馬隊のみで肥前に急行している今、替えの服などあるわけがない。
よって服が乾くまでは褌一つで立ち尽くしていなければならない。
とはいえ、だ。
今日はこの季節にしてはかなり暖かかったのだが、日が落ちれば、やはりそれなりに冷え込んでくる。少なくとも服を着ずに平然と過ごせる気温ではない。
ここで病で倒れたとか言ったら本気で洒落にならないので、天幕用の布地を適当に切ったやつを羽織り、吉継と戯れながら、服が乾くのを待っているのである。
幸い天気が崩れる様子もない。吉継に聞いても、明日一杯は晴れるだろうとのこと。どのあたりで判断するのかと聞くと、月にかかる雲と、その流れる速さがどうとか、風が含む水の匂いがどうとか教えてくれたのだが、うむ、さっぱりわからん。まあ天気が崩れないのなら、明日の出立までには服も乾くだろう。
唯一、心配なのは今ここで敵に襲われることなのだが、まあ今日は満月だし、夜襲にはもっとも向かない日である。心配はいらないだろう。
そんなことを考えながら、俺は手に持っていた鉄扇に布地をあてる。
もう水はとうに拭っているし、どこか壊れたわけでもないのだが、やはり持っていないと落ち着かないのである。
ふと、これをもらった時のことを思い出す。あの時は鉄扇とは思わず、あまりの重さに取り落としそうになったものだが、今では苦もなく片手で扱えるようになっている。月日の流れるのは早いものだ、などと考えていると。
「あの、お義父様。それは?」
吉継が鉄扇を指して尋ねてきた。
具体的に何を聞きたいのか判然としない問いかけだったが、まあ鉄扇であることは見ればわかるだろうから、由来を聞きたいのだろう。
そう判断して口を開く。
「昔、仕えていた方に頂いたものだ。なんとなく、持っていないと落ち着かなくてな」
普段はともかく、今のような戦時は特に。護身の手段として、という面もあるが、それ以上にこれを持っていると、軍神の加護があらたかなのだ。
「大切な物なんですね」
「うむ、娘と命の次くらいには」
「それはそれは、うれしゅうございます」
あっさり流されてしまった。
その時、不意に吉継の顔が曇る。
「……あ」
その視線は、鉄扇についた刀傷に向けられていた。
何だろう、と首を傾げそうになったが、すぐに思い至った。そういえば、これで吉継の刀を受けたことがあったな。
「ああ、気にしないで良いぞ。元々、これ刀を受けた衝撃で歪んでたから」
「そうなんですか?」
「うむ、色々と語るに語れぬ戦の数々があってな」
「……かりにも鉄で出来ているのでしょう? 傷をつける程度ならともかく、歪むほどの衝撃とは……」
そこまで言いかけて、吉継は何か思い出したように言葉を付け加えた。
「もしや、それが毘沙門天と戦った傷跡ですか?」
声に笑いが滲んでいるのは、先日の俺の言葉が冗談だと思っているからだろう。
俺は苦笑して言い返した。
「いや、これはその随分あとに受けた傷だな」
そもそも、その毘沙門天にもらったものだし、と付け加えようとして、慌てて口を噤んだ。
また冗談を言って、と睨まれそうだったからである。
それを受け、吉継は何か言葉を返そうとしたのだと思う。
しかし、俺はその言葉を聞くことが出来なかった。けたたましく、敵を知らせる打ち鐘の音が鳴り響いたからであった。
まるではかったように敵が襲い掛かってきた。
◆◆◆
敵襲の叫びがあがるのを聞いた時、吉継は父にこの場にいるよう言い残すと、即座に駆け出した。
不測の事態が生じた時には、できる限り自分の目で確かめる必要がある。
ただの野盗ならばこの規模の部隊を襲うことはないだろう。筑後の反大友国人衆に気づかれた可能性もあるが、案内役の戸次誾が、そういう輩に襲われる可能性があるところで夜営させるとは考えにくい。
であれば、襲ってきた敵は、高速移動する大友軍を正確に捕捉して襲撃してきたことになる。それもあえて大友軍の勢力圏内で。
誰であれただ者ではあるまい。吉継は敵襲の報告を耳にするや、たちまちそこまで考え、みずからその敵の正体を確認しようとしたのである。
だが、吉継がどんな敵を予測していたにせよ、あらわれた敵兵の姿はその予測の外にあった。
それも仕方ないことだろう。鎧兜すら着けていない女剣士が、ただ一人で戸次家の精鋭に襲撃を仕掛けてくるなど、予測できるはずがないのだから。
「ようやく将が出てきた――というわけではないみたいですね。腰が重い方なのかしら」
決死の襲撃をかけてきたはずの剣士は、何やらぶつぶつと呟いている。
緊張感のかけらもない様子で吉継を見やった剣士の目がかすかに見開かれたのは、吉継の頭巾ゆえか、それとも吉継が同性であることに気づいたゆえだろうか。
「奇妙な被り物をしていますね。戦場で顔を隠すなど無粋、と言いたいところですが、それはさておき。それなりの腕はお持ちのようですけど、そのようなものをかぶっていては動きがそがれますよ? 率直に言って、一太刀で済みます。死にたくなければ、無用な装いは取り去りなさい」
吉継は、その剣士の言葉を大言壮語だと切って捨てることが出来なかった。
剣士の後ろに累々と倒れ伏している兵士の数が吉継から楽観を奪い去る。なにより、剣士が構える刀に血糊らしきものが一切ついていない事実が、吉継を戦慄させた。
「……戸次家の軍勢相手に単身で切り込み、しかもすべて峰打ちで済ませる、ですか。さぞ名のある御仁とお見受けしますが、何ゆえこのような真似をなされるのか?」
「……と、相手に問いかけながら、兵が集まるのを待つというわけですね。うん、彼我の力量差を一瞬で見抜き、かなわぬと見るや即座に数に訴えようとする、その身の程をわきまえた振る舞いは実に良い。将としては、さっき斬りかかって来た少年よりもあなたの方が上ですね」
もっとも、あの少年も嫌いではありませんが、と剣士はくすりと微笑んだ。
「大友は斜陽の時を迎えていると聞いていましたが、若い才は確実に育っている。やはり聞くと見るとでは大違い、旅はしてみるものです」
「……旅の一幕にするには、この振る舞いはいささか常軌を逸していると思いますよ。もっとも、今更引き返すといっても手遅れですが」
剣士の気軽な物言いに、吉継は言い知れぬ不快を感じて声を低める。
この剣士、言葉自体は丁寧なのだが、世のすべてを自分の下に置いている。そのことを感じ取ったからだった。
意識して慇懃無礼に振舞っているわけではない。ごくごく自然に、それを行っている。圧倒的なまでの自信と自負が、剣士の振る舞いや言葉から尽きることなく湧き出ているようだ。
この態度が鼻につくか、それとも頼もしいと思うかは人それぞれだろうが、自軍に斬り込んで来ている時点で、吉継にとって選択の余地などなかった。
元々、夜営場所自体はさして広くもない。騒ぎを聞きつけて駆けつける兵士の数は増える一方であり、手ごわいと聞いて弓を持ってきている者もいた。
誰が何を命じたわけでもなく、各々が判断して包囲を築き上げる。いかに剣士が手練であろうと、所詮は一人、百人近い戸次勢をことごとく打ち倒すことなど出来るはずがない。
そのはずだった。
しかし。
敵意に満ちた戸次勢に四方を囲まれながら、剣士はなおも余裕を失わない。
ただほんの少し、その顔に刻まれた笑みが深くなっただけ。
「やはり、あなた方は良いですね。ふふ、正直、峰打ちでは少々興が乗らないと思っていたところです。死合いこそが剣士の華、武士の本懐……」
その言葉を口にした剣士に、吉継は――否、周囲を取り囲む戸次勢すべてが、息を呑む。
浮かぶ表情は小春日和を思わせる麗らかなもの。
改めて構えをとるその姿は流れる清水のごとく、静かで淀みなく。
外観からは、猛々しさなど欠片も感じ取れないというのに。
何故かわかってしまう。
今、大友軍を包む静寂、それが嵐の前の静けさなのだ、と。
山雨が至るとき、風が楼に満つる、その瞬間なのだ、と。
この剣士はひとたび解き放たれれば、この場に集う戸次軍すべてを呑み込んで吹き荒れる野分と化す。そんなことはありえないと知りながら、それでも吉継はその恐れを総身に感じていた。
だが、それでも。
吉継は刀を握る手に力をこめる。
相手の思うがままに振舞わせたところで、結果はかわらない。
昨日あったものが。
今日まであったものが。
明日もあるとは限らない。
そのことを、骨身に染みて知っている吉継だからこそ、目の前の剣士は排除すべき敵以外の何者にも映らなかったのである。
「やめろ、吉継」
だから、その言葉に従うつもりもなかった。
この状況でじっとしている人ではないし、じっとしていて良い立場でもない。
父がここに来ることはわかっていた。そう言うのではないか、とも思っていた。
女性一人をよってたかって殺せ、などと命じられる人ではない。たとえ相手が得体の知れない危険な人物であろうとも。
それでも、吉継は従うつもりはなかった。吉継に命令を下す権限はないが、この状況で声を張り上げれば、他の将兵も追随する。それは予想を越えた確信だった。
しかし。
そこまで考えた挙句、吉継は結局口を開かなかった。
父に従うべきだ、と考え直したわけではない。
では何故思いとどまったのか。それは――
当の相手である剣士が、呆けたようにぽかんと口をあけ、刀を下ろしてしまったからである。
先刻までの余裕と自信に溢れた剣士の姿はそこにはなく、まるで普通の街娘のように呆然と立ち尽くす女性。あと、なんでか頬が赤らんでいたりするのだが、どうしてだろう?
――なんとなく。
本当になんとなく、嫌な予感を覚えながら、吉継は後ろを振り返る。振り返り、そして即座にそのことを後悔する。
そこには褌一つの姿で駆けつけた雲居筑前の姿があったからであった。
その手に鉄扇だけを携えて。
◆◆◆
いつからかは覚えていない。
何か一つのはっきりとした思い出があるわけではない。
あるいはそれは、ただ生まれついての気性だったというだけのことかもしれない。
丸目蔵人は、天という響きに焦がれながら生きてきた。
天といっても、天命を与える不可視の存在のことではなく『上』すなわち頂点を意味する『天』である。
もっと単純に言えば――すべてにおいて一番になりたがる、丸目蔵人はそんな為人だったのである。
蔵人は本名を丸目長恵(まるめ ながよし)といい、九国は肥後の生まれである。
丸目という姓は、初陣の折の武功によって主家である相良家から与えられたものなのだが、その事実からもわかるとおり、蔵人は若年ながら文武に長じた人物として主家の信頼を一身に集めていた。
元々、幼少時から家中でも出色の人物と目されていた蔵人は、当時の主君であった相良晴広から特に請われて、嫡子である義陽の側役となったほど主家と近しい関係にあった。
蔵人もまた、特に疑問もなく主家の信頼に応えて続けていたのだが、ある時から義陽との仲がうまくいかなくなってしまう。
というのも、主家の嫡子であろうが何だろうが、学問、武芸、馬術、水練、あらゆることに関して蔵人は遠慮なく義陽を凌駕し続けたからだった。
幼い頃は、すなおに蔵人の才を称え、羨望していた義陽だったが、長じるに従って蔵人の存在を疎むようになってきた。
なにせ何をしても、何をやっても手も足も出ないのだ。義陽は決して暗愚というわけではなく、むしろ並の子供に比べれば優秀といっても良いほどだったが、相手が蔵人では分が悪い。悪すぎると言うしかない。
蔵人は才能を鼻にかけたり、あるいは義陽を蔑むような言動を示したことはなかったが、それは逆に言えば、蔵人にとって義陽を凌ぐのは当然のことだということである。
また、これだけの才能を示せば、家中の信望、とくに若者たちのそれが蔵人に集中するのは自然なことだった。まして蔵人は女性としても衆目を惹き付ける。いかに竹馬の友とはいえ、義陽が蔵人を疎むようになったのは、ある意味で避けられないことだったのかもしれない。
かくて、些細な理由で側役を解かれた蔵人だったが、特に不満を口にすることもなく素直に従った。義陽の心情を察したから――というわけではない。そもそも蔵人は義陽が蔵人に向ける嫉視にさえ気づいていなかったし、また気づいたとしても特に言動を違えることはしなかっただろう。
才能であれ、環境であれ、他者とまったく平等なんてことはありえない。ゆえに他者と己との間に差が生じるのは必然だった。そして、差を埋めたいと願うのであれば努力すれば良いのである。
この頃、蔵人は頂点に固執する己の性向をはっきりとは自覚していなかったが、それでも他者に劣る自分を許すことは出来ずにいた。たとえばその相手が、十以上も年上の頑健な体躯をした剣術の師範であっても、祖父ほどに年のはなれた学問の師であっても、である。
蔵人は心の命じるままに、学問でも剣術でも、他者に劣らぬように励みに励んだし、そのこと自体がとても楽しかった。
元々持ち合わせた才能に、努力を積み重ねていけば、他人がそれを凌ぐのは容易なことではない。まして楽しんで励む蔵人には、およそ限界というものがなかったから尚更である。
そんな蔵人であったから、差を自覚しつつ、それを埋めようとせず(あるいは埋めようとしても埋められず)相手をねたむという心境を理解することは不可能だったのである。
ともあれ、側役を解かれた蔵人は、これは良い機会だと考えた。
この頃、蔵人は相良家に物足りないものを感じていたのである。といっても、義陽や他の家臣に含むところがあるわけではなく、近くに切磋琢磨する相手がいないことが原因だった。
剣ではとうに城お抱えの師範を上回り、学問でも兵術でもまともに論争できる相手がいない。同年代は相手にならず、年嵩の老臣たちは、孫のような年齢の蔵人と机上の争いをすることを避けたためである。一言でいって退屈だったのだ。
側役を解かれた今こそ幸い、天下見物に赴くべし。そう言って父や主家を半ば無理やり説得した蔵人は、京へ向かった。荒廃したとはいえ、やはり都といえば京。日の本の中心に行けば、自分など及びもつかない人物がいるはず、と胸を高鳴らせての旅立ちだった。
だが。
長旅の末にようやくたどり着いた京の都で、蔵人は大いなる失望を味わうことになる。
京の都には確かに思ったとおり、自称他称を含め、多くの剣客や軍配者が集まっていた。なかには彼の剣聖 塚原卜伝の高弟だの、諸葛孔明に匹敵するだのと仰々しい装いを自らに貼り付けている者もいたが、いずれも蔵人にとっては取るに足りない相手だった。
十を越える仕合を挑み、そのことごとくに完勝した蔵人は、その腕前以上に若さと美貌で知られるようになり、ろくでもない輩に挑まれることが頻繁になった。
京に着いてから三月が過ぎる頃には、すっかり都に嫌気が差した蔵人は、いっそ坂東の方まで行こうかと考えながら、旅支度を調えていた。
しかし、坂東も京と大差なければどうしよう。まさか本当に天下に我より上はいないのだろうか。後から思えば笑止きわまりないのだが、この時、蔵人は半ば本気でそれをを案じていたのである。
そんなとき、街で一つの噂を聞いた。
東は越後の国より上泉秀綱なる人物が上洛してきた、というのである。
聞けばこの人物、以前は関東管領に仕え、大胡秀綱と名乗っていたそうだが、関東管領が越後に逃れた後は、その護衛もかねて越後の上杉家に仕えるようになったらしい。それを機に大胡から上泉に改名したそうだが、蔵人にとってそれはどうでも良いことだった。
蔵人が注目したのは、その秀綱なる人物が剣聖とまで称えられる凄腕の剣士だという、ただその一点だけであった。
もっとも、この時点ではまだ蔵人の胸中には懐疑の念が燻っていた。
塚原卜伝もそうだが『剣聖』とは衆に優れた剣士に冠せられる称号である。それゆえに、我こそ優れた剣士なり、と考える者が剣聖を称することはめずらしくなかった。実際、蔵人はすでに片手の指で数え切れない数の自称剣聖を討ち破っている。
その経験もあって、件の越後の剣聖殿も、実際に会って確かめるまでは水物だと考えていたのである。
そして、例によって上杉の一行の宿舎に押し通った蔵人は、そこで生涯の師と出会う。
剣士として完膚なきまでに叩きのめされた――それは事実だが、それだけなら蔵人は秀綱に剣の教えを請うことはあっても、生涯の師と仰ぐことはなかっただろう。
蔵人が真に打ちのめされたのは、むしろ剣で敗れた、その後だった。
少しさかのぼれば、剣であれ、学問であれ、誰かに劣ったことは初めてではないし、技術や知識に優る人たちから、未熟や増長を厳しく指摘されたことはある。
だが、乱入してきた蔵人を破った秀綱は、ことさら蔵人を咎め、あるいは諌めようとはしなかった。弟子にしてほしいという蔵人の願いを快く受け入れ、教えを授ける――それ以上のことをしようとはしなかったのである。
そうして、秀綱の傍らで剣を学びはじめてから、蔵人はすぐに秀綱と自身の違いを悟る。
一言でいえば、器が違う。剣士として、さらには人として。
蔵人は秀綱に対し、過去に教えを受けた者たちの誰にも優る感銘を受けた。
それは、日常のほんのささいなこと。秀綱の発するふとした言葉が、何気ない仕草が、立ち居振る舞いが――蔵人に己の小ささを訴えてきたのである。
しかも、秀綱はそれを意識してやっているわけではないのだ。
日常の挙措で他者を教化するような人物に、蔵人は初めて出会い――そして心酔した。
新陰流を修めることは当然として、普段の物言いから他者との付き合い、果ては生き方そのものまで、蔵人はすべてを秀綱から学ぼうとした。
それは端的に言えばこれまでの自分との決別を意味する。他者の下風に立つことを忌む蔵人の性情は、秀綱のそれとは似ても似つかないものであったからだ。
実のところ、蔵人は師と仰ぐ秀綱に対してすら、負けを認めようとしない自分がいることに気づいており、この感情を敬意へと昇華させることこそ、師に近づく一歩であると考えていたのである。
こうして、蔵人は己が生涯ではじめて自身の性情に反する努力をはじめ。
はじめたその日に、秀綱からこっぴどく叱られた。
無論、秀綱は声を荒げたわけではない。だが、その眼光の強さは、下手をするとはじめて無法に挑みかかったあの時よりも勁烈なものであったかもしれない。
蔵人としては自分なりに考え、成長する術を探り当てたと思っていただけに、正直何で秀綱があんなに怒ったのか、最初はそれがわからなかった。
だが――
『あなたがどれだけ努めたところで私にはなれません。私がどれだけ努めたところで、あなたになれないように。己を殺す必要はありません。あなたは、あなたのままに強くなりなさい。天を望む妙なる心を、こんなところで朽ちさせてどうするのですか』
その言葉が、丸目蔵人佐長恵の在り方を決定付けた。
秀綱を生涯の師と仰ごうと決意したのは、この時である。
◆◆
秀綱が京に滞在したのは一ヶ月にも満たない短い期間であった。
だが、その期間は蔵人にとって、今まで生きてきた十数年をはるかに上回る充実した時間であったといえる。
同時に、それは剣豪としての丸目蔵人の名が知れ渡る契機ともなった。
秀綱は会って間もない蔵人の剣の腕と為人をこれ以上ないほどに高く評価し、足利将軍の御前で開かれた上覧仕合の打太刀の相手に指名さえしてくれたのである。
これが剣士にとってどれだけの栄誉であるのかは言うまでもあるまい。蔵人は師と共に足利義輝から感状を授けられ、その名は天下に喧伝されたのである。
秀綱が越後に帰るとき、蔵人はそれに付き従うつもりだった。
それは師である秀綱を慕ってのことだったが、秀綱の口から聞く越後の人々に興味を持ったからでもあった。
中でも蔵人が深甚たる興味を抱いたのは、秀綱をして「剣の腕はほぼ互角、将としては遠く及ばぬ」と言わしめた上杉謙信なる人物だった。
師から諭された蔵人は、すべてにおいて頂点を目指さんとする己の為人をはっきりと自覚し、それをむしろ誇りとして歩いていくと決めた。
それはつまり、剣の腕では秀綱を上回り、将として師すらこえる軍神を凌駕する、ということである。その為人を間近に見るのは、決して無駄にはなるまいと考えたのだ。
実のところ、秀綱が「遠く及ばぬ」と形容した人物はもう一人いる。蔵人はその人物にも興味を抱いたのだが、なんでも現在は行方知れずとのことだった。
ともあれ、越後へ行くことは蔵人にとって既定のこととなった。
秀綱もあえてそれを止める理由を持たなかったので、つつがなく出発できるかと思ったのだが、そんな時、生国である肥後からの急使がおとずれた。
そして蔵人は、主君である相良晴広の死と、かつて側役として仕えた相良義陽の家督相続を知ったのである。
相良家の当主である晴広はまだ初老と呼ぶほどの年齢でもなく、病弱というわけでもなかった。
それゆえ、その死は蔵人にとって驚きだったが、蔵人以上に驚いたのは義陽であったろう。
だが義陽には驚いている暇さえなかった。突然すぎる当主の死は、相良家に大いなる混乱をもたらしたからである。
義陽は晴広の嫡子ではあったが、力量も実績も父に及ばぬと見られていた。若年であることも手伝って、家督を継いだ義陽を軽んじる者は決して少なくなかったのである。
軽んじるどころか、親族の中には露骨な野心を見せる者さえおり、対する義陽には頼りとする相手さえいない有様であった。より正確に言えば、義陽に従う者もいることはいるのだが、いずれも若く、他の家臣たちを押さえられるほどの力量を持つ者はいなかった。
家督を継いで十日と経たない内に、義陽はそのことを思い知らされた。
家中の不穏な空気に、このままでは遠からず父の後を追うことになるかもしれないと怯える義陽の脳裏に浮かんだのは蔵人の姿だった。
無論、義陽は蔵人が京にいることは知っていた。どうして蔵人が京に発ったのかも理解していた――つもりだった。義陽は、蔵人が自分を憚り、国を出たのだと考え、慙愧の念を覚えていたのである。実際は蔵人はそこまで殊勝なことを考えていなかったが、表面的な行動だけを見れば、義陽がそう考えたのも無理はなかった。
蔵人の行動を聞き、自らの行いが狭量なものであったと自覚した義陽は、どうやって蔵人に詫びたものかと考えあぐねていたのである。
そんな中での突然の父の死と、その後の混乱は、義陽に一つの行動を促す。
すなわち、蔵人に過去の行いを詫び、自分の下に戻ってきてくれるように頼んだのである。
蔵人にしてみれば、手紙に記された義陽の謝罪には面食らうばかりだった。
率直にいって、ああ殿はこんなことを考えてたんですね、くらいにしか思わなかったのだが、肥後への帰国を願う一文には困惑せずにはいられなかった。
蔵人は義陽や相良家に対し、絶対的な忠誠を誓っているわけではない。そうであれば、そもそも国を出ようなどとは考えなかっただろう。
だが逆に、突き放して考えているわけでもなかったのである。
幼い頃から仕えていた義陽には親愛の情を覚えていたし、蔵人なりにではあったが、主家への忠誠の念も持っていた。くわえて亡くなった晴広に対する敬意と、京への旅立ちを許可してくれたことへの感謝は疑うことなく存在する。
何も知らなかったのであればともかく、知ってしまえば越後へ行くことができるはずもない、
強くなるためとはいえ、さすがに主家の危機にそ知らぬふりをして越後へ行こうとすれば、秀綱とて良い顔はしないだろうし、なにより、この時は蔵人自身がそうしようとは思わなかった。
短い困惑の後、蔵人はあっさりと越後行きを諦め、秀綱に対してひととおりの事情を述べて別れを告げ、再会を約した後、生まれ育った肥後の国へと戻ったのである。
肥後に戻った蔵人は父と共に義陽を支え、相良家は家督相続後の混乱を脱した。
新陰流を学び、将軍じきじきに「天下の重宝」とまで称えられた蔵人のもとには家中の若者をはじめ、農村や、あるいは他国からも立身を夢見る者たちが多く集い、剣豪丸目蔵人佐長恵の名は九国中に知れ渡った。
その蔵人を麾下に従えていることで、相良義陽の名もまた重んじられるようになり、義陽を侮る者たちの姿はほどなく見えないようになる。義陽にしてみれば、蔵人の名声におんぶに抱っこという感じで釈然としないものを感じもしたのだが、かつての過ちを省みて、再び蔵人に妬心を向けるような愚を避けることが出来たのは、義陽もまた成長しているという確かな証左であったろう。
そして数年。落ち着きを取り戻した相良家であったが、嵐は内からではなく外から――南から訪れた。
隣国薩摩において、国内統一を志して兵を挙げた島津家が薩摩南部の制圧を終え、北上を始めたのである。
この時、相良家は薩摩北部の国人衆――つまりは島津と敵対する国人衆に与しており、北進してきた島津軍と激しい戦いを繰り広げた。
蔵人もまた相良勢を率いて勇戦したのだが、この時、島津軍は宗家の四姉妹全員が出撃するという、文字通り総力を挙げた大攻勢を仕掛けてきており、勝敗は容易に定まらなかった。
蔵人他、肥後勢が拠点としたのは薩摩の大口城。ここは薩摩から肥後へはいるための玄関口に等しく、ここさえ押さえておけば、島津勢の北進を阻止することは容易いと考えられていた。
相良家にとっては死守すべき、島津家にとっては奪取すべき、重要拠点だったのである。
そして、ここで蔵人は痛恨の大失態を犯す。
島津の末姫 島津家久の誘いにのった蔵人は肥後勢を率いて城を出た挙句、城外において島津勢に包囲され、大打撃を被ってしまったのだ。
おそらくは肥後勢の要が丸目蔵人であることを家久は早くから察していたのであろう。
その誘いは巧妙を極め、不覚にも蔵人は四方を島津勢に囲まれる、その寸前までまったく計略に気づくことが出来なかった。
釣り野伏と呼ばれる薩摩島津家のお家芸。その存在を知ってなお、蔵人は家久にはめられてしまった。そうと悟ったとき、蔵人は思わず笑いたくなった。自分が見事なまでにしてやられたこと――まだ春を迎えてさえいないだろう少女が、蔵人が遠く及ばないほどの大器の持ち主であることを、一瞬で悟ったからであった。
悟った次の瞬間、蔵人は大口城への退却を指示する。それが容易ではないことを承知しつつ、またそう命令することが敵の狙いであると知りつつ、そう指示せざるを得なかったのである。
蔵人自身、剣を振るって幾人もの敵兵を切り捨てたが、個人の勇で戦局を打開できるほど、島津家の兵は弱兵ではなかった。
また、おそらくあらかじめ家久に指示されていたのだろうが、島津兵は蔵人とまともに戦おうとはせず、蔵人の隊を遠巻きに包囲して矢を射かけ、時に鉄砲隊を用いるなど、その徹底振りはいっそ見事なほどだった。
城に帰り着いた蔵人は、生き残りを数え上げ、知らず天を仰いでいた。
肥後勢はただ一戦で、主力の半ばを失ってしまったのである。この有様では、間もなく押し寄せてくる島津勢に対抗することは出来ないだろう。
包囲されれば、ほどなく殲滅されてしまうと考えた蔵人は、全軍に肥後への退却を指示する。
九国中に名の知られた剣豪丸目蔵人の存在は、島津軍に対抗する者たちの士気の柱である。その柱が折れたのだ。勝敗の帰結は誰の目にも明らかであった。
当然のごとく、丸目蔵人の敗北は義陽にとって衝撃だった。
幸い、国内統一を優先する島津軍は大口城を占領した後は兵を動かさず、生き残った肥後勢は無事に相良家の本城である人吉城に帰り着くことが出来た。主だった武将も生存しており、それに関しては義陽もほっと胸をなでおろす。これは蔵人の勇戦と思い切りの良い判断の賜物であるといえた。
とはいえ、敗北は敗北。そして、その責の多くが蔵人に帰せられることは明らかだった。義陽は蔵人に対し、何らかの罰を下さなければならなかったが、一部の重臣が声高に言い立てるような切腹は論外だった。敗北の罪は勝利で償えば良い。実際、これまで蔵人はいくつもの勝利をもたらしており、この義陽の発言は決して寵臣をかばうための詭弁ではない。
しかし、さすがに何の罰も与えないというわけにはいかない。重臣たちへの手前というだけでなく、討ち死にした将兵とその家族に筋を通さねばならないからである。
結果、義陽は蔵人に逼塞を言いつけた。門を閉ざし、人の出入りを許さない刑罰。
これにより、丸目蔵人は長期にわたって相良家の軍事、政治から離れることとなったのである。
――が。
「人の出入りを許さないということは、わたしが家にいる確認もできないということ。つまり私が外に出たという確認もできないわけで、確認されない事象を証し立てることは誰にも出来ないのです。うん、一分の隙もない見事な論理です」
そんなことを呟きつつ、丸目蔵人は逼塞を申し渡された翌日には人吉城を出ていたりする。
別に逃げ出したわけではない。島津家久と対峙した蔵人は、即座に自分が家久に及ばないことを理解した。剣士としてはともかく、武将としては、おそらく十回戦って一回勝てるかどうかだろう。
他の島津の姉妹の力量のほどは知らないが、あの家久の姉たちだ。同等の力量を持っていると考えて間違いあるまい。それはつまり、今のままではどうあっても蔵人では島津に勝てないということであった。
特に家久に敗れたことは、蔵人にとって衝撃だった。
蔵人は剣に重きを置くとはいえ、将としての学問も等閑にはしていない。孫子、呉子、六韜三略、おおよそ名の知られた兵書はことごとく学びつくしている。単純に知識だけでいうなら、蔵人に優る者は家中はおろか、九国中を見回してもさして多くはないだろう。
家久がどれだけ軍略に傾注しているかは定かではないが、費やした時間は間違いなく蔵人の方が上であると断言できる。
にも関わらず、完膚なきまでに叩きのめされた。
もし、師である秀綱に会うまでに同じ目に遭わされていたら、もしかしたら蔵人は立ち直れないほどの衝撃を受けていたかもしれない。
ここまで他者との差を――それも自分よりはるかに年少の相手に――思い知らされたことはかつてないことだったから。
だが、今の蔵人は打ちのめされたりはしなかった。
相手の力量を認め、己との差を認め、その上で差を縮め――いずれ追い越してみせる。
敗北と、戦死した将兵への責任を背負った上で、蔵人は思うのだ。将として上を目指すに、これ以上の相手はいない、と。
とはいえ、これからいくら兵書を読んだところで、家久を上回ることはできないだろう。
すでに相手を上回る研鑽を積み、その上でなお遠く及ばないのだ。これまでと同じことをしていても、差は開く一方だろう。
であれば、どうするか。
物に学べないのなら、人に学べば良い。ことに自分に足りないのは軍略、策略、計略、謀略、そういった面である。そういったものをすべて兼ね備えた大器は存在しないものだろうか。家久を越えるためとはいえ、どうせ学ぶなら頂きの上にいるような人が望ましい。なにぜ、いずれその人をも越えねばならないのだから。
そう考えた蔵人が、毛利元就の存在に行き着くまで、大した時間はかからなかった。
そして、その毛利軍が九国に上陸していると聞き、じっとしている理由などあるはずもなかったのである。
◆◆◆
そうして、筑前に赴いた蔵人は、そこで毛利軍の敗北を目の当たりにした。
それにより、異国の人間に好き勝手されている家だと、それまで歯牙にもかけていなかった大友軍にはじめて興味を持った。
大友軍を押し通ろうとしたのは、無論、その真価を知るためである。秀綱ほどの見事な対応は望むべくもないが、自分に対する態度で、大体のことは理解できる。蔵人はそう考えていたのである。
だが、今。
蔵人は慄いていた。
かつてないほどの衝撃がその身を襲い、身体の震えがとまらなかったのだ。
半ば呆然としながら、蔵人は口を開く。
「…………突然の敵襲に対して、鎧をつけず、それどころか服さえ着ない。不意打ちの相手に……不意打ちするしかない卑怯者相手に、わが身を守るものなど必要ない、とそう言うのですね。いえ、それ以上にその手に持つは扇ひとつ。刀さえ必要ないと……? ……なんと剛毅な……これがまことの武士が持つ、裸一貫の心意気……」
先刻まで対峙していた頭巾をかぶった少女が「……は?」と呆けているが、蔵人はまったく気づいていなかった。というより、自分が何をくちばしっているかさえ、わかっていなかった。
「ああ、天へと屹立する志を持って歩く人に、小さな陰謀の刃が通るはずがない。これは、ことによると天下人の器かもしれません……いえ、きっとそう。あの元就公すら退けたのは、あなただったのですか……」
「……吉継、この人は何をいってるんだ?」
「……さあ……私にもさっぱり……?」
「むう。何やら騒ぎが静まらないから急いで来てみたんだが」
「……ッ! お義父様、さっさと服を着てください。というか刀の一つも持たずに何しに来たんですかッ?!」
「娘の危機に裸一貫で立ち向かう父親というのも素敵だと思いません?」
「……それで、その父親に死なれた日には、娘はどうすれば良いんですか?」
「……すみません」
「謝るのは後で良いので、とりあえず服を着てください。この人、もう戦うつもりはないようですが、他に仲間がいないとも限らないんですから。あと、きちんと刀も差してくるように!」
「御意」