今の状況を率直に述べると「何がなんだかさっぱりわからん」としか言いようがなかった。
俺の前には丸目蔵人佐長恵と名乗った麗人が静かに端座して、じっと俺を見つめている。
その名を聞いた俺は思わず目を丸くしたのだが、それ以上に驚いたのは周囲の将兵だった。
それもそのはずで、若い女性の身でありながら、天下に名を知らしめた肥後の剣聖の名は、九国中に知れ渡っていたからである。
長恵の襲撃で負傷した、誾をはじめとした兵士たちは、それまであらわにしていた警戒と敵意をたちまちのうちに引っ込めたほどであった。彼の剣聖が相手なら仕方ない、というところであるらしい。
無論、俺も丸目長恵の名前は承知していた。あの剣豪が女性であるというのは驚いたが、まあそもそも秀綱殿からして女性だったし、これは今更だ。
問題なのは、その長恵がどうして単身で大友軍に切り込んできたか、ということである。ついでにいえば、どうしてこの部隊なのか。まさか偶然というわけではあるまい。
しかし、実のところ、それすらも俺にとっては大した問題ではなかった。
では何が問題なのかといえば、長恵が俺に対し、どうか随身を許してほしいと頭を下げたことが、何よりも先に考えなければいけない大問題だったのである。
聞けば、裸一貫、鉄扇一つで長恵の襲撃を迎え撃った俺の豪胆さに感じ入ったということだが、それは誤解も甚だしい。俺はそこまで肝が据わっていないし――というか、それは豪胆ではなく、ただの変態であろう――あの時はああするしかなかったわけで、決して普段から褌一つで敵襲に相対したりはしていないのである。
とりあえず、俺はそこに至る事情を適当に端折って説明した。
正直に言えば、長恵ほどの人物の協力を得られれば心強いので、随身を許したくなる。だが、さすがに相手の誤解につけこむのは気が引けるし、その上、長恵の信頼を損なわないためには、毎回褌姿で敵に挑まねばならなくなるのだ。あの丸目長恵の協力を得られる利点を差し引いても、これは重過ぎる代償だった。
そんなわけで、俺は誤解を解くべく言葉を重ねた。
誤解を解いたら解いたで、また襲ってこないとも限らないので、多分に賭けの要素もあったのだが、幸い長恵はこちらの話を聞いても特に感情を荒立てることはなく、静かにこう返してきた。
「――なるほど。つまり、普段の貴殿は敵と相対するに、鎧兜を身にまとい、刀を揮うということですね」
「そういうことです。先刻のあれは、なんというか、やむを得ない状況だったのです」
冷静に考えれば、生乾きでもなんでも、服を着てから駆けつけるべきだったのだが、自軍の雰囲気がただ事ではなく、様子を見ようとこっそり表に出た際、遠目に見た長恵の姿が、明らかな脅威を孕んでいたのだ。
それこそ、放っておけば俺を含めた大友軍をことごとく切り伏せてしまいそうなほどに。
長恵はみずからに言い聞かせるように幾度も頷いている。
「――確かによくよく考えてみれば、おかしな話です。うん、思わぬ事態にあって、ちょっと気が動転していたみたいです」
「丸目殿ほどの御仁を動揺させることが出来たのならば、これは将として誉れとすべきでしょうな。まあ、手段が手段なので、声高に喧伝するわけにも参りませんが」
俺の苦笑に、長恵の微笑が重なる。
「あら、あれはあれで男らしい御姿でしたけど?」
次に重なった笑いは、互いに他意のないものだった。
笑いをおさめると、俺はやや緊張を覚えつつ口を開く。
問題はまだ山のように残っている。その一つを詳らかにするためであった。
「では、先の請いはなかったことにして、丸目殿がどうして我らに――」
「ちょっと待って下さい」
俺の言葉を、長恵が片手をあげて遮った。その顔には不思議そうな表情が浮かんでおり、長恵はその表情をかえないままに首を傾げてみせた。
「どうして私の請いがなかったことにされているのでしょうか? 私は取り下げた覚えはありません」
「……は? し、しかし、それがしの格好が胆力によるものでないことはお話ししましたでしょう?」
「はい、それは伺いました」
ごく自然に頷く長恵に、俺も首を傾げる。
なんか話がかみ合ってないような?
「……えーと、最初の話によれば、丸目殿はそれがしの格好に剛毅さを感じ取り、それゆえに随身を願い出てこられたということでしたよね?」
「ええ、そのとおりです」
「それがしの行いは、剛毅とか豪胆とか、そういった類のものではないことは、今お話ししました」
「はい、それもそのとおり」
「……であれば、丸目殿がそれがしに随身を願う理由が失われたと判断してもよろしいのではないでしょうか?」
俺の言葉に、長恵はなにやらおとがいに手をあて、視線を天幕の上へと向けて「んー」と考え込む。
(……ぬう、どうも呼吸が掴み難い人だな)
俺が困惑しつつ、内心でそんなことを考えていると、答えが出たのか、長恵が再び視線を俺に戻す。
その口から出たのは、半ば予期していたものであった。
「確かに、最初の理由はなくなりましたね」
「そうですよね。それなので、丸目殿の請いはなかったものになった、とそれがしは判断いたしました。間違っておりませんよね?」
「いえ、間違ってます」
「そうですよね。では話を戻して……って、はい?」
間違ってると言ったか、今。
俺は自分が何か勘違いをしているのかと思い、同席している吉継や誾たちの顔に視線を向けてみたが、皆困惑を隠せずにいる様子。
ということは、やはり俺が勘違いしているわけではなく、長恵の言葉が奇妙なのだ。
「ふむ……よし」
両の頬を叩き、考えを切り替える。
相手の考えを推し測れないのならば、素直に聞くまでだ。
「最初の理由は失われても、随身を願う理由は失われていない。では、今、随身を願う理由は何なのでしょうか?」
「もちろん、天へと至るために必要だからです」
……く、いきなり挫けそうだ。しかし、ここは耐えねばならん。
「天に至るとは、具体的に何を指すのですか?」
「天とはすなわち、誰もが仰ぎ見れども届かぬ場所。けれど、私はそこに至ります」
断言しますか。とはいえ、長恵の姿はごくごく自然で、言い切る姿に気負いは感じられない。
他人の目にどう映るかは知らず、本人にとって、天に至らんと行動することは、もう呼吸するに等しいくらい当たり前のことなのだろう
「……それは剣士としてでしょうか?」
「いいえ。剣士として、将として、人として、女子として。すべてをひっくるめた上でのことです」
「それはまた……」
長恵の言葉に、俺は知らず息をのむ。
剣士として、将として最強、人として、女子として最高の人間になる、と。ここまで贅沢な、荒唐無稽ともいえる目標を、微塵も躊躇することなく他者に口にできる長恵に、俺は正直圧倒されていた。
(なんという気宇……)
先刻の長恵ではないが、そんな思いが脳裏をよぎる。
長恵以外の人間に問えば、十人中十人が無理だと断言するであろうし、それは俺も同様だ。
そもそも最強だの最高だのは個人の主観でいくらでも変わるもの、万人に認められるなど不可能だろう。
そんな俺の考えに、長恵は小さく肩をすくめた。
「誰かに認めてもらうつもりなんてありません。戦えば勝ち、攻めれば取る。認めてもらうのではなく、認めさせれば良いのです」
「剣士や将としてはそれでいいかもしれませんが、後半部分はどうなさるつもりです?」
この時代にミス日本なんてねーですし。
「そちらは己を磨き続けるのみです。他の誰でもなく、私自身が認めることが出来れば、それで良いんですよ」
「なるほど。下手に他人に評価を委ねるより、貴殿の自己評価は厳しそうだ」
「はい、もちろん。なにせすでに師の上泉秀綱というおばけが、でんと立ちはだかっていますから。あの方を越えるために、甘い評価なんてつけてられません」
俺は楚々とした秀綱殿の姿を思い起こし、なるほどと頷いた。あの姿で、その実、虎も裸足で逃げ出しかねない強さの持ち主なのだから、長恵のハードルが高くなるのも当然か。
「確かに、秀綱殿を越えるとなると、富士の山を越えるようなものですね」
俺がそう言うと、長恵の目におや、と怪訝そうな光が浮かび上がる。
「まるで師をご存知のような物言いですね?」
「昔、一時ではありますが、教えを請うたことがあります。といっても、剣士としての見込みはなしということで、新陰流を学んだわけではありません。ただ稽古の相手を務めて頂いただけで……あ、いや、稽古の相手を務めさせて頂いただけ、というべきか?」
俺は首をひねりつつ、そう言った。
俺が東国へ戻ろうとしていることは吉継も誾も知っている。そちらに知己がいたところで不自然ではないだろう。
一方の長恵は、何やら首を傾げつつ、じっと俺を見据えた。その視線は顔から首筋、胸元、腹、さらには脚といった具合に、なめるように俺の全身を見渡していく。
といっても、無論、そこに色めいた感じはない。それはもう一切合財かけらもない。それどころか、その鋭い面差しは、戦いを前にした剣士さながらであった。
そしてひとしきり眺めた後、なにやら納得いかなそうにぶつぶつと呟いている。
「……うーん、あのお師様が見込みもない人に稽古をつけるとは、ちょっと思えないんですけど。言うほど筋が悪いようには見えないんだけどな……?」
「丸目殿?」
「あ、はい、ごめんなさい。えーと……あれ?」
長恵は何やら腕組みをして考え込む。
「どうされました?」
「いえ、結局何の話をしていたんでしたっけ?」
俺がこけそうになったとしても、誰も文句を言えないのではなかろうか。
要するに俺に仕えたいという理由を教えてくれ、という話をしていたことを伝える。
すると長恵は、あ、そうか、みたいな顔で頷いていた。
そして、頷いた後、また何やら考え始めてしまう。
すると、それまで我関せずと黙っていた吉継がはじめて口を開く。
「……お義父様」
「……言いたいことはなんとなくわかるが、ここは我慢のしどころだと思う」
「……お義父様がいいなら結構ですが」
そう言いつつ、はぁ、とため息を吐く吉継。色々な意味で、疲労が積もっている様子だった。
もう一人、先刻から黙っている誾は、こちらも何やら疲れた様子だった。
時折、顔をしかめているのは長恵に打ち据えられた傷が痛むからだろう。峰打ちだといっても、骨は折れるし、打ち所が悪ければ死んでしまうこともあるのだ。
幸い、誾をはじめ、怪我をした兵士たちの中に重傷の人間はいなかった。逆に言えば、戸次家の精鋭を、長恵は重傷を負わせることなく無力化してしまったわけで――秀綱殿とどれだけの差があるのかはわからないが、剣聖と称するに足る力量を持っていることは、この一事をとってみても明らかだった。
「――そういえば」
不意に、長恵が俺に問いを向けてきた。
「先夜、私が笛を奏していたのはご存知ですか?」
「笛、というと……ああ、あの夜半に聞こえてきた」
「はい。実のところ、押し通るのは、あの時でも良かったんですよ。というより、吹き終わったら押し通るつもりで奏していたのですけど――」
そう言うと、長恵は天幕の上に視線を向けた。より正確に言えば、そのさらに上、夜空に浮かぶものに視線を向けたのであろう。
「とても月が綺麗でした」
長恵は、そう言ってくすりと笑った。
「それを見て思ったのです。明日は満月。どうせ押し通るならば、満ちた月の下の方が華がある、と」
「……それは、なんというか、風流なことで……」
いや、まあ単身、敵陣に突入する行いが風流かどうかは知らんけど。一騎駆けは戦の華というが、今回の長恵のはそれにあたるのだろうか。
俺が困惑しつつ応じると、長恵は小首を傾げた。
「先の話を聞くかぎり、昨日押し通っていれば、今日のようにはならなかったですよね?」
「そう、なりますか。少なくとも、裸で丸目殿の前に飛び出すことはなかったでしょう」
「もし昨日、あなたと正面から対峙していたらどうなったのか。それは興味が尽きないところですけど、それは仮定に過ぎません。結果として、私は一日待ち、待ったがゆえにあなたは裸身で私の前に立ち、その姿に私は撃たれ、今、こうしてここにいる……」
まるで詩を吟じるような、伸びやかな長恵の声。
それを聞きながら、俺は目を瞬かせる。長恵が何を言わんとしているのかが、今ひとつわからなかった。
そんな俺に向かって、長恵は花が開くような微笑みを浮かべ、告げた。
「あなたが示した裸一貫の心意気が偶然の産物であったとしても、私が随身を願う理由はなくなりません。何故ならその時は、その偶然を導いた、あなたの類稀なる強運をもって随身を願う理由とするからです。古来、運に優る才は無しと言いますもの。まして、あなたははるか東国のわが師を知っているとのこと、その一事をもっても合縁奇縁、果てしなし。ここで袂を分かつなんて、そんなもったいないことが出来るわけありません」
◆◆◆
肥前国蓮池城。
蓮池城は肥前と筑後を分ける筑後川を睨む竜造寺家の要衝の一つである。
現在、竜造寺家はこの城に四天王のうち、二人を篭めて筑後からの大友軍の侵攻に備えており、その二人――円城寺信胤(えんじょうじ のぶたね)と木下昌直(きのした まさなお)は警戒と兵の訓練をかねて筑後川の畔までやってきたところであった。
実のところ、現竜造寺家当主 竜造寺隆信は、元々大友家とは親密な関係にあった。より正確に言えば、大友家と、ではなく大友家に仕える筑後の国人 蒲池鑑盛と親密な関係にあったのである。
というのも、竜造寺家は先代家兼ならびに今代隆信の二人ともが家臣団の叛乱にあって佐賀城を失っており、そして二人ともが蒲池鑑盛の助勢によって復権を果たした。
竜造寺家にとって蒲池鑑盛は御家の大恩人であり、大友家に対して反感を禁じえない隆信も、鑑盛に対しては頭があがらなかったのだ。
しかし、近年の大友家の乱脈ぶりと、竜造寺家を属国扱いする宗麟の態度に腹を据えかねた隆信は、大友家の将来に見切りをつけ、独自の勢力を築くべく肥前各地に侵攻を開始した。
無論、これを知った大友家からは強い問責の使者がおとずれ、筑後の鑑盛からも自重を促す密使がやってきたりもしたのだが、ひとたび決断した後の隆信の行動は微塵も揺らがず、肥前における大勢力を築くことに成功するのである。
この時、隆信は大友家に従っていた国人衆であっても容赦なく討伐したが、その一方で決して筑後川を越えようとはしなかった。それが隆信なりの、此方への謝意であることを鑑盛は悟ったが、だからといって竜造寺の造反を見てみぬ振りなど無論できぬ。
それ以後、筑後川は竜造寺家と大友家がにらみ合う最前線となるのである。
「――というわけで、ここを守るのは竜造寺家にとって、とーっても大切なことなのです。わかりましたか、木下さん?」
『とーっても』の部分で大きく両手を広げて、事の重要さを示した女性に対し、木下と呼ばれた武将は乱れた髪を、さらにかき乱しながら、つまらなそうに返答した。
「胤さんの言うことはわかったようなわからんような、そんな感じだけどさ。なんだかんだ言いつつ、筑後川で戦が起きたことなんてこれまでなかったじゃねえか。こんなとこより、今熱いのはなんてったって筑前だろ! ああ、ちきしょう、なんで軍師殿は俺をこっちに置いたんだッ! あっちに配置してくれりゃ、俺が鬼道雪だのスギサキだの、まとめて相手してやるってのに!」
「そんなおばかな木下さんが暴走すると困ったことになる。だから鍋島様は木下さんをこちらに配置したんだと思いますよー。私というお目付け役込みで」
「お、おばかって、胤さん、そりゃねえよ」
「あら、私としたことが、つい本音を口にしてしまいましたわ」
ころころと笑う僚将を見て、竜造寺家四天王の一、木下昌直は情けなさそうに表情を歪めた。
ふん、とそっぽを向きながら昌直が口を開く。
「ちぇ、そりゃまあ『円城寺の弓姫様』と比べりゃ、おれなんてぽっと出の下っ端のおばかですけどね」
「あらあら、いい年をした殿方が拗ねても可愛くないですわよ?」
子供じみた抗弁をすっぱりと両断され、昌直は言葉に詰まる。
そんな昌直を気に留める素振りも見せず、名門円城寺家の若き女当主 円城寺信胤は眼前に広がる筑後川の流れに目を向けた。
実のところ、信胤にしたところで筑前侵攻を前に、筑後方面に差し向けられたことは残念なのである。
のんびりとした口調、おっとりとした為人から誤解されがちだが、円城寺家の今代当主は血筋だけでその地位にいるのではない。城中を歩く信胤の姿を見た家中の将士はおのずから姿勢をただし、行き合った相手は敬意を込めて道を譲る。円城寺の弓姫と一度でも戦場を共にしたものであれば、誰もがその実力を骨身に刻み込んでいるためである。
戦を好むわけではないが、どうせ戦わなければならないなら、より強い敵と戦いたい。そのあたりはもう一人の姫武将、江里口信常(えりぐち のぶつね)と同じ性情を持つ信胤であった。
もっともその信常曰く「でも、他のみんなはそうは見ないんだよねえ……良い縁談はみーんな胤に持っていかれるからなあ。見た目と言葉遣いってのは重要さね。ま、行き遅れなんて陰口はもう聞きなれちまったから構わないけどさ、あっはっは…………はぁ」とのことだった。
要するに外から見たかぎり、信胤は温雅で温和なお姫様なのである。
まあ、その実態はといえば、見た目とは正反対――と、昌直が胸中で呟こうとした時。
「あら、木下さん。額に蝿がとまってますわ。わたくしが払って差し上げましょう」
「うをッ?! ちょ、胤さん、蝿を払うのになんで弓引いてんだよ?! というか、いつのまに弓を取り出したんだッ?!」
「女子に秘密はつきものですのよ。その蝿を払えば、木下さんもちゃんと命令に従ってくれますわよね?」
「す、すみませんしたッ! 木下昌直、余計なことは考えずに任務に精励させていただきやすッ!」
「はい、結構です――あら?」
まさか実際に射ることはあるまいが、と思いつつ、信胤の日ごろの態度を思い返してちょっと不安になっていた昌直は、不意に信胤が首をかしげたので、思わず首をすくめた。
だが、信胤の視線は昌直を通り越して、背面を眺める筑後川の水面、その先に向けられていた。
信胤の様子から異変を察し、昌直も振り返る。そこには百騎ほどの騎馬隊が砂埃を舞い上げつつ疾駆している。どうやらこちらへ渡ってくるつもりであるらしい。
「大友軍、にしては数が少ないですわね。鍋島様が言っていた使いの方かしら?」
その信胤の呟きに、昌直がきょとんとした顔をする。
「へ、おれは軍師殿から何も聞いてねえんですけど?」
「言っても無駄だと思われたのではありませんの? わたくしが何度いっても、ここの守りの重要さを理解してくれない木下さんだから、仕方ないかもしれませんわね」
おほほ、と控えめに笑う信胤だったが。
実は何度も何度も説明を繰り返して、ちょっとご立腹であったのかもしれない。
「あ、いや、その……そ、そうだ、はやく前の連中に命令しねえといけねえッ! んじゃ、俺がちょっくら先走って攻撃しないように言ってきますわッ!」
そう言うや、馬腹を蹴って駆け出す昌直の後姿を見ながら、信胤は笑いをひっこめてほぅと息を吐いた。
「うーん、筋は良いんですけど、やっぱり問題はおつむの方ですわね。もうちょっと兵書でも読んでくれれば、わたくしも皆も、喜んで四天王の一角だと認められるんですけど……あの調子では、期待薄のようですわ。それでも勝ててしまうあたり、武力だけなら文句のつけようがないところが、また余計に始末に悪いんですのよねー」
一度、誰ぞに手痛く叩かれれば、そこから学ぶことも出来るかもしれない。大友相手ならうってつけ、とも思うが、しかし大友相手の戦に敗北覚悟で昌直をぶつけられるほど、今の竜造寺に余裕はない。
かといって、そこらの武将では昌直の相手にもならぬ。
「悩ましいところですわ」
そう言って、円城寺の弓姫は頬に手をあてて、もう一度ため息を吐くのだった。