「つまり、島津軍にしてやられたから、将としての経験を積むために修行の旅に出た、というわけですか」
「そのとおりです。より正確に言うなら『してやられた』わけではなく『こてんぱんに叩きのめされた』というべきでしょうか。これでもか、これでもか、えいえい、という感じでした、あれは」
「そ、そこまで言いますか……」
「他に形容のしようがなくて」
自分のことだというのに、まるで他人事のように長恵はそう言った。
特に表情を変えることもなく、淡々と先の島津との戦を語る長恵。それを聞き終えた俺は、嘆息しながらこう返した。
「なるほど。島津の総攻撃にくわえ、率いる将があの家久殿とくれば、それは厳しい戦況にならざるを得ませんね」
おや、という感じで長恵が首を傾げる。
「雲居殿は島津の末姫をご存知なのですか?」
「直接の面識はありませんが、噂程度なら聞いたことはあります。長ずれば、歴史に名を残す名将となる人物かと」
「ふむ……? 姉の鬼島津ならともかく、末姫はまだそこまで知られていなかったと思いますけど。少ない情報で、よくそこまでの器量だと見抜くことができましたね」
何気ない言葉だったが、俺はわずかばかり緊張した。
今回の戦で剣聖を討ち破った島津家久の勇名は轟くことになろうが、俺自身は薩摩での戦の顛末を知らなかった。今回の戦以前に島津四姫の名を聞いたことはあったが、家久個人のことを称揚するようなものは聞いていない。
この状況で、元の時代の知識をもとにした俺の言い方は、長恵にとってはおかしなものに聞こえるだろう。あるいは俺が下手な慰めを口にしていると思われてしまったかもしれない。
だが。
「真の名将は些細な情報からでも真実を拾う。実際に相対した私などより、あなたの方がよほど家久を識っているのですね。やはり、御身は私が敬うに足りる方です」
なんだか目をきらきらさせながら、尊敬もあらわに俺を見る長恵。
なにやらまたしても剣聖の心の琴線に触れてしまったらしい。
「いや、それは、どんなものでしょう? そもそも私は兵略を誰かに学んだわけでもないですし、四書五経、六韜三略を諳んじているわけでもありません。誰かに教えを授けられるような人間では……」
むしろそういった知識でいえば、俺は長恵の足元にも及ばないだろう。
将として学びたいというのであれば、それこそ道雪殿という、これ以上ない方がいらっしゃることだし、なんなら紹介しても――
しかし、俺の言葉を、長恵はゆっくりとかぶりを振って否定する。
「運用の妙は一心に存すとは往古の名将の言葉ですが、知識の多寡など実際の戦場では些細なこと、己が知る物をいかに活かすか、その能力こそが将の良否を分けるものと、私は先の戦で思い知りました。ですから、何も兵法を授けてほしいとは申しません。いえ、私のために、寸刻すら割いていただかずとも結構。ただ傍に侍ることをお許しいただきたい、と」
願うのはそれだけです。
そう言って長恵は眼差しに真摯さを込めて俺を見つめた後、深々と頭を下げた。
「学ぶべきことは、こちらで勝手に学びます。もちろん、随身する以上、いかような命令でも果たしてみせます。先駆けをせよと言われれば、我が剣をもって敵を切り裂きましょうし、使いをせよと言われたら千里の彼方でも赴いてみせましょう。もしも伽をお望みならば裸身を晒すことも厭いませ――」
「ぶッ?!」
思わず吹き出してしまった。というか、いきなり真顔で何を言い出すかッ?!
「い、いえ、そこまでしてもらわずとも結構ですが――」
慌てて長恵の言葉を遮る俺に、吉継と誾から冷たい眼差しが注がれる。
いや、別に伽云々は俺が求めたわけではないのですけどね?
げふんげふん、とわざとらしい咳払いをして、改めて長恵に向き直る。
「ま、まあ最後のはともかく、それではこちらは何一つせずに、剣聖殿を使い立てして良い、ということになってしまいますよ。それはあまりに不公平でしょう」
「無理やり押しかけ、無理やり随身を請うているのです。むしろ、これでもまだ足りないと思っているくらいですよ? ですから、お望みのことがあれば、なんなりとお申し付けくださいな。こう見えて、私、脱いでもすご―」
「ともかくッ!」
ええい、今、何を口走ろうとした?! お前はもう何もしゃべるなッ、丸目長恵!
俺はこれ以上の話し合いは無意味と判断し、さっさと結論を出すことにする。
「その条件であれば、こちらが断る理由も特にありませんねッ。とはいえ、俺は食客なので、仕官という形はとれませんよ。それに丸目殿の場合、立場が立場なので、あまり表立って動いてもらってはこまりますから、行動に制限がつくかもしれません。それに――」
相良家で逼塞を命じられている剣聖が、大友家に仕えている、などと知られたら、どんな騒ぎになるか知れたものではない。
そして長恵が相良家に仕えている以上、俺の傍でどんなに功績をたてたところで報われることはないだろう。それどころか正体が知られたら、その日のうちに追放処分になる可能性さえあった。
だが、そういった自身に不利な諸々の条件を聞いても、長恵はあっさり頷くだけで、別に気に留めた様子はなかった。それどころか、うれしげに破顔して、どうぞよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げてくる始末である。
このあたり、実に礼儀正しい人で、しかも文武に長じており、報酬は不要とくれば、望んでも得られる人材ではない。ないのだが……
「……良かったですね、お義父様。とても頼もしい方がお供に加わってくださって」
そういう吉継の背に、そこはかとなく怒りのオーラが漂っているような気がするのは、はたして気のせいなのかしら。
「……この隊の指揮は雲居殿に委ねられています。ゆえに反対を唱えることはいたしませんが、何事かあった場合、その責は雲居殿のものとなることを、ゆめゆめお忘れなきよう」
ちなみにこれは誾の台詞である。その視線はこの季節の空気よりもなお乾き、冷たく俺を見据えていた……
――というのが昨日の出来事である。
「師兄、あれが筑後川です――って、なんで疲れ果てたようにため息をついてるんですか?」
ああ、本当になんで俺は肝心の肥前に着くまでにこんな疲れ果てているのだろう? 戦に例えれば、まだ敵の先鋒部隊の影すら見えていない状況だというのに、すでに疲労困憊です。
まあ、理由は明らかだが、言っても多分通じないので言わないでおこう。これ以上、疲れたくないし。しかし、それでも訊かねばならない点が一つだけあった。
「……いや、気にしないでください。それより、その『師兄』というのは?」
「師兄は私より先にお師様の教えを受けられたとのことですから、私にとっては兄弟子同然、敬意を込めてそう呼ばせていただくことにしました」
「いや、だからそれがしは新陰流を学んだわけではないと――」
俺の抗弁を聞くと、長恵は小首を傾げた。
「それなら『お師様』は秀綱様と被ってしまいますから駄目ですし……ああ、そうですね、これなんてどうでしょう?」
「嫌な予感がしますが、拝聴しましょう」
「『ご主人様』とお呼び――」
「『師兄』で良いです」
むしろ師兄にしてくださいお願いします。
「はい、では師兄、これからよろしくお願いしますね」
にこり、と一点の曇りもなく微笑む長恵。
その顔は、とりあえず細かいことはどうでもいいや、と思えるくらいに魅力的な表情ではあった。
そんなことを考えていると、斥候に出していた兵士の一人が馳せかえってきて報告した。
その報告は――
「対岸に竜造寺軍が?」
「はッ。旗印から見るに、四天王の円城寺、木下の両名かと」
「いきなり四天王、それも二人一緒にか」
偶然と呼ぶには出来すぎた状況だった。
「数は? 騎馬はどれほどいる?」
「おおよそ四百。ほぼ徒歩の兵で、騎馬は、四天王の馬廻り衆とおぼしき二十騎ほどです。あちらもすでに此方に気づいている様子で、一部の部隊が河岸に展開をはじめました」
「上流に回りこんで渡河することも出来そうだが、下手に警戒されるのも面倒だな。戦をする意思はないと伝えてこよう。丸目殿、早速で申し訳ないが、付き合っていただけますか?」
「それはもちろん構いませんが、師兄、そのように堅苦しい話し方でなくとも結構ですよ。もっと気軽に、親愛と恋情を込めておよび下さいな」
「何故に恋情をこめねばならんッ?!」
「そうそう、そんな感じで」
「ああ、もう、とにかく行くぞッ」
「承知仕りました」
◆◆
肥前蓮池城。
竜造寺家にとっての対大友戦における最前線とでも言うべき城の中で、俺は途方にくれていた。
別に捕らえられたわけではない。聞けば大友家からの使者の来訪は予想されていたらしく、木下の方はともかく円城寺の方は友好的にこちらの話を聞いてくれた。
もっとも、木下が思ったことをそのまま言葉にする人物だとするなら、円城寺の方はその逆、言葉の端々から、見た目はあまりあてにならない類の人物であるとの印象を強く受けた。なので、友好的に見える雰囲気を、そのまま鵜呑みにはしなかった。
とはいえ、使者として赴いた以上、あちらの言い分は基本的にのまねばならない。そんなわけで、すすめられるままに蓮池城までやってきたわけだが――
「がおー」
まさか、熊の着ぐるみを着た円城寺に襲われるとは。
いや、正確に言えば、今にも襲い掛かろうとしているように両の手を高く掲げて「がおー」と吼えているだけなのだが。ひどくのんびりした声で。
とりあえず、俺はこの状況で向こうが求めているであろう台詞を言ってみることにした。
「……きゃー、たすけてー」
超棒読みだった。
「あらあら、随分冷静ですこと。皆さん、大抵もっと驚いてくれるのですけど」
「それは多分、別の意味で驚いていたんだと思いますよ……」
主に、四天王の一人ともあろうものが、ぬいぐるみめいた熊の着ぐるみを着てることに対して。
これが本物の熊の生皮を剥いだものでも着ていれば、本気で驚いたかもしれんが、今の俺の感受性は某剣聖のせいで摩滅寸前。ついでに言えば、東の方には馬の着ぐるみ(めいた兜)を着けている武将もいるし、いまさら着ぐるみ程度で驚いたりはしないのである。
「ちぇー、ですわ」
「いや、まあいいですけどね。もしかして、それがしたくてそれがしを呼ばれたのですか、円城寺様?」
なら、帰らせてもらうけど。
「いえいえ、きちんと本命の用件はございますわ。これはかたいお話の前の、一服の清涼剤のようなものとお考えくださいまし」
それと、と円城寺は言葉続ける。
「円城寺様、では呼びにくいでしょう? 信胤で結構ですわよ。親しい方は『胤』と呼んでくれますので、そちらでもよろしいのですけど」
「さすがに初対面の方を愛称で呼ぶほど肝は太くありませんので、信胤様と呼ばせていただきましょう。それで、信胤様、本命の用件というのは?」
マイペースな相手につっこんでも、こちらのペースが乱されるだけだと学んでいた俺は、矢継ぎ早に言葉を重ねていく。これも長恵のお陰と思えば、自然と感謝の念が――湧かんけどね。
「はい、えっと大友軍の使者と会うために、当家の軍師がこちらに向かっております。一両日中には佐賀城からお着きになるでしょう、そのことをお伝えしようとお呼びしたのですわ」
「軍師、というと、鍋島様でございますか?」
「はい、そのとおりです」
微笑んで頷く信胤に、俺は小さく首を傾げる。自ら使者に会いに来る理由は推測できる。筑後方面からの侵攻に関して、何の手も打っていないとは考えにくいから、それを大友方に知られたくないのだろう。
問題は佐賀城から、という点である。あるいは信胤がわざわざ口にしたということは、こちらを誘導するつもりなのかもしれないが、さて――
「どうなさいました、不思議そうなお顔ですわね?」
そう訊ねてくる信胤に他意は無さそうにも見える。
確認の意味でも、俺は一歩踏み込んでみることにした。
「佐賀城から、というのが少し意外でして。てっきり竜造寺家の主力は筑前との国境に集中しているものとばかり考えておりました」
「ああ、そういうことですの」
そうですわね、とおとがいに手をあてて天井を見上げる信胤。
しばし後、視線を俺に戻すと、信胤は再び口を開く。
「早馬が着いたのは、つい昨日のことなのですけれど、それによれば、大友軍は筑前の立花、高橋の謀叛を、まるであらかじめわかっていたかのように見事に制圧しつつあるとのこと。残すところは立花山城の立花鑑載殿ただ一人。大友軍はこれを幾重にも包囲しているのですが、肥前の方面にはほとんど警戒している様子が見えないとか。両家の謀叛を察していた大友家が、肥前の動きに勘付いていないはずはなく、これは明らかに誘いの隙、というのが軍師様のご意見でした」
「……なるほど」
「もっとも、軍師様は毛利軍を待たずに秋月軍が動いた時点で、皆に自重を申し渡していたのですけどね。暴走しそうな木下さんをわざわざこの城に配置したのも、その一環でしょう。そして、おそらく自分の考えどおりなら、筑前での戦の決着がつく前後に大友家から使者が来るだろうとも仰っておいででした」
淡々と語る信胤が、何を言わんとしているのかは容易に察することができた。ほんのわずか、信胤が秘める力量の端に触れた気がした――のだが。
(しかし、着ぐるみを着たまんまなので、迫力に欠けることおびただしいのが難点だ)
ここはもうちょっと緊張感を持ってしかるべき場面なのだが。いや、あるいはそれさえ計算尽くなのだろうか? だとしたら円城寺信胤おそるべし。いろんな意味で。
「……というわけで、雲居筑前様」
「――なんでしょうか?」
「お話も済みましたので、一献付き合っていただけませんか?」
「……はい?」
「木下さんだとすぐに酔いつぶれてしまって、心行くまで飲むことがなかなかできませんの。その点、雲居様はなかなか強そうな方とお見受けしましたわ」
「いや、それがしも酒はそれほど強くは……というか、一応、敵国の使者なのですがッ?」
「かたいことはいいっこなし、ですわ。ささ、わたくしが酌をいたしますので、ぐぐっとどうぞ。円城寺家の家訓は『駆けつけ三杯? ええい、この三倍は持って来いッ!』でしてよ」
「あらゆる意味で嫌な家訓だな、おいッ?! くわえて、それがしは遅れてきたわけではッ」
「あら、わたくし、使者の到着を今か今かと待ちわびていたんですのよ。十分に遅刻ですわ」
「ああ、もう意味がわからんッ?!」
◆◆◆
「……なるほど、それでその有様、というわけですか」
「……鍋島様には、まことにみっともない様をお見せしてしまい、申し訳…………ぅぇ」
こみあげてくる吐き気を堪えきれず、思わず口元を押さえる俺。
その対面に座るのは、鬼面で顔を隠した竜造寺家の大軍師 鍋島直茂その人である。
第一印象としては、思ったより小柄だな、というところだった。
というか、その程度しか思い浮かばないほど、今の俺はぐてんぐてんだった。言うまでもなく、明け方まで信胤に付き合わされたせいである。途中からは木下昌直も引っ張り込まれた(騒がしいので様子を見に来たところを信胤に捕まった)のだが、その昌直も俺と似たような有様である。
ちなみにこの場にはいないが、吉継は呆れを通り越して頭痛を覚えていたし、長恵はどうして私も誘ってくれなかったのだと残念そうだった。誾に関しては、まあ言うまでもあるまい。
いかに自国の将が誘ったとはいえ、使者がこの有様では直茂が「無礼者!」と咎めだてしてもおかしくなかったが、鬼面に隠れた表情は知らず、雰囲気に怒りは感じなかった。
むしろ、俺を見据える視線に鋭さが増したようにも思えたほどだ。
そして、それは間違いではなかったのだろう。次に直茂の口から出た言葉は、声音こそ穏やかだったが、そこには確かに刃の煌きがあったからだ。
「率直に言って、勝ち誇った尊大な使者から、芸の無い脅しじみた文句を聞かせられるものとばかり思っていましたが……その様子では大友宗麟からの使者、というわけではなさそうですね。それどころか、あえて無様を晒してこちらの器をはかろうとするとは、なかなかに手が込んだことです」
「…………あ、いや、さすがに信胤様の行動はまったく予想してませんでしたが」
「けれど、竜造寺をはかるにはちょうど良いと思った――違いますか?」
「――さて、何のことやらわかりかね…………ぉぇ」
顔を真っ青にしたまま唸る俺を見て、直茂はやや気の毒そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか? 苦しいようならば典医を呼びますが」
「いえ、そこまでしたいただくほどのことでは……ぅ、ぐ、ただ、水をいっぱい貰えると有難いのですけど……」
「お安い御用です。どうやら、この先の話は貴殿が落ち着かれてからの方が良さそうですね。さして急を要する話でもなさそうですし」
「はい……お聞きしたいことと、お話したいことが、一つずつあるだけですので」
「ほう……詳しいことは後刻伺うとして、それはどのようなお話なのでしょうか?」
直茂の問いに、俺は出来るかぎり簡潔に、かつ要点を押さえてこう返した。
「……日の本の外に広がる世界と、南蛮神教の役割について」