「今さら宗麟様の下に跪いてなんとしよう。わしはこれ以上、異教の教えに犯されていく大友家を見たくはないのでな」
立花家第七代当主 立花鑑載の、それが最後の言葉。
城を取り囲んだ大友軍戸次道雪が送った降伏勧告の使者にそう応じた鑑載は、叛乱の責はすべて自らにありとして、他の者への寛恕を請うた後、城の一室で切腹して果てた。
立花家の家臣の中で、当主の後を追おうとした者は少なくなかったが、彼らは「殉死は許さぬ」と厳命した鑑載の思いを汲み、涙をのんで大友軍の前に跪く。
この瞬間、大友、毛利、竜造寺、さらには秋月、原田、筑紫ら筑前の国人衆すべてを巻き込んだ動乱は、大友家の勝利という形で終息したのである。
大友軍を率いる戸次道雪は立花山城に入り、城兵を取り静めた後、豊後の大友フランシス宗麟に勝利を報告する使者を出す。
この書の中で道雪は、毛利、秋月が筑前から手を引いたこと、竜造寺が筑前戦線に参入する動きを見せた後、ひるがえって国内の反竜造寺勢力である平戸城の松浦隆信討伐に動いたこと、さらには叛乱の首謀者の一人であった立花鑑載が自害したことを記した。
ただ、今回の動乱にあってただ一人、高橋家の当主である鑑種だけは今もって行方が知れないことも併記した。鑑種は吉弘紹運、小野鎮幸、由布惟信らによって高橋軍の主力が撃破された後、戦場から落ち延びていったのだが、その行方は盟友であった立花家でさえ掴んでいなかったのである。
とはいえ、高橋家の二大拠点の内、岩屋城は吉弘紹運によって陥落し、本拠地である宝満城は、鑑種の敗報を聞いた城代北原鎮久が戸次道雪の軍門に降ったことにより、大友家の手に落ちた。
これによって、筑前における高橋家の勢力は著しく衰えており、たとえ鑑種が領内に舞い戻ろうと再起は困難である、というのが衆目の一致するところであった。
筑前の国人衆による蜂起を打ち砕き、毛利、竜造寺ら他国の侵攻を防ぎとめ、立花、高橋ら重臣の叛乱を短期間で鎮圧した。
長期に渡る攻防と、それによる領内の混乱を覚悟していた大友家の君臣は、道雪の報告を受けて、しばしの間、呆然となる。だが次の瞬間、大友館はたちまちのうちに感嘆と歓呼の声によって埋め尽くされた。
宗麟は道雪、紹運らの武功を惜しみなく称え、同時に神の加護に感謝して深々と頭を垂れた。
秋月らの蜂起だけならばともかく、毛利、竜造寺の参戦、さらには立花、高橋ら重臣による予期せぬ叛乱が重なった今回の筑前の騒乱は、鎮圧に数月どころか、数年がかかってもおかしくない規模だったのである。
それを、まさかこうも早くに鎮圧してのけるとは。みずからの臣下の武烈と、敬虔な信徒にくだされた神の恩寵には、いくら感謝してもし足りない宗麟だった。
だが、大友館のことごとくが勝利に浮かれていたわけではない。
重臣たち――ことに吉弘鑑理ら『豊後三老』と呼ばれる者たちの顔色は優れなかった。
なるほど、道雪の勝利は確かに喜ばしいが、その実、報告ははっきりとこの勝利が一時のものでしかないことを告げていた。
筑前国人衆の主力であった秋月種実は毛利領に去り、禍根は残された。
毛利、竜造寺にいたっては、矛を交えてすらいない。筑前から手を引いたとはいえ、それがあくまで今回に限ってのことであることは、子供でもわかるだろう。
さらに、立花、高橋の両家は言うまでもなく大友家でも雄なる者たちであった。これまで筑前が大友家の支配下にあったのは、この二家の功績であると断言しても良い。その二家が失われたのである。今後の筑前の経営は困難を極めるものとなるだろう。
無論、彼らは道雪のやり方を非難しているわけではない。むしろ、誰よりもこのことを理解しているのは道雪だろうと考えている。
それでもなお、道雪はこうするしかなかった。現状の大友家にあって、困難を先送りすることが最良の手段であり、もっと言えばそれ以外に選択肢などなかったのである。
そもそも、薄氷の勝利とはいえ、大友家中にこれほど早くにそれをもたらしえる者がいるとするならば、それは道雪以外にありえなかった。道雪以外の誰が出陣したとしても、今以上の成果を得ることは出来なかっただろう。それらを理解しながら、道雪を非難など出来るはずがなかった。
そして。
彼らとはまったく異なる立場にありながら、まったく同じように渋面を押し隠している人物が他にもいた。
その人物――南蛮神教布教長カブラエルは、宗麟の傍らで笑顔で勝利を寿ぎながら、内心、この早すぎる決着にどう対処するべきかを考えあぐねていた。
カブラエルは、少なくとも道雪らの今年中の帰還はないと考えていた。早くとも明年の夏までは、道雪は筑前の地に釘付けになるだろう、とも。
四方の情勢を考えれば、それでも甘い見通しだといわねばならない。その程度には、カブラエルも道雪の将才を評価していたのである。
だが、結果はといえば、大友家当主をも上回る情報を抱えているカブラエルでさえ、予想だにしない早さで戦は終わってしまった。
このままではカブラエルたち南蛮神教が動く前後に道雪が豊後に帰ってきてしまう。無論、カブラエルが万端の準備を整えた聖戦は、道雪一人に妨げられるような脆い企てではない。しかし、だからといって、いまだ宗麟に強い影響力を持つ道雪の存在は軽視できるものではなかった。
また、今回の大友軍の速戦と、それによる成果は、日向の諸勢力にも警戒心を植えつけてしまうだろう。
聖戦を――聖都の建設を一日たりとも遅らせたくないカブラエルにとって、道雪の帰還は厄介以外の何物でもなかったのである。
さて、どうするべきか。
内心でそんな呟きを発したカブラエルに対し、傍らの宗麟が話しかけてくる。
常の笑みを浮かべつつ、宗麟に応じたカブラエルだったが、はじめのうちは宗麟の言葉にほとんど関心を払ってはいなかった。だが、宗麟の言葉が進むにつれ、カブラエルは急速にその内容に興味を示しはじめる。
それは厄介者を豊後から遠ざけるという一点において、これ以上ないほどの名案だったからである。
◆◆
ひとつ。戸次道雪をして立花家を継がしめる。
ひとつ。吉弘紹運をして高橋家を継がしめる。
筑前の騒乱を鎮め、豊後の大友館に戻った道雪らに対して、宗麟が用意していた褒賞がこれであった。
博多津を擁する筑前は、大友家にとって何としても確保しなければならない枢要の地であり、立花鑑載、高橋鑑種の両名が欠けた後の筑前の押さえは、相応の人物でなければならない。
その意味で、道雪の立花家継承はともかく、紹運の高橋家継承は、大友宗麟の人物眼がいまだ衰えていないことの証明でもあっただろう。南蛮神教が絡まない場合に限る、というのが厄介な点であるにしても。
紹運は吉弘家の嫡子であるから、容易に他家を継ぐことは許されない。だが、この時、宗麟はすでに吉弘鑑理に対して働きかけ、高橋家相続に関しては滞りなく進むように取り計らっていたのである。
鑑理にしてみれば、自慢の世継ぎがいなくなるわけだから、少なからぬ打撃ではあった。家を重んじるこの時代、たとえ高橋家のような大家を継げるとはいえ、我が家の世継ぎを気軽に差し出せるものではない。
だが、筑前の重要さと、高橋家の存在の大きさは鑑理も重々承知しており、また、主君である宗麟が、その大役を我が子に委ねようとしていることには誇りを感じずにはいられない。紹運であってみれば、立派に期待に応えてくれるであろうという信頼もある。
さらに言えば、鑑理は現在の豊後の情勢に、これまでにない、どこかきなくさいものを感じはじめており、紹運が宝満城の城督として豊後を離れることは、吉弘家の血を残すという意味でも重要な一手になるとも考えていたのである。
結果、鑑理は紹運の高橋家継承に関して諾を与えることとなり。
大友家当主である宗麟と、父にして主でもある鑑理が肯った以上、紹運には承知する以外の選択肢はありえなかった。
もとより、紹運もまた筑前の大友勢力がどれだけ危殆に瀕しているかを知る側の人間である。みずからの力で、その困難の一端なりと担えるならば、躊躇するようなスギサキの武人ではなかった。
そして、承知する以外の選択肢を持たないという意味では、紹運の義姉である道雪も同様であった。
とはいえ、道雪の場合、紹運とはまた異なる問題がある。
紹運は吉弘家の世継ぎであるが、道雪は戸次家の当主であり、その道雪が他家を継ぐとなれば、それによって生じる煩雑さは紹運の比ではない。
ところが。
宗麟はこの件に関しても早々に手をうっており、にこやかにそのことを告げられた際、めずらしく道雪が戸惑いをあらわにした。
宗麟がうった手とは、戸次家の新たな当主に関してのことである。
当主である道雪が去れば、世継ぎである者が新たな当主となるのは当然といえる。
すなわち、宗麟は戸次誾をして新たな戸次家当主と認め、飛騨守の称号をこれに与えることを、すでに決定していたのである。
そして、もう一つ――
◆◆◆
豊後国戸次屋敷。
その一室に呼ばれた俺は、道雪殿の口から大友館における顛末を教えてもらっていた。
立花家を道雪殿が継ぎ、戸次家の当主を誾にする、という宗麟の案を聞き終えた俺は、ため息まじりに口を開く。
「……なるほど、ついさきほどすれ違った際、なんか壮絶な仏頂面をしているな、とは思っていたのですが」
話を聞けば、誾があんな顔をしていたことも納得が出来るというものである。
道雪殿が立花家を継ぐことに関しては驚きはない。
それは知識として知っていたからでもあったが、それ以上に現在の大友家を取り巻く情勢を鑑みれば、道雪殿以外に筑前を保てる者が見当たらないからでもあった。
おそらく、誾もまたその推測くらいはしていたはずだ。当然、自身が戸次家を継ぐ可能性も考えていただろう。なんといっても、誾は戸次家の世継ぎなのだから。
だが、立花家を継ぐとなれば、当然、道雪殿自身は筑前に赴かねばならず、おそらく加判衆の役目も辞すことになるだろう。
その道雪殿の後を継ぐということは、戸次家当主として豊後に残り、宗麟を支えるということ。それは誾にとって、道雪殿と袂を分かつに等しいと映っているかもしれない。
出来れば外れてほしかった予測が、見事に現実のものとなってしまったのならば、あの表情も仕方ないと思えるのである。
道雪殿は俺と同じように小さく嘆息しつつ、再び口を開いた。
「あの子は、自身の年齢と経験の不足を理由に辞退したかったようですが……宗麟様の口から出た時点で、此度のことはすでに決定したも同然、よほどの理由がない限り、謝絶するというわけにはいかないのです」
なにより、と道雪殿は言葉を続ける。困ったように、その手が頬に添えられた。
「飛騨守の名乗りを許したことを見てもわかるように、宗麟様ご自身が大変に乗り気ですから。よほど今回の奇手がお気に召したと見えます。宗麟様にしてみれば、誾への贖罪の一つでもあるのでしょうし……めずらしく家臣一同がそろって賛意を示したことも、その一因なのでしょう」
俺は一拍の間を置き、確認のために問いを向ける。
「家臣一同、というと南蛮の者たちも?」
「ええ。反対するどころか、積極的に宗麟様の考えに賛成し、他の家臣に働きかけたそうです」
「なるほど……」
道雪殿を府内から遠ざけられる。それはつまり、宗麟からも遠ざけられるということであり、今後、ますます宗麟を操るのが容易になることを意味する。それは諸手をあげて賛成したくもなるだろう。
「嫡男として、誾には当主としての心構えは叩き込んでありますが、それでも経験の不足は否めません。しかるべき者を側役に残して補佐させるつもりですが、筑前の情勢を考えれば、鎮幸と惟信の二人にはわたしに従ってもらわねばなりません。それゆえ十時に後事を委ねるつもりなのですが……」
その言葉に、なるほど、と俺は頷く。
十時連貞の為人については、今回の筑前遠征において身近で見聞きしている。あの人なら、気難しい面を持つ誾の補佐も的確にやってのけるだろう――まあ、俺が相手だと特に気難しくなるだけかもしれんけど。
ともあれ、筑前の情勢を考えれば、小野と由布の双璧を豊後に残すことは出来ないという判断は納得できるものだ。というより、単純に戦力だけを見れば、十時連貞を残すことさえ道雪殿には痛手に違いない。
それでも誾の傍に信頼できる人物をつけようとすれば、連貞以外に相応しい人物はいない、と道雪殿は考えたのだろう。そのことに問題はない。
問題があるとすれば、この時点で道雪殿が筑前に赴くことで、南蛮側の動きを掣肘できる人物が豊後からいなくなること――と、俺が考えを進めようとした時だった。
道雪殿は、何やら疲れたように右の手で眉間を揉み解しながら、口を開いた。
「話はまだ終わっていないのです」
「終わっていない、とは?」
「わたくしが立花家を継ぐとしても、鑑載殿の家臣をそのまま召抱えるわけにはいきません。いずれは旧臣たちの中からしかるべき者を選んで登用することになりますが、当面の間、特に軍事面では戸次家の者たちを主力とせざるを得ないのです」
「それは当然の判断だと思いますが……?」
俺は首を傾げた。つい今しがた、道雪殿は自分の口でそれを説明してくれたばかりではないか。話が繰り返されたことを不思議に思った俺は、怪訝そうに道雪を見やる。
その俺の視線の先で、道雪殿はめずらしく困惑をあらわにしていた。
これから口にすることを、どう説明すべきか悩んでいるように見える。
「道雪殿?」
「……そのことは、宗麟様も承知しておられました。わたくしが戸次家の精鋭を率いて筑前に赴けば、当然、誾の元に残る戦力は限られます。そのことを案じた宗麟様は、一人の人物を登用して、誾の補佐をさせようとお考えになったのです」
「その人物、というのが問題なのですか?」
俺の問いに、道雪殿は小さく頷いて見せた。
「ええ、まあ、問題といえば問題ですね。ただ、それは筑前殿が、今、考えているだろうこととは異なる意味なのですけど……」
道雪殿らしからぬ、はきつかない答えに、俺は首を傾げっぱなしだった。
てっきり南蛮神教絡みの人事が行われたのだとばかり思っていたが、そういった意味での問題ではない、と道雪殿は言う。
では、どういった問題を抱える人物なのだろう?
「その人物は知略に優れ、将としても並々ならぬ統率力を持っています。人柄も信頼するに足り、でき得ればわたくしが召抱えたかったほどでした」
「召抱える、ということは在野の人物ですか」
はて、と俺は首をひねる。道雪殿がここまで評価するような人物が無名であるとは思えないが、心当たりは特にない。道雪殿の口から、そういった人物の名が挙がったことも特に無かったように思う。
俺が面識を得ていない智勇兼備の武将といえば、肥後の甲斐宗運あたりが思い浮かぶが、宗運は阿蘇家の重臣だから、この話には関係ないだろう。
他にそれらしい人物は――
「……って、まさか吉継のことですか?!」
俺は思わず声を高めた。考えてみれば、宗麟は吉継に同情的であったという話だし、豊前の乱といい今回といい、吉継の智勇は大友軍勝利におおいに貢献している。
吉継は名目上は大友家の家臣だが、実際は石宗殿に近侍していただけで、正式な臣下とは言いがたい。石宗殿亡き後は、おそらく俸禄も受け取っていないだろう。
そんな吉継を改めて大友家の臣下として迎える、というのはいかにもありそうなことだった。
かつて吉継ら大谷家を逐った南蛮神教は強硬に反対しそうに思えるが、冷静に考えてみれば、吉継が正式な臣下として大友家に仕えれば、常に所在を把握でき、生殺与奪はカブラエルらの思いのまま――鳥を籠に入れたようなものである。あえて反対を唱える必要はないかもしれない。
無論、俺は大反対である。
吉継の立身はめでたいことだが、わざわざ愛娘を毒蛇の巣に放り込む親がどこにいようか。
……これは俺の全能力をもって撤回させねばなるまい。それこそ、最終手段として高飛びを考慮するくらいの勢いでッ!
――と、一人意気込んで策を練ろうとした途端、呆れ顔の道雪殿に額をこつんと叩かれた。ちなみに道雪殿の手にあるのは、いつも腰に手挟んでいる鉄扇である。地味に痛い。というか、あの扇が鉄で出来ていることをはじめて知った。
「落ち着きなさい。吉継殿がそうだとは言っていないではありませんか」
いたずらに騒ぐ子供をしかりつけるような、そんな道雪殿の表情だった――つまりは、俺がそれほど子供じみた態度をとっていた、ということでもある。
そもそも、と道雪殿は呆れ顔のまま、言葉を続けた。
「吉継殿に関わる話であれば、当の本人を呼ばないはずがないではありませんか」
「……言われてみれば、そのとおりですね。申し訳ありません、取り乱しました」
道雪殿が言うことはしごくもっともなので、俺はおそれいって頭を下げる。
まあ無様を晒してしまったが、吉継のことが取り越し苦労で良かった良かった。
しかし、である。
ほっと胸を撫で下ろす俺を見て、道雪殿はなおも呆れたように首を左右に振っているではないか。
俺は怪訝に思って問いかけてみた。
「あの、道雪様、他になにか?」
「……筑前殿はご自分のこととなると、驚くほど察しが悪くなるのですね」
「は? あの、それはどういう……?」
本気でわけがわからず、俺は目を瞬かせる。
すると、道雪殿はなにやら首を振りつつ、深いため息を吐く。そして、おそらく色々と面倒になったのだろう、少し早口になって説明をしてくれた。
「先の豊前の乱、此度の筑前の乱、二つの乱は当初考えられていたよりもはるかに早く鎮定されました。そのいずれにも、その人物は深く関わっているのです。ただ、宗麟様ご自身は一度、顔をあわせただけでしたので、その人物を知る吉弘鑑理殿に人柄などを訊ねられたようですね。その上で宗麟様は登用を決断され、わたくしにこのようなものを預けられました」
そう言って道雪殿が示したのは一枚の書状――もっと言えば、褒美を約束する公文書、とでも言うべき代物だった。
それも肝心要の褒美が記されていない。これを受け取った者が、望むものを書いて良い、ということか。まさに白紙委任状。よほどに信頼が置け、かつ抜群の功績をたてた者にしか、このような物は与えないだろう。
こんなものを発行してまで召抱えたい在野の人間――しかも二度の戦に参陣している人物で、かつ大友家に仕えていない、か。ふむ……む…………ん?
該当しそうな名前を探しているうちに、ふと気づく。道雪殿はさきほど、もし吉継に用があるなら、最初から吉継を呼んでいる、と言っていた。しかし、この場にいるのは吉継ではなく、俺である。
そして今ならべたてた条件、実のところ、ほぼ俺と合致しているような…………
「……………………あの、道雪様、まさか、とは思うのですが」
「ええ、そのまさかです」
おそるおそる訊ねた俺に、道雪殿はあっさりと首を縦に振って見せた。
そうして、道雪殿は唖然とする俺にこう言ったのである。
「大友家当主、大友宗麟からの使者としてお伝えします。雲居筑前様、その類稀なる智勇、ぜひとも我が家にて揮って頂きたく、伏して御願いいたします。これは大友宗麟より預かりし書。我が願いを受け入れてくださるにおいては、望むものすべてを与えるとの主君の言葉を証し立てるものです」