薩摩国 内城沖
「左舷、全砲門、準備整いましたッ!」
「よし、左舷、全砲門、放てェッ!」
号令の直後、耳をつんざくような轟音が海上に響き渡った。
十八隻に及ぶ艦隊の一斉砲撃である。その凄まじさは容易に想像できるだろう。
もし内城やその城下の町で眠り込んでいる者がいたならば、さては桜島が噴火を始めたかと飛び起きたに違いない。
無論、砲撃は一度限りではない。すぐに第二射、第三射が放たれ、その都度、南蛮人たちの視界の先では、炸裂する砲弾が家々を砕き割り、城壁を打ちこわし、地面を抉り取っていく。砲弾のうちの幾つかは敵城内にも届いており、城内からは早くも火の手があがっていた。
それを見つめる南蛮軍の将兵の口元には、等しく同じ種類の笑みが浮かんでいた。武力で、あるいは知識で、相手よりも圧倒的な優位に立った者がみずからを誇る笑み。
この地に住まう者たちは、自分たちが何を相手に戦っているかもわからず、砲弾の雨を浴びながら城や家の奥で震え上がっているに違いない。その光景を想像することは、南蛮軍にとって快いものである。
今回の遠征に参加している南蛮兵たちの多くは、これまで幾度も見てきた。南蛮勢の圧倒的な火力を前に、まるで天変地異にでも遭ったかのように呆然とした表情を浮かべ、放心して立ち尽くす民衆の姿を。
剣や槍では立ち向かうことさえ出来ない、圧倒的な火力による一方的な蹂躙。踏みにじられる側にとってはたまったものではあるまいが、踏みにじる側にまわれば、これほど獣心を解放できる機会は滅多にあるものではない。ましてこれは神の栄光を知らしめるための聖戦である。異教の輩を殺しつくし、長きにわたる邪教崇拝の罪に報いをくれてやることは、南蛮兵たちにとって正義の行いに他ならない。
長い航海の果て、ようやくたどり着いた異国の地で、これから行われる殺戮と獣欲の宴を前にして南蛮兵たちは興奮の坩堝と化していた。
しかし、さすがに指揮官たちはいまだ冷静さを保っていた。ことに船長クラスの者たちは、兵たちの感情の奔流に左右されることなく、皆一様に沈黙を貫いている。
それは指揮官であるニコライも同様であった。最初の号令以後、その表情は動いておらず、勝利や力に酔っている様子は微塵も感じられない。
それどころか、ニコライの両眼には訝しげな光が浮かんでさえいたのである。その光はだんだんと輝きを強め、砲撃が第五射を数えた時、ついにニコライは左の手を大きく掲げて口を開いた。
「撃ち方、やめィッ!」
その声を聞くや、砲手たちは慌てて砲撃を中止した。信号によって伝達された砲撃中止の命令は、ほどなく麾下の全艦船に伝わり、つい先刻までとはうってかわって、静寂があたり一帯を包みこんでいく。
将兵の多くが、突然の砲撃中止の命令に戸惑いと、そしてわずかな不満を覚えていた。
だが、やがて彼らは否応なしに指揮官たちと同じ疑問にたどりつく。
突然の砲撃によって家を吹き飛ばされ、城壁を砕かれ、さらには城内にまで被害が出た。民と兵とを問わず、混乱と恐怖で阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていなければおかしいはずなのに――彼らの視界の先にあるのは、砲撃前と同じく静まり返った内城と、その町並みのみ。
悲鳴も、絶叫も、慟哭の声も。そこにはかけらも存在しなかったのである。
無論、まったくの無音ではない。今も各処で砲撃による火災は燃え広がっており、土や木でつくられた家々が轟音と共に燃え崩れている様子が見て取れる。城から立ち昇る炎と煙は先刻よりも勢いを増しており、火の手はすでに城の奥にまで及んでいるものと思われた。
問題なのは、そんな状況であるにも関わらず、それらを鎮めようとする人々の声がないことである。姿が見えないことである。
怯え、居竦まっていると考えることも出来ないではなかったが、それにしても、ただの一人も姿が見えないなどということがありえるのだろうか。
「確認! 付近の入り江や後方の島から、敵が出てくる気配はありますかッ?!」
ニコライが思い至ったのは、この襲撃が予測されていたのではないか、というものだった。
そうであれば、間をおかずに敵船が襲来してくるかもしれない。
コエリョはそれについてはありえないと断言していたし、ニコライも同様の見解を抱いていたが、敵の本拠地を砲撃しても人の姿が見えないなど、どう考えても尋常の事態ではない。
あるいは艦隊の襲撃そのものは予測できていなかったとしても、湾内に侵入してきた艦隊の姿をいち早く捉え、早急に対策を講じたとも考えられる――ただ、そうだとすれば、民の避難があまりにも早すぎるのが不審ではあったが。
いずれにせよ、この襲撃に敵が対応策を考えていたのであれば、次は反撃を試みてくるだろう。そう考えてニコライは周辺に注意を向けたのである。
大海の波濤を乗り越えてきた南蛮の艦船と、外洋を越えることも出来ないこの国の兵船とでは、機動力と火力に雲泥の差がある。ゆえに海戦であれば決して負けることはない。
ただ一つ、ニコライが危惧していたのが、浅く、狭隘な海域に誘い込まれ、機動力を奪われた上で接舷戦闘を挑まれることであった。
その意味で、湾内に浮かぶ桜島の存在はニコライにとって邪魔の一語に尽きる。この島によって視界は大きく遮られ、湾内の行動が大きく制限されてしまう。地形を熟知した敵軍が、島影から躍り出てくる可能性は十分に考えられた。
だが、ニコライの命令を受けた見張りの兵士から返って来た答えは「敵影なし」というものだった。
敵はどういうつもりか、とニコライは厳しい表情で考え込む。
すると、ニコライの傍らで、黒衣の宣教師が甲高い声を発した。
「何をためらっておられるのですか、提督。島津は我らにかなわじと逃げ出したのです。急ぎ上陸して、徹底的に異教徒どもを殲滅すべきですッ。躊躇していては異教徒の首魁を取り逃がすことにもなりかねません!」
島津に対する恨みさめやらぬコエリョの言葉に、ニコライは目をすがめる。
報復に逸っているとしか思えない言葉であったが、しかし、ニコライはコエリョの意見を聞き流すことはしなかった。
コエリョの言うとおり、敵が南蛮艦隊の偉容を前に矢も楯もたまらず逃亡した、という可能性はないわけではない。そう考えたからである。
だが、王やその側近だけならばともかく、兵や民の避難が一時間や二時間で終わるわけはない。これもまた確かなことであった。
あるいは、こうやって迷わせることこそ敵の狙いか。そうであるならば、コエリョの言うとおり、この場のためらいは敵の主力を取り逃がすことに繋がってしまいかねない。
――しかし。
結局、ニコライは即時上陸を望むコエリョとは異なる決断を下す。
「予定を変更します。まずは半数をもって横山城を撃ちます。十番艦以降はこの場で待機してください」
横山城、というのは桜島の西端に位置する城である。内城を掃滅してから叩くつもりであったが、敵の出方を調べるためにも、まずは後背の危険を潰しておこう。
このニコライの決定には、コエリョのみならず他の将兵からも不満の声があがったが、ニコライは断固として命令を徹底させた。
兵員の補充が出来ないこの地では、極力、陸戦を避ける。それがニコライの基本方針であり、極小の可能性を慮って、どこに罠や伏兵があるかもしれない土地に不用意に踏み込む決断を下すことは、ニコライには出来なかったのである。
◆◆
だが、横山城に攻め寄せた南蛮軍が見たものは、内城と同じく静まり返った城の姿であった。
結局、この日、ニコライ率いる南蛮艦隊はただ一人の敵兵の姿さえ――否、敵兵どころか、民の姿さえ見ることが出来ずに終わる。
内城や横山城といった軍事拠点だけでなく、その周辺の漁村にも人の姿はなかったのである。無論、湾内には南蛮艦隊以外、小船一艘さえ見当たらない。
当初はニコライの慎重さに不平を漏らしていた者たちも、徐々にその異様さに気づき、言葉すくなになっていったのである。
そして皮肉なことに、その事実がニコライの決断を促した。
敵と刃を交える以前から士気を阻喪させては戦いになるはずがない。不安と疑念を抱えて海上でさまようよりは、多少被害が出ようとも、上陸して敵の尻尾を掴むべきであろう。
そう考えたニコライは、明けて翌日、みずから薩摩の地を踏んだ。念には念を入れ、内城から離れた海岸に上陸したニコライは、一千人の兵士を率いて島津軍の本拠地に足を踏み入れる。
ニコライ麾下の陸戦兵員、その総数は三千人にのぼる。すなわちニコライはわずか三分の一のみ上陸させ、残りは海上で待機させていた。
一千人とはいかにも数が少ないように思えたし、実際にニコライにそれを指摘した者もいたが、ニコライはこれで十分と言って、その進言を退けた。
なぜなら、今回の遠征軍はすべて職業的な専門兵で構成されており、その錬度はこの国の半農半武の兵士の追随を許すものではないと考えていたからである。
また、彼らの装備は世界的に見ても最新鋭のものであった。長槍を持った板金鎧の兵士が足先を揃えて行進し、その周囲には真新しい銃やクロスボウ(西洋の弩)を持った兵士たちが整然と居並んでいる。その行軍は極東の蛮人たちの動揺を誘うのに十分な迫力を持っていたであろう。
少なくとも、この地にいたコエリョはそれを確信していた。半裸に等しい格好で刀を振り回すだけの雑兵では、たとえ三倍の数が押し寄せたところで、この部隊はびくともしないに違いない。
この時、ニコライはいわゆるテルシオに近い陣形を布いていた。テルシオとは、欧州で一世を風靡している戦闘隊形であり、重装槍兵を中核として、その周囲に弩兵、銃兵を配置する野戦方陣である。
この隊形を維持しつつ、城下に突入したニコライであったが、予測に反して敵の奇襲は行われなかった。南蛮兵が侵入してなお周囲は静まり返り、猫一匹見当たらない。
将兵は、かつて経験したことのない事態に遭遇し、薄気味悪そうに顔を見合わせながら、作戦通りに港湾部を占拠する。そしてあらためて安全を確認した後、海上に待機していた艦隊を受け容れた。
ここでニコライはさらに五百の兵を上陸させ、城下町の占領を命じるや、みずからは千人の兵を率いて内城へと攻め上った。
この時、ニコライは念のために海上からの砲撃と併用して、虎の子である砲兵部隊をも動員して城門を打ち砕いたのだが、やはりここでも敵兵の姿は影も形もなかったのである。
一体どういうことなのか。
敵の居城を損害なしで占拠するという異常な事態に困惑する南蛮勢であったが、上陸した彼らのもとに数名の信徒たちが姿を見せたことにより、ようやく島津軍の動きを掴むことに成功する。
彼らははじめ、コエリョのもとを訪れた。島津家から薩摩での布教を許されず、最終的には国外に放逐されてしまったコエリョであったが、そこに至るまでに幾度も人々に神の教えを説き、何人もの忠実な信徒を獲得している。
この時、姿を現したのそんな信徒の一部であり、彼らの口から島津軍の動きを知らされたコエリョは、ただちにニコライのもとへ駆けつけるのであった。
すでに日は西の山並みの彼方に隠れ、上空には星の光が瞬き始めている。
城下の将兵に夜襲への備えを命じた後、ニコライら南蛮軍の主だった指揮官たちは占領した内城の一室に集まり、コエリョが得た情報に耳を傾けていた。
「一宇治城、ですか?」
「はい。薩摩の内陸部に位置する城で、島津がこの城を築く以前は彼らの居城だったそうです。このあたりの住民を含め、薩摩に残っている島津軍のほとんどは、現在その城に集まっているとのことですわ」
コエリョの得意げな言葉を聞き、ニコライはわずかに眉をしかめた。
といっても、別にコエリョの手柄顔に不快を覚えたわけではない。内陸部に引きずり込まれれば、海からの援護が届かない。それを忌んだのである。
くわえて、ニコライは他にも気になることがあった。この国に山野が多いことはあらかじめコエリョや他の宣教師から聞いていたのだが、実際に我が目で見れば、想像よりもはるかに険しい国土である。
ニコライ麾下の兵力は、その重厚な装備からもわかるように機動力に難がある。この国の山容の厳しさを考えれば、重装槍兵や銃兵を主力とした部隊の足は著しく鈍くなってしまうに違いなかった。
とはいえ、そういった純軍事的な問題は作戦によって補うことが出来る。
それよりも問題なのは、海上でも危惧したように、南蛮軍の侵入に対する敵の対応があまりに早すぎることであった。
ニコライは険しい表情で口を開く。
「これだけの規模の移動です。昨日今日のことではないでしょう。一体、何時ごろから島津は動き始めていたのですか?」
その質問の意図を察したのだろう。コエリョの顔がわずかに引きつった。
そんなコエリョを見て、ニコライは内心でため息を吐く。
先刻の得意げな表情を見たときにも思ったが、コエリョは表情を繕うことを知らない。嬉しいときには喜び、悔しいときには顔をしかめる。良い意味でも、悪い意味でも、素直すぎるのである。
いっそ宣教師として異国に渡ったりせず、ただ一介の信徒として教会に奉職していれば、彼女自身も、また周囲の人々も、より穏やかな生を送ることが出来たのではないだろうか。ニコライはそんな風に思うときがあった。無論、彼女にとっては余計なお世話以外の何物でもないだろうが。
……ニコライがそんな益体もないことを考えている間に、コエリョはやや低い声で質問に答えていた。
それによれば、島津家が移動を始めたのは、南蛮艦隊が姿を見せる十日以上前のことであったという。さらに海岸線に位置する村々にも、同様の命令がまわったらしい。当然、素直に頷く者たちばかりではなかったらしいが、そこは薩摩国内で根強い人気を誇る島津の姫たちが、文字通り東奔西走して、頑固者たちの説得にあたったとのことだった。
ニコライはこの国の姫たちの人柄など知らないし、知る必要もない。
彼がその報告で気にかけたのはただ一点。島津が明らかに南蛮艦隊の到来を予期し、それに先んじて兵の移動と民の避難をはじめていたことだった。
島津家が南蛮艦隊の到来を察知するなどありえないと主張していたコエリョも、そのことに気づいていたのだろう。だからこそ、表情に動揺を滲ませたのである。
どこから情報が漏れたのか――その疑念が生じるのは当然のことであった。
だが、ニコライは素早くその疑念を胸奥に押し込め、先送りすることにした。原因の追究は後でいい。なんだったら、敵の将軍か姫を捕らえて尋問すれば、それで済む。
今、問題なのは、南蛮の襲来を知っていた敵軍がどう動くかにあった。
そして、その推測はさして難しくはない。彼らは出来るかぎり守りを固め、南蛮軍を内陸に引き付けようとするだろう。海上からの砲撃が届かない地点に南蛮軍を誘い込み、地の利を活かして奇襲を繰り返す。そうしてニコライたち南蛮軍をこの地に釘付けにしている間に、他国に攻めこんでいる主力部隊が取って返し、南蛮軍の後背を衝く――現在の敵の動きを見れば、これ以外には考えられないだろう。
ニコライたち指揮官は、この国の地形と共に情勢も知らされている。それぞれの勢力についても十分な情報を与えられていた。
それを鑑みれば、島津家の目論見を挫くための手段の一つは、フランシスコに状況を知らせ、大友軍の動く時期を早めてもらうことであろう。
伊東家ならばともかく、大友軍の主力が動けば、島津も容易に兵を返すことは出来なくなる。
だが、それではニコライたちがはるばる海を越えてきた意味がなくなってしまう。
本来のニコライたちの使命は、主力が出払った薩摩の掃滅である。どうやらその作戦は島津に見抜かれていたようだが、だからといって勝手に作戦を変更するわけにはいかないし、もっと言えば変更なぞする必要もない。この島津の作戦には致命的ともいえる欠点があるからだ。
だが、そこを突くには今しばらくの時間が必要であった。ゆえにニコライは「動かない」という選択肢を選ぶことも出来る――が。
異教徒に先手を取られ、為す術なく立ちすくむような真似をすれば。、フランシスコの不興を被ることは確実であった。かつて王子の傍近くに仕え、その気性を知り抜いているニコライにはそれがわかる。
くわえて、将兵からも不満の声が噴出するだろう。
遠征軍の士気を保つことは指揮官にとって最重要任務の一つ。その上でフランシスコの意に沿うためにはどうするべきか。
――答えは一つしかなかった。
(やはり、戦うしかありませんか。出来れば、こんな土地で殿下の兵を損じたくはなかったのですが……)
この時、ニコライは自分が思っている以上に傲慢であったかもしれない。将兵の犠牲をいかに少なくするかについて考えはしても、勝敗そのものを案じていたわけではなかったから。すなわち、ニコライはごく自然にこう考えていたのである――戦えば必ず勝つ、と。
そして。
まるでニコライがその決断を終えるのを待っていたかのように、この場に集っていた者たちの耳に立て続けに轟音が響き渡った。その音はやや遠くから聞こえてきたが、南蛮軍の中にその音を聞き違える者などいるはずもない。紛うことなき銃火の轟音であった。
「――コエリョ殿の報告にもありましたね。島津とやらは、なかなかの数の銃を保有している、と」
ニコライの声に動揺の気配はかけらもなく、その落ち着いた声音は周囲の者たちに冷静さをもたらした。
彼らの一人が愉しげに笑う。
「ようやっとおでまし、ということだな。我らが来るのがわかっているのであれば、妙な小細工などせず、跪いて地面に頭をこすりつける練習でもしておけば良かったものを」
「それが出来る者たちであれば、コエリョ様を放逐するなどという愚かな所業をするはずがないでしょう。所詮は東夷の猿人です。彼らに神の栄光を知らしめるには、慈悲の手ではなく、懲罰の鞭こそ相応しい。神に仇名す者たちの末路を、その心身に刻み付けてやりましょう。もう二度と、我らに逆らうことが出来なくなるように」
その言葉に、周囲の者たちは等しく頷きを返すと、眼差しに猛々しい戦意を宿して次々に部屋を飛び出していった。
ニコライも彼らに続き、ひとり部屋に残ったコエリョは、そんな将軍たちの背を見送りながら、彼らに神の加護があらんことを願い、十字を切るのであった。
かくて、薩摩の地における島津軍と南蛮軍の戦いは闇夜の中で幕を開けた。
闇夜に乗じた島津軍の奇襲は、しかし、筒先を揃えた南蛮軍の圧倒的な火力によって、たちまちのうちに撃退されてしまう。
鍛え抜かれた南蛮軍の銃火は、夜の闇にあっても驚くべき命中率を誇った。これは夜襲を警戒していたニコライが、炎を絶やさぬように厳命していたためでもある。
その銃火を潜り抜けた敵兵を迎え撃ったのは、完全武装の槍兵隊。全身を覆う板金鎧を前にしては弓や刀で致命傷を与えることは難しい。
結果、島津軍は少なからぬ死傷者を出して撤退を余儀なくされる。全滅を免れたのは、同士討ちを怖れたニコライが追撃を禁じたからに他ならない。
この戦闘における南蛮軍の死者はわずか五名のみ。負傷者の数は三桁にのぼったが、そのほとんどは軽傷者であり、明日以降の戦闘に支障はなかった。
この結果を受け、南蛮軍の将兵は自軍の強さをあらためて確信し、上陸以降、まとわりついていた不安の影を一掃することに成功したのである。
◆◆◆
「まったく、これで何度目だ? 馬鹿の一つおぼえの奇襲なんて通用しないことが、まだわかんねえのかな」
「わからないからこそ、何度も繰り返してるんだろうさ。猿には猿の知恵しかないんだろうよ」
「は、それは猿に失礼だろう。カタナ、とか言ったか? 連中のしょぼい剣じゃ俺たちの鎧は斬れんし、あいつらが持ってる旧式の銃をいくら撃ったところで、こっちの新式銃に対抗できるわけがない。猿でさえ二度、三度と繰り返せば学ぶだろうに、連中はそれでもまだ懲りずに襲ってくるからなあ」
「コエルホ提督は油断するなってしつこく念を押してるが、さすがに慎重も度が過ぎるってものだろうよ」
そんな兵士たちの意見は、いまや南蛮軍に属するほとんどすべての兵士たちが共有するものとなっていた。
貧弱な武装と寡少な兵力によって繰り返される襲撃は脅威と呼ぶに値せず、襲われた回数はすなわち撃退に成功した回数であった。
一つだけ厄介な点をあげるならば、重武装の南蛮軍では、軽装の敵兵を追撃することが出来ず、敵軍を殲滅することができないことであろうか。とはいえ、銃火による反撃は襲撃のたびに敵に相応の打撃を与えており、決していたちごっこを繰り返しているわけではない。彼我の損害を見れば、南蛮軍の優勢は誰の目にも明らかであった。
それゆえ、遠からず敵軍は音をあげ、異なる作戦を採ってくると南蛮軍の指揮官たちは考えていた。
しかし、敵軍はまるで何かにとりつかれたように執拗に南蛮軍を襲い続けた。
南蛮軍の将兵は余裕をもって襲撃を退け続けていたのだが、あまりの敵軍のしつこさに、次第に彼らの顔には苛立ちが目立つようになってきていた。
南蛮軍の将兵にとって、この地の敵兵は掃っても掃ってもたかって来る蝿のようなものであったかもしれない。脅威にはなりえないが、その不快さは例えようもない。
襲撃が繰り返されれば、少ないながらも死傷者は増え続ける。おまけに、この敵は昼夜わかたず少数での襲撃を繰り返してくるので、おちおち眠ってもいられないのである。将兵の間から、敵軍の本拠地を潰すべし、との声があがるのは必然といえた。
この声にニコライが応えたのは、なにも将兵の不満に迎合したためではない。
効果の薄い少数での奇襲、それを執拗に繰り返す敵の思惑をニコライは早々に察していたのである。
上陸したばかりの南蛮軍の戦力を量り、同時に将兵の心理に不安を植え付ける。大海を越えて見知らぬ土地に侵略してきた兵士たちは、興奮の底に不安を抱えるものである。古来より長征における兵士の士気の維持は、食料の確保に並ぶ難事として、軍を率いる者たちを悩ませてきた。
島津軍は一見して無謀な戦闘を繰り返しているように見えて、その実、洋の東西を問わず軍という存在が抱える不可避の弱点を巧みに衝いてきている。不利な戦闘を繰り返す敵に、将兵は苛立ちと共に不気味さを感じはじめており、繰り返される夜襲は将兵の眠りを妨げ、より一層の不満と不安をかきたてる。
これが戦戯盤の盤面の勝負であれば、ニコライはこのまま守りを固めつつ敵を撃退していく方法を選んだであろう。それが被害を最小限にとどめた上で勝利する、もっとも確実な方策であったからだ。
しかし、今現在の戦況ではその選択肢は選べない。兵士は盤面の駒ではなく、意思を持った人間である。軍令で不満をおさえることは可能だが、現在の戦いはあくまで緒戦に過ぎず、ここで麾下の将兵に不満の種を植え付けることは得策ではなかった。
ゆえにニコライは敵の根拠地である一宇治城を制圧するために軍を進めることを決定した。
先鋒隊は槍兵三百、弩兵百、銃兵二百から成る。それだけの兵力にくわえ、必勝を期したニコライは五台の移動式大砲を先鋒隊に与えた。装備と火器に劣るこの国の軍では、たとえ三倍の兵力があっても太刀打ちできない重厚な陣容である。この一部隊だけで敵城を陥とすことさえ不可能ではないだろう。
くわえて、用兵家としては慎重なニコライは、この先鋒隊の後にみずからが率いる二千の本隊を後詰としてあてた。
内城を守備する兵力が四百あまりになってしまうが、海上からの援護があれば多少の不利は顧慮するに足りない。
それどころか、敵が内城奪還に動くようであれば、かえって幸いというものであった。そうなった場合、ニコライはただちに軍を転進させ、海と陸から敵主力を挟撃する心算であった。
とはいえ、そんな事態にはならないだろう、とニコライは考えている。
先鋒隊の将兵に「油断するな」と繰り返し命令したのは、誘われているという確信に似た思いがあったからだ。敵の狙いは、南蛮軍を内陸に引きずり込むこと。この推測はおそらく的を外していない。
繰り返すが、ニコライは用兵家としては慎重な性質であった。そのニコライが、ここまで敵軍の思惑を読んだ上であえて誘いに乗るような真似をしたのはなぜか。
それは簡潔にいって、乗らざるを得ないから、であった。戦局を睨み、将兵の士気を慮れば他に採り得る手段がない。
(嫌らしい戦い方ですね)
ニコライはそう思い、この作戦を考案した名も知らぬ敵将に対し、皮肉まじりの賛嘆を禁じえなかった。
だが、同時にニコライはこうも思う。
南蛮軍を海上の砲撃の援護がとどかない内陸部にひきずり込むためには、これ以上の手段はあるまい。しかし、たとえ内陸に引きずり込んだところで、自分たちの勝算がわずかでもあがると敵は考えているのだろうか、と。
たとえ海からの援護がなくても、圧倒的なまでの武装と火力の差は、容易に覆せるものではない。今日までの奇襲における彼我の損害を見比べるだけでも、それは瞭然としていよう。
これまでの敵軍の動きから推測するに、それがわからないほど今回の敵は愚かではないだろうとニコライは思う。
それがわかった上で、あくまで彼らが抗おうとする理由は――
(故郷を異国の侵略から守るため、ですね。当然といえば当然のことです)
これまで何度も見てきたことだ。南蛮軍にかなわないと知って、諦め、女子供を差し出して地に頭をこすりつける者たちばかりではない。大切なものを守るため、あくまで戦い続けようとする者たちは、どこの戦場にあっても必ず存在した。
そして、ニコライは前者よりも後者に好感を抱く。ニコライのそれとは色も形も違えども、彼らには誇りがあった。ニコライが、神とフランシスコのために戦う源泉と共通するものを、彼らは持っていたからである。
それゆえにこそ、ニコライはこれまで彼らのような敵を完膚なきまでに叩き潰してきた。下手な情けをかけるのは、それこそ彼らを侮辱するもの。自分が彼らの立場に立ったならば――ニコライもまた、決して敵に膝を屈しようとはしなかったであろうから。
だから、この地でもニコライはこれまでと同じように戦う。敵が万に一つの勝機を掴もうとしているならば、その希望をもねじふせる。神の慈悲を示すのは、戦争が終わってからで良い。それこそが、民をも含めた敵味方の被害をもっとも少なくする方法である、とニコライは考えていた。
おそらく、ニコライは将と兵とを問わず、南蛮軍の中でもっとも慎重な人物である。
その慎重なニコライが攻勢を決断した以上、南蛮軍をとどめる者はもはや何もない。誰もいない。
薩摩の地の奥深くへと進軍を開始する将兵の顔には、ただ勝利への確信だけがあり、敗北の憂いを宿す者は一人として存在しなかった。
自軍の武力に対する絶対的な自信と、みずからを神の尖兵と信じて疑わぬ信仰心。
南蛮軍将兵の士気の根底を支える二つは、いまや確固たる真実として南蛮軍の将兵の心を満たし、その士気は天をも衝かんばかりとなっていたのである。
――崩さんと欲するならば、まずは高く積み上げよ。
――そんな言葉を発した者が敵軍にいるという事実を、南蛮軍はいまだ知らずにいた。