山城国 二条御所
足利幕府第十三代将軍、足利義輝は楽しげに笑っていた。元来、義輝はその地位職責に比して闊達な為人で知られているが、それでもここまで機嫌が良いのはめずらしい。常日頃将軍に近侍する者たちでさえ、こんな義輝は滅多に見ることは出来なかった。
この上機嫌の理由は、義輝の視線の先で深々と頭を垂れて恭順の意を示す者たちにあった。
義輝の凛とした声が謁見の間に響き渡り、遠来の臣の名が呼ばれる。
「久しいの、輝虎――いや、今は謙信と呼ぶべきであるか。壮健そうで何よりじゃ」
「恐れ入りまする。殿下に置かれましてもご健勝の様子、臣としてこれにまさる喜びはございません」
恐縮した態で言上する謙信に対し、義輝はさも愉快そうにからからと笑った。
「ふはは、貧乏将軍としては、せめて健康くらいは保たねば幕府が成り立たぬからのう。ともあれ、遠く越後よりよう来てくれた。しかし――」
そう言って義輝は謙信のやや後方で、同じように頭を垂れている人物に視線を移す。視界に映る紅茶色の髪に向けて、義輝は笑みを含んだ声を発する。
「越後の守護と守護代が揃って来るとは思っておらなんだわ。長尾政景、であったな。面をあげよ」
義輝の声に応じ、政景はゆっくりと顔をあげる。
はじめて将軍家の膝元である京の二条御所を訪れたにしては、その顔に不安も動揺も感じられない。完璧に近い礼儀作法で、しっかりと将軍に相対する様は軍神、聖将と称えられる上杉謙信と並び称されるに足る威厳を感じさせた。
だが、政景をよく知る者であれば、その顔にめずらしく、ほんのわずかに緊張の色がたゆたっていることに気づくことが出来たかもしれない。
その政景の口がゆっくりと開かれる。
「殿下にはお初にお目にかかります。越後守護代、長尾政景にございます」
「うむ、よう来てくれた、政景。余が義輝じゃ。見知りおいてくれい」
「ははッ」
将軍の口からみずからの名が呼ばれるのを聞いた政景は深々と頭を下げる。その頬には、おそらく感激のためだろう、かすかに朱がのぼっていた。
雪に閉ざされた越後の国へ将軍家の密使が訪れたのは年が明ける前のこと。
それからまだ一月あまり。にも関わらず、この短期間で越後の頂点に立つ二人が揃って招きに応じて京の都に姿を現したのである。将軍として、配下の忠誠と献身に喜びを覚えるのは当然のことであったろう。
とはいえ、たとえ将軍家に招かれたとしても、守護と守護代の二人が共に国を空けるなど通常では考えられないことである。義輝としては管領待遇の免許を与えるため、また宮中への参内などのために謙信自身の上洛は欠かせないと考えていたが、まさか政景までが上洛してくるとは思っていなかった。もちろん書状でもそこまで求めてはいない。
つまり、謙信はともかく、政景の上洛に関しては完全に上杉家独自の判断なのである。
越後の国がいかに安定しているといっても、守護と守護代がそろって国を空ければ不測の事態は起こりえよう。にも関わらず、政景が上洛してきたということは、将軍家に対する越後の忠誠が、いかに深きかを物語る証左であるといえる。
この越後側の対応には将軍はもとより、近習の者たちも感激しており、彼らが越後の主従に向ける眼差しは篤い好意に満ちていた。
もっとも。
上杉家はただ将軍家への忠誠を示すためだけに、国の頂点に座す二人を他国へ出したわけではない。特に守護代たる政景にとっては、将軍家への忠勤を示す以外にも様々な理由を秘めた上洛であった。
無論、謙信はもちろんのこと、政景にしても将軍家への忠誠はしっかりと胸に抱いている。しかし、どうせならこの上洛を上杉家の次手の布石としよう。そう考えていることも事実であった。
――そう。決して、謙信一人が再び上洛して都の風韻に浴する一方、自らは雪に閉ざされた越後で政務にまみれるなど不公平きわまる、などという子供じみた考えで上洛の一行に加わったわけではないのである。
……上杉家の重臣たちの中で、その政景の主張を容れた者がどれほどいたかは定かではないが、政景いうところの次手、すなわち数年来、越後の内外で燻っている諍いと、その背後で蠢動しているとおぼしき勢力に対する反撃の布石として、今回の上洛を位置づける策に対しては多くの者が賛同を示した。
だからこそ、政景はこうして京の地を踏むことが出来たのである。
◆◆◆
少し時をさかのぼる。
将軍家の密使から、上杉家に管領相当の待遇(従来の二つに加えて、新たな五つの免許)を与える、という将軍の内意が伝えられ、上洛を求められた謙信は、ただちに重臣を春日山城に集める。
その重臣の雄なる一人である越後守護代長尾政景は、雪深い道をかきわけて春日山城に到着し、将軍家の意向を知るや、常にない勢いで口を開いた。
「これは好機ね!」
謙信、兼続、定満、さらには弥太郎や段蔵らが集まった席で、政景はそう断言した。
その政景の勢いに、謙信がやや戸惑ったように問い返す。
「たしかに、殿下のお考えは上杉にとってこれ以上ないほどの栄誉ですが……?」
公の場ではともかく、私的な話し合いの場では謙信はいまだに政景に対して、一族中の目上の人間として丁重に接している。その言葉は丁寧なものだった。
一方の政景は、基本的に相手が目上であろうと目下であろうと態度をかえる為人ではなかった。もちろん、それは礼儀知らずであるという意味ではない。
「『ですが』なんていらないでしょ。いい、謙信? 越後一国の守護が、関東管領殿をすっとばして管領相当の待遇を与えられるだなんて、望んだって得られない栄誉だわ。上洛といっても兵を率いて来い、というわけじゃないんでしょ?」
その政景の問いには兼続が応じた。
「は。御使者によれば、殿下は『必ず兵を率いて』とは仰っていなかった、と」
「やっぱりね。それは要するに言うまでもないと思われたんでしょ。わざわざ雪深いこの時期を選んで上洛を求められたということは、雪が解ける前に謙信に関東管領殿を掣肘できる権限を持たせたいってことに違いないわ」
関東管領上杉憲政の存在は、越後の重臣たちにとって頭痛の種である。
その関東管領を上回る権限が謙信に与えられるのならば、これは実に喜ぶべきことであった。謙信が憲政を掣肘すれば、関東の騒乱の半ばは解決できる。北条家との間で盟約を交わすことも可能となるだろう。そうすれば、北条は関東の経略に、上杉は北陸の経略に、共に専念することが出来るようになる。将軍家にしてみれば両家に恩を売ることができると同時に、上杉が京の地に近づけば、その分連携も取りやすくなる。
今回の件は、上杉にとっても、北条にとっても、そして将軍にとっても損のない話である。
政景はそう主張し、他の者たちもこれに同意した。大方の者たちははすでに政景と同様の結論に達していたのである。
だが、それをはっきりと口にしたのは政景が初めてであった。それというのも――
一同のなんとも言えない視線を受け、政景は小さく肩をすくめた。そして、その視線を一人の麗人に向ける。
「ああっと、別に関東管領殿が邪魔だとか、厄介者だとか、いっそさっさと謙信にその席を譲り渡さないかしらこの数寄者は、とか思ってたわけじゃないからね、秀綱。ま、それに近いことは考えていたけど」
「政景殿ッ!」
あまりといえばあまりの政景の物言いに、謙信の鋭い声が飛んだ。
だが、話しかけられた当の本人は穏やかに(さすがに少し苦笑が混じっていたが)微笑むだけで、特に憤った様子を見せなかった。というよりも、そう思われて当然の関東管領の行状であることを秀綱――大胡秀綱改め上泉秀綱は承知していたのである。
「越後の皆様の厚情には、憲政様はもちろんのこと、上野の業正様も、私も感謝を禁じえぬところ。此度の上洛に関してもお役に立てることがあるのであれば、なんなりとお申し付けくださいますよう、これは憲政様のお言葉でもあります」
そういって秀綱が頭を下げると、艶やかな黒髪がさらりと揺れ、ほのかな薫香が立ち上った。
上杉憲政が越後に逃れた当初から、秀綱はその護衛役として越後に出向いている。
とはいえ謙信の庇護を受けて安楽に暮らしている憲政は、特に護衛を必要としておらず、また業正の配下に目付けのように日常を監視されることも好まなかった。
そのため、秀綱は憲政や業正の名代という形で春日山城に詰めており、もっぱら越後上杉家の用を務めてきたのである。
その秀綱が正式に越後上杉家の家臣に名を連ね、姓を改めてからもう二年近くが経つ。だが、それで秀綱の役割――越後と上野の橋渡し――が変わるわけではない。秀綱自身、以前とかわらず上杉憲政や長野業正へ臣礼をとり続けており、謙信もそれを諒としていた。
だからこそ、先の政景の発言は関東管領である憲政はもちろん、秀綱に対しても礼を失するものであるとして謙信は注意を促したのである。
もっとも、この政景の態度は今に始まったことではなかった。
元々、政景は憲政個人に対してなんら敬意も好意も抱いていない。それどころか、越後に厄介事を持ち込んできた輩として忌避すらしており、それは上杉の重臣たちの間では周知の事実であった。
無論、政景は関東管領に対して公然と礼儀を欠くような振る舞いはしなかったが、謙信の心底からのそれと比べれば、政景の態度はとても褒められたものではなかったであろう。
政景の本音をいえば、蹴り飛ばしてでも憲政をとっとと上野の平井城に送り返してやりたいところなのである。そうしないのは守護である謙信の意向を尊重しているからに過ぎない。
ただ、政景は越後国内にあってほとんど唯一、公然と謙信に異見を掲げることができる存在である。もしも本当に憲政の滞在が越後に一利ももたらさないようならば、謙信と言い争ってでも憲政を上野に逐ったであろう。少なくとも無為の滞在を数年もの間、許すことはなかったに違いない。
越後守護代たる政景がまがりなりにも関東管領の滞在と、それにともなう面倒事を甘受しているのは、それが越後にとって少なからぬ利益をもたらすからに他ならぬ。
その利益とは、すなわち上野の長野業正の存在であり、ひいてはその下にいる上泉秀綱であった。越後が憲政をかばう限り、業正は越後の盟友であり続ける。かつての関東遠征で業正と戦場を共にした政景は、業正の武将としての能力はもとより、その為人をきわめて高く評価していた。その業正を実質的に越後の麾下におけるからこそ、政景は今日まで関東管領の滞在に目を瞑ってきたのである。
無論というべきか、秀綱を春日山に引き抜いたのも政景の仕業である。越後から申し出られてしまえば、業正も、そして秀綱当人も否とは言いにくい。
恩義を盾に他家の家臣を望むやり方は褒められた行いではなかったろう。しかし、自身で平井城を訪ねた政景が口にした「この程度はしてもらわないと引き合わない」との言葉は、まぎれもない政景の本心であった。
それと悟った業正は苦笑をこぼすこともならず、老いた相貌に曰く言いがたい表情を浮かべつつ、こくりと頷いたそうな。
かくて、幾つもの思惑を孕みつつ、上杉憲政は越後に留まり続けているのだが、その存在は年を経るごとに越後にとって重荷となってきている。
そろそろ本格的に手を打たないと、なし崩し的に関東で北条家とぶつかることになりかねぬ、とは皆が等しく危惧するところであった。
それゆえ、重臣たちは政景が口にした「好機」とはこの関東の問題を一挙に片付けることの出来る機会、という意味であると捉えた。
その解釈は決して間違いではない。だが、政景の言葉にはもう少し奥行きがあった。
すなわち、政景はこう続けたのである。
「この際だから」
政景はそう言って、やや声を低める。
「家成と吉長の争いの件も片付けちゃいましょ」
政景が口にしたのは、秋口から続く上野、下平両家の領土争いのことである。
それは政景の言葉を聞いた全員が了解したが、あの件と今回の上洛がどのように重なるのか、と内心で首をひねった者も少なくない。
政景は言葉を続ける。
「あの二人の争いに他国が絡んでいるらしいってのは謙信から聞いてるわ。本願寺だがどこだか知らないけど、武田と越後の家臣の密書まで偽造したからには、狙いは上杉と武田の仲違いで間違いないでしょ。ついでに国内でもあたしと謙信の不和を撒き散らして、上杉家そのものを弱体化させるってところか。今になって急に蠢動し始めたってことは、近々大きな動きを見せるつもりなんでしょうね」
そこで政景は一旦言葉を切り、けれんみたっぷりに続けた。
そこで肝心要の二人が越後から消えると知ったら、連中はどう動くかしらね、と。
◆◆◆
越後国 春日山城
城中の一室で、重臣筆頭の直江山城守兼続はいつにもまして仏頂面で政務を執っていた。
時折頭痛をこらえるようにこめかみを揉み解しながら、押し殺した声で呟く。
「……つまりは自分も謙信様と京に行く。政景様にとってはそのための『好機』であったというわけかッ」
「あ、いや、そ、それはどうでしょうか? わ、わたしにはわかりかねますです、はい」
たまさか執務室に顔を見せていた小島弥太郎は、兼続の恨み節に何と答えたら良いものか、とあたふたしつつ、かろうじてそう返答する。
かつて一介の足軽であった少女は、戦に政に多くの経験を重ね、今では一廉の武将として上杉家にその人ありと称えられるまでになっている。
それに従い、仕草や言葉遣いにも相応の落ち着きが出てきているのだが、予期できない事態に遭遇すると、かつてのようにあわあわと慌ててしまうこともあった。ちょうど今のように。
もっとも、謙信と離れ離れになっている現在の兼続が始終不機嫌であるのは十分に予想できることである。そのとばっちりが来る可能性に思い至っていないあたり、予測と洞察に関して弥太郎はまだ甘い、とは共にやってきた加藤段蔵の密かな呟きであった。
その呟きを発した当人は、こちらは慌てる様子もなく簡潔に答えを返す。
「――しかし、確かに守護代様の仰ることも一理はあります。今この時、越後の守護と守護代が揃って姿を消したと知れば、相手も何かの策略かと疑って行動を躊躇するかもしれません」
その段蔵の言葉を受けても、兼続の不機嫌はなおも鎮まった様子を見せない。
それは謙信と別行動を強いられたことに、今なお納得できていないからだろう。
守護と守護代に万一の事態があった場合、越後を統べなければならないのは重臣筆頭の兼続である。政景からその旨を言い渡され、謙信からも頼まれたので不承不承頷きはしても、護衛らしい護衛も連れずに京へ向かった謙信一行のことを考えれば、不安に思うなというのは無理な話であろう。
段蔵の推測を肯定するように、兼続の口から出た言葉からはまだ苛立ちが感じられた。
「逆にここを先途と動きを活発にするかも知れないぞ」
「それはそれで、こちらとしても相手の動きを掴みやすくなります。それゆえに守護代様は私も越後に残るように言われたのでしょう」
それを聞いた兼続の声に、わずかに悔しげなものが混ざる。
「まったく……突拍子もないことを言い出しておきながら、肝心要なところはしっかりおさえるから始末に困るのだ、政景様はッ」
「その点に関しては、全面的に同意いたします」
「あ、あはは……」
弥太郎はそんな二人の横で困ったように乾いた笑いをこぼしていたが、これではいかん、となんとか兼続の心労を和らげるべく頭をひねる。
「で、でも大胡様――じゃなかった、上泉様もご一緒ですし、そんなに心配することはないんじゃないかって思うんですけどッ」
だが、兼続は渋い表情でかぶりを振った。
「確かに謙信様と政景様、それに秀綱殿がおられれば、その威は衆を圧するに足りる……足りるが、三好や松永は先の上洛でもかなりの数の鉄砲を揃えていた。あれから数年、田舎の越後と違い、堺を統べる彼らの保有する鉄砲の数はかつてとは比較になるまい。まして京は奴らの庭のようなもの。油断はできないだろう」
「そ、それは確かにそうですね……」
兼続の返答に弥太郎は頷くことしかできない。
今回、将軍の命に応じて上洛したのは謙信と政景、そして上泉秀綱のみであった。無論、護衛や小者らも含まれるが、それでも二十人に達しない。実はほぼ同数の軒猿の手錬が密かに護衛の任についているのだが、彼らをあわせても越後の一行の総数は五十に届かないのである。
上洛となれば、将軍家や公家などへの貢物も欠かせないのだが、今回に限ってはそれも用意していなかった。というより、用意している暇がなかったのだ。
先の上洛と異なり、武力と財力、この二つの後ろ盾がない状況ではどんな事態が起こるか知れたものではない。兼続が不安を消せない理由はここにあった。
もっとも都に着きさえすれば、青苧の取引などを通じて越後と深い付き合いのある豪商たちが幾人もおり、当座の費用は彼らから融資してもらえるので資金不足に陥ることはないだろう。
今日まで異変を知らせる使者が到着していないということは、今頃は無事に都に着いているはず。そう考えながらも兼続はなお不安を消すことが出来ず、その兼続の補佐として越後に残された弥太郎と段蔵は、そんな上役をなだめるために言葉を尽くさなければならなかったのである。
◆◆
兼続の不安をなだめる側にまわった弥太郎と段蔵であったが、当然二人とも謙信たちの安否については程度の差こそあれ案じてはいた。
特に段蔵の危惧は兼続に優るとも劣らないほどに深い。だが、両者の考えには若干の違いがある。
実のところ、段蔵は三好や松永の策動に関しては、兼続ほどには危惧していなかった。
三好家の影響力を考えれば、上杉家が管領待遇を許されるという今回の秘事はまず間違いなく漏れているだろう。
だが、それでも彼らが武力を用いる可能性は限りなく低い、と段蔵は判断していた。
三好家にとって上杉家の権威が増すのは望ましいことではあるまいが、たとえそうなったところでいくらでも対処のしようはあるのだ。なにしろ本物の管領は三好家の領内に健在なのだから。
なにより三好、松永は征夷大将軍を庇護しており、いざとなれば上杉に与えられた待遇を取り消すなり、有名無実化するなり、あるいはなんらかの不名誉をおしかぶせるなり、打てる手はいくらでもある。
この状況であえて武力を用いる必要はない。それは四方の群雄に上洛の大義名分を与えるだけの愚策に過ぎず、先の上洛において「動かない」という選択肢を選び、上杉、武田両軍を本国に追い返した三好家の君臣がそのことに気づいていないはずはない。それが段蔵の結論であった。
段蔵が案じているのは三好家ではなく、むしろ三好家に敵対する者たちであった。
世のすべての人間が理屈で行動するわけではない。理非、利害をわきまえずに暴走する者はどこの国にも存在する。そして、暴走を装って利を得ようとする者もまた。
特に今回は上杉側が兵を率いていないため、即時報復の恐れがない。三好家の仕業を装って、上杉の一行に手出しをしようと目論む者がいないとは限らないのである。あるいは、それを装って本当に松永あたりが動く可能性もないとは言えぬ。
錯綜する思惑がどんな事態をうみ出すのか、現段階では推測も容易ではない。しかし、舞台は雪深い辺鄙な越後ではなく、権謀術数の渦巻く京の都である。どれだけ考えても、考えすぎるということはないだろう。
「京の闇は越後よりもずっと深い……でしたか」
兼続の執務屋を辞し、兵の教練に向かう弥太郎と別れてから段蔵はひとりごちた。
実のところ。
段蔵は今回の上洛について、積極的に賛同したわけではなかった。
関東の騒乱、越後国内の争い、それにともなう他国の蠢動――今回の上洛は、そういった近年の越後を悩ます問題を一挙に片付ける好機であるとの政景の主張には、段蔵も理を認めている。
だが、だからこそというべきか、いささか時宜にかないすぎている、という疑念を段蔵はことの始まりから抱いていたのである。
端的に言って、上杉にとって今回の上洛はあまりに都合が良すぎるのだ。それこそ、上洛をしない、という選択肢が選べないほどに。
だが、今回の将軍の招請が何者かの誘いの手だとしたら、何者が、何を企んでいるのだろうか。
もっとも可能性が高いのは、謙信を都に誘い出して謀殺しようとしている、といったあたりだろう。
しかし、将軍を動かせる三好、松永といった者たちがこの時期にあえて謀略で謙信を除く必然性はない。本願寺あたりから依頼があったとしても、事に及べば悪名をかぶるのは、依頼した側ではなく、実行に移した三好家である。本願寺であれどこであれ、三好家が他家のために悪名を甘受しなければならない理由はないだろう。
くわえて言えば、たとえ成功したとしても、謙信という股肱の臣を謀殺された将軍が怒り狂うのは火を見るより明らかであり、京は一触即発の状況に置かれることになる。この時期、三好家がそんな危険を冒すとは考えにくかった。
他にも幾つかの可能性を考えてはみたが、そのいずれも立案、実行、結果のどこかで矛盾が生じてしまう。考える者、実行する者、利益を享受する者、この三つを一本の線で結ぶことが出来ないのである。
これに関して、段蔵は宇佐美定満とも話し合いをもったが、定満もまた段蔵と似たような疑念は抱いていても、今回の上洛が何者かの罠であるという確信を持つには至っていなかった。
杞憂であれば良いと願いつつ、段蔵は上洛前に謙信と政景、秀綱に対して、一つの可能性として自分たちの考えを告げ、注意を促した。
謙信たちは真剣な顔で段蔵の考えに頷いてくれたし、一行を影から護衛する軒猿を率いているのは頭領――すなわち段蔵の祖父である。ゆえに滅多なことはあるまいと思うのだが、それでも段蔵の胸裏を覆う不安の雲が晴れることはなかった。
とつおいつ考えていくうちに、知らず段蔵はかすかに嘆息をこぼしていた。その唇の間から愚痴にも似た声がこぼれでる。
「まったく……こういう時こそ御身の出番でしょうに。どこで何をしているのですか、主様?」
やや恨みがましい響きを宿したその言葉は、発した当人以外、誰の耳に届くこともなく、春日山城の廊下に溶けていくのだった……