足利幕府によって九州探題に補任された大友家。
だが、時は戦国。ただ権威のみで九国すべてを統治できるはずもなく、大友家に対して牙を剥く豪族、国人衆は少なくなかった。その理由の一つに、南蛮神教への傾斜を強め、廃仏毀釈を押し進める大友宗麟への根強い反感があったことは疑いない。
その反感は対外勢力にとどまらず、大友家臣の中にも確実に存在しており、その信仰上の対立が、家臣同士の争いに発展する例さえ出始める。だが、宗麟はそういった事態に直面しても、ただ神への信仰だけを解決の糸口とし、従来の姿勢をかえることはなかった。
憑かれたように南蛮神教への崇拝を強める大友フランシス宗麟。近年、その南蛮神教への傾倒は、もはや耽溺の域に至っているとの評まで出始めており、九国で最大の勢力を誇る大友家の権勢をもってしても――否、九州探題たる大友家であるからこそ、当主の彷徨は、国の内外に無視し得ない変化を呼び起こしていくことになる。
道雪が筑後方面へ軍を向けたことも、これと無関係ではなかった。
反大友の旗を掲げる筑後国人衆の叛乱を、道雪はこの方面の大友軍指揮官である蒲池鑑盛(かまち あきもり)と共同して制圧した。
鑑盛は「義心、鉄のごとし」と称えられる人物で、その名声は筑後はもちろん、肥前にまで及ぶ勇将である。その人物と、鬼道雪の挟撃を受けた筑後国人衆の叛乱はあっけなく潰えたのだが、逆に言えば、この二名でなければ、ここまですみやかな掃討は望めなかったであろう。それだけの粘りを感じさせる筑後衆の戦いぶりであった。
それは同時に、今回の叛乱が、決して偶発的に起こったものでないことを意味していたのである。
それを証明するかのように、筑後の戸次、蒲池から反乱鎮圧の報を受けた直後、府内の宗麟のもとに予期せぬ凶報がもたらされる。
それは豊前国、門司城が他国の急襲を受け、陥落したというものであった。
門司城は、その名のごとく関門海峡(馬関、門司に挟まれた海路)を司る城。大陸との交易や南蛮との貿易によって国を富ませている大友家にとって、この海峡の制海権は文字通りの意味で生命線となるものであった。
そして、これは他家にとっても同じことが言える。ことに近年、瀬戸内の制海権を握った毛利家は西の海への出入り口となる関門海峡を欲してやまず、大友家との間で度々干戈を交えていた。今回の襲撃も、毛利家によるものであるとの予測は、誰もが抱くものであった。
当然のごとく、この凶報を受けた大友家はただちに奪還の軍を催す。戸次道雪は筑後方面からまだ戻っていなかったが、鬼道雪なくとも、大友家には歴戦の名将が幾人も存在する。
その中から宗麟が指名したのは大友加判衆が一、吉弘鑑理であった。
吉弘鑑理は、吉弘紹運の実父にあたり、智勇兼備の名将として名を知られている。
先代義鑑の時代から大友家を支え続ける宿将として、大友本家からの信頼は極めて厚く、その妻は義鑑の妹で、つまり、現当主の宗麟にとって鑑理は叔父にあたる。
元々、宗麟は同紋衆(大友家の家紋である杏葉紋を許された分家)を信頼すること甚だ厚く、他紋衆から不満と不審の声があがっているほどなのだが、その同紋衆、しかも叔父である鑑理への信頼は推して知ることができるだろう。
その鑑理に対し、宗麟は一万五千の兵を授けて門司城奪還を命じ、これを拝受した鑑理は豊前へと兵を進めて行く。筑後方面へ道雪率いる大軍を動かしながら、なお他方面へこれだけの兵を動かすことができることが、大友家の勢力の大きさを言外に物語る。
いかに毛利家とはいえ、この大軍に抗するのは容易ではあるまい、と思われたのだが。
事態は大友軍統帥部が考えるより、はるかに深刻なものであった。
当初、門司城は他国の強襲によって陥落したと思われていた。門司城を守る将の名は小原鑑元(おばら あきもと)。鑑理と同じく、先代義鑑の代から大友家に仕える宿将であり、戦上手としても知られていた。その得意とするところは夜襲であり、こと夜襲の巧みさで言うなら、小原は鑑理を凌ぐとさえ言われていたのである。
その小原が守る門司城である。たとえ毛利家の手に落ちたとはいえ、毛利勢が被った損害は少なくないはずと宗麟は考え、その点では鑑理も同じ考えであった。だからこそ、敵の防備が整わないうちに、と兵を急がせたのだ。
しかし、道を急ぎながらも怠り無く情報を集めていた鑑理は、門司城が近づくにつれ、首を傾げていった。門司城から敗走してくる味方と出会わないのである。付近の住民に問うても、そういった落ち武者を見かけてはいないということだった。
いかに毛利勢が侮れない強敵とはいえ、小原ほどの戦巧者が全滅の憂き目に遭うとは考えにくい。では、何故、城を失ったはずの味方の姿が見えないのか。
その鑑理の疑問の答えは、間もなく明らかとなる。
――大友家を裏切り、城を挙げて毛利家に降った小原鑑元による夜襲、という形で。
大友家の宿将の一人として、こと戦においては吉弘鑑理と並び称され、宗麟の当主就任以来、忠誠を尽くしてきた小原が何故毛利家に降ったのか。
吉弘鑑理と、小原鑑元の決定的な違い。
それはただ一つ、吉弘家が同紋衆であるのに対し、小原家が他紋衆であること――それだけであった。
南蛮神教に耽溺する宗麟に批判の目を向けつつ、それでも忠節を捧げてきた鑑元であったが、同紋衆を重用する宗麟の政策によって、先年、なんら咎なき身で加判衆から外され、さらに府内から追放されるように門司城へと追いやられたことが、鑑元の不満と不審を急激に高めてしまう。その様は地下を流れていた伏流水が、湧出口を見つけたごとくであったかもしれない。
その鑑元の不満を敏感に察したのが、安芸守護職毛利元就と、その一族である小早川隆景である。
とはいえ、毛利家からの使者を招き入れた鑑元は、すぐにその話に乗ったわけではない。
南蛮神教の崇拝はともかくとして、領内の寺社を排斥する動きと、同紋衆と他紋衆の間に横たわる格差を撤廃することについての嘆願と要望は、門司城から府内の宗麟に向けて幾度も繰り返され――結局、鑑元は、ただの一度も望む返答を得られなかった。
これによって大友家の将来の衰退と、その果ての滅亡に確信を抱いた鑑元はついに意を決する。
鑑元の不満と不審は多くの他紋衆が共有するところであり、密かな鑑元の誘いに応じた者は意外なほどに多かった。
かくて、小原鑑元は門司城において反大友の旗を掲げて決起する。
その総数は実に一万を越え、門司城のみならず、各地の勢力と合わせれば二万に達する勢いであった。
これに毛利の援軍を加えた反乱軍は、夜陰にまぎれて討伐の第一陣である吉弘鑑理の陣を急襲、予期せぬ敵襲にさすがの鑑理も不意を衝かれ、手痛い打撃を受けてしまう。
後に言う『大友他紋衆の乱』、または『氏姓遺恨事変』は、こうして豊前の地で幕を開けるのである。
◆◆◆
その日、俺の目覚めを促したのは、中庭に飛来した雀のさえずりであった。
寝ようと思えば野山でも寝られる俺だが、やはり布団で眠れるなら、それに越したことはない。陽だまりの布地に包まれながら、眠りに落ちるのは人生の楽しみの一つといって差し支えあるまい。
そんなことを考えつつ、身支度を整えた俺の視界に一通の手紙が映る。昨夜、和尚から託された角隈殿から俺に宛てた書状。眠る前に読んだ内容が、自然と頭によみがえった。
――角隈殿が自身で記したと思われるかすかに震えを帯びた文字は、分量自体はそう多くはなかった。死を間近にした身体では、長文を書く体力がなかったのか、あるいはそこまで詳細に書く必要がないと、角隈殿は考えたのかもしれない。
内容はある程度予測していたものと同じであった。記されていたのは、最後に言葉をかわした時、角隈殿が口にしていた言葉――吉継のことをよろしく頼むという願いと、角隈殿がその願いを俺に託すに至った理由。
あえて四十九日後にこれを託すという形をとったことについては、不快を感じられたなら申し訳ない、という詫びの言葉も記してあったが、これに関しては角隈殿の考えすぎである。別に詫びる必要なぞないだろう。
「さて、どうしたものか」
法要は終わり、俺がこの地に留まる理由はなくなった。後は一刻も早く、東に向けて旅立ちたい。その旅に吉継が同行することについては、かりに角隈殿の頼みがなかったとしても、吉継が望めば拒絶するつもりはなかった。
だが、文意から察するに、角隈殿としては俺の方から吉継を連れ出してほしいのではないか、と思われるのだ。確かに吉継が自分の意思で俺についていくと言い出すとは考えにくい。この地に留まることの危険さも良くわかる。
ただ、俺の旅に同行したところで危険さはかわらず、むしろ、より戦乱の渦中に近づく可能性さえある――というより、確実にそうなるだろう。危険という意味で言えば、この地に留まった方がまだましであるかもしれん。
そんな旅に連れ出すとなれば、俺にも相応の責任が発生する。責任を忌避するわけでは決してないが、しかし。
「ここで本当のことを言うわけにもいかないよなあ」
何か具体的な害が発生するわけではないが、口から出た言葉は飛翔する。俺の一言が、かりに厄介ごとを誘発してしまった場合、それは俺のみならず俺と近しかった人たちへと及ぶだろう――我ながら考えすぎだと思わないでもないが、わずかでもその可能性がある以上、真実を口にする気にはなれなかった。まあ、たとえ口にしても信じてもらえないだろうという気もするのだが。
かといって、何も言わずに同行を強いるというのは論外だ。俺が強いたところで吉継が肯うとも考えにくいが……などと俺がああでもない、こうでもない、と考え込んでいると、襖越しに家人の声がかけられた。
道雪殿が呼んでいるとのことだった。
「あなたがたが察されたように、此度、わたくしは戦へ向かう途次、この地に立ち寄りました」
客間で俺を待っていた道雪殿は、前置きもなくそう言った。
この場には吉継と道雪殿の他、戸次の双璧たる小野鎮幸、由布惟信の二人、それに紹運殿までいる。
十万の兵もたやすく指揮してのけるであろう大友軍の精鋭が居並ぶ様は、壮観と称して差し支えないであろう。
俺がそんなことを考えている間にも、道雪殿の言葉は続く。
「石宗様の法要も無事に終わり、これからわたくしたちは主君の命に従って戦に赴くことになります。ついては一つ、お二人にご助言をたまわりたいと思い、朝も早くからお出で願ったのです」
「……助言、でございますか?」
吉継が白頭巾の下から怪訝そうな声を発する。雷神とも謳われる大友家最高の名将に、何を言えるというのだろう。そんな疑問が言葉の隙間から透けて見えた。
「はい、そうです。此度の出陣、あなたがたであればどのように戦い、勝利を得ようとするか。ご意見を頂戴したいのです」
吉継の言葉と、俺の問う眼差しに気付いていないわけではないだろうが、道雪殿は委細構わずにこりと笑って問いを向け、答えを促すように首を傾げて見せた。
だが、それは――
「あの、戸次様、それだけでは……」
吉継が困惑した声を出す。頭巾の中で、戸惑っている吉継の顔がはっきりと想像できた。
情報が足りない、というより、ほとんどない。吉継は角隈殿の下で軍略を学び、兵書を読み、占術を習って、そのすべてに通じているそうだが、その吉継であっても今の情報量でいかに勝利すべきかと問われても答えようがないらしい。
まあ当然といえば当然である。敵が誰であるか、どこを攻めるのか、野戦か、城攻めか――それさえわからず、勝利の方途を見出せる人物がいるとすれば、それは天才を通り越して変人というべきであろうから。
無論、道雪殿がそれを知らないはずはない。それは俺にも吉継にもわかった。
知った上で問いかけているのならば、道雪殿は今の問いで何かを測ろうとしているのだろう。だが、この奇問にどう答えれば良いのか。奇問に奇答で応じるのは簡単だが、下手なことを言って、目の前の佳人を失望させることは避けたいと吉継は考えているのかもしれない。俺がそう考えているように。
見れば、道雪殿以外の人たちも、なにやら興味深そうに俺と吉継を見つめている。その最中、ふと紹運殿と視線があう。紹運殿は、自分の義姉の悪戯じみた問いに首をひねる俺や吉継を気の毒に思ったのか、力づけるように小さく頷いて見せた。
ふむ、それでは――
「……そうですね。私であれば、まず墨を磨る(する)ことから始めます」
口を開いた俺と、その内容に、吉継が驚いたように見つめてくる。
道雪殿も、さすがに俺の意図を察しかねたのか、確認するように俺を見つめた。
「墨、ですか?」
「はい、墨です。それも大量に。そして同じく大量の紙を用意します」
「それは戦にさきがけて、諸方に使いを出す、ということですか? そのための書状をあらかじめ用意しておく、と」
「文を用意するというのは仰るとおりですが、戦にさきがけて、というわけではありません。これを用いるのは戦が始まってからか、あるいはその直前です」
俺が言うと、道雪殿は興趣をおぼえたらしい。では、参考までにその文を書いてくださいと言われたので、硯と筆、そして紙を家人に持ってきてもらった。
そして、皆が見つめる中、俺は筆をとって字を記していく。それほど長い文章ではない。というより、むしろ短い。
すなわち、俺はこう記したのである。
「参らせ候(そうろう) 戸次伯耆守道雪」
筆を置いた俺は、わけもわからず目を点にしている人たちに向け、意図を説明する。
「戸次様の勇名は九国に知らぬ者とてないほどのもの。戦に先立ち、これを矢にくくりつけて敵陣に射込めば、相手の将兵は必ずや動揺するでしょう。あらかじめ戸次様がいると知っていればともかく、突如戦場にその姿を見ることになるのですから尚更です」
戸次道雪の勇名を知る者であればあるほどに、その効果は大きくなる。俺はそう言った。
敵も味方も問わない――否、あるいは敵以上に、味方は道雪殿の雷名を骨身に刻んでいるだろう、と。
――俺を見つめる道雪殿の目が、一瞬、恒星さながらに煌いたように見えたのは、はたして気のせいであったのか。
「知っているのか、いないのか……なるほど、石宗様や和尚様があれほど高くその人物を買った理由、わかるというものです」
その声は囁きに等しく、俺はほとんど聞き取ることが出来なかった。
ただ、じっとこちらを見据えている道雪殿の顔を見て、もしやふざけていると勘違いされたか、と冷や汗を流しつつ、口を開く。
「戸次様?」
「……参らせ候、ですか。みずからの名をそのように用いること、考えたこともありませんでした」
そう言う道雪殿の顔はどこまでも真剣で、一片の笑みも浮かんではいなかった。あるいは機嫌を損じたか、と俺の背を流れる冷や汗の量が倍増する。
「す、済みません、思いつきを申しあげたのですが、無礼がありましたらお詫びいたします」
「まさか。こちらから問いを向けたのです。その答えを無礼と咎めるつもりはありません。しかし、なるほど、参らせ候、ですか……」
と、なにやら硬い表情で考え込む道雪殿。
俺としては気が気ではない。鎮幸や惟信、紹運殿は何ともいいがたい微妙な顔でこちらを見るばかりだし、吉継にいたっては自分は無関係とばかりに、露骨に顔をそむけている。
一人、混乱の淵に立っている俺の耳に、不意にそれまで考えに沈んでいた道雪殿の声が響いた。
「一つ、問いたいのですが……」
「は、はい、なんでしょうか?」
「吉継殿より、此度のわたくしの訪問の時期、供の数、同道した者たちの素性から、戦に赴く最中ではないかと推測したのは、雲居殿なのだとうかがいました。相違ありませんか?」
「は、それは確かにその通りです」
これは本当のことだから、俺としては慌てる必要もない。
筑後から戻ったばかりの道雪殿が、亡くなった恩師の墓前で手をあわせたいと望むのは自然なこと。ただ諸々のことが引っかかり、吉継にその旨を話したのである。
無論、俺の考えすぎだという可能性もあったのだが、その線ははじめの道雪殿の発言で消えた。であれば、道雪殿は行き先をくらました上で出陣した、ということになる。自然、その目的は奇襲に類するものであろうと推測できる。
そのあたりを踏まえて、文をつくるという解答に至ったわけで、俺はそういったことを道雪殿に話した――恥をかきたくなかったので、俺の知る知識を流用したのは内緒である。
「吉継殿」
「は、はい、戸次様」
「あなたは今の雲居殿の策、どうみますか?」
道雪殿はそれまで口を開かなかった吉継に話を向ける。
吉継はわずかに押し黙った後、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。
「……雲居殿の仰る前提が、此度の戸次様の戦にあてはまるものと仮定した上で申し上げれば――有効な手立てであると存じます。戸次様の雷名を知り、それに動じない心を持つ者は九国でもまれでございましょう。その軍勢が突如として眼前に立ちはだかれば、将の心中に迷いが生じますし、兵の中には怯える者さえ少なくないでしょう。雲居殿の策は、敵の士気を挫く良き策であると存じます。無論、ただ矢を射込んだだけで敵が崩れるはずもなく、最後は撃斬の力を加える必要がありましょうが」
普段の吉継は、あまり感情を感じさせない平坦な声音なのだが、軍略を語る時はそこに自然と熱が篭る。吉継自身がそう口にしたわけではないが、角隈殿の最後を看取った臣として、弟子として、心に期するものがあるのかもしれない。
やや口惜しげなものが感じられたのは、俺の推測に今一歩及ばなかったゆえだろうか。文の件はともかく、これから道雪殿が向かわれる戦が奇襲に類するものであることは、吉継とて知りえる立場にいたのである。もっとも吉継のことだから、俺が口にしないでもじきに気付いたであろうが。
俺と吉継、二人の意見を聞いた道雪殿は、無言で目を閉ざす。
そしてしばし後、再び見開かれた瞳はまっすぐに俺たちに向けられ――俺は息をのむ。そこには確かに九国最高ともいわれる名将の苛烈な意思がにじみ出ていたからだ。
しかし、今の状況でそんな目で見られても、俺も吉継も困惑するしかない。というか、もしかして俺の案は鬼道雪さんが我慢ならないほど不真面目であったのだろうか。同意を示した吉継にも厳しい視線を向けざるをえないほどに。
下手に俺の知る史実を持ち出したのがまずかったか、などと俺が考えていると、不意に道雪殿がほうっと息を吐いた。
道雪殿がまとっていた戦将としての覇気が、それだけで霧散する。そうして俺と吉継の緊張を解してから、道雪殿はゆっくりと口を開いた。
それは道雪殿が、今この時に到るまでの詳細であった。無論、それは大友軍の重要な軍事情報である。それをあえてこの場で語ることの意味、そして聞くことの意味、双方が何をもたらすのかを、俺はこの時、はっきりと認識していた。
認識しながら、それでも黙って耳を傾けたのは、そうしたいという意思と、それ以上にそうしなければならないという強い予感――確信が俺自身を衝き動かしたからである。
筑後国人衆の叛乱を鎮圧した道雪殿は、府内に帰還するや、休む間もなく豊前に出陣した吉弘鑑理の後詰を、主君である宗麟から命じられた。
大友家に他に人がいないわけではない。にも関わらず、戦が終わって間もない道雪殿に命令を下した宗麟は、豊前の戦況が容易ならざるものであることをはや悟っていたのだろうか。
残念ながら、そうではなかった。宗麟は国内の不穏な空気を肌で感じとり、万全を期して道雪殿に命令を下したわけではない。かといって、神のお告げとやらに従って人選をしたわけでもなかった。
宗麟が道雪殿に豊前の後詰を命じたのは、その方面に進軍している吉弘軍の中に、宗麟と、そして道雪殿にとって無視できない人物がいるためである。道雪殿はそう言った。
その人物の名を――
「戸次誾(べっき ぎん)。わたくしにとっては養い子、ここにいる紹運にとっては甥、吉弘鑑理殿にとっては孫――そして、宗麟様にとっては、亡き親友の子であり、一時は我が子として大友宗家の後継に迎え入れたいと切望された者でもあるのです」
そう口にした道雪殿の顔には、深い愛情と、浅からぬ憂いが相半ばしていた。