日向国 ムジカ大聖堂
その日、大友家当主である大友フランシス宗麟と、南蛮神教の日本布教長であるフランシスコ・カブラエルは大聖堂で礼拝を行っていた。
この大聖堂は先ごろまで使用されていた仮殿ではなく、れっきとした本殿である。数万に及ぶ信徒が寝る間も惜しんで築き上げた大聖堂は、ムジカにおける信仰の中心として荘厳な佇まいを示し、多くの信徒が朝に夕に此方を向いては恭しく頭を垂れていた。
その大聖堂で神への祈りを捧げるのは二人にとって日課であったが、今日のそれは常とは意を異にしている。この礼拝は日々の神の恩恵に感謝を捧げるためではなく、再び始まる聖戦の勝利を願うものだったからである。
日向佐土原城をめぐり、年明けから続いていた伊東、島津両家の攻防。
この戦に大きな動きが生じたのはつい先日のことであった。
日向中南部に進出していた大友諸将からの報せによれば、戦局を有利に進めていた島津軍が突如として軍を退いたという。
兵力、勢い、共にまさり、しかも当主である島津義久、さらにその妹であり『鬼』と渾名される島津義弘が前線に立ち、必勝を期していた島津軍の突然の撤兵は、伊東家のみならず、この戦を傍観していた大友家の諸将をも驚かせた。
伊東家の当主である伊東義祐は従三位の位を有する戦国大名であり、六千の兵力をもって佐土原城に立て篭もり、島津軍の猛攻に頑強に抵抗していたが、それでもこのまま戦況が推移すれば、堅固な防備を誇る佐土原城とてあと一月も保つまい、というのが大方の予測であった。ゆえにここで島津軍が退却すると予見していた者はほとんどいなかったのである。
この撤退は伊東軍を平野につり出す島津軍の策略である、と唱える者もいた。しかし、勝利が見えた攻城戦の最中、あえて策を弄する必要性は薄い。敵に策だと見破られれば、態勢を立て直す貴重な時間を敵に献ずることになってしまう上に、味方の勢いを殺ぐことにもつながるからである。
であれば、目前の勝利を諦めなければならないほどの重大事が後方で生じた、ということになろう。
薩摩で何事が起こったのか。島津軍の唐突とも思える撤退は様々な憶測を呼んだが、いずれの説も推測の域を出ることはなかった。
一方、裏面を知る者にとって事態は明々白々であった。すなわち、南蛮艦隊が薩摩への侵略を開始し、島津軍はその報を受け取って慌てふためいて退却を開始した――宗麟の傍らに侍るカブラエルはそう判断した。それ以外に、島津軍が突然撤退する理由があるはずもない、と。
時至れり。
この事あるをあらかじめ知っていたカブラエルによって、準備は万端に整えられていた。
急使が到着してから、宗麟が聖戦の再開を公にし、さらにムジカから二万に及ぶ軍勢が南下を開始するまで、かかった時間はごくごく短かった。
佐土原城の防備は島津軍の猛攻によって突き崩された状態であり、これを奪うことは容易いこと。精強を誇る島津軍といえど、本国を南蛮艦隊に襲われている状況で、背後から強襲されればひとたまりもあるまい。
すべては自分たちの手のひらの上。
島津軍退却が報じられた際、カブラエルはそう考え、独り静かにほくそ笑んだ。
だが、そんなカブラエルにとって予期せぬ出来事が起きる。
それは――
◆◆
「フランシス。もう迷いはありませんね?」
「……はい、カブラエル様」
大聖堂の中、カブラエルから向けられた言葉に、宗麟はゆっくりと頷く。
そこには否定の意思は含まれて居なかったが、常よりもほんのわずかだけ返答が遅れたことにカブラエルは気づいていた。
自然と目が細くなるが、そのことに宗麟が気づくよりもはやく、カブラエルの顔はいつもの柔和な笑みに覆われる。しかし、見る者が見れば、その口元がわずかに引きつっていることに気づいたであろう。
聖戦の再開に先立ち、宗麟はこれ以上の戦いが必要なのか、とカブラエルに問いかけた。
それは明確な否定の意思を示すものではなく、胸中に生じた疑問の芽を摘むための問いかけであり、事実、カブラエルが言葉を重ねると、宗麟はすぐに納得してカブラエルの言葉に従った。
だが、常日頃カブラエルの言葉をすべて受け容れる宗麟が疑問を唱えたという事実は、カブラエルにとって決して座視できるものではなかったのである。
――カブラエルが考案した聖都建設と、島津に布教を拒まれたコエリョが欲した薩摩征服。
本来、異なる二つの計画は、ゴアの大アルブケルケによって一つにまとめられ、そして実行に移された。
計画といっても、さして複雑なものではない。
カブラエルが宗麟の力を利用して日向の地に聖都を建設し、それを討つべく島津が動き出したところを、コエリョを案内人とした南蛮艦隊が後方から襲う、という単純なものである。
無論、これを単純と思えるのは両国の事情に通じている者に限った話であり、島津などからすれば、異国から大軍が押し寄せてくるなど想像だにできない奇策であろう。
この計画が完遂されれば、南蛮国は日の本の地にムジカと薩摩、この二つの拠点を得ることができる。それは南蛮の東方支配のための大いなる布石となり、ひいては南蛮神教が東夷の地をあまねく照らし出す契機となるであろう。
当然のようにカブラエルはこの計画を熱心に推し進めた。この計画の重要性と、自身に課せられた責務の重さ、そして成功した暁に与えられるであろう栄誉を思えば、熱心にならざるを得ない。
そして、事態はほぼカブラエルの思惑通りに進みつつあった。
誤算がなかったわけではない。ことにカブラエルにとって、ゴア総督が執心していた少女を取り逃がしたことは痛恨とも言える失策であった。
しかし、その少女もすでに捕えた。再びこれを取り逃がすことのないように海上の虜囚としており、二度と逃げ出すことは出来ないだろう。
大聖堂は完成し、それを包み込むように聖都も着々と完成へと近づきつつある。ムジカはこの国における信仰の中心として、相応しい偉容を示そうとしていた。
あとは南蛮艦隊が薩摩に攻め寄せるのを待って、ムジカの十字軍を動かせば計画は完成を見る――そう考えていたカブラエルにとって、宗麟がこれ以上戦を続けることに対して疑念を口にしたのは予想外のことであった。
今後の東方経略において、大友家をどのように扱うのか。
これはカブラエルら南蛮勢力にとって無視しえない問題である。もっとも、それは大友家をいかにして味方に取り込むか、という意味ではない。
ゴアの大アルブケルケが艦隊の派遣に際し、大友家の意向を一切気にしていなかったように。またムジカの小アルブケルケが、高千穂において大友軍に躊躇なく刃を向けたように。南蛮勢力は大友家を切り捨てることを、事実上、すでに決定していた。
彼らは宗麟が当主として立つのはすでに限界である、と見なしていたのである。
事実、先年来、繰り返される叛乱は大友宗家の統制力が著しく弱まっていることを示している。
そんな状況にあって、多大な財貨を費やしてムジカを建設し、しかもそれを大友家ではなく南蛮神教の城市としたのだから、大友家が内部崩壊を起こすのはもはや自明、とアルブケルケ父子の目に映ったのは当然であったろう。
だが、カブラエルは二人とは異なる考えを持っていた。
外から見ている者たちと違い、長年に渡って大友家を内側から見続けてきたカブラエルは、この国の家臣はいまだに宗麟を見捨てていないと映る。無論、心を離した者は少なくないであろうが、それでも国の中枢に位置する者たちは、今なお宗麟への忠誠を抱き続けているのではないかと思われるのだ。
愚直と嗤うべきか。蒙昧と嘲るべきか。
カブラエルは幾人かの顔を脳裏に思い浮かべながら、考えを進める。
愚直であれ蒙昧であれ、彼らが宗麟に忠誠を誓っている限り、大友家には利用価値がある。南蛮が根拠地を得れば、遠からずこれを討つべしと唱える者たちが国境を越えてくるだろう。南蛮艦隊の火力があれば、これを退けることは難しいことではあるまいが、この時、大友軍を盾とすることが出来れば、南蛮軍の被害をおさえることが出来る。
であれば、当主である宗麟を手中におさめている今、あえて大友家を切り捨てる必要もない。カブラエルはそう判断し、小アルブケルケを説き、その了承を得た。
そうして過日のこと、適当な脚色を施して南蛮艦隊派遣の事実を宗麟に伝えたのである。さすがに驚きを禁じえない宗麟に対し、カブラエルは穏やかな声で説明する。東の地に聖都を築いた宗麟の功績を嘉し、ゴア総督が難敵を始末するために援軍を派遣してくれるのだ、と。
これまでの宗麟であれば、疑うことなくカブラエルの言葉を信じ、目に涙さえ浮かべて感激したに違いない。
事実、この時も宗麟は感謝の念を示していた。
だが、その顔には小さからざる戸惑いも浮かんでいたのである。
己の敵すら赦し、慈しむこと。日向の北半を制し、聖都を築き、信徒たちの鎮魂を為しえた今、それこそが自分たちが為すべき行いではないか――そう問いかけてくる宗麟は、これ以上戦火を広げることに明らかなためらいを見せていた。
この宗麟の反応はカブラエルの予想しないものであった。
意外の念に打たれながらも、カブラエルは宗麟を説き伏せるために言葉を続ける。
この説得は、島津家の南蛮神教排斥の事実があったため難しいことではなかった。
カブラエルは言う。
宗麟の考えは尊いものだが、島津家を討たない限り、九国における布教は完璧なものになりえない。先に遣わした雲居の説得が成功すれば流血は未然に防がれるであろうし、かの救世主殿の言葉さえ通じぬほどに島津が頑迷であれば、尚更これを討たないわけにはいかない。その際、南蛮艦隊の武力をもってすれば、信徒たちの犠牲は最小限で済むであろう。
このカブラエルの主張は理にかなっており、宗麟もほどなくためらいを排して頷いたのである。
◆◆
結果として、事はカブラエルの目論見どおりに進んだのだが、これまでカブラエルの言葉に疑問を挟まずに頷いてきた宗麟が、わずかとはいえ自身の考えを差し挟んできたことに、カブラエルは不快を禁じえなかった。その変化をもたらしたものが何であるかを考えれば尚更である。
「まったく、余計な真似ばかりしてくれますね、救世主とやらも」
カブラエルは忌々しげに呟く。
だが、その表情には余裕が戻りつつあった。事態の主導権を完全に握っているという実感が、カブラエルに落ち着きを与えたのだろう。
一万をムジカの守りに残したとはいえ、それでも十字軍は二万の大軍である。これを南下させれば、日向は労せずして手に入る。
南蛮艦隊の猛攻にさらされた島津軍は成す術なく本国を失うに違いなく、征服したばかりの大隅一国で薩摩の南蛮艦隊と日向の十字軍、この二方向からの攻撃に耐え切れるはずがない。
現在、大友家の領土は豊前、豊後、筑前、筑後にまたがり、今、新たに日向を加えようとしている。南蛮軍が薩摩、大隅を制圧すれば、九国のうち、実に七国が南蛮神教を奉じる国によって治められることになる。
残る二国は肥前と肥後。しかし肥前の竜造寺はつい先ごろまで大友家に従っていた小勢力であり、肥後の阿蘇家、相良家などは大友家と浅からぬ関わりがある。この二国が、今の流れに抗うことは容易ではあるまい。
そして、この二国が頭を垂れれば、九国は名実共に大友家の――否、南蛮国の領土となって、日の本に神の栄光を知らしめる要地となるであろう。
さすればフランシスコ・カブラエルの名は、東方布教の歴史に黄金の文字をもって記されることになるに違いない。
現実は確実にその未来へと向かって進んでいる。
もはや道雪さえ恐れるに足りぬ。まして雲居などという名に脅威をおぼえるはずもない。そんな思いを胸に抱きながら、カブラエルはゆっくりと宗麟に語りかけた。
「ではフランシス、参りましょうか。この地を神の栄光と慈悲で満たすという十年来のあなたの悲願をかなえるために」
「はい、カブラエル様」
宣教師の言葉に、大友家当主は目を閉ざし、胸の前で両手を組んで深々と頭を下げる。
自らの前に広がる理想の園を瞼の裏に映しながら……
◆◆◆
筑前国 立花山城
立花山城は、その名の通り筑前は立花山に築かれた山城である。
別名、立花(りっか)城。九国最大の商都たる博多津を眼下に見晴るかすこの城は、博多津の支配、ひいては筑前の支配に欠くことのできない要衝であった。
その頂きに立てば、博多の街並を越え、遠く玄界灘に浮かぶ壱岐島まで望むことができる。それはすなわち、博多津の富をねらった敵兵が、東西南北、いずれの方角から押し寄せてきたとしても、すぐさま発見できることを意味した。
この眺望に加え、幾つもの峰から成る立花山の堅固な地形が、立花山城の重要性をより一層引き上げているのである。
その立花山城の城壁の上で、今、戸次誾は彼方に去りゆく明の軍船を見送っていた。
ムジカからこの立花山城まで、誾を乗せてきてくれたその船は、今や誾の視界の中で豆粒ほどの大きさになっている。
その船影を見やる誾の脳裏に浮かぶのは一人の姫武将の姿。戚継光、字を元敬と名乗った異国の武将の莞爾とした笑みと、その言葉を思い起こし、誾は自身にもわからない理由で小さくため息を吐いた。
すると、不意に誾の吐息を吹き消すかのように、一陣の風が山裾を駆け上って吹き付けてきた。
早朝の冬の冷気を宿した寒風は、思わず首をすくめてしまうほどに冷たかったが、それでも誾は救われたような思いで、小さく呟く。
「『遺せる物は国土のみ』……か」
その言葉は誾に向けられたものではない。
継光が、かつて父からおくられた言葉であるとのことだった。
◆◆
『娘の吾がいうのも何じゃが、父上は呆れるほどの堅物でな』
船旅の最中。彼方の白波を見やりながら、継光は渋面を隠そうともせずに誾にそう言った。
『おまけに、そこらの岩を投げつけたなら、投げつけた岩の方が砕かれるのではないかというほどの石頭でもあってのう。質素倹約は当たり前、祖父や祖母が吾に買い与えてくれた高価な服や靴はその日のうちに父上に処分されたわ。幼少の頃より贅沢な品を身に着けていると、長じた後にろくなことにならぬから、とな。賄賂はもちろん、礼儀の範囲にとどまる贈り物さえ受けとろうとはせなんだゆえ、母上や吾は身代に見合わぬ苦労を強いられたものよ』
水清ければ魚棲まずという。
継光の父である戚景通の職務に対する清廉さは讃えられるべきものであったが、それも過ぎれば禍を呼びかねぬ。
景通は自身の清廉さを他者に求めるようなことはしなかったが、それでも周囲からは付き合い難い人物であるとみなされていたようで、戚家に景通の友人や知人が訪れることは稀であった。
ある時、見かねた祖父が景通に問い質した。
武人として清廉であることは誇るべきことである。しかし、お前は国に仕える武人であると同時に戚家の長でもある。一家の長として、お前は継光ら子供たちに何を遺すつもりなのか、と。
景通はこれを聞くと、中庭で剣の稽古をしていた継光を呼び出し、祖父の言葉を伝えた上で娘に語りかけた。
『私に利殖の才はない。そなたに遺せるのは、夷狄に支配されぬこの国土のみ。そなたの手でこれを守り、やがて生まれ来る子らへ継がせるのだ』
明王朝が誕生してよりおよそ二百年。継光はもちろん、父である景通も、祖父ですら異民族の支配を受けた経験はない。
それでも、かつて夷狄に支配された記憶は中華に住まう者たちの心に刻まれ、これを忘れ去ることは不可能であった。
夷狄に支配される悲劇を二度と繰り返してはならない。武門たる戚家の長として、子孫に遺すべきものがあるとすればこの思いと国土のみ。いたって生真面目な顔でそう告げる父の顔を、継光は今なおはっきりと思い出せるという。
◆◆
継光があんな話をしたのは、果たして偶然なのだろうか。
誾は自身の実父の所業を思い起こしながら、そんな疑問を抱いた。誾は会って間もない継光に、自身の生い立ちを語ったりはしていないが、雲居や丸目らが継光にもらした可能性は否定できない。
もっとも、その可能性はごく低いだろうと誾は判断しているが。
様々な意味で予測の内に納まらない二人だが、礼儀や礼節をわきまえていないわけではない。他者の生い立ちを軽々に口にするようなまねはしないだろう。
となると、継光は本当にこちらの生い立ちを一切知らずに父親の話をした、ということになる。あるいは態度の端々から、誾が生い立ちに関して鬱屈を抱えていることを見抜いたのかもしれない。
姿形は小さくとも、その眼力はさすが大明国の名将というべきか。そんなことを考えながら、誾はもう一度同じ言葉を呟く。
「国土を遺す、か」
その声は、風に紛れてしまうほどに力ないものであった。
誾は元服に際し、道雪から『二階崩れの変』の詳細をすべて伝えられている。
大友家の分裂を避けるため、みずから汚名を被り、謀反人に堕したという実父一万田鑑相。
それが真実なのか、虚偽なのか、誾には知りようもない。『二階崩れの変』の折、まだ赤子であった誾は二親の顔すら覚えていないのである。
義理の母である道雪、叔母である紹運がそろって実父の為人を見誤るとは思えないから、実父がただ権力を求めて主君に刃を向けた可能性は限りなく低いだろう。二人の語るとおり、大友家を救うため、止むに止まれぬ決断であったのだと信じたい。誾はそう思っている。
だが、そうと信じきることができない自分に、誾はとうに気づいていた。
戸次家、吉弘家、さらには大友宗家の助力もあり、誾は表向きは何不自由なく成長した。
だが、陰で謀反人の子供だと後ろ指をさされたことは幾度もあった。それは決して一度や二度ではない。
時に家の外ではなく、家の中で囁かれているのを耳にしたこともある。戸次家は道雪の威令が行き届いているが、その種の陰口を根絶することは鬼道雪といえど難しかったのだろう。
それに、それを口にする者たちは決して間違ったことを言ったわけではないのだ。二階崩れの変の内実を知らない者にとって、一万田鑑相は主家に仇なした謀反人であり、誾がその実の子供であるのはまぎれもない事実なのである。
幼い頃は、誾自身、どうして自分を厭わしげな目で見る人がいるのかが理解できなかった。謀反人の子、という言葉の意味もよくわからなかった。
だが、長じれば嫌でも理解できてしまう。それが根拠のない誹謗などではなく、まぎれもない事実なのだ、ということも。
誾が元服に際し、実父が用意していた名ではなく、実母がつけた誾千代という幼名から一字を取ったのは、誾の内心の表れであった。
『誾』とは慎むの意。人として、また将として恥ずかしからぬ名乗りであるが、その実、実父に対する誾の苛烈なまでの意思がはっきりと示された名でもあったのである。
そんな誾の思いを、道雪は理解していたのだろう。
かすかに表情を翳らせながらも、誾の選んだ名に異を唱えようとはしなかった。もっとも、仮に道雪が異を唱えたところで、誾がそれを肯うことはなかっただろう。道雪はそれをも理解していたのかもしれない。
そんなことを思いつつ、誾は三度、同じ言葉を呟いた。
「国土を遺す……父上もそう考えていたのかな」
大友家が他国に支配されることのないように。誾や母たちが生きる豊後の地を侵略されることのないように、あえて自らを贄としたのだろうか。すべての罪を一身に背負い、悪名をその身に引き受けて。
たとえそうだとしても、と誾は思う。
残された妻子が謀反人の一族として苦境に陥ることはわかっていたはずだ。それを承知して、なおその道を選ばざるを得ないほどの危機に、当時の大友家は瀕していたのだろうか。
父の行動により、乱の当事者であったはずの宗麟の家督継承が速やかに進んだのはまぎれもない事実である。その後の宗麟の統治が、大友家の繁栄の礎となったことも確かであろう。
だが、その果てに今の大友家の迷走があるのなら。
異国の教えに蝕まれ、君臣の結びつきは薄れ、挙句に他国の軍を招く者が当主の傍らに座す今の大友家があるのなら。
「……何の意味があったのですか、父上。あなたの行動と、それによって私が受けた数々の仕打ちに」
謀反人の子よ、と罵られたことを厭うのではない。父の行動が正しく大友家の未来を願うものであり、それが確かな成果を示しているのであれば、いかなる罵詈雑言も誇りをもって受け止めてみせる。誾は強がるでもなく、そう考えている。
だが、物心ついてより大友家の――宗麟の迷走を見続けてきた誾にとって、父の行いを誇りとすることは出来ないことであった。
無論、当主となった宗麟が南蛮神教に耽溺するなど、父に予期できるはずもないことは誾も承知している。
それでも、当主として彷徨する宗麟と、そんな宗麟を懸命に支え続けてきた道雪や紹運の苦悩と苦心を目の当たりにしてきた誾にとって、父の行いを誇りとすることはやはり出来ないことだったのである。
「まして、本当に南蛮軍が侵攻してくるのだとしたら……」
知らず、誾の声は震えていた。
日向の地に南蛮神教の城市を建設した宗麟であれば、それが異国の侵略者であっても、南蛮神教を奉じる者たちであれば喜んでその手をとるだろう。
それは日の本にとって文字通りの意味で売国の行い。大友家は全国の大名――否、民さえ敵にまわすに違いない。
万に一つの僥倖を得てこれを撃ち破ったとしても、その先に大友家の天下はない。勢力を広げるのは南蛮ばかりであるのは火を見るより明らかであろう。だが、おそらく――否、きっと宗麟はそのことに気づくことなく、神の恩寵に感謝して、さらに戦いを続けるに違いない。誾にはそう思われてならなかった。
こんな大友家を築くために父は死んだのか。自身は謀反人の子として蔑まれてきたのか。そう思えば、全身から力が抜ける。
そんな事態にならぬよう務めることこそ己の役割であると承知しているし、だからこそ雲居の言に従ってこの地まで来た。
しかし、今の誾はもっと根本的な部分で迷いを拭うことが出来ずにいた。
今は亡き父と母の願い。二人の死を理由として目をかけてくれる主君。その主君を支える義母。
子として親を疑い、臣として主君を厭う今の自分は、向けられた幾つもの思いに一つとして応えることが出来ていない。わかっていながら改められない自身の未熟さを思い、誾は強く、強く奥歯をかみ締める。
元服してかわったのは、ただ名前のみなのかと思えば、自分自身に対して目眩にも似た失望を感じざるを得なかった。
そして、そんな誾の嘆きをあざ笑うように、大友家を取り巻く状況は誾の成長を待つことなく先へ先へと進み続ける。
「若様、ここにおられましたか!」
その呼び声に誾が振り返ると、見知った顔の家臣が駆け寄ってくるところであった。
道雪が立花家を継ぎ、誾が戸次家の当主となった今、その呼びかけは間違っているのだが、呼んだ者も呼ばれた者もそれには気づかなかった。
それどころではなかったのだ。
「道雪様がお呼びでございます。至急、大広間にお越しくださいませ!」
「大広間? 呼ばれたのは私だけではないのか?」
誾の問いに、家臣は激しく首を左右に振った。
「主だった者たちはことごとく集めるようにとのこと。城外に出ている者たちにも急使が向かいました」
ただ事ではない、とは誰もが感じるところであった。
眼差しを鋭くした誾に向かい、家臣は自身を落ち着かせるように胸に手をあてながら、つい先ほどもたらされたばかりの情報を口にした。
「高千穂の十時殿より報せが参りました。豊後にて、此度の宗麟様のなさりように不満を抱く者たちが不穏な動きをしているとのこと。田原家、奈多家を中心としたもので、その動きはかなりの規模らしゅうございます」
確認はとれていない、と家臣は言ったが、高千穂遠征に加わった家の一つである田北家は、田原、奈多両家と血縁関係にある。その筋からもたらされた情報である以上、限りなく真実に即した報せであろう。
さらに家臣は続けた。
「先ごろより、門司城の毛利軍が活発に動いていることが確認されております。道雪様はこの両者の動きが互いに呼応したものであるとお考えなのでしょう。その対応のためのお召しであると存じます。若様は急ぎ向かわれますよう。それがし、他の者にも伝えねばなりませぬゆえ、これにて失礼いたします」
そう言って慌しく立ち去る家臣の背を見やりながら、誾は知らず背筋を震わせていた。
豊後の動きも、豊前の動きも誾にとっては初耳である。少なくとも誾が高千穂にいる間、そんな話を耳にすることはなかった。
であれば、この動きは誾が雲居らと共にムジカに赴いた後のこと、ということになる。ムジカの存在が噂ではなく、確かな事実として知れ渡れば、その反発は大友家の内と外とを問わず凄まじいものになるだろう。そう予測していた誾であったが、あるいは事態はそんな誾の予測すらはるかに越えているのかも知れぬ。
くわえて、今の時点では誾と、誾の報告を受けた道雪しか知らないことだが、大友家内外の不穏な動きに加え、海の外から異国の軍勢が日の本に押し寄せる可能性すらあるのだ。
道雪が家臣たちにそれを告げないのは、現時点でそれを知らせたところで筑前では打つべき手がないのに加え、これ以上家臣たちが動揺せぬように、との思案からだろう。
とはいえ、実際に南蛮軍が姿を現せば、これを隠しておけるはずもなく、大友家は今以上の危機と混乱に晒される。
一体、大友家はどうなってしまうのか。
いずこを向いても、そこに待っているのは暗澹たる未来のみ。
この時の誾にはそう思われてならなかった。
◆◆◆
安芸国 吉田郡山城
中国地方に巨大な版図を有する毛利家、その本拠地である吉田郡山城は、今、人馬の波で覆われつつある。
その数、およそ二万二千。これに水軍は含まれていない。
この事実から明らかなように、今回、郡山城に集められた兵力は、先に豊前で起きた小原鑑元の叛乱や秋月種実の蜂起を援護するために差し向けた兵数を大幅に上回る規模であった。
しかも、集められた兵力はこれがすべてではない。
毛利家当主、毛利元就が下した動員令は安芸、周防、長門、そして石見と備後に及び、それはすなわち全毛利領に動員がかけられたことを意味する。
現在、郡山城に集っているのは安芸、石見、備後の軍勢が中心であり、これより西方へ向かう毛利軍は周防と長門の軍勢を併せてさらに膨れ上がるであろう。
毛利家中の概算では、最終的に自軍だけで四万を越える大軍になると目されていた。これに毛利家に追随する他勢力が合流すれば、総兵力は五万に達するやもしれぬ。
先の二度にわたる九国への派兵では、毛利軍は水軍を除けば戦らしい戦をしておらず、その被害はきわめて小さかった。とはいえ、万を越える兵力を二度にわたって差し向けたのだから、毛利家にかかった負担は決して小さなものではない。
それでも大友家から門司城を割譲され、関門海峡の支配権を得たことを考えれば、負担に見合うだけの戦果を手に入れたといえるだろう。
今は軍事力の行使を控え、豊前に得た新たな領土を完全に毛利家のものとし、さらに交易路の安全を維持するよう努めなければならない時である。それが元就をはじめとした毛利家上層の考えであった。
その根底には、門司城を割譲した大友家や、毛利家の勢力伸張をおそらくは歯軋りしつつ見守っているであろう尼子家が遠からず動くことは明らかである、との思案があった。彼らに容易に付け入ることのできる隙を与えるべきではない、と毛利家中は考えていたのである。
だが、今、毛利家は先の二回を上回る規模の大動員を命じている。
無論、これにはしかるべき理由があった。
九国から伝わる大友家の動静が、毛利家に出兵もやむなしという決断を下させたのである。
「日の本の地を、異人に譲り渡すなど言語道断!」
とは毛利家の重臣筆頭である志道広良の言であり、同時に元就、隆元ら毛利宗家の意思でもあった。
「大友家の当主が南蛮神教に心酔しているのはわかってたことだけど、ここまでくると、心酔というより耽溺、耽溺というよりは狂信って感じだね」
吉田郡山城の軍議の間で、今回の遠征軍を率いる将の一人である小早川隆景が辛辣な表情で、辛辣な言を吐く。
常であればそんな隆景をたしなめる役回りを務める吉川元春も、今回ばかりは妹に賛同せざるを得なかった。
「うむ。おのが領内で異教を保護するのは自由。寺社仏閣を打ち壊す行いは非道ではあるが、我らが武力をもって糾す筋はない。何を信じ、何を敬うかはあくまで大友家内部の問題だ。だが――」
「さすがに今回みたいに、自分から南蛮の手先になりますと言わんばかりの行動をとられたら黙ってはいられないよ。このまま大友の暴走をほうっておいたら、あの家を足がかりにして南蛮人が日の本に入り込んできてしまうもの」
そう自身の見解を口にしつつ、隆景は密かに嘆息する。
(まあ、もっともこれも半分以上は隆姉の受け売りなんだよね)
隆景が視線を長女の隆元に向けると、隆元は妹たちからやや離れたところで、他の家臣たちと熱心に今後の行軍予定を話し合っていた。
常の軍議であれば基本的に聞き手にまわる隆元だが、今回の出兵に関しては驚くほどに積極的である。こちらまで戦意が伝わってきそうだ、などと思いながら隆景はゆっくりと口を開いた。
「……隆姉、いつ頃から大友の危険性に気づいていたんだろう?」
ここでいう危険性とは、大友家の広大な版図や強大な兵力を意味しない。そんなものは童でも承知していることだ。
隆景が口にしたのは、大友家が――より正確に言えば、その当主である宗麟が売国の行いを為しかねない人物である、ということを隆元はいつの時点から把握していたのか、ということであった。
妹の問いを正確に把握した元春は腕を組んで考え込んだ。
「さて、少なくとも先に将軍家の意向をはねのけた時点では察しておられたとは思うが。だからこそ、将軍の不興をかってでも大友家と手を組むことを拒否されたのだろうしな」
それを聞き、隆景は、はあ、と小さくため息を吐いた。
「……ぼく、あれは毛利家の利害を考慮した上で、あえて強気に出たんだとしか思ってなかったよ。ぼくが門司城の件で義母上に話を聞いたときも、隆姉、特に何も言ってなかったし」
「隆景の考えも間違いではないと思うぞ。姉上とて、まさか今回の件をすべてあらかじめ察していたわけでもなかろう。ムジカの件をきいて愕然とされていたお顔は本物であった」
隆元が大友宗麟の為人に危惧を覚えていたのは確かだろうが、その危惧はそこまで明確なものではなかったろう、と元春は判断していた。隆景は隆元が口を噤んでいたことが気になるようだが、隆元にしてみれば、そこまで明確な根拠があっての危惧ではなく、あえて妹たちや義母に告げる必要もないと考えていたのではないか。
ムジカの報せを聞いた時、隆元もまさかと思ったに違いない。疑いを抱いていたとはいえ、まさか大友家の当主ともあろう者が異教に耽溺するあまり、国土を売り渡すようなまねをするはずがない、と。
だからこそ、その報せが間違いないと判明した後、隆元は強硬に出兵を主張したのだろう。これまでの危惧が明確な形で眼前に現れてしまったから。これをほうっておけばどうなるか、隆元はかなりの確度で予測できたに違いない。
「あのように意気軒昂な姉上を見たのは久方ぶりだったな」
元春の言葉に、隆景は小さく肩をすくめた。
「厳島以来、かな? 義母上が口をはさむ暇もないくらいだったからね」
それにしても、と隆景は言葉を続ける。
「日の本に南蛮神教の城市を築くとか、何を考えているんだろうね、宗麟は」
「さてな。寺社や朝廷に土地を寄進するのとはわけが違う。こればかりは当人に訊いてみねばわからぬよ。まあ、訊いたところで理解できるとは思えんが」
期せずして、姉妹のため息が重なった。
毛利家は、大友家が日向の地にムジカなる城市を建設していることは早くから察知していた。
だが、大友宗麟が常々口にしているという聖都という言葉とその意味を鵜呑みにしていたわけではない。
九国に南蛮神教の城市を築く。それは南蛮神教を広めるための根拠地にして聖地である、などという言葉はあくまで信徒たちに対する名目上のこと。
毛利家は宗麟の言葉をそう捉えていたし、またそれが当然の判断というものであった。まさか自家の財貨、兵力を投じてまで異教のために尽くすようなまねを、大友ほどの大家の当主がするはずがない。それではまるで大友家の上に南蛮神教があるようではないか。
だが、九国から送られて来る情報は、当然であるはずの判断を覆すものばかりであった。
決定的であったのは、ムジカの建設にともない、本国である豊後でも動揺が広がっているという事実である。元就の下には、幾人もの大友家臣から書が届けられており、家中の動揺をつぶさに伝えてきた。
それによれば、宗麟は日向に侵攻して以来、一度として府内に戻っておらず、その身をムジカに留め続けている。ゆえに家臣たちは南蛮神教に従うがごとき宗麟の行動とその真意がわからず、重臣たちですら平静を保てずにいるという。
これまでも南蛮神教に傾倒する宗麟の行動は重臣たちの頭痛の種であったが、今回のムジカ建設は従来のそれとはっきりと意を異にしている。
ムジカを建設している人夫の大部分は南蛮神教の信徒たちであるとはいえ、本をただせば彼らも大友家の領民である。これを使役することは大友家の力を用いることに他ならない。
くわえてムジカを建設する石材や木材は、やはりこれも大友家の財産である。カブラエルら南蛮神教側も相応の費用を投じているとはいえ、彼らの財の多くは大友家から献じられたものなのだ。これらを費やしてムジカをつくりあげ、それをそっくりそのまま南蛮神教に献じるなど正気の沙汰ではない。
この時代、主君への忠誠は無条件のものではありえない。主家のために命がけの働きをするのは、ただ忠誠の念ゆえではなく、相応の報いを望んでのこと。これにあてはまらない忠臣も存在するが、大部分の家臣にとっては主君から与えられる『御恩』あっての『奉公』なのである。
ムジカの建設は、この君臣の関係に深刻な疑念を植えつける結果となった。
すなわち、今後、大友軍が戦に勝って得た土地や城は、家臣ではなく、南蛮神教に分け与えられるのではないか、と。
大友家の家臣が仕えるのは当主である宗麟であって南蛮神教ではない。その宗麟でさえ、無条件で配下の忠誠を得られる立場ではないのだ。
宗麟が当然であるべきこの理をわきまえず、当主が当主たるべき責務を放擲するのなら、家臣が家臣たるべき責務を果たす必要はない。
大友家に忠誠を誓う武士の中に、南蛮神教の走狗に堕することを望む者など一人としていないのだ――元就の下に送られて来た書状に、この憤りが込められていないものは一つとしてなかった。
今ならば、謀略をもって大友家の膝元である府内で騒擾を起こさせることも難しくはない。
大友家の混乱と分裂を促し、それが頂点に達した段階で兵を発すれば――おそらく一年もかかるまい――豊前、筑前はおろか豊後さえ毛利家の版図に加えることが出来るだろう。元就のその判断に、隆景も賛意を示した。
それからもわかるように、当初、毛利家は謀略によって大友家を突き崩し、しかる後に兵を発する心算だったのである。
それに異を唱えたのが隆元であった。
今は巧遅よりも拙速を。
武辺者の元春ではなく、隆元がそう主張したことに、多くの者たちが驚いた。
だが、常は戦を厭う毛利宗家の嫡子は、この時は人が変わったように強硬に出兵を主張した。
隆元は言う。
大友家の迷走は、これと対峙する毛利家にとって願っても無い好機のように映る。しかし、その実、もっと大きな危機を内包しているのだ、と。
大友や毛利といった『家』という枠組みを越え、日の本という『国』をも揺るがすほどの巨大な危機の先触れ。今回の戦は、これまでの領土争い、権益争いとは一線を画するものである――
隆元がこの考えに至ることができたのは、彼女自身の才覚はもちろんのこと、幾人もの商人たちから南蛮神教の危険性について忠告されていた為である。
政治、軍事、外交、経済――国を治めるために大名が為すべきことはいくらもあるが、そのすべてにおいて資金は必要不可欠なもの。当主や家臣が国政においてどれだけ優れた手腕を有していようとも、金がなければ国は動かない。
毛利家にあってこの資金調達を任されているのが隆元であり、当然のように隆元は商人たちとの付き合いが深く、その中には堺や博多といった商都でも指折りの人物も含まれていた。
南蛮をはじめとした海外の事情に通じている彼らは、折に触れて隆元に対して他国との交易がもたらす利と、それにともなう危険性を説いていた。ゆえに隆元は大友家が内包する危うさに早くから気づくことが出来たのである。
常日頃は温和で、時に覇気がないと苦言を呈されるほどの隆元であるが、必要なとき、必要な場所で発揮する資質は義母や妹たちに劣るものではない。
かくて、隆景をして「厳島以来」と評するほどの鮮烈な態度で家中の意思をまとめあげた隆元は、毛利家にとっても空前の規模の遠征軍を編成してのけたのである。
この時、軍の編成を進める隆元、元春の動きの影で、元就や隆景も積極的に動いていた。兵を発するからといって、謀略をためらう理由はどこにもない。
すでに毛利家の使者は九国の各地に飛んでおり、その影響は豊前、筑前はもちろん大友家の本国である豊後にも及んでいた。
そして、使者の一人は大友家の領国を越え、遠く肥前にまで達していたのである……
◆◆◆
肥前国 佐賀城
肥前の一地方領主から、名実ともに肥前の国主へと成長を続ける竜造寺家。
その本拠地である佐賀城の軍議の間では、竜造寺家の文武の要ともいうべき者たちが一堂に会していた。
竜造寺家当主、竜造寺隆信の傍らには重臣筆頭である鍋島直茂が座し、彼ら二人の前に成松信勝(なりまつ のぶかつ)をはじめとして百武賢兼(ひゃくたけ ともかね)、江里口信常、円城寺信胤、木下昌直ら四天王が勢ぞろいしている様は壮観の一語に尽きるであろう。
「では今度こそ、本当に大友家と敵対するということで間違いないのだな、直茂?」
「御意にございます、殿」
『肥前の熊』とも渾名される隆信は、その名のごとく熊に似た相貌と巨大な体躯の持ち主である。
これでも笑えばそれなりに愛嬌のある顔になるのだが、今の隆信に笑みはない。それどころか、その目にはどこか疑わしげな色が浮かび上がっていた。
もっとも、それは直茂に対して深刻な疑惑を抱いているというわけではなく、大友家と一矢も交えないうちに撤退に至った先の筑前攻めを、少しだけ根に持っているのである。
「まことか? また先ごろのように、寸前で待ったをかけるつもりではあるまいな?」
「その可能性が全く無いとは申しませんが……」
主君であり、義理の兄でもある隆信の内心を察し、直茂は鬼面の内で小さく苦笑をもらした。
「それには大友宗麟殿が南蛮神教に対し、日の本を侵すことは許さぬという断固たる姿勢を示すことが不可欠です。しかしながら、これまでの彼の御仁のなされようを見るに、今にいたって克目される可能性は低いと申さざるを得ません。よって此度の出兵、戦の勝敗によらずして兵を退くようなことにはならぬでしょう」
「そうか! ふはは、ならばよし、ならばよし! 今の腐りきった大友になど、このわしがおくれをとるなどありえんわい。筑前を奪った後は府内まで押し寄せ、わしの力を思い知らせてくれようッ!」
ここで口を開いたのは四天王では新参にあたる木下昌直である。
「おお、さすがは殿です! この木下もふんこ……つ? いや、えっと、ともかく全力で付き従いますぜ!」
「よくいった、昌直。我が下で存分に手柄をたてるが良い! 期待しておるぞ!」
「ははッ!!」
気炎を吐く当主に盛んに迎合する木下。
そんな二人を尻目に、直茂と他の四天王はさらに話を進めていた。
「鍋島殿。今回の出兵、総勢はいかほどに?」
四天王筆頭である成松信勝の問いに、直茂はよどみなく応じる。
「今回は竜造寺家の総力をあげての出陣になります。総兵力はおよそ二万」
その直茂の言葉に、おお、という驚きとも賛嘆ともとれる声がこぼれおちる。四天王らにとっても、それだけの数の軍を率いるのはかつてないことであった。
だが、疑問を抱く者もいた。主君に優るとも劣らぬ屈強な体躯の持ち主である百武賢兼は、外見に似合わぬ(?)思慮深さを感じさせる声で問いを発する。
「数だけなら、肥前中の男どもをかきあつめれば何とかなるとは思いますが、どうしたって錬度は落ちますぜ。むやみに兵力を増やすよりは、少数でも精鋭の兵を集めた方が良いと思いますが?」
これに対し、直茂は素直に頷いてみせる。
「百武殿の言はまことに正しいでしょう。敵より多くの兵を集めるのは兵家の常識ですが、質をともなわない軍は烏合の衆に過ぎません。よって戦の主力となるのは動員した兵の内、八千に限ります。これを四天王の皆様に率いてもらい、残りの一万二千は後方で私が統率し、糧道を固めましょう」
それを聞いた信常が怪訝そうな顔をする。
「それなら最初っから八千だけで良いんじゃないですかね、軍師殿?」
円城寺とならぶ姫武将である江里口家の当主は、戦に用いないならば、一万を越える兵に無駄飯を食わせる必要はないと考えたのだろう。
これに応じたのは直茂ではなく、それまで黙ってにこにこと一同を眺めていた信胤であった。
「数の圧力というのはなかなかにばかにできませんわよ、エリちゃん? それに一万に足りない軍勢では、どうしたって毛利家の後塵を拝することになってしまいますし、筑前の国人衆にも侮られてしまうでしょう」
「この年でエリちゃんはやめとくれよ、胤。でもまあ、なるほど、そういうことなら納得です。要は示威のためですね」
その信常の言葉に直茂はこくりと頷いた。
「はい。此度の戦の結果次第では、九国の勢力図は大きく様変わりするでしょう。今後の竜造寺家の行く末を左右する戦です。よって先に申しあげたとおり、竜造寺家は総力を挙げてこれに臨みます。皆様もそのように心得ておいてくださいね」
その言葉に込められた直茂の意図を汲み取り、信勝をはじめとした四天王は一斉に頭を下げるのだった。
◆◆
そして、軍議が散じた後。
「そういえば、以前、大友家の使者としていらしていた方はどうしているのでしょうね?」
不意に信胤はそんな言葉を口にした。
すでに隆信や信勝らは退出しており、軍議の間に残っているのは信胤と直茂のみである。あるいはこの話題を口にするために、わざと信胤はこの場に残っていたのかもしれない。
信胤が言わんとするのが誰であるかを直茂はすぐに察したが、生憎とその答えは持っていなかった。
「さて、どこでどうしているのやら。わざわざ敵国に赴いてまで南蛮神教の手法を伝えてきた以上、彼らを脅威とみなしていることは間違いないでしょう。にも関わらず、大友家の動きにこれといって変化は見られません。それほどに南蛮神教が大友家中で勢力を伸ばしているのか、あるいは宗麟殿の信仰心が篤いのか、いずれにしても雲居殿や、その主である立花殿が大友家の現在の在り様を正すことができなかったのは間違いありませんね」
「そうすると、とうに南蛮の方たちに除かれている可能性もあり、ですわね。今頃はどこぞに埋められているのかもしれませんわ」
のんびりとした調子で物騒な予測を口にする信胤であったが、直茂は特に気にする様子もなく(いつものことなので)わずかに首を傾げただけであった。
「胤殿に酔い潰されながら、それでも私と渡り合った御仁です。そう易々と敵に屈したりはしないでしょう。道雪殿の下で時節を待っているか、あるいは……私の考えすぎかとは思いますが……」
めずらしく直茂が曖昧な物言いをするのを見て、信胤は不思議そうに目を瞬かせた。
「あるいは、なんですの?」
「……それどころではない、という事態に襲われているのかもしれない、と」
「それどころではない? 当主は愚行に愚行を重ね、時を経れば豊前、筑前はおろか本国である豊後にも敵国の手が届きかねない状況よりも、なお悪いことが起きている、と? わたくし、とても想像できませんわ」
驚いたというよりは、突拍子のない考えに呆れたような信胤の言葉に、直茂はわずかに苦笑をもらす。
「そうですね。胤殿の仰るとおり、今の大友家を取り巻く状況よりなお悪い事態など、それこそ天変地異でも起こらぬ限りありえぬことだと私も思います。そして、そんな事態が起きているならば、なにがしかの報せが来ていておかしくない」
その報せがない以上、やはり何処かの地で時節を待っていると考えるべきだろう。直茂はそう判断したが、内心で首を傾げてもいた。
雲居筑前と名乗っていた大友家からの使者。その口から南蛮の侵略の手口と、南蛮神教が果たす役割について知ることが出来たのは、直茂にとって少なからぬ意味があった。ゆえにそれを教えてくれた相手には相応の感謝の念を抱いているが、それはあくまで私情であり、大友家に手心を加える理由にはなりえない。
そもそも、向こうからもそんなことは一切求められていないのだ。
では何のためにわざわざ肥前の地までやってきたのだろうと考えた直茂は、一つの推測を胸中で育んでいた。すなわち、大友家が内からの力で止まることが出来ない状況に陥ってしまった時、外からこれを止められる勢力をつくっておきたかったのではないか、と。
ただ、これは一歩間違えれば裏切りと判断されかねない所業であるし、雲居の為人にもそぐわないように思える。
雲居が南蛮勢力の排除を第一に考えるのであれば、あえて大友家に留まる理由はない。それをしない以上、雲居は大友家を大友家たらしめることを第一義としているはず。であれば、先の訪問はそのために竜造寺家を動かす深慮が秘められていると思われるのだが、直茂にはとんと見当がつかなかった。
すでに竜造寺家は毛利家からの締盟の使者に応じ、大友家を敵として筑前に大軍を向ける決定を下してしまっている。これは雲居にとって避けなければならない事態であったはずなのだ。
「まさか本気で私が恩に感じて、大友家に好意を持つと期待していたわけでもないでしょうに……」
「そこまでのお人よしには見えませんでしたわねー」
直茂の呟きに、信胤がうんうんと頷いてから、おとがいに手をあてて小首を傾げた。
「わたくしたちの手で平戸を討たせたかった、というのはどうでしょう? 南蛮神教の勢力をこれ以上拡げないために」
信胤が口にしたのは、先ごろ竜造寺家に降伏した平戸の松浦隆信のことを指している。松浦隆信は南蛮神教を熱心に保護し、自ら洗礼を受けて南蛮神教の信徒なり、平戸に大勢の南蛮人を受け入れて交易を盛んにし――つまりは豊後における大友宗麟の似姿であった。
先の筑前争乱の介入を未然に防がれた竜造寺家は、返す刀で松浦家を討ち、これを降伏させた。
この時、直茂が他の敵対勢力ではなく、松浦家を選んだのは南蛮神教の危険性を雲居に説かれた後である。松浦家を討つという決断に、雲居の言葉が一寸たりとも混じっていないかと問われれば、答えは否であった。
とはいえ――
「それは私も考えましたが、元々、当家と松浦家は犬猿の仲だったのです。くわえて平戸は交易の拠点として重要な土地。大友家が策を弄さずとも、遠からず私たちは矛を交えることになっていたでしょう。それは多少なりとも情勢に通じている者であれば簡単に予測できるはずです。あえて危険をおかして敵国に来る必要があったかと問われれば――」
「こちらがまともに話を聞くという保障もないですからねー。命をかけるには、少々危険と利益のつりあいがとれていませんわね」
「そのとおりです。くわえて、確かに平戸の南蛮勢力は私たちによって除かれましたが、逆に竜造寺家の力は大きく増しました。大友家――いや、ここはあえて雲居殿といいましょうか。雲居殿にとって、当家の勢力が増大するのは南蛮勢力が肥え太るのと同じか、それ以上の脅威のはずなのです」
竜造寺家が力を増せば、その分、大友家にかかる圧力が増すのは当然である。あるいは雲居は竜造寺家と松浦家が平戸をめぐって血みどろの乱戦を繰り広げることを期待していたのか。
だが、それならそれでもっと説きようはあったはずだし、竜造寺家を説いた後に平戸に向かわなければおかしい。南蛮の在り様と、南蛮神教の脅威を伝えただけであっさりと筑後川を越えて立ち去ったあの行動に、そんな底意があるとは考えにくかった。
他に考えられるとすれば、と直茂は目を瞑る。
たとえば……そう、雲居にとって竜造寺家以上に南蛮神教が脅威であったのならば。たとえ竜造寺家を利する結果になるとしても、平戸から南蛮色を消し去るために動くことはありえるかもしれない。
だが、これも可能性は低いと言わざるを得ない。近年、南蛮神教は九国各地で急速に勢力を拡げつつあるが、それはあくまで一つの宗教としてである。当面の敵国である竜造寺家よりも、南蛮神教を敵対視するなど考えにくいのだ。
それこそ南蛮神教が竜造寺家以上の武力を手に入れた、というならばともかく――
「…………まさか、そんなことが」
「どうかなさいまして?」
不意に動きを止めた直茂を見て、信胤が怪訝そうに声をかける。
直茂がその声に応じるまで、ほんのわずかだけ間が空いた。
「……いえ、何でもありません。どのみち、相手の思惑がどうあれ、此度の戦は避けられません。竜造寺家の隆盛のためにも、足元をすくわれることのないよう気をつけねばなりませんね」
「特に殿と木下さんの足元を、ですわね」
「ふふ、そういうことです。殿には私が注意を促しておきますゆえ、胤殿には木下殿のことをお任せしたいものです」
「あらあら、わたくし、さりげなく面倒な仕事を押し付けられそうですわね?」
ぷく、と頬を膨らませる信胤に、直茂は口元に笑みを湛えながら応じた。
「お二人はなかなかに良い組み合わせである、と私などは思っているのですが」
「そう言われても、木下さんが相手ではあんまり嬉しくありませんわね」
ころころと笑いつつ、何気に毒舌ぶりを披露する信胤であったが、最終的には仕方ないですわね、といって直茂の請いを受け容れた。
ほどなく信胤が軍議の間を辞すと、残ったのは直茂ただ一人となった。
その直茂はひとり軍議の間に座りながら、身動ぎ一つしない。何事かを深く考え込んでいる様子であった……