日向国 ムジカ
ムジカは南北を川に挟まれた守るに易い要地である。かつて大友軍は北の五ヶ瀬川をはさんで伊東軍と対峙し、これを陥落させた。
そして今は、南を流れる大瀬川をはさんで島津軍と対峙し、これを守ろうと奮戦している。
その日の戦況が動いたのは、まだ夜も明けない時刻のことであった。
初めに大友軍の将兵の耳朶をうったのは、癇癪を起こしたかのように猛然と撃ちかけられてくる鉄砲の轟音であった。大友軍の陣地を照らす篝火めがけて放たれる無数の弾は、川向こうからのものであるために命中率は極端に低い。だが、闇夜を裂いて響き渡る銃撃の大音響は将兵の眠りを妨げ、同時に不安をあおりたてる。いつ流れ弾が飛んでくるとも知れず、身を屈める大友軍将兵の顔には、またか、という苛立ちがはっきりと浮かび上がっていた。
しばし後、本陣の道雪に前線からの報告がもたらされる。とはいえ、鉄砲の音は本陣にも届いており、道雪はおおよその状況をすでに把握していたが。
「申し上げますッ! 島津軍の一隊がまたしても川向こうにあらわれ、鉄砲を撃ちかけてまいりました。昨日と同様、朝駆けをもくろんでのことと思われます!」
「わかりました。ただちに敵の渡河に備えるよう、皆に伝えてください」
「はッ!」
そういって駆け去っていく伝令の背を見送りながら、道雪は周囲の兵に気取られないよう、小さく息を吐いた。それはため息ではなかったが、限りなくため息に近いものではあった。何故といって、今のやりとりは昨日も、その前も、さらにその前の日も繰り返されたものだったからである。
現在、島津軍と対峙する大友軍の数は四千あまり。これは道雪が率いてきた戸次勢一千と、もとからこの地に派遣されていた佐伯惟教らの軍勢をあわせた数である。ムジカには今なお二万をこえる南蛮神教の信徒たちがいたが、道雪は彼らを戦力として数えることはしておらず、実質的に今この場にいる四千が、現在のムジカの全戦力であった。
この道雪の決断に関しては異論もあった。島津軍は一万三千の大軍であり、信徒たちを動員しなければ勝ち目がない、という意見は十分な説得力を持っていた。
しかし、南蛮神教の信徒たちは先ごろ行われた耳川の合戦で島津軍に敗れ、武器や糧食の大半を奪われるに至っている。神の敵を討つという宗教的熱狂はすでに失われて久しく、彼らを煽って征服者に仕立てあげた宣教師たちもムジカを去った。そんな彼らを戦力に組み込めば、敵を討つどころか味方の足を引っ張るのが関の山であろう。
道雪はそこまで直截的なことを口にしたわけではなかったが、信徒たちを前線に立たせるという意見には頑として応じようとしなかった。
結果、道雪は四千の軍勢を率い、対岸の島津軍一万三千と対峙するに至っている。
兵力差を考えれば、島津軍が即日総攻撃に出てもおかしくはなかったが、島津軍を率いる島津義弘は動かなかった。
急激に兵力を減じた大友軍の陣容を見て道雪の策謀を警戒したのか、自軍にも休養の必要ありと考えたのか、あるいは現在の四方の情勢をかんがみて、ここで無理をして道雪と雌雄を決する必要はなしと見極めたのか。そのいずれにせよ、義弘は大友軍に対して積極的な攻撃に出ることはしなかったのである。
しかし、だからといって義弘はのんべんだらりと大友軍と対峙したわけではない。大友軍の疲労を誘うかのように夜討ち朝駆けを仕掛けては退く、という行動を執拗なくらい繰り返した。
その方法はきわめて単純で、深更(真夜中)か、あるいは今のような夜明け前に大規模に鉄砲を撃ちかけて喊声をあげるのである。島津軍は基本的にはそれを繰り返すだけであり、いわば鉄砲を用いた示威に終始するのだが、時折急進して渡河をもくろむこともあり、大友軍は昼夜の別なく警戒をし続けなければならなかった。
川をはさんでのことであり、襲撃を仕掛けてもほどなく退却するため、両軍の被害はわずかしか出ていない。それこそ夜襲の訓練でもしているかのような島津軍の行動だったが、だからといって大友軍が気を抜いた対応をすれば、即座に全軍をあげて攻め寄せてくるであろう。
大友軍にしてみれば無視することもならず、かといって敵が仕掛けてくる都度、全軍を動かしていれば、ほどなく将兵は疲労と寝不足に悩まされるのは間違いない。というより、すでにそれは大友軍にとって無視できない問題になりつつある。
あたかも夏の夜の蚊のような島津軍の戦いぶりに、道雪は賛嘆とも慨嘆ともとれない呟きをこぼす。
「なんとも始末に困るやり方ですね」
噂に聞く鬼島津の戦いぶりとは異なることから、三女の歳久あたりの知略か、と道雪は考えていた。
別段、卑怯だの武士らしからぬ戦いぶりだのといって憤っているわけではない。耳川の合戦で大友軍から奪い取った火器を見せ付けつつ、彼我の兵力差を活かした戦いで確実に大友軍の士気をそぎとっていく。南蛮軍を撃ち破った島津にしてみれば、ムジカをめぐる攻防が長引いたところで大きな影響は出ない。それどころか、この地に宗麟と道雪を釘付けに出来れば、豊後以北の大友軍の苦戦は必至であるから、大友家を滅ぼすという面から見れば、戦いを長期化させる方が望ましいのである。
自分たちが大友軍に優る部分をしっかりと把握し、いやらしいくらい的確にそこを突いてくる攻め方は、いっそ清々しいほどに厄介であった。
むろんというべきか、道雪は何の思惑もなく防戦に追われているわけではない。半ば嫌がらせのような島津軍の攻勢をしのぎつつ、道雪はムジカを退去する準備を着々と整えていた。
実のところ、宗麟はいまだにムジカの放棄には迷いを見せているのだが、それでも道雪の考えを退けようとはしなかった。それは豊後の吉岡長増からもたらされた、ある報告を理由とする。
「――毛利軍、門司に上陸。その数、およそ四万五千」
報告の一部分を口にした道雪は、自然と表情を引き締めた。毛利軍の来襲自体は道雪の予測の内にあった。しかし、その数は道雪の予測を完全に上回っていた。
しかも、これは毛利軍のみの兵数であり、豊前、筑前の反大友勢力を吸収した毛利軍の数はたちまち五万以上に膨れ上がったという。
それは、かつて大友家が相対したことのない大軍であり、大敵であった。このままでは大友家に近しい国人衆や、大友家の内部でも動揺する者は現れるだろう。
――否、現れるだろう、などというのは悠長な考えだ。謀将として知られる毛利元就のこと、すでに九国各地に調略の手を伸ばしていることは間違いない。豊後を直撃するか、筑前を狙うかは定かではないが、これだけの大規模な出兵であれば相応の成算を持っているはず。実際、毛利軍が水軍や他の国人衆と連動して一気に豊後をついてくれば府内すら危うい、と道雪は判断していた。
この状況でムジカを保持したところで意味はない。ムジカに拘泥してムジカ以北の領土を失えば、結果としてムジカをも失うことになるのは明白である。島津家は南蛮神教を禁じており、日向北部の民は大友家と南蛮神教の信徒に深い恨みを抱いている。ムジカが陥落したとき、何が起こるのかは容易に推測できるだろう。
そんな事態を避けるためには島津軍を撃ち破るか、あるいは和議を結ぶか、いずれにせよムジカをめぐる攻防を早期に終結させる必要があるのだが、現状ではどちらもほぼ不可能といってよい。ゆえに少しでも余力がある間にムジカから兵を退き、府内に戻って家中の動揺をしずめつつ、毛利、島津両軍と対峙するべき、というのが道雪の考えであった。
今、聖都にこだわれば他の領土はもちろん、家臣も、領民も、信徒たちをも失われることになる――この道雪の説得を宗麟は受け容れた。
繰り返すが、宗麟は聖都を捨てることに納得したわけではない。それでも道雪の言葉に首を横に振らなかったのは、聖都に懸けた自身の願いよりも優先すべきものを道雪の言葉の中に見出したからに他ならない。
それを感じ取り、道雪は短く、けれどはっきりと安堵の息を吐いた。
だが、退却と一口にいっても、これは容易なことではなかった。島津軍の追撃はもちろんのこと、日向北部の民衆は先に大友軍が行った寺社仏閣の破壊や、それにともなう焼き討ちなどでこちらに激しい敵意を抱いている。大友軍の撤退を黙って見逃すはずがないのだ。
島津軍の嫌がらせ的な攻勢に対処しつつ、そちらの手配も整えなければならないとあって、今の道雪は猫の手もかりたいほどの多忙さの中にある。前を向いても後ろを見ても、それどころか右も左も難問が山積している状況である。しかも無事に府内に戻りついたところで、状況が好転する保証は何一つないときている。
やがていつものように「島津軍、退却」の報がもたらされる頃、ようやく東の空から曙光が差し込んできた。
道雪はわずかに目を細めて暁の光に目をやり、誰にともなく小さく呟いた。
「夜明けを迎えるためには深更を越えねばなりません。しかし、深更を越えたとて夜明けはすぐには訪れず、暗さに迷い、寒さに凍える刻は続いてしまう。今、わたくしたちは何時(いつ)を歩いているのでしょうね」
そう呟きつつ、しかし、道雪の眼差しは不思議と穏やかだった。二階崩れの変から今日まで続く混迷の夜がいつ明けるのか、道雪は明確に断言することができない。今なお夜は深く、大友家に曙光が差し込むのは遥か先ではないかとも思われる。
だがそれでも、道雪は微笑むことができた。夜明けがいつ訪れるかはわからない。しかし、確かに夜明けが近づいているという実感が胸のうちにあったから。
夜明けを思うことすらできなかったこれまでの道のりに比べれば、それがどれほど力を与えてくれるものか、道雪はうまく表現する術を持たなかった。
「――申し上げます!」
そんなことを考えている道雪のもとに、ひとつの報告がもたらされる。
それは先刻のように敵軍の襲来を告げるものではなく、後方のムジカにいる宗麟からの使者であった。宗麟からの言伝を聞いた道雪の口から驚きの声がこぼれる。
「鑑速どのが?」
豊後三老のひとりとして知られる臼杵鑑速がムジカにやってきたと知り、道雪は怪訝そうに眉をひそめた。現在の情勢で鑑速が豊後を離れるなど、よほどのことがないかぎりありえないこと。一体なにがと思いつつも、良い予感など覚えようがないゆえに、道雪は眉をひそめてしまったのである。
この懸念どおり、ムジカに戻った道雪に鑑速がもたらした情報は大友軍にとって凶報に他ならなかった。しかも一つだけではなく、三つ。
その一つは毛利軍の動向である。鑑速によれば、今回の毛利の遠征軍を率いるのは当主の元就ではなく、その世継ぎである毛利隆元。その隆元は水軍を率いる小早川隆景に命じて豊後に睨みを利かせつつ、自身は吉川元春と共に主力部隊を率いて筑前国に侵入、秋月、原田、筑紫らの国人衆を加えて軍容を膨らませながら大友軍の拠点を次々と撃破し、たちまちのうちに戸次誾が立てこもる立花山城を重囲下に置いたという。
凶報の二つ目は、この毛利軍の侵入と時を同じくして肥前の竜造寺軍が国境を突破、先ごろ高橋家を継いだ高橋紹運が守る岩屋城に攻めかかった、というものであった。もっとも、竜造寺軍が肥前で不穏な気配を示していることは紹運も察知しており、岩屋城にて竜造寺の矛先を受け止めつつ、後方の宝満城と連携してこれに当たる、というのが紹運の基本方針であることを道雪は紹運本人から聞いていた。ゆえにこの報告に関しては、凶報には違いないが、予想外の衝撃があったわけではない。
だが、三つ目の凶報に関しては、紹運はもとより道雪もまったく予想していないものであった。
紹運が岩屋城と共に対竜造寺戦の要と目していた――ということはつまり、筑前防衛の要と考えていた宝満城が、一夜にして陥落した、というのである。
これは紹運の戦略の根幹を突き崩す一大事であり、一連の凶報の中で間違いなく最大の衝撃をもたらした。
不幸中の幸いというべきか、紹運本人はすでに岩屋城に入って竜造寺軍と矛を交えていたため、その命に別状はなかった。しかし、高橋家にとって岩屋城はいわば出城であり、宝満城こそが本拠地である。その本拠地を一夜で陥とされたのだ。敵味方に及ぼす影響はきわめて大きいと言わざるを得なかった。
高橋家を継いで以来、紹運が精魂を込めて防備を整えてきた堅城が、どうして一夜のうちに陥落したのか。何者がそれを為したのか。
諸人の注目がその一点に集まったのは当然のこと。そして鑑速はその答えを携えていた。
宝満城を陥とした人物の名は高橋鑑種(あきたね)。
その名を聞き、宗麟は顔を蒼白にし、道雪の顔には苦渋が滲む。
それは先年、立花鑑載(あきとし)と共に筑前で反乱を起こした高橋家の元当主の名であった。
自害した立花鑑載と異なり、高橋鑑種はその死が確認されていなかった。主家に謀反を起こした者である。本来ならば徹底的な追及が行われるべきであったが、宗麟は一応は筑前周辺に探索の手を延ばしたものの、かなり早い段階でその手を止め、鑑種はいずこかで自害したものと判断を下していた。
この決定には宗麟自身の苦衷が少なからず関わっている。鑑種は二階崩れの変において死亡した一万田鑑相の実弟であり、宗麟が長いあいだ信頼してきた重臣でもあった。宗麟としては、鑑種を狩り立てるようなまねは避けたかったのである。
その鑑種が再び挙兵した。
鑑種にとって筑前はかつての領国、宝満城はかつての我が城である。これを陥落させるに、鑑種以上の適任者はいない。あるいは鑑種のみが知る抜け道があったのかもしれぬ。
ともあれ、宝満城が陥落したことで、岩屋城の紹運は孤立した。立花山城が毛利軍に囲まれた今、これを救援できる軍は筑前には存在しない。豊後の吉岡長増は道雪がムジカに赴くおり、毛利が筑前に入ればみずから筑前の後詰をすると口にしたが、今それをするためには、北方で虎視眈々と豊後をねらっている小早川隆景を何とかしなければならない。
だが、隆景率いる毛利水軍は精強であり、大友水軍は先年に痛い目を見たばかりである。早期にこれを退けることは至難の業であった。
このままでは遠からず大友家は筑前を失うことにある。しかも失われるのは領土ばかりではない。土地や城であれば後から取り戻すことも出来るが、将や兵はそうはいかないのだ。高橋紹運、戸次誾、小野鎮幸、由布惟信らをはじめとした忠臣、勇将、さらにはその配下の兵たちを一時に失えば、その痛手は筑前を失うことの比ではない。大友家にとって文字通りの意味で致命傷になりうる大損害である。何としても彼らを救い出さねばならなかった。
だが、彼らを救い出そうにも、宗麟と道雪はムジカから動けず、三老も豊後で身動きがとれない。現在の配置では大友軍は進退きわまってしまう。
臼杵鑑速がムジカにやってきたのは、この状況を動かすためであった。鑑速は三老の中では外交をつかさどる立場であるが、軍事に関しても十分な手腕と実績がある。鑑速がムジカに入って島津軍と相対し、宗麟と道雪には早急に府内に戻って大友全軍の指揮を執ってもらう、というのが三老が出した結論だった。
――鑑速本人の口からそう言われた道雪は納得と共に、少しばかりの違和感を覚えた。
鑑速の手腕に疑問を持っているわけではないが、島津軍と対峙するのであれば、それこそ三老の中で軍事を受け持ってきた吉弘鑑理の方が適任であろう。あるいはすでに鑑理は小早川隆景と戦闘を開始しているのであろうか。
その道雪の疑念に、鑑速ははじめに頷き、続いて小さくかぶりを振った。その奇妙な仕草の理由を鑑速は自身の口で説明する。
「今回の任、鑑理どのの方が適任である、というのは私も同意見です。実際、当初ここに来るのは鑑理どのの予定だったのですよ。それが急遽、私に変更になったのです。ただし、その理由は鑑理どのが毛利水軍との戦に出たからではございません」
その理由は、これからムジカで必要とされるのは鑑速の本領である外交の力である、と三老がそろって判断を変更したからであった。
では、どうして鑑理がムジカに赴く直前になって状況が変化したのだろうか。
そのことについて鑑速が説明をしようと口を開きかけたちょうどそのとき、今度は島津軍と対峙する前線からひとつの報告がもたらされた。
島津の軍中を通り抜けて、大友家の杏葉紋を掲げた一行が川を越えてきた、という報告であった。
◆◆◆
招き入れられた部屋で道雪どのの顔を見た瞬間、懐かしさを覚えた俺は少なからず戸惑った。だが、考えてみると道雪どのと最後に顔をあわせたのは、道雪どのが立花家の当主として筑前に赴いたとき――つまりは俺が誾の配下として高千穂に赴く以前のことである。あれからはや数月。懐かしい、というのは大げさかもしれないが、久しぶりだと感じるのはさしておかしいことではないだろう。
そして、道雪どのも案外、俺と似たような心持なのかもしれない。丁寧に挨拶を交わしてからその顔を見れば、柔らかい微笑の中に戸惑いの色がかすかに感じられた。
――いや、あるいは道雪どのの戸惑いは、この場にいる四人目に向けられているのかもしれない。俺と吉継、長恵のことは当然道雪どのも知っているが、頭を下げたままの四人目については道雪どのは知らなかったし、俺たちも伝えていなかったからだ。
だが、すぐになにがしかの理由があると察してくれたのだろう。道雪どのの表情からためらいが排される。その口から真っ先に出たのは、俺たちの無事を喜ぶ言葉であった。
「薩摩でのこと、長恵どのよりおおよそはうかがっています。筑前どのと吉継どのにこうして再びお会いできたこと、この道雪、心より嬉しく思いますよ」
久方ぶりに聞く澄んだ声音に促されるように、俺と吉継は同時に頭を下げた。
本来ならばこちらからも再会を祝う言葉の一つや二つ、発してしかるべきなのだが、俺にしても、吉継にしても、とてものことそんな気にはなれなかった。
むろん、道雪どのに含むところがあるわけではない。道雪どのはそんな俺たちの表情を見て、すぐに理由を悟ったようであった。自然、その視線はいまだに顔を伏せたままの四人目――黒髪の少女に向けられる。
「筑前どの?」
道雪どのの問う視線を受け、俺はなんと言うべきか、一瞬判断に迷った。少女――志賀親次についてはルイスを介してバルトロメウの船員たちから事情は聞きだした。意識を取り戻したトリスタンからも、少しではあるが話を聞いた。
それらを総合すれば、遣欧使節の一人としてゴアに派遣された少女の身に何が起こったのか、推測することは容易なことだった。そして親次自身の口から、その推測が大筋において間違いではないことは確認している――念のために言い添えておくが、直接に面と向かって確認をとったわけではない。あくまで遠まわしに色々と訊いた結果、まず間違いないと確信しただけである。
それらをここで口にするのは簡単だ。だが、それはさすがにはばかられた。とはいえ、それを口にしなければ話は進まない。
困じ果てた俺は親次の名を呼び、顔をあげるように言った。
応じて、おずおずと親次が頭をあげ、ためらいがちな視線を道雪どのに向ける。相手が余人であれば、親次はもっと淡々と応じたであろう。この少女がはっきりと内心の戸惑い、ためらいをあらわすのは、決まって宗麟さまや道雪どののことに話が及んだときだけであった。
道雪どのは俺が口にした名を聞いたとき、わずかに驚きを示した。聞き覚えがある名だったからだろう。
とはいえ、その顔には、まさか、という思いがはっきりと浮かび上がっていた。しかし、それも親次の顔を見た瞬間、陽光を浴びた氷のように瞬く間に解け去った。氷の下からあらわれたのは、純粋な喜びの表情。
それを見て、俺はわずかに顔を伏せる。その喜びが、すぐにも悲嘆の色に塗れてしまうことがわかっていたからである。
「親次……やはり親次ですか。驚きました、あなたがどうして筑前どのと――」
と、道雪どのはここで不意に口を閉ざす。親次の表情に、看過しがたい何かを感じ取ったのだろう。
次に俺に向けられた道雪どのの視線を受け、俺は背筋が震えるのをおさえることができなかった。ためらうこともならず、ごまかすこともできず。俺は、ただ知りえたことを伝えることしかできなかった。直截的な表現は避けたが、それでも道雪どのには十分に通じるであろう……
――話を聞き終えた道雪どのの顔を、俺はしばらく正視することができなかった。それは吉継も、長恵も、それどころか親次さえも同様であるようで、誰に言われたわけでもないのに、頭を深々と下げている。
室内に重い沈黙がわだかまる。その沈黙を破ったのは、親次に呼びかける道雪どのの声だった。
「親次、こちらに来てくれますか?」
はい、と応じる声は蚊のなくように小さなものだった。
おずおずと距離を詰める親次に対し、道雪どのは自身のすぐ前を指し示す。そして、親次がその場に至ったとき、道雪どのはためらう様子もなく、親次の身体を抱き寄せた。
「……あ」
親次の口から、驚きとも安堵ともとれない声がこぼれおちる。
道雪どのは親次への慰めや南蛮人への恨み、あるいは自身の悔いなどを口にすることなく、ただただ優しく親次を抱きしめ続けた。道雪どのの胸に顔をうずめている親次の表情はわからない。ただ、拒否するような声や仕草がなかったことだけは確かだった。
それ以上視線を向けることは礼を失しているような気がしたので、俺はやや慌てて視線をそらした。というより、俺たちはこの場にいていいものなのか。
吉継たちに視線を向けると、二人もほぼ同時に俺の方を見ていた。無言で見つめあった俺たちは、ここは部外者は席をはずす場面であろう、と互いの見解の一致を見て、こっそりと立ち去るべく腰を浮かしかける。
だが、結果から言えばこの気遣いは無用のものにおわった。
親次が道雪どのの胸の中で静かに寝息を発し始めたからだ。その顔は母に抱かれた幼子のように、深い安堵に包まれているように思われた。
侍女に命じて親次を別室に寝かしつけた後、道雪どのは俺たちを前に深々と頭を下げた。
「こたびの南蛮のこと、親次のこと。先ごろまでのことを含めれば、筑前どのには下げる頭が幾つあっても足りそうにありませんね……本当に、なんとお礼を申し上げたら良いのか」
「それがしがやりたくてやっていることです。道雪さまが頭を下げる必要はございませぬ。それよりも親次どののこと、あらかじめお伝えせずにいて申し訳なく思っております」
「書状で伝えることではない、と考えられたのでしょう? たしかに驚きはしましたが、筑前どのの判断は決して間違ってはいませんよ」
そういうと、道雪どのはわずかに顔を伏せ、ささやくように言った。
「――いつも笑顔の絶えない、明るい子でした。宗麟さまやわたくし、それに菊にとっては妹のようなもので、南蛮に赴くと口にしたときには止めるべきか否か、真剣に悩んだものです」
あのとき止めていれば、との思いが胸中にないはずはない。だが、道雪どのは俺たちを前に後悔を吐露したりはしなかった。現在の情勢を考えれば、過去を悔いている時間などない。そのことを、道雪どのは誰よりも承知しているのだろう。
そして、それを承知しながら、それでもその口からこぼれでてしまった今のささやきに込められた想い。それを理解できない者はこの場にはいなかった。
――室内におりた沈黙の帳を破ったのは俺だった。いつまでも物思いに沈んでいるわけにはいかない。やらねばならないことは山積しているのだ。
「――ともあれ、まずは今後のことを考えなければなりません。筑前の様子は今どうなっているのでしょうか?」
俺は気を取り直し、道雪どのに問いかけた。焦眉の急は島津軍との戦を終わらせることであるが、そのためにも現在の大友家を取り巻く情勢を正確に把握しておかねばならない。特に現在の豊後以北のことについて、俺はまったくといっていいほど知らずにいる。道雪どのであれば、そのあたりのことは知っているだろうと考えたのだ。
だが、道雪どのはそんな俺を見て、どこか困ったような表情を見せた。
不思議に思って目を瞬かせていると、道雪どのは表情を変えないままに、いつかどこかで聞いた覚えのある台詞を口にした。
「『九国の戦乱を鎮めるために越えるべき坂は、多分あと一つだ』――と口にされていたそうですが」
俺はぽんと手を叩く。聞き覚えがあったのも当然のこと。それは長恵が日向に発つ前に、俺自身が口にした台詞だった。
ついでに、俺は道雪どのが多分気にしているであろうことを察し、その口上を途中でさえぎった。
「共に越えてくださるおつもりですか――などと訊かないでくださいよ? それがしの考えは、府内ですでにお伝えしたはずです」
「……そう、でしたね。ひとたびその手にすがっておきながら、ここで迷いを見せても仕方ありません。筑前どの、いま少し、その力をお貸しください。この恩義、すべてが終わった後、わたくしのすべてでお返しいたしますゆえ」
「報いを望んでのことではありませんし、それにそのお言葉だけで十分すぎるほどですよ。道雪さまにそこまで頼りにされたのならば、張り切らざるをえません」
深い感謝の念を示す道雪どのに対し、俺はあえて軽く応じてみせた。時間がもったいなかった――というのは建前で、単純に照れくさかったのである。
だが、豊後以北の戦況を知り、そんな感情はたちまち霧散する。
「毛利軍だけで四万五千、これに竜造寺軍二万が加わり、筑前を東西から挟撃。しかも宝満城はすでに陥落……ですか」
ひどい戦況になっているだろうことはわかっていた。わかっていたが、これは正直、俺の最悪の予測さえ越えていた。この戦況では、おそらく筑前のほぼすべてが敵にまわっているにちがいない。否、筑前のみならず、豊前や筑後でも反大友勢力は次々に蜂起していることだろう。立花山城や岩屋城がそう簡単に陥ちるとは思えないが、しかしこれは――
「どう少なく見積もっても、敵の総数が八万以下ということはないですね……」
毛利と竜造寺だけで六万五千。これに秋月や原田、筑紫らの筑前国人衆らを加えれば、八万という予測でさえ楽観の謗りを免れない。まず間違いなく九万、下手をすると――
「十万を越えているでしょう。もっとも、毛利は小早川隆景の一軍を豊前に残し、府内をうかがっていますので、実際に筑前に進んだ兵はおそらく三万から三万五千というところかと思いますが」
「それを計算にいれても、軽く九万は越えますか。これは……」
まずい、という一言はかろうじて呑み込んだ。だが、この場にいる人たちにはあっさりと見抜かれたことだろう。
立花山城の誾や鎮幸、惟信らも心配だが、もっとも案じられるのは岩屋城の紹運どのだ。ただでさえ高橋家を継いで間もないというのに、いきなり要である宝満城を陥とされてしまった。しかもその相手が元当主である高橋鑑種だというなら、家臣や領民にも動揺が生まれているだろう。岩屋城の兵力がどれほどかはわからないが、あそこは堅城ではあっても、あくまで出城に過ぎない。おそらく紹運どのの手元にある兵は千か、多くても二千程度ではあるまいか。
その状況で竜造寺の大軍に四方を囲まれているとなれば、戦況は深刻であるといわざるをえない。紹運どのは知勇兼備の人物だが、竜造寺軍にはその紹運どのに匹敵しうる者たちが存在するのだ。
と、俺はここで先走る思考をかろうじて押さえ込んだ。
筑前の戦況を打開する前に、まずはムジカのことを考えなければならない。
ただ、幸いにもこちらの状況は俺の予測よりも大分マシであった。なによりの朗報は、すでに宗麟さまがムジカの放棄について了承していることだ。他に手段がないゆえの消極的同意、というあたりが正確らしいが、それでも宗麟さまがあくまでムジカに拘るだろうと考えていた俺の予測はものの見事に外れたことになる。
むろん、宗麟さまがムジカの放棄を了承したから万事が解決する、というわけではない。ムジカからの撤退が容易でないのは当然であるし、仮に首尾よく撤退できたとしても、島津が矛を下ろすわけではない。
『島津はゆえなく他国の使者を幽閉するような信義のない家ではありません。戻るというのならば、あなたがもたらした多くの成果に感謝をしつつ、快く送り出しましょう。ただし、いうまでもないとは思いますが、それは大友家との交誼を約束するものではありません』
とは、別れる際の歳久の言葉である。表情はどこか皮肉っぽかったが、おそらく歳久としてはせめてもの忠告のつもりだったのだろう。
ムジカを放棄する代わりに和議を、と大友家が申し出たとしても、歳久は冷笑と共に拒絶するに違いない。なぜといって、現在の戦況をかんがみれば、別に譲られるまでもなく島津軍はムジカを陥としうるからだ。現状で、大友家が島津家と和議を結ぶためには相当の譲歩を――それこそ降伏に等しいレベルの譲歩を示さなければならないだろう。
筑前のこと、日向のこと、豊後のこと。四方の戦況を打開するためには一刻も早く動かねばならないことはわかっている。だが、どこから手をつけていいものやらまるでわからない。
『たとえすべての情報を得られたとしても、成算を見出すことができないのではないか』――油津で脳裏をよぎった予感が、現実の重みをともなって胸にのしかかってくる。
諦めるつもりは毛頭ないが、この重みをはねのけることは難しいかもしれない。
俺がそんなことを考えたときだった。
「も、申し上げます」
あわただしい声が室内に響き渡る。室外から声をかけてきたのは侍女のひとりであると思われるが、その声にははっきりと驚きが感じられた。
「道雪さま、臼杵さまがお見えなのですが、こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
「鑑速どのが? 先刻、聖堂で顔を合わせたばかりだというのに」
「なんでも、急ぎ道雪さまと、それに雲居どのに引き合わせたい方がおられるとのことですが……」
その声に、俺と道雪どのは思わず顔を見合わせる。
聞けば、いましがた聞いた筑前での戦況をムジカにもたらしたのが臼杵鑑速である、とのことだった。豊後三老のひとり、臼杵鑑速のことはもちろん俺も知っている。その鑑速の話の途中で俺が戻ってきたため、宗麟さまが鑑速の報告を聞き、道雪どのは中途で席を立ってこちらに来てくれたらしい。
おそらく鑑速としては、宗麟さまはもちろん、道雪どのにも直接伝えておきたい重大事があったのだろう。宗麟さまへの説明を終えた足で道雪どのの下へとやってきた――ここまでは俺にもわかる。
だが、なぜそこで俺の名前が鑑速の口から出るのか、それがわからなかった。
「ともあれ、お待たせするわけにもいかないでしょう。いそぎお通ししてください」
「かしこまりました」
侍女の足音が出口の方に向かって遠ざかっていくのを聞きながら、俺は首をかしげる。
「道雪さまはともかく、それがしにも引き合わせたい方、というのはどなたでしょう?」
「さて、それはわたくしにもわかりかねます。先刻お会いしたときには、そういったことは特に口にしておられなかったのですが」
道雪どのも不思議そうだった。
まあ、その人物が誰であれ、いやでもすぐに会えるのだから、今考え込んでも仕方ない。俺はこの部屋に通されたときに出されて以来、手をつけていなかった茶碗に手を伸ばし、ぬるくなってしまった茶をゆっくりと口に含んだ。
その俺の姿に触発されたのか、道雪どのも、それに吉継と長恵の手も一斉にそれぞれの茶碗に伸びる。ぬるくなった茶で乾いた喉を潤していた俺たちの耳に、ほどなくして足音が聞こえてきた。
そして侍女に案内され、二人の人物が室内に足を踏み入れてくる。
ひとりは痩身の男性で、これは大友家重臣臼杵鑑速であった。同じ大友家の家臣とはいえ、俺と鑑速では身分が違うし、三老のひとりである吉弘鑑理のように戦場を共にしたこともない。府内で二、三度言葉を交わした程度の間柄であったが、もちろんその顔は覚えていた。
問題は、その鑑速に続いて室内に入ってきた、もうひとりの人物である。その人物は長い黒髪に楚々とした風情を併せ持った女性だった。しかも、ただ顔かたちが美しいというにとどまらず、穏やかな眼差し、たおやかな物腰の下には、名刀のごとく硬くしなやかな芯が確かに感じられる。
一目みれば、誰もがただものではないと感じ取れるような佳人が室内に足を踏み入れるや、道雪どのは目に賛嘆の色を閃かせ、吉継は思わずという感じで嘆声をこぼした。
――だが。
そういった感嘆とは似ても似つかない反応を示した者がいた。それも二人も。いうまでもなく俺と長恵である。
「ぐ、がはッ! げほ、ごほッ?!」
わずかに口に残っていた茶をあやうく吹き出しそうになった俺は、げふんげふんと激しく咳き込み。
「な、なな、な、なあッ?!」
それまで泰然としていた長恵は、人がかわったようにはっきりと狼狽を示し、ひたすら「な」を繰り返している。
そんな俺たち二人の突然の奇行を見て、道雪どのは目を丸くし、吉継は目を瞬かせた。鑑速もまた明らかに戸惑った表情を見せている。
ただひとり、当の女性だけは微塵も動じた様子を見せず、しごく落ち着いた眼差しで俺たちに視線を向けていた。
その女性に向け、俺と長恵の口から同時に呼びかけがなされる。
「ひ、ひ、秀綱どの?! な、なんでここにッ?!」
「お、おお、お師様?! な、なんでここにッ?!」
期せずして重なりあう二つの驚愕の声。
すると。
まるでその呼びかけがなされるのを待っていたかのように、女性――秀綱はその場でかしこまると、室内にいる者たちに向けて――より正確にいえば道雪どのと吉継に向けて口を開いた。
「立花さま、ならびに大谷どのにはお初にお目にかかります。越後守護上杉謙信が臣、上泉秀綱と申します」
そういって秀綱が頭を垂れると、その動きにあわせて艶のある黒髪がさらりと揺れた。なんというか、元々綺麗な人ではあったが、なんか輪をかけて綺麗になっていらっしゃる。言動の端々から伝わる凛とした雰囲気は以前にもまして澄み渡り、ただそこにいるだけで他者を教化してしまいそうなほどだ。一分のすきもない振る舞いも見事なもので、その挙措には気品さえ漂っていた。
そんな秀綱を前に狼狽しきりの俺と長恵は、周囲の目にはさぞ滑稽に映っているに違いない。それはわかっていた。わかっていたが、だからといってすぐに平静を取り戻せるものでもない。
というか、時間が経つごとに狼狽は増すばかりだった。どうして秀綱がここにいるのか。その意味を考えれば、落ち着いてなどいられない。
秀綱の名乗りを聞いた吉継は小さく息をのみ、道雪どのは目に思慮深げな光を浮かべ、秀綱の姿に視線を注いでいる。
沈黙の帳が下りた室内で、ただひとり詳しい事情を知らない鑑速が、戸惑ったように首をかしげていた。