岩屋城はその名のとおり、筑前国岩屋山の中腹に建設された山城である。岩屋山は北の大野山、水瓶山、大原山とあわせて四王寺山と総称され、古くは白村江の海戦で敗れた日本軍が、新羅、唐からの侵攻に備えるために大宰府を置いた地でもある。
かつては名実ともに九国の中心だった大宰府であるが、時が流れ、多くの国々が興亡を繰り返す中で、その重要性は次第に失われていき、北部九州の政治的、経済的中心地は北の博多津へと移っていく。
しかしながら、そのことにより、この地の軍事的価値が失われることはなかった。四王寺山周辺は、筑前、肥前、筑後の各勢力が境を接する角逐の地であり、ここをおさえておくことは、北部九州を制するにおいて必要不可欠な一手だったのである。
竜造寺家が真っ先に岩屋城に兵を進めた理由のひとつはここにある。
この地を大友家におさえられている限り、竜造寺家の筑前支配は夢想の域を出ない。逆にこの地を制圧できれば、筑前の中心地である博多津、立花山城への道は開かれ、さらに筑前、筑後の国人衆にも強い影響力を及ぼすことができるであろう。肥前一国の主で満足するならいざ知らず、九国征服を望む以上、岩屋城と宝満城、この二城を陥落させることは竜造寺家にとって避けては通れない道なのである。
本拠地である佐賀城を雷発した竜造寺軍二万は、まず東に向かって筑後川に達するや、すぐに北上を開始。筑後川、ついで宝満川にそって軍を北に押し進め、大宰府跡に本陣を据えた後、岩屋城を完全に包囲下に置いた。
この竜造寺軍の侵攻に対し、岩屋城に立てこもった高橋家の当主、高橋紹運はまったく動かなかった。より正確に言えば、動くことができなかった。岩屋城の兵はおよそ千五百、竜造寺軍の十分の一にも達しない寡兵であり、当主竜造寺隆信、軍師鍋島直茂、さらにはその配下の四天王らが勢ぞろいする竜造寺軍に対し、城外で戦を挑んだところで、いたずらに兵力を損じるだけであることは明らかだったからである。
竜造寺軍に城を囲まれることは覚悟の上。紹運が寡兵で岩屋城に立てこもったのは、この城が大軍が立てこもるだけの広さがなかったためであるが、同時に自らを囮として敵勢力を岩屋城にひきつけるためでもあった。
先の筑前動乱以後、大友宗麟が立花道雪と高橋紹運の両名に筑前の支配を委ねたのは隠れもない事実。竜造寺軍にとって、また他の反大友の国人衆にとっても、高橋紹運の首級は大きな意味を持つ。
くわえていえば、紹運はいまだ道雪ほどの武名を勝ち得てはおらず、その分、敵方にとってはくみしやすいという印象を与えてもいた。その紹運が孤軍、寡兵で岩屋城に立てこもれば、敵は功名目当てに集まってくるだろう。必然、他の大友勢力に対する圧力は減殺される。
そうして多数の敵を岩屋城に引きつけた上で、後方の宝満城と連携して包囲軍を撹乱し、勝機を探る。それが紹運の作戦だった。
宝満城を預かるのは紹運の腹心である尾山種速、兵力はおよそ三千。先年、高橋鑑種が一万を越える兵力をもって挙兵したことを思えば、この兵力は少ないように思えるが、紹運が高橋家の当主となって半年と経っておらず、信頼できる戦力はごく限られていたのである。
◆◆
筑前国 岩屋城
竜造寺軍と大友軍。岩屋城の南大手門において、この両軍の死闘の幕は切って落とされる。
「かかれェッ!」
竜造寺軍の先鋒を務めるのは、名高き竜造寺四天王の首座たる成松信勝。
常は寡黙な信勝であるが、ひとたび合戦の場に立てば、その号令は雷霆となって戦場に響き渡る。
成松勢は、まず挨拶がわりとばかりに筒先をそろえて城に鉄砲を射ち込んだ。
耳をつんざく轟音が、人間だけでなく山野の動物たちをも震え上がらせる。百を越える銃口から発射された銃弾は、山間の空気を切り裂いて岩屋城に襲いかかっていった。
その鉄砲隊の轟音が耳から去らぬうちに、成松勢の先鋒が喊声と共に突撃を開始する。
彼らに向けて城内から鉄砲や弓による反撃が行われたが、竜造寺軍の勢いに臆したのか、統率を欠いた反撃はまったくといっていいほど効果をあげられなかった。
否、統率を欠いたというよりは、単純に大手門を守る兵士が少ないのかもしれない。大手門に攻め寄せた成松勢はおよそ二千。すでにこれだけで城内の大友全軍を凌駕する数であり、一方、大友軍は城を完全に包囲した竜造寺軍に対処するため、山の各処に兵を配置せねばならず、ただでさえ少ない兵力を分散せざるを得ない状況に置かれていた。
大友軍の反撃に対し、お返しとばかりに成松勢の鉄砲隊が再び咆哮をあげる。さらに今度は、それに続いて千を越える火矢が城内に向けて放たれた。
分厚い城門や、頑丈な城壁はともかく、櫓や兵舎に火が回れば一大事である。一部の兵は突き刺さった火矢の始末にまわったが、これによって反撃はますます散発的なものとなっていく。
大手門はいわば城の正門であり、岩屋城に限らず、どの城であっても厳重な防備がほどこされ、攻城戦においては激戦となることが多い。
しかし、必勝の意気高く、昂然と刀槍を掲げて突き進んでくる竜造寺軍を前に、大手門の大友軍は完全に意気阻喪してしまったらしく、先鋒部隊はさしたる苦労もなく大手門へと到達することができた。
そのあまりの容易さに、信勝は喜ぶよりもかえって不審を覚えた。知らず、眉間にしわが寄る。
いかに兵力差があるとはいえ、大友軍はここまで脆いのか。
並の相手ならば、彼我の圧倒的な戦力差を前に臆したと考えるところだが、今の戦況でなお大友家のために戦っている者たちが、この程度の不利で怯むとは考えにくい。あるいは大手門は早期に放棄して、竜造寺軍を城内に引きずり込むことこそ敵の狙いか。となると、この脆さは竜造寺軍に慢心を与えるための策かもしれぬ。
信勝はそう考えたのだが、しかし、これはいささかならず気が早かった。
大友軍の反撃は、成松勢が大手門に達した、まさにその瞬間から始まったのだ。
「――放てェッ!!」
鮮烈な号令は、竜造寺軍の喊声を、そして山野に響く鉄砲の轟音をもたやすく貫き、敵味方を問わず、すべての兵士の耳にはっきりと轟いた。
それまでろくな反撃を行わず、戦意を失ったかのように静まり返っていた城内から、すさまじいまでの銃声が沸き起こる。
それは岩屋城城主 高橋紹運の直接指揮による反撃開始の合図であった。
弓矢であれ、鉄砲であれ、険阻な山道の下方から上方へ向けられたものより、その逆の方が威力、精度ともに上回るのは当然のこと。ましてや、互いの顔が確認できるほどの至近に迫った敵に向けて射放つのだ。その命中率は竜造寺軍の比ではなかった。
元々、南蛮との交易で国を富ませてきた大友家が保有する鉄砲の数は、九国はもとより、日本全国を見回しても随一といえる。あらかじめ篭城戦を想定していた紹運が、それに対する備えを怠るはずもなく、時に麾下の兵が音を上げるほどの訓練を重ねて今日という日に備えてきたのである。
大手門に詰めている兵力はおよそ四百五十名。鉄砲の数は二百弱。
成松勢二千は、不幸にもこの四百五十名の訓練の成果を我が身で確かめることになった。
最初の一斉射撃で倒れた兵士は、軽く百を越えたであろう。
さらに癇癪を起こしたかのように、続けざまに炸裂する鉄砲の音。
紹運は最初の一撃の後は、あえて攻撃を揃えず、準備の出来た兵士から次々に撃たせた。その方が敵の士気を殺ぐのに効果的だと考えたのである。
繰り返すが、外す方が難しい至近距離からの射撃である。あえて筒先を揃えずとも、命中させることは難しくない。鉄砲を持たない兵士は続けざまに矢を放ち、これも面白いように命中していく。
成松勢は降り注ぐ矢弾の驟雨によってばたばたと地面に倒れ伏し、大手門前は瞬く間に血と臓物の臭いで溢れる戦場(いくさば)へと変じていった。
苛烈な反撃を受けた竜造寺軍は一時騒然としたが、信勝が手ずから鍛え上げた精兵の立ち直りは早かった。
もとより、反撃は覚悟の上の突撃である。成松勢は少なからぬ犠牲を出しながらも、大兵を利して城門を撃ち破るための準備を完了させた。
「報告ッ! 大手門前、確保いたしました!」
伝令の報告を聞いた信勝は一度だけ大きくうなずくと、次なる命令を下した。
「よし。門壊を開始せよ」
「ははッ、門壊を開始いたします!」
ここで竜造寺軍が持ち出したのは破城槌――というと聞こえが良いが、なんのことはない、大木を削っただけの木槌である。
これを何十人もの兵士の力で城門にうちつけ、力ずくで門扉を破壊するのだ。
とはいえ、門の破壊に取り掛かれば、大友軍の反撃はこれまでにもまして熾烈なものとなるだろう。
門壊に従事する兵士たちを援護するために、信勝は自身の本隊を含めた後陣全体を押し上げた。城との距離をつめれば、竜造寺軍の鉄砲や弓矢も効果を発揮するようになる。そうなれば、大友軍の反撃も勢いを失おう。
さらに信勝はいくつかの部隊に命じて、大手門近くの城壁に兵士たちを取り付かせる。二千の成松勢が一箇所に固まっていれば、大友軍も少ない兵力をそこに集中させることができる。逆に、分散して布陣すれば、向こうもこれに対応せざるを得ない。ほうっておけば、そちらの方面から城内に侵入されてしまうからである。
まず、城を包囲することで敵部隊を分散させる。次に、攻め口を複数つくることでさらに敵兵を分散させる。信勝は、軍師鍋島直茂の指示に従い、兵力に優るという一事をこれでもかとばかりに活用し続けた。
いかに大友軍精鋭なりといえど、これをやられては反撃にも限界がある。とはいえ、それで両手をあげて降参できる戦いではない。
兵が足りないなら、一人が二人分の働きをすればいいのだ、とは紹運の側近である萩尾麟可の一子、萩尾大学の言葉であった。
そうして、両軍が血みどろの攻防を続けている最中、信勝は前線の兵士から座視し得ない報告を受けた。
「城主が大手門の指揮を執っているだと。まことか?」
「はッ、門を指揮する女将の顔を見た者が間違いないと申しております。その者、以前、わずかですが大友家に仕えていたことがあるそうで、その時に見たスギサキの武人に間違いなし、と」
「……わかった。相手が高橋どのとあらば、大手門の反撃の凄まじさも頷ける」
だが、城主が大手門の指揮を執るなど妙な話。もしここで紹運が討たれてしまえば、それで岩屋城はおしまいだろう。
いっそ、そうするべく部隊を動かそうか、と信勝は考えないでもなかったが、しかし、下手に紹運の首級を目的にしてしまうと、功名に逸った将兵が勇み立って、かえって損害を深めてしまう可能性があった。
ここは妙な欲を出さず、作戦どおりに兵を進めていくべきであろう。それこそが、もっとも大友軍にとって苦しい選択であるはずだった。
そう考えた信勝は、さらに攻勢を強めると共に、岩屋城内の大友軍の注意が大手門に集中しつつあると見て取り、待機している僚将に伝令を飛ばした。
「江里口どのに伝えよ。攻撃を開始されたし、とな」
◆◆
成松信勝からの命令を受け、勇み立った武将の名は江里口信常という。
竜造寺四天王のひとりにして、円城寺信胤と並ぶ姫武将、竜造寺家の双華の一方である。さらにいえば、勇猛なること無比、との評を持つ家中一の勇将でもあった。
攻撃開始を今か今かと待ち構えていた竜造寺家きっての勇将は、槍をしごきつつ口を開く。
「よっし、やっと来たか。成松どのだけで片付ける気かと思ったよ」
信常はそういって破顔すると、自身に付き従う配下の顔を眺め、高らかに告げた。
「江里口隊、ようやっと出番が来たぞ! あたしに続けェッ」
戦場の騒乱を貫いて響く信常の澄んだ号令。信常麾下の猛者たちは将の号令に喊声で応じ、真っ先に駆け出した主の背を追うように岩屋城へ向けて攻め上がっていく。
この時、江里口勢が向かったのは大手門ではない。成松勢二千が寄せている大手門に、江里口勢二千が加わっては、敵前で味方同士がおしくらまんじゅうをすることになりかねぬ。 江里口勢が向かったのは、岩屋城を守る砦の一つ。大友軍が二条の砦と呼ぶ拠点であった。
この江里口勢と相対したのは、この方面の指揮を任されている萩尾麟可である。
将兵一丸となって迫り来る江里口勢を、萩尾は鋭い眼光で睨みすえた。萩尾の眉は猛禽が翼を広げたような形をしており、生来の眼光の鋭さとあいまって、見る者に精悍さを強く印象づける。
その印象を肯定するように、萩尾の声は静かでいて、力強さと落ち着きを同時に感じさせた。わずか百名あまりの砦に、二千近い敵兵が迫っているというのに。
「江里口の跳ね馬どのか。相手にとって不足なし」
そう呟いた後、萩尾は麾下の兵に命令を徹底させるべく、再度口を開いた。
「鉄砲隊、弓隊、ともに敵が二十まで近づいたら攻撃を開始せよ。ただし、敵が城壁に取り付いた後は弓鉄砲に固執するなよ。用意してある石も油も存分に使え。物を惜しんで勝てる相手ではない」
と、兵に訓示する萩尾のすぐ傍らの垣楯に、敵の矢が音をたてて突き刺さる。おそらくは江里口勢の弓自慢が射たものであろうが、もうすこし狙いがそれていれば萩尾は射倒されていただろう。
周囲の兵士は肝を冷やしたが、当の萩尾と、もうひとり、その傍らに控えている息子の大学は微塵も動じた様子を見せなかった。二人ともに、江里口勢が放ったその矢が届かないことを見切っていたのである。
萩尾は垣楯に突き刺さった矢を無造作に引き抜くと、矢がまだ使い物になることを確認し、それをそのまま己が弓に番えた。
「父上」
諌めるような息子の声に、萩尾は小さく笑った。
「なに、挨拶がわりだ」
そして、敵陣に向けて矢を射返す。
萩尾の弓勢は、紹運麾下の精鋭の中でも一、二を争う。放たれた矢は宙空を切り裂き、江里口勢の先頭を走っていた一人の兵士の額をものの見事に射抜いていた。
◆◆
萩尾麟可の強弓を目の当たりにした大友軍から感嘆の声がわきあがり、反対に竜造寺軍からは驚愕の声がたちのぼる。
江里口勢は止まりこそしなかったが、突撃の勢いはいささかならず殺がれてしまった。
ほどなく両軍は城壁をはさんで激突したが、数に劣る大友軍を相手に、竜造寺軍は苦戦を強いられてしまう。さきほどの矢の応酬の影響が尾を引いていたこともあるが、なんといっても地形が悪すぎた。
岩屋山は標高自体は大して高くないのだが、山中の地形は起伏に富み、岩屋城を難攻の要害に仕立てている。当然、防御拠点の縄張りにはこの地形が活かされているし、それ以外にも各処に大友軍の仕掛けが施されている。一朝一夕に拠点を奪えるものではなかった。
江里口勢の苦戦を後陣から見やり、困惑したように頬に手をあてたのは円城寺信胤である。
「あらあら、エリちゃんが大変そうですわ。といって、成松さんに待機を命じられているわたくしが勝手に隊を動かすわけにもいきませんし」
そういいつつ、円城寺の弓姫は背負った矢筒から一本の矢を取り出す。他の矢よりも一際長く、頑丈であり、矢羽には鷹の尾羽が使われている最上級の一品である。一家の主である信胤といえど、そう何本も持てる物ではない。真紅に塗られた矢柄の中ほどに、鮮やかな黒文字で「円城寺信胤」の名が明記されているのは、稚気に駆られてのことだろうか。
「堅物の成松さんとはいえ、この程度の独行は大目に見てくれましょう」
よいしょ、と気の抜けた声で、信胤は弓に矢を番えた。
周囲の兵士がこれに倣おうとしないのは、到底城に矢が届く距離ではないからだが、信胤はなんら気にすることなく、視線を城壁上の萩尾麟可に据えた。
――瞬間。
信胤の瞳が底光りする。寸前まで漂わせていた暢気さは一瞬のうちに霧散し、残ったのは息をのむほどに張り詰めた空気だけ。
信胤は矢を放つ。力みはなく、気合もなく、まるで稽古場での試し矢のようなそれは、だが、信胤の弓からはなれた途端、まるで命を得たかのようにすさまじい勢いで宙空を駆け抜ける。あたかも迅雷のごとく、放物線を描かずにまっすぐに。その弓勢は、さきほどの萩尾麟可のそれを明らかに上回っていた。
警戒していたのならばいざ知らず、通常射程の外からこの矢に狙われてしまえば避けようがない。江里口ら四天王をして「胤(どの)が敵でなくて良かった」としみじみ語らせる、これが円城寺の弓姫の神技であった。
そうして、矢は狙いたがわず萩尾麟可の胸を射抜く――はずだった。
しかし、寸前、動いた者がいた。
父の傍らにいた萩尾大学は、視界の端できらめく真紅の輝きに気づくや、ほとんど反射的に刀を一閃させていた。
その刀は確実に信胤の矢を捉え、それを見ていた信胤は思わず目を丸くする。
並の矢であれば、大学の一撃で砕き折られ、萩尾麟可は無傷で済んだであろう。
だが、信胤秘蔵の一矢は弓勢の助けもあり、わずかに狙いをそらしたものの確実に萩尾の左肩を射抜いていた。
もんどりうって倒れる萩尾の姿を見て、城壁上の大友軍が目に見えて動揺する。
反対に竜造寺軍からは、江里口、円城寺勢を中心として大きな歓声がわきおこったが、その歓声を浴びる信胤の顔は、いまだ矢を射た時の迫力を保ったままであった。
「……すごいですわね。この戦況で、この距離ならば、わたくしの姿に気がついていたということもないでしょうに」
確かに信胤の矢は目立つが、弓勢を考えれば、宙空を駆ける矢を見てから刀で迎え撃つことなぞ出来るはずもない。
しかし、今しがた、あの若者は確かにそれをしてのけた。おそらくは、咄嗟に振るった刀がかろうじて当たったのであろうが、それにしてもあの反応の速さは尋常ではない。
信胤が、弱冠にして高橋家屈指の武勇を謳われる萩尾大学の名を知るのは、もう少し先のこと。
この時、信胤は自身の矢に触れた若者の名を知らず、知らぬままにこの合戦の行く末に好ましからざる予感を抱いていた。
「これでエリちゃんも少しは攻めやすくなるでしょうけれど……」
眼前で指揮官を射倒された大友軍の混乱をついて砦に迫った江里口勢は、次々に梯子を立てかけて城壁を攻め上っていく。
だが、その前に立ちはだかったのは、やはり先の若武者であった。
何かを声高に叫びながら、押し寄せる江里口勢を次々に切り倒していく。その奮戦を見て、城壁上の大友軍の混乱が、徐々にではあるが静まっていくのが信胤にははっきりと見て取れた。それどころか、射倒したはずの敵将萩尾麟可までが、負傷を押して兵士たちを指揮しはじめているではないか。
信胤は再び背の矢筒に手を伸ばしかけたが、すでに江里口勢の何人かは城壁上に達しており、混戦は刻一刻、その激しさを増しつつある。弓姫といえど、さすがにこれではどうしようもなかった。
信胤は、ほぅっと息を吐き、背にまわした手をもとに戻す。
すると、寸前まであたりに満ちていた重圧が夢であったかのように消えうせた。近くにいた円城寺の兵士のひとりが、安堵したような吐息をこぼす。
それに気づかなかったのか、あるいは気づいていても咎めだてすることではないと考えたのか。信胤は弓をしまいながらひとりごちた。
「……もとより、容易く城が落ちると考えていたわけではありませんけれど、これは少々本気でてこずりそうですわね。百武さんと木下さんの二人に期待……しても良いものかどうか」
信胤はうーんと首をかしげる。
百武賢兼と木下昌直の二人は、岩屋城の裏手にまわり、そちら側からの攻撃が可能かどうかを調べている。百武はともかく、何かと騒がしく、ついでに手柄にうるさい木下を裏手にまわしたのは鍋島直茂の判断である。
なにかと予想外の行動をとる木下ならば、正統派の武将である百武には思い浮かばないような奇想や発見があるかも、と期待してのことだった。より正確には、木下本人にはそういう説明がなされていた。
「あれはあれで偽りではないでしょうが、軍師さまは手柄に逸った木下さんが猪突して討たれる可能性をおもんぱかったのでしょう。となると、やはりある程度の苦戦は予測されていた、ということですわね」
問題は、岩屋城の抵抗が直茂の予測の内に収まるものであるか否か、その一点。
そんなことを考えつつ、信胤は行儀良く床几に腰を下ろす。
成松信勝からの命令が来るとしたら、味方に攻め疲れの色が出てきた頃合だろう。となれば、今しばらくは敵味方の動きを観察しつつ、英気を養っておくべきだった。
◆◆
「そんなことより夜襲しようぜ!」
もう何度目のことか、木下昌直が夜襲を主張するのを聞き、百武賢兼は内心で深々とため息を吐いた。
聞き分けの悪い僚将に対し、勝手にしろと言ってやりたいところだが、一見粗暴に見えて、その実、思慮分別に富む賢兼は、鬼面の軍師が自らに課した役割を承知していた。昌直の短慮を掣肘する、という役割を。
「だから何度言ったらわかる、木下。わしらの任務は裏手からの攻撃が可能かどうかを調べることであって、実際に攻めよとは鍋島どのは一言もおっしゃっていなかったろうが」
「んなこと言ってたら、手柄なんていつまで経ってもたてられねえじゃんか。もうじき日が暮れちまうけど、まだ城は落ちてねえ。つまり、成松どのたちはしくじったってことだろう? ここで俺たちが城を落とせば一番手柄間違いなしだぜッ」
「確かにな。だが、落とせればの話だ。ただでさえ夜襲は危険が大きい。まして不案内の山中をのろのろ攻め上ってみろ。敵にどうぞ討ち取ってくださいと言うようなもんだ」
「はッ! そんなもん、奴らが迎え撃つ暇もないくらい、速攻で攻めれば良い話だろうが!」
「それができれば、誰も苦労せんわ」
「俺ならできる! だから夜襲しようぜ!」
いっそ堂々と胸を張って断言する昌直を見て、賢兼は半ば本気で言うとおりにさせてみようかと考えてしまった。痛い目にあって突撃癖が矯められれば幸い、討たれたとしても昌直の自業自得というものだ。しかし、道連れにされる兵士たちが気の毒だと思い、危うく踏みとどまる。
その賢兼の顔を見て何を思ったのか、昌直は真面目な顔で言い足した。
「いや、けど実際さ、成松どのにエリさんに胤さんが攻めて、一日で落ちなかった城だろ? まともにやってたら、落ちるまで何日かかるかわかんねえよ。いつだったか軍師どのが、奇襲ってのは予想できない所から攻めるから奇襲なんだって言ってたけどよ、百武の旦那から見て夜襲が無謀だってんなら、敵さんもおんなじこと考えてんじゃねえかな。だったら、ここで攻めれば敵さんの裏をかけるだろ?」
「ほう」
思わず、賢兼の口から感心したような声がこぼれた。
「お前さん、案外いろいろと考えているんだな」
「そりゃま、俺だって竜造寺四天王のひとりだからな。ちったあ物を考えるさ」
ふふん、と胸をそらす昌直を見て、賢兼は意地悪く笑う。
「なるほど、胤どのの薫陶の賜物だな」
ひいては軍師である直茂の配慮のおかげでもあろう。賢兼が内心でそう付けくわえる。
一方、昌直は酢でも飲んだような顔で言葉に詰まっていた。
「う……い、いや! そらまあ多少は胤さんのおかげってのも否定はしねえけど、大半は俺の努力のなせる業ってやつで、はっきりいっちまえば胤さんに要らない世話を焼かれたみたいなもんよ!」
「ほうほう。では胤どのにはそう伝えておくか。一言一句、正確に」
「やっぱり胤さんのクントーあっての俺だぜ! 弓姫さま万歳ってなもんよッ!!」
そんなしょーもない会話を交わしつつも、そこは竜造寺軍でもその名を知られた二人である。きちんと任務は遂行していた。
しかし、成果の方に関しては今ひとつ、というしかない状況だった。
大友軍の警戒は城の裏手にも及んでおり、要所要所に築かれた拠点には少なくない数の兵が篭っている気配が感じられる。
偵察、ということで、賢兼と昌直が率いてきた兵力は百名あまりしかおらず、これでは攻めようがない。しかし、仮にこの十倍の兵を連れてきて攻めかかったとしても、一日二日では拠点のひとつも奪えないだろう。賢兼はそう見て取った。
「見事な縄張りだな。高橋紹運、あの宗麟が鬼道雪と共に筑前の守りを委ねただけのことはあるようだ」
「そうかい? 力ずくで攻めたてりゃ、なんとでもなる気がするけどな」
「ま、それも間違いではない」
昌直の反駁を、賢兼はあっさりと受け容れた。
賢兼にかぎらず、竜造寺軍の諸将は、岩屋城の堅固な防備を見て苦戦は免れないと考え始めている。しかし、それは「城を落とせない」という判断とはまったく別のものであり、時間と兵力を費やせば必ず落とせるという自信はゆるぎないものだった。
おそらくは十日、てこずったとしても半月。それが賢兼の考える、岩屋城を落とすために必要な時間である。
しかし。
「時も兵も貴重なものだが、わけても今回はそうだ。岩屋城を落とすのは対大友戦の緒戦だからな」
岩屋攻めの後には宝満城攻めが待っているし、さらにその次は立花山城だ。戦況によっては、豊後になだれ込むことも十分に考えられる。こんな小城で時間と兵力を損じるのは避けたいと考えるのは当然のことだった。
むろん、それは竜造寺軍からみてのことであり、大友軍はまったく逆のことを考えているだろう。
そして、現在の戦況は大友軍の想定どおりに進んでいる。これを覆すには、あるいは昌直が口にした夜襲のような、予想外の一手が有効かもしれぬ。
いつか真剣に昌直の言葉を考慮しはじめた賢兼。その耳に、不意に素っ頓狂な昌直の声が飛び込んできた。
「お……お、おォ?! 旦那、百武の旦那! あれ見てくれッ!」
「なんだ木下、やかましいぞ。敵に気づかれたらどうする……って、なにィッ?!」
面倒そうに昌直を見やった賢兼は、その指差す方角を見て、寸前の自分の注意を忘れ、昌直にまけずおとらずの素っ頓狂な叫び声をあげてしまった。
今、二人は岩屋城の裏手――岩屋山の北側の山腹を、城への攻め口を探してうろうろしている。
そして、この岩屋山から平野ひとつをはさんだ向こうの山が宝満山であり、その山頂に宝満城が存在する。
つまるところ、地勢や草木の繁茂具合にもよるが、岩屋山から宝満城を望むことは可能なのだ。もちろん、宝満城は遠く山頂にあるのだから、細かいところまでは観察しようもないが、それでも。
暮れ行く空の下、彼方の宝満城が炎に包み込まれている光景は、見紛いようがないものであった。
◆◆◆
大友軍にとって、そして竜造寺軍にとっても予想外の出来事であった宝満城の陥落。
その経過は次のようなものであった。
先の筑前の乱の後、宗麟の命によって高橋家を継いだ紹運は、高橋家の旧臣の多くを以前と同じ俸禄で召抱え、これまで紹運を支えてきた家臣たちとまったく同じ待遇を与えた。
家臣の間で諍いが起きれば、情をはさまずに公平に判断を下し、その公平さは、たとえ処罰される側が古くから自分に付き従っている者であっても損なわれることはなかった。
当初、高橋家の旧臣たちは紹運の言動に懐疑的であったが、しかし、大友家の筑前支配の基を固めるべく、日々領内を奔走する紹運の傍にいれば、その誠実な為人が利害や打算にもとづくものでないことは自ずと伝わってくる。
紹運の公明正大な態度は、ゆっくりと、しかし確実に、旧臣たちの疑心を溶かし、わだかまりを解き、高橋家は新たな当主の下、新旧の垣根を越えて結束を固めていった。
だが、すべての対立が解消されたわけではなかった。
北原鎮久という人物がいる。先の高橋家の重臣、つまりは立花鑑載と共に謀反を起こした高橋鑑種(あきたね)の家臣であり、先ごろの合戦では宝満城を主君から預かっていた人物である。
本城を主君から託されたことからわかるように、鎮久は高橋鑑種の下では重臣筆頭というべき地位にいた。だが、その後、主君鑑種は大友軍に敗れて行方知れずとなり、立花山城は陥落。さらに秋月軍が敗れ、毛利軍が筑前から手を引くに及んで、完全に孤立した鎮久は、旧領安堵を条件に大友家に下り、そのまま紹運の麾下に編入されていた。
そして、この北原鎮久を、紹運は腹心の尾山種速、萩尾麟可に並ぶ重臣として取り立てたのである。
鎮久は「勇あって智なく、貪欲無道」と称される為人であり、反乱における進退から、その評が偽りでないことを紹運は承知していた。にもかかわらず、紹運が鎮久を重用した理由は幾つかあるが、その最たるものは重臣筆頭であった鎮久を重んじる姿勢を見せることで、他の旧臣たちの心を慰撫するためであった。反乱に深く関与していた鎮久が、新たな高橋家の中できちんとした席が与えられているところを見れば、他の旧臣たちの不安も和らぐであろう。
そして、この紹運の配慮は、少なくとも当初は有効に作用する。
鎮久は立花、高橋両家の反乱を瞬く間に鎮圧し、さらには毛利、秋月勢をも退けた立花道雪の武威には心底から恐れ入っていたし、紹運の計らいには恩も感じていた。また、若年とはいえスギサキたる紹運の武勇を聞き及んでもいたので、その下につくことに関してはさしたる抵抗を覚えなかったのである。
だが、紹運の側近である尾山種速、萩尾麟可らと同列に扱われることについては、口には出さないものの不満の色をちらつかせていた。
紹運の下につくのは良い。だが、長らく高橋家の重臣筆頭を務めていた自分が、どうして身代、家格ともに自分に遠く及ばない尾山、萩尾づれと肩を並べなければいけないのか、と。
その不満がはっきりとしたものに変じたのは、やはり紹運が宝満城の城代に尾山種速を指名した後であろう。紹運にしてみれば、自身が岩屋城に赴くにあたり、もっとも信頼できる人物に宝満城を託すのは当然のことであったが、鎮久にしてみれば、自身が尾山の下に置かれるこの人事は承服しがたいものであり、何かと理由をつけては尾山の指示に逆らうようになった。
尾山はモノのわかった人物なので、常日頃は鎮久を立てて不満をなだめていたのだが、戦雲が筑前の地を急速に包み込んでいくにつれ、それも難しくなっていった。
ことに今回の戦は厳しい戦況となることが予測されており、紹運から宝満城を託された尾山は、城代として城内を厳しく統制せざるを得ず、結果、鎮久にとっては不快感の募る日々が続くことになったのである。
――そんな鎮久の心情を、城の外から的確に見抜いている人物がいた。
筑前国人衆のひとり、秋月種実(たねざね)である。
高橋家は、立花家と並ぶ大友家の両翼として、秋月家とは幾度も矛を交えている。当然のように、両家は互いの軍法や陣立て、あるいは重臣たちの人柄等を熟知していた。
当主である種実は長らく安芸国で毛利家の庇護下にあったが、重臣の深江美濃守らからそういった情報は細大もらさず聞き出しており、北原鎮久の為人もよく心得ていた。
毛利隆元、吉川元春と共に筑前に侵攻した種実は、国境で隆元らと別れると、密かに秋月家の旧領に潜伏する。この時、秋月家の居城であった古処山城は大友家の所有となっていたが、今回、種実はそちらには手を出さず、宝満城の攻略に専念した。
古処山城を落とすことは可能だが、そうすると種実が秋月領に舞い戻ったことが大友方に知られてしまう。結果として、宝満城の備えがより堅固になってしまうだろうことを種実は案じたのである。
種実に作戦を説明した際、毛利隆元は次のように言った。
「毛利軍が立花山城を包囲し、その一方であなたがたが宝満城を陥落させれば、古処山城の大友軍は孤立します。古処山城に援軍を派遣できる大友軍は、少なくとも筑前にはいません。彼我の戦力を鑑みた場合、彼らは降伏しなければ豊後に退却するでしょう。あくまで城に立てこもって抗戦する可能性はごくごく低いと見て良いです。ですから、種実、古処山に秋月の家紋を翻らせるのは、それを確認してからにしてください。その慎重さを見て、あなたを迂遠だと笑う者がいたら、私がとっちめてあげます」
だから、急いて事を仕損じることのないように。
そう優しく諭す隆元の前で、種実は深々と頭を下げる。
先の合戦の折、家名の復興を焦るあまり、性急に戦を進めて痛い目にあった種実は、同じ過ちを繰り返すつもりは微塵もなかった。
……ちなみに、この種実の素直な態度について、毛利姉妹の下の二人は陰でこんな会話をかわしている。
「もう一回同じことを繰り返したら、隆ねえ、今度こそ本気で怒るだろうから、種実くんも気が気じゃないだろうね」
「うむ。先の合戦では、半日にわたる説教を受けて種実は干からびていたからな。姉上が本気になれば、説教は一昼夜は続く。種実としては、そんな事態は是が非でも避けたかろうよ」
「……ま、種実くんじゃなくても避けたいけどね、そんなの。隆ねえのお説教の長さって、あれ絶対に広じい(毛利家重臣 志道広良)の影響だよ。春ねえもそう思わない?」
「……同意せざるを得んな」
――宝満城で不遇をかこつ北原鎮久の下に、秋月家臣 内田善兵衛が訪れたのは、それから間もなくのこと。
善兵衛を迎え入れた鎮久は、自らの不満を掌をさすように言い当てられて驚愕する。そして、内通を勧める善兵衛の言に、さして迷うことなく頷くのである。
もとより一度は大友家に叛旗を翻した身。その軍門に下ったとはいえ、前非を悔いたわけではなく、道雪ひとりの武威に抗しかねてのこと。命を捨てて大友家のために戦う気などあろうはずもない。毛利の大軍がすでに筑前に侵入したと知ればなおのことである。
「立花鑑載どののように、ただ一度の敗北で諦めて死を選ぶはおろかなこと。世に臥薪嘗胆という言葉もあるではないか。わしは宗麟めを討つために、ほんの一時、膝を屈したフリをしておっただけよ」
鎮久はそう言って、善兵衛から伝えられたとおりに内通の準備を始める。
だが、結論から言えば、鎮久の蜂起は失敗に終わる。
鎮久の不満を承知していた尾山種速は、この高橋家の旧臣に絶えず注意を払っており、鎮久の内通の動きをいち早く察した。
もっといえば、尾山はいずれ必ず鎮久が叛くであろうと確信しており、それを取り押さえることで処断の口実にするつもりであった。二度にわたる謀反の末であれば、鎮久の首を斬ったところで、それも致し方ないこと、と他の旧臣たちも納得するだろう。
仮に彼らが納得しなかった場合は、紹運に請うて尾山自身を処断してもらえば良い。そうすれば旧臣たちの不満は消え、紹運の下で人心はまとまろう。それが尾山の考えだった。
しかし、この尾山の目論見もまた失敗に終わるのである。
正確に言えば、鎮久の内通を未然に防ぐまでは上手くいった。一夜、鎮久は尾山を捕らえるべく手勢を動かそうとしたが、この事あるを予期していた尾山に機先を制され、逆に捕らわれの身となってしまう。尾山はこの時点で、秋月の謀略を打ち砕いた、と考えた。
だが、それこそ毛利、秋月が仕掛けた陥穽であった。
秋月の策動を制した尾山の胸中に生じた、弛緩という名の虚。
それに乗じて動いた者の名を高橋鑑種という。行方知れずとなっていた、先の高橋家当主その人である。
元々、毛利家は高橋鑑種と交誼をもっており、先の乱の後、密かに人を遣わして鑑種を匿っていた。秋月種実が北原鎮久に内通を働きかけた一連の動きは、この切り札を隠すための、いわば陽動に過ぎなかった。
尾山が鎮久を取り押さえた、まさにその直後、山間の抜け道を通って城内に侵入した鑑種の手勢により城に火が放たれ、混乱はたちまちのうちに拡大してしまう。
鑑種の手勢は勝手知ったる城内を瞬く間に制圧していき、これに応じて城外からは秋月勢が攻め寄せる。また高橋家の家臣の中には、旧主鑑種の帰還を知って動揺する者も少なからずおり、攻め手の側も声高にその事実を叫びたてて城兵に降伏を促していく。
短くも激しい戦闘の末、尾山は抗戦の不可を悟り、砕かんばかりに奥歯を噛み締めながら全軍に退却の命令を下す。そして、自身も側近の兵と共に宝満城から落ち延びていった……
かくして、宝満城は陥落する。
この報せを受けた古処山城主 朽網鑑康(くたみ あきやす)は、あまりに突然の事態に言葉を失う。
鑑康は宗麟の麾下として長年尽力してきた老練な武将である。宗麟への忠誠心は篤く、また家中ではめずらしく、高位にありながら南蛮神教にも理解を持っていた。その篤実な性格と、柔軟な思考を見込まれて古処山城を任された鑑康であったが、その彼をして一夜で宝満城を失った衝撃は決して軽いものではなかった。
さらに続報として、立花山城が毛利軍の重囲に置かれたことが伝えられるに及んで、鑑康は古処山城の放棄および豊後への退却を決断したのである。
宝満城を落とし、古処山城へ向けて進軍を開始していた秋月種実は、途中、城を守る大友軍が火を放った後、退去したことを知る。
これにより、宝満城は高橋鑑種が、そして空になった古処山城へは秋月種実が入り、豊後から立花山、岩屋、両城に至る経路は完全に封鎖された。いまだ二城は陥落を免れているものの、援軍のあてはなく、連携をとることもできない状況では反撃のしようもない。
ここにおいて、筑前の戦況はその大勢を決したかに思われた。