日向国 大瀬川南方 島津軍本陣
島津側から講和に対する返答がもたらされたのは、さきほどの接見から半刻ほど経った後のことだった。
俺がいる陣幕に入ってきた島津家久の口から語られた返答は、諾。
それを聞いた瞬間、俺は思わず安堵の息を吐いた。
これで「南で島津と戦いながら、北で毛利、竜造寺と争う」という悪夢のような展開は免れることができたのだ、心底ほっとした。
二ヶ月という期間は設けられたし、これはすなわち島津家が大友家に対する敵意を捨てていないことの証左でもあるから、見方をかえれば面倒事を先延ばしにしただけ、とも言える。
だが、現状において、これ以上の成果は望むべくもない。今はこれでよし。
俺の眼前で慎ましく座っている女の子――しかしてその実態は、某剣聖や南蛮軍を武略で叩き潰したおっかない武将だったりするのだが――は、そんな俺の様子を思慮深げに見つめている。
その視線に気がついた俺が怪訝そうな顔をすると、家久は微笑んで俺の顔を見つめ返してきた。
「筑前さんって不思議な人だよねえ」
いつもの無邪気なそれではなく、どこか大人びた声音が耳をくすぐる。俺はわずかに首を傾げた。
「不思議、でございますか?」
「うん。大友家の使者として薩摩にやって来て、やったことといえば金にお芋に南蛮退治と島津に利することばっかりで。恩にも着せずにさっさとムジカに戻ったと思ったら、次に来たときは越後の重臣にして将軍さまの勅使になってて。かと思えば、今も大友家を助けるために一生懸命働いてる。これを不思議といわずして、何を不思議といえばいいんだろうってくらい不思議な人だよ」
「…………」
うむ、自覚がないわけではなかったが、こうして他人の口から自分の行動を整理して聞かされると、よりはっきりとわかる。
不思議以前に、もはやただの不審人物だな、俺。
そんなことを考えながら恐縮する俺を見て、家久は鈴を転がすような笑い声をあげた。
「そんなかしこまらないでいいよー。その不思議な筑前さんに、あたしたちは助けてもらったんだから。そうだ。まだあたしの口からちゃんとお礼を言ってなかったよね」
家久はこほんと咳払いして姿勢を正すと、俺の目をしっかりと見つめながら、一言一言区切るようにはっきりと言葉を発した。
「天城筑前守颯馬さま。この家久、薩摩を治める島津が一族として、心より御礼申し上げます。もしこの時、薩摩の地に御身なかりせば、我ら夷狄の侵略に遭いて国と民を損ない、父祖の地を奪われるという永世に消えることなき汚辱で、その名を穢されたことでございましょう。これを免れるを得たは、ひとえに御身の智勇あったればこそ。我らは、この恩義を終生忘れることはございません」
そう言って深々と頭を下げる家久。
一方の俺は、家久の唐突な物言いに対して困惑を禁じえなかった。
とはいえ、いつまでも家久に頭を下げさせておくわけにはいかず、俺はなんと言うべきか困りながらも口を開いた。
「頭をおあげください、家久さま。それがしは己のために動いたにすぎず、そのように頭を下げていただく必要はございません。それどころか、こちらの言うことを信じてくださった島津の方々には、それがしの方が頭を下げなければならないくらいで……」
それは本心からの言葉だったのだが、顔をあげた家久の返答は意外と頑固だった。
「それはそれ。これはこれ。筑前さんにどんな思惑があったとしても、あたしたちが恩義を捨てる理由にはならないの。だから、ありがとう、だよ、筑前さん」
一瞬、なおも反論しようと口を開きかけた俺だったが、かたくなに謝辞を拒むというのもかえって失礼かもしれないと思いなおす。
末姫さまがここまで言ってくれているのだから、と俺は無理やり自分を納得させた。
「は。お言葉、ありがたく頂戴いたします」
家久にならい、かしこまって頭を下げる。
むう、なんかここまで素直にありがとうと言われてしまうと、嬉しいよりも居たたまれなさが先に立つな。特に家久は、今しがた口にしたように、俺の不審な点に気がついているのに、それをほとんど気にかけずに感謝だけを示してくれているから尚更だ。
すると、そんな感情が面に出たのだろうか、家久が妙に楽しげな表情を浮かべる。
「あはは、筑前さんのそんな顔、はじめて見るかも。歳ねえも来ればよかったのになー」
「それはご勘弁ください」
間髪いれずに逃げ腰になる(?)俺。歳久の舌鋒で切り刻まれた記憶はまだ新しいのだ。家久ひとりを相手にしてさえ、すでに居たたまれないことこの上ないというのに、これに加えて歳久までがこの場に現れたら、用件がなんであれ尻尾を巻いて逃げ出すしかないではないか。
――ただ、冷静に考えてみると、だ。
家久が「不思議」と形容した俺の言動や、その元となっている知識に、歳久もまた不審を抱いていることは疑いない。
これまで島津は、前門の大友軍、後門の南蛮軍という虎狼に挟まれて身動きがとれなかったが、そのいずれの脅威も駆逐した今、有用ゆえにその異様さに目を瞑っていた人物の対処に動き出したとしても、何の不思議もないのである。戦場のことであれば、流れ矢(流れ弾でも可)はどこから飛んできてもおかしくないのだし。
狡兎死して走狗煮らる、という箴言が頭をよぎる。
しかるに、家久はそれを一笑に付し、歳久は舌鋒で切り刻むだけで勘弁してくれた。
義久や義弘がどう考えているかはわからないが、俺が無事でいるという一事で、だいたいのところは推し量れる。
島津家一同の深すぎる懐に対し、頭を下げるべきはやはり俺の方に違いない。
考えを改めた俺は、表情と態度も改めることにした。
「――いえ、訂正いたします。やはり最後に歳久さまにもお目にかかりたかったですね。お越しいただけなかったのは残念です」
「それを聞けば、歳ねえ、きっと喜びのあまり渋柿を食べたみたいな渋面になると思うよ」
楽しげに笑う家久。確かに俺が今いったことをそのまま歳久に告げれば、家久が口にしたような反応が返ってくるだろうが、それは間違っても喜びの表現ではないと思う。
まあ、そういったことはさておき、歳久がここにいないのは、すでに講和後の動きに移っているからだろう。時間が惜しいのは、大友も島津も大して違いはない。
俺も急いでムジカに戻り、講和成立を道雪どのと、豊後三老のひとりである臼杵鑑速に伝えなければなるまい。
島津との交渉が半日かからずに終わるとは思っていなかったので、時間的にはかなり節約できたことになるが、それを計算にいれてなお岩屋城の戦況に楽観を持つことはできなかった。
「それでは家久さま、それがしは大友の陣に戻らせていただきます。ムジカ及び日向から大友軍が撤退する具体的な日時につきましては、おって大友軍より使者が参りましょう」
「そして、その使者は筑前さんではない――そうだよね?」
「ご推察のとおりです」
細かいことを言うわけにもいかず、また言う必要もあるまいと思い、俺は短く答える。
それを聞いた家久は問いを重ねることなく、うなずくだけにとどめた……ように見えたのだが。
続けて口を開いた家久は、なにやら妙なことを言い出したのである。
「ところで筑前さん」
「は、なんでございましょう?」
「思ったんだけど、筑前さんっていう呼び方、もうかえた方がいいよね?」
思わずきょとんとしてしまいました。
「……は? あ、いや、その、別にかえる必要はないかと存じますが」
確かに「筑前」というのは俺の本当の名ではないわけだが、一応筑前守の官位を得ているから、別に「筑前さん」でも問題はない。
だが、家久はふるふると首を横に振る。
「ううん、ここはかえるべきだと思うんだ。筑前さんの素性が明らかになったっていうのとはまた別に、もっとこう親しみと信頼を込めた呼び方があると思うの」
「……それは光栄なのですが、あの、家久さま?」
それは今この時に口にすることなのだろうか。そんな疑問をあらわにする俺に対し、家久は迷うことなくこう言った。
「具体的にいうと『お兄ちゃん』って呼んでいい?」
「いきなり何を言い出すか?!」
不要不急に思えた問いかけは、一瞬で理解不能な要求に変じた。
素で家久の乱心を疑った俺だが、家久はまったくふざけた様子もなく、真摯に俺を見つめている。
俺は一度、すーはーと深呼吸して落ち着きを取り戻そうとする。
結果、なんとか声を低めることだけは成功した。
「……………………一応、確認いたしますが、正気――もとい本気ですか?」
正気か、と問いかけても別にかまわんような気もするが。
そんな俺の内心をよそに、家久はやっぱり真剣そのものといった感じでうなずいてみせる。
「この上なく本気だよ」
「…………その心は?」
「あたしの親しみと信頼を率直にあらわしたいから、かな。あたしがそう呼べば、この先、筑前さんに不審を持つ人が島津家に出てきたしても、それを口にしにくくなるでしょう?」
「む」
まあ確かに島津の姫さまが兄と慕う人間に対して、そうそう疑念を口にできるものではない。もちろん、それですべての人間が口を噤むわけではないだろうが。
「それに、ここで可愛い妹として筑前さんの心をがっちりとつかんでおけば、また南蛮軍が襲ってきたとき、大友家とか南蛮神教とか抜きにあたしたちの助けになってくれると思うから。しかも京や越後との繋がりもできちゃうよね。自分を兄と慕う女の子を放っておける筑前さんじゃないもん」
「むむ」
「あ、本当に義兄妹の杯をかわそうとか、そういうつもりはないよ。あくまであたしがそう呼ぶだけ。ただ、できれば筑前さんの堅苦しい口調も、吉継さんと話すときみたいにくだけてくれれば嬉しいかなあ」
「むむむ」
「あとはそうだなー。うん、いずれ歳ねえとくっつける布石にもなるかな、なんて少しも考えてないよ!」
明らかに考えている顔つきの家久だった。
俺はしばらくの間、意図的に口を閉ざした。
言いたいことがありすぎて、何から言っていいのかまるでわからなかったのだ。
いやまあ、俺と家久の間での呼び方など何だって構わないといえば構わないのだが、ぶっちゃけ家久がそれを口にしたときの周囲の反応を予測したくない。特に吉継と歳久。
下手な反論をすると、家久の弁舌にからめとられてしまう可能性もある。ここは時間がないことを理由としてさっさと辞去するべし。三十六計、逃げるが上策なり、である。
だが、そんな俺の思惑は、名将 島津家久によってとうに読まれていたらしい。
その証拠に、家久はこんなことを言い出した。
「承知してくれるなら、島津の極秘情報を教えてあげちゃうんだけどなー。たぶん、今の筑前さんがノドから手が出るほど欲しい情報だよ」
開きかけていた俺の口の動きがピタリと止まる。
「……今のそれがしが欲しい情報、ですか?」
「うん、そう」
「むむむ」
腕を組み、眉間にシワを寄せて考え込む。
周囲からの冷えた眼差しに耐えるだけの価値がある情報なのかどうか、それを知る手がかりが欲しかった。
すると、家久はおとがいに手をあて、何事か考え込んだ末に指を一本立ててこう言った。
「んー、じゃあ特別に一個だけ、先に話してあげる」
先制譲歩って言葉があったな、とは思っても口にしない。
俺は家久の話を聞くべく、傾聴の姿勢をとった。
◆◆
家久のいう情報とは、俺が半ばその存在を忘れていたひとりの宣教師に関するモノだった。
その名をガスパール・コエリョという。
薩摩における南蛮神教布教の責任者であり、これを島津家に禁じられたため、教会を通じて南蛮艦隊の出動を促した人物でもある。
俺は一度だけ、その人物と相対したことがある。錦江湾の戦いの後、南蛮軍の捕虜解放に関して話し合うため、敵の提督であるガルシア・デ・ノローニャの旗艦に赴いた際に俺にくってかかってきた黒衣の女性。
南蛮軍の戦略に携わるような権限の持ち主ではなかったため、俺はほとんど意識していなかったが、島津家にしてみれば戦雲を呼び込んだ元凶という見方もできる。野放しにしておける相手ではない。
家久によれば、コエリョはロレンソの艦隊に同行していたらしい。
俺と歳久が油津で小アルブケルケを待ち伏せていた頃、家久は山川港でロレンソと戦っていた。これはロレンソとガルシアの反目を予測した俺の要請によるものだったわけだが、油津にロレンソの艦隊が現れなかったことからもわかるように、結果は家久の勝利。
家久によれば、この時、ロレンソは捕虜となることを厭い、旗艦と運命を共にしたのだが、コエリョは燃え落ちる旗艦から脱出してきたという。当然、周囲を包囲する島津水軍に捕まったわけだが、不屈の信仰心の賜物であろうか、怪我らしい怪我もなく、捕らえようとする兵たちをたいそう難儀させたそうな。
「すごかったよー。かなきり声をあげたり、爪でみんなをひっかいたり。水に落ちた猫でもここまで暴れないだろうってくらいの大暴れ!」
とは家久の弁である。
家久としては、そこでコエリョを斬ってもよかった。コエリョが斬られるに足る罪業を持っているのは間違いないのだから。
しかし、家久はすぐにコエリョを斬ることはせず、歳久からの報せで小アルブケルケの死を確認した後、捕虜として内城に連行する。
はるばる南蛮から日の本に来たことからもわかるように、コエリョは行動力に優れた人物だった。薩摩には、コエリョに説伏された信徒が少数ながら存在し、彼らはコエリョに協力して行動している。家久はコエリョを斬ることで、彼らが激発することを恐れた――のではなく、コエリョをエサとして、彼らを一網打尽にしようとしたのである。南蛮神教の走狗となって薩摩侵略の片棒を担いだ者を見逃すつもりは、家久にはまったくなかったのだ。
ところが、である。
コエリョの執念が家久の予測を上回ったのか、黒衣の宣教師に心服する信徒たちの数が予想以上だったのか、あるいは神の祝福が信徒たちの上に降り注いだのであろうか。
一日、コエリョは監視の目をくぐりぬけ、内城を脱走してしまったという。のみならず、その後も信徒らの手引きによって薩摩国内の関所を次々と突破し、ついには薩摩の国外に逃げ出してしまったらしい。
義久に義弘、おまけに歳久までがムジカの陣に出張っている状況で、家久までが日向にやってきたのは、この件の報告もあってのことらしい。
なるほど、と俺は了解したが、家久がコエリョの話を始めた、その理由まではわからない。
俺の困惑に気がついていないはずもないだろうに、家久はなおも話を続けた。
「それで、コエリョさんの逃げていく方向を調べてみると、どうも天草の方に行くつもりみたいなんだよね。肥後との国境は警戒が厳しいから、そっちしかいけなかったんだろうけど」
「天草、ですか」
その名には聞き覚えがあった。後年、とある騒動によって全国的に名を知られる地方である――この世界で同じことが起きるかはわからないので、後年という言い方はちょっとおかしいかもしれないが。
みずから戦う力がないコエリョに出来ることといえば、他者の力をもって島津と戦うことだが、今の天草地方は小勢力が割拠して争いあっている状況であり、なおかつ現在のところ、南蛮神教は彼の地に根付いてはいない。信仰心のみを交渉のよりどころとするコエリョに、現在の天草地方を糾合する力はないとみていいだろう。
となると、コエリョは次にどこへ向かうのか。
コエリョにとって望ましいのは、言うまでもなく南蛮神教に好意的な勢力のところである。ある程度の武力と、南蛮との交易を行っている港があれば言うことはない。日の本で抗い続けるにせよ、一度ゴアへ戻るにせよ、南蛮本国と連絡をとる必要はあるだろうから。
天草地方の近くにそういった場所はあっただろうか、と考えた俺は一つの地名を想起する。
そして、まるで俺がそこに思い至るのを待っていたかのように、家久の口からその地名が告げられた。
「そうだね、天草の北にある日野江かな? あそこを治めている有馬さんって、南蛮神教にもずいぶん好意的だし、港もあるし、肥前の国なのに竜造寺家と敵対しているくらいに武力もあるから、条件的にはぴったりだよ」
何気ない、その言葉。
だが、俺は緊張を余儀なくされてしまう。それも今日一番といってもいいくらいに。
なんとなれば、その地名は俺が考えていた岩屋城救援の策と、かなり密接に関わってくるモノだったからである。
◆◆
ムジカで俺は道雪どのに次のように話した。
筑前に赴いた後、まずは包囲を抜けて岩屋城に入り、城内に援軍の存在を知らせて将兵の士気を回復させる。うまくいけば、援軍の到着以前に包囲を解くこともできるでしょう、と。
この「うまくいけば」というのは、日野江の有馬義貞という存在をうまく利用できれば、という意味であった。
といっても、日野江城に使者を出して、義貞に竜造寺軍の後背を突いてもらう、というような策ではない。
日野江城の有馬義貞が竜造寺軍と敵対していることは、以前肥前に赴いた際に木下昌直の口から直接聞いていた。それはつまり、竜造寺家が有馬義貞という敵手の存在を認識しているということであり、今回の出兵に際しても、その動きを封じるためにしかるべき手を打っていると見るべきだろう。
俺は有馬義貞という人物を直接知っているわけではないが、鍋島直茂らの構築した備えを孤軍で突き崩せるほどの武将であるとはちょっと考えにくい。
もっといえば、いかに竜造寺家と敵対し、かつ大友家と同じように南蛮神教に好意的である有馬家とはいえ、圧倒的に不利な戦況に置かれている現在の大友家の要請に応じて兵を出してくれるとはとうてい思えない。
ゆえに、工夫が必要となる。
有馬義貞を説得する必要はない。肝心なのは竜造寺家の諸将に後背の危険を認識させること。
といっても、ただのデマや風聞を流したところで、竜造寺の軍師 鍋島直茂あたりにすぐ見抜かれてしまうだろう。ここは事実を軸にして、十分に実現性のある危険性を構築していかなければならない。
その事実とは何かといえば、一は俺が勅使に任じられたことであり、二は勅使によって大友家と島津家が講和したことであり、三は島津軍が南蛮艦隊と矛を交え、苦戦の末にこれを撃退したことであった。むろん、講和が二ヶ月間のみの限定的なモノだとか、そういった余計なことについては口を緘する。
俺が考えた手順は次のようなものだった。
まずは竜造寺軍の陣中に使者として赴き、三つの事実を告げる。
いずれも「はいそうですか」と納得される内容ではないが、勅使に任じられた件に関しては将軍直筆の書状があるし、秀綱という証人もいる。それは同時に、大友と島津の講和を将軍が望んでいるという証拠にもなり、講和に関する信憑性を高めるだろう。
問題は南蛮軍に関することである。異国が大軍をもって侵略してくる、という状況を現実のものとして認識するのはなかなかに難しい。薩摩でも、実際に南蛮艦隊が姿をあらわすまでは、本当に南蛮軍が来るのか、という疑念の目は幾つも俺に向けられていた。
ただ、ここで一つの布石が活きてくる。
俺は以前、鍋島直茂と接見した際、南蛮神教が、南蛮国の侵略における尖兵としての役割を果たす危険性を伝えていた。直茂が、それをどれだけ真剣に聞いたかは定かではないが、少なくとも覚えてはいるだろう。
あるいはもっと単純に、すでに噂という形で南蛮軍の情報は直茂の耳に届いているかもしれない。百隻近い南蛮の軍船がやってきたのだ、その様は農民、漁師、商人など、たくさんの人々の目にとまったのは間違いなく、それを見た人々が口を緘している理由はない。港経由で噂が広がれば、肥前まで届いていても不思議ではなかった。
ともあれ、すべては事実なのだから、偽の証拠をでっちあげたりとか、そういった小細工は必要ない。竜造寺家に信じさせることは不可能ではないだろう。
そうして、三つの事実を伝えた上で、俺は一つの忠告をする。
南蛮軍を破った島津家は、南蛮神教の秘めたる役割を理解し、向後、南蛮軍の侵略拠点となりかねない地域の制圧を目論んでいる、と。
それはつまり、家久いわく『南蛮神教にもずいぶん好意的だし、港もあるし、肥前の国なのに竜造寺家と敵対しているくらいに武力もある』日野江城のことであった。
むろん、肥後西部を制することなく、いきなり肥前に兵を出すのは不可能である。
だが、薩摩、大隅、日向をおさえ、豊後の大友家と講和を結んだ島津に対抗できるような勢力は肥後には存在しない。いきなり攻め込むのではなく、島津に従うよう勧告されれば、大方の肥後の国人衆はうなずかざるを得ないだろう。なんとなれば、拒絶すれば攻められるだけであるからだ。大友家に救援を求めるにしても、島津と講和を結んだばかりの大友家は動けず、必然的に彼らは自分たちで自分たちを守るしかなくなる。そんな状況では、島津軍が南蛮軍から奪い取った、あるいは捕虜交換の際にぶんどった大砲を五、六発うちこめば、それ以上の抵抗は難しい。
――言うまでもなく、現在の島津軍にそこまでの余力はないだろう。が、正直にそれを竜造寺側に伝える義務は俺にはない。竜造寺家が島津軍の内情を事細かに知っているはずもないから、島津軍の肥後進出については、ある程度の説得力をもたせることはできる。
そして、肥後に進出した島津が、多少の無理をおして肥前における南蛮神教の拠点を潰そうと考えるのはさしておかしな話ではあるまい。有馬義貞が竜造寺家と敵対している以上、これを攻めても竜造寺家との関係が悪化することはないのだから、竜造寺家をはばかる必要もないのである。
竜造寺家にしてみれば、敵対している有馬義貞が他国と戦い、勢力を弱めることは願ったりであろうが、その相手が島津であれば話は異なってくる。有馬家と島津家が戦えば後者が勝つに決まっており、そうなれば島津に肥前侵攻の橋頭堡を与えることになってしまうからだ。
そうして肥前に足場を得た島津軍が、主力が筑前に出払った現在の肥前の状態を見てどう思うか――と、そんな風に直茂が考えてくれればしめたものだった。
まあ、実際にそこまでうまくいくとは思っていないが、侵略を受けた怒りと、再び襲い来るかもしれぬという恐怖を抱え込んだ島津が、南蛮神教の影響が色濃く根付いた日野江を放っておくはずがない、との判断は決して無茶とは映るまい。
実際に兵を出す余裕がないとしても、外交で有馬家に圧力をかける程度のことはすぐにできる。そうなれば、結果として島津の影響力が肥前に及んでしまう。そしてそれは、竜造寺家にとって無視しえない出来事であるはずだった。
確たる事実に虚構を混ぜ合わせ、捏ね上げた『事実』をもって竜造寺家に後背への不安を呼び起こすこと。これが俺の考えた策であった。
――ただ、この考え、突っ込みどころはいたるところに存在する。
島津がそこまで南蛮神教を憎悪しているなら、どうして有馬義貞などよりもはるかに厄介な大友宗麟と講和を結んだのか、とか色々と。
まあそこを指摘されたら勅使の存在を強調するつもりだが、そうすると今度は、そもそもなんで立花道雪の配下として肥前を訪れた俺が勅使に任じられたのか、という根本的な部分で怪しまれる可能性が出てくる。将軍の書状など偽物だ、上泉秀綱など偽者だ、と決め付けられてしまえば、それ以上言い解く術が俺にはないのである。俺が怪しいのは、俺自身が認めざるをえない事実だからして。
島津家の場合は、家久がさきほど口にしたように、俺への恩義によってそのあたりの疑念は飲み込んでくれたようだが、そういうものがまったくない竜造寺家が、義輝さまの書状や秀綱どのの言葉だけで疑念を払拭してくれるかは不分明であり、こればかりはその時になってみないとわからない。
ゆえに俺は「うまくいけば」と運任せになる含みを込めて、道雪どのに口にしたのだった。
◆◆
当然のことながら、俺はこの策に対して島津の協力を求めたりはしなかった。
繰り返すが、今の島津軍に他国に兵を出す余裕はないし、大友家への敵意も捨てていないわけだから、この上さらに「大友家のために竜造寺を牽制してくれませんか」などと頼めるはずもない。
恥をしのんで頼んだところで、図に乗るな、の一言でおしまいだろう。否、それで済めば良い方で、陣地から蹴りだされてもまったくおかしくはない――と考えていたのだが。
コエリョという要素を絡めた上で、家久の口から日野江の名が出たのは、俺にとって無視できることではなかった。
あるやなしやの再襲の危険性を潰すためではなく、コエリョという現実の脅威に対処するためであれば、島津が日野江に進出してくる可能性はより高まる。これもまた「事実」の一つ。
実際にコエリョがそこまで脅威となる大物か、というと決してそんなことはない。だが、何度でも言おう、正直にそれを竜造寺に話す義務など俺にはないのである。
知らず、声が低くなった。
「……なるほど、これは確かに」
今の俺がノドから手が出るほど欲しい情報だった。
というか、少しだけ、と口にした割には、結局全部口にしてないだろうか、家久。
「ん、全部じゃないよ? 実際に大砲積んでる船を準備させてる、とかはまだ言ってないし」
「………………ひとつ、確認したいのですが」
「ん、なあに?」
「コエリョを内城から逃がしたのは、南蛮神教の信徒たちだったのですか?」
その問いに対する答えは、ある意味予測どおりだった。
「もちろん。何人か捕まえて確認したから、それは確実だよ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの家久の顔を見ていると、なぜだろう、こう、大軍にひたひたと包囲を狭められているような、そんな圧迫感が全身を包み込んでくる。
これはもう、どうあっても先ほどの請いにYESと答えるしかない気がするし、これだけの情報をもらえたのだから、その程度の代価はむしろやすいくらいだった。
しかし、疑問は残る。
何故、家久が、というか島津家がここまでするのか。
当然、島津家の利を見た上でのことだろうし、実際に船を数隻動かすだけなら、そんなに大した負担にもならないだろうが、それでも大友家のためにここまでする理由にはなるまい。
家久の言動はほぼすべて俺にとっての利益になることばかりなので、問い詰める必要などまったくないのだが、それでも俺は疑問を口にした。この疑問は等閑にしてはいけない気がしたから。
島津家がここまでする必要がどこにあるのか、との俺の問いに対し、家久はあっけらかんと応じた。
「それはもう、これでもかってくらいに必要あるよ。筑前さんに恩を売れる絶好の機会だからね!」
「はい?!」
かなり本気で慌てた。今の言葉はさすがに聞き逃せん。
恩を返すならともかく、俺のような一個人に恩を売ってどうするのか。わるいが、こんな巨大な恩を売られたところで、返せるアテはまったくない。そんなことは家久だってわかっているだろうに。
「家久さまの中で、俺はいったいどんな扱いになってるんです?」
すると、家久は答えて曰く。
「味方にならないなら斬らないといけない人、かな」
……どうやら、俺は知らぬ間に命の瀬戸際に立たされていたらしい。
冗談と思いたいところだが、そうと聞けば思い当たる節がないでもない。
「まさかとは思いますが、この陣に着いたとき、それがしと秀綱どのを引き離したのは家久さまのお指図ですか?」
「さあ、どうだろうねー」
にこにこ、にこにこ。
天使のような笑みを浮かべる家久の背に悪魔のシッポがちらちらと――などと思った途端、家久が小さく舌を出した。
「なーんてね。それはあたしとは関係ないよ」
じー。
「……あの、ホントにホントだよ?」
じー。
「ホントだってばー?!」
俺に疑惑の眼差しを向けられて堪えたわけでもあるまいが、家久はこほんと咳払いして口を開く。
「一応いっておくとね、筑前さんが普通の人じゃないってことは、最初に金鉱とか南蛮が襲ってくるとか、そういった話を口にした時からわかってたよ。歳ねえとも怪しいよねって話をしたし。でもさ、人間、誰だって秘密の一つ二つ持ってるものでしょう?」
「……それで済ませてしまってよろしいのですか?」
俺が言うことではないが、ちょっと安易すぎないだろうか。
だが、家久は俺の戸惑いなど気にかけず、くすくすと悪戯っぽく笑った。
「よろしいのですよ。筑前さんの為人は薩摩でも、その後の戦いでも十分見させてもらって、信じられるって思った。筑前さんの胸のうちに何が棲んでいたとしても、その気持ちはかわらないよ。おじいさまも言ってたもの。『その道が正しいと信じたら突き進むのだ、さすれば天が味方につくじゃろう!』って」
……ああ、そういえば島津忠良公のイロハ歌にそんなのあったなあ、と現実逃避ぎみに考える俺。
こうも真正面から「あなたを信じてます!」とか言われた日には、照れくささのあまり逃げたくもなろうというものである。
すると、家久は何事か思いついたように、さらにこんな言葉を付け足した。
「筑前さんを信じて、その果てに天城さんがお兄ちゃんになれば、うん、まさに天が味方についたことになるね♪」
「……それはさすがに苦しすぎる解釈ではないでしょうか?」
「あはは、だよねー」
小さく舌を出し、自分の頭を軽く叩く家久を見て、俺の口からは自然と吐息がこぼれおちた。それはため息ではなかったが、かぎりなくため息に近かったと思う。
このお姫さまには、まるで勝てる気がしなかった。