筑前国 大宰府跡 竜造寺軍本陣
岩屋城をめぐる大友、竜造寺の戦いが始まって半月。竜造寺軍は高橋紹運率いる大友軍に苦戦を強いられながらも大兵力の利を活かして着実に攻略を推し進め、大手門、二条の砦、虚空蔵台砦、百貫島砦を制圧するにいたっていた。
大友軍に残された拠点は、岩屋山の中腹に位置する本丸と、山頂に位置する水の手上砦のみであり、開戦以前は千五百を数えた城兵もすでに四百を下回るものと推測されている。
生き残っている将兵にしても、傷つき、疲れていない者は皆無だろう。高橋紹運がどれだけの名将であろうとも、次の総攻撃をしのぐことは不可能――それが竜造寺軍を率いる諸将の共通した見解であった。
ただ、ほぼ勝利を決定づけた竜造寺の軍中に喜びの色はない。無邪気に勝ち誇るには被った損害が大きすぎたのである。
岩屋城の守りは堅牢を極め、城兵の抵抗は頑強であり、城将である高橋紹運は再三再四、逆撃をおこなっては攻め上ろうとする竜造寺軍を押し返してきた。
特に宝満城が落ちた夜の襲撃では、あわや本陣に切り込まれる寸前まで押し込まれ、木下昌直をはじめとした四天王の奮戦でかろうじて事なきを得たほどである。
結果、今日にいたるまでの竜造寺軍の戦死者は大友軍の倍を数え、負傷者も含めれば、被害総数は大友軍の四倍を越えていた。
二万の軍勢の一割が戦死し、さらに一割以上が負傷したのである。常の戦ならばこれだけで撤退せざるを得ない大損害であったが、この戦にかぎっていえば、損害は実数以上の重みを持っていた。
今回の戦で動員された竜造寺軍二万のうち、精鋭と呼べるのは八千程度であり、それ以外の兵はいわば数あわせの寄せ集めだった。竜造寺軍は後者を後陣にとどめ、前者をもって岩屋城を攻撃していたため、精鋭のみを見た場合、損害の割合はさらにはねあがることになるのである。
竜造寺の軍師 鍋島直茂は、緒戦における抗戦の激しさから今回の城攻めの苦戦を予測していたが、高橋紹運に予測の最悪を極められてしまった。
このまま城攻めを続ければ岩屋城を落とすことはできる。だが、今日までの被害に、最後の総攻めで受けるであろう被害を足し合わせた場合、たとえ岩屋城を落とせたとしても、その後に続く立花山城攻め、あるいは筑後、豊後の大友領への侵攻はきわめて難しいものになってしまう。
それはつまり、満を持して肥前を発した二万の竜造寺軍が、たった半月、たった一城の戦果をもって侵攻を止められてしまう、ということであった。
「見事、というほかありませんね」
大宰府跡に据えられた本陣の天幕の中、鬼面を外した直茂の表情には拭いきれない疲労と、隠しきれない感嘆が見て取れる。
敵将である高橋紹運を甘く見ていたつもりはなかったが、たとえば立花道雪などと比べれば一軍の将として戦陣にのぞんだ経験は少なく、その分くみしやすいという思いがなかったとは言いきれない。
しかし、今日の戦況を見れば、紹運の将器が道雪のそれに匹敵しうるものであることは明白だった。硬軟とりまぜた防戦の巧みさは、大友家はもちろん九国全土を見渡しても屈指の域に達しているだろう。いっそ、日ノ本全土を見渡しても、と言いかえても良いかもしれぬ。
床几に腰掛けた直茂は、卓の上に置いた書状を眺めながら呟いた。
「ぜひとも我が軍の一翼を担ってほしい武将なのですが、それは無理というものでしょうね。弓矢をとる武士の決着は生死をもってつけるしかないとはいえ、惜しいことです」
今の大友家には過ぎた武将だ、と直茂は紹運のことを評価していた。これは直茂だけでなく、成松や百武、江里口といった諸将、さらに当主である隆信も同じ考えを抱いていた。一度ならず使者を遣わして降伏を促してはみたものの、やはりというべきか返答は『否』だった。
次の総攻撃に先立って、今一度、城方に使者を送ることになっているが、紹運の答えがかわることはないだろう。
直茂や四天王が大友軍に降ることがありえないように、紹運が竜造寺軍に降ることもまたありえない。紹運の心情を理解し、いたしかたないことだと思いつつも、敵将を惜しまずにはいられない直茂だった。
しかしながら、そのことと城攻めの手を緩めることはまったく別のことである。
昼過ぎに百貫島砦を落として本丸を丸裸にした竜造寺軍は、すでに負傷者の後送を済ませ、兵の再編成も完了させている。陣立ては整い、後は時を待って諸将に総攻撃を命じるだけ、という状況だった。
とはいえ、まだ春の遠い季節、日が沈むのは早い。
山間の戦場となれば尚のことで、あと一刻たらずで日は稜線の彼方に姿を隠してしまうだろう。いかに城兵が損耗しているとはいえ、紹運が直接指揮する本丸を一刻足らずで攻め落とすことはできない。総攻めが夜間にずれこんでしまえば、好んで同士討ちを行うようなものである。
よって、総攻撃の開始は明日の早朝、日の出と共に。それが竜造寺軍の決定だった
――直茂の下に座視することのできない知らせが舞い込んできたのは、その決定が下ってまもなくのこと。
それは佐賀城にいる直茂の継母 慶誾尼からの書状で「筑後柳河城に動きあり」の書き出しではじまるものだった。
筑後柳河城を本拠地とする蒲池鑑盛が、主力の出払った肥前を攻撃する姿勢を見せている。その一文を読んだ直茂の背に氷塊が滑り落ちた。ただの噂や推測ではない。慶誾尼の書状には鑑盛の具体的な動きも併せて記されていた。
「……兵を募り、武器をそろえ、筑後川に舟をならべているのならば、鑑盛どのの狙いは明白です。しかし、何故鑑盛どのは今になって急に兵を動かしたのか」
今回の筑前出兵において直茂が最も警戒したのは、手薄になった肥前を敵軍に突かれることだった。
想定される敵軍は幾つか存在したが、中でも最も強大で、かつ侵攻してくる可能性が高かったのが大友家に忠誠を誓う蒲池鑑盛である。
鑑盛は単独でも三千、蒲池の分家もあわせれば五千の兵を集めることができる。常の肥前ならば知らず、主だった将と大半の兵が出払った今の肥前では鑑盛の軍に対抗することは難しい。
だからこそ、そんな事態にならないように直茂は幾重にも手を打ってきた。
筑後川の守りを固めるのは当然として、鑑盛に書状を送って蒲池家に敵対する意思はないことを繰り返し伝え、同時に現在の大友家が日ノ本にとっていかに有害な存在に成り果てているかを説いて鑑盛に静観を望んだ。
竜造寺家に好意を持つ蒲池家の家臣には、家中で竜造寺討つべしの声があがった場合、それを封じ込めるよう頼み、一方で大友家に従うことをよしとしない者たちにもぬかりなく接触した。蒲池鑑盛の忠義に偽りがなくとも、鑑盛の家臣までが残らず大友家に忠誠を誓っているわけではない。鑑盛に従ってはいるものの、大友家のために働くことに不満を抱いている者は少なくないのである。鑑盛とてそういった家中の空気には気がついているだろう。
それでも蒲池鑑盛ならば、主家のために強引にでも動くかもしれぬ。
ゆえに、直茂はかねてから誼を通じていた筑後の国人衆に使者を送り、鑑盛が肥前に踏み出した場合、空になった柳河城を後背から突くように、と要請することも怠らなかった。
それらの国人衆に対して密使ではなく正規の使者を送り込んだのは、竜造寺家が筑後の国人衆に使者を送ったという事実をもって鑑盛に重圧をかける目的があったからである。
鑑盛ほどの人物であれば、直茂の目論見は容易に察することができるだろう。
その上で、軽々しく動くことはできぬ、と鑑盛が自重してくれればそれでよし。仮に鑑盛が竜造寺家と親しむ国人衆を目障りに思い、兵を発したところで問題はない。筑後が争乱の巷と化してくれれば肥前の安全は保たれる。竜造寺家は一兵も損ずることなく目的を達することができるのである。
そうして幾つもの手を打ち、鑑盛の動きを封じたと確信したからこそ、直茂は全力で筑前に出撃することができた。
事実、今日まで鑑盛は柳河城から動かなかった。
内外の空気から、自身が柳河城を空にすればタダではすまないことを察して動けないのだ、と直茂は見ていたのだが……
それがどうして今になって動き出したのか。直茂ならずとも不審をおぼえずにはいられないところだが、書状が知らせる異変はそれだけにとどまらなかった。
肥前の南、日野江をおさめる有馬義貞にも不穏の気配がある、というのである。
脅威の度合いからすれば有馬義貞は蒲池鑑盛よりいくぶんか下回る相手だが、無視できる相手ではない。さらにいえば、この時期に直茂が想定する敵勢力のうち二つが同時に動き出したことがただの偶然であるとは思えなかった。
もっとも、書状によれば有馬家の兵は竜造寺領へ侵攻する気配はなく、もっぱら日野江港の防備を固めるばかりだというから、蒲池家と有馬家が結託したとみなすのは早計であろう。有馬家の敵は竜造寺家以外にもおり、何者かが偶然この時期に攻撃を仕掛けただけと考えることもできる。
できるのだが、しかし直茂はこの有馬家の動きに容易ならざるものを感じとっていた。正確には、有馬家にこの動きを強いた何者かに警戒を禁じえなかった。
日野江の港は南蛮との貿易の拠点であり、有馬家にとっては富の源泉ともいえる要地である。その防備はきわめて堅く、竜造寺家も手を出しかねていたほどだ。千や二千の兵に攻められたところで小揺るぎもしないだろう。
にも関わらず、有馬義貞は慌しく兵を集め、港の守りを固めているという。その行動が竜造寺家を刺激することは承知しているだろうに、それでも義貞は日野江港の防備を厚くせざるを得なかった。それはつまり、それだけ攻め寄せてくる相手を警戒している、ということだろう。
「――筑前の大友勢が潰えようとするまさにその時、後背で立て続けに異変が起こる。偶然の一語でくくるには、あまりにも時期が符合しすぎていますね」
直茂の頭の中では、様々な情報が火花を散らしてせめぎあっている。
実のところ、筑後の動きはともかく、有馬家の動向に直茂が注意を払う必要はそれほどない。日野江港の主が変わろうと、有馬家が滅びようと、竜造寺家にとっては痛くもかゆくもないことだからだ。
しかし、直茂はそこから一歩思考を進めて考えていた。つまり、有馬家を滅ぼした何者かが、その勢いのままに竜造寺領に侵攻してくる可能性である。
そこまで考えている直茂だったが、一方で根本的な部分で疑問がわだかまってもいた。
それは単純といえば単純なことで、有馬家がそこまで警戒する相手とは誰なのか、ということである。
そもそも正面から有馬家に攻撃を仕掛けられる勢力があるのなら、直茂はその勢力と早くから接触していただろう。鑑盛をおさえるために筑後の他の国人衆と接触したように。
しかし、竜造寺家に比べれば弱小であるとはいえ、有馬家もまた立派な城持ち大名である。その有馬家に正面から戦を仕掛けられる勢力は、少なくとも肥前国内には見当たらない。
とすれば、考えられるのは隣接する肥後の大名だが、肥後国内は各地に有力な国人衆が割拠した状態であり、統一された政権は存在しない。さらに、肥後に強い影響力を有する大友家が北で毛利、竜造寺と、南で島津と激しくぶつかっている今、肥後国内は一見穏やかに見えて、水面下では生き残りをかけた諸家の使者が縦横無尽に走り回っていることだろう。そんな状況で、わざわざ海を渡って他国を攻撃する者がいるとは思えなかった。
他の可能性としては薩摩の島津あたりが考えられる。海路を用いれば、薩摩から日野江に兵を派遣することは可能だろう。
だが、それは可能か不可能かを問えばの話で、実際に島津がその行動をとる可能性は皆無に等しい。現在進行形で大友家と激突している島津家に、肥後を飛び越えて肥前を攻める余裕があるはずもないのだから。
――では、いったい有馬家が警戒を余儀なくされている相手はどこの誰なのだろう?
考えあぐねた直茂の視線が、書状の最後の部分に向けられる。
慶誾尼が警鐘を鳴らす異変の最後のひとつ。ただし、それは前二つと異なり、明確な形をもった脅威ではない。そこに記されていたのは平戸から伝わってきたというひとつの噂であった。
数十隻を数える異国の大艦隊が薩摩沖に姿を見せたという、それこそ子供のたわごとと切って捨てられるような噂話が、今、平戸のみならず肥前各地の港で盛んに語られているらしい。慶誾尼は、あるいはこの噂が日野江にも伝わり、それが港を守るという有馬家の行動に繋がったのかもしれない、と述べていた。
これが慶誾尼以外からの知らせであれば、直茂はここまで真剣に受け止めることはなかっただろう。しかし、慶誾尼は実子である竜造寺隆信が元服するまで、女の身で竜造寺家を支えてきた女傑である。その為人は明朗にして分別に富み、女子供の噂話にまどわされる人物では決してない。
その慶誾尼が、前線に送る書状にこの噂を記したということは、そこになにか見過ごせないものを感じ取ったということ。単なる噂で片付けることができないくらいの勢いで話が広まっているのかもしれない。
その事実に直茂はうそ寒いものを覚える。なぜなら、直茂はこのことを示唆する警告を、ずっと早くに受けていたからである。
「――南蛮神教は侵略の尖兵という側面を持つ、でしたか」
宗教によって異国の民を馴致し、しかる後に兵を送り込んで領土とする南蛮のやり方を直茂に教えたのは、雲居筑前と名乗る大友家の青年だった。
あの話が事実だとすれば、大友宗麟の無定見につけこんで南蛮が兵を送り込んでくることは十分に考えられる。
むろん、直茂は大友家に属する者の言葉を鵜呑みにするつもりはなかった。あの言葉は今回の噂に真実味を持たせるための仕込みであったと考えることもできるからだ。
だが、雲居の言葉を知らない慶誾尼が、この噂を無視できないものと捉えた事実は見過ごすことができなかった。
直茂は黙して考え込む。
書状の内容はまだ誰にも伝えていない。後方を案じるあまり、城攻めの気が緩むことを恐れてのことだった。
艦隊の噂はともかく、蒲池と有馬の両家、特に蒲池鑑盛の動きは筑前攻めに直接的な影響を及ぼす。蒲池家が総力をあげて肥前に攻め込めば、残してきた守備兵だけでこれを防ぐことはきわめて難しい。佐賀城を直撃するも、岩屋城を攻めている竜造寺本隊の退路を塞ぐも鑑盛の思いのままである。あるいは佐賀城を無視し、手薄になった肥前国内を荒らしまわるという選択肢もあるだろう。
そうなれば鑑盛不在の柳河城は他の筑後国人衆によって落とされることになるだろうが、それでも竜造寺家が多大な被害をうけることは間違いない。その状況で日野江から新たな敵軍があらわれでもしたら、筑豊の地に勢力を広げるどころか肥前さえ失ってしまいかねない。
さらに、直茂には後方の動静とは別に、もうひとつ気がかりなことがあった。
他でもない、一時的に友軍となっている毛利軍の存在である。
極端な話、毛利軍――毛利元就がすべての策謀を裏で操っている可能性もあるのだ。竜造寺家と毛利家の協力関係が一時的なものでしかないことは双方ともに承知している。自家の血を流さずに宝満城を陥落せしめた彼の謀将であれば、大友宗家の存続を条件に蒲池鑑盛を傘下に加え、竜造寺の勢力を削ぐ程度のことは涼しい顔でやってのけるだろう。さすがに日野江の動きにまで関わっているとは思えないが。
そこまで考えた直茂は、ふと何かに気づいたように書状から視線をはがした。強張ったこめかみを揉み解しながら、苦く笑う。
「疑心、暗鬼を生ずとはよくいったものですね。ひとたび迷うと、何もかもが不確かで疑わしいものに見えてしまいます。誰が何を企んでいるにせよ、こちらが付けこまれる隙を見せなければそれでよい。今は岩屋城を落とすことこそ肝要でしょう」
それこそが竜造寺家が天下に躍り出るための第一歩。そう口にしたのは他ならぬ直茂である。
鑑盛がいつ動くかわからない以上、事態は一刻を争う。こうなると明朝の総攻撃も再考するべきかもしれない。夜襲、という選択肢が直茂の脳裏で点滅する。
ただ、夜襲を仕掛けるとなると味方の被害も大きくなる。それを承知の上であえて予定をかえるのであれば、隆信や四天王に理由を説明しなければならない。
彼らが安易に秘密をもらすはずはないが、一度口に出した言葉は飛翔することを直茂はよく知っていた。他言無用を厳命し、念入りに人払いをしようとも、秘密というのはどこからか漏れ伝わっていくものなのだ。
蒲池鑑盛に後背を塞がれるかもしれないと知れば将兵は動揺する。そうなれば、確実に城攻めに影響が出てしまう。
さて、どうしたものか、と頭をひねる直茂。
宝満城からの使者が竜造寺本陣を訪れたのは、そんな時であった。
◆◆
急遽、呼び集められた四天王の中で、もっとも遅く本陣に到着したのは円城寺信胤だった。 天幕に入った信胤が中を見渡すと、他の四天王はすでに揃っていたが、当主である竜造寺隆信と軍師の鍋島直茂の姿は見えない。
信胤は自身のために用意された床几に腰をおろすと、先に来ていた僚将のひとりに声をかけた。
「ずいぶんと急な呼び出しでしたけれど、何があったのでしょうね、エリちゃん」
「さあて、四天王全員を集めたってことは、明日の総攻撃の陣立てを変更するのかね。いまさらそんなことをする必要があるとは思えないけど」
エリちゃんこと江里口信常はそういって首をひねる。
信常は昼の戦で百貫島砦を攻め落とし、高橋家の重臣 三原紹心と刃をあわせてこれを討ち取っている。その功績もあって明日の総攻撃では先陣を任されることになっているので、陣立ての変更という可能性はあまり考えたくないのだ。
「総攻撃の直前に変更するってことは、先陣が変わるのはほぼ確定だからなぁ……ふああぁぁ」
言葉の途中で全開の大あくびを披露する信常を見て、信胤は眉をひそめる。
「まあ、大きなあくびですこと。戦場にあっても女子としての嗜みを忘れるのはどうかと思いますわよ?」
「隊の再編でほとんど休めてないんだ、勘弁しておくれ」
慌てて口元を手で覆いながら、信常は苦笑いする。
それを見た信胤がさらに何事か口にしようとしたが、その信胤に先んじて二人の会話に口を挟んだ者がいた。四天王のひとり、木下昌直である。
「いやいや、そういう胤さんだって人のことはあんまり言えねえと思うぜ。戦、戦の毎日のせいで目の下に隈がくっきりと浮かんでるからよ。これがホントの肥前のクマってやつだな! ハハハ」
……シンと静まり返った天幕に昌直の笑い声だけが木霊する。
そんな周囲の空気に気がついたのか、笑いをおさめた昌直は不思議そうに首を傾げた。
「ん? なんでみんなして石ころでも見るみたいな目で俺を見てるんだ?」
信胤は頬に手をあて、深々と溜息を吐いた。
「不条理ですわ。どうして聞かされたわたくしたちが居たたまれない思いをさせられているというのに、口にした当人が平気の平左なんですの?」
信胤の慨嘆に信常が追随した。
「だねえ。なんだか天幕の中が一気に冷え込んできた気がするよ。これはあれだな、真夏の軍議の時に応用すれば、案外役に立つんじゃないか?」
その意見に、信胤は断固として否を唱える。
「エリちゃん、わたくしはこの居たたまれない気持ちを再び味わうくらいなら、うんざりするような夏の暑さも我慢できますわ」
「ああ、うん、言ってはみたもののあたしもごめんだよ。とりあえず木下、あんたは金輪際冗談を口にするの禁止」
「ちょ!? 上方(京都)なら爆笑必至の快心の出来だったぜッ!?」
驚愕する上方出身者。
意外なことに、その昌直を擁護する発言が百武賢兼の口から飛び出した。
「ふむ、わしは見直したぞ、木下。内容はくだらないにもほどがあるが、女同士の会話に口を差し挟み、のみならず胤どのの容貌を笑い話のタネにしようとは並大抵の度胸でできることではない。しかもあの胤どのをして、うんざりしすぎてお仕置きする気も起こさせないとは見事の一語に尽きる。少なくとも俺には真似できん」
それを聞いた成松信勝も、同意だ、というように深くうなずいた。
「うむ、俺にも真似はできないな。笑う気は微塵も起こらなかったが、それを口にした無謀さは称えられてしかるべきだろう。思えば、戦の進退にも木下の無謀さはよくあらわれている。虚空蔵台を落としたときも、将みずから崖のごとき斜面を駆け上って砦内に突入し、ついに砦を落としてしまったのだからな。無謀も極めれば武器になる、ということか」
「百武さんも成松さんも甘いですわよ。わたくしは四天王のひとりとして、木下さんに対し、軍議における発言の無期限禁止を提案しますわ」
「いや、胤、それはさすがに厳しいだろ。戦勝の宴の費用を全額負担、そのていどで勘弁してやらないか。もちろん、胤の酒の相手を務めるのも木下だ」
「あら、それは素敵な案ですわね」
「げ、それはちょっと勘弁し――」
「楽しみにしてますわよ、木下さん。樽の貯蔵に不足なきよう、十全の準備をお願いしますわ」
「酒樽をいくつ空にする気だよッ!?」
思わずわめく昌直だったが、二人の姫武将は気にかけるそぶりも見せない。ついでにいうと、彼女らの目はまったく笑っていなかった。
円城寺の蛇姫(うわばみ的な意味で)の恐怖を思い起こし、顔を青ざめさせる昌直を見て、さすがに気の毒に思ったのだろう、再び賢兼と信勝が口を開いた。
「胤どの、それに信常もそのへんで勘弁してやってくれ。木下の無粋と無謀は今に始まったことではないのだし」
「ちょ!? 百武の旦那、それはそれでひど――」
「うむ、百武のいうとおり。それでも勘弁ならぬというのなら、そう、先に敵将の高橋どのが仕掛けてきた夜襲でも木下は見事な戦いぶりを披露した。その手柄と虚空蔵台を抜いた功績をあわせ、今回の罪にかえるというのはどうだろうか」
「うぇ!? 成松の旦那、それだとせっかくの武勲がなかったことになっちま――」
「お二方にそこまで言われてしまっては矛を収めざるを得ませんわね、エリちゃん」
「だね。木下、今後は気をつけなよ」
「は、はあ、それはもちろん気をつけるけどよ……なーんか納得いかねーぞ……」
ぶつぶつと不平を呟く昌直に信胤がもう一度微笑みかけた。
「――なにか仰りたいことがおありですの、木下さん?」
「いえなんにもないっす!」
「それと、わたくしの顔に隈がどうとか仰っていましたけれど、どのあたりにあるか教えていただけますか?」
「いえどこにもないっす!!」
背筋を正して即答する昌直。その必死の形相を見て、疲労に凝り固まった諸将の顔がわずかにほころんだように見えた。
と、その時。
「なにやら賑やかですね」
そんな言葉と共に天幕に入ってきた者たちがいる。数は三人。
他者を威圧する巨躯の主は元祖(?)肥前の熊こと竜造寺隆信。
鬼面をかぶって涼やかに足を運ぶのは軍師の鍋島直茂。
二人の姿を見て一斉に頭を下げようとした諸将は、三人目の人物を認めて戸惑ったように動きを止めた。
戦場の只中に甲冑もつけずにあらわれた男は、年の頃は四十そこそこといったあたりだろう。
厳しく引き締まった身体つきは戦場を往来する武人のそれであり、目つき顔立ちにも鋭さがあらわれている。半月にわたる戦でざんばら髪と無精ひげが目立つ成松や百武、木下らと違い、あごや頬は綺麗に剃りあげられ、髪も整えられていた。
外見的には文句のつけようのない人物だったが、しかし、この場に集った諸将は男に対してあまり良い感情を抱けなかった。男の眼差しに上から見下ろすような傲慢さが垣間見えたからである。
その感情は北原鎮久という男の名を聞いた後でも変わる事はなく、むしろ不快から嫌悪へと悪感情を深める者さえいた。
◆◆◆
筑前国 岩屋城本丸
尾山種速らと共に宝満城に立てこもっていた重臣 北原鎮久が本丸前に姿を見せたとき、城兵の多くは鎮久が竜造寺軍に捕らえられているのだ、と考えた。岩屋城の将兵は宝満城の陥落こそ知っていたが、城がどのようにして落ちたのか、その詳細は知る由もない。城兵にしてみれば、そう考えるのが当然だったのである。
だが、捕虜の身であるにしては鎮久の装いは整いすぎており、縄を打たれているわけでもない。
自然、城兵は鎮久の前身を思い出し、ひとつの疑惑に行き着いた。
その疑惑が確信にかわったのは、周囲を竜造寺兵に取り囲まれた――否、守られた鎮久が大音声で呼ばわった時である。
本丸の中で決戦に備えていた高橋紹運は、血相をかえた萩尾大学の口から鎮久の訪れを聞き、わずかに眉をひそめた。
「鎮久どのが、敵陣に?」
紹運が配下である鎮久の名を呼び捨てにしないのは、鎮久を尊重している姿勢を示すためである。それは高橋鑑種に仕えていた者たちの動揺をしずめるためであったが、それが理由のすべてというわけではなかった。先の戦の進退を除けば、北原鎮久の高橋家での実績は敬意を払うに足りる、と紹運は考えていたのである。
その紹運を前に、大学は口早に鎮久の行動を告げた。
「は、殿に直接申し上げたきことあり、と盛んに呼ばわっております。竜造寺の木下昌直と配下の兵が周囲を固めておりますが、虜囚の身にしては縛められている様子もなく……」
また裏切りを働いたのではないか、という言葉を大学は飲み込んだ。
事態は明白であるように思えるが、それを口に出すことで城内の士気が落ちるのをははばかった――というより、自分が裏切りという言葉を口にした途端、それが事実として確定してしまうような気がして、ためらってしまったのである。
自分は弱気になっているのだろうか、と大学は自問する。
今、大学は実質的な副将として紹運の傍にいた。つい先日までは父の麟可が務めていた役割である。
麟可は緒戦で受けた矢傷をおして守城の指揮を執っていたのだが、篭城の最中とてろくな手当てをうけることも出来ず、今から数えて五日前、ついに倒れてしまった。
このため、急遽大学が父の代わりを務めることになったのだ。麟可が回復し次第、大学は御役御免になるはずだが、傷口を洗う水さえ満足に使えない戦況では症状がよくなるはずもなく、麟可が回復する気配は一向にない。
高橋家には麟可以外にも有力な武将は幾人もいるのだが、虚空蔵台砦を守っていた福田民部は木下昌直の猛攻を三日の間耐え抜いた末に討死し、百貫島砦を守っていた三原紹心は江里口信常との壮絶な一騎打ちのはてに討ち取られた。
彼ら以外にも主だった将の多くが泉下に赴いており、大学はおのが未熟を承知しつつ、副将の務めを続けざるを得なかったのである。
「――行こう」
「……は?」
物思いにふけっていた大学は、一瞬、紹運の言葉の意味を解しそこねた。
思わず怪訝そうな声を発してしまった大学を見て、紹運がおかしそうに口元をゆるめた。
「鎮久どのは私に話があるといっているのだろう? その中身がなんであれ、聞かなければ答えを出すこともできない」
「し、しかし、殿がお姿を晒せば狙いうたれる危険がございます。話をお聞きになるのであれば、北原どのをここに招けばよろしゅうございましょう」
「それでは鎮久どのは応じまい。今日までの戦いぶりを見れば、竜造寺がここで小細工を弄してくるとも思えない。むしろ、こちらの兵が妙なまねをしないように注意してくれ、大学」
「――は、かしこまりました」
紹運の意を悟った大学は頭を垂れる。
裏切ったと思われる鎮久がいつまでもその姿を晒していると、城内の兵が憤激して暴走する危険がある。あるいは、そうしてこちらを挑発することも鎮久の目論みのひとつなのかもしれない。紹運はそれを案じたものと思われた。
櫓の上に紹運の姿を認めた鎮久は、待ちかねたように滔々と語りはじめる。
「――大友家当主、宗麟どのには二つの大罪ありッ! ひとつ、異教に溺れて数多の寺社仏閣を打ち壊したこと! ふたつ、聖都を築くと称して日ノ本の国土を南蛮に売り渡したこと! かかる愚行を為した者は九国、否、日ノ本の歴史をかえりみてもかつてない。それだけでも許しがたくあるに、宗麟どのは家臣の諌めを聞き入れず、今なお九国に惨禍を撒き散らしているのだッ!」
遠からん者は音に聞け。そういわんばかりに鎮久はまくしたてていく。
両軍の将兵と岩屋山の草木を聴衆とした糾弾は、なおも続いた。
「この鎮久が鑑種さまと共に兵を挙げたのは、どれだけ言葉を尽くしても宗麟どのを諌めることはできぬと悟ったからであった。一身の繁栄を願ってのことでは断じてない! 近年、立て続けに起こった争乱は、これすべて大友家を糾さんとする忠臣たちの悲鳴にも似た訴えであったのだッ! その忠臣たちの訴えを! 真に大友家を憂い、九国を憂えた者たちの切なる声を、武力でもって押しつぶしたのが立花道雪どのであり、そして高橋紹運どの、今現在の貴殿なのだ!!」
鎮久の糾弾に対し、紹運は言い返そうとはしなかった。竜造寺兵に守られた鎮久を櫓の上からじっと見下ろし、ただ静かに耳を傾けている。
その傍らにいる萩尾大学の方は、何度かこらえかねたように口を開きかけたが、紹運が黙って聞いている以上、自分が先に口を開くのは僭越であると思い、なんとか憤懣を押し殺していた。
そんな大学をよそに、鎮久の舌は滑らかに回転し続ける。
「わしは貴殿らの前にひとたびは膝を屈した身。ゆえに、貴殿らの武勇を称えずにはおれぬ。そして、同時に言わずにはおれぬのだ。それだけの武勇を持ちながら、何故にいつまでも無道の君主を支え続けるのか、と。貴殿らが戦えば戦うほどに宗麟どのの罪は深くなり、大友家の名は穢れ、九国の民の苦しみは募るばかりではないか。家臣が主君に従うことを忠という。されど、その忠が主君を傷つけ、主家を貶めていると知ったとき、これを糾す行いもまた忠ではないのか?」
一兵卒ならば己の心を満たすためだけに、ただひたすら宗麟に従い続けるもよいだろう、と鎮久はいう。
だが、立花、高橋の家を継いだ者には、自身の心情だけでなく、多くの家臣と民のこともあわせて考える責務がある。しかるに道雪は、そして紹運もまた、今日なお城に立てこもって無用の抗戦を繰り広げ、敵味方の命を無意味に潰えさせている。
兵の屍で山を築き、女子供の涙で河をつくって、その果てにどうするつもりか、と鎮久は言い立てた。
「武門の意地は今日までの戦いで十分に示すことができたであろう。これ以上の抗戦には何の意味もない。兵のため、兵の帰りを待つ家族のため、そしてなによりも平和を望む九国の民のため、紹運どの、どうか矛をおさめてはくれまいか。先の戦いの後、臥薪嘗胆の思いで膝を屈したわしを受け容れてくれた恩は忘れておらぬ。降伏してくれれば、今日まで戦い抜いた将兵の無事は保証しようし、領地についてもできるかぎり取り計らうと約束する。わしは心より貴殿を惜しむがゆえに、今一度言う。高橋紹運どの、どうか矛をおさめ、門を開き、正道に立ち返られんことを! 貴殿の英断を心から願うものである!」
語り終えた鎮久は、上気した顔で紹運の返答を待った。
自然、竜造寺と大友とを問わず、すべての将兵の視線が櫓上の紹運に集中する。彼らは鎮久と同様に口を閉ざし、紹運がなんと応じるのかと緊張して身構えた。紹運の返答次第では、今から最後の戦いの火蓋がおとされるかもしれない。
将兵の視線を一身に集めた紹運の口がゆっくりと開かれた。
「大友家を憂い、九国の民を憂う貴殿の思い、確かに承った。私と兵の命を惜しんでいただいたことには感謝の念を禁じえない。しかしながら、我らはこの期に及んで仰ぐ旗をかえる心算はなく、たとえ死すとも大友家の臣であり続ける所存である。それを望まない者たちには、すでに城を去ってもらった。ゆえに遠慮も斟酌も無用である」
静かな、それでいて確かな芯を感じさせる紹運の声。それは百万言を費やすよりもはっきりと、聞く者に紹運の意思を伝えていた。
当然、鎮久にもそれは伝わった。だが、鎮久としても紹運がすぐさま降伏すると考えていたわけではなく、即座に攻め口をかえてきた。
「あくまで宗麟どのに忠誠を尽くすというか。紹運どの、それは異教におぼれ、南蛮に国土を売り渡した宗麟どのの過ちを見過ごすことと同じでござるぞ。今日まで貴殿が築きあげてきた武勲と名声、そのすべてをドブに投げ捨てるおつもりか」
「主君の過ちは、それを糾すことができなかった臣下の過ちでもある。過ちを知ってこれを改めず、それこそ過ちであるとは古人の説くところ。そして、改めるとはみずからの過ちを棚に上げ、主君の過ちを責めたてることではない」
言いながら、紹運はわずかに目を伏せた。
宗麟の行い、そのすべてを肯定することは紹運にもできない。現在の大友家が九国の平安を乱す元凶になっていることは誰にも否定できない事実なのである。
仕方なかったのだ、とは思う。だが、それは大友家に仕え、宗麟や道雪、父吉弘鑑理や角隈石宗、さらにカブラエルらと間近で接していた紹運だからこそいえることであって、他者に同意を求められるものではない。
特に大友家の外にいて、大友家によって大切なモノを失った者たちには絶対に口にしてはならない言葉だった。加害者が被害者に理解を求めることほどおぞましいものはない。
ゆえに、紹運はただ己の覚悟を口にする。
大友家に踏みにじられた者たちにとって、その覚悟が独善であり、傲慢ですらあることを承知の上で、自分の立ち位置を明確にする。
「――我らは宗麟さまに従い、大友家のために戦う。それこそが過ちを改める道であると信じる。ゆえに、大友家の滅亡を願う貴殿らとは決して相容れぬのだ。互いの立ち位置は明確であり、たとえ神仏であっても我らの間に横たわる溝を埋めることはかなわないだろう。もはや弓矢をとる以外に決着をつける道はない」
その紹運の言葉に、鎮久はやや慌てた。
鎮久としては、主君である宗麟を悪し様に罵れば紹運が感情的になると考えていた。紹運が宗麟を擁護すれば、その矛盾をつくことは容易である。あるいは鎮久の変節を非難してくるかもしれないが、そうなれば宗麟の悪行とからめて自身の正当性を声高に述べ立てるだけのこと。宗麟の行いが無道なものであるのは確かなのだから、鎮久の言葉には説得力が宿り、逆に紹運の言葉は説得力をもちえない。
実のところ、鎮久は是が非でも紹運を降伏させようとは考えていなかった。というより、紹運が降伏することはまずあるまいと判断していた。
にも関わらず、どうして降伏勧告の使者になったのかといえば、大勢の将兵の前で宗麟を非難し、大友家を詰ることで、その大友家に叛旗を翻した鎮久自身の正当性を際立たせるためであった。鎮久にとって紹運との問答は、汚名を返上するためのパフォーマンスに過ぎない。
これは毛利隆元や高橋鑑種の指示によるものではなく、鎮久の独断だった。鑑種は宝満城を落とした後、鎮久に城を託して立花山城に赴いており、鎮久はその隙を縫うようにして竜造寺の陣に赴き、いかにも毛利家からの使者のように振舞ってこの場に立っている。もちろん、毛利家からの使者といえば竜造寺家が断れないことを計算の上で、であった。
「紹運どの、それは短慮というものだ。良禽は木を択んで棲む、というではないか。項羽を捨てて劉邦を選んだ韓信の例もある。無道の主君の下を去り、新たな主君に忠誠を誓うことは決して恥となるものではない」
口早に告げたその言葉を聞いても、紹運の顔色はかわらない。
「この紹運は今日まで大友家の臣として禄を食み、宗麟さまは数ならぬこの身に多大な信頼をお寄せくださった。その信頼に応えることが大友家臣としての私の忠であり、一個の武士としての私の義なのだ。義は士たるものの根幹、これを持たぬ武士は鳥獣に等しい。竜造寺どのが鳥獣を欲するならいざ知らず、そうでないのならばこれ以上の勧告は無用のものと心得られよ」
「……戦いを続ければ、それだけ多くの者たちが傷つけ倒れていくは必定。城内の者たちは覚悟していたとしても、彼らの家族はどうか。皆が父の、夫の、子の、兄の、弟の無事を願い続けているのではあるまいか。貴殿の決断ひとつで数千の家族の願いをかなえることができるのですぞ! 武門の務めはただ敵を討つだけにあらず。救える味方を救うてこそ武門の誉れと心得るが如何!?」
「もとより武士とは命を奪い、奪われる罪深きものだ。敵と味方とを問わず、将兵の家族に恨まれ、憎まれるのは避けられぬこと。刀をとると決めた日から覚悟はできている」
理屈をこねても、情に訴えても、小揺るぎもしない紹運を見て、鎮久の顔に焦りが浮かび始めた。鎮久にとって交渉の首尾は重要なことではない。ただ、紹運にあしらわれてすごすごと引き下がることはできなかった。
周囲から向けられる視線に軽侮の色が混ざりはじめたことも、鎮久の焦慮に拍車をかけていたかもしれない。それは大友兵だけではなく、竜造寺の兵でさえそうだった。
その視線を振り払うように鎮久は声を高めた。
「あくまで勝ち目のない戦いを続け、多くの兵の命を失わせしめるというのかッ!? たとえ義を捨てようと、それで救われる命があるのなら、どうしてその決断をためらう必要があろう。それを卑怯とそしる者はどこにもおらぬ、むしろ諸人は紹運どのの勇気をほめ称え――」
それを聞いたとき、はじめて紹運の目に鋭利な輝きが宿った。
鎮久の言葉が終わるより早く、その口から清冽な叱咤が迸る。
「一身を賭して貫く義を持たずして、何がための武門か!!」
それはスギサキの名称そのままに鋭く、何者にも犯しえぬ硬質の意志で形作られる言の葉であった。
紹運は決して声を張り上げたわけではない。にも関わらず、鎮久は吐き出していた言葉を飲み込み、竜造寺軍の将兵は慄然として立ち尽くす。山野の隅々まで響きわたる紹運の静かな威に圧されてのことだった。
ただひとり、木下昌直だけが鎮久のすぐ後ろでつまらなそうに眉をしかめる中、語調をととのえた紹運は淡々と続けた。
「鎮久どの。もはやこれ以上言葉を重ねたところで詮無きこと。我らは我らの義をもって城を守る。貴殿らは貴殿らの義をもって城を攻められるがよい」
穏やかな声だった。もとより歩み寄る可能性など皆無の交渉である。決裂するはずだった交渉が決裂した、紹運にとってはただそれだけのことだったのだ。
しかし、鎮久はそこに失望と軽侮の響きを感じ取った。年少の紹運にあしらわれた、との思いが自尊心に爪をたてたのかもしれぬ。あるいは、我が事ならず、と悟ったのかもしれぬ。
いずれにせよ、鎮久はここで従容として踵を返すことはできなかった。
「これは驚いた。高橋家の名跡を継いだ者が、これほどの愚か者であったとは! 民など知らぬ、兵など知らぬとうそぶき、暴虐の君主を守り支えて九国をかき乱すことこそ我が義であると放言するとは! まさしく鳥獣以下の畜生の所業である。畜生に道理を説いたところで無益であったわ」
鎮久の顔が毒々しい嘲笑に染まり、その口からは憎々しげな声が溢れ出る。
その鎮久に対し、本丸にたてこもる大友兵が憤激の声をあげた。そして、それは大友兵だけにとどまらない。鎮久の周囲にいる竜造寺兵も、鎮久に対して厳しい視線を向けていた。
竜造寺軍にとって紹運は憎い敵将であるが、それでも避けられぬ死を前にして、あくまで主君に忠誠を誓い、節義を全うしようとする姿に何も感じないわけはない。少なくとも、紹運を口汚く罵る鎮久の姿に共感を覚える兵は一人としていなかった。
また、大友兵は知らないことだが、もともと竜造寺の将兵は毛利家からの使者である鎮久に反感を抱いている。今日まで紹運率いる大友軍と戦い、追い詰めたのは竜造寺軍であったのに、その成果を横からかっさらうような真似をする者にどうして好意を抱けようか。その思いが紹運への敬意とあいまって、鎮久に対する敵意として噴出したのである。
味方であるはずの竜造寺兵からも非難され、鎮久はますます逆上した。
「騒ぐな、無知な雑兵どもめ! 畜生相手に礼儀を守る必要なぞない。紹運ごとき女郎に――」
鎮久がさらに痛烈な罵詈を口にしかけた、その時だった。
それまで背後にたたずんでいた木下昌直がはじめて動いた。握り締めた拳が、死角から鎮久の後頭部を打ち据える。
「――ッ!?」
避けようのない一撃をまともにくらい、鎮久は悲鳴をあげることもできずに倒れ伏す。
昌直は相変わらずつまらなそうな表情のまま、そんな鎮久を見下ろしてうんざりしたように吐き捨てた。
「聞いてらんねえよ。たく、使者に立つなら、もうちょいヒンイってやつを身につけてほしいもんだぜ」
そう言うと、昌直は乱暴に鎮久の身体を引き起こすと、苦しげなうめき声を無視して右肩に担ぎ上げた。
つまらない冗談を口にした罰、という口実で鎮久の護衛という任を他の四天王から押し付けられた昌直は、余った左手でがりがりと頭をかいた。鎮久の口上が聞くにたえないものであったとはいえ、衆人環視の中、毛利家の使者を殴り倒してしまった事実は消しようがない。
(ああ、くそ、これでせっかくたてた手柄もパアじゃねえか。まさか牢に入れられたりしねえよな?)
そんなことを考えつつ、昌直はいまだ櫓からこちらを見下ろしている紹運に向けて呼びかけた。
「城兵の覚悟、確かに聞いたぜ! 望みどおり、俺たちの義ってやつのために全力で攻め込ませてもらうッ! てめえらの命はあしたの日の出までだ、それまで精々仲間と別れでも惜しんでやがれッ」
言うや、昌直は踵を返して紹運に背を向けた。
大友軍は昌直の突然の行動に戸惑うばかりで罵声を発することもできない。先の戦いで昌直と直接刃を交えた大学も、味方を殴り飛ばした昌直の奇行に目を白黒させることしかできず、ただひとり、紹運だけがどこか感心した様子で去りいく昌直の後ろ姿を見つめていた。
一連の出来事を遠くから眺めていた円城寺信胤は、くすくすと微笑んだ。
「――あらあら木下さんてば、使者を殴り飛ばすだけではあきたらず、総攻撃の刻限まで教えてしまいましたわよ。これは由々しきことですわ。無事に任を果たせば勘弁してあげようと思っていましたけれど、やはりわたくしの酒席の相手をつとめてもらわないといけませんわね」
「それは許してやれって。どうせ木下がああすることは予測してたんだろ、胤?」
呆れたように肩をすくめる江里口信常に、信胤は似たような仕草を返す。
「あら、わかりまして? わたくしたちでは、後々のことを考えて手を出しかねてしまいますけど、おバカな木下さんならそのあたりはおかまいなしですものね。それにこうしておけば、もし毛利家から詰問の使者が来ても、木下さんを差し出しさえすれば綺麗に解決しますわ」
「この鬼」
信常は半眼で信胤を見たが、その頬には笑いに似た何かがある。
それを証し立てるように、信常はこう続けた。
「ま、今の木下を見れば、陰であいつを余所者だ、新参者だ、ついでに無礼者だって嫌っている連中も、少しは見る目をかえるだろう。木下にとって悪いことばかりってわけでもないさね。弓姫さまは色々と考えてらっしゃるようだ」
「あらあら、なんのことでしょう?」
澄ました顔で首をかしげる信胤を見て、信常はもう一度肩をすくめた。
「直茂」
「は」
「篭城続きの城では酒はおろか水もたいして残っておるまい。それでは末期の酒も酌めぬ。城の者どもに酒樽を二十ばかりくれてやれ」
竜造寺隆信の言葉を聞いた直茂は、確認するようにゆっくりと問いかけた。
「……よろしいのですか、殿?」
直茂は後方の異変について、すでに隆信には説明している。今の隆信の言葉は夜襲という選択肢を捨てることを意味した。わずか一夜、時間にして数刻程度、だが後方の動き次第では、その数刻が竜造寺家にとって致命傷になる可能性もないわけではない。
隆信はそれを承知した上で、はっきりとうなずいた。
「かまわん。罪人でさえ末期の酒は許されるのだ。今日までわしに抗いぬいた小癪な連中とはいえ、この程度の情けはかけてやってもかまわぬだろう」
「かしこまりました。ただちに」
直茂が特に反論もせずにうなずいたのは、直茂もまた隆信と同様のことを考えていたからであり、もうひとつ、ある懸念が解消されたからでもあった。
鎮久の来訪を知ったとき、直茂はそのあまりのタイミングの良さから、後方の異変に毛利家が関与している可能性を真剣に考慮した。
そのため、鎮久の一挙手一投足に気を配っていたのだが、鎮久の言動を見るかぎり、どうやらこれは直茂の考えすぎであったらしい。もちろん、鎮久の到来それ自体が囮であるという可能性もあるのだが、現在までのところ、宝満城の高橋勢、古処山城の秋月勢、さらに立花山城を攻囲している毛利本軍にも目立った動きはなく、あえて損害の大きい夜襲を行う必要性は薄い、と直茂は判断した。
くわえて、昌直があんなことを紹運に伝えてしまった手前、ここで急遽夜襲など行ってはそれこそ竜造寺家は鎮久の同類になってしまう。
(敵の忠勇を称えることは将としての美徳です。竜造寺隆信は士を知る者との評判を得ることは、これからの私たちにとっておおいなる益となるでしょう)
そう結論づけた直茂は、隆信の指示どおりに大友軍に酒樽を送り、大友軍は疑うことなくこれを受け取った。
篭城相手に酒を贈る隆信の行いは大友軍を驚かせると同時に感心させ、一方、毒見をするという申し出にあっさりとかぶりを振り、感謝と共に贈り物を受け取った紹運の行動は竜造寺軍を喜ばせた。
今日まで無数の死屍を積み重ねて戦い続けてきた者同士、そして明日になればまた命をかけて殺し合わねばならない者同士だということを考えれば、この束の間の休戦にどれだけの意味があったのかはわからない。
それでも、そこに意味はあると多くの将兵が考えた。
だからだろう、決戦を明日に控えた両軍の空気は、この一夜にかぎり、驚くほどに穏やかであった。
――夜半、ひとりの青年が竜造寺本陣を訪れる、その時まで。