「…………あれ?」
車を運転していた男はそう言ってブレーキを踏む。
キキッと軽く音を立てて車は停車した。
「……ここ……どこ……?」
「…………………………」
運転していた男は呆然と呟き、隣の助手席に座る男は無言を持って答えた。
彼らの目の前には、無限の荒野に赤黒い空という、いかにも終末的な景色が広がっていた。
深緑に塗装された車の左右のドアが同時に開き、2人の男が降り立った。
右の運転席側から降りた男は、年齢25~30歳くらい。
身長180cm前後の無駄な肉のない引き締まった体。
頭は少し茶色いサラサラした髪を中わけに。
顔はやや軽薄そうな美形。
どこか陽気ないたずら小僧のような雰囲気を纏った人物であった。
左の助手席側から降りた男は、同じく年齢25~30歳くらい。
身長190cm前後のこれまた無駄肉の無いガッチリした体型。
頭は針金のようにツンツンした黒髪直毛を短くまとめあげている。
顔は鋭い目つきをした仏頂面ながらもその造りはかなり整っている。
全体的にハードボイルドなイメージを持った人物であった。
2人は同じ色、同じデザインの服に身を包んでいる。
緑と茶の独特のマダラ模様をした上着とズボン。
いわゆる軍服というやつである。
見れば彼らが乗っていた車も軍用車両のようである。
そう、彼らは日本国陸上自衛隊に所属する自衛官であった。
「はてさて。こりゃあどーゆーわけだ?」
茶髪の自衛官が辺りを見回しながら軽い調子で口を開く。
「俺たちはさっきまで演習場に向かって車を走らせていた。俺たちの車の前後には当然仲間の車もいた」
彼は今の状況になった経緯を順序立てて思い出していく。
「で、ふと気がついたら周りの景色が激変していて、一緒に走っていた仲間の車も消えちまっていたと……」
沈黙。
「……って、わけわかんねーよ!」
ひとりノリツッコミをする茶髪の自衛官。
対して、黒髪の自衛官のほうは無言状態。
「そもそもここは日本か? 『戦国自衛隊』よろしくタイムスリップでもしたか? 謎の光や霧とかに包まれるような前触れや演出もなく?」
「………………」
「夢……でもないな。それにしちゃリアルすぎる」
「………………」
「『どっきり』……はないか。上が撮影の許可出すわけがない」
「………………」
「おい。おめえも黙ってないで何か言えよ」
茶髪の自衛官は無言を続ける相方に話を振る。
すると、黒髪の自衛官は見かけのイメージに違わぬ、低いトーンの渋い声(ヴォイス)で喋り始めた。
「……ふむ……この状況は……」
そう言いながら彼は、ポケットから煙草の箱を取り出す。
箱から煙草を1本取り出して口にくわえつつ、次に銀色のライターを取り出す。
カチン シュボッ
ライターを着火し、そこにくわえた煙草の先端を持っていき、軽く息を吸って火を灯す。
カチン
煙草に火が灯るとライターの火を消し、煙草の箱といっしょに再びポケットにしまう。
ふぅぅぅぅー
深く飲み込んだ煙を一気に吐き出す。
彼の目の前が紫煙で覆われる。
その一連の動作はやけに様になっていて、映画やドラマのワンシーンのようであった。
煙を吐き終えると、彼は先程の台詞の続きを言った。
「俺に分かるわけないだろう」
「だったら思わせぶりな喋り出しするな!」
少し期待して聞いていた茶髪の自衛官が文句を言う。
すると黒髪の自衛官は目だけ茶髪の自衛官に向け。
「では、お前には今のこの状況が分かっているのか?」
「いや、だから分からないからお前に聞いたんだが?」
何言ってんだこいつと茶髪自衛官が答える。
すると黒髪自衛官は得意気に。
「それみろ。自分でも分からないことで人に文句を言うな」
「はあ? なんだそりゃあ?」
微妙におかしな会話展開に茶髪自衛官が脱力した感じで言う。
黒髪自衛官は目を再び前方の景色に向けながら煙草を吹かしている。
「ったく、このハードボイルド天然め」
茶髪自衛官は文句を言いつつ車のボンネットに腰掛け、胸ポケットをまさぐる。
そして取り出したのは、コンビニやスーパーでも売っている、ごく普通の板チョコであった。
チョコを包んでいる包装紙と銀紙を破き、露出したチョコにかぶりつく。
しばし、パリパリとチョコを噛み砕く音と、煙草の煙を吐く息音のみが場を支配する。
その間2人は、ボーと目の前に広がる末世的な景色を眺めていた。
やがて黒髪の自衛官が、短くなった煙草を地面に捨て、足で火を踏み消しつつ口を開いた。
「さて、そろそろ行くか」
「(パリパリ……ポリ……んぐ……ごくん)行くって、どこへ?」
チョコの最後の一欠けらを飲み込み、茶髪の自衛官が訊ねる。
「ここでじっとしていても仕方あるまい。普通の遭難とは違うのだからな」
「……ま、確かにな。どう見ても俺たちがいたのとは別の世界っぽいし」
「ならばここがどこか調べるためにも、とりあえず行けるところまで行ってみるしかなかろう」
「だな。幸い……と言って良いのか分からんが、燃料満タンの車もあることだしな」
そう言って茶髪の自衛官は、自分が座っている車のボンネットをバンと掌で軽く叩いた。
「武器と食料もな」
黒髪の自衛官が付け加える。
「ああ……しっかし、こんな訳の分からない状態に遭遇しているってーのに、全然動じねーのなお前」
茶髪の自衛官は感心とあきれの混ざった顔で言った。
「そう言うお前も、いつもと変わらないようだが?」
「まーね。パニクったところでどうにかなるって訳でもないし……」
「マイペースなやつめ」
「お前が言うかね」
そうして2人は再び車に乗り込み、昏(くら)い空と荒野が合わさる地平線に向かって走り出した。
無人の荒野を疾走する車。
軍用車両だけあって、かなりの悪路も問題なく走破していく。
あれから一応、車の無線で連絡を試みてみたが。
予想通りというか、無線はどこにもつながらず、ザァーという空しい音が流れるのみであった。
「あーあ、元の世界じゃ今頃大騒ぎだろうな?」
「現役自衛官2人が武器を積んだ車ごと失踪したのだからな」
「こりゃマスコミや平和団体がうるさいぞ。ただでさえ例の海外派遣で波紋を呼んでるってーのに」
「タイミングが悪かったな」
「なーんか無事帰れたとしても、碌な事がなさそうだな」
「懲戒免職くらいは覚悟しておくべきか」
車中での会話内容は結構深刻にもかかわらず、彼らの口調は極めて軽い。
まるでどうでもいい雑談をしているようだ。
いきなり変な世界に飛ばされても動じないだけあって、なかなか太い神経を持っている。
ちなみに2人の会話の様子は、だいたい茶髪が話しかけ黒髪が相槌を打つという形だ。
黒髪の自衛官は口数が少ないようである。
しばらく走った頃だろうか、その口数の少ない彼から今度は口を開く。
「……臭いが強くなってきたな」
「臭い? ああ、この世界に来た時から臭っている……」
茶髪の自衛官が顔をしかめる。
この世界には、ある臭いが充満していた。
今その臭いはどんどん強くなっている。
つまりそれは進む先に臭いの元があるということ。
「何なんだろーね。この鉄が錆びたよう臭いは?」
どこか白々しいトーンの茶髪の台詞に、黒髪が即答した。
「血の臭いだ」
「…………お前ね。人がせっかく触れないようにしているのに……」
非難めいた目で黒髪を見る茶髪だが。
「そうだったのか? さっきチョコをばくばく食っていたから、気にしていないのかと思ったのだが」
「む……」
確かに血の臭いの中で物を食っておいて、今さら気にするも何もないだろう。
というより、彼の神経を疑うべきか?
そして……
「ん? あれは?」
前方に何かが見えてきた。
「………………ッ!」
それが何か分かると、運転をしていた茶髪自衛官は思わず車を止めた。
2人は前方に見えるものを凝視する。
「…………海だ」
「ああ」
茶髪が呆然と呟き、黒髪が相槌を打つ。
「『赤い海』だ」
「ああ」
そう。
今2人の目の前に広がっている海は、血のような赤い色をしていた。
「まさか…………」
茶髪自衛官がわなわなと言葉を紡ぐ。
彼は分かった。
分かってしまった。
今いる場所がいったいどこなのか。
「まさか……ここは……」
そう、『赤い海』というキーワードで導き出された答えは。
「『羽生蛇村(はにゅうだむら)』なのか!?」
……………………いや、違うだろ。
「どうやら俺ら、ゲーム『サイレン』の世界に来ちまったみたいだぞ」
「おい」
「やっべー、屍人に襲われちまうよ。こりゃさすがに焦るぜ」
「おい」
「すぐさま武器と弾薬のチェックを「おい!」……なんだよ?」
話の腰を折られて茶髪が黒髪を睨むが。
「ここは『サイレン』の世界じゃない」
「なぬ?」
「確かに『赤い海』と言ったら、今は『サイレン』が一番旬だろうが、『羽生蛇村』にあんなものはないだろ?」
そう言って、黒髪の自衛官は赤い海の向こうを指差した。
茶髪の自衛官は指差さされたほうに目をやる。
「おおっ……!?」
そこには山ほどもある巨大な真っ白い少女の生首が、顔を半分にかち割られた状態でころがっていた。
「『赤い海』と言えばもう1つ、社会現象にまでなった有名なアニメがあったろ」
驚いている茶髪に黒髪が声をかけた。
「……そっか。ここは『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版完結編のラストシーンか」
茶髪自衛官はポンと手を叩いて納得すると、その顔は見る見る苦いものとなる。
「つまりここは、専門用語で言うところの『EOE』の世界ってやつ? 『サイレン』の世界よりひでーじゃねーか」
茶髪自衛官はゲンナリと言った。
それもそのはず。
この世界。
公式には謎だが、とある少年少女の2人を残し、全ての生物が消滅しているだろうというのが通説だからだ。
「何もかも終わっちまった世界に来てもなあ。はっきり言ってどうしようもないぞ」
茶髪の自衛官はハンドルに顎を乗せてぼやいた。
どうでもいいがこの2人、外見に似合わず結構オタクのようだ。
少ししてから黒髪の自衛官が訊ねる。
「……で、どうするんだ?」
「んんーどうすっかねえ……」
茶髪の自衛官は少し考えるふうにしてから、ピンと何か思いついた顔をして言った。
「せっかくだから、『碇シンジ』に会いに行くか!」