SIDE:オスマン
王宮から届けられた一冊の本を見つめながら、ぼんやりと髭をひねっていた。
古びた革の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうだった。色あせた羊皮紙のページは、色あせて茶色くくすんでいる。
ふむ……、ページをめくる。そこには何も書かれてはいない。およそ、三百ページぐらいのその本は、どこまでめくっても、真っ白なのであった。
「これがトリステイン王室に伝わる、『始祖の祈祷書』か……」
六千年前、始祖ブリミルが神に祈りをささげた際に詠み上げた呪文が記されていると伝承には残っているが、呪文のルーンどころか、文字さえ書かれていない。
「まがい物じゃないのかの?」
胡散臭げにその本を眺める。偽物かのぉ。しかし、王宮が送ってきたものである。
偽物は数多く存在する。それこそ偽物だけで図書館ができると言われているくらいだ。
「しかし、まがい物にしても、ひどい出来じゃ。文字さえ書かれておらぬではないか」
そのときノックの音がした。秘書であるはずのロングビルはいない。サイトに雇われ直して秘書は兼用なのだ。優先するのは給料のいい方、つまりはサイトの方が優先される。
新しい秘書を雇わねばならぬな、と思いながら、来室を促した。
「鍵はかかっておらぬ。入ってきなさい」
扉が開いて、一人の少女が入ってきた。
桃色がかったブロンドの髪に、鳶色の瞳。
ルイズであった。何故か呼んでもいないのにサイトの姿も見えた。
「わたくしをお呼びと聞いたものですから……」
「おお、ミス・ヴァリエール。旅の疲れはいやせたかな? 思い返すだけで、つらかろう。だがしかし、おぬしたちの活躍で同盟が無事締結され、トリステインの危機は去ったのじゃ」
「その件で儲けさせてもらいました。しかし、二度と姫様の命令は受けたくない所存であります」
相変わらずじゃのぉ。ワシからも金銭と秘書を奪っておいて。
「そして、来月にはゲルマニアで、無事王女と、ゲルマニア皇帝との結婚式が執り行われることが決定した。きみたちのおかげじゃ。胸を張りなさい」
「ない胸を張れっていうw」
あー、君、ややこしくなるから黙ってくれんかのぉ。ほれ、ミス・ヴァリエールも睨んでおるぞ。
暴れられないうちに『始祖の祈祷書』を渡しておくかの。
「これは?」
「始祖の祈祷書じゃ」
「始祖の祈祷書? これが?」
「白紙じゃん」
彼は素早く『始祖の祈祷書』をルイズから抜き取りペラペラとページをめくっていた。
「トリステイン王室の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。選ばれた巫女は、この『始祖の祈祷書』を手に、式の詔を詠みあげる習わしになっておる」
「は、はあ」
「そして姫は、その巫女に、ミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ」
「姫さまが?」
「あの、馬鹿が?」
姫殿下をバカ扱いかい。ここは無視しておこう。
「その通りじゃ。巫女は、式の前より、この『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩き、詠みあげる詔を考えねばならぬ」
「えええ! 詔をわたしが考えるんですか!」
「そうじゃ。もちろん、草案は宮中の連中が推敲するじゃろうが……。伝統というのは、面倒なもんじゃのう。だがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指命したのじゃ。これは大変に名誉なことじゃぞ。王族の式に立ち会い、詔を詠みあげるなど、一生に一度あるかないかじゃからな」
「王宮が推敲するもんをルイズに頼んでどーする? おめでとうって書いて送ってやれよ。後は王宮がなんとかしてくれる」
ほっほっほ。まったく愉快な少年じゃ。
「わかりました。謹んで拝命いたします」
「快く引き受けてくれるか。よかったよかった。姫も喜ぶじゃろうて」
その日の夕方。俺は風呂の用意をしていた。
学院の風呂は天然温泉にある施設のようにだだっ広い風呂に香水を混ぜたお湯で張られていた。
なぜ知っているか?
清掃員を装い侵入して見学したからだ。
俺はマルトーに頼み込んでもらった大釜をギーシュを使って風呂にしていた。
水を排出する栓だってあるんだぜ。
しかも、固定化もかけてもらったので錆びない。
水を入れるのはバケツを使っている。これは体を鍛えるためだ。楽はしない。
ヴェストリの広場の隅っこに風呂を作った。
この広場は、人が来なさすぎ。逢引にはもってこいだね。
「おふぅ」
横の壁に立てかけたデルフリンガーが、俺に声をかけた。
「いい気分みてえだね」
「おう、久しぶり。つっても二人きりで話すの久しぶりって意味ね」
「なにいってんだ? 相棒?」
「こっちの話さ」
夕日の空を見る。きれいだ。
「ところで相棒、ずいぶんとモテてるが本命は誰だ?」
「モテてる……だと?」
「ああ、みーんな相棒のことよく見てるぜ?」
「マジで? 最近やること多くて気づかなかったわ」
「お、それより、相棒、誰か来たみてえだぜ」
あ、ああああああああああああ。
シエスタフラグじゃん。
キタ━(゚∀゚)━!
「誰だ?」
俺が叫ぶと、人影はびくっ! として、持っていた何かを取り落とした。
がちゃーん! と月夜に陶器の何かが割れる音が響き渡る。
「わわわ、やっちゃった……。また、怒られちゃう……、くすん」
「シエスタじゃん、なにやってんの?」
俺と風呂に入るために来たんですね。わかります。
「あ、あのっ! その! あれです! とても珍しい品が手に入ったので、サイトさんにご馳走しようと思って! 今日、厨房で飲ませてあげようと思ったんですけどおいでにならないから!」
ドジっ子メイドもいいな!
「で、ご馳走って?」
「そうです。東方、ロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しい品とか。『お茶』っていうんです」
そういや東方ってマジで日本文化あるのかねぇ?
中国製品かもしれんな。
そう考えているとシエスタは、ティーポットから、割れなかったカップに注ぐと俺にくれた。
「ありがとう」
緑茶ですね。わかります。
ふと心が落ち着く。
自然と目から涙がこぼれていた。
「ど、どうなさいました! だいじょうぶですか!」
「はは、泣いてやんの」
マジでどうしたんだろう? 懐かしい気持ちで胸がいっぱいだ。
哀愁っての?
振り返って思い出す。
なんで自殺したかな。
後悔。すげー、後悔してる。
涙が止まらなかった。
「だいじょうぶですかサイトさん?」
「いやー、なんだかすっきりした。まじでありがとうシエスタ。懐かしいねぇ。お茶」
「懐かしい? そっか、サイトさんは、東方のご出身なんですね」
なんだか救われた気がした。シエスタのはにかんだ笑みは女神が微笑んでいるようだった。
「うん。東方の方からきました。それにしてもよく俺がここにいるのわかったな」
「え、えと、その。たまにここで、こうやってお湯につかっているのを見てたもんですから……」
「覗いてたのね。イヤらしいメイドだこと!」
「いえ、その、そういうわけじゃ!(なんで女言葉なんだろ?)」←意味はない
俺の言葉に慌てたシエスタは足を滑らせて風呂にダイブしてきた。
「きゃあああああッ!」
「なに? この国は服を着たまま風呂にはいるのか?」
「違いますけど……、わーん、びしょびしょだぁ……」
女の子がびしょびしょだ。なんて卑猥な表現だろう。
「気持ちいいですね。これがサイトさんの国のお風呂なんですか?」
「そうだねぇ。普通は服を脱いでからはいるけどな!」
「あら? そうなんですか? でも、考えてみればそうですよね。じゃあ、脱ぎます」
あら、決断の早い子。
シエスタはお湯から出ると服を脱ぎ始めた。見事な脱ぎっぷりである。
俺って男性なのよね。こうみえても。
「火で乾かすといいと思います」
「そうですね!」
なんとも早い行動で服を乾かす準備をして再びお湯の中に入ってきた。
「うわあ! 気持ちいい! あの共同のサウナ風呂もいいけど、こうやってお湯につかるのも気持ちいいですね! 貴族の人たちが入っているお風呂みたい。そうですね、羨ましいならこうやって自分で作ればいいんだわ。サイトさんは頭がいいですね」
「なければ作ればいいのよ!」
恥ずかしいのを誤魔化すために叫んでみた。
正直、たまりません。
「そんなに見つめないでください。わたし照れるじゃないですか。ほ、ほら、ちゃんと胸は腕で隠してるから! それに、水の中は暗くて見えないですよね?」
日本人特有の黒いワカメが見えてますがなにか?
シエスタって日本人の血が入ってんだよねー。今確信しました。
主に股に生えている黒いワカメを見て。
「ねえ、サイトさんの国ってどんなところなんですか?」
「俺の国?」
「うん、聞かせてくださいな」
といわれてもな。異世界人である俺の話は信じないだろ。しかし、言ってみる。
「とりあえず、月が一つで、魔法使いがいないね」
「いやだわ。月が一つだの、魔法使いがいないだの、わたしをからかってるんでしょう。村娘だと思って、バカにしてるんですね」
「してないっつーの」
だから、上目遣いで見のやめて下さい。というか、既におっきしちゃってるんだお(^ω^)
「一番違うことはそうだなぁ、食生活が違うかな」
和食と洋食の違いです。米食いてぇ。
俺は当たり障りのない範囲で、日本のことを話した。
シエスタは、目を輝かせて、その話に聞き入っていた。
異性と風呂に入りながら故郷の話をする。
その異性が美人ならなおさら話は弾み、いつしか、時を忘れてシエスタに、故郷の話をしていた。
しばらく経つと、シエスタは胸を押さえて立ち上がった。
うお、急にたつな。見えてるから。色々見えてますから!
「ありがとうございます。とても楽しかったです。このお風呂も素敵だし、サイトさんの話も素敵でしたわ」
シエスタは嬉しそうに言った。
「また聞かせてくれますか?」
「おk」
シエスタはそれから、頬を染めて俯くと、はにかんだように指をいじりながら言った。
「えっとね? お話も、お風呂も素敵だけど、一番素敵なのは……」
「?」
「あなた、かも……」
「な、なんだと?」
シエスタは小走りに駆けていった。
俺は取り残された。
「シエスタの入った残り湯で楽しみますか」
シエスタ君に決めた!