村長の家は広場から直ぐのところにあり、助けたことの価格の交渉等はそこですることとなった。もちろん、アインズにとっての狙いは情報であって金銭的な報酬ではない。だからといって情報をくれではあまりにも怪しまれる。
確かにこの程度の小さな村なら別に情報をくれでも問題ないだろう。問題はその後だ。ここで事件があったということは情報封鎖でもしない限り、多くの人間に知られるだろう。権力者に知られる可能性はほぼ100%だ。そして権力者がアインズに接触を持とうとした時、無知を知らしめていた場合、交渉の際いいように扱われる場合がある。
見もしない、そうなるかもしれないというだけで警戒するのは馬鹿のすることだろうか? それは道路を飛び出して渡っているようなものだ。いつかは致命的な事故に巻き込まれるだろうから。
強さとは相対的なもの。アインズはこの村の誰よりも強い。だが、この世界の誰よりも強いという保証は無い。警戒は怠れないのだ。アインズを殺せるものがいるかどうかを知るまでは。なぜならアインズ・ウール・ゴウンは結成以来敗北の無いギルド。その名を地に転がすようなまねはできない。
格子戸から入ってくる日光が室内の隅に闇を追いやる。その日差しを避けるよう、アインズは粗末な作りのテーブルの上に置いたガントレットをはめた腕を動かす。がたがたと立て付けが悪いのかテーブルがゆれた。
スタッフは部屋の隅に邪魔にならないように立てかけている。
村人の驚いたものを見るような目が思い出される。
ここまで目立つとは正直思わなかった。ユグドラシルの考え方が抜けきれて無いせいで、今日だけでもどれだけの失態を繰り返したか。
「お待たせしました」
向かいの席に男が座る。その後ろに女が立っている。
村長は40歳ぐらいだろうか。日に焼けた肌に年の割りに深い皺を持った男性だ。
体つきは非常にがっしりとしており、畑での重労働がその体を作ったのだろうということが一目瞭然だった。白髪は多く、髪の半分ぐらいが白く染まっていた。
恐らくはこの数十分の出来事でより一層老け込んだんだろうな、などという益体も無いことをアインズは覚える。
綿でできた粗末な服は土で汚れているが、臭うということは無い。
村長と同年代ぐらいの女性。昔は線の細い美女だったのかなという雰囲気はあるが、長い畑仕事の所為か、ほとんど損なわれている。顔のあちこちにそばかすが浮き出ており、今いるのは線の細いやせぎすなおばさんだ。
肩ぐらいある黒い髪はほつれ乱れている。日差しによって焼けているにもかかわらず、暗い雰囲気を漂わせている。
「どうぞ」
夫人はテーブルの上にみすぼらしい容器を置いた。湯気を立てた水――白湯が振舞われるが、それはアインズは片手を上げて断った。
喉の渇きを一切覚えていないこともそうだし、このマスクを脱ぐわけにはいかないということだ。しかしながら、断ったことによって多少罪悪感を覚える。あの苦労を目の当たりにすると、申し訳ない気分になるのだ。
何が、というと湯を沸かすことである。
まずは火打石を打ち合わせ、火種を作るところから始める。小さな小さな火種に薄く削った木片を上手く重ねて、より大きい火を作る。そこから竈に移して、炎とするのだ。白湯が出るまで結構な時間が掛かっている。
「せっかく用意していただいたのに申し訳ない」
「と、とんでもないです。頭をお上げください」
頭を軽く下げたアインズに驚き、夫婦そろって慌てる。圧倒的強者である人物が、自らのような村人に頭を下げるのが信じられないのだろう。アインズからすれば不思議なことではない。確かに強者なのは自分だが、相手は交渉相手だ。恫喝が有効ならそれもありだが、とりあえずは友好的な姿勢で進めたほうが良いとの判断だ。
無論、魔法で情報を引き出してから、あの姉妹と同じように最高位魔法をかけて記憶操作するという手段もある。だが、あれは最後の手段にしておくべきだろう。秒単位でどんどんMPを消費するとは思ってもいなかった。
あれがMP消費か。疲労感と体の中の何かが削られるような違和感。今なおずっしりとした重さが体の中央に宿っている。アインズは顔を歪める。
最初から仮面とガントレットをしていたという、たった数十秒の記憶の改ざんで、感覚的にはMPの半分を消費したと思われる。巨大な損失だ。
やはりどこかですべての魔法の効果を調べる必要がある。
「……さて、申し訳ないが交渉を始めるとしましょうか」
「はい」
ごくりと村長は喉を鳴らした。アインズも頭の中身を高速回転させ始める。
騎士達は村人の目があったから使えなかったが、人目の付かないこの場所で情報収集するなら《チャームパーソン/人間魅了》等の魔法を使って問答無用で聞き出したほうが楽だ。しかしその結果に何が起こるかを考えてしまうとそれはできない手段だ。それゆえ、口で必要な情報を手に入れなくてはならない。
――厄介だ。
「……単刀直入に幾らぐらいなら払えますか?」
「今、村はこんな状態です。……お払いできてもせいぜい銅貨ぐらいしか……」
「銅貨!」強い口調で驚いたかのような声を上げる。「……それでは少々少なすぎますな」
「……しかし……銀貨なんてそんな無理は……」
なるほど。
口には出さずにアインズは頷く。銅貨と銀貨。この2つが村落の基本的な流通貨幣なのか。
問題は銅貨の金銭的価値だ。日本円でどれぐらいの価値があるか、知らなくてはこれから先色々と困ることになる。これから街に行ったとして貨幣の価値が分からないというのでは厄介ごとだ。ただ、商店等があるなら観察していれば問題は無いかとも考える。
仮に街に行くとしても、それまでにある程度の情報を入手する必要があるが。
「銀貨? 銀貨だと思われていたのですか?」
「ま、まさか……こんな村に金貨なんてありません!」
誘導してるが、それにしても都合がよく話が展開してくれる。これでよく村長という仕事が勤まるものだ。それとも村長という仕事はそういうものでは無いのだろうか。一代で財を築いた社長とかにあるイメージをアインズは脳内から消した。
「……ですが、買い物はどうされているのですか?」
「それは銅貨でやってます。銀貨や金貨なんかは……」
黙って首を振る村長。
「……では、どうしましょうか。私も慈善者というわけではないですし……」
考え込んだ振りをしながら、アインズはアイテムボックスをこっそりと開いた。
そこにあるユグドラシルの硬貨、2枚の金貨を取り出す。一枚は女性の横顔が彫られているもので、もう一枚は男性の横顔だ。前者は超大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』から使用されるようになったもので、後者はその前の硬貨だ。
価値としては同じものだが、思い入れの度合いは違う。
前からの貨幣はアインズがユグドラシルをやり始めてからアインズ・ウール・ゴウンを結成し、走り続けるまでの大半、共にあった硬貨だ。そしてギルドが最高潮を迎えた頃に行われたアップデートの際にはすでに硬貨はアイテムボックスに投げ込むだけの存在となっていた。
スケルトン・メイジで始めてフィールドにいたモンスターを魔法で刈ったときに空中に浮かんだほんの数枚の硬貨。ダンジョンにソロでこっそり入って、アクティブなモンスターに襲われ、必死に撃退したときの硬貨の山。アインズ・ウール・ゴウンのメンバーで突入したダンジョンを攻略後、手に入れたデータクリスタルを売ったときの輝き――。
懐かしさを振り払う。
しかしながらアインズは旧硬貨をしまい、新硬貨を手にした。
「……話を少し変えますが、この硬貨で買い物をしたいといった場合、どの程度のものをいただけますか?」
ぱちりと金貨をテーブルの上に置く。村長と妻の二人の目が大きく見開いた。
「こ、これは」
「非常に昔の硬貨です。使えませんか?」
「使えると思いますが……すこしお待ちください」
村長は席を離れると、部屋の奥に行き、そこから変わったものを持ち出す。
持ち出してきたのは一言であらわせば両替天秤だ。
歴史の本に乗っているような奴である。そこからは夫人の仕事で、受けとった金貨を丸いものと当てる。どうやら大きさを比べているようだ。それに満足したのか、次は金貨を片側に乗せ、もう片側に錘を載せる。
なんだったか、秤量貨幣といったか。アインズは記憶を揺り起こし、今行っている行為を推測する。
最初がおそらくはこの国の金貨の大きさとの比較で、次が含有量のチェック。
見ていると金貨の方が沈み、錘が上がる。夫人は再び片側に錘を乗せ、二つを釣りあわせた。
「交金貨2枚分ぐらいの重さですから……あ、あの表面を少し削っても……」
「ば、おまえ! 失礼なことをいうな! 本当に申し訳ありません。妻が失礼なことを……」
激高し、夫人を強くたしなめる村長。今の言葉にそれほど怒る理由があるだろうかと考え、アインズは納得する。なるほど、金メッキと思われたか。それよりも重要な単語を聞いたことでその辺りまで考えが及ばなかった。
「かまいませんよ。場合によっては潰して頂いても結構です。……ただし、中身が完全に金だった場合はその価値で買い取ってもらいますよ?」
もし取引するなら当然の心配だ。確かめるのは理にかなっている。
「いえ、もうしわけありません」
頭を下げつつ金貨を返してくる夫人。それほど責めたわけではないのだがと、アインズは多少罪悪感を覚えた。なんとなく自らの母親を思い出すのだ。少し暗く――静かだった母を。だからか、と思う。少しばかり優しくしてしまうのは。
「お気になさらず。取引をしようとするなら当然のことです」
「いや、しかし。村を救ってくれた方に……」
「私だって無償で村を助けようとしたわけではない。つまりは取引相手です。ですからお気になさらず」
二人の顔が眼に見えてほっとした。信用までは行かないが、少しは打ち解けてきたようだ。
「その金貨を見てどうでした? 美術品のような彫り物でしょ?」
「はい、本当に綺麗です。どちらの国のものなんですか?」
「今は無き――そう。今は無くなってしまった国のものですよ」
「そうなんですか……」
「……コウキンカ2枚とのことですがその価値もあわせればもう少し上の評価をしていただいてもよろしいかと思いますどうでしょうか?」
「確かにそうなのかもしれません……ただ、私達は商人ではありませんので、美術的な価値までは……」
「ははは。まぁ、それは確かにそうですね」
笑い声を上げながら、金貨を目の前まで戻す。村長夫妻も初めてまだ硬いが笑顔を見せた。そこでアインズはそろそろ踏み込むべきかと決心を固める。
「実はこの硬貨は幾つかありまして、ここであったのも何かの縁ですし、コウキンカ2枚相当でお譲りしてもいいですよ」
懐からさらに数枚の金貨を取り出し、離れたところからテーブルに落とす、落ちた金貨同士がぶつかり澄んだ音が響いた。
その最中モモンガの視線はテーブルには無い。仮面の下で村長夫婦の表情を真剣な顔で見つめていた。
「この辺りで直ぐに使える硬貨――まぁ、崩して欲しいだけですから。金貨で買い物というのも中々辛いものがありますしね。もちろん納得のいくまで調べていただいて結構ですよ。どうぞ――」
「いえ、ありがたい申し出ですが、残念ながらそのような余裕はないもので……」
「……了解しました」
困ったように告げる村長の顔から満足げに視線を逸らし、アインズは金貨を手元に寄せ、懐に仕舞い込んだ。
「……さて、報酬の話に戻りましょうか。もう、そろそろ腹を割って話しましょう。単刀直入に言います。いくら出せますか?」
先ほどと同じ問い。だが、返答は先ほどより進んだものだった。
「……アインズ様、正直に申し上げてこの村は多くの働き手を失いました。確かに村中をひっくり返せばご満足いただける金額は用意できると思います。ですが、これから先の季節を乗り切るには、それほどのご報酬を用意するのが難しいのです」
「物資ではどうですか?」
「物資も同じです。人が少なくなった分、手が回らなくなると思います。ですので今物資を渡してしまうと、将来的に非常に乏しくなってしまうことが考えられます」
「ふむ……」
アインズは考え込む振りをする。ここまでは順調だ。あとはうまくいくことを祈るのみ。時間を少し置き、それから答える
「分かりました。報酬はいりません」
「おお……」
村長も夫人を驚きのため、目を丸くした。アインズは手を軽く上げることでまだ話は続くということをアピールする。
「……私はここより北東に10キロいったところにあるナザリックというところにいた魔法使いでしてね。つい最近になって外に出てきたんです」
「おお、そうだったんですか。ただ、あの辺りは草原だったはずですが」
「私の魔法で、ね」
「なるほど……」
感心したような声を漏らす村長。そして横にいる夫人も幾度と無く首を縦に振る。最後まで話さないことで相手に勝手な理解をさせる。ただ、下手をすると無茶苦茶なことを思われて厄介ごとになる可能性もあるのだが、この場合は仕方が無い。
「では、その格好も魔法使いとしての何かですか?」
「ああ、まぁ、そんなものです」
嫉妬マスクを触りつつ、言葉を濁すアインズ。この世界の魔法使いはこんな怪しげな格好をしているものなんだろうか。それとも無知ゆえにそう思っているだけなんだろうか。無知なら好都合だ。そこに付け込む。
「村長殿はどこかで私以外の魔法使いを?」
「はい。昔、子供の頃、この村に冒険者を名乗る方々がいらっしゃったとき、その中にローブを纏われた方がいまして。その方が魔法使いと呼ばれていたような……」
「ほう。ではその方の魔法を見たので?」
「いえ、残念ながらそこまでは。直ぐにその冒険者の方々も村を去られました。何でも大森林内の珍しい薬草を採取しに来られたといっておりました」
「私のように仮面でも?」
笑うかのような口調で質問をする。村長は昔を懐かしむような表情を浮かべた。今現在の辛い記憶を忘れたい、そういわんばかりだった。
「いえ、仮面はつけられてはおりませんでした。ですが、一種異様な雰囲気のされる方でしたな。子供心に怖いと思った記憶があります」
「なるほど。確かに恐怖というのは良い道具です。皆さんが見た私のシモベ、あれもそうだったでしょ?」
村長と夫人の視線が反れ、格子戸の方に向かう。アインズを遅れて格子戸のほうに送った。
格子戸の隙間から、広場で村の住人達が総出でバラバラ死体を片付けている姿と、少し離れたところに直立不動のデス・ナイトの姿が見えた。
ユグドラシルであれば100分で消えるはずのデス・ナイトが今だ消えないことに疑問を感じるが、それは努めて無視をする。
「報酬はいらないと言いましたが――」ここで区切って相手の反応を見る。「――魔法使いというものは様々なものを道具にします。恐怖しかり、知識しかり。いわば商売道具です。ですが、今私はこの辺りの知識が少ないのです。この近辺の情報を頂きたい。そして情報を売ったということを他人に喋らないこと。これをもって報酬の代わりとしましょう」
何もいらない。なんていう都合の良い話は無い。ただより高いものは無いという言葉が指すようにだ。
人は自分の理解できないものを恐れる。命を救って報酬の話をしながら、お金は要りません――。少しでも鋭い人間なら違和感を感じるだろう。ならば、相手に眼に見えない何かを売ったと思い込ませれば良い。つまりアインズに情報という商売道具を売ったと思い込ませれば良いのだ。
対等のものを商売した思ったなら、誰も疑問には感じないのだから。そして対等の取引相手なら相手も安心する。
村長も夫人も強い表情でうなずく。
「分かりました。決して誰にも言いません」
「私もです」
「信頼します」
ガントレットをはめた手を伸ばす。村長もぎょっとした顔をしてから何かを納得した様子でその手を握った。
握手という行為はあるのかとアインズは安堵した。これで何してるんだろうという眼で見られたら泣くしかない。
そして信頼といったが本気で信頼しきっているわけではない。商売であれば商売で情報は流れるが、人間性で縛った場合は人間性で情報は流れる。この村長の人間性が立派なら決して情報は流れないだろう。もし流れるならその程度。次回この村に来たときの有効な取引カードにするだけだ。
とはいえ――
なんとなく裏切らないような気がする。理由だってもちろんある。もし欲の皮が張っていれば、貯蓄目当てで金貨の交換に飛びついただろう。次に金貨をテーブルに落としたときも金貨を大量に持ってることに対する驚きはあったものの、欲に捕らわれた者の目はしていなかった。
そしてなんとなく亡き母に似ているからだろうか――。
「マザコンか……」
困ったように仮面の下で笑うアインズ。だが、その笑顔は見るものが誰もいないのが勿体ないほど、そしておそらくはこの世界に来たから最も優しいものだった。
――骸骨だが。
「それにしても私からすればあのような化け物をつれた私を、皆様がまだまともに相手にしてくれるのが不思議なぐらいです」
「……魔法使いの方は邪悪をも武器にする。そんな話を聞いたことがありますし、かの13英雄と呼ばれた方のお1人に死者を使役したと聞きますので。確かに恐ろしいですが……」
「ほう、13英雄」
アインズの目に力が灯る。また1つ重要な単語を聞いたと。詳しく情報を聞く必要がある。アインズは心のメモ帳に記載すると、それを閉じた。
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※ こういう話は好きです。
次回は……ごめんなさい、どんだけ努力しても面白くなりません。勘弁してくださいの11_知識で出来るだけ早くお会いしましょう。はぁ、一気に2作同時に更新して、できの悪いほうはするっと流してもらおうかな……。