1日の移動距離はおよそ30キロ以下というと大した長さでは無いと考える人間は多いだろう。しかし、それは道なき道を、そして周囲を警戒をしつつ、さらにそれなりの重さを持ってと、様々な状況を足していけば納得してもらえるだろうか。
そして1日の移動は15時まで、場合によってはもっと前には終了するように動くのが基本だ。
これは野営の準備に時間が掛かるというのが理由の1つだ。
その中で最も時間が掛かるのは野営地の選択だ。何かの生き物の通り道から離れていること、雨が降ってきたとき問題が無い地形か、夜行性のモンスターに襲われたときの対策。そうやって広い範囲から野営に相応しい場所を発見するのは非常に面倒な作業なのだ。
特に草原という地形だとその難易度はぐんと上がる。
そのために日が沈む前から野営の準備に取り掛かることとなるのだ。
近場に森があれば木を削りだして即席の陣地を作るものだが、その分森の近くでの少人数の野営は危険が大きい。野営地が大きくなればなるほど野生の獣や魔獣は近寄らないし、ゴブリンやコボルトに代表される亜種族も攻めては来ない。逆に小さい場合は好奇心を招き、襲ってくる場合があるのだ。
亜種族や魔獣等は夜目が利くので、夜間戦闘はかなり危険を伴う。そのため、現在の野営地は森から2キロは離れた、少しは安全だろうと思われる場所を確保している。
「じゃ、この木を刺して」
「はい」
モモンは与えられた木の棒を持ってテントの周囲に突き立てて回る。テントの周囲と言っても一辺、20メートルにも及ぶ。4点に打ち込んだら、その次は黒く染め上げられた細い絹糸をその木の棒を巻きつけ囲いを作る。最後に絹糸の中央に結び目を作って、そこからテントの前まで糸を引き、大き目の鈴を吊るして完成だ。
ようは鳴子による警戒網の作成である。
既に3日も同じことをやっていれば慣れる。モモンはさくさくと鳴子を完成させ戻ってくる。
「ご苦労さん」
「いえ」
レンジャー――ルクルットはモモンを見ずに感謝の言葉を述べる。別に彼も遊んでいるわけではない。先ほどから道具を使って穴を掘り、竈となるものを作っている。魔法使い――ニニャは周囲を歩き、何か魔法を唱えている。
なんでも《アラーム/警報》という警戒用の魔法であり、あまり広い範囲をカバーすることはできないが、念のためにということだそうだ。
モモンはその姿を追いかける。探知、警戒系の魔法というものの情報の収集はモモンの役目では無いが、得るべき情報だと理解しているからだ。
魔法の発動形態はモモンのものと同じ。詠唱とか発動要素といったものは必要とされない。ならば魔法を手に入れる方法をどうにかすれば、その魔法も自らのものにできるのだろうか。
モモンが凝視しているのが気づいたニニャが、最初にあった頃よりは多少打ち解けたが、まだまだ作り笑いと分かる笑みを浮かべながら戻ってくる。
「いつも見てますけど、面白いですか?」
「はい。私もニニャさんみたいな魔法が使えればと思って」
「おいおい。魔法は今日明日で使えるもんじゃないらしいぜ。まずは世界への接続とかいう奴ができなくちゃならないらしいけど、それが出来るのは潜在的な才能を持ってる奴ぐらいなものだからな」
作った竈から顔を上げずにルクルットが口を挟む。ニニャは笑顔を掻き消し、モモンを真剣な表情で眺める。
「そうですか」
「ああ、モモンさん。そんなにがっかりしないでください。ボクはモモンさんは才能があると思ってますよ。なんか、普通の人とは違うような気がするんです」
「……そうですか?」
「まぁ、ガタイの割りに簡単に荷物を持ち上げるしな」
「それとは違うんですけどね。まぁ、もしボクがより高位の魔法使いなら何か分かったかもしれません。高位の魔法使いは相手の魔法力を探知する能力も高まりますから」
「……どういうことですか?」
「ああ、ボク達魔法使いは魔法力と称される魔法のオーラのようなものを、体の周囲に張り巡らしているんです。魔法の使う腕が高まれば高まるほど、それを感知する能力も高まるんです。それと纏う魔法力の量も」
「……へぇ」
一瞬低くなりかけた声を自制し、モモンは怪しまれないように普通に聞こえる声で返答する。どうやらモモンにはそんな能力は無いようだ。ニニャからそんな魔法のオーラのようなものを感じることはできない。いや、それともあの魔法を使うことで感じ取ることが出来るのか。
「そんなわけで。その魔法力感知能力を使って、潜在的に魔法力を強く持ってる人とかも感じ取って弟子にするっていう話は珍しく無いんです」
ボクもそうやって拾われたんです、と続けるニニャ。
「そうなんですか。では魔法を使いたいと思ったら、最初はどうすれば良いんでしょうか?」
「そうですね。まずはちゃんとした師匠を見つけることでしょうか?」
「それから?」
「それからですか? まぁ、師匠を見つけないことには進みませんが、それから魔法を自らの契約した媒体に刻み込んでですね」
「契約した媒体ですか?」
「ええ。自らと契約を交わした特別な媒体に、特殊な手段で魔法の公式を刻み込むんです。刻み込んだ魔法は精神力の分だけ使えるようになるんですよ」
「ニニャさんもお持ちなんですか?」
「ええ。ボクの場合は魔道書です」
背負った皮袋へ頭を振って指し示す。
「……その魔道書は誰でも使えるんですか?」
「あはは。無理ですよ、モモンさん。魔法の刻まれた媒体から力を引き出せるのは、その媒体と契約を交わした魔法使いだけです。だからボクの魔道書を持ってもモモンさんでは使えません」
「そうですか、がっかりです」
舌打ちをしたい気持ちを抑えるモモン。
「まぁ、他人の媒介に刻まれた魔法を手に入れるという目的のために奪う奴は多いですけどね」
「そうなんですか?」
「ええ」
「……だとすると魔法を手に入れるには奪うしかないということですか?」
「そんなこと無いですよ」モモンの危険な発言に苦笑いを浮かべるニニャ「ギルドでも魔法を刻んだスクロールを売ってますので、それを購入して自分の契約を交わした媒介に移し変えれば良いんです。それに冒険者同士で格安で売ってくれる者も探せばいますよ。珍しい魔法や新たに開発された魔法はギルドよりも、冒険者の方が持ってる場合がありますしね」
興味があるという表情を崩さないように維持しながら、モモンはこの先を考える。このパーティーを殺して魔道書を奪った際のメリットとデメリット。答えは直ぐに出る。デメリットのほうが当然多い。
ではどうやればこの世界の魔法を手に入れることが出来るのか。金を出してスクロールを買うのが最も安全策だろう。ただ、問題はスクロールの金額が高額だった場合だ。
面倒だ。
もしモモンがアインズより自由に行動しても良いという許可を持っていたなら、殺して奪っていただろう。だが、そんな許可はもらっていない。それどころか自らの至高の主人の命令を無視する行為につながる。
モモンはため息を心の中でつく。
面倒なことだ。全て力のみで解決できないのがこれほどもどかしいとは。
「――刻み込む事のできる魔法の数はその人間の魔法力の強さにも左右されますから、ボクで使える魔法の数は35個ですね。師匠のところで学んだのが20個ぐらいで、それから購入したのが15ですかね」
「……例えばニニャさんに弟子入りって出来るのですか?」
「うーん。ボクよりはより腕のたつ人の方が良いと思いますよ。ただ、王国だと個人塾しかないし、基本的にまだ脳の柔らかい子供相手がメインですからね。その点、帝国だとしっかりした魔法学院とかありますし、法国はその辺はかなり高度な教育を進めてますけど、神官系統だしね」
「なるほど。帝国の魔法学院には直ぐに入れるんですか?」
「難しいでしょうね。一応、魔法学院とかは国の政策としてある教育機関ですから、帝国の臣民でも無い人だと……」
「そうですか……」
「おーい、話が盛り上がってる最中すまないけどな。飯の準備も整いそうだ。あの2人を呼んできてくれないか?」
「あ、なら私が行きます」
モモンはテントから少し離れたところで、大地に座りながら黙々と作業を行っている2人の元まで歩く。
ファイター――ペテルとドルイド――ダインは使用した武器の点検に余念が無い。血糊を拭いた後、剣が錆びないようにオイルを塗布したり、武器に歪みが無いかを注意深く確認している。
今日の獲物の数はゴブリンを12匹であり、ペテルが6匹、ダインが3匹、ルクルットが3匹という内訳だ。さらに負傷はゼロという完璧な結果だ。だがそれは鎧や剣に負担が掛からなかったというわけではない。
真新しい傷が鎧にできているし、剣にもゴブリンの武器と打ち合わせたときの凹みができている。それらの応急修理は命をかける以上当たり前のことだ。2人とも声をかけるのを躊躇うほどの注意力を発揮している。
もちろん、一般人からすればだが。
「食事の準備を始めるみたいですよ」
「あ、もうそんな時間ですか」
時刻的には16時ぐらいか。少しづつ日が傾きつつあり、あと1時間半ぐらいで完全に沈むだろうか。食事をするには早い時間だが、それは旅慣れてない者の考えである。
「直ぐに行く」
ある程度片が付いていたのだろう。ダインはメイスから眼を離し、持っていた道具をしまい始める。それに僅かに遅れてぺテルも続いた。
「では向こうで待ってますね」
「ああ」
「分かりました」
モモンが二人と分かれて戻ってくると竈は火を上げ、上に乗った鍋を煮立てていた。
火をおこす方法は簡単だ。
竈に獣脂をたっぷりと染み込ませた布――松明にも使われるものだ――を投げ込み、そこに火打ち石で火をつける。あとは薄く削った木と太い木を上手く入れるだけだ。
ルクルットの手際なら、太い木に火がつく前に削った木が燃え尽きるなんていうミスは起こらない。容易いぐらい早く、炎は勢いを増し、竈一杯に膨れ上がる。
竈にかけられた鍋から、シチューの煮込む音がぐつぐつと聞こえる。周囲にもそのかぐわしい匂いが立ち込めていた。
普通の旅だとシチューのような水を使う食事は滅多に食べることはできない。
それは水が貴重品だからだ。水は1日に2リットルは成人男性の場合必要とされる。モモン達5人組なので最低10リットル。つまり10キロは1日の水分で荷物がかさばることを意味するからだ。それ以上ともなるとそれ以外の荷物が持てなくなり、かなりきつくなる。
そのため通常の旅では途中で水を補給することを念頭に組み立てるが、モモンたちは今日に至るまで一度も補給をしてない。既に街を出発してから3日が経過しているのにもかかわらず。
これはギルドからお金を払って借りている、1日20リットルまで水を生むマジックアイテムで代用しているためだ。そのため、水という面では非常に余裕があるため、シチューも作れるという寸法だ。
やがてシチューも煮えあがる頃、片づけが終わったぺテルとダインも合流した。
ルクルットが取った新鮮な肉と塩漬けの燻製肉で味付けしたシチューを、各員のお椀に注ぎ込む。それに固焼きパン、乾燥イチジク、クルミ等のナッツ類が今晩の食事だ。
少し強すぎるぐらいの塩味が汗をかいた体にしっかりと染み込んでくる。モモンからすれば最低レベルの食事だが、それでも栄養補給という点では合格点を与えられる。
旋風の斧のメンバーは互いに笑いあいながら、食事を進める。時折、モモンにも会話を振ってくるので、参加はするがどうしても垣根のようなものを感じてしまう。それが寂しいとは思わないが。
それにしても仲が良い。命を預ける冒険者なのだから当然ともいえるが、これが普通なのだろうか。
興味を持ったモモンは質問を投げかけた。
「――皆さん仲が非常に良いけど、出身地とか一緒だったんですか?」
「いや。俺達は最初の昇格試験で会った仲さ」
「ニニャの噂は聞いてましたけどね」
「うむ。天才の名はな。実際、ニニャがいてくれたお陰で、皆が生還したともいえるからな」
「そんなことはないと思いますよ。ボクだけの力では決して無理でした。ルクルットの早期警戒にモンスターが引っかかったから色々と手を打てたんですから」
「う? そうか? 俺的にはダインの治癒魔法のお陰だな。ゴブリンの矢がたまたま胸に刺さって呼吸が苦しくなったときは、やべぇって思ったもんだ」
「そのとき、ゴブリンを引き受けてくれたのはペテルだがな。ペテルがいなかったら治癒魔法を飛ばすのが少し遅れただろうからな」
「ニニャの防御魔法があったからですよ。あのときの私の腕では2匹同時はきつかったです。3匹も受け持てたのは支援あってこそです」
互いに互いを謙遜しあう。本当に仲の良いパーティーだ。つまり命を預けあった仲だから当然の仲のよさと言うところか。その辺りの感情はモモンには理解できない。守護者の仲の良さとは違い、モモンたちメイドの仲の良さは同じ主人に使え、同じ方角を向いていることから来るものだ。つまり感情よりも思考からのものだ。もし仮に誰かが違う方角を向いた場合は、恐らく殺し合いとなるだろう。
「冒険者の皆さんってこんなに仲が良いのが普通なんですか?」
「多分そうですよ、命を預けますからね。互いが何を考えているか、どういったことを行うかが理解できないと危険ですし、そこまで行けばいつの間にか仲が良くなるってものです」
「そうだな、うちのパーティーは異性がいないしな。いると揉めたりするって聞くぜ」
「それにパーティーとしての目標もしっかりとしたものがあるからじゃないか?」
「ボクもそう思いますね。やはり全員の意識が1つの方を向いているというのは大きいですよ」
ペテル達4人はうんうんと頷く。
「……そうなんですか。それで話をまた変えて申し訳ないですけど、旋風の斧というパーティー名は何処から来たんです?」
実際、斧を武器としているメンバーはいない。ぺテルはブロードソードだし、ダインはメイス。ルクルットはコンポジット・ロングボウ。ニニャはまぁ魔法か。勿論今のは主武器であり、副武器も各自持ってはいるが、それでも斧を使っている者はいない。
いくらなんでも解体用の斧をパーティー名にするわけがないだろう。
そんなモモンの質問に4人はお互い顔を見合わせる。それはモモンが知らないことに対する、愕然とした何かがあった。
「……ああ、それはあれです。聞いたことないですかね、旋風の斧っていう魔法の武器」
「嵐の斧って言うほうが有名かもしれませんね」
モモンの表情に理解の色が浮かばないことを確認した4人は再びショックを受けたように言葉を続ける。まぁ、パーティー名にまでした魔法の武器を知らないとか言われれば、多少なりとも精神的衝撃はあるものだ。
「おとぎ話の13英雄の1人が使っていたとされる武器さ。振れば嵐を起こすとも言われる武器だな」
「それを発見するのが俺達の第一の目標ってわけさ。まぁ、伝説って言われる武器は色々あるけど、その中でも存在がしっかりと確認されてる武器だしな。まぁ、今も本当に残っているかは不明だがねー」
「まぁ、最終的にはかの伝説の12剣が目標だが、その前の第一歩だな」
「今はまだ旋風の斧を発見するには遠く及ばない程度のランクでしかないけど、いずれは手に入れて可笑しくないまで昇っていくつもりだよ」
「あ、お代わりいる? モモンさん」
「いいです。もう、おなか一杯です」
モモンは微笑を浮かべた。無論、パッとしない男のものだ、彼らに特別な感情は抱かせなかったが。
焚き火の明かりはとうの昔に消えている。灰を触っても温もりも感じられない。
では、焚き火が消えていて、周囲は完全な闇夜かというとそうではない。
月や星という天空に輝く明かりが、草原の殆どを見渡せるほどの光源と化しているのだ。多少の薄い雲がかかっているが、その程度では阻害にもならない。
草原を走る風が草を揺らし、ザワザワという音を生み出す。静まり返った世界にはそれ以外の音は無い。
ダインは口に草を放り込み、かみ締める。スゥッと鼻に抜けるような清涼感が生まれ、重くなりつつあった瞼が大きく開かれる。冒険者がよく眠気覚ましに使うハーブの一種だ。大した金額ではないので、大半の冒険者が野営の番には使うものである。
野営をする場合は太陽が昇るまでの11時間近く、交代で見張りに立つこととなる。もちろん、レンジャーであるルクルットほど鋭敏な知覚力を持っているわけではないが、見晴らしの良い草原であればよほどのことが無い限りは相手を見落としたりはしない。
そのとき、ガサリとダインの後ろで草を踏む音が聞こえたが、それほど慌てずに振り返る。
「起きたのか?」
「ええ」
ダインの予測した人物――モモンが眠気の無いはっきりと表情で立っていた。
「また明日もそこそこ歩くんだ。ちゃんと体を休めたほうが良いぞ」
そう言いながらもダインは、それほど心配はしていない。モモンという人物は異様なほどタフな体力を持っている。いや、筋力もその外見からは想像もできないほどあるから、全体的に肉体的な能力は高いのだろう。
ただ、少しばかりの違和感をなんとなく感じてしまう。最初は外見からは想像もできない肉体的能力の高さのためかと思っていたのだが、それとは違い、知識量の偏り方でだ。村で生活していたというのが本当なら知っていてもおかしく無いことを知っていないときがある。そして食事のときの礼儀作法がかなり整っており、そこそこ高度な教育を受けた形跡が随所でうかがえるのだ。
ニニャもどうやら気づいているようだが、それに関して口に出したりは決してしない。
冒険者の過去に興味を持つ者は、無礼者だというある種の共通認識があるためだ。実際このパーティーにだって過去を口にしない者だっているのだから。
ただ、ダインは時折、モモンの冷静さに異様さを感じることがある。今日のゴブリンとの戦闘が修了した際も、平然とした表情だった。自分が冒険者を始めた頃こんなに冷静だったかと問われられたら、そんなことは無かったと答えるだろう。
もしかするとこれもモモンの過去に関する部分なのだろうか。
「はい。でも目が覚めちゃいまして」
「そうか……。ガントレットは外しておいても大丈夫だと思うがな」
いつもの無骨なガントレットを再び装備しているモモンに苦笑を向ける。
「無いと落ち着かないんですよ。それと少しばかりその辺にいますので」
「野営地内にしろよ」
「はい。分かってます」
草を踏みしめながら歩いていくモモンの後姿を見送りながら、ルクルットの言っていたことを思い出す。ルクルットはモモンの歩き方を評価して、盗賊系の才能があると言っていた。
「才能の塊か」
ニニャは魔法の才能があるのではと言い、ルクルットは盗賊系の才能と評価する。戦士として必須にもなる筋力も耐久力も既に高い。見た目から判断するに、20代後半だとすると年はかなり行っているが、それでもあれほどの才能が今まで単なる村にあったというのは惜しい気がする。
もし仮に若いうちから冒険者として生きてきたなら、もしかすると今頃伝説にも残るような英雄になったかもしれない。
そんな男の後姿は平々凡々としたものだった。
モモンはある程度テントから離れると、ゆっくりと草原に横になった。空から舞い降りる青白い光が、若草の色を白っぽく染め上げている。
見上げれば視界いっぱいに広がる星星は、まるで手を伸ばせば掴めるのではと勘違いしてしまうほど大きく煌く。想像できるだろうか。視界一杯に、無限の宝石箱をぶちまけた様な光景が広がるさまを。濁った空気に覆われていては決して眼にすることの出来ない、そんな感動を引き起こす光景だ。
とはいえモモンはさほどその景色を眼にしても心動かすことはない。
慣れているとか情動が乏しいとかではなく、しなくてはならない事の重要性で頭が固まっているからだ。絶景も二の次、三の次というところだ。
モモンは全身の感覚を鋭く尖らせ、周囲を確認する。
尾行も、こちらをうかがってる気配も感じられない。それを確認したモモンはそのまま草原で眠るようにしながら、《メッセージ/伝言》の魔法を発動させる。
相手は自らの最上位の主たるアインズだ。先ほど手に入れた情報は早急に伝える必要がある。
やがてアインズに連絡が取れ、先ほどのニニャから手に入れた情報を全て報告する。
もしその姿を誰かが見ていたら、ぶつぶつと空中に向かって独り言を呟く危ない人間に思われるだろう。
――なるほど、了解した。ギルドには魔法が大量にあると考えても良いわけだな――
「そうかと思います」
――一部の魔法は比較対象として手に入れたいものだ。まずは購入するべきかな。それと魔法使いに弟子入りする者も必要か。計画の一部変更を考えるべきだな。追加の資金を送るので、それで購入を検討してくれ――
「ですけど、あまり高額になりますと、設定を一部変更する必要が出てきますがよろしいですか?」
――ああ、そうだったか、お前は単なる村人という設定だったな。とするとセバスに任せるとしよう。それで報告の方は終わりで良いのか?――
「はい。今回得た情報はこれぐらいになります」
――了解した。そのまま冒険者として怪しまれないように行動してくれ。それとシャドウ・デーモンを送るのでそいつらから一応の追加資金を受け取ってくれ。何か働かせたい用事等があった場合は、そのままそいつらを使役して構わない。既にシャドウデーモンにはそういった命令を下している――
「はい」
――それとご苦労だった、これからも頼むぞ、ナーベラル――
「は、はい。ありがとうございます!」
目の前にいないにもかかわらず体を起こし、モモンは頭を思わず垂れてしまった。絶対たる主人の声はやがて消えていくが、それでも福音ごとき声の響きが、今だモモンの体を駆け巡っていた。
他のメイドを含め、これほど自らの主人と話したものはいないだろう。そんな優越感がモモンの心の底からわきあがる。
にやけそうな顔を必死で押さえ抑制しようとするが上手くいかない。
仕方なく、モモンは顔を両手で包むように隠す。それからおもいっきりにやける。
もし1人っきりだったら、喜びの咆哮を上げていたかもしれない。主人――アインズが自らの名を呼ぶという歓喜に耐えかねて。
だが、アインズから与えられた任務を失敗させたくないという思いが、それを抑制する。
「はぁー」
体の内に溜まった熱を排出するような深い深呼吸を数度繰り返す。そのときにはもう、モモンの表情は冷静なものへと戻っていた。
「さて、と」
モモンは立ち上がると、さっさとテントに向かって歩き出す。
あと3日は彼らとともに行動しなくてはならないのだ。怪しまれるわけにもいかない。先ほどのアインズの声を思い返そうとする記憶野に蹴りを入れ、冷静さを保つ。
テントの近くまで戻り、そこで突然頭を下げるという行為を見ていたダインに不思議そうな顔で何をしていたんだという質問を受け、記憶野が反旗を翻そうとするのを抑えるので苦労したりもするのだが。
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※ とりあえずは15話の伏線回収です。
次回は観察者としての戦闘シーンですね。そしてフラストレーションのたまるモモン。そんな話です。では次回22話「初依頼・戦闘観察」でお会いしましょう。