冷たい空気が広間を吹き抜けていく。
その間、その場所に集まった誰もが沈黙したまま、広間の入り口――洞窟入り口の方角をじっと睨み続ける。
傭兵団『死を撒く剣団』――残存全兵力42名。
それがこの広間で武器を持っている人間の数だ。
広間は通常時、食事をするための場所として使われている。というのもここが最もこの洞窟内で広いためだ。しかしながら現在は即席の要塞へと姿を変えていた。
野盗達の塒であるこの洞窟は、最奥の長細いこの広間を中心に放射状に副洞がいくつか広がる。個室や武器置き場、食料庫等々だ。そのためここを抑えられれば後は確固撃破の対象となるために、襲撃の際はここを最終防衛ラインと想定して陣地が作成される。
陣地といっても立派な材料で作っているというわけではない。
まず粗末なテーブルをひっくり返し、それにあわせ木箱を積み上げて簡易のバリケードを作る。次に広間入り口とバリケードの間に何本ものロープを人の腹の高さに張り巡らせる。これによって侵入者の突撃を防ぎ、バリケードまで肉薄されることを避ける。
こうして作った防衛陣地の後ろに、ほぼ全員がクロスボウを持ち待機する。中央、右翼、左翼という分け方での配置だ。
射撃戦になったとしても入り口の広さと広間の大きさを考えれば、攻撃回数が多い広間側の方が圧倒的有利である。さらに散開していることによってどこかを攻撃しようとしたなら、他の箇所から攻撃を受けることとなる。範囲攻撃にしても散開している以上効果的な一撃からは多少遠い。
そんな簡素だが、同数以上とも互角に戦えるような陣地がそこにあった。
冷気が吹き込んでくる。
そんな気がし、野盗の何人かが寒そうに肌を擦っている。
確かに洞窟内の温度はそれほど高くない。夏場でも非常に過ごしやすい。だが、今彼らを襲っている寒さとは少しばかり違う。
先ほど入り口の方角から聞こえた哄笑。洞窟内を響いてきたために、性別すら不肖な甲高い笑い声。
それが彼らの全身を芯から冷やしたのだ。その前まであった、『死を撒く剣団』最強ともいって良い男――ブレイン・アングラウス。彼が迎撃に出たのだからバリケードを作った意味が無かったという声は、その哄笑が吹き飛ばした。
聞こえてきた声はブレインのものではない。そしてブレインと対峙してもそれは笑っている。
そこから考えられる答えは1つだ。
誰もが考え付き、そして口には出せない答え。お互いの顔を黙って見合わせるのが一杯だった。
ブレインを打ち負かすような相手。そんなものは存在しない。
そう彼らは皆思っていたのだ。
事実ブレインの強さは桁はずれていた。帝国の騎士すらも相手になら無い強さの持ち主だ。そしてモンスターですらそうだ。オーガを一撃で屠り、ゴブリンの群れに単身で飛び込み薙ぎ払うように命を奪う。恐らく正面から対峙すれば傭兵団『死を撒く剣団』の全員の首を取ることすらできうるそんな男を、最強と思わずしてなんと思えば良いのか。
ではそんな男が負ける。それはどういう意味を持っているのか。
緊張感が少しづつ高まる。そんな中――
コツコツという音が野盗の耳に飛び込んできた。ゆっくりだが、しっかりと。
誰かの唾を飲み込んだ、ごくりという音が大きく響く。そんな静寂が広間全体を支配した。
ガチリというクロスボウを引き上げる音が連続して起こる。
野盗達、皆が注目する中、広間の入り口にゆらりと男が姿を見せた。
「ブレイン!」
野盗の頭――傭兵団団長である男が大きな声を上げる。遅れて広間中に爆発的に歓声が上がった。
隣にいる者の肩を叩き、ブレインを称える声を響く。
ブレインの名が何度も何度も繰り返される。
それは侵入者を倒した。そういった類の喜びの咆哮だ。
そんな称賛を全身の浴びながら、ブレインは広間入り口に立ったまま、黙って野盗達の顔を見渡す。それは人数を数えている様でもあり、観察しているような不気味さがあった。
そのいつもとはまるで違うブレインの態度に押されるように、歓声はゆっくりと止んでいった。
「――俺はよぉ。使えるべき真の主人を見つけたんだ」
静かになった広間に響き渡る、賛美するような声。ブレインの顔に浮かぶ、まるで夢の中にいるような陶酔しきった表情。それは誰も見たことの無い表情だった。
野盗達が知るブレインという人物は剣のみを追いかけた、ある意味非常にストイックな男だ。性欲処理用の女を宛がわれても、興味なさそうに追い払う。美味い酒を奪ったとしても、一口も口にはしない。
唯一、自らを高めるということに対してのみ貪欲な男だ。破格の金を貰い、それを貯め自らを強化するアイテムを買う。日々黙々と剣を振るい、自らの装備品の点検を怠らない男。
先ほどの発言はそんな男のものとは思えなかった。
「……大丈夫か、なんかすげぇ顔色悪いぞ」
頭でも打ったのか、そんな思いを抱きながら団長はブレインに声をかける。
確かにブレインの顔は真っ白であった。血の気が引いているとかそんなレベルではない。死人の様な――そんな色だ。
「あれ? ……ブレインさんって目の色赤かったっけ?」
誰かの呟きに合わせ、皆の視線がブレインの目に集中する。確かに赤い。まるで血の色に染まったかのような色だ。充血でもしたのだろうか。誰もがそう思う。
「いらっしゃったぞ! ご主人様だ。皆、見ろよ。俺の最高のご主人様だ!」
幼子が自らの母親に向けるような親愛を、表に強く出しながらブレインは後ろを振り返り、そしてその進路上から退くかのように一歩ずれる。
ブレインがどいた後ろ、そこから何かが姿を見せた。
異様なほどの猫背。両手をだらりと力なく垂らし、顔を完全に俯かせている。長く艶やかな銀の髪が大地に触れているのを気にもせずに引きずり、ゆっくりと広間に入ってくる。黒い仕立ての良いドレスがまるで闇が纏わり付いているように見えた。
誰も言葉を発しなかった。
あまりの異様なその姿、そして心臓が止まるのではと思えるほどの冷気。
ゆるり――と頭が動いた。顔を完全に覆った、銀糸を思わせる細い髪の奥に真紅の光が2つ灯っていた。それがゆっくりと細くなる。
……笑ってる。
誰が言ったのか、何処からかそんな呟きが聞こえる。
――ああ、そうだ。
――あれは笑っているんだ。
誰もがそれを理解した。いや――理解してしまった。
決して理解したくないことを――。
「おいおい、何を呆けた顔してるんだよ。俺のご主人様――シャルティア様だぞ。あぁ……なんて綺麗なんだ……」
もはやブレインの呟きは誰の耳にも入っていなかった。ただ、ゆっくりと広間に入ってくるその異様な存在――シャルティアに全てを奪われていた。
あまりにおぞましいが故に目を離すことができない。
顔を上げるな。
こっちを見るな。
どこかに行け。
必死にそう願うのが精一杯だ。
だが、その願いを嘲笑うかのように、猫背だった体がしっかりと伸び上がり、銀糸のごとき美しい髪が後ろに流れることで隠れていた顔が姿を現す。
そこには――裂けるような笑みが、悪夢の女王を思わせる顔に浮かんでいた。
「あははははあははっははぁぁはははっはあ!!」
哄笑――。
広間の空気がビリビリと悲鳴を上げる。洞窟内という場所を考慮に入れても異様な響き方だ。まるで大気すらも耐えかね、唱和してるのではと思うほどだった。
「うわぁぁぁぁああ!」
悲鳴が上がり、恐怖に駆られた1人の野盗がクロスボウを引く。空を切って矢はシャルティアの胸に深々と突き刺さる。それを受け、シャルティアが微かによろめく。
「――撃て!!」
団長の声に我を取り戻した野盗たちは一斉に、恐怖を拒絶するようにクロスボウを引く。
クロスボウから放たれた矢はまるで雨音のような音を引きながら、シャルティアの体に突き刺さっていく。
飛来した矢は総数40本。命中した数は31本。どれもが深々と体に食い込んでいる。単なる金属鎧すらこの距離なら充分打ち抜ける以上、それは当然の結果だ。
そして頭部には4本も食い込んでいる。今だ立っているが、それは人間であれば致命傷だ。
そう、人間であれば――。
「やった……」
誰かが呟く。
それは誰もが思う言葉の代弁だ。全身を矢でハリネズミ状態になっているのだ。常識で考えれば、それは確実に死んでいるはずだ。ただ、頭ではそう考えてはいるのだが、しかしながら心の片隅ではそれを信じてはいない。
野盗たちは野生の感ともいうべき何かに駆り立てられるように次弾の装填に入りだす。
「ご主人様。俺も……」
そこまで口にしたブレインは何かに反応するように体を震わせ、口を閉ざす。それは恐怖のようでもあり、甘美なるものを味わったためにも見えた。
シャルティアが動く――。
指揮者がタクトを振り上げるようにように大きく、それでいながらゆっくりと両手を――開く。突き刺さったはずの矢が体から吐き出されるようにゆっくりと動き、全て大地に落ちる。落ちた矢には1つも血はついていない。鏃は潰れてもいない。まるで未使用品と同じだった。
それを目にしても、ああ、やっぱりかという思いしかその場にいる皆は浮かばなかった。
シャルティアは哂う。
にたりという擬音が最も相応しい、そんな笑顔で。
「うわぁぁあああああ!」
絶叫があちらこちらで起こり、再び無数の矢が空気を切り裂き、シャルティアに殺到する。
目玉を貫き、喉元を射抜き、腹部に刺さり、肩を抉る。そんな中にあってまるで単なる雨が吹き付けるような、そんなわずらわしさしかシャルティアの態度には無い。
「きかないのにぃぃぃいい。がんばりまちゅねぇぇっぇええええ」
一歩踏み出す。そして――跳躍。
天井までの高さはおよそ5メートル。その天井に触ろうと思えば容易いだけ跳躍を得て、バリケードの後ろに優雅に舞い降りる。カツンとハイヒールが音を立てた。そして体から全ての矢が落ちる。
ぐりっと頭を動かし、自らの後ろでクロスボウの装填に手をかけていた野盗を見る。
踏み込み――殴りつける。腰の入ってもいない、単に手を突き出したようにしか見えないパンチだ。しかしながらその速度は桁外れであり、破壊力は領域が違う。
殴りつけられた野盗の1人の体をたやすく貫通し、そのままバリケードに拳が叩きつけられる。そして爆発音じみた大きな音をたてながら、バリケードを構築していた木々が粉砕し、破片が周囲に散乱した。
沈黙。
ぱらぱらと木屑が地面に落ちる音のみが広間に響く。
呆気に取られた野盗たちはクロスボウを装填する手を止め、シャルティアを凝視していた。
シャルティアは頭上に浮かぶ血の塊に人差し指を差し入れ、引き抜く。引き抜かれた際に血が糸を引き、シャルティアの前で文字となる。梵字やルーン文字にも似た魔法文字といわれるものである。
それは鮮血の貯蔵庫<ブラッド・プール>。シャルティアのクラスの1つであるブラッドドリンカーで得られる特殊能力であり、殺した存在の血を貯蔵し、様々な用途に使用することの出来る魔の塊だ。そしてその能力の1つ――魔法強化。
《ペネトレートマジック・インプロージョン/魔法抵抗難度強化・内部爆散》
第10位階魔法――最高位の魔法の発動にあわせ12人の野盗の体が内部から大きく膨れ上がる。
次の瞬間――風船が破裂するような軽快な音を立てて爆散した。悲鳴を上げる暇すらない。ただ、膨れ上がりだした自らの体を見下ろし、何か得体の知れないことが起こっているという恐怖の表情を浮かべるだけの時間しか許されなかった。
「あははっはああああっははははああぁぁはは! はなびぃいいい! きれえええぇぇええええーーー!」
血煙を上げる場所を指差し、にたにたと哂いながらシャルティアはパチパチと手を鳴らす。それに追従するように広間入り口にいるブレインも陶酔しきった顔で手を叩く。
「うおおおおお!」
怒声と共に突き出されたエストックが、シャルティアの胸――心臓のある箇所を背中から貫く。そして上下に傷口を広げるように動かされる。
「くたばりやがれ!」
続けて振り下ろされた別のブロードソードが頭部を半分断ち切り、左目の箇所から剣先を突き出した状態で止まる。
「続け、てめぇら!」
悲鳴と咆哮が交じり合った雄たけびを上げて、総数3人の野盗達が持っていた武器をシャルティアの体に振り下ろす。何度も何度も剣を振り下ろす。だが、ブロードソードを顔に突き刺した状態で、平然としている化け物がそこにいるだけだ。
野盗たちは幾度もの攻撃による疲労で剣が手から離れれば、泣き顔で拳で殴り、足で蹴りつける。しかしながら巨大な岩石を叩くかのようにシャルティアはびくともしない。
シャルティアはそんな野盗たちを小首をかしげるように見ながら、考え込む。それから良い方法に気づいたのか、手をぽんと鳴らした。
「はぁぁあああああっぁああああ」
溜まった熱を放射するように息を吐く。周囲をむせかえるような濃厚な血の臭いが渦巻く。
無造作にシャルティアは自らの頭部に突き刺さったブロードソードを抜いた。無論、抜いた後に傷なんてものは無い。
それを振るおうとしてシャルティアは手を止める。ブロードソードは錆付き、ゆっくりと崩れだしていたのだ。自らのクラスの1つ――カースドキャスターのマイナス面を血に飢えた頭に呼び起こし、がっかりしたように投げ捨る。それから繊手を無造作に振るう。
3つの頭がごろっと大地に転がった。
「逃げろ! 逃げろ!」
「勝てるわけねぇだろ、あんな化け物!」
「やべぇよ、あれ!」
口々に叫びながら逃げ出そうとする野盗たち。もはや戦意も完全に砕け散り、逃げ出そうとした1人の頭部を後ろから両手で掴み、一気に力を込める。バキバキという甲殻類の甲羅を無理に剥がすような音と共に脳漿を撒き散らしながら頭は砕け散った。
そんな光景を楽しみながら眺めるブレインの前に1人の男が転がり現れる。
「助けてくれよ、ブレインさん! お願いします! もう悪いことはしません!」
泣き顔で足に掴み、必死に命乞いをするかつての仲間に困ったような表情を向けるブレイン。
「助けてやってもいいけどよ……」
「まずはご主人様に聞いてからな。――ご主人様、こいつどうしますか?」
「――ぽぉおおおぉぉんってほうってぇぇええええ」
「分かりました。うんじゃ、いくぞ?」
「やめて! やめてくださいいいいい!!」
必死にブレインの足を掴む男の背中の辺りを掴んだブレインは、片手で軽く放る。男がブレインの足を掴んでいられなくなるほどの腕力を使って。
5メートル以上は離れているシャルティアの元へ、男は山なりを描きながら悲鳴と共に中空を舞う。無論これは今までのブレインではさすがにできなかったことだ。もしかしたら両手で全身の力を込めてやればできたかもしれないが。ヴァンパイアに変わることで驚異的な肉体能力を得たのだ。
「ばぁぁぁあああああんんん」
それを地面に触れさせること無く拾ったシャルティアは、下からぐるっと回転させるように天井めがけ投げつける。破裂するようなあっけない音と共に血や内容物が降り注ぐ。その全てが下につくまでにシャルティアの頭部に浮かぶ血の塊に吸い込まれていく。
それからシャルティアは逃げ惑う野盗たちに笑いかけた。
「まぁぁああだまぁぁああだいぃぃぃっぱい、いるなぁぁぁぁああああ」
無数の悲鳴、怨恨の叫び、絶望の慟哭が広間に一杯にこだました――。
もはや動くもののいない静まり返った広間の中、シャルティアはニタニタと笑みを浮かべながら立っていた。頭の上に浮かぶ血の塊もなかなか大きくなっていた。大きさにして頭部よりも小さいぐらいだろうか。
「たのおおおおおぉぉぉぉおしいぃいいぃいい」
「楽しまれた様で何よりです、偉大なご主人様」
「もういぃいいないぃぃぃぃぃのかなぁぁぁああああああ?」
「それでしたら――」
「――シャルティア様!」
話しかけたブレインの言葉に重ねるように、女の声が広間に響く。
ヴァンパイアが外に残していたヴァンパイア共に連れ立って広間に入ってくる。
「何者たちかがこちらに向かってきてます」
「んんん? やとうのいきのこりかなぁあぁぁっぁあああ?」
「――あ」
「じゃぁあああっぁぁああ。でむかえようかっぁっぁああああ。あははっはああははぁぁぁああああ」
■
シャルティアは飛び上がる。闇夜に舞い上がる鳥のような跳躍を持って、入り口でバリケードを作っていた丸太の上に片足で降り立つ。他の3体のヴァンパイアはゆっくりと入り口を上がってくる。
シャルティアは笑みを浮かべたまま、標的を睥睨する。
そこにいたのはしっかりとした隊列を整えた一行だ。
前衛として3人の男の戦士が並ぶ。それぞれ装備品は違うが、最低でも何枚もの鱗が重なったような作りのスケイルアーマー――中装鎧を着用し、抜き身の武器を片手、背中にはラージシールドを背負っている。
そしてその後ろに赤毛の髪のバンデッドメイルを着た女の戦士。
その後方に守られるように歩くのが軽装に杖を持った男、おそらくは魔法使いだろう。その横に並ぶようにして神官着を鎧の上から羽織り、炎のような形をした聖印を首から下げた男が続く。
全員、洞窟から飛び出てきたシャルティアに驚愕しつつも、混乱せずに警戒を緩めない。それは経験が物語った立ち舞いだ。
「いいねぇぇぇぇえええええ」
豆腐のような脆さの人間を殺すのも良いが、多少は歯ごたえがあった方がやはり面白い。
そんな楽しみを両の真紅の瞳に宿しながら、にたにたと笑いかける。シャルティアに何を気づいたのか、魔法使い風の男が驚愕をその顔に浮かべる。しかしながらその驚きは一瞬。直ぐに表情を引き締める。
「推定、ヴァンパイア! 銀武器か魔法武器のみ有効。勝てない! 撤退戦! 眼を見るな!」
この窪地全体に聞こえるのではというだけの大きな声で魔法使いが叫ぶ。
そんな重要な点のみを抽出して発した指令に対し、迅速に他の者たちは反応をみせる。一斉に前にいた戦士達は背中に背負っていたラージシールドを前に突き出し、防御姿勢をとる。視線は逸れ、シャルティアの腹部や胸部をにらみつけている。
その間に後ろにいた女戦士が前の戦士達の武器を受け取り、何かを塗布しはじめる。
微かにシャルティアの鼻に漂う不快なにおい。
それは錬金術銀。
アルケミストたちが作れる特殊な塗布剤だ。武器に触れると油膜を張るように、銀と同じ効果を持つ特殊な魔法薬で刀身を覆う。
通常、銀で作った武器は高額な割には鉄の武器よりも刀身が柔らかく、長期の使用に関しては不向きだ。そのために冒険者の多くは、銀の武器の1/10というそこそこの値段は張るが、この塗布剤を買い込む。そして必要に応じて使用して、一時的に銀の効果を得るという手段をとるのだ。有効時間こそ5分も持たない程度だが、全力での殺し合い時はそれほど時間が掛からないものだから。
受け取った一時的な銀の輝きを宿した武器をチラつかせ、シャルティアを牽制しつつ一行は後退を開始。その後退も見事なものだ。全員がまるで1つの生き物のように整った動きで下がっていく。
「わが神、炎神――」
「無駄はするな! 防御魔法に入れ」
聖印を掲げようとした神官を止め、魔法使いが魔法を前衛にかけ始める。それにあわせ神官も魔法をかけ始める。
神官の大半はクラスにもよるがアンデッドや悪魔、天使といった存在を神の力を行使することで退散、従属、消滅と行うことができる。ただ、それは自らの力量よりも格段に下位の存在のみに有効な手段だ。つまりは神官がシャルティアにかけようとしたが、魔法使いは神官では力量的に不可能と判断して、行為自体を無駄と見なし、そんなことに力を割く余力があるなら別の手段にしろと指示したのだろう。
《アンチイービル・プロテクション/対悪防御》
《マインド・プロテクション/下位精神防御》
防御魔法を順次、前の戦士達にかけていく。
シャルティアの興奮しきった頭に少しばかり感心したような感情が生まれた。使っている魔法は最低レベル――第1位階魔法だが、敵にあった魔法をかけている。先ほどのむやみやたらに適当な攻撃を繰り返す野盗や、1人で出てくる愚かな戦士とは違う。
とはいえ――無駄は無駄である。
歴然とした実力差の前には何の意味も持たない。
シャルティアは踏み込む。
本当に軽く。
ステップを踏むような軽やかさ。だが、それを見ているものからすれば疾風を超えた動きだ。
そのまま抜き手を1つ。
盾を貫通し、鎧を砕き、魔法の防御を無視し、肉を切り裂き、先ほどまで脈を打ってきた心臓をその手に握り締め、そして一気に――引き抜く。崩れ落ちる戦士の前で、シャルティアは一行に手の中でブニャブニャと形を変える赤黒い塊を見せ付ける。女が小さな悲鳴を上げ、神官が憎憎しげに顔をゆがめた。
そんな光景にシャルティアはにたにた笑いながら魔法を発動させる。
《アニメイト・デッド/死体操作》
ゆっくりと心臓を失った戦士が立ち上がる。
この状態では最下級のアンデッドモンスター、ゾンビでしかない。シャルティアは心臓を無造作に投げ捨てると、頭上に浮かんだ血の塊に手を入れる。そこから真紅の塊――脈動する血の塊を取り出す。それは心臓のカリカチュアだ。
それをゾンビに放った。
血の塊は蟲か何かのように蠢きながら、形を歪め、ゆっくりとゾンビの体の中に入り込んでいく。そして幾度か全身が痙攣しながら、ゾンビがゆっくりと変わっていく。
胸部の大穴がゆっくりと時間が巻き戻すように修復して行き、それと同時に全身の水分が蒸発するように枯れ木のような皮膚となっていく。
「ありえん! 代償無しであれほど高度な魔法を使いこなせるヴァンパイアなぞ聞いたことがない!」
「実際目の前にいるんだ。落ち着け! 冷静に対処しろ!」
「しかし!」
「――撤収は無理だ! 打ってる出る!」
「おう!」
神官が混乱を起こし、それをどのように感じたのか。戦士の1人がシャルティアに切りかかる。そしてもう1人はかつての仲間であり、現在レッサーヴァンパイアへと姿を変えつつある存在へだ。
「わが神、炎神よ。不浄なりし者を退散させたまえ!」
神官の持つ聖印から見えざる神聖な力が放射状に放射される。無論、シャルティアには何の効果も無いつまらないものだ。
「あぁはあああああぁぁぁぁぁはははっはははは!」
戦士の1人の剣がレッサーヴァンパイアに食い込んでいる。神官の神聖なる力によって束縛を受け、身動きが不自由になった所為だろう。完全にレッサーヴァンパイアと成りきっていない不安定なゾンビだからこそ効果があったのだろうが、自らの創造物がつまらない神の力に負けるというのはシャルティアに不快感を抱かせるには十分である。
振り下ろされた剣を小指で弾きながら、不快感を持ってシャルティアは後ろにいる神官を睨む。
「じゃぁあああままままぁあああああ!」
無造作に右手を一振りする。そんなつまらない動作で、首を切り裂かれた戦士は血を噴出しながらゆっくりと崩れ落ちる。
《レッサー・ストレングス/下級筋力増大》
最後に残った戦士に強化魔法が飛ぶ。身動きが遅くなったレッサーヴァンパイアと強化魔法をふんだんにかけられた戦士。この二者の戦闘は若干戦士不利の状況で少しづつ経過している。
まぁ、楽しんでるようだし邪魔をしては悪い。それに獲物はまだいるのだから。
血に飢えきった思考でそんなことを考え、シャルティアは神官に向き直る。
その斜線上に剣を持った女戦士が立ちはだかる。それも単なる鉄の武器で。
かわいいものだ。びくびくと怯えながらも懸命に剣を構え――まるでその姿は小動物の哀れな抵抗だ。シャルティアは下腹部が熱くなるようなそんな喜悦に苛まれる。
指を噛み千切ったらどんな声を上げるのだろうか。
耳を切り落として、食べさせても良い。
いや、そんなことをする前に血を啜るのがいいだろう。外に出て、初めての女の獲物なのだから。
「でざぁぁああああとぉぉぉおぉおお、けってぃいいいいい」
跳躍。
女を軽く飛び越え、魔法使いと神官の前へ。
神官が動くよりも早く、聖印を握りしめた手を上から包み込むように握り、一気に握り潰す。
「ぐわぁああ!」
神官の悲鳴を聞き、満足そうに笑ったシャルティアは慈悲を与えることとする。手の一振りで苦痛を無くしてやったのだ。噴きあがる血が頭上の血の塊に吸収されていくことを頷き、喜ぶ。
そんなシャルティアの背中に誰かが渾身の力を込めてぶつかってくる。だが巨木と同じように、その程度ではシャルティアはびくともしない。ただ、胸元から突き出した剣が少々邪魔なだけだ。
「嘘……効かないの! 銀武器でしょ、これ!」
剣が胸を――それも心臓の位置を見事に貫いているが、それを無視して動くシャルティアに女は悲鳴まじりの叫びをあげる。
女は銀の武器を持ってはいなかった。恐らくは殺された戦士の剣を持ってきたのだろう。
魔法使いの言ったことはあってはいる。だが、間違えてもいるのだ。シャルティアに有効な武器は銀かつある程度の魔力のある剣か、ある特定属性の武器のみだ。銀の単なる武器ではダメージは負わない。
シャルティアはそのまま後ろの女を無視して、驚く魔法使いを眺める。
《マジック・アロー/魔法の矢》
必死の形相での魔法の発動にあわせ、2本の光の矢がシャルティアに飛び、そして――容易く打ち消された。
それはシャルティアの特殊能力――中位魔法ダメージ軽減によるものだ。軽減とはいっても差がありすぎればダメージは入らない。つまるところそれだけの歴然とした差が存在するのだ。
「つまぁぁぁぁああんんんなあぁぁぁぁぁぁあいぃぃぃいい!」
魔法使いの首が容易く転がり落ちる。
振り返ると、今だ良い勝負をしているレッサーヴァンパイアと戦士の2人。
シャルティアは転がった2つの頭髪を掴むと無造作に拾い上げる。そしてそれを退屈そうに両者に投げつけた。おおよそ6キロもの重さのものが桁外れな速度で飛来するのだ。その結果なぞ語るまでも無い。両者ともにゆっくりと崩れ落ちた。
そんな中も幾度も剣が体を貫き、切り刻むが別に気にはしない。服だって魔法の一品。穴は直ぐに修復する。
シャルティアが正面から向いたことで最後の1人になったことを女は気づき、怯えるように後ろに下がる。そして必死になってベルトポーチを漁り、何かを取り出そうとする。
シャルティアは真紅に染まった世界のそんな光景をのんびりと眺める。何を行うのか、ちょっとした好奇心があったのだ。
やがて女は瓶を取り出し投げつけてくる。聖水だろうか、それとも着火型火炎瓶だろうか。何をしても無駄なのに。
女が投げてくる瓶を軽く一瞥して、シャルティアはニタニタと笑う。
なんと哀れな抵抗だろう。
やはり最初は死なない程度に血をゆっくり味わうとしよう。それから色々とすれば良い。できるだけの血の出ない方法で。
そう決定したシャルティアは、飛来した瓶を片手で無造作に跳ね除けた。その衝撃で、空いていた口から赤い溶液が飛散し、シャルティアの肌を濡らす。
そして走る――微かな痛み。
シャルティアの頭が一瞬で真っ白になる。先ほどまでの血に飢えた感情はどこかに吹き飛んでいた。
シャルティアは呆然と痛みは走って来た場所を眺める。それは払いのけた手だ。溶液が付着したところから刺激臭と微かな煙が上がっている。
視線を動かし、大地を見下ろす。そこにある転がった1つの瓶。口元は開いており、そこから微かに香しい匂いが漂っていた。そしてそれはシャルティアがよく見覚えのある容器でもあった。
それは――ナザリック大地下墳墓で一般的に使われているポーション瓶だ。
中身は恐らくはマイナー・ヒーリング・ポ-ション。アンデッドは治癒系のアイテムによってダメージを受ける。シャルティアの肌が微かに溶けたのもそれが理由だ。
傷自体は直ぐに再生した。白く綺麗な手に傷跡は当然残らない。だが、シャルティアの驚愕はそれでも残っている。
「馬鹿な!!」
空気が震えるような怒号。
「その女を無傷で捕まえろ!」
シャルティアの言葉に反応し、今まで後ろで眺めるだけだったヴァンパイアたちが動き出す。シャルティアが呆然としている間に必死に逃げ出した女との間合いを一瞬で詰め、左右の手を掴み上げる。
女は必死で抵抗するが、人間とヴァンパイアでは素の筋力が違う。いとも容易くシャルティアの前に突き出されることとなった。
「眼を見ろ!」
シャルティアは女の下顎を掴み、無理矢理自らの魔眼を覗き込ませる。無論、力加減には十分注意してだ。下手に力を入れて下顎を毟り取ってしまったりしたら目も当てられない。シャルティアは神官系の魔法は使えるが、アンデッドのために通常の回復魔法は使用することができないためだ。
無理矢理覗きこませた女の瞳に薄い膜のようなものがかかり、その敵意と恐怖に満ちていた顔に浮かぶのは、もはや友好的なものでしかない。魅了の魔眼による魅惑効果の発動だ。十分に効果を発揮したと感じたシャルティアは、女から手を離す。
幾つも聞きたい質問はある。だが、何より最初に聞くべきものはたった一つだけだ。
シャルティアは落ちていたポーション瓶を拾い上げ、それを女の目の前に突きつける。
「このポーションはどうした! 誰から、何処で手に入れたものだ!」
「宿屋でモモンという人物からもらいました」
「モ、モモン? ……まさか……いや、そんな訳が……でも……」
それがどうしたの、と言わんばかりの女の軽い答え。
シャルティアは世界がぐらりと揺れるような驚きを感じていた。モモン――その名前はシャルティアを混乱させるのには充分な名前だ。
モモン、そしてシャルティアの見慣れた容器。そこから浮かぶ人物像はたった1人しかいない。いや、1人しか浮かばない。至高の41人であり、その長、最後まで残った――かつての名をモモンガと名乗った者しか。
名前が酷似していると言うことはあるのだろうか。確かに無いとは言い切れない。この世界で一般的に使われるポーションの瓶がたまたまナザリックで使われるものと同じだったという奇跡もまたあるだろう。
そこまで考えシャルティアは頭を振る。無理矢理すぎるこじ付けだと。
同一人物が偽名で名乗ったと言う方が常識的に考えて、十分納得できる。
それよりも問題は、何故この女がポーションを持っているかだ。この女がどうしてポーションを貰ったのか。何の理由も無く渡したのだろうか?
「まさか……」
この女にも何らかの指令を与えた? もしくは報酬として渡した等も考えられる。
アインズが一時的に何処に行ったかまでは知らないが、1人でナザリック大地下墳墓を出ていたことはシャルティアも知っている。しかも名前を変えたのはその後だ。もし、その時に出会って渡したとするなら、辻褄は合う。いや合ってしまう。
「何でここに来た?! 目的はなんだ?!」
「はい。私達の主の仕事は街道の警備だったんですが、この周辺に野盗が塒を構えているという情報を数日前に手に入れたので、この森を鋭意捜索中でした。その結果この森に仕掛けられた罠を解除しつつ、塒を発見したので時折様子を伺っていたら、何か異変が起こったということが分かりましたのでチームを二分して、私たちが強行偵察任務ということでここに来ました」
「チームを二分?」
「はい。最初は野盗の数がどれだけいるか不明でしたので、私たちがちょっかいをかけて、もう1つのチームが現在作っている罠のエリアまで誘き寄せる計画でした」
「もう1チームねぇ」
シャルティアはまた厄介ごとが、と舌打ちを1つ。
「それで全員でここに来たのは何人だ?」
「ここに来たのが私を含めて7人。それで――」
「待て。7人? 6人じゃなくて?」
シャルティアの視線が周囲に転がった死体に向けられる。戦士が3人、神官が1人、魔法使いが1人――そしてこの女。人数が合わない。
その疑問に満ちた視線に女はさらっと答えを返す。
「はい。あと非常事態時にエ・ランテルまで救援を求めるためのレンジャーが1人」
「何だと……?」
先ほどの魔法使いの声は非常に大きかった。そう、この窪地全体に聞こえるような――そんな大きさ。
「くっ!」
目を大きく見開いたシャルティアは、疾風をはるかに超える速度で一気にこの窪地を駆け上がる。一気に上まで躍り出、周囲を見渡すが、闇夜を見通すシャルティアの目をもってしても木々の奥まで見通せるわけではない。耳をそばだてるが、風が起こす草木の揺れる音以上は掴みきれない。
知覚系の能力や捜索系魔法をシャルティアは持っていない。この状況下でこの森の中から人間を1人探すのは恐らく困難だ。
「ちくしょうが!」
逃げられた。正直、侮りすぎていた。
ギリギリと歯が軋む。
「眷属よ!」
シャルティアの足元の影が蠢き、あふれ出すように複数のオオカミが姿を見せた。無論、普通のオオカミとは違う。漆黒の毛並みは夜闇を纏ったようだし、赤い光を放っているような真紅の瞳は邪悪な叡智を宿しているのが分かる。
それはヴァンパイア・ウルフ。7レベルという低位のモンスターだ。
シャルティアの保有する能力の1つ――眷属招来で呼び出せるモンスターは複数あるが、その中で追跡できそうなものはこいつらしかいない。
「追え。この森にいる人間を食い殺せ!」
怒号とも言っても良い叫び声の命令に、10体のヴァンパイア・ウルフは一斉に森に駆け込んでいく。
その後姿を見送りながら、シャルティア自身としては逃げている者を殺せる可能性は低いと判断している。レンジャーであれば追跡を回避するすべを知っているからだ。
つまりは逃げ切られたと判断した上で、次の手を考えるべきだ。
シャルティアは急ぎ戻ると、掴みかかるように女に質問する。
「聞かせなさい。そのレンジャーは別チームに戻る可能性はあるの?」
「無いです。彼は私たちのチームが壊滅するような状況にあった場合は、そのチームを捨てて都市に戻る手はずとなっています。それが最も私たちが生存する可能性が高い選択肢だからです」
都市に直ぐに戻り援軍を要請する。それに答えてくれる準備を整えているのだとしたら、壊滅した1チームを少ない人数で無理に救援を行うよりは確かに助かる可能性は高い。まぁ、投降して直ぐに殺されないこと前提だが。
賢い。
負けた際の準備、用心の仕方、そういったものをしっかりと考えた上で行動している。そのためシャルティアは追い詰められたといっても良い。
ヴァンパイアがいるという情報はほぼ確実に都市に持ち帰られたというとことだ。シャルティアの外見まで見定められたかは不明だが、人間の視力で夜間の窪地の中央付近にいたシャルティアを観察できたとは思えない。
「糞!」
シャルティアは吐き捨て、自らの考えに没頭する。
アインズからもらった命令は――
今回、狙う獲物は犯罪者だ。消えても誰も文句を言わなさそうな。
そんな犯罪者、例えば野盗とかの中に武技や魔法を使える者がいたら、吸い尽くして奴隷にしても構わないから絶対に捕まえろ。犯罪者の中で世界情勢や戦のこととかに詳しい奴がいたらそいつも逃がすな。そして騒ぎは起こすな。我々――ナザリックが動いていると知られるのはおいおい厄介ごとを引き起こしかねない。
――以上だ。
ならば現状は指令のギリギリ許容範囲内だろう。
ヴァンパイアがいたという情報は持って帰られるが、自らの名前やナザリックに関する情報を漏らしては無い。つまりはナザリックとここを襲撃したヴァンパイアを結びつけられる線は無いわけだ。それを踏まえて推測するなら、現状の情報で都市にいる者たちが考えで一般的なのは、ここの野盗どもが野良ヴァンパイアに皆殺しにあったというところだろう。
無論、穴は色々とあるが、それ以上は情報を手に入れなければ行きつけないだろう。
シャルティアは安堵のため息をつく。それから更に思考の渦に飲み込まれる。
次なる問題は、それを踏まえた上でこの女をどうするかである。
魅了状態でも完全に記憶が失われているわけではない。安全策をとるなら殺した方が良い。だが、そこで問題になるのはモモンという人物、そしてポーションの件だ。
もし仮にこのポーションを何らかの目的や理由があって渡したとするなら、この女をここで殺すということはアインズの目的を阻害する行動になりかねない。それは甚だ不味い行為だ。
生かして返した場合、雇った人間たちになんでこの女のみが助かったという疑問を抱かせることとなる。そして様々な情報――特にシャルティアの外見を知られることとなる。現状ではさほど問題にはならないが、将来的にどのような結果になるかは想像できない。
では殺した場合はどうなる? もし計画があった場合はそれの完全な放棄だ。
一番良いのはアインズと連絡を取ることだが、シャルティアには《メッセージ/伝言》の魔法を使うことはできない。
では女を連れたまま転移して直接会いに行ったらどうだ。
これもまた微妙だ。なぜならナザリック大地下墳墓は転移系での侵入を阻害する防御魔法が張り巡らされている。その中を自在に転移できるのはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを所持する者のみだ。残念ながらシャルティアは持ってはいない。そうなると様々な設置された転移門等を使用して移動することとなるが、かなりの時間が掛かる。時間的には3時間あれば大丈夫だと思われるが、現在ナザリック大地下墳墓は守護者ではコキュートスしか残っていないために警備状態をより強固にしている関係上、転移門発動も自在というわけには行かないはずだ。無論、闘技場に出現したように自らの魔法を使ってもいいが、飛べる距離はかなり抑制される。
時間が掛かるというのは不味いのだ。
なぜなら救出部隊が来たとき、女がいないと知られるから。
確かに殺すなら後腐れが無く問題が解決する。だが、アインズに生かして返せといわれた場合、非常に厄介ごとになる。連れて行けば当然、今回の件にナザリック大地下墳墓が動いている、という重要な情報を握られるためにアインズが記憶を弄るしか無いだろう。
それから返した場合、それは雇い主に色々と疑問を抱かせる筈だ。浚って記憶を消す。そこまでしなくてはならない何かがあったのかと。そうなるとこの一件に関する追及が、そのまま返すよりも厳しくなるだろう。
ならばたまたま間違えたということでこの女も眷属にしてしまうべきか。
シャルティアの眷属は最大数10。現在ブレインしか眷族にしてないので、まだまだ余裕はある。だが、それはアインズの目的を阻害する行為を自らの判断で行うということだ。それも知っていながら、故意的に。
ではどうすればよいのか――。
「アインズ様に叱られる……」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、シャルティアは頭を抱える。
たまたま女が来たんですと言っても、何でそれより早く撤収しなかったんだ? と返されて終わりだろう。女をどのように処分しようが――もはやどちらに転んでも叱咤は避けられない。だが、どちらの方がまだ許されるか。
worstよりはworse。
シャルティアは考え、考え、頭から煙が出るほど考え、結論を出す。
殺すよりは生かして返した方がまだ可能性の幅が広がる。殺してしまっては取り返しが付かないときがあるが、生きていればなんとでも出来るはずだ。
シャルティアはそう判断する。いや、自らを必死に騙しているといっても間違いではないが。
「おまえの名は?」
「バニアラです」
「わかった……よぉーく、覚えておくぞ、その変なお菓子みたいな名前をな! そこで待ってろ!」
――散れ、眷属ども――
シャルティアは感覚的に細い糸で繋がったヴァンパイア・ウルフに帰還の命令を下す。
運が良いのか悪いのかは不明だが、別働のチームにもレンジャーにも遭遇はしていなかったようだ。帰還が終了したのか、そのまま糸が切れる。
一つ仕事を終え、バニアラという名の女を適当な場所に立たせておくと、少し離れた所に自らのシモベである3体のヴァンパイアを呼び集める。
「とりあえずここにあるものは全て回収。撤収する」
回収する時間があるのか不明だが、ここにあったものを全て持ち出せば、それを狙っての行動だと勘違いしてくれる可能性はある。最低でも適当に捜索したような形跡は残すべきだろう。
「それじゃ女はどうします、ご主人様?」
ブレインの質問に対し、シャルティアの視線がちょっと離れたところで寂しそうに立っているバニアラに向かう。
「そのままにしておきなさい」
「いえ、他の女です」
「……はぁ? 他の女?」
「ええ、ご主人様。あいつらが性欲を処理するために捕まえてる女どもが奥にいるんですが、どうしますか?」
シャルティアは顔を引きつらせる。
なんだ、それは。
「……なんで、言わなかった?」
「申し訳ありません。なんどか話そうとはしたんですが」
脳裏に激しい炎が吹き上がり、ブレインに叩きつけたくなるが、それを必死に堪える。アインズに会わせ、情報を聞き出すまでは殺してしまっては不味い。必死に激情を鎮火させ、シャルティアは睨む。視線が物理的に力を持ちかねない眼光だ。それを受けたブレインが数歩後退してしまうほどの。
シャルティアは再び頭を回転させる。
別に顔を見られていないならここに置き去りでも構わないだろう。だが、それは正解なんだろうか。女だけ何で殺されなかったとか思わないだろうか。いや、それを考えたらバニアラのみ生存する方が変だろうか。
やがて、シャルティアは頭を抱えた。
「どうし――」
「ああ? そんなの知るかよ!」
なんでそんなこと教えるのよこいつ、という表情を浮かべるシャルティア。知らなければ何をしようが自己弁護できる。だが、知ってしまった以上それを行うことは自らの主人に対する明確な反逆だ。
「もういい。知らない! 置いていく。その女どもの中にバニアラを突っ込んでおきなさい」
「よろしいのですか?」
「良いのか悪いのか、わかんねぇんだよ、糞が! ちょっとは黙れ!」
「申し訳ありません、シャルティア様」
「撤収するぞ! はやく取り掛かれ」
ヴァンパイアたちが頭を下げ、行動を開始する中、ゆっくりとシャルティアは頭を抱え込みながらうずくまる。
「……叱られる……どうしよう……」
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※ 悪役側の最強モードだから爽快感が微妙ですね。
それと情報を知っている人間からすると、非常に間抜けなシャルティアでした。知らないと言うことを前提に上手く書けてると良いんですが。ナーベラルはポーション渡したことなんとも思ってなかったから報告してませんよーというのは次回アインズの回で。31話「準備1」でお会いしましょう。