ポリポリという軽快な音がその家に広がっていた。
丸太で作ったこの住居はさほど広くない。大きな広間が1つと、それに隣接した小部屋が2つ。当然2階もロフトも無い。ただ、全てが大きく作られている。人というよりはもっと大きな生物のことを考えて作られたような感じだ。
小部屋の片方は簡素な2段ベッドが2つ置かれただけであり、安宿の一室を思わせる作りとなっている。もう一方はがらりとしており、たった1つのものを除いて何も置かれてはいない。
1つとはぽつんと壁に立てかけられた巨大な姿見の鏡だ。外ぶちは金の輝きをもつ金属で出来ており、全面に渡って奇妙なルーンのようなものが細かく彫り込まれている。鏡はまるで水を凍結したように表面に曇りは全く無い。それ以外に変わったところは無い鏡だ。
そんなここで生活していくには少々大変な、ある意味作りかけとも取れるような小屋だった。
そんな小屋の広間の中央には大きなテーブルが1つ。そしてその周りに6つのイス。どれも木で作られたさほど立派ではない。実用性を重視した作りのものがあった。
そんな一風変わった家の広間にいたのは、2人のメイドだ。
両者とも非常に美しいために、住居と雰囲気がまるであっていない。そのためになんとも表現できない、奇妙なちぐはぐ感が生まれていた。
イスに座っている1人は健康的な褐色の肌の持ち主で、ころころと表情が変わる非常に明るい女性だ。年齢的には20になる頃だろうか。活発な雰囲気が三つ編みにすることによって急増している。尻尾が生えていたならパタパタと振っていそうだ。
そしてもう1人は先ほどの女性とはまるで正反対なほど、落ち着いた雰囲気を漂わせた人物だ。ナザリックに存在するメイドの中でも身長、雰囲気共に年齢がある程度上のように思われる。恐らく20台半ば過ぎか。
夜会巻きにした髪が雰囲気と相まって非常に似合っていた。
前者のメイドの名をルプスレギナ・ベータ。後者の名前はユリ・アルファ。
両者共にセバス直轄の戦闘能力を保有したメイドだ。
ルプスレギナの手がテーブルに置かれた木の皿に伸ばされる。
そこから摘み上げられたのはポテトを薄くスライスして、油で揚げたものに塩を振りかけた食べ物だ。それが口に放り込まれ、ポリポリと音を立てる。
「いやー、美味しくてとまらないっすね」
「美味しい?」
「美味しいっす。ユリ姉が食べられないのが残念っす」
朗らかに笑う女性からは嫌味はまるで感じられない。ユリと呼ばれた女性も、その間も食べ続ける少女に苦笑いを浮かべる程度だ。
「そんなに食べると太ると思うよ?」
「大丈夫っす。私は食べても太らないタイプって奴なんで」
「そうかい? なら、ボクの分もたっぷりと食べてくれよ。残すとペスの奴に悪いからね」
この食べ物――ゴールデン芋のスライス揚げという名がユグドラシルではついているが――を持ってきたのはメイド長自身だ。それもわざわざユリに手渡しで。
そんなユリとメイド長の互いに親しみを込めた口調に、その光景を黙ってみていたルプスレギナは首を傾げたものだ。
そんな今まで聞こう聞こうと思っていた謎を解き明かすチャンスだと判断し、口を開く。
「ユリ姉はペストーニャ様と仲がなんで良いんですか?」
メイド長という地位についているペストーニャはナザリックの中では、戦闘メイドであるユリより立場的に上だし、レベル的にも上だ。決して様を外して呼んで良いわけではない。大体、セバスに知られれば叱られるだろう。
いない場所でのみ敬称を略して呼んでいるというなら一気にユリの評価が駄々下がりだが、そうではないことはルプスレギナは良く知っている。
階層的にはほぼ同じ階に存在しているが、与えられた立場的にも接点がまるで無い。いや、同じ神官同士と考えればまだルプスレギナの方が接点があるといえるだろう。ならば何故というところだ。
「ああ、至高の方々が仲が良かったからかな。ボクを創造者したやまいこ様、ペスを創造された方、アーちゃんを創造された方は同じ女性同士ということもあって良くお喋りをしていたから。そんなわけでボクたちも仲が良いってわけさ」
「……アーちゃんて誰っすか?」
「アウラ」
「やっぱりー! 守護者の方をちゃん付けはまずいっしょ!」
「大丈夫だって。時と場合、すべきところを間違いなければ叱られないから」
「いわれてみれば……アウラ様、ユリ姉に飛びついていましたね」
ルプスレギナはアウラが飛びつくところを思い出す。胸に埋もれて苦しそうだったな、なんて思いながら、正面にあるユリの異常なまでに豊満な胸にちらりと視線を走らせる。
そんなルプスレギナの横顔を何処を見てるんだかと、困ったような顔で見るユリ。
「でかいっすよね。メロン……スイカっすか? ちょこと齧ってみたい気持ちになるっす」
「何を言ってるんだか」
やれやれと肩をすくめるユリ。
「そんなにでかいと楽師にちょっかい出されないっすか?」
「ボクはちょっかいかけられたこと今のところ無いね。君がどう思ってるかの予測は立つけど、実際は彼、意外にマトモだよ?」
「はぁ。なら良いっすけど……。あんまりすかないんすよね、あの人」
「しょうがないよね。チャウグナー種族自体、性格が悪いからね。でもその中にしてはマトモだと思うよ?」
「まぁナザリックの者にちょっかいかけたら不味いってことぐらいは理解してるってことっすかね?」
「多分ね」
そう答えてから、ユリは苦笑いを浮かべる。
「……ボクはシャルティア様のほうが怖いよ。なんか変な目でこっち見るんだよね。飢えた獣みたいな目で」
「まぁ、シャルティア様はあれっすから……」
「悪い人じゃないんだけど、あの性癖はちょっとね」
2人で顔を見合わせ笑う。無論、悪意というよりも事実を言っているという雰囲気が多分に含まれていた。
「しかし、暇っすねー。侵入者来るなら早く来てくれないもんすかね?」
欠伸の真似事を行うルプスレギナの姿に微笑を浮かべる。
「フラグを立てたようだね」
「んい?」
「ほら」
ユリの指差す方、窓にはめ込まれたガラス越しに、小屋に向かって進んでいく1つの影があった。
それは一台の荷馬車だ。
それがごとごとと揺られながら向かって来ている。御者台に乗って手綱を持っている女性は農民のような姿をしているのだが、それに対して繋がられた2頭の馬は毛並みの良く、体躯も立派な見事なものだ。道の無い草原の中、荷馬車を問題なく引っ張ってきているのだからそのほどが分かるというものだ。
農民と立派な馬。その二者の隔絶したギャップが強い違和感を生み出している。
まだ距離にしてはかなりあるが、荷馬車が揺れるたびに複数の何かが乗っているのが伺える。
「ポリポリ……なんすかね? 侵入者っぽくはないっすけど?」
最後に口にくわえていたポテトを食べきると、ルプスレギナは片眉を上げる。
どちらかといえば商人とか街に食料を持っていく農民みたいだと、呟くルプスレギナ。しかしながらそれにしては馬が立派すぎる。あんな汚れて服を着た人物には不釣合いだ。
考えられるのは主人から貸し出されたとかそういった類の話か。しかしながら答えを出すには、現状では少々情報が足りない。
「そうだね。取り合えずは友好的に会ってみようか」
ユリはそう言いながら、両手を伸ばし、テーブルの上に置かれた自らの頭を持ち上げる。そして首の上に乗せると、切断面をチョーカーで隠すと同時に固定する。
デュラハンであるユリとしては頭をぶら下げて行っても良いのだが、それが初対面の人間相手には、非常に不味い対応だというのぐらい理解できる頭はある。
2度、3度落ちないことを確認すると、立ち上がった。
「さて、行こうか」
「了解っす」
ぴょこんという感じで立ち上がったルプスレギナと共にユリは扉に向かって歩き出した。
外の日差しは意外に強い。
ユリは日差しを遮るように片手を上げて、太陽を隠す。
意外に冷たい風が草原を駆け抜けていくが、それに負けないとでもいうようにジリジリと照りつけてくる太陽は、いまだ頂点まで上っていない。これからまだ暑くなりそうな雰囲気だ。
ユリは別に温度の変化は苦ではないが、強い日差しは好きでは無い。少しばかり今出てきた丸太小屋を物惜しげに見てしまうのは致し方ないところだろう。
今ユリたちが出てきた太小屋は、ナザリック大地下墳墓の地表部分、正面門の脇に建てられたものだ。目的としてはいわば関所の詰め所のようなものである。
そんなものをわざわざ建てたのは、ナザリックに勝手に入って勝手に死ぬのは良いが、せめてその前に一言ぐらい警告をしておこうというアインズの狙いのためだ。無論、善意ではない。アインズとしては今だ世界の状況を把握してないために、最低限度の友好性のアピールとしての警告が真の目的だ。警告はしたんだよという言い訳にも使うためにこの丸太小屋が新築されたという寸法だ。アインズ自身としては人の住居に勝手に乗り込んできたなら、死のうがどうなろうが自業自得だという考えの持ち主なのだから。
ただ、何も知らない子供とかが入り込んで死んでしまうのは、哀れであるという感情も無いわけではない。好物の最後の一個を地面に落としてしまった友人に向ける程度の哀れみがアインズにだってある。
ようはこの2者のメイドは侵入者が死んで構わない人物か、判断するという役割を与えられているのだ。
手を翳したまま、僅かに目を細め、ユリは進んでくる荷馬車を見る。
向かってくるのはかなり大きいが幌のついていない運搬用のものだ。馬の手綱を持っている少女の後ろ――荷馬車には幾人もの人の気配のようなものが感じられる。
ユリはゆっくりと呼吸を吐き出し、注意深く気配を探ることとする。
武道家<モンク>系統のクラス、キ・マスターが保有する特殊能力『気探知』。生命体の数と自らとの力の差を感じ取る能力だ。力の差は漠然とし分からないし、アンデッドや人造生物<コンストラクト>のようなものの探知は出来ないが、不可視の存在も看破できる等、まぁまぁ使い勝手は良い。
「なるほど」
ユリは小さく呟くと、一瞬だけ荷馬車のさらに後ろの草原に視線を動かす。それから荷馬車に戻すと集中を解く。
「気づいてるっすよね」
「うん」
ルプスレギナの確認の言葉にユリは軽く返答をする。
「それよりそろそろ言葉遣い」
「はい、了解しました、ユリさん」
「はい。良く出来ましたルプスレギナ」
微笑むと、ユリは客を出迎えるメイドに相応しい表情を作る。その横でルプスレギナも同じようにしている。その2人の姿は見るものによっては全然似てないのに姉妹と思わせるものがあった。
やがて荷馬車はかなり近くまで来ると、ゆっくりと止まる。御者台から少女が降りるよりも早く、荷馬車からバラバラとゴブリンが降り立った。
ユリたちに動きは無い。
荷馬車がユリたちに近寄ってくる間に、後部に複数のゴブリンの姿を認識し、ユリは一応は戦闘準備も念頭に入れた上で行動すべきかとも考量し、却下した経過があるからだ。
というのも、もしゴブリンたちが攻撃の意思表示を見せたなら、そのときは容赦なく殺せばよい。そう判断したのだ。
それはさきほどの感知では、掃討するのにさほど時間の掛からない程度の存在としか受け取らなかったことを思い出したからだ。
そんな決定を下したユリの前で降り立つゴブリンの数は全部で15体。荷馬車一台に良くぞ入っていたと褒め称えたくなる数だ。
基本的にユグドラシルではゴブリンの最低レベルは1だが、様々な――スペルキャスターやロードといった――種類や特殊部族、職業がおり、そして背格好が同じゴブリンでも名前の前にレベルが与えられることのよって、強さに変化がある。
そしてこのレベルの高さは武装の良さや、衣服の豪華さによって判断できる作りとなっていた。これはよくあるRPGのゲームで、色が同じでもちょっと外見を変えることで別の強さのモンスターになるのと同じ要領だ。
荷馬車から降り立った中でも最も多い――12体のゴブリンは、背格好は雑魚モンスターとしての最低レベルゴブリンだが、それよりかは非常に武装が整っている。
チェインシャツに円形盾<ラウンドシールド>、腰に肉厚なマチェットを下げている。チャインシャツの下は茶色の半袖半ズボン。それにしっかりとした毛皮で作った靴も履いている。腰には小物入れらしきポシェット。
小柄ながらもしっかりとした筋肉の隆起が、腕や足の鎧に覆われてない部分に見え隠れしている。
恐らくはレベル8クラスのゴブリン。そうユリは判断する。
そんな12体のゴブリンは馬の手綱を受け取ったり、荷馬車と馬を固定している棒との固定紐を確認したり、御者台に乗っていた少女を降ろしたりと慌しく行動を開始する。遅れて降り立ったのは3体のゴブリン。
最初に降り立ったのは一回り大柄のゴブリン。
姿格好は戦士といっても過言ではない。ゴブリンとは思えないほどの筋骨隆々の長躯。それを実用第一主義な無骨なブレストプレートが包み、使い慣れたようなグレードソードを背中に背負っている。鋭い視線を周囲に飛ばしながら、ゆったりとした動きで歩を進める。
その右横には人型生物の髑髏を被ったスペルキャスターのゴブリンだ。
手にはみすぼらしいながらも自分の身長よりも長い、くねった様な木の杖を持っている。全身はどこかの部族がつけそうな奇妙な装飾品等で身を飾っており、胸の部分が僅かに膨らんでいる。顔を良く見ると確かに女の可愛らしさがある。何で男と女でこんなに違いがあるの、と疑問符が浮かんでしまうほど。
左隣には歪んだような印を首から提げた神官らしきゴブリン。叡智というよりはずる賢そうな顔をしている。レベル8ゴブリンのものよりは立派なチェインシャツを纏い、腰にはモーニングスター。
ゴブリンリーダー、ゴブリン・メイジ、ゴブリン・クレリックといったところか。ユリは言葉には出さずに呟く。
どのゴブリンたちも服とかは汚れているように見えるが、実のところそれほど汚いわけではないようだ。というのも臭いにおいが殆どしないからだ。
それに時折ゴブリンリーダーを中心とした、しっかりとした組織立った動きが伺える。
それは傭兵。そんな言葉が最も似合った一団だ。
そして最後にゴブリンたちの手によって御者台と荷馬車から1人づつ少女が丁寧に降ろされる。
御者台に乗っていた少女は栗毛色の髪をみつあみにして胸元ぐらいの長さに伸ばしている。日に焼けて健康的な肌に、黒い瞳。そこそこ可愛い顔立ちだ。
もう1人は御者台の少女を小さくしたようなようだった。恐らくは妹だろう。両者共にそれほど裕福ではない、農民の姿格好だ。
おどおどと周囲を見渡し、ユリたちを驚きの目で観察しているようだった。まるでこんな場所にこんな格好をした人がいるのが信じられないような。2人からは困惑と圧倒されているという雰囲気を感じ取れた。
ユリとルプスレギナが見ている前で、突如、一斉に降り立ったゴブリンたちが女性を取り囲むように隊列らしきものを整える。
そしてなんだか奇妙なポーズをとった。思わずユリもルプスレギナも目をぱちくりしてしまうような。
それからタイミングを取るように互いの顔を見合わせてから、ゴブリン全員の調和の取れた大声が辺りに響く。
「おれたち、エンリの姉さん親衛隊!」
恥ずかしそうに中央の2人の少女も奇怪なポーズを一瞬取って、直ぐに辞めると俯き、真っ赤な顔で地面を凝視した。
シーンという音が正しいぐらい、辺りが静まり返る。遅れてゴブリンたちから歓声が上がった。
ユリは思わず口をぽっかりと開けてしまった。あまりにも想定外過ぎる。ユリほどの存在が、今起こったことを完全に理解するまでにしばらくの時間が必要だったのだ。
それに対しゴブリンたちは上機嫌だ。
「ひゃっはー。決まったぜ、兄弟!」
「準備に1日はかけたもんなぁ。最初は決まらなくて大変だったし」
「おれたちの努力も報われたぜ!」
「おう。メロメロだな。メロメロ」
「でもよぉ不味いぜー。おれたちにはエンリの姉さんがいるって言うのに」
「断るって辛いことだよなぁ」
口々にゴブリンたちが互いの肩を叩きながら騒ぎ立てる。そんな騒ぎの中心にいた少女たちは今だ恥ずかしげに顔を俯かせたままぴくりとも動こうともしない。
耳が真っ赤だ。そんな益体も無いことをユリは思う。
「エンリの姉さんも感動してるみたいだぜ! そんな顔を真っ赤にしてまで感動してくれるなんて、俺達もほんと、嬉しいですぜ」
「やっぱ、ポーズがいいんすよ。美しさと偉大さ、それと慈悲深さを体現した、勇ましいポーズ!」
「そして中央のエンリの姉さんがとったポーズを強調する。やっぱこれが考え付いたリーダーは天才ですよ!」
「だろう? 特にエンリの姉さんにやってもらったポーズは相応しいだろ。三日三晩寝ずに考えただけはあるだろ?」
凄かったよ。ひっくり返ったカエルみたいだったよ。そう、エンリと呼ばれている少女に声をかけた方が良いだろうか。そこまで考えユリは思い出す。
アインズから言われている客人の名前を。
「……まさかエンリさまですか」
そのまさかという部分に何を感じ取ったのか、エンリと呼ばれた少女は消えてしまうような声ではいと返答した。エンリの後ろに隠れるように、妹だろう少女が顔を真っ赤にしたまま逃げ込む。
2人とも穴があったら確実に潜っているだろう。
「あー。えっとよくいらっしゃいました。アインズ様からいらっしゃったら――」
「ちげぇよ! エンリの姉さんは俺の嫁!」
「そいつはリーダーとはいえ許せねぇな!」
「はぁ。俺が姉さんはもらうに決まってるじゃないですか! 俺これからの人生設計もう立ててるんですから。まずここから帰ったら――」
「俺……妹さんでいいなぁ……」
「………………ろりこんだめぜったい」
「YES、ロリータ。NO、タッチ」
「えっと、いらっしゃったら――」
「いや、エンリの姉さんを幸せに出来るのは俺しかいねぇ!」
「ふむ……君達のように腕力でしか考えられないような存在にエンリの姉さんを任せられるわけが無いだろう。大体我が神はこう言っているんだよ、汝、エンリを幸せにせよと。キラーン」
「きも! キラーンって口で言う奴始めて見たぞ!」
「つーか、てめぇの神って悪神だろ!」
「だいたいマッチョこそ全てだ。逞しい男に女は惚れるってもんよ! お前みたいな筋肉のつきが悪い奴に任せられるわけねぇだろ」
「……いがいにおんなのほうがすきかも……」
「いや、そりゃ無い」
……こいつらうるせぇ。
微笑を浮かべたまま、ユリの眉間がピクリと動く。どうしてくれようか。そう思ったとき――
「ぶははははっはは! 最高っす。面白っす!」
――突如、ユリの横から爆笑が響く。それに押されるようにゴブリンたちのおしゃべりが止む。
「――ルプスレギナ」
たしなめるようなユリの言葉を受けてもルプスレギナの笑みは元には戻らない。
「いやー。最高っす。つーか、よくいらっしゃいました、おふた方。アインズ様より来たら歓迎するようにって言われてるっす」
「ええ。エンリ様と妹のネム様ですね。我々ナザリック一同、お待ちしておりました」
「あ、はい。えっとよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるエンリ。隠れるようによろしくお願いします小さな声がした。
「ネム!」
後ろにいる少女を引っ張り出そうとするエンリを止め、ユリは周囲で今だ誰がエンリの夫かについて語っているゴブリンたちを見る。
「それでこちらのゴブリンたちは?」
「はい。あの――」
「おれたちはエンリの姉さん親衛――」
「あなたたちには聞いてませんから」
ユリにばっさり切られ、ゴブリンリーダーがしょぼんと肩を落とす。
「えっと、アインズさん……様からもらった角笛を吹き鳴らしたら出てきた方々で……あの、私を今まで守ってくれてました」
「そうでしたか」
さてどうするか。ユリは考える。
エンリのように招いている人物を中に入れることは問題ではないが、アインズに忠誠心を持たない存在を多数入れることはあまりよろしいとは思えない。品位の無い存在では特にそうだ。
一応はアインズに連絡を取り、その上で行動すべきだろう。
ではその順番だ。まずは客人であるエンリとネムをナザリックの待合室に招いた上で、アインズにゴブリンの件を相談。そういった流れで行くべきだろう。勿論、エンリとネムがそれに反対しなければだ。
「ではまずエンリ様とネム様をお連れします。あちらの方々は後でアインズ様の許可を求めてからということでよろしいでしょうか?」
「あ、結構ですよ。俺たちはここで待ってますので」
「左様ですか? エンリ様、このようにおっしゃってますが、それでよろしいでしょうか?」
「え? え?」
どうしようという風にきょろきょろと視線を動かすエンリにゴブリンリーダーが助け舟を出す。
「ああ、気にしないでくださいよ。エンリの姉さん。俺たち堅苦しそうなところは苦手なんで。ここで待ってますんで」
「とのことですので、エンリ様、ネム様。参りましょう」
今だ迷ったままのエンリを多少強引にユリが連れて歩き出す。エンリの片手を握り締めネムもそれに続く。
やがて3人は丸太小屋に入っていった。
■
「で、お姉さんは付いていかないので?」
「ん? まぁ、ユリ姉が行くから私まで行くまでもないっしょ。――うんでさぁ、何処までマジ?」
ルプスレギナはにやりと肉食獣の笑みを浮かべた。それに対し、ゴブリンリーダーも歴戦の戦士が浮かべる笑顔でもって迎撃する。周囲の馬鹿話をしていたゴブリンたちは今だ口は動かすものの、注意をルプスレギナに向けているのは見渡せば一目瞭然だ。警戒感の強く混じったものが自らに向けられる感覚に、ルプスレギナは笑みをより濃くする。
そこにいるのは狩りを始める前の獣にも似た生き物だった。
「何の話ですかね?」
「本気でやったわけじゃないんでしょ? あの馬鹿騒ぎ」
「なんのこと……」
そこまで口にしてゴブリンリーダーは黙る。無駄だと理解したのだ。
「はぁ。簡単ですよ。あなたたちは俺たちより遙に強い。あなたたちが俺たちを殺す気になったら守りに入っても多分、1人1秒が関の山でしょうよ。でも、俺たちを馬鹿にしてればもしかすると1人3秒ぐらいは時間が掛かるかもしれない。エンリの姉さんと妹さんを守る時間はあればあるに越したことは無いですからね」
「はーん。それで降りる際に馬と荷馬車を固定していた縄を切ったわけだ」
「ええ、そうです。もしかしたら姉さんと妹さんぐらいなら、馬に乗って逃げ出す時間を稼げるかもしれないってわけですね」
「それに後ろに数人いるよねぇ」
初めてゴブリンたちの顔つきが変わる。警戒感、恐怖感そういった諸々に。
「……そこまで分かるんですか」
「まぁね。騎馬兵が2かな? 獣の匂いが2だし。それともう2人。これは何だろう……わざわざ連れて来なかったことを考えると飛び道具関係……弓兵かな?」
「正解ですよ。弓兵です」
「せっかくだからこっちに呼んだらどうっすか?」
「……おい」
しばし逡巡し、それから近くにいたゴブリンの一匹に顎をしゃくる。
そのゴブリンはポシェットから鏡のようなものを取り出すと、光を反射させ、合図を後方に送る。
「いや、まじであんた化け物ですよ」
この距離で気づかれるのか、そういう思いが篭った言葉にルプスレギナは笑う。
「門番が雑魚じゃ話にならんでしょ?」
「ですかね。もう少し可愛いところだと思っていたんですが、間違いだったみたいですね。それであの丸太小屋にアインズ様とおっしゃる方がいるんで?」
「な、わけないっすよ」
「ですよねー」
やっぱりなと笑うゴブリンリーダー。
「転移門の鏡<ミラー・オブ・ゲート>って言われるアイテムがあるんすよ。二点間を結んでほぼ無限に転移することが出来るマジックアイテムがね。まぁ、色々と細かい設定があるみたいで軍勢とか動かせないみたいっすけど……よくしらないっす」
「すげぇアイテムですね」
アイテムの効果を考えれば、それがどれほど凄まじいものか誰でも推測は立つ。恐らく欲しいと思わないものは殆どいないほどの物だろう。ゴブリンリーダーですら無数の使い方が考え付くほどだ。金額にしたら小国の国家予算を優に超えそうだろう。
「で、俺たちはこのまま待っていて問題ないですかね?」
その言葉の裏にあるもの。それを認識したルプスレギナは何も言わずに、ゴブリンリーダーを無表情に眺める。
「どうにせよ。悪い方に転がるんならエンリの姉さんと妹さんだけは命張ってでも助けさせてもらいますよ?」
僅かに腰を屈めたゴブリンリーダー。そしてその周囲のゴブリンたち。それらに囲まれつつも平然とした顔でルプスレギナは話を続ける意志を現す。それが理解できただろうゴブリンたちに、動揺の色が浮かんだ。
つまりはルプスレギナからすると周りのゴブリン如き、警戒するに値しないものだと公言しているのだから。
「なんであの時連れて逃げなかったんですかね?」
「簡単ですよ。2人はやばすぎる。せめて数が少なくなれば思ったんですよ。あの小屋にいるのかな、なんて考えていたのが馬鹿みたいですね」
「彼女達に悪いことが起こると思った理由は?」
「口封じ、証拠の抹消。エンリの姉さんからここの主人に依頼されたって話は聞きましたが、あんたたちみたいな存在がいるのに単なる農民の姉さんにお願いする理由が今一歩理解できない。あの村の人間じゃなくちゃいけないとするなら、それはどういうことなのか。それは成功を期しての行動なのか。本当に生きて帰って欲しかったのか。そんな疑問からですね」
「危険がありそうだと認識してるなら、来なければ良かったんじゃない?」
「はん。来なかったら下手すると村に迷惑が掛かるでしょうよ。ここにくれば始末する気なら少ない被害ですむ。まぁ、個人的には村の全員よりは姉さん1人の命のほうが重いですけどね」
「その辺の話は彼女にしたの?」
「まさかするわけ無いでしょう。でもそれとなく姉さんが何を考えてるかは聞きましたよ。だから一同覚悟を決めてここに来たってわけです」
ルプスレギナは周囲を見渡す。これだけ警戒しつつも今で剣を抜かないのはこちらの様子を伺っているためか。剣を抜いたらもはや敵意を見せたも同然。だが、言葉ですんでいる今ならまだ敵意を突きつけたわけではない。
つまりは彼らも不安なのだ。彼女はどうなるんだろうと。そして今自分達に起こることで、彼女に起こることを予測しようとしている。だからぎりぎり挑発にならない程度の警戒心を現しているのだろう。
ルプスレギナは感心したように笑い、それから真面目な顔を作った。
「……ゴブリン。アインズ様はあの2人をお客様として迎え入れろと言った。ならば安全は絶対に保障する」
それからにんまりと顔を崩した。
「つーわけで、あなた方も今のところはお客様っす。まぁ、お客様にそんな口を向けるのは不味いことなんすけど、許して欲しいっすねー」
ゴブリンリーダーはルプスレギナの顔をしばらく眺め、それから深く頷いた。
「……信じますぜ、美人のメイドさん」
「超をつけて欲しいけど勘弁するっす。それともし彼女たちに何か起こりそうなら、命乞いは私がしてあげるよ」
「たのんます」
ぺこりと頭を下げるゴブリンリーダーにルプスレギナは邪気の無い笑顔を向ける。
「私は好きっすよ。忠義に厚い奴って」
■
アインズは今少々手が離せないそうなで、しばらく応接室の方で待っていて欲しいとの事で通された部屋で、エンリは絶望を感じていた。
エンリはちょこんと長椅子に軽く腰掛ける。
借りてきたというよりも、塒から浚われてきた小動物を思わせる雰囲気で、落ち着かなく周囲をきょときょとと見渡している。その横にはネム。やはりこれまた姉と同じような姿で周囲を見渡している。
エンリもアインズという魔法使いが凄そうな人だというのは理解していた。だから一般人としての魔法使いではなく、物語に出てくるような魔法使いが住処とする塔にでも住んでいるんだろうな、そんな風に考えていたのだ。
だが、来ているとまるで違う。
それはお姫様が出るような物語に入り込んでしまったような、夢のような煌びやかな世界。
自分がいて良い世界ではない。
暖炉の上、左右に飾られたガラスで出来た今にも飛び立ちそうな鳥の細工。これ1つ壊しただけで自分の生涯年収を払っても弁償できないほどだろう。
座っているソファーは綺麗で、自分の服の汚れが付かないだろうかと心配してしまうほど。
エンリの16年の人生で始めてみたシャンデリアから降り注ぐ、松明でもランタンでも蝋燭でも無い魔法の光。
置かれた調度品は深い趣のあるものばかりで、立派な家具という言葉の代名詞にもなりそうなものばかり。特にエンリの前にドンと置かれた黒檀の漆塗りのテーブルの重厚さ。価値の分からないエンリでさえ、どれだけ高い物かぐらいは理解してしまう。
飾られた絵はまるで生きている綺麗な女性をそのまま塗りこんだ精密さ。
そして下に引かれたカーペットを汚したりしたら怒られないだろうか。座ったまま軽く足を上げて、出来るだけ設置面を少なくするという努力をした方が良いのだろうか、そんなことを思ってしまうほどの柔らかさ。
エンリは緊張のあまりに倒れてしまいそうだった。ネムもそれが幼いながらなんとなく理解できるのだろう。子供特有の好奇心をこれっぽちも発揮していない。
胃が痛くなるような緊張感が襲い掛かってくる。空気がぴんと張り詰め、どこかに逃げ出したくもなる。もう数分もすれば2人のどちらかが気絶してもおかしくは無い。
――そんな時、ノックが繰り返された。
「ひぅ!」
びくんと肩が竦み、それに反応し、半ば抱きついていたネムも大きく体を震わす。
「失礼します」
入ってきたのは銀のサービスワゴンを押してきた1人のメイドだ。汚れひとつも無いほど綺麗で、非常に高価そうなメイド服を着て非常に綺麗な女性。その顔に浮かんでいるのは、優しげな笑顔だ。だが、こちらを見た瞬間一気に激怒の表情になるのでは。そんな不安がエンリを締め上げる。
「お飲み物をお持ちしました」
「け、結構です!」
すさまじい速さで返答するエンリに、呆気に取られたような表情を一瞬だけ覗かせるメイド。
「……あ、左様ですか?」
「は、はい」
緊張しガチガチのエンリとなみだ目のネムの気持ちが伝わったのだろう。作り物ではない優しげな笑顔を浮かべると、失礼しますと言ってから、エンリの横に腰掛ける。そして緊張に凍りついたエンリの肩に優しく手を置いた。
「エンリ様。それほど緊張しないでください。エンリ様もネム様もお客様です。のんびり何も気にせずに待っておられれば良いんです」
「で、ですけど……。もしここにあるものを壊したらと思うと……」
「ご安心ください。ここにあるものはアインズ様のお持ちのものからすれば正直大したものは置かれていません。壊されたところでアインズ様はふーんと思う程度でしょう」
「そ、そんな。ここにあるもの全てですか?」
見渡すエンリの目からすれば、どれも金額を考えれば頭が痛くなりそうなものばかり。それが大したものではないというのか。
「はい。アインズ様は非常にお金持ちなんですよ」
「そ、それは知ってます」
あれだけの報酬を支払った人物だ。金持ちだろうとは薄々予測は出来ていた。それでもこれは想像できない。
「ですからご安心を」
「と言われましても……」
「では何かお飲みください。そうすれば少しは気も楽になると思います」
「ですけど……」
銀のワゴンの上に載ったカップに目を走らせる。白い陶器で出来た繊細な一品だ。ふちは金。側面には深く綺麗な青色で、模様とも絵ともいえるようなものが描かれている。それはエンリが持つだけで壊してしまうのではと怯えてしまうほど。
「――」
エンリが断ろうと声を出す前に扉が数度ノックされる。メイドは一瞬だけエンリに目を走らせ、それから立ち上がるとしずしずとドアに向かった。そして軽く開け、外の人物を確認した。
それからエンリに向き直ると来た人物の名を告げる。
「アインズ様がまいりました」
「お待たせした。ようこそ我がナザリックに」
ドアを開けたメイドが横に退くと、そこから奇怪な仮面をつけ、光を吸い込むような深みある豪華な漆黒のローブを身に包んだ人物が入ってきた。エンリの知っている村を救ってくれたアインズ・ウール・ゴウンと名乗る魔法使いだろう。だが、前に比べると落ち着いたような雰囲気がある。
それに遅れ、もう1人のメイドが部屋に入ってくる。
アインズはエンリとネムの前に置かれたソファーに腰掛ける。そしてテーブルの上に何も置かれてないのに気づくと、前からこの部屋にいたメイドに声を飛ばした。
「飲み物は出さなかったのか?」
「も――」
「――私が断ったんです」
その声に含まれた非難めいた感情を認識したエンリは慌てて口を挟む。それに押されるようにアインズはそうかと呟いた。
「良く来てくれた。エンリにネムだったな。約束の食事の前に、少し話が聞きたいのでね。口が渇くとあれだ。どうだね? 飲み物でも?」
「おまえって呼ばないんですか?」
「……あの時は色々と混乱していたのでね。それにここは我が家であり、客を迎える立場だ。取り繕ったりもするさ」
あの時は転移して1日目の混乱しきった頃だった。だが、今では10日も経過し、しなくてはならない方向性――『アインズ・ウール・ゴウン』の伝説化及び維持というもの生まれつつある。ならばいつまでもあんな口調で話はしてられない。貫禄と威厳を持った話し方で頑張らねばならないのだ。
――結構、時折ぼろが出るけどな。
アインズは心中呟く。
「そんなわけだ。別に別人ということは無いぞ?」
軽く仮面を触りながら、笑いを込めた口調でアインズはエンリに返答する。
結局のところその辺りが不安だったのだろう。少しばかりエンリの肩が下がる。
「飲み物はいらないと言うことなら、てきぱきと聞きたいことを聞かせてもらおうか」
少しばかり考え込むように口を閉ざしてから、アインズは話し始めた。
「まずは帝国の野営地に行って羊皮紙を渡すことだが、問題なく行ったのか?」
「はい。帝国の凄く大きい……私からすると凄く大きい野営地まで行きました。そうしたら村を襲った騎士と同じ格好の人たちが4人馬に乗って出てきて。それで私に何をしに来たのか言ってきたので、それで村が襲われた話と鎧、羊皮紙を置いていきました」
「何か、特別な行動を向こうはしてきたかね?」
「いえ。特別は無かったです。羊皮紙と鎧を受け取ると直ぐに引き返しました」
「なるほど……」
これで村の襲撃は帝国で無い可能性が非常に高くなった。100%とはいえないまでも、それに近い可能性はある。
「あのゴブリンたちは角笛で呼んだんだと思うんだが、危険があったのかね?」
「いえ、夜。遠くで獣のほえ声が聞こえたもので。危ないかと思って……」
「なるほど。……ん? そのつもりで渡したんだ、使ったからと言って何か思ったりしないさ」
「そうですか」
見るからにほっとするエンリ。
他に聞きたいことはとアインズは考え、特別に浮かばないことに気づく。知りたいことは山のようにあるが、彼女では知らない方が多いだろう。とりあえずは目的のメッセンジャーの仕事をこなしてくれたことでよしとしよう。
「ありがとう。聞きたい話は終わりかな。とりあえずは食事中に浮かんだら聞かせてもらうよ」
「はい。それでこれをお返しします」
エンリはパッとしないボロいカバンの中からスクロールと1つの角笛を取り出し、テーブルの上に置く。それはアインズが出発前に渡した、本拠地転移のスクロールとサモンニング・ゴブリン・トループの魔法の込めたアイテムだ。
「いや、これは君のほうで持っておくといい。まぁ、こちらのスクロールは回収させてもらおう」
転移のスクロール自体は貴重品ではないが、本拠地転移のスクロールは貴重品だ。なぜなら本拠地転移のスクロールは通常手段では作り出すことができないから。
「それとあの……ゴブリンさんたちは」
「ん? ああ、ここまでは連れてきてはいないが、入り口で簡単な食事をご馳走しているよ」
「あ、そうじゃなくて……」
言いたい意味が分からない。
アインズは訝しげにエンリを見つめ、さらに言葉を引き出そうと無言を保つ。それから少ししてからエンリが口を開いた。
「あの、お引取りになるんですか?」
「……そういう意味か」了解したという意味を込めてアインズは頷く。「……私のメイドが話を聞いたところ、君に忠誠を尽くすということでね。私は引き取ろうとは考えていないが……まぁ、君が引き取ってくれというならそうしても構わないが?」
ルプスレギナが情報を収集したところ、アインズに対する忠誠心は欠片も無いとの事。ならば引き取ってもしょうがない。それでも引き取るということなら、殺すか実験に使用するか。
マジックアイテムによる召喚は魔法による召喚と違い、召喚した存在が長く残る場合があるのがアインズの実験によって判明した。ただ、長く持つモンスターと時間で消えてしまうモンスターの違いまでは現在のところ判別していない。それの実験に使えるだろうか。
それともこの世界の人間が使った場合の比較検討用に使うべきか。
「あ……」
何かを考え込むエンリにアインズは一応、助け舟を出すこととする。
「……あのゴブリンたちを養うことが出来ないというなら、多少の食料援助等はしても構わないが?」
「いえ。あの……」少し辛そうに言いよどんでから口を開く。「村の人が一杯亡くなりましたから、ゴブリンさんたちが働いてくれるなら皆嬉しいと思います」
「なるほど……」
あのゴブリンたちはレベルがあるだけあって、小柄でも普通の人間よりも筋力や耐久力には優れている。今の村の状況を考えると、ちょうど良い働き手になるだろう。
これは上手い。
アインズは降って湧いた幸運に躍り上がらんばかりだった。
ゴブリンが村人達に打ち解け、一員となって行動してくれれば、そして信頼を勝ち得れば、それを召喚する要因となったアイテムを渡したアインズの立場もさらに向上するだろう。ならばあの村においてアインズはまさに救いの主だ。何か行動する際にあの村を一回踏むことによって、色々と有利に事が進めるかもしれない。
まぁ、その分、あの村の治安や安全に対して多少留意しなくてはならないかもしれないが、その辺は許容範囲だろう。
「そうかね? それならそうすると良い。彼らもそれほど悪いようには見えないしな。君に忠誠を誓っているのは本気だろう。ならば私が引き取るというのは失礼な行為だった、許して欲しい」
「うん。ごぶりんさんたち、けっこう楽しいんだよ」
「ネム!」
口を挟んだ妹を叱りつけるエンリに、構わないという風に鷹揚に手を振ってから、アインズはネムに顔を向ける。
「そうか。人間と同じようにゴブリンも悪い奴らと良い奴らがいる。あのゴブリンたちは良い奴らということだな」
「うん」
こくこくと頷くネムに、アインズも釣られるように頭を振る。
「ならば大切にしないとな」
「うん」
チラリとエンリに視線を走らせ、その話題を打ち切る。
「さて、食事の準備は終わってるはず。子供には退屈だったろう。行こうか?」
「い、いえ、食事は結構です。私たちではこんな凄いところ……」
プルプルと首を振る。
「ふむ……。まぁ、無理にとは言わないが……折角、ドラゴンステーキを主としたコースを用意していたんだが?」
「どらごんですか?」
ドラゴン。エンリの聞いたことのある色々な物語に出る悪役でもあり正義の味方でもある。ただ、どの話でも凄い力を持つとされる存在だ。そんな存在を食材にするというのだろうか。
ありえない。からかってるだけだ。もしアインズが言ってるのでなければそう思っただろう。だが、眼前の魔法使いの言ってることは事実と思わせる何かをエンリに感じさせた。
「甘い食べ物もあるぞ。アイスクリームというものは食べたことがあるか?」
ネムはアインズに話しかけれて首を横に振る。甘いものなんていったらせいぜい果実がもっぱらだ。街まで行けば色々とあるのだろうが、村での生活ではそんなものは食べられない。
「冷たくて、それでいて甘くて……口の中で蕩けるんだ。甘い氷とか雪みたいなものさ」
エンリもネムもごくりと思わず唾を飲み込んでしまう。
「一度食べてみると良い。――コースの内容はどうなっている?」
メイドの1人がはいと返事をしてから、食事の内容をそらんじる。
「本日の予定は、一皿目オードブルはピアーシングロブスター、ノーアトゥーンの魚介をヴルーテソースで」
「二皿目オードブルはヴィゾフニルのフォアグラのポワレをご用意させていただいてます」
「スープ はアルフヘイム産サツマイモと栗のクリームスープ」
「メインディッシュは肉料理を選ばせていただきました。これはさきほどアインズ様がおっしゃっていたヨトゥンヘイムのフロスト・エンシャント・ドラゴンの霜降りステーキ」
「そしてデザート。インテリジェンスアップルのコンポート、ヨーグルトをかけて。それに黄金紅茶のアイスクリーム添えです」
「食後のお飲物ですが、コーヒーは好みがあると思いましたのでこちらの方でルレッシュ・ピーチ・ウォーターがよろしいかと思いましたので準備しております」
「以上になります。もし何か変更の点がありましたら、すぐに変えさせていただきますが」
何を言っているか分からない。
エンリもネムも呆気に取られたようにメイドを見つめる。魔法の詠唱? そんな考えが浮かぶほどだ。
豪華なオートミールとか柔らかな白パン。そんなものが2人のイメージの限界だ。それからあまりに逸脱しすぎている。
「ふむ……フォアグラは好き嫌いがあるんじゃないのか? 子供が好きとは思えん。それにしつこいメニューばかり並んでいるように思える。さっぱりしたものでは他には何がある?」
「はい。でしたらオードブルサラダとしてホタテガイのサラダ、プラムスターのコンフィ添えがございます」
「そうだな……先ほどのよりもこちらの方が良くないか?」
「え?! 私ですか?!」
いきなり振られたエンリは慌てて答える。もはや何を言っている意味不明なのに話を振られても困る。
「あ、あの。い、いえ、お任せします」
「そうか?」
なんとかその一言を搾り出すように紡ぐのが精一杯だ。アインズはそのままさらに食事についてメイドと話し続ける。
そんなアインズを、ネムが専門用語を連発する人間に対するような憧憬の眼差しで凄いと呟くのが聞こえた。それにはエンリも同意する。あまりにも自分達と生きている世界が違う。
嗜好品に金を出せる人間は必然的に裕福である。その中でも食べてしまえば消えてしまう、食事に力を入れることが出来るというのは、その中でも一握りだ。
住居、知識、そして力。そんな全てを兼ね備えた魔法使い。
エンリのような単なる農民が相手に出来るような人では無いのだろう。恐らくは王とか言われるような天上人を相手にするのが相応しいだけの人物。この仮面を被った魔法使いはそれほど凄い人なんだろう。
そんな人に救われたんだ。
そんな尊敬の思いが、エンリの心中に湧き上がる。
「あの……」
「ん? なんだ?」
「助けてくれてありがとうございました」
「ありがとうございました」
エンリにあわせてネムもぺこりと頭を下げる。一瞬、アインズは言われている内容が理解できずに、頭の上にクエスチョンマークを浮かべるが、納得したのか鷹揚に手を振った。
「気にすることは無い。もし私がもっと早く気づいていたら君達の大切な人が死ぬことは無かっただろう。君達が助かったのは生きようとした君達の努力の結果だ」
「それでも……あなたのような凄い魔法使いが駆けつけてくれなかったら、私は……それに妹も殺されていました。本当に助けてくれてありがとうございます」
アインズは只黙って肩をすくめる。
「まぁ、君達がそう思うならそれで構わないよ。私は先ほどの言ったように君達の努力のおかげだと思うがね。さて、そろそろ食事にもでも行こうじゃないか」
アインズはゆっくりと立ち上がると、先頭を歩くようにドアに向かう。遅れて立ち上がったエンリは自らの服が軽く引っ張られるのを感じた。
「お姉ちゃん」
ネムがエンリの服をつまみ、何か言いたげな顔をする。エンリにはネムの言いたいことがその顔をから読み取れた。
「うん。こんな凄い人に救われたんだって皆にも教えてあげようね」
アインズが何者なのか知りたがっている者は実のところ村には多くいる。その理由は簡単だ。あれほどの騎士――デス・ナイトを使役する存在が単なる魔法使いと考える者はいない。ならば自分達を救ってくれた人は、伝説とか物語に出てくるような英雄と呼ばれる存在なのではないだろうかという憧れにも似た気持ちからだ。
自分達が生きている貧しい世界に、凄い存在が姿を見せてくれた。そんな思い。
そして今、それを肯定する幾つもの事実が、エンリとネムの前に姿を覗かせたのだ。
エンリはアインズの後ろ姿に目を奪われる。
「伝説って本当なんだ……。物語じゃないんだ……」
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※ アインズは食事が出来ません。なので飲み物を飲んでる振りをするでしょう。
2日で27k書き上げました。けっこう疲れました。読んでる方は疲れませんか? 大丈夫だと嬉しいです。ちょっと急ぎ足で書き上げたものでミスがあったらごめんなさい。
次回35話……ナーベラルパートだけど出番少な目?な「検討」でお会いしましょう。