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No.18721の一覧
[0] オーバーロード(オリジナル異世界転移最強もの)[丸山くがね](2012/06/12 19:28)
[1] 01_プロローグ1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[2] 02_プロローグ2[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:24)
[3] 03_思案[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[4] 04_闘技場[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[5] 05_魔法[むちむちぷりりん](2011/06/09 21:16)
[6] 06_集結[むちむちぷりりん](2011/06/10 20:21)
[7] 07_戦火1[むちむちぷりりん](2010/05/21 19:53)
[8] 08_戦火2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:59)
[9] 09_絶望[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:28)
[10] 10_交渉[むちむちぷりりん](2011/08/28 13:19)
[11] 11_知識[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:37)
[12] 12_出立[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:29)
[13] 13_王国戦士長[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:53)
[14] 14_諸国1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:39)
[15] 15_諸国2[むちむちぷりりん](2010/06/09 20:30)
[16] 16_冒険者[むちむちぷりりん](2010/06/20 15:13)
[17] 17_宿屋[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[18] 18_至上命令[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:46)
[19] 19_初依頼・出発前[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:44)
[20] 20_初依頼・対面[むちむちぷりりん](2010/08/04 20:09)
[21] 21_初依頼・野営[むちむちぷりりん](2010/11/07 18:11)
[22] 22_初依頼・戦闘観察[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:30)
[23] 23_初依頼・帰還[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:38)
[24] 24_執事[むちむちぷりりん](2010/08/24 20:39)
[25] 25_指令[むちむちぷりりん](2010/08/30 21:05)
[26] 26_馬車[むちむちぷりりん](2010/09/09 19:37)
[27] 27_真祖1[むちむちぷりりん](2010/09/18 18:05)
[28] 28_真祖2[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:15)
[29] 29_真祖3[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:50)
[30] 30_真祖4[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:47)
[31] 31_準備1[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:33)
[32] 32_準備2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:41)
[33] 33_準備3[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[34] 34_準備4[むちむちぷりりん](2010/10/24 19:36)
[35] 35_検討1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:58)
[36] 36_検討2[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:55)
[37] 37_昇格試験1[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:52)
[38] 38_昇格試験2[むちむちぷりりん](2011/01/22 07:28)
[39] 39_戦1[むちむちぷりりん](2010/12/31 14:29)
[40] 40_戦2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[41] 41_戦3[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:42)
[42] 42_侵入者1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:40)
[43] 43_侵入者2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:42)
[44] 44_王都1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:51)
[45] 45_王都2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:57)
[46] 46_王都3[むちむちぷりりん](2011/10/02 07:00)
[47] 47_王都4[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:38)
[48] 48_諸国3[むちむちぷりりん](2011/09/04 20:57)
[49] 49_会談1[むちむちぷりりん](2011/09/29 20:39)
[50] 50_会談2[むちむちぷりりん](2011/10/06 20:34)
[51] 51_大虐殺[むちむちぷりりん](2011/10/18 20:36)
[52] 52_凱旋[むちむちぷりりん](2012/03/29 21:00)
[53] 53_日々[むちむちぷりりん](2012/06/09 14:02)
[54] 54_舞踏会[丸山くがね](2012/11/24 09:16)
[55] 55_邪神[丸山くがね](2013/02/28 21:45)
[56] 外伝_色々[むちむちぷりりん](2011/05/24 04:48)
[57] 外伝_頑張れ、エンリさん1[むちむちぷりりん](2011/03/09 20:59)
[58] 外伝_頑張れ、エンリさん2[むちむちぷりりん](2011/05/27 23:17)
[59] 設定[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:44)
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[18721] 42_侵入者1
Name: むちむちぷりりん◆bee594eb ID:c00f733c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/02 06:40
 130kですね。読まれる方お疲れ様です、そして私もお疲れ様です。






 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。
 帝国国土のやや西方に位置するこの都市は、中央に鮮血帝との異名を持つ皇帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの居城たる皇城を置き、放射線状に大学院や帝国魔法学院、各種の行政機関等の重要なものが広がった、まさに帝国の心臓部ともなっている都市だ。
 現在、帝都アーウィンタールはここ数年の大改革によって生じた活気と混乱によって、帝国の歴史の中でも最も発展を遂げている最中であった。新しいものがどんどんと取り入れられ、多くの物資や人材の流入がある。そしてその反面、古く淀んだものが破棄されていっていた。
 そんなこれからの将来に対する希望的な光景に、ここで暮らす市民の顔も明るいものが多かった。

 そんな帝国の力の結晶たるこの都市の驚くべき光景というのは幾つもあるが、その中の1つ。帝都に来た者の大半が驚くもの。それは――ほぼ全ての道路が石畳に覆われているということだ。
 これは周辺国家でも類を見ないものだ。無論、帝国国内全ての都市が、そこまで行われているということは無い。ただ、それでも帝都を見れば帝国の潜在力が分かると、周辺国家の外交官が謳うだけのものはあった。

 その中央道路。
 放射線状に走る道路の中でも、街道からそのまま乗り入れており、帝都の主たる道路となっている道路の1つだ。
 そこは道の真ん中を馬車や馬が通り、脇を人が歩く歩道となっている。それ自体は一般的な道路となんら変わらないが、帝国の主たる道路だけあってそこらの都市のものとは違う。
 歩道がしっかりとした作りとなっているのだ。
 道路と歩道の境界線にはちょっとした防護柵が立てられており、歩くものの安全を確保している。さらに段差をつけることでより安全を確保していた。
 道路脇には夜になれば魔法の明かりを放つ街灯が一定間隔ごとに立てられていた。そしてある一定間隔で騎士が立ち、周辺の安全に目を配る。

 これほど立派な道路は近隣諸国を見渡してもそうは無いだろう。それほどの道路である。
 そんな道路脇の歩道を、歩く者の多くの中に、1人の男がいた。

 身長は170中ほど。年齢は20になるぐらいだろうか。
 金髪、碧眼、日に焼けた健康的な白い肌という帝国ではまるで珍しくない特徴の男だ。
 美形ではない。だが、別に悪いという意味でもない。ただ、多くの人間がいればその中に埋没してしまいそうな、十人並みという容貌だ。
 しかし、どこと無く人を引き付ける魅力を持っている。それは顔に薄く浮かぶ朗らかな笑顔からのようにも、自信に満ち溢れた堂々たる動きからのようにも思われた。
 男は機敏に、だが、歩くものの邪魔にならない程度の速さで歩道を進む。
 手足を振るたびに、シミ1つ無い綺麗で立派な服の下から聞こえるのは、鎖の擦り合う微かな音。鋭い者ならそれが薄いチェインシャツによるものだと察知しただろう。
 さらに男は腰の左右には2本の剣を下げていた。長さとしてはショートソードよりも若干短め。長さにして刀身部分が60センチあるかないかぐらいだろう。握りの部分はナックルガードで完全に覆われている。鞘は凝った物ではないが、重厚感のある安くはなさそうなものだ。そして腰の後ろには殴打武器である、メイス。これは特別立派な作りではない。念のために持っているというのが分かるような一品だ。
 そんな装備から、男が単なる戦士では無いのは、一目瞭然だ。
 武器を1つ、2つ持つというのは、この世界であれば当たり前といえば当たり前の光景だ。道行く人間を見ていれば武装したものを見るのは珍しく無いとわかるだろう。だが、刺突、斬撃、殴打と3種類の攻撃方法を備えているものはそうそういない。

 つまりはそういった可能性――様々な武器を使わなければいけないような状況、モンスターとの戦闘を考えた武装だということだ。

 つまりは男の正体は冒険者というのが予測される答えの第一だ。
 しかし、実のところ、彼は冒険者ではない。冒険者はどちらかと言えば守りの仕事。それに対し彼の仕事はもっとアグレッシブなものだ。

 冒険者というものはギルドが仕事を請負、調査し、適格だと思われるランクの冒険者に振り分けられる。つまりは適当な仕事なのかどうか、最初の段階でギルドが調査しているのだ。そのため、危ない仕事――市民の安全を揺るがすような仕事や犯罪に係わるような仕事は破棄される。
 要は麻薬に使われる植物の調達のような仕事は、ギルドが全力を挙げて阻止する方向に持っていくということだ。
 さらにギルドは生態系のバランスを破壊するような仕事も破棄する。例えば、ある森での生態系の頂点に立つモンスターをこちらから出向いて殺したりはしないということだ。そのモンスターを殺すことで生態系が崩れ、その結果として森の外にモンスターが出始めることを忌避するためだ。当然、頂点のモンスターが森の外に出てきて、人の生活圏を犯すというなら話は別だが。

 つまり、冒険者は正義の味方にも似たものだと考えると正しいのかもしれない。
 ただ、そんな綺麗ごとばかりで話は回るわけが無い。何よりも金が欲しいという者もいるだろう。見返りを求めて危険な仕事を行う者もいるだろう。モンスターを殺すのが好きだというものもいる。

 そんな者たち――冒険者としての光の面よりも、影の面を求めた者たち。冒険者のドロップアウト組み。そんな者たちを嘲笑と警戒を込めて『請負人(ワーカー)』という。
 そして今、道行く彼もその請負人の一員だった。


 ふと、彼は道を歩きながら何かに気付いたように顔上げる。周囲の人間達も彼と同じ方向を一瞬だけ伺い、すぐに興味をなくしたいように視線を戻す。中の幾人かは連れとその件を話のネタにしているようだったが。

 再び遠くから、風に乗って微かな歓声が聞こえる。その血に飢えた声は、戦いのときに聞こえるものに似ている。
 男の視線の先――かなり先だが、そこにあるのは闘技場。
 ワーカーである彼は別にそんなところに行かなくても、充分満足するだけの血を見ている。それに金をかけるという行為にも興味が無い彼が、行くことは殆ど無い場所だ。
 出てきた答えに興味をなくした男は視線を動かす。少しだけ、今日の闘技場で開催される試合を思い出しながら。
 
 やがて彼は騎士が立って周囲を警戒している4大神の神殿を横目に見ながら、角を曲がる。騎士達の視線が自らの腰に辺りに集まっているのは当然察知しているが、特別な行動は一切取らない。
 まぁ、当たり前である。そんな自分から怪しいですよという行動を取るほど、彼は愚かではないのだから。

 帝国の騎士とは専業兵士であり、警察機構も兼ね備えた者たちだ。
 さらにはある一定以上の任期を努めたものには、軽量化の魔法が掛かった全身鎧と、鋭さを上げた魔法の剣の貸与を許される帝国治安の要である。そんな者たちからすれば複数の武器を所持した男というのは、充分警戒の対象になるのだから。
 実際、道を歩けば騎士の多くが彼に注意を払っているのが感じ取れる。時には声をかけられたり、手配書と顔を見比べられたりする時だってあるぐらいだ。視線の1つや2つぐらい大した問題でもない。

 彼が道なりに幾つもの店の前を通りながら進んでいくと、やがて見慣れた看板が姿を見せた。

 看板には『歌う林檎亭』と書かれていた。

 林檎の木から作り出した楽器を使った、そんな吟遊詩人が集まったのが店の始まりとされる、酒場兼宿屋だ。外見は年季の入ったものだが、中は意外にしっかりとしている。隙間風なんかまるで無いし、床は綺麗に磨かれている。確かに宿泊代はそれなりの金額が掛かるが、それでも彼個人としてはオススメの店である。
 そして――何より飯が美味い。
 そんなのが、彼と――彼の仲間達の滞在する宿屋であった。

 彼は本日の夕食のことに思いを馳せながら扉をくぐる。彼の好みの豚肉のシチューが出れば最高だ、と。
 宿屋に入った彼の元に飛び込んできた声は、仲間からの労を労う声でもなく、帰還に対する声でもなかった。

「――だから言ってるでしょ! 知らないって!」
「いえいえ、そんなことを言われましてもね」
「別にあの娘の世話人でもなければ、家族でもないんだ。あの娘がどこにいるかなんか知るわけ無いでしょ」
「お仲間じゃないですか。私も知らないと言われて、はいそうですかと引くわけにはいかないんですよ、仕事なもんで」

 宿屋の一階部分。酒場兼食堂の真ん中でにらみ合う1組の男女。

 女は彼の非常に見知った顔だ。
 くすんだ金のような髪は短くばっさりと切られている。目つきの悪い顔には化粧っけというものがまったく無い。そんな彼女の最も目を引くところは、常人よりもはるかに伸びた耳。そう、彼女はハーフエルフという種族である。
 森の種族であるエルフは人間よりもほっそりとした生き物だが、彼女もその血を引いているのが一目瞭然な肢体は、全体的にほっそりとしており、胸にも尻にも女性特有のまろやかさというものがまるで無い。鉄板でもはめ込んだようだった。
 着ている物はぴっちりとした皮の鎧。腰には短刀を下げている。
 近くから見ても、一瞬だけ男にも勘違いしてしまうような、そんな女性だ。

 彼女こそ、彼の仲間であるイミーナである。

 イミーナに対し、向かい合っている男は彼も知らない人物だ。
 男はペコペコと女に対し頭を下げてはいるが、目の中に謝罪の色は一切無い。それどころか、嫌な色が混じっている。ただ、一応は下手に出ているところから判断すると、脳味噌無しではないようだ。
 男の腕周りや胸周りにはみっちりと筋肉が詰まっており、前に立たれただけで威圧感を感じさせる外見をしている。しかしそんな暴力を発散させている男だが、ワーカーの一員である彼女に対し、そんな手段にでるほど愚かではない。
 なぜならイミーナの外見は華奢だが、多少腕に自身がある程度の単なる男ならば、簡単に殺せるだけの戦闘能力を保有しているのだから。

「だからさっきから言ってるようにね!」
「何をやってるんだ、イミーナ」

 彼の声に初めて気付いたようにイミーナが顔を向ける。そして驚きの表情を浮かべた。
 イミーナほどの人物が会話に我を忘れて、彼が入ってきたことに気付いてなかったようだった。それは彼女がどれだけ激情していたかを充分に物語っている。

「……なんだい、あんた」

 男がどすの効いた声で彼に問いかける。目は鋭いもので、今にも殴りかかってきそうな雰囲気を放つ。無論、凶悪なモンスターと対峙する彼からすると、笑い話程度の雰囲気でしかないが。

「……うちのリーダーよ」
「おおお、これはこれは。ヘッケラン・ターマイトさんですね、噂はかねがね」

 急激な変化で先ほどの表情から一変して、愛想笑いを浮かべる男に、彼――ヘッケランは少しばかり嫌悪感を催す。
 なんの理由で来たのかは知らないが、この宿屋まで男は来たのだ。ヘッケランのことを知らないはずが無いだろう。
 恐らくは先ほどのどすの効いた声や雰囲気は、ヘッケランがどの程度の人間か計る意味で行ったに違いない。もし少しでも男の雰囲気にヘッケランが引いたら、その雰囲気のまま――威圧的に話を展開させるつもりだったのだろう。
 ヘッケランの好きでは無いタイプの男だ。

 確かにビジネスの一環として、そうやった方が上手く話を持っていけるというのはヘッケランも知っている。ヘッケランの同業者であれば、当たり前の交渉テクニックの1つだと判断するだろう。
 だが、ヘッケランはそういった交渉は好きではない。裏表無く、直球でのやり取りが好きなのだ。別に面倒くさいとか関係なく。

「……騒がしいな。ここは宿屋なんだよ。他にもお客さんがいるからな、騒がしいことはよして欲しいんだけどよ?」

 周りには客の姿は一切見えない。それどころか店の人間もだ。
 別に隠れているわけではないだろう。なぜなら、この店に泊まるのは大抵がヘッケランとの同業者。そんな彼らからすればこの程度の騒ぎは酒のつまみにしかならないのだから。姿が見えない理由は、単純に席を離れているだけだろう。
 
 ヘッケランは睨むように男の顔を見つめる。冒険者で言うならAにも匹敵するヘッケランの眼光は男のものとは比べ物にもならない。魔獣を前にしたように、先ほどとは逆に、男が一瞬だけひるんだような姿を取った。

「いや、申し訳ないですがね。そういうわけにも行かないもので」

 男が若干声を落としながら、話を続けようという意志を見せる。ヘッケランの眼光を浴びてなお、それだけの行動を取れるということは、確実に力を行使する仕事――特に暴力関係を生業とする仕事についている者だ。
 そんな者が一体?
 確かにやくざな仕事をしているが、こんな男は全然知らないし、こんな態度に出られる記憶は無い。それに仕事の依頼のようにはまるで思えない。
 困惑したヘッケランは眼光を弱め、最も簡単な男の正体を確かめる術を使う。

「……一体、何事だ?」

 簡単だ。男に聞けば良い。

「いえね。ターマイトさんのお知り合いのフルトさんにお会いしたいなと思いましてね」

 フルトといわれてヘッケランの脳裏に思い浮かぶ人物は1人だけだ。
 アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。ヘッケランの仕事仲間であり、優秀なマジックキャスターである彼女だけだ。
 そして彼女は、こんな男と縁のある女のようには思えない。幾つも死線を共に潜り抜けた仲間としてヘッケランはそう判断する。ならば厄介ごとと考えても良いだろう。

「アルシェ? あいつがどうかしたのか?」
「アルシェ……。ああ、そうでしたね。フルトさんとしか私達は言ってないものですから、混乱しましたよ。えっとアルシェ・いーぶ・りりっつ・フルトさんですね」
「で?! アルシェがどうしたって?」
「いえいえ、ちょっとお話したいことがありまして……内密の話なんですけど、何時ごろお戻りになるかと――」
「知るか」

 ばっさりと話をぶった切るヘッケラン。そのあまりの思いっきりのよさに男は目を白黒させる。

「で、話は終わりか」
「し、仕方ありませんね。この辺で少し待って……」
「失せろ」

 ヘッケランは顎で入り口の方向をしゃくる。そんな姿に再び男は目を白黒させた。

「はっきり言う。お前はどうも好きになれねぇ。そんな奴が俺の目の入るところにいるのはどうも我慢できねぇんだ」
「ここは酒場ですし、私が……」
「そうだな。酒場だな。酒を飲んだ奴が良く喧嘩をする場所でもあるもんな」ニヤリとヘッケランは男に笑いかける。「そう警戒しないで安心しろよ。あんたが喧嘩に巻き込まれて大怪我したとしても、こっちには治癒の魔法が使える神官がいる。無料で直してやるよ」
「少しぐらいは金を取った方がいいんじゃない?」

 イミーナがニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら、横から口を出す。

「ありがたみが違うってものよ」
「――だってよ」
「脅す気……」

 男の言葉は途中で途切れる。目の前のヘッケランの表情が急激に変化していくのを受けて。
 ずいっとヘッケランが一歩踏み出し、男との距離を詰める。互いの顔しか視界に入りそうも無い距離だ。

「はぁ? 脅す? 誰が? 酒場で喧嘩ぐらい起こるのは珍しいことじゃねぇよな? おめぇ、親切に忠告してやってる俺に対して、脅すだぁ? 喧嘩……売ってんのかぁ?」

 ビキビキと眉間に青筋を立てたヘッケランの形相はまさに、死線を無数に潜り抜けた男のものだった。
 気圧された男は一歩後退すると聞こえるように舌打ちをつく。それから男はせかせかと入り口の方に歩きだした。必死に取り繕うとはしているものの、その背景に恐怖があるのは一目瞭然だった。
 そして入り口のところまで来ると顔だけで振り返る。そしてヘッケランとイミーナに吐き捨てるように怒鳴る。

「フルトんちの娘に伝えて置けよ! 期限は来てるんだからってな!」
「あぁ?」

 ヘッケランの唸り声じみた返答を受け、そのまま慌てるように男は宿屋の外に出て行く。
 男が出ていくと、ヘッケランの表情がころりと元に戻る。もはや顔芸の一種だといわれても信じてしまうような変化だ。実際、イミーナがぱちぱちと軽い拍手を行っている。

「それで、何事だ?」
「不明。さっきあなたが聞いていた内容と同じことしか聞いてなかったから」
「あちゃー。ならもう少し話を聞いてからでも良かったか」

 しまったと頭を抱える。

「アルシェが帰ってきたら聞けばいいじゃない」
「……だけどさ、あんま首突っ込みたくないんだよな。なんか嫌な話っぽくないか?」
「いや、そりゃ、分かりますけどね。あなたリーダーなんだし、頑張ってよ」
「リーダー権限で、同じ女であるイミーナが聞くってことで」
「勘弁してよ。私もヤダよ」

 パタパタと手を振るイミーナも、ヘッケランも思いっきり苦い顔をしている。

 冒険者やワーカーに共通認識として、やってはいけない行いというものは幾つもある。
 最も有名というか当たり前なのが、互いの過去を調べることや聞き出そうとすること。これは言うまでも無く、何故してはいけないかは理解できるだろう。
 次に欲望を晒すこと。
 これは欲望を正直に表に出した場合、チームとして機能しなくなる可能性があるからだ。例えば毎日金が欲しいといっている仲間は大金の掛かった仕事や、漏らしてはいけない重要な機密の保持などでどれだけ信用できるのだろうか。異性が欲しいと言っている者と、同じ部屋で眠れるだろうか。別に聖人君子になれというわけではない。要は互いを信用できるように隠すべきところは隠せということだ。

 そう意味では変な男が会いに来て、何か揉め事を起こしている雰囲気がある。そんなアルシェは信頼性がぐんと下がった状況だということだ。これは決して、なぁなぁで済ませて良い問題ではない。
 ほんの少しでも不安を残すことは、命をかけた仕事をしている彼らにとって許容出来ない。ただでさえヘッケランのチームは微妙なチームだ。これ以上爆弾を抱えることは無理な話だ。

 それが充分理解できるヘッケランは頭をぼりぼりとかく。その際はっきりとイヤだという表情を浮かべることを忘れない。

「仕方ないか。帰ってきたら聞くしかないな」
「よろしくー」

 笑顔で手を振るイミーナに、ヘッケランは据わった目を向けた。

「何、逃げようとしてるんだ? お前も聞くんだよ」
「ええー」嫌な顔するイミーナだが、ヘッケランの表情がまるで変わらないことに諦める。「仕方ないわね。あんまりどぎつい話にならないと良いんだけど……」
「それで、今どこに行ってるんだっけ?」
「え? ああ、あの仕事の裏を洗いに行ってるわ」
「依頼主のバックだったか?」
「それと目的地近郊の歴史や状況もよ」
「ああ。じゃぁ、いないと思ったらロバーデイクと一緒ってことか」
「そう。2人で色々回ってくるって。それで、あなたのほうはどうだったの?」
「変なところの無い話だな、幾つかのパーティーは受けるという方向で動いているみたいだ。どうもおれたちがこのままじゃ最後になりそうな雰囲気だな」
「ふーん。その前に厄介ごとも持ち上がると」
「……うむー。関係する話じゃないといいんだがなぁ」

 2人がそんな話をしていると、扉が開く時にたてる、きしむような音が酒場に響く。大きく開いた扉から、2人分の人影が宿屋の中に入ってきた。

「――ただいま」
「調べてきましたよ」

 男女の声。
 先に入ってきたのは金髪の痩せぎすな、まだ少女という言葉が相応しいような女性だ。年齢にして10台中ごろから後半にかけてというところか。
 艶やかな髪はやはり肩口ぐらいでざっくりと切られ、目鼻立ちは非常に整っている。美人というよりは気品があるという雰囲気での美だ。ただ、表情が硬いというか人形のようなものがそこにはあった。
 手には自らの身長ほどもある長い鉄の棒。そこには無数の文字とも記号とも知れないようなものが掘り込まれていた。
 着ている物はゆったりとしたローブ。その下には多少の防御効果のある厚手の服。魔法使いとわかる格好だ。

 そんな女性に続いて入ってくるのは、こちらはがっしりと着込んだ男だ。
 全身鎧を纏い――流石にフルフェイス・ヘルムまでは被ってないが――、その上に聖印の描かれたサーコートを着ている。腰からはモーニングスターを吊るし、首からはサーコートのものと同じ聖印を下げていた。
 茶色の髪は刈り上げられ、僅かな髭をたたえたがっしりとした顔立ちには爽やかなもの。外見的な年齢では、30台ぐらいだろうか。この場にいる誰よりも年のいった、年長者としての振る舞いがそこにはあった。

 前者の女性がヘッケランの仲間、アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。
 後者の男性がロバーデイク・ゴルトロンである。

 ヘッケランのチームは男が2人に女が2人で構成されている。これこそがヘッケランのチームが、微妙なチームだという所以だ。


 基本的にワーカーのみならず、冒険者のパーティーは性別がどちらか一方で固まるものである。
 というのも冒険者として一つ屋根の下で長期に渡って生活したり、危険を潜り抜けていく中で、恋愛感情に結びつく場合が多いからだ。
 恋愛関係の生まれたチームは解散する可能性が高い。それは冷静な判断への信頼性が薄れることが1つの要因だ。
 例えば戦士と盗賊が恋愛関係になっているとする。モンスターが現れ、後方にいる盗賊と魔術師が襲われた。その際にその戦士は冷静に、場合によっては恋人である盗賊を見捨てて、魔術師を助けるだろうかという疑問が浮かび上がってくるからだ。
 冒険者は仲間を信じなくてはならない。それは当然だ。自らよりも強大なモンスターと対峙するのだから。もしそんな不安が生まれて、冒険者の武器の1つであるチームプレイが出来なければ、その冒険者は次の冒険で命を失うだろう。
 そのため、基本的には男女別々で構成するか、恋愛禁止。もしカップルが生まれたら解散とするチームは多い。
 ヘッケランのチームもそんな爆弾を抱いているのだ。


「おお、お帰り」

 あまりにもグッドタイミングというかバッドタイミングというべきか。帰ってきた2人にヘッケランは固い口調で答える。

「どうしました、2人とも?」

 ロバーデイクが年長者とは思えないような、丁寧な口調で2人に話しかける。これは彼自身の性格もそうだが、ワーカーとして対等であるというところからも来ている。歳を取っているからえらいというものでは無いということだ。

「アア、イヤ、ナンデモナイヨ」
「マッタク、マッタク」
 
 ヘッケランとイミーナのばたばたと手を振る仕草を、じと目で観察する2人。

「えっと、とりあえずはここで話すのはなんだ。あっちで話すか」

 ヘッケランが指差したのは店の奥の丸テーブルだ。その意見に反論が無い、残り3人は即座に頷く。そちらに動きつつも、ヘッケランはアルシェとロバーデイクに視線を送る。
 2人でかなりの時間、外を歩き回っただろうと予測されるのだ。特にロバーデイクの格好。せめて飲み物ぐらいは用意してやるか。
 そう考えたヘッケランは、初めてあることに気付いた。

「おい、イミーナ。そーいや主人は?」
「買い物。で、私が留守番役ってわけ」
「まじかよ……なら適当に飲むか?」
「――私は大丈夫」
「ああ、私も大丈夫です」
「……そうかい?」

 2人がそう言うなら構わないが、遠慮はするなよと言わんばかりのヘッケランの問いかけに、アルシェもロバーデイクも頷くことで答える。ならば良いけど、といいながらテーブルまで来た一行は席に座る。

「うんじゃ、俺達『フォーサイト』の打ち合わせを始めるか」

 全員がそれと同時に浮かんでいた表情をかき消す。僅かにテーブルに身を預けつつ、顔を多少寄せる。人がいない酒場でも、どうしてもこんな話し方をしてしまうのは職業病のようなものだ。

「まずは依頼内容の確認だ」

 全員の視線が集まったことを確認してから、ヘッケランは言葉を続ける。口調は今までとはころりと変わり、非常にまじめなものとなっている。締めるときはしっかり締める。それはリーダーとして当たり前のことだ。

「今回の依頼者はフェメール伯爵。依頼内容は王国国土にある遺跡――ナザリック大地下墳墓の調査。報酬金額は前1000、後800。さらに調査結果による追加報酬有り。ただしあまり期待するなとのこと。それと今回の依頼においては他のワーカーの参加も予測されている。調査日数は最大で3日。調査の中身としてはどういった遺跡なのかを多角的に調べること。最も重要なものはモンスターがいると思われるが、どのようなものが生息しているか等。まぁ、一般的な遺跡調査だな」

 廃棄されたかつての都市跡や遺跡にモンスターが巣くう場合は非常に高い。そのためワーカーの調査といったらほぼ強行偵察と呼ばれる類のものだ。

「発見されたものは金額換算で2割が伯爵の、残りが発見したワーカーチームのものだ。ただ、最優先権は伯爵が有する。この辺も当たり前だな。それで行き帰りの足と滞在中の食料は伯爵側の負担。以上だな。さて、アルシェ、ロバーデイク。調べた内容の発言を」
「――ではまず私。フェメール伯爵の宮廷内の状況はそれほどよくは無い。鮮血帝に無下に扱われているという噂があった。ただ、彼自身無能ではないし、子供も愚かではないとされている。この状況下で犯罪に絡んだ仕事はありえないと思う。それと金銭的に追い詰められていないという情報もあった」
「王国国土にある遺跡の調査ということですが、私とアルシェさんで調べましたがその辺りに遺跡があるという噂も、歴史も確認されませんでした。ナザリック大地下墳墓というからには墓地なんでしょうけど、そんな場所に墓地があるというのが解せないぐらいです。周辺地理的には小さな村がある程度ですね。その村で情報を収集すれば少しは何か掴めるかも知れませんが?」
「無理だ。出来る限り隠密裏の行動を要求されている。目撃者に対して何かする必要はないし、しないで欲しいというのが依頼者側の要望だ」
「――ちなみにその周囲は王国の直轄領。下手な行動は王国、ヴァイセルフ王家を敵に回す」
「つまりは一般的な汚れ仕事ってことだろ?」
「そうですね。ただ、微妙な問題もあるでしょうね」
「まぁね。帝国で働いているワーカーが、王国内で暴れたら色々と問題になるでしょうし、下手したら伯爵にまで飛び火するかもしれないんだから」
「――でもその割には発見したものは持って帰っても良いといっている」

 うーんと全員で頭を悩ます。
 冒険者なら絶対に回ってこないような仕事だ。こんな他国の遺跡調査なんていうほぼ犯罪に近い仕事は。

「大体、どうやってその遺跡の情報を伯爵は手に入れたんでしょうね? 私達の調査では調べがつかなかったということはあまり知られてなかった墳墓なんでしょうけど……」
「――トブの大森林近くなんでしょ? 森を切り開いた時に発見されたとかはどう?」
「――変。小さな村しかないのに、そんなに森を切り開くとは思えない」
「王国が何か軍事的な意味で行動した結果という可能性が無くもないですが、小さな村しかないそんな場所に立地的な面でのメリットがあるようには思えません」

 4人はふむと頭を悩ませる。今回の仕事は本当に受けても良いものかと。

 冒険者ギルドという後ろ盾になるものが無いために、仕事に対する詳細な調査は当然必要になってくる。最初にしっかりと依頼人の背後関係を洗い、仕事をする場所を調べる。さらには依頼内容まで調べてようやく仕事を引き受けるのだ。ここまでしても厄介ごとに引っかかる時は多々ある。
 仕事には命が掛かっているのだ。それだけ調べてもまだ足りないと思うぐらいでなければ、ワーカーはやっていける仕事ではない。自分達の手に負えないような危険の匂いがするなら、どれだけ好条件でも降りる必要があるのだ。

「……金銭的な面の確認をしたが、前金として渡された――」

 ヘッケランはテーブルの上に一枚の金属板を置いた。そこには色々な文字が細かく掘り込まれている。

「――金券板を帝国銀行で確認したが全額払い込み済み。いつでも現金化可能だ」

 金券板は帝国が運営している銀行が保証する、小切手のようなものだ。
 かなり細かな作りをしているのは偽造されないためである。
 手続きに時間が掛かるということと、手数料が取られるというデメリットはあるものの、メリットは計り知れないほどある。
 例えば金貨は1枚10g。1000枚にもなれば10kg。かなり嵩張るためにこういったものを使って、取引を楽に済ませるものは多い。特に貴族や商人、そして冒険者のような高額な取引を行う存在たちが。
 諸国では通常は冒険者ギルドがこういった業務を行う場合があるのだが、帝国の場合は帝国自身が保証して行っているのだ。

「罠っていうことも無いんだ……。まぁ、この金券板を渡してきた時点で本気だとは思ったけど」

 イミーナは手を伸ばし、テーブルに置かれた金券板を取ると、外から入り込む明かりに透かすように見る。金券板に細かな文字が浮かぶ。
 裏切るつもりのある相手は大抵が前金を払わないパターンだ。
 イミーナからすると金貨1000枚を支払ってまで罠にはめるなんてことをされるほど、聞いたことも無い貴族に恨まれた記憶は無い。ならば信頼しても良いのではという思いが浮かぶ。

「私は――」
「ストップ。イミーナ、まだ終わってないんだ。もう少し頭を柔らかくしておいてほしい」
「はいはい。じゃぁ聞かせて。何で急ぎの仕事だと思う?」
「――不明。伯爵の関係者等になにか非常事態が起きているという話は無い。数日内に何かイベントがあるという話も無かった。遺跡内部から何かを持ち出せという依頼でも無い」
「王国の方でも特別動いているという話は無いみたいです。まぁ、ちょっと前の情報になるとは思いますが」

 今回の仕事は本日の早朝依頼内容を聞かされたと思ったら、出発は明日早朝。その時間までに返事が無かった場合は断ったと考える、というものだ。
 確かに急ぎの仕事というのは珍しいものではない。フォーサイトの一行だってそんな仕事をしたことだってある。ただ、問題は今回の仕事は1パーティーでのものではなく、複数のパーティーを雇っての仕事だということだ。

「――他のパーティーは?」
「受けるという方向が3つ。断るのが1つ」
「そちらから特別な情報は手に入らなかったので?」
「隠していたのか。それとも何も手に入らなかったのか。何も」

 お手上げという風にヘッケランは肩をすくめる。

「――なら可能性は対立する者がいる」
「ありえますね。そうなら急ぐ理由も多くの者を雇う理由も出てきます」
「もしそうだと仮定するなら……私達レベルのチームのうち3つが雇われたということは……ワーカーはさほど問題ないとして、冒険者の動きをチェックしないと不味いみたいね」
「それよりは注意すべきは、埋伏だな。目的を果たしたと思ったら寝首をかかれるなんてゴメンだ」
「埋伏か冒険者。確かにまだ冒険者の方が良いですね。彼らならまともな交渉が効くし、酷いことにはならない」
「ワーカーの場合はマジで殺し合いになるからね」
「――リーダーどうするの?」

 大体意見は出し尽くした。あとは推測とか予測の類の話だ。

「決める前に1つ言っておく必要がある事があった」

 隣に座るイミーナが僅かに息を呑む。

「アルシェ。お前に会いに変な男が来たんだ」

 アルシェの作り物のようにも思える感情の乏しい表情。その眉がぴくりと動いた。その反応を見て、知っている人物かとヘッケランは了解する。

「そいつは最後にこう言った。……なんだったっけ?」

 ヘッケランはイミーナに問いかけると、何を言ってんの、という視線が迎え撃った。やがて本気で覚えてないということを理解すると、疲れきった声で答える。

「『フルトんちの娘に伝えて置けよ。期限は来てるんだからってな』」
「だ、そうだ」

 皆の視線はアルシェに向けられる。
 一呼吸。大きく息を吐き出し、アルシェは口を開く。

「――借金がある」
「借金?!」

 ヘッケランは思わず驚きの声を上げてしまう。無論、ヘッケランだけではない。イミーナもロバーデイクも驚きの表情を浮かべていた。ワーカーとしてどれだけの報酬を得たかは、等割にしている関係上、互いに知っているのだ。自分の懐に入った金額を考えれば、借金なんてありえないような話だ。

「一体いくらなんです?」
「――金貨400枚」

 そのアルシェの答えに、再び互いの顔を見合わせる。
 安い金額ではない。それどころか通常の人間で考えるなら破格な額だ。一般職人の給料が1月3金貨。つまりは133か月分の給料に匹敵する額だ。
 彼らクラスのワーカーでもこの金額は、1回では稼げるかどうか微妙なラインだ。
 彼らのチームはワーカーでもかなり上位。冒険者ならAクラスに匹敵する能力を保有するパーティーだ。そんなクラスでも1回では稼げない可能性があるほど大金。それほどの借金を一体どうして作ったというのか。

 その疑惑に満ちた目の含むところを察知したのだろう。アルシェは顔を暗いものとする。
 本心からすると、当然言いたくは無い。しかし、言わないわけにもいかない。ここで話を打ち切ることはパーティーの輪を考えたら、追い出されてもおかしくは無い状況だと理解できるからだ。
 決意したアルシェは口を開く。

「――家の恥になるから言えなかった。――私の家は鮮血帝に貴族位を奪われた家系」

 鮮血帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。
 その異名の通り、己の両手を血で染め上げた皇帝だ。
 父である前皇帝を不慮の事故で失って即位。直後、当時5大貴族と呼ばれていた自らの母方の父――祖父が長をしていた貴族家を、皇帝暗殺の容疑で断絶。さらには自らの兄弟も次々に葬った人物だ。その中、母に当たる人物も不慮の事故で亡くなっている。
 無論、反旗を翻したものはいる。だが、既に前皇帝の頃から、騎士という力を握りつつあった鮮血帝にとっては敵ではなかった。圧倒的軍事力で立て続けに有力貴族の掃討を開始。数年で自らに忠誠を尽くすものだけが残るという結果となったのだ。
 さらには無能はいらない、という発言と共に、多くの貴族の位を剥奪していった。
 そして有能であれば平民でも取り立てるという行為が、一気に皇帝の権力を絶大なものとしていったのだ。大きな反乱となる前――国土が荒れないように行っていった、敵対貴族の掃討はまさに見事としかいえないものだった。そしてそれが当時、10代前半の少年が行ったものだと信じられる者がいないほどに。

 そんな人物のおかげで没落した貴族は珍しくは無い。ただ――。

「――でも両親は今だ、貴族のような生活をしている。無論、そんなお金があるわけが無い。だから少し性質の悪いところから金を借りて、そんなことに当てている」

 3人は互いの顔を見比べる。
 うまく隠してはいるが、互いに苛立ち、不機嫌、怒りの感情が透けて見えた。
 アルシェが最初に仲間になったときの発言『――魔法の腕に自信がある。仲間に入れて欲しい』。ほっそりとした子供が、自分の身長よりも高い杖を両手で持って、そんなことを言ってきたのだ。そのときの互いの顔を思い出そうとすれば思い出せる。そんな驚きだった。そしてその後のアルシェの魔法の実力を知ったときの顔も。
 それから2年以上、幾つもの冒険――1歩間違えれば死ぬようなものを超えて、かなりの金を得ても、アルシェの装備が大きく変わったようには見えなかった。
 その理由が今、ようやくわかって。

「マジかよ。いっちょガツンと言ってやろうか?」
「神の言葉を言ってきかすべきですね。いやいや、神の拳が先ですかね」
「耳に穴開いてないかもしれないから、まずは穴を開けるところからはじめない?」

 いやいや、これはどうだと互いのアイデアを言い合う仲間達に、アルシェは声を投げる。

「――まって欲しい。ここまで来た以上、私から言う。場合によっては妹達は連れ出す」
「妹がいるのか?」

 こくりと頷くアルシェに、残る3人は顔を見合わせる。言葉には出さないが、この仕事を辞めさせたほうがいいんじゃないかという思いからだ。
 ワーカーは確かに金を稼げる仕事だ。それは冒険者よりも。しかし、その反面、非常に危険度の高い仕事でもある。安全を確認した上で仕事を選んでいるつもりだが、それでも予期せぬ出来事というのは珍しくは無い。
 下手すれば妹を残して死ぬ事だって考えられる。だが、ここから先は余計なお世話だというのが、皆の心にあった。

「そうか……。ならひとまずはアルシェの問題は了解したとしよう。で、その件の解決は任せるとして……今回の仕事を請けるかどうかだ」

 ヘッケランはそこまで言うと、アルシェに冷たい視線を送る。

「アルシェ。悪いがお前の決定権は無い」
「――悪くなんか無い。問題ない。金銭に絡む問題を持っている私では、正しい答えは出せないとの判断だということぐらい理解している」

 金に目がくらんで、という奴である。

「――正直、このチームを追い出されないだけマシ」
「何を言ってるんだか。お前さんみたいな腕の立つスペルキャスターが仲間に入ってくれたことは、俺達にとってもラッキーなことだぜ」

 素に返り、ヘッケランはアルシェに言う。これはお世辞でもなんでもない。事実だ。
 特に彼女の生まれ持った才能。奇跡的に与えられたその目は、ヘッケランたちフォーサイトにとって非常に役立つ働きをしたことが幾度と無くある。
 魔法使いは魔法力と称される魔法のオーラのようなものを、体の周囲に張り巡らしている。魔法の使う腕が高まれば高まるほど、それを感知する能力も高まる。しかしながらこれはなかなか感知するのが難しく、する方が珍しいぐらいである。
 しかし様々な才能を持って生まれてくる子供の中で、時折この魔法力の感知に長け、ほぼぴたりと当てられる子が存在する。

 アルシェ・イーブ・リリッツ・フルトは、まさにそんな力を持って生まれた者だ。そして同じ力を持つ者はヘッケランたちが知る中では、帝国にもう1人しかいないほどの貴重な。
 
「しかし魔法学院もこれほど優秀な子を良く外に出したわよね」
「全くです。この歳で私と同格の位階まで使いこなせるのですから。もしかすると第6位階まで到達できるかもしれませんよ」
「――それは難しいと思う。実のところこの目だけでも食べてはいけるとは思う。でもそんなに稼げないから」

 少しばかり砕けた空気が戻ってきた辺りで、ヘッケランは1つ手を叩く。その乾いた音が全員の視線を集めた。

「さて、今回の依頼は受けるか、どうか? ――ロバーデイク」
「構わないと思います」
「イミーナは?」
「いいんじゃない? 久方ぶりの仕事だしね」

 ワーカーの仕事だってそう頻繁にあるものでもない。特にこんな高額の仕事はそうだ。
 基本的に安い仕事をこなしたり、2月ほど仕事が無かったりはざらなのだ。実際、この1月、まともな仕事は無かった。犯罪に関わる仕事はあったが、フォーサイトとしてはゴメン被るものばかりだ。そのため、ここらでドカンと稼ぎたい気持ちは十分に分かる。

「なら――」
「――私に気を使ってるなら、それは遠慮したい。もし今回の仕事を請けなくても他にも手はある」

 3人の視線が交わり、そしてイミーナがニヤリと笑う。

「まっさかー。考えてもみなよ、悪い仕事じゃないって分かるでしょ?」
「そういうことです。あなたのためではないですよ」
「だってよ」
「――感謝する」

 ペコリと頭を下げたアルシェに、3人は互いに目配せをしあい笑いかける。

「じゃぁ、アルシェは俺と金券板を換金。残る2人で冒険の道具の準備に入ってくれ」

 冒険に使うための道具、ロープや油、魔法の道具などのチェックを怠ることは出来ない。几帳面なロバーデイクと盗賊としての技術を持つイミーナに適した仕事だ。いや、ヘッケランが向いていないということもあるのだが。

「さて、行動を開始するんだが……アルシェ」

 何と言うように頭を傾げるアルシェに、ヘッケランは疑問に思ったことを口にする。

「なぁ、報酬は今のところ全額で1800枚。借金を返すには足りない額だぜ?」

 確かに4人で割れば450枚。借金は返せる額だろう。しかしながらフォーサイトの場合は報酬を貰った場合は5で割ることとしている。この4が各員の報酬で、残る1がパーティー管理の運営費用だ。この1からポーションやスクロール等の消耗品代及び宿代等の雑費が出されることとなるのだ。
 つまりは今回の仕事の報酬は1人360金貨ということだ。

「――問題ない。それだけ支払えばまた少し待ってもらえる」
「残り40枚ぐらいなら貸してあげるよ」
「そうですね。この次の報酬で返してもらえればよいわけですから」

 決して上げるとは言わないのがパーティーとして当然の行為である。お互いが対等なのだから、

「――それは遠慮する。もう、いい加減親が返すべき。せめてもの親孝行で時間だけあげる」
「そりゃ当然だわ」

 4人で顔を見合わせ、笑い声を上げると各自すべき仕事に取り掛かっていた。



 ■



 帝都の一区画。そこには無数の立派な邸宅が立ち並んでいた。高級住宅街。主に貴族達の邸宅が並ぶ、帝都でも最も治安の良い区画の1つだ。
 古いながらもしっかりかつ豪華な作りをした邸宅は、数十年以上、主人を変えることなく過ごしてきた。
 しかしながら現在は鮮血帝によって、中の住人が変わっていれば、空になった所もあった。


 貴族──の邸宅というのは1つのステータスシンボルである。金が勿体ないからといって、邸宅を飾らない存在というのは貴族階級では嘲笑の対象だ。これは貴族であるという力を内外にアピールするための物であると同時に、相手を迎え入れるための場所として使うからだ。
 貧しい邸宅と豪華な邸宅。招かれたとき、力を感じるのはどちらかと言えば理解しやすいだろう。
 金を持ちながらも邸宅を飾らない存在というのは、自分を良く見せようとする意思を持たないと判断されるのだ。

 そのため邸宅に金をかけるのは正しい行為なのだが、それはそれに相応しい力を持つものの場合だ。

 立ち並ぶ邸宅の1つ。そこは未だ住人をその内に入れた館であった。
 そこの応接間。

 硬い表情で室内に入ったアルシェを出迎えたのは彼女の両親だ。貴族とはこういうものだという品の良い顔で、仕立ての良い服を着ている。

「おお、お帰りアルシェ」
「お帰りなさい」

 2人の挨拶に答えるよりも、アルシェの視線が向けられた先になるのはテーブルの上に乗ったガラス細工だ。非常に細やかに彫刻の施された杯を形取ったもので、それなりの値段を感じさせる。
 アルシェが頬を引きつらせるのは、それが今まで家の中で見たことが無いものだからだ。

「──それは?」
「おお、これはかの芸術家ジャン──」
「──そんなことは聞いてない。それは今までうちに無かった。何故そんなものがある?」
「それはね、これを買ったからだよ」

 気軽な──今日の天気を話すような口ぶりでの父親の言葉に、ぐらりとアルシェの体が揺れる。

「──幾らで?」
「ふむ……確か交金貨25枚だったかな? 安かろう?」

 がっくりとアルシェが肩を落とす。今回の報酬で借金を返してきたら、更に借金が増える原因を見せられれば誰だってこうしたくもなるだろう。

「──何故買った?」
「貴族たるもの、こういったものに金をかけなければ笑われてしまうものだよ」

 自慢げに笑う父親に、流石のアルシェも敵意を感じる目で見てしまう。

「──もう、うちは貴族ではない」

 父親の表情が硬くなり、赤くなる。

「違う!」父親はダンとテーブルを強く叩く。応接間の分厚いテーブルであったため、ガラス製の杯がまるで動かなかったのは幸運か。「あの糞っ垂れな愚か者が死ねば、我が家はすぐに貴族として復活するのだ! 我が家は代々帝国の貴族として存在してきた歴史ある家。それを断絶することが許されるだろうか!」
「これはそのための投資だ! それにこうやって力があることを見せることで、あの愚か者にも我が家は屈しないということを見せ付けるのだ!」

 愚かだ。アルシェは興奮し鼻息の荒い父親をそう評価する。あの愚か者とは鮮血帝のことだろうが、アルシェの家程度なんとも思ってもいないだろう。だいたい、そんなことを考えずに、もっと別の手段で見返させるべきではないだろうか。
 世界が見えていない。アルシェはそう判断し、力なく頭を振る。

「2人とも喧嘩はやめて頂戴」

 のんびりとした母親の口調に、アルシェと父親の睨みあいは止む。無論確執を残しつつも、第三者の顔を立てるという意味での一時中止でしかないが。
 母親は立ち上がると、アルシェに小さな小瓶を差し出した。

「アルシェ。あなたに香水を買ったのよ」
「──幾ら?」
「金貨5枚よ」
「そう……ありがとう」

 アルシェは母親に礼を言うと、大した量の入ってない小瓶を受け取り、それをしっかりとしたポケットの中にしまいこむ。
 アルシェからすると、母は冷たい目で見ることが難しい。というのも化粧品のようなものは確かに賢い考え方だといえるからだ。
 身なりを整え、良いパーティーに出席し、力ある貴族に見初められる。女の幸せは結婚にあるというそんな考えは、貴族の観点からするとかなり正しい考えだ。そのための投資として化粧品を買うことは間違ってはいない。
 しかし、それでも今のこの家の状態で香水は無いだろうという思いも浮かぶ。

「──何度も言ってる通り無駄使いはするべきではない。最低限の生活に必要な分だけ消費すべき」
「だから、言っているだろう! これは必要な消費だと!」

 憤怒のため顔がまだらに染まっている父親を疲れたようにアルシェは見る。幾度となく繰り返し、なぁなぁで終わってきた問題だ。こうまでなってしまったのはアルシェの所為でもある。もっと早く、何らかの力技を使っていればこうはならなかったかもしれない。そして『フォーサイト』の面々に迷惑をかけることも無かっただろう。

「──私はもう家にお金を入れない。妹達と家を出て暮らす」

 その静かな声に激昂したのは父親だ。事実この家に金を入れている人物がいなくなるのはまずいという程度の考えは浮かぶ。

「今の今まで暮らして来れたのは誰のお陰だと思っている!」
「──もう恩は返した」

 アルシェは言い切る。この数年で渡した金額は安い額ではない。そしてこの金は冒険で得た、仲間と共に強くなるための費用だ。確かに報酬の個人の取り分の使い道は各員それぞれだ。
 ただ、暗黙の了解として、大半が自らを強化することに使われるのが当然だ。いつまでも武装をより良いものにしない仲間を見て、どう思うだろうか。
 武装を強化しないということは、下手すると1人だけ弱い状態でいる可能性だってあるのだ。
 だが、ヘッケランたちフォーサイトの面々は決してアルシェに対し、何か言おうとはしなかった。それに甘えすぎていたのだ。
 アルシェは強く睨む。その強靭な意志を感じさせる視線を受け、父親はひるんだように目をそらした。当たり前だ。死線を潜り抜けてきているアルシェが、単なる愚かな貴族に負けるはずが無い。
 何も言わなくなった父親を一瞥するとアルシェは部屋を出た。


「お嬢様」

 部屋を出たアルシェに、見慣れた顔が恐る恐るという感じで声をかけてくる。

「──ジャイムスどうした?」

 長年仕えた執事のジャイムスだ。その皺の多い顔は緊張感を漂わせた硬いものだ。即座にその理由に思い至る。それは父親が貴族でなくなった頃から時折見る顔だからだ。

「このようなことをお嬢様に言うのは心苦しいのですが……」

 アルシェは手を上げることで、これ以上言わせまいと言葉を遮る。応接室の前で行うべき会話ではないと判断し、2人で少しばかり離れる。
 アルシェは懐から小さな皮袋を取り出し、それを開いた。中かには様々な種類の輝きがあった。最も多いのは銀の輝きだ。ついで銅。最も少ないのが金だ。

「──これでどうにかなるだろうか?」

 皮袋を受け取り、中身を覗き込んだジャイムスの顔がわずかばかりに緩む。

「給金、および商人への返済……何とかなると思います、お嬢様」
「──良かった」

 アルシェも安堵の息を漏らす。自転車操業だが、まだ何とかなると知って。

「──父に買わせない様に出来なかった?」
「無理です。お知り合いの貴族の方を伴って来られました。途中幾度か旦那様には言ったのですが……」
「──そう」

 2人で揃ってため息をつく。

「──少し聞きたい。もし今雇っている者たちを全員解雇した場合、最低限どれだけの金額を用意したほうが良い?」
 
 ジャイムスの目が少しばかり開き、寂しそうに微笑む。

「畏まりました。おおよその金額を計算し、お持ちしたいと思います」
「──宜しく頼む」

 そのときタッタッタっという軽いものがそこそこの速さで移動してくる音が響く。それもアルシェに向かって。避けることは簡単だが、流石に避けるわけにはいかないだろう。
 振り向いたアルシェに向かって走ってくる影が1つ。そして速度を緩めることなくアルシェにぶつかってきた。体重の軽いアルシェよりももっと軽い体躯だ。正面から受けとけることは容易いが、そういうわけにも行かない。受けると同時に、後ろに下がり、その勢いを殺そうとする。


 胸の辺りに飛び込んできたのは、身長は110センチほどの少女だ。年齢は5歳ぐらいだろうか。目元の辺りが非常にアルシェに似ている。そんな少女はぶぅと不満げにピンク色の頬を膨らませた

「かたーい」

 これは飛び込んだアルシェの胸が平坦だといっているのではない。
 冒険者用の皮を多分に使った服は防御能力にも長けている。それはつまり胸部から腹部にかけては、硬質な皮を使ったりしていること。そこに飛び込んだのだ。潰れるような思いだったことだろう。

「──大丈夫だった?」

 少女の顔を触り、頭を撫でる。

「うん、大丈夫。お姉さま!」

 ニコリと少女は楽しげに笑う。自らの妹にアルシェも笑いかける。

「……では私はこれで」

 2人の邪魔をしまいと離れていく執事に目礼を送ると、アルシェは自らの妹の頭を撫で回す。

「ウレイ……走るのは……」

 そこまで言おうとして、アルシェは口ごもる。貴族の令嬢が廊下を走るというのは不味い行為だ。しかし、父親に言ったようにもはやアルシェたちは貴族ではない。ならば走っても良いのではないか。そんな考えが浮かぶ。
 その間もアルシェの手は止まらず、結果、頭がぐしゃぐしゃに撫で回され、少女は屈託も無い笑い声を上げる。アルシェは周囲を見渡し、もう1人がいないのを確認する。

「──クーデは?」
「お部屋!」
「そうなの……少し話したいことがあるの。一緒に行きましょ」
「うん」

 妹の朗らかな笑顔。これを守るのは自分だ。そう強く感じ、アルシェは妹の小さな手を握る。
 アルシェの小さな手でもすっぽり収まるより小さな手から、暖かな体温が伝わってくる。

「お姉さまのおてて硬いよね」

 アルシャは空いている手を見る。冒険によって幾度となく切れ、硬くなった手はもはや貴族の令嬢の手ではない。だが、それに後悔は無い。この手は当たり前の手だ。いや、この手だからこそ、友──フォーサイトの仲間たちと共に生きた証なのだから。

「でも大好き!」

 妹の両手でぎゅっとアルシェの手が握られる。アルシャは微笑んだ。

「ありがと」



 ■



 早朝。
 未だ太陽が昇らぬ時間に、伯爵の敷地には無数の者たちが集まっていた。戦士、魔法使い、神官、盗賊。ほぼ全員がそのどれかの分野に属している者ばかりだ。
 最後に到着したヘッケランたち『フォーサイト』を入れて、その数は18名。
 この場にいるその人数こそ、伯爵に今回の仕事のために集められた、帝都内でも腕に自信のあるワーカーたちだった。

 雇われただろうワーカー・チームがお互いに少しばかりの距離をとって、チームメンバーだけで集っている。そして互いを値踏みするように観察しあっていた。最後に登場したフォーサイトの面々に視線が一気に集まる様はある意味、壮観なものを感じさせた。
 互いに群れているその中央では、3人の者たちが集まって、互いに情報を交換しているのか何事かを話し合っている。あれらがチームの代表者たちなのだろう。

 ヘッケランたちは薄闇がまだ立ち込める中、目を凝らし誰がいるのかを確認する。帝都内での商売敵ぐらいは大抵調べているため、外見を見ればどのチームが雇われたのか予測はつくというものだ。

「うげぇ、あいつもいるのか」

 3人のワーカー。
その中にある男がいるのを確認したイミーナは、吐き捨てんばかりのそんな強烈な嫌悪感むき出しの声をあげる。一応は低い声で言っているとはいえ、ヘッケランたちが周囲の反応を伺ってしまうほどの敵意を込めて。

「イミーナさん」
「わかってるって、ロバーデイク。一応は今回の仕事仲間だしね。……でもあいつの顔を見ていたくないね」
「――私も好きでは無い」
「まぁ、好きか嫌いかではいうなら、私も嫌いですが」
「……おいおい、これから挨拶するのに、嫌なこと言うなよ。顔に現れちまうだろ?」
「頑張ってください、リーダー」

 ロバーデイクの気楽そうな声に、他人事だと思いやがってと顔を顰めると、ヘッケランはその3人のワーカーの下に歩み寄っていく。

 近づいていくヘッケランに最初に声をかけたのは、黒色に染め上げられたフルプレートを着用しているワーカーだ。鎧が変な丸みを持っているために、人というよりも直立するカブトムシのような甲蟲に近いような外見だ。腰には両手持ち用の巨大な戦斧。
 顔を完全に覆う兜の隙間から男の低い声が漏れ出る。

「やはりお前のところも来たのか、ヘッケラン」
「おう、グリンガム。なかなか良い話だと思ってな」

 気楽そうにヘッケランは手を挙げ、それを残る2人に対する挨拶とする。

「おまえさんのところは……」鎧を着た男のチームに首を向け、人数を数えると再び尋ねる「5人ってことは他のメンバーはどうしたんだよ」
「のんびり休憩中だよ。まぁ、この前の仕事で色々と壊れたものの修理とかもしなくてはならなかったしな」

 この男――グリンガムがリーダーを務めるチーム、『ヘビーマッシャー』は全メンバーで9人という大所帯ワーカー・チームだ。人数が多いということは仕事に対して様々なアプローチが取れるということであり、非常に応用性に富んだ行動を取ることが出来るというとだ。その反面、意志の決定までに時間が掛かるということでもあり、動きが鈍くなりやすいということ。
 少し考えればこのように一長一短であり、2つに別れてもおかしくないチームを、完全に掌握しているのだからこの男の管理運営能力の高さを物語っている。

「ふーん。大変だな。しかし……がっぽり稼いだりして残った仲間に恨まれたりしないように、俺達のサポートに回るなんてどうよ?」
「馬鹿をいうな。帰ったらたらふく奢ると約束してるんだ。お前達には悪いが、俺達が最も稼がせてもらうぞ」
「おいおい、勘弁してくれよ」

 互いに笑いあうとヘッケランは別の男に向き直る。

「そちらさんと正面から顔を合わせるのは初めてだな」

 よろしくと手を伸ばすと、その男も握り返してくる。
 眉目秀麗。その言葉がまさに相応しい青年だ。その非常に整った顔の、口元だけが微笑みの形を伴っていた。胸当てと皮鎧を纏い、腰にははるか南方の都市より流れるとされる刀。
 そんな人物の切れ長の目が動き、ヘッケランを見据える。

「――『フォーサイト』。噂はかねがね」

 鈴の音色を思わせる涼しい声だ。その外見に非常に相応しいと称するのが正解か。

「そっちもな、『天武』」

 この帝都において剣の腕においては並ぶものがいない。闘技場でも不敗の天才剣士。彼を知らないものはワーカーにはいないだろう。
 そんな『天武』はある意味彼1人で構成されるワーカー・チームのようなものだ。

「王国最強といわれる、かのガゼフ・ストロノーフに匹敵されるといわれる剣の天才と一緒に組めて嬉しいぜ」
「ありがとうございます。ですが、そろそろかの御仁が私――エルヤー・ウズルスに匹敵すると言われるべきでしょうね」
「おー。言うねー」

 エルヤーが薄く笑い、傲慢とも取れるような表情を浮かべた。それを受け、ヘッケランは目の中に浮かびそうになった感情を隠す意味で、瞬きを繰り返す。

「じゃ、遺跡ではあんたの剣の腕に期待してるぜ」
「はい。お任せください。今から行く遺跡に苦戦するようなモンスターがいればよいのですが」
「……どんなモンスターがいるかは未知数だぜ? ドラゴンとか出るかもよ?」
「それは恐ろしい。ドラゴンぐらいであれば苦戦はしそうですね」

 そうかい、そうかいと顔だけで笑いながら、ヘッケランは感情を殺す。
 エルヤーが剣の腕だけなら、A+の冒険者にすら勝てる可能性があるということを考えると、大言壮語とも言い切れない受け答えだ。それに己の腕に自信を持つことは良い事だし、能力をアピールすることはワーカーとして重要なことだ。
 しかしながらそれも度を過ぎなければ、だ。

 世界最強の種族たるドラゴン。
 天空を舞い、口からは種別に属した様々なブレスを吐く。鱗は硬く、その肉体能力は群を抜く。年齢を重ねたものにいたっては魔法をも使いこなす。人間とは比較にならない寿命を誇り、蓄えた英知は賢者ですら平伏すという。個人主義ということが無ければ、この世界はドラゴンによって支配されていたことは間違いないだろう。
 また、かの13英雄の最後の冒険ともなった――敗北した相手『神竜』もドラゴンだとされている。
 話のネタだからといって、そんなドラゴンを対象に上げられてなお、あれだけ傲慢に振舞えるのだからもはや驚くしかない。どれだけ自意識が肥大しているというのか。

 これから向かう遺跡にどれだけのモンスターがいるか知れないのに、エルヤーの思考パターンは全体の足を引っ張りかねない危険なものだと判断して間違いは無いだろう。

 あまり近寄らない方がいいか。
 倒れるのは勝手だが、寄りかかられたりしたら面倒だ。ヘッケランはわずかな微笑を浮かべたまま、そう判断し、エルヤーの扱い方について修正を加える。利用してポイ、という方向に。

「あちらがフォーサイトの方々ですね」

 イミーナを目にし、エルヤーの視線が鋭いものへと変わっている。エルヤーはスレイン法国の出身とされている。スレイン法国は人間こそ最も尊いと考える宗教国家だ。そんな出身地の者からすると、人間以外の血が混じるイミーナは一等低い存在だ。そんな女が自分と同じ位置にいるのが不快なのだろう。そんな雰囲気がその目の中には宿っていた。

「……おいおい、俺の仲間になんかするなよ?」
「勿論ですとも。今回の仕事に関しては仲間です。協力し合いますとも」

 一応は仲間ということになっているのに、何かしでかすようなことはしないとは思うが、ヘッケランは釘を刺すことは忘れない。エルヤーという男はなんというか力を持った子供がそのまま大きくなったような恐ろしさというか、精神的なアンバランスさを感じさせるのだ。釘をさしておいても安心できないような、そんな嫌なものを感じる。
 警戒しておくか。ヘッケランは心中でそう決定する。

「とりあえず、野営の順番等に関してはそちらで決めていただいて結構です。よほどのことが無い限りは全体を統括される方の指示に従います」
「了解した」
「では一先ず私は戻ってますので、何かありましたら声をかけてください」

 グリンガムが答えるとエルヤーはヘッケランたちに一礼をし、歩き出す。
 エルヤーが向かう先。そこに立っている複数の女性を見て、ヘッケランの顔が一瞬だけ歪みそうになる。しかしながら感情を表に出すわけには行かない。どういう感情を持っているか知られることが不利益になる場合だってある。チームのリーダーがそのようなことでは失格だ。
 ヘッケランは鉄面皮を作ると、汚物から目を離すように視線を動かし、残る最後の1人の方に向ける。

「よう、パルパトラ」
「よう、ヘッケラン」

 金髪、碧眼。白い肌は日に焼け、健康的な色となっている。ヘッケランと同じ帝国では珍しくない人種だ。顔立ちも凡庸。取り立てて評価すべきところが無い。
 年齢は20台半ばに入りかかったところか。
 着ているものフルプレートメイル。背中にはスピアとかなり大きなシールドを背負っている。攻撃よりは防御を重視した構成。そのことから『鉄壁』とも称される男だ。

「ヘッケランも思っただろうけど、アレは危なすぎるよな」

 他者に聞こえないほどの大きさでパルパトラが困ったように言う。それに対してヘッケランも頭を振る。

「――だな。潰れるのは仕方ないにしても、共倒れで潰れるのはごめんだよなぁ」
「あれが強いのは事実なんだろうが、強さに自信を持ちすぎてるのは危険だな」

 横からグリンガムが口を出す。グリンガムもそう思っていたのだろう。いや、エルヤーの態度を見て、そう思わないワーカーはいないだろう。

「大体、あいつってどれぐらいの強さなんだ? 戦っているところ見たことあるか?」
「あー、ヘッケランも知らないか。俺も実は見たことは無いんだ。闘技場なんか行かないし、組んで仕事をしたこともないし。グリンガムは?」

 グリンガムの兜がフルフルと左右に動く。

「強い奴なんか色々いるからな。やっぱ、筆頭は王国最強のガゼフ・ストロノーフ。対抗馬としては帝国ならば4騎士かな?」
「『重爆』『不動』『雷光』『激風』か。アーグランド評議国のドラゴンロードは?」
「おいおい、人間の剣士のみにしようぜ。流石にマジもののドラゴンは除外だろう」
「それじゃアーグランド評議国の大抵が駄目か。あそこは亜人ばっかりだしな。亜人も強い奴がいるんだがなぁ……竜騎士とか良い線いくと思うし……。えっと、それなら闘技場の『鬼王』も駄目だろ……ローブル王国の聖騎士様は?」
「ああ、いたなぁ。聖剣を使う女だっけ? でも単純な剣の腕のみだとどうだろ?」

 会話がエキサイトする。ワーカーとして強敵についての情報を集めるのは当然なのだが、やはり戦士として同業他社の情報というものは最も興奮してしまうものだ。

「スレイン法国は平均が高いけど、突出した奴がいないし、いても神官系だからな」
「王国のA+の女冒険者は?」
「あぁ、『胸ではなくあれは大胸筋です』な。あれは強いよなぁ」
「……その勝手につけた二つ名呼んで半殺しにあったAクラス冒険者いるぞ……」
「剣の腕のみとすると……厳しいな。冒険者やワーカーなら『勇者さま』とか『ダークロード』。『クリスタル』のセラブレイト、『豪炎紅蓮』のオプティクス、それとブレイン・アングラウスなんてどうだ?」

 初めて会話が止まった。

「誰、それ?」

 パルパトラが不思議そうにグリンガムに尋ねる。

「知らないのか。王国では結構有名だと思うんだけどな」

 お前は知らないかと、ヘッケランは尋ねられ、首を横に振る。

「そうか知らないか……」

 少しばかりがっかりとした感じでグリンガムは、昔の記憶を掘り起こしながらブレインという男について話す。

「俺が昔王国で開かれた闘技大会に出たとき、準々決勝で当たった相手だ。無茶苦茶、強かったぞ」
「それってガゼフ・ストロノーフが優勝した時の大会だろ?」
「そうだ。まぁ、結局ブレインも決勝でガゼフには負けていたな。だが、あれは凄い戦いだったぞ。まさに剣士として見る価値のある戦いだった。……あの攻撃をどうして弾けるんだとか、あそこでこうやって剣を曲げるかと……ほんと感心したな」

 グリンガムほどの男がそれほど言う。そしてかの近隣国家最強とされる戦士、ガゼフとそれほどまでに互角に戦いあったというなら、その実力は超一級だろう。
 知らないだけで世の中には強い奴も色々といるのだなと、ヘッケランは感心する。

「その……ブレインというのとエルヤー、どっちが強い?」
「ブレインだな」即答するグリンガム。「今はどうなったのか知らないが、まさに剣の天才だったな。俺なんかほんの2撃で剣を落とされたものだ。無論、今はあのときよりも強くなったから、そう簡単にはいかない自信があるが……。まぁ、エルヤーよりも上だと思うぞ」

 肉を叩くような重い音と女性の押し殺したような悲鳴が上がる。
 この場にいるワーカー全ての視線が一箇所に集まる。幾人かは腰を微かに落としつつ、戦闘に入れるような体勢だ。
 そこではエルヤーの前に仲間――疑問が付くが――の女性が倒れている。殴り飛ばしたのだろうと、想像に難しくない。
 不快感に襲われたヘッケランはあることに気づき、自らの仲間――イミーナの方を慌てて目を向ける。そこではイミーナが能面の表情で、いまだ戦闘体勢を維持しつつあった。その姿勢は抜き放たれようとしている剣だ。もう少し何かがあれば、即座に攻撃に移るだろうというギリギリ感を放っている。
 慌てて、ヘッケランは抑えるように手で指示をする。
 個人的にはヘッケランもイミーナと同じ思いだ。しかしながら、他のチームのことに首を突っ込むことは出来ない。無論、やろうと思えば出来ないことは無い。ただ、その場合は全てを背負い込む覚悟が必要だ。事実、他のチームの者も幾人かが不快気に顔を歪めるだけで、実際に行動しようとはしないのだから。
 イミーナはエルヤーの背中に卑猥な手つきを突きつけると、舌打ちを1つ。

「……さて、おしゃべりはこの辺にしないか?」

 空気を変える様に、ヘッケランは他の2人に言う。

「……そうだな、ヘッケランも来たことだし、最も重要なことを決めようじゃないか」
「エルヤーは辞退したが、チーム全体の指揮権は誰が持つ?」

 グリンガムの言葉に沈黙が落ちる。
 ワーカー・チーム4つ。確かに戦闘力としてはかなりのものだが、それらを統括して指揮を執るものがいなければ上手く動くことは出来ないだろう。腕が何本あっても無駄になるだけだ。
 そして個性豊かなチームを上手く運用するとなると、なかなか難しいものがある。特に文句の出ないようにとなると困難極まりない。
 ここで自分がとリーダーシップを取ろうとしないのは、下手すると他の3チームに恨まれかねない結果になるからだ。

「正直、全体の指揮官は選別しなくても良いんじゃないか?」
「それは問題の先送りだ。戦闘を開始したときに厄介ごとになるぞ?」
「……一番いいのは1日交代じゃないか?」
「あー」
「だなー」
「なら、ここに来た順に指揮権を持っていくか」
「エルヤーのところ、『天武』は如何する?」
「エルヤーが指揮を投げたし、飛ばしで構わないだろう」
「なら、まずはうち『ヘビーマッシャー』の番だな」
「よろしく、グリンガム」
「了解した。まぁ、帝国内に関してはさほど凶悪なモンスターも出ないだろうし、問題ないだろう。問題になるのは王国内、それも大森林近くなってからだな」
「あー、順番逆にすればよかったか」

 ヘッケランがワザとらしく頭を抱えると、2人が静かに笑う。そしてすぐに表情を引き締めると、ようやく明るくなってきた庭のある方向を向く。既に周囲のワーカー殆どがそちらの方に向き直っていた。
 そこでは1人の執事が歩いてくるところだった。背筋を伸ばした歩き方。それは伯爵に仕える者に相応しい、そんな態度だった。
 執事はワーカーたちの前まで歩いてくると、一礼をする。それに答える者はいないが、それには意を介さずに口を開く。

「時間になりました。今回、我が伯爵家の依頼を受けていただき、誠にありがとうございます」
「当家から同行する者は御者2名。目的地は王国内にありますナザリック大地下墳墓。調査のため滞在する期間は3日。追加報酬はご主人様がその情報から何を得られたかによります。ですので、後日ということになります。問題が無い様であれば付いて来て下さい。準備しました馬車のところまでご案内させていただきます」

 何故、そんな墳墓の情報を知っている。またはどんな情報を優先的に持ち帰ればよい。
 いろいろな疑問はあるだろうが、聞いて答えてくれることと答えてくれないことの区別ぐらい、経験からワーカーの誰もが理解できた。もし教えてくれるなら依頼してきた段階で教えてくれるのだろうから。
 そのため何も言うことなく、全員が後ろについて黙々と歩き出す。
 そんなワーカーの一番最後を歩くのは、ヘッケランたちフォーサイトの面々だ。

 ヘッケランの横に並んだイミーナが呟く。

「あの糞、死んだほうがいいと思うんだけど」

 エルヤーに対して我慢しきれないイミーナが憎憎しげに吐き捨てる。かなり押し殺した声なのは、怒りのためかそれとも自制が働いているからか。ヘッケランには読みきれないが、後者であることを祈るしかない。

「噂には聞いていましたが、下劣な男ですね」
「――最悪」

 フォーサイトの誰もが不快感を顕わにする。当たり前だ。イミーナという女性を仲間にしている以上、エルヤーのしていることは許しがたいことだ。
 エルヤーのチームはエルヤーを除き、全員女である。それもエルフの。単純にそれだけならばイミーナも他のメンバーも不快感を表さなかっただろう。しかしながら先ほどのエルヤーの態度のように理由がある。

 それはエルフの女性が全員、最低限の装備はしているが、よく見れば服などさほど良い仕立てのものではない所にある。そして短く切られた髪から突き出している、エルフの長かっただろう耳は、中ほどからすっぱりと切り落とされていた。
 それは奴隷の証。
 彼女達、エルヤーのチームメンバーは皆、スレイン法国から流れてきたエルフの奴隷だ。

 スレイン法国では人間以外の種族の奴隷を許している。そしてエルフの場合は奴隷の証として、焼け印ではなく、耳を真ん中から切り落とすのだ。
 確かに帝国では基本的に奴隷制は導入していない。
 しかしながら、闘技場で戦っている亜人等、暗黙の了解として認められている場合がある。エルヤーの連れているエルフの奴隷もその関係だ。
 バハルス帝国、リ・エスティーゼ王国、スレイン法国の三ヶ国は国民の中の人間の割合がほぼ100%であり、周辺諸国と比べると異種族に対する排他的な空気がある。そのため亜人――実のところイミーナも――には少々暮らしにくい国なのだ。

 ただ、ドワーフだけは別だ。
 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の中央を走る境界線たるアゼルリシア山脈。その山中にドワーフの王国があり、帝国はそこと貿易をしている関係上、ドワーフの人権はしっかりと守られているからだ。

「エルフが可哀想なのは理解できる。だが、今俺達がやらなければならないことはあのエルフを助けることではない」

 イミーナは何も答えずに深いため息をつく。
 納得は出来ないが我慢する。そんな不機嫌さ100%の了承の合図を受け取り、ロバーデイクもアルシェも不快感を押し殺す。最も苛立っている者が我慢しているのに、自分が表に出すことはよろしく無いという考えだ。



 ワーカー全員で向かった先にはあったのは、かなり大き目の幌馬車が2台。それを引く馬は通常のものとは違った。その馬を見たワーカーの誰かが呟く。

「――スレイプニール」

 そう。
 その馬車を引く馬の足の数は8本。その馬の種類こそ、スレイプニールといわれる魔獣の一種だ。
 通常の馬よりも体躯は大きく、筋力、持久力、移動力に優れている。そのため人が飼いならしている、陸を走る獣の中では最高とされる生き物だ。無論、その分金額もかなり高い。軍馬10頭以上にも匹敵する価格で取引される馬で、貴族でも滅多なことでは保有できない馬だ。

 それを2頭立ての馬車2台なので計4頭。もしかすると冒険の最中失われることも考えると、良く出したとしか言えない。

 いや、違う――ヘッケランは思い、その場にいる多少は見通すことの出来る者も思う。それほどの急ぎの仕事なのかと。

「こちらの馬車をお使いください。食料等は中に積み込んであります」
「――ロバーデイク」
「了解しました」

 各チームから最低1人、代表になる者が歩み出ると、幌馬車の中を覗き込み、執事の話を肯定する声を上げた。
 幌馬車にはかなり大量の保存食が積み込まれ、水を生み出す魔法の道具も置かれている。目的地までの距離を考えるなら、充分すぎる量だ。今回の件は隠密行動を主に行って欲しいためという依頼内容のため、これからは物資の補給が出来ない。しかしそれを考えても問題は無いだろう。
 念を入れて各チームの物資等の管理を行っている代表達が話し合い、問題が無いことの確認を取っている。

 ヘッケランはグリンガムの元による。話しておかなくてはならないことがあるためだ。

「すまない、グリンガム」
「どうした?」
「馬車の分け方なんだが、『天武』とうちを別にしてくれるか?」

 グリンガムの兜がイミーナを確認するように動く。それから頷いた。

「了解した。なら俺達が天武と一緒の馬車になろう」
「すまない。感謝する」
「まぁ、気にするな。今回の件では仲間だ。着く前から問題を起こされるのは真っ平ごめんだ。――では、行くか」

 管理を行っていた者たちが充分、納得をしたような姿勢を見せ、それに合わせグリンガムが声を上げた。



 ■



 目的地であるナザリック大地下墳墓までの行程の4/5、問題になることは一切起こらずに到着できたのは帝国の治安の良さのためであろう。
 帝国領内は騎士たちが巡回することで平穏は守られており、モンスターが徒党を組んで彷徨っているということはほぼ稀であるし、野盗が出没することも稀だ。そのため、問題は残る1/5――王国領内に入ってからとなる。
 王国領内に入ればその仕事の内容上、街道上の移動ではなく、人の通らない平野等を移動することになるからだ。人の通らない地を踏破するともなれば、モンスターとの遭遇率は急激に上昇する。
 確かにこれだけのワーカーが揃っていれば、大抵のモンスターに対処は効くだろうが、それでも油断をするわけにはいかない。バジリスクやコカトリスのような石化を行うようなモンスターや、チンのような致命的な猛毒を持っているモンスターがいるのだ。ちょっとした攻撃が命取りになる可能性があるのだから。

 しかし、王国領内に入っても幸運なことにモンスター等と一回も遭遇することなく、目的地――ナザリック大地下墳墓に到着したのは、ヘッケランたちワーカーに幸運の女神が微笑んだからだろう。もしくはその大所帯にモンスターが怯えたのか。


 ナザリック大地下墳墓。
 周囲は6メートルもの高さの厚い壁に守られ、正門と後門の2つの入り口を持つ。正門横にはまだ新しそうなログハウスのような家が建っている。
 内部の下生えは短く刈り込まれ、綺麗なイメージを持つが、その一方で墓地内の巨木はその枝をたらし、陰鬱とした雰囲気をかもしだしていた。
 墓石も整列してなく、魔女の歯のように突き出した乱雑さが、下生えの刈り込み具合と相まって強烈な違和感を生み出している。その一方で天使や女神といった細かな彫刻の施されたものも多く見られ、一つの芸術品として評価しても良い箇所もところどころある。
 そして墓所内には東西南北の4箇所にそこそこの大きさの霊廟を構え、中央に巨大な霊廟があった。
 中央の巨大な霊廟の周囲は、10メートルほどの鎧を着た戦士像が8体取り囲んでいた。
 敷地内に動く者の影は一切無し。


 それが飛行の魔法を使って上空から眺めてきた、ナザリック大地下墳墓の地上部分の情景である。

 今回の仕事を請けたワーカーたち18名は、ナザリック大地下墳墓後門から300メートル離れたところで、遠目に観察を行いながら、もたらされた情報に眉を顰める。
 その中でも最も眉を顰めた者――スペルキャスターに代表される、ワーカーの中でも知恵のある者たちが頭を抱えて、相談しあっていた。

 生じた疑問は、何でこんなところに地下墳墓があるのだろうかである。
 確かに書面上の調査でも奇怪なものは感じていた。
 しかし、もう少し隠してあったり、木の伐採跡があったりしたなら理解できたのだ。しかし到着し周囲を見渡せば平野しかない場所だ。墳墓を築くのはあまりにも不向きな場所過ぎる。

 まず単純な墓としての利用性を考えるなら、人里から離れたこんな場所にこれほど立派なものを築くのは奇妙な話だ。あまりにも不便すぎるのだから。
 では死者を祀る場ではなく、故人の為した業績を後世に伝えるモニュメントとしての目的となると理解できなくも無いが、ナザリックという名前に関してまるで伝わっていないことが違和感を覚えさせた。さらにモニュメントとしてなら、地表部分に墓石が無数にあるというのが理解できない。

 さらには各チームが調べても情報が無かった。それは即ち今まで発見されてない、もしくは入ることを許されなかったというどちらかを意味するはずだ。しかし外見的にあまりにも立派であるのに、まるで情報が無い。
 ログハウスがあるということは誰かが管理しているのだろうが、その辺の情報もやはり一切無かった。この近辺が直轄領ということも考慮すれば、王国の兵士が管理しているのだろうが、その割には念の入った警戒をしているようには見えない。

 結局、あまりもチグハグしているのだ。
 
 そんな喉に引っかかったような奇妙な異物感が、眉を顰めさせる原因となっていた。
 正直に言ってしまえば、罠と考えるのが妥当すぎる風景なのだ。ただ、罠だと考えると不明な点が無数に残る。帝国の領内ではなく王国の領内、ワーカーたちを送り込む目的等だ。
 つまりワーカーたちは頭を悩ませつつも、まるで見当がつかなかったのだ。


「で、どうするんだって?」

 疲れた顔で戻ってきたアルシェに、ヘッケランは軽く声をかけた。

「――とりあえずは夜になったら3チームが隠密裏に行動を開始する。残った1チームは冒険者の振りをして、ログハウスの中の人物と友好的に交渉しようという方針」
「なるほど。明るいと侵入がばれやすいからね」
「――そう」

 ナザリックの周囲を囲む壁は高く、誰も見張っている者がいない関係上、今から侵入してもばれにくいとは思えるが、それでも不測の事態という奴は起こりえるものだ。せめて暗い中行動した方が、多少は安全が高まるだろう。
 それにそれだけの時間、観察を続けていればナザリック内で動きがあったりと、何らかの情報を得られるかもしれない。
 今回の仕事はタイムリミットがあるが、それでもここで時間を潰したとしても惜しくは無いと、知恵者たちは考えたのだろう。

「ですが《インヴィジビリティ/透明化》の魔法などを使えば安全に偵察できるのではないですか?」
「――それも確かに考えた。でも、面倒になる可能性があるなら、全てを一度にやってしまったほうが良い。最低でも多少は調べられる」

 《インヴィジビリティ/透明化》の魔法だって、看破する手段が無数にあるように、完璧な魔法ではない。もし仮にワーカーが魔法を使って接近しているということを――何者かは知らないが――ナザリック大地下墳墓の警護に関わる者が理解したら、警戒レベルは当然上がるだろう。下手したら数日間、潜入が一切出来ないほどに。
 それを避けるため、全てを同時に行動するという作戦を立てたというのだ。
 
「なら、しばらくは休憩時間みたいなものか」
「――そう。各チームが持ち回りで様子を伺おうということになった。順番は伯爵の家に着いた順。つまりはリーダーを取った順でもある」
「なるほど。つまりはおれたちが最後ってわけか」
「――そう。基本は2時間交替。私達の番はまだまだ」

 そこまで言うとアルシェはぐるりと首を回し、力無くため息をつく。

「お疲れですね」

 ロバーデイクにこくんとアルシェは頷く。

「――疲れた。ここまで時間が掛かったのも、全てはあの最悪男が強行突入を提案した所為。説得するのに非常に苦労した。あの男は協調性という言葉を知らない」
「……ああ、エルヤー」
「最低の糞野郎で充分よ」

 殺意すら篭っているイミーナに苦笑いを浮かべ、ヘッケランは話題を変えようと腐心する。

「なら、俺達の番まで宿泊地に帰ってのんびり待つか」
「賛成です。雨はしばらくは振らないと思うんですが、念のためにそういった準備もしないと不味いですからね。イミーナさん、あなたの出番なんですからいつまでもそんな怖い顔をしてないでください」
「――あいよ。あー、本当にむかつくわー。少し離れたところに建てるからね」
「予定している敷地内なら構わないけどな?」

 本当は良くは無いが、下手に近くに建てて喧嘩沙汰はごめんだ。

「じゃぁ、行くか。おい、グリンガム。俺達は先に帰ってるな」
「おう!」

 最初の監視チームである『ヘビーマッシャー』のリーダー、グリンガムに手を振り、4人は歩き出す。

「――しかし考えれば考えるほど不可思議。伯爵が依頼したのも納得できる」

 その声に反応し振り返ると、アルシェが足を止めてナザリック大地下墳墓を凝視していた。
 ヘッケランたち3人も立ち止まり、ナザリックの壁を眺める。かなり厚くしっかりとした作りの壁は、石を積み上げたものではなく、まるで巨大な一枚の岩盤から削りだしたかのようだった。300メートルもの石を持ってくることは不可能なので、何らかの手段で継ぎ目を巧妙に隠しているのだろうが、これほどの技術は人のものでは無いだろう。
 石の種族、ドワーフによるものか。はたまたは人を遥かに超える叡智を持つドラゴンのもの。もしかすると未だ知らない種族の可能性だってある。
 外の壁を観察するだけで、無数の想像が生まれる。

 ヘッケランは浮かび上がるニヤニヤ笑いをかみ殺し、ワクワクとした気持ちを押し潰すのがやっとだった。

「……分厚いのは恐ろしいアンデッドを封じるためだったりして」
「――うわー怖いー」
「――ヘッケラン。私に似てない。というか気持ち悪い」
「はい。すいません」
「しかしなんでこんなところにあるんですかね? 墳墓が突然空間から沸いて出たとかなら話は通るんですけどね」

 小声で言ったロバーデイクに、3対の白い目が向けられる。

「バカいうなよ」
「――つまらない」
「無茶苦茶な……」
「そこまでいうこと無いでしょう。ちょっと思っただけなんですから」

 ショックを受けた顔で、ロバーデイクが呻く。

「でも――少しだけ楽しみ」
「そうね。この墳墓がなんのためにあるのか。どういう者が葬られてきたのか。知的好奇心が思いっきり刺激されるわよね」
「だな。未知を知るって少しばかりワクワクするものな」


 ◆


 夜空の下、13名のワーカーは一斉に行動を開始した。
 最初の目的は、ナザリックの壁への接近だ。
 全身鎧を着ている者が多くいる中、隠密行動は不可能のように思われるが、それはあくまでも常識の範疇での考えでしかない。魔法という常識を打破する技を使いこなす者が多くいる中、この程度は不可能でもなんでもないのだ。
 まず使用するのは《サイレンス/静寂》。周辺の音を完全に殺す魔法をもってすれば、鎧の軋む音も大地を駆ける音も響かない。
 次に《インヴィジビリティ/透明化》。これによって不可視となれば、通常視野での目視による発見はほぼ困難だ。
 念を入れ、上空には《インヴィジビリティ/透明化》と《フライ/飛行》、さらには《ホーク・アイ/鷹の目》の魔法が掛かったレンジャーが、一行が問題なく壁まで接近できるように周辺の監視を行う。何かあれば即座に対応するため、手には麻痺の効果のある特殊な矢を準備している。

 全員が問題なく壁に到着する。ここまでは予測の通りだ。
 監視している最中、ナザリック大地下墳墓は夜にもなっても、何かが警戒している雰囲気は無かった。警備兵どころか、墓守の姿すら確認できなかったのだ。大体、ログハウスから外に出る影すらなかった。
 そんな警備のザルな墳墓外壁への到着に、これほど魔法を使っての警戒はオーバーすぎるほどだ。これは単純に依頼者への――隠密裏に行動して欲しいという――義理を果たしているにしか過ぎない。
 それと王国から犯罪者として指名手配を受けるのはこりごりだという。

 ただ、ここから先は問題でもある。壁を乗り越え、地表部分の捜索。及び地下墓地内の侵入だ。
 《インヴィジビリティ/透明化》の魔法効果時間が持続している間に、次の手に移る。

 次はナザリック大地下墳墓の内部侵入だ。
 手は2つ。壁を乗り込める方法と、門を開けて入り込む方法である。

 門は格子戸のような隙間のあるタイプである。問題は隙間があるとはいえ、流石に人が潜るには幅が狭すぎるということだ。大きさは4メートル近く。無理に押し開けることは困難だ。さらに壁は一枚の石で出来たかのようなつるりとしたもの。登攀は非常に難度が高い。登攀用具を持ち出し、昇るともなるとそれなりの時間が掛かるというものだ。
 ただ、歴戦のワーカーたるもの、既に計画済みである。

 30センチほどの奇妙な棒が突然、中空に浮かぶとそれが地面に落ちる。それは姿の消えた人間が持ち上げたかのように中空に浮かび、歪んだと思うと突然淡い光を放つ。この特殊な棒――蛍光棒は歪められることで中に入っている錬金術で作られた特殊な液体が混合し、明かりを灯す仕組みになっているのだ。一度落とされたのは《インヴィジビリティ/透明化》の魔法は、発動時に所持しているもの全てに掛かるもののためである。見えるようにするには、一度所持品から手放さなければならなかったのだ。

 数度、光は左右に動くと、役目を終えたといわんばかりに棒は破壊される。光る錬金術溶液は地面に振り掛けられ、土をかけられることで完全に痕跡を隠されてしまう。

 しばらくの時間が経過し、ロープが3本、壁から垂らされた。ちょうど良い間隔に結び目ができた登攀用のロープだ。これは上空にいたレンジャーが、ナザリック大地下墳墓内部から垂らしているのだ。
 そんなロープがギシリギシリと揺れる。
 透明化を見通す目を持つ者がこの場にいれば、ロープを登っていく者の姿を確認できただろう。
 アルシェのような筋肉よりは魔法に長けたスペルキャスターでも、単純な腕力でこの程度の登攀はできる。というよりは出来るように筋肉トレーニングを要求される。

 先頭を行く者が、登りきったところで魔法の詠唱。
 それに続き、ロープが3本、中に向かって垂らされた。その先端は誰が持つでもなく、空中にアンカーでも打たれたように、ピクリとも動かず固定されていた。それだけ見れば非常に脆そうなイメージだが、誰も心配することなく、空中から垂らされたロープを伝って内部に下りていく。

 全員が下りきった段階でロープにかけられた魔法の力は失われ、力なく落ちてくる。そんなロープは纏められると代表となる者が担ぐ。中空に丸められたロープが浮かぶ姿は異様だが、こればかりは仕方が無いことだ。

 こうして13名のワーカーは全員ナザリック内への侵入を果たした。彼らが歴戦たる証拠は、この一連の動作からも判別できる。なぜなら、この間の全ての行動は、互いの姿を見ることが出来ない、音が聞こえないという過酷な状況下で行っているからだ。
 詳細な打ち合わせ、チーム内での互いの行動パターンの把握、信頼。そういったものが無ければ決して行えないような見事な動きだった。無論、1つのチームに関しては支配者と被支配者の関係によって上手く動いているのだが。

 そして、ここで一旦、団体行動は解散となる。
 最初の目的は4箇所ある小型の霊廟である。ナザリックに侵入を果たしたチームは3チームなので、一箇所は調査しないということで決定されている。

 《インヴィジビリティ/透明化》の効果時間が切れ、全員の姿が浮かび上がる。互い互いに軽い挨拶を行うと、全チームは打ち合わせにある自分達の担当する霊廟を目指し、走り出す。
 身を屈め、少しは墓石や木々、または彫刻に姿を隠すように薄暗い墓地を走る。この間も《サイレンス/静寂》の持続時間は続いているので音は立たない。


 ◆


 『ヘビーマッシャー』のリーダーであるグリンガムは霊廟に近づくにつれ、僅かに目を見開く。
 予想以上に立派なものだからだ。

 霊廟はかなりの大きさの建物で、石を積み上げて作られていた。側面の石壁は削ったようにつるつるとしている。建てられてかなりの時間が経過しただろうにもかかわらず、霊廟に雨とかの染みはまるで無いし、風雪による欠けも無い。
 3段ほどの大理石で作られた昇り階段の先には、厚そうな鉄の扉が嵌っていた。扉も錆が無いほど見事なまでに磨き上げられ、黒い鋼の輝きを宿していた。
 どれだけしっかりとした手入れがされてきたかを髣髴とさせる建物だ。

 ――つまりは何者かが手入れをしているのは確実か。
 グリンガムはそう判断し、視線をログハウスのほうに向ける。

 仲間の盗賊が前に進み出ると、ゆっくりと階段から調べ始める。まだ《サイレンス/静寂》が掛かっているために、ハンドサインによる後ろに下がれという合図を受け、ゆっくりと後退することは忘れない。範囲型の罠に掛かるのを避けるためだ。
 盗賊は非常に念入りに調べている。多少じれったいがこれは仕方が無いだろう。

 なぜなら、人の魂は肉体に宿る。そしてその魂は肉体が腐り落ち始めた時に、神の御許に召されるという。そのため死者は直ぐに墓地――大地に葬られるのが基本なのだが、貴族等の一部の力を持った特権階級の場合は少しだけ違う。
 すぐに地面に埋めると、死体は隠されてしまい、本当に腐敗したのかを確認するには掘り返さなくてはならなくなる。そのため、死者が確実に腐りはじめたという目で見える証拠が欲しいため、直ぐには埋めずにある一定時間安置するのだ。この安置場所は流石に自分の家を選ぶものはいない。
 このとき選ばれるのが、墓地の霊廟である。ここに一定時間安置し、腐敗しはじめたところで魂が確実に神の御許に送られたと、神官立会いの下、判断するのだ。
 この安置する場所は基本は霊廟の共有スペースだ。広い場所に幾つも石の台座が置かれており、その上に安置することとなる。幾つもの腐敗し始めた死体が並ぶ光景は、一見するとすさまじいもののようにも思われるが、この世界の一般的な常識からするとごくごく当たり前の光景である。
 ただ、大貴族のような権力と金を持つ者になると、さらに少しばかり話が変わる。このとき使用される霊廟は共有のものではなく、家が所有するもの先祖伝来の場所が使われるのだ。そんな亡くなった権力者が神の御許に召されるまでの間、休む場所――そういったところであるが故に、家系所有の霊廟はある意味、力の象徴である。
 調度品や宝物で飾られることが全然珍しくないほどに。

 つまりは霊廟はある意味、宝物室にも似ている。ただ、それは逆に当たり前なのだが、侵入者除けとして危険な罠が仕掛けられているということ考えられる。いや、これだけ立派な霊廟なら、あるのが普通だろう。それも危険極まりないものが。
 そのためいつも以上に、仲間の盗賊が慎重に調べているのだ。

 階段を調べ終わり、次は扉に取り掛かろうと盗賊が動きだそうとしたころ、突然、周囲の音が戻ってくる。
 《サイレンス/静寂》の効果時間が切れたのだ。ちょうど良いタイミングといえばタイミングだ。盗賊は音を立てずに扉の前まで寄ると、再び念入りに調べ始める。そして最後にコップのようなものを当て、中の音を聞き取ろうとした。

 何秒間かして、盗賊はグリンガムたち仲間の方に頭を数度左右に振ってみせた。
 そこに込められた意味は『何もなし』。
 ヘビーマッシャーの全員が納得の行かない顔をするが、盗賊はやはり頭を左右に振る。盗賊自体、不可思議なのか怪訝そうに幾度も首をひねっていた。
 これほど立派な霊廟が『何もなし』というのは考えにくいということだ。
 しかも鍵すら掛かってないことは謎だが、盗賊がこれ以上不明だというなら、ここからは前衛の仕事だ。

 グリンガムは前に出ると、盗賊が油を垂らした扉に手をかける。その直ぐ後ろには盾を構えた戦士が控える。
 グリンガムは、扉を一気に動かす。ゆっくりと重い扉が動き出す。油を前もってかけていてくれたおかげでか、はたまたはここを管理している者が几帳面なのかは不明だが、重さの割りにスムーズに開いていく。横に控えていた戦士が、開いた扉とグリンガムの間の線上に立って、盾を突き出し突如の奇襲や罠の作動から庇ってくれる。

 何かが飛んでくることも無く、鉄の扉は完全に開かれ、ぽっかりとした暗闇がヘビーマッシャーの前に姿を見せた。

「《コンティニュアル・ライト/永続光》」

 魔法使いによって戦士が構えていたメイスに魔法の明かりが灯される。光量をある程度は自在に操作できる魔法の明かりによって、霊廟の中が顕になった。
 そこは豪華な一室と見間違いそうな場所だった。

 部屋の中央には神殿の祭壇にも使われそうな白い石製の棺。2.5メートル以上はあるそれは、繊細だが派手ではないような彫刻が掘り込まれている。四隅には鎧を纏い、剣と盾を持つ戦士らしき白亜の像。そして――
 
「――あの紋章知ってるか?」
「いや、知らないな」

 見たことの無い紋章が金糸で描かれた旗が、壁から垂れ下がっていた。王国の大抵の貴族の紋章を暗記している魔法使いが記憶にないということは、王国の貴族のものではないと考えるのが妥当だ。

「王国が出来る前の貴族のものか?」
「200年ものか」

 200年前の魔神によって滅ぼされた国は多く、この大陸内で200年以上歴史を持っている国というのは意外に少ない。ワーカーや冒険者達が漁る遺跡というのは、この辺の時代で生まれたのが多いのだ。

「もしそうだとすると、あれほど綺麗な形で残るって、どんな材質のもので編まれているんだ?」
「魔法による保存がされているのでは?」

 互いに疑問を口にする中、盗賊が注意深く中に入り込み、室内を捜索する。
 残った一行は扉には太い鉄の棒を挟み、何かが作動しても簡単には閉まらないようにした。それから内部の明かりが漏れないように、半分以上閉める。盗賊が注意深く内部を伺う間、グリンガムたちも周囲の警戒は怠らない。仕方なしとはいえ明かりを使ったのだ。誰かに見られている可能性だってある。
 やがて、外に動く気配なしと判断する頃、盗賊は旗の下まで到着しており、しげしげと旗を眺めていた。
 そして触り、驚いたように手を引く。

「……こいつはかなりの値打ちだろうな。これ金属の糸を編んで作ったものだ」
「はぁああああ!?」
「んだ、そりゃ?」
「そんな旗あるのか?!」

 驚愕の声が面々から漏れる。そして慌てて全員で旗の下まで近寄ると交互に触る。その冷たい感触はまさに金属のものだ。 

「おいおいおいおい。こんなの聞いたこと無いぞ?」
「俺もだ……」
「なんだよ、この霊廟……。どこの大貴族のものだ? いや、大貴族とかじゃなくてもしかして王家のものか?」

 どれだけ細くした金属でこの旗を作り上げているのか。どれだけの値段がつくものなのか。想像もできない驚きに、ヘビーマッシャーの全員は絶句する。

「持って帰るか?」

 盗賊がどうすると言いたげな顔で他の4人の様子を伺った。最初に驚きから立ち直ったのはやはりグリンガムだ。

「流石にそれは嵩張るだろう。かなりの重量だろうしな。後で取りに来ればいいんじゃないか?」
「了解」

 他の意見が無いことを確認した盗賊は頷き答える。

「捜索した結果だが罠は無論無いし、隠し扉等も無い」
「……ならば、頼むぞ」

 グリンガムが魔法使いに向かって頷く。こくりと了解の意を示した魔法使いは魔法を発動させる。
 
「《ディテクト・マジック/魔法探知》。――魔法のアイテムは感じられないな」

 周囲の魔法の波動を探知する魔法を使った魔法使いの発言に、僅かながっかり感が霊廟内に広がる。それも当然だ。最も高額な宝が無かったのだから。
 魔法の道具は高額である分、単なる強化魔法がかけられた剣でも結構な値段になるのだ。単なる軽量化の魔法の込められたフルプレートメイルだって、それだけでかなりの財産なのだ。

「ならば、後はこいつか」

 目が集まったのは部屋の中央に置かれた石棺だ。

 盗賊がしっかりと調べ上げ、何も無いという評価を下す。
 グリンガムと戦士は頷きあうと石棺の蓋をずらし始める。かなり大きいため、それなりの重量があるかと思われたのだが、逆に想像よりも遥かに軽い。動かし始めた当初、バランスを崩しかねなかったほどだ。
 ゆっくりと石棺の蓋が動き、その中からランタンの明かりを反射し、無数の煌びやかな輝きが放たれた。
 金や銀、色とりどりの宝石といった、無数の光沢を放つ装身具の数々。無造作に散乱するように散らばった金貨の数々。
 旗から予測はしていたとはいえ、グリンガムはその光景に、鎧の下で思わず満面の笑みを浮かべてしまう。注意深く観察した盗賊が手を入れ、無数にある輝きの1つ――黄金のネックレスを取り出す。
 それはやはり見事な一品だった。黄金の鎖で作った単なるネックレスのように見えるが、鎖の部分に細かな彫刻が掘り込まれている。

「……安く見積もっても金貨100枚。場所によれば150枚はいく」

 盗賊による価格鑑定の結果を受け、口笛による感嘆の意志を示す者がいる。ニヤニヤ笑いを浮かべる者がいた。そこにあるのは歓喜だ。

「こいつは……この墓地は宝の山かもしれませんな」
「すげぇな。こいつはとてつもなくすげぇ」
「全くだ。しかしこんなところに宝物置くなんて勿体無いもんだぜ。大切に使ってやるからな」

 そう言いながら、魔法使いが宝の山から大降りのルビーの嵌った指輪を取り出し、宝石の部分にキスをする。

「でっけぇー」

 神官が手を入れ、大振りの金貨の山に手を突っ込む。そしてそれを掬い上げ、手からこぼす。
 金貨同士がぶつかる澄んだ音色が響く。 

「見たことの無い金貨だな。どこの時代のどこの国のものだ?」

 ナイフで軽く傷をつけた盗賊が感嘆するように言う。

「こりゃ、かなり良い金貨だな。重さもなかなかあるし、交金貨の2倍は価値があるな。美術品として見なすならもう少しは行くと思うな」
「こいつは――くっくくく……」

 笑いが止まらないというように幾人かが含み笑いを漏らす。これを全て集めればかなりの金になる。とんだ臨時報酬だ。これだけあれば、1人当たりの分け前は半端じゃないだろう。
 誰もがこの金をどのように使うかについて、考えてしまうほど。

 勿論、誰が所有するか、最低でも王国の管理地だろう場所の財宝を奪うことがどういうことなのか、それぐらいは分かっている。だが、ワーカーというものは冒険者と違い、平然と宝を奪う。そしてその行為に疑問を抱いたりはしない。

「さぁ、お前達。神様に感謝するのは後回しにして、とっとと集めるぞ。これから本命に向かうんだ。遅いと他のチームに先を越される」
「――おう!」

 グリンガムの言葉に威勢の良い返事が返る。それは大金を発見した興奮に満ち満ちたものだった。


 ◆


 ナザリック大地下墳墓。その中央に位置するのは巨大な霊廟だ。周囲は、10メートルほどの鎧を着た戦士像が8体取り囲んでいる。そんなまるで動きかねない戦士像の足元。そこにヘッケランは僅かに身を屈めながら、霊廟の1つの方角を注意深く監視していた。
 しばらくして、霊廟から身を隠しつつ、疾走してくる5人の姿をとらえる。その影の走る姿に異変が無いこと、周囲にそれを発見するものがいないこと。そういった諸々の問題が生じることなく、ヘッケランの元に無事に駆けて来る姿に、安堵の息を吐く。

 ヘビーマッシャーの面々が接近すると、ヘッケラン周辺の音が突然消えるが、これは先ほどと同じ《サイレンス/静寂》の効果範囲に入ったためだ。
 足元から体を出して身振りをするヘッケランの元に、先頭を走っていたグリンガムが走りこむ。そして《サイレンス/静寂》の効果を打ち消したため、周囲の音が戻ってきた。

「おう、グリンガム。遅かったな」
「悪い。おれたちが最後だったみたいだな」

 ヘッケランの言葉を受け、最後に来たグリンガムは軽く謝罪の形に手を動かす。

「まぁ、無事みたいだし、問題は無いさ。ここじゃなんだ、霊廟の中でこれから先どうするか決めよう」

 ヘッケランはグリンガムを先導するように身を屈め、歩き出す。一番にここに来た関係上、ある程度は既に捜索済みだ。

「そっちはどうだった?」

 後ろから掛かるグリンガムの声。そこにあるのは隠し切れない興奮だ。つまりは先ほどのヘッケランと同じ状況ということ。
 ヘッケランはニンマリと笑みを浮かべ、懐に入れた宝の山を思い出す。そして顔だけ後ろに向けるとグリンガムに同じだけの興奮を見せる。

「かなりあったぞ、ウハウハだ」
「そっちもか。この墳墓に来て正解だな」
「まったくだ。どんな宝の山だって言うんだか。ここに葬られてる偉人さんには感謝しないとな」
「これだけ見つけると、中にはあんまり無いかもしれないな」
「いや、俺はもっとあるほうに賭けるね」
「ほほぉ。なら今回見つけた財宝を少し賭けるか?」
「いいねぇ。更に財宝を見つけて、お前さんからももらう。最高だね」

 2人で声を上げないよう、だが、大爆笑というほどのはっきりとした笑みを見せ合った。

 誰かが所有しているだろう墳墓の宝物荒らし。当然犯罪ではあるが、それを気にするような者は冒険者なら兎も角、ワーカーにはいない。もし気にするようなら、ワーカーなんかになっていなかっただろう。

「……あれは?」

 1体の巨像の足元に、石碑と言っても良い物がぽつんと置かれていたのだ。暗くあまりはっきりとは見えないが、そこには何かの奇妙な文字が書き込まれているように思われた。

「あれは?」
「あれか?」

 ヘッケランは闇の中、目を凝らすことで、グリンガムが何を疑問に思ったのか把握する。それはヘッケラン自身先ほど疑問に思った物だ。
 ヘッケランは足を止めずに、霊廟の入り口に向かいながら、調査した結果をグリンガムに告げる。本来であれば魔法を使ってまで得た情報を容易く提供するのはどうかと思われるが、今回に限っては大きなチーム――一応は協力し合う仲間だ。隠すことで全体の不利益に繋がる可能性だってある。それに書かれていた文字の内容は、ヘッケランたちもエルヤーたちも皆目検討がつかなかったもの。もしかするとグリンガムが知っているかもという淡い期待が浮かぶ。

「あれは石碑みたいなもので、文字が書かれていたんだ」
「なんと?」
「知らない言語だったんで、うちのアルシェが先ほど解読の魔法で読んだんだが、『タロスVer2.10』と書かれているみたいだな」
「……なんだそりゃ? この墳墓に関係する言葉なのか?」

 ヘッケランの声はヘビーマッシャーの面々に聞こえていただろう。だが、誰も何も言わないということは誰も知らない可能性のほうが高い。まぁ、こんなものかと、自らに浮かんでいた淡い期待を追い払い、グリンガムの質問に答える。

「アルシェの考えでは。数字が何らかの意味合いを持つんじゃないかってさ。この墳墓内のリドルに関する言葉だと思われるが……まぁ、記憶のどこかに留めておいたほうが良いかも知れないな」
「そうだな。そうしておこう」

 巨像の前を抜け、白い石材によって作り出された10段になる階段を昇ると、そこに霊廟の入り口が広がっていた。やけにひんやりとした空気がそこからは流れ出ている。

「死者の匂いだな」
「ああ。そうだな」

 グリンガムの呟きにヘッケランは同意する。墓場特有の匂いが、その冷気に混じるように僅かに漂ってくるのだ。ワーカーたるもの時折嗅いだことのある匂いだ。それはアンデッドたちが漂わせる匂いにも似て。

 中に入るとそこは大きな広間である。左右には無数の石の台が置かれており、その先には下り階段がある。その先の扉は現在、大きく開かれていた。

「こっちだ」

 ヘッケランの先導でグリンガムたちは階段を下りる。
 階段を下りて直ぐにあるのは大広間だ。まるで外部からの侵入を阻むような作りになっている部屋に、ヘッケランの仲間たち『フォーサイト』と『天武』の面々がいる。ただ、チームの数が1つだけ少ない。

「さて、これからどうする? まだ彼らが来てないようだが……」
「予定の時刻は過ぎているが……」

 ログハウス内の情報を持ってくるチームが今だこない。それは何事かあった証拠。最低でもログハウスの中には誰かがいたのだろう。
 安全策を取るなら一度撤退した方が良い。与えられた時間はまだあるのだ。無理に進む必要は無い。
 しかしながら、ある1つの思いが彼らの思考を奪う。
 
 それは来るまでに手に入れた宝の輝きだ。あの無数の輝きが、頭にこびりつき離れないのだ。

 ログハウスの方でも戦闘があったようには思われなかった。中の人間の茶のみ話に付き合っているのだろう。単に遅れてきているだけだ。
 そうやって、ヘッケランは己の根拠の無い想像に納得する。

「ここで待っていても仕方ないし、とりあえずは中に入ったら各自それぞれの行動を取る。ただし階段を発見しても今日は下まで降りない。こんな線でどうよ?」
「問題ないな」
「こちらもです」
「ならこの先を少しだけ調べたんだが、奥の扉を開けると、その先20メートルほどで十字路になっているんだ。そこで解散して奥を調べるということでどうだ?」
「問題ありませんね」
「了解した」
「うんじゃ、いきますか?」

 ヘッケランの提案は即座に受け入れられる。それは皆同じ思い、同じ欲望に捕らわれているからだろう。そうして彼らは一歩を踏み出す。ナザリック大地下墳墓への第一歩を。
 そして絶望への第一歩を。


 ◆


 時は僅かに戻る。
 『鉄壁』パルパトラ率いるワーカー・チームはナザリック大地下墳墓外周の壁沿いに歩き、ログハウスに近づく。近寄って分かることは、ログハウスは建築的な面では大きさを除けば極普通のものだということ。
 そのため外から観察して思うことは、せいぜい外枠が大きいので、これだけ大量に木を持ってくるのは大変だっただろうということ程度だ。それとしっかりとした作りの所為で、内部の明かりが漏れないため、中に誰かいるのか不明だ。
 正面の門は後門と同じような作りだが、大きく開かれており、役目をこれで果たしているのかという疑問が浮かぶ様だった。
 

 パルパトラは背負い袋から魔法の道具である千変の仮面/カメレオン・マスクを取り出すと、それを被り、顔立ちを変化させる。
 流石に友好的には振舞うが、王国の人間だろうと思われる人物の前に素顔を晒したくはない。それになんといっても既に他のチームが墳墓を荒らしている最中だ。全ての罪を被るようなことはしたくもない。

「行ってくる」

 一行に声をかけ、パルパトラはログハウスに接近する。警戒は怠らないが、流石に家の前に罠が無いか捜索しながら行くのは気が狂っている。
 当然も何事も無くログハウスに到着すると、ドアを強くでは無いが、音がしっかりと立つように数度叩く。それから声を上げる。

「申し訳ない。道に迷った者なんですが、どなたかいらっしゃいませんか?」

 温和そうに聞こえるよう、努力して作った声だ。
 少し待つが、返事が無い。もう一度声を張り上げるべきか、そう判断し、ドアを叩こうとしたところで、ドアが動く。

「ようこそ、お客様っす」

 パルパトラ一行は目を白黒させた。
 というのも、大きなドアを開けたところ――そこに立っているのはメイド服を着た美しい女性だったからだ。
 美という言葉にも色々とあるが、彼女に相応しいのは太陽のような美という言葉だろう。健康的な褐色の肌の持ち主で、ころころと表情が変わる非常に明るい女性だ。年齢的には20になる頃だろうか。
 もし彼女と大貴族の館であったなら違和感なんかこれっぽっちも覚えなかっただろうし、屈強な男や陰鬱な男がログハウスから出てきたなら別になんとも思わなかっただろう。
 しかし、目の前の女性――容姿、格好共に、このナザリック大地下墳墓の脇にあるログハウスにはあまりにも似つかわしく無い。

「どうしたっすか?」
「い、いや、思いがけず美しい女性に会えたもので……」
「うおっ。お世辞がじょうずっすね」

 てへへと笑う女性に、パルパトラの警戒心が僅かに緩む。
 
「ささ、中にどうぞ」
「これは失礼します」
「お仲間の皆さんもどうぞっす」

 中に人がいた場合、他のチームが墳墓内の調査に入り込んでるのを目撃されないよう、足止めをするのも役割の内だ。パルパトラは中に入ることに迷いは無い。
 しかし、全員が入ることは出来ない。当たり前だ。魔法の道具を被ることで顔立ちを変えたのはパルパトラのみ。他の仲間の顔を覚えられるわけには行かない。

 殺してしまえば簡単なのだが……。
 そんな物騒だが、酷く当たり前の考えを一瞬だけ浮かべ、パルパトラは即座に破棄する。依頼主からは騒ぎは起こさないようにといわれているのだから。
 まぁ、どうしようも無くなったら殺すしかないが。

「いや、無骨な面々です。長居はする積もりもありませんし、私だけ御呼ばれするということで」
「そうっすか?」
「ええ。それにあなたみたいな美女は独り占めしたいですから」
「……口が上手いっすね」
「いえいえ事実ですから」

 互いに笑いあう。

「なら、どうぞっす」

 入った部屋はまさにログハウスだ。ただ、かなり天井や部屋等が大きく作られており、外部から予測した部屋数が多いかもという予測は裏切られる。全体的に大きな作りのため、まるで自分が小人になった――そこまで行かなくても背が縮んでしまったような、落ち着かない気分にさせられる。

「ささ、かけてくださいっす」
「ああ、これは申し訳ないです」

 パルパトラは指し示された椅子に腰掛ける。フルプレートメイルを着用しているため、かなりの重さだったためか、椅子がミシリと嫌な音を立てた。そしてメイドはパルパトラの前に座る。

「飲み物欲しいですか?」
「ああ、お構いなく」

 心配はないとは思うが、何か入ってる可能性も考えて飲み物は断る。もはやこの辺はワーカーとして危険な仕事をしてきた者の悪癖のようなやつだ。

「いや、しかしこんな場所にあなたのような美しい方がお1人でいるとは思いませんでした」
「まぁ、今は1人っすけど、いつもじゃないっすよ?」
「そうなんですか? ……確かにご格好はメイドのようですが、もしよければご主人様に合わせてもらえればと思うんですが」
「……ご主人様っすか」

 ぴたりと口を閉ざしたメイドを見て、パルパトラは一体何が不味かったのかと考える。何も怪しい行動はしていないはずだ。

「……無理だと思いますよ。私のご主人様はお忙しい方ですから」

 突然口調が変わったメイドに対し、パルパトラは警戒感が強まるのを感じた。しかし、ここに来たのは出来る限りの情報を入手すること。ここで下がっていては仕方が無い。

「……そうですか。ところでご主人様は王国の貴族か何かで? ここを管理されているようですが」
「貴族? 違いますよ」

 メイドの目がゆっくりと細くなった。その瞬間パルパトラは寒気を感じる。前に座っているのは単なる人間のメイドだ。腕も細く、首だって細い。パルパトラが攻撃を仕掛ければ容易く命を奪えるだろう程度の。
 しかし、何故か。パルパトラは前に座っているのが巨大な獣であるかのような予感を覚えたのだ。

「……一体、何をされているので?」
「この墳墓で支配者をやっています」
「支配者……?」

 言われた意味が一瞬だけ理解できずに、パルパトラは目を白黒させる。

「そうです。支配者です。ナザリック大地下墳墓の支配者、アインズ・ウール・ゴウン様。それが私の主人の名前ですから」

 微笑む姿は非常に美しい女性のもの。しかし、その下に――その皮一枚の下に何か棘のようなものがある。
 ぎょっとしたパルパトラに、ニコリとメイドは笑いかける。

「……お忙しいといいましたけど、今頃侵入者を如何するかで忙しいんだと思います」

 椅子が倒れる音が響く。それはパルパトラが急に立ち上がったためだ。
 そしてパルパトラはドアに向かって走った。そしてドアを力いっぱい開いた。

 転がり出るようにドアから飛び出したパルパトラに、仲間達が驚きの声を上げた。

「不味い! 罠だ!」誰何の声を遮り、パルパトラは怒鳴る。「直ぐにメッセージの魔法で連絡を取れ。撤退を提案するんだ」

 パルパトラがログハウスから離れるように動きつつ怒鳴る。目はドアに向けられ、メイドが出てきたら即座に対応するつもりだ。

「……無理だ。何か妨害がされている」

 仲間の魔法使いの発言に、パルパトラは目を丸くし、即座に考え込む。

 考える中身はたったの1つだ。
 見捨てるべきか、はたまたは最低限の努力をしてみるべきか、である。

 時間的にも今頃は中央の霊廟に入り込んだ頃だろう。門をぐるっと回って宿泊地に向かうか、大墳墓を横切って向かうか。横切って向かうなら途中にある霊廟で少しだけ努力しても構わないだろう。

 他のチームのために命をかける気はしないが、それでも最低限の努力はしてやるべきである。
 というのもワーカーは冒険者のように後ろ盾やサポートをしてくれる存在がいるわけではない。確かに貴族等力ある存在が汚れ仕事等用にパトロンとなってくれる場合はあるが、それでも冒険者のように仕事柄完全に心を許すことはできない。
 そんなワーカーにとって最も信頼できるのは、ライバルである他のワーカーなのだ。確かに仕事を奪い合い、時には殺し合いに発展することもある。ただ、命や恩の貸し借りはワーカーが絶対視するものの1つだ。そんなため、ワーカーの風潮で、恩を仇で返すようなワーカーは最も嫌われ、寝首をかかれても仕方が無い存在だというのがある。

 ちらりとパルパトラはログハウスを睨む。あの女を締め上げて情報を吐かせると言うのも1つの手だ。しかし、情報を吐き出させるまでの時間を考えると非常に惜しい。

「霊廟に向かう! 続け!」

 暫し考え、結論を出したパルパトラが走り出し、正面の門を駆け抜ける。他のメンバー達もパルパトラの後ろを続く。恐らくは色々な考えがあるだろうが、リーダーの言葉に即座に従うのは良いチームの証拠だ。


 墳墓を駆け抜け、中央にある大きな霊廟への階段を駆け上る。
 そしてそこに誰もいないことを確認したパルパトラは、正面に開いた扉から中を伺う。薄暗く、地下に伸びる階段には人の気配を一切感じさせない。

「撤収するぞ! ばれてる!」

 大声で怒鳴った。
 パルパトラの声が内部で反射し、異様な音となって響いていく。パルパトラは耳を澄ませる、それに帰ってくる声は一切無い。

「パルパトラ! 下に幾人か女が来たぞ?」

 霊廟の入り口で、下を警戒していた仲間が報告の声を上げる。
 パルパトラの脳裏に浮かんだのは先程のメイドだ。まるで巨大な獣と対峙したような怖気を感じた。だが、それでも逃げ切れる自信はあった。

「戦闘が考えられる。防御魔法をかけてくれ。それから行こう」

 すべきことはした。
 パルパトラはゆっくりと武器を構える。


 パルパトラたちが霊廟の階段を降り、墓地に出るとそこにはメイド服を着た女性達が立っていた。その数は4人。
 誰もが非常に美しく、それがゆえに異常さが際立っていた。

「また会ったすね」
「…………掃討開始」
「止めなさい。シズ。アインズ様のご判断は数名は生きたまま捕まえろということよ。最後にできればという言葉がついていたけど」
「…………了解」
「……肉団子」
「……エントマも駄目よ」
「このごろ美味しい肉団子を食べてません。ルプーもそうでしょ?」
「私は揚げた芋でいいっすね。確かに肉は大好物っすけど、エンちゃんと同じものは……」
「…………合成溶液」
「いや、あれまずいっす。ミルクみたいな色だから味もそうに違いないと思った、私の期待感を返せっす。まぁ口つけたから我慢して全部飲んだっすけどね?」
「…………実はあれカロリーめちゃ高。およそ15食分」
「まじっすか!」

 ガツンとガントレット同士が思いっきり強く叩きつけられ、メイドの1人の内心の感情を意味する音が大きく響く。

「――それぐらいにしなさい? 歓迎されて無いとはいえお客様の前よ」
『はい!』

 3人の声が綺麗に調和する。敬礼しそうなほど、ぴしっと背筋を伸ばした他のメイドたちに満足したのか、代表と思われる、ガントレットを填めたメイドがパルパトラたちに正面から向き直る。

「……さて、初めまして。ボク……失礼しました……私はアインズ様に仕えるランドステュワードたるセバスの直轄メイド――それの代表を務めさせていただいているユリ・アルファと申します。短いお付き合いになるとは思いますが、お見知りおきを」

 女性――ユリは優しく微笑む。恋に落ちたとしてもおかしくは無い、そんな魅力的な微笑だ。一瞬だけ惚けそうになるが、即座に意志を強く持ち周囲に目を配る。

「アインズ様はこうお伝えするようにおっしゃっていました。『ナザリックを漁らなかった君達には生きて帰るチャンスを与えよう。ここから外に出ることが出来たなら、それ以上は決して追わない』と」

 圧倒的強者の弁。
 上位から下位を見るような物言い。
 言葉の端々にある優越感。
 パルパトラたちからすれば非常に不快なものだ。少しぐらい痛い目を見せてやりたいと思うぐらいに。しかしながら外見からとは裏腹に、メイドが強者なのではというワーカーとしての感が叫ぶ。そのため、パルパトラたちは何も言わずに睨むだけだ。

「そして皆さんのお相手をするのは――」
 
 ユリがガントレットを打ち鳴らす。高く響く金属音に会わせ、墓地が揺れる。

「――ナザリック・オールド・ガーダー、出なさい」

 ゆっくりと大地を割って、8体のスケルトンが姿を見せた。
 スケルトン自体は大したことが無い敵だ。パルパトラ達であれば何体でも相手に出来る。恐らくは数百体に襲われても恐怖すら感じないで、作業のように滅ぼせるだろう。
 それを考えれば地面より出てきた、たった8体程度のスケルトンなんか、敵ではないはずだ。

 しかし、今、目の前に姿を現したスケルトンたちは違う。
 パルパトラの仲間達が一斉に唾を飲み込み、無意識のうちに1歩下がる。

 どこかの国の親衛隊が使用しそうな立派なブレストプレートを着用し、紋章の入ったカイトシールドを持ち、その手には各種多様な武器を所持している。背中にはコンポジットロングボウを背負っていた。
 その手に持つ武器に盾、そして纏う鎧。それらの全てに魔法の力を感じさせる輝きを宿していたのだ。

「マジックアイテムを所持させているのか……」
「ありえんな。まったく」
「甘く見れないということか」

 口々に仲間たちが呟く。
 マジックアイテムで装備させたスケルトンが、単なるスケルトンのわけが無い。特に魔法の武器でも特殊な効果を持つ武器はかなりの高額だ。
 パルパトラたちですら各員1個持つのがギリギリぐらいだ。それを8つ。並大抵の財力では出来ないことだ。それともこの墳墓の主人が作成しているのか。

「皆さんの数的に、この程度で充分だと思われます。ご安心を私達は決して手を出しません。あなた方がこれらのアンデッドを突破して脱出できたら勝利です」
「光栄だな。これほどのアンデッドで相手にしてくれるとは。しかし――」

 パルパトラは考える。
 いくらなんでも、これほどのアンデッドを無数に用意することは容易くないはずだ。この程度の充分、そして外に出たら追わないという発言から考えると、予測される答えは1つだ。

「――これがナザリックの最大戦力か? この程度で俺達を止められるとでも?」

 パルパトラの質問に、僅かにユリが動揺したように目を動かせる。
 
 図星か。
 そんなユリを見て、パルパトラはそう判断する。

 侵入者に対し、外に出たら追わないという発言は奇怪極まりないものだ。だが、突破されたら打つ手が無いと考えれば理解できる。恐らくは中にいる他のチームの対策に追われてそこまで余力が無いのだろう。あとは強者っぽいメイドがどの程度いるかは不明だが、先程の発言からメイド長とも言える存在が今ここにいて、その数しか率いてないということを考えると、さほどの数はいないだろう。
 メイド4人、魔法の武具を装備したスケルトン8体。いてその倍ぐらいというところか。

 出口となる場所にかなりの兵力を集める。非常に賢い考え方だ。ならばしなくてはならないことは1つだ。

「ここにいる全てのスケルトンを倒した上で突破すれば良い、違うか?」

 後から続くだろうチームのために、ナザリックの最大戦力であるだろう、ナザリック・オールド・ガーダーは撃退すべき。そんな考えである。
 後のチームが脱出できたとしても、疲労した状態でここでぶつかったら勝てるかどうかは運次第になるだろう。それならばまだ全然疲労していないパルパトラが殲滅するのが、最も貢献した戦いかたというものだ。
 無論、ナザリック・オールド・ガーダーという初めて遭遇するアンデッドが、どの程度の強さを持つかは不明だ。しかしながら絶対に対処しきれないほどの強さではないはずだ。
 それが如何してかというと数にある。
 はるかに強いなら8体もの数はいらないだろう。もしもっといたなら、その全てに魔法の武器を持たせるだけの、財力等の力を持つことが可能というのか?

「――馬鹿馬鹿しい」

 これで全力、いや最低でも過半数だというならまだ理解できる。

「皆、あれで全部だと思うか?」
「流石にアレだけの武装をしたアンデッドがもっといるというのは考えにくいな」
「まぁ、ナザリック内部にはあと何体かいても不思議ではないけどなぁ」
「奴らを倒して道を開くとしようか」

 決意を強く固めたパルパトラたちに、少しばかりユリは驚いた顔をする。そんな答えは計算外だったのだろう。

「まぁ、そういう突破の仕方もありますね。応援してます、では頑張ってください」


 ◆


 ユリたちは困った表情で、必死に応援を繰り返す。
 あまりにも想定外な光景に困惑も隠せなかった。まさかこれほど……、そういった思いがあったのだ。

「いや、まじいっすね」
「…………これほどとは思ってもいなかった」
「コキュートス様もびっくり」
「このままじゃ……全然良いところがなく終わっちゃう」

 ユリたちの見ている前でハンマーが振り下ろされる。

「ありゃ、不味いなぁ。あれ戦士死ぬっすよ」

 胸部に雷撃を宿したハンマーの一撃を受けて、戦士が崩れ落ちる。金属がきしむような音と重い物が倒れる音。激しい戦闘が続くこの中にあっても、非常に響き渡る。

「神官さん。早く治癒魔法かけないと戦士が死んじゃいますよ」
「…………無理。今ので戦線が崩壊した」

 心配そうに呟くユリにシズが頭を横に振って答える。
 先程まで戦士が抑えていた2体のナザリック・オールド・ガーダーが自由となり、1体が神官に、1体が後衛に回ろうとしている。先程から2体受け持っていたところに更に追加の1体が入ることとなるのだ。もはや神官に魔法をかける余力はまるで無い。3方向から襲い掛かってくる攻撃を凌ぐので精一杯だ。

「盗賊では火力不足ですね。何か切り札を持ってないんでしょうか?」

 魔法使いを守って戦っている盗賊が、更に追加で1体を受け持つ形となった。これで2体だ。硬い鎧を纏うナザリック・オールド・ガーダーに盗賊の持つ軽目の武器ではあまりにも決定力に欠ける。なんとか身軽に回避しているが、疲労する人間と疲労しないアンデッドの差は大きすぎる。

「なんだか泣きそうな顔でこっち見てますね」
「手でも振っておくっすか?」
「それぐらいで良いんじゃないですか?」
「おっけっす」

 パルパトラにニコニコと笑いながらルプスレギナは手を振る。

「…………当たった」
「ルプーが注意力を散漫させるから」
「うぇー。私が悪いんすか?」
「…………頑張れ」
「そうね。彼らにも頑張って欲しいわ」

 ユリの言葉にその場にいたメイド、全員が頷く。

 パルパトラのワーカーチームとの戦闘は終始、ナザリック・オールド・ガーダーが押し捲っている形だ。もはや無駄な抵抗としかいえないような戦いっぷりは見ているユリたちのほうが哀れみを感じていた。
 最初は戦闘前の自信はなんだったのだ? とか笑っていたのだが、あまりにも良い所が無い戦闘のため欠伸が混じりだし、今ではパルパトラたちを応援しているのだ。

「いや、ここまで一方的だとなんとも言えないっすね」
「…………スペルキャスターの切り札は何か無いのかな?」
「さっき唱えた召喚魔法じゃないかな?」
「第3位階?」
「いや、あれが切り札は弱すぎでしょ。ただ、一気に召喚モンスターで壁を作ろうという考えは良かったと思うな」
「確かにっす。攻撃が届かなければ多少は立ち直しが効いたかも知れないっすからね」
「でも次の飛行の魔法を使う手段は駄目よね」
「逃げるつもりなのか、上空から魔法を使うつもりなのか不明だったけど……」
「…………射殺対象として良いマト」

 魔法使いは既に致命的な一撃を受け、地べたに転がっている。誰かがフリーになれば治癒の魔法なりポーションなりを使って戦列復帰が可能なんだろうが、今は誰にも余裕というものが無い。
 結果、盗賊がカバーに入って止めを刺されないようにするのがやっとだ。

「しかし何で彼らはこれしかいないと思ったのかな?」

 ユリにはなんとなくだが彼らの思考が読めていた。
 例えとしては不適切で変かもしれないが、つまりはこんなことである。

 親しい友人に、君に興味のある異性がいるから連れて行きたいと言われ、うきうきとした気持ちで飲み物を用意していたとしよう。そして友人が来たとき、連れてきた異性が8人もいたら、どう思うだろうか。
 まだ、あと5992人いると思うか。それともこんなにいるのかと驚くのか。さらにこれ以上の絶世の美形たちがいるとか考えていられるだろうか。
 ようは驚きで思考がパンクしたのだろう。
 いや、自分の都合の良い方向に物事を考えてしまったということもありえる。これは彼らが馬鹿なのではない。絶望から目をそらす為、自らの勇気を奮い立たせるため。人間の生存本能が最大限に働いたためかもしれないのだから。

「どうにせよ、絶望的っすね」
「そうね。ジリひんだわ」
「手段としては他の盗人どもが戻ってくるまで、防御に徹することで時間を稼ぐというのはどう?」

 エントマに全員のしらけた視線が突き刺さった。

「戻ってこれるはずが無いじゃないっすか」
「…………自明の理」
「無理よね」

 苦痛に塗れた悲鳴と共に、何かが倒れる音。4人のメイドは音の生じた方を向き、がっかりしたように話す。

「あ、盗賊も倒れた」
「こりゃ、勝負あったっすね」
「やっぱ、さっきの段階で命乞いを聞いてあげるべきだったんじゃ……」
「いやあそこまで自信満々だったのよ? 何か企んでると思うでしょ、普通」

 盗賊が撒き散らしたであろう血の濃厚かつ新鮮な匂いが、メイド達の元まで届く。

「美味しそう……」

 まるで顔を動かさずにエントマが呟くと、ギチギチギチと異様な音が顎の下辺りから響く。

「よしなさい」

 嗜めるのはユリだ。
 アインズから受けた命令は死体の回収だ。絶対なる主人の命令に理由を尋ねる必要は無い。そのため目的はまでは知らないのだが、エントマに食べられた死体を持っていくわけにもいかないだろう。

「新鮮なお肉……」
「アインズ様にあとで尋ねてみるから、今は我慢しなさい」
「しかし逃げ切られるか、どうかの実験のつもりだったんですよね?」
「そうみたいっすね」
「コキュートス様は追いついて殺せると計算されていたみたいだけど……」
「……正面から戦うとは……」
「相手の戦力を分析しないとこうなるってことね。さぁ、生き残っているのは拷問室送り、死んだのは……アインズ様にご報告しましょう」


 この夜、こうして『鉄壁』パルパトラ率いるワーカー・チームは姿を消すこととなる。



 ■



 十字路で各チームそれぞれ違う道を選んだのだが、エルヤー・ウズルスが選んだのは最も奥に向かうだろうと思われた、真正面の通路だ。
 途中石造りの扉や無数の曲がり角があったのだが、適当に選択して黙々と墳墓内を歩いている。その間、何も無いのが非常に退屈である。モンスターどころか罠1つ無い。
 この道は外れだったか。そう思い、エルヤーは舌打ちを1つ打つ。

「ノロマが。早く進みなさい」

 エルヤーは立ち止まりそうになった10メートル先を進ませるエルフの奴隷に、強い口調で命令を下す。エルフの奴隷は一瞬だけ体を震わせると、とぼとぼと歩き出した。彼女にはこの墳墓に入ってから、殆ど立ち止まることを許さないで歩ませ続けている。
 それは言うまでも無く、命取りにも近い行動だ。
 現在のところ幸運にも何事も無く進んではいるが、下手に罠があったら彼女の命は失われる可能性が高いだろう。
 そんなエルフの奴隷に捜索させながら歩かせているというよりは、鉱山に持ち込むカナリアのような使い方である。別に前を歩く彼女に、技能が無いわけではない。エルヤーのチームはエルヤー自身と3人のエルフの奴隷よりなる。レンジャー、プリースト、ドルイドの技術を持つエルフだ。

 そんなレンジャー技能――捜索するスキルを持つ彼女の使い方としては、あまりにも勿体無い命令の仕方である。

 しかしこれには彼なりの理由がある。

 それは単純に前を歩くエルフに飽きたのだ。
 これだけを聞けば多くの者が驚くだろう。それは倫理観の問題ではなく、金銭的な面での驚きだ。
 
 スレイン法国の奴隷商との取引は、安い金では全く無いのだ。特にエルフの外見や、所持している技術によって金額が跳ね上がる。大抵の場合、エルフの女性は目が飛び出るような額の付く商品であり、一般市民では到底手の出せない領域での取引されることとなる。
 技能持ちエルフともなれば、特殊効果を保有する魔法の武器一本分ぐらいの額になるだろう。それはエルヤーでさえ、そうぽんぽん買うことの出来る金額ではない。
 しかし『天武』での報酬はエルヤーが独り占めしているので、上手く物事が進めば意外に早く回収が出来る。だからこそ飽きたなら、死んだとしても惜しくない使い方が出来るのだ。

 ――今度はもう少し胸のある女が良いですね。

 エルヤーはとぼとぼと歩くエルフの後姿を見ながら、そんなことを思う。

 ――胸を強く握り締め、悲鳴を上げさせるのが楽しいのですから。

 今回の依頼は幾つものチームとの共同ということもあり、数日間、一切エルフを抱いていない。別に抱いたとしても誰からも文句は出ないだろうが、不快感は生じるだろう。それがどれだけ不利益に繋がるかという、エルヤーもワーカーとしての常識ぐらいはわきまえている。
 そのため溜まった欲望が、そんな考えをエルヤーに抱かせた。

「次のには、あの女みたいなのを希望してみますか」

 エルヤーの脳裏に浮かんだのは『フォーサイト』の1人。エルヤーを不快な目で睨んできたハーフエルフだ。

 非常に不快な女である。隣にもう1人少女とも言えるような女性がいたが、別にあの娘に不快げな目で見られるのは仕方ないことだとエルヤーも納得する。しかし、人間よりも劣るであろう生き物が、人間様にあのような目を向けることは許されない。

 思い出すだけでエルヤーの端正な顔に怒りの炎が浮かぶ。それを伺い、隣で歩く2人のエルフは怯えたように身を震わす。
 その怒りが自分達に向けられることを恐れたのだ。エルヤーはこんなダンジョンの中でも平然と殴りつけてきたりする男なのだから。
 さらには自分達と同じような存在が増えることへの哀れみ。そして増えるということは、自分達の誰かが殺させるかもしれないという恐怖もあった。

「あの不快な顔を抵抗しなくなるまで殴ってやりたいですが……」

 それは無理な注文だ。奴隷のエルフは使用者の手に届くまでに、様々な手段で完全に心を砕かれている。そんなエルフの奴隷が反抗できるはずが無い。
 想像の中でイミーナの顔を数度殴っていると、前を歩くエルフが立ち止まっていることに遅れて気付いた。

「何故、止まるんですか? 歩きなさい」
「ひぃ……あ、あの音が聞こえます」
「音ですか?」

 勇気を振り絞って答えるエルフに対し眉を顰めると、エルヤーは全神経を耳に集中させる。辺りは静まり返っており、聞こえそうなのは静寂さが生み出す音のみだ。

「……聞こえませんね」

 ただ、エルフの聴覚は人間よりも優れている。エルヤーに聞こえなくても、エルフには聞こえている可能性が高い。確認の意味で隣にいる2人にも問いかける。

「お前達はどうですか?」
「は、はい、何か聞こえます」
「き、金属のぶつかる音みたいです」
「ほう。……そうですか」

 金属音が自動的に起こることはまず有り得ない。
 ならば、何者かが立てている音。つまりはこの墳墓に入ってから初めての戦闘になる可能性があるということ。それを考えると、わくわくとした気持ちがエルヤーに浮かぶ。

「その音の元に行きますよ」
「は、はい」

 エルフの奴隷に先行させ、音のあったという方角に近づく。それにつれ、徐々にエルヤーにも聞こえてきた。
 それは確かに金属音。
 硬いものと硬いものが激しくぶつかり合う音。さらには裂ぱくの気合などの喧騒。それは戦闘をしているときに起こるもの。

「別のチームですか?」

 浮かんでいた喜悦にも似た感情に水をかけられたように、エルヤーはため息をつく。

「まぁ、いいでしょう。もしかしたら援軍ということで戦えるかもしれませんし」

 徐々に目的地に近づくにつれ、エルヤーは違和感を覚える。戦闘にしては変だと。まるでこれは――

 エルヤーの疑惑は角を曲がったとき氷解した。
 そこはかなり大きい部屋となっていた。天井までの高さにして6メートル以上。広さもかなりのもので、何十人もが走り回っても問題ない広さだ。そんな室内にいたのは立派な鎧に身を包んだリザードマンが10体。巨大なタワーシールドを持ち、血管でも走っているかのような、真紅の文様が走る黒色の全身鎧を着た巨躯が1、そして最後の1人――。

 エルヤーはその最後の1人に引きつけられるものを感じた。

 人間の戦士だろう男だ。体躯は中肉中背。大して強い印象を抱かせない。
 仕立ての良い服の上からは、鈍い光沢を放つチェインシャツを着用している。
 黒髪は適当に切られているために長さは整ってない。そのためぼさぼさに四方に伸びていた。赤眼は鋭く。だが、今は驚きのためか僅かに丸みを帯びていた。
 外見的にはさして強い印象を受けない。若干、真紅の瞳に珍しさを感じる程度。
 だが、何よりエルヤーがひきつけられたのはその腰に下げた刀、そして体の安定感の良さだ。

 リザードマンたちは黒騎士と対峙しながらも、手を止め、荒い息を吐きながら、エルヤーたちを不思議そうに眺めていた。そして男は若干離れたところで、その対峙を観察するような態度。

 エルヤーの疑問への答え。
 それは模擬戦である。リザードマンが黒騎士と戦い、男は立ち位置的にも指導官というところだろうか。これなら戦闘と勘違いしてもおかしくは無い。

「こんなところまで……侵入者か?」

 男が怪訝そうにエルヤーたちを眺め、腕を組む。堂の入った姿勢だ。この中では黒騎士とこの男が最も腕が立つのだろう。
 エルヤーはリザードマンを視界から外す。リザードマンはどれもエルヤーより弱いし、さらには人間以外の種族をエルヤーは好きではないから。
 男に真正面から視線を向け、エルヤーは持っていた刀を肩に担ぐようにする。

「ここの方ですか? 今まで誰も迎えに来てくれなかったから、こんな深くまできてしまいましたよ」
「来訪者が来るとは聞いてないんだがな?」男は考え込むような顔をしてから、深いため息をつく。「……第1階層とはいえ、ここまで無事にこれるわけが無い。お前さん、ここまで誘導されたんだろうよ。とりあえず、今現在の受けている命令はここにいるリザードマンを鍛えろなんでな。即座に後ろを見せて出て行くなら気にしないぞ?」
「そんな寂しいことを言わないでください。ここまで誰とも戦っていないから退屈でしょうがなかったんです。あっと遅れました。エルヤー・ウズルスです。お見知りおきを」
「ああ、ブレイン・アングラウスだ」

 男の軽い態度には、エルヤーという帝国でも名の知れた剣士と対峙した驚愕といった感情は無い。
 その態度に自分を知らないのかと、エルヤーは一瞬だけ怒りから眉を顰める。しかしながらこんな場所に住むものでは知らなくて当然かと、男――ブレインの無知を許そうとする。だが――

「……ブレイン?」

 ――どこかで聞いた名だと思い、そしてその名前を記憶という棚から引き出す。
 そして即座に思い至った。
 見る眼が無かった男――グリンガムが言っていた、自らよりも強いと評した男の名前だと。

 あの時の会話は奴隷のエルフの使った魔法によって盗み聞きしていたのだ。だからこそ、自分よりも聞いたことが無い、ブレインとかいう男を上に評価されて腹を立てたのだ。その怒りのぶつけどころは魔法を使っていたエルフだったというわけだ。

「ああ、知ってますよ。あのガゼフに負けたとか言う」
「うん? ……知ってるのか。……懐かしい話だな」

 僅かに遠い目をするブレイン。そこに執着する色は無い。
 つまりは勝てないことに――及ばないことに納得した者か。
 エルヤーはブレインの態度にそんな判断を下し、この負け犬が、と内心で嘲笑する。その考えが表情にも浮かんでいたのだろう。

「お前は何も知らないんだな」

 エルヤーに話しかけた、ブレインの瞳に宿った感情は哀れみだ。

「昔の俺もお前みたいな奴だった。天からの才能に溺れ、そして敗北を知り、強さを求めた。最強と――誰にも負けない強さを求め、当面の目的はガゼフを打ち倒すことだった……」そこで大きくため息をつく。「ただな……俺もお前も――所詮は人間としての強さを極めつつあるにしか過ぎないんだよ。本当の強さというものは、そういうものとは桁が違うんだ。……本当に強いというのはそんなものじゃないんだ」

 フルフルと力なく頭を左右に振る。

「ご主人様であるシャルティア様には触ることすら出来なかった。コキュートス様は俺の開発した最速の武技を見て、遅すぎるがそれが本気なのかと呆気に取られた。アウラ様は単純な戦闘能力ではシャルティア様以上だと聞く。そしてこのナザリック大地下墳墓の主人、全ての守護者の方々が傅くお方、アインズ様に至っては1つの湖を完全に凍らせるのだぞ?」

 後ろに控えているリザードマンが、うんうんとブレインの話に相槌を打つ。

「強いというのはそういうことなんだ。俺達――人間ごときでは決して到達できない領域に御座します方々。そういう方々が持つ強さこそ、最強と呼ばれる類のものなんだ。俺達のは……強さ? 最強? 笑ってしまう。そんなものは子供が棒を振り回すようなものだ。天才? 天稟? そんなもの人間の領域の言葉にしかすぎないんだよ。アインズ様や守護者の方々の前ではくその役にも立たない。あっそ、で終わりだ。……だからな、自害しろ。そうすれば自分は強いんだという希望だけを抱いたまま、絶望を知らずに逝ける」
「――くっ、くはは、ははははは!」

 エルヤーは爆笑をもらす。ブレインが真面目な顔で何を言うのかと思って、黙って聞いていれば笑い話だったとは。

「ははははぁ、はぁ、はぁ」あまりの哄笑に息を切らせ、それを整えながらエルヤーは言う。「笑わせないでください。そいつはあなたに才能が無いからでしょうよ。だから負けたんです。私は違いますよ。その証明として、このナザリックの支配者であるアインズって奴も倒してさしあげますよ、この刀でね」

 ゆっくりと刀を抜き払う。
 無論単なる刀ではない。『神刀』と呼ばれる属性を持った一級品の武器だ。今回の仕事の報酬で得た金で魔法を込めるつもりのため、まだ魔法は付与されてないがそれでも鋭い切れ味はエルヤーに自信をもたらす。
 遥か南の都市より流れた、この武器。これをもってすればブレインの言うアインズという者も倒せるだろう。エルヤーはそう確信する。

「大体湖を凍らせるって、常識的に考えてありえないでしょう。それともどれだけ小さな湖なんですか、それ」
「……余計なお世話だとは思うし、信じられないのも理解できるのだが、アインズ・ウール・ゴウン様が視界に入る、湖の全てを凍らせたのは事実だ。あの方々の力は世界すらも歪めるレベルだぞ?」
「あの方々の強さはおそらくは神様とかそういうレベルだと思うぜ?」

 ブレインの後方で立つリザードマンたち。最も腕が立つだろうと思われる黒い鱗のリザードマンと片腕の太いリザードマンが話しかけてくる。それに対しエルヤーは辛らつに言い返す。

「黙りなさい、爬虫類。知恵の無いあなた方には何も聞いてません」

 リザードマンたちが憮然とした雰囲気で黙ったのを見て、エルヤーはふんと鼻で笑う。爬虫類風情が人間に話しかけるな。そう強い感情を発露しながら。

「大体、神とか……馬鹿じゃないんですか?」
「……ナザリック大地下墳墓はその辺のモンスターを捕まえて、国を滅ぼしてくださいといったら、軽く成し遂げるような存在が多くいる場所だぞ。そしてアインズ様はその頂点に立たれる方だぞ? そんな方が神であったとしてもおかしくは無いと思うがな。そして、そんな方を倒す……本気でそう思っているのか?」
「無論。私の剣の才を持ってすれば必ず出来ること」

 大体、神とか――例えにしても笑ってしまう。
 もしこれがドラゴンとかを例えに出されれば、凄く強いのかとも思ったが、いくらなんでも――

「神は無いでしょ。神は」

 くくくと笑うエルヤー。それに対し、ブレインは深いため息をつく。

「何の根拠も無い自信……愚かとはこういうことか……。シャルティア様に戦いを挑んだ俺はこんなにも愚かだったのか……。まるで自分の無様な鏡だな……」

 さらに続けて、何かを言おうと口を開きかけたところで、真紅の瞳を大きく見開く。それは突然、上位者から声を掛けられた者が浮かべる驚きだ。

「――コキュートス様!」

 空中にお辞儀をするブレイン。ある意味滑稽なその姿にエルヤーはあざ笑い、リザードマンは緊張のあまり背筋を伸ばす。
 コキュートスから《メッセージ/伝言》の魔法を持って下される命令を受諾し、ブレインはエルヤーを始めて敵と認識した目で眺める。

「これからお前のその増長を打ち砕く。そういう命令が来た」
「そうですか、出来るものならどうぞ? そうですね、ハンデとして全員で掛かってきても問題ありませんよ?」

 ブレインはなかなかの強者。そして黒騎士も同等か。かなり遅れて、氷で作ったようなシミターを持つ黒い鱗のリザードマン。その次が片腕の太いリザードマンだろう。
 少々厳しいものがあるが、エルヤーに負けるかもという考えは無い。
 一度も負けたことが無い、天凛の持ち主。だからこそできる考えだ。

「……お前達も後ろで何もせずに見てろ。実際、あいつはお前達では勝てないし、それにコキュートス様の命令は俺が戦うところを見せろ、だ。それとデス・ナイトさんはリザードマンを守ってやってください。こいつらに何かあったらかなり不味いことになります」

 リザードマンに命令を下し、デス・ナイトに依頼をし、ブレインは自らの腰に下げた刀を抜き放つ。
 エルヤーはその刀身を見た瞬間、魂を吸い込まれそうになる。
 綺麗な作りなのだ。刃紋はぼんやりと輝いているようで、それに対比し地の部分は深みある黒色。

 エルヤーは自らの刀と内心比べて、激しく嫉妬する。自らが持つものよりははるかに上の武器だと判断して。
 もし金額にしたらどれほどになるのか。どれだけの強い魔法が――特殊能力を保有しているかで金額は変わってくるだろうが、それでも数万はいくだろうか。

「良い刀ですね。あなたを殺したら頂くとしましょう」
「出来るものならどうぞ……だったな?」

 先程のエルヤーの言葉を真似したブレインの物言いに、舌打ちを1つ。

「ならば、そうさせてもらいましょう!」

 エルヤーが走り出し、ブレインも走り出す。お互いの体重を込めた一撃が、火花を散らす。

 片側が攻撃、片側が防御。そして次に攻撃した側が防御し、防御した側が攻撃をする。そんなゲームのような戦い方が現実であるはずが無い。
 攻撃して攻撃して攻撃をする。それが勝つための戦いだ。

 刀同士がぶつかり合う。
 重く高い金属音が響き渡る中、刀に込められた相手の動きや狙いを読み、少しでも有利になるように動く。刀身に沿って刀を走らせたり、即座に引いて突きに切り替えたりという具合にだ。
 そうすることで結果、効果的なダメージを与えるチャンスが生まれてくる。

 エルヤーとブレインの戦いもそういうものだ。
 刀がぶつかり合うと同時に、即座にフェイントを交えながら、互いの隙を突こうと動く。そして再び刀がぶつかり合う。

 刀がぶつかり合う音が止まずにどこまでも続く。いや、あまりにも激しく続くために、まるで1つの金属音が長く響くようだった。

 有利なのはエルヤー。確かにブレインも見事な動きはする。しかし一瞬だけ動きが遅く、判断に時間が掛かる。それはこのレベルの戦いであれば致命的だ。
 数十度の互いの武器の交差を得て、ブレインの体をエルヤーの持つ刀が斬りつける。
 しかしながらやけに硬質なチェインシャツに阻まれ、切り傷を与えるには至らない。チェインシャツ越しに鈍器で殴ったような、軽い打ち身を与えるのがやっとだ。
 そのため、エルヤーはブレインの顔や手といった肌を露出している箇所を攻撃しようとするが、流石にその辺りはガードが固く、胸や肩といったところを中心に攻撃を繰り返す。

 数度。
 ブレインの体をエルヤーの持つ刀が殴打した頃、と、と、と、という感じで後退するブレイン。絶好の機会だというのにエルヤーは追撃をかけない。それは自らとブレインの剣の腕の差を認識したからこそ来る余裕のためだ。

「大したことが無い!」

 エルヤーは強く断言した。
 短い時間の攻防だが、刀を交えたお陰でブレインという男の実力をほぼ完璧に把握したためだ。そこそこは強いが、この程度の強さなら幾人も下してきた。その程度の強さだと理解して。

「確かにやるな」

 それに対し、ブレインは素直に賞賛する。しかしその褒め言葉を受けてもエルヤーにとっては喜びを感じるものではない。弱者の賞賛なんか飽きるほど浴びてきたのだから。それよりは弱者の嫉妬や憧れといった感情を向けられる方が強い喜悦を感じられる。

「……この程度で私より強いとは……あの男、やはり目が腐っていましたね」

 エルヤーはこの場にいないグリンガムの見る眼の無さをあざ笑う。

「……俺の剣技はかなり落ちたからな。この肉体になったとき、急激に失われてしまったよ。昔に比べて半分程度かね」

 エルヤーは不思議そうに顔を歪める。ブレインの言っている意味が理解できなかったからだ。まるで肉体が変化したような奇妙な物言い。ただ、その意味は直ぐに理解することとなる。

「だから……人では無いものとして、これから戦うとするぞ?」

 ブレインが僅かに身構え、踏み込む。

「なっ!」

 豪風。ブレインの踏み込みはまさにそんな言葉が相応しい。先の踏み込みをはるかに凌駕した動き。人間というくびきから解き放たれたかのような速度だった。
 その踏み込みから続く、白き閃光のごとき速度で振り下ろされる刀に、何とか視認できたエルヤーは負けじと刀をあわせる。
 刀と刀がぶつかり、甲高い音で――刀が悲鳴を上げる。その2つの刀がぶつかるあまりの勢いに、刀身が僅かに欠け、火花と共に飛び散った。

「ぐぅ!」

 エルヤーは歯を噛み締め、軋む手で次のブレインの一刀に合わせ、刀を振るう。
 再び、火花が飛び散り、金属音が響き渡る。

 再び、と、と、と、という感じでブレインが後退する。
 やはりエルヤーは追撃しない。ただ、これは先程の理由とは大きく違う。
 ろくに刀がもてないほど、ビリビリと手が震えるためだ。もしもう一撃あったら、無様にも刀を落としていただろう。
 エルヤーは愕然とする。ブレインの人間を超越したとしか思えないような、その圧倒的な肉体能力を前に。
 もし巨人のような巨躯であったり、桁外れなほど筋肉が隆起していれば、今の速度も腕力も納得がいっただろう。しかし、ブレインの肉体は中肉中背。いくら鍛えた肉体だからとはいえ、あれだけの力は常識から外れている。
 そんな驚愕の表情を隠しきれないエルヤーに、皮肉っぽい笑みをブレインは向ける

「技術を失い、肉体能力を得た。こういうことだ」
「き、汚いぞ! 何をした!」
「汚い? ……本気で戦いだしただけだが?」
「嘘を言うな! そんな肉体能力があるものか! 魔法を使っただろう!」

 魔法を使ったからといって何か問題があるわけではない。逆に持っているものを使ったとして、何か問題があるだろうか。ブレインはエルヤーのまるで豹変したような態度に頭を傾げる。

 エルヤーからすればブレインの肉体能力の向上――それはまさにイカサマだ。全ての剣士はエルヤーに負けるために存在するのに、今、ブレインはエルヤーを凌駕した。それは決して許されるものではない。

「おまえら! 何をぼうっとしてる! 魔法をかけろ! 1人であんな力が出せるものか! 誰かに魔法をかけてもらったからに違いない!」
「……おいおい。1対1じゃないのかよ」そこでブレインもあることを思い出す。「まぁ、確かにシャルティア様に頂いた力といえば力か……」
「な、なんだ。やはりイカサマか! 汚い奴め! はやく奴隷ども魔法をかけろ!」

 エルヤー――自らの主人からの命令に慌てて、エルフたちが魔法をかけ始める。
 肉体能力の上昇、剣の一時的な魔法強化、皮膚の硬質化、感覚鋭敏……。無数の強化魔法が飛ぶ中、ブレインはその様を黙って見つめる。
 幾つもの魔法による強化がされていくにしたがい、エルヤーの顔に再び軽薄な笑みが浮かびだす。

「馬鹿が! 余裕を見せたな! お前が勝つにはとっとと攻撃するしかなかったのにな!」

 膨大な力がエルヤーの体を走る。
 今までこれだけの魔法による強化を受けたとき、敗北したことは決してなかった。それがどれだけ強大な敵でもだ。
 ブンと刀を振るう。通常よりもかなり早くなった剣閃だ。これならブレインにも互角……いや互角以上に戦えると自信を持って。

「……シャルティアとかいったか。お前のご主人様」
「そうだ。この世界で最も美しい方だ」
「そうか。それならお前の首を持って会うとしよう。そしてねじ伏せて犯してやろう」
「――ふふははははは!」

 爆笑。
 心の底から可笑しいと、ブレインは大爆笑する。ブレインの後方、リザードマンたちもその顔に苦笑とも哀れみとも読み取れるような笑みを浮かべている。

「な、なにがおかしいぃい!!!!」

 笑うことはあっても笑われることがほぼ無いエルヤーにとって、ブレインの哄笑は決して我慢できるものではない。そのため自らの主人を犯すといわれて、ブレインが何故爆笑したか、それにも思い至らない。

「いや、本当に……ふははははは!」
「糞が!」

 ブレインの哄笑はしばらくの間続く。エルヤーは憎憎しげに睨むが攻撃しようとはしない。今ここで攻撃して一撃で殺してしまっては、後悔させる時間が無いからだ。必死の抵抗を打ち破って殺してこそ、自らの不快感は拭われるというものだ。
 やがて、息が切れたようにブレインの笑い声は止まった。

「いや、本当にお前は一流の道化だな。俺ですらここまでは酷くなかったぞ? ……とはいえ、俺の最愛の主君、輝ける黒い花たるシャルティア様への侮辱、見過ごすわけにいかん」ブレインの目が煌々と輝く。真紅というよりも血の様などす黒い輝きだ。口が開き、やけに尖った犬歯が突き出される。それは人間のものではない。「ここからは全力を出させてもらおう、ニンゲン」

 その変貌。人にあらざる狂相。
 エルヤーも冒険の中、見たことがある。

「ヴァンパイア!」
「ご名答」

 簡潔に答えると、ブレインは刀を腰に戻す。チン、と音が響く。

 ヴァンパイア。
 ブレインの人間という生き物から逸脱した力の根源を理解し、エルヤーは急速に浮かびつつある不安を押しつぶそうと努力する。
 ヴァンパイアは強いモンスターだ。確かにエルヤーなら1対1での勝負であれば勝ちを拾える。ただ、それは剣技を知らない単なるアンデッドの場合だ。ヴァンパイアの肉体能力や特殊能力に技術、さらには魔法の装備まで備えた場合はどうなるというのか。
 いや、負けるはずがない。
 エルヤーは頭を軽く振り、生まれた不安を追い払う。

「そうだ! 俺が負けるはずが無い!」
「──滑稽だな。吼えれば不安が消えてなくなるとでも思うのか? まさに昔の俺だな」

 ニンマリと、血に飢えた獣が浮かべそうな笑みを見せるブレイン。

「舐めるなぁあ! ブースト!」
「ブースト2!」

 通常魔法による強化の場合、最も強い効果のものが意味を発する。しかし武技の場合は別の効果と見なされ、累積することとなるのだ。2つの武技による強化。それはエルヤーの肉体機能を極限まで上げ、今のエルヤーは小さな巨人とも言うべき肉体能力を得た。
 一般的に知られてる武技であれば、ブレインも理解できる。

「効果時間のある肉体強化の武技か。ならば準備は整ったということか。では、こちらも最大の力で相手をしよう」

 ブレインはゆっくりと腰を落とす。
 抜刀の構え。
 それを目にしたエルヤーは内心笑う。確かに刀に自信を持つ剣士ならば刀での戦いを望むであろう。ならば待ちに徹し、刀の届く距離に入った瞬間、最速で斬りつける抜刀は良い手だ。
 しかし──エルヤーにはそれは意味の無い行為。

 エルヤーは自らの武技を発動させる。

「ファング!」

 刀を振った延長上に放たれるのは風の刃。
 それは陽炎のような揺らめきを残しつつ、高速でブレインに飛来する。そして回避をしないブレインの胸部を切り裂く──。
 武技『ファング』によって生じる風の刃の斬撃力は、放つ者の渾身の一撃をかなり弱めただけの破壊力を持つ。通常であればさほど破壊力は生まれないのだが、現在のエルヤーの一撃は想像を絶するものだ。かなり弱めたといえどもチェインシャツぐらいなら両断しかねない斬れ味を持つ。
 しかし、驚愕に目を見開いたのは攻撃したはずのエルヤーだ。

「なんだと!」

 両断されると思ったチェインシャツは今なお健在。それだけではない。例えチェインシャツによって斬撃を防いだとしても、生じる衝撃までは消せないはず。しかし、姿勢は崩れず、ブレインの表情には笑みすら浮かんでいる。
 思い出さなくてはならないのは、ヴァンパイアの特殊能力。その中のある武器耐性だ。
 神刀であれば貫けるはずのそれだが、ファングという武技によって生み出された風の刃には、貫通するだけの力はない。ただそれでも風という特殊要素によるダメージは存在するが、それも高速治癒でほんの数秒で癒される程度である。

 結局、ファングではダメージを与えても、致命傷にはほど遠いということだ。

「ちくしょうが!」

 己の必殺の一撃にも匹敵する技。それを持ってしても殺せないことにエルヤーは激しい怒りを覚える。

「悪いな。その程度避けるまでも無い」

 ブレインの挑発じみた発言に、エルヤーの全身から火が出そうなほどの怒りがこみ上げる。その反面、脳の一部が冷静に戦略を立て始める。ヴァンパイアでも神刀の一撃は耐えられないはずだ。ならばこの一撃を心臓に正確に叩き込めばよい。しかし、ブレインの取るあの構えは待ちの構え。踏み込んで刀を振るうでは、先手を取られることは明白。
 ではどうするか。

 エルヤーは再びファングを放つ。
 狙いは一点。
 ブレインの目に真空の刃が叩き込まれた。両目を潰されたブレインめがけ、エルヤーは走る。

 人を超えた知覚能力を持つヴァンパイアといえども、最も頼っている感覚器官は視覚である。その視覚を潰されてしまえば、流石のヴァンパイアといえども回避は困難極まりない。

 されど誰が知ろう。
 ブレイン・アングラウスという男が、ガゼフ・ストロノーフという男に敗北を喫したため、再び戦ったときに勝つために開発した武技の名前を。

 その武技の1つ『領域』。それよりヴァンパイアの肉体能力をもって生まれた『神域』。
 それは半径6メートル。その内部での全ての存在の行動の把握を可能とするもの。この武技を使用している間は仮に1000本の矢が降り注いだとしても、自らに当たるもののみを切り払うことで無傷での生還すら可能とする。そして離れたところにある小麦の粒ですら両断するだけの精密な行為すらも容易いそんな武技。
 それは言うなら、知覚領域の結界。

「スラッシュ!」

 両目を潰されたブレインに、エルヤーの武技が迫る。
 武技によって速度を増した刀の一撃は確かに人の領域を超越したもの。だが、しかし――

「――遅い」

 ブレインの冷たい言葉。その言葉がエルヤーの耳に届くよりも早く、ブレインのもう1つの武技が発動する。
 それは――

「――神速2段」

 エルヤーの放った武技を倍する――否、数倍する速度での刀が腰から放たれる。エルヤーの目には光が走ったようにしか思えなかった。外から見ているリザードマンからすれば何が起こったのか理解できないそんな速度だ。
 常識外の速度を持って放たれた刀は2度、エルヤーの体を通り抜ける。
 
 一瞬の空白――。

 遅れて、エルヤーの刀を持つ手がずるりと動く。そして床にやけに重い音とともに肘の辺りから切断された手が落ちた。持っていた刀は落ちた衝撃で根元から折れる。
 いや、違う。
 折れたのではない――ブレインの武技によって切断されていたのだ。

「――見たか。これが俺の最速の剣」それからブレインは寂しそうに呟く「……ちなみに本気を出されていないときのコキュートス様の通常攻撃の速度でもあるんだな、これが」

 バシャバシャと大量の液体が床を叩く中、喪失した――心臓の鼓動にあわせ血を噴き上げる右腕を、エルヤーは呆けたように見つめる。

「ひゃ、ひゃ、ひゃ……」

 ようやく状況を完全に把握したのか、引きつるような声が上がる。腕より昇ってくる激痛。そういったものがエルヤーに混乱をもたらしていた。

「うで、うでがぁぁああ! ち、ちゆ、ちゆをよこせ!! はやくしろ!」

 エルフに向かって割れ鐘のような声で叫ぶエルヤー。しかしエルフたちは一切の動きを見せない。その瞳にあるのは歓喜である。今まで虐げられていたものの暗い喜びだ。

「はぁ、目を見ろ」

 ブレインは戦意を喪失したエルヤーに近寄ると髪を掴み上げ、正面から真紅の瞳を覗かせる。
 次に糸が切れたように暴れなくなったエルヤーの首に手をかけ、喉を圧迫する。エルヤーの意識が数秒で失われたのを確認し、ブレインは部屋の隅においてあったポーションを持ってくるようにリザードマンに指示を出した。
 本来であればリザードマンの傷を癒すためのものだが、ここでエルヤーを殺すわけにもいかない。そう、コキュートスに命令を受けたのだから。

「さてと」

 ブレインはただ黙ってエルヤーを眺めているエルフに向き直る。
 エルフたちに動きは無い。ただ、そのどんよりと濁った瞳の中に愉悦の色が浮かんでいた。
 
「あー、お前達、このあと死ぬかもしれないぞ?」

 侵入者を捕縛せよ、生死に係わらず。ただ、なるべくなら生きたまま捕まえよ。それがコキュートスより与えられた命令でもある。エルフも侵入者。温情ある判決があるかはまさに神――アインズのみぞ知るだ。
 ブレインのそんな言葉に対し、エルフは何も返さない。
 ブレインはエルフの瞳を覗き込み、はんと吐き捨てる。
 それは受け入れた者の瞳。ブレインが野盗と共にいた頃、浚われてきた女達が数日後に見せていたもの。

「つまらん目だ」

 自らに与えられた指令からすればこのエルフを殺す必要は無い。そして今の光景はコキュートスが見ているはず。ならばブレインにこのエルフに対して何かすることはない。
 刀を鞘に収め、リザードマンたちに向き直る。

「さて、充分な休みも取れただろう。訓練を始めるぞ?」


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