「押し返せ!」
かび臭さと死の匂いが充満する玄室に、グリンガムの怒鳴り声が響いた。
部屋の大きさは25メートル四方か。天井までの高さは5メートル以上はあるだろう。そんな部屋には魔法使いの作り出した魔法の明かりと床に落ちた松明に照らされ、溢れんばかりの人影があった。
部屋の隅に追いやられているのがグリンガムたち『ヘビーマッシャー』の面々だ。そしてその他の玄室を覆いつくさんばかりの存在はゾンビ、そしてスケルトンからなる低位のアンデッドの群れ。
その数は数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど。
そんな死の濁流をグリンガムと盾を持つ戦士が2人で正面から受け止め、後衛に回さないための堤防となっていた。
グリンガムのフルプレートメイルにゾンビの振り回す手がぶつかる。死体となったことで通常の人間よりは力が出せるとはいえ、鋼の鎧を傷つけることが出来るはずがない。腐敗し脆くなった手が砕け、腐敗臭を放つ分泌物がフルプレートメイルに付着する。
スケルトンもまた同じだ。手に持つ錆びた武器ではフルプレートメイルを貫けるはずが無い。
無論、偶然という言葉がある。場合によっては攻撃が抜ける可能性だってあるだろう。そんな雰囲気がまるで見られないのはその身に掛かった防御魔法のお陰だ。
グリンガムは手に持つアックスでなぎ払うが、1体倒れても直ぐに別のアンデッドが開いた穴を埋めようと向かってくる。そしてそのまま押しつぶそうといわんばかり距離を詰めてきた。
「ちくしょ! 数多すぎるだろ!」
グリンガムの横で盾を構える戦士が苦痛の声を漏らす。全身をすっぽり覆うほどの盾のため、一切の攻撃が体には触れてないが、盾は汚い液体で完全に覆われている。
メイスでゾンビやスケルトンの頭を砕いているが、やはり圧力に負けるようにゆっくりと後ろに下がりつつある。
「一体、これほどの敵何処から現れたんだよ!」
戦士の疑問も当然だ。
グリンガムたちは十字路で分かれてから幾つかの部屋を捜索。残念ながら霊廟のような宝物は発見できなかったが、幾つかの部屋で少なくない額の宝を発見しつつ、牛歩の歩みで少しずつ探索を繰り返していた。そしてこの部屋に入り、同じように捜索をしようとし始めたとき、部屋の他の扉が不意に開くと、一体何処から現れたという数のアンデッドが流れ込んできたのだ。
ゾンビやスケルトンなど大した敵ではない。しかしながらその数はまさに暴力だ。
もし引き倒されたり、覆いかぶされたりした場合、死なないでも身動きが出来なくなってしまうだろう。そうなればアンデッドの群れは後衛に襲い掛かる。
流石に後衛もそう簡単には負けないだろうが、この数の暴力の前だと少々不安がある。
このままでは致命的なミスで戦線が崩壊する。そう判断したグリンガムは、温存しようと思っていた力を解放することを決定する。
「一気に勝負をつける! 頼む!」
その言葉を聞き、今まで投石を繰り返していた後衛が動き出す。
元々、グリンガムたちヘビーマッシャーからすれば、この程度のアンデッドなら敵でもない。ただ、敵でもないからこそ、力を出来る限り温存しようと後衛が待機していたのだ。
後衛が動くならこの程度のアンデッドの掃討は容易いのだ。
「我が神、地神よ! 不浄なりし者を退散させたまえ!」
聖印を握り締めた神官の叫び声が、力となる。不浄な空気に満ちた玄室に、まるで爽やかな風が通り抜けたような清涼感――通常よりも強い神聖な力の波動が生まれた。神官のアンデッド退散能力の発動だ。
それに合わせ、神官に近かったアンデッドたちが一気に崩壊し、灰となって崩れ落ちる。
アンデッド退散は互いの実力に圧倒的な差がある場合は、退散ではなく消滅させることが可能となる。ただ、多くのアンデッドを消滅させようとなると、飛躍的に困難になっていき、それだけの力を必要とするのだ。
40体近いアンデッドが一気に崩壊したのは、それだけグリンガムの仲間の神官の力が優れているということに他ならない。
「吹き飛べ! 《ファイヤーボール/火球》」
魔法使いから火球が放たれ、アンデッドたちの群れの中央で爆発する。炎が一瞬だけ上がり、その範囲にいたゾンビやスケルトンが偽りの生命を焼き尽くされ、崩れ落ちる。
「まだまだ! 《ファイヤーボール/火球》」
「我が神、地神よ! 不浄なりし者を退散させたまえ!」
再び範囲攻撃が放たれ、アンデッドの数は激減する。
「行くぞ!」
「おう!」
盾を捨て、メイスを両手で構えた戦士と共にグリンガムはアンデッドの群れに殴りかかる。魔法使いたちに任せれば掃討は容易なのにグリンガムたちが突撃する理由は、出来れば魔力は温存して欲しいというのが本音だからだ。特に神官のアンデッド退散は使える回数が決まっている技。対アンデッドに特化したクラスについている人物だからこそ、この墳墓においては切り札になりかねないのだから。
動く死体の集団に飛び込み、グリンガムは斧を振るう。血というよりはドロドロの液体が、斬り飛ばした体の部分から――心臓が動いていれば吹き上がっただろうが――死体であるために勢いなくどろりと流れ落ちる。切断面から吐き気を催すような悪臭が漂うが、我慢できないほどではない。
いやもはや鼻はバカになっている。そのため、さほど問題になる臭いではない。
戦士と協力し、攻撃して攻撃して攻撃する。防御なんかは当然考えてもいない。
魔法の補助があり、硬い鎧に身を包むからこそ出来る。そして弱いアンデッドが相手だからできる無理矢理な突撃だ。
時折グリンガムの頭部を殴られた衝撃が走るが、しっかりとした鎧であるために衝撃は吸収され、首に掛かる負担も殆ど無い。胸や腹を殴られたとしても、やはり大した衝撃は感じない。
戦士と共にグリンガムが腕を振るうたびにゆっくりとだが、確実にアンデッドの群れは駆除されていく。後衛を襲おうとしたアンデッドは盗賊と神官によって倒されていく。
部屋の床が腐った死体と骨の欠片によって覆われるころ、動くアンデッドの影は無くなっていた。
「ふぅー」
グリンガムのため息に合わせ、全員が息を吐く。流石に負けないとは思っていたし、後衛は途中から見守るだけだったが、それでもこれだけの数のアンデッドを相手にすると精神的な疲労はかなりある。
「さぁ、扉を閉めて休息を取ろう」
「それよりはこの部屋から離れた方がいいんじゃないか? 酷い匂いだと思うんだよ」
「違いない。それに何でこの部屋に入ったときに襲われたか謎だしな」
「全くだ。アンデッドの姿なんか今まで全然見なかったし、気配も感じなかったぞ? 一体何処から沸いて出たって言うんだ」
確かに、とグリンガムも納得する。
この部屋の出入り口は3つ。グリンガムが入ってきた扉と、その他に2つ。アンデッドはこの3つの扉から流れ込んできたのだ。そう、グリンガムたちが通ってきた扉からも。
それにこの酷い部屋で休む気はどうもしない。それに鎧にこびりついた、どろりとした液体をせめて布で清めたいものだ。これだけの悪臭の液体だ、拭うだけでは恐らく気休めだろうが、それでも一張羅だ。少しは綺麗にしておきたい。
「では、移動を――」
そこまで言葉にして、グリンガムは口を閉ざす。仲間の1人、盗賊が口に指を1本あて、耳を澄ましているからだ。
グリンガムも耳を欹て、そしてコツリ、コツリという何かが規則正しく叩く音を聞き取る。
全員の視線が音のした方――グリンガムたちが入ってきた扉の方に向けられる。
「敵……だろうな」
「ああ、音は1つだものな」
全員でゆっくりと武器を構える。先頭に立つ戦士は盾を構えると、その後ろに半身を潜める。魔法使いは明かりの込められた杖を扉に突きつけ、即座に魔法を放つ準備をしている。神官は聖印を掲げ、盗賊は弓の狙いをつける。
コツリ、コツリという音が大きくなり、扉からその姿を見せるものが1体。
豪華な――しかしながら古びたローブで、その骨と皮からなる肢体を包み、片手には捻じくれた杖――これが音を立てていたのだろう。
骨に皮が僅かに張り付いたような腐敗し始めた顔には邪悪な英知の色を宿していた。体からは負のエネルギーが立ちこめ、靄のように全身を包んでいた。
そんな死者の魔法使い。その名を――
「――リッチ!」
いち早くモンスターの判別に成功した魔法使いが叫び声を上げる。
そうだ。その姿を見せたモンスターの名を――リッチ。
邪悪な魔法使いが死んだ後、その死体に負の生命が宿って生まれるという最悪のモンスターだ。今までの知性の無いアンデッドモンスターとは違い、宿した英知は常人を凌ぐほどだ。
グリンガムたちはリッチと聞いて瞬時に戦闘態勢を変える。細かく説明すれば、一直線上に誰も並ばない。そして範囲魔法を警戒し、ある程度の距離を置くということだ。
リッチはかなりの強敵でありAクラスで微妙、A+クラスで互角という存在である。グリンガムたちでは少々厳しいという相手だ。ただ、幸運なことに今回の構成メンバーにはアンデッドに対しては素晴らしい強さを発揮できる仲間がいるというのが心強い。
そして距離をとられれば非常に厄介だが、この距離であればかなり有利に戦闘を持っていけるだろう。
「墳墓の主か!」
グリンガムはそう判断する。リッチは死者の魔法使いであり、アンデッドを支配する側の存在だ。時にはアンデッドの群れを支配し、生者とも場合によっては取引をする。
1つの廃城を支配する有名なリッチがいるぐらいである。
そんなリッチであればこの墳墓の主だといわれても可笑しいことはまるで無い。
「おれたちが大当たりか、超らっきー!」
「別に墳墓の主人をやることが依頼じゃないっていうのによ!」
「ヘビーマッシャーのパワー見せてやるか!」
「神の加護を見せようぞ!」
口々に他の仲間が吼える。リッチという強敵を前に、恐れを吹き飛ばす意味での咆哮だ。
「防御魔法――」
決意を決めた仲間たちにグリンガムは作戦を叫ぼうとし、違和感に襲われる。その違和感の発生源は即座に分かる。目の前にいる強敵、リッチだ。
「……どうしたんだ?」
「不意をうつ……つもりじゃないよな?」
リッチはグリンガムたちを視認しながらも、一切何か行動しようという気配をみせない。杖を持ち上げることも、魔法を唱えることもだ。ただ、黙って眺めている。
これにはグリンガムたちも困惑を隠せない。即座に戦闘に入るだろうという予想を崩されたのだから。しかし先手を取って攻撃することは二の足を踏んでしまう。
確かにアンデッドは生きる者に敵意を持つ。しかしながら一部の知恵を持つものとは、交渉することが出来るのも事実だ。大抵の場合は不利益な取引となるのだが、時にはアンデッド側からの取引ではるか昔の、失われたアイテムを得る場合だってある。
なによりリッチほどの強敵なら、交渉でどうにか出来るなら交渉で終わらせるべきだろう。例え、多少の不利益を被ったとしても。
それらを考慮すると先手を打って攻撃するのは、あまりにも浅はかな行動としか言えない。それは交渉の可能性を完全に破棄する結果に繋がるのだから。
グリンガムたちは互いの顔を伺い、同じことを考えているという結論に達する。
そしてチームリーダーであるグリンガムが口を開いた。
「あのー、交渉したいのだが……」
リッチはそのおぞましい顔をグリンガムに向けると骨ばった指を唇に当てる。
意味は――静かにしろ。
リッチにはあまりにも似合わないジェスチャーだが、強者に対してそんなことを言えるほど勇敢――いや、自暴自棄ではない。
グリンガムは素直に口を閉ざす。そして静まり返った室内に一種類の音が聞こえてきた。
グリンガムは耳を疑う。
聞こえてきた音はコツン、コツンという何かが床を叩く音。それも複数――。
グリンガムたちは全員で顔を見合わせる。聞こえてきた音から想像される答えが信じられなくて。
そして――
「ぶぅううう!!」
――全員が一斉に吹き出した。
「誰だ! あのリッチが墳墓の主だって言ったのは!」
「ふざけんなよ! あんなのありえねぇだろ!」
「おいおいおいおいおい――勝てるわけないから!」
「いくらなんでも神の加護にだって限界がありますよ!」
ゆっくりと入ってきたのはリッチ。それも6体を数える。最初から部屋にいたものもあわせれば計7体。リッチという最強クラスのアンデッド・スペルキャスターがその数である。これだけいれば1つの小都市を攻め落とすことすら可能かもしれない戦力だ。
確かに同種の存在である以上、攻撃手段は統一されている。つまり完璧に全ての攻撃を無効化にする手段さえそろえれば、7体全て倒せるのも道理だ。
しかし、そんな手段をそろえているわけが無いし、そろえられるわけが無い。ならば小都市を落とせるかもしれない存在と正面から戦いあうしかないということ。
絶対に勝算が無いこの状況下、グリンガムたちから、もはや戦意というものは完全に失われた。
『では、はじめるか』
交渉する気のまるっきり皆無な、リッチのそんな言葉に合わせ、ゆっくりと杖が持ち上がる。それを悟ったグリンガムの咆哮が響く。
「撤退!」
その言葉を待っていましたといわんばかりに、チームの全員が走り出す。目指したのはリッチが入ってきた扉とは違う扉だ。2つあるが先頭を走る盗賊が向かう方に全員で走る。無論、その扉の先がどうなっているのかとか考える余裕は無い。リッチの群れというありえないような敵から少しでも生き残れるチャンスを得ようと行動するだけだ。
一行は開け放たれていた扉を駆け抜け、走る。
先頭は盗賊。そのあとをグリンガム、魔法使い、神官、戦士という順だ。これは特に考えた結果ではない。たまたまそうなったという順である。
一行は走る。扉を抜けて出た通路。迷うことなく走る。
曲がり角。本来であれば罠やモンスターの存在を警戒すべき場所だろうが、後ろから足音がする中、注意深く観察をする余裕は無い。運を天に任せ、駆け抜ける。
通路の左右には石で出来た扉があるが、開けて飛び込む勇気はわいてこない。
金属鎧を纏う者が走る、けたたましい金属音が通路に響く。
《サイレンス/静寂》をかければよいのだろうが、そのためには立ち止まる必要がある。後ろからリッチが追ってくる足音が聞こえる中、流石にそれだけの余裕も無い。
走り、走り、走る。もはや自分達が何処を走っているのか。さっぱり分からない。
幸運なことにモンスターと一切遭遇せずに、そして罠に掛かることなくここまで来られたことが救いだ。
「――まだ、後ろから来てるか!」
走りながらグリンガムは叫ぶ。答えたのは最後尾を走る戦士だ。
「いる! 走ってきてる!」
「ちくしょ!」
「走って追っかけてくるなよ! 飛行の魔法使って来いよ!」
「飛行してきたら、連続で魔法が飛んでくるだろ、ばか!」
「小部屋に閉じこもって、交渉を――」
息も絶え絶えに魔法使いが叫ぶ。この面子の中で最も体力が無い彼は、もはや倒れそうな雰囲気だ。
不味いとグリンガムは判断する。魔法使いの体力的にこれ以上は持たない。
リッチのようなアンデッドモンスターは疲労というものはない。このままでは追い詰められ、体力がなくなった一行はゆっくりと殺されていくだけだ。
「なんで、リッチがあんなにいるんだよ……」
常識で考えればありえない話だ。リッチほどの強大なアンデッドが、他の同程度の強さを持つアンデッドと仲良く共存するというのが。
「この墳墓の主はリッチより強い奴なんですかね!」
考えられる答えはそれしかない。しかし、そんなアンデッドいるというのか。グリンガムはその答えが出せない。
「ちくしょう! このくそったれ墳墓が!」
ぜいぜいと切れる息を吐き出し、最後尾の戦士が怒鳴った。
その瞬間を待っていたように、床に光の紋章が浮かび上がる。それはグリンガムたち全員を範囲に捕らえられるほど大きなものだ。
「なっ!」
誰の声か、悲鳴にも似た声が響き――
――一瞬の浮遊感。そしてグリンガムの視界は漆黒の世界によって包まれる。そして足元からはペキパキという何かを踏み砕いた音と共に、ゆっくりと体が沈んでいく感触。まるで沼に落とされたような感覚だ。
静寂のみが支配する漆黒の世界。
グリンガムはそれに飲まれたように、小さな声で尋ねる。
「……誰かいるか?」
「――ここだ、グリンガム」
即座に、仲間の1人――盗賊の声が返る。それもさほど遠くない距離。恐らくは先程走っていたときの間隔程度だろう。
「他には誰かいないか?」
返事は戻ってこない。予測できた答えだ。明かりが無い時点で魔法使いはこの場にいないことは想像がつくし、そうなると魔法使いより後ろにいた神官や戦士がいない可能性が高いのだから。
盗賊だけでもいたのは幸運だと思うしかないだろう。
「……俺達だけみたいだな」
「みたいだな」
一歩も動かずに周囲の雰囲気を伺う。深い闇は何処までも広がり、自分達が完全に闇に飲み込まれたような恐怖感が湧き上がる。
誰も動く気配は無いが――
「明かりをつけるか?」
「それしかないよな」
動くこと――行動することでこの静寂を破壊するのでは、罠が発動するのでは、そんな無数の不安が浮かぶが、残念ながら人の目では闇を見通すことは出来ない。どうしても明かりは必要だ。
「じゃぁ、ちょっと待ってくれ」
盗賊の声がするほうから闇の中、ごそごそと何か動く気配がする。そして明かりが灯る。
手に持った蛍光棒を高く掲げた盗賊の姿が最初に目に入る。そしてその光を反射する無数の輝き。それは霊廟で見た宝物の輝きを思わせる。
だが――違う。
グリンガムは湧き上がりそうになる悲鳴を堪える。盗賊もまた引きつるような表情を見せた。
無数の輝き。それは室内を完全に埋め尽くす蟲――それはゴキブリとよばれる種類のもの――の輝きだ。この部屋は小さなものでは小指の先、巨大なものでは1メートルを超えるサイズのゴキブリで埋め尽くされているのだ。それも何重にもなって。
足元で割れるような感触はゴキブリを踏み潰していったものだ。そして見れば腰の辺りまで埋まっている。それはどれだけゴキブリが積み重なっているのか、想像もしたくない。
室内は広いのか、壁際まで明かりが届かない。蛍光棒の照明範囲が15メートルだということを考えれば、この室内の広さがどの程度かおおよそ理解できる。天井を見れば明かりが届いているのだろう。無数のゴキブリの群れが光に照らし出されていた。
「なんだ……よ、ここ」
盗賊が喘ぐように呟く。気持ちはグリンガムには良く理解できた。声を上げると動き出しそうな予感を覚えたのだろう。
「一体何が起こったんだよ?」
「……落とし穴じゃないのか?」
盗賊が怯えたように周囲を見渡す中、グリンガムは漆黒の世界が広がる前の、最後の光景。足元に浮かび上がった光の魔法陣を思い出し、盗賊に尋ねる。
「そりゃない。アレはもっと別の何かだ」
「ならば転移関係の……」
有り得ない……いや、転移魔法は当然ある。例えば第3位階の《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》などだ。それ以外にも当然ある、それは――
「――確か第6とか第5位階のどちらかに全員を飛ばす転移魔法があったよな」
「ああ……そうだった気がするな」
「まさか、それぐらいの……」
最低でも第5位階を使いこなせる存在。そんなものはそうは聞いたことが無い。しかしながらグリンガムは納得もしていた。もし、そんな化け物がいれば、あの数のリッチが共存しているのも理解できる。そしてグリンガムたちと戦えという命令を与えることも。
グリンガムは寒気に襲われる。この墳墓の危険性を強く実感して。そしてこんな依頼をしてきた伯爵に対し激しい敵意が浮かびあがる。無論この仕事を請けたのはグリンガムたちであり、責任という面で考えるなら、しっかり調べなかったグリンガムたちに問題がある。
しかし、伯爵はある程度の情報を持っていたはずだ。そうでなければこの墳墓を調べろという依頼は――アレだけの報酬とワーカーを集めて、出したりはしなかっただろう。こんなどれだけ凄まじい力を持つのか不明な化け物が支配する墳墓に送り込んだりは。
「早く逃げよう。ここは……地獄だ」
「ああ」
グリンガムはこの部屋で何より恐ろしいことが1つある。どうやら盗賊は気付いてないようだが、それは幸運なことだろう。
恐ろしいこととは、ゴキブリが一切動いていないのだ。まるで死んでいるかのように、ピクリとも動いていない。考えられるだろうか。これだけ覆い尽くしながらも一切動いてないその姿が。
「――いや逃げることは出来ないかと思われますよ?」
突如、第三者の声が響く。
「誰だ!」
グリンガムも盗賊も慌てて周囲を見渡すが、動く気配は無い。
「あっと失礼。我輩、この地をアインズ様より任されております、恐怖公と申します。お見知りおきを」
声のした方向。そこに向かった視線は異様なものを捕らえる。ゴキブリを跳ね除け、下から何かが出ようとしているのだ。
距離的に近接武器では届く距離ではない。盗賊は黙って弓を引き絞る。グリンガムもスリングを取り出そうとし――止める。いざとなったらこの腰まであるゴキブリの群れをかいくぐり、切りつけてやると考えてだ。
やがてゴキブリを押しのけ、変わったゴキブリがその姿を見せる。
そこにいたのは2本の足で直立した、30センチほどのゴキブリだ。
豪華な金縁の入った鮮やかな真紅のマントを羽織、頭には黄金に輝く王冠をちょこんと乗せている。手には頭頂部に純白の宝石をはめ込んだ王杓。
なにより驚くべきなのは、直立しているにもかかわらず、頭部がグリンガムたちに向かっていることだ。もし通常の昆虫が直立したなら、当然頭部は上を向くこととなるだろう。しかしながら目の前の奇怪な存在は違うのだ。
それ以外、取り立てて他のゴキブリと変わるところは無い。いや、これだけ変わっていれば充分か。
グリンガムと盗賊は互いに視線を交わし、グリンガムが交渉することとする。盗賊が弓に矢を番えたまま、下に向けるのを確認すると、恐怖公に話しかける。
「お前は……何者だ?」
「ふむ。先程名乗らせていただきましたが、もう一度名乗った方がよろしいですかな?」
「いや、そういうことではなく――」そこまで口にしたグリンガムは、すべきことや尋ねることがそんなことでないことを思い出す。「……正直に言う。交渉しないか?」
「ほほぅ、交渉ですか。御二方には感謝しておりますし、交渉しても構いませんよ?」
その言葉に含まれた謎の意味――何故感謝しているのか、そこに引っかかりを覚えるが、現在の圧倒的不利な状況で問いかけるわけにはいかない。
「……交渉としてこちらが欲することは……俺達を無事にこの部屋から出してもらいたいということだ」
「ふむ。なるほど。当然の考えですな。しかしながらこの部屋の外に出ても、現在はナザリック大地下墳墓の第2階層目。地上に戻れるとは思いませんが?」
第2階層――。
その言葉にグリンガムはフルヘルムの下の目を大きく見開く。
「地表にある霊廟を多少下がったところにある扉をくぐったところが、第1階層という数え方でよいのか?」
「普通はそうではないですかな?」
「いや、一応確認しておきたかったんだ」
「ははぁ、まぁ第1階層から転移させられたのだから混乱するのも道理ですな」
ウンウンとどうやってか頷く恐怖公を前に、グリンガムは氷柱を突き刺されたような寒気を感じる。
それは先の話を肯定されたことによる恐怖。
つまりはどうやってかは知らないが、罠として転移の魔法を使っているということ。それはどんな魔法でどんな魔法技術なのか。魔法使いではなくとも、それがとてつもないことだという理解は出来る。
「……確かにこの墳墓から出る道も教えて欲しいが、そこまでは望まない。この部屋から出してくれるだけでいい」
「ふむふむ」
「こちらからは……そちらの欲しいものを差し出そう」
「なるほど……」
恐怖公は深く頷き、何か考え込むような姿勢を取る。
静まり返った部屋の中、暫しの時間が流れる。そして恐怖公は納得したように頷くと、言葉を発する。
「欲しいものと言うのは既にありますので、そちらが提供するものとしては不十分ですな」
口を開こうとするグリンガムに、前足を上げることで黙らせると、恐怖公は更に続ける。
「その前に、何故感謝しているのかという疑問を覚えられたようですし、お答えしたいかと思います。我輩の眷属が共食いには飽き飽きしたようで。そのため餌の御二方には先程も言ったとおり感謝しているんです」
「な!」
盗賊がその言葉を理解すると同時に矢を放つ。
空を切って飛んだ矢は、恐怖公の真紅のマントによって絡めとられ、力なく落ちる。
そして――部屋が蠢く。
ザワザワという音が無数に起こり、巨大なものとなる。
そして津波が起こる。
それは黒い濁流だ。
「2人しかいないのが残念ですが、眷属の腹に収まってください――」
盛り上がった巨大な波が、グリンガムと盗賊を飲み込む。それは津波に正面から飲み込まれたらこうなる。そんな光景だった。
黒の渦に飲み込まれ、グリンガムは鎧の隙間に入ってくるゴキブリを必死に叩く。
こんな小さな蟲の集団に、武器が効くものか。それよりは普通に手で叩いた方が早い。そのため既に武器は捨てており、もはやどこに行ったのか皆目見当がつかない。
もがく様に手を振り回そうとするが、全身に覆いかぶさってきた無数のゴキブリによって上手く動かすことが出来ない。その光景は溺れた者が手を振り回す姿に似ている。グリンガムの耳に聞こえる音は、無数のゴキブリが蠢くザワザワという音のみ。
それにかき消され、仲間の盗賊の声は聞こえない。
いや、盗賊の声が聞こえないのも当然だ。彼は口の中、喉、そして胃にまで入り込んできたゴキブリによって言葉を出せる状況ではないのだから。
ちくちくという痛みがあちらこちらからする。それは鎧の隙間から侵入したゴキブリが、グリンガムの体を齧る痛みだ。
「やめ――」
グリンガムは叫ぼうとして、口に中に入ってくるゴキブリに言葉を詰まらせる。必死に吐き出すが、少しだけ開いた唇の間に別のゴキブリがこじ開けるように入り込んでくる。そして口内をもぞもぞと蠢く。
耳にだって小さいものが入り込んだのか、ガサガサ音が酷く大きくなり、むず痒さが広がる。
顔をザワザワと数えられないだけのゴキブリが動き回り、噛み付いてくる。瞼に走る痛み。だが目を開けることは出来ない。目を開ければその結果がどうなるか簡単に予測がつくから。
もはやグリンガムは自分がどうなるか理解できる。このまま生きたままゴキブリに貪り食われるのだと。
「こんなの嫌だ!」
絶叫を上げる。そして口の中にゴキブリが流れ込んでくる。もぞもぞと動き、喉の奥に入り込もうとする。そしてズルリという感触と、喉を何かが滑り落ち胃に収まる感触。そして吐き気を催す。
グリンガムは必死に蠢く。
これならリッチと戦って死んだ方が良かった。こんな死に方はゴメンだ。
そんな思いすらも黒い渦は飲み込んでいく――。
◆
ふと目を見開く。
視界に入ってきたのはどこかの天井。石で出来たものであり、白色光を照らす物がそこに埋め込まれている。自分がどうしてそこにいるのか分からず、周囲を見渡そうとして、頭が動かないことに気付く。いや、頭だけではない。手首、足首、腰、胸と何かが縛り付けているか、その部分がまるで動かない。さらには口には何かが填められており、閉ざすことが出来ない。
理解不能な状況が恐怖を引き起こし、叫び声を上げたくなる。
目だけを動かし、必死に周囲を確認しようとして声が掛かる。
「あらん、起きたのねん?」
濁声がかかる。女とも男とも判別しづらい声だ。
動けない視界に入り込むように姿を見せたのはおぞましい化け物。
それは人の体に、歪んだ蛸にも似た生き物に酷似した頭部を持つ者だった。太ももの辺りまでありそうな6本の長い触手がうねっている。
皮膚の色は溺死体のような濁った白色。やはり溺死体のような膨れ上がった体には、黒い皮でできた帯を服の代わりにもうしわけ程度に纏っている。肉料理に使う糸のように、肌に食い込んだ姿はおぞましい限りだ。もしこれを美女が着ているなら妖艶なのだろうが、このおぞましい化け物が着ていると吐き気すら催す。
指はほっそりとしたものが4本生えており、水かきが互いの指との間についていた。爪は伸びているが、全部の指にマニキュアが綺麗に塗られ、奇怪なネイルアートがされていた。
そんな異様な存在は、瞳の無い青白く濁った眼を彼に向けた。
「うふふふ。寝覚めは良好かしらん?」
「ハァハァハァ」
恐怖と驚愕。その2つの感情に襲われ、荒い息のみが彼の口から漏れる。そんな彼の頬に、恐怖に怯える子供を安心させる母親のような優しさを持って、その化け物は手を這わせる。
やたらと冷たいぬるりとした感触が、彼の全身に寒気を走らせた。
これでぷんと匂うのが血や腐敗臭なら完璧だろうが、匂ったのは花の良い香り。それが逆に恐怖を感じさせる。
「あら、そんなに小さくさせてまで怯えることないわよん」
その化け物が向けた視線の先は彼の下腹部。肌に伝わる空気の感触で、ようやく自らが裸であるということを理解する。
「えっと、名前を聞いたほうがいいかしらん?」
ほっそりとした指を頬に当たる部分にあて首を傾げる。もし美女がやれば良い光景だろうが、やっているのは蛸頭の水死体のような化け物。不快感と恐怖感しかしない。
「…………」
目のみをキョト、キョトと動かす彼に、化け物は笑いかける。触手によって口元は完全に隠れているし、表情も殆ど動いていない。しかしながらそれでも笑みだといえるのは冷たいガラス玉のような瞳が細くなったからだ。
「うふふふ。言いたくないのねん? 可愛いわん、照れちゃって」
化け物の手が彼の裸の胸を字でも書くように動く。彼からすれば心臓を抉られるのではないかという恐怖の方が浮かぶ、そんな動きだ。
「先におねえさんの名前を聞かしてあ、げ、る」語尾にハートマークがつくような甘ったるい言葉――濁声だが。「ナザリック大地下墳墓特別情報収集官、ニューロニストよ。まぁ拷問官とも呼ばれているわん」
長い触手がうねり、その根元にある丸い口を見せた。鋭くとがった牙が周囲を取り囲む中、舌であるかのように一本の管がヌルリと突き出される。それはまさにストローのようだった。
「これでそのうち、チューって吸ってあげるからねん」
何を吸うというのか。そのあまりの恐怖に彼は体を動かそうとするがまるで動かない。
「さて、さて。あなたは捕まったの。私達にねん」
そう。最後の記憶は前を走るグリンガムと盗賊が消えたところ。そこから完全に記憶が途切れ、現在に繋がっている。
「自分が何処にいるか。それぐらいは分かるでしょ?」ニューロニストは笑うと言葉を続ける。「ここはナザリック大地下墳墓よ? 至高の41人。その最後に残られた方、モモ――いえ、アインズ様の御座します場所。この世界でも最も尊き場所」
「はいんふはは?」
「そう、アインズ様」
何かを填められ、言葉にならない彼の言葉を理解し、ニューロニストは彼の肌に手を這わせる。
「至高の41人のお1人。かつて至高の方々を統べられた方。そしてとてもとても素晴らしい方よん。あなたも一度、その姿を見れば心の底より忠誠を尽くしたくなるわん。私なんか、アインズ様にベッドに来るよう呼ばれたら、初めてを差し上げてもかまわないのん」
クネクネではなく、グネリグネリと照れたように体を動かす。
「ねぇ、聞いてん」照れた少女が文字を描くように、彼の裸の胸に文字を書く「この前アインズ様がいらっしゃったとき、私の体をじろじろと見たのよん。あれはまさに獲物の選別をするオスの視線ね。それから照れたように視線をそらされたの。もう、キュンって胸は高鳴るし、背筋はゾクゾクきっちゃったわん」
そこでぴたりと動きを止めると、彼の目を覗き込むように顔を近づける。その異様な外見から必死に逃げようとするが、体はピクリとも動かない。
「シャルティアとかいう小娘もアインズ様の寵愛を狙ってみるみたいだけど、女として年齢を重ねた私の方が絶対に魅力は上よん。あなたもそう思うでしょ?」
「はあ。あうあいあう」
肯定しなかったらどうなるのか。その恐怖が彼に同意の声を上げさせる。
口を開けたままの意味が不明な彼の返事を受け、ニューロニストは嬉しそうに目を細める。そして両手を組むと中空を見据える。それはまるで天を拝む狂信者のように。
「ふふふ、あなたって優しいのねん。それとも事実を事実として言ってるだけなのかしら。でも何でか呼ばれないのよね……。ああ、アインズ様……ストイックなところも素敵……」
プルプルと感動に打ち震え、そのたびに肉が揺れる様は脂身だけの肉を思わせた。
「……はぁ。ぞくぞくしちゃったわん。あっとごめんなさい、私の話ばっかり」
そのまま俺を忘れてくれ。そんな彼の思いを無視し、ニューロニストは話を続ける。
「これからのあなたの運命について話しておくわねん。あなた、聖歌隊ってご存知?」
突然の質問に彼は目を白黒させる。そんな彼の疑問をニューロニストは知らないと判断したのか、説明を始めた。
「賛美曲、聖歌、賛美歌を歌い、神の愛と栄光を称える合唱団のことよん。あなたにはその一員となってもらうの。あなたのお仲間と一緒にね」
それだけならば大したことではない。彼もさほど歌には自信があるわけではないが、別段オンチということは無いのだから。ただ、ニューロニストという化け物が、そんなまともなことを狙っているというのか。彼は内心滲みあがる不安を隠しきれずに、ニューロニストを横目で伺う。
「そうよん。聖歌隊よん。アインズ様に忠誠を尽くしていない、愚かなあなた達でも大きな声で歌うことによって、アインズ様に対する捧げ物となれるのよん。目指すのは合唱よん。あぁ、ぞくぞくしちゃうわん。アインズ様に送るニューロニストの歌唱よん」
気持ち悪い目玉に靄が掛かったような色が浮かぶ。それは自らの考えに興奮しきったためか。細い指が蟲にように蠢く。
「うふふふふ。さて、あなたの合唱をサポートしてくれる者たちを紹介するわねん」
今まで部屋の隅にいたのだろうか、何人かが彼の視界に入るように唐突に姿を見せる。
その姿を見て、一瞬だけ彼は呼吸を忘れる。それは邪悪な生き物だと一目瞭然で分かる、そんな奴らだったからだ。
体にぴったりとした黒い皮の前掛け。全身は白というよりも乳白色。そしてそんな色の皮膚を――仮に紫色の血が流れているとするなら――血管が全身を張りめぐっているのが浮かび上がっている。
頭部は黒い皮の、顔に一部の隙もなくぴったりとしたマスクをしており、眼は見えるのか、そしてどこから呼吸をしているのか不明だ。そして非常に腕が長い。身長は2メートルはあるだろうが、腕は伸ばせば膝は超えるだろう。
腰にはベルトをしており、そこには無数の作業道具が並んでいた。
そんなのが4体もだ。
「――トーチャーよん。この子達と私で協力してあなたに良い声で歌わせてあげるわん」
嫌な予想。歌うという意味がどう意味なのかを悟り、彼は必死に逃げようと体を動かす。しかしやはり体はまるで動かない。
「無駄よん。あなたごときの筋力じゃ切れないわん。この子達が治癒の魔法をかけるから、たっぷりあなたは練習できるわよん?」
私って優しいでしょ。そんな邪悪なニュアンスを込めた口調でニューロニストは言葉をつむぐ。
「はへへふへ!」
「ん? どうしたのかしらん? 止めて欲しいの?」
目に涙を滲ませながら叫ぶ彼に、ニューロニストが優しく問いかける。そして6本の触手がゆらゆらと揺らめいた。
「良いかしらん? あのお方が残られたことで、私達、至高の方々によって作り出された者は存在することを許されているのよ? あのお方に仕えるということで存在する理由があるのん。その尊きお方のお住まいに、土足で入り込んだ盗人に対して、私達が一片でも慈悲をかけるって? 本気でそう思ってるの?」
「おへははふはっは!」
「そう。そうねん。後悔は大切なことだわん」
ニューロニストが細い棒を何処からか取り出す。先端部分に5ミリほどの大きさの棘の生えた部分がある。
「まずはこれでいくわねん」
それが何に使うのか理解できない彼に対し、ニューロニストは嬉々として説明する。
「私を作り出された方が尿道結石という奴で苦しんだって話でねん。それに敬意を評して、まずはこれからおこなうのん。ちょうど小さくなってることだし、楽にいけるとおもうわん」
「はへへふへ!!」
何をされるのか理解し、泣き喚く彼に、ニューロニストは顔を近づける。
「これから長い付き合いになるのよん。これぐらいで泣いていたら大変よ?」
■
突如襲ってきたグール4体を退治し、一息ついたヘッケランたち『フォーサイト』の足元。そこに魔法陣が広がった。次の瞬間、そこから起こった回避不可能な蒼白い光に包まれて、気がついたら視界に飛び込んでくる風景は一変していた。
「なんだ?」
ヘッケランは呆けたように呟きをもらし、慌てて周囲を見渡す。現状の把握も重要なことだが、仲間たちの安否の方がより重要だ。見渡し、すぐに仲間たちの確認は取れる。
イミーナ、アルシェ、ロバーデイク。
『フォーサイト』の面々は先ほどの魔法陣に入り込んだ隊列を守ったまま、誰一人欠けることなく揃っていた。互いの安全を確認し、安堵の息をつくより早く、4人は周囲を油断無く見渡す。
そこは薄暗い通路が一直線に続いていた。通路は広く高い。それは巨人でも歩けるようなそんな建築形式だ。通路に掲げられた松明の炎の揺らめきが陰影を作り、影が踊るように動く。通路の伸びた先、そこには落ちた巨大な格子戸がある。格子戸の空いた隙間からは、白色光にも似た魔法的な明かりが入り込んでいた。通路の反対を見るとかなり奥まで進んでいるようで、途中に幾つも扉があるのが松明の明かりに照らされ分かる。
全体的に静まり返り、聞こえるのは松明がはぜる音ぐらいなものだ。
取りあえず即座に襲ってきそうなモンスターはいない。そう判断しながらも、視線のみは注意深く周囲を走らせる。
「ここがどこだか分からないけど、今までとは雰囲気がまるで違うわね」
確かにさきほどの墳墓とはまるで違う。こちらの方が文明の匂いがするというべきか。フォーサイトの面々が周囲を見渡し、ここが何処なのか把握しようとする中にあって、アルシェの態度だけが少しばかり違っていた。
「――ここは……」
その言葉に含まれた感情を機敏に感じ取り、ヘッケランはアルシェに尋ねる。
「知ってるのか?」
「――似た場所を知っている。帝国の闘技場」
「ああ、言われてみればそうですね」
ロバーデイクが同意の声を上げた。ヘッケランとイミーナも声までは上げないまでも、同意の印として頭を縦に振る。
闘技場でモンスターや獣と戦う。それはワーカーであればさほど珍しくは無い仕事だ。普通の戦闘では満足の出来ない観衆を楽しませるために、ワーカーが雇われることはよくあるのだ。そう、時にはワーカー同士が戦う事だってある。
フォーサイトの面々も闘技場でモンスターと戦ったことは昔あった。そのときの光景――待合室から通路を通り闘技場に出る、その途中の通路とこの場所は、確かに雰囲気やその他で類似しているところがある。
「なら、奥は闘技場ですね」
ロバーデイクが格子戸の方を指差す。
「だろうな。ここに転移したってことは……そういうことだろうな」
闘技場に出て来いという意味だろう。そこで待つのは何かまでは想像もつかないが。
「――危険。転移の罠なんか聞いたことが無い。いまだ未知の魔法を使うことができる存在がいるのか、もしくはかなり進んだ魔法技術を持つ者がいるのか。どちらにしてもこの墳墓を根城にしている存在を敵にするのは危険」
魔法技術に関する知識は殆ど無い者だって、転移という魔法がどれほど高位なのかは知っている。そんなものを罠のように発動させるとなると、それを仕掛けた者の魔法に関する知識がどれほど優れたものか想像がつく。そうではなく未知の――アルシェすら知らない魔法による移動を行ったとしたら、完全に相手の実力の予測が出来ない。
つまりはどちらにせよ敵対するということは、危険極まりない博打のような行為だ。
しかしながら土足で入り込んだ者に対し、好意的に対応してくれる者は少ない。いやいないと言い切ってもおかしくは無い。ナザリック大地下墳墓に入り込んだ瞬間、ヘッケランたちの運命は半分決まったようなものだ。願わくは、墳墓に仕掛けられた罠が、現在住む者たちが仕掛けたもので無いことだ。昔の罠をそのまま使っているというなら、まだ生き残れる可能性が出来るのだから。
「――もしかすると500年前の遺跡なのかもしれない」
「ああ。昔、進んだ魔法技術があったっていう奴ですか」
「大陸を支配し、直ぐに滅びた国。現在は首都のみが残るという?」
「――8欲王。この世界に魔法を広めたといわれる存在。あの時代のものであればもしかすると……」
フォーサイトの面々は顔を見合わせ、息を吐く。このままここで揉めていても仕方が無い。結論を出す必要がある。
「……向こうを調べてみますか?」
「行くまでも無いでしょ。どうせ封鎖されてると思うけどね」
「道は1つしかないな。勝者には生を与えてくれる興行主がいることを祈るだけと」
ヘッケランの言葉が方針を固める。
ヘッケランを先頭にロバーデイク、イミーナ、アルシェと続く。
格子戸に近づくと勢い良く上に持ち上がった。それを潜り抜けたフォーサイトの視界に映るものは、何層にもなっている客席が中央の空間を取り囲む場所。
まさに闘技場だ。
長径188メートル、短径156メートルの楕円形で、高さは48メートル。帝国の闘技場と比べても遜色が無い。いやもしかしたらこちらの方が上かもしれない作りだ。様々な箇所に《コンティニュアル・ライト/永続光》の魔法が掛かり、その白い光を周囲に放っていた。
そのため真昼のごとく周囲が見渡せる。
客席を見たフォーサイトの面々は驚き、口ごもる。
無数の客席には無数の土くれ。ゴーレムといわれる人形が座っていたためだ。
ゴーレムとは主人の命令を受け、忠実に動く魔法的な手段によって生み出される無生物のことだ。食事も睡眠も疲労も、そして老化さえしないそれは、門番や警備兵や労働者として非常に重宝されるものである。製作するのは非常に時間と費用が掛かるために、命令を入力する前であれば、最も弱いものでもかなりの高額での売買となるものだ。
ワーカーとして名の知れているヘッケランたちでさえ、ゴーレムを買うとなると結構大変だろう。それだけ高額が付くものなのだ。
それがこの闘技場にいたっては、無数に並んでいる。その光景はこの闘技場を保有する者が、どれだけの金を持つか、そしてどれだけ寂しいものなのかを意味する記号のようにヘッケランたちには思われたのだ。
互いの顔を見合わせ、静まり返った闘技場にヘッケランたちはその身を入れる。
「外?」
イミーナの声に反応し、空を見上げてみるとそこに浮かんでいるのは夜空だった。周囲の明かりが強いため、星々の輝きが邪魔されて見通すことが出来ないが、それでも闘技場の上に広がるのが夜空だというのは間違いが無い。
「外に転移したってことか?」
「――なら、飛行の魔法で逃げれば――」
「とあ!」
貴賓席があると思われるテラスのような場所。その場所から跳躍する影が1つ。
6階だての建物に匹敵する高さから飛び降りた影は、中空で一回転をすると羽根でもはえているように軽やかに大地に舞い降りる。そこに魔法の働きは無い。単純な肉体能力での技巧だ。盗賊でもあるイミーナが驚くほどの見事な動きだった。
足を軽く曲げるだけで衝撃を完全に受け殺したその影は、自慢げな表情を見せた。
そこに降り立ったのは1人のダークエルフの少女だ。
金の絹のような髪から突き出した長い耳をピクピクと動かし、太陽のようなという言葉が似合いそうな満面の笑みを浮かべている。
上下共に皮鎧の上から漆黒と真紅の竜鱗を貼り付けたぴっちりとした軽装鎧を纏い、さらにその上に白地に金糸の入ったベスト。胸地には何らかの紋様が入っていた。
その色の違う瞳を見た、イミーナが驚きの声を上げる。
「お――」
「挑戦者入ってきました!」
ダークエルフのその明るい声に合わせ、どんどんと闘技場が揺れるような音がする。
周囲を見渡せば、今まで一切動いていなかったゴーレムたちが、足を踏み鳴らしているところだった。
「挑戦者はナザリック大地下墳墓に侵入した命知らずの愚か者達4人! そして、それに対戦するのはこのナザリック大地下墳墓の主、偉大にして至高なる死の王。アインズ・ウール・ゴウン様!」
ダークエルフの言葉に反応し、向かいの扉が開く。扉が完全に開ききり、薄暗い通路から闘技場へと姿を見せる者。それは一言で表すなら骸骨である。
ほぼ白骨化した頭部。ただ、その空虚な眼窟には意志たる赤い炎が灯っている。
漆黒に輝き、金と紫色の紋様が入ったかなり高価そうなフルプレートメイルを纏い、右手には抜き身の剣をぶら下げていた。
どんどんという足踏みが止まると、拍手へと変わった。
それはまさに王者を迎え入れるものだ。
周囲のゴーレムたちによって生じる、鳴り止まない万雷の拍手の中、骸骨のような存在がゆっくりと入ってくる。その手に持つ武器や装備で、これから行われることは一目瞭然だ。
「――申し訳ない」
アルシェが呟く。
「――私の所為でこんなことになった」
これから行われる戦闘は恐らくはフォーサイト始まって以来の激戦だろう。もしかすると死者が出るかもしれないほどの。そしてそんな状況に追い込まれたのも、元をただせばアルシェの借金が原因だ。アレがなければこんな情報の足りない墳墓に来るという仕事は降りただろう。
つまりはアルシェの所為で仲間が死ぬかもしれないのだ。
「気にするな」
「ですね。皆で決めて選んだ仕事です。あなただけの所為ではないですよ」
「そーいうことよ」
ヘッケランとロバーデイクが笑いかけ、イミーナが最後にアルシェの頭を撫で回す。
「さて、まずは無理だとは思うが対話してみるか」
アインズは闘技場に入り、剣を持たない手を振るう。それは何かを払うような動作にも似ていた。
静寂が舞い降りる。全てのゴーレムの拍手が一瞬で止み、耳に痛いほどの静寂が戻ったのだ。ゆっくりと歩いてくるアインズに向き直ると、ヘッケランは真剣な声を出す。
「まずは謝罪をさせていただきたい――」
「……アインズ・ウール・ゴウンです」
「――アインズ・ウール・ゴウン殿」
アインズは立ち止まると、剣を肩に乗せ、その先を待つように顎をしゃくる。
「この墳墓にあなたに無断で入り込んだことに関して謝罪させていただきたいと思います。不法侵入したことを許してもらえるのなら、それに相応しいだけの謝罪金として金銭をお支払いしたい」
暫しの沈黙が流れる。それからふうっとアインズはため息をついた。無論、アンデッドたるアインズに呼吸をする必要は無い。そのためそういう行為を行ったというだけではある。
「ナザリックに許可なく土足で入り込んだ者に対し、無事に帰したことは私達が占拠して以来一度も無い。例えお前達が勘違いしてようが、知らなかっただろうが関係は無い。その命を持って愚かさを償え」
それだけ言うとアインズは剣を肩から下ろし、戦闘体勢に移行しようと動き出す。
「もし許可があったとしたら?」
ぴたりとまるで凍りついたようにアインズの動きが止まる。そこから感じられるのは強い動揺だ。ヘッケランは自分の何気ない言葉がそれほどの影響を与えたことに内心驚くが、それは表情には出さない。確実に敵対しかないだろうと思われた道に、わき道が突如現れたのだ。これを利用しない手は無い。
「……何?」
消え去るような小さな声でアインズが尋ね返す。
「もし許可があったとしたら?」
「……馬鹿な……いや……可能性は無いわけではない? ならば何故……ここに……」
動揺からか、アインズは頭を振りつつ思考の海に飛び込む。
ヘッケランも必死に頭を回す。一体、どんな風に話を持っていけば最も生き残れる可能性が高いかを。
「……誰が許可を出した?」
「あなたがご存知じゃないんですか、彼を」
「彼……?」
「名前までは言っていませんでした。ですがなかなか大きな化け物の外見をしていましたよ」
「大きい? それは……」
ヘッケランはこの危険な綱渡りのゴールが何処になるのか、必死に考える。
アインズは怪しんでいるが、真実かも知れない――真実だと思いたいという2つの葛藤の間に挟まって動けないような状況だ。だからこそ踏み込んで質問をしてこないのだろう。
「どんな外見だ、言ってみろ」
「……てかてかしていましたね」
「てかてか……?」
再び考え出すアインズにヘッケランはまた危ない状況を切り抜けられたことに、内心で安堵の息を吐く。
「どんなことを言っていた?」
「ナザリック大地下墳墓にいるアインズによろしく頼むといっていましたね」
「……アインズ?」
ピタリと動きが止まる。ヘッケランは不味いことを言ったかと表情を引き締める。
「……アインズによろしくと言ったんだな?」
「ええ」
「くはははははは!」
ヘッケランの答えを聞いて、アインズは高らかに笑う。それは気持ちの良いものではない。ドロドロとした熱を発する激しいものだ。
「……愚か者だ。俺は愚か者だ。こんな馬鹿どもに騙される、俺は最も馬鹿だ!」
ピタリと動きをアインズは止め、ヘッケランたちを見据える。眼窟の中に宿る、真紅の炎ごとき揺らめきがどす黒い輝きに染まりだす。物理的な圧力すら伴うような視線を受け、ヘッケランたちは一歩後退する。
そこにあるのは憤怒。
先ほどまで絶対者と、自らを非常な高みにおいていた者が、激怒のあまりにヘッケランたちと同等のところまで降りてきていた。
イグノニックに水をかけるという言葉がある。
イグノニックとは乾燥地帯の草原に生息する、毛の長くふわふわした4足の魔獣だ。頭部には鋭い角を生やし、体長は牛と同等。美味い肉が取れることでも知られている。
そんな魔獣だが温厚で戦いを好まないおとなしい性格のため、この魔獣を狙っての狩猟はよくあることだ。しかし、そんな魔獣が飼育されないのには理由がある。
それは水をかけると異常なまでに暴れだすのだ。
その獰猛さは自らの体躯の数倍にもなる魔獣ですら襲い掛かるほど。
さらには水を吸った毛は鋼鉄以上の硬度となる。まるで鉄の塊が桁外れの速度で、鋭い角で刺し殺さんとぶつかって行く。そんな戦闘方法を取るのだ。
イグノニックに水をかける。それは大人しく容易い相手をこちらからわざと激怒させ凶暴化させるという、つまりは馬鹿な行為の例えだ。
そして今のヘッケランたちにこれ以上相応しい言葉はないだろう。
「クゥ、クズがぁあああああああ!! この俺がぁ!! 俺と仲間達が、共ににぃぃぃいいいいい!! 共にぃい作り上げた俺達の、俺達のナザリックに土足で入り込みぃい!」
激しい怒りが抑えきれずに言葉に詰まる。アインズはまるで深呼吸をするように肩を動かし、激しく言葉を続ける。
「さらにわぁあ! 友の、俺のもっ、最も大切な仲間の名を騙ろうとするぅう! 糞がぁああ!! 許せるものかぁああああ!!」
アインズが激しい口調で叫ぶ。その怒りは何処までも収まる様子を見せないほどのもの。
しかし、ふと急激に静まり返った。
それはぶつんと何かが切れるような変貌。その急な変わりようは対峙するヘッケランたちですら、異様に感じさせるのに充分だった。
「……激しい感情もまた抑圧されるか」
まるで他人事のようにアインズは言葉を紡いだ。話している意味が理解できないヘッケランたちに、アインズは微笑みすら浮かべるような穏やかな態度で話しかける。
「この身になってからというもの苦痛や感情というものが、ある程度の域に達すると抑圧されるのだ。例えば右腕を失った状態でお前達は戦闘できるか? 激しい苦痛に襲われ、戦闘行為が一切取れない可能性もある、そうだな? しかし私は違う。右腕を失ったとしても問題なく戦闘行動を取れるだろう。それはある一定以上の痛みを感じないためだ。腕を切断された痛みが、せいぜい腕を軽く打った程度の痛みで抑えられるというのかな? それが感情にも言えるんだ。激しい怒りは押さえ込まれ、すぐに冷静さを取り戻す。とはいえ……抑えられた結果の弱い怒りは長く持続するのだがな」
アインズはそれだけ言うと話は終わりだといわんばかりの態度を示す。それは持っていた剣を強く握り締め、足幅を少し広めに取る――戦闘姿勢だ。
「アウラ」
「はい、アインズ様」
今まで静かに様子を伺っていた少女が口を開く。ヘッケランたちに向ける視線には敵意の色が見えた。つまりはあの少女も掛かってくるのかと、ヘッケランたちはダークエルフの少女に対しても構える。
「では予定通り下がっていろ。後片付けのみ頼む」
「畏まりました」
アウラは後ろに下がり、アインズのみが対峙する。
「さて、はじめようか」
アインズという戦士と対峙し、ヘッケランが最初に思ったことは目の前の敵が戦士や剣士ではないと言うことだ。どちらかと言えば魔獣のような、その優れた肉体能力で押してくる敵に感じられた。
それは無造作な立ち方であり、身構えからだ。いうなら素人の雰囲気なのだ。しかし相対し感じる重圧は強大。人間大の体躯が膨れ上がり、圧し掛かってくるようだった。
こういった存在を敵に回した場合、恐ろしいのは一気に畳み掛けて来た場合だ。
「来ないのか? なら行くぞ?」
その言葉と共にアインズが踏み込む。そして大上段からの大振りの攻撃。
破壊力はあるが、その分隙だらけのはずの攻撃はアインズという桁外れの肉体能力を持つものが行えば、それはもはや最強の一撃となる。
――受けるのは危険。
高速で迫る剣を感じ取りながら、瞬時にヘッケランは判断する。受ければその破壊力と正面から競いあうこととなる。その場合、肉体能力の差で絶対に押し切られるだろう。
ならば取る手段は1つ――。
ギャリと剣が削られるよう嫌な音を残し、アインズの振るった剣は大地に振り下ろされる。
――受け流しである。
たとえどれほどの力が込められていても、受け流せられるなら問題ではない。そして受け流され、大きく体勢の崩れた体がヘッケランの前にある。纏う鎧は恐らくは超一級品。ヘッケランの持つ剣では抜けない可能性がある。ならば狙うはむき出しの頭部。放つは武技――
「ダブル――スラッシュ!」
双剣が光を走らせ、アインズの頭部に走る。
ヘッケランの持つ武器は短い。そのために相手の懐に飛び込まなくてはなら無いというリーチの不便さを意味する。しかしながらそれはまた、相手の懐でも剣を振るえるという意味。
逆に普通の長さの武器ではヘッケランの間合いで、剣を持って防ぐことは困難を極める。
頭部めがけ疾走する双剣。
普通の敵ならその一撃を食らうだろう。
一流の敵ならかすり傷で耐え切るだろう。では――超一級の敵は?
「くぉっ!」
アインズは奇怪な叫びと共に大きく跳ねのく。自らの頭部に走った剣は左手を上げることで即席の盾とする。金属音が響き、舌打ちをする無傷のアインズ。
これでガントレット、ひいてはフルプレートメイルが一級品だということが肯定された。
「――《マジック・アロー/魔法の矢》」
「《レッサー・デクスタリティ/下級敏捷力増大》」
アルシェの魔法が光の矢となりアインズめがけ飛ぶ。ヘッケランの敏捷力を増大させる魔法がロバーデイクから放たれる。
「児戯を!」
それに対しアインズは見もしない。光弾を完全に無視し、ヘッケランめがけ距離を詰める。
光の矢がアインズの体に触れる前で弾けて無効化される中、そしてアルシェが驚愕の表情を作る中、アインズは刺突による攻撃を行う。剣の伸びた先にあるのはヘッケランの胸部。
閃光の速度で剣が伸び、胸を貫くか否かのところで、ヘッケランは体を捻る。ガリガリという音が胸で起こり、断ち切られたチェインシャツの鎖が中空を舞う。
刹那の見切り。
いやあまりにもアインズの攻撃が早すぎたために、回避が遅れ、刹那の見切りになってしまったという言い方が正解か。ロバーデイクの魔法の補助が無ければ、不可能だっただろう偶然の行いだ。
切り裂かれる鎧ごと引っ張られそうになるのをヘッケランは耐え、体勢を維持すると、再び武技を発動させる。
「ダブルスラッシュ!」
「おおっ!」
身を屈める様な無様な格好でアインズはそれを回避し、詰まった距離を離そうと後ろに下がろうとする。
「逃がす――か!」
アインズを逃がすまいと、ヘッケランは踏み込む。そのヘッケランの顔の直ぐ横を、音と立て走りさる何か。
それは矢だ。
イミーナが放った矢がアインズの顔めがけ飛ぶ。
「ちっ!」
ヘッケランの後ろから――隠れるように放たれた高速で飛来する矢。それは常人であれば回避は不可能だろう。しかしやはりというべきか、常人ならざる反射神経をもつアインズはギリギリで回避する。
「――《フラッシュ/閃光》」
「《レッサー・ストレングス/下級筋力増大》」
アインズの前で閃光が弾ける。本来であれば視野を奪われるそれも、アインズにとっては何の意味ももたらさない。ただ、わずらわしさを感じる程度。
「邪魔を!」
筋力が増大したヘッケランに距離を詰められ、舌打ちをするアインズ。
「――《リーンフォース・アーマー/鎧強化》」
「《アンチイービル・プロテクション/対悪防御》」
アルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランの守りを固める。
ヘッケランの攻撃を避け、剣で弾き、反撃をしようしたアインズの顔面を狙って再び矢が飛ぶ。
「くそ! また邪魔を!」
矢をガントレットで払いのけるが、その動きが止まったところに、ヘッケランの攻撃が再び走る。そしてアルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランをどんどんと強めていく。
アインズは強い。
その人間では到底及ばない肉体能力。魔法に対する耐性。そして纏う一級品の鎧。戦士として欲しいものは全て持っているといえるだろう。
しかしながら弱点もある。それは強大な肉体能力を保有するものによく見られる、技術というものが無いということだ。いうなら野生の獣だ。全ての攻撃が大振りだし、次の攻撃を考えたものではない。さらにフェイントというものをほぼしてこない愚直な攻撃だ。
確かに全ての攻撃が一撃必殺という戦士が憧れるようなものであり、人間とは桁が違う。だが、どこに来るというのが分かっていればまだ対処の仕様がある。
無論、そうだからといっても全てがギリギリの瀬戸際での攻防だ。もし振り降ろされる剣の角度を誤って受け流せば、剣を破壊され、致命的な傷を受けるだろう。薙いでくる剣の間合いと速度をほんの少しでも読み違えれば、真っ二つになっているだろう。
今まで投げたコインの出目が全て表を出してきたような幸運。それに守られているにしか過ぎない。しかし、それをなしているのはたった1つのこと。それはチームワークである。死地を共に潜り抜け、互いの行動すら把握するだけの仲になったからこそ出来る、1つの――フォーサイトという生き物ごとき行動。
つまりフォーサイトとして存在するなら、決して敗北は無いということ。
ヘッケランは僅かに頬に浮かぶ笑みをかき消す。
少しずつだが剣が届くようになってきた。いまだアインズは無傷である。ただ、その一級品の鎧に、剣はかすりつつある。このまま順調に、緊張感を切らさずに行けば、必ずアインズに致命的な傷を与えることは可能だ。
そう確信し、双剣を振るう。
「――――!」
アインズは一閃を転がるように避け、頭部を狙った剣撃を、ガントレットを嵌めた手で弾く。飛来した矢は剣で弾く。アルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランを更に強化する。
「くそ!」
アインズは怒号と共に、剣を破れかぶれのように大きく振るう。無論、人間では到底出すことの出来ない速度でだ。それを避けたことでヘッケランの攻撃が一瞬だけ止むと、後ろに走り距離を取る。
ヘッケランは追撃をしようかと考え、荒くなりつつあった呼吸を整えることを選択する。アンデッドであるアインズはどれだけ行動しても疲労することが無いが、人間であるヘッケランたちは徐々に疲労していく。持久戦になったら不利なのだ。休めるときに休むのが正しい。
「どうしてだ?」
距離を取ったアインズは、不思議そうに呟いた。
「何故、こいつらは死なない?」
「はぁ?」
死ぬことが確定のようなアインズの言葉。確かにアインズの戦闘能力は高い。だが、それでも当たり前のように言われればヘッケランでなくとも腹が立つだろう。
「コキュートス!」
その言葉に反応したのは貴賓席。そこからアウラと同じように――だが、まるで違う異形が舞い降りた。
それは白銀の塊である。周囲にある無数の明かりを反射し、きらきらと輝く。
そんな2.5メートルほどの巨体は、二足歩行の昆虫を思わせた。悪魔が歪めきった蟷螂と蟻の融合体がいたとしたらこんな感じだろうか。全身を包む白銀に輝く硬質そうな外骨格には冷気が纏わり付き、ダイアモンドダストのようなきらめきが無数に起こっていた。
跪こうとするコキュートスをアインズは止める。
アインズをはるかに勝るような異形の存在。それの登場に、フォーサイトの面々は戦慄する。アインズ1人でもこの有様なのに、これ以上増えた場合、勝算は無いに等しいから。
「……聞かせろ、コキュートス。何でこいつらは生きているんだ?」
だが、そんなフォーサイトの面々を無視し、アインズは現れた異形――コキュートスと話す。
「私は33レベルの戦士に匹敵する能力を有しているはずだ。それから考えればこいつらを容易く殺したとしてもおかしくは無いはずだな、コキュートス。それなのに未だ殺しきれていない。それもたった1人もだ。何故だ、コキュートス。お前が推測したこいつらのレベルが実は外れていたのか? いくら私の単純な肉体戦闘能力を確かめるため、殆どの装備を外しているとはいえども、これは無いだろう?」
「彼ラノ能力的ナ面ハ、私ノ予測ノ範疇カラハ外レテハオリマセン」
「では、なんだ? 何故殺せない?」
「ソレハ経験ノ差デス。アインズ様ノ能力ナラ確カニ彼ラヲ容易ク殺セルデショウ。デスガ、全テヲ使イコナシテイルワケデハナイタメデス。全力ヲ出シ切レテナイ以上、彼ラヲ容易ク殺スコトハ出来ナイカト」
「持っている全ての能力を使いこなせてないから?」
「左様デス」
「なるほど……経験というものはスキルには無いものだからか。ふむ……なるほど、ならば私の成長計画と矛盾は生じないか。データとして存在しながらも経験が無いということは、逆説的には経験は積み上げることが出来るということ。なるほど……経験か」
幾度となく頷き、満足したようなそぶりを見せたアインズは、再びフォーサイトと向き直った。
その雰囲気の変化を感じ取り、ヘッケランは嫌な予感を覚える。
いくつもの死線をくぐったことによって鍛えられた直感が騒ぎ立てるのだ。危険だと。
「鎧を脱ぐ」
アインズは独り言のように呟く。
それに対するフォーサイトの面々の思いは『何をこいつは言ってるんだ』、それだけだ。
フルプレートメイルというのは着脱に非常に時間のかかる代物である。誰かの手助けが会ったとしても3分は掛かる。それを1人で脱ぐというならもっと時間が掛かるだろう。大体、戦士が自らの体を守る鎧を脱ぐということにメリットがあるのだろうか。
剣を抜いた者がいる前で鎧を脱ぐという考えが信じられず、フォーサイトの面々は呆れたようにアインズを見つめる。いや半分以上馬鹿にしていると言っても良い。攻撃を仕掛けないのは、ヘッケランが動こうと微かに腕を動かした瞬間、コキュートスが同じように腕を動かしたからだ。
それは牽制である。
そちらが動くなら、こちらも動く。そういう意志を見せられてなお、動くことはできない。
だからアインズが鎧を脱ぎだす、愚かな光景を黙って見つめるということで、無言の内に行動方針を固める。敵の前でのんびり鎧を脱ぐ者をあざ笑ってやればいい。そう考え、フォーサイトの面々が浮かべていた光景は容易く覆された。
アインズは無造作に手を振った。――その瞬間、鎧から黒い蒸気が噴きあがる。
そして起こった出来事にヘッケランたちが驚くよりも早く、アインズの鎧は完全に消え去っていた。そう、それはまるで鎧が蒸気を固めて作っていたかのような、そんな光景だった。
全身が晒される。
黒い長ズボンは仕立ての良いもので、銀糸を使って脇に奇妙な紋様が描かれていた。それに対して上半身は裸である。
頭部と腕部は完全に骨だけとなっている。肋骨部分には肉のこそぎ落ちた皮のみが、こびり付くようについていた。その下、腹部はがらんどうで背骨が見える。そんな肋骨の終わるぐらいのところ。その奥――心臓にしては下すぎる位置に、脈動する赤黒い球体が入り込んでいた。
動くたびに首から下げた金のシンボルをぶら下げたネックレスが揺れる。
「……な、なにが?」
「嘘。魔法で作っていた?」
「そういう特殊能力を保有する魔法の鎧じゃないの?」
口々に騒ぎ立てるヘッケランたちを無視し、アインズは剣を放り投げた。投げ出された剣は、闘技場の大地に転がり、鈍い輝きを放つ。
それを目にし、再び、ヘッケランたちは大口を開けた。
剣を捨てる――それは敗北を受け入れたものがする行為。ただ、アインズの態度にはどこにも敗北の色は無いし、敗北したと認める状況でもなかったはずだ。
そのためヘッケランはアインズが何を考えているのか分からず、困惑する。しかしながらいつまでもアインズの行動を伺っているわけにもいかないだろう。そのため、覚悟を決めて尋ねることとする。
「……何を?」
それに対してアインズは薄く笑った。そしてゆっくりと腕を広げる。それは信者を受け入れる天使のような、わが子を抱きしめる母親のような、そんな優しく抱きしめるような腕の開き方で。
「何をしようというのか分からないか? ならば言葉にしてやろう」
アインズはニンマリと哂う。
「遊んでやる。掛かって来い、ニンゲンども――」
空気が変わった――。
先ほどまでのアインズとは雰囲気がまるで変わっている。本来であれば武器――装備品を放棄すれば、その分弱体化するはずだ。しかしながら目の前にいるアインズは先ほどよりも強大な存在になったようにヘッケランには感じられた。そう、まるで一回り以上体格が大きくなったような、そんな威圧感に襲われる。
剣を放棄することで自信をみなぎらす存在。
それから考えられる答えは2つぐらいなもの。1つはモンクのような自らの肉体を武器とするもの。しかしながらそれにしてはさきほどの戦い方――回避の仕方が慣れたものではなかった。
そうなるともう1つの可能性――
「――スペルキャスター?!」
ここへ来て初めてアルシェは思い至る。目の前の存在、アインズ・ウール・ゴウン。それは魔法使いなのではないかと。
その想像が浮かばなかった理由は簡単だ。誰が自らのチーム最強であり、歴戦の強者であるヘッケランと対等に戦う魔法使いをイメージできるものか。魔法使いは戦士よりも肉体的な面で脆弱なのは至極当然なのだ。体を鍛える時間があるなら、魔法を磨く時間に費やすのものなのだから。そのため戦士と対等に戦える魔法使いは存在しない。
それが――世界の常識。
そんな常識を覆す存在。そんなものが目の前にいると誰にわかるだろうか。
そのため、アルシェの声にあるのは否定して欲しい、拒絶して欲しいという哀願の思いだ。もし肯定された場合その態度にあるのは、アインズは戦士としての自分よりも、魔法使いとしての自分に自信を持っているということになる。
それがどんな意味を持つか。それは言うまでも無いだろう。
単純に多少の魔法を使うだけのでもその戦闘能力はぐんと上がる。強化系魔法をいくつか使うだけでも充分強くなれるのは、現在のヘッケランを見るだけで理解できるだろう。
しかし、アインズの持つ自信はそんな生易しいものではない。アルシェを遥かに超える――そんな絶対的な自信に満ち満ちている。
しかしながら、アルシェにはそれを否定するだけの理由がある。
「ようやく気づいたのか? 愚かな奴らだな。いや、私の――仲間たちのナザリックに土足で入り込むネズミだ。その程度の知恵しかなくて当然なのかな?」
「――そんなわけがない! あなたからは魔法の力を感じない!」
アインズは不思議そうに頭を微かにかしげる。それから何かに思い至ったのか、肩をすくめた。
「お前達は魔法使いの魔力を感知することが出来るんだったな?」
「――そう! あなたからはまるで魔力を――」
そこでアルシェは顔色を変える。ヘッケランたちはアルシェが何故、そこで言葉を止めたのか分からず、不思議そうな表情をした。そんな中、理解したのは敵対しているアインズだ。
「まるで――感じないんだろ? スペルキャスターだと言っている私の魔力が?」
そうだ。
その通りだ。アルシェはアインズの魔力を一切感じられない。しかし、これはアインズが神官系統の魔法を使う存在であれば、間違いではない。ただ、そうなるとアインズのスペルキャスターとしての能力は完全に未知になってしまう。
「それはそうだろうな」
アインズはアルシェに、そしてヘッケランたちに見えるように自らの両手を広げてみせる。ガントレットを先ほどまで填めていた手は、骨しかないアンデッドらしいものだ。その10本の指にはそれぞれ指輪。それも一瞥するだけで魔法の力を込めたと理解できるようなものである。
「この指輪を取れば分かるさ。部下にも貸し出していた奴なんだがな」
アインズはそう言いながら指輪の1つを外す。そして――
「――おげぇぇぇぇ!」
アルシェのいる場所から嘔吐する音。殆ど液体の吐瀉物がバチャバチャと闘技場を叩く。酸味がかった匂いが辺りに漂いだす。
「なにをしたの!」
アルシェの背中を摩ろうと走り出したイミーナが、アインズが何かをしたのかと睨みつける。それに対し、アインズは正直困惑したように、だが不快気に言う。
「何をしてるんだ、この女? 突然吐くとは、失礼にしても限度があるだろうが」
「――皆、逃げて!」
瞳の端に涙を浮かべたアルシェが叫ぶ。
「そいつは化け――おえぇええ!」
再び耐えられないようにアルシェが吐き出す中、ヘッケランたちは理解する。アルシェが吐いた理由を。
アインズという前に立つ存在が何かをしたわけではない。あまりの緊張と恐怖、そしてアインズの持つ膨大な魔力に耐え切れず、アルシェが吐き出したのだ。
つまりそれは――
「――勝てるわけが無い! 力の桁が違う! 化け物なんていう言葉で収まる存在なんかじゃない!」
泣く子供のようなアルシェの叫び。
「ようやく気づいたということか」アインズは嘲笑う。「しかし、逃がさないがな」
「――無理無理無理!」
発狂したように頭を振るアルシェを抱きしめるイミーナ。
「落ち着いて! ロバーデイク!」
「分かってます! 《ライオンズ・ハート/獅子ごとき心》」
ロバーデイクの魔法が飛び、恐怖状態から和らいだアルシェが心配するイミーナから離れ、生まれたばかりの子鹿のようによたよたとした足つきで杖を構える。
「――皆、逃げるべき。あれは勝てる存在じゃない」
「……了解したぜ、アルシェ」
「ええ、よく分かりました」
「ああ。アレが凄い化け物だってね」
既に3人ともアルシェの豹変を受け、警戒のレベルを最大限まで上げている。
先ほどよりも更に神経を尖らせ、フォーサイトの面々はアインズを睨む。ほんの一瞬でも視線を動かすこと、それが命取りになると理解した表情で。
「しかし逃げられねぇ」
「後ろを見せるのは危険だしね」
「少しでも時間を稼げる手段を見つけないといけませんね」
「……来ないのか?」
アインズの挑発にヘッケランは乗らない。敵の戦闘能力はアルシェの態度からして、今までで遭遇したどんな存在よりも上位だと簡単に予測がつく。勝利を考えて行動するのではなく、逃げるための時間を稼ぐように行動する。
ならば狙いは一点。
魔法を唱え始めた――最も魔法使いが無防備なる瞬間。
確かにアインズは戦士としての能力にも優れている、だからこそそれに全てを賭けるしかない。無詠唱化されてしまえば終わりな、このちっぽけな可能性に。
つがえた矢を引き絞るように、ヘッケランは体全身の力をばねの様に溜め込み始める。
「ではこちらから行くとしよう」
アインズがゆっくりと手を動かし――
――今だ!
ヘッケランという矢は放たれる。恐らくはその踏み込みはヘッケランが今まで行ってきたどんな踏み込みよりも早いだろう。蹴り上げた足によって大地が噴きあがる、そんな踏み込みだ。
刹那。
まるで転移したような速度で急激に目の前に迫る刃をものともせず、アインズは魔法を1つ唱えた。
《――/――》
アインズの目の前数センチにまで迫った刃は、何に触れることなく空を斬る。そして――ヘッケランは内部から破裂した。
吹き上がった血や肉片が、闘技場の大地に広く飛散した。
何が起こったのか。
ロバーデイクもイミーナもアルシェも理解できなかった。アインズという目標を失い、踏み込んだ速度を殺しきれずに、ヘッケランが飛び込むように闘技場の大地に転がってなお、理解できなかったのだ。
大地に転がってピクリとも動かなくなっても。目に鮮やかなピンク色の肉片が遅れて地面に落ちてきたも。転倒したショックで仰向けに転がり、その頭部の失った体を晒しても。
そう、一言も無く、チームリーダーであり頼れる男であるヘッケランが、死んだなんて理解できなかったのだ。
「ヘ、ヘッケラン?」
イミーナの呟き。そこで初めてロバーデイクが我に返る。ヘッケランが向かった先にいたはずのアインズ。あれはどこに消えたのかと。慌てて頭を振って探すロバーデイクの視線がアインズの姿を捕らえる。そして絶句――。
アインズがいたのは全員の後ろ。最後尾であるアルシェの背後。そこでゆっくりと手を振り上げ――その手には金属の輝き。
「ア――!」
ロバーデイクが叫ぶより早く、アインズの手に持っていたナイフがアルシェの肩に振り下ろされる――。
「――ぎぃいい」
突然生まれる激痛。それにアルシェは悲鳴を上げる。何が起こったのか、何で痛いのか。わけの分からないアルシェは混乱し、体をくねらせる。そして逃げる。体を竦ませ、ロバーデイクの方へ。
走り出す瞬間、新たな苦痛が生まれるが、アルシェはかみ堪える。
「……やはり罪悪感というものはこれっぽちも感じないか……。これは人間に対する親近感がなくなったことに対するものなのか? それとも人間性の希薄化によるものか。……だが、あの娘に対する哀れみが合ったから助けに行ったわけで。とすると余裕があるときや完全に第三者に対しては、上から見下ろすという意味で慈悲をかけられるということなのかな?」
逃げ出したアルシェを追おうとはせずに、血に濡れたナイフに指を這わせながら、ぶつぶつとアインズは呟く。
話している意味はまるで分からないし、アインズも知ってもらおうと思って話しているのではないだろう。
アインズのナイフに落としていた視線が動く。向けられた先にいるのは治癒の魔法を使い、アルシェを癒しているロバーデイク。
「まぁ、いいか。とりあえずお前達を掃除する方が先だ」
アインズの手から落ちたナイフが中空で靄のように消えていく。それは先ほどの鎧のように。
「一体、何をしたんですか?」
震える声でロバーデイクは尋ねる。
転移の魔法を使用し、アルシェの後ろに回った。それからロバーデイクたちが混乱している間にナイフを準備する。そこまではまだ理解できる。
第6位階の魔法すら使う化け物だと理解したうえで。
ではヘッケランを殺したのはどうやってだ。転移の魔法を使うと同時にヘッケランを殺す魔法を使ったというのか。そんな時間は決してなかった。
「不思議か? 大したことはして無いんだがな」
アインズは種を明かす。その生き残っている面々の心をへし折るような答えを。
「最初に第10位階魔法《タイム・ストップ/時間停止》。そして第8位階魔法《エクスプロード/破裂》をその男に」転がったヘッケランにアインズは指を向ける「それから第3位階魔法《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》で後ろに回って、第7位階魔法《クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造》でナイフを作っただけだ」
大したことが無いだろ? そう続けるアインズ。
空間が凍ったような静寂。それはロバーデイクたちが形容しがたい恐怖に襲われたため。そんな中、必死に――必死に勇気を振り絞りイミーナは尋ねる。
「……時間を止めたの? だ、第10位階魔法を使って……?」
「そうだ。時間対策は必須だぞ? お前達が70レベルになる頃には用意しておかなくてはならないものだな」
ガチガチと歯が音を立てる。それはイミーナだけではなく、アルシェ、ロバーデイクもだ。
嘘だ。そう叫べれば幸せだ。目の前の化け物――というよりは神の領域に立つ存在の言葉を全て否定して、耳を塞いで蹲れればどれだけ楽になれるか。
確かにかなり強いというのは理解できていた。特にアルシェにとっては。しかしそれでもここまでの存在だとは理解できてなかったのだ。
第10位階魔法。神すらも到達できない位階。そんなものの存在は机上の空論でしかない。8欲王が使ったとされるそれは、存在の確認がされなかったため、そうでしかなかったはずだ、今の今まで。
そしてそれを使って時を止める。もはや詰まらない冗談のような世界だ。
時を止められるような存在。人が決して支配することも制御することも出来ないはずの時の流れ。それを操る者を相手にどうしろというのか。剣一本持って大森林の木を全て切り倒せといわれた方がまだ出来る可能性があるではないか。
アインズ・ウール・ゴウン。
それは人という種では決して勝ち得ぬ存在だ。
「アルシェ! 逃げなさい」
ロバーデイクが膝を付かないのは、未だ戦おうという勇気がわくのは仲間に対する思いからだ。
「空を見なさい! ここは恐らく外です。飛んで逃げれば逃げられる可能性もあります! あなただけでも逃げなさい! 時間を1分……いや10秒は稼いでみせます!」
両手でメイスを握り締め――
――ポンとロバーデイクの肩が叩かれる。
「っあ……」
ロバーデイクの体が動きを止める。誰が肩を叩いたか見なくても分かるために。目の前にいたはずの存在――アインズ・ウール・ゴウン。時の流れすら操作できる神ごとき存在。それがいつの間にか視界から消えているのだから。
肩に掛かった手から冷気が流れ込んできて、氷の彫像になった。そんな気さえするほど体の自由が利かない。
「――無理だがね?」
優しい――敵意を一片も感じさせない声がロバーデイクに投げかけられる。メイスが力無くロバーデイクの元から離れ、大地に落ちる――。
「今は何をしたか聞きたいかね?」硬直し、誰も動けない中、機嫌よくアインズは種明かしをする「無詠唱化した《タイム・ストップ/時間停止》を使っただけだとも。大したことが無いだろ? ただ、10秒も時間を稼ぐのは無理だと思うぞ?」
さて、とアインズは呟き、戦意を失いつつある3人を眺める。
「……そうだ。いいことを考えた。誰か1人だけ逃げるチャンスを上げようじゃないか。逃げるならそこを走っていくといい。ただし逃げる者を後ろから追いかけるものがいる。逃げ切れなかったら……まぁ可哀想なことになるね。――アウラ、出口の扉を開けてあげなさい」
「了解しました」
アインズはロバーデイクたちが入ってきた方向を指差す。アウラがとんと飛び上がると、靴がほのかな光を発し、その姿がかき消える。
「さぁ、アウラは転移して扉を開けてるだろう。行くならどうぞ。仲間を見捨てて行くといい。さて誰が逃げるのかね?」
アインズが手を向ける。その顔に浮かんだ表情は邪悪そのもの。誰が逃げるのか、非常に楽しみにしているといわんばかりの顔だ。恐らくは仲間割れをするのを見たいのだろう。
確かに冒険者と違い、ワーカーチームは金銭的な面での結びつきが強いチームも多い。
しかし、フォーサイトは違う。
「……アルシェ行きなさい」
「そうよ、行きなさい」イミーナが微笑んだ。「私達は互いしかいないけど、あなたは妹さんがいるんでしょ? なら私達を見捨てていきなさい。それがあなたのすべきことよ」
「――そんなの! 私のせいで!」
ロバーデイクはアインズに即座に攻撃する意志が無いのを見て取ると、アルシェの元に歩く。そして懐から小さな皮袋を握らせる。
「大丈夫ですよ。あのアインズという化け物を倒してあなたを追いかけますよ」
「そうよねー。そのときはあなたの奢りで一杯ね」
イミーナも小さな皮袋を取り出すとそれを握らせる。
それがどういう意味を持つのか。横から見ているアインズには分からないが、アルシェには分かる。ロバーデイクはヘッケランの死体の元まで行くと同じような皮袋を取り出し、それをアルシェに放った。
「一言だけ言わせて貰うが、私は最初にそのこそ泥を殺すと約束する」
もはやアルシェが逃げることが決まりつつある中、不満げにアインズは3人に口を挟む。喧嘩も何もなく、綺麗に決めていったことが不快なのだ。そんなアインズに対し、3人はチラリと見る程度だ。いや、アルシェのみがイミーナを凝視している。
イミーナはアルシェに対し微笑む。その透き通ったような笑みを、横から見ていたコキュートスが数度軽く頭を振った。
「……さぁ、行ってください。それと宿に預けてるお金好きにしていいですから」
「私もね」
「……じかいじた。ざぎにいってる」
無論、3人とも信じていない。
アインズという想像を絶する存在を倒せるなんて、これっぽちも思っていない。これが最後の別れだと知っているアルシェの言葉はもはや言葉にならず、殆ど嗚咽のようだった。アルシェは魔法を唱え始める。
「上空はモンスターがいるから逃げたとしても捕まるぞ」
「――《フライ/飛行》」
アインズの忠告を無視し、アルシェは魔法を発動させる。そして最後に仲間を一瞥すると、無言で地表を飛行していく。
「……あぁ、そうか。走るより早いし、疲労しないからな」アインズは忘れていたというといわんばかり態度を見せる。「しかし、仲間割れもしないでよく決めたな。もっとこそ泥に相応しい見苦しい行動をするかと思っていたぞ」
「彼女が最も逃げられる可能性が高いですから」
「そうよ。外なんだから飛行の魔法を使えるあの娘こそ、最も逃げ足が速いからね」
「……外ねぇ」
ふいっとアインズは星の浮かぶ空を眺め、ニタリと哂う。その哂いに2人は嫌な予感を覚えた。
「良い事を教え――」
「――アインズ様」
「どうした、コキュートス」
突如口を挟んだコキュートスに、アインズは多少不快げに、されど親しみを込めて尋ねる。
「今殺セバ、彼女ノ元マデ悲鳴ガ聞コエルカトト思イマス」
「おお! コキュートスも恐ろしいことを考える。しかし実の所、飛行の魔法の移動力はかなり高いんだ。残念だが、難しいだろうな。良いアイデアを出してくれたこと感謝するぞ、コキュートス」
「アリガトウゴザイマス」
「……まぁ、確かに大声で泣いたら聞こえるかも知れんな。では、さっさとそのこそ泥を殺すか。この世にお別れを告げる覚悟は出来たか?」
ロバーデイクがメイスを拾い上げ、アインズに近寄る。自らの直ぐ前に立つロバーデイクにアインズは薄く笑い掛ける。
イミーナはふぅーと長く息を吐き――
「――あああああ!!」
――箍が外れたような叫び声と共に、イミーナが矢を引き絞る。そして――放つ。ロバーデイクがすぐ側にいるとはいえ、誤って命中させてしまうほど下手で無い。この距離なら百発百中だ。
しかし――飛来した矢はアインズの前でまるで壁でもあるかのように弾かれる。
「無駄なことだな。だが少し……遊ぶか。《トリプレットマジック・グレーター・マジックアキュリレイション/魔法三重化・上位魔法蓄積》」
3つの魔法陣がアインズの前に浮かび上がる。
「うぉおおおお!」
似合わないような雄叫びを上げ、アインズの顔面にロバーデイクのメイスが叩き込まれる。何も考えない全力の一撃。アインズが回避するわけが無いという思いから、全身の力を込めた一撃だ。
しかし、それは容易く弾かれる。メイスを握る手首に負担が跳ね返ったため激痛を感じ、ロバーデイクはメイスを落とす。アインズはそんなロバーデイクに一瞥すらしない。そんな価値すらないという態度だ。
「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」
アインズは中空に浮かんだ魔方陣の1つに魔法を込める。
「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」
ロバーデイクの治癒魔法がアインズに飛ぶ。アンデッドは治癒系の魔法で逆に傷を受けるためだ。しかしそれもまた前にアルシェが使った攻撃魔法のように、まるで見えざる壁があるかのように効果を発揮しない。
「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」
完全に2人の攻撃を無視し、再び魔方陣に魔法を込めるアインズ。
飛来した矢がアインズの顔面に突き立とうとして、やはり弾き返される。それを見たイミーナが弓を投げ捨てる。もはや飛び道具は効果が無いと判断してだ。
「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」
「《マジック・ウェポン/武器魔化》」
抜き放ったショートソードを腰に構え、突撃するイミーナにロバーデイクは魔法をかける。そして最後の魔方陣に魔法を込め終わったアインズに突き立てる。
そして――容易く弾かれる。
驚きながらも、内心で予測もしていたのだろう。寂しげな笑顔を浮かべたイミーナにアインズは指を突きつける。ロバーデイクが間に割り込もうとしているが、アインズの魔法の発動はそれよりはるかに早い。
「ご苦労様――《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》そして《リリース/解放》」
「あっ……天使」
放たれたのは魔方陣から90、アインズから30、計120本にもなる光弾。
それが弧を描きながらタイミングよく殺到する様は、イミーナが呟いたように天使の翼のように見えた。しかし、それはそんなに慈悲のあるものではない。
殴打。殴打。殴打。殴打――。
頭を、胸を、腹を、腕を、足を、顔を、股間を――。
120の光弾。それはイミーナの全身を殴打する魔法の力だ。イミーナが吹き飛んだ後も餌に群がる魚のように、光弾はイミーナの肉体に叩き込まれる。イミーナが意識を失ったのはどの段階なのか。
棍棒で殴打されるような痛みの中、決して声を上げない。骨が砕け、内臓が破裂しても、苦痛の声は上げない。
ほんの一瞬。
イミーナがいた場所には誰もいない。僅か後方に薄く広がったミンチ肉が転がるばかり。鎧はひしゃげ、着用していたものは血と肉の中にガラクタとして混じっていた。
「イミーナ……!」
「仲間と共に築いたものを漁る、薄汚い盗賊にしては豪華な死だ」
つまらなそうに吐き捨てるアインズに、ロバーデイクは怒りに満ちた表情で睨む。もはや憤怒という言葉しかその顔には無い。70センチ程度の距離でロバーデイクは、憎悪のみの目でアインズの空虚な眼窟を睨む。
そんなどんな人間でも離れたくなるだろう視線を受けても、アインズはなんとも思わない。いや、思うような精神構造はしていない。
ロバーデイクは拳を握り締め、叩き込む。狙うは一点。アインズの肋骨の終わる場所辺りで脈動する球体だ。
それはそこが弱点だという予測からの一撃。
拳が吸い込まれるように叩き込まれ――けたたましい破裂音が響く。
すさまじい衝撃を受け、ロバーデイクの拳が弾き返る。その反動で想像を絶する巨大な力の反撃を受け、完全に破壊されたロバーデイクのガントレットが大地に落ちた。
よたよたとアインズから後退するように下がり、ロバーデイクは驚愕の顔で拳を見つめる。ガントレットがガラクタになるほどの破壊の力を受けながら、その下にあったロバーデイクの拳にはかすり傷1つ付いていない。あまりにも異常な事態だ。しかしながらアインズという存在を考えれば、なんとなくだがこの結果こそ相応しいような気が、ロバーデイクはしていた。
「感謝するんだな。お前は今、最強のマジックアイテムに触れることが出来たんだぞ? ワールドアイテムの中でも私が保有することで最強となる、私の名前が刻まれたワールドアイテム。かつての戦いにおいても到達した大半のプレイヤーを殺しつくす要因となったものにな。――シャルティア!」
アインズはロバーデイクに平然と背を向けると、貴賓室に再び声をかける。その態度――ロバーデイクにはアインズを傷つけることが出来ない、と言わんばかりの態度。
いや、事実そうだ。どんな攻撃も決して届かない。アインズはそう理解しているがゆえにこういった行動に出ているのだ。ロバーデイクにはアインズという化け物を傷つける手段は無い。だからこそ、冷静に考える必要がある。最悪でもアルシェが逃げるための時間を稼ぐ必要がある。
ロバーデイクが後ろに下がりながら、必死に頭を回転していると、貴賓室から先程のアウラ、コキュートスと同じように1人の少女が舞い降りた。
銀に輝くような美しさを持つ人間の少女だ。憤怒に支配されつつあるロバーデイクが、美しさに目を奪われかけるほどの美の持ち主だ。
ふっと、シャルティアが視線を動かし、ロバーデイクを正面から見つめる。真紅の綺麗な瞳。それがまるでロバーデイクの心臓を握り締めた、そんな感じがした。動くこと――呼吸すら困難な重圧が襲い掛かってくるようだった。
少女の視線がそれてなお、ロバーデイクに動くことは出来なかった。
「シャルティア。さきほどの少女を捕まえておけ」
「畏まりんした、アインズ様」
少女――シャルティアはアインズにニコリと微笑む。ただ、その輝かんばかりの微笑を横から見て、ロバーデイクの背中を怖気が走る。あれは単に化け物が美しい皮を被っただけの存在だと直感して。
「何故、こちらを直視しない?」
「え、だって……」
シャルティアがもじもじという言葉が似合いそうな動きを見せる。アインズは自らの体を見下ろし、頭をかしげる。
「単なる骨だぞ?」
「アインズ様のは特別です! もう、そんなこと言わせないでください。恥ずかしいです……」
顔を両手で挟むと、いやんいやんと顔を振る。
「シャルティア……ほんとお前ぶれないな……。というか少し真面目にやれよ……。まぁいい。行って捕らえろ。ただ、ある用途があるのでな。傷をつけたりするのは厳禁だ」
「畏まりんした。無傷で捕らえたいと思いんす」
「狩りを楽しんで来い」
「はい。そうさせてもらいんす」
シャルティアはアインズに深くお辞儀をするとゆっくりと歩き出す。その1歩1歩がアルシェの命を縮める行為だと、理解していながらロバーデイクには動くことが出来ない。
一瞥すらせずにシャルティアはロバーデイクの横を通り過ぎて歩いていく。走れば直ぐに追いつく距離。だが、それが遠く感じる。
シャルティアの歩く足音が遠くなり、アインズはロバーデイクに話しかける。
「さて、取引をしようじゃないか」
「どんな取引ですか」
「お前が協力してくれる限り、アルシェという少女は殺さないという約束だ」
「どのような……協力ですか?」
ろくでもない協力だろう。それは分かっているが、それでも仲間の命が助かるかもしれないという可能性はロバーデイクにとっては魅力的なものだ。
「今、追いかけていった私の部下は神官系なんだが、その信じる神はお前達の信仰する神とはまるで違ったものだ。というよりも私からするとお前達の信仰する4大神という方が知らないんだがな。それで知りたいのは神官系の魔法を使う存在は、本当に神から力を得ているのかという疑問だ」
「……何を言っているですか?」
「……神という存在を見たことがあるか?」
「神は私達の直ぐ傍にいます!」
「その答えにあるのは、つまり直接は見たことがないということだな?」
「違います! 魔法を使うとき、大きな存在を感じるのです。あれこそ神です」
「……それが神だと誰が決めた? 神自身か? それともその力を使った者か?」
ロバーデイクは様々な神学論を思い出す。アインズが思った疑問。それに対する答えというのははっきりとは出ていない。未だ、様々な神官の間で揉める原因とはなっているが、それでもあれが神といわれる存在の一部だろうという結論は出ている。
口を開こうと思ったロバーデイクに、アインズは重ねるように話す。
「……まぁ、それを高次存在――神というものだと仮称して考えると、それは元々無色なものなのではないだろうか、私はそう思ったりもするんだ。ようは力の塊だ。それに色の着いた液体を垂らすことでいろいろな変化が生じる、……まぁ、魔法という法則が存在する世界で、何を考えているんだという突っ込みは自分でもあるんだがね。実際に神がいたって可笑しくはないしな」
「…………」
「すまない。そういうことが言いたかったんではないんだ。まぁ、単純にお前たちの信仰する神の力。それを習得できないだろうかと思ってな。……ぶっちゃけ人体実験をしたいんだ」
さらりと危険極まりないことをアインズは口にする。
「……人体実験?」
「そうだ。例えば記憶の一部を変化させ、お前が信仰する神を別の神にした場合、どんな結果を及ぼすのかとかだな」
狂っている。ロバーデイクの正直な感想はそれだ。
この目の前にいる存在は、考え方からして狂人の発想という領域に到達している。
1歩下がったロバーデイクを興味深そうにアインズは眺める。その視線がまるで実験動物を観察する学者のようで、ロバーデイクは吐き気すら覚えた。
「協力してくれるなら報酬として、アルシェという女の安全は保証しよう」
「それを信用できる証拠は……」
「あるわけが無いだろ? お前が信じるかどうかだ。まぁ、信じないならそれでも構わない。無理矢理に協力させるだけだ。その場合はあの女も実験材料だ」
「……あなたには慈悲が無いのですか?」
「笑わせるな。ナザリックに土足で入り込んできた者に慈悲なぞかけるか」
ロバーデイクは空を見上げる。星の浮かぶ空を。
そして大地を見る。仲間2人の無残な死体の転がる闘技場を。
深いため息。無数の考えが浮かび、1つずつ考慮する。そして最終的な答えを出す。
「条件がさらに1つ。仲間の死体を弔わせてください」
「……仕方が無い。そして感謝してもらおう。ナザリックに土足で入り、友の名を語ろうとした貴様らに一片でも慈悲を与えられることを。……お前の仲間の死体を利用するのは諦めよう」
死は絶対なものとして存在する。死者を蘇らせることなんて不可能なこと。せめて仲間の魂が安息を得られるように、アルシェが少しでも救われるように、と神官としてロバーデイクは祈る。
■
荒い息でアルシェは呼吸を繰り返す。
周囲の草や樹が風でゆれるたび、びくりと身を震わす。そして小動物の動きを持って、周囲を見渡した。
確かに周囲は森という場所であり、光の届かない場所は多くある。いや、自然林ごときこの場所では、鬱蒼と茂った木々の枝によって天空からの明かりは遮られ、地上部分に明かりは殆ど無い。
人の目では歩くことも困難に近い場所を、明かり無くアルシェが行動できるのは当然理由がある。それは現在彼女が発動している魔法、《ダーク・ヴィジョン/闇視》によって周囲を真昼のごとく見渡すことが出来るからだ。
しかし見渡せるといっても、人ぐらい簡単に隠れられそうな下生え。その後ろに充分に身を潜められそうな巨木。ザワザワと揺れる枝等。注意を払うべき場所は無数にある。
魔法使いであるアルシェではモンスターに飛び掛られたりしたら、力で振り払うことは出来ない可能性のほうが高い。本来であれば仲間が即座に助けてくれるだろうが、現在は助けてくれる人も、前を受け持ってくれる人も、治癒してくれる人も誰もいないのだ。
つまりは接近戦を挑まれる前に知覚し、距離をとるなり逃げ出すなりする必要がある。それが分かっているからこそ、精神を張り詰めて周囲を伺う必要があるため、精神的な疲労は通常よりも激しい。
元々最初は外に出たなら、飛行の魔法を使って一気に逃げる計画だった。しかし、木々の上まで昇ったとき、夜空の中、切り絵の影のような黒く巨大なものが何かを探すように飛行しているのを目撃し、その考えは放棄した。
その巨大な蝙蝠のような存在。それを視認してしまっては、流石に飛行速度の勝負をする気にはなれなかった。《インヴィジビリティ/透明化》の魔法は視覚を騙すことはできても、蝙蝠の保有する特殊な感覚器官を騙すことはできないからだ。
アルシェは周囲を伺い、再び浮かぶとトロトロとした速度で中空を進む。
本来の《フライ/飛行》からすれば非常に劣る速度で進むのは、周囲を伺うためだ。全力で飛んでいると、流石に周囲を伺う余力はないし、視認のタイミングが遅れる。そうなるとモンスターのど真ん中に飛び込むことだって考えられる。それを避ける手段はやはり速度を落として飛行するということだ。
やがてアルシェは自らを包む、魔法の膜が弱まっていくのを感じ取った。《フライ/飛行》の制限時間が経過してしまったのだ。
ゆっくりと足を地面につける。
問題はここからどうするかだ。再び《フライ/飛行》の魔法を使うこと自体は問題ではない。その程度の魔力は残っているのが、目を瞑れば感じ取れる。しかし、《ダーク・ヴィジョン/闇視》も必要不可欠だし、モンスターがいた場合を考えて《インヴィジビリティ/透明化》。そして戦闘が避けられない場合の魔力も残しておかなくてはならない。
アルシェの使える魔法の中でも、第3位階魔法である《フライ/飛行》は最も位階の高い魔法だ。いうなら最も魔力を削る魔法だ。出来れば使わないで魔力を温存したいのは事実。
墳墓に入り、ここに転移させられる間、かなりの魔力を消費してしまったからだ。残った魔力では《フライ/飛行》もあまり回数は使えないだろうし。
しかし、この森という足場の悪い地形を簡単に踏破する魔法は惜しい。さらに《フライ/飛行》の魔法が失われるということは自らが何処にいるのか、方向感覚が消失するということだ。
森というのは言うまでもなく、まっすぐ進んでいるつもりでも徐々に向かう先が狂ってくるもの。これは生えている樹を迂回したり、倒木を乗り越えたりした時などに、どうしても起こってしまう。さらに目立った標識になるものがない以上、自分がどこを歩いているのかを知覚することは非常に困難なのだ。
飛行の魔法が発動している間は木の上まで昇り、周囲を伺うことで自分の現在位置の確認は取れた。特に闘技場の直ぐ傍に巨大な樹があったことが幸運だった。それらを始点に方角をつかめることが出来るのだから。しかし魔法の切れた今となっては、それは困難を極める。流石に樹を登攀し、周囲の状況を伺うなんて余裕は無いからだ。
「──どこかで休む」
アルシェは呟く。
確かに休んで魔力を回復させれば、《フライ/飛行》の使用回数も格段に増えるし、太陽の下で行動した方が安全だ。特に森とかに住むモンスターは夜行性のものが多い。
この暗い森を無理に進むより、一夜を明かしたほうが安全性は非常に高いだろう。
しかし、何処なら安全なのかというのがアルシェには分からない。
もしこの場にイミーナがいれば教えてくれただろう。しかし頼れる仲間はいないのだ。
「──イミーナ、ロバーデイク」
アルシェは巨木にもたれかかり、仲間を思い出す。
「……うそつき」
これだけ時間がたったのに2人が追ってくる気配は無い。闘技場で何かが起こった気配も無い。そして2人が何らかの手段でこちらと連絡を取ろうとする気配も無い。そこから導き出される答えは1つだけだ。
彼らの死。
いや、無論分かっている。闘技場を出る前から分かっていたことだ。彼らがアインズという桁の違う存在に勝てるわけが無いと。だが、それでも淡い期待を抱いてしまったのは、アルシェが愚かだからだろうか――。
アルシェはぺたんと座り込み、背中を樹にあずける。
アルシェは目を閉じる。無論危険なのは分かっている。しかし目を閉じたかったのだ。
2人──いや3人のことを思いながら、目を強く閉じる。
樹の冷たい感触が頭部に心地よく感じられる。少し休むと、自らが疲労していたことを強く感じさせる。高ぶった緊張感が精神的な疲労として、のしかかってくるようだった。
「──はぁ」
首の力を抜き、頭を後ろに傾けるような、見上げるような角度を取る。
そして目を見開いた。
《ダーク・ヴィジョン/闇視》によって明るい世界の中、それが視界に入ったことが理解できなかった。
アルシェを見下ろす人物がいたのだ。
それはアルシェの見たことの無い、非常に美しい少女だった。
着ている服は場所から考えると、あまりにも適してない柔らかそうな漆黒のボールガウン。白蝋じみた白さを持つ肌。そして長い銀色の髪を片手でつまんでアルシェの元まで垂れないようにしていた。
貴族であるアルシェですらこれほどの美しい少女を見たことが無い。もし舞踏会に出れば引っ張りだこだろうし、その美貌だけで欲しいものは全て手に入るだろう。
そんな少女の真紅の瞳に、吸い込まれそうなものを感じていた。
だが、すぐにアルシェは我に返る。こんな場所にこんな格好をした者がいるはずがない。さらに彼女は両足を樹に付け、垂直に立っているのだ。
考えられるのはアインズの言っていた追跡者。だが、この森に昔から住んでいる住人ということも絶対に無いとは言い切れない。
「鬼ごっこは終わり?」
淡い期待は容易く裏切られる。
「──追跡者」
アルシェは飛び起きると、距離を取りつつ、少女目掛け杖を突きつける。少女はそんなアルシェに興味をなくしたように、樹を歩き、地面に降り立つ。
「ほら早く逃げないと」
「──ここであなたを倒せば安全に逃げられる」
といいながらもアルシェは内心苦笑いだ。アインズという存在がよこした追跡者に勝てるはずがないと理解しているからだ。そんな弱いものを送り出さないだろう。
それなのにこんな態度に出たのはあくまでも相手の反応を伺うためだ。
「ならどうぞ。僅かぐらいなら遊んであげんす」
彼我の強さの差を完全に理解した態度。つまりは彼女にとっては、アルシェとの戦闘は完全に遊びの領域だということ。
「──《フライ/飛行》!」
アルシェは魔法を詠唱すると、逃亡を開始する。地上をトロトロと飛行する余裕は無い。一気に上昇する。両手で顔を庇い、枝の間を抜け、一気に木の上に出る。
夜空の下、アルシェは周囲を見渡す。先程見た巨大なこうもりにも似たモンスターがいることを警戒したのだ。しかし、周囲に存在は確認されない。ならば逃走するだけだ。
「ほら頑張れ、頑張れ」
逃げ出そうとするアルシェに綺麗な声が掛かる。どきんとアルシェの心臓が1つ大きく鳴った。視線が彷徨い、どこにいるのかを探す。そして向かった先は、アルシェの更に上空。
そこにいつからいたのか、先程の少女がいた。
「――《ライトニング/電撃》!」
突きつけた杖の先端から青白い雷撃が夜闇を切り裂き、彼女に突き刺さる。アルシェの使える最大の攻撃魔法だ。それに貫かれてなお、彼女の顔に浮かんだ微笑は絶えることが無い。
アインズに匹敵するだけの存在。アルシェはそう確信する。それはつまりはアルシェでは勝ち得ない存在だということ。逃げ出そうとするアルシェに、少女の楽しげな声が掛かる。
「眷属よ」
少女の背中から巨大な羽根が伸びた。それはコウモリの羽根の様で、ただ、あまりにも巨大だった。背中から分離するように飛び立ったのは翼幅5メートル、体長1.5メートルにもなるコウモリだ。無論、真紅の瞳を持つコウモリが単なるものであるはずが無い。
バサバサという音を立てながら飛び上がるコウモリの近くで、ニンマリと少女が哂った。アルシェの全身が凍りつくような、年齢に全く似合わない笑みで。
「さぁ、頑張って逃げてくんなまし――」
アルシェは逃げる。
只ひたすら逃げる。
相手を撒くために木々の中に突入し、枝で己の体を傷つけながら逃げた。
仲間を置いて逃げたのだ。せめて逃げ切らなければならない。そのためならどんなことでもしようと思っていた。
そしてどれだけ飛んだか。数度《フライ/飛行》の魔法をかけ、アルシェの魔力が完全になくなった頃、アルシェは絶望を直視していた。
壁だ。
不可視の壁がそこにあったのだ。
世界はまだまだ続いているのに、アルシェの体を遮る壁があったのだ。現在アルシェがいるのは上空200メートルの地点だ。ここまで不可視の壁が伸びている。
「――これは」
絶望に満ちた声でアルシェは呟く。手で触れながら飛行する。だが、壁だ。壁だ。壁だ。壁だ。
そう、どこまで行っても手には固い感触が伝わる。
「これは一体?」
「壁よ」
答えが無かったはずの独り言に答えが返る。誰の声か予測が出来たアルシェは草臥れた顔で振り返る。
そこにいたのは予想通りの人物。先ほどの少女。そして周囲に飛び交う3体の巨大なコウモリ。
「何か勘違いしてるみたいけれど、ここはナザリック大地下墳墓第6階層。つまるところは地下よ」
「……これは?」
アルシェは世界を指し示す。天には星空、風は流れ、大地には森が広がる。そんな場所が地下であるはずが無いという思いと、この者たちならそれぐらい可能だろうという思いがぶつかる。
「至高の41人――かつてこなたの地を支配され、わたし達をお作りになりんした方々。その方々が作り出したわたし達ですら理解不能なシステムよ」
「――世界を作った? それは神様の……」
「そうよ。わたし達の神様の如き存在なの。アインズ様を筆頭にかつていらっしゃった方々は」
アルシェは周囲を見渡す。
もはや彼女は受け入れていた。流石にこれだけのものを見せ付けられれば受け入れしかない。
もう自分が生きて帰ることは出来ない、と。
「さて、逃げないの?」
「――逃げられるの?」
「無理よ。元々逃がすつもりなんか無いんでありんすから」
「――そう」
アルシェは杖を両手で握り締め、少女に飛び掛る。もはや魔力は無いために魔法は使えない。しかし、それでも最後まで逃げる努力はする。それがフォーサイト最後の1人となったアルシェのすべきことだ。
「はいはい、ご苦労様」
決死の突撃を行うアルシェに、少女は詰まらなそうに言葉を投げかけた。
「じゃぁ、これであなたの逃走は終わり。最後に泣き崩れ無かったのが残念かな?」
少女は振り回された杖を容易く手で受け止め、自らの方に引っ張る。体勢を崩して引き寄せられたアルシェと少女。2人は空中で抱き合う。
少女はそのままの勢いでアルシェの首元に顔を埋める。アルシェは暴れて振りほどこうとするが、膠で固めたように少女の体は離れない。生暖かい息が首筋にかかり、ゾクリとアルシャは体を震わせた。
「……ふーん、汗臭い」
ワーカーであるアルシェからすれば仕事の最中、体を綺麗に出来ないのは仕方が無いことだ。これはワーカー、冒険者、旅人。外を旅するものなら当然であり、汚いといわれても「だから」と笑って言い返せるようなことである。
しかし、自らよりも年下の、それも非常に綺麗な少女に言われると、羞恥の色が浮かぶのも仕方が無いことだ。
少女の顔がアルシェの首筋から離れる。その真紅の瞳を覗いた瞬間、アルシェは嫌悪感に襲われた。女の体を貪ろうとしている、情欲に塗れた男のような感情を宿していたから。
「帰ったらまずはお風呂に入りましょ?」
「――!」
言い返そうとしたアルシェは驚く。自らの体がまるで動かないことに。まるでその真紅の瞳に全てを吸い込まれてしまったように。そこでようやく少女の正体にアルシェは気付く。
人間ではなく――ヴァンパイアだと。
「……それから」アルシェの顔に少女が顔を近寄せると、ぬるりと唇を割って出た舌が、アルシェの頬を舐める。「……塩味」
ニンマリと少女は笑い、アルシェは絶望に心を軋ませた。
少女の笑いが深くなる。
まるで裂けるように唇が耳まで達する。虹彩からにじみ出た色によって、眼球が完全に血色に染まっていた。
そして口がパクリという擬音が正しいような開き方をした。先ほどまで白く綺麗な歯が並んでいた口は、注射器を思わせる細く白いものが、サメのように無数に何列にも渡って生えていた。ピンクに淫靡に輝く口腔はぬらぬらと輝き、透明の涎が口の端からこぼれだしている。
ぞっと、心の底から噴きあがる恐怖にアルシェは包み込まれる。
「あはっはっはは。そうよぉおお、あなたの頭の中が快楽でぐじゃぐじゃのぬちゃぬちゃになるまで、いろいろしてあげるのよぉおおおお。自分からもとめてくるまでぇえええ、どれぐらいの時間がいるのかしらあああぁああ!」
げたげたと笑う血の匂いを撒き散らす化け物を前に、アルシェは自らの心を手放す。
最後に家で待つ2人の妹の顔を思い浮かべながら。
「うんんんん? 気絶しちゃいましたかああああ? じゃあああぁぁあ、起きたら楽しみましょうぅううねえええええ」
■
「これがニューロニストの集めた情報になりんす」
シャルティアから渡された用紙を自室で受け取り、アインズは眺める。3日前に侵入した者たちから引き出した情報が記載されていた。依頼してきた人間の名前。侵入者の正体。そういうことが書かれた用紙だ。
その他にも、侵入者の持ち物に関してはシャルティアが第2階層で管理を行う。死んだものはアインズが実験に使うので保存しておくということも記載されていた。
用紙に目を通しつつ、アインズは頭を傾げる。ニューロニストの手腕に不安はないが、必要なのは信頼できる情報なのだから。
「なるほど……しかし、苦痛は裏切らないというが、拷問という手段では全てが肯定されてしまうだろう。この情報の精度はどれほどなのだ?」
「え?」
「──え?」
シャルティアの驚きに反応し、アインズは不思議そうな声を上げる。
「わたしが思いんすには《ドミネート/支配》の魔法を使用して集めたものと思いんすが?」
2人は互いに顔を見合わせた。
《ドミネート/支配》の魔法は《チャームパーソン/人間魅了》をより強化したような魔法で、掛かった相手を意のままに操ることが出来る。これをもってすればどのような情報も吐き出させることが出来るだろう。
何故にそれに気づかなかったのか。アインズだって使える魔法だ。
シャルティアの不思議そうな視線に対する言い訳を考えるべく、アインズは頭を巡らせる。
「違うのだ。シャルティア」一拍おいて、頭を回転させたアインズは続ける。「その書面にはどうやって情報を入手したと書いてある?」
「そこまでは書いておりんせんが……」
「そういうことだ。どうやって情報を入手したのか。そしてその情報の精密度はどれぐらいなのか。そういった面まで書かなくては食い違いが出るだろ?」
ここでシャルティアが始めて気づいたような顔をした。
「申し訳ありんせん。そこまで注意しておりんせんでありんした!」
無理矢理な言い訳であり、筋の通らない会話だが、何とか誤魔化せたようだ。謝罪するシャルティアに若干の罪悪感を抱きつつ、アインズは鷹揚に頷く。
「構わないとも、次回から注意してくれれば全然問題ない」
「はい、畏まりんした。……ところであの神官は結局如何されたんでありんすか?」
あの神官というのがロバーデイクのことと、直ぐに理解できたアインズは答える。
「アウラに作ってもらった住処で実験している」
「一体どのような?」
「神の存在証明。……いや、哲学的なもしくは宗教的な問題ではなく、実際にありえる問題としての証明を行いたいと思ってな」
「それは一体?」
「いや、魔法があるんだ。本当に神がいたとしても可笑しくはなかろう。人間の延長で神が存在した場合、自分の信者を殺してる存在がいたときどのような対処をする? 自らが管理している世界のバランスを崩す存在が出たらどうする? 私だったら直接叩き潰すぞ」
神ごときが何の問題があるのか。そんな不思議そうなシャルティアにアインズは苦笑しつつも続けて言う。
「もし神が存在するとしたら、その神は殺せる存在なのか調べておいた方がよかろう?」
「なるほど……完全に殺しきれなければ面倒でありんしょうしね」
ユグドラシルというゲームにおいて、神は倒しても良い存在であるし、イベントで倒すこともあった。しかし、この世界においてそれは可能なのだろうかということだ。人間よりアインズははるかに強い。では神と呼ばれる存在がほんとにいたとき、それはアインズたちと比べてどの程度の強さを保持するのか。
「まぁ、そんな目的の一環で記憶をいじったんだが、別に問題なく魔法は使えていた。つまりは4大神とか言う存在はいなく、やはり巨大な力の存在がいるんじゃないかと仮定している。その巨大な力の存在に方向性をつけることで、神の各種の力に変わる」
そこまで説明してからアインズは再び苦笑いを浮かべる。
「まぁこれ以上は危険だろうから中止だな。良く分からないエネルギーを弄び過ぎるのは危険だろうからな。まぁ、そんなことを言ったら魔法はどうなるんだという問題になるんだが……難しく考えるだけ無駄ということで納得した方が精神的にも良かろう。そして神が力の方向性の具現なら、その方向性を支配してしまえばよい……。そうすれば神すらも支配できるだろう」
シャルティアは神すらも支配すると言ったアインズに敬愛を込めた視線を送る。自らの主人は──至高の41人はまさに神ごとき存在だという認識をNPCは持っている。それを肯定されたような喜びがあったのだ。
「流石はアインズ様」
「まぁ、その手段は全然浮かばないんだがな」
お手上げという感じでアインズは手を動かす。それを受けてもシャルティアに失望は無い。今は浮かばないだけだろうと確信しているからだ。遠くない未来、必ずや自らの主人は神すらも支配すると信じているからだ。
「そうだな、そのうちデミウルゴスにも聞いて色々と考えてみるか。さて、あの女は如何している? 出来る限り傷をつけないという約束をしているのでな」
「あの女……アルシェちゃんのことでありんすね。今は尻尾を生やしたところまででありんすね」
「尻尾……? ライカンスロープにでもしたのか?」
獣人であるライカンスロープに変身させる手段なんかあったのだろうか、そんな風にアインズは思い、シャルティアに尋ねる。
「いえ、アナ……」
「もういい」
アインズはシャルティアの言葉をばっさりと切る。
「でありんすが、アインズ様。これだけは聞かせてくんなまし」
「何をだ?」
かなり嫌な予感を覚えるが聞かないわけにはいかないだろう。部下の話を聞くのも、良い主人としての勤めだ。
「アインズ様は彼女に傷をつけるなと命令されんした。でありんすが、 ……処女ぐらいは奪ってもいいでありんすね?」
「――ペロロンチーノ!!」
アインズはかつての仲間の名を叫ぶ。己を創造した人物の名を呼ばれたシャルティアは目を白黒させた。アインズの興奮は直ぐに収まり、冷静さが帰ってくる。
「……すまん。ちょっと興奮した。……そうだよなぁ。お前に渡したんだもなぁ。私が悪いよなぁ……。まぁ、うん、止めておいて上げなさい」
「あの娘から奪って欲しいと嘆願してきたときはどうすればよろしいでありんしょうかぇ? それともアインズ様がお奪いになりんすか?」
そんなこと知るかとか、ナザリックに乗り込んできた奴が悪いとか、色々な考えが浮かぶ。結局、両者が合意の上なら良いだろうということでアインズは自らを納得させる。
「……魔法とか脅迫とかそういう手段ではなく、奪ってほしいというなら……良いんじゃないかなぁ?」
「畏まりんした。ではそういう態度になるように、ゆっくりと楽しみたいと思いんす」
「そうか……お前が楽しんでくれるなら嬉しいよ」
投げやりに手を振り、アインズはその話は終わりにしようと考える。ふと皮袋のことが脳裏に浮かんだのだが、シャルティアが何も言ってこないのだし、大したものではないのだろうと判断し、口を閉ざす。
広い空間の中を一瞬だけ沈黙が支配する。本来であればアインズの後ろに並んでいたであろうメイドは全員退室していたから。
その沈黙に押されるようにシャルティアは口を開いた。
「……しかし何故、神のことを調べようと思われたんでありんすか?」
「……元々目的の一貫だからだ」真面目な話だと安堵したアインズは続ける。「私の計画は大きく分けて2つだ。1つが英雄たるアインズ・ウール・ゴウンを作るということ。そして英雄となった場合、その先にあるのが神格化の道だ」
これは大抵の場合がそうだ。人間の歴史を読み解けば、それが行われる可能性が高いことだと理解できるだろう。
「ただ、この世界のように本当に神の存在がいた場合、神格化はなるのかどうか不明瞭な点があった。だから神がどんな存在か確認したかったのだよ。まぁ、今回の実験で全てが理解できたとは思ってないがな」
実際に神が本当にいる世界の場合、神格化というものは行われない可能性の方が高い。だが、神という存在がどのようなものか認識することで、神格化のための種を世界に撒けるのではという計画の元の実験だったということだ。
ぽかんと口を開けるシャルティアに、若干恥ずかしいものを感じ、アインズは早口で言い訳をするように続ける。
「折角なのだ。大英雄で止まるのではなく、神の位まで上り詰めたいではないか。その意味ではリザードマンの村での一件は予想外の快挙だ」
リザードマンの殆どがアインズを神に匹敵するもの、または神とみなし頭を垂れたのだ。つまりは小さい世界ながらも神格化はなりつつあるということだ。だからこそ自信を持って、更に進んだ実験に取り掛かれたのだが。
「なるほど。ではもう1つの計画といわすのは?」
アインズは口ごもる。
「わたしに話せない内容であれば」
「そんなことは無いのだが……笑うなよ? 誰にも話してないのだからな」
アインズは黙り、シャルティアは誰にも話してないことを聞かされるという喜びに打ち震える。
アインズは少しの時間葛藤する。これはある意味夢物語のような話だ。まともな者なら考えることもしないような狂人の発想。実際アインズだって真剣に考えたことは無い。しかし、リザードマンの村を支配し、絶対に実現不可能なことでも無いのではと思い至るにいたったのだ。
だからシャルティアに聞かせる。それは自らを追い込むという意味でも。
「これは夢物語のような話だ」
最後に言い訳をして、アインズは語る。これ以上の最終的な目的はありえないという、狂人の目標。それは──
「──世界征服だ」
室内が静まり返る。
「アインズ・ウール・ゴウンはかつてたった41人で上位10位内のギルドとして君臨した。即ち大英雄──不偏の伝説となって当たり前の存在。その当然を行って、ようやくかつての仲間たちへの恩返しとなる。だが、そこから一歩踏み出したいと私は望んでいる」
アインズは言葉を途切り、中空に視線をやる。その間、シャルティアは一歩も動かずにアインズの話を聞いていた。
「──かつての仲間たちにここまでやったのだという自慢するためのものを作り出すのだ。それは──シャルティア、世界征服以上のものがあるか?」
「ございません、アインズ様」
シャルティアがゆっくりと頭を下げる。その顔は紅潮し、歓喜に満ちていた。
大命を与えられた部下に相応しい感動が、シャルティアの全身を包んでいたのだ。
シャルティアが出て行き、得た情報を眺めていたアインズは、頭を抱え考え込む。
「しかし、これが帝国サイドのアプローチだとすると、王国のアプローチは来ないのか?」
予定が狂ったとアインズは考える。これだけ時間がたったのにもかかわらず、なんの反応も無いということは、アインズが大したことが無いという判断なのだろうか。しかし今まで集めた情報から推測すると、アインズの能力は絶対。決して王国も安く見るとは思わないのだが……。
「想像もできないような動きをされると困るな」
別にアインズは知者というわけではないと自らを評価している。計画には穴が多いだろうし、情報の漏れも多分にあるだろう。
王国や帝国の人間が計略という点で、自分の上を行っているという可能性だって充分ありえるのだ。警戒を怠るわけには行かない。
アインズはゆっくりと椅子にもたれ、天井を見上げる。視界に入るエイトエッジアサシンは努めて無視をする。というよりこの頃無視が上手くなってきたとアインズは思う。
「シャルティアに言ってしまったな」
世界征服。
本気で行えるとはアインズも思ってはいない。未だこの世界には知らないことが多いし、他のユグドラシルプレイヤーの存在の可能性もある。それらのことを考えればまさに夢物語であり、狂人の発想だ。
大体どうやって世界を征服するというのか。暴力だけで征服できるほど簡単では無いだろう。
しかし、これに関してアインズはリザードマンの村を手に入れたことによって考え方を一転した。もしかすると暴力だけでも征服できるのではないかという方向にだ。
リザードマン村において、アインズは絶対者として既に君臨している。つまりは力こそ全てだと思う種族もいるということだ。別に人間が最も多い種族で、人間を支配しなくてはならないという理由は無い。もし何だったらリザードマンこそ最も多い種族にしてしまえば良いのだ。
「しかしどうにせよ、知恵のあるものが少ない」
世界征服という方向で行動しろと守護者に言ったら、デミウルゴス以外は戦争による支配を主として行動し始めるだろう。それはユグドラシルプレイヤー等、アインズたちに匹敵する存在がいるかもしれない現状では危険極まりない行為だ。
だからこそ、そういう手段以外で征服行為を行ってくれそうな者、忠誠を尽くしてくれる知恵あるものの存在が必要なのだ。それに征服した後、統治するには現状では不可能に近いのではないかと思いもある。
しかしシャルティアに血を吸わせ、眷属を増やす方法では、アインズに対する忠誠心に乏しいために良い手とはいえない。
「私に忠誠を尽くしてくれる賢者系の存在が欲しい……」
今回捕まえた冒険者――ワーカーを利用して、記憶の書き換えから忠誠心を得ようとしたが、これは失敗に終わった。
精神医でもなんでもないアインズにはどこの記憶をどのようにいじればよいのか検討も付かなかったのだ。セーブ&ロードが出来ないため、結局殆どの記憶がでたらめになった人間が1人完成するという最悪の結果に終わったのだ。
「もう少し色々と考えてみるか……」
アインズは呟き、イスにもたれ掛かる。
どうにせよ今回の侵入者が1人も帰らなかったことで、何らかのアプローチはしてくるだろう。その結果を見て行動しても良いだろう。
「しかし……世界征服は……真面目に考えると少し恥ずかしいな……」
――――――――
※ さて、ここまで読まれた方、お疲れ様です。分割で更新した方が良いという意見が多くあったんですが、アレ実のところ読みやすさの質問をしていたんですね。100kを2話の同時更新か、200kの1話更新どちらが良いですかという。今回はミスで2つの間が開きましたけど……。
ご意見はお気楽にどうぞ。ただ、俺はこう言ったのに……とかは無しでお願いしますね。いや、そんな人はいないとは思うんだけど……。
さて、次回は外伝『頑張れ、エンリさん』を1……出来れば2まで書きたいですね。本編は『?』、『王都(外伝にまわすかも)』、『?』、『?』、『?』で前半(?)の終了予定です。もう少しお付き合いいただければと思っています、ではでは。
「では、これがお約束の交金貨100枚です。それと証文ですね」
皮袋の中を眺め、満足げに頷いた後、前に出された羊皮紙にアルシェの父親は躊躇わずにサインをする。そして最後に家紋を押す。その慣れた手つきは幾度となくしてきた証拠だ。
「これでかまわないかね」
差し出された羊皮紙を眺め、男は頷く。ヘッケランとイミーナがこの場にいたら嫌な顔したことだろう。フォーサイトが滞在していた宿屋に来た男だと思い出して。
男は差し出された羊皮紙を幾度か眺め、問題が無いこととインクが乾いていることを確認すると丸め、羊皮紙入れに放り込んだ。
「はい。確かに」それから父親の前にある皮袋を指差し、男は尋ねる。「ところでお確かめにならないので」
「まぁ、金貨の一枚ぐらい無くとも構わないとも」
「そうですかね?」
鷹揚に答える父親に対し、男は頷くように返す。
無論、ちゃんと入っていることは確認ずみだ。それでもこういう状況に追い込まれている家が、金貨1枚でも大切だと考えない時点でかなり不味い。いや、そんな人間が家主を勤めている段階で終わりなのかもしれない。
男にとっては良いお客さんであれば問題は無いのだが。
「では金利や返済時期のほうもいつもの通りで構いませんね?」
ちゃんと証文に書かれていることだが念のために確認を取る。変な問題になって騎士とかが絡む問題になって欲しくは無いのは男も同じなのだ。貴族のような特権階級にあるものは、己の意のままに動くと考えるものがいたりもする。大抵が鮮血帝に追い払われたとしても、問題を起こす一部というのはいるのだ。
男だってそれほど綺麗な身ではない。問題が生じ、勝てたとしてもそれなりの出費はあるのだろう。だからこそ念を押すのだ。
その書いてある質問に対して、やはり鷹揚に──自分を上位者として疑わない態度で頷く父親。
男は了解の意味を込めて頷いた。
「ではそれでやらせてもらいますので、ご返済はちゃんとお願いします。……ところで娘さんは元気ですかね?」
「うん?」
男はこの家には娘が3人いることを思い出し付け加える。
「アルシェさんのほうです」
「ああ、アルシェか。今、稼ぎに行ってるよ」
「……そうですか」
娘が働きに行っている間、お前は何をしているんだ?
男はそんな風に思うのと同時に、瞳の奥に宿りそうな軽蔑の色は上手く隠す。貴族のような権力階級の人間は、他人の顔色や雰囲気に敏感なものが多い。へたすると商人よりもだ。無論ばれたところで大したことは無いだろうが、面倒なことになるのは男としても望んではいない。特に相手はお得意様なのだから。
それでもこのような父親を持ったあの少女に哀れみの気持ちだってある。
男だって鬼ではないのだ。
ただ、最も大切なのはちゃんと金利を含めた分まで返してくれることだ。そして幾度と無く自分の所から借りてくれること。他人の家の事情まで首を突っ込む気にはなれない。
「ちょっと金を稼いでくるものだからといって、生意気になりおって」
不快げに呟く父親に対し、男は多少眉を寄せる。何か面倒ごとになった場合、返済にまで影響を及ぼして貰っては困るのだ。それにこの家からはかなり金利の面で儲けさせてもらっている。出来ればこの関係を長く続けていきたいものだ。そのためいつもであれば気にしないことに首を突っ込んでみる。
「何かありましたか?」
「いや、大したことではない。自分が大きくなるまでどれだけの恩を受けたか忘れた愚かな娘が、跳ね返っただけだ」
「それなら良いんですがね……」
「全く! ガツンと言ってやら無くてな! 貴族というものがどういうものかを」
男は内心思ったことは決して口には出さない。しかし、一言だけ言いたくなった。
「大変ですね」
「そのとおりだよ。全く、あの馬鹿娘は……」
誰がという部分を故意的に隠した男の言葉を、当然自分の苦労のことだろうと受け止め、ぶつぶつと呟く父親。
交金貨100枚ともなれば大金だ。男の給料十か月分に匹敵する。しかしいつものパターンであれば父親が直ぐに使い果たす可能性は非常に高い。その場合また呼び出されるだろうが、返済が終わるまでは貸さない方が良いかと男は判断した。
そこで男は室内を見渡す。
男の目から見ても見事な調度品が無数にある部屋だ。最低でも貸してる金額は回収できるだろう。それにもし調度品で回収できなくても──。
男は瞳の中に浮かんだ感情を隠すように、目を伏せた。
「だいたい、あのような汚い仕事をフルト家の娘がしなくてはならんというのがおかしいのだ。仲間は平民出身者のようだし、品性もさぞかし下劣だろう」
「……そうですかね?」
男は酒場で見た2人の顔を思い出し、考え深げに口にする。その口調に込められた感情をどのように思ったのか、父親は言い訳をするような早口で更に喋る。
「む、平民全てがという気はない。冒険者をしているという意味でだ」
「かもしれませんね」
「だろ。娘が反抗的になったのもそいつらの所為かもしれんな。一度がつんと言ってやる必要があるな。大体、娘たるもの、父親の言うことを聞くのが道理だろう。私に対して何かを言うなんて10年早い」
全く不快だと腹を立てる父親を一瞥し、男は椅子から立ち上がる。
「……では私は他に回らなければならないところがあるので、これぐらいでお暇させてもらいます。ご返済のほうよろしくお願いしますね」
「お姉さま、いつ帰ってくるんだっけ?」
「もう少しだよ?」
その部屋には2人の少女がいた。ベットをイス代わりに、ちょこんと並んで座った2人は、まるでそっくりな容貌だ。
その白い頬にほのかな朱色を混ぜた様は、天使を思わせる。そして姉に多少似た顔は、将来の大花を容易く想像させた。
2人とも御揃いの染み1つ無い純白のフリルのふんだんについたワンピースドレスを着ており、そこから伸びた白い足がパタパタと動いていた。
「ほんとうに?」
「ほんとうだよー」
「そうだっけ?」
「そうだよー」
「お姉さま帰ってきたら引っ越すんでしょ?」
「そうだよー」
2人は楽しそうに笑う。引っ越すというのがどんな意味を持つのか、深く考えているわけではない。だが、大好きな姉とこれから一緒に暮らすということ。それが嬉しいのだ。
姉──アルシェはよく外に出かける事が多い。なにをしているかまでは知らないが、なんだかとても大切なことをしているというのは2人とも知っている。だから我が儘は言わないと決めているのだが、それでも優しい姉と一緒に遊びたいという欲求は止められない。
そう、2人ともアルシェが大好きなのだ。
優しく、いろいろ知っていて、暖かい姉が。
「お姉さま、まだかなー」
「まだかねー?」
「楽しみだね、クーデリカ」
「うん、楽しみだね、ウレイリカ」
「ごほん、読んでもらうんだー」
「いっしょに寝てもらうんだー」
「クーデリカずるーい」
「ウレイリカもずるーい」
そして2人は互いの顔を見合わせて、同じ楽しげな笑いを浮かべた。そして鈴が鳴るような可愛い笑い声が起こる。
「じゃあ、クーデリカも一緒。お姉さまと一緒」
「うん、ウレイリカも一緒。お姉さまと一緒」
そして2人は笑う。これから来るだろう、楽しい時間を夢見て──。