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No.18721の一覧
[0] オーバーロード(オリジナル異世界転移最強もの)[丸山くがね](2012/06/12 19:28)
[1] 01_プロローグ1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[2] 02_プロローグ2[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:24)
[3] 03_思案[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[4] 04_闘技場[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[5] 05_魔法[むちむちぷりりん](2011/06/09 21:16)
[6] 06_集結[むちむちぷりりん](2011/06/10 20:21)
[7] 07_戦火1[むちむちぷりりん](2010/05/21 19:53)
[8] 08_戦火2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:59)
[9] 09_絶望[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:28)
[10] 10_交渉[むちむちぷりりん](2011/08/28 13:19)
[11] 11_知識[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:37)
[12] 12_出立[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:29)
[13] 13_王国戦士長[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:53)
[14] 14_諸国1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:39)
[15] 15_諸国2[むちむちぷりりん](2010/06/09 20:30)
[16] 16_冒険者[むちむちぷりりん](2010/06/20 15:13)
[17] 17_宿屋[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[18] 18_至上命令[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:46)
[19] 19_初依頼・出発前[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:44)
[20] 20_初依頼・対面[むちむちぷりりん](2010/08/04 20:09)
[21] 21_初依頼・野営[むちむちぷりりん](2010/11/07 18:11)
[22] 22_初依頼・戦闘観察[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:30)
[23] 23_初依頼・帰還[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:38)
[24] 24_執事[むちむちぷりりん](2010/08/24 20:39)
[25] 25_指令[むちむちぷりりん](2010/08/30 21:05)
[26] 26_馬車[むちむちぷりりん](2010/09/09 19:37)
[27] 27_真祖1[むちむちぷりりん](2010/09/18 18:05)
[28] 28_真祖2[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:15)
[29] 29_真祖3[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:50)
[30] 30_真祖4[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:47)
[31] 31_準備1[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:33)
[32] 32_準備2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:41)
[33] 33_準備3[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[34] 34_準備4[むちむちぷりりん](2010/10/24 19:36)
[35] 35_検討1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:58)
[36] 36_検討2[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:55)
[37] 37_昇格試験1[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:52)
[38] 38_昇格試験2[むちむちぷりりん](2011/01/22 07:28)
[39] 39_戦1[むちむちぷりりん](2010/12/31 14:29)
[40] 40_戦2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[41] 41_戦3[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:42)
[42] 42_侵入者1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:40)
[43] 43_侵入者2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:42)
[44] 44_王都1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:51)
[45] 45_王都2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:57)
[46] 46_王都3[むちむちぷりりん](2011/10/02 07:00)
[47] 47_王都4[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:38)
[48] 48_諸国3[むちむちぷりりん](2011/09/04 20:57)
[49] 49_会談1[むちむちぷりりん](2011/09/29 20:39)
[50] 50_会談2[むちむちぷりりん](2011/10/06 20:34)
[51] 51_大虐殺[むちむちぷりりん](2011/10/18 20:36)
[52] 52_凱旋[むちむちぷりりん](2012/03/29 21:00)
[53] 53_日々[むちむちぷりりん](2012/06/09 14:02)
[54] 54_舞踏会[丸山くがね](2012/11/24 09:16)
[55] 55_邪神[丸山くがね](2013/02/28 21:45)
[56] 外伝_色々[むちむちぷりりん](2011/05/24 04:48)
[57] 外伝_頑張れ、エンリさん1[むちむちぷりりん](2011/03/09 20:59)
[58] 外伝_頑張れ、エンリさん2[むちむちぷりりん](2011/05/27 23:17)
[59] 設定[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:44)
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[18721] 47_王都4
Name: むちむちぷりりん◆bee594eb ID:c00f733c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/02 06:38




 ゆっくりと応接室の扉が開いていく。しっかりと油が差されている扉は引っかかることなく開いていくはずなのに、いまはやけに遅く、内外の圧力差があるような遅さで動いていく。それはセバスの心中を察知したような動きだった。
 本当にセバスの心中を察知してくれるのならば、扉には開かないで欲しいところなのだが、現実ではそのようなことは決して起こるはずが無い。扉は完全に開かれ、そこからセバスの視界に入る応接室は、何時もと変わらない光景だ。
 しかしながら何時もと違い、部屋の中には強大な存在が3人。
 1人は白銀の武人。そして1人は悪魔。そして最後は――

「遅くなりまして申し訳ありません」

 入り口のところでセバスは拝礼にも似た、深いお辞儀を応接室の机の向こうで座る存在に向ける。ナザリックのランドステュワードというほぼ最高の地位に位置するセバスが頭を垂れる人物は、現在は1人しかない。
 そこに座るのは当然、セバスの主人。
 絶対なる存在たる『至高の41人』が内、1人。

 ――アインズ・ウール・ゴウン。

 ナザリックの支配者にして、この世界における極大級の戦闘能力を持つ存在である。
 その空虚な眼窟には、ぼんやりとした赤い光が灯っている。それがセバスの全身を上から下まで眺めるように動くのが、頭を下げたままの姿勢を保つセバスには感じられた。
 それからアインズは、面倒げなそぶりでオーバーに手を振った。

「よい。気にするな、セバス。これは連絡無しに来た私のミスだ。それより、そのような所で頭を下げていてもしょうがなかろう? 早く部屋に入って来い」
「はっ」

 頭を下げたままのセバスにかけられた声に反応し、頭を上げる。それからゆっくりと1歩踏み出した。
 そしてゾクリと背筋を振るわせる。
 異常なほど巧妙に隠されてはいるが、セバスの鋭敏な感覚は殺意と敵意を感じ取ったのだ。
 セバスの視線がゆっくりと動く。
 動いた先、コキュートスもデミウルゴスも武装はしてないし、セバスに注意を払っているようには見えない。ただ、それはあくまでも常人の視点からだ。
 セバスは十分に知覚している。
 まずコキュートスは己の武器を抜いた時、一息の呼吸でセバスを切り飛ばせる距離を維持している。セバスが動くのに合わせて、微妙に動くほど。
 そしてアインズの傍に立つデミウルゴスは、何かの非常事態にはアインズの盾となるのに最適な場所を維持している。両者とも最大の警戒をセバスに向けているのだ。
 これは決して味方にするべき態度ではない。
 何ゆえにそのような態度を向けられるのか。それが理解できるセバスは、バクンバクンと激しく脈打つ心臓の音が、この場にいる皆に聞こえているのではと思うほどの重圧を感じていた。

「そこで止まった方が良いと思うがね」

 デミウルゴスの涼しげな声がセバスの足を止める。
 アインズとの距離は今だあるが、さほどでもない。こんなものかなと思う程度だ。しかしそれは、普段のアインズであればもっと近寄れといったであろう差。アインズがそれに対して何も言わないということが、距離以上の広がりを感じさせ、セバスの背中に重くのしかかる。

 ちなみにソリュシャンはセバスと共に部屋に入ったものの、扉直ぐ脇で待機という形である。

「さて――」骨の指でどうやっているのかは不明だが、パチリとアインズは指を鳴らす。「まずはセバスに問おう。何故、私がここの場に来たのか、理由を説明する必要があるか?」

 ぞわっとしたものがセバスの背中を走った。
 セバスは背中が汗でびっしょりと濡れるのを感じながら、僅かに視線を下げつつ、重い口を開く。

「……いえ、必要はございません」
「そうか? ならばお前の口から聞きたいものだな、セバス。お前からの報告は受けていないが、この数日中、何か可愛いらしいペットを拾ったそうじゃないか?」
「はっ」
「さて、まずは聞かせてもらおう。何で私に報告をしなかった?」
「はっ……」

 セバスは微かに肩を震わせながら、じっと床を見据える。なんと言えば良いのか。なんと言えば最悪の自体に発展しないで済むのか。そればかりを考えてだ。
 セバスが何も言わずに、黙っているのをアインズは眺めながら、ゆっくりとイスにもたれかかる。ギシィという音がやけに大きく部屋に広がった。

「どうした、セバス? 汗を酷くかいているようだな。ハンカチを持っていないなら貸してやるぞ?」

 アインズはオーバーなアクションで、何処からか純白のハンカチを取り出す。人差し指と中指で挟んだハンカチを、セバスのほうに無造作に放った。机を乗り越えて投じられたハンカチは途中で広がり、ファサッという擬音が正しいような動きで床に落ちた。
 アインズはそのハンカチを指差す。

「拾って使え」
「はっ」

 セバスは1歩だけアインズの元に近寄ると、落ちたハンカチを拾い上げる。それからセバスは逡巡する。

「……別にそのハンカチにお前の可愛いペットの血がついているとかそういうことは無いぞ? 単に汗が見苦しかっただけだ」
「はっ……お見苦しいものをお見せして、申し訳ありませんでした」

 セバスはハンカチを広げると、自らの額に浮かんだ冷や汗を拭う。

「では聞かせてもらおうか。何故報告しなかった? ……私の命令を無視した理由を聞きたいのだ。このアインズ・ウール・ゴウンの言葉はお前を縛るには相応しくなかったのか?」

 その言葉が室内の空気を大きく揺らす。
 セバスは慌て、必死に言葉を発した。

「滅相もございません。じつはあの程度のことはアインズ様にご報告するまでもないと、私が勝手に考えたためです」
「…………」

 室内に沈黙が落ちる。しかしセバスの全身には突き刺さるように殺気が3つ。デミウルゴス、コキュートス、そしてソリュシャンのものである。もしアインズが命令違反だと決定すれば、即座に3者の攻撃がセバスに襲い掛かるだろう。
 死ぬこと自体はセバスは恐ろしくは無い。ナザリックのために死ぬのは最大の喜びだ。しかしながら裏切り者として処分されるというのは、何よりも激しい恐怖。
 至高の41人に創造された存在が、裏切り者として処分されるなぞ、恥辱の極み以外の何物でもないのだから。
 再びセバスの額に汗が噴出すだけの時間がかかり、アインズが口を開く。

「……つまりはセバスの愚かな判断だった……というわけだな?」
「はっ。その通りでございます、アインズ様。私の愚かな失態をお許しください」
「……ふむ。……理解した」

 頭を垂れ、謝罪したセバスの元に、感情を一切感じさせないアインズの声が届く。処分という判断を即座に決定しなかったため、僅かながら室内の空気が元に戻る。
 殺意にレベルがあるとするなら、数段階は戻ったようなそんな変わり方だ。
 だが、セバスに安堵の息は無い。なぜならその前にアインズがセバスの心臓を跳ね上がらせる一言を口にしたからだ。

「ソリュシャン。そのセバスのペットを連れて来い」
「畏まりました」

 ソリュシャンが動き、静かに扉が閉められる。セバスの鋭い知覚能力は扉の向こうでソリュシャンがゆっくりと離れていくのを感じ取った。
 ごくりとセバスの喉が唾を飲み込む。
 この場にはアインズ、コキュートス、デミウルゴスの3名がいる。異形の姿を取る3者だ。それも姿を幻術を隠すことをしていない素のままで。つまり、それは正体をツアレに見せるということ。
 それは見られて構わないのか、見られたところでどうにかするからなのか。

 やがて遠くの方からこの部屋に向かってくる、乱れのない気配と動揺し乱れた気配の2つをセバスは感じ取る。

 ――どうするか。
 セバスの視線が動き、中空を見つめる。
 彼女がここに来たのなら、セバスは決定しなくてはならない。しかしながら答えはたったの1つしかない。視線はセバスを観察し続けるデミウルゴス、そしてアインズへと動く。
 そして最後に力なく床へと落ちた。

 扉がノックされ、そして開かれる。姿を見せたのは2人の女性。
 ソリュシャンとツアレだ。

「つれてまいりました」

 ツアレが入り口で小さく息を呑むのが、背中を見せたままのセバスにも聞こえる。悪魔を具現した姿を取るデミウルゴスを見て驚愕したのか。白銀の巨大な昆虫であるコキュートスを見て戦慄したのか。死を象った存在たるアインズを見て畏怖したのか。はたまたはその全てか。
 守護者の2者の不快感はツアレを前に強くなる。ある意味、セバスの罪の形こそツアレという女性なのだから。向けられた敵意にツアレが顔色を悪いものとする。
 この世界における絶対者である守護者、それも2名からの敵意は、脆弱なあらゆる存在を根源から怯えさせる。ツアレという女性が泣き出さないのもある意味奇跡のようなものである。
 セバスは振り返らないが、その背中に視線が向けられているのが充分に感じ取れる。それはツアレのものであり、彼女の勇気の源泉はセバスという人物がそこにいるということなのだ。

「デミウルゴス、コキュートス。止めろ」

 アインズからの静かな声が響き、室内の空気が変化する。いや、ツアレに向けられていた敵意がかき消されたというべきだろう。守護者2名を嗜めたアインズは、ゆっくりと左手をツアレに向けて差し出す。それから手のひらを天井に向けると、ゆっくりと手まねをした。

「入りたまえ。セバスの拾ったペットたる人間。――ツアレ」

 その言葉に支配されるように、ツアレは1歩、2歩と震える足を動かし室内へと入る。

「逃げないとは勇気がある。それともソリュシャンに言われたか? お前次第でセバスの運命が決まるとでも?」

 カタカタと震えるツアレはそれには何も答えない。セバスは自らの背中に向けられた視線がより強くなるのを感じる。それは言葉以上に雄弁にものを語る。
 室内に入り、セバスの横にツアレは並ぶ。コキュートスがツアレの背後に控えるように立った。
 びくりとツアレの体が恐怖で動き、セバスの服の裾が掴まれる。ふと、セバスはあの路地で掴まれたことを思い出す。それと同時に、もっと賢く振舞えばこのようなことにはならなかったという後悔の念を。
 ツアレに対し、デミウルゴスは冷たく見据え――。

『ひざ――』

 ――ぱちりと指を鳴らす音がした。そして口を開きつつあったデミウルゴスは、指を鳴らした自らの主人の意志を即座に理解し、それ以上の言葉を発することをやめる。

「――よい。よいのだ、デミウルゴス。私を前に逃げない勇気を称え、ナザリックの支配者たる私の前での無礼を許そう」
「申し訳ありませんでした」

 デミウルゴスの謝罪にアインズが鷹揚に頷いた。

「ああ」ギシリと背もたれに寄りかかられたイスが音を立てる。「まずは名乗るとしよう。私の名前はアインズ・ウール・ゴウン。そこにいるセバスの支配者だ」

 その通りだ。
 アインズ・ウール・ゴウン――至高の41人は、セバスを支配する方々。
 その言葉にセバスはぶるりと背筋を振るわせる。絶対なる主人にそういってもらえるというのは、生み出された存在からすれば最大の歓喜を引き起こす。
 ただ、どうしてか。思ったよりも歓喜の度合いが少なく、背筋を震わせる程度だったというのが疑問か。
 セバスがそんな思いを浮かべている間にも会話は続く。

「あ、……わ、わたし……」
「よい、ツアレ。お前のことはある程度知っている。そしてそれ以上の興味は私には無い。お前はそこで黙って待っているがいい。お前を呼んだ理由は後で分かる」
「はっ……はい」
「さて……」アインズの空虚な眼窟に浮かぶ赤い光が動く。「……セバス。私は聞きたいのだ。お前には目立たないように行動しろといったはずだな?」
「はっ」
「にもかかわらず、下らない女のために厄介ごとを招いた。――違うか」
「間違っていません」

 下らないと言うところでツアレの体ピクリと動くが、セバスは反応せずに答える。

「それは……私の命令を無視した行為だと思わないか?」
「はっ。私の浅慮がアインズ様の不快を招いたことを深く反省し、このようなことが二度と起こらないよう、充分な注意を重ね――」
「――よい」
「はっ?」
「よいと言った」アインズが姿勢を変え、再びギシィとイスが音を立てる。「失態は誰にでもあることだ。セバス、お前のつまらない失態を私は許そう」
「――アインズ様、感謝いたします」
「しかし、だ。失態は償わなければならない。――殺せ」

 部屋の空気が張り詰め、そして数度温度が下がったようだった。いや、違う。そう感じたのはセバス1人だ。他の2人の守護者、ソリュシャン、そしてアインズは平然としたままなのだから。
 ゾワリとしたものがセバスの背中を走る。何を殺せというのか。そんなことは尋ねるまでも無く理解できるから。
 やはりという思いと、あって欲しくないという思いが、重いものとなってセバスの口を鈍らせた。

「……なんと……おっしゃいましたか……」
「ふむ……その失態の元を消去し、セバスのミスは無かったことにしようというのだ。まさか失態の元がそのままでは、他の者に示しがつかんだろ? お前はナザリックのランドステュワード、上に立つべき存在だ。それがミスをそのままにしていてはな……」

 セバスは息を吐く。そして再び吸う。
 強敵を前にして決して乱れることの無いセバスの息が、弱者が強者を前にしたように乱れているのだ。

「セバス。お前は至高のか――41人に従う犬か? はたまたは己の意志を正しきとする者か?」
「それ――」
「――答えの必要は無い。結果でそれを私に見せろ」

 セバスは眼を閉じ、そして開く。
 迷いは一瞬。いや、一瞬という長い時間を迷う。それはコキュートスやデミウルゴス、ソリュシャンが敵意をみせるほど充分な時間。それだけの時間を得て、セバスは結論を出す。

 セバスはナザリックのランドステュワード。

 それ以外の何者――でも無い。
 自らの愚かな逡巡がこの結果を生み出したのだ。もしもっと前に許可を仰いでいれば、このような結末は待っていなかっただろう。
 全て己の所為である。

 セバスの瞳は硬質の光を帯び、鋼の輝きを灯す。そして自らの横に並んだ、ツアレへと向きを変える。ツアレの掴んだ指が離れる。ツアレはセバスの顔を見、そしてセバスの決定を理解した。
 微笑み、ツアレは目を閉じた。
 顔に浮かんでいる表情は絶望でも、恐怖でもない。今から起こることを受け入れ、認める。そういった殉教者のごとき表情だ。
 それを前にしてセバスの動きに動揺はない。もはやセバスの心は深くに沈められている。そこにいるのはナザリックに忠誠を尽くす、1人のシモベの姿だ。

 ならば、主人からの絶対の命令に従わない理由が無い。謝罪も当然無く、あるのは主人からの命令を只こなすのみ。

 セバスの拳は硬く握り締められ、唯一の慈悲たる瞬殺の速度を持ってツアレの頭部めざし走る。

 そして――



 ――拳は硬質のものに受け止められる。

「――何を?」
「――っ」
「…………」

 セバスの不快げな声が向かった先は、ツアレの頭部を消し去るために放たれた拳を受け止めた存在――コキュートスへだ。コキュートスの腕の一本がツアレの後ろから突き出され、セバスの拳を正面から受け止めたのだ。
 アインズの命令ゆえに行った一撃をどうして止めるというのか。これはコキュートスの叛意を示す行為なのか。
 しかしながらセバスの中に生まれた疑問は即座に解消されることとなる。

「セバス下がれ」

 苛立ちを覚えながらも2撃目を繰り出そうとしていたセバスはアインズの言葉を聞き、その拳に込められていた力を抜く。コキュートスに対する叱咤ではなく、セバスを抑止する言葉。つまりはコキュートスがセバスの攻撃を受け止めたのは、元々そういうことだったということだ。
 出来レースである。ようはセバスの意志の確認こそが狙いだったのだ。

 覚悟をしていたとしても精神的な負担は大きい。命の危険が去ったことによって、緊張感が抜けたツアレはなみだ目で体を震わせる。見ればガクガクとツアレの足が乱れ、倒れそうになっているが、セバスは支えるようなことはしない。
 いや、今更何をしろというのか。
 ツアレが怯えている中、まるでそんな人間がいないかのようにアインズとコキュートスは会話を始める。

「コキュートス。今のは確実にその女を死に至らしめる攻撃だったか?」
「間違イゴザイマセン。即死ノ一撃デス」
「ならばこれをもって、セバスの忠誠に偽り無しと私は判断する。ご苦労だった、セバス」
「はっ」

 硬い表情でセバスは頭を下げる。

「――デミウルゴス」
「はい」
「異論はあるか?」
「ございません」
「コキュートス」
「ゴザイマセン」
「よし。ならば次の話に移るとしよう」

 ぱちりとアインズが指を鳴らせる。それから立ち上がり、手を一閃させる。

「既にこの館に来る前から決定していたことだが、セバスたちの働きによって、充分な情報は集まったと判断している。したがってセバスの無罪は確定した以上、ここに長くとどまる理由ももはや無い。これよりこの屋敷は引き払い、ナザリックに撤退するものとする。セバス、その女はお前が好きにしろ。お前の忠義を確かめた以上、どのようにしようとも私から言うことは無い――と言いたいところなのだが……ナザリックのことを好き勝手話されるのは厄介だと思わないか、デミウルゴス」
「その通りかと思います」
「どうすべきか?」
「……一応は確認を取るべきかと」
「そうだな。……セバス、ツアレの処分はもう少し待て。殺害ということは無いと思われるが、絶対ではないと知れ」

 そう言いながら、困惑気にアインズは頭を傾げる。ツアレの処分がどうなるか不明だという態度だ。
 ナザリックの最高責任者であるアインズが、即座に判断しかねる問題なのかとセバスは驚きを隠しきれない。

「アインズ様。私のミスでこの館を――王都から撤退をするのでしょうか?」
「……そうでもあるし、そうではないとも言える。先も述べたように、この辺りで得るべき情報は粗方得たと判断してだ。これ以上ここに潜っていることをメリットはあまり無い。撤退した方が安全だろうという計算からだ」

 セバスはごくりと唾を飲み込む。このような行為はおこがましいが、それでも撤退するというのならすべきたった1つのことだ。

「ではおこがましい願いを1つあるのですが――」

 アインズは手を上げ、セバスの言葉を切る。

「――聞くことは出来ない。聞いたとしても即答しかねるのでな。予定よりも時間が大幅にオーバーしている。ナザリックに待機させていたアウラやシャルティアが勝手な行動を取るという心配がある。ひとまず私はナザリックに戻り、詳しい説明を行うつもりだ。お前の願いはその後だな」
「――畏まりました」
「《グレーター・テレポーテーション/上位転移》」

 セバスの返事を聞くのが早いか、魔法が発動し、アインズの姿は瞬時に掻き消える。転移の魔法でナザリックに帰還したのだろう。それを見送ったデミウルゴスが、ソリュシャンの方を向いた。

「その人間を別室に連れていきなさい」
「はい、デミウルゴス様」
「いえ、私が連れて行きます。問題は何も無い。そうですよね、デミウルゴス?」
「……そうだね。セバスの言うとおりだ」デミウルゴスは微笑を浮かべ、扉へと手を向ける。「どうぞ?」
「付いてきなさい」
「……はい」

 かすれるような声でツアレは答えるとセバスに続いて歩き出す。
 扉が閉まり、廊下を2人分の足音が響く。互いに言葉無く、歩き、ツアレの部屋の扉が見えてくる。さほど長くない距離だが、それ以上に時間の経過が長く2人には感じられた。
 扉の前まで来て、ようやく決心がついたようにポツリとセバスが呟く。

「謝罪する気はありません」

 背後からセバスの後を続いて歩いてくるツアレの体がピクリと小さく跳ねるのが、セバスは感じ取れた。

「ただ、あなたが殺されかかったのは私のミスです。もしもっと別の手段を取っていれば、このような結果にはならなかったでしょう」
「……セバス様」
「このようなことは2度と無いように心がけたいとは思いますが、無いとは言い切れません。そして私はアインズ様――そして至高の41人の忠実な僕。もしもう1度、同じようなことがあったら、同じような態度を取るでしょう。……ですからあなたは人の世界で幸せになりなさい。そうなるようにお願いしてみるつもりです。……記憶の操作をアインズ様は行えるはず、悪い記憶は全て消して、そして生きなさい」
「……セバス様のことは?」
「……私の記憶も消してもらいましょう。覚えておいても良い事は無いでしょうから」
「良い事ってなんですか?」

 ツアレの言葉に含まれた強い意志。それを感じ、セバスは振り返る。
 セバスを迎撃したのは涙目ではあるが、強く睨むような目をした女性である。セバスは僅かに動揺し、説得の言葉を考える。

 ナザリックは非常に素晴らしい場所であり、まさに神の祝福を受けた場所である。しかし、それは至高の41人によって創造されたセバスやその他の者たち、そしてナザリック大地下墳墓のシモベだから思えることだ。
 才能も、能力もないつまらない人間にとってあの地が救いになるのかどうかは完全に不明だ。そしてあの地ではツアレの命の価値は低く見られるだろう。弱き人間という異質な存在にそれが耐えられるだろうか。
 人の幸せは人の世界にある。セバスはそう考える。

「……ナザリックではあなたの命は大した価値を見出してはもらえないでしょう。それはあなたが今まで居た所と何の代わりがあるというのですか? 人の世で幸せになりなさい」
「私は今、幸せです」

 はっきりと言い切るツアレに、セバスは哀れみを感じた。

「……地獄でちょっとした出来事を幸せと感じ取っているようですが、あなたがいるところは地獄です。地獄の幸せなんか、人間の世界の幸せに比べれば大したものではないでしょう」

 最悪を見ているからこそ、多少良くなった悪い場所でも幸せだと感じてるにしか過ぎない。セバスはそう判断したのだ。
 しかしながらツアレはそんなセバスの考えを笑う。

「……私はここが地獄なんて思えません。おなか一杯食事はでき、ひどいことはされない。……私は小さい村に生まれ、育ちました。そこの生活だって厳しいものでした」

 ツアレの目が一瞬だけ遠くを見るように動く。そして直ぐに元に戻り、セバスを正面から見据えた。

「おなかをキュウキュウ減らしながら畑を耕し、実った食べ物は殆ど領主に持っていかれる。自分の口に入るものなんか、ほとんど残らないんですよ。そしてそれだけ働いたって領主とかの貴族からすると、私達なんておもちゃみたいなものです。悲鳴を上げたって笑いながら犯すんですから。笑ってるんですよ。わたしはあの――」
「――分かりました」

 引きつったような笑いを浮かべるツアレを引き寄せ、セバスは胸の中にすっぽりと収める。震える肩を優しく抱いた。今まで耐えてきた糸が切れたように、泣き出したツアレの涙が服にしみこんでいくのをセバスは感じ取る。

 彼女の見てきた、生きてきた世界が全てであるはずがない。ただ、それでもツアレにとっての人の世界とはそういうものだったということだ。
 セバスはじっと考える。
 何が最も良いのか。そして答えは1つしかないことを確認する。

「……コキュートスの配下にリザードマンが入ったという話を聞きました。それと同じように私の配下に入ったということにすればなんとかなるかもしれません」
「それじゃ――」

 セバスの胸に抱かれたまま、ツアレは顔を上げる。

「ツアレ。ナザリックにあなたを連れて行ってよいか、アインズ様にお尋ねします」
「ありがとうございます。それにセバス様が私を拾われた時に報告されていたら、私はボロボロの状態で処分されたかもしれないんですよね」
「アインズ様は寛大なお方。そのようなことは無いと信じてます」
「ですが、絶対ではない」

 セバスは何も言わない。自らの主人への忠誠心と哀れな女性。2人を天秤にかけ、可能性を避けたのは事実だ。
 セバスはツアレの肩に回していた腕から力を抜くが、ツアレは離れようとはしない。ぎゅっとセバスの服を掴んだまま、濡れた瞳でセバスを見上げていた。
 その瞳に何かを期待しているような色がある。セバスはそう直感するが、それが何を期待しているかまではわからない。
 ただ、その前に確認すべきことがあるとセバスは思い出す。

「1つだけ、確認を。人の世界に未練は無いのですか? 帰りたいと思うところは無いのですか?」

 ナザリックに招かれたからといって、人間社会と永久的に関係を持てないということは無いだろう。別に監禁する目的で連れて行くのではないのだから。しかしながらそうなる可能性だって無いわけではない。

「……弟……に合いたいという気持ちは少しあります。でももう昔を思い出したくは無いという気持ちの方が強いので……」
「分かりました。では、あなたは部屋に入りなさい。私はアインズ様にもう一度お会いしてきます」
「はい――」

 ツアレはセバスの服を掴んでいた手を離し、その手を巻きつけるようにセバスの首に回す。ぎょっとしたのはセバスだ。モンクとして桁外れな力を持つセバスからしても、完璧なる動作だ、そんなことを考えてしまう動きだったためだ。いや、動揺したためにそんな馬鹿みたいなことを考えてしまったのだろう。
 表情には一切表さないものの、どうしようと混乱するセバスを無視し、ツアレはつま先立ちをする。
 そしてセバスとツアレの唇が重なる。
 優しく重なっていた時間はほんの一瞬だ。直ぐにツアレの唇は離れる。

「ちくちくしました」ツアレが体を離すと、自分の唇を両手で押さえる。「幸せなキスは初めてです」

 セバスは何もいえない。だが、ツアレはセバスの表情ににっこりと明るく笑う。

「では私はここで待ってます。よろしくお願いします、セバス様」
「あ、ああ……わ、分かりました、ちょっと待っていてください」



「どうしたのかな? 顔が赤いようだが?」
「何でもないとも、デミウルゴス」

 セバスが部屋に戻った時の第一声がそれである。顔が赤いといわれ、セバスは呼吸を深く静かなものへと変える。さきほどの動揺を表に出していては、主人を迎えうる従者として失格だと判断してだ。唇へと思わず動きそうになった手を押し留め、セバスは完璧なる従者に相応しい表情を作った。

 それから2分後。空間がぐにゃりと歪む。
 そしてその歪みが元に戻ると、そこには1人の人物が立っていた。無論、アインズである。
 セバス、コキュートス、デミウルゴス、ソリュシャン。部屋にいた4人は一斉に跪き、頭を垂れる。

「出迎え、ご苦労」

 アインズはその手に持った、人の苦悶を浮かべるような黒い揺らめきが起こるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを振る。それから机の後ろに回るとイスに腰掛けた。

「立て」

 4人は一斉に立ち上がり、非常に機嫌のよさそうなアインズに視線を送った。

「さてさて。デミウルゴス、お前が心配性だというのはこれで立証されたな。私はセバスが裏切るなんてこれっぽちも思っていなかったぞ。お前たちは用心しすぎるのだ」
「申し訳ありませんでした。更には先ほども言わせていただきましたが、アインズ様のご判断に異を唱え、私の詰まらない意見を認めてくださってありがとうございました」
「かまわないとも。私だってミスをする。デミウルゴスがチェックをしてくれていると思えば、安心できるというものだ。それに私を心配してくれての発言に、何かをいうほど狭量ではないと思っているぞ」深々と頭を下げたデミウルゴスから視線を動かし「それで願いというのはなんだ、セバス」
「その前にアインズ様にお聞きしたいことが」少しばかり間を置き、アインズの表情をセバスは伺ってから言葉を続ける。「ツアレはどのようにしましょうか」

 少しばかりアインズは考え、それからどうしてセバスがそんなことを言っているのか、答えに行き着いたように頷く。

「えっと、あの女性を解放した場合、我々ナザリックの情報が漏れる、だったか?」

 デミウルゴスはアインズの視線を受け、頷いた。

「はい。どういたしますか?」
「なら時間をかけて記憶を弄ればいいだろう。ある神官の協力もあって、洗脳こそは無理だが、記憶の操作に関してはなかなか上手くなったと思うぞ」
「処分してしまう方が楽だと思いますが?」

 デミウルゴスの意見に、ソリュシャンが同意するように頭を縦に振った。アインズはそれを見て僅かに考え込んだ。2人も同じ意見だとすると……というところである。
 セバスは内心非常に慌てる。
 アインズが決定してしまったら、それを変更させるのは容易いことではないからだ。問題は許されたとはいえ、デミウルゴスやコキュートス、ソリュシャンのセバスに対する好感度は下がっているはず。もし下手に反対意見を口にしたら、確実に不快感をあたえるだろう。
 しかし、ここは発言すべきだ。
 セバスはデミウルゴスに反対する意見を述べようと口を開きかける。しかし、それを発することは無かった。というのもその前にアインズが口を開いたからだ。

「……よせ、デミウルゴス。なんの利益も無く殺害行為を行うのは余り好きではない。というより殺した場合、あとでの回収が不可能だからな。生きていれば何かに使える可能性があるしな」

 安堵の息をセバスは殺す。まだツアレの扱いが決定していないからだ。

「畏まりました。……では私が支配している牧場で働かせますか?」
「ああ、家畜を飼っているんだったな」

 デミウルゴスには似合わないなとアインズは笑う。それに対してデミウルゴスは品良く微笑み返した。そんな2人を、セバスは何も言わずに様子を伺う。
 主人が機嫌よく話している最中に、横から口を挟むことほど愚かなことは無いだろう。
 下手なことを言ってアインズの不快を買ってしまったら、ツアレの運命は碌なものにならないだろうという判断である。

「お前の牧場があるからこそ、スクロールの保有量を考えずに、ふんだんに使えるというもの。非常に素晴らしい働きだ。今後もよろしく頼む」
「ありがとうございます」
「ちなみにその家畜は潰して食料にしたりはしないのか? ナザリック内の食料事情も良くしないといけないからな」

 デミウルゴスの視線がアインズからそれ、どこか遠くを見るようなものへと変わる。それから視点がアインズへと戻ってきた。

「……肉質が悪く、食料としては不合格ラインかと。栄えあるナザリックで使用するには……」オススメできないとデミウルゴスは微笑んだ。「まぁ、死んだ家畜は潰して、他の家畜に食べさせておりますが。そのままだと食べないので、ミンチにしてですが」
「そうか……。なんとかタールだったか? タールということは山羊だよな? 山羊って肉を食べるのか?」
「雑食のようです」
「ふーん。そういうものなのか。まぁ、山羊のことなんか詳しくは知らないし、この世界の特有種かもしれないしな」

 アインズは小首をかしげ、とりあえずは納得する。

「しかしナザリックの指揮官たるデミウルゴスが、牧場経営とは非常に似合ってないな。もし面倒なことだったら、誰か回しても構わないぞ? お前にはそれ以外にやってもらわなくてはならない仕事があるのだからな」
「いえ、非常にやりがいのある仕事であり、アインズ様の下にスクロールの材料を持っていけることは喜びですから」
「そうかそうか」

 アインズは嬉しげに笑う。
 セバスは逆に内心眉を顰めた。同じナザリックで至高の方々に仕える身として、デミウルゴスの性格は熟知している。あのデミウルゴスが単なる牧場を経営するわけが無い。ならば肉を食べる山羊を飼育する牧場とは一体何か。
 それを考えた時、セバスの脳裏を鮮烈なものが走った。
 デミウルゴスが何を飼育しているのか予測がついたからだ。
 そんな場所にツアレを送り込むことが出来るだろうか。確かにツアレの身の安全はデミウルゴスは保証するだろう。しかし、彼女の精神までは保証しないだろう。

「しかし山羊も哀れなものだが、ナザリックのために働けるのだ。これ以上の幸せは無いだろうな。そうだな、デミウルゴス?」

 一瞬だけ、デミウルゴスはアインズを伺うような視線を送ってから、大きく頷く。

「まさにおっしゃるとおりです、アインズ様」
「では山羊のことはこれまでどおりデミウルゴスに任せるとしよう。山羊の生態とか知らない私よりはお前の方が上手く扱えるだろうからな」
「はい、アインズ様。……アインズ様は何もご存知無い、そういうことですね?」

 奇妙なデミウルゴスの言い方にアインズはわずかばかりに表情を動かすが、とりあえずは同意の印として大きく頷く。

「……まぁ、そういうことだ」
「畏まりました。山羊の管理は完璧にこなさせてもらいます」

 デミウルゴスの満面の笑顔。それは主人の暗黙の了解を得たという部下のものだ。
 一息ついた。
 口を挟むならばこのタイミングしかない。セバスはそう判断し、口を挟む。

「――アインズ様」
「どうした、セバス」
「ツアレですが、ナザリックで働かせようかと考えております」
「何……?」
「ツアレは食事を作ることが出来るという能力を保有しています。ナザリックでは料理が出来るのは現在、料理長と副料理長の2人のみ。今後のナザリックのことを考えると、もう少しは料理が出来る人間がいた方がよろしいかと考えます。さらに人間が働いているというテストケースを作ることも充分なメリットが考えられます。それに人間という劣った生き物でもナザリックでは働かせてもらえるというアピールは、非常に良い前例として使えるのではないでしょうか? 他にも――」
「――わかった、わかった、セバス」

 濁流のようにツアレの有効性をアピールするセバスに対し、アインズは手を上げてそれを止める。

「わかったぞ、セバス。お前の言うことは良くわかった。確かに料理を行える存在が少ないというのは考慮すべき点だと私も思っていた」
「しかし、アインズ様。彼女はナザリックに相応しい料理が作れるのでしょうか?」

 セバスは一瞬だけデミウルゴスを鋭く睨む。そんなセバスに対して、デミウルゴスは微笑をみせた。
 嫌な奴だ。
 セバスは口の中で言葉を殺す。
 アインズが許したといっても、デミウルゴスはセバスを許してはいない。だからこそ、ツアレの処分をセバスの望まない形に落とそうとしているに違いない。そうセバスは判断する。
 そして事実その考えは間違ってはいない。僅かに呆れた様にしているのはどちらかといえばセバスよりの思考回路をしているコキュートスだ。ちなみにソリュシャンはセバスも罰を受けるべきだろうと、デミウルゴスよりである。

「……そうだな。どうなんだ、セバス?」
「……ツアレが作れるのは家庭料理です。ナザリックに相応しいかといわれると……お答えするのが難しいかと」
「家庭料理ですか。ジャガイモを蒸したような食事をナザリックで出すことは無いと思いますが」

 その微笑に嘲笑を含んでデミウルゴスが言う。

「家庭料理が出来るということは、料理長に請えば他の料理もマスターできるということ。今ではなく将来を見ておくべきでしょう」
「それなら私の牧場で、料理を作るのに協力して欲しいものだね。ミンチを作るのも大変なんだよ?」
「私は――」

 騒がしい2者の会話。それをアインズは眺める。
 そして、その奥に浮かぶ光景を――。


 ◆


「で、今日は何処に行きますか?」
「炎の巨人を――」
「氷の魔竜を――」
「……ふぅ。ウルベルトさん、炎の巨人のボス、スルトのレアドロップを取りに行こうという話が前にあったのを覚えていないのですか?」
「たっちさんこそ覚えていませんね。魔竜狩りをやっていかないと特殊クラスへの転職条件が揃わない人がいるんですけど?」
「……それはそうですが、レアドロップだってやまいこさんの強化には必要なものなんですよ?」
「あ、ボクは別にいいけ……」
「原初の炎ですか? ならば原初の氷だって必要になるでしょ? なら先に魔竜狩りを」
「……課金して今ドロップ率が高くなってるんです。魔竜よりもスルトの方が標準ドロップ率低いんですから、先に片した方が良いと思ってです」
「だったら私が今度、課金しますよ?」
「……けど、ど、ど……」
「……サキュバスとかのエロ系モンスター狩りに深遠に潜るのは?」
「弟、黙れ」
「悪魔系なら7大罪の魔王討伐ぐらいしに行きたいね。結構色々と準備がいるとは思うけどさ」
「……たっちさん、我が侭言うべきじゃないと思います。今集まってるメンバーを見れば氷の魔竜を退治に行ったほうが効率が良いでしょ?」
「いや、我が侭言ってるの、ウルベルトさんですよ。だいたい私達は別に効率だけを考えてゲームをしてるわけじゃないんですから」
「魔法職最強と戦士職最強が喧嘩すんなよ……」
「あの2人は昔からああだから。私が声をかけられた時からあんな感じ」
「ピンクの肉棒に話しかけるなんて、たっちさんは偉大だよなぁ」
「……茶釜さんもペロロンチーノさんも武器構えるの止めようね? ギルマス特権使うよ?」
「7大罪の魔王ってどっかのギルドが攻略してなかった?」
「傲慢は退治されたらしい。ネットにアップされてた」
「7大罪全部倒したら、確実にワールドアイテム手に入りそうですよねー」
「ワールドアイテムといえば、無限エネルギーとかいうカロリックストーンをメインコアにした最強ゴーレムを作りましょうよ」
「ぬーぼーさん。それよりは武器の方に埋め込んだ方が良いと思いますけど?」
「個人的には鎧も悪くないと思いますけどね」
「まぁ、その辺は色々と考える必要がありますよね」
「ですねー、モモンガさん」
「カロリックストーンを何度も手に入れる方法は分かりましたけど、隠し7鉱山から取れる金属を大量に消費しますからねぇ」
「各ギルドがそれぞれを分割して管理している段階で、使ったら2度と手に入らないでしょうからね。仲良く順番にというわけには行かないでしょうしね。……『トリニティ』とかに情報売ってみたらどうです?」
「『2ch連合』にも売って、ぶつかり合わせるんですか? 流石はベルリバーさん、策士ですなぁ」
「『2ch連合』といったら、またアライアンスを組むことを計画してるみたいですよ?」
「え? そりゃなんで?」
「なんとかとかいうギルドが手に入れたワールドアイテムを強奪した所為で、向こうさんのギルドが方針を変換したためだそうですよ」
「あちゃー。でも前のように上位ギルドアライアンスは難しいでしょうね」
「――ならモモンガさんに決めてもらいますか?」
「それが良いでしょう。ギルド長どうします?」
「……え? ……え? ああ、そこで振りますか? ……全く。……ならいつもどおりあとくされ無しの多数決で決めましょうか」
「いつもどおり異存はありません」
「こっちもです」
「じゃあ、新金貨はウルベルトさん。旧金貨はたっちさんでやりましょうか。はーい、皆さん、金貨を手に持ってください。こあれから2人の説明が始まりますよー」


 ◆


「――イイ加減黙レ、アインズ様ノ前ダゾ」

 徐々に白熱し始めたセバスとデミウルゴス。その2者にコキュートスが水をかける。そんな2人を凝視しているアインズを対し、両者共に顔色を変える。感情を感じさせない視線だが、その強さは並ならぬもの。激しい叱咤が飛んでもおかしくは無いと、セバスもデミウルゴスも直感する。

「アインズ様の前で、失礼しました!」
「愚かな行為をお見せして申し訳ありません!」

 慌てて、謝罪としての深いお辞儀をアインズに向けるデミウルゴスとセバス。しかしその反応は非常に不可解なものであった。

「――あははは!」

 室内に突然、笑い声が響く。非常に楽しげな明るいものだ。それの発生源はアインズ。
 ここまで機嫌よくアインズが笑い声を上げた記憶は無く、コキュートスもデミウルゴスもセバスもソリュシャンも、全員があまりに信じられない光景に目を白黒させる。

「構わないとも許す、許すぞ! そうだ! そうやって喧嘩をしないとな、あははは」

 何がアインズの琴線に触れたのかはさっぱり不明ではあるが、セバスはとりあえずは安堵の息を誰にも気付かれないように吐く。

「あはは……ちっ、楽しさも抑制されるか……」

 突如、糸が切れたように無表情へとアインズは戻る。しかしながら今だ僅かに機嫌がよさそうにしているのはセバスの見間違えではないだろう。自ら直ぐ横の机に立てかけた、ギルド長――至高の41人のまとめ役である印たるスタッフを指で撫でつつ、アインズは朗らかにセバスに話しかける。

「さてツアレだが、良いじゃないか、家庭料理。確かに料理人は必要だろうと私も思っていた。元々ツアレに関してはセバスに任せるつもりだったのだ。お前が良いと思うこと、ナザリックに損失を出さない程度であれば何をしても構わないとも。それにだ。例え、私は疑っていなかったとはいえ」疑っていなかったというところに非常にアクセントが置かれたものの言い方でアインズはセバスに告げる。「お前を疑ったものを止めなかったのは事実だ。まずは許せ」

 アインズは言い終わると、机にくっ付くぐらいに頭を下げる。

「め! 滅相もございません! 全て私の不徳のなすところ!」
「その通りです。疑ったのは私達のミス! アインズ様が謝罪する必要はありません!」
「その通りです! セバス様を最初に疑ったのは私! アインズ様は謝罪するのではなく、私を罰してください!」

 慌てて、詰め寄りかける部下達に手を挙げ、アインズは黙らせる。それから再び自らの考えを述べた。

「その侘びとしてツアレはセバスに任せる。さて、デミウルゴス。先も言ったようにナザリックに害をなさない範疇であれば、ツアレの安全を保証するようにお前の頭を使え」
「畏まりました。帰還後、即座にツアレの話をナザリック内に伝えます。個人で行動しても危険が無いようなまで」
「よし。以上でツアレの待遇は決まりだな、それで良いな、セバス?」
「はっ!」

 セバスは90度を超えそうな勢いで頭を下げた。アインズへの忠誠心をより強く、セバスは感謝の意を示したのだ。

「さて、と。あとセバスは私に何か願い事があるのだな?」

 セバスは一瞬だけ口ごもる。それはこれ以上強請るのは、失礼に値するからではないかという思いが頭を過ぎったためだ。

 アインズがセバスに対し謝罪をしたのは、あれはツアレの待遇を良いものとするために、ワザとやってくれたものではないかとセバスは考えている。
 現在のツアレはある意味アインズからの謝罪の印としての贈り物だ。その送り物に対して何かが起こった場合、それはアインズへの無礼にも繋がりかねない。したがって、ツアレの安全性や周辺は完全に保証されているのだ。
 それほど寛大さを見せてくれる自らの主人に、これ以上のことを言うのは、優しさにつけこんだ薄汚いことなのではないだろうか。

 そんなセバスの混乱をアインズは掴んだのか、朗らかに話しかける。

「構わないともセバス。言うだけなら只だ。ほら言ってみろ」

 その主人の言葉がセバスに勇気を与え、口を開かせる。

「はっ。あの女を助けた際、他にも幾人か囚われているという話でした。もしよければその人間達を助けたいと」
「セバス。それはあまりにも虫の良い願い。あなたのその甘い考えが問題を引き起こしたのでしょう? それを考えればそのような願いは決して口には出せないと思うのですが?」

 デミウルゴスが眉を顰めた。しかしながら――

「――ん? いいんじゃないか? 何か問題があるのか?」

 そんな気楽そうなアインズの言葉を受け、デミウルゴスの瞳孔が僅かに広がる。

「……いえ、アインズ様がよろしいというのであれば、私に反対の意見なぞございません」
「いや、反対の意見の有無ではなく、問題があるかという質問なのだが……。別にそいつらがナザリックを愚弄したわけでも、私を馬鹿にしたわけでもないのだろ? さらには苦しめることで我々に利益があるわけでもない。ならば助けても良いではないか」
「……しかし、強者がその背後にいる場合がございます。セバスは色々と調べたかもしれませんが、裏にもぐった強者まで調べがついたとは思えません」

 アインズは理解に至ったのか、ああと声を上げた。

「……そうか。いるか不明とはいえ、事を構えるのも問題か。大義名分があれば問題はないかと思ったのだが……早計だったな」

 アインズの考える基本的な行動方針では、まずはナザリックの維持が第一優先だ。次に来るのがほぼ同格だがナザリックの拡大と他のプレイヤーとの戦闘行為を避けるということ。ほぼ同格というようにナザリックの拡大が少しばかり上で設定されている。
 ナザリックの拡大に関係の無いような問題で、厄介ごとを被りたくはない。
 アインズはそう考え、セバスの意見を却下しようかと決める。そしてセバスへと視線を動かした時、セバスとデミウルゴスの2人を視界に入れたとき、考えは変わった。

「――助けることを許可しよう」

 ざわりと室内の空気が動く。先のアインズの発言は深く考えないで述べた言葉であり、今度のは考えた上での言葉である。両者の重みは圧倒的なまでに違う。
 ではアインズがその考えを決定する要因とは何か。その答えがこの場にいるセバス、デミウルゴス、コキュートス、そしてソリュシャン。誰の頭にも浮かばなかったからだ。
 主人がどのように判断したのか、それを言葉にされる前に察知するのが良き、かつ優秀な部下だ。それが出来なかったため動揺が空気を揺らがしたのだ。

 忠誠尽くすべき主人の考えを理解できず悔しいという思い、そして無能な自らを恥じる思い。
 そういったものを宿した部下たちを前に、アインズは無視するように己の考えを告げる。

「困っている人を助けるのは当たり前――だからな」

 まるで誰かが言った言葉をそのままなぞる様なアインズの発言に、その場にいた全員が目を白黒させる。あまりにも自らの主人が言うのは相応しくないような言葉に思えたからだ。
 今までの行為、全てをひっくり返すような言葉だ。

 アインズという存在がどのような者か。
 各員少しづつの違いはあるものの、おおよそ共通の認識として、絶対者という言葉が上げられる。
 その他にはナザリックを作り出した至高の41人の1人であり、そのまとめ役。最後までこの地に残った、ナザリック大地下墳墓の住人全てが絶対の忠誠を捧げるべき相手。
 英知に富み、先を見通し、部下の失態を寛大な心で許し、働きに対して膨大な褒美を与えるだけの太っ腹なところを持つ。それに対してはナザリックの外に対しては冷酷で計算高く、利益を考えた上で行動する、そんな存在だと。

 そんな存在が、困っている人がいたら助けるのが当たり前だいう発言をするとは――まさにポカーンである。

 特に驚いたのはデミウルゴスだ。
 先の牧場での会話で、アインズは一体どういう生き物を飼っているかを理解したうえで、暗黙の了解を示したとデミウルゴスは判断したのだ。それがもしかしたら違うかもしれないというのだから。

 空気の変質はアインズにも伝わる。


 やばい。何かミスった。
 守護者やソリュシャンの呆気に取られたような表情を見て、アインズは自らの失態を悟る。
 昔を思い出し、そしてある人物が言った台詞。それを口にしたのだが、何が悪いのか不明だがミスったことは事実だ。これによってのカリスマ――支配力の低下をアインズは危惧する。

 確かにアインズは強い。一対一で戦えば、守護者が相手でも敗北はありえないだろう。
 ただ、それはゲームだった頃の話だ。実際の戦闘はそう上手くいくものではない。それは侵入者たちと魔法を封じて戦った時に良くわかった答えだ。圧倒的な肉体能力を持ち、レベル的な面で考えても強者であったアインズが、遥かに劣る冒険者4人に押されていたのだから。本気での戦い、命の奪い合いという経験値の不足しているアインズでは、もしかすると格下相手でも負ける可能性は充分にあるのだ。

 だからこそ、自分を守る強大な鎧であるナザリック大地下墳墓。そこへの支配力の低下というのはアインズにとっては恐ろしい状態なのだ。
 無論、所詮は単なる一般人であるアインズ自身としては、自らにカリスマなんか無いのは重々承知している。しかし、それでも今まで上手くやれてきていたような気がしているのだ。失うには惜しすぎる。
 そんな思いから、アインズは必死に思考を回転させ、偉そうな存在が言いそうな台詞を考える。

 ――これだ!

 アインズは浮かんだ考えを慌てないよう、偉そうに口にする。

「アインズ・ウール・ゴウンが、いるかどうか分からない強者に怯えるというのはこれ以上無い愚かな行為ではないか? ナザリックにおいて不敗を誇る我々が」

 その場にいる守護者たちの表情を伺いたくなる気持ちをぐっと堪えて、アインズはどうどうとしている演技を行う。もし心臓があれば、緊張感からバクバクと激しく鼓動を繰り返しただろう。


 デミウルゴスが、セバスが、コキュートスが、ソリュシャンが、僅かに目を見開く。先の言葉に比べると遥かに理解できたためだ。
 そして深い説得力がそこにはあった。
 アインズ・ウール・ゴウン。至高の41人によって作り出された最高の存在が、存在すら不確かなものに怯え、震えるのは愚かだ。確かに強者はいるのかもしれない。しかし、守護者が敗北を喫したのはたった1度。守護者クラス1500人という圧倒的多数で攻められた時のみだ。そしてその時も至高の存在によって撃退された。つまり守護者は敗北したが、至高の41人の支配するナザリックは不敗であるといっても良い。
 アインズ・ウール・ゴウンは強者だ。
 警戒は必要、だからといって影に怯える必要も無い。そして本当にいたとしても、下から出る必要だって無い。

「昔言ったように敵意を無理に買う必要は無いが、困っていたものを助けるという名目ならば、正義は我々の上にある。もし何か言ってきたならば、見せ付けてやろうじゃないか、我らの強大さを」
「つまりはもし強者が裏にいる可能性を考え、我々の強さを見せ付ける手段として、弱者救済の皮を被るということですね」
「ん? ……そういう……ことだな?」
「畏まりました」

 代表しデミウルゴスが口を開き、そして全員が一斉にアインズに頭を垂れる。

「ではこの都市1つを巻き込んだ、力の行使を――」
「よせ!」慌ててアインズはデミウルゴスを止める。「情報をわざわざ流す必要は無い。もし強者がいれば慌てて調べだすだろう。そうすれば逆に相手の情報も入手しやすくなるというものだ。我々は静かに行動するだけでよい」
「まさにおっしゃるとおりです。アインズ様の深謀遠慮には感服いたしました。流石は私達の支配者であられるお方。その英知、私の及ぶところではありません」

 デミウルゴスが満面の笑みを浮かべて、アインズに同意する。
 海底に身を潜めた魚を目視で発見することは困難だが、その魚が餌を求めて上まで浮上してくれば、視認も容易となる。

「流石ハアインズ様」
「困っている人を助けるのは当然だとか……そこまでお考えの言葉だとは思いませんでした」
「全くです」
「え? ……そ、そうか? う、うむ、そんなわけだ。な、納得したようだな? ではその辺はセバスに任せ、我々は撤退をしよう。とりあえずはこの館内を綺麗に掃除し、変な情報を残さないようにしないとな。そうだよな、デミウルゴス?」
「まさに」
「そういうわけだ、セバス」
「畏まりました」僅かばかり慌てたようなアインズに、セバスは深く頭を下げる。自らの願いを叶えてくれた主人に対する、深い感謝の気持ちを込めたものだ。「……ところで中にいる人間は皆殺しにすべきでしょうか?」
「ん? ん……別にそこまでする必要は無いだろう。こちらから率先して情報を流す必要は無いが、完全に流れないようにしても意味が無い。幾人かの命はあったほうが良いだろうな。臨機応変に任せる。ただ、ナザリックに来たいと要望する人間以外のものを連れては来るなよ?」

 誘拐ではなく、自由意志による行為だ。そんな建前を作るための狙いだろう。
 それに対してはセバスも理解できる。そのため即座に返答した。

「畏まりました」
「……しかし、やはりそういうところなんだから女だろうな?」
「だと思われます」
「……女、これ以上増やして価値あるのか? 個人的には肉体労働とかさせることを考えると男の方が嬉しいんだが……。女なんかがこれ以上増えることに必要性を感じないのだが……」

 そういわれてもセバスに言葉は無い。無論、アインズも実際返答が聞きたくて、セバスにこぼしたわけでは無い。直ぐにアインズの中で何らかの答えが出たのか、肩を竦めた。

「まぁ、良いか。では行動を開始しよう」



 ■



「さてと」

 ツアレを拾ったところまで来たセバスは厚い鉄の扉に向き直る。扉は木に鉄板を両側から打ちつけ、さらに真ん中にも別の金属をはめ込んだ重厚なものだ。人が道具も無しに破壊するのは困難だと、一目瞭然で理解できるほどの。
 セバスはノブを掴み、捻る。
 途中で回した手は止まる。こういう店なのだ。当然、鍵が掛かっている。

「鍵開けは不得意なのですが……仕方ないですね。私なりの鍵開けといきましょうか」

 セバスは困ったように呟くと、ノブを再び捻った。もしこの光景を見ている者がいれば、単にノブを回したんだろうな。そんな風に思えるほどの軽やかさだ。そこに不自然な力の入り方は無い。
 しかし、そこにかけられた力。
 それを測定したらどの程度のものになるだろうか。恐らくは人間では決してでないようなほどの力が込められていたのだろう。

 金属が無理矢理曲げられる音が響き、耐え切れなくなったノブと鍵が大きく歪み、破壊される。そのままセバスは扉を開く。引かれた扉をそれで終わることなく、セバスはそのまま力を込めた。
 蝶番が悲鳴を上げ、壁から別れを告げる。
 かなりの重量があるだろう分厚い扉が――防御を考えて作られているはずの扉が、人間の常識外の力を受けて引っこ抜かれたのだ。

「なん! ……だ……?」

 扉の直ぐは通路になっており、その奥の扉から顔を出した髭の生えた屈強な男がその光景を見て絶句した。
 それは当然だ。
 分厚い扉を片手に持っている老人がいたら、誰でもそんな表情を浮かべる。特にその扉の重量を知っている者ならなおさらだ。

「錆びてるのか、開きづらかったですよ? 来客のことまで考えて、扉には油を差しておいたほうが良いかと思いますね」

 セバスはそう男に声をかけると、手に持った扉を後ろに放る。セバスの手を離れるまで、まるで紙か何かの重さしか持たないようだった扉は、空中で元々の重さを取り戻し、地面に落ちる時には騒がしい音を周囲に響かせた。
 男は完全に惚けていた。
 その間にもセバスは家の中に進んでいる。

「――おい、どうしたんだ?」
「――今の音は何だよ!」

 男のいる後ろから別の男の声。
 ただ、セバスを直視している男はそれに反応することなく、セバスに声をかけた。

「……ああ……い、いらっしゃいませ?」

 完全に混乱に陥った男は、セバスが目の前まで来るのをぼっと眺める。元々こういうところで働いている人間だ。暴力には慣れており、色々な事態に対処するだけの覚悟は出来ている。しかし、目の前で起こった光景はあまりに常識から逸脱していた。
 後ろから男の仲間が問いかけてくるのを無視して、男は媚いるようにセバスに笑いかける。生存本能が媚いることが最良だと考えたためだ。
 いや、ここに来ている客の1人に仕える執事だと、必死に自分を騙そうとした結果かもしれない。

 髭面の男が頬を引きつらせた顔で、必死に愛想笑いを浮かべるのは、あまり見栄え的にも良いものではない。
 それはセバスにしてもそうだった。

 セバスは微笑む。

 優しげであり、微笑ましいものである。
 しかしその目に宿る感情は好意的なものは一切なかった。

「退いていただけますか?」

 ドガン。
 いやゴバァン、だろうか。

 人間が大きく吹き飛んだ、その際に上げる音というのは。
 屈強な成人男性1人。それが武装しているのだ。全体重で85キロはゆうにあるだろう。
 それが中空で冗談のように回転しながら、目にも留まらぬような速度で横に吹き飛んだのだ。男の体はそのまま壁に激突し、水の弾けるような音を盛大に立てる。
 巨人の拳が家屋に叩きつけられたように、家が大きく揺れた。

 立ちふさがっていた邪魔な男がいなくなったために、開いた扉の隙間から、セバスは身を滑り込ませるように中へと侵入する。そして後ろ手に扉を閉めると、優雅な動作で室内を見渡した。
 敵地への侵入というよりも、無人の家屋を散策しています、そんな雰囲気で。

 中には2人の男。
 壁一面に広がった真紅の花を呆気に取られたように見ていた。つんとした匂いは血や内容物によるもの。
 その中に僅かに酒の匂いがある。ナザリックでは決して見られないような安物の匂いだ。
 セバスはツアレから聞いた、この家屋の間取りを思い出そうとする。彼女の記憶はボロボロであり、大したものが残っていたわけではないが、下に本当の店があるとは聞いている。
 床を眺めるが、下に続く階段は巧妙に隠されているのか、セバスに発見することは出来ない。

 自らが発見できないのであれば、知っている人間に聞けばよい。
 そんな当たり前のことをセバスは行う。

「失礼。少し聞きたい事があるのですが?」
「ひぃ!」

 声をかけられた男の1人が掠れたような悲鳴を上げる。もはや戦うとか、そういう言葉は一切頭には浮かんでいない。
 入ってきたのは1人。つまり先ほどまでこの部屋にいた3人の男の中で、最も腕っ節の立つ男を殺したのは、この老人だということだ。
 もしこれが普通に遭遇したのなら、これほどの怯えは見せないだろう。しかし、人間1人を容易く吹き飛ばし、壁でミンチを作るような化け物に対して、刃渡り60センチ程度の武器で戦いを挑む勇気なんかあるわけが無い。いや、それは勇気とは言わず蛮勇と呼ぶべきか。
 セバスの外見が単なる老人、それも品の良さげなものだというのが、より一層恐ろしさを増している。見た目から化け物であれば、ああ、そういうものかと思えなくも無いが、まるで人間のような素振がより一層、異質さを感じさせるのだ。
 男たちはガタガタと怯えながら、セバスから少しでの離れようと壁にもたれかかる。

「この下に用があるのですが、行く方法を教えていただければと思うのですが?」
「……そ、それは」

 それを第三者にいうことは裏切りだ。粛清の対象になったとしてもおかしくは無い。
 言うべきか、言わざるべきか。そんな男たちの迷いを、一太刀で断ち切る言葉をセバスは発する。

「あなた方は2人いますね」

 ぶわっと男たちの額に脂汗が滲み、ぶるっと背筋が震える。
 2人いるから1人はいらない。そう眼前の化け物がはっきり断言したのだから。

「あっ、あっ」
「あそこだ、隠し扉があるんだ!」

 男の1人が恐怖のため、言葉を発せない間にもう1人が大声で叫ぶ。喋れなかった男の方が、喋った男に憎悪の目を向ける。自分の命が失われる可能性を知った男が、失う原因となった男に向けて然るべき目だ。
 それに対して喋った男が向けたのは勝ち誇ったような目だった。

「あそこですか」

 知って眺めてみれば、確かに周囲の床との間に切れ目のようなある。

「なるほど、感謝いたします」

 にっこりと優しげに笑うセバスに話した男は希望を抱く。
 ここから全力で逃げて、明るくなったら直ぐに王都の外に出る。もう、こんなやばい奴と会うような人生からは足を洗う。多少はたくわえもある。それで食いつなぎながらまともな職を探すんだ。
 今までの人生を悔い、そして新たな生き方をすることを信じてもいなかった神に約束をする。もしこの王都で信仰心を高い順に選んでいたら、この男達はかなり上位に位置しただろう。
 しかし、結局のところ、今までの人生の汚れというものはいつまでもへばりつくものである。
 
「では役目も終わりましたね」

 セバスが微笑み、その言葉の後ろにある意味を直感した男達は青い顔でガクガクと震える。それでもほんの少しの淡い期待を抱き、言葉を口にする。

「た、たのむよ。こ、ころさないでくれ!」
「駄目です」

 シンと部屋が凍りついた。2人の男はそろって目を丸くする。信じられない言葉を聞いたように。
 セバスがぐるっと首を回す。ミシミシと間接が大きく鳴った。

「だって、話したじゃないか! なぁ、何でもするから助けてくれよ!」
「確かにそうですが……」セバスはため息混じりの息を吐き出し、頭を横に振る。「駄目です」
「じょう……だんですよね?」
「冗談だと思われるのは勝手ですが、結果は1つしかありませんよ?」
「……かみさ……ま」

 僅かにセバスの目が細くなる。ツアレを拾った時の姿を思い出して。
 そんなことに加担していた者に神に請い願う、そんな権利があるわけがない。そしてセバスにとっての神は至高の41人。それを侮辱されたような気がして。

「自業自得です」

 その全てを断ち切るような、鋼の言葉に男達は自らの死を直感する。
 逃げるか、戦うか。その選択肢を突きつけられた瞬間、男たちが迷わず選んだのは――

 逃げの手である。
 こんな化け物と戦ったって結果は見えている。それよりは逃げた方が少しでも生き残れる可能性がある。そう判断し、その判断は正しい。
 数秒、いや1秒単位でだが、彼らの寿命は延びたのだから。

 扉目掛け走り出した男達に、一瞬でセバスは追いつくと、くるんと軽く体を回転させた。疾風が男達の頭の辺りを通り抜け、男達の体は糸が切れたように床に転がる。ポンと2つの球体が壁にぶつかり、血の跡の残して床に転がる。
 遅れて男達の、頭部を失った首からは大量の血が床に流れ出した。

「……自分が今までに行ってきたことを考えれば、どうなるかは自明の理でしょう?」セバスの視線が中空を彷徨う。「あなたもそうならないことを祈っていますよ。……さて、さて」

 セバスは広がってきた血溜まりを避けるように、ゆっくりと歩き出す。回し蹴りで頭のみを蹴り飛ばすという行為自体、ありえないような速度と力だ、最も恐ろしいのはセバスの足を包むその靴に、一切の汚れが付いてないことだろう。
 床に付いた隠し扉にセバスは足をたたきつけた。
 金具の壊れる音。そしてぽっかりとした床が口を開ける。しっかりとした作りの階段を、ガランガランと意外に大きな音を立てて破壊された扉が滑り落ちていった。


 ◆


 その部屋はそれほど大きくはない部屋であった。
 がらんとした部屋には衣装タンスが1つ。そしてベッドが1つしかない。
 ベッドは藁にシーツを引いたような粗末なものではなく、綿を詰め込んだマットレスを敷いた貴族が使いそうなしっかりとしたものである。ただ、機能性を重視したようなそれはさっぱりとした作りで、貴族の使用するものに良くありがちな装飾は一切施されていなかった。
 そしてその上には裸の1人の男が座り込んでいた。

 年齢的にも中年を大きく越えた頃だろう。体躯は暴食の名残がこびりつき、情けない体となっている。
 顔立ちは元々が平均すれすれだったのにも係わらず、そこにたるんだ贅肉を付着したことによって、急激に点数が下がっている。豚のような――そういっても良い外見だ。豚は豚でも知性の欠片もない、侮辱の意味での豚だ。
 彼の名はブルム・ヘーウィッシュという。

 彼は振り上げた拳を下――マットレスにむかって叩きつける。
 そして、マットレスのものとは違う音が響く。

 ブルムの弛んだ顔に喜悦の表情が浮かんだ。手に伝わってくる肉がひしゃげる感触と共に、ぞわぞわとした心地良いものが沸き起こったのだ。

 ブルムの組み敷いた下には、裸の女がいた。
 顔は大きく膨れ上がり、所々で起こっている内出血が顔をまだらに染め上げていた。鼻はひしゃげ、流れ出した血が固まりこびりついている。唇も瞼も大きく腫れあがり、元々の整っていた顔立ちはもはや何処にもなかった。体にも内出血の跡は見られるが、それでも顔ほどではない。
 先ほどまで庇うという意味で必死に持ち上げていた手はだらしなくベッドにたれ、水中に漂っているかのような姿だった。
 どう見ても女の姿に意識があるようには思えなかった。
 周囲のシーツにも飛び散った血が色を変えて付着していた。

「おい、どうした。もう終わりなのか? あぁん?」

 拳を持ち上げ、下ろす。
 ガツンと拳と頬肉、そしてその下の骨がぶつかり、ブルムの手にも痛みが走る。
 ブルムの表情が歪んだ。
 
「ちっ。痛ぇじゃねぇか!」

 怒気に合わせて、再び拳を叩きつける。
 ゴツリという音と共にベッドが軋む。ボールのように膨れ上がっていた女の皮膚が裂け、拳に血が付着した。ねとりとした新鮮な血液がシーツに飛び、真紅の染みを作る。

「…………ぅぅ」

 殴られてももはや女は動こうともしない。これだけの殴打を繰り返されれば命に係わる。それにも係わらず命があるのは、別にブルムが手加減しているからではない。女が死んだところで、処分代としてそれなりの金を払えば問題は解決するのだ。
 そんな女が生きているのはベッドのマットが衝撃を受け流してくれているため。もし硬い床の上で殴られていたら、既に命を落としていただろう。
 実際ブルムはこの店で数人の女を殴り殺している。
 まぁその度ごとに処分費用を払っているため、多少は懐に堪えているというのが内心ではあったかもしれないが。

 ピクリとも動かない女の顔を眺めながら、ブルムはぺろりと自らの唇を舐めまわす。
 この娼館は特別な性癖を満たすにはもってこいの場所だ。普通の娼館ではこのようなことはまず出来ない。いやできるかもしれないが、かなりの金を取られるだろう。もし、領地持ちの貴族であれば、何のかんんの理由を付けて、平民を連れて行けるかもしれない。
 しかしながら、彼にはそんなことは出来ない。
 ブルムは元々は平民である。
 単に自らの主人の貴族の目に留まり、取り立てられたに過ぎない。そのため、彼は金銭による報酬は貰っても、領地を持っているわけではないのだから。

 奴隷がいた頃はよかった。
 奴隷も財産だ。それを手荒に使うような者は軽蔑される傾向にある。財産を派手に、そして無駄に使いすぎるとそういう目で見られるのと同じ理由だ。
 しかし、ブルムのような特殊な性癖を持つ人間にとってすれば、奴隷というのはもっとも手っ取り早く、己の欲望を満たすことの出来るたった1つの手段だというわけだ。
 それが奪われてしまった以上、ブルムにとってすれば、こういったところで発散するしかない。もしこの場を知らなければどうなったことか。

 ブルムの主人の貴族に、協力するようにと言われて正解だったということだ。
 通常であればブルム程度の地位の人間では入れないこの店に、彼らの良いように権力を行使したり偽造したりすることで入れてもらっているのだから。

「感謝します――我が主人よ」

 ブルムの瞳に静かなものが浮かぶ。ブルムの性癖や性格からは信じられないかもしれないが、彼は自らの主人である貴族のみには深い感謝の念を懐いている。
 ただ――
 ジワリと腹の底からこみ上げてくる炎――怒り。
 自ら奴隷という、己の歪んだ欲望を失う原因となった女へと向けるもの。

「――あの小娘!」

 怒りによって生じた、急激な容貌の変化は驚くほどのものだった。顔は紅潮し、目は血走る。
 自らが組み敷いた女に、自らが仕えているはずの王家――王女の顔が重なった。ブルムは内面から吹き上がった苛立ちを拳に集めて、叩きつける。
 ガツンという音とともに、再び新鮮な血が飛散する。

「あの顔を、ぐしゃぐしゃにしたら、どれだけ、気持ちいいかなぁ!」

 何度も何度も女の顔を殴りつける。
 拳が当たり、口の中を歯で切ったのだろう。驚くほどの量の血が、膨らんだ唇を割って流れ出す。
 もはや女は殴りつけられたとき、ピクリと反応するばかりだ。

「――ふぅふぅ」

 数度殴り飛ばし、ブルムは肩で息をする。額や体には油を思わせるようなてらてらとした汗が付着していた。
 ブルムは自らの組み敷いた女を見る。もはや酷い有様という言葉を通り越し、半死半生より死の淵に数歩進んだところにあった。それは糸の切れた人形。
 ごくりとブルムの喉がなる。
 ボロボロになった女を抱く時ほど、興奮することはない。特に美しければ美しいほど良いのだ。美しいものが壊れている時ほど、嗜虐心を満足させてくれるものはないのだから。

「あの女もこういう風にしたらどれだけ気持ち良いか」

 ブルムの脳裏に浮かんだのはついこの前行った屋敷に女の顔が浮かぶ。この国の王女、最も美しいといわれる女性に匹敵するだけの美貌を持つ女を。
 勿論、あれほどの女をどうにかできるはずがないのは、ブルムだって分かっている。ブルムの性癖を楽しませてくれるのは、この娼館に落とされてきたような廃棄処分1歩前の存在である。
 あれだけの美しい女であれば、よほどの貴族が大枚をはたいて買い込むことだろう。無論、そうなるようにブルムは動かなくてはならないのだが。

「ああいう女を一度は殴ってみたいものだな」

 もしそんなことが出来たのなら、どれだけ楽しく、そして満足することができるか。
 当然、無理だろうからの夢だ。

 ブルムは自らの組み敷いた女に視線を動かす。裸の胸が僅かに上下に動いている。それを確認し、唇がイヤらしくつり上がった。
 ブルムは女の胸を鷲掴みにする。込められた力に反応し、女の胸はぐにゃりと大きく形を変える。優しさなんかない、力を込めただけのものだ。痛いだけでしかないだろう。
 ただ、当たり前のことだが、女の反応は全くない。その程度の痛みに、もはや反応できる状況ではないのだ。ブルムが組み敷いている女の、今現在人形と違うところは唯一柔らかいというぐらいだろうから。

 ただ、ブルムはその抵抗の無さにわずかばかりの不満足さを得ていた。

 助けて。
 許して。
 ごめんなさい。
 もうやめて。

 女の悲鳴がブルムの脳裏に浮かび上がる。 

 そう言ってるうちにやっちまうべきだったか?
 ちょっとばかりの残念さを感じながら、ブルムは女の胸をもみ続ける。

 この娼館に回される女の大半が精神的に壊れかかった状態で、大半が意識を逃避している状況である。それからすれば今日ブルムの相手をしている女はまだまともな方だったといえよう。

「あの女もそうだったか?」

 ブルムの脳裏に浮かんだのは逃がしたと言われた女だ。色々と問題にはなったそうだが、ある意味外部であるブルムもそこまでは知らない。逃がしたとされる男がどのような運命を辿ったかとかに関しては聞きたいとも思わない。
 ただ、この娼館にいた女を助けた男がいると聞いて、これほど馬鹿な奴がいるのかと呆れたぐらいだ。
 どれだけの男に、場合によっては女や人以外のものに抱かれたかしれない女なんか庇うだけの価値があるというのか。特に会って話をした際、金貨数百枚もの大金を出しても構わない雰囲気をかもし出した時には笑いを堪えるので精一杯だった。
 そんな価値があるのか、と。

「そういえば、あの女もいい声を出したな」

 記憶を辿り、上げていた悲鳴を必死に思い出す。この娼館に回ってきたにしてはまだまともだった女を。
 ブルムはにやけ、己の獣欲を満たすべく動き出す。組み敷いていた女の裸の足を片手で掴むと、大きく開く。ほっそりとした骨が浮かんでいるような足はブルムの手ですっぽりと包めるような細さしかない。
 大きく開いた股の間にブルムは体を寄せる。
 ブルムは己の欲望によって硬くなったモノを掴み――


 カチリという音と共に、扉がゆっくりと開く。

「な!」

 慌ててドアの方を見たブルムの視界に、どこかで見た老人の姿があった。そして即座にその老人の正体に思い至る。
 あの館で会った執事だと。
 老人――セバスはかつかつと気にもしないように部屋に入ってくる。ブルムはそのあまりにも自然な動きに、何も言うことができなかった。
 何故、あの館の執事がここにいるのか。何故、この部屋に入って来るのか。理解できない事態に遭遇したことで頭が真っ白になってしまったのだ。
 セバスはブルムの傍に立つ。そして組み敷いた女性を見てから、冷たい視線をブルムを送る。

「殴るのが好きなのですか?」
「な!」

 その異常な雰囲気にブルムは立ち上がり、服を取ろうと動き出す。
 だが、それよりも早く、セバスの行動は始まった。
 パンという音がブルムの直ぐ傍で鳴った。それと同時にブルムの視界が大きく動く。
 遅れてブルムの右頬が熱くなり、痛みがジワジワと広がりだす。
 殴られた――いやこの場合は平手打ちをされたというべきか。そのことをブルムはようやく理解する。

「なっ!」

 ブルムが何かを言うよりも早く、パンと再びブルムの頬が鳴った。そしてそのまま止まらない。
 左、右、左、右、左、右、左、右――。

「やめろぉ!」

 殴ることはあっても殴られることのないブルムは、痛みのため目の端に涙を浮かべる。
 両手で顔を庇うように持ち上げながら後退をする。
 両の頬からは熱せられたような痛みがジンジンと広がった。

「ひ、ひさま! こんなことをしてもよいとおもふのか!」

 真っ赤に膨らんだ頬が、言葉をしゃべると痛い。

「してはいけないので?」
「はたりまえだ! はかもの! わはひがはれはとおもっていふ!」
「単なる愚者です」

 ブルムが離れた距離を容易くつめると、パン! と再びブルムの頬が鳴った。

「はめろ!」

 親に殴られた子供のように、ブルムは頬を庇う。
 暴力行為が好きでも、殴る相手はいつでも無力な存在であった。抵抗できる、そして殴ってくる相手に対してブルムができることは一切無い。
 たとえ、単なる老人であるセバスでも、ブルムは怖くて殴れないのだ。絶対に抵抗できないという確信が無い限りは。

 そんなブルムの内心が理解できたのか。興味を失ったようにセバスの視線が動き、女性に向けられる。

「全く酷い有様ですね……」

 女の直ぐにしゃがみこんだセバスの脇を、ブルムは駆け抜ける。
 
「はかは!」

 ブルムの頭が熱を持つ。なんと愚かな老人か。
 この館にいる者を呼び集めて、痛い目を見せてやる。自分という人間にこれだけのことをしたのだから、容易く許せるはずが無い。苦痛と恐怖を充分に味あわせてやる。
 脳裏に浮かんだのは執事の主人である、あの美貌を持った女。

 従者の失態は主人の責任だ。主従まとめてこの痛みの責任を取らせてやる。誰を殴ったか思い知らせてやる。

 そう考えながら、たるんだ腹を上下に動かし、ブルムは外に飛び出る。

「はれか! はれかいないのか!」

 大声で叫ぶ。
 叫べはすぐに従業員の誰かが来るのは当然のことだ。
 しかしその考えを、ブルムは裏切られることとなる。それを知ったのは通路に出たときだ。

 静まり返っているのだ。
 まるで人がいないように感じられるほど。

 ブルムは素っ裸のまま、怯えたようにキョロキョロと見渡す。
 通路にあるその静寂――異様な雰囲気がブルムに恐怖を与えた。
 左右を見れば幾つもの扉がある。そこから誰も出てこないは当たり前だろう。特殊な性癖――それも危険なものを持つ者が多く来るこの店では、中の音が聞こえないよう、しっかりとした扉を使っているからだ。
 しかしながら、何故誰も来ないのか。

 ブルムがさきほどの部屋に案内される際、幾人かの従業員の姿を見た。どれも屈強な姿をしており、セバスなんていう老人とは比較にならないほどの立派な体躯をした者たちだ。

「はんで、でてこないんは!」
「――死んだからですよ」

 静かな声がブルムの叫びに答える。
 慌てて振り返ればセバスが静かな表情で立っていた。

「奥に数人いるようですが……大抵は殺しつくしたからです」
「ほ、ほんなわけはない! はんにんいるとおもってるんは!」
「……従業員らしき方は上に3人。下に10人。そしてあなたのような方が7人でしたね」
「…………」

 何をこいつは言ってるんだろう。そんな顔でブルムはセバスを見る。

「当然、生きてる方もいますよ。ですがあなたを助けには来れないでしょうね。足を砕いて、腕をへし折ってますから」
「!」
「さて、あなたは生かして返す必要性を感じません。ですのでここで死んでいただきます」

 刃物を抜くとか、武器を構えるとかの行動は一切セバスは取らない。ただ、黙って間合いをつめるだけだ。その極普通の行動にブルムは恐怖する。セバスの言った言葉が決して嘘ではないことを感じ取り。

「はて! はて! おはえ……いは、あははにほんのないはなひがある!」

 損の無い話。そんなものは無い。とりあえずこの場の時間さえ稼げればそれで構わない。しかしセバスにそれに付き合う気は無かった。

「興味ございません」
「はらなんでほんなことをふる!」

 こんなことをされる筋合いは無い。大体どんな理由があって自分が殺されなければならないのか。ブルムの思いはセバスに初めて届く。

「……あなたがやってきたことを考えても分からないのですか?」
「?」

 ブルムは思い返す。何か、不味いことをしてるだろうかと。
 そのブルムの表情に浮かんだ感情――罪悪感やそれに準じたものが浮かび上がらないことを読み取り、セバスはため息をつく。

「……そうですか」

 セバスの発した言葉と同等の速度を持って、セバスの前蹴りがブルムの腹部を強く蹴り飛ばした。

「生きる価値が無いとはこのことですね」

 内臓を幾つも破裂させ、悶絶死したブルムに言葉を吐き捨てる。それから奥――いまだ人の気配の残る方へセバスは歩を進めた。




 ◆




「やれやれ、少しは考えるべきじゃないか? 多少派手なサービスはあったほうが、身を潜めた魚が食いつくには良い餌かもしれないが、扉を破壊しては目立ちすぎるだろう」

 デミウルゴスの呟きは風に吹かれ、消えていく。
 下を見れば、セバスが壊した扉の姿があった。今、デミウルゴスがいる場所は向かいの家屋の屋根の部分である。
 その上に立つデミウルゴスの格好はあまり品の良いものではない。
 前で合わせるタイプのフード付きのローブを纏い、そして顔にはアインズより借り受けた魔法の仮面を被っている。装飾の無いつるっとした仮面は、《ダーク・ヴィジョン/闇視》の効果を常時発動しているマジックアイテムだが、デミウルゴス自身、闇視の能力を有しているため、顔を隠すということ以上の意味合いは無い。

 何故、こんな場所にデミウルゴスが1人でいるか。それはデミウルゴスの意志によるものではない。笑みを含んだアインズより、セバスに協力するようにという指令を受けたためだ。
『仲間なのだから、協力して行うこと』
 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に持って、かつて発揮できなかったリーダー権を発動させたような、そんな面白そうなアインズから。

「困ったものだが、この困難を乗り越えるのがアインズ様の望みか」

 デミウルゴスとしては己の能力を考えるに、充分なバックアップを望んではいた。隠密行動というのはデミウルゴスの不得意な分野だからだ。アサシンであるソリュシャンを付けてくれるだけでも充分だったはずだ。
 しかし、デミウルゴスにはその内心を主人に告げる言葉は生まれなかった。

 デミウルゴスの口元がニンマリとだらしなく歪む。

『守護者であるデミウルゴスを支援につけるのだから、問題はないな』

 自らの主人の、デミウルゴスに対する強い信頼を込めた言葉を思い浮かべたためだ。ああまで言われてしまっては、無理だからバックアップを付けてください、とは言いづらいではないか。

「アインズ様は恐ろしいお方だ」

 デミウルゴスをして、理性より感情を優先させるとは――。
 
「おっと、いけないね」

 デミウルゴスはだらしなく歪みきった顔を意志の力で押さえ込む。自らの主人の言葉を思い出すだけでゾクリとしたものが走り、生きる者を苦しませるのと同等、もしくはそれ以上の愉悦を感じてしまう。
 しかしながら、そんな最高の感情を押し殺すのは惜しいが、今しなくてはならないことは別にあるのだから。
 何より今後もそういうわけには行かない。
 今回限り、感情を優先させるのは今回限りだ。次回からはたとえなんと言われても、任務の完全なる遂行を第一に考える。
 そう決心したデミウルゴスは次に打つ手を考える。

「やれやれ。手が足りないものだね」

 デミウルゴスは一瞬だけ自らの能力を行使して、悪魔を召喚することを考える。サキュバスなどは精神操作系の特殊能力や魔法を持っている。こんな状況下や場所では使い勝手が良いとも言えるだろう。しかしながら悪魔に対して人間が強い忌避感を持つのは自らの牧場で分かっている。
 一応、人を助けるという名目でここに来ているのだ。悪魔を使ったりするのは少々不味いだろう。
 悪魔を召喚する奴は大抵の場合『悪』とレッテルを貼られるのだから。

 そのため手が足りないという状況から来る不満は、その状況を生み出した、この場にいない人物に向けられる。

「――先に行きすぎだよ、おろかもの」

 扉を破壊された家屋に人影はなく、当然、侵入したセバスの姿は見えない。
 本来であれば、指令どおりセバスと一緒に歩を進めて行動するのが正しいことなのかもしれない。しかしどうもデミウルゴスとセバスの仲は良くは無い。別に憎みあっているとか、足を引っ張りたいという気持ちは皆無なのだが、なんとなくそりが合わないのだ。
 そのため2人で役割を分担したのだ。
 セバスが内部に乗り込み、人を救出する。デミウルゴスは救出した人間をナザリックまで転送する。そんな役割に。
 勿論、デミウルゴスのすべきことはそれだけではない。情報があまりに多く漏れるのを避けるために、周辺の監視をおこなっているのだ。

「しかし……あの甘い考えで、どれだけの厄介ごとを背負い込んだのか」

 セバスを思い、仮面の下の顔をデミウルゴスは歪める。

「アインズ様の部下に対する優しさを利用するというのが、まったく不快だな」 

 デミウルゴスが不満を漏らすというのは滅多にありえる光景ではない。それを目にすれば同僚の他の守護者も驚きの表情を浮かべるだろう。
 それだけデミウルゴスはセバスとはそりが合わないのだ。まだ性格が正反対のペストーニャの方がそりが合うほどに。

 セバスとのそりが合わないのも、実際に確認できた。
 セバスは急ぎで救出することを選択し、デミウルゴスはナザリックでの受け入れ準備や今までセバスのいた屋敷からの撤退準備を優先させるべきと考えたのだ。2人の意見は物言いに終わり、結果セバスが先行して突入をすることとなった。
 遅れて、飛行能力を使用して近くの家屋の屋根に到着したデミウルゴスが見たのが、破壊された扉だということだ。

「誰が見ているか不明だし、国家権力が動くかもしれない。好奇心を強すぎるほど刺激するような侵入跡はバカのすることだろう?」

 はぁとため息をつき、さてどうするかとデミウルゴスは考える。

 扉を直した方が良いのは当たり前なのだが、デミウルゴスには修理関係の魔法は使えない。幻術も同じだ。ぶっちゃけて、デミウルゴスに出来ることといったら、せめて扉を立てかけるぐらいだろう。もしくは扉を隠して、元々開いているんだと思わせるぐらいか。
 どちらの方が良いか。
 迷ったデミウルゴスに声が突如掛かった。


 この場所に到着するまで、デミウルゴスは細心の注意を払っている。
 自らの主人は多少情報が漏れるのも良し。そういう考えを聞いてはいるが、デミウルゴスが素顔で街中を歩けば、その悪魔的な外見を持つこともあって、目立ちすぎるだろう。
 だからこそ、スクロールから《インヴィジビリティ/透明化》の魔法を発動し、不可視状態で移動してきたのである。
 10位階までの魔法を使用することはできるるものの、デミウルゴスの使える魔法の種類は非常に少ない。数えるのが容易なほどだ。そのため《パーフェクト・アンノウアブル/完全不可知化》のような感知不可能な魔法を使えないため、貰ったスクロールによる発動を行ったのだ。
 次に身に纏った衣装は黒色。更にはかなりの上空からの飛行によっての到着だ。これら細心の注意によって、デミウルゴスの発見はほぼ不可能に等しいだろう。
 誰が《シースルー・インヴィジビリティ/透明化看破》に《ダーク・ヴィジョン/闇視》をタイミングよく発動させておき、さらには夜空に注意を払う者がいるだろうか。そんな人物がいるという可能性は考えられないほど低い。
 しかし、その日に限って、そんな人物はいたのだ。


「で、そんなところで何をしているのか、聞かせてもらおうか?」

 デミウルゴスの背後より掛かった声は、くぐもったような奇怪なものであるため、どんな存在が声を発したかまではデミウルゴスには理解できない。
 迂闊。
 デミウルゴスはセバスのことを考えていた以上に、仮面の下の顔を歪める。

 デミウルゴスは能力の基礎値は高い。単純にレベルが100レベルに達しているためだ。それに異形種の存在は人間種や亜人種よりも1レベルごとの能力値の上昇値は高い。ただ、それでもシーフやレンジャー系統に代表されるような探知能力に長けているわけではない。
 アインズやアウラ、シャルティアならば魔法によって代用するだろうし、セバスやコキュートスではその戦士の勘が感知能力の代わりとなるだろう。しかし、デミウルゴスにはその能力は無い。そのため、気付くことなく、相手の接近を許してしまったということだ。

「基礎能力だけに過信している痛い目を見るということかね?」

 デミウルゴスはため息をつく。なんという失態だと、自らの情けなさに頭を抱え、即座に現状を修正する方法を考える。

「なにを言っている? こっちをゆっくりと振り返れ。変な行動をしたら即座に命を失うと思ってもらおうか? 味方かもしれんが、間違いで命を失いたくは無いだろ?」

 攻撃するという意志が偽りで無い、そんな張り詰めたものを感じ、デミウルゴスはゆっくりと振り返る。

 そこにいたのは小さな存在だ。デミウルゴスと同じような黒色のローブを纏い、長い黒髪が風に揺らめいている。その顔は仮面によって隠されていた。
 イビルアイ。
 デミウルゴスは知らないが、そんな名で知られる王国最高の冒険者パーティーの片割れ、『蒼の薔薇』の一員だ。

 謎の人物を前にデミウルゴスから口を開く。少しでも話の主導権をとるのが狙いだ。

「私はここに人を助けるために来たのだがね? 君はなにをしに来たのかね?」
「なに……」

 先手を取って問いかけられ、イビルアイの声に動揺の色が混じる。デミウルゴスは薄く笑うと、更に言葉を紡ぐ。

「君が私の邪魔をするというのなら、殺さなくてはならないのだが?」
「……なるほど、目的は同じか。何故、そのような怪しげな格好をしている?」
「……君に言われるとは思わなかったが……秘密裏の行動だからだよ」
「ふむ……」

 互いの相手の出方を伺う時間があり、次に口を開いたのはイビルアイだった。

「そうか、理解した。ならばこの後は我々が継ぐ。お前は立ち去れ」
「……」

 イビルアイの言葉に、正当性が向こうにある雰囲気をかぎつけ、デミウルゴスは困惑する。法を後ろ盾にする者特有の傲慢さと意志の硬さを感じ取ったのだ。

「…………その言葉だけでは信頼できないな。証拠を見せてもらおうかな?」
「……見せたら従うのか? その前に仮面を外して顔を見せてもらおうか? この王都に住むものなら、私が何者かは知っているだろう?」
「…………」

 デミウルゴスは自分が非常に厄介な状況に追い込まれたことを理解した。この国の権力機構に繋がる存在に遭遇する可能性は考えてもいたが……。

「……知ってはいるとも、しかし君がその人物だという証拠にもならないな。そちらもその仮面を外したらどうかね?」

 常時仮面を被った有名人なんかいるわけが無い。デミウルゴスと同じように顔を隠すという意味で今仮面を被っているのだろう。そう考えたが故の言葉だ。しかし、この場にあってはそれは大きなミスだった。

「なに? 仮面を外せ……?」
「そうだと――」

 言葉を遮るように、イビルアイがゆっくりと身構える。

「――正直に言ってやろう。……お前がどこの貴族に雇われた存在か不明だから、逃がす気は元々なかった。しかし、それ以上に私を知らないということに興味を惹かれるぞ? 『蒼の薔薇』のイビルアイを知らないようなこういった世界の住人には、な」

 その言葉に含まれた意思。
 デミウルゴスは交渉の余地無しと判断する。

「……時間を稼いでいたのかね?」
「それもある」

 そして仮面を被った2人は互いを見やった。
 2人のいる屋根の上を風が流れる。


 イビルアイはゾクリとしたものを感じた。それが屋根を流れた風ではなく、自らの前にいる者からだと直感する。吹き付けてくるような嫌悪感と焦燥感、そして圧し掛かった来るのような重圧。
 Aクラス以上が相手にするような上位モンスターが纏う、圧力。それをはるかに上回るようなものだ。
 今まで生きてきた時間、経験を凌ぐ、イビルアイにとっての始めての経験。それでも立ちすくみそうになりながらも、行動しようとするのはイビルアイが非凡な身であることの所以だろう。
 ただ、イビルアイは動こうとするが、ほんの少しの硬直はデミウルゴスクラスの超が付きそうな存在からすれば、あまりにも大きな隙である。

『自害したまえ』

 支配の呪言がデミウルゴスからイビルアイに放たれ――

「なに!」
「なに?」

 驚きの声が2つ上がった。前者がイビルアイのもので、後者がデミウルゴスのものだ。
 イビルアイは大きく飛びのく。飛行の魔法が掛かっているため、足をつけることなく不安定な屋根を軽やかに飛びのくことができる。
 後方に離れたイビルアイに追撃をかけることなく、デミウルゴスは頭を振った。
 そしてイビルアイとデミウルゴスの2者は、仮面越しに互いの動きを見極めようと、にらみ合いを始める。


 強者であるデミウルゴスが即座に攻撃を仕掛けない理由はたった1つである。

「……やれやれ」

 デミウルゴスは自らの攻撃手段の1つである支配の呪言が効果を発揮しなかったことに、さらなる厄介ごとを理解したのだ。

 支配の呪言は効けば致命的な能力である。だが、無敵でも最強でもない。結局は音声による精神作用の技だ。それを知っていれば防ぎような幾らでもある。
 例えばその人物が40レベル以上であること。または精神作用、もしくはその系統の1つである支配系に対する完全耐性。はたまたは音による攻撃なので音波攻撃無効。それ以外にも知能低下による言語能力に対する理解能力の低下など防ぐなら手段は無数にある。
 問題は眼前の敵が一体、どのような方法で防いだかということだ。
 もし仮にレベルが上であることによって防がれたとしたら、面倒なこととなる。

「やつめ、適当な仕事をして」

 デミウルゴスの不満はセバスに向けられる。
 支配の呪言を防げそうな人物がいるという情報をデミウルゴスが聞いてないことから、王都での情報収集ということで送り出されたセバスに対してだ。
 しかし実のところは違う。
 セバスはイビルアイという人物に関しての、ある程度は情報を集めている。デミウルゴスにその情報が伝わらなかったのはアインズの失態だ。
 アインズは元々は単なる1社会人であり、上に立つような地位のあったものではない。そのため、情報の大切さまでは知ってはいるものの、部下に対してどの情報を伝えるべきか、いつ伝えるか、そういったことが上手くないのだ。

 シャルティアという失敗例があったにも係わらず、同じ事をするのだから駄目な奴だといわれても仕方が無いところだろう。しかしアインズの立場に立って言い訳をするなら、このような状態――デミウルゴスをセバスのバックアップとして出撃させる。さらにイビルアイと遭遇するなんて事態は考えてもいなかったし、セバスから上がってきた無数の情報の中、必要と思われる情報のみを説明する時間も無かったというところか。
 そんなことを知らないデミウルゴスはセバスに対して不満を思うのだが。

 そんなわけで、情報を持たない、いわば暗闇に明かりを持たずに放り込まれたような状況であるデミウルゴスは、行動を大きく抑止されていたのだ。


 そしてイビルアイ。彼女もデミウルゴス同様、動けない状況だった。
 なぜなら相手がどれほどの強者か不明だからだ。いや、圧倒的な強者だというのは、経験から直感できる。ただ、勝算が何パーセントあるのか、はたまたは逃げ出した場合逃げ切れる可能性は何パーセントあるのか。そういうハイレベルな点での予測が判別できないからだ。

 では目の前の敵はどれほどの存在か。
 ここで考えの1つとなってくるのは、先ほどの攻撃だ。
 目に見える攻撃をされたわけではないが、眼前の謎の存在からの放たれる何か異様な感覚があった。これはかなりの知識をもつイビルアイをして、未知のなんらかの技だった。

 『歴戦の冒険者は戦う前から勝利を得る』

 これは情報の大切さを語る言葉である。つまりは戦闘前の情報分析から来る準備で大抵の場合、勝敗が決するということだ。歴戦であればあるほどこの傾向は強い。そのため、逆に遭遇戦を嫌う傾向になっていくのは仕方が無いことだ。
 つまりはイビルアイもデミウルゴス同様、暗闇の中に明かりも持たずに放り込まれたようなものだった。


 少しの時間、互いの動きを伺いあい、最初に動いたのは不利な方――デミウルゴスだった。
 時間の経過が有利に働くのはイビルアイだと互いに理解していたがゆえだ。

 ダンと踏み込み、一気にイビルアイにデミウルゴスは迫る。保有する無数の攻撃手段からデミウルゴスが選んだのは拳による一撃。
 途中から移動手段を飛行の魔法に切り替えることで、足場の不確かさのペナルティは受けない。

 デミウルゴスの肉体能力は守護者の中では最弱である。アインズには流石に負けないにしても、それ以外の者には勝算は確実に無い。戦闘メイドと五分、もしくは多少優れる程度だ。そんな彼が肉弾戦を選んだのは、彼が慎重派であるためだ。
 手札を切ることを避けたというわけだ。

 迎え撃つイビルアイが収める魔法の数は100を凌ぎ、接近してくる相手に対して放つべき魔法も無数にある。しかし、無数の戦いをこなしてきたイビルアイは直感した。その辺の魔法では打ち勝て無いと。
 巨大なドラゴンが突撃してきたイメージ。それを遥かに凌ぐ何かを鋭敏に感じ取ったのだ。

「《トランスロケーション・ダメージ/損傷移行》」

 デミウルゴスは未知の魔法を使われたことに警戒感はあったため、僅かに威力を殺し、様子を見るという意味での拳をイビルアイ目掛け叩き込む。
 デミウルゴスが想像していたような盾のようなものは生まれずに、イビルアイの小さく薄い腹部に拳が突き刺さった。

「……おや?」

 デミウルゴスの拳には、分厚い布団を叩くような感触が伝わってきたのだ。
 反撃とばかりにイビルアイの拳がデミウルゴスの肉体に突き刺さるが、デミウルゴスの魔法的な守りを突破するには至らない。デミウルゴスの肉体は神聖系の属性武器でなければ、ダメージを軽減する能力を有しているのだから。

「くそ!」

 拳を押さえながら、飛びのいたイビルアイに対してデミウルゴスが追撃を行わなかったのは、自らの知らない魔法を使われたことに対して、警戒感を覚えたためだ。

 両者の距離は離れる。それはイビルアイが望んでいたもの。

「追撃をかけなかった己の愚かさを悔やめ!」手の内に現れた龍のごとき雷に、イビルアイは自らの魔力を貪り食わせる。「くたばれ! 《マキシマイズマジック・ドラゴン・ライトニング/最強化・龍電》!」

 威力を増大したために太さを増した雷撃が、龍のごとくのたうちながらデミウルゴス目掛け走る。デミウルゴスの漆黒のローブが雷光が白く染まった。
 これで倒しきれる自信は無いが、それでもかなりのダメージを追うはず。
 自らの使える最高位の攻撃魔法を放ったイビルアイはそう考え、続く手を考える。
 
 デミウルゴスは接近してくる雷撃を前に頭を僅かに傾げた。防御手段は一切取らない。そして雷龍がデミウルゴスの体を飲み込むと思われた瞬間――雷光が周囲に飛散した。
 まるでさきほどの白い光が嘘だったように静寂と暗闇が周囲に戻ってくる。

 ――無傷。

 デミウルゴスの衣服に焼け跡すらない。
 それを見たイビルアイの仮面の下の顔が大きく歪んだ。

「お前は何者だ!」

 叫び声。そこには様々な感情を含んでいるものだった。

「私の魔法を無効にできる存在なんか会ったことも無い! 上位ドラゴンでも……魔神でもだ! お前は何者だ!」
「良い声だね」

 静かな声が風にのって流れる。その声に含まれた感情は戦闘中、敵に向けるものではない。
 
「……なに?」
「今、その仮面の下ではどのような表情を浮かべているのか。それを思うだけでも楽しくなってくるよ」

 ゾワリとしたものがイビルアイの背筋を震わす。頭のおかしい奴というのは幾らでもいるものだ。だが、イビルアイからすればどんな奴でも自らよりも弱い存在。焦りを感じたことは無い。
 ただ、今目の前にいる奴はやばすぎる。
 雷撃によるダメージを無効にする能力――雷撃ダメージ無効――を持つモンスターもいるが、それとは違う反応だった。
 そうなると次に浮かぶ考えは、魔法を無効化する特殊能力のことだ。ただ、それは――両者に圧倒的な力量差がなければ難しい。もし仮に魔法無効化だとすると――つまりは目の前の奴は、イビルアイを遥かに凌ぐ、圧倒的にやばい存在だということ。

「しかしあまり遊んでもいられないのが残念だよ」

 デミウルゴスの雰囲気の変化はイビルアイの背筋を振るわせる。
 本気になったとしたら――。
 この世界の頂点クラスに位置する自ら。それを凌駕するだろう存在の本気。それは――イビルアイは必死に生き残る手段を探す。この100年。決して感じたことの無い命の危険に身を震わせながら。
 ただ、イビルアイが手段を打つより早く、デミウルゴスの魔法は発動し始める。

「《イートアンダイディ――/食い散らかす――》」

 しかしデミウルゴスの魔法は放たれる前に目標を消失する。

「何?」

 デミウルゴスの顔が動き、10メートルほど離れた廃屋の屋根を眺めた。
 そこにはイビルアイ。そしてもう1人の人影があった。
 漆黒の衣装に身を包んだ女性だ。それがまるでイビルアイを後ろから抱きかかえるように立っていた。

「くんかくんか、よいにほい」
「遊んでいる場合か、あほ!」

 まるで緊張感の無いことを話す、首筋に顔を埋めた仲間の1人であるティナを無理矢理引き剥がし、イビルアイは叫ぶ。
 その言葉に込められたものを鋭く感じ取り、表情こそ変化は無いものの、ティナの瞳に宿る色が強くなる。

「きょうてき?」
「桁が違う! 私の魔法をなんらかの手段で無効化し、肉体能力でも私を凌駕する存在だぞ! 最低でもA+冒険者以上、恐らくは英雄クラスだ!」
「やば……」

 イビルアイの肉体能力は、『蒼の薔薇』の戦士であるガガーランを単純な意味なら凌ぐ。確かに純粋な戦闘になれば経験や技、武装に長けるガガーランが勝つだろう。ただ、イビルアイは元々魔法使いだ。それを考えればイビルアイの戦闘能力は桁が違う。
 そんな彼女を持って桁が違うと言わせる相手。それはどれほどの存在か。
 その言葉はティナの思考を切り替えさせるには充分だ。

「逃げるぞ! 全員でなければ勝てん!」
「りょうかい。ちんこやろう」

 ティナの性癖から来る最大の罵声が漏れる。
 別に罵声に反応したわけではないが、デミウルゴスの瞳がグリュリと変化した。縦に割れた金色のものへと。

 デミウルゴスが保有するクラスの1つ『ゲイザー』。
 なんらかの凝視能力を特殊能力として保有する者しかなれないクラスだ。様々な視線能力を得られるこのクラスの特殊能力の1つ――石化の視線。
 視線攻撃は別に視線を合わせなくても、その様々な効果を発揮することができる。難点は距離が短いことだが、利点としては視界内の複数を同時にターゲットに出来るということだろう。ユグドラシルというゲーム上では効果範囲を示すかっこ悪いエフェクトが起こるのだが、この世界ではそのようなものは起こらない。
 抵抗に失敗したものを即座に石と変える視線が2人に向けられる。
 だが、その前に――

「大瀑布の術!」

 その声と共にティナとイビルアイを覆い隠すように下から水が吹き上がる。屋根という場所で起こるのだ。自然のものではないのは当たり前だ。
 その水は半球を描いて、完全にその内に2人を包み込んだ。
 下から上に吹き上がる、滝のごとき水は飛沫を上げながら白濁し、奥の2人の姿がほぼぼんやりとしか捉えることはできない。
 これでは凝視の効果も乏しいだろう。

「――忍術? とすると忍?」

 忍はシーフ系の中でもアサシン関係のスキルを多く必要とするクラスであり、60レベルを超える存在でなければなれない職業である。直接戦闘能力を多少失う代わりに忍術を多く収めるカシンコジ、逆に直接戦闘能力を高めるハンゾウなどのクラスが存在する。
 同程度の戦士などよりは弱いが、デミウルゴスとて直接戦闘だけでは余裕で戦える相手ではない。

「……あまり強そうではないんだが……」

 身に纏っていた武器や防具。魔法のアイテムだとは思われるのだが、デミウルゴスに警戒感を抱かせるほど強力なものは無かった。
 とはいえ、油断しすぎるのも問題があるだろう。せめて肉体能力を上昇させる必要はある。

 デミウルゴスの服の下の肉体が隆起する。
 『デモニックエッセンス』の悪魔の諸相の1つ。おぞましき肉体強化。そのままだが、筋力を一時的に増大させる技だ。これで大瀑布の術をぶち破るつもりなのだ。

 シャルティアは神官系、アウラがドルイドからの派生したビーストテイマー系、コキュートスが戦士系とあるようにデミウルゴスにも保有しているクラスの系統がある。
 それはモンスター系統といっても良いものだ。
 凝視攻撃、ブレス、モンスター召喚、呪い、毒や病気などのバッドコンデション。そういったものを得るようなクラスばかりで構築されている。
 先ほどのゲイザーもデモニックエッセンスもその一環だ。

 強化された肉体を持ってデミウルゴスは跳躍する。しかし、それを待っていたかのように、瀑布の向こう側から女性の声が聞こえる。

「――不動金剛の術」

 滝の輝き――水の飛散する輝きが別のものへと変化する。それは金剛石の輝きだ。見れば瀑布が流れを止め、巨大で強固な宝石の塊へと変わっていた。

「っ!」

 デミウルゴスは拳を止め、巨大な塊――そしてその奥に僅かに見える2人分の影を眺める。

 忍術は種類が少なく、そして位階というのが無い代わりに、消費したMPの量で効果が変わってくる。いうなら第1位階不動金剛の術、第2位階不動金剛の術、第3位階不動金剛の術……とあるというわけだ。そして膨大なMPを消費して発動させる最高レベルの忍術はかなり強力だ。ベースとなる効果は第10位階魔法よりも上だろう。
 そして厄介なのはどれぐらいの位階に匹敵する効果が発揮されているのか、外見からは全く同じなため想像がつかないことか。
 
 不動金剛の術は物理攻撃に対して比類ない盾を生み出す。魔法攻撃には脆い盾なのだが。ただ、魔法攻撃手段をあまり持たないデミウルゴスではこれを破壊できず、向こうに時間だけを与える可能性も無いわけではない。
 派手に戦うべきか? デミウルゴスは思案する。
 デミウルゴスの強い攻撃手段は得てして、範囲攻撃が多い。『内臓が入し香炉』、『明けの明星』、『ソドムの火と硫黄』などの特殊能力に代表されるように。
 しかし、派手すぎる。空から光の柱なんかが落ちてきたら、目立ちすぎだろう。そう。それはある路地で扉が壊れているよりも。

 さて、どうするか。

 そう考えながらデミウルゴスは軽く、コツコツと金剛石の盾を叩く。そして舌打ちを1つ。それは自らが騙されたことに関して理解した者が浮かべるものだ。

 軽く叩く――その瞬間、全てが砕け散った。
 宝石のごとき無数のきらめきを上げながら散っていくが、そのどれも地面にまで残っているものは無い。その破壊された奥には2人分の人がいた。いや、人のようなものというべきか。
 それは膨らんだ服。それがまるで人間のように立っていた。

「……遁術」

 着用している鎧を確実に喪失する代わりに、それを身代わりに転移を行う忍術。鎧が喪失するぐらいなら死んだ方がましだという人間が多い、ユグドラシルでは死に忍術だ。
 しかしこの場にあっては効果的だ。

「逃がしてしまったようだね」

 悪魔を召喚して後を追う。自らの主人に謝罪し、援軍を送ってもらう。幾つかのアイデアがデミウルゴスの中に生まれるが、それらを全て破棄する。
 別に逃がしたところで問題になるわけではない。もしデミウルゴスの正体がばれていては厄介なことになるが、たまたま屋根で遭遇して戦闘になっただけの問題だ。それに重要な情報を流した記憶も無い。
 ならばそれは致命的問題からはほど遠いということ。
 それに――。

 デミウルゴスは預かってきたスクロールを開く。そこに書かれた魔法は《メッセージ/伝言》である。

「セバスに謝罪をしないとね。即座に撤収すべきと。助けるべき相手がもっといたとしてもね」

 デミウルゴスの仮面の下の顔。そこには僅かな笑みがあった。




「イビルアイ、大丈夫?」
「ああ……無様な姿を見せたな」

 自らのリーダーであるラキュースの言葉に反応し、イビルアイはのろのろと立ち上がる。
 ここまでティナに連れて来られてから、糸が切れるように崩れ落ちてしまったのだ。その原因は精神的な疲労だ。イビルアイが精神的疲労というとありえないような話だが、彼女はどちらかといえば人間の近い面がある。だからこそだろう。

「いえ、それは構わないわ。誰だって怯えることはあるもの」
「そんなことより、行かねぇと不味いだろ?」

 今行っている場所には、ある男が1人でいるはずなのだから。ただ、それをイビルアイは止める。

「止めた方がいいな。行ったら死ぬぞ?」
「みなそろったけど、かてない?」

 ぴたりと動きを止めてイビルアイがティナを見る。

「無理だな。あれは私以上の存在だな」
「あなた以上って……そんな……」

『蒼の薔薇』の誰もが絶句した。イビルアイに勝てる存在なんか聞いたことがないと。
 イビルアイの単体での戦闘能力は、現在の『蒼の薔薇』全員を凌駕する。そのイビルアイ以上といわれれば当然の反応だろう。

「私に勝ったあの時のフルメンバーに私が参加しても、あいつに勝つのは難しいだろうな」
「婆さんを入れてもかよ」

 即座に立ち直ったガガーランがぼりぼりと頭を掻く。
 現在はいないが、イビルアイを除く『蒼の薔薇』の誰よりも強い人物。それをいれても勝てないとなるともはやどうしようもない。論外にそういうニュアンスを含ませて。

「……何だと思います?」
「奴の正体か? ……上位ドラゴンといった人間をはるかに凌ぐ存在だろうな。それ以上は流石に分からん」
「そんな存在がなんでいるの?」
「知るか」
「やべぇ、死んだか、クライム。……童貞のまま」
「……人助けに来たとか言っていたからもしかすると生きているかもしれないがな」
「ますます目的が不明だわ。……なんかイメージに合わないというか……」

 『蒼の薔薇』全員で頭を捻る。そんな桁の違う存在が、何で1人で人間の都にいるのか。まるでイメージに合わないというか、チグハグしている。

「すまんな。交渉の余地をなくしてしまって」
「まぁ、大きなミスだよね」

 ティアのつっこみを受けて、イビルアイがぐぅとうめき声を上げる。
 イビルアイの今回の行動は、自らが最強であるということに自信を持ちすぎたものだ。もし賢く立ち回るのなら、ティナかティアにバトンタッチして相手の正体を掴むように行動すべきだっただろう。

「まぁ仕方が無いでしょう。交渉でどうにかなるなら、頭を下げて許してもらいましょう。お金ならあの娘に出してもらえば良いわけですし。問題は――」
「いびるあいよりもつよいやつなんかきいたことがないっていうことだねー」
「伝説レベルでいいならいるがな」
「伝説じゃなく世界に隠れていた存在だとすると、そいつが動き出した理由が知りたいものね」

 まさか、イビルアイ以上の存在が本当に人助けのために来たとは思えない。もっと深い何らかの目的のためだと考える方が理解できる。

「魔神とかか?」
「……魔神クラスでも、私たちなら勝てる」

 かの13英雄が戦った魔神。それにすら勝てると言われて、ラキュースが苦笑いを浮かべた。つまりはその謎の存在は魔神を遥かに凌ぐ存在だということだ。
 国を滅ぼし、多くの生物を苦しめた存在よりも強者。そんな存在が隠密裏に行動をしている。
 相手が敵意を持って動き回っているのでなければ構わない。しかしもし持っていたら?

「……それって下手したら世界の危機じゃない?」
「やばいねー」

 同じ考えに達したティナが呟く。遅れて全員が同じ結論に達したのか、暗い顔でため息をついた。



 ◆



 突如乱入したセバスに全員の目が集まる。
 警戒の色が強く、そして嘲りの色もあった。ここまで潜入してきたのだから、只者では無いという考えはあっても、単なる品の良い老人にしか見えない者にそこまで警戒することができなかったのだ。
 特にゼロとルベリナという強者である2者にはその色が強い。

「おじいさん、来る場所間違えてるんじゃないの?」
「これは申し訳ありませんでした。ここで皆さん集まられて何をしているのかと思いまして、ちょっと興味を引かれたものでして」
「ここじゃ女は抱けないからお部屋に帰ったら?」

 ルベリナがからかう様に言うと、それを遮るようにゼロが動いた。

「ルベリナくだらんお喋りは止せ。お前が侵入者だな」
「そうですね。そういうことになっていると思います」
「愚かな。そこの小僧と同じく、俺がいる時に侵入した己の不幸を嘆くが良い」

 僅かにセバスが苦笑いを浮かべる。
 その笑い方はゼロを不快に思わせた。圧倒的余裕を感じさせる笑いだったのだ。
 それはゼロという男を前にして良い笑いではない。
 
 だからこそ、ゼロは一撃で決めることを決心する。

「ふん。死ね、じじい」

 ゼロの3つの刺青がほのかな光を放った。
 ゼロの付いているクラスであるシャーマニック・アデプトは、動物の肉体的能力を自らに憑依させ、行使を可能とする。ゼロの場合は足のパンサー、背中のファルコン、腕のライナサラスだ。これらは1日での使用回数が決まっているため、通常はそのどれかを選択して起動させるのだが、ゼロはそれはしない。
 1度に使用するのだ。
 これら3つの動物の能力を同時に行使して放たれる、ゼロの一撃はもはや桁が外れている。

「――あぶ!」

 前情報でそれを知っていたクライムは喉を震わせ、必死に叫ぼうとする。 

 ゼロの必殺技だ。
 それは単純に拳で殴りつけるだけだが、そのスピード、そしてそこに込められた特殊な力より生まれる破壊力の桁は違う。数トンのライナサラスが時速80キロ近い速度で、軽やかに突撃してくるにも匹敵する一撃。まともに食らえば即死は間違いない。

 一気にゼロはセバスに迫る。
 それに対して、あまりの速度のためか。セバスは動こうとしない。それどころか、防御自体が遅れていた。

 ゼロの拳が繰り出される。
 そして一撃がセバスの無防備な腹部に突き刺さった。完璧な決まり方で。
 セバスが大きく吹き飛ぶ。
 当たり前だ。フォートレスなど戦技を使用していれば吹き飛ばないかもしれないが、セバスにそれを使った形跡は無い。
 つまりは致命傷だ。

 そうなるはずだった。
 そう――
 誰もがそれを予測し、そして――外れる。

 セバスは――ピクリとも動かなかったのだ。


 ゼロの全ての力を込めた拳、それを真正面から腹部のみ――己の筋肉のみで受け止めたということになる。
 それは誰が目にしても信じられない光景だった。もはや常識の範疇には無い光景といっても過言では無いだろう。
 両者の肉体の差は明白。にも係わらず、それとはまるで反対の結果が出ているのだから。

 その場にいる全員の中で最も信じられなかったのは無論、ゼロ本人である。己の最大の自信の一撃。それを受けて平然としてられる生物なんかいるわけが無い。そして今までそうだった。そう思っていたのにも係わらず、現在の結果があるのだから。だからこそ、目の前を黒いものが通り過ぎてなお、行動することが出来なかった。

 セバスの足が中空高く上がる。ゼロの鼻先を潜り抜けた――飛燕の動きで。

 高く、高く上がった足は勢いを込めて落ちてくる。
 踵落とし。
 そう言われる技である。ただ、速度と込められた力は尋常ではない。

「……なんなんだ、お前は」

 ゼロが呟き、セバスが唇を僅かに吊り上げた。
 ゴキリともゴジャリとも聞こえるようなおぞましい音が響く。何百キロにもなる重量に人が潰されるように、頭を砕かれ、首や背骨を容易くへし折られたゼロが床に伏せる。

 室内が静まり返った。
 その部屋に満ちる空気を一言で表現するなら『ポカーン』である。ジクジクとゼロのひしゃげた頭部がある場所から流れ出す血を避けるように動きつつ、セバスはゼロの拳が突き刺さった辺りをパンパンと払った。

「ふぅ、危ないところでした。もし警告が遅れたら死んでいたでしょうな」

 絶対、嘘だ! 警告なんかなかったぞ!
 その場にいた3人。口には出さないが全員が同じ叫び声を心の中で上げる。

「助かりましたよ。弟子」
「あ、え……えぇ」

 クライムに言葉は無い。当たり前だ。なんといえばよいのか。これだけの常識はずれな光景を前に。

「なに? なに? というか、なに?」

 ルベリナが今目の前で起こった光景を信じられないように、惚けた顔で床に伏せたゼロと無傷のセバスを交互に見る。

「なにがあったのよぉ!」

 見ていたがそれでも信じられない。ゼロの強さを最も知っていたルベリナの絶叫は当然のものだ。

「大したことではありません。私のほうが少しだけ強かったということです」

 少しじゃないだろう。
 その場にいた全員が先ほどと同じように、思いを1つとする。

「さて、あとはおふた方ですか」

 セバスがルベリナとサキュロントに視線を向ける。サキュロントは怯え、ルベリナは前に踏み出す。この両者の違いは、己の腕にどこまでの自信があるかだろう。ゼロという人物を除けば最強であるルベリナと、ゼロに遠く及ばないことを知っているサキュロントの。
 相手はこちらを殺しに来ている。ならば前に踏み出すしかない。ルベリナはそう考える。目の前で起こった信じられないようなことを頭から捨て去って。
 あんなのはまぐれであり。偶然。そう信じるしか無かったのだ。
 王国にはガゼフ・ストロノーフといわれる周辺国家最強の戦士がいる。あれと比べられれば確かにルベリナもゼロも負けるだろう。ただ、それでも多少は善戦するはずだ。勝てないにしても、傷のいくつかは負わせる自信がある。そんな自分が、こんな見たことも聞いたことも無いような老人に負けるはずが無い。
 そう考えれば、なんらかのトリックを使っている可能性がある。例えば、殴打による攻撃を無効とするマジックアイテムなどを。
 ゼロの攻撃も避けなかったのではなく、避けれなかったということだってありえるではないか。

 だからこそルベリナは踏み込む。己の技に全てを託し。

「はっ!」

 ルベリナの手に持ったハート・ペネトレートが白銀の残光を残しながら、セバス目掛けて伸びる。クライムと戦った時の遊び交じりのものではない。己の放たれる最高の速度の一撃だ。狙うのは喉。
 外から見るクライムとサキュロント、両者の目に止まらない閃光の一撃。

 そして金属のへし折れるような甲高い音が響いた。
 いやそれだけではない。もう1つ。骨が砕ける音。
  
「……さて、あと1人ですね」

 セバスの指から、へし折られたハート・ペネトレートの先端が床に落ちる。そして270度首を回転させたルベリナもまた崩れ落ちた。

「なんだ……」

 サキュロントの呟き。そしてクライムの驚愕の顔がセバスに向けられる。たった数分、いや、それすらたっていないというのにあまりにも状況が変化している。いや変化しすぎているといっても良い。

「お、いや、あんた」

 サキュロントが思わず後ずさりをする。あの館で会ったとき、これほどの人物だとは思わなかった。いや、もはやどこからか夢の世界に突入しているような、そんな奇想天外な予測が出来るはずが無い。
 セバスが歩を進めるのにあわせ、サキュロントは下がる。

「まってくれないか! 降伏する! あんたが欲しがるすべてのものをやる。おれはこれでも組織ではそこそこの地位にいたんだ。あんたが喜びそうなものだって渡せるはずだ! 本当に待ってくれ!」
「興味がありません」

 後退を続けていたサキュロントの背中が壁に当たり、どんと音を立てる。それ以上後ろに下がれなくなったサキュロントの顔色が青を通り越し、紙のような色となった。

「――待ってください!」

 サキュロントとの間合いを拳の届く距離まで詰めたところで、ぴたりとセバスの足が止まり、顔がクライムのほうに動いた。空になったポーション瓶を懐にしまいつつ、クライムは再びセバスに声をかける。

「彼の処罰はこちらに任せてはいただけないでしょうか?」
「……」
「すべて話すというなら、根元から一気に刈り取れる可能性があります。今後このようなことが起こらないようなシステムを作るきっかけになるかもしれません」
「……」

 僅かなセバスの雰囲気の変化に、自らの生きる道を見つけたサキュロントが慌てて約束をする。隙だらけに見えるセバスを前にしても攻撃を仕掛けようという気は一切起こらない。いや、なにより隙だらけに見えるのが怖い。

「そ、そうだ。本当にそうだ。俺は全てを話す。約束する。嘘偽り無く話すと」
「ふむ……」

 セバスの手が動く。いや、その場にセバスの動きを捉えるほどの動体視力を持っているものはいない。そのため何が起こったか2人とも理解できなかった。ただ、意識を失ったサキュロントが崩れ落ち、そしてその胸が無事に動いていることを確認して、ようやくセバスがサキュロントの意識を刈り取ったと分かったのだ。

「……了解しました。このようなことが二度と起こらないようにと言われてしまっては、私も弱いですから」
「ありがとうございます」

 殴打された痛む体を震わせながら、クライムは頭を下げる。

「気にしないでください。彼を生かして渡すということは、より良い情報の拡散が狙えますので」
「?」
「こちらの話です。しかし酷い傷ですね」

 セバスがクライムの近くによると、すっと手を伸ばす。
 普通の手に見えるがその恐ろしさは桁が違う。一瞬だけ硬直し、それからクライムは逃げかけるが、それがどれだけ失礼なことか知っているために、その場に踏みとどまる。そんなクライムの感情の動きを理解したのか、セバスは僅かに微笑んだ。

「傷を治すだけですよ」

 セバスの手が鎧に触れる。その瞬間、鎧を通して何か暖かいものが全身に流れ込んだ。

「気による傷の回復です。古傷等は治せないみたいですが、あなたが受けた傷ならあらかた治ると思いますよ」

 傷が熱を持ち、瞬時に冷える。その時には、クライムの体からは残っていたあらゆる痛みが綺麗に抜け落ちていた。

「ありがとうございます!」

 再び深々と頭を下げるクライムに、セバスは大したことがないと手を振った。

「それよりあなたに……ん? なんですか?」まるで声が受信するかのように、セバスは額に手を当てる。「……そうですか。分かりました、早急に撤退……。しかしまだ意識が無く、意志の確認が……。無論です、わが主をこれ以上……分かってます。意識があったのは8人ですね。ええ、ええ。分かりました」はぁ、と軽くセバスはため息を1つ。「申し訳ありません。本来であれば全員連れて行きたいところなのですが、幾人かは意識が無く、意志を確認することが出来ませんでしたので置いていきたいと思っております」
「考えを確認というのは?」
「こちらの話ですので、お気にされず。ちなみにここに来られたのは、特定人物の救出とかで?」
「いえ。誰というわけではないですが、苦しんでいる人を救出するという目的もあってです」
「ほう」

 セバスが初めて感心したように声を上げた。

「やはりそういう方もいらっしゃるようですね。私が会ってきた方は、碌でもない者しかいなかったもので。では残していく人はお任せします。他の方々は私のほうで預かって傷を癒しますので」

 クライムは一瞬だけ迷うが、セバスという人物を考え、それが最も良い手だろうと判断する。確かに正体の知れない謎の人物だが、その性格は優しく、決して人を苦しめる人物ではないとクライムは確信している。そのセバスが連れて行くといっているのだ、下手にこちらで預かるよりも良い結果が待っているのではないか。

「分かりました。よろしくお願いします。それとこの瞬間まで助けられず、申し訳ありませんでした」
「いえいえ。あなたと会った時の話を思い出せば、今回ここに来られたのは並々ならぬ覚悟あっての事だと分かっております。あなたを責めるようなことは決してありません」
「ありがとうございます。ではやはりお助けになられた方々を一緒にどこかに離れるのですか?」
「そのつもりです」

 セバスが助けたという人物と一緒にこの辺りから逃げるつもりなのだろう。だからこそ行きがけの駄賃としてここに乗り込んできた、そういうことなのだ。そう、クライムは納得する。

「ではもう会うことは?」
「恐らく無いのではないでしょうか?」
「そうですか……また訓練をしていただければ……なんて思っていたのですが……残念です」

 セバスが微笑む。

「もし機会が会った時はして差し上げますよ。……さて、私は早急に撤退させていただきます。あなたはここで色々とやっておくべきでしょう」



 ◆



「ご苦労様でした、クライム」一通りの説明を受けたラナーは微笑を浮かべる。「あなたが無事でよかったと思っています」
「ありがとうございます」

 深々とクライムは頭を下げる。
 こみ上げてきた欠伸を、顔を下に向けたその一瞬を狙ってかみ殺す。
 ラナーの元に戻ってきて、色々と報告をしていたら朝日が間も無く昇ろうという時間になってしまった。クライムは兵士として鍛えられているため、1日ぐらいなら睡眠を取らずに行動できる。しかしながら死に直面した戦闘を乗り越えただけあって、精神的な疲労が激しい。油断すれば立ったまま眠れるほど、睡眠に対する欲求を抱え込んでいる。
 それをラナーも感じ取ったのだろう。クライムに対して優しく微笑みかけた。

「今晩はお疲れ様でした。戻ってゆっくり休んでください」
「はっ」

 クライムの視線がラナーの近くにいるレェブン候の元へと動く。その視線に含まれた思考をラナーは瞬時に読み取る。これはクライムが相手だから出来ることだ。

「候とはもう少し話をしておくつもりです」
「では、私も残りますか?」

 ラナーが今だ眠らないのに自分が眠ってよいのかという思いと、睡眠をしっかりとらなければラナーの役には立てないという思いの2つがクライムの中でぶつかり合う。それにもう1つの理由もあるが。
 その戦いに終止符を打ったのはやはり自らの主人の意向だ。

「いえ。それにはおよびません。クライムは睡眠をとってきてください。普段より遅い時間での来室を許します。疲労を後に残さないように」
「畏まりました」

 主人の命令に従わないわけには行かない。
 クライムが深々と頭を下げ、そして部屋を出て行く。扉が閉まる音を聞きながら、ラナーは顔を僅かに高揚させ、レェブン候に微笑みかける。

「嫉妬ですよね、あれ」
「……全くその通りだと思います」
「……乗ってくださってありがとうございます」

 少しばかり寂しげにラナーは言う。クライムはレェブン候とラナーが一緒に夜を明かすということで変な噂が立つのを心配して、自分も残るという雰囲気を匂わせたのだろう。不要な心配だが、それでもクライムの気持ちは嬉しく思う。
 今晩無数の情報を得た。それをある程度は噛み砕き、統一した意見にしなくてはならないだろう。
 特に謎の人物の出現というのは早急にある程度の目安をつけておくべき、重要な案件だ。

「さて、どう思われますか?」
「あまりにも情報が少ないですが……セバスという人物と屋根の上の人物――未確認者としておきましょう。2者はなんらかの関係を持っているのは間違いがありません」
「目的が一致していたからですね。しかし、だからといって友好的な関係と断言することも出来ない」

 イビルアイが遭遇した謎の存在――未確認者。そしてクライムが遭遇したセバスという老人。両者共に『人助け』のためにその場に来たらしいが、それをどこまで信用してよいのかという問題だ。
 確かにセバスという人物の行動は発言と一致している。しかし未確認者はあくまでも言葉だけであり、それが真実であるという証拠は一切無いのだ。

「敵対的である場合は……監視という線は消えますね。イビルアイの話から推測すると、そういう類のスキルを保有しているようには思えなかったそうですから。そうなるとセバスに攻撃を仕掛けるために来たと考えるべきでしょうけど、大規模な戦闘行為が行われた形跡は発見されませんでした」
「イビルアイとの遭遇によって方針を変更したという可能性もありえますね」
「どうにせよ、敵対関係である場合、セバスと未確認者が戦闘を行わなかった段階で、強さ的な意味合いでは同格でしょうね」
「それは飛躍があるのでは? 確かに未確認者はイビルアイ殿が、セバスに関してはクライム君が強さを認めていますが、イビルアイ殿とクライム君の強さが違う以上、両者が同じぐらい強いということは難しいかと」

 王国最強の冒険者集団の1つ『蒼の薔薇』。それに所属する魔法使いと、単なる兵士では格があまりにも違いすぎる。

「セバスに未確認者が戦いを挑まなかった理由が不明です。セバスは数人の人間を運び出したとのこと。同格でないのであれば、そこを襲えばよかったではないですか」
「ふむ」

 同格ではなく、セバスが上であれば襲えなかった理由は分かる。しかしそうなると何で来たの?という疑問が残るわけだ。

「個人的には未確認者は、セバスが運びだした人間の運搬協力にいたのではと思ってますがね」
「それであれば確かに納得が出来るような気もします。では2者の関係は友好的なもので?」
「じゃないかと。まぁ、想像の範疇を超えませんが」
「ではこの2人の関係は?」
「何者かの部下と仮定するのが最も正解でしょう」

 クライムが遭遇したセバスの話では商人の主人に仕えているということだが、それは嘘だろう。しかしその姿格好、そして立ち振る舞い。それは優秀な執事のものだ。これはラナーに長く仕え、そういう世界を見てきたクライムが保障することだから間違いが無い。

「セバスという人物が、未確認者に仕えている可能性は?」
「無いとは言い切れませんが、可能性としては低いです。恐らくはこの地には来てない人物がいると思われます」

 未確認者のイビルアイに対する対応。セバスのクライムに対する対応。それはまるで違うものだ。確かにイビルアイとクライムでは最初の立ち位置が違う。しかしながら、あまりにもかけ離れている。もしセバスが未確認者に仕えていたら、クライムも殺されていた可能性がある。
 それよりはそれぞれ同じ主人に仕えていて、別々の指令を受け取ったという方がありえそうだ。そしてその主人がこの地に来ていないというのは、来ていれば2者がもっと協力した行動をとるだろうからだ。

「その主人はどのようなものだと思われますか?」
「王国に敵意は持っていないでしょう。ですが、今はまだという線が濃厚です。主人は人の常識の範疇での思考を持っていますですので、どちらにも転ぶでしょう」

 人を助けるということは、人をちゃんと認識しており、慈悲やその他の感情を持っているからと考えるのが妥当だ。例えば人間を遥かに凌駕するドラゴンであれば、人間が苦しんでいても興味を持たず通り過ぎる可能性だってある。
 人が道端でもがいている虫を相手にしないのと同じ要領だ。ただ、犬や猫という動物になれば助ける者だって出てくるだろう。慈悲の感情を刺激されたりして。
 つまりラナーはセバスや謎の存在の裏にいる者が、人間に対して慈悲を持てる存在だと判断したのだ。そして人間にも似た感情を持つということは、敵にも味方にもなるということ。
 ただしこの考えにも穴があるとラナーは見ている。
 セバスの言っていることに嘘があった場合だ。

 ただ、間違っていないと自信を持っていえることは、桁の違う存在を使役する以上は、その存在もまた桁が違うだろうということ。
 ふと、何かを思い出したようにレェブン候は表情を変える。

「そういえば、殿下。アインズ・ウール・ゴウンなる存在を知っていますか?」
「いえ、知りません」

 いや嘘だ。その名前は僅かに聞いた覚えがある。しかし、レェブン候から素直な話が聞きたいと考え、ラナーは知らない振りをする。

「そうですか。……つい最近、エ・ランテルに非常に腕の立つ魔法使いが現れたという話で、その師匠の名前がそうだと聞いております。今回の桁の違う人物、そしてエ・ランテルに出現した腕の立つ人物。何か関係があるのかと思いまして」
「可能性は非常に高いですね」

 名は知られないが桁の違う存在が一度に王国に出現する。ならば何らかの関係があると見てもおかしくは無い。友好的なものか、敵対的なものかまでは不明だが。

「なんでも第6位階クラスの魔法を使うとかですから、帝国の主席魔法使いと同格の力はあるか――」
「――1。そのアインズ・ウール・ゴウンという人物はより上の力を保有している。……2。アインズ・ウール・ゴウンという人物とセバス、そして未確認者は関係が無い。どちらが良いですか?」

 レェブン候の言葉を遮り、ラナーは言う。
 その言葉にレェブン候は頭を傾げた。後者はまだしも、問題は前者――1番だ。
 帝国の主席魔法使い、フールーダは周辺国家最強といわれる魔法使いであり、彼を超える人物は13英雄しかいないとされる。そんな人物よりもぽっとでの人物を、場合によっては上位に据える理由が浮かばなかったのだ。ただ、適当に言っているのではないのはラナーの自信に溢れた態度から読み取れる。
 では知らないというのが嘘なのだろうか。しかし、そんな嘘をつく理由が無い。

「何故、そこまでアインズという人物を上に評価しているのですか?」
「簡単です。セバスと未確認者。この2人と何らかの関係があるかもしれないと考えているからですよ」

 レェブン候は困惑する。その2者との関係が、その強さ基準に繋がる理由が分からなかったのだ。
 単純に考えればラナーはセバスと未確認者はフールーダよりも強いと言っているようなものだ。イビルアイより上だからといって、フールーダより上に位置づける意味が分からない。
 そのレェブン候の困惑を読んだように、ラナーは言葉を続けた。

「イビルアイ……正体をご存知ですか?」

 王国最強の魔法使い。それ以上の正体があるというのだろうか。
 もしかすると13英雄とかか。そんなレェブン候の予測は斜め上に裏切られた。

「彼女の正体は『国堕とし』ですから」

 爆弾が静かに爆発した。
 レェブン候は驚愕に目を見開く。それから思わず、自らの耳の穴に指を差込み、捻る。あまりの情報に己が耳を疑ったのだ。しかしながら何か異常は発見されない。
 ぱっくりと口を開き、数度言いかけ、閉じる。ようやく口を開けるようになったのは、レェブン候という人物からすれば信じられないような時間がたってからだった。
 
「なんですと!」

 国堕とし。
 1国を滅ぼした最悪のヴァンパイア・ロード。13英雄が滅ぼしたとされるそれであり、大陸の歴史にそのおぞましき名を残す化け物中の化け物だ。誇張無しの伝説の通りであれば、国が全力を挙げて勝てるかどうか微妙な存在。1国を滅ぼし、アンデッド溢れる都に変えたと言われる、下手したら魔神より上位の化け物だ。
 もはや御伽噺や伝説の中でしか名前を聞くことの出来ないはずだった。それが今なお生存し、さらに王国で生活している。
 
 それを知ったレェブン候の腰が砕けなかったことを賞賛すべきだろう。

「馬鹿な……生きていたのですか?」
「そうですよ」

 のんびりと答えるラナーに、一瞬だけレェブン候は腹を立てる。
 そんな生易しい情報じゃないだろうという思いだ。国堕としは伝説どおりであれば、下手したらこの王国が滅ぼされかねない存在だぞと。しかしレェブン候の煮えたぎった脳裏は瞬時にある1つの情報を思い出し、一気に冷える。

「ちょっと……待ってください……」ごくりとレェブン候の喉が唾を飲み込む。そのあんまりにも信じられないことを思い出し。「……国……国堕としが……勝算無しと……判断したというのですか? 屋根にいる存在を見て」
「ですね」
「そんなにのんびりしていることですか!!!!」

 イビルアイ。かの伝説の化け物が、『蒼の薔薇』全メンバーと協力しても屋根の存在には勝てない、そう判断した。つまりそれは――。

「この国のどこかに国を滅ぼす……いえ、周辺国家を纏めて滅ぼせる存在がいるということですぞ!!」
「ですね。まぁ、敵意があるかは不明ですが」
「何をのんびりしているのですか!! あなたはあほですか!! どうにか対処を取るべきでしょう!!」
「どうやってですか?」

 その静かな声にレェブン候の頭に冷静さが戻ってくる。確かにどうしろというのか。下手にちょっかいを出せば、そちらの方が危ないではない。数度呼吸を繰り返し、興奮から乱れた息を整える。

「……殿下。私のさきほどの愚かな言葉をお許しください」
「構いませんよ。普通はそういう態度取ると思いますから」
「では……どうしますか?」
「未確認者ですか?」
「はっ。即座に王にご報告をして?」
「……止めた方が良いでしょう。どうしようもないんですから」

 ピラピラとラナーは手を振る。

「しかし……」
「王の動きには常時、貴族の目が集まってます。そして王が僅かにでも動くとなると、説明を求める声が起こるでしょう。結果はいうまでも無いことです」
「それは……」

 レェブン候としてそれに異を唱えることは出来ない。
 王のみに教えたとしても王が動けば、それに対して色々と煩い口を挟む者は絶対にいる。そうなると王は説明を余儀なくされるだろう。もし王国が2つに割れてなければ、王が絶対の権力を持っていれば問題はなかっただろうが、現在はそんな状況ではない。最も力を持つ貴族の1人が、帝国に情報を流している現状なのだから。
 そして王が説明を行わなければ、邪推が混乱を巻き起こすことは確定している。
 説明しても大混乱は間違いが無いのだが。

「それにイビルアイの正体については誰にも漏らすことは出来ません。だってイビルアイは私の友人の友人です。今の関係を壊したくは無いです。最大戦力を裏切るなんて馬鹿のすることでしょ? ではそれを除外してそういう存在がいる、そして王国内に蠢いているという情報を流します。それを知った貴族の方はどんな行動をしますか?」
「……桁外れの大混乱。下手をすれば王国が壊れますね」
「ほら。どうしようもない」
「周辺国家に協力を要請してはどうでしょう?」
「信じますか? レェブン候だったら」
「……信じられるわけが無いです」レェブン候は頭を抱える。「……今日は殿下の元に来なければよかった……。これからは安眠できない日々が続きそうです」

 取るべき手段が無い。せいぜい冒険者に情報を流し、探してもらうぐらいだろう。しかしそれは敵ではない存在を敵に回す行為にも繋がりかねない。
 結局は情報が不足しすぎているのだ。
 相手のスタンスが読めないために、踏み込むことが出来ない。そしてなにより相手の戦力分析も上手く行ってないことが問題だ。つまり頭を抱えて転げまわるぐらいしか手段が無い。

 そんな苦悩を見せるレェブン候に対して、ラナーはのんびりとした表情のままだ。
 レェブン候の脳裏に怒りが宿る。無論、これは八つ当たりだ。厭味でも言ってやろうかと考えた辺りで、ふと、あることを思い出す。

「そういえば……先ほどのアインズ・ウール・ゴウンという存在に関連する話に戻るのですが、カーミラという存在がイビルアイ殿の弟子にいるのでしょうか?」
「いえ、そこまでは知りませんが」

 どうして? と尋ねるラナーにレェブン候は説明する。

「エ・ランテルにモモンというアインズ・ウール・ゴウンの弟子を名乗る人物が来たのですが、彼の話ではカーミラという吸血鬼を追っているとのことで、それが国堕としの弟子だとか――」

 つい最近、エ・ランテルで起こった話を粗方聞いたラナーが大きく1つ頷いた。

「……聞いてみないと分かりませんが、嘘じゃないですか?」
「何故、そんな嘘を?」
「王国内部に潜り込む狙いだからじゃないでしょうか? 危険な存在と敵対していると知れば、その存在が出現した時に頼りたくなります。恐らくはそのヴァンパイアもグルでしょう。自作自演という奴ですね。……とすると、セバスという人物や未確認者とは別の口なのかしら? あまりにもチグハグしているし」

 もしセバスはそうなら今回の救出劇にあわせて、こちらとパイプを持ったはずだ。それをしなかったということは別の狙いなのか、はたまたはエ・ランテルの件もラナーの予想とは外れているのか。

「不明ですが、できればアインズ・ウール・ゴウンという人物とセバス、そして未確認者が協力関係で無いことを祈るだけですね。別口であればぶつけ合うというという可能性だってありえますから」

 もし協力関係があった場合は対処が取れなくなる。レェブン候もそれに同意するように頷いた。

「全くですな。しかしそう考えるとゴウンという人物とは交渉の余地は充分に――」
「とりあえずはちょっと本気で情報が欲しくなりました。レェブン候、その辺りの詳細な情報を全部いただけますか?」

 ラナーは目を細める。自らの描くクライムとの幸せな生活に厄介な存在が姿を見せた、と。そこでレェブン候の表情が固まっているのにようやく気づく。

「……その件で1つ厄介なことを先に言わせていただこうと」
「……なんでしょう」

 厄介なことしか今日は無いな。そういう感情を2人とも正直に浮かべる。

「アインズ・ウール・ゴウンの元には既に使者が出立してしまいました」
「……今からどうにかなりませんか?」

 今現在の入手した情報を考えれば、どれだけ友好的に交渉してもおかしく無い存在だ。何よりセバス、未確認者との関係すらあるかもしれない人物。それは単なる使者ではなく、王家の人間が直接出向いてご機嫌を取るべき相手だ。

「私の力では不可能です。既に私が遅れに遅れるように手段をとってしまいました。ですので、これ以上は不可能です。最低限、友好的に物事が進むようにやったつもりですが……甘かったかもしれません」
「ならば野盗に襲われ、皆殺しというのはどうでしょう?」

 ラナーが普段どおりの優しげな顔で、冷酷な言葉を紡ぐ。しかし、この場にいるのは、その手段が残酷だとかいうような子供ではない。

「……悪い手ではないと思いますが、現在そこまでの手の者がおりません」
「『蒼の薔薇』の皆にお願いするとか……」そこまで言ってラナーは首を横に振る。流石に全部話したからといって、そこまでの汚れ仕事をしてくれる可能性は低いだろう。「ワーカーを使っては?」
「難しいです。王の名代の馬車を襲うということは、王国に弓を引く行為。騙したとしても、馬車の紋章を見て、直ぐに引くでしょう」
「そういう知識の無い方を探すとか」
「それだけで時間がかかりすぎます」
「私、自らが行きますか?」
「……悪く無い手ですが、無理でしょう。『黄金』と言われる方が外に出ただけで面倒なことが起こります。ちょっと考えるだけで4つは浮かびますね」
「……ならば使者には変な行動を取らないことを祈るだけですね」
「それしかないでしょうな」

 レェブン候は壁を見つめる。その向こう、遥か先にはかのアインズ・ウール・ゴウンと呼ばれる人物のいる場所があるという。どのように物事が進んでいくか。それによっては王国を揺るがしかねない問題となるだろう。
 レェブン候の胸中を不安が過ぎるのだった。



 
――――――――
※ 次は諸国3。そしてあれとあれで前半は終了させます。ナーベラルの話はちょっと置いておきます。エンリさんの話も。前半が終わったら半年は休む予定ですので、その間に気力を回復させて書きたいです。


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