ナザリック大地下墳墓第9階層。
そこはそれまでの階とはまるで違う、王宮をも凌ぐような煌びやかな通路が広がる。そんな御伽噺に出てきそうな通路に満ちる荘厳にして豪華な雰囲気に、まるで相応しくない足早な歩運びを行う者が2人いた。
そんな性急な動きをする者がいれば、当然のように非難の目で見られるか、叱責されるであろう。この地はナザリック大地下墳墓を支配する、至高の41人といわれる神たる者たちの自室がある場所。それほどの崇高なる地に相応しくない行為が許されるはずが無いのだから。NPCでなく、単なるシモベであれば死が与えられる可能性だってある。
そんな場所ではあったが、誰一人として叱責しようとする者はいない。
それどころかそれらの人物を視認すると、今まで通路を巡回に当たっていたコキュートス配下の兵士達――ノコギリクワガタにも似た姿を持つ親衛隊、守護騎士<ガーディアンナイト>が、壁際に寄った。そのまま直立不動の姿勢を維持しながら、自らの前を2人が通り過ぎるのを待つ。
NPCのメイドたちも同じことだ。
通路脇によると、深く頭を垂れ、自らの前を通り過ぎるまでは少しも動こうとはしない。
誰もが最高の礼を取りながら、忠誠心をあらわにする。
それは至極当然の理だ。
大体、その2人の人物を叱咤できるような者がいるはずが無いだろう。いや片方の人物だけならば叱責できるかもしれない。メイド長たるペストーニャ・ワンコであればある意味、同格に近いのだから。しかしもう1人の人物の姿あっては出来るはずが無い。
その人物が白といえば、ナザリック内では黒ですら白となる。その人物が小走りに移動するのならば、小走りに移動するのが第9階層の正しい移動の仕方となるだろう。
このナザリック大地下墳墓の主人にして、至高の41人の総括者であるアインズ・ウール・ゴウン。そしてそれに追従する執事であるセバスに、叱咤できる者がいるはずが無い。
アインズとセバスは慌てながらも会話を続ける。
「アインズ様が直接お出になることもないかと考えますが?」
数度繰り返されたセバスの発言にアインズは顔を前に向け、足を動かしたまま、何も答えようとはしない。そんなアインズの僅か右後ろに続きながら、アインズの無表情な横顔に浮かんでいるものを読み取ろうとセバスは視線を送る。
また1つ扉の前――セバスの記憶では至高の41人の1人、弐式炎雷の部屋だ――を過ぎた辺りでアインズはぼそりと告げた。
「……私は会う必要があると考えている」
アインズたちが急いでいる理由は非常に簡単なものである。
つい数分前、アインズの元に《メッセージ/伝言》が届いた。それの差出人は地表部にあるログハウスにいるユリ・アルファからである。
内容は王国の使者が到着し、アインズに会いたいという旨を伝えてきたということ。
かなりの時間待っていた王国サイドからの接触に、アインズはそれまでの行動を中止して慌てて動き出した。ここで下手を打って全てがご破算になってしまっては目も当てられないから。
ただ、あまりにも準備が足りてないのは事実だった。
流石にこの素顔のまま出るわけにも行かないし、服装だって整っていない。アイテム・ボックスにも礼服のようなものは入れていない。
それらの理由のためにセバスをつれて自室に急いで戻っているというわけだ。
本来は指輪――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力を使って転移を行えば良いのかもしれないが、残念ながらアインズの自室にはタグが無いために部屋への直接転移を行うことは出来ない。そのため、小走りで移動をしているわけだ。
そんな話を聞いたセバスは、アインズが直接使者に会うという意志を示したことに、そこまでする必要があるのかという思いを消せなかった。
勿論、セバスだって使者を舐めているわけではない。
使者が王家の紋章を下げた馬車に乗って来た以上、使者を出迎えるのであればリ・エスティーゼ王国ヴァイセルフ王家の者と同等の扱いをすべきだというのは充分理解している。
ただ、セバスを不快に感じさせているのは、使者が突然来たことだ。
早馬が知らせたとかの礼儀を示した上で、使者が来たというのならばこちらも礼儀を尽くす必要があるだろう。しかしながら何も知らせずに、直接乗り込んでくるというのはこちらを下に見ている行為ではないか。
そしてもう1つ明白な理由があるからこそ、使者は突然来たのだろうとセバスは判断している。それはナザリックには使者を歓迎するだけの力が無い、そう判断されたためだと考えられるからだ。
それだけ下に見られている中、更に主人であるアインズが直接出向く道理は無い。
「なにゆえでしょうか?」
再び問いかけてきたセバスに、アインズはやはり視線を向けずに呟くように言った。
「……その質問に答える前に……王都でデミウルゴスをお前のバックアップに出した時の話なのだが……忍がいたそうだ」
「聞いております」
「だったな」
セバスの返答を聞き、アインズは数度頭を軽く振った。
王国での一連の問題を終わらせた後、あれから何があったのかという話をナザリックでデミウルゴスから聞いたとき、その横にセバスがいたことを思い出したためだ。
「その忍が現れる前、デミウルゴスは仮面を付けた魔法使いらしきものと戦闘をおこなった。その者の名前は――イビルアイ」
セバスは何も言わずに頭を一度だけ振った。
「セバス、お前の報告を受けて聞いている。イビルアイという魔法使いは恐らくはお前の直轄メイドに勝つかもしれない人物だったな?」
「はい」
セバスはアインズに、イビルアイのことをそう報告している。
イビルアイという人物の外見や、その人物に関するある程度の情報――所属する冒険者集団の名前などと共に。そしてイビルアイが戦闘メイド――50レベル以上からなるメイドたちに勝利を収めかねない存在だと。
しかしながら今ではその判断が揺らいでいた。
そんなセバスの自信を失ったような雰囲気にアインズは気付くことなく、話を続ける。
「その報告は受けており、デミウルゴスに伝え忘れたのは私の失策だ。許せ」
「滅相もございません。本来であればあの時デミウルゴスと話す機会があったにも係わらず、伝え忘れた私めが……」
「まぁ、その辺の話はもうよしておこう。デミウルゴスを困らせてしまったしな」
ナザリックに戻ってきて、デミウルゴスが最初にしたことはイビルアイという情報を流さなかったことへの、セバスに対する嫌味だった。それが蓋を開けてみたら、自らの主人であるアインズが頭を下げたのだ。
嫌味を主人に言っていたと知ったあの瞬間のデミウルゴスの驚愕した顔。そしてそれに続くしどろもどろの対応。その姿はその場にいた誰もがしばらくは忘れられないだろう。
「話を戻すが――」アインズは肩越しにセバスを見る。「――疑問に答えてくれるか? ……セバス、お前の感知能力は別に相手のレベルが分かるわけではないのだろ?」
「はっ。漠然とどの程度かというのが理解できるだけです」
「なるほど……そうなるとやはり謎だな」
「何がでしょうか?」
「簡単だ、セバス。お前のその感知能力はどこまで当たっているのかだ」
セバスは表情に混乱の色を僅かに浮かべた。自らの主人が何を言いたいのか掴み取れなかったからだ。
「数値としてレベルが判明するなら兎も角、漠然とした感知というのならば、確証があるわけではない。セバスの判断が間違えている可能性は充分にあるわけだろ?」
「確かに……絶対とは言い切れません」
セバスには1つの不安があった。あの時、デミウルゴスの戦いを詳しく聞いていたときに思った疑問だ。
「ただセバスの感知能力が当たっている可能性も充分ある。それがイビルアイという存在だ」
「……しかしながらイビルアイは《ドラゴン・ライトニング/龍電》を自信を持って放ったという話。もしかすると私の感知が外れているのかもしれません」
セバスは僅かに視線を伏せ、答える。
これがセバスの不安である。
例えば直轄のメイドの1人であるナーベラルはスペルキャスターであるが、彼女は第8位階魔法までを行使できる。それから考えれば第5位階程度の魔法に自信を持つイビルアイはどの程度か。
単純な計算では戦闘メイドには遠く及ばないだろう。しかしセバスはイビルアイは戦闘メイドに匹敵すると判断している。これは大きく食い違っているではないか。
「いや、それは早計だな、セバス。……デミウルゴスの支配の呪言を防いだ段階で、イビルアイが精神系無効のアイテムを所持しているか、それともなんらかの防御魔法を使用したか、はたまたは40レベル以上の存在だということが確定する。そうなるとセバスの判断は間違ってない可能性が出てくるわけだ」
精神系攻撃全般を無効にするアイテムはかなり高レベルだ。確かに支配のみとか、魅了のみとかの精神系攻撃それぞれに応じたアイテムは大したレベルではない。しかし、デミウルゴスという存在を知らずに、ピンポイントで支配系精神攻撃対策をしていたとは考えにくい。
では40レベル以上だとしたなら第5位階魔法に自信を持つ理由はなんだというのか。
「と、仰いますと?」
「確かに使用した魔法はたかだか第5位階程度の――雑魚い攻撃魔法だが、デミウルゴスと近接戦をおこなった際に拳を使ったというのが引っかかるのだ」
「それは?」
「ああ。イビルアイは攻撃に武器――ダガーとかを使うのではなく、己の拳を使った。それは拳に自信を持っていたからに違いないだろう」
セバスは大きく頷く。
まさにその通りだ。幾らなんでも刃物を使わないで拳を使ったのだ、それなりの自信がなければ出来ない行為だ。
「そうかと考えられます」
「ここから想定するに私はイビルアイは、スペルキャスター兼モンク職を修めていると判断している」
「おお!」
セバスは驚きの声を上げる。
確かにその考えは正しい気がする。そこまで自らの主人はちょっとした情報からそこまで深く考えて、予測していたのかという感情を込めて。
その声にアインズは気分を良くしたのか、舌はより一層回転を早めた。
「……それで最低40レベルを超えているのだろう。そしてセバスの判断が正しいなら幾らなんでも40レベル程度の存在に直轄のメイドが負けるはずは無いだろうから、最低でも同程度の50レベルぐらいはあってもおかしくは無いというわけだ」
「なるほど!」
「私はな、イビルアイは60レベルはあるのではないかと判断している」
突然の飛躍だが、先ほどと同じようになんらかの根拠があるのかと、セバスは判断しその先を待つ。
「その理由というのをお聞きしても?」
「構わないとも」アインズはふふん、と自信を持った口調で続ける。「デミウルゴスが遭遇した忍だ。忍は60レベル以上のシーフ系クラスから取るのが普通だ。それがいるということ。そして支配の呪言を無効化したイビルアイという存在。そこから考えるなら、蒼の薔薇というA+冒険者は60レベル程度の実力者の集まりと考えるべきだろう」
ナーベラルの情報では、冒険者は同程度のメンバーでチームを組むのが基本だ。そしてユグドラシルというゲームだってそうだ。
ならばその忍1人のレベルが突出して高いという可能性はよりは、蒼の薔薇全員が同程度の強さを保有していると考えるべきであろう。
ただ、そんなアインズの断言はセバスからすれば、頭を傾げてしまうものでもあった。
「……お言葉ですが、アインズ様」アインズが何も言わないということに、発言の続きを待っていると知り、セバスは言葉を紡ぐ。「遠目から蒼の薔薇の一行を監視しましたが、それほどの実力者はいなかったように感じました。……無論、私の感知が当たっていればですが」
セバスが感じ取ったのはイビルアイのみが突出して強いというもの。他の蒼の薔薇のメンバーはそれほどの力を感じ取れなかった。
僅かにアインズの歩く速度が遅くなる。
「そこだ」アインズは考え込むように言う。「そこでセバスの直感がどこまで正しいか不明な点が出てくるのだ。イビルアイは間違ってなく、他のメンバーだけ間違えたということはあるのか?」
「……分かりかねます」
「だろうな。ただ、忍ならセバスの探知能力を誤魔化す手段も有しているのではないか?」
「それは……無いとは言い切れません」
ユグドラシルというゲームには無かったが、この世界であればそういった技術はあってもおかしくは無い。隠密系のスキルの一環として。
アインズは内心ため息をつく。シャルティアのシモベであるブレインに軽く話を聞いたが、忍に関して詳しい情報を持ってはいなかった。アルシェに尋ねるという線も考えたが、あれはちょっと勘弁したいとアインズが避けてしまったという経緯がある。
「情報は充分集めたと判断したのだが……穴あきだらけだったとはな」
ユグドラシルというゲームで培った知識。それとこの世界での知識。それがいまだ完全に1つにならず、乖離しているというのが問題だ。
「そう考えるともしかするとこの世界の人間はこう、某漫画のように気を使って戦闘力――レベルを上昇させたりできるんじゃないか? いや、ナーベラルはそんなことは言ってなかったからA+冒険者とかはというレベルだが」無茶苦茶だと言い切れないところが怖い。「まぁ、いいか。とりあえず、そんなわけで私は蒼の薔薇の一行は60レベルクラスの集まりだと考えた」
「……他のメンバーもですか?」
「そうだ。常時本気を出してないだけという線だってあるだろ?」
「……かもしれません」
セバスは納得はしていないが、とりあえずは頷く。
「まぁ、そんなわけで。一番最初のセバスの質問である、私が直接使者に会う必要性なのだが、もしかするとだが60レベルの冒険者を保有する王国だ。あまり高圧的に出ても面倒なことになるだけだろ?」
「それは……そうかもしれませんが……」
アインズの想像が正しく、蒼の薔薇が60レベルの冒険者5人による構成だとしても、正直、ナザリックの敵ではない。守護者1人にすら勝てないだろう。
しかもA+冒険者は王国に2パーティーだけだ。それから計算すればアインズの考えは、用心しすぎるともいえる。
セバスはそう考えるが、アインズはより一歩踏み込んで考える。
忍は60レベルからのクラスだ。それはあくまでも最低レベルであり、実際のレベルはもっと高いことだって考えられるし、王国内部にそれを超える切り札があってもおかしくは無い。
デミウルゴスには勝てないと判断したのだから100レベルという可能性は無いと信じたいが。
それでも何が起こるか不明な以上、出来る限り友好的に行動すべきだ。
「まぁ、カーミラという存在がいるという情報。そしてそれに対して私が切り札になりうるという情報だって流しているのだ。無碍な扱いは受けないだろう」
都市長の近くに送り込んだシャドウデーモンの情報では、都市長はかなり慌てて使者を王都に送ったとアインズは聞いている。それから結構な時間が経過していることを考えれば、アインズという魔法使いの情報は王都に伝わっているはず。
カーミラという架空のヴァンパイアが強敵だというのは都市長も理解していた。ならばアインズの立場はかなり高いものになっていなくてはおかしい。
アインズはそう判断しているのだ。
ただ、セバスは疑問が残る。
それなら何故、来ることを先に知らせなかったのか、という先ほどの疑問だ。王国にはそういった礼儀的な行動は無いためだろうか。それに60レベル以上というカードを持つなら、カーミラという存在はさほど恐ろしい相手ではないじゃないか、と。
セバスがそんなことを考えている間にも、アインズの自室の扉は見えてくる。
扉の左右に立つ2体の昆虫のようなモンスターが、深い敬礼をアインズとセバスに送ってくる。ここまで来てようやく余裕が出来たのか、アインズは軽く手を上げることでそれに答えた。
アインズは当然だがノックをすることなく扉を開けると、室内に飛び込むような勢いで入っていく。
続くセバスは深い礼を取ってから、ゆっくりと室内に入り込んだ。
アインズが一目散に向かったのは衣装ダンスである。
無造作に扉を開ける。
そこには無数の服が並んでいた。それらの服をもしこの世界の人間が目にすることがあれば驚嘆しただろう。それほど仕立てが良く、見事な材質で出来たものばかりだからだ。絹などの一般的な材質ではなく、もっと別の物――モンスターに属する獣の毛とか金属糸製品が多かった。
そして冒険者であればより驚いたであろう。そこに修められた服が、全て魔法の力を放っていることに。魔法の品物ともなれば込められた魔力にもよるが、金額は跳ね上がる。最低レベルの魔力でも50倍は変わる。それを考えれば、それらの服装の値段を瞬時に出せる者はいない。
アインズは手を伸ばし、両手にそれぞれ違う服を取り出す。適当に取り出したものではあるが、両方ともアインズが日常的に纏っている長いローブである。唯一の違いは込められた魔力が僅かなものだということか。
それらを交互に見比べると、アインズは頭を振った。
「全く、何が良いのか分からん」
冠婚葬祭用のスーツというならアインズだって直ぐに準備できるが、王国から来た使者――貴族社会の知識詳しい人間を出迎えるのに相応しい格好とか言われると、そんなの考え付くはずが無い。
恐らくは恥ずかしく無い格好をすれば良いというのはアインズだって即座に判断が付く。
では、その恥ずかしくない格好というのはどういう物を指すのか。それは単なる一般人であるアインズに考え付く範疇を遥かに凌駕している事態だ。
これはアインズが無知なのではない。一般的な人間であれば必要としない知識なのだから。どの世界にファンタジーの世界に転移するかもしれないから、貴族社会に相応しい格好について学んでおく、なんていう奇天烈な思考を巡らせる者がいるというのか。
アインズの視線は隅のほうにかけられていた紋付と袴に動く。
「地方の伝統衣装とか歴史上での正装。いや魔法使いとしての正装とかと言い張ればいいのかも……」
それから首を振った。常識的に考えて無理過ぎるだろから。
それよりはセバスをつれてきた理由に任せるべきだ。
「セバス、どれがいい?」
アインズは服を前にセバスに問いかける。
アインズが通常纏っている服装は、ユグドラシルというゲームでの防御能力等を第一に考えた、実用重視のものである。当然、見事なつくりの一品ではあるが、使者と顔を合わせるという状況下において正解なものかは不明だ。そして先にも述べたようにアインズには何が良いのかわからない。
だからこそセバスである。
執事という設定にすべてを賭けて、セバスならば的確な格好を提案できるのだろうとアインズは判断したわけだ。
そしてその賭けは当たる。
セバスは服を眺めると――
「それよりはあちらの物が良いかと」
――セバスは白色を主としたマントを取り出す。普段アインズが着る黒系のローブを考えると、あまりにも目立つ。
「それは……派手じゃないか?」
アインズはいまナザリックに来ている使者を、新しい取引を持ってもらえるかもしれない会社の社員として考えている。一般人であるアインズにとっては、それが最大限近いイメージなのだ。
そのために服装と考えて、アインズの脳内に浮かんだ光景は落ち着いたスーツだ。落ち着いたスーツの色というのは言うまでもない。さらに現実世界で黒系や紺系のスーツを着たことはあっても、白色のスーツを着たことは無いアインズはマジで、と言わんばかりに動揺した。
己のイメージからあまりも掛け離れているために。
「そのようなことは無いかと思われます。相手は使者だということを考えると黒系よりは豪華さを前に出したもののほうが良いかと」
「そういうものなのか……?」
アインズは自信なさげに頷く。自分のイメージとのあまりの乖離に、何が正しいのかまったく想像がつかなくなったためだ。
「……ならばセバス。服装一式、お前のコーディネイトに任せる」
「畏まりました。ではこの系統を主軸に合うように選ばせていただきたいと思います」
「う……む、頼む」
執事として、主人の服のコーディネイトを任された。
そんなセバスの喜びは瞳に、無数の星々となって現れた。
目をきらきらとさせたセバスから逃げるように視線を動かし、アインズは目を目的無く動かす。なんとなくとてつもなく恥ずかしい格好になるのではと思ったためだ。しかしそれが正しい格好だといわれれば抵抗の余地はない。
「はぁ」
セバスには悟られないように小さなため息。
しかしこんな場所でいつまでも時間をかけるわけにはいかない。どのような服だろうが、セバスがそれだというなら着る覚悟が必要だ。そんな風に思っていたアインズは、現実逃避という意味でか、ふとあることを思い出す。
「ああ、そうだ。目は潰しておけ」
即座に何のことか理解したセバスは、服を選ぶ手を止め、アインズに深く頷く。
「畏まりました。誰に伝えましょうか?」
アインズの視線が上に動いた。セバスの視線も同じく上に動くが、そこには何も変わらない天井が広がるだけだ。セバスの目では不可視状態の存在を発見することは出来ないから。
しかし、感じることは出来る。天井に張り付くように存在する複数の気配を。
「エイトエッジアサシン。無傷で捉えることは出来るか?」
アインズの言葉が届くと、天井に人間大の大きさを持つ、忍者服を着た黒い蜘蛛にも似たモンスターの姿が浮かび上がる。他のエイトエッジアサシンが姿を見せないところを考えると、恐らくはこのモノがリーダー格なのだろう。
「相手にもよります、アインズ様。我らは暗殺の技は長けていますが、無傷となると相手の実力にも左右されるかと」
アインズは骨だけの顔を顰める。
エイトエッジアサシンは不可視化を自在に行い、8本の脚に付いた鋭い刃を用いて戦闘方法を行うモンスターだ。特に恐ろしいのは首を狩って一撃死を与えてくること。暗殺者としてはなかなか使えるが、無傷となると微妙になってくる。
では相手の実力はどの程度か。
エイトエッジアサシンは49レベルのモンスター。普段であれば問題はないと判断するだろうが、蒼の薔薇という存在への不安がアインズを悩ませる。もしかしたら奴らもかなり強いのではという不安だ。
では別のモンスターと考えてみても、ナザリックにはシーフ系のモンスターは少ない。エイトエッジアサシン以上に向いている者はぱっとは浮かばなかった。
「うむぅ」
エイトエッジアサシンが死んだとしても金貨を使うことで、本から呼び出せば良いのだろうが、そんな勿体無いことはしたくない。ナザリックの金貨はあれだけあるが有限だ。これから先のことまで考えると無駄使いはしたくない。
「バックアップ……だな。アウラに伝達。目を潰せ、と。そしてエイトエッジアサシンはアウラの命令を聞いて行動せよ」
「畏まりました。ではこの部屋の警護は?」
「必要ないだろう。私も部屋の外に出るしな。……で、デミウルゴスはまだ戻ってこないのか?」
「まだ戻ってきているという話は聞いておりません」
「だな……」
王国の使者が来た段階で《メッセージ/伝言》をデミウルゴスに送ったのだが、まだ戻ってくるまでには時間がかかるということだった。
アインズは顔をゆがめる。
実際、使者を出迎えるというのは、アインズとしても行いたくない行為なのだ。まず、どんなことになるか想像もつかないし、どんなことを言われるかも不明だ。さらには使者に対する礼儀というものも自信なんかあるわけがない。
だからこそ本来であればデミウルゴスがいれば任せたかった。そうでなくても幻術などを使用して姿を隠して、アインズの後ろに控えさせて、操り人形のように逐次アインズの次の対応を指してくれればよかった。
アインズは軽くため息をつく。
入社試験の最終面接ばりのプレッシャーが押し寄せてきている。精神的なものはほとんど感じないにもかかわらず。なんでこんなに逃げたい気分になるのか。
デミウルゴスがいないということで最初はセバスに任せるかという考えもあった。王都の時と同じくパンドラズ・アクターに任せるということも考えた。
しかしながら今回の使者は場合によっては、ナザリックの将来を決める重要な案件を有している可能性がある。ゆえにセバスには任せられなかったのだ。
必要なのは執事や俳優ではなく、先を見通して方針を決める英知に富んだ存在だ。
――絶対、俺の出番じゃないよな。
そんな言葉はアインズは口の中で殺して外には漏らさない。
ナザリックの支配者たるアインズに弱音は認められないし、主人が不安を口にしては下の者が動揺してしまうから。
しかしそれでも言いたくなるときはある。
今回の使者との交渉が、ナザリック大地下墳墓という仲間たちと生み出した拠点を左右しかねないのだから。
――嫌だ。この重圧感。逃げたいぞ。
しかし誰に頼むわけにもいかない。
そしてあのスタッフを手に取ったのだ。ギルド長の証を。ならば最善を尽くし、努力するだけだ。
アインズは瞼もないのに、目を閉じる。外からみれば空虚な眼窟に浮かんだ赤い光が消えて見えた。
そして再びゆっくりと灯る。
「……準備は終わったか?」
静かな――覚悟を決めた静かな声がセバスに投げかけられた。
◆
ナザリック大地下墳墓の地表部。
かつては毒の沼地があった場所は、現在は草原へと変わっていた。静かな風が草原の草を揺するという牧歌的な景色が広がる中、突然どんと白亜の壁が聳え立つ。
門から内部を覗けば広がるのは、巨大な戦士像などが置かれた墓地。
草原という場所を考えればあまりにも似つかわしくない異様な光景だ。何の理由も無ければ敬遠したくなるような、何かが致命的に食い違ったような気持ち悪さが存在する。
そんな人が忌避したくなる場所に、現在は3台の馬車が止まっていた。そこには御者がおり、中に乗ってきた人間の身の回りの世話をする者がいる。
ただ、それだけではない。
馬車の周囲には馬に乗った武装した戦士が合計6名いた。彼らは皆同じ紋章を胸に刻んだフルプレートメイルを着用していた。どこかの貴族の私兵という評価が最も相応しいだろう。
そんな戦士達が熱い視線を送る先にいたのは、1人のメイドであり、1人の戦士であり、1人の貴族風の男だった。
「遅い」
口を開き、苛立ちを隠してもいない鋭い声がメイドに放たれる。
言ったのは貴族風の高齢な男だ。
皮膚は皺だらけであり、骨と皮しかないと思えるほど痩せている。髪は殆ど残ってない上に白く細いため、遠目からすると――いや近くからでも禿のように見えた。
全体的に評価して、スケルトンとかリッチといったモンスターに似ているという感想が暴言とは言い切れない男だった。
「遅すぎる。一体いつまで我々を待たせるつもりかね?」
何処に王家から遣わされた使者をこんな場所で待たせる者がいるか。
言葉にそういう無言の声を込め、老人は不快げに睨む。
「大変申し訳ありません。今、アインズ様は急ぎで準備をされております。ですのでもうしばらくお待ちいただければと思います」
ペコリと頭を下げたのはメイド――ユリ・アルファである。その非常に整った顔に深い謝罪の感情を込めての行動だ。男であれば即座に許してしまいたくなるのだが、この問答は既に数度――いや十数度繰り返されているもの。効果はかなり薄くなっている。実際老人の不機嫌さは即座に戻ってくる。
「急ぎの準備というが、ここに来ること以上に何が重要だというのかね?」
嫌味を込めての発言。ユリは深く頭を下げる。その下でどのような表情をしているかは不明だが。
そんなユリに追撃の言葉を放とうと、口を開きかけた老人に、横で眺めていた戦士が声をかける。
戦士といっても、顔を守るヘルムを外したその顔立ちには気品のようなものが漂っていた。生まれたときからそういった生活をしてないものには無理な、貴族の雰囲気ともいえるもの。
確実に王国内に領地を持つ、どこかの貴族である。それが兵士を連れて警護してきたと考えるのがもっとも妥当な線だった。
実際、彼はアルチェルと同じ貴族派閥のある一門に所属する人物だ。
「アルチェル殿。そう目くじらを立てる必要も無いじゃないですか。このような田舎臭いところに住んでいる住人。礼儀という言葉を知らないのも当然です」
アルチェルといわれた老人は微妙な表情を浮かべた。
「そうはおっしゃいましてもな」
立場的には上だが、権力的な意味合いでは戦士の方が上なのだろう。アルチェルの態度は決して孫ほどの人物に向けるものではない。
「確かに王家からの使者をこのような場所で待たせるというのは、あまりにも無礼でありますが、それは礼儀を知るものからすれば。蛮族や亜人などにアルチェル殿は同じことをおっしゃるのですかな?」
「……そうですな」
「アルチェル殿。もしなんでしたら馬車の方でお待ちになったらどうですかな?」
「……悪くはない提案ですな」アルチェルは抜けるような青空を眺める。「ただ、この天気ですと、中も熱せられますので」
「あー、そのとおりですな。風が流れない分、暑く感じますな。これは申し訳ない」
戦士は微妙な謝罪の表情を浮かべ、軽く頭を下げる。
「……でしたら、先ほども提案させていただいたように、応接室がございますので、そちらで待ったいただければと思うのですが」
先ほどのユリの提案。
それを同じようにアルチェルは一言で切り捨てる。
「あそこに広がる墳墓の中で待てというのか?」
こいつは何を言っているんだという表情を隠さずにアルチェルは言う。何が悲しくて墓場で休まなくてはならないのか。確かに快適さは格段に上だろう。しかし、死の匂いが漂うような場所で待っていたいとは全然思えない。
「……いえ、そうではなくてですね」
ユリは言葉を濁しながら視線を動かす。その視線の向かった先がログハウスと知り、アルチェルの顔にははっきりとした侮蔑が浮かぶ。
「あんなちゃちなログハウスで待つのかね?」
「いえ……あそこからナザリック内部に入る道がありまして」
「……墳墓に入る道かね?」
「そうですが、ナザリック大地下墳墓の下の階はアインズ様のお屋敷となっております。その階まで移動されて――」
「アインズ……アインズ・ウール・ゴウンという魔法使いは墳墓にすんでいるのかね?」
「はっ? はい。左様ですが?」
それがどうしました。そんな表情のユリに、アルチェルはおぞましいものを見えるような目で睨む。
常識的に考えて墓場に住むような人間なんか、どの程度の人間か言うまでもない。はっきり言ってしまえば穢れた仕事をするような人にして人に有らざるよう存在だ。おそらくはアルチェルのような貴族の人間が生涯関係を持たないような地位の者。そんな人間に会うために自分が派遣された。そのことが何より非常に不快なのだ。
不快な表情で黙ってしまったアルチェルに対して、ユリは何か失態を犯したかと疑問を感じる。そして両者ともに別の感情に支配されて黙った。
静かになったそんな2人を興味深げに眺めていた戦士はユリに話しかける。
「ところでそちらのお嬢さんは、ゴウン……とかいう魔法使いの何なのかね?」
「私ですか? 私はアインズ様に仕えるメイドの1人です」
「メイドの1人? とするとゴウンというのは何人もメイドを抱えているのかね?」
「はい。左様です――」ユリは紹介されたときの名前を思い出す。「――クロード様」
「ふーん。ちなみに君がもっとも美人かね?」
「……わかりません。美しいという評価は、それをつける人によって変わりますので」
奇妙な感情の入った相槌をしつつ、クロードの視線が再びユリの全身を嘗め回すように動く。
ユリはわずかに視線を伏せる。クロードの視線に含まれている感情はいうまでもなく理解できる。肉欲である。
十分満足したのか、クロードの視線はユリの胸の辺りで固定される。
「ちょっと聞いても良いかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「自分が美人だということは否定しないんだ」
きょとんとユリが不思議そうな顔をした。
「……美人なのは間違ってませんですから」
何を当たり前のことを、とユリは断言するような口調で言う。
至高の41人によって美貌を持たされて生み出されたのだ。そんな自分が美しくないわけがない。それを否定することは至高の41人の美的センスを否定することに繋がる。
ただ、至高の41人に生み出された他の存在も、ユリと同じように美貌を持たされて生み出されているわけだ。そのため、自分の方が美しいと断言するのは、やはりその存在を作り出した至高の41人を侮辱する行為に繋がる。そのためあのような返答になったということだ。ただ例外的に至高の41人に直接言われた場合は、否定する可能性も有る。謙遜というものを示すという意味で。
そんなユリの心中を理解できないクロードが、今度はきょとんとした。いや確かにユリは美しい。クロードが抱いてきた女ではこれほどの美貌の女はいない。今まで自分が満足してきたレベルが何なんだ、と思ってしまうほどだ。
クロードが知る限りという範囲まで広めても、ユリの美貌に匹敵できるのはたった1人しかいない。
それは『黄金』といわれる女性だ。
ユリはクロードからすれば、それほどの美貌の持ち主と評価される。
そんな女が、他の者に関して自分の方が美しいと断言できない。それは遠慮によるものか、それとも本当に同じぐらいの美貌の持ち主がいるのか。
ごくりとクロードは喉を鳴らす。
こんな田舎に来るような仕事を受けて最悪だと思っていた。しかしうまく立ち回れば、かなり旨い目を見れそうだと。
再びじれたのか。アルチェルが苛立たしげに口を開いた。
「それで主人はいつ来るのかね?」
「もう、まもなくかと」
とは言ったものの、ユリはアインズがいつ来るか知らされていない。しかし、それを正直に言うことはデメリットしかないというのは馬鹿だってわかる。だからこそ、遅れて申し訳ありませんという謝罪の雰囲気を持って言う。
ただ、本音はちょっと黙ってろではある。
至高の41人のまとめ役である、そして最後に残った1柱。それほどの存在をそこまで急かすとは、温厚なユリと言えども内心、苛立ちを覚えてしまう。決して内心は表には出さないが。
「その台詞は先ほども聞いたよ。こんな場所で待たせた上に、いつ来るのか確実な時間も言うことができない。我々を――王家よりの使者を馬鹿にしているのかね?」
アルチェルの言葉には嫌味というレベルを通り越し、明確な敵意があった。実際、ここまで待たされた経験はない。いや、待たされた経験はあるが、それでも最高級の扱いを受けた上で待たされていたのだ。
草原の真っ只中、日差しを避けることも、飲み物も出ることなく待たされる。こんな経験は初めてであり、不快だった。額にわずかに滲む汗も、着ている服が張り付くような感覚も。
「……いえ、そのようなことは」
ユリが言い訳をしようと口を開きだしたとき、ログハウスの扉が開く。その一瞬だけ視界が揺らめくような、眩暈のようなものがアルチェルを襲う。しかし短い時間で終わるために、アルチェルは気のせいだと判断してそれ以上気にも留めない。
それよりはいま注意すべきは別にあるのだから。
「――お待たせして申し訳ない」ログハウスから出てくる者が言葉を発する。「私がアインズ・ウール・ゴウンという」
アルチェルもクロードもそちらを目にすると、絶句する。嫌味の1つでも言ってやろうかというアルチェルの思いは簡単に砕かれたのだ。
ログハウスからアインズ・ウール・ゴウンはアルチェルたちの方に普通の速度で歩いてくる。
最初に目を引いたのは羽織るように着用している純白のマントだ。それはアルチェルもクロードも目を見開くほどの一品。その下の服も金色を主に、細かな細工が入っている。
儀典官として幾度も仕事をこなしたアルチェルは、他国にも王国を代表して出向いたことがある。その儀典官のどんな仕事を思い出しても、いま目の前にいる人物が着ている服ほど立派なものを目にしたことはない。
異様なのは顔は仮面で隠しているために素顔をうかがうことはできない。それどころか手袋のようなものまで着用しているために肌を一切外に晒してなかったことか。
しかしそんなことはアルチェルからすればまだどうでも良いことの一環だ。
それよりも優先すべきことがある。
正直に認めるしかないだろう。どのようなときでも動揺にしないと自らを評価していたアルチェルは、アインズを前に度肝を抜かれていた、と。
アルチェルなど貴族にもなれば、服というのは素肌を隠すという意味以上のものを持つ。それはその人間がどの程度の地位を持っているかを簡単に説明するためのものだ。服を見ればその人間がどの程度の地位を権力、財力などを持っていると判断がつくのだ。
王であれば王にふさわしい格好が、平民であれば平民にふさわしい格好があるというわけだ。
ではアルチェルをして驚愕するような見事な服を着るアインズ・ウール・ゴウン。
彼はどれほどの力を持つのか。
アルチェルはアインズという人物が魔法使いだとは聞いてはいたが、どの程度の権力者として判断してよいのか迷っていた。
王国での魔法使いという存在は、社会階級的には高くは無い。これが帝国であれば生きる伝説といっても良いフールーダがいるため、かなり高くなるだろう。しかしそういった存在がいない――宮廷魔法使いのような一部の例外はいるが、そういった人物は同時に貴族としての地位も持っている――王国では魔法使いはある種の手に職のある存在と同等の階級におかれることとなる。
だからこそ、魔法使いのメイドであるユリに対して高圧的な立場で出ることができたのだ。社会階級的に低くなるために。
しかしながらアインズの纏う服は、自らが低い階級の存在では無いですよということを明白に語っている。単なる魔法使いではなく、それに何かが付随した魔法使いだった場合は、対応の仕方が変わってくる。
アルチェルは動揺から即座に立ち直る。いまだクロードが動揺しているところからすれば、かなり早い回復だ。
これは経験の差から来るものだろう。
「ふむ、君がアインズ・ウール・ゴウンか」
「そう……です」
アインズの静かな返答。そして互いに黙る。
アインズは内心の不安を必死に押し殺しながら、黙ったアルチェルを眺める。
何かの面接をしたことがある人間なら、この微妙な沈黙を感じたことがあるだろう。
アルチェルもまたアインズを伺う。自らの行動をどのように取るべきか決定するために。
アルチェルの仕事はアインズ・ウール・ゴウンに王の言葉を聞かせるのが第一ではある。同時に、同じ派閥に属する貴族からはどういった人物か。そして手元に取り込むことが出来るのかを調べるという依頼を受けていた。
だからこそアインズ・ウール・ゴウンという人物の内面を多少は知る必要がある。
そのための初手は威圧。水面に石を投げ込んで、その波紋を調べようという狙いだ。
「……そこにいたのに出てこなかったのかね?」
アインズはアルチェルが何を言っているか理解できなかった。
これは単純に知識の違いだ。アインズからすれば、ログハウスはナザリックの通り道だ。別にそこにいたわけではない。だからこそ言われた意味が分からないとばかりに、不思議そうな雰囲気を漂わせるのだった。
そんなボンヤリとしたアインズを前に、アルチェルは言葉が足りず、嫌味を言うことで罪悪感を感じさせようと狙いが外れたことを悟る。
もう一度同じ手段を取っても効果は薄い。そう判断したアルチェルは投げ出すように言った。
「ログハウスにいたのに出てこなかったのかね?」
「ああ! いやいや、ログハウス内には私の住居たるナザリックの内部に通じる通路があるんです。いまそちらを通ってこっちに来たのですよ」
「さきほどメイドが言っていた通路か……。さて私は陛下より派遣された儀典官。アルチェル・ニズン・エイク・フォンドールという。そしてあちらが――」アルチェルは戦士を指し示す。「――私をここまで警護してくれたクロード・ラウナレス・ロキア・クルベルク殿だ」
「はじめまして。ゴウン殿」
「これはお見知りおきを」
軽く頭を下げるアインズ。それを目に、アルチェルは内心頭を傾げる。
アインズの対応にはなんというか忠誠心の欠片も無いのだ。アルチェル自身貴族派閥に所属していることもあって、王にはさほど忠誠心をささげていない。しかしそれでも王の命令だといわれれば、それなりの演技――敬意を表するだろう。
そういったものがアインズから一切感じられない。平民だとしてももう少しは謙るだろう。他国の人間でもだ。
それよりは今までそういった権力とは関係の無い生き方をしてきたような姿。
同じことを思ったのか、クロードがアルチェルのすぐ横に寄ってくるとぼつりと呟いた。
「冒険者みたいですな」
ああ、とアルチェルは納得する。
力だけでのし上がろうとする、品位も高貴な血も無い、階級社会の鼻つまみ者。アルチェルのもっとも嫌いなタイプの存在に酷似している。そう考えればアインズという人物の格好も納得がいく。
一部の優秀な冒険者の所持金は桁が違う。どれだけかというと、アルチェルぐらいの貴族ですら相手にならないほどだ。
もしアインズ・ウール・ゴウンという人間がそれだけの冒険者だとすれば、これほど見事な服を持っている可能性も無いとは言い切れない。
そんな風にアルチェルが考えている間に、アインズはユリと話を始める。
「ユリ。先に戻っていなさい」
「し、しかし……よろしいのでしょうか?」
「ああ。歓迎の準備をしておきなさい」
「かしこまりました」
ユリは頭を下げると、ログハウスに歩いていく。その後姿を見送りながら、クロードが残念そうな声を僅かにあげた。その視線はユリの尻の辺りに固定されているが。
「では……陛下からの言葉を伝える前に確認をしたいのだが、その仮面は?」
「これは魔法的なものでして」
「外したまえ」
アインズは動きを止める。仮面を外した場合、その下にあるのはアンデッドの素顔だ。これを見せるわけにはいかない。だからこそログハウス内部に控えさせているデス・ナイトの出番だろうかと考える。あのときのガゼフと同じ手段でどうにかできるだろうかと考えて。
「……申し訳ないのですが、これを外すわけにはいかないのです」
「仮面を付けたまま、陛下の言葉を聞くと? それを少しばかり無礼だとは思わないのかね? それともその程度の礼儀すら知らないのかね?」
「いや、滅相も無い。仮面を付けたまま聞くというのは失礼に値するとは知っております。ですが魔法的な理由あってのこと。この仮面を外した場合、多くの被害が出るかもしれないので」
被害という言葉を聞き、アルチェルは眉を顰める。
実際、王から聞いた話ではアインズという魔法使いは仮面をつけているということ。その下が別人という可能性も無いわけではないが、そこまでの確認はアルチェルの仕事ではない。
仮面を外すように言ったのも、アインズという人物に対して優位に立ちたいという狙いだ。本当に外されて被害が出た場合、責任を上手く転換できる自信が無い。それにクロードに下手に怪我をされても厄介だ。
だから、アルチェルは言葉を引っ込める。
「……仕方が無い」
「ありがとうございます」
「……では陛下の言葉を伝える」
こんな草原、しかも墳墓の横でと思わなくも無いが、仕事は仕事だ。確実にこなさなくてはならない。
アルチェルは羊皮紙入れから丸められた1枚の羊皮紙を取り出す。そして蝋に王家の紋章が押されていることを確認させようと、両手で持ってアインズの前に恭しく差し出す。
それに対してアインズは手を伸ばした。羊皮紙を渡すつもりなのかと考えてだ。一応、相手が両手で持っているということを考えて、両手を差し出す。アインズの頭にあったのは名刺交換的なものだ。
これは別に外れてはいない。もしアルチェルがいなければそれが正しい作法だ。しかしながら儀典官という人物が一緒に来ているときは、これは非常に無作法だ。
「な!」
慌ててアルチェルは羊皮紙を引き戻す。何をする気だと驚いて。
同格もしくは上位の存在であれば手にとって開くのは普通だが、同格でないのであれば、間に1人挟むのが当然だ。こうすることで地位的に対等にするという狙いで。だからこその儀典官だ。
王国や帝国ではそんなことは無いが、国によっては王の言葉を臣下に直接投げかけないで、途中に王の言葉を聞かせる者がいたりするのもその一環だ。または王という地位に神聖な意味を持たせるという狙いもあったりするが。
「どうしましたか?」
アインズの不思議そうな声。
それを受けて、アルチェルは仏頂面を。クロードは若干面白そうな表情を浮かべていた。今の短いやり取りで、アインズ・ウール・ゴウンという人物がまったくといっても良いほどマナー――宮廷作法という知らないということを悟って。
他国になれば作法は当然僅かに変わってくる。しかしそれでもある程度は共通している部分が在る。それらを知らないというのは周辺国家の知識も皆無ということ。
つまりところ、アルチェルのアインズ・ウール・ゴウンという人物の評価は、礼儀を知らない蛮族などと同じというところまで落ちる。ナイフやフォークを使わずに、手づかみで料理のフルコースを食べるような。
着ている服が自分が買えないような立派なものだというのもアルチェルを不機嫌にさせる。
――なんでこんな者がこれほどの服を……。
アルチェルは気づかないが、自らの心の大元に在るのは嫉妬だ。礼儀作法を知らない蛮族とも思えるような相手が、自分の手が届かないような服を着ている。それが非常に不快なのだ。
自分よりもはるかに劣る者が、自分の恋人よりも非常に優れた相手を連れていたら、激しく嫉妬するだろう。そういう心の働きに似たものだ。
アルチェルの視線に見下すようなものが宿る。
アインズはアルチェルが何も言わないことに困惑を隠しきれなかった。
なんで、黙ったのか。
ミスをしたようなのだが、何がミスなのかさっぱり分からない。
――やはりセバスを連れてくるべきだったか。
王都で色々と動いたからこそ、状況がどのようになっているかわかるまでは隠しておこうと思ったのが裏目に出ている。今からセバスを呼んでも遅くないだろうか。
名刺交換の段階でミスをした営業の気分で、アインズはアルチェルを眺めた。
「陛下からの言葉を伝える」
アルチェルが先ほどよりも硬質な声でアインズに告げると、羊皮紙を広げる。
アインズは少しばかりほっとした。話が進んだことに対しての安堵だ。そんなアインズに冷たい声がかかる。
「……何故、膝をつかないのかね?」
一瞬だけアインズは何を言われたか分からなかった。
「聞こえなかったかね? 陛下のお言葉を伝えるのに、礼儀を示したまえ」
アインズはそのまま立ったまま、どうするかと迷う。
アインズの頭に浮かんだのは漫画とかアニメにありそうなシーンだ。そういったシーンでは王の前にいる者は片膝をついている。ならばやはり自分も膝をつくのが正しいのだろう。
膝を屈するというのは敗北的な意味合いで使われるが、この場合アインズは礼儀作法の一環だと考えていた。アインズ・ウール・ゴウンは邪悪を演じていたが、礼儀を知らなかったわけではない。礼儀作法として跪くのが正しいのならば、そこはすべきだろうという判断が浮かぶ。それにカーミラという強大な存在に対しての切り札になりかねない相手に、上からの命令はしない筈だ。
アインズはそう考える。
では何を思案しているのか。
単純に、付くのは漫画のように片膝を付くべきなのか、はたまたはリザードマンが平伏したときのように両膝なのか。礼儀作法ではどちらの方が正しいのか知らなかっためだ。
「……どうしたのかね?」
アルチェルの苛立ちを感じる声。
何をそんなに怒っているのか。ちょっとだけ面倒なものを感じながらアインズは結果、両膝を大地に付けた。イメージしたのは土下座だ。
アルチェルはため息を必死に耐える。隣ではクロードが鼻で笑っていた。教養が無いのだろうと思ってはいたが、これほど無い人間は珍しいと知って。
アルチェルは両膝をついたアインズを前に、いくらでも文句が生まれるが、もはやこれぐらいしないと話が進まないと考えた。知識無い愚者を相手に、自分の大切な時間を無駄にしてもしょうがないだろうから。
アルチェルは羊皮紙を広げる。そこに書かれていた王、自筆の文章を読み上げる。名代で無い部分にアインズという人物に対する重要さが読み取れる。
その読み上げられる話を聞いていたアインズは正直何を言われているのか分からなかった。非常に装飾過多であり、どんなナルシストが書いているのかと思ったほどだ。
貴殿の善良なる心情と神が授けた幸運が、蹂躙を待っていたかのごとき貧しき村に救いの手を与えてくれたことを感謝するとともにうんぬんかんぬん。
もっとすっぱりとはっきり書けないのか。そういう叫びが起こりそうな気持ちをぐっとこらえる。ほんの1分程度の文章ではあったが、英語のヒヤリングをしていたような疲労感がアインズを襲ってきていた。
最後に書いた王の名前を読み上げ、アルチェルが羊皮紙を巻き取る。
その間にアインズは書かれていたことをまとめる。
村を救ってくれてありがとう。お礼とかしたいから王都に来てね。
それだけだ。
アインズは疲労感を感じながら立ち上がる。膝に付いた汚れを払ってから、顔を上げると眉を顰めたアルチェルの顔があった。
「どうかされましたか?」
「いや……なんでもないがね」
絶対になんでもないわけが無い顔でアルチェルは言うと、羊皮紙をアインズに差し出した。
「…………」
「…………」
アインズはようやく今度は受け取ってよいのかと、羊皮紙に手を伸ばした。アルチェルが引っ込めないことを確認し、両手で再び受け取る。
「それで……それだけですか?」
困ったのはアルチェルだ。何をこいつは言っている。そんな表情でアインズを見る。
王からの手紙以上に何を求めているんだ、と。しかしアインズという人物は礼儀の無い人間。ならばどのような質問を持っていてもおかしくは無い。だからこそ尋ねる。
「……それ以上に何か?」
「……カーミラという存在について何かご存知ですか?」
幾らアインズでもこの微妙な空気は充分に感じている。
確かにこの世界の一般的教養や、貴族社会の決まりごとという物に関しては欠けている部分が多くある。しかし、元々ちゃんとした社会人として会社で働いていたのだ、完全な馬鹿ではない。
だからこそ何故、ここまで軽く見られているのかという疑問が滲み浮かぶ。
自分の重要性がわかっていての対応なのか? それとも知らなくての対応なのか? 自分――アインズがどの程度の存在だと知っているのか? 王国は切り札を持っているのか?
アインズはもう少し友好的に事が進むと思っていた。ナザリックひいてはアインズ達は王国内の人間を、どちらかといえば救っている方だから。それなのに何故、こんな敵意に近いものを向けられなくてはならない。
僅かに黒い炎が心の中で揺らめく。
全てが面倒だ。力で強引に物事を進めればどれだけ楽か。
そんな欲求はナザリックをより安全に維持し、将来の究極の――荒唐無稽な目標のために、アインズは抑えこむ。それでもカーミラという存在を知ってなお、アインズに対してそういう行動に出ているのかという疑問は尽きない。
「陛下に直接尋ねなさい」
知らないことは答えられない。しかし知らないと、自らが教養が無いと判断している者に答えるのは嫌だ。その心がアルチェルに微妙な答え方をさせる。
もしこれがもっと友好的に相手をすべき相手であればこんな答えはしなかっただろう。
王より伝え聞いたガゼフの話や、自らが前で会話した結果、アルチェルのアインズへのイメージはたった1つだ。強い力を持った蛮族。
教養が無く、知識も無い。脳みそがない分、手駒としては使える。
ある意味最悪の評価である。
「……では羊皮紙には王都まで来て欲しいと書かれていましたが、どのように王都まで行くのでしょう。魔法でですか?」
バカかこいつ。
アルチェルの瞳に宿った考えはたったその一言だ。常識すら知らないのかという感情が瞳に宿る。
「……馬車に乗ってだとも。あちらの馬車があるだろう?」
「あの紋章の付いた馬車で行くのですか?」
豪華な――王家の紋章が入った馬車にアインズの視線が向けられている。
アルチェルは本気でここに来たことを、そしてアインズという男の頭の悪さに嫌悪する。常識で考えればそんなわけが無いだろう。その程度も言葉にしなくてはならないのかと。
「……君の乗るのは後ろだ」
「あれですか……」
貧しく、ぼろい馬車だ。2つの馬車が並ぶことでより一層、両者の差を強く感じる。
どう贔屓目に考えても村を救った魔法使いとして――国賓級の扱いを受けて招かれるのではない。国賓級の出迎えならば紋章の入った馬車に乗るのは当然だろう。そうアインズは考えての先ほどの質問だった。しかし答えは違う。ならば馬車を用意したのは王家なんだろうから、結局はアインズをその程度としか見てないという判断まで行き着く。
「……私も馬車を持っているので、それに乗っていっても良いので?」
「陛下が好意で用意してくれた馬車には乗らないと?」
「……好意ですか」
本気で好意なのか? そうアインズは思うが、ぐっと堪える。
「……ならば仕方ないですね」
アンデッドのはずなのに頭が痛い。しかし王国という国の上位と関係を持てるようになったのだ。ここは我慢をして、これを機会に根を張れば良い。第一歩を踏み出したのに、この程度に我慢出来なくなってもしょうがない。
行くとするならナザリックから連れて行く者も必要だろう。やはり身の回りの世話をする人間は必要だろうから。
セバスは外した方が良いとして、メイドを何人かというところが妥当だ。
「……その前に出立の準備が必要です。少し時間をいただけないでしょうか?」
「これ以上、私にこんな汚い場所で待てというのかね?」
「…………」僅かにアインズの仮面の下の表情が凍りつく。「……もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか? 少し時間をいただけないでしょうか?」
「これ以上――」
墓地という穢れた場所で王家の使者を待たせるというのはどういう考えだ。そういう言葉を告げようとして、その前に横からクロードの声が掛かる。
今まで静かに2人を見ていたのだが、ある目的に適いそうだと判断して口を挟んだのだ。
「――まぁまぁ。確かにゴウン殿の準備も必要でしょう。私の部下達も休ませたいですしね。ただ、その前に1つお願いが」
「何でしょう?」
「せめてもう少し落ち着ける場所が良いのですが?」
「なるほど」
アインズは周囲を見渡す。
かつて周囲に広がっていた毒の沼地に比べれば、はるかに過ごしやすい場所だとは思うが、確かに草原ではのんびり出来ないだろう
「ではナザリックの内部は非常に美しい場所があります。そちらで休まれると良いでしょう」
やはり墓場か。
そう眉を顰めたアルチェルにクロードはまぁまぁと声をかけた。
「今から出てもエ・ランテル到着までに時間が掛かります。それよりはもしよければ、ゴウン殿。今晩とめてもらえませんかな?」
「……まぁ構いませんよ。準備が忙しくてお相手できないとは思いますが」
「ふむ」
「まぁ良いではないですか。ゴウン殿の服装をご覧ください」
クロードの言葉にアルチェルはアインズの服を眺める。確かにその服装は非常に素晴らしい。いや、服装のみが、だ。
ならばそんな人間がどのような場所で暮らしているのか、少しばかりの興味もわいてくる。もしこれでみすぼらしければ、それはそれで笑い話の種になるのだから。
「はぁ、了解しました。ではゴウン殿、休憩の取れる場所まで案内してもらえるかな?」
「了解しました。では馬の方はログハウスの脇に繋いでおいてくれれば、あとで手のものをやりますので」
アインズはアルチェルとクロード、クロードの部下やアルチェルの身の回りをする者達をつれてログハウスに向かう。結構な大所帯となったが、アインズは別に気にすることも無かった。その奇妙な余裕がアルチェルからすると、不快に感じられる。
相手のどこかが嫌いになると、やることなすことがすべて嫌いになるというタイプの人間がいる。アルチェルはそういうタイプの人間だった。
アインズはそんな不満げな視線を背に受けながら、ログハウスの中に入る。そしてそのまま足取りを止めることなく、1つの部屋を開けた。
そこにあるのは巨大な姿見の鏡だ。外ぶちは金の輝きをもつ金属で出来ており、全面に渡って奇妙なルーンのようなものが細かく彫り込まれている。鏡はまるで水を凍結したように表面に曇りは全く無い。
これこそ転移門の鏡<ミラー・オブ・ゲート>と言われるマジックアイテムである。鏡はこの部屋に来た3者を移すのではなく、その向こうに別の光景を映し出していた。
「こ! これは一体……」
驚きの声を上げるアルチェルに、アインズは内心でチロチロと燻っていた憤懣が、僅かに鎮火していくのを感じる。とはいっても優越感を前に出したりするのは不味い。
「一体、これは何なのですかな?」
「マジックアイテムですよ。2点間を繋げる魔法の力を持っています。つまりこれで用いて転移を行っているということです。さぁこの中に入りますよ」
躊躇う2人に対して、アインズは先に足を踏み込む。そして鏡の光景の中にアインズが浮かぶ。
アルチェルとクロードは互いの顔を伺う。そして意を決し、クロード、アルチェルの順番で鏡の中に入る。
瞬時に視界が変わった。薄い皮膜に触れたと思って時には、別の光景となっていたのだ。
広がるのはまさに美としか形容できない光景だった。
王宮を、いや今までアルチェルが見てきたどんな光景よりも遥かに凌ぐ美しさだ。
アルチェルは呆気に取られ、言葉も出ない。
「こちらになります。応接室でまずは喉を潤してください」
アインズが通路にある扉を指す。扉の左右には非常に美しい2人のメイドが控えていた。1人はユリであり、もう1人は始めてみる顔だ。
アインズの言葉に見え隠れする優越感。それがアルチェルを不快にさせる。今まで自らよりも遥かに劣ると信じていた男にこれだけのものを見せられたのだ。劣等感が桁外れなほど刺激される。
「これほどの財を一体どうやって成しえたんだ」
硬質な声がアルチェルから出た。
「……仲間達と一緒にですが」
自慢というものを感じ取れるアインズの言葉。それはアルチェルの目を細めた。
富という物は無から生まれるわけではない。ある場所からある場所への移動だ。ではアインズ・ウール・ゴウンの財。それは本来であれば別の人間の下に行くべきものでは無いのだろうか。
「財を溜めているようだが、税金は支払っているのか?」
「はぁ?」
僅かにアインズの返答に苛立ちが含まれる。クロードが僅かに困った顔をするが、しかしアルチェルは気にしない。
「充分な税金を納めているのかと聞いているんだ。ここは王国の領内であり、王国の法律が支配する場所。その地で生きるなら収益に応じた税金を支払う必要がある。そしてこれほどの建物に相応しいだけの税金を支払っている者がこの辺りにいるという話は聞かないのだが?」
「…………」
「仲間と築いたという話だが、王国の領内にあるものを不当に占拠しているだけだと言い切れなくもないのではないか? この地が墳墓だとするなら、墳墓の所有者は基本的に王国、もしくは神殿に返るもののはずだ」
基本的に墳墓など墓場は公共のものであり、個人所有というのは滅多にない。勿論、墳墓の一区画を個人所有にするというのであれば当然あるが。
そして常識的に考えれば、アインズの話は考えれば考えるほど胡散臭い。
これほどの煌びやかな場所を個人的に作り出せることが出来るだろうか? ――否。不可能だ。
ではこれほどの調度品を人知れず集めることができるだろうか? これもまた否。不可能だ。
建築するための人手、これほどの調度品を集める膨大な金銭の流れ。そういったものを一切残さずに建造することができるはずが無い。
それらのことを考えれば答えは1つしか生まれない。
アルチェルは元々この墳墓の下には煌びやかな場所が隠されており、それをアインズという人物が不当に占拠したと決定づけていた。
つまりは王国の財産を不当な手段で横領しているのだ。
つまり踏み込んで考えれば、アルチェルの手に渡るだろう宝は、知られないうちにアインズが横から奪っていたのだ。
「不当の占拠であれば、それは――」
「――まぁまぁ、アルチェル殿。それぐらいで」
「…………」
クロードが横から止めに入る。
「まぁ、ゴウン殿。アルチェル殿の言うことも事実ですよ。不当な占拠と思われても仕方が無い状況が揃っています。ただ、まぁ、なんというか我々の心の内に留めても、まぁ、構わないのですが?」
贈り物で満足するだろうクロードとは別に、アルチェルの不満は今にも溢れんばかりだ。たとえ、何か凄い宝をもらったとしても、必ず、アインズが不利になるように行動してやる。
そうアルチェルは考える。
アインズの肩が大きく動く。上がり、それから力なく下に落ちる。
ぐうの音もでないか。アルチェルはそう考えた。しかしアインズの中に生まれたのはそういったものではない。
「――別に俺に関しての話ならば、どうでも良いんだ」
静かな声だ。感情という物を一切感じさせない、平坦な声。
「別に俺自身は大した者だとは思っていない。だから何を言われてもそうなのかなと思うし、侮辱をされても我慢できる。――しかしだ。お前達は俺の仲間が作ったものに対してけちを付けたな。……この俺の大切な仲間たちと一緒に作りだした、宝に唾を吹きかけたな! 糞共がぁ!」
アインズから吹き上がるのは、目で見えるような憤怒。
噴出すような感情の本流を感じ、一瞬、アルチェルもクロードも息を呑む。しかしながらいまだその表情に余裕の色はあった。それは自らが何の目的でここに来たのかという理由によるもの。そしてアインズが上で見せた従順な姿によるものだ。
王家の威光がある以上、たとえ礼儀知らずといえども何かできるはずが無い。そう考え、逆に今のアインズの行為に対してどのようなペナルティを与えるべきか考える余力すらある。
しかし、アルチェルもクロードも、そしてクロードの後ろにいた者たちも、自らの体が震えだしたことにようやく気付く。
広い通路が温度を急激に下がっていくような感覚に襲われたのだ。冬の到来のような冷気。しかし吐く息は白くは無い。つまりは感覚的なものにしか過ぎないと、判断するだけの時間が合っただろうか。
ぴたりとアインズの動きが止まる。そして懐に手を入れると、一枚のスクロールを取り出した。懐にそれほどのものを入れるスペースすらないのにどうやって、と疑問をアルチェルたちが思うよりも早く、アインズはそれを無造作に広げた。
「……死すら生ぬるい。この世界にあるのか知らないが、地獄まで連れて行ってもらえ。《サモン・モンスター・10th/第10位階怪物召喚》」
羊皮紙が燃え上がるのと、魔法陣が床に浮かびあがるのはほぼ同時だった。燃え尽きた灰の欠片が中空に掻き消えていく中、先ほどまで無かったものが広い通路を半分は占拠するようにいた。
伏せというポーズを取っていてなお、見上げるほどの巨躯がアルチェルたちに影をさす。
それは竜を思わせる長い尻尾が伸びた巨大な犬。その頭部は3つあり、燃え上がるような眼光が3対、アルチェルたちを見下ろす。それはケルベロスといわれるモンスターだ。
アルチェルたち、皆の背筋が凍る。
背中に氷水でも流し込まれたような、そんな感覚が押し寄せてくる。
化け物。
いや、そんな言葉ですら生易しいものの出現を受けて、動物の勘がわめきたてているのだ。戦士が武器を抜くということすら忘れてしまうほど。
アインズがモンスターを召喚した狙い。
それが理解できないはずが無いが、あり得ない信じたくないという気持ちがアルチェルの胸襟で沸き起こる。
王国に対して弓を引く行為。そんな愚かな行為をするはずが無いという、アインズからすれば都合の良いといわれるような気持ちが。
ケルベロスの横に立っていたアインズは、そんなアルチェルたちを一瞥すると興味を失ったように、踵を返す。背を見せたアインズに、後ろから恐怖のためにひび割れた声が掛かった。
「わ、私は陛下からの使者だぞ! そのような行為を陛下が許すと思ってか!」
その言葉こそが自らを守ると考え、アルチェルは叫ぶ。いまだこの状況下にあって言葉でアインズを縛れると判断したのだ。
ふう、とアインズは息を吐き出した。そして肩越しにアルチェルを見ると静かに、本当に静かに言葉を紡いだ。
「……だからどうした?」
そのアインズの言葉に含まれていた感情。それを鋭敏に感じ取ったように、召喚されたモンスターであるケルベロスはゆっくりと動き出す。
低い唸り声に満ちた感情は誰にでも分かるような、はっきりとした敵意。
「……好意や敬意を従属と勘違いしていたのか? ならばその勘違いの代価を支払え。そして愚かな主人に仕えた己の不運を恨め」
自らの切り札。それが容易く破り捨てられ、アルチェルは頭の中を真っ白にしてたたずむ。ようやくクロードたちが剣を抜き払う。しかし、本来であれば守るべきアルチェルの前に立とうというものは誰もいなかった。
今まで自信を持っていた鋼の輝きが、その魔獣と比べるとそのあまりの小ささに泣き出したくなるほどだった。
「待って欲しい! アインズ殿、謝罪を受け入れてくれないか? 我々は君の力を確かめるという意味で無理を言ってみたのだ! 君は合格だ! 陛下にしっかりと伝える!」
このままでいれば確実に命が奪われる。そういった必死の思いが、クロードに恐怖を乗り越えさせ口を開かせる。しかし、アインズの心を揺るがすには力が足りない。
「……残骸はこことエ・ランテルの間ぐらいの距離にばら撒いておけ。使者は途中でモンスターに襲われて誰もこれなかった。……そういうことだ。喰らえ、ケルベロス」
「本当に待ってくれ――いや、待ってください! ゴウン様! 本当に悪かった。やりたく無かったが、王からの命令だったのだ! なぁアルチェル殿!」
「……あ、ああ」
理性はクロードに賛成すべきだが、いままで蛮人だと評価していた人間に頭を下げるという踏ん切りがアルチェルは付かない。
しかしクロードからすれば、何を迷っているとアルチェルを殴り飛ばしたい気持ちに駆られる。今、命を、全てを握っているのがどちらか。それは言うまでもない。そしてクロードはまだ死にたくないのだ。
「アルチェル! ゴウン殿に謝罪を!」
必死の叫びにようやく、アルチェルは決心する。己の肥大していた傲慢を、恐怖がねじ伏せたのだ。
「も……申し訳なかった、ゴ、ゴウン殿。私が言いすぎたようだ」
不貞腐れた子供のような謝罪。クロードが顔を引きつらせたのも当然だろう。どう聞いても、本気での謝罪のようには思えないのだから。
しかし、そんな謝罪でもほんの少しは効果があった。
「……ケルベロス」
クロードの頭も、アルチェルの頭も瞬時に噛み千切れるという辺りまで移動していたケルベロスが、主人の声を聞き動きを止める。
その場にいたナザリックに属さない全ての者の顔に、ほんの少しの希望が浮かぶ。
だが、アインズはそれらを容易く閉ざす。
「――悲鳴と呪詛以外、もはや聞きたくないぞ」
後ろで凄惨な光景が広がり、絶望の悲鳴が聞こえる。鎧ごと肉体が食いきられる、想像を絶するような音でも、もはやアインズは振り向こうとはしない。
ただ、不快なために。
不快というが、別段、人の死体や殺される様が精神衛生上まずいということは無い。
アインズはこの体になってから、惨殺などの行為に忌避を感じない。好き好んでていうことは無いが、人が同族というような共感を覚えないためだ。それは邪魔な虫を殺すような感覚に似ている。気分よく眠っていたのに起こしてくれた、わずらわしい虫の足をもいで殺すような行為に罪悪感を覚えないのと同じことだ。
では時折見せるアインズの優しさは何か。
それは雨に濡れている子犬を見たときに、人の心に浮かぶようなもの。さまざまな余裕があれば、子犬に餌をやるかもしれないし、もしかしたら飼おうと行動するかもしれない。しかし、一瞥して通り過ぎたりもするだろう。そういうことだ。
ちなみにある村娘はこの第9階層を見てこう言った。
『こんな凄いところを作るなんて、お友達の方も凄い方だったんですね』
何の裏も無い無邪気な言葉。それがアインズの心をピンポイントで射抜いたのだ。
アインズにとって、かつての仲間達を褒められるということは非常に嬉しいこと。だからこそ気に入ったのだ。アインズ自身、ちょろいと自嘲して笑ってはいたが。
「ユリ。先ほど言ったように、残骸の回収を任せる。手が足りなかったら、誰か使っても構わない」
「畏まりました」
深々とユリは頭を下げる。その横にいたルプスレギナもだ。
それから持ち上げた2人の顔に何かに気づいた色が合った。瞳が僅かに動き、アインズ以外の人物を捕らえている。それを悟ったアインズは振り返った。
最初に視界に入ったのはもはや生きた人間がいない――いや人間という形が残っていない、血の海が広がる通路。その横に寄った、血に塗れたケルベロス。
そして次にアインズの視界に入ったのは待ち望んでいたものだった。
「良い香りです」
いつ来たのか。デミウルゴスが肉塊の飛び散る血の海に立っていた。いや、微妙に足は床には付いていない。その身は僅かに浮かんでいる。
「遅くなりまして申し訳ありません」
そして一礼。顔を上げたデミウルゴスの視線がアインズの服を眺める。それから微笑を浮かべた。
「アビ・ア・ラ・フランセーズですか? 非常にお似合いです」
デミウルゴスは世辞ではなく、心の底からそう思っていっているのだろうが、今のアインズからすれば不機嫌を強める言葉だ。
「それはどうでもよい。それよりもデミウルゴスに早速相談したい件がある。私の部屋に行こう」
「その前に。私がここに来るころ、アウラが表に出て行ったようですが、よろしいのですか?」
「ああ。それはアウラに頼んだ件を片付けに行ったのだろう。なんら問題は無い」
「かしこまりました」
「では、掃除を頼む」
ユリとルプスレギナ。2人の了解を受け、血の匂いが強く立ち込める場所を背に、アインズは無言でデミウルゴスを伴って歩き出した。
◆
ナザリック大地下墳墓から離れること1キロ以上。
草原の中に小さな1つのテントがあった。いや、小さいとは言っても、人間3人ぐらいであればその身の内に収めることのできるサイズだ。
そしてそんなテントの入り口はわずかに開いている。ほんの少し――亀裂のような隙間からは1人の男が双眼鏡を使って遠くの地、ナザリックをじっと眺めていた。そのまるで動かない姿は置物か、人形のようにも勘違いしてしまうほどだ。わずかに肩の辺りが上下していなければ、実際にそう思ってもおかしくはなかった。
長く細い呼吸を繰り返しながら、男は真剣な面持ちでナザリックを眺める。そんな男に天幕の中から声がかかった。
「どうだ?」
その声は男を人間に返したようだった。凝った肩を数度回し、男は中に声をかける。
「……いやあれから動きはないな」
男の位置から見えるのはナザリックの壁でしかないが、その辺りで動くものは一切ない。そんな男の返答を聞き、先ほどとは違う男の声がテントの中からした。
「なら報告の必要はなしか」
「そうだな。今のところ、必要は無しだ」
「……正門監視はあっちのチームの仕事だ。ミス無くやっていることを祈るだけだな」
テントにいる彼ら3人が何者なのか。
それを一言で言い表すならば、帝国に所属する隠密だ。
第2位階魔法を行使できる魔法使いでありながら、野外での隠密行動などのスキルを有するレンジャー。そんな2つのスキルを同時に持つ、帝国の中でも非常に優秀な野外活動を主とする隠密たちだ。それも最精鋭という言葉が相応しい、下手な騎士程度であれば瞬殺するだけの実力者でもある。
そんな彼らがこの場所――ナザリック大地下墳墓の監視に3名。
――いや、それだけではない。
すべてを知覚できるものならば、ナザリックの周辺にも同じような構成で監視しているものたちが他にもいることに気づくだろう。そんな彼らの総数は4チームであり、計12人にも達する。
たった12名と考えるかもしれないが、この人数は彼らのようなエキスパートの総数の3/5に値した。
帝国の800万を超える人口に対して、それだけしかいない彼らをこれだけの人数動員するということが、帝国にとってナザリック大地下墳墓の監視という行為がどれほどの意味を持つのか、それを言うまでもないだろう。
実際、ここまでの警戒は常識では考えられないほどであり、恐らくは鮮血帝の統治になってからの警戒レベルでも最上位クラスだ。
そんな彼らだが、草原にテントを立てていれば目立つのではないかという疑問は当然生まれるだろう。しかしながら、レンジャーとしてのスキルを持つ者がそんな愚かな失態をするであろうか?
まるで目立ってはいないというのが答えだ。
これは魔法の力によって生じた結果である。
このテントは『溶け込みの天幕<カモフラージュ・テント>』と呼ばれるマジックアイテムであり、傍から見ると草原に溶け込んでいるようにしか見えないのだ。
答え終わると、疲れた目を指で解し、男は再び双眼鏡を目に当てる。
すると――
「動きがあったぞ」
監視をしていた男の声が若干低くなる。そこにあるのは当然警戒の感情。
男の双眼鏡の小さな視界の中、ナザリック大地下墳墓からゆっくりと空に舞い上がる影があった。男たちまでかなりの距離があるために、影は小さく感じられるが、実際は遥かに大きいだろう。
翼をはためかせ、その長い尻尾が鞭のようにしなる。上昇の速度に対して、翼のはためきは小さく回数が少ない。なんらかの魔法的な種族能力によるものだろう。
「いつものワイバーンか?」
「いや……それとは全然違う気がする」
男は記憶にあるワイバーンと上空に上がっていく影を比べる。ナザリックを監視していると、時折、ワイバーンのような影が空中に飛び上がり、周辺を監視するように飛び回ることは数度あった。しかし今回飛び出したのは、幾度か見たワイバーンとは異なる姿をしている。
いや、確かにナザリックから幾度か飛び出したワイバーンも、男の記憶にあるものとは少し違ったのは事実だ。だが、今回のは完全に違い、ワイバーンとは全然似ていなかった。
男がワイバーンを始めてみたのは、帝国南方に位置する山脈が多くある国が最初だ。
その国は飼いならしたワイバーンによる空中騎兵隊を組織している。そしてそんな国のある場所を監視するために送り込まれた時に、ワイバーンの姿を見たのだ。
そのときのワイバーンの姿は長い尻尾は蠍のようであり、前足はそのまま翼のようになっていた。ドラゴンにも似た姿だったのを良く覚えている。
しかし、今回飛び立ったのは翼の生えた蛇という生き物がぴったりな姿をしていたのだ。
では、あれはなんという生き物なのか。
男の記憶の中のモンスター知識という棚をひっくり返すが、答えを導き出すことは出来ない。一気に上昇していく蛇は高度3キロほどにも達しただろうか。その辺りで平行に移動を開始する。
「一応、静かにしておくか」
「ああ。そうしよう。それと《メッセージ/伝言》を使って警告を送った方がいいかもしれないな」
これだけ高さがあれば発見される可能性は無いとは思うが、相手は未知のモンスターだ。絶対という言葉は存在しない。
男はそういうと、出口を閉め、テントの中で他の仲間達と息を殺す。そんな中――
ゲロゲロゲロロ~♪
男は目を白黒させながら周囲を伺う。テントの中には当然、仲間の2人の姿。
その両者とも驚いたような表情をしているところを考えれば、蛙の鳴き声は2人のどちらかのお遊びではないのだろう。
男の耳にはテントの外から静かな草原を風が走りすぎていく音が聞こえる。どれほど耳を澄まして聞こえるのはそれだけだ。男は重い沈黙が支配したテントの中、押さえ込んだ声で問いかける。
「……今、蛙の鳴き声が聞こえなかったか?」
「……あ、あぁ」
同じように静かな声が返ってきた。他の仲間たちも周囲の音を聞き取ろうと、聞き耳に集中している。
もし、これが沼地であれば別段不思議とも思わなかった。しかしながらここは草原であり、蛙がいて良い場所ではない。いや、確かに一部の蛙がいるのは事実だが、それはどちらかといえばモンスターと呼ばれるものである。
カモフラージュ・テントは視覚による発見に対しては非常に優れた力を有しているが、聴覚や嗅覚までは誤魔化す力は持っていない。そのために動物系のモンスター――魔獣に代表されるようなモンスターには効果が薄い場合がある。それにモンスターには特殊な感知能力を持つ者だっている。ドラゴン・センスや生命感知のような特殊なものだ。
先ほどの蛇だって特殊な感知能力があったりしたら嫌だからこそ、用心をしてテントの中に潜んだのだ。
蛇が飛び立つと同時の出来事。
これは偶然か、はたまたは不幸な遭遇か。ただ、どちらにせよ非常事態ではある。
男たちはモンスターが接近しているのかと判断し、おのおのの武器に手を這わせる。しかしモンスターの正体が判別できないため、撤退か交戦かを選ぶのが難しい。
できればたまたまであり、戦闘になるようなことを避けられたら良いと3人とも考える。ただ、戦闘に入るにしても、撤退するにしても準備は必要だ。
「《クィック・マーチ/早足》」
第1位階魔法の発動。これによって3人の移動速度は一気に上昇する。正確に言えば20%の上昇である。
続けて同じ位階の《カモフラージュ/溶け込み》。これによって視覚での発見は多少難しくなったはずだ。《インヴィジビリティ/透明化》の方が効果的にも思えるが、草原という場所を考えるならばこちらの方が正解だ。
「《メッセージ/伝言》で連絡を」
「わかった――何?」
「どうした?」
「《メッセージ/伝言》が発動しない……?」
《メッセージ/伝言》が発動しない理由はいくつか考えられる。金属の部屋のような場所に閉じこもる時や、魔法的な防御手段を講じられる時、そして相手が死んでいるときなどだ。
ただ、どの場合でも非常事態である。なぜなら《メッセージ/伝言》を送る相手は、それが来ると知っているのだから届かないような場所に閉じこもるはずが無い。
3人の男達は互いの引きつった顔を見合わせる。
答えは1つぐらいだろうから。
「不味い! 直ぐに撤収するぞ!」
慌てふためき、彼らが行動を取ろうとするよりも早く――
ゲロゲロゲロゲログワァグワァグワァ♪
――再び、蛙の鳴き声。
瞬間、信じられないような眠気が男たちの身に降りかかってきた。
第2位階魔法まで使える男たちは、これほどの睡魔は魔法によって生み出されたものだと瞬時に悟る。第1位階魔法である《スリープ/睡眠》によく似た睡眠欲であったがために。しかしながらそれを悟ったところですべてが遅すぎる。
武器を足に突き立てようとする意識すら持たないのだ。
男たち3人が崩れ落ちるようにテントの床に転がる。そして心地良い寝息を立てるのであった。
男達が眠りに付いて直ぐ、テントの入り口部分が揺らぐ。ただ、そこを見ても誰もいない。入り口の向こうに広がるのは先ほどと変わらない草原の景色のみだ。風の悪戯だろう。そう思ってもおかしくは無い――入り口部分が誰かの重みを受けて沈んだりしなければ。
ナザリック大地下墳墓を飛び立った蛇のようなモンスター――それはケツァルコアトルという名前を持つ。そんなモンスターの背には2人の姿があった。
1人はケツァルコアトルというペットの主人であるアウラ・ディベイ・フィオーラだ。流れ行く風をその身に受けながらも、太陽を浴び燦燦と輝く金髪は一切乱れたりはしない。いや、流れ行く風もその身に受けていないというべきか。
それは魔法的に産み出した鞍に乗っているために、蛇がどのような動きをしようがその身は安定性を保ち、風圧を受けることは無いためだ。
そしてもう1人の影。
アウラの後方――そこには同じような鞍に乗った蛙のようなモンスターがいた。
ツヴェーク・プリーストロード。
直立したピンク色の蛙が煌びやかで装飾過多な杖を持ち、見事な神官衣を纏っているというモンスターだ。そう表現すると可愛らしく弱いイメージを持つかもしれないが、実際はもっと強くおぞましい。痩せた蛙をモチーフに歪ませ、それに邪悪をトッピングしましたといわんばかりの姿をしているのだから。さらにたった6つしか魔法は使えないとはいえ、神官系第10位階魔法までを行使する70レベル以上という位置に存在する強大なモンスターである。
「アウラ様。すべて寝かしつけたという話です」
蛙のような口からもれ出たのは、やたらと流暢かつ渋い男の声である。なんというか外見とのあまりのギャップに、苦笑が起こっても仕方が無いような、そんな感じであった。しかしアウラからすれば慣れた声だ。
「ふーん」
――軽く頷く程度の。ツヴェーク・プリーストロードは言葉を続ける。
「現在エイトエッジアサシンが捕縛を開始しております。ツヴェーク・シンガーソングライターに何か新たなご命令はございますか?」
「睡眠の呪歌の効果はどれぐらい?」
「耐性、能力によって変動しますが最短で30秒ですが、たいした実力者でもないようなので数分は持つかと思われます。あっと、もしくは攻撃を一回受けるまでです」
「そっかー」
うんうんとアウラは頷く。それだけあればエイトエッジアサシンであれば問題なく捕縛できるだろう。とりあえずは自らの主人からの命令は完了したと判断しても良い。
「じゃぁ、バード達は即座に撤収。5匹しか今はいないんだから直ぐに帰って、安全な湖でも入っていて。エイトエッジアサシンは回収してナザリックへ……人数の方が多いか」
「はい。監視者の数は計12人です。しかしながらエイトエッジアサシンであれば問題なく運べると思われます。一応、聞いてみますか?」
「うん。お願い」
「はい」
ゲロゲロとツヴェーク・プリーストロードは低い鳴き声を上げる。蛙に似たツヴェーク族は特殊な会話方法を持ち、数キロであれば《メッセージ/伝言》を使っているかのように連絡を取り合うことが出来るという能力を持っている。ユグドラシルではツヴェーク族の住居に乗り込むときは、全てを相手にしなくてはならない覚悟をすべきといわれる所以だ。
その能力でツヴェーク・シンガーソングライターと連絡を取った、ツヴェーク・プリーストロードは満足そうにアウラを見る。
「問題ないとのことです」
「みたいだね」
アウラの視力はかなり下にいる小さな点を完全に捉えている。エイトエッジアサシンがナザリックにぐるぐる巻きにされた何かを運んでいく影を。
その複数の手を上手く使って同時に3体運んでいるのも見て取れた。
「じゃぁ、撤収に入ろうか。行こう、ケツァルコアトル」
蛇は長い首をもたげ、アウラを見つめると、主人の意を受け下降を開始する。かなり急な角度での下降だが、やはりアウラもツヴェーク・プリーストロードの体勢も崩れたりはしない。逆にその急激な下降による景色の変化をアウラは楽しんでいるぐらいだ。
「テントの回収は行わないのですか?」
「アインズ様いわく、回収しない方が何が起こったか不明で怖いだろうだって。しかしあの程度の上手く隠れていたとか思っていたのかなぁ?」
ツヴェーク・プリーストロードは主人の言葉を受け、チラリとテントのあるだろう方角を見る。探知系のスキルは所持していないが、基本的な能力値の高さを生かしさえすればなんとか、草原の一箇所に変なものがあると分かる。
「……距離があれば大丈夫と思ったのでしょう」
「まぁ、そっか。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>で常時周辺を監視しているなんて思わないか」
コキュートス配下が常時、ナザリック大地下墳墓周辺は警戒している。知性を持った群体<インテリジェント・スウォーム>を主に、時折恐怖公が協力して。それ以外にも占術などの魔法を使っての探知だって行っている。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>による警戒もその一環だ。
元々、彼らの存在は来たときから感知しており、テントを作る姿も静かにコキュートスの配下が監視していた。すべて収穫の時期が来るまで、放置していただけだったのだ。
その真剣に監視する姿を物笑いの種にするために。
地表が近くなり、アウラはケツァルコアトルにログハウスに向かうように指示する。風を切って翼の生えた蛇が走る。
やがてログハウス付近。アインズに回収するように命じられた馬と馬車の元に、ケツァルコアトルは羽のような軽さで舞い降りた。
巨大な蛇が現れれば、馬が怯えたり、興奮したりしてもおかしくは無い。しかし、馬は平然としたもので、まるでケツァルコアトルが親しい存在であるかのような態度を見せる。
「えっと、ケツァルコアトルをナザリックに戻し次第、展開している隠密のとばりは解除しちゃって」
「畏まりました、直ぐに連絡をさせていただきます」
「それと馬車の移動は――」
そこまで言った段階でアウラは言葉を止める。門が音を立てて開き、中からは戦闘メイドの1人、エントマが出てきたからだ。そしてその後ろにはナザリック・オールド・ガーダーたちの姿があった。
格子状の門であれば、ナザリックの地表部は覗ける。しかし、エントマの姿もオールド・ガーダーの姿も隙間からは伺えなかった。まるで地から沸いたように、突然と姿を現したのだ。
「アウラ様」
「ん? 馬車の回収を手伝ってくれるの?」
「はい」
表情を動かさずエントマが同意する。いや、エントマに表情を動かすのは無理なのだが。
ただ、何処と無く、アウラから逃げたいような素振りを感じさせるのは気のせいではないだろう。
「あなたには効果ないでしょ?」
「……強制的に友好的にさせられる匂いは嫌いです」
「ごめんね。馬ぐらいあたしのスキルでもどうにかなるとは思うんだけど、自信ないしね」
ビーストテイマーとして最高の腕を持つアウラが、本気で自信がない筈が無い。結局本音はテイムするのが面倒くさいからだろう。
そう思ったエントマの雰囲気に微妙に呆れたものが漂い、それを敏感に察知したアウラは苦笑いを浮かべる。
「えっと、じゃ、早速回収を始めようか!」
やけに威勢の良い声をかけてアウラはシモベたちに命令を下す。その後ろをエントマの『逃げたな、こいつ』という雰囲気が追うのだった。
――――――――
※ 分割という意見の方が多かったので分けました。ではでは、会談2でお会いしましょう。