城塞都市エ・ランテルはその名に相応しい3重の城壁を持っている。その城壁に取り付けられた門は、外周部分にあるものが最も強固かつ巨大であり、その前に立てば圧し掛かってるような無骨な重厚感に満ち満ちていた。
旅人が門の前で口をぽっかりと開けている光景が、さほど珍しいものでもない。まさに帝国が攻めてきても跳ね返せると、称される門である。
そんな門の横手には検問所が設けられており、中では幾人もの兵士が日差しを避け、のんびりと寛いでいた。
前線にも成りかねない都市の兵士にしては弛んだ空気ではあるが、検問所にいる彼らの役目は旅人のチェックである。違法な荷物の運搬や、他国のスパイ等の発見を仕事としている以上、都市に入る者がいなければ仕事は無いも同然だ。
確かにこの検問所に努めることとなる兵士は特別なセンスを持つ、ある意味兵士の中でもエリートではある。そんな人間を遊ばせておくなんて勿体ないことがあるだろうか、という疑問は生じよう。しかし資料作成は上の仕事であり、肉体労働担当の彼ら――一般の兵士の仕事はやはり相手がいなければ意味の無い単純な作業がメインだ。
都市に入る者がいなければ暇を持て余してしまうのも、仕事上仕方が無いことなのだ。
では遊ばせないでせめてもの仕事として、周辺の警戒に当ててはどうかという疑問もあるだろうが、その仕事は城壁に立った歩哨が行っている。これは検問という仕事に熱中できるようにという寸法のためだ。
そんな訳で、仕事の一切無い彼ら一般の兵士は――流石にカードゲームといった暇つぶしの遊びをしている者まではいないが、口からもれ出る欠伸を隠そうともしていなかった。
勿論、現在は暇そうにしているが、忙しいときは非常に忙しい。特に早朝、門が開くぐらいの時間の忙しさは筆舌に尽くし難いほどなのだが。
日差しが天空の最も高いところに昇りつつある、少しばかり暑くなってきた頃。
机の上に肘をつき、ぼんやりと何も填まっていない窓から外を眺めていた兵士の1人が、ポコポコという音が似合いそうな雰囲気で荷馬車が一台、エ・ランテルに向かって進んでくるのを発見する。御者台には1人の女性の姿。幌の無いむき出しの荷馬車の上にも人が乗っている影は無かった。
女性は武装をしているようには見えない。そこから推測される答えは――
どこぞの村娘か。
――兵士はそう考え、自らの考えに頭を傾げる。
近隣の村の人間が来ることはさほど珍しいことではない。しかし、女1人となると話が変わる。エ・ランテル近郊といえども野盗やモンスターが絶対にいないということは保障できない。そんな中、1人で向わせるだろうか。
兵士は疑問を抱いたまま、視線を動かし、馬を見据える。そしてそこで再び混乱した。
馬はやけに立派なもの。単なる村娘が持つことが出来るようなものではない。その体躯や毛並みは軍馬を思わせる。
軍馬にもなれば購入するとしても、非常に値が張る。そして手に入れようとしても単なる一般人にはそう簡単には回されはしない。ワイバーンやグリフォンに代表されるモンスター系の騎乗動物を除けば、乗騎としては最高峰の存在を容易く手に入れるのが困難なのは道理なのだ。
そんな軍馬を手に入れられる存在、それは基本的に何らかのコネ等があるものだけだ。
奪えばという考えもあるかもしれないが、それだけの財産を奪った場合の報復は絶するもの。盗賊等も軍馬らしきものに乗っている人物には手を出すのを控える事だってあるほどだ。
以上の件から、それだけの価値がある軍馬を所持する者が村娘であるはずが無い。となると考えられるのは、村娘の格好をしているが中身はまるで違うという予測が立つ。
ここでヒントとなるのは、1人で旅をしてきたという点だ。つまりは自分の腕に自信があり、装備品に左右される存在では無いということだ。
即ち、魔法使いに代表される、武装に左右される職業で無い存在。
これは納得のいく答えだ。なぜなら魔法使いが良くなる職業である、冒険者等であればコネや金銭的な面もクリアでき、軍馬を手にいれることも用意だろうから。
「ありゃ、魔法使いかなんかか?」
隣に来た同僚が、兵士も思っていた同じ疑問を口に話しかけてくる。
「かもしれないなぁ」
僅かに眉を寄せて兵士は返答する。
スペルキャスターは魔法こそが武器であり、場合によって武装した戦士よりも危険な存在だ。そして検問するには難しい相手でもある。
まず第1に武器が魔法という――内面にあるもので発見することができない。つまりはどれだけの武器を所持しているか不明であること。
次に魔法によって何らかのものを持ち込もうとしている可能性があり、それを発見するのが困難なこと。
第3に専門的な持ち物が多く、かなり面倒な手続きを必要とすることなどが上げられる。
正直に言ってしまえば、検問として持ち物を検査するには最も嫌な相手だといえよう。だからこそ魔術師ギルドから人員を借りてきて、協力を仰いでいるのだが……。
「アイツ呼ぶのか? いやだなぁ」
「仕方ないだろ? 魔法使いじゃないと判断して、通した後で問題になったら厄介なんだからな」
「魔法使いも魔法使いって格好してくれればいいのにな」
「怪しげな杖を持って、怪しげなローブで全身を包む?」
「そうだな。そりゃ見るからに魔法使いだ」
互いに笑うと、今まで座っていた兵士は立ち上がる。それは今から来る魔法使いらしき少女を迎えるためだ。
兵士達が見守る中、馬車は門の前まで進み、動きを止める。
御者台からは少女が降りる。額には汗が僅かに滲み、日光下を旅してきたのが一目瞭然だった。日差しを避けるためだろう、長袖長ズボン。そのどれもあまり良い仕立てではない。どう見ても単なる村娘だ。
しかしながら中身は違うかもしれないし、何かを隠しているかもしれない。
兵士は油断無く少女に近づく。
「まずは色々と聞きたいことがあるので、向こうで構わないかね?」
「はい。構いません」
兵士は少女を連れ立って詰め所に歩く。
魅了等に代表される精神操作系魔法を警戒し、後ろから数メートル以上離れたところから別の兵士が2人を追いかけ、他の兵士達も少女が変な行動を取らないか、さりげなく横目で様子を伺う。
そんな強い緊張感が漂っているのを感じ取ったのか、少女が首を数度かしげた。
「……どうかしたかね?」
「え? あ、いえなんでもないです」
この微妙な空気を感じ取ったとすると、やはり只者ではないのか。そんなことを考えながら兵士は少女を連れ、詰め所に入る。
直射日光下で無い詰め所は、外に比べて若干涼しい。
ひんやりまではいかないが、涼しい空気に触れ、少女がふぅとため息のようなものを漏らした。
「ではそこに座ってもらえるかな?」
「はい」
部屋に置かれていたイスの1つに少女が座る。
「まずは名前と出発した場所の名前を聞こう」
「はい。エンリ・エモット。トムの大森林近郊にあるカルネ村から来ました」
兵士達が目配せを行い、1人が部屋の外に歩いていく。台帳に記載されているかどうかを確認しに行ったのだ。
王国では一応は住民を管理するために台帳を付けている。
一応というのはかなり大雑把なもので、生死に関する情報の更新が遅かったり、抜けていたりする場合が多いためだ。そのため、死んだ人間が生きていると思われたりというのはある意味日常茶飯事の出来事なのだ。それにかなり離れた都市にもなれば、情報が流れるのが非常に遅かったりもし、抜け落ちている部分が非常に多いとされている。
王国の人口はその台帳で管理しているのだが、およそ数万単位で狂っているという試算もでているほどだ。
そのため信頼しすぎるのは非常に不味いが、ある程度の役には立つという類のものと成り果てていた。
そんな信用性の無い台帳の癖に、量だけはしっかりとある。その結果、調べ終わるまでにある程度の時間が掛かる。それを充分理解している兵士は、別の件から先に済ませていこうと、口を開く。
「まずは都市への通行料として足代を支払っていただきたい。人間が2銅貨、馬が4銀貨だ」
「はい」
少女は懐からみすぼらしい皮袋を取り出し、口を緩める。その中からちょうど6枚の硬貨を取り出した。日差しを浴び、鈍く輝く硬貨を兵士に手渡す。
皮製の手袋の上に置かれた硬貨を、しげしげと確認し、兵士は頷くと硬貨を自らの隣に置いた。
「確かに。次はエ・ランテルに来た理由なのだが」
「はい。私のとった薬草を売りに来ました」
兵士は窓の外、荷馬車の方に目を送る。そこでは壷を動かしたりと幾人もの兵士が動いている最中だった。
「その薬草は名前と、壷の数を教えてもらえるかな?」
「はい。ニュクリが4壷、アジーナが4壷、それとエリエリシュが6壷です」
「エリエリシュが6?」
「はい」
自慢げにエンリの顔が緩む。それを目にし、当然かと兵士は納得した。
検問所に努める以上、当然として薬草に関する知識はある程度この兵士も持っている。エンリの言ったエリエリシュに関しても当然、知識にある。
エリエリシュはこの時期の非常に短期間しか取れない薬草だが、治癒系のポーション作成には欠かせない薬草だ。そのため、非常に高額の値がつくものである。
それを6壷ともなれば、内容量の多さにも当然よるだろうが、金貨100枚はくだらないはずだ。
「で、何処にもって行くつもりなんだ?」
「いつも卸している方がいますので」
「そうか……」
ここから先に踏み込む必要もないかと兵士は判断する。実際、彼らの仕事は危険なものが中に入ることを阻止するのが仕事であり、中に入ったものの先を追うのは管轄外だ。今回の薬草には無かったが、興奮剤等に使用される薬草の場合、聞く方が拙いだろうということもあるのだから。
兵士はふむ、と頷き、エンリの表情から目をそらす。
今聞いた薬草は全て常用性等の危険性の無い薬草だ。
そして聞いた話に怪しいところは無い。エンリの表情にも嘘をついている気配は無かった。
壷の中に壷を隠したりしていないか、本当に言った薬草のものなのか、のチェックさえ終わってしまえば、彼の仕事は一先ずは終了だろう。次に任せる相手は決まっている。
そんな時、ちょうど良く戻ってきた兵士が一度だけ頭を縦に振った。
それはエンリという女性の登録があるということ。
兵士は返答として頷く。
ただ、これはカルネ村でエンリという女性が生まれたという記録にしか過ぎない。目の前にいる女性をエンリという人物だと保証するものでもなければ、エンリという女性がどのような人生を歩んできたかを保証するものでもない。
もしかするとエンリという名前を使っているだけの人物かもしれないし、もしかすると生まれて直ぐに殺し合いの道に進んだ結果、血塗れのエンリといわれるような人物へと成長したかもしれないのだから。
だからこそ最後にもう一つだけ調べる必要がある。
「了解した。ではあの方を呼んできてくれないか?」
兵士は頷き、再び部屋を出て行く。
「これから荷物のチェックを行いたいのだが、良いかね?」
「え?」
エンリは不思議そうに顔を歪めた。兵士は慌てて、自らの言葉に補足を入れる。
「あっと、別に何か問題があったわけではない。すまないがこれも規則でね。大したことをするわけではないから、安心して欲しいんだ」
「……そういうことなら、了解しました」
エンリが納得したのを見て、兵士は内心で安堵の息を吐く。魔法使いかもしれない人物を好き好んで怒らせたくはないのは当然の考えだ。
エンリと兵士。互いに何も話さず、沈黙が部屋を覆う。両者がそのあまりの空気に耐えかね、話題を探し始めた頃、先ほどの兵士がもう1人、男を連れて戻ってきた。
それはまさに魔法使いだ。
突き出したような鷲鼻、げっそりとした顔色の悪い顔にはびっしりと汗が噴いている。その鶏がらを思わせる手でねじくれた杖を握り締めていた。服装は怪しげな三角帽子を被り、熱そうな黒いローブを纏っている。
兵士の個人的な感想ではそんなに熱いなら服を脱げば良いじゃないかとも思うのだが、個人的にその格好には思い入れがあるのか、魔法使いは頑なに格好を止めようとはしない。その所為か、魔法使いが入ってきた直後から、部屋の温度が数度上がったような気分さえする。
「その娘かね?」
魔法使いの静かに語る声は、非常に違和感を感じさせた。
外見年齢は推測するに20代後半だろうと思われるのだが、非常にしわがれた声で年齢の推測すらできないものなのだ。外見年齢が嘘なのか、それとも声が枯れているだけなのか。
「えっと……」
エンリは驚いたように現れた魔法使いと、兵士を見比べる。兵士は驚くのも仕方が無いだろうと、内心頷いた。兵士も、魔法使いの声を初めて聞いた時驚いたものなのだから。
「こちらは魔術師ギルドから来ていただいている魔法使いの方です。簡単に調べていただきますので、少々お待ちください」兵士はエンリにそのまま座ったままでという合図を送ると、そこで魔法使いに軽く頭を下げる。「ではお願いしても?」
「当然」
魔法使いは1歩前に出ると、エンリに正面から向き直る。そして魔法を詠唱した。
「《ディテクト・マジック/魔法探知》」
そして魔法使いの目が細くなった。それはまるで獲物を狙う獣のようでもあった。そんな兵士ですら身構えたくなるようなものを向けられても、エンリに驚きは無い。
それを見た兵士の心にやはりか、という思いが強まる。
これだけの強烈な視線を向けられてなお、平然としてられる者が単なる村娘のはずが無い。最低でもモンスターと対峙したりしてきたものでなければ、この視線を受けてどうどうと出来るわけがないだろう。
つまりこのエンリという少女は最低でも命の奪い合いに生きたことがあるということ。そこからの答えは、やはり魔法使いの可能性が高いということだ。
「我が目は誤魔化されん。そなた、魔法の道具を隠し持っているな。腰の辺りにな」
エンリが初めて驚き、腰の辺りに目を落とす。
兵士は僅かに身構える。剣とかの武器なら理解の範疇だが、マジックアイテムとかになれば兵士の知識の中には無いもの。人が未知を恐れるように、兵士も未知を恐れたのだ。
「これのことですか?」
エンリが服の下からすっと出したのは、両手で隠せる程度の小さな角笛だ。みすぼらしい外見であり、兵士からすればチラ見で流してしまいかねないものだ。
「……これがマジックアイテムなんですか?」
「左様。外見に騙されてはいかぬ。これはなかなかの魔力をもっておるわ」
兵士は瞠目する。この魔法使いがなかなかというほどのアイテムだ。どれだけの力を内包しているというのか。
兵士はまるでみすぼらしい外見をわざと取っているようにも思え、刃物を突きつけられたような寒気を感じさせた。
「あ、それは――」
「無用。我が魔法は全てを見抜く」
何か話そうとしたエンリを黙らせると魔法使いは再び魔法を発動させる。
「《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》。――むぅ」
そして静けさが室内を支配した。
魔法使いは黙り、その答えを待とうと兵士も黙り、エンリの結果を待って黙る。
30秒ほどだろうか。やけに長く感じる空白の時間が過ぎ去り、魔法使いは口を開いた。
「これはゴブリンの群れを召喚するマジックアイテムだな?」
「そうです」
エンリが僅かに驚いたように口を開く。
「なるほど。……都市内で使用する気……」
「ありません!」
「ふむ……。兵士よ」
「なんですか?」
「これはゴブリンを召喚し、使役するタイプのアイテムだ。どれだけの数を召喚するかまでは不明だが、即座に危険なものではない。ただ、突如として都市内でゴブリンが暴れるようなことがあれば、この者を重要参考人として捕縛すればよかろう」
「そうですか」
「とりあえずは即座に危険を発するものは持ってはいないし、持ち込もうとする気配はない。わが意見としては通しても問題はなかろうというものだ」
マジックアイテムの知識としては魔法使いの方がはるかに上である。その人物がそれが良いと言うなら、無理に反対意見を押し出す要因もないし、受け入れるのが一番だろう。
「了解しました。お疲れ様です。エンリさん。これで全て終わりです」
「しかし……」
何かを言おうとした魔法使いに兵士は尋ねる。
「何か?」
「いや、良い。別に大した話ではない。後はお前の仕事だ」
「……そうですか?」
釈然とはしないが、兵士は問題が無いと判断された少女を、このまま留める理由も思いつかない。窓の外に目をやれば、荷物のチェックも思っているようで、なんら問題を発見できなかったようだ。
「ではエンリさん。エ・ランテルにようこそ」
エンリが門を通り、都市の中に入っていく光景を見ながら、兵士は魔法使いに尋ねる。
「……凄いアイテムだったんですか?」
「ふむ……ゴブリンの群れがどれだけの数で、どれだけの強さを持つものかによって評価が変わるが……弱いものではないな」
軍馬を持ち、凄いかもしれないマジックアイテムを所持する少女。
兵士は興味を引かれた顔で、魔法使いに尋ねる。
「彼女は一体何者なんでしょうか?」
魔法使いはローブの下からハンカチを取り出すと、額の汗を拭う。ハンカチが汗を吸って色を変える中、深く思案していた魔法使いはようやく口を開く。
「2つだ」
「は?」
物分りの悪い生徒に教師が向ける視線をすると、魔法使いは更に先を続ける。
「ここまで1人で旅をしてきたということから推測するなら、まずは1つ目。彼女自身が自らの腕にある程度の自信がある――まぁ、魔法使いであるから一人旅をしてきた可能性」
「そして2つ目。あのマジックアイテムがあるから一人旅をしてきた可能性。前者なら単純だ。単なる魔法使いだと納得がいく」
「しかし若すぎますが?」
魔法使いは色々と学ばなければならないことがあるために、初級をマスターするのでも成人を過ぎてからというのも珍しくないと兵士は聞いている。それからするとエンリは若すぎるのだ。
「……そこまでの力は無いと思うが、覚えておけ。魔法使いの場合、外見年齢と中身が一致しないことはあり得るのだと。かの偉大なる魔法使い、帝国最高の主席魔法使い。人類最高の魔法使いたるフールーダ・パラダイン老は200を超える年齢の持ち主だが、今だ初老とか聞く」
「つまりは彼女も――!」
「慌てるな」
興奮した兵士に対し、やれやれと魔法使いは頭を振る。
「先も言っただろう。そこまでの力は無いと思うとな。若くとも才能を持つ魔法使いはいない訳ではない。特に帝国はしっかりとした学院を持っているからな。持っている才をしっかりと伸ばされた、若い魔法使いが帝国には多いと聞く」
「そうなんですか……」
兵士はこれは記憶にとどめておく必要があると判断する。これからは若い人物でも魔法使いという可能性に関して考える必要があると。
「単なる魔法使いであればまるで簡単に納得がいくわけだ。しかしながら、2つめ。単なる村娘だとすると面倒だな」
「何故ですか? 単なる村娘の方が納得がいくと思うのですが? あのマジックアイテムがあるから一人旅をしてきたと」
兵士の当然の疑問に、魔法使いはわざとらしいため息を1つつく。愚者を相手にしているような魔法使いの視線を浴び、兵士は一瞬だけ、ムカッとしたものが心中にこみ上げるが直ぐに押し殺す。相手からすれば自分は愚者なのだろうと納得し、次にこんな性格だったなと思い出して。
「もし仮に村娘であれば、その背後にはあれほどのアイテムを容易く渡せる存在がいるということ」
「……それは早計では? もしかすると彼女の家に代々伝わっているものとか、貰ったものとか……」
「どうやってあれほどのものを手に入れるのだ? それにあれは使いきりのアイテムだ。持って歩くのではなく、温存しようとするのが当然だろう?」
「確かに……そう考えると、彼女の後ろに何者かがいるというのが納得がいきますね」
それなら全て理解できる。しかしそうなると、先ほどの魔法使いの面倒だというのは後ろにいる人物に向けた言葉なのだろうか。
「後ろに何者かがいるとすると……やはりあの娘は只者では無いかもしれんな」
「……何故ですか?」
「……最低でも金貨数千枚にも及ぶマジックアイテムを、単なる村娘にそなたなら貸し出せるか?」
「数千?!」
驚愕の叫びが兵士の口から思わずこぼれる。
マジックアイテムの金額が張るのは当然、兵士だって知っている。ただ、この詰め所に置かれたポーション系のアイテムは最高でも金貨150枚。比べるのが馬鹿みたいな金額の差だ。
冒険者であればそれだけのアイテムを持っているものもいるだろう。しかし、それでもかなり上位か、幸運に恵まれたもの、バックにそれだけのパトロンがいる場合に限られるだろう。
「つまりはそれだけのアイテムを渡しても惜しくは無い存在だということか、はたまたはそれだけしても守りたいと思われるような存在か」
「…………」
兵士は言葉無く、エンリの背中を捜し、都市を見る。無論、そこにはもはや姿はない。
「尾行させた方が良いでしょうか?」
「それは……われに聞く質問ではないな。そなたらが決めるべきだろう。ただ、怒らせない方がいいと思うぞ」
「ですか……」
その言葉を聞き、兵士は再びエンリの背中を捜す。無論、結果は先ほどと同じだ。
兵士はエンリの顔を思い出し、しっかりと心に刻み込んでおく。外に出ていくときは問題が無いだろうが、再びこの都市に来たとき、何かが起こるのではという予感を覚えながら。
◆
エンリはポクポクと馬車に揺られながら、通りを進んでいく。
エ・ランテルは大きく3つの区画に分かれている。その中央区画は都市に住む様々な者のための区画だ。街という名前を聞いて一般的に想像される映像こそ、この区画である。
その通りの一本のある店――村長に教えられた場所を目指しているのだ。
目的地。それはエ・ランテルでも最も知られた薬師兼ポーション職人である、リィジー・バレアレの家だ。
基本的に職人はギルドというものに所属するのが一般的ではある。これは仕事の奪い合いを避けるためや、物品の販売価格を調整するために組まれるものだ。しかしながら薬師の場合は、数が少ないためにギルドが作られることは少ない。
しかしエ・ランテルのように前線基地にもなる都市となると、薬師の数は通常の都市に比べて数が多くなる。その結果、薬師のギルドのようなものも出来上がるのだ。
エンリがリィジー・バレアレの家を目指すのも、薬師たちの小さなギルドの長のような仕事を行っており、ポーションや薬草の流通を管理している面があるからだ。
どこかの薬師と深い繋がりがあれば、別にリィジー・バレアレの元に行かなくても良いだろうが、カルネ村には残念ながらそういったコネが無い。そのため取れた薬草は、リィジー・バレアレの元に降ろすのが基本となっている。
やがて通りに奇怪な匂いが付き始める区画に差し掛かる。
僅かに軍馬がこの先に進むことを嫌がる気配を見せるが、エンリの手綱によって不承不承進みだす。
空気に付けられた匂いは何らかの薬品や潰した植物のもの。それはこの辺りが、薬師たちの並ぶ区画だということの証明だ。
エンリはそのまま左右をきょろきょろしながら、ゆっくりと進む。やがてこの区画でも最も大きな家の前で、馬車を止めた。
その家屋は周囲に並ぶものが、前に店舗を後ろに工房を、という感じで立てられたものに対し、工房に工房に工房という感じで建てられていた。
「ここ?」
僅かに不安げになりながらエンリは馬車を前に寄せると、御者台から降りる。
扉の横に文字が書かれているのだが、エンリは読むことが出来ない。そのため不安を感じながらも、数度ノックを繰り返す。
返事は無い。
再び数度のノック。
やはり返事は無い。
これで返答が無かったら、また時間を置いて来るしかない。エンリはそう判断し、再びノックを行う。
ドタドタと言う音が扉の向こうから聞こえた。そして勢いを込めて、ドアが開かれる。
「――あぁん?」
やたらとどすの効いた声と共に姿を見せたのは、潰した植物の汁が所々付着し、つーんとした匂いを放つ、ボロボロの作業着を着た女性だ。
伸びた赤い髪はぼさぼさに乱れ、顔を半分ほど隠してしまっている。その髪の隙間からどんよりと濁りきった目が見える。目の下には凄いクマがあった。
ぎょろっと半分以上すわった目が、エンリを確認しようと動く。
顔立ちは非常に整っている。だが、目つきがやたら険しいために、美人というより怖いという雰囲気が先に立ってしまう。いうなら血に飢えた肉食獣系の雰囲気をかもし出している。
さらにそんな外見であるために数歳は年齢を取っているようにも見えた。全てを差し引いて考えればエンリと同じぐらいか、もしくは若干上だろうという程度だ。
そんな彼女は口を開く。そこらもれ出た言葉に友好性というものは皆無だった。あるのは純度100%の敵意だ。
「あんた誰よ?」
「えっと――」
「今、すっげぇ、忙しいの。後にしてくれる?」
「あの――」
「あぁん? 話聞こえてなかったのか? あ?」
「あ、いや――」
「とっとと終わらせて、眠いんだよぉお! いま、何時間起きてるか聞きたいか、こらぁ! あ?」
「えっと――」
駄目だこれ。話を聞く気はまるで無い。
エンリはそう判断し、どこかで時間を潰そうかと頭の中で半分以上考える。
「それぐらいにしたら?」
家の中から別の人物の声が掛かる。男のものだ。
それを聞いた女性の雰囲気が一転する。正面で向かい合っているエンリからすればその変化は、目を見開くようだった。そう、まるで女が無数の化粧道具で顔を整えるような変化だった。
まず目が見開かれる。そして濁りきって光の無かった瞳に、キラキラと輝く星々が浮かんだ。死体を思わせる色だった肌には、頬を中心に薔薇色の光沢が浮かび上がる。
そこにいたのはエンリよりも年下かもと思わせる少女。それも美しいもの。
「あ!」
パタパタと乱れた髪を手で必死に整えつつ、少女は振り返る。
「いたんですね」
口調も完全に違う。さきほどの人物が幻だったようだ。特にバックに花が咲くような演出効果があってもいいような雰囲気が漂っている。
「うん。疲れてるのは分かるんだけどお客さんみたいだしね」
「そうですね。ちょっと、興奮しちゃいました」
てへっと少女が頭に軽く手を当てながら、中の男性に対して笑う。後ろでそのエンリが思わず、呆気に取られるほどの変化だ。
「入ってください。さぁ、どうぞどうぞ」
非常に友好的になった少女に肩を抱かれるようにして、エンリは家の中に連れ込まれそうになる。しかし、まだ入るわけには行かない。エンリは慌てて、少女の家に招こうとする力に抵抗する。
「――馬車に荷物が」
「荷物?」
ぴたりと力を止めると、少女はエンリの馬車に乗せられた荷物を確認する。
「あれは壷だけど、中に入っているのは薬草?」
「ええ。そうです」
「なら大丈夫。持って行かれても、うちが周りの職人に言えば買い取る人はいないから。その辺は商人も知ってるでしょうしね」
それって問題の解決になって無いような気がする。
エンリはそう思いながらも、再び肩に入りだした力に抵抗する気を無くし、家屋の中に入る。
室内は薄暗く、外の日差しの中を進んできたエンリの目では中を見通すことはできない。数回、瞬きを繰り替えしたエンリの視界に広がったのは、店舗という雰囲気ではない部屋構えだった。
さほど部屋自体は大きくは無い。
どちらかと言えば客と話すための応接間だろうか。部屋の中央には向かい合った長椅子が置かれ、壁沿いには書類らしきものが並んだ本棚が置かれている。部屋の隅には観葉植物が置かれていた。
そんな部屋の奥。そこには扉があり、そこから1人の男が姿を見せていた。平々凡々とした特別な魅力は感じさせない男だ。
ただ室内にはそれ以外に男はいないのだから、彼女の雰囲気が変わった相手は間違いなく彼だろう。室内だというのに、無骨なガントレットを填めている。どこかで見たようなガントレットだが、あまりそういった物を知らないエンリからすれば良くあるもののようにも見えた。
「フェイ。私が荷物を中に入れておこうか」
「え? 良いんですか?」
「構わないから。リィジーにはお世話になっているし」
「じゃぁ、お願いしちゃいますね」
微笑んだ少女――フェイに対し軽く頭を振ると、男は2人の横をすり抜け、外に出て行く。その後姿をフェイのキラキラとした目が追うように動いていた。
エンリは男の口調に違和感を感じていた。それは年齢や性別が一致しないような、奇怪な異物感のようなものだ。しかしながら男に対して何か行動を取る理由も無い。それに元々そういう口調であり、気にしているようだった場合、非常に厄介ごとになる。エンリは物を売りに来た立場、自分から不利益になるような行動を取るべきではないだろう。
そうエンリは判断し、商談を済ませるべく行動を開始した。
「あのー」
「ん? 何?」
いまだ男の後姿から視線を動かさずにフェイは尋ねる。
「薬草を売りに来たんですけど……」
「うん? あー、薬草ね。うん。あー」
初めてフェイはエンリに向き直り、考え込むように頭を傾げる。視線を動かした理由は扉の外へと消えていった男とも関係があるだろう。
「薬草……困ったなぁ」
エンリは眉を寄せる。もしかしてどこと大口の取引でもして、薬草が余っている状態なんだろうかと考えてだ。
「実は……」
「いいんじゃない?」
いつの間にか戻ったのか、両手に壷を軽々と持った男が口を開く。
「買ってあげれば? これから当分使うんだろうからね」
それだけ言うと壷を置き、再び出て行く。フェイは一瞬、奥の方に視線をやってから、一度だけ大きく頷いた。
「そうね。うん、確かに。まだその領域には到達できないしね。うん、えっとどなただっけ?」
「カルネ村のエンリと言います」
「ああ、カルネ村の人!」
フェイは微笑み、部屋の中央に置かれた長椅子に座るように指を指す。そして2人で向かい合って席に座る。
「えっと今回持ってきた貰ったものは何かしら?」
「ニュクリが4壷、アジーナが4壷、それとエリエリシュが6壷です」
「エリエリシュが6壷!」フェイが驚いたような声を上げる。「それは凄い……。よく集められたね。カルネ村の人なら品質は保障できるだろうし……全部あの壷のサイズでしょ?」
フェイの指差した先にあるのは男が持ってきた壷だ。既に6つまでに増えている。
「はい。そうです」
「なら……カルネ村の人だし……多少色をつけて金貨126枚、銀貨7枚ぐらいでどう?」
「ええ! それで構いません!」
エンリの前に提示された金額は今まで聞いたことも無いような額だ。いやアインズという偉大な魔法使いに提示されたものを除けばという意味でもあるが。
「なら、それでいいわね」
「はい。……ところであの人は恋人とかですか?」
「え?」
商談も終わったという安堵感から生じた好奇心に負けたエンリの質問に、フェイは一瞬だけ口ごもり、誰を指した言葉か理解し、顔を真っ赤にする。
「え? えへへへへ。そう見えちゃう? えへへへへ。お世辞言ってもこれ以上上乗せはしないからね。えへへへへ」
いやお世辞というより単なる疑問です。
そんな思いは口には出さない。流石にエンリといえども空気を読むことぐらいは出来る。いや、完全にでれでれに溶け切ったフェイを前にそんなことを口に出来る人間がいるはずが無い。
そしてエンリは内心安堵した。店の従業員ですかと聞かなくて。
フェイは顔をぐいっとエンリに近づけ、声を落とす。
「まだそこまでは行って無いけどね。思いっきり狙ってるんだ」
「そうなんですか……」
「確かにそんなに格好良くは無いよ。でも凄く強いの。こう、ぐぃっと助けられて……えへへへへ」
「そ、そうなんですか……」
エンリも少女として他人の恋話には興味がある。しかし、なんというかフェイの涎を垂らさんばかりの行動は少しばかり引くものがある。というよりも最初に出会ったときとは表情がまるで違うが、目の下のくまは健在だ。その所為もあって病人か狂人のようにも思える。
「……商談中、申し訳ないんだけど?」
「え?! あ、はひぃ!」
唐突に話しかけられ、脳天から突き抜けたような奇怪な声がフェイから上がる。男も、そしてエンリも目を一瞬だけ丸くした。しかし、その件には触れないように、無視するように話を続ける。
「……えっと壷は全部持ち込んだよ」
「あ、ありがとうございます!」
羞恥の赤に顔を染めながらフェイは答える。
「さっきも言った様に構わないよ、フェイ」
「あ、あのえっとほんと、凄い力ですよね。私、憧れちゃいます」
「……そう?」
フェイの言葉を聞き、一瞬だけ男は視線をガントレットを填めた手に送る。そして肩をすくめた。
「まぁいいや。リィジーも不眠不休で色々とやってるようだし、そろそろ2人とも休んだ方が良いんじゃない?」
「心配してくれてありがとうございます。この商談が終わったらおばあちゃんにもそう伝えます」
「……壷は買い取ることにしたのなら、薬草置き場まで運んでおくよ」
「お願いしてもいいんですか?」
「まぁね」
キラキラとした視線、キラキラとした表情で言葉を紡ぐフェイに対し、淡々と処理するように行動する男。
なんというか、全然脈がなさそうだな。
まるで対極な2人を見て生じた感想を、エンリは決して表情には出さないよう頑張る。
男の背中がドアから出て行くと、フェイは視線をエンリに戻して尋ねた。
「とりあえず、支払いは交金貨で大丈夫?」
「あ、構いません」
金貨での支払いになると非常に重くなるが、この際は仕方が無い。今回得た金貨の殆どの使い道は決まっている関係上、宝石でも問題は無いと思われるが、支払いは硬貨が基本だ。
「なら直ぐに持ってくるから」
フェイはそう言うと立ち上がった。なんとなく弾むような足取りだったのは、エンリの気のせいで無い。なぜなら、フェイは男を追うように、ドアから出て行こうとするのだから。しかし――
――突如、外との扉が無造作に開けられる。そして2人の女性が入ってきた。
「はーい」
舐めてくるようなヌルリとした、けだるい声。
そんな声を上げた女性を見たエンリの視線が、ある一点で釘付けになる。
その豊満な胸はまさに突き出すようだった。そしてそんな胸を充分にアピールする服は薄く、体の線がはっきりと見える。その体はまさにボンキュボンだ。
肩口より長い茶色の髪をソバージュにしている。目の若干垂れた顔だちは非常に温和でいて、整っている。20代中ごろの、綺麗に化粧をした女性が動くだびに香水の良い香りが漂ってきた。
「……なんの用よ、売女」
極寒の声がおどろおどろと響く。
「うわーひどいなー、ふぇいちゃん。えっと、かれにあいにきたんだ」
語尾にハートマークが浮かんでいた。いや、そんなものを幻視したエンリだ。フェイに至っては空中に飛んでいるものを叩き落すような手振りさえしている。
それからやたらと鋭い視線を向けた。
「彼は仕事が忙しいの。邪魔しないで帰れ。今なら性病に効く薬プレゼントしてやるから」
「……ひどいなぁ、フェイちゃん」
女性の口調はまるで変わらないもの、目の奥にゆっくりと奇妙な感情の色が浮かび上がっているのそばで見ているエンリにも分かった。
「え、何? この状況……」
「あのー」
一緒に入ってきていながら、今まで何も喋っていなかった女性が口を開く。
こちらの女性は同時に入ってきた女性とはまるで違う。
一言で言えば戦士だ。
年齢は20いくかいかないか。赤毛の髪を動きやすいぐらいの長さで乱雑に切っている。どう贔屓目に見ても切りそろえているわけではない。どちらかというなら鳥の巣だ。
顔立ちはさほど悪いわけではないが、目つきは鋭く、化粧っけはこれっぽちも感じられない。日差しに焼けた肌は健康的な小麦色に変わっている。
そんな女性がエンリにこっち来いと軽く手を振る。
「うん、巻き込まれないほうがいいよ」
「あ、はい」
小走りに駆け寄り、女戦士の横で振り返ってみると、フェイと女性のにらみ合う距離はだんだんと狭まる一方だ。
「師匠は店の奥?」
「あ、はい」
一瞬だけ師匠というのが誰か分からず困惑するエンリだが、即座にあの男性を指しているのだろうと判断し、答える。
「そっか、参ったなぁ」
「不味いんですか?」
「非常に不味い。あの2人は平手打ちとか、そんな可愛いことで終わらせないから」そして女戦士はエンリを見据え、呟く「マジで殴りあう」
「え……。ちょ、止めてくださいよ!」
「嫌だよ……2人とも下手に権力者とのコネがあるんだから。あの2人だから殴り合いで止まるんだから」
エンリと女戦士が怯えながら見ている間に、フェイと女性の距離は完全につまり、互いの額がゴリゴリとぶつかり合っていた。
「やるか」
「私はかまわないよ」
そして2人が拳を握り締めた瞬間――
――ガチャリと音を立てて男が入ってくる。
「だーりん!」
「ちょ……」
ハートマークを浮かべた女性が男に向かって小走りに走り出し、すかされたフェイが一瞬だけ踏鞴を踏む。
女性が飛びつき、強く体を押し付けているため、むにりと胸の形が大きく変わっている。
しかしそんな中にあって彼の表情に変化は無い。
「凄い……」
エンリも男というものがどういうものか多少は知っている。あれだけの攻撃を受けて、エンリの知っている人間で、平然とできる者はいないだろう。
まるで煩わしい同性に飛びつかれたような無表情さだ。
「もう、そんなくーるなところがす、き」
男の胸に指を当てると、そこに何か文字を書いている。
「何しにき――」
「――ちょ、離れなさいよ!」
フェイの怒鳴り声が響き、女に詰め寄る。そんな光景を見ながらエンリは女戦士とため息を付き合う。
「何んですか、これ?」
「いや、これが日常」
「苦労してるんですね」
「もう、めちゃくちゃ」
そして2人で再びため息を付き合うのだった。
◆
2日の時間を置いて、エンリの生まれ故郷であるカルネ村の壁が見えてきた。しっかりとした丸太が立ち並ぶ姿は鉄壁を思わせるものがあるが、エンリが見てきたエ・ランテルの城壁と見比べるとはるかに劣ってしまうのは仕方が無いことだ。
「いやーやっと見えてきましたね」
そうエンリに声をかける者がいた。それは馬車にのったゴブリンである。
今までいなかった筈のゴブリンがどうしてという疑問は簡単に答えられる。
エ・ランテルにまさかエンリだけで向かったわけではない。ゴブリンたちに守られながら向かったのだ。当然、エ・ランテルに入る前にゴブリンたちを降ろしてきたというわけである。
ただ、ゴブリンは全てではない。
エンリを警護して来たのはゴブリンが5体、そしてゴブリン・クレリックにゴブリン・ライダーが1体だ。
全員で守らなかった理由は新たにエンリの部下になった――なってしまったというべきか――オーガの存在だ。部下になってまだ時間がたってないため、忠誠心に疑問が残る。そのため完全に村の守りを空にすることは出来ない。そんなわけで警戒の意味を込めてゴブリンの大半を残してきたという寸法だ。
「そうですね。あと少しですね」
カルネ村の壁が見えてきたからといっても、ここは隠れる場所が殆ど無い草原地帯。距離的にはまだまだかなりある。
馬車はそのまま殆ど草に隠されつつある細い街道を、ゆっくりと進む。
それからどれだけ進んだろうか。エンリにゴブリンの緊迫感を持った声が届く。
「エンリの姐さん。向こうを見てください」
「え?」
隣に乗ったゴブリンの指差す方。そちらを見たエンリの視界に一台の幌馬車が見えた。草原の真っ只中を抜けるように走る馬車は、真っ黒な馬2頭に引かれている。エンリの記憶にまるで無い馬車だ。そしてその後方にはその馬車を守るかのように、4体の騎兵がいた。いや、あれは騎兵なのだろうか。
4色のそろぞれ違う色の馬――赤、白、青、黒。そしてその上に乗った者は全身をフードで隠し、その下は完全に見えない。目にすれば異様な雰囲気をかもし出しているにもかかわらず、その気配はやけに希薄だ。
「あれは一体……」
「……あの御者台に乗ってる女、どこかで見たことが無いですかね?」
エンリは目を細めて御者台に座る人物を見ようとする。しかしながら距離があるため、流石に完全に把握することは出来ない。
「……分からない……」
「そうっすか……ちと俺達は隠れています」
「あ、はい、お願いします」
無論、隠れるといっても隠れる場所なんて殆ど無い狭い荷馬車の中だ。村で使うための様々なもの――新しい布とかを積み上げた荷物の後ろに隠れるように移動するのが精一杯だ。ウルフに乗ったライダーは、すこしばかり離れると、走るのを止め、草原に伏せるような形で姿を隠す。
そんなこんなしている内に、その見慣れない馬車もエンリに気づいたのか、進む方向を微妙に変え、エンリの方へと進んできた。
僅かにエンリの胸が不安で高鳴る。だが、その不安も直ぐに消えていった。その馬車を操作する御者台に座った女性。その顔に見覚えがあったためだ。
「ルプスレギナさん!」
「ちっす。エンリさん」
並行するように走る馬車の御者台に座る女性――アインズのメイドであり、輝かしい美貌の持ち主だ。そんなエンリもよく知っているルプスレギナに、挨拶を送る。ちゃんとした街道とは言えないが、一応は街道を進むエンリの馬車に対し、草原を平然と進むルプスレギナの幌馬車。
二者の差は圧倒的だ。
その違いは引く馬の数であり、差だろう。
「……凄い馬ですね」
「? 確かにそうかも知れないっすね。アインズ様の保有されるアイアンホース・ゴーレムっすから」
アイアンホース・ゴーレム。
フルプレート・バーディング――馬用の全身金属鎧を纏った巨馬にも見えるそれは、エンリの村にいるストーンゴーレムと同じ種類の動く非生物だ。強固な肉体と装甲を持つため、敵のど真ん中に突っ込むことも出来る馬だが、戦闘能力自体はさほど高くない。
ゴーレムと聞いて、エンリの頭に浮かんだのはストーンゴーレムの力強さだ。それほどのものが2頭で引けば、それは確かに草原も容易く走破できるだろう。千切れ飛んだ草が車輪に絡みついたとしても。
エンリは馬と幌馬車から視線を動かす。その頃、後ろに隠れていたゴブリンが隠れる必要がなくなったと、エンリの横に戻ってきた。
「お久しぶりです、ルプスレギナさん」
「おお! ゴブリンさんじゃないっすか、ちわっす」
「エンリの姐さんに代わって聞きたいんですけど、今日はどうされたんですか?」
「姐さん……?」ちらりとルプスレギナの視線が動く。「ああ、エンリさんに頼まれたものを届けに、っすよ」
「もうですか?」
エンリは僅かに驚いた。その後で安堵の息を漏らす。早急に薬草を売りに行って正解だったと
「ええ、早い方がいいだろうと思ってっすよ。それにアインズ様も早急に届けておけといわれましたしね」
ニコリと満面の笑みを浮かべたルプスレギナに、エンリは眩しいものを見るように目を細める。いつも彼女は太陽のような明るい笑顔を浮かべているな、そんな思いがこみ上げてきたからだ。
まるで知人のような考えだが、これはアインズがゴーレムを連れてきたときのように、村に来るときは大抵ルプスレギナを側に控えさせていた。その結果、エンリともある程度の面識が出来たからだ。もはや知人といっても過言では無いだろ程度の付き合いはあるとエンリは自負している。
「じゃぁ、これから村にいかれるんですね」
「そうっすよ」
「じゃぁ、あの方達も一緒ですか?」
エンリの視線の先、それは少しばかり離れたところで追走するように走ってくる4色の馬に乗った4体の騎兵のことだ。
「ああ、彼らはこの辺で待機させるつもりっすよ」
「え? ルプスレギナさんの知り合いの方では無いんですか? 村まで一緒にこられても構いませんけど?」
「いや、まぁ知り合いというか……あれは護衛っすよ、護衛。アインズ様の生み出した直轄の護衛。私よりも強い奴らっす」
エンリはルプスレギナという人物がどれだけ強いのか知らないが、ゴブリンたちが全員でかかっても相手にならないと話しているのは知っている。それから考えると丘にいる4体の騎兵はどれほどの強さを持つのか。そしてそれを生み出す大魔法使いであるアインズはどれだけ強いというのか。
「あのデス・ナイトさんというのと同じぐらい強いんですか?」
一瞬だけ、ルプスレギナはきょとんとした顔をしてから、破顔する。
「そうっすね。それぐらいっすよ、きっと」
「ふーん、そうなんですか」
エンリからするとアインズという存在を除き、最も強く感じるデス・ナイトを比較対象として持ち出したのは当たり前のことだ。ルプスレギナがどの程度強いのかというのは全然エンリからすると想像もつかないことだし。
「で、さっきのあれですけど、冗談きついっすね。さすがにあんなの村まで連れて行ったら皆さんが怯えちゃうじゃないっすか」
「確かにそうかもしれないですね」
どうなんだろうと思いながらも、エンリは同意する。
村の人間はゴブリン、オーガとモンスターに見慣れた所為か、平然としてそうな気がしないでもない。しかし混乱する可能性の方が高いのは事実。無駄に混乱を生み出すことも無いだろう。わざわざ向こうから遠慮してくれているのだから。
「うんじゃ、まずは色々とお渡ししたいですし、村の中で目が付かなくどこか広い場所があったら教えて欲しいんですが?」
「家の中の方が良いんですか?」
「あー」ルプスレギナが立てた親指で幌馬車を示す。「魔法の武器とか鎧なら使用する人間にフィットする感じで形を変えるんですが、普通の鎧とかになると多少形を整える必要があるんっすよ。その鍛冶仕事をする奴が中にいましてね。あんまり村の人には見られたくは無いかなっと」
「そうなんですか……」
幌馬車の中は隠れて見えないが、どんな人物がいるのか、とエンリはごくりと唾を飲む。
「なら、おれたちの住居に来るといいと思いますぜ」
「ああ、そうですね。ゴブリンさんの住居なら充分広いですし」
「そうっすか? ならそこまで案内してくれるっすかね?」
「構いませんぜ。なら俺だけそっちに移りましょうか?」
「あー、飛びのるっすか?」
「……そいつは勘弁してください。そんな速度は出てませんが、落ちたら怪我は確実ですからね」
「まぁ、そうっすね。なら一端止めてもらってもいいっすかね、エンリさん」
「はい。分かりました」
村の人間に頼まれていたものを渡し、エンリがゴブリンたちの住居となっている家屋に到着したのが、ルプスレギナにおおよそ30分遅れてぐらいだった。
ゴブリンたちの住居はオーガたちを部下にしたことによってより大きく改築されており、この村でも最も大きな建物へと変わっていた。しかもオーガが暴れても良いようにと屈強に改築したために、家屋というより四角い箱を思わせた。
エンリは近づくと、オーガですら通れるように大きく作られたドアの左右で座っていたゴブリンが慌てて立ち上がる。
「エンリの姐さん! お帰りなさいませ!」
「お帰りなさいませ!」
かなり大きな声での挨拶に、エンリは言葉を返さずに頭を軽く下げる。
エンリは自らの顔が真っ赤に熱せられているが感じ取れていた。正直恥ずかしいからその挨拶はどうにかして欲しいのだが、ゴブリンもオーガも決して止めようとはしない。ゴブリン・リーダーに士気を保つために必要ですとか言われてしまえば、エンリとしても断る力が抜けてしまうというものだ。
「えっと、入れてもらえますか?」
「勿論です、姐さん!」
ゴブリンが力を入れて扉を開く。オーガが通れるサイズの扉であるために、そこそこの重量がある。エンリでも開けられるが、それは結構力を入れる仕事だ。
開いた扉から中に入る。
中は薄暗い。窓に当たる部分が完全に下ろされているために、明かりがまるで入ってこないためだ。ゴブリンやオーガは闇視を持っているためこの暗さでもまるで苦にはならないが、エンリからすると少々歩きづらい暗さだ。
「えっと……」
入った直ぐ横手を探ったエンリの手に小さな棒のようなものが当たる。目的の物を見つけたエンリはキーワードを唱えた。
「光れ」
闇を切り裂くような白い光が周囲に広がる。《コンティニュアル・ライト/永続光》が付与されたマジックアイテムである。
その光を捉え、走ってきた者たちがエンリの顔を見て、深々とお辞儀をした。
「お帰りなさいませ! 姐さん」
「お帰りなさいませ!」
「オカエリナサイマゼ、アネザン」
ゴブリン、オーガの声を受けつつ、軽く頭を下げるとエンリは問いかける。
「ルプスレギナさんはどっちに?」
「はい、案内します」
ゴブリンに案内されるように、広い室内歩く。
ゴブリンの家屋は大きく分けると3つ――中央部分と左右に別れている。片方がゴブリンの住居で、片方がオーガの住居だ。案内されたのは中央部分だ。そのある場所。最も大きいはずの場所に近づくに連れ、むっとした熱気が伝わってきた。本来であればそんなものが伝わってくるはずが無い。
「これは?」
「はい。ルプスレギナさんが連れてきた鍛冶師が鍛えなおしている熱気ですね」
耳をすませば確かに金属を叩く軽快な音が聞こえてくる。エンリがマジックアイテムの起動を解除している間に、ゴブリンが扉を開ける。そこからはさきほどを倍する熱気が流れ出し、エンリの顔を叩いた。
光が差し込む。
そこは言うなら中庭に当たる部分であり、ゴブリンやオーガが剣を振るったりするために使われる場所だ。村の中で剣を振るっても問題は無いのだが、余り喜ばれるものではないし、子供が寄ってくれば危険だ。そのためこういった場所で剣を振るっている。
そんな目的に使われるために、この家屋でも最も広い場所には、殆どのゴブリン、オーガたちが集まっていた。
「お前ら! 姐さんのお帰りだぞ! 声を合わせろ!」
ゴブリンリーダーの声にあわせ――
『お帰りなさいませ!』
無数のだみ声が調和され、騒音となってエンリの耳に届く。
「はい、ただいま」
ぺこりと頭を下げたエンリに、今度は綺麗な声が届いた。
「お待ちしてたっすよー、エンリの姐さん」
「止めてください、ルプスレギナさん……」
「アハハハ。いやー、似合うっすよ、エンリの姐さん」
似合うといわれ、一瞬だけ複雑な表情をエンリは浮かべるが、直ぐにルプスレギナの冗談だと判断し、すこしばかり不満げに頬を膨らませる。
そんなエンリの不満を金属が叩かれる音が吹き飛ばす。熱を放つそちらに視線をやったエンリは驚く。
そこにいたのは2体の金槌を持った燃え上がる生き物だ。全身は真紅の鱗に包まれており、炎が鱗の隙間から漏れ上がり、全身を完全に覆いつくしている。下半身は蛇であり、上半身はトカゲにも似た爬虫類だ。
そんな2体のモンスターが交互に胸当てを叩いている。時折、2体のモンスターが触ると徐々に胸当ては赤く染まりだし、その状態になると再び叩くという作業を繰り返している。
心奪われたように眺めるエンリに、説明するようにルプスレギナが声を発する。
「サラマンダーの鍛冶師っすよ」
ルプスレギナの話にあった鍛冶仕事を行うものというのが、あのモンスターかとエンリは感心半分で眺めていた。
「……とりあえずは約束のオーガ用鋼鉄製ブレストプレート5着と同じく鋼鉄製グレードソード5本。ゴブリン用の鋼鉄製高品質マチェット6本、鋼鉄製高品質チャインシャツ13着。用意したっすよ」
「ありがとうございます」
エンリは頭を下げると、持ってきた金貨を大量に詰め込んだ袋――5キロ以上はあるそれをルプスレギナに差し出す。
「アインズ様から貰った金貨に、私が稼いだ金貨を足してあります。お約束の金額は揃っていると思いますが、一応お確かめください」
「ほい、確かに」中身を一切確かめずに、ルプスレギナは肩から担ぐように背負う。そしてエンリの視線に含まれた感情に対し、笑みを見せる「中身の金額とか……ぶっちゃけ気にしなくても良いっすよ。アインズ様が渡した金貨さえ返してもらえればこっちは問題無しなんすから」
実際、ルプスレギナが持ってきた装備品を普通に買ったら、エンリの提示した金額では心許ない。かなり疲労した使い古しでも買えるかどうか微妙なラインだ。つまりこれだけの武装をエンリが受け取れるのは、ほぼアインズの好意だと言うことだ。
それであればエンリが仕事をする際に、アインズが渡した金貨200枚だけで全て終わらせてしまえばよいという考えも浮かぶかもしれない。しかしながらアインズはそこまで寛大ではない。自ら金貨を集めようとする気があるのか、それともこちらに寄りかかってくるだけの存在か。それが知りたかったという試しの部分もあったということだ。
「アインズ様はちゃんと金貨100枚を稼いでくるなら、武装を渡す価値はあるとおっしゃっていました。エンリさん。あなたはアインズ様の試しをクリアされたんですよ」
突如、口調の変わったルプスレギナに飲まれるようになりながらも、エンリはなんとか意思表示として頭を下げる。そんなおどおどとした小動物を思わせるエンリに優しく微笑み、ルプスレギナの雰囲気が再びいつものものへと戻る。
「うんじゃ、とりあえずわたしはこいつを馬車の方に置いてくるんで」
ルプスレギナが中庭を出て行くと――
「――エンリの姐さん」
神妙な顔でゴブリン・リーダーがエンリの前に立つ。その後ろにはゴブリン、そしてオーガたちが並んでいた。
「今回は俺達のために金を出してくれてありがとうございます!」
『ありがとうございます!』
一斉に調和の取れた声で感謝の言葉がエンリに投げかけられる。そして乱れぬ動きで頭を下げる。
「そんな気にしないでください」
慌てて、顔の前でパタパタと手を振るエンリに、ゴブリン・リーダーは深い感謝を込めて語る。
「何をおっしゃいますか。危険を承知で行った仕事で貰った金銭を全て支払ってまで、俺達に武装を整えさせてくれるとは……どれだけ感謝しても足りません」
「ほんと、気にしないでください。戦う皆さんの武装を整えるのは当たり前なんですから」
くぅっとゴブリンの幾人かが泣きそうな顔する。
そこまで感動しなくても、とエンリは思う。命を懸けて戦う人に最大限のバックアップをするのは当然だろう。逆にそうすることで最大の戦力を発揮してもらえば、村だって守られるということなのだから。
逆にそんなに感動されるとそちらの方が申し訳なくなる。
「姐さんの心は、しっかりと伝わりました。俺達全員、新たな武装でより優れた結果をお見せします!」
『お見せします!』
「あ……ははは、えっと……はい、期待してます……」
「そんな皆さんに、こんなおまけを持って来たっすよー」
「ル、ルプスレギナさん?!」
いつの間に戻ってきたのか。エンリの後ろにニンマリと笑ったルプスレギナが立っていた。
そしてどんと抜き身のグレートソードがつき立てられた。刀身には微かな白光が宿っていた。それは何かの光の反射しているのではなく、内部から輝いているようだった。
そしてエンリはそんな剣のことを物語で聞いて知っていた。
「……これはもしかして魔法の剣ですか?」
「そうみたいっすね。特別強いものではないっすけど、一応は魔法の剣っすね」
エンリの恐る恐るという質問に対し、ルプスレギナの返答は明瞭かつはっきりとしたもの。二者の価値観の基準がまるで違うことを明白にしている会話でもある。
そしてエンリはその答えを聞き、おどおどした。
「こんなのお支払いをするお金がないです……」
魔法の武器は最低レベルでも、通常の武器の数倍は値が張るもの。そんな容易く買えるものではない。
「ああ、気にする必要は無いっすから。この前……そこそこ前ですけど、色々とマジックアイテムを得る機会がありまして。……まぁ、外見はいじってますから安全っすよ」
最後のルプスレギナの言葉の意味が少々分からないのだが、つまりは只でくれると言う。
エンリは戸惑う。ここまでのものを只で貰う理由はないし、目的が理解できないからだ。只よりも高いものは無いということだ。
しかし……。
「ありがとうございます。アインズ様に宜しくお伝えください」
「はい。了解したっすよ。……しかし悪い意味じゃないっすけど、断るかと思っていたっすよ?」
確かにエンリとしても最初は断ろうかと考えた。しかし――
「魔法の武器じゃないと倒せないモンスターもいるって聞きますから。この恩はしっかりと覚えておいて、どこかで返せばいいかなと」
「ふむー。状況判断も的確……。どこで遠慮すべき場所かも理解できているか……」
「そ、そんなことは無いですよ。ほんと、たまたまですから!」
照れるエンリをルプスレギナは真剣な顔で眺め、それから誰にも聞こえないようなほど小さな声で呟いた。
「流石はアインズ様。人の評価も適切とは……。単なる小娘ではないと、こちらも多少評価を上げておく必要ありか」
■
草原に隠されるようになってしまった街道を、エ・ランテルの冒険者『旋風の斧』の一行は黙々と歩いていた。
見通しの良い場所にあっても、隊列をしっかりと組んで歩いているのはある意味、職業病にも似たところがあるのだろうか。冒険者の職業病としては、他には街中でもフル武装で歩いたり、宿屋でも装備を外さないという事が上げられる。
別段弁護するわけではないが、見通しが良い場所にあっても警戒を怠らないというのは正しい冒険者のあり方でもある。しかしながら遮蔽物の無い安全に思われる街道を、黙々と歩くのは常識的に考えると精神的に辛い。別におしゃべりをしろというのではない。でも警戒しながら進むのは何か間違っているだろうというのだ。
そして旋風の斧の一行の中でも先頭を進むレンジャーでもある、ルクルットも同じ考えを抱いていた。ルクルットは振り返り、後ろ向きに進みつつ仲間たちに話しかける。
「なぁ、何で一列で歩いているわけ?」
「……何でだろう?」
「……不思議だよね」
「……襲われるかもしれないからな」
ぴくりとルクルットの眉が動く。だが、冷静を保ちつつ――
「いや、ありえないって」
――軽く言うと、ルクルットは周囲を見渡す。広がるのは一面の草原だ。どこにもモンスターの影は無い。
「毎回思うんだけど街中でも隊列を組んで歩くのはおかしくね?」
「……襲われるかもしれないからな」
「わけねーだろ! どんだけ狙われてるんだよ! そりゃ上位になればそうかもしれないぜ? でも俺達大したことねーじゃんかよ!」
「警戒はいついかなるときでも……」
ドルイドであるダインがそう返答をしつつも、その顔には『なわけないよな』という表情が浮かんでいた。
「するべき時と、しない時ってあるだろうよ! いまどー考えてもしない時だろう?」
「いや、超遠方から飛来したドラゴンが、突如襲撃を仕掛けてくるかもしれませんよ?」
ルクルットに返事をしつつも、スペルキャスターであるニニャは肉体派ではない。そのためこんなところで余分な力を使いたくないという雰囲気が見え見えだった。
「そりゃどこの糞みたいな物語だ。常識で考えてそんなことがあるのかニニャ!」
「ありえませんね。エ・ランテル近郊にドラゴンがいたとされた話は聞きません」
「だろう?」
「だが……何をしながら歩く?」
チームリーダーであるファイター、ペテルの言葉にルクルットは僅かに黙り込む。単純に黙々と歩くのに疲れたから不満を言っただけで、その先までは特別考えてなかったからだ。
「そいつは……」
「そいつは?」
「そいつは?」
「そいつは?」
タイミングをずらしつつ、一斉に問いかける。
「世間話とかでいいじゃないか……」
「今日の天気は晴天ですね、とかですか?」
「暖かい日差しの中、歩いていると眠くなってしまいます。というのも良いかも知れんな」
「……お前達、俺を苛めてるのか?」
「そんなわけないさ、ルクルット。君は良い仲間だったよ」
「過去形かよ! つーか、俺が何をした!」
ふと静まり返る。その静寂に押されるようにルクルットは呻く。
「こいつ……」
「……個人的には悪い仕事とは思っていませんがね」
「報酬は低いがな」
その言葉にルクルットは今だ他の仲間たちが不満を抱いているということを知り、顔を引きつらせる。
「お前がこんな仕事を請けたんだろ?」
「いや、悪い仕事じゃないだろ? ちょっとカルネ村とか言うところの様子を見てきて欲しいって……」
尻つぼみに小さくなっていくルクルットの声に、他の仲間達は冷たい視線を送る。
「報酬は無いにも等しいけどな」
「なんでそんな仕事を引き受けたんだ?」
「水の神殿の司祭の1人に肉感的な美女がいるらしいですよ」
再び静まり返り、ルクルットを見つめる視線が冷たいという領域を通り越し、極寒というレベルにまで到達する。
「でもよぉ! 報酬は少ないが、恩を売ってると思えば悪くないだろ!」
「そいつは確かに」
「ですね。といっても恩を売るならもっと上位の神官の方が良いと思いますけど」
「……まぁ、しかしカルネ村の話を聞くのも悪くは無いとも思うけどな」
「流石はリーダー!」
ルクルットの歓声を無視し、ニニャとダインはペテルの話に頷く。
帝国の騎士がエ・ランテル近郊の村々を襲った。これはエ・ランテルに住むある程度鋭敏な人間であれば、誰でも知っている情報である。
しかし冒険者にもなればもう一歩踏み込んだ情報を手にするよう行動をする。帝国の騎士ではないのではという噂や、何者かがその襲っていた騎士たちを皆殺しにしたという噂を。
そしてその仮称帝国の騎士たちはカルネ村で壊滅したという情報だって入手している。その真実や、詳しい内容というのは値を付けることの出来る情報でもあるのだから。
「ついでの仕事だと思えば、大したあれでもないか」
「ですかね?」
「おっと、忘れるなよ? 一応はカルネ村の村長が出している人を募集しているという話の裏づけを取るんだからな」
ルクルットに冷たい視線を向け、ニニャとダインは重々しく頷く。
今回の神殿からルクルットが受けた依頼はカルネ村の新しい村人募集が正当なものか、どうかを見てきて欲しいということだ。
仮称帝国の騎士に襲われながらも、命がなんとか助かった近隣の村人。そんな幸運な者達がどうしたかというと、大半がエ・ランテルに逃げ込んできたのだ。
村というのは人間と似通ったところがある。そこに暮らす住人を人間で例えるところの、人体を構成する器官だといえば分かりやすいか。もし仮に重要器官を幾つも喪失したら、人間であれば死、村の場合は離散という結果だ。
そして村を捨てた人間は周辺の村に血族がいるならそちらに。いない場合は都市を頼ってくるのは当然の流れだ。
それで使われたのが神殿である。身寄りの無い子供や、生きていくすべを奪われた村人。本来であれば行政機関が受け入れるべき者たちを、神殿が代わりに受け入れているのだ。勿論、神殿で住居や新しい仕事を用意できるわけではない。一時的に受け入れて、神殿の仕事を手伝ってもらい、その間行政機関と協力して新しい仕事を見つけ出すという行動を取るのだ。
ちなみにこれはエ・ランテルのようなしっかりとした都市長がいる都市だから、そうやって動いてもらえるのだ。その都市を管理している貴族によっては、行政機関が全く動かないという事だってあるのだから。
ではカルネ村のような失ったことは失ったが、まだ村としての形を保てる村は、損なわれた部分をどうするのかというと、募集をかけることで村を再興させようとするのが一般的だ。
これは当然だ。
人が減った分、いろいろな面で問題が起こる。村というのは役割分担と助け合いの世界だ。人の数が減ったというのは全体的に層が薄くなったことであり、そこらかしこに穴が開いているのと同じ意味だ。
そのために早急に人を増やす必要がある。結婚し、出産しでは時間が掛かりすぎる。
確かに一番早いのは村の合併だろう。だが、これは非常に難しい問題を多く含む手段だ。
というのも起こりえる問題で最も大きいのは、派閥の争いである。村というのは1つの世界だ。それが合併したからといって直ぐに交じり合う可能性は低い。通常であればいろいろな面で互いを信頼するまでに、軋轢というものが生まれる。下手をすると合併したところで2つの力が村の中で生まれてしまうだけの結果に終わる可能性だってある。
しかも人数の減ったこの村では逆に吸収される可能性だってある。
だからこそ、募集。それも1家族、1家族を個別で募集するという方法を取るのだ。
旋風の斧のメンバーの仕事こそ、この募集が犯罪に触れたり非道な行いに繋がるものではないという確認だ。幾人もの人の人生を左右しかねない重要な仕事に関わらず、報酬の額が少ないのは確認といっても隠密裏に情報を収集するということではないからだ。
あくまでも村の様子を見、村長の話を聞く程度だ。一言で言ってしまえばお使いでしかない。最下位のFクラス冒険者程度の報酬の仕事を請け負うと聞けば、他の仲間たちが膨れるのも当然だろう。
しかし、そんな不満をいつまでも抱いているほど冒険者も暇ではない。
互いに不満を口に出し、ルクルットを苛めたことによって多少の不満が解消されたのだろう。先ほどよりはある程度雰囲気が良くなった状態で、一行はカルネ村を目指し歩く。
「はぁ……」
そんな中、ニニャが疲れたようなため息を漏らす。直ぐ後ろを歩いていたダインが、心配そうに声をかけた。
「休むか?」
「いえ、まだ大丈夫です」
「警戒をしてない分、移動速度が上がっているからな。ルクルット。カルネ村まではあとどれぐらいなんだ?」
「距離的にはもう少しだと思うぜ? あの先の丘を越えれば見えてきてもおかしくは無いな」
ルクルットの指差す先、ほんの100メートル先まで上る小高くなだらかな丘。ゴールが見えつつあるというのは信じられないほどの力を引き出す。
ニニャの足取りがしっかりとしたものなり、背筋に力が入る。
一行はその丘を登りきった。そしてそこで動きが止まる。
「何あれ?」
ニニャの呆然とした声が漏れた。いや、他の3人も呆気に取られたように、遠方に映る光景を眺めていた。
「あれは……」
「砦かよ……」
草原にこれ見よがしに存在感をアピールする壁。それはあまりにも見慣れない光景だ。
確かに村を取り囲む壁というのはいくらでも見てきた。だが、あれほど立派かつ頑丈なものは見たことが無い。砦にでも使われそうなしっかりとしたものだ。
「おいおい、どうするよ?」
ルクルットはあまりの異常事態に他のメンバーに尋ねる。
「単なる村だよなぁ……カルネ村って」
「薬草でそこそこ名が知れているそうだが……あれほどの壁を作れる村とは聞いたことが無い」
どういうことだよ。
全員の顔にそんな言葉がはっきりと浮かんでいた。
単なる村にあれほどの壁は作ることは絶対に不可能である。しかしながら目の前にはしっかりとした壁。そのあまりの異常事態に互いの顔をうかがい、納得の行く答えを誰かが口にしてくれることを祈る。しかし、そのまま数十秒という時間が流れても、誰も言葉を口にはしなかった。
そのためペテルは決定する。
「ちょっと隠れて考えてみよう。何か思うところを言ってみてくれ」
ペテルの指示に従い、旋風の斧のメンバーは丘の中腹までいったん戻って、姿を隠す。流石に草原というだだっ広い場所で堂々と相談するほど愚かではないからだ。
それから互いの顔を見合わせ、意見を言い合った。
「1! カルネ村はしっかりとした壁に守られた村だった!」
「……2。どこかの軍隊とかが進軍して壁を作った」
「3……。3…………無いな」
「……4。村人達が頑張って作った……実はこちら側だけしか壁が出来てない」
ぴたりと皆の動きが止まり、最後に発言したペテルに視線が集まる。
「それだ!」
「最も可能性が高いですね。もし全部壁で覆われていたら村人を募集するという話がうそ臭くなりますから」
「だな。張りぼてという線もあるか」
「じゃぁ、どうする?」
そこで一同は考え込む。
周囲は完全な草原。隠れる場所も無い。それは発見されるということでもあるが、こちらも様子を伺いやすいということでもある。ならば周囲をぐるっと回り込めば、壁が本当に張りぼてかどうか多少は判断が付く可能性だってあるということ。
全員の期待を込めた視線を受け、ニニャは答える。
「……建築学には自信がありませんよ?」
「不可視化に飛行といった魔法があればなぁ……」
「巻物で買っても良かったんですよ? かなりお金が飛びますが」
「俺達には遠いな……」
「無いものねだりをしても仕方が無いだろう。ルクルット。隠密裏に周辺を見て回ることは?」
「ほぼ不可能だな。大体俺じゃ、壁が張りぼてか、までは見抜くことは出来ないぜ?」
「全員で回るか?」
「……それはどうでしょう。先ほどの考えで2であればこの場は危険かもしれませんしね」
一同は考え込み、そして視線をリーダーのペテルの向ける。その視線の中に宿っているのは、結論を出して欲しいという懇願にも似たものだ。
ペテルは真剣に考え、1分ほどの時間を置いてからアイデアを口に出す。
「……村人がいないかちょっと周りを回って調べてみよう」
ペテルを除く3人は口々に同意の言葉を上げる。消極的だが、最も安全面を考慮した考えだと納得がいったからだ。
「ではぐるっと回るぞ?」
「ああ、ルクルット、警戒も頼む。一体どんな状況だか不明だからな」
「了解だ」
旋風の斧、4人からなる冒険者たちはカルネ村の周辺を大きく回るように、村の様子を伺う。
草原に聳え立つような村であるため周辺に身を隠せる場所が少なく、完全に姿を隠せてるとは言いがたいが、それでも出来る限り注意深く目立たないように移動を繰り返す。
非常に神経をすり減らす作業だが、こればかりは仕方が無いことだろう。もし村の中にいるのが敵対的な武装集団であった場合のことを考えて行動すべきなのだから。
やがてちょうど反対側に周り、大きな畑が幾つもあるのを確認する。
そしてその中に幾人かの働いている村人の影を発見した。
旋風の斧の一行は安堵のため息をついた。
とりあえずは村人がいるということは確認が取れたということだ。
そして村の様子を真剣に眺める。目的は帝国の兵士とかによって、村が占領されていないかという確認を取るためだ。
一行はしばらくの間真剣に観察を続けるが、村人が酷使されている者特有の、草臥れた雰囲気を感じ取ることは出来なかった。のんびりと畑仕事を行う姿は、牧歌的な農民の暮らしそのままだ。
「問題なしだな……」
「そうですね。別に何かされている気配も無いですし……。ただ、あの壁は恐らくですがしっかりとしたものです。決して張りぼてではないでしょう」
「ならよう、大森林が近いんだし、昔から警戒の意味であったんじゃないか?」
「そう考えるのが妥当か、ニニャ?」
「うーん、ちょっと新しいような気もするのですが……これだけ距離があっての観察ではこの辺が限界ですね」
「どうするよ、ペテル」
「……虎穴に入らずんば、虎子を得ず。行こう」
「了解した。どの程度警戒していく?」
ダインの発言にペテルは少し考え込むと、苦笑いを浮かべた。
「向こうに警戒されては厄介だ。のんびり気楽に行こう」
「そうですね。それが良いでしょう」
ニニャの同意を受け、ルクルットとダインも頷く。多少不安はあるが、変に警戒していって、向こうに敵意を抱かれる方が当然不味い。
旋風の斧のメンバーはここに喧嘩を売りに来たわけではなく、ちゃんとした仕事の一環で赴いたのだから。
ペテルを先頭に、一応は隊列を組んで村に向かって、殆ど使われてないのだろうなと思えるような細い道を歩き出す。
道の左右に広がる畑は麦によって青々と染め上げられ、時折流れる風が、優しく揺らす。そんな中を一行は歩く。まるで傍目から見れば水中に飛び込んだような、そんな世界だった。
「ん?」
2番目を歩くルクルットが奇妙な声を小さくあげ、畑の中をのぞく。収穫の時期が来て無くても、稈長70センチ以上の高さまで既に伸びている麦だ。当然、海のごとく中を見通すことは不可能だ。
「どうしました?」
直ぐ後ろを歩くニニャが怪訝そうに声をかける。
「ん? いや、気のせいかな?」
ルクルットは一度だけ首を傾げると、少しばかり開いたペテルとの間をつめようと、少しばかり歩く速度を速める。ニニャは一度だけ、ルクルットが見ていた方角を眺め、動くものがいないことを確認すると追いかけるように歩き出した。
ペテルは黙々と、だが、その顔には友好的に見えるような笑顔を浮かべつつ、村に近づく。
そんな中、ペテルを不思議そうに眺めている1人の少女と目が合う。畑の中、ペテルに最も近い――村から最も離れた畑で1人で立っている。
確かに可愛いが、凄く美人というほどではないという微妙な線の少女だ。どちらかといえば明るい――村では評判の、というような顔立ちといえばよいのだろうか、そんな少女だ。
質素な前掛けを土で汚したその姿は、今、畑仕事をしていた最中だというのを如実に語っていた。
「こんにちは」
ペテルは手を軽く上げ、友好的に声をかける。その際、ちょっとあれだが、左右の手を上げて振ることで、武器からは完全に手を離すという行為もとる。こちらには敵意はありませんよ、というアピールだ。
それに対し、少女は不思議そうに顔を傾け、耳に手を当てる。
ペテルは少しばかり眉を寄せてから、再び――先程よりも多少大きな声を上げた。
「こんにちは!」
やはり少女から返答は帰ってこない。その化粧けのまるで無い顔を多少強張らせながら、耳に手を当てるばかりだ。
「聞こえてないっぽいな」
「……耳が聞こえないのかもしれませんよ?」
「村から一番遠いという面倒な場所で畑仕事をしてるようだからな。そういうアレがあるかもしれん」
「村社会の厳しいところか……。劣るものは虐げられるという……」
「勘弁して欲しい話です」
ペテルの後ろから口々に仲間達が多少落とした声をかけてくる。
「なら通り過ぎるのが一番か?」
「かもしれませんね」
そう言い合っていると、少女はペテルにこっちに来るようにと手招きをする。ぶんぶんと犬が尻尾を振るような速度での手招きだ。
「どうする?」
「断るのも不味いだろうな。ほれ、見ろ」
ダインに指され、ペテルが注意深く周囲を見渡すと、村人達が作業の手を止め、ペテルたちを真剣に監視しているのがわかった。辺境の地では排他的な空気はさほど珍しいものではないと、ペテルたちも聞いたことぐらいはある。
つまりはそういうことなんだろうと、判断したのもそのためだ。
「今、彼女に冷たい行動を取ることはあんまりよろしいとは思えんぞ」
「全く。こっちの方が立場が強いはずなのに、なんでこんなことまで気をつかわんといけねぇのかね」
「仕方ないですよ。それに旋風の斧の名前を知ってもらうチャンスです。今後のことも考えるなら、友好的に話は進めるべきでしょうね」
「だな。仕方ない。ちょっと畑まで行ってくる」
3人にそういうと、ペテルは畑の中に足を踏み込む。
掻き分けるような感じで麦畑を進み、少女の近くまで寄ったところで、足に奇妙な負担が掛かる。そして小さく声が掛かった。
「おっと、そこまでですね、兄さん」
驚愕に身を浸し、慌ててペテルが声のしたところを見れば、そこには麦畑に身を隠すようにして、麦を全身に巻きつけた小さな生き物の姿があった。ほとんど麦で隠れて顔は見えないが、人間のものではない。
その生き物が持った刃物が、足を覆う鎧の稼動部分、そこに突きつけられている。それが原因でつっかえ棒のようになって足が止まったのだ。
「な!」
驚き、後ろの仲間達に警告の声を発するか。そうペテルは思案し――
「悪いんですがね、武装を解除してもらいましょうかね?」
別の場所から小さな声が上がった。そちらを視線だけ動かしてみると、顔を引きつらしている少女の足元にももう一体。いや、それだけではない。ペテルの背後にも身を潜めるように何かがいるのが気配で感じ取れた。
「少女を囮にするとは……な」
「……違いますぜ? 姐さん、自ら囮になってくれたんです」
言われている意味が分からなく、そのまま話を続けようとしたペテルに、生き物が声をかける。
「おっと、武器を捨ててくだせぇ。それを後ろの方々にも言ってもらえませんかね? 弓で射殺したりはしたくは無いんです。あんたがたが何者なのか不明なんでね」
ペテルは逡巡し、その生き物の言葉にまだ交渉の余地があることを感じ取る。
亜種族だろう存在に抵抗無く降伏するのは悔しいが、まるで状況の分からない中、敵対するのは危険だし愚かな行為だ。
「命の保障はあるのか?」
「勿論ですとも。降参してくれるなら、ですがね」
少しばかり迷い、だが、時間が無いことが分かっているペテルは即座に決定する。このままなし崩しで戦闘になった場合、非常に不利なのはペテルたち旋風の斧である。ならばすぐにでも他のメンバーに意志を伝える必要がある。
「皆! すまない。武装を解除して投降してくれ!」
ペテルはそれだけ言うと頭の上で両手を組む。その姿を見た旋風の斧のメンバーは一瞬迷う。何が起こったのか理解できず、そしてその理由を即座に理解して。ただ、仲間を見捨てる気はこれっぽちもないが、流石に即座に武装を解除しろといわれて頷けるわけが無い。
困惑を見て取れたのだろう。ガサリと音を立て、畑に2人の亜種族が立ち上がった。
「――ゴブリン」
ニニャの呟き。
立ち上がった亜種族。それはゴブリンといわれる良く知られているものである。それが矢を番え、鋭い眼光で狙いをつけている。
やるか。
そういう目でニニャ、ルクルット、ダインは互いの顔を伺う。ゴブリンは身長、体重、そして筋肉の付く量と人間よりも劣った肉体能力を持つ種族である。確かに闇視等を持ってるため、暗がりで襲われれば少しばかり厄介ではあるが、この日差しの下であれば、多少は冒険を繰り返した旋風の斧のメンバーからすればさほど恐ろしい相手ではない。
その程度の相手であれば、ペテルが人質に取られてはいるが、何とか助ける自信はある。
しかし即座に決断できない理由も同時にあった。
旋風の斧がよく相手にする、ゴブリンとは違う何かを感じるのも事実だったのだ。一言で言えば目の前のゴブリンたちからは、訓練されている者に特有の気配があるのだ。
茂みに身を潜めてのアンブッシュはゴブリンであれば珍しくは無い。しかしながら弓を構えたゴブリンの姿勢は、非常に堂の入ったもの。この前、モモンという都市で噂になりつつある人物と冒険したときのゴブリンのものとはまるで違う。
あれが棒を振り回す子供であれば、これは弓の扱いになれた戦士のものだ。
人間が訓練することで強くなるように、モンスターだって強くなる。亜種族であるゴブリンだって、それは当然の理だ。
つまりは目の前にいるゴブリンが、旋風の斧のメンバーが今まで戦ってきたゴブリンよりも遥かに強いということは充分考えられる。
そんな迷いが幸運を呼んだのか。畑を走る風が起こすものとは、異なった要因によって生まれた音を聞きつけ、ルクルットは慌てて視線を後ろに向ける。
「……へへ、ばれましたかね?」
そこには、畑から顔を出し、おどける様に舌を出すゴブリンがいた。こっそりを後ろに詰め寄ろうとしていたのだろうが、レンジャーであるルクルットを騙すほどの隠密能力は無かったようだ。
周囲を見渡せば麦畑のあちこちに何者かが潜んでいる動き。
「……囲まれてるか」
「降参ですね。どれだけいるか不明な状態ではいかんともしがたいです」
「……血路を開くとかどうよ」
仲間を信頼できるがゆえ――3人揃っているために決断しきることができない。本来であればリーダーの判断に即座に従う彼らが迷っていたのもそんな理由のためだ。
しかし彼ら3人の迷いを最後に打ち消したのは、村の門を開き、姿を見せた者たちによってだった。
「あれは……なんだと……?」
「オーガ!」
「いや、あれは一体……!」
姿を見せたのは旋風の斧のメンバーも良く知っているオーガである。だが、その身を包むのは金属鎧。そしてその手に収まった巨大なグレートソード。金属の光沢眩しいそれは、しっかりと磨き上げられたものだ。
恐らくは一級品のそれを纏ったオーガが5体。門から姿を見せ、そこそこの速さで3人に向かって進んでくる。一歩一歩の歩幅が広いため、異常な速度にも感じられた。
3人ではゴブリンも含めると、勝算はかなり低い。いやそれどころか無いかもしれないほどだ。焦りが動揺を生み、動揺が混乱へと変わる。しかしながら、いつまでの混乱しているわけにはいかない。
そう完全に理解できた3人は決断し、自らの頭の上で手を組んだ。
「――降参」
◆
「申し訳ありませんでした!」
『――した!』
それがエンリと名乗った少女の第一声である。そして付き従うゴブリンたちの詫びの言葉だ。
一斉に頭を下げるその姿は、そのしっかりとした規律を感じさせた。
ゴブリンやオーガといった亜種族は基本的に人間に敵対する場合が多いために、冒険者がよく狩る相手だ。不意を打って殺すことも多いため、このような態度を取られるとどうも気まずい思いが湧き上がる。
それにペテルもあまり強く出れない事実がある。
ペテルは目の前で頭を下げるゴブリンを見渡す。
スペルキャスターっぽいゴブリン、魔法の大剣を所持した屈強な戦士を感じさせるゴブリン。高品質の武装を整えたゴブリンたち。
自らが今まで考えていたゴブリンという存在が、どれだけ侮った考えの元に作られたイメージか。無知さを突きつけられたような、世界の広さを思い知らせるような、精鋭ゴブリンとも言うべき存在たちである。
ペテルたちは口に出さずに、全員が思っていた。
戦えば死んでいただろう。これほど強いゴブリンたちがいたとは、と。
「……ああ、まぁ、気にしないから頭を上げてください」
「まさか、私が村長に言われて出した募集の要項の調査にこられた方だったなんて」
「いや、仕方ないですよ。うん、色々とあったわけですし、警戒するのも当然ですしね」
ペテルは笑う。しかし見るものが見れば、その顔に微妙な暗さがあるのが分かっただろう。それは自分達が敗北をしたことに起因するものだ。それも手も足も出ずに言い様にあしらわれたというのがある。
冒険者は命を賭けて、夢を追い求めるもの。つまり、彼らの旅はいついかなるときでも命の危険があるものだ。
そのため敗北は死に繋がりかねない。今回のゴブリンとの遭遇は、命が救われる可能性が多少なりとも感じられるから降伏を選んだのだが、戦いを挑めば夢半ばに躯を晒したはずだ。
そう。ペテルは自らの力量に対する自信が揺らいでいた。
冒険者にとって、引退する理由の1つになる『死への恐怖』。話には聞いていても自分に降りかかってみないと分からないそれを、この瞬間、実感していたのだ。
しかしながら、それでも仕事をこなそうという意欲まで完全に失われたわけではない。ペテルは顔に笑みを無理に作ると、エンリに尋ねる。
「取り合えずはどうしましょうかね?」
場所は先ほどの麦畑。疑問や不審感が解けたというのなら、このままここにいるのもどうかと思われる。
「そうですね。とりあえず、村長に知らせてきます」
「はい、よろしくお願いします」
後ろを見せ走っていくエンリの後姿を見送りながら、先ほどとは少しばかり口調を変え、ゴブリンのボスのような魔法の剣を持った者にペテルは尋ねる。
「まさか常時こんな警戒を引いているのか?」
畑の中に隠れていたゴブリンのことを指した言葉に、ゴブリンは薄い笑いを浮かべた。
「まさか。あんたらが周囲を迂回しつつ動いているのが確認できましたので、こっちに村人の方々を集めて待っていたわけですよ。あんたらが何らかの行動にでようとした場合、村人がいればそちらに近づくでしょ? そんなわけで罠を張って待っていたというわけです」
「村人を餌に罠を仕掛けたということか」
確かに人質を取るにせよ、村人に近寄るのは当然だろう。もしそんなことをしないタイプの者であれば、周囲を迂回してどうのなんていう面倒な手はとらないだろうから。
ペテルの言葉に、ゴブリンが僅かに嫌な顔をする。
「それであの少女を餌にしようって考えたわけだ。上手い手だな。耳が遠い振りをして誰かを畑に招く。そりゃ畑だ。全員で踏み込むわけには行かないと判断するだろうからな」
舌打ちを付くような態度でルクルットがぼやく。それを聞き、ゴブリンのリーダーらしき大柄のものが牙をむき出しに、不満顔を作ると言った。
「おうおう、何か勘違いしてるみたいだな。俺達がエンリの姐さんを危ない目にあわせたいと思ってるとか考えてるのか?」
姐さん。
その言葉に旋風の斧のメンバーに違和感を感じさせながら、ゴブリン・リーダーは続ける。
「勘違いしないでほしんだがね。姐さんが自分が囮になった方がより上手くいくと言われて、どうしてもということで仕方なしにしたことなんだよ」
「確かに、あの少女であれば警戒も薄れたのも道理だが……」
「おいおい、信じてねぇな? ちと考えれば当たり前だろ。俺達が仕える人を餌にするもんかよ」
「は?」
「……何ですって? 今……」
「仕える?」
「何を驚いていやがるんだ? あの方、エンリさまこそ、俺達ゴブリンとオーガが仕える主人だぞ?」
旋風の斧のメンバーから決して小さくは無い驚きの声があがる。
「馬鹿な! あの娘は単なる村人だろ?」
歩運び、体のつくり。どれを見ても一般人だとしか思えなかった。そんな女性が旋風の斧では勝てないだろうと判断するゴブリン集団を支配しているというのか。
ありえないという思いが支配するのも当然だろう。いや、認めるわけにはいかない。
「分かりました! 交渉担当とかの顔ということですね?」
ニニャの言葉に、ゴブリンリーダーは牙をむき出しに笑う。
「そんなわけねぇだろ。俺達はあの姐さんが心の底から本気で死ねといわれたら、死ぬのが当然だ。そう考えてるんだぜ?」
そのゴブリン・リーダーの言葉に嘘はこれっぽちも感じ取れなかった。上辺だけの薄っぺらい言葉とは違う、重みを感じさせたのだ。
絶句し、言葉を続けられない旋風の斧のメンバーに。ゴブリン・リーダーはさらに続ける。
「大体、姐さんが俺達の武装を強化したんだぞ? ほれオーガの鎧や武器。ゴブリンの武器などもな。そんな人が顔ですむ訳無いだろうが」
オーガやゴブリンのしっかりとした鎧は下手すると、旋風の斧のメンバーが持つものよりも優れたもののようにも見えた。ならば、それはエンリという少女がそれだけの物を集めるだけの何かを持つということに他ならない。
そして駄目押しがゴブリン・リーダーの口から投じられる。
「ちなみにこの魔法のグレートソードはエンリの姐さんを重要視している方からのプレゼントみたいなもんだぞ?」
「馬鹿な……」
「凄い魔力ではないでしょうけど……プレゼントって……」
オカシイだろ。
旋風の斧の誰もがそう思い、言葉にすることは出来ない。
魔法の剣は高額である。最も弱いものでも、彼らのようなまだまだランクの低い冒険者であれば、今までの冒険で得た全部の報酬を全員分纏めれば買えるだろうという手の届かないレベルのものだ。
つまりはそれほどの物を容易く貰うだけの価値、もしくはコネクションを持つ。あのエンリという少女は何者なのか。そんな思いが彼らの頭を支配する中――
「お待たせしました!」
「ひぃ!」
「うぉ!」
「うわ!」
「おぉ!」
「……どうかしましたか?」
心臓が口から飛び出したような、そんな驚きの表情を浮かべたペテルたちに、戻ってきたエンリが尋ねる。すこしばかり息の切れたエンリをしげしげと眺める一同。
「……どうかしましたか?」
「いえ、そんなこと無いです!」
「全くです。さぁ行きましょう」
「そうですね。ここでこれ以上話す理由も無いでしょうし」
「その通りですな」
全員の口調が変化していた。最も変わっているのはルクルットか。
そんな4人を不思議そうにエンリは眺め、自分では良く分からないと判断したのか、それとももっと先にやらなくてはならないことを思い出したのか。4人を村へと案内する。
■
検問所で兵士はぼんやりと外を眺めていた。
今日もこの時間にもなるとやはり人の出入りが少なくなる。そうなるとやはり暇を持て余してしまうのだ。
幾つかのくだらない話を他の兵士としていると、1人の兵士が思い出したように口を開いた。
「そうそう、つい最近の話なんだが……聞いたか? カルネ村には傭兵団が在中しているらしい」
「カルネ村?」
兵士は聞いた名だと思い出し、直ぐに思い出す。
数日前にあれほど印象付けられた少女が来た村の名前を忘れるはずが無い。そんな物思いにふけっていた兵士を見て、興味が無いために上の空だとと勘違いしたのか、仲間はさらに話を続ける。
「なんでも冒険者がカルネ村に行ったら、亜種族によって構成された傭兵団がいて、それを指揮しているのがその少女だという話だ」
「亜種族?」
「ああ、なんでもオーガやゴブリンによる傭兵を指揮しているらしい」
「オーガやゴブリン?」
兵士は驚き、仲間の顔を見る。
「な、驚きだろ? あんな知性の低い奴らを部下にするなんて」
正気でも無いと言わんばかりの仲間に、傍で話を聞いていたのだろう部屋にいた別の兵士が口を挟んだ。
「甘いって」
「何がだよ?」
「ゴブリンやオーガは確かに頭は悪いぜ? 奴らにとっての判断基準は自分達より強いか弱いかだ。でもあいつらは強いぜ?」
「そりゃそうだろ?」
オーガは人間を超えた体躯の存在だ。人間とでは基本的な能力が違いすぎる。よほど剣の訓練をしたものでなければ、一対一での勝利はおぼつかないだろう。
「おいおい」仲間の簡単な答えに兵士は苦笑いを浮かべ、より細かい説明を行うこととする。「なら、逆に自分が圧倒的に強かったら、優秀な兵にもなりかねないって事だぜ? オーガ1匹でも俺達何人分の強さだよ」
最初に話しかけてきた兵士が驚きの表情を浮かべる。
「そうか。そりゃそうだよな。オーガとか普通の人間よりも強いものなぁ。ゴブリンは微妙だが……」
「甘めぇなぁ……」もう1人の兵士が指を左右に振る。「ゴブリンだってピンキリらしいぜ? ものによっちゃ魔法を使える者だっているし……ほれ、聞いたことあるだろ? ゴブリン王の伝説とか」
「ああ!」
兵士は素っ頓狂かつ荒唐無稽であるがゆえに人気のある物語を思い出し、納得の声を上げた。
物語に出てくるゴブリン王はドラゴンと一騎打ちを行い、容易く勝利を収めたとか、そのドラゴンに乗ってより強大な存在に戦いを挑んだとか、人間の姫との間に子供をもうけたとかという無茶苦茶な存在だ。
まさに物語であり、その持つ武器もまた物語に相応しいもの。巨大なトネリコより削りだしたという一本の枝である。
「……でもあれって物語だろ?」
「いや、まぁそうだけど。昔聞いたことがあるんだよ。強いゴブリンだっているってな。そりゃあのゴブリンの王様のような強さはねぇだろうけどな。あんまり下に見ると痛い目を見るぜ。だいたいホブゴブリンという存在だっているじゃねぇか」
「そっか。そうだな。外見で判断すると痛い目をみせられるのが、おれたちの職場だしな」兵士は頷き、眉を顰める。「じゃぁその女は馬鹿と判断するんじゃなく、どれぐらいかは不明だがゴブリンとオーガを支配できるほどの……力を持っていると判断すべきということか」
「そうだぜ。しかも単純に考えて、オーガ数匹を支配できるんだろ? よほどの力があると思った方が良いだろうな」
初めて単なる愚かな女から、オーガやゴブリンを支配するだけの力を持った存在と認識、兵士は恐れを込めた声で尋ねる。
「何もんだよ、その女。どんだけ強いんだよ」
「オーガやゴブリンを支配するとなると、冒険者で現すと……Aとかか? Bでも出来るのかねぇ? その辺は良くわからんな」
色々と考えを言い合う仲間達から思いをそらし、兵士は自らの考えに没頭する。浮かんでいる人物は、あの時出合った少女だ。
エンリ。
恐らくはあの少女こそオーガやゴブリンを支配している女性だろう。いや、他にもいるという可能性はあるが、非常に低いと断言しても間違いではないと思われた。
力は単純に支配力を発揮するものだ。特に頭の悪い、力を主と考えるもの達には。
つまりはオーガやゴブリンを支配するということは、エンリがそれだけの力を持っているということの証明でもあるということだ。
「血塗れのエンリか……」
無論、これは彼の頭の中の妄想にしか過ぎない。
初めて会ったときに血にまみれたような生き方をしてきたかもしれない、そんな妄想を抱いたのを思い出しただけだ。
そう、そんな妄想を小さな言葉で漏らしただけのことにしか過ぎなかったのだ。
――この瞬間までは。
そんな彼の言葉をさりげなく聞く者がいなければ。
非常に心が篭ったような呟きに、真実味を感じ取る者がいなければ。
そんなことにはならなかっただろう。
――カルネ村には傭兵団がいる。
――その団長は血塗れのエンリというらしい。
――オーガやゴブリンを使役している。
エ・ランテルはある意味前線基地にもなりかねない都市である。そのため、普通の都市とは話題の興味対象が違う毛色が強い。特に傭兵団とか強者の情報は権力者が故意的に止めようとしなかった場合、非常に流れやすい面を持つ。
カルネ村に突如現れた謎の傭兵団の団長の話題は、一気に燃え上がるように知られ始めた。
そしてこの者の元に情報が届く頃には――
「……知っているか? カルネ村には『血塗れ』エンリという傭兵団長がいるらしい」
プヒーという感じで鼻から激しく息を吐き出し、エ・ランテル都市長であるパナソレイ・グルーゼ・ヴァウナー・レッテンマイアは前に座ったギルド長であるプルトンに尋ねる。
「ええ、知っております」
『血塗れ』のエンリ。
伝え聞く話ではゴブリンやオーガからなる傭兵団を指揮し、現在カルネ村に滞在している人物だ。出身がカルネ村であるという記録自体はあるものの、本当に同一人物かは確証は取れていない。
いや、エンリという人物の記録はあるが、『血塗れ』のエンリという人物の記録は無いというのが正解か。
「それで? 裏は取れたのか?」
「いえ」
プルトンは顔を左右に振った。パナソレイより命じられ、秘密裏に裏を取ったがまるで情報が入らなかったのだ。
「そんなことがあるのか? 傭兵団を指揮しながら、他の傭兵達に知られないということなぞ?」
パナソレイがプヒーと激しく鼻息を噴く。
そう。プルトンに命じたのは、傭兵としての『血塗れ』のエンリという人物の記録を探させたのだ。人間では無くオーガやゴブリンという亜種族を団員にする傭兵団であれば、人間が主となっている王国や帝国では非常に目立つ。そのため簡単に情報は集まるだろうと思われたのだが、実際はまるで正反対という結果に終わった。
まるで空気から生まれたかのように、突如として『血塗れ』のエンリと指揮する傭兵団が浮かび上がってきたのだ。それほど構成が目立つ傭兵団でありながら、過去を残さないなんて行いが可能だというのか。
「分かりませんが……もし隠していたとするなら、かなり強大な権力の持ち主が裏にいる場合かと」
「……帝国と『血塗れ』に繋がりがあるという線が浮かぶということか? いや、帝国よりはアーグランド評議国か。法国は絶対に無いだろうし、ローブル王国も考えられないか」
亜種族の国である評議国であれば、ゴブリンやオーガの傭兵はパナソレイも伝え聞いたことがある。
「……あとは最近結成したという可能性もあります。この頃、理由は不明ですが、大森林からモンスターが外に出てくるという事件が起こってるようです。その関係でゴブリンやオーガが部下になったという可能性も無いわけでないかと」
パナソレイは黙ってプルトンの説明を聞いてから、重々しく1つの質問を口にした。
「プルトン……魔法使いが亜種族を支配するのは珍しいことか?」
「おっしゃられている意味が分かりかねるので、ちゃんとしたお答えになるかは自信がありませんが……邪悪な魔法使いが自らの周囲を守らせるために、部下にする場合があります。ご存知のようにゴブリンやオーガといった亜種族は強いものに従う傾向がありますから」
プヒーっとパナソレイは荒く鼻息を吹くと、我が意を得たりと大きく頷く。
「ならば話は早い。思い出して欲しいのは帝国……いや法国だろうが、その工作員が村を荒らしまわっていた件だ」
その短い話からパナソレイが言いたいことを読み取ろうとし、やがてプルトンの顔に理解の色が浮かぶ。
強大な魔法使い、アインズ・ウール・ゴウン。恐らくは帝国主席魔法使いに匹敵するのでは、そう考えられる存在。それほどの大魔法使いが、何故、カルネ村を救いに行ったのか正直不明だった。
パナソレイもプルトンも、アインズという大魔法使いが善意で行動する心優しき者と考えるほど、純粋無垢な人間ではない。そのため何故なのかということは色々と調査していた件でもある。だが、ここで繋がる糸が出てきたのではないかとパナソレイは言っているのだ。
「……かの大魔法使いが『血塗れ』にオーガやゴブリンの部下を与えた?」
「可能性は高かろう。騎士のようなモンスターを使役していたという情報があったのだからな」
「ガゼフ様の話ですね……」
プルトンは大きく頷く。最もありえそうだと考えて。
「つまりはかの強大な魔法使いがカルネ村を救いにいったのは『血塗れ』を助けに行った……。いや、『血塗れ』に直接力を行使させるのを避けるため?」
「もし直接力を行使したのなら、なんのかんの理由をつけてエ・ランテルまでつれて来れたからな。そしてアインズは『血塗れ』にオーガやゴブリンの部下を渡した」
「……矛盾がありませんね。ただそうなると『血塗れ』が単なるアインズの関係者で終わるのか、それとももっと別の意味を持っている人物なのか……。結局、何者かという問題がでてきますが……」
「……カーミラの件といい、『血塗れ』といい頭の痛いことばかりだ」
パナソレイの搾り出すような声に、プルトンはしみじみと同感する。
「全くです。あまりにも情報が足りていません」
「ほんと……厄介だな」
プヒーとパナソレイの鼻から、草臥れた息が漏れる。
「冒険者を動かして情報を集めますか?」
パナソレイの瞳がプルトンを映し出し、そして左右に揺れる。しばらくの時間が経過し、パナソレイが口を開いた。
「……いや止めておこう。どうにせよ、後ろに化け物ごとき魔法使いであるアインズ・ウール・ゴウンがいる可能性は非常に高い。藪を突いてドラゴンを出す必要もなかろう」
「では、放置しますか」
「それもなぁ……」
パナソレイが頭を抱え込んだ。
当たり前だ。名前を偽っていた場合の本当の目的や、アインズ・ウール・ゴウンとの関係。あまりにも情報が足りていないのだから。
このエ・ランテルのように戦場になりかねない都市を預かる者として、ある程度の戦力となるものの情報はしっかりと入手しておかなくてはならない。最低でもアインズという人物となんらかの関係があるほどなのだから、それなりの腕は立つのだろうと思われる程度だ。
「しかし……『血塗れ』のエンリの話……突如沸きすぎだな」
「はい」プルトンは頷く。「……情報の出所を追いかけるとすると、結構大きく動くことになってしまいますので、止めておきましたが、他の都市ではその名前を聞いたことはないようです」
「調査を打ち切ったのは、正解だ。しかし……何故、エ・ランテルでのみ聞かれているんだ? ……どう考えても理解できん。何が目的なんだ? 『血塗れ』なんていう人物の名を広めることになんの理由がある? 我々と敵対する意志はないと思っていたのだが……まるで予想も付かん」
パナソレイは大きくため息をつく。
これほど情報を不足しているということが、全然相手の行動を読めなくするとは思ってもいなかったと。
「モモンを使ってみますか?」
「……そりゃ……いいかもしれん」
2人の脳裏に浮かんだのは、『血塗れ』に匹敵するほどの未知の力を持った冒険者だ。いや完全に未知の『血塗れ』と比べるなら、ある程度はその力は分かっている。その信じられないような力は。
魔法を完全に無効化するスケリトル・ドラゴンを剣の腕だけで退治し、第3位階魔法を使いこなす、まさに魔法剣士。恐らくはエ・ランテルにいるどんな者よりも単騎では強いと断言できる冒険者だ。
さらにはアーティファクト級のアイテムを持ち、桁外れの吸血鬼――カーミラと戦うことが出来ると豪語する人物。下手すると13英雄に並ぶかもしれないだけの、量外の力を持つだろうと推測が立つ人物。
内に取り込もうとしているが、上手く行かない相手でもある。
後ろにはアインズ・ウール・ゴウンという想像を絶する魔法使いがいることも考えれば、下手な行動を取るよりは正解かもしれない。特にモモンに依頼することで、間接的にその後ろの存在の動きを確かめるというのは悪い考えではないだろう。
「しかしどうやって動かすか」
「普通に仕事を依頼してみては?」
「そうだな……」
腫れ物に触るようなパナソレイの逡巡を見、仕方が無いとプルトンは頷く。
金に興味は無く、女にも興味の無かった男だ。どうやれば上手く、相手に不快感を抱かせないように動かすことができるかと考えているのだろう。『血塗れ』とモモンがアインズという糸でしっかりと繋がっていた場合――ほぼ確定だろうが――裏を取ろうという嗅ぎまわる行為がどのような結果になるか。
モモン、そしてその背後のアインズ。
たった2人の人間を、権力者であり、充分な力を持つ都市長パナソレイが警戒するというのも可笑しな話だが、警戒するだけの価値はある人物達だ。
今回はそれに加えて『血塗れ』という人物が現れることとなったのだが。
「もう、勘弁してほしいものだ……」
パナソレイの呟いたその言葉。
もし今の自分の現状を知っていたら、カルネ村の少女も同じ叫びを上げていただろう。
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※ おかしい……外伝は短くとか思っていたのに、84.5k。……もう短い話がかけないよ……なんでだろう?
えっと、あるキャラの立場が微妙に変化していたり、謎の新キャラが出てますが、そのうちこうなった理由とか分かると思います。時間軸的には王都の後になりますので。
うーん、推敲が練れてないなぁ。まぁ、うん。