私とロッテは、夜になるまでの時間を潰すため、ベリータルトを売っていた露店に戻っていた。
前回と違って、私達の前にあるのは一杯8ドニエの安紅茶だけであったが。
流石に一皿6スゥもするベリータルトなど食べていられる身分ではない。
「まったく、あやつは何様のつもりなんじゃ!あぁ、思いだすだけで腹が立つ!」
ロッテはそうやって悪態をつくと、手に持ったティーカップを乱暴にテーブルへと叩きつけた。
先程からこれで何度目だろう。数えておけば良かったかな。
ロッテはカシミールの態度がよほど気に喰わなかったらしく、あれからずっと腹を立てているようだ。
「ちょっとあんた!ソレ割ったら弁償してもらうからね」
「う、すまん……」
露店の主人であり、放っておけば割られてしまいそうなカップの持ち主でもあるオバちゃんは、声を荒げてロッテを注意する。
「大体、お主も悪い!なぜもっと怒らんのじゃ!さっきからだんまりを決めおって。妾だけ怒っていたら馬鹿みたいではないか」
ロッテは収まりきらない怒りの矛先を私に向けたようだ。
はぁ、やれやれ……。
私だって怒りを感じていないわけではないんだけどね。わざわざフェルクリンゲンから紹介状を貰ってやってきたのに門前払いされそうになったし……。
ただ、私とロッテでは怒り方が違うのだ。私は苛々すると無口になるタイプなのである。
「しかし、なんだってそんなに荒れているんだい」
「む、聞いてくれるか?実はのぅ……」
ロッテはよくぞ聞いてくれましたとばかりに、オバちゃんに事のあらましを大まかに説明した。
幾分、脚色はしてあったが。「妾を無視するなんて、不能に違いない」とか……。
「なるほどねぇ。でも試験をしてくれるってだけでも、カシミールさんはかなり譲歩したんじゃないかと思うけどね」
「どこが譲歩しとるんじゃ!」「どこらへんが譲歩してるんですか?」
カブった。
普通なら身内からの紹介状があれば、それだけで採用決定のはずなのだ。
むしろこちらが譲歩しているではないか。
「確かに商人ってものは、平民の中では一番夢が見られる職業かもしれない。でもその数は少ない。何故だか分かるかい?」
私は唐突に振られたその問いに答えられなかった。ロッテも首を傾げている。
そういえば、農民から商人になったなんてあまり聞いたことがない……。
血気盛んな若者であれば、出世を夢見て農村を飛び出す事だって多いだろうに。
「分からないようだね。答えは簡単さ。一人前の商人を育てるには金がかかるからだよ」
「どういう事ですか?」
「商人っていうのは、一部では貴族様並みに教育熱心なんだよ。子供には無理をしてでも私塾に何年も通わせて、それを学び終えた時に初めて見習いとして使われるのさ。だからその教育ができていない人間は商人にはなれないんだよ」
「でも、それは働きながらでも……」
「見習いといっても、一人の商人。確かに下働きで学ぶことは多いよ?でも最低限の事ができていないのに、働かせてもらおうなんて甘すぎるんじゃないのかい?」
「う……」
あまりの正論に言葉に詰まる。
今の私の状況は、喩えるなら大卒以上を要求している求人に中学生が応募しているようなものなのかもしれない。
「確かに、普通なら門前払いされて当然なのかもしれないわね……」
私はそう言って、はぁ、と溜息をついて項垂れる。
怒りで上がっていた熱は冷め、私の気分は一気に氷点下まで下降してしまった。
「たわけ、落ち込んでいる場合か」
「いだっ」
ロッテはお葬式のように沈んでいた私の頭をポカリと拳骨で叩く。
「何すんのよ!」
「商人共の事情はどうあれ、お主が成り上がるには商人になるしかないんじゃろう?」
ロッテはやや厳しい口調で私に問う。
「……そうね。落ち込んでいる場合じゃなかったわね。今は試験の事に集中しなきゃ」
「わかれば良いのじゃ」
少し気恥ずかしそうにそっぽを向いていうロッテ。他人を励ますのにはなれていないらしい。
「あんた達、何やら訳ありみたいだねぇ。そろそろ店じまいだし、私で良ければ相談に乗るよ?ま、あたしはただの売り子だし、ウチはカシミールさんの所みたいな大きな商店じゃないけどさ」
私達の会話を聞いていたオバちゃんは心配顔でそんな提案をする。
建前かもしれないけれど、かなり、いや凄くイイ人かも。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫です。試験なんて軽くパスしてみせますよ」
私は右腕に力こぶをつくってオバちゃんの提案を辞退した。
「くふふ、言い切りおったな?これは落ちた時が見物じゃなぁ」
ロッテは意地悪くそんな事を言う。全く、受験生に「落ちる、滑る」は禁句だっての。
「相談に乗ってもらえるなら、私よりも姉の仕事を紹介してもらえると助かります。手がかかる姉なので」
「何じゃと?」
私がそう言ってやり返すと、ロッテは心外だ、というように頬を膨らませる。
「ははは、そうかい。まぁ、農民から商人になった人間がいない訳じゃないさ。あんたに才覚があれば、カシミールさんだって認めてくれるはずだ」
「ありがとう。では私はそろそろ行きますね」
辺りはもうすっかり暗くなり、道端の露店もすでに後片付けに入っている店が多くなってきている。
カシミール商店も店じまいの時間だろう。
「おい、妾はどうすれば……」
席から立ち上がろうとした私に、ロッテは不安げな顔でそう尋ねる。
「私の方は、どれくらい時間が掛かるのか分からないし、明日までは別行動ね」
「ふむ、そうか。では折角だし、街の見物でもしようかの」
ロッテは遊ぶ気満々らしい。いや、仕事を探してくれ、ほんとに。
「姉さんの方は私に任しときな。何、これだけ器量良しなら仕事はすぐに見つかるさ」
オバちゃんはそう言って、早速遊びに出ようとしたロッテの肩をがっちりと抑える。
いや、ほんと助かります。
「それでは姉の事はおまかせしますね」
嫌じゃ嫌じゃと喚くロッテを無視してオバちゃんに礼を言うと、私は一路、試験会場へ向かうのだった。
*
商店に着くと、丁度カシミールが自ら正門を閉めている所だった。
「こんばんは。試験を受けさせてもらいに来ました。もう店じまいですよね?」
「来たのか……」
カシミールは面倒臭そうな顔をして言う。
やはりあまり歓迎はされていないようだ。
「ま、とりあえず入れや」
私はその言葉に従って、正面から商店の中へと足を踏み入れた。
「おぉ……」
壮観。
思わず私は立ち止まって辺りを見回す。
入ってすぐの1階の倉庫には、毛皮、リネン、家具、家庭用品、穀物袋、塩、食料品、羊毛、中身が分からない壺や瓶、謎の石ころなどが、大量に、だが整然と並べられていた。
入荷したばかりなのか、毛皮だけは整頓されておらず、乱雑な山積みになっていたが。
その外観から予想はできたものの、これだけ大量の商品を扱っているとは……。
商品の種類も実に多種多様だ。それに比例して人脈も広いに違いない。
やはりこの商店で働きたい、いや働かなければならない。ここでの経験は絶対に私の糧となるだろう。
「ほれ、物珍しいのはわかるが、さっさとしな」
立ち止まっていた私を、軽く小突いたカシミールは、正面にある石の階段を昇っていく。試験は上の階で行うらしい。
「おい、チビっ娘。俺はお前の名前も聞いていないんだが」
コツコツと階段を昇っている途中、カシミールが思いだしたようにそう切り出した。
そういえば、マトモに自己紹介すらしていなかった……。
「すいません、申し遅れました。アリアと言います。よろしくお願いします」
「ふむ……。しかし女のくせに商人に成りたいなんざ、変わったヤツだな」
女のくせに、ときたか。
ま、男は外で仕事、女は家で家事というのが一般的な考えなので仕方ないのかもしれないが。
魔法によって男と女の力関係がほぼ対等な貴族ならともかく(それでも家を継ぐのは男)、魔法の使えない平民の場合、性によって体力の差がはっきりしているため、どうしてもそのような考えになってしまうのだ。
このセカイには男女雇用機会均等法も育児休暇もないし。
しかし、そういう風に言われるのはあまり気分のいいものではない。
身綺麗にして花嫁修業をしていれば良いお嬢様達と違って、私は泥水を啜っても自分で身を立てるしかないのだから。
「商人として大成するのに重要なのは己の才覚と志では?そこに男も女もない、と思いますが」
「ほぅ、チビっ娘のくせに大した見栄を張るじゃねエか。だが、商人は男の世界だ。女と言うだけで相当なハンデになるぜ?舐められる、つまはじきにされる、何か失敗すれば、“やっぱり女だから”と馬鹿にされるってなもんだ」
「その程度の事は覚悟の上です。私は(生命の危機的な意味で)命懸けなんですから」
その答えを聞いて、カシミールはふん、と鼻を鳴らす。
「ま、最初の問題は正解ってところか」
「へ?」
「今の受け答えだ。落ちついたいい反論じゃねェか。弱気になったり、冷静さを欠いたりしやがったら、そこでつまみ出す気だったんだがな」
「も、もう試験って始まってたんですか?」
カシミールはその問いには答えず、ただくつくつと笑うだけだった。
遊ばれてるんじゃないでしょうね……。
さて、カシミールの後についてやって来たのは、3階の一番奥にある部屋。
西側にドア、東側に大きめの窓が一つ、それを覆うのは白い無地のカーテン。
家具の材質はほとんどがウォールナット材で統一されており、赤黒い木肌が高級感を漂わせている。
ただ、どれもかなり年季が入っているが。
どっしりとした事務机の上には何も書かれていない羊皮紙が数枚と、羽根ペン、インク壺などが置かれている。
机の周りには、椅子が二脚。そのうち一脚は、部屋の調度には似つかわしくないオーク材を用いた小さく低い椅子だった。
もしかすると、私の試験のために他の部屋から持ってきてくれたのだろうか?いや、それはないか……。
そして圧巻なのは、部屋の壁にびっしりと並んだ本棚。
その中には、羊皮紙の束が纏められたものや、書簡のようなものが大量に保管されているほか、結構な数の本が収められていた。
本というのは高価なものである。これは作家の取り分が多いわけではなく、本に使われている紙、つまり羊皮紙が高いのだ。
羊皮紙とはその名の通り、羊の皮で作った紙。
その長所としては、耐久性が高い事、防水性が高い事など。羊皮紙は1000年の寿命があると言われているほどだ。
ただ、動物の皮革が原料なので、植物性の紙ほど大量生産ができないため、どうしても高価になってしまう。
結果的に、本という物は私のような貧民には、縁のない高級品となってしまっている。
ま、下層階級の人間は読み書きができない者がほとんどなので、仮に本が安かったとしても縁のない物になってしまうだろうが。
それにしても、その高級品を個人でこれだけ蔵書しているとは……。
上級貴族でもここまでの蔵書をしている者はほとんどいないのではないだろうか。貴族の読書事情なんて知るはずもないから、断言はできないけれど。
この部屋の持ち主は金を持っているだけではなく、かなりの勉強家である事がわかる。
「ここは?」
「事務室、ってところだな。ま、半分は俺の書斎みたいなもんだ」
やっぱりそうなのか。これだけの大商店を築くには、相当な努力をしたのだろう。
「……随分と勉強熱心なんですね」
「物持ちがいいだけだ。物が捨てられねエ性質でな」
カシミールは少し照れくさそうに鼻の頭を掻く。
「さ、無駄話はここまでだ。とりあえずそこに座れ」
「……はい」
席を勧められた事から、おそらく筆記の試験なのだろうか。
私はそわそわと落ちつかない様子で、ちょこんと小さい方の椅子に腰かけた。
カシミールは私を椅子に座らせると、本棚の中から、表紙の擦り切れた本を一冊選び出し、ぱらぱらと頁をめくる。
「こいつをやってもらおうか。机の上にある紙とペンは自由に使っていい。ただし紙は一枚10スゥだからな。後で払ってもらうぞ」
カシミールはそう言って、大きい方の椅子にどかりと腰かけ、机の上に本を広げた。
広げた本の頁には数字が羅列されている事から、おそらく算術の問題だろう。
さりげなく紙の代金を要求するあたり、さすが商人といったところか。抜け目ない……。
しかし、ここでいいところを見せれば、グッと雇用に近づくはず。
ただ、一つ問題がある。
「言いにくいんですが」
「何だ?」
「問題が読めません」
本に乗っているのは全て文章問題だったのだ。
「お前……もしかして読み書きできねェのか?」
「読み書きは鋭意勉強中です。その代わりと言っては何ですが、昼間に言った通り、算術はかなり得意です」
ここで文盲な事を誤魔化しても仕方あるまい。だって問題が読めないんだから……。
「あれだけの威勢を張るんだから、読み書きくらいは当然出来る物だと思っていたんだが……」
「でもこの試験は算術の力を見る物ですよね?」
「け、しれっと言いやがって。……ま、確かに読み書きの試験をする予定はなかったが」
カシミールは困ったような顔で、頭をかりかりと掻いた。
「では読み上げをお願いします」
「はぁ、全く面の皮の厚い娘だ」
「読み書きできないのは論外だな」なんていわれないかと、内心はびびりまくっていたんだけどね……。
*
「ふむ……こいつは……うぅむ」
カシミールは唇を撫でながら唸った。その視線の先には私が算術問題の解答を書いた羊皮紙。
出された算術問題は、『僕』の知識を持つ私にとっては、どれも鼻をほじりながらでも解けるようなシロモノだった。
その内容は、比率から始まり、比例、幾何、簿記論など。簿記論といっても帳簿のプラスマイナスを合わせるだけのものだったので、そう難しい物ではなかった。
ま、商売で使う実践数学というのはこのくらいで十分なのだろう(経済学とは勿論違う)。
なんちゃらの最終定理だとか、なんとかロイド曲線だとか、そんな小難しいものは必要ないのだ。
「どうでしょう?」
私は自信満々に解答用紙と睨めっこしているカシミールに問いかけた。
「いや……全問正解、だ。全問正解なんだが……」
「はい?」
「この文字はなんだ?それにこの記号みたいなのは……」
カシミールは私の書いた数式を指さして問う。
あ゛。
そういえば計算の時、もろにアラビア数字とか、数式記号を使っていたのだ。
答えだけは下手くそなガリア文字で書いているのだが……。
これってもしかして、マズイのか?
ま、まさかとは思うけど、い、異端とか?密告されちゃう?
そうだ!こういう時、このセカイにはとても便利な言い訳があるじゃないか!
「え、とですね。私の算術の先生は“東方”出身でして。東方の文字と数式を使ったやり方なんですよ、それ」
「東方、ねえ」
じろりとこちらを睨むカシミール。
思いっきり疑われているんですが……。
「ええ、東方なんです。オリエントなんです。これホント」
「詳しく教えろ」
カシミールは挙動不審になった私に構わず、解答用紙に書かれた方程式を指し示す。
「え、やり方は一緒だと思いますよ?」
「いや、違うだろ。普通のやり方だと……」
カシミールは数字の後に“足す”、“引く”、“掛ける”といった単語を書く。
その数式はまるで一つの文章だ。わかりにくいことこの上ない。
なるほど、数式は同じでも、それに使う簡素な記号がないのか。
『僕』の世界でも数式記号がつかわれ出したのは14~17世紀の事だし、このセカイにそういう記号が存在しなくてもおかしくはない。
数学というか算術を専門にやっている人の間では使われているのかも知れないが、それが一般に普及していないという可能性も考えられる。
「雇っていただけるなら、喜んでご教授致します」
「ぐ、汚いぞ……」
「私は見合った対価を要求しているだけです」
「むぅ……」
カシミールは頭を抱えて、悩んだような表情をする。
どうやら彼は非常に知的好奇心が強いようだ。さすが商人である。
異世界の偉大な数学者達が発明した数々の数式記号を知る事ができるなら、私を雇い入れる程度むしろ安い買い物だと思うけど……。
「次で最後にしてやる。それで手を打て」
「……内容は?」
「倉庫に毛皮が山積みになってたろ」
「なってましたね」
「朝までにあれを全部日陰干し」
カシミールは真顔でそう言い放つ。
「あれって……どのくらいあるんでしょうか」
「900リーブルだな」
「きゅ、きゅうひゃく?!」
「まぁ、商人用の目方(※トロイ衡)だから普通の単位に直すと、700弱ってとこか」
いやそれでも十分やばい量なんですが……。
「それが出来たら文句無しで雇ってやる」
「……絶対、ですよ?」
「皺が出来ないようにきちんと伸ばしてから干せよ?」
「わかりました、やります」
そうと決まったらこうしては居られない。
朝までのタイムリミットに間に合うようにしなければ。
「いい加減にやっていたら終わらねェからな。死ぬ気でやれ。俺はそろそろ寝る」
欠伸をしながら言うカシミールを尻目に、私は1階に向かって駆けだした。
*
「しかし東方の数字ってのは簡単に書き過ぎじゃねェか?」
俺はチビっ娘を下に追いやった後、“東方”の算術について、あれやこれやと考えていた。
この東方の数字ってやつは簡素化されていて分かりやすいが、帳簿なんかには使えねえ。後から簡単に捏造されてしまいかねないからな。
おそらくは計算のスピードをあげるために作られたものなんだろう。正式な数字は他にあるに違いない。
しかし、この数式記号ってやつは便利だ。東方では常識なのだろうか。
だとしたら、算術の教育がかなり発達しているってことだ。大多数の人間が知らねェと、こんな記号は使えやしない。
算術が発達しているってことは商売も発達しているんだろう。
「東方か……」
多くの商人が一度は夢見る一攫千金。それが東方との貿易。
どこから仕入れているのか知らないが、たまに入ってくる東方産の品は、目ん玉が飛び出そうなくらいの値段が付く事が多いのだ。
若い頃はハルケギニア中を行商して回ったもんだが、さすがに東方には言った事がねェ。
死ぬまでに一度は行ってみたいもんだ。
そしてあのちびっ娘。あの歳でここまで自在に算術を使いこなしてるとは、正直驚いた。計算だけなら俺より速いし正確だろう。
しかし、いくら東方の算術つったって、読み書きを教えずに教えられるのか?
それに餓鬼とは思えないような言動をしやがるし……。
ま、商人としてはまだまだ話にならねエが……。
「おっと、もうこんな時間か」
考えに没頭しているうちに、お天道様が顔を出していやがった。
徹夜のまなこに朝日が沁みる。
「半分くらいはできてるかね」
俺はそう独りごちながら、夜通し座っていた椅子から立ち上がって伸びをすると、体の節々がぱきぱきと音を立てた。
ちびっ娘の体格では900リーブルの毛皮を全部、なんてのは無理だろう。ウチの若い奴にやらせてもかなりキツイ量なのだから。
ま、しっかりやってりゃ雇い入れてやるか。随分と必死みたいだしな……。
俺が人を雇う上で一番重視してるのは、読み書きでも算術でも、ましてや体力でもねェ。
商売で一番大切なのは溢れんばかりの情熱だ。ま、これはどの仕事でも言えることかもしれんがな……。
「さて、様子を見に行くか」
俺はもう一度伸びをしてから、あいつが作業しているであろう倉庫へと向かった。
「うぉ?!」
倉庫に広がった予想外の光景に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
乱雑に山積みしてあった毛皮はそのほとんどが、綺麗に整頓されて干されていたのだ。
元の場所に残っている毛皮は、あとほんの数枚しかなくなっていた。
「これ全部あいつ一人でやったのか?」
干してある毛皮を確認するが、きちんと伸ばされており、雑に扱った痕跡はない。
まさかここまでやるとは思わなかった。どうやら口だけじゃあなかったようだな……。
中々に根性がありやがる……。
「それにしてもあいつは何処にいった?」
労いの言葉くらいはかけてやるか、と思って辺りを見回すが、倉庫内に人影は見当たらない。
どうしたものかと考えていると、残っていた毛皮がもぞもぞと動いた。
「うげっ、何だ?」
おそるおそる、気色悪く動く毛皮は剥ぐと、汗と毛皮の油だらけになったチビっ娘がいた。
「ぐぅ……」
「寝てやがるよ……」
恐らく毛皮を持ちあげた時に、力尽きてその場でぶっ倒れたんだろう。
「くっくく、大したチビっ娘だな」
大口を開けて寝ているチビっ娘の能天気な寝顔を見ていると、自然と笑いがこぼれた。
しかしここに寝かしとくのはまずいな……。仕方ねェ、運ぶか。
「どっこいせっ、と」
その体を持ち上げると驚くほど軽い。ロクに食ってねェなぁ、こいつ。
なるほど、そういう意味で、命懸け、か。
その理由は悪くはねェ。飢えた精神ってのは、這い上がる人間には必要不可欠なものだからだ。
しかし、こいつは案外、イイ拾い物をしたのかもしれねェな……。
「くく、これからガッツリ扱いてやるから覚悟しとけよ」
俺は腕の中で寝息を立てているチビっ娘にそう言い聞かせると、従業員寮へと歩き出した。
続く
※あまり設定とかは載せたくないんですが、単位関係についてだけは、後々設定を纏めた物を載せるかもしれません。劇中で○g相当とか説明すると明らかにおかしいので……。