ケルン交易商会組合本部。
ケルンの中央部、ツェルプストー商会本社建物のすぐ隣に位置する、この歴史ある煉瓦造りの建物からは、他の商店が終業し、日が沈んでからも、煌々とした灯りが漏れ出している。
これは、街の商店に勤める者達に配慮しての時間調整。
繁忙期でもなければ、終業に関してはどの商会の営業も一律で(始業時間は割とばらばらだが)、教会が鳴らす終業の鐘によって終わるというのが慣例になっている。
そして就業時間中に私用でここを訪れる事は難しい。
その時間にここを訪れるとすれば、遍歴商人、連絡員のいずれかが殆どだろう。
なので、組合の営業時間は普通の商会とは少しずれており、日が高くなる頃に始業し、他の商店が終業してもしばらく営業しているのである。
そしてその立派な建物の中、役人然とした組合の従業員と何やら騒がしく揉めている商人の卵がいた。
言うまでもなく私だ。
「できません」
「そこをなんとかっ!」
「規則ですので」
「ぬぬ……」
無機質な石造りのカウンターごしに、感情を見せない表情で私を冷たくあしらう組合の受付嬢。
規則、規則と、これだから組合の人間は柔軟性がない。
半分公務員みたいなもんだからなあ……。
「必要書類を揃えた上で、もう一度お越しください」
「ですから、少々のっぴきならない事情がありまして。推薦状は後日で、という形にしてもらいたい、と何度も申し上げている訳ですが」
ぴくり、と受付嬢の米神がひくつく。
「だから無理だって! こっちこそ何回も言っているでしょう?!」
「えぇ、しかし私も子供のお使いではないので、もう少し融通を利かせてもらいかなーっと。ほら、別に私が犯罪を起こしかねないアブナイ人間じゃないっていうのは、この街の人達もそれなりに認知してくれていると思いますし」
「ま、確かにアンタ達はこの街じゃ割と名が売れてはいるのは認めるけど? でも、それと身元確認は全っ然、別の問題なんだから。あまり調子に乗らない事ね! はい、無理、無理、絶対無理! さあ、いい加減諦めて、くるりと右に回ってお帰りなさい」
ドン、とカウンターを握りこぶしで叩いてヒステリックに叫ぶ受付嬢。
別に調子には乗っていないんだけどなぁ。
「あの、出来れば上役の方ともお話させてもらいたいんですが……」
「ふん、残念でした。誰と話しても同じ事よ? ここじゃ規則は絶対なんだから。それに、私アンタが嫌いだし、そんなアンタのお願いを聞いてあげる理由もないわ」
「はい?」
こちらを憎々しげに睨みつける受付嬢。
あの、私とあなたは初対面のはずなんですが。
「うぅ……あの女のせいよ! あの女のせいで、あの売女のせいで私のブルーノがあっ!」
「はぁ、あの女って?」
「アンタの姉に決まっているでしょう!」
「ちょ、それ私関係ないでしょ」
「うっさい! 失せろ! 消えて失せろ! この魔性の血族め!」
私怨かい。
“魔性”ってまぁ、ロッテに関しては2重の意味で当たってはいるけど、それにしても酷い言われようだ。
しかしロッテ……稼いでくれるのは有難いのだが、この分だと街中の娘を敵に回しているんじゃないだろうか。
「むぅ」
壊れた蓄音器のように喚き散らす受付嬢にどうしたものかと首を捻る私。
あまりの騒ぎに、建物中の好奇と非難の入り混じった視線がこちらに集まっている。
その中には顔見知りの商人達もいて、かなり気まずい。
ぎぃ。
「なんだなんだ騒がしいなァ。組合での諍いはご法度だぜ?」
カウンターの裏までこの騒ぎが響いていたのか、いかにも不愉快そうな声とともに、奥にある『組合関係者以外立ち入り禁止!』と書かれた札の掛けられた扉が開かれた。
中から出てきたのは、長身でイイ体格の、赤毛褐肌で少し顔を顰めた貴族風の青年。
「っ! お久しぶりです! いつもお世話になっておりますっ!」
その姿を見た瞬間、私は火が出るようなスピードで最敬礼。
青年の正体は、この組合の主席運営委員、つまり……。
クリスティアン・アウグスト。
ツェルプストー辺境伯、その人だったからである。
「ん? おぉ、妹ちゃんじゃねーかぁ。久しぶりだな、元気にしてたか?」
「はい! おかげさまで、姉ともども健やかに過ごさせて頂いております! 辺境伯はおかわりありませんか?」
「はっはは、聞くまでも無いだろ? ……ん、しばらくみないうちにまた可愛くなったなぁ、妹ちゃんも」
「えっ? あ、そ、そんな、ことありませんよ?」
気さくに話すクリスティアンの不意打ちの言葉にしどろもどろとしてしまう私。
まったく、このプレイボーイめ。
「あの、辺境伯。この娘、いえ、この方とお知り合いで?」
「あぁ。昔、ひょんなことで知りあってな」
さっきまで騒いでいた受付嬢は、怪訝な顔でクリスティアンへと尋ねる。
うむ、俺がこの娘の命を助けたんだぜっ! とかは言わずにさらりと流すあたり、やはりプレイボーイだ。
「う、そうとは知らず大変なご無礼を……」
「ま、それはいいとしても。仕事中に私情で騒ぎを起こすのはあまり関心できんな」
クリスティアンの諌めに、借りて来た猫のように大人しくなる受付嬢。
「はぅ。申し訳ありませんでした。以後、気を付けます」
「うむ。わかればいいさ。……ふぅん、推薦状無し、か」
気さくな感じとは一転して、厳しい態度で受付嬢を注意するクリスティアン。
なるほど、こちらが彼の仕事用の顔と言う事か。
「んで、妹ちゃん。俺でよけりゃ、話を聞くけど? 丁度、暇を持て余していた所だからなー」
一通り受付嬢を注意すると、クリスティアンはこちらに向き直って言う。
その表情はまた通常の軽薄なものへと戻っていた。切り替えが早いなあ。
「あ、しかし、こんな事で辺境伯にお手間を取らせるわけには(まぁ、利用させてもらおうなんて事を考えていたのは事実だけど、やっぱりねぇ)」
「いーんだって。若い奴らの頼みや悩みを聞くのも、上の者の勤めだからな。ほら、子供が遠慮すんな」
「うー、子供じゃありませんっ」
「んー、確かにここら辺はもう立派な大人だな」
「あ、やっ、ど、どこを見ているんですか?!」
無駄に高い双丘をめがけてぶしつけな視線を送るクリスティアン。
それから身を守るように、私は両の腕で体を掻き抱く。
セクハラ反対。
「はっは、冗談、冗談。いくら俺でも、妹ちゃんの年じゃまだストライクゾーンには入ってねえ」
「もう、乙女の純情をからかっちゃいけませんよ?」
悪びれる様子もないクリスティアンに、私はわざとらしくぷくっと頬を膨らませて言う。
「んー、さすがロッテちゃんの妹。ガードが硬いなー。……で、今日来たのは結局、独立の事かい? 手紙にも書いてあったな、そろそろ独立できそうだ、って」
「え、まさか読んでくれているなんて、意外ですね」
「おいおい、心外だな。女の子からのラブレターを読まないわけがないだろう? ……ま、返事はなかなか出せてねーのが悔やまれるが」
「ふふ、読んで頂いているだけで感激ですよ。ありがとうございます」
「どういたしまして。推薦状が無いってことは、まだカシミールが独立を認めていないってことかい?」
「そうなんですよ! 聞いてくれます? あの親父ときたら…………」
何か辺境伯という遥か上の身分の人と話しているというより、近所のお兄さんと話しているような錯覚を起こしはじめた私は、気付けばクリスティアンに愚痴を零しはじめていた。
クリスティアンはそれに時々合いの手を入れながら上手く話を引きだしていく。
かくかくしかじか。
「はぁ、はぁ、と、言う訳です!」
気付けば私は、全てまるっと事情を喋っていたのだった。
うーむ。流石、こういう話術は見習うべきだなぁ、とぼんやり考える。
「ん。なるほど。事情はわかった。だが」
「だが?」
「やはり、カシミールの推薦状無しでは組合員の資格は与えられない。組合のトップ自らルールを破っちゃ示しがつかないし、な」
「あぅ……」
腕を組んで難しい顔で言うクリスティアンに、私は肩を落として俯いた。
まぁ、これは仕方ないっちゃ仕方ないなぁ。
さて、また一から作戦でも練るか……。
「おっと、落ち込むのはまだ早いぜ?」
「え?」
「妹ちゃん。何でカシミールが独立の許可を出さないかわかってないだろ?」
「えぇと……多分、私の商人としてはまだ未熟だと考えている、とかですかね?」
「んー、多分違うな」
「?」
「よぉし、ちょっとついてきな。俺が直々にその問題を解決してやろう」
そう言って親指で出口の方を指し、白い歯を見せるクリスティアン。
「え? 外ですか?」
「そそ、ほらほら、行こ──」
ばたんっ!
先程クリスティアンが出てきた扉を乱暴な音を立てて蹴り開けられた。
「辺境伯っ! また仕事をほったらかしでこんなところにっ! 今日と言う今日は逃がしませんよっ!」
会話を中断したのは、いつか見た薄幸そうな青年。
確か、ツェルプストー家の執事さん。
はて、こんなにやつれていたっけ、この人。
というか、やっぱりサボりだったのね、クリスティアン様……。
まあ、この時期、クリスティアンのような上役がしなければいけない組合の仕事っていったら組合の予算案、新規商人登録の認可、組合費徴収率の確認などの雑多な書類に目を通してサインとかそんな感じだろうから、彼の性格上サボりたくのは当然の結果かもしれない。
だって、書類仕事ばかりって退屈だもんなぁ。
それが向いている人は好きなんだろうが、彼は絶対に向いていないし、私も多分向いていない。手紙を書くのは割と好きなんだけど。
「やべっ!」
「わ」
執事さんの姿を確認するやいなや、私の腕を引っ張って、出口へと遁走するクリスティアン。
「お待ちくださいッ! いや、待て、このやろおおおお!」
手負いの獣のような獰猛な表情で疾走する執事さん。
うわ、めっちゃキレてるよ……。
「ちっ、面倒くせえっ! 《念動魔法》【レビテーション】!」
「なっ!?」
クリスティアンは向かってくる執事さんを相手に、杖を構え超高速で詠唱を完成させる。
怒りで我を忘れていたのか、あっさりと【レビテーション】の魔力? に絡めとられた執事さんは、痛恨の表情とともに後ろへ吹き飛ばされた。
あの、こういう場(商取引及びその他接客業を行う店舗、またそれに関する建物)での威力的な魔法は、組合規則によって禁止されているはずですよね? よね?
さっき「ルールを破るわけにはいかない」とか真顔で言っていたのに! 納得してしまったのに!
「ふははは、さらばだ! 執事君!」
クリスティアンはまるでどこかの怪盗のように声高に叫びながら、私を連れて夜の街へと逃走する。
ずばり、駄目な大人ですね、この人。
やる時はやる人なんだけどなぁ。
(私、本当にこの組合に所属して大丈夫かしら……)
目まぐるしく移り変わる景色の中、一抹の不安を抱いた私を誰が責められるだろうか。
*
「辺境伯。念のために聞きます。一連の行動は、私の問題を解決してくれるためのものなんですね?」
「そうだよ?」
「では、何故現在、私達は“蟲惑の妖精亭”前に立っているんでしょう」
侵略する火の如く、大通りを駆け抜けた辺境伯に連れてこられたのは、どんちゃんと喧騒鳴り響く噂のセクシー酒場、“蟲惑の妖精亭”。
はい、いつも私が夕飯を御馳走になっているあの店です。
不安的中。どう考えてもここに問題解決の糸口があるとはおもえません。
彼の夜遊びのためとしか思えないのですが。私はサボる口実か!
「ん? 何だその疑わしげな顔は」
「まぁ、いいですけど……。どうせロッテ、迎えに来なくちゃいけなかったし」
「はっは、しょうがないだろ、この時間じゃ仕立屋も散髪屋もあいてないしな」
「?」
クリスティアンの言葉に首を傾げる。
仕立屋と散髪屋? 服でも買って床屋でさっぱりするつもりだったのだろうか。
「ほれ、入るぞ?」
「あ、はい」
クリスティアンに促されるがままに、彼の後にぴょこぴょことついて入店する私。
「いらっしゃいませ~! 一名様、いえ、二名様ご案なーい!」
満面の笑みと元気のいい掛け声で出迎えたのは蟲惑の妖精亭の女主人、もといマドモワゼル。
まるで性質の悪い仮装のような厚化粧で微笑まれるのは、見慣れた今もまだちょっとコワイ。
「って、あらあら、辺境伯様。これは大変失礼しましたわ。御指名はいつもの通りロッテちゃんでよろしいですか? ん、お連れの方は女性……ってアリアちゃんじゃないの」
「こんばんは」
辺境伯だと気付いたマドモワゼルは砕けた接客を少し改め、私の方を見て再び砕けた。
「あぁ、今日は酒場の客としてというかな。商人の先達として、妹ちゃんにアドバイスをしてやろうと思ってさァ。あ、でも折角だからロッテちゃんも呼んでもらおうか」
「? はい、わかりました。ロッテちゃーん! 御指名よ!」
おどけた調子でいうクリスティアンに疑問符を浮かべながらもマドモワゼルがロッテを呼ぶ。
むぅ、彼の意図がわからん。呑みながらの方が話が進むとかそういう事か?
まぁ、クリスティアンに構ってもらっているだけですごいことではあるけども。
はっ! ま、まさか姉妹丼とか考えてないでしょうね!?
「は~い! ……って、何じゃこの組み合わせは?」
「私もよくわかりませんわ、お姉様」
私が身の程知らずの妄想して身悶えていると、近づいて来たロッテがあっさりと猫かぶりを止めて、怪訝な顔でクリスティアンと私を見比べる。
その代わりに私が猫の皮を被っておいた。
「いや何、たまたま組合で独立する、させないの揉めてる所を見てな。聞けばカシミールにまだ許可を貰えていないらしい。で、妹ちゃんに何が足りないか、っていう話になってなァ。自分でそれが分かってないみたいだから、実地で教えてやろうかと」
「はぁ? お主、今日もカシミールを説得できなかったのか? この能無しめが」
クリスティアンが事情を説明すると、ロッテは心底呆れたように冷たい目で私を見下ろす。
「面目ない。としか言いようがないわ。ごめん」
「うっ、素直に謝るとは……。やめてくれ、さぶいぼが立ちそうじゃって」
私が悔しさよりも情けなさに下唇を噛みながら言うと、ロッテはそう言ってお茶らけてみせる。
う~、馬鹿にされているような、気を遣ってもらっているような。
「ま、とりあえず奥に入れ。お主らがそこにいては他の客の邪魔じゃ」
「おう、入らせてもらうぜ」
そう言ってロッテが奥の座席に案内すると、クリスティアンはずかずかと女の子達の控室の方へと歩き出す。
「こら、どこへ行く。そっちは関係者以外立ち入り禁止じゃ。まさか天下に名だたる辺境伯様の趣味が覗きだとでもいうのか? 街中に言いふらすぞ?」
「はっはは、そりゃ勘弁。…………なぁ、ところでロッテちゃんよ。ざっと見て妹ちゃんに足りないモノは何だと思うね?」
「ん? それはまぁ……、体力、腕力、感性、才能、従順さ、気高さ、優雅さ……そして何より、色気が足りん! 胸だけは、あるが。ま、資源の無駄というやつじゃな」
クリスティアンの突発的な問いに、まったく無遠慮に即答するロッテ。
「言わせておけばこのっ!」
「うん。妹にかけるには少々辛辣な言葉だが答えは入ってるな、その中に」
「え、えぇ~……」
クリスティアンの肯定に、茹であがりかけた私は意気消沈した。
ロッテはほら見た事か、と鼻で笑っている。
「そう! 妹ちゃんに足りない物! それは」
「そ、それは?」
「ずばり、そう、色気だ!」
声高にそう叫ぶと、びしっ、とこちらに人差し指指を突きつけるクリスティアン。
どよどよと店内がどよめく。
ただでさえ辺境伯が来た、と言う事で、店中の人達がこちらに注目しているのに……。
「……さっき俺が『可愛くなった』といったろ? だが、大人のレディに言うならば、『綺麗になった』が正しい。つまり、妹ちゃんは、うーん、立派なモノはもっているんだが、やっぱりまだ子供にしか見えないんだな。いくらなんでも年端もいかない子供と商売してくれる商人はいないだろ、常識的に考えて。多分カシミールもその辺りが心配なんじゃねーかなァっと」
「そんな! 私、ロッテよりはずっと大人だと思います!」
「あー、精神的な問題、というか、外見がな。大人というならもう少し、レディーらしい格好をしないと。服だけじゃなくて、化粧とかもな。よく『人間は中身が重要』っつーやつがいるが、ありゃ半分嘘だ。商売の世界では特に、人間、見た目が重要だ。ま、まっとうな恋愛事となると話はがらりと変わるがな」
クリスティアンの言う見た目が重要、というのは、親方にも随分と言われた事だ。
勿論、私もそれは既に重々承知だ。
でも、それは商人として恥ずかしくない格好をする、という意味だと思っていたんだけど……。
断じてレディーらしくなどという意味ではなかったはずだ。
「んむ、確かにそうかもしれんの。実際、ここの商売でもそうじゃし」
「いいえ、酒場の接客業と交易商人じゃ求められているモノが違うはず! TPO(time place occationの略。時、場所、機会を心得た服装をせよ、という意味)よ、TPO!」
訳知り顔でクリスティアンに賛同するロッテに食ってかかる私。
「いーや、商売っつーのはつきつめれば基本は一緒だよ」
「う……。でもでも、商人の世界は男の世界ですし」
「うーん、妹ちゃんって結構頭が固いな」
「へ?」
「だからと言って、どうして女の妹ちゃんが男と同じ格好をせねばならない?」
「えぇと……だって、浮ついた格好などしていては舐められてしまうのでは」
「じゃあ、浮ついていないレディーの格好をすればいいだろう?」
クリスティアンの言葉に、私はわからない、というように首を傾げる。
「いいか? 確かに商人、特に交易業は男の世界だ。女はどうしても舐められるかもしれん」
「はい」
「しかし、女である、と言う事を自分で卑下するな。否定もするな。むしろそれが自分の強みだと思えばいいんだ」
その言葉に、ロッテはうんうん、と頷く。
店の女の子達も、マドモワゼルまで頷いている。さらに客として来ていた商家の旦那達も何割かは頷いていた。
「強み、ですか?」
「おう。女商人は稀少。ならば! その稀少価値を前面に打ち出せばいいだろ? わざわざそれを殺すような真似をするのは勿体ない」
クリスティアンは大げさなジェスチャーを交えて、真剣な表情で言う。
成程、そういう考え方も……ある、のかな?
「う、う~ん」
「まだ納得できないみたいだな。ま、とりあえず騙されたと思ってやってみるといい」
「は、はぁ。何を?」
「うむ、この店にはいろいろと美容に関するモノが揃っているからな。もちろん衣装としてドレスなんかもあるし」
「あぁ、なるほど。それで……」
つまり、クリスティアンは私をメーキャップさせるつもりで蟲惑の妖精亭に連れて来たのか。
「……というわけで、マドモワゼル。この娘を立派な淑女に変身させてやってほしいんだが」
私がはっきりとした返事を返さないうちに、クリスティアンは興味深そうに事の成り行きを見守っていたマドモワゼルへと話かける。
どうやら私の態度は肯定と取られたらしい。
「ふぅ。私としては、アリアちゃんが独立してしまうと、ウチの看板娘であるロッテちゃんもいなくなってしまうから、本当は微妙な立場なんですけれどね」
「らしくないな、マドモワゼル・レィディン・マドモワゼル(淑女を導く淑女)ともあろうものが……」
え? 何それ? なにそのちょっと曰くありげな仇名は?!
いや、まぁ、こういう飲食店の経営者としてはケルンでもそれなりの位置に居る人だから、そういう仇名もあるのか。
「ほほ、その名で呼ばれるのは久しぶりですわねぇ」
「ふ、これだけの素材を目にして、素通りできる人間ではないだろう、貴女は」
「えぇ、いつも『アリアちゃんはまだ子供だから』と我慢していたのだけれど。でも、そういう事情なら、喜んでこの娘の全てを“引きだしてあげるわ”!」
女主人はそう叫ぶと、獲物を発見した猛禽類のように、ぐりんっ! と顔をこちらへ向け、手をわきわきとさせはじめた。。
何か当事者をおいてけぼりで話が進んでいるような。
「あ、あの~。お手柔らかに……」
「ほほ、任せておきなさい、私が貴女をトレビアン、な淑女へと変身させてあげる!」
何か商売からどんどんとかけ離れて行っているのは気のせいだろうか。
「何、お主は心配せずにマドモワゼルに任せておけば良い。壁の染みを数えているうちに終わるからの」
そう不吉な台詞を吐いて、くつくつと笑うロッテ。
ふぅ、やれやれだわ……。
私は心の中で盛大に溜息を吐いた。
そして半刻後。
「あら」「へぇ」「ほぅ」「これは……」「おぉう」
マドモワゼルによって、散々にこねくり回された私は、蟲惑の妖精亭中央にあるお立ち台で晒しモノ状態になっていた。
クリスティアン、女主人、ロッテ、店の女の子達、客の旦那達。
今、店中の視線が私に集中している。
若さに任せて放置された肌に薄く化粧を施され、乾いた唇には桜色のルージュを引かれ、纏めた髪はほどかれ、肩の長さで切り揃えられた。
作業服と作業靴は、肩と胸半分を露出させたエロティックな純白のショートドレスと、エナメルの赤いヒールへと替わっていた。
下着まで替えられそうになったのでそれだけは断固として、なんとか拒否した。
私はまだ自分の姿を鏡で確認させてもらってはいないのだが、多分、いや、絶対似合っていないだろう。
馬子にも衣装とは言うが、やはり人には身の丈にあった格好というものがあるのだ。
まったく、こういうのはもっとキレイな人にやらせるべきではないのか。
見目麗しくもない私のような娘をステージにあげたところで、失笑されるだけだろうに。
いや、というか、本当に何でこんなことになっているんだろう……。
「やるわね……」「さすがロッテの妹……」「トレビアン!」「指名しても、よろしいか?」「はぁ、はぁ、辛抱たまらん」
あれ? 何か予想外の反応が。
……そうか、みんなが気を遣ってくれているのか。心が痛い。
「ふっ、いいんですよ皆様。どうぞ嗤って下さいませ。さぁ、嗤え!」
自重気味に吐いた言葉に「何言っているんだこいつ」と、困惑の表情を浮かべる店の面々。
あれ? 何かおかしい。
「ま、一応妾の妹じゃし、これくらいは当たり前といったところか」
「ふむ。可愛いから綺麗への過渡期ってとこだな。さすがマドモワゼル。男心を心得ているな」
「ほほ、久々にやりがいのある仕事だったわ」
そして、なぜかロッテが我が事のように自慢を始め、クリスティアンがうんうん、と頷き、マドモワゼルは「いい仕事をした」とばかりに額を拭う。
……どうも様子がおかしい。お世辞を言っているようにはみえないのだ。
「もしかして、いえ、ほんっとうにもしかして、本気で言ってます?」
「……あぁ、そういえばこやつ、まだ鏡を見ておらんのか?」
呆れたように言うロッテが店の端に備え付けられた姿見を指す。
恐る恐るそれを覗き込む。
そこには、ちょっと大人びた私のぎこちない笑顔が映っていた。
少しポーズを取ってみる。
ちょっとしたコンプレックスである天然の巻き毛がうまく調整されて大人っぽさを演出する。
あどけなさを残すための薄い化粧と紅が、なにかイケナイ雰囲気を醸し出している。
無駄に膨張した胸を強調する、体にフィットする露出度の高いドレスは少し恥ずかしい。
足元の鮮やかな赤がさらに大人を演出する。
「お、おぉ……」
「どう? このマドモワゼル、いえ、レアディアン・マドモアゼル、会心の出来よ」
「い、イケてるかも……!」
マドモワゼルの言葉に、私は思わずコクコクと頷き自画自賛してしまう。
自意識過剰、勘違い女(笑)とか言わないでほしい。
私は自分を客観的に見ることが出来るんです! スイーツとは違うんです! 断じて違うんだから!
「こっちのシックな黒いドレスもいいんじゃない?」
「さすがに黒はまだ早いわ。青の方が合うわよ。あぁ、でもそうすると靴が」
「いやいや、君達何も分かっておらんな。ここはやはりピンクでしょう!」
店の女の子達はきゃーきゃー言いながら、旦那さんたちは若干鼻息を荒げて、そんな討論をしている。
私は玩具じゃないっ……。悔しい、でもちょっと快感!
「待っていてください! 全部着こなしてみます!」
私が胸を張ってそう宣言すると、おぉ、という大きな歓声があがる。
──そう! 今の私はスーパー・スター! 応援するみんなの声援に応えねばならない!
ふっ、人気者はつらいわね……。
でも、これで求愛者が続出なんてことになったらどうしましょう。
あぁ、罪な私……。
こんな風にちやほやとされた経験が乏しい私(フーゴやエーベルは除く。でも、フーゴは褒めているのか貶しているのかさっぱりわからないし、エーベルの言葉は何とも信用ならない軽さがあるのだ)は、この場の雰囲気に完全に舞い上がっていた。
アルコール・パワーもあって、突発イベントである私のファッションショーで異常な盛り上がりを見せる蟲惑の妖精亭。
客も従業員も関係なく酒をぐびぐびやっては、泣いて笑って、私をその場で着替えさせて品評する。その時、私もほんのちょびっとだけ、ワインを口にしてみたり。
果ては男を虜にする仕草や話し方の講釈やら、パーティーでの礼儀作法の練習やら、歌や踊りの指導まで始められていた。
気が付けば私はここに来た目的を忘れ去っていたのである。
そして夜が明けた……。
*
ざわ、ざわ。
「う~ん、うるちゃ~い……」
街を行く人々のノイズが安眠の邪魔をする。
ん? 今日は平日だ。 街を行く? 今、一体、何時?
「はっ!」
私は少々カビ臭く硬いベッドから、がばっ、と跳ね起きる。
「どこだここ」
まず目に入ったのは梁が剥き出しになった天井。屋根裏部屋のようだが、面積は割と広い。
視線を下げて辺りを見回すと、フロアに何台か並べられていたベッドにぐーすか寝ているロッテの姿も見える。その隣には店の女の子達も何人か寝ているようだ。
ま、彼女達の仕事は夕方からだし、このまま寝させといてあげたほうがいいだろう。
あぁ、蟲惑の妖精亭の2階にある仮眠室か。
ほんの少し口をつけた酒のせいか、あまり記憶が定かではないが、確かクリスティアンに運ばれて寝かされたんだった。
旦那達は朝方帰ったんだっけ。
服装は昨日最初に身につけたものに戻っている。
結局、最初の衣装が一番似合う、という形でおさまったような。
「って、それはいいとして」
薄暗い室内の小さな天窓に目をやると、お天道様はとっくのとうに真上へと昇っていた。
「やっぱり、ね……」
今日は平日。それは不慮の事故以外では無遅刻無欠勤だった私の輝かしい(?)経歴に泥を塗ってしまったことという事だ。
しかも無断で。これでは親方を説得するどころじゃないだろう……。
「あががが」
「おはようさん」
私がやってしまった感で頭を書きむしっていると、不意に下から声を掛けられる。
梯子を昇って来たクリスティアンだ。片手にトレーを持っている。
ぷん、と鼻を刺激する焦げたチーズ特有の酸っぱい匂いと、バジルの爽やかな香り。そしてホワイトソースの柔らかな甘い匂い。
この匂いは、グラタンだろうか。
「あ、お、おはようございます」
「腹減ったろう」
そう言ってトレーを差し出すクリスティアン。
言われると、思いだしたようにぐぅ、と腹がなる。
そういえば、昨日の昼から何も食べていない事に気付く。
「辺境伯?!」
「おぅ」
「まだ居たんですか?!」
ずる、とクリスティアンがこける。
馬鹿! 私の馬鹿! 恐れ多くも辺境伯が私のために食事を運んでくれているってのに!
そこはもう、彼の寛大さに膝をつかなきゃいけない場面だろう! いや、まぁ確かにまだクリスティアンがここに居たのは驚いたが。
……というか、何だこの状況。
私の知りあう貴族って、全然、全く持って貴族らしくない人ばかりよね……。
「おほん、ま、俺のせいで遅刻させちまったみたいだし。昨日は少し悪乗りしすぎたみたいだな。かくいう俺もさっきまで下で寝ていたんだが」
「大丈夫なんですか? 辺境伯が行方不明なんて洒落になりませんよ」
「それについては全く問題ない。俺が朝帰りなんてのはよくある事だし。今回はちょっと時間が遅いだけだ。ま、とりあえず食いな。俺はもう食った」
「あ、恐縮です。いただきます」
いや、よくある事自体が大問題ですよね。
と思いつつ、クリスティアンの言うとおり、素直にスプーンを取り食事を始める私。
何を暢気な、と思うかもしれないが、もう寝過してしまったことはしょうがない。
今から急いでいっても昼休みである。
「ま、折角だから、最後まで手伝ってやろうと思ってな。食い終わったら一緒にカシミール商店まで行くぞ?」
「ふぉい?」
「こらこら、レディーは口にモノを入れたまま喋っちゃいけんよ」
「すいません。でも、そこまでしてもらえるなんて、ちょっと怖いですね?」
「何、将来有望な若者には今から唾を付けておかないとな」
「あら、それは嬉しい。でも、商人としてか、女としてかどっちの意味でしょう?」
「はっ、そんなの両方に決まっているだろう?」
「ふふ、些か大き過ぎる期待を掛けて頂き、身に余る光栄でございますわ」
そう言って私とクリスティアンはしばらく笑い合った。
やれやれ、これは期待にこたえなきゃバチがあたってしまうわね。
さて、ご飯も食べたしそろそろ着替えよう。
「っと待った。服はそのままで行こう」
「え? でも、仕事に行くわけですし、それにこれ妖精亭の衣装ですよね?」
「カシミールを説得するのに必要だろ? 普段の格好じゃ昨日馬鹿騒ぎした意味が無い。あと、その服は買い取りにした。ドレスと靴、それに下着含めて占めて28エキュー丁度」
「プレゼントですか?」
「まさか。後でマドモワゼルにきちんと代金を払っておきな。悪乗りしたのは事実だが、昨日言ったことに嘘はない。取引の時に着る勝負服ってのは絶対に必要になるからな」
「まぁ、必要だ、というならその程度のお金は惜しみませんが。……信じますよ?」
そう言って私は立ちあがる。
クリスティアンが手を差し伸べる。
「お手を取っていただければ、望外の幸せでございます、レディ」
「私でよければ喜んで。エスコートをお願いいたしますわ、ジェントルマン」
ドレスの端を持ちあげて一礼する私に、大真面目で恭しく胸に手を添えて頭を下げるクリスティアン。
あまりに年齢も身分もかけ離れた二人は、それを気にする事もなく、優雅な足取りで、街の雑踏へと消えて行くのだった。
そして私達がカシミール商店に辿りついたのは、昼休みの時間も終わろうかという頃。
ひょい、と窓から中を覗くと、どうやら、現在のカシミール商店、私を覗くフルメンバー揃って食堂にいるようだ。
何となくピリピリした雰囲気が漂っている。多分、私が大遅刻をかましたせいだろう。
まぁ、がっつり怒られるのはもう仕方がない。
それよりも親方の説得だ。
クリスティアンも口を出してくれるっぽいが、結局は私の問題。
最後は私がケリをつけなければならないだろう。
そんな事を考えながらクリスティアンとともに商店の門をくぐり、みんながいる食堂へと向かった。
「おはようございます!」
「なっ、お前! 今何時だと思っていやがる!」
「申し訳ありません、私の不注意で遅れてしまいました」
「このっ、不注意だとっ?! このクソば、かタレ? 何だその格好は……。というか、辺境伯?!」
大遅刻をかました私に眉を吊り上げた親方は、異常に気付き声のトーンを落とした。
「あれ……まさか」
「アリアと辺境伯がそういう関係?」
ギーナとゴーロはこちらに疑いの視線を向けている。
「……アリア先輩、お美しいっす」
「え、え? これって? ど、どういうこと?」
エーベル君ありがとう。ディーター君はパニくっているようだ。
「あらあら。これは大変」
「あ、あ、あ」
ヤスミンはフーゴの方を見て言う。
フーゴは青い顔をして目を見開き、口をあんぐり開けたまま固まっていた。
「えぇと、みんなが何を想像しているかは知りませんが……。昨晩、辺境伯に商売についての相談毎をしていただけですよ」
「そう言う事。妹ちゃんの名誉のために言うが、俺と彼女は何もないぞ? いくら俺でも商人の卵に手を出すほど節操なしじゃない。一緒に来たのは、俺のせいで余所の従業員を遅刻させてしまったから、その謝罪だ」
私が事情をかいつまんで言うと、それを補強するようにクリスティアンが続ける。
「はぁ、そうですか。しかし辺境伯自らウチの見習い如きの相談に乗って下さるとは。何とも恐れ多いことでございますな」
親方は丁寧な言葉だが、若干皮肉を込めているようだ。
まだ少し疑っているのかもしれない。
「彼女、本気で悩んでいるようだったんで。金は貯まったのに親方の許可が取れないってな。ま、他人様の店の人事に異を唱えるのもアレなんだけどな。だが、反対するのはいいが、実力的には問題ないんだろう? 許可してやればいいじゃないか」
「まだまだこいつに大した実力はありません。それに、こいつはまだ子供。世に出すのは早すぎる」
「これを見てもそう思うのか?」
「むぅ……」
クリスティアンが私の方を親指で指して言うと、親方が唸る。
どうやら親方の目から見ても、今の私は普段とはかなり違って見えるらしい。
「大人か子供かっていうのは年の問題じゃないのさ。彼女は見た目も、内面ももう立派な大人だよ」
「辺境伯が仰りたい事はわかりました。しかし、先程卿が仰ったように、これは弊店の、カシミール商会の問題です。申し訳ありませんが、口出しは無用でお願いいたしたい」
頑なにクリスティアンの意見を遮る親方。
「おいおい、仮にも俺、組合の主席運営委員の提案だぜ? 考えもなしに無碍にするのはどうかと思うがなァ」
「はは、ウチはアウグスブルグに属していますからな」
「やれやれ、そうだったな。さて、どうする。妹ちゃん? こりゃテコでも動かなそうだ」
ケルンの領主である辺境伯の圧力にも臆する事なく言い切る親方に、クリスティアンは若干呆れたように私へと問う。
どうする? か。
決まっている。
「まずは親方、ごめんなさい。実は昨日、勝手に組合に登録しようとしたんです」
「……何だと? 昨夜は相談に乗ってもらっていたんじゃねェのか?」
「はい、辺境伯に相談を受けて頂いたのはその後の事です。まぁ、勿論、推薦状無しって事で登録は断られましたけど、ね」
「……」
「恩知らずなのは分かっていました。でも、この私には目標がある! そして私はどうしても早く、一刻も早くそれを達成したいんです!」
「……」
何も言ってくれない親方にかまわず、私は必死で思いの丈を口に出していく。
みんなはそれを、真剣な顔で、黙って聞いてくれている。
「心配してくれるのはとても嬉しいんです。私にとって、親方はお父さんのようなものだし、商店のみんなは家族みたいなもの。でも! それでも私は」
「……目標ってのはなんだ?」
親方は不機嫌そうに問う。
「この商店、カシミール商店のような店を自分で持つことです」
「なんだ、随分とちっぽけな夢だな?」
「そうですか? 私は決してちっぽけだとは思いません。それに、夢ではなく現在の目標です」
「……そうか」
私が問いに張り切って答えると、若干親方の声の表情が緩んだ気がした。
「お願いします! 絶対に、絶対に、親方の顔に泥を塗るような真似はしません! どうか私に旅の許可を!」
「ふん、俺の顔なんぞ、そんな事はどうでもいい」
「……はい」
「ただ、一つだけ約束しろ」
「な、なんでしょう?」
約束……。それを守れば、独立してもいいということだろうか。
私はごくりと唾を飲んだ。
「生き残れ。何があってもな」
「はい。元より、そのつもりです」
ふい、と後ろを向いてそんな事を言う親方に、涙がこぼれそうになる。
私はそれをぐっとこらえて、顔を隠すように最敬礼で応えた。
この瞬間、私が商人として一人立ちする事が正式に決まったのである。
つづけ
※プレビューが使えないため、推敲がやや不十分かもしれません。
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