目の前には俺の下半身と泣き喚く俺の幼馴染のファナムがいた。
そして俺の口の中には俺の上半身があった。なにがあった――?
理解できない、あまりの展開に頭が追い付かない。
何がどうなって今の現状になっているのか――!?
だが理解できることがある、いや理解などではなく、感じ取っていることがある。現状を。
最初は夢かと思った。これはありえないことなんだと。さっきまでのは夢で、さっさとこの夢から抜け出して、一族の皆で遊ぼう、ファナムとデートでもしよう。
――無理だ。
どれだけ現実逃避しようとも、現実が五感を通じてビシビシと伝わってくる。
人より優れた視力が今を現実だとはっきりと認識させる。
人より優れた聴力が風の一片一片を聴きとり、自分を人ではないと認識させる。
人より優れた嗅覚が人では味わえぬ世界の感触を我が身に味あわせる。
そして俺の味覚が、俺自身の味を教える。ああ、なんて俺は美味しいのだろう。自分で自分の味を感じるなんて変態もいいところだ。
そしてこの身に纏う触感が、鱗が、自分を人ではなく竜なのだと無理やりに教えてくる。浸食してくる。
なによりも、自分の心臓辺りに感じるのだ。自分では味わえぬ、前世でも前々世でも感じなかったものが。
これが――魔力なのか、リンカーコアなのか。
この身には、俺には、魔力資質があった。
俺はもう≪佐藤芳樹≫でも≪オージン=ギルマン≫でもなく、ただの≪フェンリール・ドラゴン≫であるのだと。
第六話
「オーちゃん、オーちゃん! オーちゃん!」
「ぐる、るううううう」
ファナム! と叫びたくとも今のこの身はドラゴン。なによりもフェンリール・ドラゴンに理性はなく、話す必要もなく。だからこそ俺という理性を身に付けた今でも、喋る必要性のなかったドラゴンの舌は人の言葉を放てなかった。
いくら言おうともしても、自分はオージンなのだと伝えようともしても、言えなかった。
いや、それ以前の問題なのではないのか。
なにせ≪俺≫は≪俺≫を殺してここにいるのだ。たとえ人の言葉を話せたとしても信じなどしないだろう。寧ろ敵視する。
当たり前だ。さっき死んだんだ。それを理解しているのだ、ファルムは。
だからたとえ話せたとしても理解してくれなんか、絶対にしないだろう。
とにかく、ここから逃げよう。
俺は俺を吐き出した。俺の上半身が現れた。
――美味しかったのに、食べたい
そんな本能を抑えて吐きだす。せめて俺を供養してほしい。
今の俺はドラゴンだとしても埋葬してほしい。一族の皆が葬られる墓に。
上半身と下半身を見事に真っ二つにされた俺の体が眼に映る。
「うぐっ」
今はドラゴンの身であるというのに、その光景を見た途端吐きそうになる。
体はドラゴンでも、やはり心は人のままなのか。これもいつか慣れる光景なのだろうか? そう思うと鬱になってくる。
とにかくここから逃げ出そう。すぐに逃げ出そう。
ドラゴンの身になったのは悲しかった。悔しかった。本当に嫌だった。
でもまだ生きている、生きてられる。そして俺がこのドラゴンの身体を奪い殺したからこそ、目の前にいる俺の幼馴染のファナムを守ることができたんだから。
だから逃げ出そう。死にたくなんてない。俺はどうせ討伐対象になるんだろう。だから一目散で逃げ出そう。俺は死にたくなんてない。
そう思って逃げ出そうとした時だった。
そこに1人の男が現れる。
その男は見たことがある。俺がオージンだった頃に見た、その姿を。
その男は管理局員だった。ファナムやトルテを散々管理局に入局させようとしてギルマン一族の村にやってきてはしつこい管理局のスカウトだったのだ。
「ファナムちゃん、大丈夫かい!? 僕が助けてあげるよ。この管理局の、ゾーク・ル・ルシエの名にかけてね!」
どうやらファナムを守りにやってきたみたいだ。ファナムも管理局の人が来てくれれば安心してくれるだろう。
だから俺も逃げ出そう。目の前に管理局の人間が現れれば、俺は人を殺したドラゴンだ。討伐対象になる。だから殺されても仕方がない。だから逃げ出さなければ俺が殺される。
だから逃げ出そうとする。
だがゾーク・ル・ルシエと名乗った管理局の男の肩にある小さな竜がいた。
そして管理局の男は杖型デバイスで詠唱を始める。
「行くぞ、ナーガ!」
「ぎおっ!」
そこには紫色の蛇のような小さな竜がいて。
彼の周りに魔法陣が発生する。それは魔法が発動するために必要なプロセス。
「来よ、我が竜ナウギリオン、竜魂召喚!!」
「ぎおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
紫色の蛇のような小さな竜はそのまま巨大化していく。
「≪大海流るる紫蛇の竜≫!!」
それはまさに大蛇、いやドラゴンと呼ぶにはあまりにも違う。
それはまさにインド伝説のナーガかのような、そんな姿。
紫色の巨大な蛇に修羅の顔と紫色の巨大な腕があり、翼もないのに宙に浮いている。ドラゴンの中でも魔法を得意とする魔導竜、≪大海流るる紫蛇の竜≫だ。
そしてこれだけのドラゴンを扱えるこの男、ル・ルシエの名に恥じぬだけの魔導師というのは間違いない。
圧倒的な魔力を感じる。それを扱う者の強さを感じる。
これがドラゴンか、これが魔導師か。
だが脚力ならばこちらが上。こちらが全力を出して逃げ出せば、今の俺ならば逃げ切れる。逃げることができ――
『――動くな』
途端、動くことができなくなった。
どうしたことか、本能から動けなくなってしまった。
ここから逃げ出せと叫んでいるのに、脚に命じているのに、なぜか動かない。動かせない。まるで本能から縛りつけられているかのように――
『そのまま動かず、ナーガに殺されろ』
「!!」
この男の名は、『ゾーク・ル・ルシエ』。【ル・ルシエ】
ル・ルシエは、竜使いの一族。竜を扱うのに長けし一族。
ならば俺を喰らったこの身は?
今の俺は、フェンリール・【ドラゴン】、――ドラゴン?
まさか、まさか、まさか!!
『魔法の使えない、ただ暴れることしかできない竜などもう不要だ。ナーガ、そのままその木偶の坊を殺してしまえ』
「ぎおおおおおおおおおおおおお!!」
ナーガは魔法陣を発生させる。
ナーガの持つスキルとして魔力変換資質『水』が存在する。
そしてナーガはバインドを発生させる。ナーガラージャの魔法、≪アクア・バインド≫。
今の俺は水にその体を縛られている。身動きが全く取れない。
「とどめだ! アクアプレスブレスを吐け!」
「ぎおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
動けない動けない動けない動けない!!
肉体的にも精神的に動けない!! 二重に縛られている。
今の俺はル・ルシエの魔法で従属させられた状態のまま、ナーガラージャのアクア・バインドで縛られた状態にある。今の状態じゃ動けない!
このままだとナーガラージャのブレス攻撃で圧殺される! 駄目だ、駄目だ、殺される!? 死んでしまう!?
『死にたくない!!』
殺されても大丈夫なんじゃないのか? どうせ死んだらあのドラゴンの体を奪うだけだろ?
なぜそう思ったのか? 分からなかった。でも死にたくなどなかった。
『死』をこの短時間で二回も味わえば、確実に精神的ダメージを大きく、廃人となってしまうのは目に見えていた。
殺されても大丈夫、とどうして思ったのか分からない。どうせ死なないとどうして思ったのかも知らない。
でも分かることは一つ、このまま死んだらたとえ生きていても、もう≪俺≫としては≪俺≫としては、決して生きられない、≪廃人≫になるのは、心の底から理解できた。
だから俺は――
全力で、思い浮かべる。心の底で思い浮かべる。
使えるかどうかも分からないのに、使えるわけがないのに。それでも学んできたことを。
「GAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO(≪バインドブレイク≫!!)」
思い浮かべるのはバインドブレイクの方式。
俺は計算は苦手だけど暗記には自信がある。だから暗記した。使えるわけがないと思っても、いつか使えるんじゃないだろうかと思って暗記していた。リンカーコアがないと分かったのは暗記し終えた後だったが。
今、リンカーコアがある。デバイスもなく、ただリンカーコアにある魔力だけでバインドブレイクの方式を思い浮かべ発動させる。それがどれだけ大変で難しいことか、俺には分からない。
それでも今、使わないと、また『死ぬ』!!
ばきっ
「な!? ば、馬鹿な!?」
「ぐるるるう、GAAAAAAAAAAAAAA!!」
バリアブレイクでナーガラージャのアクアバインドを打ち破り、ついでに目の前の管理局員の従属の魔法をも打ち破った。今の俺は完全なる自由だ。
目の前の男を殺したい、この牙で屠りたい気持ちでいっぱいになった。でも殺したら最後、もう俺は≪佐藤芳樹≫にも≪オージン≫にも戻れなくなる。
だから俺は、脚に魔力を垂れ流し、全速力で逃げ出した。
「な!? 逃がすか、追いかけろ、ナーガ!」
「ぎ、ぎおおおおおおおおおおおお!!」
全力で逃げ出す。
今の俺はフェンリール・ドラゴンだ。ドラゴンの中でも陸での速さは随一の速さを誇る。だからこの場を全速力で逃げ出す。
今の俺は理性があり、魔力を脚に集中させるということもできる。ならば魔力なしでも十分に速いフェンリール・ドラゴンは魔力を集中させることでより速くなり、ナーガラージャごときならば単純な脚の速さだけで撒くことなど簡単だ。
とにかく俺は逃げ出すことにした。
Side-Fanam
オーちゃんが、オーちゃんが、目の前で、目の前で、死んじゃった、死んじゃった。
なんで? どうして?
「大丈夫かい? ファナムちゃん。僕がここまで来たからには安心だよ」
やだよ。オーちゃん、起きてよ、起きてよ、オーちゃん。
目の前で二つになっているオーちゃんに心の中で願う。生きて、立ちあがって、目覚めて、と。
でもオーちゃんは立ちあがることもなく、目覚めることもなく、死んでいた。
どうして……? なんで?
「オージン君のことは残念だったと思うよ。でも泣いちゃいけない。
オージン君みたいな人を増やさないためにも管理局に入るべきなんだ、君は。
仇を取りたいんだろう。だったら管理局に入るべきだ。オージン君はそれを望んでいるはずだ!」
「オーちゃんが……」
オーちゃんが死んだのはどうして?――真っ二つになったから
どうして真っ二つになったの?――殺されたから
誰に?――【ドラゴン】に。
「……許さない、許さない。許さない、殺す。殺してやる、殺してやる。絶対に、殺してやる!!【ドラゴンを!!】」
「管理局ならば君の手助けだってできる。オージン君も君の管理局入りを望んでいるはずさ!」
「……分かりました。入ります。管理局に。そして絶対に、殺してやります。絶対に!」
私は復讐を誓った。オーちゃんをドラゴンを決して許さない。絶対に殺してやる。
だから力を貸して、≪竜滅ぼす魔剣≫。