酷い雨だ。あいつら今日は見回り早めに切り上げるだろうな。
雷雨で荒れ狂う中、見回りをする四人の若者たちの姿を思い浮かべながら、マスターはグラスを拭きつつ客に聞こえない程度の声で呟いた。
店内には客は一人しか居ない。
普段なら誰彼構わず陽気に話しかける彼だったが、客は深く記憶の海に埋没している様で、どうにも彼は話しかけるのは躊躇われた。
変わった客だとマスターは思う。
この村は開拓されて十年と経っていないが、客の入りは良い。
今日はたまたま外の嵐のせいで客の入りは悪いが、普段の今の時間帯なら仕事帰りの村人で賑わっているはずであった。
そんな嵐の中、一人の旅人が現れたのだ。
そこまでは良い。
問題は男が普通の旅人とあまりにも違って見えることだ。
客の男は、色黒で南東のナジュの血を色濃く受け継いでいるように見える。
また髪は全て後ろで括っており、彫りの深い精悍な顔をおしげもなく見せていた。
そして腰にはかなり使いこまれたであろうボロボロの鞘にさされた曲刀があった。しかしその曲刀の柄のなんと美しいことか。相当の値打ちものだとマスターは思った。
そしてこの気品すら漂う旅人は何度血なまぐさい夜盗やモンスターに襲われたのであろうかと。
このシノンという村は、いまはまだ発展途上の村であり、深い森で囲まれている。
人口は百人に満たず、村自体もお世辞にも豊かとは言えない。
森には、山賊やゴブリン、蛇や凶暴な獣が巣くっており、幾度となく村は襲撃されている。
そのため、村の周辺をいつも4~5人のパーティを組んで村の若者たちが見回りをしている。
その若者たちの集合場所であり解散場所が、村唯一の食堂であり酒場も兼ねているこのマスターの店なのであるが、それはおいておこう。
これといって特徴もない村であり、この村に来るだけの為に無理に森を通るには危険であり、力に自信があるというのは危険を通り越して愚かである。
そんな村になぜこの色黒の旅人はやってきたのか、マスターは不思議でならなかった。
「そろそろかな…」
ポコポコとコーヒーが沸く音を聞きながらマスターは呟いた。
「……なんか言ったか、おやじ」
「!?、あ、いえ、そろそろ村の自警団の奴らが戻ってくるだろうなと」
突然、何気なしに呟いた言葉に反応されたマスターは、男の言葉に一瞬動転した。
すぐに返事を返し、客に対して気を抜きすぎていた自分に心の中で喝をいれる。
男はあぁと、興味なさそうに相槌を打つ。
そして話は終わったといわんばかりに、一息に酒をあおった。
店に来てからずっと無表情であったが、そのとき初めて男の顔に変化が起こった。
「おやじ、なかなかいい酒だな」
思考の海に埋没しすぎて酒の味に気付かなかったのであろう。
改めて感じる酒の味に、男の顔に苦笑が浮かぶ。
酒の味に気付かず、ただ水のように飲んでいたのがもったいなかったと言わんばかりに。
「へへっ、自家製の特別品ですよ。お客さん。お客さん、このあたりの人じゃないね?かと言って開拓に来たようにも見えない」
自分の作った酒が褒められたのが嬉しかったのか、ふとマスターは話題づくりに、また自身が疑問に思っていたことを口に出した。
「ああ、開拓者じゃない。たまたま足がこっちに向いたんだ」
マスターも一時、見知らぬ土地を旅して世界を見て回りたいと思ったことがある。
知らぬ土地を歩き、人に害を与える魔物を知恵と勇気と正義の力で屠り、財宝を発見する。
子供じみた夢だと思いつつも、若き日の憧れはそう簡単には消えなかった。
「旅暮らしか~いいですね~。ナジュ砂漠の方からいらしたんですか?」
半ば本気で羨ましがりつつ、マスターは男の出身地を聞く。
「砂漠か……もう何年も目にしてないな……」
問いの答えになるのか、ならないのか。
マスターが首をひねっているうちに、またも客の男は記憶の海に沈んでいくのだった。
男が『姫…』と呟く声を聞きながら、二十分が経った。
マスターはこの客がどこぞの王族であろうかと予想しながらグラスを磨いている。
その時、騒々しく店のドアが開かれた。
「くっはぁ、酷い雨だぞ。マスター」
「全くだ。しかしこの嵐だとゴブリンも夜遊びはやらないだろう。ゴブリンは稲光を嫌うからな」
「ふぅ……こんな日に見回りなんてやらなくてもいいじゃない。あ、もう……サラ、早く入りなさい。風邪引くわよ」
「あ、……うん」
現れたのはレインコートを着た四人の男女であった。
この嵐の日に外に出る人村人はいないと思っていたのであろう、騒ぎながら四人は店の中に入っていく。
とはいえ客が、居ようが居まいが大人しく静かにするといった面子では無かったが。
「おかえり。ユリアン、トム、エレン、サラ」
棚からタオルを出し、マスターは手馴れた様子で苦笑しながら四人にタオルを渡した。
四人の男女は、それぞれ渡されたタオルで濡れた顔や髪を拭いた後、四人がけのテーブルに席に着いた。
その時一人の緑色の髪を立たせた青年が、隣に座っている眼鏡の青年に顔を寄せる。
「トム、すこしだけエレンと話がしたいんだけど」
ユリアンと呼ばれた少年は、トム(本名、トーマス・ベント)にエレンとサラに聞こえないよう、そっと耳打ちした。
トーマスは、いつもこの四人のムードメーカーであるユリアンが、男勝りで勝気なエレンに対し、恋心を抱いているのを知っていた。
いや、ここにいる旅の男以外全員、ユリアンがエレンに対し恋心を抱いているのを知っている。
それは当のエレンでさえも。
「ああ、わかったよ。サラ、ちょっと手伝ってくれ。何か料理を作るから」
まだこりないのかとトーマスは内心ため息をつきながら、テーブルの向かい側に座っているサラに呼びかけた。
うん、と短く答えサラは席を立った。
「マスター、キッチン借りるよ」
「なあ、エレン。ヤーマスからの船がミュルスの港に着いたそうだぜ」
トーマスとサラがキッチンに入ったのを確認したユリアンは、すぐさまエレンに話しかけた。
「ふぅん、そうなんだ。それで?」
エレンも内心でユリアンが何を言いたがっているのか気付いている。
勝気で喧嘩っ早いエレンであるが、そのぶん性格はさっぱりしており、ずるずる後を引きずる性格ではない。
そんなエレンは村の人間達からの人気が高く、よく男からモーションをかけられている。
エレンがユリアンの気持ちに気付くまで、そう時間はかからなかった。
「いろんなものがロアーヌに運ばれてくるんだ。珍しいものや美しいものまで。一緒に見に行かないか?なんなら何か買うのもいいし」
あまりエレンが関心がなさそうなことに気付いていながらもユリアンは言葉を続ける。
必死で自分をデートに誘うユリアンを見て、エレンは言った。
「一緒に行くのは別に構わないわよ。でもね、ユリアン。あたしはどうしてもあんたを恋人とかそういう風には見れないんだ。子供のころから知り過ぎてるよ。そりゃ、昔はお嫁さんごっことかもやったけどね」
エレンはいつもの様にあっさりと、ばっさりと、ユリアンの思慕の情を断ち切る。
毎日のように、自分を口説こうとするユリアンに、エレンは疲れを感じている。
ユリアンは一瞬、無表情になったが、すぐにいつもの人好きする笑顔を浮かべ言った。
「ちぇっ、まあいつかこっちに振り向かせて見せるからな。そん時に、俺が良い男になってエレンのほうを向いていなかっとしても後悔するなよ?」
全く期待してないわと言わんばかりに、こめかみに手を当てながらエレンは投げやりに手を振った。
今日も振られたか…、さすがに辛いな。
ユリアンは思う。
振られ続けて早二年。ああ、アリア…、お兄ちゃん挫けそうだよ……。
表面の態度とは裏腹にユリアンはかなり傷ついていた。
幼くして死んだ妹に、ユリアンは心の中で涙を流しながら呼びかける。
明らかにうざがられてるし……、少しは俺の気持ちに応えてくれよ……エレン。
ユリアンは妹を亡くしふさぎこんでいたが、エレンの持つエネルギッシュな性格に救われた。
しかしそれまでユリアンは、エレンへの憧れは持っていたが思慕の情は持っていなかった。
十八の時、村で行われた腕相撲大会の決勝戦でユリアンは数年ぶりにエレンの手を握り、その握った手の小ささに驚いた。
ずっと近くにいた友人が、いつの間にか女性に変わっていたことを知り、憧れの感情が恋に変わったのはこの時である。
ユリアン・ノール、齢十八での初恋であった。
はぁ……めんどくさいなぁ。
ユリアンがいつもの笑顔を浮かべながら苦悩している姿を横目で見ながらエレンも思う。
恋愛は楽しくて素晴らしいものだって人は言うけど、あたしはそんなの全く興味無いし…なにより馬で走り回ったり格闘の訓練してる方が楽しいし。
色恋沙汰には全く興味が無いエレンは、誰が言い寄っても決して誰かと付き合おうとしなかった。
無理に迫ってくる輩には平手を飛ばすことも珍しくなく、それでも迫ってくる輩は自慢の格闘術で叩きのめしている。
ユリアンが刷り込みの感情で迫っていると思っているエレンは、自分に責任があると考え、ユリアンに手を上げることができなかった。
なによりサラがいるしね…。もう少しサラがしっかりしてくれたら、あたしも旅に出て世界とか見て回るんだけど。
そう心の中で考えながらエレンは、キッチンでトーマスの手伝いをしている妹に目を向けた。
サラは玉葱をきざみながら、何度も目を瞬かせている。
この年十七になる頼りない妹の姿を見て、エレンは再びこめかみに手を当てた。
そのときふいに、カタン…と風に吹かれたような小さな音を立てながら店のドアが開いた。
店内にいる全員の視線がドアに集中する。
そこに、
「馬を…貸して……お願い……」
少女がいた。
「必ず……返しますから」
泥だらけで、傷だらけで。
「私は……モニカ……」
ドアの開く音より更にか細い声を発しながら、気力だけで立っている、
「…モニカ・アウスバッハ……ロアーヌ候…ミカエル・アウスバッハ…フォン・ロアーヌの……妹です……」
とても美しい皇女がいた。