雨の日が増えて梅雨空に憂鬱になる、6月も半ばを過ぎた時期。上条当麻は第七学区の大通りと狭い路地を折り合わせながら必死になって駆け抜けていた。ハァハァとまとまらない呼吸に毒づきながら、時々後ろを振り返る。「ちくしょう、あいつら絶対昨日のこと根に持ってるな」そう、追いかけてくる連中には、実は昨日も会っていた。おてんばそうな中学生くらいの女の子が囲まれているのを見て、つい、不良たちとその子に間に割って入ってしまったのだ。おそらく彼ら、当麻を追う不良たちはそのことを根に持っているのだろう。いつも通りに下校する当麻を発見するや否や全速力で走ってきた辺り、恨みの深さはかなりのものだ。当麻は何も体力に自信があるわけではない。昨日は助けたはずの女の子にビリビリと雷撃を飛ばされながら追い掛け回された。そのせいで今日は襲われる前から足は筋肉痛だった。それでも何とか撒いて撒いて、あとは最後の1人から逃げおおせればどこかに隠れてやり過ごし、鬼ごっこをやめてかくれんぼで帰れるところまで来ていた。足がガクガクだ。だが相手も本格的な武闘派スキルアウトではないようで、かなりの疲労が見て取れる。この路地を抜ければあとは――――カラン。アウトローで小汚い猫が、当麻の進路上へと空き缶を蹴り転がした。「は? うわっ!」日ごろから不運に見舞われることの多い当麻だが、空き缶が転がってきたからといってマンガみたいにすってんと転ぶことはなかった。だが、右足がぐしゃりと缶を踏み潰し、大きく体勢を崩す羽目になった。そして明るい大通りにもんどりうって出たところで、当麻は派手に倒れた。「あいでっ……くそっ」「あー、疲れた。テメェも諦めの悪い奴だな。ま、よく頑張ったよ」肩でゼイゼイと息をする不良がゆっくりと路地から出てくる。気づくと、大通り側からも数人の仲間が集っていた。非常にマズイ展開に直面して、当麻は脱出の方策を必死で練る。だが、当麻を包囲した相手はすでにやる気満々だった。「とりあえずゴクローさんってことで一発貰ってくれやぁぁぁぁ!」そう言いながら、やたらガタイのいい不良がサッカーのようなフォームで起き上がろうとする当麻に蹴りを入れようとした。当麻はその一撃を食らうことを覚悟し、とっさに腕で体をかばった。その直後。べしゃんっ、とアルミホイルを勢いよく丸めるような小気味の良い音が当麻の耳に響いた。婚后光子(こんごうみつこ)は不良の真似事をしていた。もちろん彼女の主観では、の話だ。彼女の通う学校、常盤台中学は学舎の園(まなびやのその)と呼ばれる、近隣の女子校が互いに出資して作った男子禁制の区画の中にある。そこは日用雑貨の店なども全て揃えられた、一通りの機能がそろった一個の街である。そして彼女の寮もその区画内にあったため、2年生になって常盤台に転校して以来、彼女は学舎の園から出たことはなかった。そして彼女は良家の子女らしく、小学校を卒業するまでは繁華街を1人歩きなんて選択肢を知りもしなかったし、中学に入って執事を侍らせない寮生活になってからも能力の伸びるのが楽しくて、そんなことを考えもしなかった。だから、今日が初めてだった。繁華街を1人で歩くなんていう、まるで不良みたいな行為は。日直として学舎の園の外にあるほうの寮に住むクラスメイトにプリントを届けた帰り、彼女はまっすぐ自分の寮を目指すことなく、駅近くの繁華街へと繰り出していたのだった。彼女はツンと済ました顔をしながら、内心でその光景にドキドキしていた。沢山の学生が練り歩き、そのうち結構な割合が男女で連れ添って手や腕を組んでいる。あれがデートなのだろうと光子は考えた。なにせ小学校から女子校通いなのだ。執事のようにほぼ家族である男性以外にも、住み込みの庭師たちやその子息などある程度の男子の知り合いはいるが、それでも腕を組むなどという破廉恥な行為は考えたこともない。道の傍にある広場ではクレープ屋が甘い匂いを放っている。手を繋いだ男女が洒落たテーブルではなく店のそばの花壇のへりに腰掛けて、1つのクレープを食べあいしていた。その光景をつい凝視してしまう。椅子に座らないなんてとても悪ぶった感じがする。品がないとは思うが、たとえば自分にお付き合いをする殿方が出来てあんなことをするなら、とつい自分に重ねて空想してしまう。いけない、と自分を戒める。そういう不良に憧れる心が堕落への一歩なのだ。町を彩るもの一つ一つは安っぽい。良いもので勝負するなら光子の生きてきた世界のほうがはるかに満たされている。だがその雑然とした雰囲気は、明らかに低俗なのに、魅力的で嫌いになれなかった。もう少し先まで行ったら引き返そう、そう光子が決めたときだった。店と店の間の、小型車両しか通れなさそうな路地から倒れこむように高校生が飛び出してきた。それまでにかなり走ったようで、尻餅をつきながら荒い息をついている。ハリネズミみたいに黒髪が尖っているが、顔は凶悪そうにも見えない。上背がそれほどないためか、不良というには凄みが足りないように思った。……と、少し眺めたところで、光子のイメージ通りの不良達が数人湧いて、そのハリネズミ頭の少年を囲んだ。そこで光子は状況を理解する。つまり、あの髪のとんがった少年はどうやら襲われているらしい、と。焦った顔のハリネズミさんに不良たちがニタニタとした表情で何かを言った。そしてそのうち1人が、蹴りのモーションに入るのが見えた。婚后光子は、箱入りのお嬢様である。繁華街を1人で歩くだけで不良っぽいと思うほど、だ。そして彼女はお嬢様のあるべき姿をちゃんと知っている。――困った人には、手を差し伸べること。おやめなさいと言って止まるタイミングではない。だから光子は傍にあった看板に手を伸ばす。木の枠に薄い鉄板を打ち付けてペイントした粗末なものだ。トン、と光子に触れられたそれは、一瞬の後に不良に向かって人間の全速力くらいのスピードで飛んでいった。金属板を顔の形にひしゃげさせて、当麻を追っていた男が倒れた。電灯に立てかける安っぽい看板が、冗談みたいにスーッとスライドしながら不良に体当たりをかましたのだった。普通の人が自分の腕でこの看板を投げたのなら、看板の描く軌跡はたぶんブーメランのように緩やかにカーブしたもののはずで、不良にはその角が突き刺さることだろう。だが実際には、宣伝内容が書かれた広い面が不良の顔面を叩くように、看板は飛んできた。一瞬の戸惑い。そして学園の生徒らしく、当麻はそれが能力によるものだとアタリをつけた。「おやめなさい! 罪のない市井の人を追い回すような狼藉、この婚后光子の前では断じてさせませんわ!」「へ?」当麻と不良たちの声が唱和した。浮かぶ疑問は皆同じ。不良に制服を見せた上で名前も教えるとか、この子はどれくらい自分の実力に自信があるのだろう。あるいは、馬鹿なのか。気弱い普通の女学生からは真逆の態度をとるその常盤台の女子中学生に、その場の誰もが困惑した。その中で、立ち直りの早かった不良の1人がへっへっへと笑いながら光子に近づく。「昨日に引き続き常盤台の女の子とお近づきになれるなんて幸せだねぇ」肩でも掴もうというのか、不用意に不良が手を伸ばした。「おい、やめろ! その子は関係ないだろ!」当麻は当然の言葉を口にした。昨日、常盤台の女の子を不良から助けようとしてこうなったのだ。その結果別の女の子が被害にあうなんてことは、あってはいけないのだ。当麻のその態度に気を良くしたのか、婚后と名乗る少女は薄く笑った。パシン、と不良の手がはたかれる。大した威力はなく、不良は怯むよりもさらに手を出す口実を得たことが嬉しいようにニヤリと笑い、そして。「イッテェなぁお嬢ちゃんよぉ。このお詫びはどうやってして、っておわ、うわわわわわわっ!」叩かれた手の甲が釣り糸にでも引っかかったように、不自然に吹っ飛んだ。それにつられて体全体がコマのようにクルクルと回り、倒れこむ。倒れてからもごろんごろんと派手に回転しながら10メートルくらいを転がっていった。当麻は風がどこかで噴出しているような不思議な流れを肌で感じた。気流操作系の能力か、と予想する。「手加減をして差し上げたからお怪我も大したことはありませんでしょう? これに懲りたらこのようなことはお止めになることね」自信満々の態度で、そう正義の味方みたいなことを口にする少女。それをみた不良たちが、目線で示し合わせて当麻たちから離れ始めた。「大丈夫ですか? 怪我はありませんこと?」少女は勝ったつもりでいるらしく当麻に近づき、その身を案じてくれた。だが、当麻はその少女を見ない。こそこそと走り去る不良たちが、携帯電話を手にしたのを見て、思わず血相を変えた。「くそ、やっぱり人を集める気か。おい、逃げるぞ!」いきなり仲裁に入るのなら、もっと場慣れしていて欲しい。そう思いながら当麻は目の前の女の子の手を握り、駆け出した。「ちょ、ちょっと一体なんですの? いきなり手を握られては、わ、私心の準備が……っっ!」「やっぱり慣れてないのか! 昨日といい常盤台の子はどういう神経してるんだ!」「慣れてっ……私がこのようなことに慣れているとお思いですの!?」慣れてないのかって、そりゃあ慣れていない。婚后光子は問答無用の良家の令嬢なのだ。繁華街で男の人と手を繋いで走るなんて、想像を絶するような出来事だ。女性と全く触れた感じが違う手、力強くそれに握られている。光子は当麻が喧嘩の仲裁に慣れていないのかと聞いた質問の意図を、完全に勘違いしていた。「どこへっ、向かいますの!?」それなりの距離を走って息が苦しくなってきた。よもやこんな手で誘拐されるとは思っていないが、それでも行き先をこのハリネズミさんに預けたままなのは気になる。「この先の大通りだ。あそこまで行けばたぶん縄張りが変わるからそう簡単に人集めはできなくなるはず! そこまで頑張れ!」ひときわ強く、ハリネズミさんが強く手を引っ張った。戸惑いと、よくわからない感情で胸がドキリと高鳴る。周りは自分達のことをどう見ているのだろう、はっとそれが気になって周りを見ると、青髪でピアスをした不良らしき学生が、あんぐりと口をあけてこちらを眺めていた。やはり奇異に映るのだろうか、自分でも何故走っているのかわけが分からないのだ。「と、とりあえず、そろそろ大丈夫なんじゃないかと、思う」「説明なさって。どうして、私を連れて、こんなことを?」状況確認を行いつつ、先ほどの通りとは別の大通りの隅で荒くなった息を整える。「いや、だってあいつら人を呼ぼうとしてただろ? 何人来るかわかんないけどさ、1人で崩せる相手の人数なんてたかが知れてるんだ。逃げるっきゃないだろ?」「この常盤台の婚后光子を見くびらないで頂きたいですわね。私の手にかかれば不良の5人や10人どうということはありませんわ!」「いやその、君に戦ってもらおうって考えはないんだけど……」やけに好戦的な女の子に戸惑いながら、当麻はまだ自分が礼も言ってないことに気づいた。「まあでも、助かったよ。最悪なタイミングでこけちまって、ちょっとやばかったしさ。ありがとな。お礼にジュースでも、ってのは常盤台の子に言う台詞じゃないか」「お礼が欲しくてやったのではありませんわ。私は私が振舞いたいようにしただけです。ですからお気遣いはなさらないで」目の前の女の子は荒い息を押し隠し、優雅に当麻に微笑んで見せた。こうやって落ち着いてみると、実はかなり綺麗な子だった。やや高飛車な印象があるが、肩より下まで伸びた長い髪にはほつれの一つもないし、しなやかに揺れている。色白の肌に目鼻がすっと通っていて、流麗な印象を抱かせる。おまけにスタイルは高校生並だった。吹寄といい勝負をするのではないだろうか。「いやでも、年下の女の子にあそこまで助けてもらってサンキューの一言で終わらせるのは悪いだろ? そうだ、そっちはどういう用事で来たんだ?」「え?」お礼をするのを口実に女の子を口説くなんてのはありがちな手段だ。だが当麻はそんなことをこれっぽっちも考えていなかった。単に、おのぼりさんみたいな光子に危害が及ばないように必要なら簡単なエスコートくらいはするかと考えているのだった。その申し出に、光子が視線を彷徨わせる。「いえその、私」言ってみれば、光子は不良ごっこをしに来たのだ。買いたいものがあったわけではないし、行きたいところもない。恥ずかしくて正直に目的を告げるわけにもいかなかった。「やっぱこういう所、初めてだったりするのか?」当麻は口ごもる光子の様子を見て、ピンと来たのだった。案の定、光子は言い当てられて戸惑いを視線に浮かべていた。「え、ええ。まあ。あまりこういうところは来ませんから……」「そっか、じゃああの店とか行った事あるか?」「? こちらに来たことなんてありませんから、当然あのお店なんて存じ上げておりませんわ」女の子は困惑気味にそう返事をした。当麻は住んでる世界の違いを感じた。なにせ当麻の目の前にあるのは、日本ならどんな田舎にでもあるハンバーガーのチェーン店だ。彼女はどうもそれを知らないらしかった。「よし、じゃあ君、おやつ食べるくらいのお腹の余裕はあるよな? ハンバーガーかアップルパイ、どっちがいい?」「ちょ、ちょっと。私そのような礼は不要ですと申しましたのに……」「まあまあ。正直、ほとぼり冷ます時間もいるし、ああいう陰険な連中の目をくぐって帰らなきゃいけないだろ?」「また会ったなら、その時こそ性根を直して差し上げる時でしょうに。レベルの低さに屈折して、暴力に走った学生なんて」そう冷たく言い切る光子に、当麻は苦笑を返した。正論は正論なのだが、それは集団相手にはなかなか振りかざせない正論だ。「言いたいことはわかるけど、あっちは群れだからな。ほら、慣れてないんだからとりあえず俺の言うこと聞いてくれよ」「はあ。……あの、言うことを聞くというのは、こちらのレストランにエスコートすることについても承諾しろ、ということですの?」ちょっと、戸惑いがないでもない。だって、男の人に案内されて食事なり喫茶なりをするなんて、これはいわゆるデートというやつではなかろうか。もちろん、自分とこの人は初対面だから、世間で言うところのデートとは違うのはわかるけれど。「嫌なら、まあ別に断ってくれたらいいけど」目の前の当麻が困惑気味にそう返したのを見て、光子は悩んだ。こういうときは、断るのは失礼なことなのかしら。別に、あまり高いお店には見えませんし、巷ではこういう時に軽く殿方にご案内いただくのが普通なのかも……。内心でそんなふうに悩んだ末、光子は当麻の方を見た。「その、ご迷惑ではありません?」「迷惑? いや俺の方にはそんなのないって。そっちこそ変に誘われて困ってるか? もしかして」「い、いえ。分かりましたわ。殿方の礼を無碍(むげ)にするのもよくありませんし、エスコートをお願い致しますわ」「ん。甘い方か甘くない方か、どっちが好きだ?」ハンバーガーというのはあまり馴染みがない。そちらにもちょっと気は惹かれたが、素直に好みを答えた。「甘いもののほうが好きですわ」光子は当麻を立てるように笑い、リクエストをした。「オッケー、じゃごちそうするよ。あ、食べる場所は店の中か外か、どっちがいい?」「1人だったらお店の中に入るのも気が引けますし、せっかくですから中がよろしいわ」「わかった。じゃあ、行くか」昨日みたいに訳も分からず助けたはずの女の子に怒られるようなこともなく、当麻は自然な展開にほっとした。「お待ちになって。レディをエスコートするのでしたら、お名前くらいお聞かせ願えませんこと? ハリネズミさん」「ハリネズミって。まあ言いたいことは分かるけど。俺の名前は上条当麻。君は……本郷さん、でいいのか?」「いいえ。婚姻する后(きさき)と書いて、婚后ですわ。婚后光子と申しますの」「あ、ごめん。婚后さんね」騒がしいカウンターで注文と会計を済ませるのを後ろから眺め、差し出されたトレイを持って二階へ上がる当麻について行った。初対面の相手についていくのは勿論良くないことだと認識してはいるが、目の前の殿方は悪い人に見えなかった。「まあ常盤台のお嬢様にとっては何もかも安っぽいものだろうけど、これも経験ってことで試してみてくれると嬉しい」「ええ。そのつもりで街に出てきましたから、私にとっても願ったりですわ」硬めの紙に包まれたアップルパイを取り出す。思わず首をかしげた。「これ、アップルパイですの? 本当に?」「え、そうだけど?」光子の知るそれと全く違う。家で出されるアップルパイは、シナモンと林檎の香りが部屋中に立ち込めるようなモノだ。パイ生地のサクサクした食感と、角切り林檎のバターで半分とろけた食感の協奏を楽しむものだと思っていたのだが。目の前のアップルパイは林檎が外からは全く見えず、生地もパイ生地ではないし揚げてある。光子は恐る恐る、角をかじった。生地はパリパリ、そして中はとろとろだった。林檎の香りが弱いのは残念だが、そう捨てたものでもない。「これをアップルパイと呼ぶのはどうかと思いますけれど、嫌いではありませんわ」ご馳走してくれた上条さんに、微笑みかける。それを見て当麻もニッと笑った。一緒に購入した紅茶に口を付けると、安っぽいアールグレイの味がした。こちらはちょっと、いただけない。対面にいる当麻はというと、アールグレイにミルクポーションと、さらにガムシロップとかいう液体砂糖を入れていた。これはそうやって飲むものなのかもしれない。ポットで淹れて温かいままいただく光子のよく知ったアールグレイとは違うのだろう。自分も当麻の真似をしてみればいいのかもしれないが、さすがに甘いアップルパイに甘いアールグレイを合わせる気にはならなかった。「なあ婚后」「はい、なんですの?」「どうだ、こういう雑多なファストフードのノリは?」当麻は、光子がほぼ完全にこうしたところに不慣れなことを見抜いているらしかった。隠しても仕方がないし、率直に答える。「なんだか、面白いですわね。たったの100円でこんなものが買えて、楽しめるなんて」「はは。まあ、ちゃんとしたところのアップルパイだと800円くらいするもんな」「え、ええ」アップルパイの値段は知らなかった。家で誰かが作ってくれるか、そうでなくても誰かが用意してくれるものなので、光子はアップルパイを購入したことなど一度もないのだ。「見るからに、婚后ってお嬢様っぽいもんな」「そ、そうでしょうか」「だってさ、そうでしょうかなんて返事をする中学生がどこにいるんだよ」「えっ? あの、私の言葉遣いは、もしかしてこうした街では浮いてしまっておりますの……?」「いや、浮いてるっていうか。婚后には合ってると思うけど、普通の中学生はまあ使わないな」「はあ……」直せと言われて直るものでもない。あまり直そうという気もないし。「悪いって言ってるんじゃないんだ。ただ、いいところのお嬢さんなんだろうなって」「え、ええ。婚后はそれなりに名の通った名家ですわ。上条さんも名前をご存知ではありません? 日本で航空最大手の婚后航空を」「ああ、名前は聞いたことあるな。ニュースで。学園都市にも乗り入れてたっけ」当麻は小学校に上がる前からの学園都市暮らしだ。飛行機に乗ったことは、それ以前にはあったかもしれないが、ほとんど記憶にはない。一般的な学園都市の学生らしく、航空産業にあまり興味はなかった。そんな当麻でも知っているのだから、大手の会社ではあるのだろう。「はい。数に限りはありますが、いくつか就航していますわよ」「婚后って、もしかしてその一族の?」「ええ。こう見えて、跡取り娘ですわ」「へぇ。すごいじゃないか」当麻が感心したような顔をしたのを見て、光子はいくらか気分をよくした。「私も、早くお父様やお爺様のお力になりたいんですけれど」「将来のヴィジョン持ってるんだな」「え、ええ。でも婚后に生まれた者として当然の自覚を持っているだけですわ。上条さんは、どうですの?」「え、どうって?」「お父様のお仕事を継いだりとか、そういうお考えは?」「んー、あんまりないな」当麻は苦笑しながら光子に答えた。父親の職業には由緒なんてのはこれっぽっちもない。「うちの親はサラリーマンだからな。継ぐっていっても、父親が働いてるからって理由じゃ雇ってくれないだろうし」「はあ」光子が曖昧な返事を返した。サラリーマンの実態がいまいちイメージできないらしかった。話していて十分に分かったことだが、どうも光子は、相当な箱入り娘というか、お嬢様なのだった。「さて、もう食べ終わったよな?」「はい」「婚后に美味かったかと聞くのは無謀かも知れないけど、それなりに楽しんでくれたか」「ええ。たくさんの初めてがあって、とても面白かったですわ。殿方にこんな風にお誘いいただいたのも初めてでしたし、こうした……ウェイターが注文を取りに来ないお店で食事をしたのも初めてでしたから」「楽しんでくれたなら良かったよ。悪いな、長い時間付き合わせて」「いえ。こちらこそお誘い下さって、ありがとうございました」軽く頭を下げ合って、当麻は光子と自分のトレイを持って、ゴミ箱に向かった。立ち去る時もセルフサービスなのが、また光子には不思議らしかった。そしてファストフードの店を出て学舎の園の近くまで送り、当麻は光子と何気なく別れた。「それじゃ、気をつけて」「ええ、上条さんもお気をつけになって」こちらを振り返ることなく男子禁制の世界に戻っていく光子の後ろ姿を眺め、可愛い子だったな、と当麻は今日の出来事を反芻した。つい前日には同じ常盤台でも攻撃的なタイプの子に追い回されて、当麻の抱えていたお嬢様学校のイメージが崩れかけていたが、やはり光子のような子の方が常盤台らしい学生なのだろう。お嬢様気質な面は否めなかったけれど。自分のいた環境が人より恵まれていたせいか、人を見下すような表現を使うことがあったり、あるいは自信家なところが自慢好きに見えたりと、敵を作りやすそうな女の子だなという印象はあった。けれど根はきっといい子なのだろう。当麻のからかいにたいする反応はどれも素直で、可愛いかった。「ま、そりゃあんな綺麗な子と付き合えたら幸せだろうけど、上条さんにそういうフラグは立たないのですよ、と」自分の不幸体質をさっくりと再確認してから、当麻は今日の晩御飯代が420円少なくなったことを念頭に置きつつ、レシピを考えながらスーパーへ向かった。これが、上条当麻と婚后光子の、馴れ初めだった。*********************************************************2013年夏ごろにプロローグの改稿を行いました。その結果、以前と比べ数話程度の加筆があります。また、細部に関しては描写の変更もありますので、改定前の版をお読みになりたい方は、『prologue (old version)』のページへとお飛びください。