「ここか」「……」「気に入らないか?」「別に、そんなことないけど、この都市の教会っていうのがどんなものか分からないもん」当麻は朝から、インデックスと二人である教会までやってきていた。イギリス清教の主流派、聖公会の流れではなくピューリタン系の弱小会派、ということらしい。詳しいことは当麻には分からなかったが。「まあそう言うなって。学園都市の住人になるからには学校に通う義務が当然あるし、まさか超能力開発をやる普通の学校には通えないしな」「それはそうだけど、『必要悪の教会』はカトリック寄りだし、こんなプロテスタント側に寄った学校にしなくてもいいのに……」まあそりゃあ、不安はあるだろう。聞いたところ、学校に通うのはこれが生まれて始めてらしい。読み書きは手の空いた修道女達に交代で教えてもらい、算術や暦の読み方など、魔術を学ぶ上で必要となる専門的な素養は『先生』に叩き込まれたのだそうだ。「とりあえず、中に入るぞ。暑くてたまんねーし」「うん」「どうしても嫌って言うなら、まだ考え直せるけど」「いいよ。これ以上の場所はないのも、分かってるから」受け入れるように薄く笑ったインデックスを見て、当麻は大仰な扉につけられたノッカーに触れた。コンコンと音を鳴らして、二人は中へと入った。「……確かに、イギリスからの紹介状ですね」「はい。時期的に突然で申し訳ないんですけど、面倒を見てやってくれると助かります」「我々に拒む理由はありませんよ。ええと、インデックスさん、君が望んでくれるなら」「……あの、おねがい、します」教会の長となる司祭であり、また神学校の校長でもある老齢の男性は、頭を下げたインデックスにニコリと微笑んで、立ち上がった。「今は夏休みで、授業は特に開いていません。本格的に通うのは九月からになりますな。隣の寮に移るのを希望されるのであれば、手配をしておきましょう」「あっ、あの。ここじゃなくて、今いるところから通いたくて」「そうですか。まあ、友達を作ったりするのもそれからでいいのであれば、また九月に来なさい。それとも一人で寂しいようなら、毎週の礼拝と、掃除を手伝いに来ても構わないよ」「はい」「ああそうだ、せっかくだから敷地の中を見ていくといい。私がしてもいいが、手続きの書類を纏めないとね」そう言って、司祭は応接に使う木のデスクから離れ、近くにいたシスターに二三言、何かを呟く。シスターが待っていてくださいねとこちらに告げて出て行った。案内してくれるのだろうか。ようやく人目から解放されて、当麻とインデックスは辺りを見渡す余裕が出来た。コンクリート製の建物に、あちこち絨毯が敷かれている。おかげで近代的な建造物の安っぽさは隠れていた。見渡すところにある調度品には木製のものが多く、これも教会らしさを醸し出している。だが、いたるところに電源があり、そして無造作にパソコンが置かれている所は良くも悪くも学園都市らしいといえる。ここはかなり保守的だが、それでも宗教を科学する、そういう教会の一つなのだった。「案内は君と同じ学生が良いと思ってね、今、連れてきてもらったよ」司祭がそう言って、一人の少女を紹介してくれた。年恰好は、たぶん光子と同じくらい。僅かにインデックスよりは大人びて見えた。シスター達と司祭も含め日本人の多い場所にあって、はっと目を引く天然のブロンドと碧眼。髪に癖は少なく、さらりと肩まで流れた金色が白地のローブと紺のカーディガン・フードで出来た修道服と綺麗なコントラストを作っていた。「こんにちわ。エリス・ワイガートって言うの。これからよろしくね」こちらからの挨拶を聞くのもそこそこに、エリスはインデックスと当麻に握手を求めた。気さくな笑顔の持ち主で、とっつきやすい感じにインデックスも当麻もほっとする。それじゃあ案内するねと言って扉を開き、教会の敷地、教室のあるほうへと誘った。「インデックス、って変わった名前だね」「む。私は気に入ってるからいいの」「あら、そりゃごめん」当麻は少し離れて、二人の後を追う。インデックスが作るべき友達関係だし、一歩引いているつもりだった。だが、エリスも年頃だからか、チラチラと当麻のほうを何度か気にしていた。「一緒についてきた人、結構カッコイイよね」「えー、とうまが?」「あ、とうま、って言うんだ。ねね、あの人、インデックスの彼氏さん?」え、とインデックスが硬直した。そしてすぐにブンブンと首と腕を振り回す。「ち、ちがうもん! とうまはそんなんじゃなくて」「ふーん? アヤシイなぁ」「だ、だってとうまはみつことお付き合いしてるし!」「みつこ? なんだ、もう別の相手がいる人なんだ。じゃあなんで今日は一緒に来たの?」「え? なんでって、とうまは私と一緒にいてくれるって、言ってくれたから」インデックスの言い方は、いちいち誤解を招く。ちょっと心中穏やかじゃなくなった当麻は、口を出した。「俺と光子って子の二人と、一緒に暮らそうってことになったんだよ。インデックスは」「あ、そうなんだ」当麻よりは年下に見えるのだが、エリスは敬語を使わずインデックスにも当麻にも対等な感じに喋る。「エリスはいつからここにいるの?」「んと、10年には届かないかなあ、ってくらい」「へー」「インデックスはいつから教会暮らしなの?」「んと、生まれたときから、かな?」「あ、ごめん」「別に気にしてないよ」エリスの謝り方には、引け目がない感じがした。それはつまり、彼女もまたそういう境遇だということなのかもしれない。「そういえば。ここは教会だけど、エリスは学園都市の学生だよね。エリスは超能力、使えるの?」それは素朴な疑問だった。インデックスにとって教会とは魔術の暗い匂いがする場所だ。正確にはそういう教会にいた。だから教会に超能力者がいるのには違和感がある。だが同時に、ここは学園都市でもあるのだ。光子がそうであるように、ここにいる生徒は超能力者のはずだ。まあ、例外中の例外が二人の後ろをのんびり歩いているのだが。「うん。使えるはず」「はず?」「もう何年も使ってないから。大した能力じゃなかったし」無関心な感じの素っ気無さに、触れて欲しくなさそうな態度が透けていた。「教会にいる人でも、能力使えるんだね」「いや、学園都市じゃ当たり前でしょ。というか、どうして教会と超能力が相容れないと思ったの?」「え?」確信を突かれた質問で答えに窮した。教会は魔術に通じるところだから、という答えをまさか返すわけにもいかない。「ま、言いたいことは分かるけどね。ここだって必死に隠してるから。信仰心っていうのがどんな性質を持つ心の働きなのかとか、そういうのを調べる場所でもあるからね。司祭様だって、心理学の博士号持ってるし」良くも悪くもそれが、学園都市の教会というやつなのだ。エリスはこぢんまりとした校舎を案内してから、校庭にもなっているグラウンドというには小さな庭へと出た。小等部と中等部があるらしいが、建物は一緒で、両方あわせても生徒は50人もいないような、小さな学び舎だった。「さて、とりあえず場所の紹介は全部終わったけど」「うん」「これからどうするの?」「どうするの? とうま」「お前のことだから自分で把握しとけよ。インデックス。……そろそろ書類もそろってるだろうし、必要事項書かなきゃな」「だって。ありがとね、エリス」「うん。頼まれごとだったし、それはいいんだけど」当然のことかもしれないが、エリスと当麻たち二人は初対面で、互いの間に引いた一線を越えられないまま、他人行儀に過ごしてしまった。それがエリスには少し、気になっていた。「せっかくあそこのオレンジが綺麗に生ったからご馳走しようかと思ったのに」エリスが少し離れた壁際を指差す。深緑で大ぶりの葉をつけた低木が、目にも鮮やかな色の柑橘を実らせている。教会までと、そして案内で歩いた分、喉はかなり渇いていた。だが剥くのがちょっと面倒くさい。「食べるなら剥いてあげようか?」「そ、それはとっても嬉しいかも。施しをしてくれる人を拒むのは良くないって主の教えにもあった気がするし」「おいおい、食べ物に釣られすぎだろ」「あはは、気にしないで。水はやってるけど、勝手に生ってるようなものだし。あ、でも結構甘いよ」「贈り物を断るのは良くないんだよ、とうま。すぐ追いかけるから」「ちょ、おいインデックス。まあ、いいけどさ」当麻にもエリスの気遣いはなんとなく伝わっていた。保護者の自分がいると仲良くもなりにくいだろうし、先に行くかと思案した。……とそこで。ぐに、と足元の感触が芝生とも石畳とも違う感触を伝えた。ホースのゴムらしい感触だった。おまけに中に水が流れている。視線の先には、シスターらしい人が掃除に水を撒いているところが映る。返す刀で、水の根元をたどると。プシャァァァァァァッッッ「きゃあっ!!!!」「ひゃっ! な、何? 水?」当麻から少し離れた地面、まさにエリスとインデックスがいる辺りでホースが外れて、二人に水が襲い掛かっていた。白に金刺繍のインデックスと、白に紺のカーディガンとフードのエリス。どちらも、濡れるのに弱い服装というか、そういう感じで。光子に言われて付け始めたらしいホックなどのないブラのラインが透けたインデックスの上半身と、こちらはインデックスと違ってホックもワイヤーも入った正規のブラの、あの独特の凹凸をくっきりと再現したエリスの胸元が見えた。ちなみに色は黒だった。「ご、ごめん。えっと、その、大丈夫でせうか……?」「とーーーうーーーーまああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」「お、おい止めろってインデックス、その、透けて、あいででで痛い痛いって!」「なんていうか、お客様に文句を言うのはあれだけど、エッチだね」「いやその、ごめん、悪気は……なっ!!!」「死ね」突如、男の声が後ろからして、当麻は反射的に身をよじった。間一髪で、後頭部が合ったところを拳が突き抜けた。「ちょっとていとくん! お客さんにいきなり手を出さないで」「だから帝督だって。ちゃんと呼んでくれよ、エリス」「いきなりそういうのは駄目だよ。垣根くん」「だからそうじゃなくてさ。まあいいや。ところでエリスの透けた修道服の中を見ようとしたコイツは誰だ?」「いや、事故だって点ははっきり言わせてくれ。それと、そっちこそ誰だよ」「俺か? 俺はエリスの彼氏だ」「ちがうでしょ、ていとくん」「否定しなくてもいいだろ」「もう。あ、インデックス。それと上条くん、こちら、垣根帝督くん。高校の名前忘れちゃった」「構わねーよ。どうせ通ってない。転校三昧だし」当麻は知らなかった。目の前にいる人が、学園都市第二位の超能力者であることを。まあ言われても咄嗟には受け入れがたかったかもしれない。当麻より10センチは背が高くシックな服装に身を包んだその垣根という男は、受け取る側に迷惑をかけない程度の数輪の花を持って、エリスに相対していた。「垣根、でいいか。まあそっちに謝る理由はない気もするけど、エリスに水をかけたのは悪気あってのことじゃない」「ていうかとうま、私には一言もないの?」「い、いやそりゃ悪いと思ってるけど」「お前、名前は?」「上条だ」「そうかい、なあ上条。悪気がないんならこれ以上は言わないが、エリスに手を出す気ならまず俺に勝ってからにしな」「ていとくん?」「なんだよ。文句あるか」「私、ていとくんとはお付き合いしないって言ったよね?」う、と垣根が怯むのが分かった。そんなに惚れているのか。結構光子の方から熱を上げてくれたので、実は当麻はここまでのアプローチはしたことがない。「とうまにはみつこがいるから、心配要らないんだよ」「そういうこと。もう、変な言いがかりはつけないでよね。こっちが困るんだし」「ふん……」「エリス。とりあえず着替えが欲しいんだよ」「そだね。ほら! 上条くんもていとくんも、反省してここにいること!」「コイツは分かるがなんで俺が」「文句言わない!」二人でお互い見せたくないところを隠すようにしながら、室内へと逃げ込んだ。当麻は垣根と二人、燦燦と太陽の降り注ぐ死ぬほど暑い神の庭に取り残された。「暑い」「黙れよ」罰としてちゃんと日差しの当たるところにいないと後で文句を言われそうなので、当麻はその場で直立している。垣根は早々に近くの影に逃げていた。「お前、エリスに惚れてるのか?」「ああ。それと上条、エリスを下の名前で呼ぶな」「いやあっちがそう呼んでくれって言ったんだし」「チッ、それでも気を使えよこの三下野郎」「はあ? 気を使うってお前にか? 垣根」「お、やる気か? 誰でも殴るほど分別がないつもりはないが、エリスが絡むなら話は別だ」「やらねーよ。だからあの子に手を出す気はないって言ってるだろ?」「ならいい。ま、やる気があってもお前じゃ相手にもならねーけどな」「だから喧嘩を売るなよ。殴り合いで怪我でもしたら困るのはエリスだろ?」「俺に傷がつくわけねーよ。悪いが犠牲者はお前一人だろうさ」「俺が怪我したってエリスは困るだろ」街のチンピラよりは分別があるのに、垣根の物言いはチンピラそのものだった。自分は無害な子羊なのだ。何も好き好んで牙をむき出した生き物の近くに寄りたくはない。「……」「……」沈黙が息苦しい。時々牽制のように垣根からきつい視線が飛んできて、当麻の神経をピリピリさせる。「お前のほうこそ、インデックスに手を出す気はないだろうな?」「あるわけないだろ。お前こそあんな色気のいの字もないガキにお熱か?」「ちげーよ、惚れた子は別にいる」「じゃあ何であのガキと二人でいるんだよ?」「俺と彼女とで、インデックスの面倒を見ることになったからな」「ふーん、まあ、刺されろ」「は?」「ガキだからいいのかもしれねーがな、女を二人同時に囲うのは男としてよっぽどのクズかよっぽど出来たやつだ」「囲うって、だからインデックスは違う」「そーかい」別に対して興味がないのだろう。当麻の弁解を垣根は適当に聞き流した。「なあ垣根、エリスのどこが好きなんだ?」「い、いきなりだなおい」「別に話したくねーならそれでもいい。暇だから聞いてみただけだ」「……ほっとけないんだよ、アイツ」靴の裏にこびりついた泥をこそぎ落とすように石にガリガリと踵を擦り付けながら、垣根はボソッと呟いた。「どういう境遇か知らないが、人懐っこいわりに最後の一線踏んで立ち入るのは許さないんだよ。そういうの、ムカつくだろ? で、今は追い詰めてる最中だ」「追い詰めるって、ひでー言い方だな」「本気で拒まれてるんならとっくに止めてる」「それにしても、なんでこんなところにいるエリスと出会ったんだ? お前も普通に能力者だろ?」「普通じゃあないが、超能力者には違いない。にしても上条。大して興味もないのに出会ったきっかけなんか聞くなよ」「言いたくないなら言わなくていい」「……あいつ、俺より能力が上なんだよ」「? ……で?」結局喋りたいのかよコイツと思いながら、当麻は話を続けさせた。自分も光子の方が圧倒的にレベルは上だし、ちょっと気になったのだった。それなりに自分の能力に自身のありそうな男だ、レベル1や2ってことはなさそうだが。「第二位にそう思わせるってのは無茶苦茶なことなんだよ」「第二位?」「あん?」「お前、『未元物質<ダークマター>』の第二位か?!」「サインでもやろうか?」「いらねーよ。っていうか、ちょっと待て。第二位のお前より上って、エリスはそれじゃ、あの」ガスッと、当麻は何かを額にぶつけられた。痛い。足元を見ると乳白色の玉が合った。ピンポン球くらいだが、金属並に重たい感触だった。なんてことはない石に見えるが、これが『未元物質』というやつだろうか。「いってーな、おい」「なあおい、あのクソ野郎とエリスを並べるとか死刑ものだぞ? ってか、お前もクソつまらねぇ噂を信じてるクチか? あのいけ好かない『一方通行』の野郎が女だとかいうアレをよ」「いや興味ないから知らねーよ。っていうか、お前の言い方だったらそうなるだろ。エリスが学園都市第一位だって」チッ、とまた垣根は舌打ちをして、当麻の足元に視線をやった。そちらを見ると、ふっと雪が解けるように、あの白い玉が消えてなくなった。そしていつの間にか、垣根の手のひらの上に、それと同じものがある。「ありがたく思えよ。『未元物質』について俺が直接講義をする相手なんざほとんどいないんだ。俺の能力はこの世にはない物質を生み出す能力だ。素粒子のレベルで全く違う、そういうものをな」「……で?」「エリスは俺にも作れない『物質』を作れる。惚れるより前に気になった理由はそれだ」大して知識もないが、上条は思案する。第一位と第二位は、その特殊さで群を抜いている、というのが定説だ。この世にない物質を創作する能力なんて、『未元物質』以外に聞いたことがない。発電系能力者<エレクトロマスター>や空力使い<エアロハンド>とはレア度が違うのだ。「それって、エリスも相当な能力者ってことじゃ」「私がどうかした? 上条君」濡れた服を動きやすそうなジャージに替えて、エリスが当麻の後ろから声をかけた。後ろには同じ格好のインデックスもいる。学校指定の体操着なのだろうか。エリスはそのまま近くの物干し竿に二人の服をかけた。この日差しだ、ものの30分もあればカラリと乾くだろう。「それで何の話をしてたの?」「垣根のやつが、エリスは自分以上の能力者だって」「え?」驚いた顔をして、エリスが垣根を見つめた。そしてすぐ、申し訳ないような、だけど嫌そうな、そんな顔を垣根に向けた。「ていとくん。そういう話、誰かにされるの嫌」「え? その、悪い」「うん、私の方が我侭言ってるの分かるから、謝らなくていいけど、もうしないで。上条くんもあんまり気にしないでね。別に私、ただのレベル1だし」「あ、ああ」お前何やってんだよ、という視線を当麻は垣根に送った。知るかよ死ね、という視線が返事だった。「案内してくれてありがとね、エリス」「サンキュな」「うん。またね、インデックス」二度と来んなという垣根の視線をスルーして、当麻はインデックスと教会内へと戻った。ちなみに垣根が声に出さなかったのはエリスに足を踏まれているからだ。「……そんなに、気にしてたのか。エリス」「ていとくんは自分がすごい人だって分かってないよ。そんな人が『俺よりすごい』なんてこと言ったら、私が目立っちゃうし」「悪い」「ん」そんな一言で、エリスは許してくれた。その気安さに救われている自分を、垣根は感じた。安い同情を買いたくなくて突っぱねているが、学園都市第二位というのは中々に不愉快な立場だ。友達になれるヤツなんて数えるほどしかいない。だってクラスメイトという概念が垣根にはないのだ。絶滅危惧種なのに実験動物、垣根は学校にいるときの自分をそう思っていた。「ていとくんが私以外とあんなにおしゃべりしてるとこ、初めてみたかも」「そうか? 街の不良相手なら結構喋るぜ」「上条くんはそういうのには見えないけどなー」垣根はガラでもない、と思いながら頬が火照るのを自覚した。安い好意を売りたくないと思いながら、ああいう気さくなヤツが垣根は嫌いではない。……悟られるのが嫌で、垣根はもう一度、手元に石つぶてを用意して当麻に投げつけた。相手のレベルなんぞ知らないが、周りの物理を何も歪めはしないただの石だ。「あっ、もうていとくん!」「いいんだよ」ぶつかったって怪我にはならない。それにあっちが切れたって万が一にも負けることはない。反抗の子どもっぽさに垣根は目を瞑った。エリスが気をつけてと当麻に言うよりも先に。垣根は突然当麻が振り返ったのに気づいた。そして、当麻の右手が未元物質で出来た石を、軽くはたいた。「すごーい! 上条くん、背中に目でも付いてるみたい!」「どうしたの? とうま」「垣根テメェ! 喧嘩売ってんのかよ!」「買いたいんなら売ってやるぜ」「いらねぇよ。馬鹿」やってられるかと当麻が垣根に背を向けた。隣ではてなマークを浮かべるインデックスを急かした。「アイツ、自分のことを一切喋らなかったが、なるほどね」正体は不明。だが垣根の能力を、何気なく消し飛ばした。燃やしただとかテレポートしただとか、そんなチャチな能力じゃない、もっと何か得体の知れない能力の片鱗だった。「ていとくん!」「エリス、いてててて!」耳を引っ張られた。こういう態度をとってくれるのが嬉しくて、つい露悪的に振舞う。垣根自身、自覚はしていなかったが、エリスといるときは少し精神年齢が低くなるのだった。「ああいうのよくないよ。友達減っちゃうよ?」「大丈夫だ。友達ってのは正の整数しか取れない変数だ」「え?」「ゼロから何を引いてもマイナスにはならん」「友達いないの?」「この身分と性格じゃ、な」「そうかなぁ。上条くんは友達になってくれそうだよ」「はあ?」「ちゃんと仲取り持って、あげようか?」「うぜえ」別にあんなヤツとつるまなくても、エリスがいればいい。それが本音だった。だがさすがにそれをストレートに言うのは躊躇われた。エリスがトコトコと垣根から離れて、木に生ったオレンジに手を伸ばした。低いところの実は採りつくしたのか、微妙にエリスには届かない。「ほら」「ありがと、ていとくん」「帝督、って呼んでくれよ。呼び捨てでいい」「そういうのはお付き合いしてる女の人にお願いしなよ」「いねぇよ。エリスに、そう呼んでほしいんだ」「駄目って、前にも言ったよ?」垣根はもう二度ほど、エリスには振られている。付き合ってくれというお願いにはっきりとノーを突きつけられたのだ。ただ、一度も嫌いだとか、迷惑だとか、あるいは付き合えない理由だとかを教えてはもらえなかった。そして垣根がここを訪れるたびに、裏表のない優しい顔で、エリスは迎えてくれる。「ねえ、ていとくん」「ん?」「ていとくんってやっぱり私の体が目当てなの?」息が一瞬、詰まった。「俺はエリスの心も体も全部自分のものにしたい」「……ていとくんは、いつも直球勝負だね」「変化球のほうが好みか?」「ううん。直球が一番。ところで私が言いたいのはそういう意味じゃないよ」体が目当て、というのは色のある話ではない。もっと物理的に直截的な意味だ。垣根がエリスという人以外にも体そのものに興味を持っていることは知っていた。初めて会ったときに、垣根がエリスに釘付けになった理由は、それだから。エリスという女性に、垣根が一目ぼれをしたわけではなかった。「知りたいって気持ちがないわけじゃないが、エリスに嫌ない思いをさせる気はねえよ。エリスが教えてくれる気になれば、聞かせてくれ。その心臓のこと」「私は誰かとお付き合いをしたことはないけど、そんな人ができても教えるつもりはないよ」「それでもいい」「でも、だめ。好きな人には全部知ってて欲しい」「じゃあ教えてくれ」「だめ」垣根は当麻に、ぼかして話を教えていた。エリスが能力を使うところなんて、垣根も見たことがない。ただ知っているのは一つ。――――この世のどんな元素とも違い、そして『未元物質』の垣根にすら解析不能な、そんな元素でエリスの心臓は出来ている。「なあエリス」「うん?」「こないだ誘ったやつの、返事が欲しい」「うん……」数日後に第七学区で行われる、花火大会。垣根はそれに誘っていた。教会の修道女が行くにはいささか晴れやか過ぎるイベントだが、この教会はそういうのに緩い。エリスの意思以外に、障害はなかった。「前向きに検討、っていう時期をさすがに過ぎちゃったね」「本気で検討してくれるんなら、当日の昼過ぎにでも俺はここに来るぜ」「あはは、それは悪いなあ」この教会に寄宿してから、かなり経つ。エリスはその間一度もここから出たことはなかった。買い物にだって、出かけたことはないのだ。それだけは断っていたから。だから、単純に外が怖い。だけど、外を恐れている気持ちは、理由のはっきりしたものじゃなくて、ぼんやりと抱いた恐怖でしかないのだ。連れて行ってくれる人がいるのなら、外へと出てもいいのかもしれない。垣根の熱意に絆されている部分も、確かにあった。あっさりとした決断を装って、エリスは自分にとっての大きな決断を、口にする。「じゃあ、行こうかな」「よしっ!!」珍しく斜に構えていない、本気の垣根の喜んだ顔を見られた。エリスはそれに笑顔を返す。「浴衣とか、着たいか? もしそれならなんとかする」「え、いいよ。そんなの悪いし」「気にするな。どうせあぶく銭が捨てるほどあるんだ。この教会丸ごとかって釣りが出るくらいには」「もう。お金持ちをひけらかすのは格好悪いよ。……ていとくん、見たい?」「見たい。死ぬほど見たい。エリスの浴衣」「……じゃあ、私のことは私が何とかするから」「大丈夫なのか?」「大丈夫。見たいって言ってるていとくんに買わせるのは、私が嫌だから」「……わかった。ありがとなエリス、それと愛してる」「莫迦」垣根は別れの挨拶をせず、ニッと笑顔を見せて踵を返した。エリスはその後姿にまたねと声をかけた。垣根帝督に夏休みなどない。垣根を材料にした実験は、100年先までやれるくらいのプランが後ろに控えている。だがそんなことをお構い無しに昼間に時間を作って会いに来てくれる垣根を、エリスとて憎からずは思っていた。ただ。「ていとくんは優しすぎて、どうしていいのかわかんないよ……。こういう時、相談に乗ってくれる相手がいればよかったのにな。ね、シェリーちゃん」胸元に手を当てて、ずっと昔に別れた親友の名前を呟いた。****************************************************************************************************************あとがきタイトルは謎架けになっています。意味が分かるとエリスの秘密がちょっとわかるかも?ちなみに姓として与えたワイガートは森鴎外の『舞姫』のヒロインから拝借して英語読みに直したものです。