「ごめん! 光子」「……」うつむいて、光子はその場に立ちすくんでいた。遅れたことに関しては、光子の側が悪かった。つい服装に乱れはないかと、わざわざ遠回りしてトイレの鏡でチェックして遅れてしまったのだ。そして、当麻に落ち度がないことも分かっていた。目と鼻の先で、御坂美琴や土御門兄妹と話をしていたのも、そもそもは自分を探してのことだった。「光子がいなかったから、場所間違えたのかと思って、つい」「……御坂さんと、仲がよろしいのね」「え?」知らなかった。自分は莫迦だ、と思う。常盤台中学どころか、学園都市をも代表するのが七人しかいないレベル5の超能力者たちだ。そのうち2人までもがこの学園にいるというのに、光子は今まで、その顔と名前をきちんと覚えてこなかった。当麻の言うところの、レベル5の『ビリビリ』。彼女は何度も折に触れて話にのぼり、当麻の影にチラチラと映る嫌な存在だった。それがまさか、自分の友人だったなんて。鉛を飲み込んだような、重たい感覚に体が支配されている。だって御坂美琴は、自分とインデックスを除いて今まで一番当麻と親しくしてきた女だから。知り合いの女性の多い当麻の口から、今まで一番多く出てきた人。自分と会う直前に美琴に見せた当麻の笑顔に、光子はじわりじわりと心の中に嫉妬という毒を振りまいていた。「み、光子?」「朝はエリスさんを連れてきて、湾内さんに破廉恥なことをして、さきほどは白井さんや佐天さんや初春さんに会ったといいますし、繚乱のメイドともお知り合いのようですし。それで、挙句の果てに御坂さんですの」なんだ、と馬鹿馬鹿しくなってくる。呼ぶんじゃなかった。こんな場所に。自分が大して愛されてもいないんだって、思い知るような結末なら、いらなかった。「……光子以外、見てなかったよ」「嘘。当麻さんはいつもデレデレしてましたわ」「そんなことないって。……見つかるとまずいだろ? 移動しよう」「見られたら困ることでもありますの?」「俺にはない。なんなら御坂の前でキスでもしてやろうか? 言っとくけど、ホントに光子と二人で会えるのを楽しみで、ここに来たんだからな。……ほら、見つかると、これから先デートがしにくくなるだろ? 行こうとしてた場所に、案内してくれよ」僅かに目線を下げて、高さを光子に合わせてくれた。そして髪を撫でられる。この状態でも先生に見つかったら大問題だ。これくらいでは納得も出来ないし当麻を再び信じることも出来ないけれど、貰った優しさを動力に、光子はとぼとぼと逢瀬の場所を目指した。「ここ……」「人来ないのか?」「調理室の火が落ちましたから。夕方までは誰も来ませんわ」夏にはほとんど用のないボイラー室、そこの鍵を開けて光子は中に当麻を案内した。クーラーの効いていないそこは、二人でいればすぐ蒸し焼きになりそうだ。でも、誰も来ず、安心していられる場所は少ない。外から見えにくい場所の窓を申し訳程度に開けて、当麻は光子に向かい合った。「当麻さんが……悪いんですわ」いきなり、ほろりと光子の瞳から涙がこぼれた。泣かせたことは、あんまりなかった。「み、光子?!」「昨日の夜、当麻さんをお誘いしてからずっとずっと、楽しみにしていましたのに。朝来る前からもう、私以外の女の人と一緒にいて、さっきだって。私と待ち合わせをしているときに、御坂さんと会わなくたっていいでしょう?」「……ごめん」「仕事をしている間も、ずっと不安で、イライラして」「ごめん」「こんな嫉妬深い女なんて嫌われるってわかっていて自己嫌悪もしますのに」「いい。光子ならなんだって可愛い」「でも、当麻さんが他の女の人と親しくしているのは、嫌なの」「光子と光子以外の女の子は、ちゃんと分けてる。もっと光子にも伝わるように、努力するから」ぎゅ、と光子は当麻に抱きしめられた。安心する。だから余計に涙が出てくる。泣くのは悲しいからではないのだ。自分が悲しいということを、当麻が分かってくれると思うから当麻の胸で泣くのだ。ぐずぐずと鼻を詰まらせながら光子は当麻に自分の涙をしみこませる。「光子」「……御坂さんとは、いつからのお知り合い?」「光子とはじめてあった日の、前の日から」「私が追い払った不良は、前日御坂さんを助けたときに絡まれた相手でしたのね?」「そうだ」「……莫迦みたい。当麻さんの特別な人になれたと思っていましたのに、私は、御坂さんのおまけでしかありませんでしたのね」「光子は莫迦だな。俺が光子を、どれだけ特別だと思ってるかわかってないよ。……こんなに好きな女の子、光子が初めてなんだからな。まあ、初めて付き合った子だし」「嘘」「嘘じゃねえよ」「じゃあどうして、御坂さんにあんな甘い顔をしますの?」「してたか?」「していました! 私にはそんな顔、ちっとも見せてくださいませんのに」「そんなことないだろ? つーか御坂のやつにどんな顔したかなんて思いだせねーよ」「私が一番なら、もっとそういう態度、見せてください」拗ねた光子が今までで一番可愛かった。やっぱりかなわないな、と当麻は思うのだ。だって、こんな顔を見せられたら。惚れ直さないわけがない。気丈な光子が涙で僅かに目を腫らし、幼さを感じさせるような上目遣いで、こちらを見ているのだ。抱きつかれたときにほつれた髪を、そっと直してやる。「キス、するぞ?」「……どうしてお聞きになるの?」「今までより激しいの、するから」「えっ? あ、ん……」薄暗がりの中、唇で唇に噛み付くように、当麻は光子に口付けをした。驚いて少し腰を引いた光子を捕まえる。腰にぐっと手を当てて、自分の体に密着させる。「ん、ん、ん」「光子、可愛いよ」「ふあっ」光子の目が大きく開かれた。当麻が、キスをせずに光子の唇を舌で舐めたから。そのまま光子の下唇を、噛んだり、舐めたりする。しょっぱい味がした。残念なことに自分のこめかみから流れた汗の味だった。「ごめん、光子。汗が」「ううん。気になさらないで。私もその、汗はかいていますし。それに当麻さんのなら私、気にならない」「そっか」「だから、その」もっとして欲しい、という言葉は言わせなかった。言われなくても分かっていたから。「ん、ちゅ、あ……」当麻は、舌を光子の歯と歯の間にねじ込んだ。噛まないようにと、光子が慎重にキスに応じる。よく分かっていないせいか動きの緩慢な光子の唇に強引に自分の唇を押し当てながら、光子の奥深くへと舌を滑り込ませ、蹂躙していく。「あっ! あ」ガクリと、光子の膝が落ちた。抱いた両腕でそれを支える。むしろその方が良かったのかもしれない。ぐいと引き上げられて、光子の唇が、より当麻に接近した。光子の瞳の中から強い輝きが失われた。代わりに艶のある、にびた光がとろんと浮かぶ。当麻を求めてくれているのだと、そう感じさせる瞳だった。「光子、愛してる。俺が見てるのは、光子だけだから」「……当麻さんは誰にでもそんなことを言いますの?」「そう思うか?」「知りません。だって、光子はいつも、当麻さんに騙されていますもの」「騙してなんかないよ。むしろ、俺がどれくらい本気で光子の事好きなのか、分かってくれてないみたいで悔しい」「わかりませんわ。だって、当麻さんはいっつも、あ、ん、だめ、だめ……」嫉妬をくすぶらせる光子が可愛くて、つい、当麻は耳を噛んだ。そのまま舌でつつつ、と耳をなぞると、ピクンピクンと光子が震えた。そして耳の裏へ舌を滑らせ、汗を舐めとる。「あ! 当麻さん! そんなの、いけません。汗なんて」「いいって言ったの、光子だろ? 俺は全然気にならないよ。しょっぱくて、光子の匂いがする」「あ、汗の匂いなんて駄目ですっ! 匂いなんて嗅がないで……」「いい匂いだけど」「そんなはずありませんっ! もう、やだ……あ! だめ、です。当麻さん」調子に乗って、当麻は耳の裏の髪に隠れた辺りを強く吸った。「痛……えっ? 当麻さん、いまのまさか」「おー。痕、ついてるな」「嘘、嘘! 当麻さんの莫迦。私、この後皆さんと片づけをしますのよ?! そんなときに見られたら……!」「困るのか?」「困るに決まっています! だって、見られたら当麻さんと何をしていたのか、皆さんに」「今、何をしてるんだ?」「えっ?」「光子は今俺に、何をされてるんだ?」「……莫迦」上目遣いの瞳が、可愛い。「耳噛まれたり、首筋にキスされるの、嫌か?」「……そんなことはないですけれど、でも、恥ずかしい。それに力が抜けてしまいます」「じゃあもっとすればいいんだな?」「当麻さんの、好きになさって」ぷいと目を逸らして素っ気無く光子は言った。その口元が、期待に緩んでいるのを当麻は見逃さなかった。「光子、舌、出して」「え? んん、ちゅ……」当麻の舌が、再び口の中に入り込んできた。ゾクゾクする。背骨に沿って、得体の知れない感覚がぞぞと這い上がってくるのだ。快感というには、まだ、光子の体がそれを受け入れられていなかった。おずおずと、光子は舌を当麻の舌に絡める。舌と舌で互いを撫であうような、不思議な感覚。当麻の鼻息が頬にかかってくすぐったい。でも、自分のだってきっと当麻にかかっていることだろう。息苦しくて、吐息を気遣う余裕はなかった。「ん?! んーっ」突然、舌を当麻に吸われた。当麻の舌と唇で、光子の舌は愛撫される。腰の辺りがじわりと重たくなるような、不思議な反応を体が見せ始めた。体つきは大人びているが、自分の体が当麻に与えられる刺激でどんな風になるのか、光子はよくわかっていない。知識としてはいろいろなことを知っていても、経験で言えば、光子はインデックスと代わらない、初心な少女なのだった。「どうだ? 光子」「ふぁ……おかしく、なりそう」「次は逆に、俺のも吸ってくれよ」「当麻さんはエッチですわ」「え?」「どこでこんなこと、覚えてきましたの?」「覚えてって、俺も初めてだよ。だから光子に嫌な思いさせてないか、ちょっと不安だ」「……なんでも、してください」「え?」「当麻さんのなさることで、光子の嫌なことなんてありませんもの」光子を見つめると、優しく微笑んでくれた。暑い。それは気温のせいでもあるが、たぶん、高ぶってきた自分の気持ちのせいでもある。光子の後頭部を抱きかかえるようにすると、じわりと汗で湿っているのが分かる。「ん、あ」鼻にかかった声が光子から漏れて、それがたまらなく当麻をくすぐる。光子のほうからも舌を積極的に出しはじめて、キスにぴちゃりぴちゃりと水音が混ざる。腰砕けになった光子はすっかり当麻に体重を預けていて、豊かな胸のふくらみが当麻の胸板でつぶれていた。「光子」「はい……ん」キスで口の中に溢れてきた、自分と光子の唾液が混ざったものを、掻き出すように光子の口に中に注ぎ込む。驚いた顔をした光子。キスを止めずに、口付けたまま至近距離でずっと見つめてやると、コクンと、それを飲み込んだ。ほう、と蕩けた様なため息を漏らした。「味は?」「当麻さんの莫迦。味なんてしませんわ……」「嫌だったか?」「当麻さんのですもの」軽くキスをしてやる。そして口付けたまま動きを止めると、光子は一瞬戸惑った後、口を動かした。そして、おずおずと光子の唾液を返してきた。「んッ」強く吸い上げて、光子の口の中から残さず唾液を搾り取る。そして当麻も飲み込んだ。ぼんやりとよく分からないといった顔をした後、光子がじわじわと喜びを口元に表した。「ちょっと、光子のほうが冷たいかな」「当麻さんのは、熱かったです。どうしよう……こんなことされて嬉しいって、私変なのかしら」「俺も嬉しいよ」「じゃあ私は変なのですわね」「俺は変態扱いかよ」「だって、当麻さんはエッチですもの。あっ!」エッチなんていわれたら、期待に応えるしかない。光子のお尻から15センチくらい下、太ももの裏に、当麻は手のひらを当てた。そうしてすうっと撫でながら、手を上に滑らせていく。「あ、あっ、あっ……当麻さん駄目、それ以上は」「止めて欲しい?」「だ、だって。スカートが」常盤台のスカートは短い。こんな風に太ももから直接撫で上げていけば、それは当麻の邪魔をしないのだ。つまり、スカート越しじゃなくて光子の履いた下着に、直接触れることになる。優しい肌触りの布の縁に、当麻の指がかかった。そこは太ももの終わり、お尻の始まり。当麻はキスをする。そうして顔をどこにも逸らせなくなった光子の、真っ赤になった顔を眺めながら、当麻は下着の上からお尻に触れた。「ああ……駄目って、言いましたのに」「柔らかいな」「莫迦」女の子のお尻だった。ぷっくりと丸くて、柔らかい。泣きそうな顔の光子が可愛くて、つい、お尻を撫でたまま強引なキスをした。美琴は舞台に立って、お辞儀をした。足元の座席には、白井と初春、佐天がいる。うっとりした表情の白井にイラッとし、同じ表情の初春には苦笑してしまった。佐天と目が合うと、微笑んでくれた。それらを落ち着いて眺めながら、もう一度楽器のチューニングをする。寮祭はそれほど大規模ではない。おそらく、この時間には展示を見るのにも皆飽きてきたのだろう。人は結構多くて、色んなところから見ていてくれる。自然に辺りを見回しながら、美琴は一曲目を奏で始めた。「ああ、御坂さん……なんて美しいんでしょう」「初春があっという間にトリップしちゃった。白井さんはいつもだけど……」「お姉さま、ああお姉さま、お姉さま」実際、美琴の演奏は上手かった。佐天はクラシックに造詣などないが、器楽を専門にしていない一人の中学生の演奏としては、なによりまず、堂に入っていると思う。曲の世界観をちゃんと表現できていた。演奏しながら、美琴には余裕があった。あ、湾内さんと泡浮さんだ。婚后さんは……仕事だっけ。アイツが見えないのよね。でも、この場にいてくれた。土御門の兄あたりと遊んでいるのかもしれないわね。こういう音楽に興味がありそうなヤツには見えなかったし。だけど構わない。たとえBGMでも、自分の音は、きっと当麻の耳に届く。自分が立っているのが舞台だなんてことを忘れて、美琴は気持ちの乗った演奏を続けた。結局当麻に連絡を取れなかった昨晩からついさっきに至るまでの、どんよりした気持ちは吹き飛んでいた。音を奏で、届けたい人に届けられることが楽しかった。「あ……」遠くで、ヴァイオリンの音が聞こえ始めた。優しい音色が、二人の熱気と荒い吐息で満たされたボイラー室にまで届く。すぐに光子が窓を閉めた。聞こえる音量はそれで半分くらいになった。もう耳を澄まさないと聞こえない。光子の、それは妬き餅だった。「当麻さん、大好き……」「俺も好きだよ、光子」「もっと……ああ」腰ではなくて、下着の上から鷲づかみにしたお尻をぎゅっと持ち上げて、光子を自分のほうに引き寄せる。窓を閉めてさらに部屋は暑くなった。密着した二人の頬で汗が交じり合って、光子の胸元へ滴っていく。光子、と耳元で吐息混じりに呟いて、じっと目を見つめた。「とうま、さん」真剣で、燃えたような当麻の瞳に見つめられて光子はクラクラと眩暈を覚えていた。心臓が痛いくらいにドキンドキンと鳴っている。なにか、重大な言葉を告げようとしているのが、光子には分かった。「もっと触りたい。光子に」「……」「胸に触っても、いいか?」答えられなかった。イエスと言うべきなのかもしれない、だけど、答えはノーだから。「光子が嫌なら、絶対にやらない。でももし、望んでくれるんだったら」「……嫌いにならないで、くださいませ」「え?」「怖いの……」遠まわしに、気持ちを伝える。告げた言葉が全てだった。当麻を怖いと思ったことはない。手つきはずっと優しかったし、体が目当てなのではないと、光子の心を欲してくれているのだとも分かっていた。だけど、あまりに深い関係は、光子をひどく不安にしてしまう。一度越えてしまえばもうきっと戻れない。容易に失ってはならない純潔を、流されて、捧げてしまいそうになる。それではいけないとも、光子は思うのだ。当麻のためにも。当麻にも光子にも、将来を添い遂げる覚悟はない。いや、覚悟をしたくても幼さがそれを許さない。だから、怖い。「怖がらせてたんなら、ごめん。光子が可愛いからさ」「ううん。当麻さんが怖いんじゃないの。だけど……。ごめんなさいもう一つ、光子には怖いものがある。遠くから聞こえてくる、この曲。御坂美琴という友人の気持ち。常盤台の生徒にしてはざっくばらんな性格で、好ましく思っていた。面倒見が良くて、いつも大人びた感じのする同級生だと思っていたのだ。だけど、当麻に見せた顔は、光子の知らない顔だった。本音むき出しで、すこし幼さすら見せる感じで。当麻という人に、甘えているのがよく分かった。それを当麻も自然と受け止めていて、すごく、お似合いな気がした。高飛車で我侭で、当麻を困らせてばかりの自分より、美琴のほうが当麻も好きなんじゃないかと、そんな後ろ向きな気持ちが、心の片隅にずっと引っかかっているのだ。「光子」「えっ?」さらさら、と髪を撫でられた。優しい当麻の笑顔に、無条件に安心してしまう。「なんか今日は変だな」「そうですか?」「……俺が色んな女の子と喋ったからか?」「だって、嫌ですもの。御坂さんとだってあんなに仲良く」「んー、光子が何で御坂をそんなに気にするのかがわからないんだけど」「……」「う、ごめん。泣くなよ」「泣いてません!」ちろりと目尻を当麻に舐められた。女の涙腺は一度緩むと、止めどがないのだ。「よくわかんないけど、光子が嫌なら、御坂のやつとは距離を置くようにするから」「嫌な女ですわ、私。そうして欲しいって、思ってしまったの」「光子が他の男と仲良くしてたら、俺だって絶対にそうなるから。だから気にするな。光子、キスするぞ。分かってもらえるかわからないけど、俺が惚れてるのは光子だって、教えてやるから」「はい……」光子が、当麻の頭を抱くように手を伸ばした。耳にかかるように置かれた光子の手のせいで当麻は美琴の音楽を見失って、光子の甘い吐息だけに集中した。「ん! ふぁ……あ、あん」耳を噛み、首筋を舐め、唇と舌でぐちゃぐちゃに光子の口内を犯す。壁に光子の体を押し付けて、さらに自分の体を押し付ける。二人が一つに溶け混じりそうだった。美琴の演奏が終わって、中庭に喧騒が戻るまでの間、二人はそうやってキスを続けた。日もまだ翳るには早い夕方、当麻とインデックスはエリスを送って教会の前にまで来ていた。「今日はありがとね、インデックス。それに上条君も」「また今度ね、エリス「次は夏祭りだな」」「うん、ありがとう。それじゃあね」数日後の夏祭りでまた会うから、挨拶は軽いものだった。あの後、当麻と二人で過ごしてかなり機嫌の回復した光子は、エリスともある程度打ち解けてくれた。インデックスに加えてエリスの浴衣の着付けまで引き受けたようだった。……実はエリスが垣根と逢瀬をするつもりなのだとわかって安心したから打ち解けたのだった。光子もエリスも、そういう事情を当麻にはわざわざ教えなかった。扉を閉めるまで手を振ってくれたインデックスに笑顔を返して、エリスは中庭へ出る。「お帰り、エリス」「あ、ていとくん……」いつもどおりの態度で迎えてくれた垣根が、どこか拗ねているのに雰囲気で気づいた。ちょっと後ろめたく思った自分の態度が、垣根の本音をうまく説明している。形として、エリスはデートに誘ってくれた垣根を差し置いて当麻と遊んだことになるから。「ていとくん。今日のこと、話すね」「いいよ。……そういうので怒るほど、了見は狭くない」「私が嫌だから、話をさせてほしいんだ」「そうかい。ならまあ、聞くけど」そっぽをむいた垣根の唇がわずかながらに尖っている。妬き餅を焼かれるのは、嬉しい。良くないことと知りつつ、垣根に好意を向けられるのを喜ぶ自分がいた。「今日は常盤台の寮祭に、インデックスと一緒に遊びに行ってたんだ。ていとくんが怒ってるように、上条君とも一緒だったけど」「へー」「上条君の彼女さんに怒られちゃった。もちろんインデックスも一緒だったけど、上条君とも一緒にいたから。でも彼女、婚后さんにも悪いから、上条君とは一度も横に並ばないようにしてたよ」「並びたかったんなら、並べばよかっただろ。あのヤロウの彼女がどんなもんか知らないが、エリスより可愛いことはない。すぐに追っ払えたんじゃないか?」「ふふ。そんなことするわけないでしょ。上条君はいい人だけど、別になんとも思ってないし」「なんとも思ってないのは、アイツだけじゃないだろ?」フンと自嘲めいた笑いをこぼす垣根に、心が引っ張られた。違うんだけどな、と心の中でエリスは呟いた。「ていとくんは、特別扱いしてあげてるよ?」「そうなのか?」「……もう。夏祭りの約束、忘れちゃったほうがいい?」「上条とでも行くんじゃないのかよ」「あ、ていとくん。今の妬き餅の焼き方、好きじゃない」「別に妬いてねーし」「上条君は彼女さんと一緒だし、そうじゃなくても、一緒には行かないよ。私を誘ってくれたのは、ていとくんだったし」「そーかよ」ずっとエリスを直視しないその横顔が僅かに緩んだのを見て、エリスももう、と笑った。当麻はたぶんいい人だが、インデックスがいつも間に挟まるために、すこし遠い人だった。光子がいなくても、たぶんその次はインデックスに遠慮していただろう。光子がいない世界がもしあるなら、インデックスと当麻はもっと恋心を抱きあうような関係になっている気がするから。「ね、ていとくん。私のお小遣いそんなに多くないけど、それにあわせてくれる?」「別にいいぜ。全額出すくらいのことはなんでもないけど、それが嫌なら、エリスにあわせる。夜店で遊んで晩飯食えるくらいはあるのか?」「うん。でも品数はあんまり揃えられないし、半分こしよ?」「お……おう」「あーていとくんがデレた」予想外の反応。ストレートなお願いに、垣根が戸惑っていた。可愛いと思う。しかしすぐさま気を取り直して、また気障を装った。「なんなら全部口移しでもいい」「いいよ? じゃあそうしよっか」また、照れさせるつもりでエリスはそんな冗談を言った。これで垣根が真っ赤にでもなったら、とても楽しいと思う。だけど、垣根のリアクションは真面目だった。「本当に、いいのか?」「えっ……?」「そこまで俺に踏み込ませて、いいのか?」「……」それは垣根の気遣いだった。三度も垣根の告白を拒み、あと一歩の距離を譲らなかったエリスが見せた油断に、つけ込まなかった。「……ごめん」「いつでも本気にしてやるから、その気になったら言ってくれよ」「ねえ、ていとくん」「ん?」「そういえば、私が何歳かって、ていとくん聞いてきたことなかったね」「どうでもいいからな。エリスが何歳でも、エリスはエリスだ」「もしかしたらていとくんよりおばさんかもしれないよ?」「そうは言うけど年上の余裕を感じないぞ? エリス」「むー」垣根はそれで悟った。おそらく、エリスは自分より年上なのだろう。冗談めかした言い方に、真実を混ぜている味がした。でも、本当に関係ないと思う。だって本当にエリスは可愛いくて、そして自分が好きだと思っている気持ち以上に重視すべきことはない。「ね、ていとくん。オレンジ剥いてあげるよ」「ん、サンキュ」「でも届かないから……手伝って」「……いいぜ」垣根は能力者だから、手の届かないところにあるオレンジをとる事なんて、工夫次第でなんとでも出来る。だけどそれを言い出さなかった。エリスが望んでいるのはそういうことではないと思うから。かがんで、エリスの腰を抱く。突っ張った態度の裏で、とんでもないくらい垣根は動揺していた。エリスの優しい匂いに、クラクラする。悟られないように足を踏ん張って持ち上げると、抱いた手に、そっとエリスの手が重ねられた。「ありがとう、帝督くん」「エリス、重いから手早く頼む」「もう! ていとくんのバカ!」ずっと抱きしめていたいけど、そんな気持ちを悟られるのが嫌で垣根は意地悪をした。エリスはそんな垣根の態度も、分かっていた。そして自己嫌悪にそっと蓋をする。こんな風に好いてくれる人を弄んでいる自分は、なんなのだろう。ずっと一緒にはいられないと分かっている癖に。自分の事情に未来ある人を巻き込んではいけないと分かっている癖に。当麻が悪いのだ。あんなに、恋人との幸せそうな光景を見せ付けるから。人とのつながりが、ぬくもりが、エリスは恋しかった。「こんなトコ、かな」美琴は自室の脱衣所件ドレスルームに備え付けの大きな鏡の前で、軽く髪を手でほぐす。別になんてことはない。演奏が終わったというのに着替えもさせてもらえず、挨拶ばかりやらされていたのがちょうど終わって、ようやく制服に戻れたところだった。いつもどおりの制服に戻った、ただ、髪飾りは元のヤツに戻さなかった。白い小さな花をふたつあしらった、可愛らしいデザインの物を身につけた。「まあ前のもこれもママがくれたヤツだし、世代交代しても文句は言われないわよね」ちなみにこの髪留めを渡した当のママ、御坂美鈴は美琴に向かって、恋するお年頃なんだからアクセサリくらい気を使ったら、と言っていたのだが、当麻と知り合う前だったので聞き流してしまって覚えていないのだった。自分が髪飾りを替えようと思った心境を、美琴はちゃんと把握していなかった。綺麗だと言ってくれた当麻の、その言葉が引き金だった。白いサマードレスは着替えざるを得ないけれど、青リボンをあしらった花飾りを取る段になって、いつもの素っ気無い髪留めに戻すのが味気ないと感じたのだった。とはいえドレスに合わせた髪飾りは実用性が低いし、これだけ目立つと寮監のチェックが入る。そう思って、アクセサリーの入った小箱から取り出したのが、この髪留めだった。「ま、これなら別に誰にも何も言われないでしょ」白井は当然出会い頭に大仰に驚くのだが、そこに美琴は気が回らなかった。そろそろ、戻らなければならない。片付けはそこかしこで行われているから手伝わなければ。美琴は疲れもあまり感じていなかった。大仕事としておおせつかったヴァイオリン独奏が会心の出来で、楽しんでいるうちに終わってしまったから。歩きつかれた客が休憩するのにちょうどいい程度の時間でプログラムは終わったし、まだまだ手伝える。「土御門が皿洗いやれってうるさかったし、あそこに行けばいいかなっと」足取りも軽く、美琴は自室の扉を開いた。今日は一日、楽しい盛夏祭だった。