「あの子たちに鎮静剤を。大至急だ」「わかりました」時刻は日付の変わる少し前。医者であっても当直や救急でなければとうに仕事を終えている時間に、カエル顔の医者は病院の廊下を早足で歩いていた。向かうは地下、一般の患者の立ち入りを禁じた一区画に、医者は少年少女たちを寝かせている。学園都市に捨てられた子供たち、いわゆる置き去り<チャイルドエラー>であり、施設で育った子たち。いずれも目を覚まさない。医者の超人的な力を持ってしても、回復の見込みそのものが立っていなかった。子供たちのいる治療室に入り、医者はバイタルデータ、心拍数や脳波と、AIM拡散力場の変位測定装置を見る。この異常事態において、脳波はむしろ正常だった。普段の植物状態で示す異常値に比べて、ずっと波形が覚醒した人のそれに近い。そしてAIM拡散力場は。「……木山君は、明日保釈か」解決策に最も近い、頼みの綱の知人の名を呟く。覚醒を始めた子供たちを、再び眠りに引き戻すことしか出来ないことを憂う。だが、こうしなければ、危険なのも事実。「今日の乱雑開放<ポルターガイスト>が小規模だといいが」木山に依頼をされて、初めてこの子達を覚醒させようとしてから数ヶ月。だんだんと、薬で沈静させるのが難しくなりつつあった。覚醒の周期も早まっている。いつしか止められなくなる日が来る。それは、もう遠くない未来だった。それでも医者は絶望しない。希望を捨てず、淡々と意欲的に、解決策を探す。無痛針をカシン、カシンと押し当てられていく子供たちを見つめながら、医者は考え続けた。カタカタカタカタと家具が揺れる音がして、光子は読みかけの本から顔を上げた。幸い、身の危険を感じるほどの揺れではなさそうだ。「地震? そう言えば黄泉川先生が地震がどうのと言っておられたけど……」とはいえ地震など珍しくもないのが日本だ。よくあること、と自分を納得させ、紅茶に手を伸ばす。さあっと陶器が木の机をすべる音をさせて、紅茶が逃げた。「えっ?」読書用のデスクに置いたカップに、光子はナイトキャップティとして薄く淹れたアールグレイを注いでいた。その紅茶はカップの中で激しく揺れ、いくらかこぼれていた。自分の手でカップを突き飛ばしたかと、一瞬疑う。だがそんなことがあれば気づくだろう。元の位置より10センチは動いていると思うから、こんなに動くくらい手を当てれば痛みの一つも残っているはずだ。「……気のせいかしら」そう呟くのと同時くらいで、カタリと音を立てて、棚に座らせた人形が一体、床に落ちた。「誰ですの?!」飾るくらいに人形の好きな光子だ、こんな風に情けなく倒れ落ちるような座り方はさせていない。現に人形が落ちたことなんて今まで一度もなかった。そしてデスクを離れたとたん、今度はカップががしゃんと、床に落ちて割れた。これはもう、怪異というほかない。「私を常盤台の婚后光子と知っての狼藉ですの?」一番に警戒したのは、自分の姿を隠せる能力者。一ヶ月ほど前に実際に襲われた経験があるので、常盤台にそんな能力者が侵入するわけがないと一蹴は出来なかった。だが返事はない。人の気配も感じられない。先生を呼ぶべきか、と考えたところで、ふと自分自身に違和感を感じた。能力使用中に動転してしまった時のような、力がコントロールを外れる感覚。それを光子は感じていた。その感覚が光子の混乱をさらに呼び、その混乱が光子の感覚をさらに乱す。背中に視線を感じて、光子は部屋の中で大きく振り返った。人などいるはずもなかった。代わりに、いつの間に動き出したのか、お気に入りでコレクションした西洋人形達が、覆いかぶさるように重なりながら、ガラスの目で光子を見つめていた。普段人形を愛でる光子を、恐ろしいという感情一色で染め上げるほどにそれは、シュールな光景だった。「いや……っ、いやあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」その日の夜、学び舎の園は、同系統の能力者たちが上げた悲鳴でちょっとした騒ぎになった。だがそんなことは教職員が多く住むファミリータイプのマンションの中で、携帯を耳に当てながらどっかりとソファに腰を下ろしたレベル0にはまるで関係がなかった。「……光子、出ないな」「光子に愛想尽かされちゃったの?」「そんなはずはない。寮祭のあとは、ちゃんと仲良くやってるし」「ふーん。まあそうだよね、あれからみつこの機嫌はよかったもん。とうま、何したの?」「何って……そのまあ、キスをだな」「とうまのえっち」聞いてきたほうのインデックスがむしろ顔を赤くして、当麻から離れた。朝、初春はいつものようにざっと食事を摂って髪を整え、制服に着替えた。風紀委員をしている限り、夏休みでもこうやって制服で仕事をしに行くのは普通のことだから、寝坊もせず定刻どおりに起きて生活することは、初春にとって別段大変なことでもなかった。とはいえ今日は、風紀委員の仕事とは別だ。担任の先生から呼び出されたのだ。頼みごとがあるとのことだった。「失礼します」「ああ、おはよう、初春」「おはようございます、先生」そこは初めて入る部屋だった。教室や職員室ではなく、応接室。掃除当番で入室する生徒もいるようだが、ほとんどの生徒にとっては卒業まで縁のない場所だ。「座ってちょっと待っていてくれるかい?」「はあ」担任は、つけ始めてすぐで慣れないのか婚約指輪を気にしながら、そんなことを言った。ますます初春には事情が分からない。「そういえば昨日、地震があったみたいだけど君の寮はどうだった?」「大丈夫でした。こっちは全然揺れませんでしたから」「そっか。不思議だね、同じ第七学区でも揺れた場所と揺れなかった場所があるなんてさ」「そうですね。……何か、普通の地震とは違うんでしょうか」「地球科学は僕の専門外だからなあ。ところで初春。佐天とは確か、仲良かったよね」「あ、はい」「来月からのこととか、何か聞いてないかな?」「え?」佐天とは夏休みに入ってからもほとんど毎日一緒に過ごしているが、改まった話をした覚えはない。いつもおやつの話だとか、テレビの話だとか、宿題の話だとか、そんなのばかりだ。だけど先生の言うことに心当たりはあった。佐天はもう、柵川中学では並ぶものがいないレベルの能力者だ。「それって、佐天さんが転校するかも、っていう話ですか?」「話をしているのかい?」「いいえ。佐天さんからは何も。でも、あれだけレベルが上がったらそのほうが自然ですよね」「そうだね。もっと高みに上れる人は、上を目指したほうがいいとは僕も思う。ただ、そういう話を進めてみたはいいけど、佐天のほうから音沙汰がないんだよね」良かれと思ってレベル2のIDをすぐ発行し、そのときにも改めて聞いたのだが、それから数日たっても何も言ってこなかった。親友と離れがたいのが一因かと思い探りを入れたのだが、そのあたりは初春の反応を見てもよく分からなかった。「まあいいや。今日は転校は転校でも別件でね」「はい?」ちょうどタイミングよく、コンコンと扉がノックされた。入っておいで、と担任が言うと、控えめな感じに扉が開かれた。現れたのは初春と同じくらいの体格の少女。柵川の制服を着ている。髪の一房をゴムで縛って触覚みたいにしてあるのが可愛らしい。大人しくて優しそうな印象の女の子だった。「新学期からの転入生の子だ。実は君のルームメイトになる」「へ、えぇっ?」「いやーごめん、急に決まったことでさ。こういうとなんだけど、わが校の風紀委員として、この子の力になってあげて欲しいんだ」「あ……はいっ!」そうやって任されるのは、初春とて悪い気はしなかった。少女に向き合うと、緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げてくれた。「春上衿衣(はるうええりい)……なの」唐突に春上を紹介されて数時間。すっかり日は真上まで上り詰めて、お昼時を示していた。二人は今、初春の自室の前、これから春上にとっても自室となる寮の扉の前で立ち尽くしていた。「ちょ、ちょっと佐天さんに連絡とってみますから! 白井さんも来てくれると思うし、そうすれば」「はいなの」慌てて携帯を耳に当てる初春を春上は戸惑いながらぼんやり眺めた。二人の目の前には、うず高く積まれた春上の私物。引越し業者のダンボールに詰められたそれは、扉を開けられないように置かれていた。見慣れないマークの引越し業者で、信じられないような対応の悪さだった。事の次第はこうだ。朝一番に春上の紹介を受けた初春は、大急ぎで帰宅して片づけをした。なんでも今日の昼に引っ越してくるらしかったからだ。そして引越しのトラックとは別にやってくる春上を駅まで向かいに出ている間にトラックが着いたらしく、信じられないぞんざいな対応で、荷物をごっそり扉の前においてさっさと引き上げた、ということのようだ。動かしてもらおうにもその業者の電話はずっと通話中で、まるで当てにならない。「あ、佐天さん? 今どちらに……あ、はい。わかりました」電話を切った初春が春上のほうを見て、にっこりと笑う。「力持ちが来てくれそうなので何とかなりそうです」「力持ち?」「まあ、力を使わずに物を運べる人なんですけどね、正しくは」白井を自分の住む寮に招いたことはなかった。だが、転校生の話を聞いた佐天が白井と美琴を迎えに行ってくれているらしい。「ういはるーぅ。お待たせ」「あ、佐天さん。それに白井さんと御坂さんも」「やっほー」「ごきげんよう……で、コレはなんですの」「引越しの業者さんが置いて行っちゃったんですよ。春上さんを駅に迎えに行ったのと入れ違いで。 ……あ、それでこちら、新入生の春上衿衣さんです」「はじめまして、なの」「んでこちらが私達と同じ柵川中学の佐天さん、それと常盤台中学の白井さんと、その先輩の御坂さんです」よろしくねと笑いかけた美琴に春上は微笑を返す。その隣ではこれ運ぶの大変なんですよー、と白井の眼を見つつ初春が言ったのに、白井がため息をついていた。「お昼も近いことですし、さっさと運びませんとね」そっと白井がダンボールの山に手を触れる。ただそれだけのことで、目の前から荷物が文字通り消えた。白井の能力、空間移動<テレポート>が発現した結果だった。この程度の重量と距離なら、白井にとっては造作もない。「白井さん、助かります!」「おおぉ~」春上が口を可愛らしく開けて驚いていた。それを見て、素直な賞賛に白井は気を良くした。「これだけのことができる空間移動能力者はそうおりませんのよ?」「とってもすごいの」「さて、それじゃあパッパと済ませちゃいますか」初春が扉を開いて五人は荷物の整理に取り掛かるべく、靴を脱いで部屋に上がった。春上の荷物をてきぱきと仕分けし、新しい居場所であるこの部屋に仕舞っていく。重い荷物は白井がささっと移動させてしまうため、非常に手早く済んでしまった。ぱんぱんと服の汚れを払いながら立ち上がった佐天がにこっと笑って春上を見た。「これでおしまい、でいいのかな?」「うん、これで終わりなの。皆さん、今日は手伝っていただいてありがとうございました。とっても助かりました……なの」「どういたしまして。それにしても、おなか空いたわね」「朝もあれだけ召し上がりましたのに、もうですの?」「あれだけって、いつも通りじゃない。それにもうお昼摂ったっておかしくない時間でしょうが」「皆さん! これから一緒にランチしましょう! 春上さんはこの辺りのこと良く知らないし、懇親会もかねて!」文句を言い合う白井と美琴をよそ目に、初春がそう提案した。春上はよくわかっていないのか、ぼんやりした顔をしている。佐天がそれを見て微笑みながら、賛成と手を上げた。しかし白井があきれた顔で初春を見つめた。「初春、忘れましたの? 私達は午後から合同会議ですわよ?」「へ? あっ……。そうでした」「合同会議? 誰との?」「風紀委員と警備員の、ですわ。このところ地震が頻発していますでしょう? その関連だそうですわ」「地震で、風紀委員と警備員が合同会議?」議題がピンと来ないのか、美琴が首をかしげた。実際、白井と初春にも趣旨が良く分かっていなかった。せっかくのランチ計画が、とうなだれる初春を見て、もう、と佐天が笑った。「それじゃあお昼はうちで冷や麦にしましょう」「え?」「テーブルが足りないからちょっとお行儀悪いかもしれないですけど、いいですよね」頭に買い置きの薬味を思い浮かべる。しょうがとすりゴマは常備しているし、タイミングよく大葉と茗荷もあった。冷や麦は実家から大量に送ってもらったから問題ない。佐天の家でなら移動の時間は掛からないし、麺類ならすぐ作れる。ちょっとドタバタするが、これなら全員で親睦を深める暇もあるはずだ。「賛成! 賛成です! 佐天さんありがとうございます」「いいってことよ。初春のルームメイトなんだから春上さんは私にとっても親友候補だもんね」「ですよね! クラスメイトとして仲良くやっていきましょう!」「あ……」「えっ?」急に、佐天の勢いがしぼんだ。それで初春はハッとなった。春上のタイミングがやけにおかしいだけで、転校シーズンはむしろこれからだ。夏休みを使って転校先を探し、二学期から編入というのが王道のパターン。そして、佐天はそうやって栄転する可能性の高い、そういう立場にある人だった。「ご、ごめん。雰囲気悪くしちゃったね。さっ、うちに行きましょう! 早速準備しますから」佐天自身も、未だ身の振り方を決めあぐねている、そんな段階だった。まだ一週間くらいは、何も動かなくても間に合う。そういう考えに佐天は甘えていた。「それではこれより、風紀委員と警備員の合同会議を始める。あたしは警備員の黄泉川だ。 今日の議題に関しての担当になる。……前置きは別にいいだろう、それでは早速説明を始める」アンチスキル第七学区本部第一会議室、会議室というには大きく、演壇とそれに向かい合う沢山の座席からなるホールであるそこに、初春と白井を含めた風紀委員の学生、および警備員を務める教職員が集まっていた。少なくとも風紀委員の側は、地震に関する議題だとは知っているもののそれ以上の情報は与えられていないらしく、皆一様に落ち着かないような、そんな雰囲気だった。「このところ頻発している地震について判明したことがある。結論から言えば、これは地震ではない。正確には、これはポルターガイストだ」「ポルターガイスト……?」「普通は家具が宙を舞うようなものですわよね」白井と初春が小声で会話する。その声が演壇上の黄泉川に聞こえるはずもなく、淡々と説明が進んでいく。「地震は波動の伝播メカニズムの違いにより、P波とS波という伝播速度の異なる波を必ず生じる。だが一連の揺れにはこれがなく、またその発生地域が極めて局所的だ。この点で所謂地震ではないことが分かる。また地震、というと語弊があるがこの現象は全て学園都市内でのみ起こっている。この事からも、この学園都市に固有の事情でこの揺れが生じていると見るのが自然だ。こうした事実から我々はこの揺れがポルターガイストの一種であると仮説を立て、調査を行ってきた。その結果先日、この仮説が実証された。今日はその仮説の中身について説明していく。調査と実証の手法についてはレポートにまとめてあるから興味のあるものは各自読んで、提供できる情報があるならあたしの所まで連絡をくれ」黄泉川はそこまでを通しで喋って、舞台袖をチラリと見た。そちらと目配せで情報をやり取りしてから、再び聴講しているこちらへ体を向けた。「この現象、地震にも似た局所的な揺れは、端的に言うとRSPK症候群の同時多発によって引き起こされたものだ。詳しいことは先進状況救助隊のテレスティーナさんから説明してもらおうじゃん」黄泉川が舞台袖に体を向けて、壇上中央に招くように手を差し出した。それに答えるように、カツカツと小美味いい音を立てて、スーツ姿の女性が姿を現した。年は二十台半ばくらい。理知的な印象を与える丸い銀縁の眼鏡と、ピンできちんと留められた髪。ヒールを履かずともそれなりに背丈もあるところは異なるものの、髪の色や毛先をカールさせているところは白井に似ていなくもなかった。雰囲気はかなり違うが。テレスティーナが黄泉川からマイクを受け取って、息を整えた。「先進状況救助隊って……白井さん、知ってました?」「いいえ。まあこの手の研究機関は山ほどありますし、その一つではありませんの?」「えー、ただいまご紹介いただきました、先進状況救助隊のテレスティーナです。RSPK症候群とは、能力者が一時的に自律を失い、自らの能力を無自覚に暴走させる状態を指します」スクリーンに『Recurrent Spontaneous PsychoKinesis(反復性偶発性念力)』という名称が示される。この症候群そのものは、割と学園都市では有名だった。というのも能力発現とこれは裏表の関係だからだ。超能力は普通の現実から人を切り離すことで発現する。例えば佐天が能力発動に至った鍵である幻覚剤の投与、他にも五感の遮断などによって学園都市は超能力を開発する。そして、これとは違う現実からの切り離し方として、子供にトラウマを植え付けたり、安定した庇護を受けられない環境に追いやりストレスを与えるといった行為が挙げられる。このようにして不安定かつ暴走的な形で能力を発現させた子供の例は学園都市が出来る以前よりしばしば見られ、RSPK症候群の一種、いわゆるポルターガイストを発現させることが知られていた。児童虐待と能力開発の関係は、反面教師として教職員には周知であり、また学生達も能力開発史の授業で学ぶことだった。「RSPK症候群が引き起こす現象はさまざまですが、これが同時に起きた場合、暴走した能力は互いに融合しあい、一律にポルターガイスト現象として発現します。さらにこのポルターガイスト現象がその規模を拡大した場合、体感的には地震と見分けが付かない状況を呈します。これが今回の地震の正体ということになります。RSPK症候群が同時多発した原因については目下調査中ですが、一部の学生の間ではこの現象を具にもつかないオカルトと結びつけ、それによって集団ヒステリーなどが起き、被害が拡大することも考えられます。今回風紀委員の皆さんに集まってもらったのは、そのような噂を学生達が面白半分に広めないよう、注意を促してもらいたいからです。私からの発表は以上となります」「今日の内容を後で各自の携帯端末に送っておく。風紀委員の皆にはそれを熟読してもらい、学生への周知を図ってもらいたい。……風紀委員の皆への用件はこれで終わりになるじゃんよ。何か質問はあるか?」テレスティーナからマイクを受け取り、黄泉川が皆にそう尋ねた。終わりとばかりに腰を上げ始める白井の隣で、一緒に座っていた固法が首をかしげていた。「思いのほか、早く終わりましたね」「警備員はこの後もミーティングなんですって」会議室から退出した白井と初春、固法は各自の端末に届いた今回の一件の報告書にざっと目を通しつつ、外へと足を向けているところだった。注意喚起は受けたものの、することは別段これまでと変わらない。受け持ちの場所のパトロールやその他の雑務をするだけだ。「白井さん、これからどうします? 私、春上さんと佐天さんと御坂さんに合流しようと思うんですけど」「私もご一緒しますわ。どうせ今日は非番ですし。固法先輩は?」「私も調べ物はしてみるつもりだけど……することは大して変わらないわね」うーん、と白井が伸びをしたところで、視界の端に二人の男女が映った。風紀委員の腕章をつけていないし、そもそも今退出を命じられた会議室のほうへと逆行している。それを奇妙に思って眺めてみると、つい先日見覚えのある、ツンツン頭の高校生と修道服の少女だった。「あれは……」「え、上条君?」「固法先輩! ちょうど良かった。警備員の先生達ってこの先か?」「え、ええ……。急にどうしたの?」「いや、ちょっと用あがあってさ」曖昧な返事を返した当麻の表情は、緊迫したものだった。隣の少女の顔も不安に揺れている。時間が惜しい、といった感じの態度だった。「会議はまだ続くけど、風紀委員の退出に合わせて短い休憩を取ってる、今なら大丈夫だと思うわ」「そうか、サンキュ」当麻が短くそう告げて踵を返す。その後ろをインデックスがペコリと軽く頭を下げながら追いかけていった。あたりを見回しながら歩いていくと、幸い、タバコを吸いに来た黄泉川をすぐに見つけることが出来た。「先生!」「上条。どうした? 早く婚后のところに行ってやるじゃんよ」「いや、光子の入院先を教えてくれてないじゃないですか」「しまった、すまん」合同会議もあってうっかりしていたのだろう。端末を取り出してサッと当麻に転送する。「みつこ、大丈夫なの……?」「先生はさっき別条はないって言ってましたけど」「ああ。まあ……あんまり研究者の都合をぶっちゃけてしまうのもアレだけど、この一件でポルターガイストに巻き込まれた被害者は全部経過は良好で、最近じゃ入院なんてさせてないんだ。ところが婚后のやつがレベル4なのを知って病院側が目の色を変えてな。だから本人は元気そうだったじゃんよ」「そうなんだ」当麻の伝聞だけでは落ち着かなかったのだろう、黄泉川の説明でようやくインデックスがこわばった顔を緩めた。「それじゃ、悪いけどあたしはもう戻るじゃんよ」「忙しいとこすみません。ありがとうございました」「おう」休憩中に一服できなかったことに僅かにイライラしつつ、黄泉川は再び会議室へと足を向けた。ぽん、と優しくインデックスの頭を撫でながら、当麻はすぐに光子のいる病院への経路を頭に描く。『先進状況救助隊本部・先進状況救助隊付属研究所』という病院らしくない響きの施設に、光子はいるらしい。「あの、上条さん。どうかしたんですか?」固法、白井、初春の三人が追いかけてきて、当麻に声をかけた。「初春さんか。いや実はさ、昨日の地震……っていうかポルターガイストなんだっけ、これ。とにかくそれが原因で光子のやつが入院してるんだ」「ええっ? 婚后さんがですか?」「ああ、それで見舞いの場所が分からなくて、聞きに来てたんだよ」「警備員の先生に、ですの?」「光子は来週から黄泉川先生の家でこいつと一緒に暮らす予定だからな。それで知ってるんだよ。……それじゃ悪いけど、早く見舞いに行きたいし、俺たちはもう行くわ」「あ、はい。婚后さんによろしく伝えてください」「ありがとう。それじゃ」「上条君も気を付けて」「ありがとな、先輩」挨拶もそこそこに、二人はまた足早に、建物の外へと出て行った。婚后光子とそりの合わない白井がふんっと息をつきながらこぼした。「……いい殿方ですわね。肝心の付き合っている相手は好きになれませんけれど、上条さん本人の態度には好感が持てますわ」「そうね。……にしても意外よね。上条君が彼女作って落ち着いちゃうとはねぇ」「はぁ、よく女性にモテる人だったんですか?」「うん。けどまあ、朴念仁だったからね、彼は」過去を知る固法が嘆息した。暇を持て余した病室で光子がまどろんでいると、不意にコンコンと扉が鳴った。「光子、入るぞ」「あ……」夢と現の境目にいたせいで弱弱しい返事しか返せなかったが、当麻はこちらの反応を待たずに扉を開けた。ベッドの背を高くして本を読めるような姿勢にしていたから、そのまま当麻と目が合う。当麻が痛ましそうな目でこちらを見つめた。「みつこ、みつこ……っ」当麻の影からインデックスが飛び出してきて、ぼふりと光子の胸に飛び込んだ。何も言わないインデックスに、そのままぎゅっと抱きしめられる。少し遅れて傍に立った当麻が、光子の頬に触れた。「大丈夫か……?」「あ、はい。その、別に何ともありませんのよ?」「無理しなくていいんだぞ」寝起きの頭を必死にしゃっきりさせようとしているのを、強がりと取り違えられてしまったらしい。いつになく優しい手つきで、当麻が抱き寄せてくれて、おでこにキスしてくれた。なんだか贅沢をしているような嬉しい感じ。だが同時に、どうも分不相応というか、自分の現状から乖離した余計な心配をさせているように思う。「あの、寝起きでちょっとぼうっとしているだけですの。ごめんなさい」「やっぱり昨日は、眠れなかったのか?」「事情、お聞きになったの?」「ああ、黄泉川先生からの又聞きだけど、ポルターガイストに巻き込まれたって」「そうですわ。でも、他の人もそうですけれど、何ともありませんのよ」「そうは言うけど……無理しちゃ駄目なんだよ、みつこ」「ありがとう、インデックス。でも、今日は退院できませんから、インデックスの楽しみにしていた浴衣は着せてあげられませんわね。あと、エリスさんにもご迷惑をおかけしてしまいますわ……」今日は予定では、光子と当麻、インデックスは夏祭りに出かける予定だったのだ。インデックスには光子のお下がりを、そしてエリスは持参した浴衣を、それぞれ光子に着付けてもらう予定だったのだが、それも光子が入院となっては無理な相談だった。ちなみに常盤台は夏祭りに出かけられるような門限にはなっていないので、黄泉川に監督を委任しつつも常盤台の寮に部屋を残した期間、要は引越しの猶予をちょうど今日からに設定していたのだった。「仕方ないよ。みつこがこんなところにいるのに、お祭りになんて行けないし。エリスには連絡して、何とかしてもらうようにするから」「ごめんなさいね。インデックスはお祭り、初めてなのにね」「今日はずっと、ここにいるから」絶対に離れないといわんばかりに、インデックスが光子の胸の中でそう宣言した。それを可愛く思って微笑む。そして髪を梳いてやりながら、困ったことに思い当たった。「あの、気持ちは嬉しいけれど、夕方になったら検査なんですの。それなりに時間がかかるそうですから、お二人を待たせてしまいます」「そうなのか。それって夜まで会えないのか?」「いえ、ここの面会は結構遅くまで大丈夫のようですから、夜にはお話できます。それに合わせて黄泉川先生は来てくださると仰っていましたけれど……」「んー……それじゃあ、もしかしてちょうど夏祭りに行ってれば暇を潰せるのか?」「ああ、言われて見ればちょうどその時間ですわ」「よし、それじゃ晩飯はそこで摂ることにするよ。光子の分まで楽しんでくるから、申し訳なくは思わなくていいからな。まあ、俺たちが遊んじまった分の恨みは、後で聞くし、埋め合わせもするから」「ふふ。私そんな狭量な人間のつもりはありませんわ。しっかり楽しんでいらして」ちょっぴり保護者っぽい微笑を二人が交わしたところで、光子の携帯が音を立てた。誰でしょうかと思いながら、光子はディスプレイに目をやる。佐天らしかった。「もしもし、婚后です」「あ、婚后さん。……その、電話大丈夫ですか?」「ええ」「昨日の地震で入院したって聞いたんですけど……」「あら、情報が早いのね。お恥ずかしながら、そのとおりですわ」「お体は大丈夫なんですか?」「なんともありませんわ。医師の方が酷いことを仰いますのよ。レベル4でのポルターガイスト発現例は珍しいから調べさせてくれですって」「はあ。それじゃホントに元気なんですか?」「ええ。外因性のもので、私自身が心的ストレスを感じてポルターガイストを発現したのではありませんし、体調不良もありませんもの。病院食が美味しくないというのは本当につらいことですわね」「よかった。元気ならそれが一番ですよ。それで、もし婚后さんがお暇だったら、みんなでお見舞いに行こうかって話になってたんですけど、どうですか?」「暇……まあ、取り急ぎの用事はありませんけれど」言葉を濁したその返事に、佐天はピンと来たらしかった。「彼氏さんが来てるんですか?」「え、えっ? あの、どうして」「やだなー、素敵な彼氏さんだって婚后さん言ってたじゃないですか。もしかして今も隣で抱きしめてくれてたりするんですか?」「そそそそんなわけありませんわ! もう、嬲るのはおよしになって」思わず当麻のほうを振り返ると、はてなマーク付きの表情だった。今は当麻とのスキンシップは控えめだ。だがそれはインデックスが抱きついているからであって、二人きりなら佐天の言に図星だったかもしれない。「それじゃあ、夕方くらいに皆で行ってもいいですか?」「あ、五時から検査ですの。ですからその前なら……」「五時ですね。わかりました。そのときにみんな、ええと、私と初春と白井さんと御坂さんと、あとうちに転校してきて初春のルームメイトになる春上さんを連れて行ってもいいですか? 婚后さんに失礼かとも思うんですけど、転校したての春上さんを放っておくのも悪いし、それにお見舞いのついででアレですけど、夏祭りに行こうとも思ってて」「かまいませんわ。佐天さんのお友達なら、またご縁もあるでしょうし」そこで、ふと思い至る。光子が元気そうだから気を使わないでくれたのか、これから夏祭りに行くことを教えてくれた。それなら頼みごとを聞いてくれるかもしれない。「そうそう、佐天さん。夏祭りって、服はどうされますの?」「え? 浴衣をみんなで着ようかって」「皆さん着付けられますの?」「ええと、分かりませんけど私と御坂さんは大丈夫です」「そう。……あの、お願いがあるんですけれど、着付けを二人前ほど追加で引き受けては下さいませんこと?」「それは構いませんけど、誰のをですか?」「私の連れのインデックスと、その友人のエリスさん……たしか盛夏祭でお会いしたんではありません?」「あ、はい。わかります」「あの二人の着付けをお願いしたいの」「いいですよ」良かった、と光子は安堵した。インデックスには最悪謝ればすむし埋め合わせも出来るが、連れのエリスは当麻以外の男性と逢引と聞く。さすがにそんな一大イベントを控えた女の子に事情があるとはいえ断りを入れるのは心苦しかった。もう二三言交わして、光子は佐天との電話を切った。「浴衣、着付けてくれるって?」「ええ。助かりましたわ」「だな。エリスに申し訳ないと思ってたところだし。集合場所はどうしたらいいんだ?」「ここは中心街から遠いですから、駅前のほうで都合をつけるのが良いと思います。佐天さんたちがここに来たら、当麻さんは落ち着きませんでしょう? その、追い出すようなつもりはありませんけれど、入れ違いでインデックスの服を取りに行ってくださったら……」「わかった。気にしないでいいよ、光子」優しい手つきでまた当麻が頭を撫でてくれた。目を合わせると、軽いキス。突発的な入院のせいで夏祭りデートは中止になってしまったが、心の寂しさは埋められた光子だった。インデックスの浴衣を取りに黄泉川家へ戻ったあと、エリスと合流して当麻たち三人は光子に聞いた場所を目指す。「ごめんね、上条君。彼女さんが大変なのに手間かけちゃって」「いいって。浴衣着れなかったら垣根のヤツが可哀想だしな」「む、私のためじゃないんだ」「いや、そういう言い方するとアレだろ?」エリスのために都合をつけた、という言い方をするとむーっと怒る女の子が二人ほどいるのだ。現に隣で咎めるように当麻を見る銀髪の女の子と、ただいま入院中の当麻の本命が。「ふふ。尻に敷かれてるね、上条君」「それくらいがいいんだよ。俺と光子は」「とうまはすぐ他の女の人と仲良くなるんだもん。怒られて当然なんだよ」「ひでえ。そんなことないだろ。……っと。ここらしいな」柵川中学の学生寮。どうやら目標はここのようだった。詳しい場所は分からないから、当麻は光子に教えてもらった番号に電話する。「はい、もしもし」「あ、佐天さん、かな? 上条だけど……」「こんにちは。もうこちらに来てらっしゃるんですか?」「ああ。寮の目の前にいる」「ちょっと待ってくださいね。……あ、いたいた、こっちです。おーい」途中から声が電話じゃなくて直接聞こえるようになった。見上げると浴衣姿の佐天が手を振っていた。髪を結っていて、可愛らしい。……もちろん当麻はそんなことを口には出さないが。佐天は身軽にタタッと階段を下りてきてくれた。「鏡があるし、私の部屋に案内しますね」「サンキュ。それじゃあ、二人は着替えてきてくれ」「はーい。とうま、変な人に声かけられちゃ駄目だからね」「ふふ。インデックス、彼女さんみたいだよそれ」「ち、ちがうもん! 私はみつこの代わりに怒ってるだけ」「それじゃ、あの、佐天さん。着付け、お願いするね」「よ、よろしくおねがいします……」「はい。任せてくださいな」フランクながら丁寧な感じのするエリスのお願いとは対照に、インデックスのは敬語慣れしていない子供の挨拶みたいだった。それに苦笑いしつつ、当麻はインデックスに浴衣とインナーの入った手提げを渡してやった。「そういや他の子はいないのか?」こちらの女子メンバーも光子の見舞いからもう帰ってきているはずだった。「あ、白井さんと御坂さんは寮の門限をこっそり破るらしくて、今は一旦帰ってます」「こっそりって、大丈夫なのか? 常盤台なんて厳しそうだけど」「白井さんはレベル4の空間移動能力者<テレポーター>ですからね」「へー」「あと、初春と春上さんって子は自分たちの部屋にいると思います」「そうなんだ」盛夏祭で会いはしたが、肝心の演奏はほとんど聴いていなかったので美琴とは微妙に会いづらい。というか、先ほどの光子が受けた電話の辺りで、ようやくこのメンバーと美琴が知り合いだと知ったところなのだった。またいずれ、きちんと自分が光子の彼氏なのだと、一応言っておかねばなと思う当麻だった。もちろん美琴に対してではなく光子に対しての気遣いとして。佐天に連れられて階段を上るエリスとインデックスを見送る。さすがにこの距離なら変なアクシデントも生じない、と思った矢先。慣れない荷物のせいでつま先を階段に引っかけて、すってーん、とインデックスがこけた。当麻も何度も見た事のある、白い綿のパンツが夕日に照らされた。……何度も見たことがあるのはその、偶然と不幸の成せる技であって決して自分に負い目はないと当麻は思っている。「とーーーうーーーーまーあああああああ!! ばかばか! こっち見なくていいんだよ!」「す、すまん!」……つい見てしまうのは実は当麻のスケベ心のせいなのは、当麻自身気づかないようにしていることなのだった。