「私達はあっちで待ち合わせなんで」「上条さん、失礼します」「おう」「佐天さん、今日はありがとうね」「ほら、エリスが挨拶してんだしお前もちゃんとしろよ」「……え? あ、ありがとね、るいこ」夕焼けの川沿いを春上、初春、佐天と当麻、インデックス、エリスの六人で歩いてきた。全員が中学生くらいの女の子達なのでちょっと居場所のない当麻だったが、いつもの保護者気分でいると最後のほうはなんかもう慣れてきたしどうでもいいやという感じだった。ちなみにインデックスが歯切れの悪い挨拶をしているのは人見知りのせいではない。珍しくストレートに、当麻に可愛いよと言われてしまったせいで戸惑っているのだった。「婚后さんにいつもお世話になってるののお礼だから、気にしないでいいよ。それじゃあ、またね」ぺこりと頭を下げたインデックスに笑い返して、佐天は土手を登った。日本人ではない二人に着物を着付けたのだが、やはりエキゾチックな魅力というのはあるなぁ、と思っていた。インデックスは光子のお下がりを貰って喜んでいたが、銀髪との対比が鮮やかな、いい色選びだったと思う。光子の事だからいくつかあるお下がりから選んだのではないかという気がする。一方エリスも、自分で選んだとのことだったが、やはり黒髪と金髪では同じ色の服を着ても印象が全く違う。ちょっと羨ましく思う佐天だった。実際、当麻にもインデックスが可愛らしく見えたらしかった。……改めて、光子ではなくインデックスと当麻の関係が気になる佐天だった。「あ、春上さん。ちょっと着崩れてる。キャミが見えちゃってるよ、こっち向いて」「ありがとうなの」ちょっと隣で初春が悔しそうな顔をするのを見て、佐天はクスリと笑った。お姉さんぶりたいのだろうな、なんてクラスメイト相手に思ってしまったのだった。「お待たせしましたわね、皆さん」「おー、春上さんも初春さんも、佐天さんも素敵ね」ようやく寮監の監視から解放されたのか、少し遅れて白井と美琴がやってきた。運良くというか、全員上手く浴衣の色がばらけて、綺麗に並んでいた。白井の紫や初春の桃色にはなんだか納得。そして美琴のオレンジ、というか黄朽葉色の浴衣は五人の中でも落ち着いた色で、大人っぽく見える。本当はもっと可愛らしいデザインのを着たいんじゃないのかな、なんて邪推を佐天はするのだった。あたりはそろそろ夜。鼻をくすぐる祭りの匂いが濃くなって、なんとも食欲が出てくるのだった。こういうときの切り込み隊長を自認しているので、佐天は勢いよく言った。「あっ、あっちのほう、かなり夜店出てる! ん~っ、我慢ならん!」「ちょ、ちょっと佐天さん! 土手を走ったらこけますよ」「私も行こうっと!」「あ、お姉さま! そんなに走っては……んもう!」次に続いたのが美琴だった。白井は着崩れるのが嫌らしく、走らずに能力で飛んできた。「春上さん、私達も」「うん!」いちばんおっとりしている春上・初春組も祭りの雰囲気に当てられて、はしゃいでいるようだった。とりあえず、五人でたこ焼きを食べた。春上はそれから林檎飴を完食し、お好み焼きをほおばり、そして今、スーパーボールすくいをやる初春の後ろでフランクフルトをかじっていた。風紀委員の癖で自分では使い切らない量のティッシュを持ち歩く初春も、そろそろストックが切れそうだった。とにかく春上は、良く食べる上にほっぺたにソースだのをつけるのである。可愛い顔をしているせいか不思議と怒る気にはならないのだが、このペースだと近いうちにソース類を初春はお気に入りのハンカチで拭いてあげることになる。染みが残るのはちょっぴり嫌なのだった。「春上さんはやらなくていいんですか?」「うん。見てるだけで、すごく楽しいから。こんなに色々遊んだの、初めてなの」「やりたいのがあったらいつでも言ってくださいね、私も得意じゃないですけど、お教えしますから!」「うん! ありがとうなの」気持ちはわからないでもないが、春上は金魚すくいで実際に掬うのをやらずとも、水槽の中の金魚を眺めるだけで満足できるらしかった。「もうちょっとしたら花火ですね」「そうなの?」「ええ。大きな川が流れてる学区は限られてますから、ここの花火は学園都市じゃ大規模なほうで、人気なんですよ」「おおー」「一時間くらいありますから、食べ物を買って食べながら見ましょうか」「うん。そうするの」普段からあれこれ遊んでいるせいでカツカツの初春は、実はもうあんまり食べられないのだった。「はぁぁ……」ぽやー、と美琴は一点を見つめていた。視線の先には、お面のかかった屋台。デパートの屋上でやるヒーローショーで熱くなれるくらいのお子様向けのものだと言っていいだろう。そこに何の因果か、ゲコ太のお面がかかっていたのだった。奇跡のようなめぐり合わせに、美琴は身動きが取れないほど魅了されていた。だって、このお面がそう売れるとは思えない。現に美琴が見つめている間に売れていったお面は、どれもこれもヒーローモノや女の子向けの魔女っ子アニメのお面なのだ。ゲコ太は子供のなりきりたいキャラではないので、到底売れそうにもない。……ふと気づくと、隣には銀髪の女の子。こちらもぽやーっとお面、どうやら超起動少女(マジカルパワード)カナミンのを見つめているらしい。「おーい、インデックス。何見てるんだ」「と、とうま。なんでもないんだよ」「お面? ……って、御坂じゃないか」「んなっ、ななななななななんでアンタここにいんのよ?!」「第七学区の夏祭りにいたらおかしいのかよ……。で、ビリビリお前は何見てんの?」「へっ? いやっ、うえぇっ?」隠せるわけもないのに、お面の屋台を当麻から隠すかのように美琴が手を広げる。その様子を見て、インデックスが深いため息をついた。「とうま。この女の人は誰?」「えっ……?」美琴はガツンと頭を殴られたような衝撃を覚えた。どう見ても年下にしか見えないこの少女は、今、なんと言っただろう。まるで恋人が嫉妬しているかのような、そんな口ぶり。「え? 常盤台の寮祭で会ってなかったっけ」「知らない。会ってたら私、絶対覚えてるもん」「光子の同級生だよ」「ふーん……」まるで二人の会話が頭に入らない。二人の距離が、仕草が、あんまりにも近すぎる。友達だとか知り間とかの距離じゃない。もっと、近しい人たちの距離感だ。お祭りの熱が急に冷めそうなくらい、美琴は嫌な汗をかいていた。「その、あ、あ、あんた達って、つつ、付き合っ……」「ん? ああ、違うぞ」「え? そうなんだぁ……でででもっ、じゃなんで二人で」「いや、ホントはもう一人いたんだよ。それだけだ」「そ、そっか。じゃあ、なんでもないんだ」「ん、まあ、そうだな」「確かに恋人とかそう言うのじゃないけど、なんでもないって言われるのは心外かも。この人こそ当麻の何なの?」「何って、知り合いだよ」「どういう?」「……俺たち、どういう知り合いなんだろうな?」「私に振るな!」ふーふーと美琴は荒い息をつく。そしてさすがに周りの目を集めていることに気づいて、ちょっと心を落ち着けた。どうやら、目の前の少女の詳しい情報を集めるに連れ、心は落ち着いてくれたらしい。良く分からないが。そして向こうにも余裕が出来たのか、思いついたようににやりと当麻が笑った。「で、インデックス。お前、これ欲しいのか?」「い、いらないもん。こんな子供っぽいの、買ったってしょうがないんだよ」それを聞いて当麻はさらにニヤっとした口元を歪める。チラチラ見るインデックスの視線が、言葉と裏腹だった。そしてもっと面白いのが、美琴だった。インデックス以上に年上だと当麻も思っているのだが、なかなかどうして、可愛いところがある。「御坂。お前もこういうの、子供っぽいと思うか?」「……あ、当たり前でしょ。中学生にもなってこんなの!」「買ってやろうか?」当麻は二人に声をかけた。値段は良心的で、二個で五百円だ。「ば、馬鹿にしてんじゃないわよ!」「そうなんだよ! 私のこといつもいつも子供扱いして!」「お前ら子供だなあ。童心に帰ってお面を買うのが恥ずかしいとか、むしろガキの証拠じゃねえか」「え?」「子供じゃないってのは、たまには遊びでこういうの買うものアリかなーって思う余裕があって言える事だろ」高校生論理を振りかざして、当麻は上から目線でニヤニヤと二人に諭してやる。なんだか全く新しいものの見方を覚えたような顔で、二人はぼんやりと当麻と、そしてお面を見た。「ほれ、インデックスはカナミンで、御坂、お前はこのカエルか?」「カエルじゃなくてゲコ太! ……じゃなくて! なんで、それって」「お前の携帯、たしかこのモデルだろ?」「うん……」当麻が自分のことを知っていてくれたのが不意にうれしくて、美琴は口ごもった。「よし、おじさん、これとこれ二つ!」「あいよ!」「ほれ」当麻が財布から硬貨を取り出して、僅か数秒。インデックスと美琴は、それぞれ内心で欲しいと思っていたものを、ゲットしてしまった。「むー、だから私は別に」「ほらインデックス、かぶるのが恥ずかしかったらこうやって帯に留められるから」「別に、私アンタに欲しいって言った覚えないし」「だな。別に礼はいらないぞ?」「……ありがと」これ以上、恥ずかしくていてもたってもいられなくなった美琴は、そのまま当麻の前からフェードアウトした。素直に喜びを表せなかったことがちょっぴり悔やまれるのだった。辺りに白井がいなくなったのに気づいて、美琴は集合場所へ向かう。花火がそろそろ始まるから、穴場に向かうとのことだった。「あ、お姉さま。どこへ行ってらしたの……って。そのお面」「なによ」「別に、人の趣味をとやかく言うのは好みではありませんけれど、お姉さまは常盤台のエースとしての風格を……」「あーもーうるさいわね。別に自分で買ったんじゃないし」「え?」「な、なんでもない。いいじゃない。童心に返ってこんなの買ったって」「お姉さまは童心に返るのではなくてずっとお子様なだけでしょうに」もう、と白井が嘆息していると、次々に佐天と初春、春上も集まってきた。「お、みんなそろってるねー。それじゃ、案内しますよっ。イ・イ・ト・コ・ロ♪」「佐天さん、言い方がいかがわしいですよ……」もふもふとベビーカステラをほおばる春上がコクンと頷いた。「変なところじゃないですよっと。ちょっと川上にある公園にテラスがあって、そこから良く見えるんです」「それじゃそこでゆっくりと眺めますか」美琴が佐天に並んで、目的地を目指して歩き始めた。ドーン、と空振が花火から自分たちの下へと伝わってくる。パリパリとした肌を撫でるような響きと、お腹の底にくるような響き。花火につきものの夏の風情を体で感じながら、五人は空を見上げる。「ほら! また上がりますわよ!」「おー」珍しく白井まではしゃいで、空を眺める。「すっごくきれいなの……」「そうですねえ」「飾利、キミの瞳のほうが、ずっと綺麗だよ」「……なんの真似ですか佐天さん」「真似じゃないよ。心の底からそう思ってるの」「はあ……」「うーん、初春ノリ悪い」「佐天さんがはちゃめちゃなんですよ!」「ふふっ」初春と佐天の馬鹿なノリを見て春上が笑った。「どうしたんですか? 佐天さんが面白かったですか?」「初春……それ取りようによっちゃ酷いこと言ってる様に聞こえるんだけど」「気のせいです」「初春さんと佐天さん、仲、いいんだなあって」きょとんとした顔で、初春は佐天と見詰め合ってしまった。春上が胸元から、ペンダントを取り出す。それをそっと握り締めて、語り始めた。「思い出してたの」「……何を?」「あのね、昔、私にも佐天さんと初春さんみたいに、仲のいい友達がいたの」「そうなんですか。でも佐天さんみたいな人、珍しいですよ?」「だから初春、なんか酷いこと言ってない?」「そうですか?」「佐天さんとはちょっと違う感じだったけど、明るい子で、ぼんやりしてる私を色んなところに連れてってくれて……」「へー。……えっと、昔ってことは」そこで不意に、昔語りに頬を緩めていたところに何かが憑いたような、そんなぼんやりした表情を春上が見せた。何かに耳を傾けるように、顔を上げて辺りを見渡す。「あの、春上さん?」「……どこ?」「え?」「また、呼んでるの」「春上さん、どうしたの?」突然の豹変に初春と佐天は戸惑う。そして二人の混乱をよそに、春上は踵を返して、テラスから公園内部へ続く階段を上り始めた。「あ、ちょっと! 待ってください春上さん!」「どうしたの?!」慌てて初春が追い、佐天も遅れてその後を追う。隣にいた白井と美琴は、どうやら花火の音にかき消されてこちらの異変に気づかなかったらしい。のほほんとした目で離れていく初春たちを見ていた。声が、聞こえる。少し前からたびたび感じる、誰かに呼ばれている感覚。低レベルとはいえ精神感応者<テレパシスト>である春上にとって、音や、言語というものすら媒介としない思念の交感は未経験のものではない。ラジオが時々予期しない電波を拾うように、何かが聞こえてくることというのはある。だけどこの声は違っていた。迷子になったときみたいな不安を乗せた、助けを求める響き。そして声の主は、どこか懐かしいというか、聞き覚えがあるような声で。「どこなの? ねえ、応えて……」その声は、日に日に春上の現実感を奪っていっている。初めてその呼び声に気づいたときには、いつものノイズと同様に意識からカットしていた。なのに何度も呼びかけに気づき、戸惑っているうちに、いつしか春上は引きずられていた。まるで自分も居場所が分からない迷子になってしまったかのように、不安を埋めるために互いを引き寄せあい、共鳴し、そして声の主とのリンクをより太くする。こうなったときの春上は決まって意識を手放したり、そうでなくとも声が聞こえなくなって数分が立つまで白昼夢を見ているかのように硬直したりする。今が、まさにそうだった。春上にはもう、初春と佐天は見えない。「どうしたんですか? 春上さん、春上さん!」「どこかわからないよ……教えて。絆理(ばんり)ちゃん」ガタリと、地面が揺れた。「えっ? じ、地震?!」「絆理ちゃん……」「春上さん! 動いちゃ駄目です!」本震に先行する疎密波、先触れとなるカタカタとした小さな揺れを経ることなく、唐突に地面が揺れている。フラフラと歩いていこうとする春上を抱きとめて、初春は足を踏ん張って揺れに耐える。そうしなければ躓いてしまいそうなほどの揺れ。「御坂さん!」「お姉さま!」階下のテラスでは、その一部がガラガラと崩れかけていた。慌てて白井がテレポートを使って美琴と共に安全圏へと非難する。「良かった。初春も気をつけて!」「私は大丈夫です! 佐天さんこそそんな場所危ないですよ!」佐天は階段の中ほどにいた。確かに、倒れれば一番危険な場所だ。幸いに揺れも収まってきたから初春のほうに歩いていこうと、そう思ったときだった。ギギギギ、と金属が軋む音がした。テラスの崩れる音にまぎれて、その音源が階上の電灯であることに、佐天以外の誰も気づいていなかった。電灯の足元、数百キロの金属棒が倒れこむその先にいる、初春と春上でさえ。「初春! 危ない!」「えっ? くっ――! 春上さん!」地震の引きと同時に崩れていた春上を助け起こして横へと逃げるのは、非力な初春には無理だった。それでも、せめてもの助けになれればと逃げずに春上に覆いかぶさった。「逃げて!」佐天は、その一部始終を見たところで、初春達に目を向けるのを止めた。自然と、本当にごく自然と、体が動いていた。――超能力なんてものは、たいそうな名前をつけて特別視するようなことじゃない。そんなことを、しばらく前から佐天は感じ始めていた。自転車をこぐことを、現代日本人は特別視しない。二輪車に体を預けてバランスを取る行為は、ほんの100年前まで一部の酔狂な人だけの行為だったのに。それと同じなのだ。超能力なんてものは、使える人にしてみれば、咄嗟にでも使える自分の身体能力の一部でしかない。佐天の意識しないところで、呼吸が整えられる。スッと必要なだけの息を肺に留めて、視線の先に渦を作った。階段の隣の上り坂、その足元。佐天の歩幅よりいくらか広い間隔で数個並べたその渦を、佐天は躊躇いなく踏みつける。「初春!」その試みは初ではない。佐天の想像力の範囲で、すでに試したことのある応用。――渦で蓄えた高圧空気を踏みつけて、バネ代わりにして加速の手助けをする。文字通り一足飛びに、佐天は坂を駆け上がる。ポールの倒れこむタイミングは、佐天の測ったとおり。まさに佐天の鼻先を掠めるところ。それに、佐天はフックの軌道で掌打を叩き込んだ。「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!」浴衣の着崩れなんてお構い無しに、手のひらに作った最大出力の渦をぶつけた。佐天のコントロールを離れ爆縮をやめた渦が、そのエネルギーを撒き散らす。その爆発の方向性をちゃんと制御することは出来なくて、電柱の落下軌道を変えるだけの運動エネルギーの一部が佐天にも伝わり、右手は激痛を発しながら弾け飛ぶように電柱から離れた。ドゴォォォォォンンン数メートルの電柱は共鳴しながら重い音を吐き出して、地面に転がった。初春と春上の、すぐ30センチ隣。アスファルトを舗装しなおさなければならないような深い爪あとが刻まれていた。「あ、ぐ……いったぁ」「初春さん! 佐天さん!」「大丈夫ですの?!」すぐさま白井と美琴が駆けつける。だが当たらなかった電柱は、当然ながら春上と初春には何の危害も及ぼさなかった。「あれ……?」「大丈夫? 初春」「佐天、さん?」初春は、目の前で右手を胸に抱いて顔をゆがめた佐天が自分を見つめているのに気がついた。自分の下にうずくまる春上にも目をやったが、怪我はなさそうだった。「これ、もしかして佐天さんが?」「うん。意外と、こういうときに体って動くもんなんだねぇ」「な、何のんきなこと言ってるんですか?! こんな危ないこと、しちゃ駄目ですよ!」「でも初春と春上さんを、守れたよ。へへ……」「それはそうですけど……って、佐天さん!?」「ちょっと手を拝見しますわ!」風紀委員の実働部隊として怪我慣れした白井が、すぐさま佐天の右手を診た。ほんの一瞬前のことだ。佐天自身が感じている痛みを別にすると、外見的には手には何の変化もない。「痛みますの?」「……正直、かなり」「出血はありませんけど、骨折の類、ひびくらいは覚悟されたほうがよろしいわ」「まあ、仕方ないよね。この怪我と取引にしたのが何かって考えたら、全然安いけど」「とりあえずすぐ病院に行きましょう。春上さんは?」「原因は分かりませんけれど、気を失ったみたいです」地震も収まり、ようやく状況が落ち着いた辺りで、遠くからカシャンカシャンと機械音が近づいてきた。災害用パワードスーツ、それもあまりいい趣味とはいえないピンク色の期待だった。「怪我はない? 大丈夫?」「MAR……先進状況救助隊?」「そうよ。その子、怪我?」「はい! 咄嗟に私達を庇ったときに自分の能力で右手を……。あとこっちの子はちょっと気を失っただけです」「そう。あちらに救急車両を用意してあるから、まずはそちらに行きましょう」そう言ってパワードスーツは顔の部分のスモークを解除し、素顔を見せた。長い髪をきちんと留めた、流麗な素顔の女性。「貴女は……!」つい数時間前、会議室で講演をしていた女性、テレスティーナだった。当麻とのキスは、たっぷりソースの味がした。「ん、ふ……」「光子、可愛いよ」誰もいない二人きりの病室で、花火を遠目に見ながら当麻と光子はキスを交わした。光子にあてがわれた個室は窓の大きい部屋だから、花火見物のちょっとした特等席だ。当麻は唇を離して、傍らに置いたたこ焼きに手を伸ばす。「もう一つ、食べるか?」「ええ、くださいな、当麻さん」「ん」夏祭りの会場である川沿いから時間をかけて持ってきたので、中がほろ温い程度にまで冷めている。当麻はたこ焼きが口から少しはみ出るようにくわえて、もう一度光子に口付けをした。最初は恥ずかしがっていたが、もう三個目だ。当麻から口移しで食べさせてもらうのにも、慣れてきていた。「ん……」当麻と唇をはしたなく触れ合わせて、当麻に歯を立てないよう気遣いながら、そっとたこ焼きを噛みちぎる。たこの足が中々噛み切れなくて、まるで舌を吸い合うような深いキスをしたときみたいに、長く口を押し当ててしまう。なんだかそれが、やけに恥ずかしい。唐突に当麻が、自分の後頭部を抱いたのに光子は気づいた。そのまま、ぐっと唇を強く押し当てられる。「んっ! んぁ」当麻の口から貰った分け前、まだ咀嚼すらされず光子の舌に乗ったたこ焼きの中身に、当麻が舌をねじ込む。ソースの旨みが絡んだ半熟のたこ焼きのトロリとした感触と、当麻の舌が舌を撫ぜる感触。性欲と食欲をぐちゃぐちゃにかき混ぜて楽しむようなその行為に、光子はいけないことだ、汚いことだと忌避感を感じる裏で、ひどく、体を高ぶらせていた。食物は神の賜物、スパイスは悪魔の賜物。上手い格言があるものだ。背徳という名のスパイスは、確かにキスを極上の味に仕立て上げるものだった。「っふ、はぁ……。と、当麻さん。もう、だめですわ。インデックスが帰ってきてしまいますから……」「見られても、別に困らないけどな」「困ります! こ、こんないけないキス、見られたわ死んでしまいますもの……」だんだん、当麻に流されている。光子は最近の自分を振り返ってそう思っていた。常盤台の、それも立ち入り禁止のボイラー室で貪るようにキスをしたり、今だって、口移しなんでレベルじゃなくて、もっといやらしいキスをしたり。……嫌ではないのだ。ついその行為に溺れてしまう自分がいるから歯止めがきかないのだ。このままでは、すぐに、引き返せないところまで行ってしまいそうで、不安になる。「ま、まあ、今のはちょっとやりすぎだったかな」「当たり前です! こんなの。だって私、出店のたこ焼きをいただくのだって初めてだったんですのよ?」「え、そうなのか。……光子の初めて、もらっちまったな?」「――――っっっ!! 当麻さんの莫迦!」何を揶揄したのかすぐに光子は理解して、顔を火照らせた。もう一言言ってやろうと思ったところで、これ見よがしな音量でコンコンと扉をノックされた。「もう、みつこもとうまも病院なんだからもっと静かにするんだよ。廊下までイチャイチャが聞こえてて、入りにくかったもん」「なっ――」「みつこも、とうまに久々に会えたから嬉しいのは分かるけど、とうまのエッチに引きずられちゃ駄目だよ」「……」何も言い返せない光子と当麻だった。肌を重ねているところを子供に見られた夫婦のように、酷く居心地の悪い思いをしながら、光子は病院着の襟を正して、口元を拭いた。「お、俺。トイレ行ってくるわ。ついでに飲み物買ってくる」インデックスと二人で残された光子の恨めしい視線を見ないようにしながら、当麻はその場を逃げ出した。トイレを済ませて自販機を捜し歩いていると、曲がり角の先で二人の女性が向かい合っているのに気づいた。どちらも長髪で、一方は二十台半ばのスーツ姿、もう一方は洒落たコートを着た大学生くらいの女性だ。口論というわけでもないのだが、剣呑な雰囲気を醸し出している。思わず当麻は一歩下がって耳を澄ませてしまった。「ようやくお勤めは終了? 随分と待たせてくれたわね」「こう地震が続くと、先進状況救助隊の隊長ってのは、寝る暇がないくらい忙しいのよ」「そう。きっとお肌のお手入れも大変なんでしょうね」ほんの少しの年齢差を嵩に、大学生の方が嫌味を言った。「ええ、本当に困ってしまうわ。あなたももうすぐ同じ境遇だから、気をつけることね」ギスギスとした雰囲気。だが表面上だけでも冗談を飛ばしあっているのは、互いを牽制する狙いがあってのことだ。「それで、こちらの依頼していた品は出来上がったの? 木原さん?」「私の姓は『ライフライン』よ。テレスティーナ・木原・ライフライン。変にミドルネームで呼ばないで頂戴。第四位さん」「これは失礼したわね」「それで、依頼の品だけど」テレスティーナは、ポケットから無造作に、目薬より一回り大きいくらいの、透明なケースを取り出した。中には粉薬が入っている。「学園都市で最高純度の体晶よ。ありがたく思って欲しいわね」「もちろん。混ざり物の多い体晶で一発で壊れられちゃ、使いどころに困るもの。いいものを渡してくれたわね。……で、これって貴女の脳味噌から取り出したの?」「さあ? それを聞いてどうするの」「暴走しない程度に舐めてみようかと思ったんだけど、貴女の脳汁だって思うと躊躇っちゃうのよね」麦野はファミレスで雑談を交わすのと同じ顔で、そんな言葉を吐き出していく。テレスティーナは丁寧に作った顔で応対するのが、だんだん馬鹿馬鹿しく感じてきた。どうせ目の前にいるのは、顔は整っているがただの下種だ。「体晶はどれもこれも全部脳汁だろうが。気にいらねえんならさっさと返せよ」「だから気に入ってるって言ったでしょう? そちらこそ、予算が欲しいんなら下手なことはしないことね」二人の会話の中身は聞き取り辛く、また出てくる単語の多くが当麻には良く分からなかった。……夜の病院でああいう会話をされると、やけにいかがわしいというか、犯罪めいた匂いがするよな。そんな自分の考えを鼻で笑いつつ、こっそり逃げるのもおかしなことかと思って自販機にコインを入れてボタンを押した。ピッ、ガシャコン、と自販機はお決まりの音を立てて、目的のジュースを吐き出す。それをぐびりとやりつつ、後ろを振り返ることなく当麻は病室へと戻った。