「うん、春上さんはあれから何もないみたいだし、佐天さん、あなたももう包帯は外して大丈夫ね」「やたっ!」夏祭りの日、ポルターガイストに巻き込まれてから数日が経っていた。災害現場のすぐ傍にいた先進状況救助隊の隊長、テレスティーナが病院に連れて行ってくれて、春上の介抱と、能力を使って右手を痛めた佐天の治療をしてくれたのだった。春上はその日のうちに目を覚まして寮に戻れたし、佐天も幸い、軽いヒビで済んだ。飲み薬を飲んで右手はほとんど完治していた。そして今日で、ちょっと遠くて面倒だった通院も終わりになる。目の前で優しくニッコリと笑うテレスティーナに微笑を返して、佐天はぐぐっと右手を握った。もう鈍痛もない。まあ、右手に渦を握りしめるのはまだ止めておいたほうがいいらしいけれど。「よかったですね、佐天さん。これで無事にピクニックにいけますね」「お弁当、楽しみなの」「期待しててくださいね。気合入れて作りましたから!」朝食からまだ一時間やそこらなのにもう昼食に思いをはせる春上に、初春が元気よく返事をしていた。影で佐天はこっそり苦笑した。今日、初春が作っていた海苔巻きは、以前佐天が初春に作ってやったものと同じレシピなのだ。まあ、そのレシピは佐天も母親に教わったものだし、母親もきっと本で見たか、誰かに聞いたものだろう。そう思えば誰にレシピを教わったかで優劣のつくものではないか。佐天は調味料に間違いがないといいなと思いつつ、待合室のソファから腰を上げた。「初春、春上さん、それじゃあ行こっか。テレスティーナさん、どうもお世話になりました」「といっても私が診たわけじゃないし、通りすがりだけれどね」くすっと苦笑いをしながら眼鏡を直して、テレスティーナは小脇に挟んだファイルを軽く揺らした。「それじゃ、私も仕事があるからもう行くわね。学生さん達は良いわね、夏休みが長くて」「それが学生の特権ですから」「ありがとうございました、なの」「失礼します」初春も今日は風紀委員の腕章を外して、涼しげな私服姿だ。当然、春上も佐天もだ。とはいえピクニックにいこうと言いながらスカートを履くのはどうだろうと思いつつ、三人は電車の駅へと向かうため、病院の出口をくぐった。三人であれこれと話をしながら電車を乗り継いで、第二一学区の自然公園にたどりつく。前日のうちから計画を立てて朝早くに家を出たおかげで、昼ごはんまでにひと遊びできそうな時刻だった。「さあ着きました! 春上さん! 何しましょうか」「えっと……」「初春、アンタ気合入り過ぎだって」「そうは言いますけど佐天さん! あと遊べる時間はもう5時間くらいしか無いんですよ!」「充分だと思うけど……」春上と一緒にいる初春は、ずっとこうだった。春上は転校したてで右も左も分からない状況だし、そもそも性格のせいか抜けたところがあるというか、ぽややんとした状態がデフォルトなので、初春がやたらとお姉さんぶって甲斐甲斐しく世話をするのだった。「あれ」「え?」「あれに乗ってみたいかも、なの」すっと春上が無表情に指を差した。無表情というのは知らない人から見たらそう見えるという話で、実際にはいつもより楽しそうな感情が浮かんでいる。指の先を初春と一緒に見つめると、公園の真ん中にある大きな池の対岸に、貸しボート屋が店を構えていた。「ボートかぁ、いいね」「三人ならお金も問題なさそうですね」「じゃあ決まりっ!」善は急げといわんばかりに、池の外周を歩いて貸しボート屋に行き、荷物を預けてボートを借りに行った。中学生にしてみればここまでの交通費とボート代をあわせるとそこそこ手痛い出費なのだが、春上の気晴らしにと企画したのだ、パーッと使ってやろうと佐天はむんずと財布から千円札を取り出した。「おおっ、佐天さん奢ってくれるんですか?」「えっ? いいの?」「ちょ、ちょっとちょっと。いくらなんでもそれは酷いでしょ。あたしだって夏休みの軍資金はまだまだおいときたいんだから」ボートは極普通の形で、アヒルさんのデザインなんてしていない。なので、一時間でお札が一枚もあれば足りるのだった。「それじゃ一時間後にここにボートを持ってきてね」「わかりました」「よーしいこっか!」初春たちのいるこの公園は別段大きいところでもない。サクサクと借りる手続きを済ませ、佐天はオールをかついでボートの縁に足をかけた。「ほら、ボート支えてるから乗った乗った」「ありがとうなの」「すみません佐天さん」スカート組を先に乗せて、初春にオールを渡す。たぶん初春が漕ぎ役を買って出ると思ったからだ。膝より下まである長めのスカートを履いた春上はどうということもなかったのだが、なんでそうしたのか、初春は膝上までの黄色いスカートなので、大股でボートに飛び移ると下着が良く見えた。「初春ーぅ。そのパンツはじめて見たよ。スカートとあわせたの?」「さ、佐天さん! あっちでおじさんが聞いてるじゃないですか……!」貸しボート屋の主人がはっはっはと笑いながら手を振った。よくある役得なのかもしれない。もう、と呟きながら初春はぎゅっとスカートの裾を膝まで伸ばした。その仕草を笑いながら、ぐっとボートを佐天は蹴り押した。「え?! さ、佐天さん?」「いってらっしゃーい、なんてね」「初春さん。も、戻らないと」春上も佐天が陸に残されたのに気づいて、慌てて初春に指示を出す。しかし抵抗に乏しい水の上のこと、すぐにボートは陸から2メートルくらい離れた。佐天の渾身の一押しだった。「大丈夫だって。私もすぐに追いつくから」「え?」まさかもう一台ボートを借りる気なのか、と初春がいぶかしんだところで。佐天が足元を気にした。見えない何かを踏むように。……いや、見えないと思ったのは一瞬だ。土ぼこりを吸って、あっという間に渦が可視化された。ぶよんぶよん、と佐天が踏みつけるたびに弾性変形する。何をやろうとしているのか、咄嗟に初春には分からなかった。春上も首を傾げるだけだった。二人は、ついこないだ佐天が行ったそれを目撃していなかったから。「んじゃ、いっくよー」湖に来た時点で、佐天はやりたくてうずうずしていたのだ。東洋の神秘、忍者の秘術。水面歩行。水流操作系の能力なら簡単だろう。体重と同じ力を水面下からかければいい。空力使いも、風で自重を支えれば擬似的に水面歩行は出来る。他にも佐天の師である光子は足底に空気の膜を作り、水との界面張力をコントロールすることで、かなり苦手ではあるが最も正当な水面歩行が可能だそうだ。佐天はそういうのと比べると、一番スマートさに欠ける。――水面近傍で渦を踏みつけ爆発させて、それで垂直方向の運動量を稼ぐ。水面上で静止することの叶わない、ダイナミックな方法だった。「ほっぷ、すてっぷ、じゃーんぷ、っと」渦を3つ、70センチの間隔で。湖面にさざ波を立てつつ生じた渦に目掛けて、佐天は足を踏み下ろした。渦の下が硬い地面では無いから、その分渦の爆発で得られる力は小さいはずだ。うっかり飛びすぎるのはいい。だが出力不足で池に落ちることだけは避けなければならない。心持ち大きめに渦を作る。そしてぐぐっと踏むと同時にコントロールをストップ。それで、渦の持っていたエネルギーが佐天の足に伝わった。……勿論、水面にも。「え? わわっ、さ、佐天さん!」「冷たいの……」ばしゃん、ばしゃん、ばしゃん! と盛大に音が鳴る。水溜りを容赦なく踏んだときの水跳ねをもっと酷くしたような感じだった。佐天の移動のほうは問題なくて、無事ボートに着地した。そして予想通り、滅茶苦茶に揺れた。「お、落ちちゃう……」「春上さん、掴まって!」「って初春に掴まっても一緒に落ちるよ?」「この揺れの張本人がのんきに言わないで下さい!」この揺れなら大丈夫だ。佐天の運動量を奪って、ボートはさらに沖のほうへと進みだした。それにあわせて、そっと佐天もボートに腰掛ける。場所は春上の後ろ。ぴょこんとはえたアンテナみたいな一房の髪を眺めつつ、正面の初春のパンツが拝める場所だった。「さて、んさんっ、代わって下さいよ」「えーやだ。汗かいたら春上さんとくっつけなくなるし」「あはは……でもちょっと暑いかも」後ろから春上は佐天に抱きしめられていた。湖上で涼しいとはいえ真夏の昼前だ。暑くないわけがない。それを初春ははーはーと大きく肩を上下させながら恨めしげに見つめていた。疲れて足がガクガクするたびにパンツが見えると佐天に指摘されるので、ただでさえ辛いボート漕ぎが何倍も大変だった。「ほらっ、はるうえさん、も、嫌がってるじゃないですか」「えっ? 春上さん、もしかして嫌だった?」「え? そんなことはないけど……。佐天さん、優しいし」「ほーら初春。春上さんは嫌じゃないって」「もう、だめですよ、春上さん。佐天さんが付け上がり、ます」もうこれ以上は腕が動かない、といった風情の初春を見て、さすがに佐天も悪いと思ったらしい。「もう、それじゃあ代わってあげよう」「お願いします。それじゃオール――」「いらないよん。佐天さんは自分の力で泳ぐのだッ」春上を抱きしめた手を離して、二人に背を向ける。そしてサンダルを脱いでちゃぷんと足を池に浸す。そして背中を春上に預け、手でしっかりとボートを押さえた。「じゃあ、行きます!」数日前に咄嗟に足元に渦を作ってから、佐天は渦の発生場所を手に限定しなくなった。四肢の先端、つまり手に加えて足でも問題なく発動できるようになったのだ。さらに言えばそういった「指し示すもの」を一切使わなくても目の前に渦は作れる。手はあくまでも補助の一つだったということを、佐天は理解していた。残念ながら、遠く離れたところには渦を作れないが。両足元に、渦を作る。そしてその空気塊を水に浸けて、すぐ解放する。水のはねるじゃばっという音と泡の発生するぼわっという音が混じったような音がした。「ひゃっ? ま、またですか?」「でも冷たくないの」「そりゃそうよ、さっきと違って水しぶきは全部後ろに流れてるからね」「……それはいいんですけど、ほとんど動いてませんよ」振り返るとジト目の初春と目が合った。うーんと今の行いを反省する。足に伝わった運動量は、渦の持っていたそれの二割程度。ロスがあまりに大きかった。人間三人分の質量を動かす運動量なのだから、もっと効率を上げるか渦の出力を上げるしかない。「んー、この方式イマイチだね。これで足の骨にヒビ入れたら絶対怒られるし」渦の暴発という瞬間的な現象で運動量をまかなおうとすると、瞬間的に佐天の足に大きな応力がかかる。渦の出力が佐天の体の破壊に繋がるレベルに達していること、それがこの間初春を助けるときに怪我を負った原因でもあった。――やっぱり、連続的に仕事をする渦じゃないと駄目だよね。「気液の二相混合流とかコントロールできるのかな……」「え、佐天さん?」「ああうん、ごめん、ちょっとコッチの話」少しだけ、佐天は友達二人を忘れて自分の能力に没頭した。佐天の作る渦は基本的に球形だ。それは自然界によくある円筒状の渦とは大きく形が異なる。だが円筒型のものも、別に作るのに苦労があるわけではない。「円筒の渦を作ったら、あれなら色々吸い上げられるよね」アメリカに発生する竜巻など、車や家畜ですら吸い上げるのだ。ああいうイメージで、空気で作った渦の中に水を引き込めば、渦が水を吸い、吐き出すときの反作用で船が動かせるだろう。「よっと」足、というか骨が一番頑丈なかかとの先を基点に、竜巻を作る。そしてそれをほんの一部だけ、水に触れさせる。空気の吸引口に水が混じりこむように。「おっ、おっ、おっ」「あのー、佐天さん?」「ごめん初春いいところだから!」「もう」初春は自分の世界に入り込んだ佐天にため息をついた。能力が急激に伸びていて嬉しそうな佐天を見るのは嫌ではないが、今日は春上の気晴らしにとここへ来たのだ。春上と目が合ったので謝意を目線で伝えると、気にしていないという風に笑って首を振った。「佐天さん。すごいね」「ありがとー。んくっ、コントロールが難しい」「あれでレベル2って嘘ですよね」「うん、私もレベル2だけど、あんなにすごいことできないの」「実用レベルってレベル3からですもんね、普通」「柵川中学にはレベル3の人っていないんだよね?」「はい。だからたぶん、佐天さんはうちで一番だと思います」「すごいの」後ろの会話をほとんど聞き流しながら、かかった、と佐天は感じた。エンジンが始動から定常回転を始めるように、渦が水を噛む時の状態が、上手く安定した。そして緩やかに、ボートが動き出す。「あ、動いたの」「ホントだ。佐天さん、上手くいったんですか?」「うん。なんとか」初春は再び春上と苦笑を交わす。コントロールに必死なのか、佐天が会話に乗ってこなかった。「さてそれじゃあ佐天さんが運転手をしてくれてる間、私達はこの空気を堪能しましょうか」「はいなの」うーんと初春は伸びをしながらそう宣言した……のだが。後に佐天が方向転換は出来ないと知って対岸にぶつかりしたりしそうになって結局大変なのだった。「ふいー、漕いだ漕いだ。もうお腹ぺっこぺこだよ」「全部食べちゃ駄目ですからね」「はいはい。っていうかそれは春上さんに言ったほうがいいんじゃないかな?」「え?」春上がきょとんとした顔で佐天を見た。3人の中で飛びぬけて大食漢であることにまるで自覚がなかった。貸しボートを満喫して、今はもう早めの昼食時だ。早起きした三人にとってはもう待ちきれない時間だった。さっそく初春の持ってきたボックスを開ける。「おー」「すごいの」夏だからと酢を利かせた酢飯で巻いた海苔巻き。定番の厚焼きやらキュウリやらで巻いたそれは、ちゃんとしたすし屋のには見劣りしても、そこいらにあるスーパーの出来合いの一品となら勝負になる出来上がりだった。「朝から頑張りましたから。さ、それじゃ食べましょう」「いただきますなの」「ほら待った、春上さん手拭きなよ」「ありがとう」ウェットティッシュを春上と初春に渡して、自分も手を拭く。そして6本も作られた海苔巻きの一つに丸のままかぶりついた。佐天好み、というか佐天が母から教えてもらったあの味がする。「んー、んまい」「おいひいの」両手で縦笛みたいに持った海苔巻きを春上がもっきゅもっきゅと食べていく。失礼を承知で言うと、ちょっと食べ方が汚いというか、豪快なのだった。ほっぺたにご飯粒がぽつりぽつりと付いている。「もう、春上さん。ほっぺにご飯粒付いてますよ」「うん」「やっぱりこういうところで食べる海苔巻きはいいですね」「うん。ピクニックって感じがするよね。夏のうちにまたやってもいいなぁ」「じゃあまた計画しましょう。秋の紅葉とかも良いですし、二一学区は冬には雪が降るらしいですし、 せっかく中学に上がったんですからこういうとこに旅行するのもいいですよね」「うん……」初春はこの先の計画に思いをはせて、ぐっとこぶしを握った。しかし、それに対して佐天が淡く返した微笑が気になった。「佐天さん?」「いやさ、二学期から、どうしようかなって」「あ……」そのことを思い出して、初春は表情を翳らせた。「初春さん、佐天さんって、2学期に何かあるの?」「えっと……」「転校、しようかなって思ってるんだ」「転校?」「うん」自慢するように、手のひらに渦を集める。そしてそれを池に投げ入れると、ばしゃんっ、と水音を立てた。佐天の表情は、あまり誇らしげでなかった。そしてどうしようか、ではなくて、転校しようかと佐天が言ったことに、初春は気づいた。「あたしのレベル、これだったら3に行くんじゃないかなあ」「そう思うの。だってこれ、レベル2の威力じゃないの」「システムスキャン、受けたらあがるかも知れませんよ?」「うん。多分上がると思う」「じゃあ」どうして受けないのかと言おうとして、なんとなく初春は理解した。柵川中学にレベル3の学生はいない。レベル0と1、そしてたまに2。それが柵川のランクなのだ。レベル3の認定をもし受けてしまったら、まず間違いなく柵川にはいられない。だからきっと、佐天は先送りにしているのだ。「……佐天さん、近いうち、システムスキャン受けましょう」「え?」「もっと能力を伸ばしたいって思ってるなら、ぜったいそうするべきです! それで出来るだけいい学校に行って、お小遣いで私と春上さんにパフェご馳走してください」「パフェ? ……あは、もう、初春。いま結構シリアスな話だったよ?」「私は大真面目です」「うん。そっか」「佐天さん。転校したって、私と友達でいてくれますか?」「え? ……それは、私が言うことだよ」「質問に答えてください。私は、ずっと佐天さんのこと友達だって思ってますから」「ありがと、初春。私だって、初春のことずっと友達だって思ってるから」「じゃ、今まで通りですね」「そだね。うん、それじゃあ転校前に春上さんともっと仲良くなっとかないとね」二人で春上を見つめると、にっこりと笑い返してくれた。そして、どこか羨ましそうな響きを込めて、ぽつんとこぼした。「佐天さんと初春さん、仲良いね」「え? うーん、それはどうかなぁ」「佐天さんなんか今さっきといってること違いませんか……」いつの間にか完食した海苔巻きの容れ物から残ったご飯粒を摘み上げて、初春が佐天を見つめた。そんな様子が、ますますやっぱり仲良さげに見える。春上は胸から下げたペンダントに軽く触れた。「私にもね、すっごく仲のいい友達がいたの」「え?」過去形のその言葉に、佐天と初春は返事をし損ねた。その二人の様子に構わず、春上は言葉を続けていく。「私とその子、どっちも置き去り(チャイルドエラー)で、施設で育ったの。ある日その子はどこかに引き取られて、離れ離れになったの。最後の日に、また会おうねって行ってくれたから、それをずっと待ってたの」「春上さん……」佐天自身も、そして友人にも、置き去りという境遇の人間はこれまでいなかった。そのせいで、どんな言葉を返すべきなのか佐天はわからなかった。春上は決して自分の境遇を悲観しているようには見えない。その表情を曇らせているのは、友達と離れたこと、それだった。「そのお友達、今は」「分からないの。しばらくしたら、連絡も来なくなっちゃったから」憂いを帯びた声で、春上が首を振る。佐天はかけるべき声を見失って、しかし初春は春上と距離をとらなかった。「探しましょう」「え?」「私、こう見えて情報収集とか検索とか、そういうのは得意なんです。だから」「ありがとう」初春の声に、春上が声を重ねた。眩しそうに初春を見上げて、笑う。「初春さんと佐天さんには、たくさん勇気を貰ったの。待ってるだけじゃ、だめだよね」「みんなで探せば、きっとすぐ見つかりますよ。そのお友達も」「何か手がかりとか、ある?」自身もあまり積極的なほうとはいえなかった初春の気持ちの強さを嬉しく思うと同時に、自分もちゃんとしなきゃと省みつつ、佐天も春上に声をかけた。だが、気楽にしたはずの質問が、春上の表情を暗くさせた。「声がね、時々聞こえるの」春上がスカートの裾をきゅっと握って、じっと地面の一点を見つめた。思いつめたような雰囲気があった。「声?」「うん。私、精神感応者(テレパシスト)なんだけど、その子の声が時々聞こえるの」「それなら、その子と話をすれば」「私、受信しかできないし、それにあの子、何か変なの」「変?」「うん。なんだか、苦しそうで」「春上さん、こないだの夏祭りの夜のって」「うん、たぶんそう。あの子の声を聞いたらいつも私、何も他のことが分からないくらい、混乱しちゃって」佐天は初春と顔を見合わせた。あの日、鮮明に残っている記憶は二つ。不意にふらふらと歩き出した春上と、そして地震。結びつけるなというほうが、無理があった。「もしかして、それってポルターガイストと――」「ちょ、ちょっと佐天さん。いくらなんでもそんな、飛躍しすぎですよ」「けど、春上さん。春上さんがその友達の声を聞く日って、地震とか――」どうしてそんなことを尋ねるのか、と初春は佐天に問いたかった。短い間に何度も学園都市を襲い、怪我人を出した局所地震。春上がその犯人かのような言い分。春上に、すぐ否定して欲しいと顔を向けた。佐天も佐天で、この新しい友達が厄介ごとに無縁でいてくれるなら、それに越したことは無かった。「……春上さん?」「――」予期せぬ長い間に、佐天と初春は戸惑う。返事が、なかった。あまりに唐突な、会話のやり取りの拒否。春上はぼうっとどこかを見つめている。意図しての無視とも違う、本当にいきなり佐天と初春が眼中に入らなくなったような、そんな自然な無視だった。目線がやけに奇妙だ。佐天とも初春とも違う、何も無い方向に向いていながら、焦点はすぐその辺りにあわせられている。――――まるで、すぐ傍にいる誰かを探すように。「どこ? どこから呼んでるの?」「春上さん……もしかして」冗談が過ぎるような噛み合わせ。ほんの数日前の焼き直し。目の前の友人二人を意識の外に追いやって、春上は誰かの声に、意識の全てを奪われていた。「春上さん! しっかりしてください、春上さん!」「何をそんなに苦しんでいるの? ねえ、どこ?」「ちょっと、春上さん。初春どうしよう」風紀委員として怪我の応急処置や心臓発作などの対処は習っている。だが、突然夢遊病にでもかかったような場合なんて、聴いたことも無い。初春は呼びかけるほかに出来ることを知らなくて、ひたすら声をかけた。「春上さん! こっち向いてください!」だが佐天は、それを一瞬躊躇した。友達と能力で交信していること自体には、何の問題もないのだ。この呼びかけで二人が会えるなら、それは悪いことではない。「お願い、何を言ってるのか、分からないよ」どうしよう、止めるべきか、止めるとしてどうやって止められるか。そんなことを逡巡していると、不意に、意識にノイズが走ったような違和感を覚えた。なんとなく、自分の能力が自分から遊離していくような。渦を出す意思なくしては発動しないはずの渦が、なぜかそこに現出してしまうような。「――あ」まずい、と佐天は思った。池のほとり、草の刈り取られた広場に、佐天は渦を見出してしまった。ちょうど、お昼時で地表が強く熱されて上昇気流が起こり、冷たい湖面の風が流れていく場所。軽く舞った砂埃が、ゆらりと弧を描いた。同時にシャラシャラと木々が葉をこすり合わせ始めた。湖面はさざなみを打ち、そして突如、ドンと深く低い音と共に、公園全体が揺れだした。人が危険を感じるレベルの揺れをもつ、地震だった。「そんな! 地震?! 春上さん! とりあえず開けたところに――」「待って! 駄目、初春」「佐天さん?!」慌てて佐天は初春を引き止める。春上は相変わらず、茫然自失のままだ。佐天は焦りを隠せない初春の向こう、広場を指差した。そこには空へと向けて立ち上る、砂埃の柱。「竜巻!? こんな時になんでっ」竜巻、つまり空気の渦は自然界にも存在するものだ。佐天が作ってしまったのは、小さな渦だけ。だがそれは、種さえ与えてやれば、周りのエネルギー、すなわち気圧差や温度差を喰らって自然に成長する。日本で生じる竜巻など規模は高が知れている。数十秒もあれば、消えうせるだろう。だが、地震の最中に広場を占有するそれは、間違いなく人を危険に晒しかねない危険物だった。逃げ場を探して辺りを見回す。宙に浮いたボート、不自然に回転するブランコ、木々の間を縫って現れる断層。そらへと逃げ惑う鳥達の羽音が耳障りだった。「とにかく! 木の隣は危ないからあっち行こう!」少しでも安全なところへと、二人は春上の手を引いて必死に動いた。