乱雑に積まれた廃車の上に腰掛けて、一方通行<アクセラレータ>は地上を見下ろす。「あー、今日はだいぶ散らかしちまったなァ。ま、俺が掃除するンじゃねえからいいンだけどよ」遮蔽物の多いここでの三人同時襲撃というのは趣向としては悪くなかった。重火器を手に同期した動きを見せるあちらに対し、こちらは無手で一人。「く……」足首から先を失って地面に這いつくばった妹達の一人が、一方通行に良く見える場所でうごめいていた。骨も動脈もむき出しの傷からはオイルのように血液が流出していく。一方通行はその様子を見て軽くため息をついた。今日の三人はこちらの『反射』を上手く回避した立ち回りを演じてきたが、一人が落ちてから瓦解までは一瞬だった。「なァどうする? 俺はもうオマエから学ぶモンなんてないしな」「……?」「アリを一匹一匹丁寧に潰すってのもよォ、いい加減飽きンだよ」そういえば通り道にあった自販機には今週のローテーションにしているコーヒーがあった筈。それでも飲みながら帰るかと思案する。一方通行の頭の中はすでに実験は終了していた。「ミサカはまだ戦闘能力を喪失してはいませんが」「そォは言っても、オマエ、何してくれるの?」体勢すら整えるのに苦労をしながら、最後に残ったミサカが自動小銃を一方通行に向ける。ゆらゆらとぶれながらその照準が合うのを、一方通行は優雅に待った。自身の能力である『反射』は、銃弾の持つベクトルなどまるで意に介さない。綺麗に軌道を演算して、元の銃口にお返ししてやることすら造作ないのだ。カチンと、ミサカが引き金を引いた。ただし銃のではなく、一方通行の近くに隠して設置した可塑性(プラスティック)爆薬のトリガーを。「おォ、ソッチからかよ」バァァァン! と人気のない一帯に騒音が弾け飛ぶ。木の板を叩いた音を鼓膜が破れそうな音量にした感じだった。その爆風を受けて、一方通行はふわりと舞い上がる。もちろん爆風の持つエネルギーを全て受けていれば一方通行ははるか先まで吹き飛んだはずだった。だがミサカは爆風一つで一方通行が戦闘不能になる可能性など全く考えていなかったように、小銃の照準を滑らかに空中の一方通行に合わせた。そして今度は、小銃の引き金を躊躇いなく引く。バババ、と断続的な炸裂音が始まった次の瞬間、手にした銃は弾け飛んだ。「俺の計算能力を上回りたいンだったら、場をもっとグチャグチャにしねえとなァ」そう言いながら、一方通行はミサカの残った足の上に着地した。グギリという骨が砕ける鈍い音。激痛に目を見開くミサカ。その姿をしばし鑑賞して、一方通行は悩む。「まあ、ここまで来たし殺ってやるけどよォ、どんな殺やれ方がオマエの好みだろうなァ」血流を全部逆流させて殺すのはもうやったことがある。このまましばらく待てば恐らくあちらから電撃の矢でも飛ばしてくるだろう。それを反射して絶命されるのは面白みがなかった。「あァ、体を流れてる生体電流を変えて遊んだことはまだなかったな」優しい手つきで、一方通行はミサカの腕に触れた。――――その瞬間。闖入者の存在を知らせる、カッカッというローファの足音が近づいてきた。さっきと、匂いが違う。操車場を目前に、美琴が思ったのはそれだった。鉄臭い匂いと、名状しがたい獣のような匂い。そして突然の、耳をつんざくような轟音。明らかにそこは、30分前に自分がいた場所とは、違っていた。「何、コレ――――」積み上げられた廃車が視界を遮らないところに出て、美琴はそこを見た。頼りない電灯の光が、はっきりとした情報を映してはくれないけれど。常盤台の制服を着た、自分に良く似た、いやさっき会った三人に良く似た髪の色をした誰かが、地面に転がっていた。誰一人として、ピクリとも動かない。それはそうだ。転がるその子達は誰一人として五体満足ではなくて、どう見たってこんなの、生きていやしない。「あン? 処理係か。まだ終わってないうちから来ンのは初めてだな」「え……?」視界の目の前にいたのに、美琴は今はじめて、その男に気がついた。明かりが逆行になって表情は良く分からない。だけど、線の細い体格に真っ黒な服を着込んだ、若い男だというのは分かった。「まァ待たすのは悪いしよ、さっさと殺るか」「あ、ぐ……あ、うあぁぁぁぁぁっ」「ちょ、ちょっと止めなさいよ!!」「あ?」「止めろって言ってんのよ!!」美琴は勢いに任せて、その男に雷撃を飛ばした。人に当たれば後遺症を残すレベルだった。しかし目の前の男は、それを意に介さない。一方通行に踏みつけられた妹は激痛に目を見開き、涙腺が壊れたみたいに涙を流している。ビクンと体が震えるたびに、折れた足が不自然に揺れ、足首をなくしたほうの足からはダラダラと血が溢れた。そんな、おぞましい光景を生み出しながら、目の前の男はごく平静な様子だった。「おいおい。止めろってオマエ何様だよ。っつーか、オマエラこそこれを希望してるンじゃないのかよ」「こんなこと、望んでるヤツがいるわけないでしょうが! アンタ、頭おかしいの?」「イカれてンのは学園都市の上の連中だろ。……オマエ、他のヤツと随分違うな」「何を言って――」「まァいいや。とりあえずコイツで遊ぶのは満足したしな」もう一度、男が妹に触れようとした。「止めなさい!」美琴はもう能力に制限をかけなかった。後のことだとかに気を使う平静さは無かった。磁力で集めた砂鉄の剣を地面から引き抜く。そして躊躇い無く妹に伸ばす男の手に振り下ろした。高周波振動のブレードはたやすく腕を切り――――裂かない。「え?」「面白い能力の使い道だなァ。いいぜ、そういうの。でもこの俺を相手に近接戦はいただけねェよ」あっさりと砂鉄は美琴のコントロールを離れた。そしてぬるりと、男の手が蛇のように美琴を狙った。それに本能的な恐れを感じて、美琴は崩壊しかけた砂鉄の剣を幕にして、男の視界を遮った。そしてバックステップで至近距離を脱した。「悪くない判断だな」息つく暇を美琴は与えなかった。自動車なんて鉄塊みたいなものだ。この廃車場には、美琴が弾に出来るものが山ほどある。美琴は妹の位置を計算しながら、三台の軽自動車を砲弾にして目の前の男に突っ込ませた。男は避けるほどの身体能力を見せなかった。特に何もアクションを起こさず、静かに自動車は男に突っ込んで。「……? この出力、オマエ」「――――ッ!! くあ、あぁぁっ!」次の瞬間、美琴に向かって飛んできた。渾身の力で電場を歪め、その質量弾を横に逸らす。噛み締めた奥歯が痛い。ハァハァと美琴は荒い息をついた。「砂鉄の剣にこの大質量のコントロール。どう見てもレベル2や3じゃねぇよな。そっかそっか。俺は勘違いしてたってワケか」実験結果を眺めるように腕組みをして男は頷くと、美琴の中身を覗き込むような目で、呟いた。「オマエ、オリジナルかァ」ニィ、と目の前の男が笑みを深くした。ゾクリとする爬虫類じみたその表情に、美琴は半歩後ずさる。次は美琴をおもちゃにするつもりなのか、一歩、男がこちらに近づいてきたところで。不意に男の視線が後ろにやられた。「待って下さい。一方通行」「お姉さま<オリジナル>との戦闘は計画の大幅な修正を必要とします」「突発的にそれを選択することはむしろ障害となりますので、ここは手を引いてください」「それに本計画ではお姉さまを投入することは見送られたはず」「世界にたった一つしかいない人間を無闇と消費することは赦されないことでしょう」男は面倒くさそうな顔をした。美琴を足止めしていた三人の妹達が追いついたのだった。男は妹達のリレー方式で喋る癖が嫌いだった。「今日はすでに実験に投入する個体の変更をしています。これ以上、計画を変更すれば樹形図の設計者による大規模な再演算が必要となりますから、計画遂行上の障害となる、お姉さまとの戦闘は容認されませんとミサカは詳細に事情を説明します」「チッ。はいはい分かった分かりました。ちょっとからかっただけだってェの」いたずら心を先回りで牽制された子供みたいなすねた口調で男は妹達に従った。その様子に満足したのか、妹達が次は美琴のほうを向いた。「お姉さまも、速やかにここを立ち去ってください。我々はこれより死体の処理をしなければなりませんので」「処理、って……アンタ達はコレ見て何も思わないの? こんなの、絶対おかしいわよ……」「そうは言いますが、これは学園都市が主導する計画のひとつですが、とミサカは客観的な評価を口にします」言葉が、通じない。絶対に、普通の人間ならこの状況をおかしいと思えなければいけないのだ。目の前にいる妹達みたいに、自分と同じ姿をした死体が転がっている現場を見て平然としているなんて、ありえないのに。妹達の一人が現場の隅から、寝袋みたいな袋をいくつか取り出した。「ところで一方通行。貴方に課せられた今日の実験はまだ、終わっていないようですが? とミサカは確認をとります」「え?」さしたる感慨を持たぬ目で、妹達は這いつくばる自分の分身を見つめた。痛覚をつかさどる神経を流れる電流を、いつもの数百倍流されて悶えてはいたが、両足首から先を失ったミサカは、まだ絶命していなかった。「あァ、殺さないと実験が終わらないンだよな。この規則は変えられないのか。興が殺がれた日に後始末をするのはかったりいンだよなァ」美琴を無視して、男が傷ついた妹に、近づいた。美琴はその足取りを遮るように数歩踏み出し、そっと、ポケットからコインを取り出した。人にそれを向けたことは、どこかの馬鹿を除けば、一度もない。「止めなさい」「あ? 指図される謂れはねェよ。オマエの妹も皆賛成だぞ?」「知らないわよ。こんなことして平気なあなたもこの子達も頭がおかしいのよ」「凡人よりネジが飛ンじまってるのは否定しないけどよォ、オマエ、部外者じゃねえか」「この子達の姿を見て、部外者で私はいられないの」「あー、そうだよなァ。さすがに俺も自分のクローンがこンな消費のされ方してたら気色悪ィな。分かるよ」うんうんと頷く男の態度が、酷く美琴の癇に障る。クローンを作られることになった美琴の浅はかさを揶揄しているのは明らかだった。「まァでも、俺がレベル6になるには、コイツラを使って実験しなきゃいけないンだよ。悪いが、止められねェなァ」見せ付けるように男はゆっくりと妹に手を伸ばした。美琴の目を見ながら、美琴の理性の減り具合を確かめるように。ニタニタとした笑み。人を一人殺すのに、どうしてそんなに微笑むんだ。妹達だって、普通に生きられる、普通の人なのに、なんで。ぷつんと美琴は何かが振り切れるのを感じた。心の中の引き金を、ガチンと引いた。「止めろって言ってんのがわかんないのかあっっ!!」コインに先駆けて、男のこめかみまでの空気をイオン化する。雷のような曲がりくねった大気の電圧破壊ではない。整然と伸びた二本の直線、それはまさにレールと呼ぶにふさわしい。数メートルの加速台一杯一杯に自分と言うコンデンサから絞れるだけの電流を絞り出して、美琴はコインを加速させた。人の認識速度を優に超える音速を獲得し、コインは急激な摩擦を持つ。そして温度の四乗に比例して周囲に赤熱を撒き散らしながら、美琴の奥の手、『超電磁砲』は目の前の男に襲いかかった。男に訪れる結果のことを美琴は考えなかった。――――直後。美琴は自分の耳元で、キュインという、風を切る音を聞いた。チリチリと髪と頬が熱風に当てられたような感覚を伝えている。視線が僅かにその軌跡を捉えていた。男に直撃した瞬間、跳ね返った超電磁砲の軌跡を。結果は何より雄弁だ。死んだっておかしくないはずの男が、先ほどとかわらず立ち尽くしている。「そん、な」歩みを止めることすら男はせず、そしてつま先で瀕死の妹を小突いた。ただの蹴りではなかったのだろう、地面から浮き上がるくらいにビクリと妹は震えて、仰向けに転がった。真横を向いた顔を見ると、血も涙も、あらゆる体液を垂れ流しながら、目をかっと開いていた。妹が今まさに死んだのだと、悟るのに何の無理もない有様だった。「嘘……でしょ」「なァ。今の確か、オマエの必殺技だよな。……いや、悪ィな。自信喪失なんてさせるのは申し訳ないなァ。でもまさか、第三位の必殺技がそんなシケたもンとは思わねェだろ?」蛇が忍び込むように、その男の声は美琴の心に絡みつく。今のは一番、自分の持っている応用の中で殺傷力の高い技だった。だからその名を自分は冠しているのに。まるで、その男は意に介さなかった。ただの一般人なわけがない。美琴は相手が誰なのか、どうしようもなく理解していた。気がつくとカチカチと美琴の歯が音を立てていた。足が現実を支えていられなくなって、その場にへたり込んだ。「実験は終了しました。これより現場の処理を行います。一方通行。速やかに退出してください。お姉さまも」「了解っと。なンだ、そう落ち込むなよ。俺も今日はかなり楽めたからなァ。ああそうだ、自己紹介がまだだったな」汚れ一つない男が、美琴に近づいてきた。それを、美琴はどうすることも出来ない。色素の薄い髪と肌、気色の悪い赤色の目。そんなものを美琴の視界一杯に映して、そして忘れられなくするように、耳元で囁いた。「学園都市第一位、一方通行<アクセラレータ>だ。ヨロシク」それだけ告げて、揚々と一方通行は引き上げた。呆然とする美琴の前で、妹達が、死んだ妹の部品をかき集め、無造作に袋に詰め込んでいく。自分の体に流れているものと同じ血が辺りを汚しているのを意に介さず、薬品で淡々と洗浄していく。美琴は、崩れていく自分の世界を修復することすら出来ないまま、ただ呆然とするほかなかった。「み、光子。……ちょっと、くっつきすぎじゃないか?」「そんなこと、ありません。ふふ、当麻さん」ラッシュアワー直前くらいの時刻。当麻の二の腕にべったりと抱きついた光子にやや戸惑いながら、当麻は駅前を歩いていた。光子が上機嫌なのは、実に一週間ぶりの外出だから。光子はちょうど一週間前、ポルターガイストに巻き込まれ、『自分だけの現実』が歪んでしまったため、テレスティーナ率いる先進状況救助隊(MAR)の研究施設兼病院に入院した。主治医の主張ではまだ経過を観察する必要があるとのことだったが、精神的にも肉体的にも堅調で、どうもポルターガイストに巻き込まれたレベル4を研究したいという彼らの都合のせいで、不等に入院期間を延ばされているような印象が拭えなかった。そして昨日の夜、急に黄泉川が光子に早期退院を勧めだし、今日、退院に向けて動いているのだった。光子は早朝に迎えに来た当麻と一緒に、以前世話になったあのカエル医者の病院に赴き、すぐさま退院して問題無しと言うセカンド・オピニオンを受け取ってきたところだった。「ああ、それにしてもこれでやっと退院できますわ! 一緒に暮らすとインデックスと約束しましたのに、一週間も先延ばしにしてしまいましたし、本当、いい迷惑でしたわ」「そうだよな。デートとか、する機会も減っちまったしな」「もう、当麻さん。そういう嫌なことはもう思い出したくありません」「ごめん」悪態をつきながらも、光子の機嫌はすこぶるいい。「当麻さんと二人でこうして歩くの、何日ぶりかしら」「考えたら、インデックスが来てからはそんな時間、一度も取れなかったんだな」「そうですわ。夏休みに入ってからこれが初めてですのよ?」「……俺が悪いわけじゃ、ないぞ?」「それはわかっていますけれど」せっかくの当麻とのデートなのに、急な出来事のせいで碌なお洒落もできず、代わり映えのしない常盤台の制服を着ざるを得なかったのがちょっと不満だった。「あ、そうだ。光子が退院できそうなら、昼からインデックスと合流するか?」「え? あの子は確か、今日はエリスさんと遊ぶ予定をいれてましたわよね」「そうそう。一人で電車乗り継いでな。そのために携帯まで持たせたし」当麻と光子の携帯となら無料で通話の出来る、一番安い携帯だった。渡されたとき、インデックスはまるで爆弾の起爆装置でも持たされたようなおっかなびっくりの態度をしていた。「それじゃ、エリスさんはどうしますの?」「どうするつもりかよくは知らないけど、まあアイツのことだから、エリスも含めて、俺達四人で遊ぼうって魂胆なんじゃないか?」「はあ。……そんなにエリスさんとは、私親しくないんですけれど」光子の入院中に当麻が親しくなった女の子だ。本人の気質とは別に、それが引っかかっている光子だった。「まあ、これからあっちの病院でひと悶着あるだろうし、実際に遊ぶ余裕が出来るのは昼からだろうな」「そうですわね。でも、悪いのはあの主治医の方ですもの。私、一歩も引き下がるつもりなんてありません」早朝にここにいるのは、MARの医者達の目を盗んで抜け出したからだった。他の医者の判断を求めるなどと言えば、あれこれと文句を言って足止めされるだろうし、時間も掛かる。そして反則技を使った反動で、病院に戻れば紛糾するのは想像に難くなかった。「んじゃ、その辺のことインデックスに伝えてやらないとな。さすがにもう起きてるだろ」「あ、当麻さん。私が電話しますわ。インデックスが慌てるところを、私も見てみたいですから」二人で意味ありげな笑顔をかわした。インデックスは最新機器にすこぶる疎く、電話をかけると面白い反応をするのだった。光子が携帯を取り出し、耳に当てた。駅の建物内に入ると電話はかけづらい。光子はビルの手前で立ち止まり、インデックスと会話を始めた。当麻も隣で漏れ聞こえる声に反応していたのだが、ふと、駅から続く歩道橋に見知った女の子が座り込んでいるのに気づいた。いつも元気で、気丈な御坂美琴。まばらな人通りから取り残されて、ぽつんと一人ぼっちに見えた。あれから、廃車場を立ち去って一体どうやってここに戻ってきたんだったか。惰性でいつも自分が歩く町へ、日常へと戻ってきたくせに、自分の部屋に戻る気になれなかった。時計は持っていない。携帯はポケットにあるはずだが、取り出すのも億劫だ。ぼうっと、こうして歩道橋の花壇に腰掛けて早朝からどこかへ向かう人たちを眺めていると、日常の世界にいるはずなのに、隔絶されたような、取り残されたような気になる。……そんな表現がしっくりくる。なんてことはないはずの普通の日常の裏に、あんなものがあるなんて知ってしまった今となっては。「朝、か……」いい加減に行動を起こさないと、教師の見回りが始まって、面倒なことになる。だが、この期に及んで日常を取り繕う必要があるのか。そんなことをしたって、あの地獄は、きっと今日も明日も関係なくやってくるのだろう。いっそ、関わらなければいい。妹達は美琴のクローンだが、他人も同然だ。美琴が何も干渉しなければ、きっと妹達は淡々と消費されて、何も無かったかのように実験は終わるだろう。それなら、もうそれでいいじゃない。その弱気は、きっと美琴らしくない。自分は絶対にそんな風に割り切れなくて、ずっと気に病むに決まっているのだ。だったら助けに行けばいい? それこそお笑い種だ。第三位なんて冠をかぶっていても、第一位にとってはゴミ同然の実力だった。努力だとか、そんなものでひっくり返せないと思うくらい、それは圧倒的な差だった。自分は、助けることも出来やしない。……結局、忘れることも積極的に問題解決することも出来ない行き詰まりのせいで、今ここにいるのだった。「夜遊びは楽しかった?」「え……?」不意に美琴の前に影がよぎり、声がかけられた。のろのろと見上げると、顔立ちの整った、大学生くらいの女の人。ミニのワンピースにニーソックス。軽くウェーブしながら腰まで伸びる長い髪。ベビードールみたいに胸の下をきゅっと絞ったデザインで、豊かな胸を強調していた。知り合いではなかった。濁った美琴の頭は、ただぼんやりとその女の人の笑顔を見つめた。「私が貴女に招待状を送ったのよ。やっぱり自分のことだから、知っておきたいかなって思って」「え……」一体、誰?差出人の「妹達」というのが、嘘だったということだろうか。でもそれなら、一体この人は、どうやってあの計画を知った?「ったく。あんな程度でこんなに脳味噌バカになんのかよ? 元が緩すぎんじゃねェのか?」見下ろす目が、はっきり嘲りを含んでいた。その悪意で美琴の警戒心がマウントされた。「……あなたの目的は何?」「んー、面白半分かな」「趣味が悪いのね」「テメェほどじゃねえよ。ホイホイと遺伝子マップを渡して学園都市に弄んでもらうほどマゾじゃない」「っ!」「おいおい黙るんじゃないわよ。もうちょっと歯ごたえ見せるかブザマに泣きじゃくるかしろよ」「もう一度聞くわ。あなた、何者?」「内緒だよん。あれだけ重要な情報を教えてあげたんだもの。これ以上は簡単には教えてあげない」「……力づくで聞きだしてもいいけど?」「やだ、怖ーい! 第三位の本気なんて怖いわ。――まあ、第一位<アクセラレータ>には蟻みたいな扱いをされる程度みたいだけど」言葉の端々で、美琴の傷口が足で踏みにじられる。そのたびに敵意で奮い立たせた意識が、折れそうになる。「それで、これからどうするの?」「あなたには関係ないわ」「そうでもないんだけど、まあいいわ。勝てないけど足掻くってトコかしら? 泣かせるわね」「イチイチ五月蝿いわね。それこそ第三位の本気ってので黙らせて欲しいわけ?」「やってみろよ。優等生の立場を捨てて駅前テロやる気なら付き合ってあげる」虚勢ではないように思えた。目の前の女は、自分と、少なくとも絶不調の今の自分となら互角に遣り合えるのだろう。「ま、超電磁砲<レールガン>から白星拾っとくのも悪くはないけど、本調子のを叩かないとね。今日のところは負けてあげるわ。惨めな顔も堪能したし、それじゃあね」「待ちなさいよ。話はまだ終わってない」「終わったわよ。私に構うより、助けてあげたほうがいい相手がいるんじゃないの? そんなこと無理だっていうのは、きっと自分が一番分かってるだろうがな。せいぜいぶつ切りの骨付き肉の生産ペースをちょっと落とすために頑張ってみたら? テメェに出来るのはその程度だろ?」目の前の女の揶揄で、美琴は足をすくませてしまった。女が怖かったからではない。自分が見殺しにした妹達、その死体が脳裏でリフレインして、泥沼に使ったように動けなくなった。この女が言うことは、きっと正しい。実験を根本的に止めることなんて、美琴には、きっと。どうしようもなく、妹達の死体が増えるのを毎日数える以外にない、それが美琴の、絶望だった。「おーい、御坂?」「あ……」知り合いの男子高校生の声が、不意に美琴の耳に触れた。「あら、彼氏でも呼び出したの? 男に慰めてもらうなんていいご身分じゃない。まあいいわ。私はもう用はないし――――そうそう。テレスティーナをあまり信じないことね。あのアバズレも関係者と言えなくもないし」当麻がこちらへ近づくのと合わせて、目の前の女が反対方向に立ち去った。女を追っても別に良かった。だけどそうすればきっと、当麻はついてくるだろう。正体不明の女、こちらに近づく当麻、そして突然聞かされたテレスティーナの名前。どれから片付けるか迷っているうちに、女は視界から消えた。