木山の車に乗って、初春と佐天、白井の三人は先進状況救助隊(MAR)の病院にたどり着いた。いつものとおり春上への面会を申請すると同時に、テレスティーナへの面会を希望する。今までもこの事件がらみの話ならすぐに対応してくれたから、当然今日もそうだと思っていた。しかし。「あのう、申し訳ないんですが今日はスケジュールが埋まっていまして。所長への面会はできません。それと春上衿衣さんへの面会も、申し訳ないんですが」気の弱そうな顔をした受付の男性が四人にそう告げた。その言葉に、初春は動揺を隠せなかった。「は、春上さんに会えないってどういうことですか?! あの、まさか」「ええと、詳しいことは私にも分かりませんが、容態が急変したとかで、面会謝絶です」「そんな……昨日まで、なんともなかったじゃないですか!」「ちょ、初春落ち着いて。受付の人に当たっても仕方ないよ」「彼女は春上さんのクラスメイトで、風紀委員をしていますの。きちんと話をしていただければ、私どものほうから学校への連絡をしますから」「はぁ……」木山はそのやり取りに不審な思いを抱いたが、春上とは直接関わりがないので口を挟まなかった。白井が身分を明かして話を聞きだそうとしているのに、受付は困り顔を少しも変えず、そして一言も説明を加えなかった。そうした受付の態度が、木山は気になった。どうも、作り物のように思えるのだった。頻繁に通ってきていたらしいこの三人に、完全に情報を遮断する理由はない。定期的に通ってくれる人間を病院が邪険に扱うことはそうないのだ。「これはこの街の安全にも関わる重要な案件だ。ここの所長のテレスティーナ氏もそれは分かっているだろう。まずは取り次いで、彼女自身の判断を仰いでくれ」「いえ、しかし。執務室にずっといるわけではありませんので……」「テレスティーナさんは携帯持ってるじゃないですか」「いえ、しかしそちらに連絡するのは緊急時に限られていまして」「だからそれが今だと言っている!」声を荒げた木山に、周囲の患者達が不安げな顔をした。ここは普通の市民病院ではない。そのせいか数が少なく、どうやらポルターガイストに巻き込まれた被害者達らしかった。「そ、それではメールで折り返しの電話をするよう連絡を入れておきますので、お待ちください」「それなら電話をまずすればよろしいんじゃなくて?」「いえ、しかし……所長はあまりこういうことで煩わされるのを好まないと申しますか、その」その一言で木山はこの受付の態度の意味を察した。要は怒られるのが嫌らしかった。おそらくはテレスティーナが忙しい日なのだろう。事務方のこうした事なかれ主義には苛立たされる。古今東西、事務とはそういうものかもしれないが。これでは折り返しの連絡を求めるメールとやらも、テレスティーナが目に留めないような代物になりかねない。「仕方ない。ならば、執務室の前で待たせてもらおう」「それは困ります!」「ではすぐ連絡してくれ」「ですが……」歯切れの悪い受付に、学生三人の苛立ちが募っていく。佐天が噛み付こうとしたときだった。後ろから、いつもより怜悧な声が投げかけられた。「あら、どうしたの?」「テレスティーナさん!」テレスティーナはいつもの親しみやすい笑みを薄くして、どこか、こちらに興味がなさそうな顔をしながら近づいてきた。初春、佐天、白井と顔を見て、木山のところで視点を固まらせた。「どういった用件かしら?」「あの! 春上さんが面会謝絶って!」木山より、初春のその言葉のほうが早かった。それを聞いてテレスティーナは、ああ、と安心させるように笑顔を浮かべる。「大丈夫。春上さんは変わりないわ。今はちょっと検査のせいで眠っているけれど、またすぐに連絡があるわ」「あ、だ、大丈夫なんですか?」「ええ。ただ、お友達と一緒の病院に移る予定だから」「え?」「ほら、あなた達は関係者だから分かっていると思うけど。昨日、春上さんのお友達を含めた、13人の暴走能力者の子供達を保護したでしょう? この病院じゃちょっと対応しきれないから、別の病院に移ってもらう予定なの」眼鏡を直しながらそう告げるテレスティーナの笑顔に、木山はクラクラと、眩暈をするのを覚えた。あの子たちを、転院だって?それは何度も何度も繰り返された出来事。悪辣な実験の『証拠品』でもあるあの子たちは、その足取りを分からなくするために何度も転院してきた。まるで、その続きが始まったみたいな。「何処へやる気だ?!」掴みかからんばかりに近づいた木山とテレスティーナの間に、近くにいた救助隊員が割って入った。まあ、無理もないのだろう。木山は頭に血が上って咄嗟に理解できなかったが、木山は前科のある人間だった。「まさか、あなたに教えられるとでも思っているの? 木山春生」「なんだと……」「昨日、あなたからあの子たちを取り上げた理由を分かっていないのかしら。納得してもらうためなら何度でも言わせて貰います。犯罪者である貴女には、あの子たちを管理する資格はありません」テレスティーナが冷然と通告した。それは、木山の心を軋ませる言葉。誰よりもあの子たちのためにいるのは、自分なのに。こんな、信用できない女よりも自分のほうがあの子たちのためになることをしてやれるのに。掴みかかれば、何とかなるだろうか。そんな馬鹿な考えを、木山は頭にめぐらせた。半分くらいは本気だった。「木山先生」手を出すより先に、冷静な声が隣からかけられた。佐天という名の、自分が幻想御手で意識不明に陥らせた少女だった。木山が使用としたことを、咎める目をしていた。「やっちゃいけないことをした人は、それ相応の目で見られても、仕方ないんです」「……だが!」「信用されていないのは悲しいわね。春上さん、佐天さん、それと……ごめんなさい、名前を覚えていないんだけれど」「白井ですわ」「そう、白井さんね。それと御坂美琴さんね。春上さんのお友達である貴方達には、いずれちゃんと教えてあげるから」「今すぐは駄目なんですか?」「ええ、だって隣に木山がいるもの。悪いけれど、少し時間を置かせてもらうわね。……用件はこれだけ?」テレスティーナが露骨に時計を見た。そしてためらいを見せる木山を、佐天は促した。「木山先生」「……わかった。これが、あの子たちのためになる、一番の方法なんだろう?」木山が小脇に抱えていた厚手のファイルと、スティック上のメモリをテレスティーナに差し出した。ぎゅっと紙に食い込んだ親指が、内心の葛藤を訴えていた。「これは?」「あの子たちを救うために、私が作ったワクチン作成スキームだ。あの子たちが投与された、『ファーストサンプル』という体晶さえ手に入れられれば、それの組成・構造解析をして、ワクチンを作成できる」「そう」もう一度、テレスティーナが時計を見た。そして、ニコリともせずに受け取る。「ご協力感謝するわ、木山さん。私達の最善を尽くして、あの子たちに向き合うことを約束します」「よろしく……頼む」「それじゃあ、これで用は終わりね?」最後にニコリと笑顔を見せて、テレスティーナは踵を返した。遠くからはパワードスーツの駆動音が聞こえる。転院のための作業でもしているのだろうか。「これで……良かったのだろうか」「きっと、そうですよ。せめて皆が元気になってくれたときのことを考えて、いろいろ準備しましょう」木山を、いや、自分を励ますように初春がそう呟いた。カツカツと音を立てて、テレスティーナは関係者専用の廊下を歩く。その道すがらのゴミ箱に、バサリと木山の資料を捨てた。「ったくよォ、どうせ見ないんだからいらないっつうんだよ。役にも立たないゴミなんざな」取り繕うのに、随分と不愉快な思いをした。ようやく偽善者ヅラから解放されたと思っていたのに、まだあんな面倒が残っていた。「ったく、朝から警備員には目ェつけられるし」それがきっかけで、テレスティーナはもう少しだけ外面を取り繕うのを止めなかったのだ。もう、テレスティーナの希望の星、春上衿衣は手元にある。そして使い潰しの重要な部品も、ようやく回収できた。木山の言う『ファーストサンプル』は、テレスティーナの手元にあった。それはテレスティーナの誇り。おじい様、木原幻生がテレスティーナの脳から抽出したそれは、今でも世界で最も効果が高く、そして世界で始めて得られた、体晶の『ファーストサンプル』だった。掃いて捨てるほどいる置き去り<チャイルドエラー>を救う? 馬鹿馬鹿しい。私はこれを使って、学園都市が待ち望んだ、神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの<レベル6>を生み出す聖母になる。あとは、あの置き去り<チャイルドエラー>どもを、暴走させるだけ。ニィ、とようやく自分らしい笑みを浮かべられることをテレスティーナは感謝した。今日の夜までには、自分は報われる。おじい様から貰った長年の狂気<ユメ>を、ようやく叶えられる。それがテレスティーナの、追い求めるものだった。足取りの空虚さに、木山自身戸惑いながら病院を出た。「木山先生。……その、元気出してください。そうじゃないとあの子たちだって」「初春さん」「はい?」「本当に、あの女は信用できるのかい?」「テレスティーナさんを疑うんですか?」佐天は、その木山の態度を好ましく思えなかった。だって、悪いことをしたのは、木山だ。信用をなくしてしまったのは自分なのだから、誰かを疑うなんて筋違いもいいところなのに。「……転院なんて、する必要があるとは思えない」「どうしてですの?」「あの子たちは覚醒しない限り、ただの植物状態の患者だ。ベッド数も足りているし、人口密度の低い地区にあるこの病院は立地としては悪くない」「でも、あたし達には分からない事情が、あるかもしれないじゃないですか」「それは、そうだな」そういう可能性があることは、木山にだって分かっているのだ。だけど、必死に一人一人探して、手元に集めていったあの子たちが、またあっさりと自分の知らないところへ消えていくのを、どうしても、指をくわえて見てはいられないのだ。「……初春さん、それに白井さんだったな。私が、これからあの子たちを移送する車を尾行すると言ったら、止めるかい?」「木山先生?! どうして」「約束する。場所を見届けて、そこが納得できる受け入れ先だったなら、私は何もしたりはしない。……私の被害妄想だというなら、笑ってくれ。だけど、もう、嫌なんだ。あの子たちがこの手からこぼれていくのは、嫌なんだ」木山がぐしゃりと髪を鷲づかみにして、そう呟いた。俯いたその瞳が揺れていて、初春は、それを見て何も言えなくなった。佐天も、その本音の吐露を見過ごすことは出来なかった。見届けるくらいなら、いいのかもしれない。「白井さん。私が木山先生に付き合うって言ったら、止めますか」初春が白井を見た。黙って経過を見ていた白井は、はぁっと嘆息すると、諦めたように笑った。「約束を違えるようなことをしたら、勿論止めますわ。でも見届けるだけなら、いいでしょう。私も付き添いますわ」「あたしも、付いていきます」「……そうか、すまないね」少し離れたところで、こちらをうかがうことになるだろう。木山はそう考えながら車のカギを開けた。道すがらに誰とも会うことなく、美琴はテレスティーナのいる、先進状況救助隊の病院にたどり着いた。門をくぐると、敷地内がいつもより騒がしい。馬力の出る車がスタンバイしている音だった。「何かを、運び出す気なの?」病院の現状は、美琴にはそういうふうに映った。普通の入り口からは離れた場所にある搬入口は遮蔽物が多くて見にくいが、人の動きがチラチラとしていた。受付には行かず、美琴はそちらを目指した。どうせ、正攻法で聞いて教えてもらえるようなことを聞きに行くつもりはないのだ。大きなトラックの間を縫って、搬入口の見えるところにたどり着く。誰かは分からないが、どうも患者を運んでいるらしかった。呼吸器をつけられたままストレッチャーに乗せられた人達が見えた。そして美琴の姿に気づいた救助隊員の一人が、視界を防ぐようにやってきた。「君! ここは立ち入り禁止だ。立ち去りなさい!」「テレスティーナはどこ?」美琴はその警告に取り合わなかった。「所長? ……用があるなら受付でアポをとってくれ。さ、退いて!」美琴はその隊員を値踏みした。この人は、『計画』に携わる側の人間だろうか。それとも、善良な人だろうか。いっそ悪いヤツで確定なら、もっと簡単に暴れられるのに。「話を聞いているのか? 力づくで排除してもいいんだぞ?!」そんなことは不可能だ。パワードスーツを着たって、レベル5には勝てるわけがないのだから。美琴は動かず、さらに運ばれてきたストレッチャーに目をやる。業を煮やした隊員が、前言を言葉どおりに実行すべく動こうとするのを押しのけると、ベッドで眠るその女の子の顔が見知ったものであることに気づいた。「春上さん?!」「お、おい?! クソッ」隊員の顔が、露骨にマズいという顔をした。そしてスタンガンを取り出して、美琴に押し当て制圧しようとした。「寝てろ! ……何っ!」「寝てるのはそっちね」腕に押し当てられて擦り傷が出来た。パチッと音が確かにしたのに、美琴はそれに無反応だった。こんなものが自分に効くはずがない。スタンガンを無造作に払って地面に落とす。そして美琴は自分の手を使って、電流を男に返した。これが麻酔銃だったなら話は変わったかもしれなかった。「ねえ。話を聞かせて欲しいんだけど?」美琴は、建物の中から搬入口の外にいる自分を見下ろすテレスティーナに、声をかけた。「随分とうちの隊員に手荒なことをしてくれるわね」「そっちが先にやったんでしょ。立ち入り禁止区域に入ったくらいで、ここの隊員はスタンガンで対応するの?」「病人を運んでいるときっていうのは、デリケートなものよ。不法侵入で開き直るのはいただけないわね」テレスティーナの瞳が、今まで美琴に見せてきたのとは全く違う、冷たい色をしていた。美琴に、というか人間に興味がないような、そんな視線だった。「春上さんをどうするつもり? 昨日の夜まで、元気そうだったわよ?」「麻酔で寝ているだけよ。貴女も知っているでしょう? 昨日、初春さん達が木山春生の集めていた置き去り<チャイルドエラー>の居場所を教えてくれたの。春上さんもお友達と一緒のほうがいいだろうから、移すだけよ。これで満足?」もう話は終わった、とばかりにテレスティーナが美琴から視線を外し、隊員たちに指示を飛ばし始めた。聞いた話は、また、美琴の知らないものだった。実際には白井はずっと電話で知らせようとしていたが、美琴の声色から様子を察して口をつぐんだのだった。もしテレスティーナがいつもどおり柔和な笑みを浮かべていたなら。そして、美琴が決して見逃すことの出来ない、あの事件に気づいていなかったなら。美琴はここで踵を返して、日常に戻ったかもしれない。春上は春上で、きっと枝先と共に幸せに暮らすのだろうと、そんなことを思ったかもしれない。……全てはifの話だった。「体晶……って知ってるわよね?」テレスティーナに聞こえるよう、美琴ははっきりとそう尋ねてやった。聞き流せなかったのだろう、ピクリと反応があった。煩わしさを目じりから放ちつつ、テレスティーナは振り向いた。「いきなり何かしら。こういう病院にいれば、それが何かくらいは知ってるわよ、当然ね」反応してしまった時点で、テレスティーナの負けだった。美琴はその反応に、手ごたえを感じた。まさか、何度も会ったその人が、という思いを捨てきれない。だけど目の前の、テレスティーナの態度は、美琴の知らない裏の顔があることを、如実に知らせていた。「絶対能力進化<レベル6シフト>――――」「……」「コッチも、知ってるわよね? ちょっと詳しい話を聞かせてもらいたいんだけど」そのためなら実力行使も辞さない、と美琴は目線で伝えた。恐らくそれは伝わったのだろう。数秒に渡って目線が交錯し、チッとテレスティーナが舌打ちした。「誰に聞いた」「大学生くらいの、嫌味ったらしい女が教えてくれたわよ。髪は軽い茶色で、ウェーブががってて腰くらいまであるヤツ」「……あンのクソアマ、要らなくなったらお払い箱ってことかよ。ハン、主役になれない第四位の味噌っカスが」ひん曲がった口元、としか言いようのない表情だった。上品な髪留めで髪をまとめ、パワードスーツ用の綺麗なアンダーウェアに身を包んだその外見にはひどく不釣合いだ。もう、隠すものがないということだろうか。急に振る舞いが攻撃的というか、貞淑さを失った。「アンタもレベル6なんていう馬鹿げた妄想に取り付かれたクチ?」「ハァァ? 妄想? バァッッカじゃねぇの? 大真面目だっつの。学園都市の最終目標だぞ?」「こんな人間には出来ないような酷いマネしなきゃたどり着けないようなものを最終目標だなんてお笑い種よ」「テメェの言ってることのほうがよっぽど意味不明だろうが? お嬢様のお綺麗なお研究で達成するものだとでも思ってんのかよ。大体、誰にも生きることを望まれてないあんな生き物、何匹使い潰してもかまやしねぇだろうが」「……」それで、美琴は割り切れた。この女を、死なせないくらいにならどんな風に扱っても良いと思えた。妹達は望まれない子だったのかもしれないが、それでも、使い潰していいはずなんてない。それは美琴にとって、譲れない思いだった。ただ、美琴は誤解をしていた。テレスティーナが使い潰すと言ったのは、置き去り<チャイルドエラー>の枝先たち。美琴はそれを、自分の妹達のことだと勘違いした。無理もないことだった。テレスティーナは確かに、絶対能力進化<レベル6シフト>に関わっていると自供したから。体晶だとか春上さんだとかが、絶対能力進化実験にどう関わるか、美琴は知らない。だが、そのプロジェクトに関わるもの、テレスティーナが自由に動かせるもの全てを壊す、それを美琴は決心していた。「議論は平行線しかたどらないわね」「箱入りのお嬢様とは喋ることなんざねえんだよ」「そう。じゃあ、潰すわ」美琴のその短い一言を、テレスティーナは嘲りを込めた笑みで迎えた。雷撃を頬に向かって投げつけようとしたところで、横から機械の腕が手を出した。MAR専用の、パワードスーツ。恐らくは手下の隊員が操っているのだろう。「邪魔!」美琴と力比べなど、パワードスーツ如きでは不可能だ。美琴の作った電磁界に囚われた鉄製のパワードスーツは、美琴から伸びた電気力線と僅かに拮抗した後、形をゆがませ腕の関節を破壊された。その装甲を一枚はがして武器に変えつつ、数メートル先のテレスティーナに迫る。「大人しくしなさい!」人間スタンガンの美琴につかまれて無事な人間はいない。だから美琴との間に遮蔽物のないテレスティーナは、もう捕まえたも同然。そう思ったのに。「バーカ。無策で突っ立つヤツがいるかっての。カカシと間違えんじゃねえよ」意地の悪い笑顔を浮かべて、テレスティーナが何かのスイッチを押す。――――キィィィィィィィ、と耳障りな雑音がどこかのスピーカーから響いた。「あ……れ?」美琴はテレスティーナのところへの跳躍に、静電反発を利用したブーストを利用していた。常人とは一線を画する速度で懐にもぐりこむはずだった。なのに、不意に能力の演算がゼロで割り算をしたみたいに値を沸騰させて、その奔流が美琴の頭の中を暴れまわった。「あ、づッ!」「覿面覿面、効きすぎかもなぁ。大丈夫かよォ? ほら、コレくれてやる」ひととおりの格闘の修練を受けているテレスティーナにとって、フラフラと慣性で寄ってくる美琴は美味しいカモだった。綺麗にタイミングを見計らって、美琴の腹に膝を叩き込む。「ゴハ、あ、が……」ヒューヒューと喉が音を立てる。逆流しないのは胃の中身がないからだ。テレスティーナの足元に、なすすべなく美琴は崩れ落ちる。「テメェはコレ、初めてだったか。ざーんねん、キャパシティダウンは高レベル能力者ほど良く効くんだよ」単なる音波でありながら、劇薬級の効き目の示す能力者対策装置。偶然の産物だったが、テレスティーナの元で開発されたこれは絶大な利用価値があるのだった。洗いたての美琴の髪を無造作に握って持ち上げ、テレスティーナは美琴の顔を覗き込んだ。「満足した?」「ふざ……けないで」「ギャハハ! 『ふざけないで』? なーんかテンプレどおりでつまんねェ台詞だな。コッチのプランを潰しにきた悪役ならもうちょっと面白いことを言えよ!」「あの子たちを消費して……一方通行をレベル6にするなんて、悪役はそっちでしょうが」テレスティーナの冗談を笑って流せなくて、美琴は精一杯の怒りを込めて睨みつけてやった。それを見て、テレスティーナが「ん?」と首をかしげた。そして数瞬、事情を理解するために間をおいて。「ぶひゃ」爆笑した。「アハハハハ! テメェ、まさか勘違いでここまで来たのかよ?!」「……え?」「絶対能力進化<レベル6シフト>ってプランネームは一緒でも、コッチは部署が違うんだよ! テメェが言ってるのは一方通行を……ああ! テメェ、クローンのコピー元じゃねーか! そうか! 自分のコピーを使わないで下さいってお願いしに来たのかよ! ゴメーン! ココ、そういうところじゃないんで……ギャハ、アハハハハハハ!」「嘘、そんな……」「ここは私が管轄してるほうの絶対能力進化<レベル6シフト>よ! 説明してあげる。暴走能力者から抽出した体晶を一人の能力者に大量投与することで、私はレベル6へと至る能力者を作るつもり。木山の壊しかけたモルモットと春上衿衣は、いい実験材料になってくれたわね」それじゃあ、自分が、ここにいる意味は。今こうしてロスしている時間の分、一体何人の妹が、殺される?その恐怖に、美琴は完全に思考を停止した。「さて、暇ならお前が泣いて許しを請うまで遊んでやるんだが、時間がねーんだ。……これで遊ぶくらいはいいか?」キャパシティダウンは依然として、美琴の頭にズキンズキンと響き続ける。反撃も戦線離脱も、無理だった。どこかから拾い上げた高出力スタンガンを、テレスティーナは美琴の首に押し当てた。「スタンガンも平気な最高位の発電系能力者<エレクトロマスター>さん、この状況なら電流はどうだい?」返事も待たずに、テレスティーナは笑ってトリガーを引いた。腕組みをして指でトントンと二の腕を叩く光子の隣で、どこかおっかない気持ちになりながら当麻は光子の顔色を伺う。光子がつい今朝抜け出してきた先進状況救助隊の病院に戻り、退院の許可を求めて主治医と遣り合う気だったのだが、忙しいから待てという理不尽な扱いをされたまま、もう15分は受付前のベンチに座っている。あとどれくらい待たされるのか、待てば会えるのか、そういうことがきちんと説明されなかった。「ああもう、そろそろインデックス達もこちらに着きますのに」「そうだな」「本当、どうしてこんな病院に収容されなければいけなかったのかしら。私の退院に文句があるなら早く言いに来ればよろしいのに、個室のカギをロックして私の荷物を人質に取るなんて、やり方が陰湿ですわ」「ま、まあ落ち着けよ」「落ち着いていないように当麻さんには見えますの?」「う……いや、まあ」「……ごめんなさい」口を尖らせて拗ねながらも謝る光子が可愛かったので、当麻は撫でてやった。一瞬はそれで機嫌が直るのだが、どうも根本的には解決しそうにない。光子の主治医が応対に出てこない理由は、嫌がらせだけではないように当麻には見えた。というのも、さっきから病院の敷地を出る車が何台か続いていて、忙しい印象を受けるからだ。ここは通いの病人を診るより、事故などの救急がメインのはずだから、学園都市のどこかで大事故でもあったのかもしれない。「何か、あったのかしら」「なんかあっちの方、荷物積んだりストレッチャー運ぶ音がしたり、忙しそうだよな」「ええ。また、ポルターガイストが起こったのかもしれませんわね」不穏な空気を感じるほかの病人と共にぼうっと建物の奥を眺めていると、当麻の携帯が震えた。ディスプレイには黄泉川先生と表示されていた。「あれ、先生だ。……もしもし」「上条か」「あ、はい。そうですけど」「お前と婚后、今何処にいる?」長い世間話は特に好きでもない黄泉川だが、今日のはいつにも増して口調が端的だった。「MARの病院にいます。退院の交渉したいんですけど、先生が来なくて待ちぼうけしてます」「そうか。上条、頼みがある」「何ですか」「婚后が、たしか春上と面識があるだろう。すまないが見舞いたいと申請してみてくれるか」「はあ、それはいいですけど。でもなんで?」「風紀委員でもないお前を使っておいて何だが、色々と一般人には話せない事情があるじゃんよ。すまないが、事情を聞かずに見舞ってくれ。それで、もし断られたらすぐ連絡をくれ」電話越しの黄泉川の声に、焦りの響きを感じて当麻は詮索するのを止めた。警備員として腕の確かな黄泉川の指示だ。反論だの事情の詮索だのよりまずは、指示に従うべきだろう。「わかりました。じゃあ、光子とお見舞いに行ってみます」「頼む」それだけ言って、黄泉川は素早く電話を切った。話の途中から表情の変わった当麻を見て、光子も何かを感じていたのだろう。目が合うと、先ほどの苛立ちを消して当麻の言葉を待っていた。「ちょっと、春上さんのお見舞いに行かないか」「え?」「先生に頼まれたんだ」受付が近いから、当麻は黄泉川の名前も警備員という単語も出さなかった。それでも当麻の顔色から、意味合いを汲み取ってくれたらしい。光子が怪訝な顔をするでもなく、笑顔で応えた。互いに、なんだかそれが嬉しかった。修羅場を潜り抜けたこともあったおかげか、阿吽の呼吸で分かり合える。「当麻さんが春上さんに鼻の下を伸ばしてはいけませんから、ちゃんと見張りませんと」「おいおい、そんなのしたことないだろ?」「知りません。私、当麻さんが春上さんや他の女性のお友達と夏祭りに行ったとき、一人でここにいましたもの」「なんか俺が女の子を引き連れて歩いたみたいな言い方止めてくれよ。後ろから離れてついていっただけだって」「ふうん。何処を眺めながらお歩きになったの?」「何処って、そりゃ景色だよ。……あの、すみません」自然な感じを装うのにどうしてチクチク責められるのかと若干理不尽な思いをしながら、当麻は受付に再び声をかけた。「はい」「春上……下の名前なんだっけ?」「春上衿衣さんに、お会いしたいのですけれど。私の用件のほうは待たされるようですから」「春上さんですか……あの、すみませんが、それは出来ません」黄泉川の危惧が的中したらしかった。「どうしてですか?」「春上さんは先ほど、転院するためにこちらの病院を出ましたので」「えっ? 転院、ですの? そんな話は昨日、一度もお聞きしませんでしたけれど」「まあ、今日決まったことなので……」「そんなに急なこと、ありますの?」「はあ、まあ……」それだけ言うと追求されるのが面倒なのか、受付が事務室の奥へと引っ込んだ。バタバタと忙しない病院、そして急に転院した春上。そしてそれを危惧する黄泉川。何か、不穏な空気が病院を流れていることを、当麻と光子は気づき始めていた。「とりあえず、先生に電話するか」「ええ。それと当麻さん、ちょうど受付の方もいませんから、私と春上さんの病室まで行ってみましょう」「ん、わかった」転院したのが本当なら当然そこはもぬけの殻のはずだ。無駄足かもしれないが、確認の意味はある。当麻は携帯を操作して、黄泉川へとコールを入れた。そしてその足でエレベータに乗り込んだ。エレベータが上りきるだけの長いコールを経て、ようやく黄泉川に繋がる。「上条、どうだ」「春上さんには会えませんでした。何でも今日突然、転院することが決まったらしいです」「……そうか」光子の先導で、春上の病室の前に来た。ネームプレートはまだ掛かったままで、中を見るとまだ私物が残っていた。ただ、部屋の主はいなかった。「今春上さんの病室に来ました。荷物はあるんですけど、本人はいません」「了解した。上条、助かったじゃんよ。婚后の件は今日じゃなくてもいい。とりあえず今日のところは、家に戻って来い」「あの、手伝えること、ないですか」「上条、お前は常日頃から厄介ごとに首を突っ込む馬鹿野郎だ。何度も怒られてもう分かってるじゃんよ。この街の問題に対応するのは警備員の仕事だ。お前はさっさと帰れ。婚后を泣かせたいか?」「う……わかりました。帰りますよ」「ん、そうしろ。それじゃ切るぞ」また一分に満たない時間で、黄泉川が電話を切った。事情を問う顔の光子に、当麻は軽く首を振った。「なんか厄介事らしい。光子の退院の件も保留でいいから、今日は家に帰れだってさ」「春上さんが、行方知れずですのに?」「一応この病院が手続きしてるんだぜ。誘拐とはわけが違うさ」「でも……」「なんか普段は俺が怒られるのに、俺が光子を諭すって不思議だな」「当麻さんに毒されたんですわ、きっと」ただの一般人である自分達が帰らされるのは、言わば当然のことだ。だけど放っておけないはずの人を放っておくのは、何だか居心地が悪い。行動を起こせないことに歯がゆさを覚える辺り、光子は、当麻と考えることが似通い始めていた。……お互い、実はそれもちょっと嬉しかった。「とりあえず、下に降りよう。それで医者の先生に会えなかったら、帰ろう。インデックスにも連絡しなきゃな」「そうですわね。もう、これで帰ることになったら、インデックスには随分と足労をかけてしまいますわね」二人はそう言い合いながらエレベータで再び下に降りた。二人きりのボックスの中で、光子は当麻の二の腕をかき抱く。もう随分と自然になった。こうやって当麻に甘えるのはなんだか楽しいのだった。――だというのに。「当麻さん?」エレベータを出る。いつもならもっと気遣いの一つくらい見せてくれる優しい当麻が、軽く振り払うように光子の腕を解いて、光子とは違う方向を見た。「御坂!」「えっ?」その名前に、光子の心臓がドキンと跳ねた。だって、また会うなんて、思っていないから。朝の一件から時間も経って、ようやく嫉妬がどろりと流れ出すのは収まっていたのに。だが、当麻の影で死角になっていた美琴の姿を目にすると、そんな気持ちは、一瞬で吹き飛んだ。――――美琴は気を失って、ストレッチャーの上に寝転がされていた。「お、おい御坂! 大丈夫かよ?!」「御坂さん?! あの、御坂さん!」二人で声をかけるが、一向に目を覚ます気配はない。眠っているというよりは、完全に意識を失っているらしかった。ただ、幸い呼吸は確かで命に別状は内容に思えた。「どうしてコイツ、ここにいるんだ?」「さあ、私にも分かりませんわ。朝と服が違いますし……」さらに分からないのは、美琴の横たわるストレッチャーが、一般の病人からは見えないところ、トラックや救急車用の搬入口に置かれていることだった。治療をする医師もいないし、これから病室に運ぶという様子もない。先ほどから騒がしいことと関係があるのかもしれない。「そこで何をやっている!」敵意に近い警戒感のある声が、廊下の奥から飛んで来た。パワードスーツ用のアンダーウェアを纏った男だった。MARの隊員だろう。鍛えてあるらしく体つきは良かったが、目つきが陰湿だった。「この子、俺達の知り合いなんです。どうして気を失ってるんですか?」「さあ、詳しいことは知らないね。さあ、退いた退いた」「お待ちになって。御坂さんは今からどうなりますの?」「それはお前等の知ったことではないよ」「待てよ。知り合いだって言ってるだろ?」「彼女は他の病院で治療することになった。詳しいことは、目が覚めてから本人と連絡を取ってくれ」露骨にチッと舌を鳴らして、その男は面倒くさそうに当麻を睨んだ。そしてもう話は終わったと言わんばかりに、男は美琴の乗ったストレッチャーをトラックに載せようとした。「待てよ!」「……病人の移送を邪魔するなら、警備員に通報してもいいんだぞ?」「そっちこそ通報されて大丈夫か? 春上さんを無事に運びたいんだろ?」当麻は、それでカマをかけたつもりだった。情報の一つでも引き出せればいいと思ってのことだった。だが、効果は覿面すぎた。「ほう。随分と困ったことを知られたものだ」「な?! が……っ!?」「当麻さん?!」当麻は突然飛んできた拳を腕でなんとか受け止め、数歩後退した。光子は突然の荒事に硬直した。その二人の隙を突いて、男は美琴の乗ったストレッチャーを近くに控えるトラックのほうへと押し始めた。「どうせ今日の夜にはコトは全部終わってるんだ。証拠隠滅も、適当で構わないな。――おい! このクソガキをさっさと積み込め! これが最後の車両だ。遅れると所長に殺されるぞ!」その返事を聞いていたのだろう、トラックから運転手らしい男が降りてきて、後部のコンテナ部分を開いた。後部のドアが開くタイプではなく、車両のサイドの壁が持ち上がるガルウィングドアで、中にはパワードスーツが数着、積み込まれていた。男はそれに飛び乗り、手馴れた仕草で起動する。「さて。お前たち二人もこれから怪我人になる。そして我々と一緒に目的地まで行こうか」「簡単にそれを許すと思いますの?」「ああ、思っているよ。なにせ学園都市で三番目に貴重なサンプルでも、このザマだからな」「えっ?」躊躇わずに、男は病院の敷地全体に届くスピーカーのスイッチを入れた。圧倒的なスペック差をつけた状態で蹂躙するのがその男の好みだった。――――キィィィィィィィ当麻はその不快な音に眉をひそめた。長く聞いていると気分が悪くなりそうだ。そしてその程度では、光子はすまなかった。「あ……、う。これ、は――」「光子? お、おい大丈夫か?」「当麻さ、ん……頭が」「一体どうしたんだよ?!」「『キャパシティダウン』さ」「何だと?」「超能力ジャミングの音響兵器だ。一般人には無害だが、能力者に対する効果はすさまじいよ。そちらのお嬢さんのようにな。それにしても、レベル4の能力者に付きまとう男が無能力者とは、みみっちいと自分で思わないのか?」当麻はその言葉に取り合わなかった。ただ、光子の体に右手で触れても、耳や頭に触れても様子が変わらないことを確認した。「音を止めろ」「ああ? お前ももう少し実力差を考えて言葉を選べよ。ほら!」「クッ!」ひどく緩慢な動作で、男はパワードスーツの腕を振り回した。生身の人間より遅いそれをかわそうとして、軌道の先に光子の体があることに気づいた。光子を退けるように、抱いて横に運ぼうとする。――幸い、光子には当たることはなかった。「が――――は、ア?!」「当麻さん? 当麻さん……!?」「ほう、これは謝罪せねばならんな。すまない少年よ。君は中々に高潔な人じゃないか」わざわざこの構図を狙って作っておいて、男は慇懃に笑いながら当麻に謝った。この方式を気に入ったらしい。「さて、第二撃だ。彼女は動けないぞ?」光子は状況把握も正確に出来なくなった脳裏で、歯噛みする。力が使えないどころか、当麻が傷つく、その理由にされるなんて。「ゴハァッ!」「当麻さん……!」ダメージは運動量に比例する。速度は遅くとも、大質量の鉄塊は充分な威力だった。そしてダメージの蓄積部位は速度に依存する。高速な物体であれば体の表面を壊すが、この遅い腕の振りはダメージを体に浸透させる。悠然と飛んでくるその二撃で、当麻は足元が覚束なくなった。そして三撃目。当麻を目掛けて繰り出されたそれは、鋭く腹部に突き刺さった。「あ……が……」当麻は必死に打開策を考える。逃げるのは可能かもしれない。でもそれは自分だけならだ。そして超能力なんて使えない自分は、パワードスーツなんて相手と戦うのは、そもそも不可能だ。学園都市のパワードスーツは発火能力者や発電系能力者を意識して作られているに決まっているのだから、そこらからガソリンを拝借して火をつけたくらいじゃどうにもならない。トラックで轢いてやればダメージはあるだろうが、そんな悠長なことは出来ないし、そもそも運転も出来ない。「く、そ……」「さすがに三発でギブアップか。さて、時間がないのが悔しいところだな。隣の彼女が傷つく様をなすすべなく見る彼氏、という構図は中々に悲劇的で悪くないが、生憎凝った事をする余裕がなくてね。……本当に残念だ。生身なら触り甲斐もあったろうね」「やめろ! 光子に触るな!」「と言われても。言っただろう? 君もこの子も、学園都市の裏の世界についてきてもらわなきゃならないんだよ。何、どうせここで私が手を出さずとも、遠からずこの子は慰み者になるさ。レベル4などそうそう価値もない」パワードスーツの腕で、抵抗の出来ない光子を男が掴み挙げた。そして肩に担ぐようにして、トラックへと運ぼうとする。「くそっ、待て! 待てよ!」足が言うことを聞かない。倒れないように必死に二歩三歩と進むうちに、男はずっと先へと進んでしまう。どうすれば。何をすれば光子を助けられる?!当麻は、なす術のなさに頭を真っ白にしかけた。その瞬間だった。「みつこ!!!」「やれやれ、上条当麻。君はこの状況じゃ本当に使えない男だね」聞きなれた女の子の声と、小憎たらしいどこぞの赤髪の神父の声がした。「おや、新手かい?」男が余裕ありげに振り向いた。光子がどさりと美琴と一緒のトラックに載せられたところだった。「能力者が束になるとかなりの脅威なんだがね。今はキャパシティダウンの稼動中だ。その間に動ける君達は、つまりレベル0なんだろう?」2メートルを越す身長の男は、生身なら脅威かもしれない。だがパワードスーツを着ている限り肉弾戦では敵ではない。後ろにいる銀髪と金髪の二人など論外だった。むしろ、憐れみすら覚えた。どちらも逃がすわけには行かない。と言うことは、今しがたトラックに載せた女と同様、この二人にもそう明るい未来は残されていなかった。「レベル0というのは、確かこの都市の能力者のランク付けのことだったね?」「ん?」その物言いからして、目の前の赤髪の神父は学園都市外の人間らしい。尚更、脅威と見るに値しない存在だった。だがその事実を理解していないのか、神父は悠長に煙草をふかしている。目の下のバーコードや過度に纏いすぎたアクセサリの数々が、オカルトでも信奉しているような、蒙昧な印象をかもし出していた。「僕は超能力者ではないからね、レベル0で合っているのかな」「開発どころか検査も受けていない人間にレベルは与えられないさ」「ああ、それもそうか。……ところでインデックス。僕は、科学<かれら>に能動的に干渉することは禁じられているんだけど」インデックスは、ステイルの言っていることが魔術師としてごく常識的であることは理解していた。だけど、そんな悠長なことを言うような場合では、ないのだ。放っておけば、光子がさらわれかねない状況だから。光子を助けようと走り出したインデックスを止めたのがステイルだった。そんな原則論を持ち出すのならなぜ自分を止めたんだと、インデックスは非難を込めた目で見つめ返した。すぐさまステイルは、怯んだ目をした。「……僕が言ったのは正論だよ。まあ、どうせ彼は僕らも逃がす気はないだろうしね。それで合っているかい?」「そうだな、反論はしないよ。君に『需要』はないが、後ろのお嬢さん達には価値がある。さあ、地面に這いつくばれ」男は当麻を無視して、ステイルと、その奥にいるインデックスとエリスの方を向いた。そして無造作にステイルに腕を振り上げる。それを見て、ステイルは口の端を釣り上げた。フィルター前までしっかり吸いきった煙草をピッと指で投げ捨てる。こちらから露骨なアクションは取れなくても、反撃なら許されるのだ。「仕事だよ、魔女狩りの王<イノケンティウス>」「なっ?!」煙草の吸殻を基点に、爆発的にオレンジがかった光が広がる。それはあっという間に人型を成し、人の身長を越える。ちょうど、パワードスーツを来た男といい勝負のサイズだった。「やれやれ、不穏な空気を感じてあらかじめルーンをバラ撒いておいたのが役に立つとはね。さて、一応聞くけど。その機械仕掛けの鎧から降りて、降伏する気はないかい?」「貴様。なぜ能力を使える?!」「さあ。どうしてだろうね」「くっ!」ブゥン、と一度止めた腕を男は振り下ろした。魔女狩りの王がそれを受け止める。その二者の接触面が軋みをあげ、猛烈な勢いでパワードスーツのセンサーがアラームをかき鳴らした。異常な熱を検知した報告だった。すぐにこれでは腕が駄目になる。炎の塊から遠ざかるために男は反射的に後ろに下がって、そして愕然とした。重さを感じさせない炎の塊が、自分の腕を掴んだままついてくる。なのに振り払おうとすると、今度はパワードスーツの力に負けない強さで、その動きに逆らう。その間も、腕はあっという間に熱を持って、その温度を見過ごせない温度にまで上昇させていく。「その装甲。何度まで耐えられるんだい? さすがは学園都市製と、もう充分褒めるに値する健闘ぶりだけど」魔女狩りの王の内部温度は、三千度程度。それは温度で言えば、タングステンやダイヤモンドなど、強靭な物質を溶融させるにはやや心もとない温度だ。だが、魔女狩りの王が司るのは熱ではない。酸素の存在を暗黙の前提とする、燃焼という現象だ。酸素雰囲気下の三千度。それだけの条件で溶けも燃えもしない物質は、学園都市のどんな生産プラントでも作れない。この世に存在しない物質を作れる、ある男を除いては。勿論パワードスーツの装甲はそんな物質ではなかった。「は、離せ!」「どうしてだい? まずはお互い、分かり合うために対話をしようじゃないか」炎の恐怖に顔を引きつらせる男に、ステイルはゆっくりとした動作で語りかける。目の前で怯える人がいて、それに微塵も流されない。「くそっ!」男が何かを決心した顔で、開いた腕に銃をマウントした。そして、それをステイルに向け、引き金を引いた。魔女狩りの王がステイルを庇い、腕を離した。――ガンガンガン!!それはもう、周辺にいるあらゆる人を警戒させるに足る音だ。すぐに通報されて、野次馬もたかってくるだろう。速やかに、この神父を制圧しなければならない。炎の塊に阻まれて神父がどうなったのか見えないが、これが消えないと言うことは。「残念。その程度の口径の銃が魔女狩りの王を貫通することは出来ないよ。以前、高速度の飛翔体に対する対策を考えさせられる経験があってね。魔女狩りの王にはかなりの粘りを持たせてある」ステイルがチラリとうずくまる光子に目をやって、そう呟いた。魔女狩りの王の中身は木炭や石炭の溶けたものだ。もちろんそれは魔術的、象徴的な意味であって、物理的な正しさはない。三千度の炭の液体などというものが実際に存在するはずもないが、もしあれば、それは水よりさらりとしていておかしくない。温度が上がると粘度が下がるという物理法則に、魔女狩りの王が従う必要は無かった。「にしても、面倒だな。君を殺すのはちょっと問題がありそうでね。出来れば無力化したいんだが」「うるさい、死ね!」「ああ、会話にならないのか。君に科学を講釈するのは釈迦に説法というやつかも知れないけれど。――――熱膨張って知ってるかい?」ステイルに向けられた銃の機構部分を、魔女狩りの王が優しく掴んだ。恐怖にやられたのか、男は自動小銃をフルオートで打ち始める。だが、それも長くは続かなかった。――――バンッ!!!ひどくあっさりと、銃がその部品を四散させた。「うわっ! な、なんで――」「この温度で銃が正しく動作するわけがないだろう。さあ、魔女狩りの王。そろそろ戯れは終わりだ。彼に熱い抱擁を」「止めろ! 止めてくれ!」「それを言った上条当麻に君はどんなリアクションをとったっけね? ――やれ」「ヒィッ!!!」男は、緊急脱出用のコマンドを躊躇いなく実行した。そしてもぬけの殻になったパワードスーツの外骨格に、魔女狩りの王が絡みついた。弾性の付与と引き換えに熱に耐性のない関節から順に、あっという間に破損していく。そして装甲が発火したところで、ステイルは魔女狩りの王を引き離した。「クソ、なんでこんな――」「よう」「え?」先ほどとは打って変わって、腰を抜かした男はいつの間にか当麻の足元にいた。当麻は手加減なんて微塵も考えなかった。全力のストレートを、男にぶち込んだ。「寝てやがれ!!!!」「ガハァッ!!!」ガツンと頬骨が折れる音とともに、男が吹き飛ばされて転がった。そして当麻はすぐにトラックの運転席で事態を怯えながら見つめていたMARの隊員を睨んだ。「今すぐこの音を止めろ!」魔女狩りの王がすっとトラックの前に立つ。逃げ切るより自分が殺されるほうが早いと悟ったのだろう。当麻にぶちのめされた男よりも小心か、あるいは根が腐っていないのか、コクコクと頷いてキャパシティダウンを止めた。すぐさま当麻とインデックスが光子の下に駆け寄る。「みつこ! 大丈夫?!」「ええ……。頭痛はもう消えましたから。すぐに良くなるとは、思いますわ」「ごめんな、光子」当麻の表情を見て、光子は切ない気持ちになった。何も出来なかったことを悔いている顔だった。当麻はレベル0だ。こんなとき、何も出来なくたって誰も責めやしないのに。自分を庇って、助けようとしてくれただけで、恋人の自分は充分に満足なのに。「当麻さん、気になさらないで。本当に別に、私何ともありませんから」「ああ……」「まあそういう感傷的な事は後にまわしてくれないか」「っ」面白くなさそうに煙草をケースからとんとんと取り出しながら、ステイルが後ろで呟いた。エリスはステイルからも離れて所在なさげにしている。「悪い。ステイル、助かったよ」「別に君たちが被害にあうだけなら止めなかったけどね。この子に手を出すと宣言したそこの彼にでも感謝したらどうだい」不調でうずくまる光子を見ても全く容赦のないステイルだった。だが恨みがましい目でインデックスに見られると、居心地悪そうに目線を外した。「なあ、ステイル」「なんだい?」「さっきの運転手を操るとか、そういうことって出来るのか」「……そんなことを何故聞くんだ?」「光子」ステイルに取り合わず、当麻は光子を撫でた。それだけで、光子は当麻の言いたいことを全部理解した。そして答えに、沢山の言葉を尽くす必要なんてない。「私は当麻さんについて行きます」「おう。じゃあステイル、頼んだ」「状況くらいは説明しろ」「インデックスの友達の一人、春上さんって言うんだけどな、その子がこいつらに誘拐されてる。今から、助けに行くぞ」運転手を操った上でトラックを運転させ、前方の車両に追いつく。当麻が考えているのはそういうことだった。事情を確かめるように、戸惑ったステイルはインデックスを見た。懇願する目で、コクリと頷いた。「魔術師として、この学園の超能力者と戦うのは駄目なんだよね。そういうのは、しなくていいから。だからステイル、お願い」ろくに吸ってもない煙草を投げ捨て、足でグリグリと踏みにじる。正義を語るようなおこがましい趣味はステイルにはない。だが、そういうインデックスの顔には、弱かった。「ああもう、僕は知らないぞ」この場の全員に聞こえる大きな舌打ちをして、ステイルは運転手のほうへと向かった。