カタンカタンと、トラックが高速道路の継ぎ目を通るたびに規則的な音が室内に響く。簡易ベンチに当麻と、光子にインデックスが座り、ストレッチャーに乗せられた美琴が横にいる。三人から離れ噛みタバコを噛むステイルと、その全員から離れたところにエリスが座っていた。「まったく。僕にも用があって、ここに来たんだけどね」ハッとため息をついて、ステイルが肩をすくめた。そういう文句はトラックに乗り込んでから、三度目くらいだ。「いやだから、来てくれるのはありがたいけど、来いって言ったわけじゃないだろ?」「別に僕は君達に用はないから、あそこで別れても良かったんだけど」「ごめんね。でも、私にとっても、他人じゃないもん」ステイルはインデックスに謝られて向ける矛先を失い、フンと鼻を鳴らした。「それにしても、追いつくのに時間が随分と掛かるね」「この辺は高速が狭くて追い越しとかほとんどねーんだろうさ。差がついちまってるんだから、仕方ないだろ」当麻たちを乗せたトラックは今、春上を乗せたトラックを追いかけている。差がついているのは、当麻たちがパワードスーツを着た男と争ったのもあるが、その後にトラックから予備のパワードスーツを下ろすのに手間取ったからでもあった。走っている途中で遠隔操作で自爆なり脱出ポッドの強制排出なりをされてはたまらない。だが、あんな重い機械を手で運べるはずもなく、手間取ったのだった。「もっと彼女が、早く手を貸してくれていれば良かったんだがね」そう言ってステイルが、エリスを横目で見た。インデックスが不安げな顔をする。一人、エリスだけが皆から離れているのは、ステイルの采配だった。――――MARの病院で、ステイルがルーンを使って運転手を操ったところでその事態は起こった。エリスは一般人だ。ついて来たところで足手まといになるのは明らかだった。当麻がそれを心配したのがきっかけだった。「エリス。ここからは危ない。悪いけど、近くの通りまで出て、タクシーで帰ってくれないか」「上条君……。インデックスは、構わないの?」「ステイルの魔女狩りの王<イノケンティウス>、見ただろ? インデックスはそういうのが出来る連中の一人なんだ」「まあ戦力外だろうけどね、今回に関して言えば」「そんなことないもん!」ステイルの揶揄にインデックスがむっとした顔を返す。それは心配の裏返しだった。魔術師の中でなら、インデックスは驚異的な力を発揮する。だが、彼女の能力は超能力者の中にあっては、一般人と大差が無かった。あらゆる信仰を論破するインデックスをして、太刀打ちできないのが科学だった。「君が行かなきゃ、僕も行かなくて済むんだけど」「……別に来てくれなんて、言ってない」「だけどさっきみたいなことがあれば、君の保護者二人はまた戦力外になる。彼らが怪我をするのは僕の知ったことじゃないが、インデックス、君に関しては違う」「じゃあ、ステイルは私と一緒にここに残って、とうまとみつこが怪我をするのが一番いいって言うんだね?」「それは……」「私も行く。もう私はそう決めたから。ステイルがついてこないのは自由だけど」インデックスと春上とは、少し話した程度の間柄だった。夏祭りに行った日に話したのだが、その時も主に世話になったのは浴衣を着付けてくれた佐天で、ほとんど春上とは接点を持たなかった。でも、もう春上は、インデックスの友達の一人だ。苦しんでいるところを見過ごすことの出来ない、そういう相手に入っていると思う。それは当麻にとっても、光子にとっても同じことのようだった。この二人は、デートしているときに突然家のベランダに引っかかった女の子を助けて、そしてずっと一緒にいてくれるようなお人よしなのだ。インデックスは、自分の決断を間違っているとは思えなかった。「ああもう。分かった、行くよ」ステイルはざっと髪をかき上げ、エリスに目をやる。「君にも、親切で一応言っておくと、ついて来ない方が良いと思うよ。いざと言うときに、足手まといがいると困るからね」「ステイル! そんな言い方しなくてもいいでしょ!」「事実だよ。……さて、上条当麻。トラックに積まれた機械の鎧が邪魔だな。動かして車の外に出してくれ」ステイルは無理と分かっているのだろう、当麻はその嫌味に苛立ちを覚えた。この場で当麻は、今のところ何も出来ていない。「無茶言うな。こんなモン、ロックが掛かってて部外者には動かせねーよ。手で動かすには重すぎるしな。さっきの運転手にやらせるか?」「不可能じゃないけど、時間が掛かる。僕の魔女狩りの王は動かすのは可能だけれど、トラックも壊しかねないし、あまり作業には向いていない」「じゃあ、私がやるよ」「エリス?」意を決したように呟いたエリスに、インデックスが戸惑いながら尋ねた。「やるって、どうやって?」「エリスさんは、それほどレベルは高くないんでしょう? できますの?」美琴のストレッチャーの隣で座り込む光子がそう確認する。トラックから地面まで1メートルくらいの段差がある。エリスの超能力のことは良く知らないが、空間移動、念動力、そういう能力でこのパワードスーツを動かすにはそれなりのレベルが必要だった。どうする気なのかと尋ねる光子に、エリスはあっさりと、自分の秘密を打ち明けた。「ううん。私、ホントはね、超能力者じゃないんだ」「え?」驚くインデックスに、エリスは微笑んだ。それは仲のいい知り合いに、また一つ嘘をつく後ろめたさを隠すための笑みだった。エリスは、本当は超能力者でもある。だがその「でもある」をきちんと目の前の皆に説明することは出来ない。だからこの場では、エリスは自分の超能力者としての側面を隠した。「あの、エリス……」「ちょっと待ってね」エリスはポケットから、印鑑入れのようなケースを取り出した。開くと、中には白いチョークのようなものが入っていた。その質感から、インデックスはそれが微細な塩を油とワックスで固めたもの、オイルパステルの一種だと推測した。エリスはかがんで、そのチョークめいた白色の棒で地面に紋章を描き始めた。超能力者の、わけの分からない理屈ではなくて、むしろインデックスの良く知った理論に沿って。「エリス……嘘、どうして」「ごめんね、今まで、言わなくて」それはいい。だって、インデックスだって自分が魔術師だなんて一言もエリスに言わなかった。もちろんindex-librorum-prohibitorum、すなわち禁書目録というフルネームを見れば、魔術師ならインデックスが何者かなんて言わなくても分かるだろうけれど。準備が終わったのだろう、詩歌を吟じるように、いつもより心持ち低いトーンで、朗々とエリスがその紋章に向けて声をかけた。「私の可愛い土くれシェリー。あのトラックの上のパワードスーツを、どけて頂戴」ぐにゅり。エリスの一言をきっかけとして、硬いコンクリートの地面が突然、やわらかい音を立てた。コンクリートがひび割れ、その下から茶色い泥が、人の形を作るようにぬるりと這い上がる。割れたコンクリートを身にまとい、その泥はステイルより一回り大きい程度に盛り上がっていく。そしてやがて四肢と頭を形作り、泥の人形、ゴーレム=シェリーは完成した。作り方を親友に教えてもらった、魔術師エリスの最高位の技だった。もちろん、魔女狩りの王となんて比べ物にならないが。親友の名を冠したゴーレムに、エリスは笑いかけた。たぶん存命のはずのシェリーがこれを見れば、自分と同じ名前をいかついゴーレムにつけたエリスのことを一体どう思うだろう。「……ふうん、君は魔術師だったのか」「うん」「インデックスに近づいた目的は?」「逆だよ。あの子が私のいる学校に来なければ、私からコンタクトすることなんて無かったもの」少し寂しそうに、エリスがインデックスに笑いかけた。その微笑が表裏のないものに感じられて、インデックスは、エリスを信じたいと思った。だけど、魔術師同士であるということは、そう簡単には埋められない距離があることを意味していた。「エリスは、どうしてこの街にいたの?」「……インデックスには、話してもいいよ。もう帝督君には教えちゃったから」「じゃあ」「でも今は、嫌だな。インデックスの知り合いだからって、誰にでも喋りたいことじゃ、ないから。……例えばステイルさんは、私に学園都市に来た理由を話せるの?」「まさか。どの結社に所属する魔術師かも分からない相手に、そんなことができるものか」「だよね。ほら、これでおあいこ」ステイルの言い分はもっともだった。とある錬金術師が、「吸血殺し」という究極の対吸血鬼集蛾塔のようなものを手に、本気で吸血鬼を集めようとしているなどという話が知れたら、普通の魔術師なら何を差し置いても、「吸血殺し」か吸血鬼の横取りを目論むだろう。だがエリスは、ステイルが内心で考えていることなんて当然知りえない。シェリーを見上げ、トンと触れた。「さあ、早く仕事をなさい。急がなきゃいけないから」シェリーは物も言わず、重たげな音を立てながらパワードスーツを退けに掛かった。――――そんな経緯で、エリスはステイルの警戒心を買い、インデックスから離れて座っているのだった。トラックの中の沈黙を、インデックスが破る。「ねえ、エリス」「何かな?」「また、落ち着いたら。一緒に遊べるかな」ステイルのほうを、エリスはチラリと見た。返答は無言だった。「私はこれからもあの学校にいるし、インデックスが通ってくるなら、一緒に遊ぶこともあるよ」「うん、そっか」「インデックスこそ、私を避けたほうがいいのかもしれないよ?」「……そうだね、ステイルは、そんな顔してる」「なあエリス。お前はさ、友達としてのインデックスを、裏切る気なんてあるか」「ないよ」「ん。じゃあ、俺らから聞くことはもうねーな」「……ありがと、上条君」光子が当麻の手を握って、当麻と一緒にエリスに笑いかけた。そして目線を横にやると、ストレッチャーの上の毛布が、もぞりと動いたのに気がついた。「御坂さん?」「ん……」美琴が、意識を覚醒させたらしかった。誰かの話し声が気になって、美琴は目を覚ました。はじめに目に映ったのは、頼りない感じのするベッドと、灰色の壁だった。ここ、どこだろ。そんな暢気なことをぼんやり考えていると、御坂さん、と知っている誰かの声が背中にかけられた。誰だっけ、知り合いの声なのは確かだけど。そう思いながら、気だるい体を横に向ける。初めに目線を合わせた相手は、ツンツン頭の、見知った高校生だった。「御坂、大丈夫か?」「え……?」どうして、コイツが?理由は単純だった。美琴のストレッチャーの隣に当麻が座っていたから。もちろん美琴にそんなことが分かるわけがない。心臓が、トクリと高鳴った。目を覚ましたときに、傍にいてくれるなんて。今この状況も、数時間前の記憶も、そういうものへの理解をせず、美琴の心は当麻の気遣う声が聞こえたことを、素直に喜んだ。……それは決して、幸せではないことなのに。「御坂さん、大丈夫ですの?」「え? 婚后、さん……」肺が苦しい。ギチギチと、急に呼吸が苦しくなった。なんで、って。そうだ。今朝、話をしたんだ。コイツと婚后さんが、その、付き合ってるって。よく見れば、確かインデックスとエリスという名前の美人の外人さん二人組に、知らない赤髪の人までいた。呆然とする美琴に、当麻が立ち上がって手を触れた。おでこに、当麻の温かみが広がる。夏だからか美琴は額に汗がにじんでいて、触られるのが恥ずかしかった。「お前、熱あるだろ」「え?」「さっきからお前、『え?』って言ってばかりだな」きっと普段なら、美琴が弱みを見せたらまずはそこを攻めにかかると思う。いつも倒す倒されるみたいな話ばっかりしてたから、今だってそうだと思った。なのに、馬鹿だな、なんて顔をしているのに。当麻の笑みの中に美琴を労わるような優しさがあった。それは、隣に光子がいなければ、どうしようもなくなるくらい嬉しいことのはずなのに。「ほら、喋れるか?」「……ば、馬鹿にしないで」「だったらちゃんと喋るんだな。こうなってるお前に無理言う様な事して悪いけど、聞かなきゃいけないことがあるからな。……お前、どうして倒れてたんだ?」当麻の顔が、真面目なものになった。それでようやく美琴も、自分の意識がなぜ飛んでいたのか、思い出した。「私、テレスティーナにやられた。スタンガンで」「あれ、お前、そういうの平気だっただろ?」「なんか、あの音でおかしくなって」「キャパシティダウンだっけか。そうか、お前もアレにやられたってことは、能力者であれば即アウトか」美琴が首をさすり、傷を探した。手に触れると、ざらりとした感触があった。ズキンと痛みが走って、そこがひどいやけどになっているのが分かった。「痛っ……」「ひどいな……それ。跡が残らないといいけどな」当麻が痛ましそうに、その傷を見た。別に、傷が残ったっていい。傷一つないのが女の勲章、なんて価値観は美琴は持ち合わせていない。だけどやっぱり、自分の体が綺麗じゃないところを見られるのは、嫌だった。「残ると吸血鬼っぽくて嫌ね」「冗談言ってる場合かよ」「いいでしょ、それくらい。なんでアンタが私の心配するのよ」「しちゃいけないか?」「……うん。駄目」「そうか」アンタには、婚后さんって彼女がいるでしょうが。……それを、声に出すことは、現実を認めてしまうことになるから、言えなかった。もうその現実が覆らないことは、薄々分かっているけれど。「今、これ車に乗ってるんだよね?」「ああ」「どこに向かってるの?」それも、聞いておかなければならないことだった。規則的な振動から、どうもこの車は高速道路を走っているらしいとわかる。しかも医者らしい人は乗っていなくて、救急車じゃなくてもっとゴツい、トラックのような車だった。美琴のために別の病院へ、という感じではなかった。「……体調悪いお前には悪いけど、この車は、春上さんを乗っけたトラックを追いかけてる」やっぱり。美琴は自分の予想が正しいことを確認して、そしてこう、思ってしまった。私は、こんなことしてる場合じゃ、なんて。そしてすぐに自分を責めた。今、自分は春上と妹の命を天秤にかけて、優先順位を決めようとした。それは、やってはいけないことだと思う。そんな風に命に値段をつけるということをやってしまえば、妹達には、どうしようもないほどの客観的な値段がついている。それが許せなくて、自分は動いているはずなのに。……だけど、妹達と一方通行の作り出したあの惨劇が脳裏にこびりついていて、それがどうしようもなく美琴の焦燥感を掻き立てるのだ。「朝から悩んでたの、この件だったのか? とりあえず、警備員の知り合いには連絡してある。どれくらい切羽詰ってるのか、詳しいことは御坂に聞きたいんだけどさ、ここにいるヤツはみんな、荒事に付き合ってくれる気で来てる。だからまあ、頼れよ」「……うん」美琴は当麻の勘違いを正さなかった。やっぱり、あれは当麻にも話せることではないと思うから。そして、いつか美琴がどうしようもなくなった最後には頼れる、そんな希望が感じられるから。もう、それで良いと思った。今は、春上を助けることに集中しよう。――不意に、当麻が美琴の髪をくしゃりと撫でた。その感触に美琴は目を瞑ったのに、当麻の手は名残を見せずにすっと美琴から離れた。「ごめんな」「えっ……?」不意に、謝られた。意図が分からなかった。「お前、朝から随分追い詰められてたよな。もっと、ちゃんと聞いてやればよかったな」「……別に、アンタに聞いてもらったって何も変わらないわよ」「そうか?」「そうなの。ったく、お人よしにも程があんのよ。そんなんじゃ、アンタ」美琴はそこではじめて、ようやく、光子のほうを見た。「婚后さんにすぐに愛想つかされるわよ」「御坂さん……」それは、敗北宣言だった。だって、当麻はもう光子の恋人で、自分の居場所はそこにはないんだから。友達としてなら、当麻の傍にはいられるように思う。だから、もうそれでいいじゃないか。年上の、なんだかお互いにじゃれあいたくなるような、仲のいい男友達。「愛想つかされるって、別に光子は」「御坂さんの言うとおりですわ。当麻さんは、もっと反省してくださいませんと」「え、光子?」戸惑う当麻に光子が僅かに咎める視線を送った。美琴はその光景を見ていられなくて、腕で、視界を覆い隠した。「お、おい御坂。変なこと言うから」「当麻さんはあちらに座ってらして」「え、ちょっと、光子」光子が強引に、当麻を自分の席に押しやった。美琴の体がわなないて、何かを堪えるように唇がきゅっと横に引かれたのを見て、光子は当麻に見えないよう、美琴の頬にハンカチをそっと押し当てた。「婚后さん……?」「これが、嫌味なことに思えるんだったら、ごめんなさい。朝は、私もつい……ごめんなさい」「いいよ。別に婚后さんは、悪くない」「ええ、それは私も、譲れません。でも御坂さん、私、御坂さんとお友達でいたい」「え?」光子はそれ以上、言葉を重ねなかった。ただ、美琴の気持ちに共感するように、空いた美琴の手をとって、ぎゅっと自分の手を重ねた。覆った腕の隙間から、美琴は光子を見た。真摯な目で、優越感とかそういうのとは無縁に、美琴を慰撫してくれる表情だった。「……ありがとね、婚后さん」「お礼なんて」美琴は光子の手を握り返した。優劣がついて、明暗が分かれて、蹴落とした側と蹴落とされた側になったのに。今この瞬間が今までで一番、美琴と光子が友情を交し合えた時だった。「初春、何をしていますの?」「なんだか、前を走ってるトラックの台数がおかしい気がして……」木山の運転するスポーツカーで移送中の春上や枝先を尾行している最中、助手席で端末を操り始めた初春に、白井がそう声を投げかけた。病院を去るときに見たトラックは4台だった。死角にいて見落としたかもしれないが、それならもっと多いことになる。目の前を走るトラックは3台、数が合わない。……もちろん全てのトラックが春上や枝先の輸送に絡んでいる保証はないので、数が合わないことが即、異常というわけではない。だが、例えば今追っているトラックは実は全く別の目的のトラックで、自分達が勘違いしてる、なんて事があっては困る。それで、下っ端警備員の権限でも閲覧できる監視カメラの映像を漁っているのだった。「――我々がミスリードされている、と?」「え? ああ、そういうんじゃなくてただ勘違いで、ってことです」「そうか。君もそういう危惧を抱いたのかと思ったのだが、違ったか」「え?」木山が吐露した懸念に、佐天は首をかしげた。トラックは百メートルほど先を車の流れに乗って走っている。高速道路の上だから突然いなくなることはないし、そもそもあの巨体だ、隠れることは無理だろう。「何かおかしなことでもあるんですか?」「おかしなことではないかも知れないがね。目の前のあのトラック、相当の重量のものを積んでいるようだ」軽い段差にタイヤが差し掛かるたび、積荷に衝撃が行かないようスプリングが揺れを緩衝する。その揺れの周期が、どうにも重たげだった。トラックに詰めるだけ子供達を積んでも、あれほど重くはない。「確かになんか、重そうですね」「ああ。……そしてね、普通あの仕様のトラックに積むのが何か、君達は知っているか」「えっと……」考え込む佐天の隣で、風紀委員の白井はその答えがパワードスーツであることを知っていた。それを告げようとしたところで、白井の携帯電話が音を立てた。ディスプレイを確認すると、見慣れた同居人の名前。「お姉さま?!」慌てて白井はコールに答えた。そして美琴の声からはかけ離れた、野太い声がしたことに戸惑った。「よう、白井か」「……誰ですの?」「悪い、上条だ……って言って分かるか?」「上条さん……ああ、婚后さんの彼氏、でしたわね」婚后さん、などとさん付けでなどほとんど呼ばない相手をそう呼ばざるを得なかったことに僅かに顔をしかめながら、白井はいったいどういう状況なのか、確認に努める。なぜ、婚后光子の彼氏がお姉さまと?「わかってくれてよかった。ちょっと御坂のヤツに携帯借りてるんだ。聞きたいことがあってさ」「あの、お姉さまは?」「んっと、実は今ちょっとダウンしてる」「ダウン?! 何がありましたの?」「えっと、その御坂の件と俺の聞きたいことが関連してるんだけど……いいや、先に答えたほうが早いな。御坂のヤツ、それと後から俺と光子……婚后もだけど、あの病院の関係者に襲われた」「えっ?!」白井の驚きは二つあった。いままで足繁く通った病院の関係者が、こちらに牙をむいたこと。そして、それによって、学園都市最強の発電系能力者である美琴が、やられたこと。その不穏な雰囲気を察したのだろう。後部座席、すぐ白井の隣にいる佐天はもちろん、前にいる初春と木山の二人も聞き耳を立てた。それを見て音量を上げつつ、白井は心を落ち着かせながら、情報の把握に努めた。「そっちも病院に言ったって聞いた。大丈夫だったのか?」「ええ。少なくとも、私達が病院に伺ったときには、暴力的なことはありませんでしたわ。ただ、春上さんやそのお友達の枝先さんという方たちが病院を移るから、面会をすることは出来ないと一方的に通告されましたの」「そうか。御坂はそれを止めようとしてやられたらしい。んで、俺達はやられた御坂がどっかに連れて行かれかけたところに出くわしたんだ」「そう、ですの。……まずはお礼を。上条さん、お姉さまを助けてくださってありがとうございます」「……俺は礼を言われるほどのことは出来なかったけどな。それで、今はどうしてるんだ?」「私達は今、MARのトラックを追跡しています」「え? そっちもか」「ということは、上条さんたちも?」「ああ。かなり離れてるけど。MARのトラックを一台かっぱらった」「そうでしたの。あの、お姉さまに替わっていただけませんか?」「そうだな、いきなり俺がかけて悪かった」「いえ、緊急時ですから」謝罪もそこそこに、上条は受話器を美琴に返してくれたらしかった。荒事の真っ最中だが、当麻はちゃんと落ち着いていて、話し合えるいい相手だった。携帯から耳を離さずにいると、程なくして美琴の声が聞こえた。「……黒子」「お姉さま! ご無事ですの?!」「ああ、うん。アンタのキンキン声で耳が鳴ってる以外は平気」「そんな言い方、つれないですわ」「で、私に替わってって、何かあった?」「いいえ。お姉さまのお声を聞いて、黒子の励みにしたかっただけですわ」本心は違っていた。声を聞いて、美琴が大丈夫かを確認したかったのだった。白井のお姉さまは普通に戦って傷つくような実力の人ではない。だからそれが折られたとなれば相当な事態だと思えるし、安否はきちんと聞いておきたかった。もちろん、ストレートに心配なんてしたら、この天邪鬼のお姉さまは大丈夫だって言い張るに決まっているのだ。「……そ。ならもう補充したわね。またアイツに替わればいい?」「ああ、待ってくださいお姉さま。出来ればもっと黒子を優しく励ましてくださいまし」「ったく。世話の焼ける。ほら、頑張んないと夏休み後半の予定、アンタ以外の知り合いと遊ぶので埋めるわよ」「え、ちょっとお姉さま、そんな酷い――」「白井か? また替わった。それで、これからのことなんだけど」美琴にもう少し言い募ろうとしたところで上条にまた替わってしまった。当麻には聞こえないようにはあとため息をついて、もう一度その声に応える。「なんですの?」「行き先とか、そっちは把握してるかって――」「白井さん! 御坂さんたちにも教えてください! 前のトラック、多分ダミーです!!」「えっ?!」当麻との会話を遮るように、助手席の初春が突然に叫んだ。「初春! どういうことですの?!」「今、MARの病院近くの監視カメラの映像にアクセスしたんですけど、私達が前方のトラックを追ってから、後発のトラックが別方向に向かってるんです! それに前のトラック、私達が追いつくまでかなり低速運転してます。見た感じ、あっちが本命ですよ!」「そちらのトラックの行き先は?!」「えっと、高速に乗って初めの分岐で曲がってますから……」「人も少ないし、病院も少ない学区のほうだな」「そうですね」「……木原幻生の、研究所がある。そちらには」「え?!」まさか、と初春は思った。木山と枝先たちが巻き込まれた悪夢を取り仕切った研究者。そんなところに、転院するはずの枝先たちが、行くはずがない。「おい白井! 今木原って名前が聞こえたけど」「え、ええ」「それテレスティーナの親類か?」「え!? どうしてですの?」「あの人のフルネーム、パンフレットで見た。テレスティーナ・木原・ライフラインだ」「そんな……」ガンッ! と木山が力任せにハンドルを殴りつけた。けたたましいクラクションが鳴って、何事かと周囲の車が不審げな挙動をとる。その中、木山は周りの迷惑を一切意に介さず、乗客三人に告げた。「舌を噛まないように気をつけろ!」「え?!」「反対車線に出る!」言うが早いか、木山が高速道路の真上で、駐車でもするときのように非常識な角度までハンドルを捻った。タイヤがギャリリリリリリリとアスファルトに爪を立てる。「うわわわっ!」「きゅ、急すぎますわ!」「へ、えぇぇぇぇぇっっ?!?!」「お、おい! 大丈夫か?」上条が悲鳴に反応してこちらをうかがう。未だ続く横殴りの加速度に抗いつつ、白井は怒鳴り声を返す。「今から木原の研究施設に向かいます! お姉さまの携帯……いえ、佐天さんの携帯から婚后さんの携帯に目的の場所を転送しますから!」「わかった! ……ってそっちは青のスポーツカーか! コッチから無茶苦茶な車が見えた!」「それですわ。こちらも一台きりのMARのトラックを確認しました。難しいでしょうが、上条さんたちも早く引き返してくださいませ!」「ああ、わかった。とりあえず用件は済んだけど、しばらく繋いでるぞ」「ええ。話があれば私がすぐに出ますから」白井は当麻にそう告げて、車と車の間をすり抜けていく木山の横顔を見つめた。大切な生徒の、無事を願う顔だった。当麻は白井との話を一旦打ち切って、ステイルに声をかけた。「ステイル、こっちのトラック、後発の癖に先発のダミーを追いかけてる!」「そんなこと僕に言われても知るものか」「責めてるんじゃねえよ。すぐに行き先変えてくれ!」「チッ……どう指示すればいい」「どうって」「行き先の名前は? それも分からずあの運転席の男に命令するのは難しいぞ」「行き先はこちらです!」光子が佐天から送られてきた情報をステイルに渡す。すぐさまステイルがトラック前部の男に話しかけ始めた。「上条さん! 聞こえています?」「なんだ白井」「ダミーのトラックが!」当麻はその言葉に反応して、ステイルの隣から前方を覗いた。3台のMARのトラックが、強引に車を止めている。そしてハッチを開き、その重たい鋼鉄製の積荷を開帳した。合計、九台のパワードスーツ。対テロ制圧用クラスの重装備で、普通の学園都市の生徒など相手にもならないレベルだった。「マジかよ……」当麻はうめくように呟いた。トラックではこの込み合った高速でスピードも出ないが、高機動パッケージを積んだパワードスーツなら白井たちのスポーツカーにも追いつけるかもしれない。そして、鈍重なトラックしかない自分達など、到底逃げ切れないだろう。当麻の後ろで、光子が美琴に歩み寄った。「御坂さん」「婚后さん?」「御坂さんは、レベル5の、常盤台のエースでしたのね」「へ?」「私、つい最近まで存じ上げませんでしたの。ごめんなさい」「それはいいけど……」突然のその言葉に、美琴は戸惑った。どこか、美琴を試すように、あるいは勇気付けるように、光子が挑戦的な笑みを美琴に向けた。「ねえ御坂さん、このトラックから、対向車線を走るあの車に、取り付くことはできますの?」「え?」「一番の戦力が、こんなところで足止めなんていうのはおかしな事ですわ」「……」「あの邪魔な追っ手なら露払いを済ませて起きますから、御坂さんは白井さんたちと先に行ってくださいな」「婚后さん……」美琴は改めて、自分に問う。こんなことを、自分はしている場合だろうか。ここで力を使って、テレスティーナを止めても、妹達を助けるのに何一つためにはならない。だから、この事件は誰かに任せて、自分は自分のことをすべきだろうか。美琴は自分を見つめる光子から視線を外して、光子の、彼氏の背中に目をやった。赤髪長身の、ステイルといっただろうか。その人といがみ合いながら必死に打開策を練っている。ふっと、それを見て美琴は笑った。今、ここを離れても、自分は絶対に後悔するのだ。枝先や春上たちを放っては、やはりいけないのだ。それが、御坂美琴という人間なのだと思う。後で後悔だってするかもしれないけれど、それでも、動くのだ。「ありがと、婚后さん」「お礼なんて要りませんわ」「うん」それだけ言葉を交わし、美琴は当麻のほうに近づいて、乱暴に押しのけた。このトラックのハッチを開くボタンがそこにあったからだ。「お、おい御坂、なんだよ」「邪魔。……私、行くから」「へ? 行くって?」「ありがと、と、と、とう、ま」「え、なんだって?」「なんでもない! じゃ!」「あ、おい!」光子の顔は見なかった。小声で言ったから気づかれなかったかもしれないし。もう、能力は本調子。ちょうどおあつらえ向きに迫ってきた、見覚えのあるスポーツカーに向かって、美琴はダイブした。相対速度は、時速100キロくらいあった。「光子、御坂のヤツ」「あれでいいんですわ。ステイルさん、車のターンはまだですの?」「今、減速しているだろう。もう少し待つんだね」「……ということは、運転手の方への指示は済みましのね」「ああ。済んだけど」「それは重畳」クスリと笑って、光子はステイルの背中に優しく触れた。気味悪げに、ステイルが光子の顔を見た。「なんだい」「みつこ?」光子は当麻とインデックス、そしてエリスの顔を見渡した。「当麻さん。可愛らしい女の子二人だからって、変な気はくれぐれも起こさないで」「へ?」当麻に、自分が浮かべられる飛び切りの笑顔にちょっとだけ嫉妬を混ぜて、気持ちを伝える。そしてまだ疑問顔のステイルに、光子はため息をついてやった。光子の能力で気絶さえしたことが有るというのに、触れられて無頓着とは、どういうことか。「婚后。君は一体何を――」「私達は口より手を動かすのが先ですわ」そう言って、自分とステイルに蓄えていた気体を、光子は噴出させた。「うわっ!」「みつこ!? ステイル!」「インデックス! こちらは私達に任せて!」「君は一体何を! 僕がいなくなったらトラックの行き先は変更できないんだぞ!?」「大丈夫! 私が何とかするから!」超能力者エリスは、人の心を操ることが出来る。魔術師としてのエリスを知る他の面子は、エリスが魔術でそれをするものと思い込んだ。勘違いをエリスは正さない。「光子……」「当麻さん。適材適所、ですわ。私はここで、あちらの方々を制圧します」「……無茶するなよ」「あら、それは当麻さんこそ自分で自分にお言い聞かせになって」くすっと光子が笑う。当麻は自分の乗るトラックがギヤを入れ替え、アクセルを踏んだのが分かった。名残を惜しむ場面でもない。しばし光子は当麻と見詰め合って、そしてすぐさま目の前の課題に集中した。ステイルはさすがに荒事には慣れていた。やれやれという風にため息をついて、起動を完了させたパワードスーツを眺めた。「ひどい無茶をやってくれたものだ」「あら、そうは思いませんわ。超能力者の事情には関われないのでしょう?」「もうとっくに巻き込まれているだろう」「目の前のあれは、超能力とは全く関係のない、ただの最新鋭のブリキのおもちゃですわ」「それにしては随分と攻撃的だ」それに取り合わず、光子はステイルの腰に腕を回した。「遠距離戦では周りに被害が出ます。とりあえず肉薄しますから、さっさと必要なビラ配りは済ませて頂戴」「ビラとは失礼な。それと、準備は5秒で事足りるよ」光子はステイルを引き連れ、敵地へと赴いた。自分達がパワードスーツの連中を見逃せば、インデックスに危害が及ぶかもしれない。インデックスを人質に取っていることになるのは不本意だが、ステイルが本気で目の前の連中を足止めするだろうことには、光子は自身があった。炎の魔術師と風の超能力者、それに対するは9機の学園都市製パワードスーツ。気に食わない相棒だが、相性は悪くない。光子はステイルを信頼して、今この瞬間は、背中を預けることに決めた。「行きますわよ!」「ああ!」